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ずっと気になっていることがある。アインシュタインの『E=MC2』という式。有名な式だ。質量はものすごいエネルギーの変りうる。といった意味の式らしく、悪用されて原爆を作るきっかけになってしまったという式である。あまり物理に詳しくないので、どこまで合っているのかわからないけれど、たぶんこの式、願望実現の方程式でもあると思う。Eがエネルギー、Mが質量、Cが光の速さでその2乗。質量をそのまま、物質と考えて良いのなら。それを現実化と呼んでもいいのではないだろか?すると、M=E/C2 ←C2分のEと書いてるつもり。。(分母って右でいいんかな)現実化=光の速さの2乗分のエネルギーとなる。エネルギーはココロ満たされる状態、感情が満たされている状態、明るい気持ちのエネルギーに満たされている状態、幸せな気持ちのエネルギーに満たされている状態、喜びや希望のエネルギーを満たしている状態などいろいろあると思う。が、問題は『光の速さ』。しかも2乗??これって、いったいなんだろう???行動? 思考?さっさと行動すること?ふたつの角度から考えること?最高と最悪の事態考えとくこと???考えに考え抜くこと?考えに考え抜いて、希望に満たされていること?2乗っていったい何なん???テキパキ行動すること?二兎追う者になれってこと?凸(*▼▼)(なわけねー:笑)ならいったい何か?最近こういうことかな~と思っていることがある。『光の速さ』として一番ぴったりな感じのもの。それは、『シーン』じゃないかなと。その場面、シーン。光の瞬間であり、それを駆け抜けるような『シーン』それをありありと思い浮かべる。その未来のシーン。そして、2乗というのは、それにつながる今。未来からつながる今。今からつながる未来。今というシーンから、すでにつながっている未来のシーン。未来というシーンから、それに引っ張られるようにつながっている今のシーン。今というシーンから、そこにフォーカスするようにつながっている未来のシーン。今というシーンから、そこに意図するようにつながっている未来のシーン。そこにピッとつながり、通じ合っているそのシーン。 そのふたつのシーンが掛け合わさり、喜びや幸福、希望のエネルギーに満たされる時、そのふたつのシーンに振動が起こり、それは現実化する。それをワクワクとも呼ぶのかな?と、思う、今日ニョロニョロでした。
August 22, 2007
あなたと話しが出来そうで、話すことの出来ない距離がある。何気ない日常で、いつもと同じ道を歩いていて、同じ風景を見て、同じ空間を過ごしてる。同じものを見ているはずなのに、同じ何かを感じているはずなのに、距離は縮まりそうで、縮まらない。あなたは誰?きっとむこうもそう思っている。どうしてあなたの存在を、こんなにリアルに感じられるのだろう?あまりにも偶然のサインが多すぎる。でも話せない。話すことの出来ない距離がある。ならそこには何があるのだろう?何の意味があるのだろう?わからないけれど、『どうすることも出来ない』という、『プロセス』がある。この一瞬。この瞬間。どうすることも出来なくて、『わからない』という『プロセス』を体験することが、『大きな何かを動かしている』こともあるんじゃないだろうか?たとえ話すことが出来たとしても、そして話すことが出来なかったとしても。そこには大きな意味があるのかも知れない。話すことが出来たとしても、話すことが出来なかったとしても。そのプロセス自体に意味はあり、その一瞬を大きく動かす何かがあるのかも知れない。と、その辺のところを信じてみたい。
August 11, 2007
今、この場所が天の国。今、この人たちが天の住人。どんな環境にいても、 どんな場所に過ごしていても、そこにある自分のココロに一念は、三千の世界に通じて彩られる。ビルの地下の汚れた通路の通勤ラッシュ朝の電車、時折現れる変なヤカラ。けれどもバスは、いっぽん遅れで余裕はあった。歩く人々の中にある、そのココロを想うままに生きてゆければいいのだろうけど、そこにある日常の中で埋もれてゆくしかできないままの自分がいつもそこにある。さあ天の国はいずこへ?天の国はこのココロの奥から三千の光を放って常にある。今ここに『それ』を見るなら、すでに『それ』は存在する。今ここに『それ』を認めるなら、すでに『それ』は存在する。天の国の高度な光の芸術で、それは創られているらしい。天の国の高度な光の技術で、それは造られているらしい。なら、ビルの汚れた地下街も、古びた出口の階段も、さびれたどこかの街並みもあの汚ったない並びの自販機も!みんな高度な光の芸術がその奥で輝いているのかも。わざとそうなのかも。わざとさびれてるのかも。わざときたない環境を、超高度な技術で造形し、わざわざ創り出してるのかもしれない。神さまの芸術で!天使たちのいたずらで!そうしてその環境に現れている人たちが、みな天の国の住人であって、みな根本的には善良で、いい人たちであると思えるのならば、もっと信じあうことが出来るのでしょうね。もっと分かり合おうと思えるのでしょうね。もっと自分の中に天の光を三千に輝かすことが出来るのでしょうね。天国にすっぽりと、舞い落ちた今ある環境を、そのまま天国の巨大な舞台芸術の中のひとコマ。舞台仕掛けのワンシーンだと気付けば、ココロは純粋に、その思いの世界を創り始めてゆくのでしょうね。一念が三千であるが如くココロ軽やかであるならば、それはただちに、天国に住まうが如しになるのだろうね。
August 8, 2007
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