スピリチュアリズムとは           ~霊的真理の普及のために~ 

善悪と公正

善悪と公正

*かっこ内がシルバーバーチの霊言です。

「世間がどう言おうと、まわりの人が何と言おうと、自分で正しいと思うことを
しなさい。そのほうが都合が良いとか得策だからではなく、心の奥でこうある
べきと確信したこと、良心がそう命じていることを実行すればよいのです。
いたって簡単なのです。ところが人間はなぜか複雑なこと、やあこしいことを
好みます。もう当たり前になってしまった単純素朴なことは毛嫌いします。
私はあくまでも良心の命じるままにしたがいなさいと申し上げます。良心こそ
神の声であり、善と悪とを選り分け、進むべき道を指示します。」

「良心が命じていることは、たとえその方向へ進むと苦難に遭遇することが
分かっていても、迷わず従いなさい。最後にきっといいようになります。難しく
考えることはないのです。これ以上簡単は話はありません。」

「自分で正しいと思うこと、良心が指図することを忠実に実行しないといけま
せん。最後は自分が自分の裁判官となります。振り返ってみると正しかった
こともあれば間違ったことをしていることもあります。しかし、動機が人のた
めということであれば、たとえ間違っていてもとがめられることはありませ
ん。
動機が何よりも考慮の対象となります。」

「私は“悪”とは同じエネルギーの用途を誤っていることだから許すべきでは
ないという考え方をとります。あなたが“悪い奴ら”と思っている人間は未熟
な人間ということです。その人たちが表現しているエネルギーは成長と改善
のためにも使用できるのです。自分から“悪人になってやろう” “利己主義
者になってやろうと思って悪人や利己主義者になる人はめったにいるもので
はありません。悪い人間というのは霊的成長における幼児なのです。聞き
分けの無い子供みたいなものです。目に見え手に触れるものだけがすべて
だと考え、したがって物的世界が提供するものをすべて所有することによっ
てしか自分の存在を主張できない哀れな人間なのです。利己主義とは利他
主義が方角を間違えたにすぎません。」

「故意に悪いことをするよりも無知から犯す間違いの方が多いものです。
全体からすれば“悪人”といえるほどの人間はごく少数派に属します。
ささいなしくじりを裁くために大ナタをふるうようなことは慎まねばなリませ
ん。そういう人を憎むということは、それも罪を犯していることになります。
良心がとがめることをするのは世宇部て霊的摂理に反します。」

「すべては“罪”とは何かという定義にかかわる問題です。私に言わせれば、
罪とはその者とそれを受ける双方に害を及ぼすことです。その行為者の霊
性を下げ、同時に他人を傷つける行為です。それには嫉妬心や欲張りや恨
みも入ります。要するに罪とはひとのためになる行為の反対と思えばよろし
い。」

「ある国で不道徳とされているものが他の国では不道徳ではないことがあり
ます。たとえば伝統的宗教によって、罪でもないことがつみとされていること
があります。その宗教が勝手にかかげている協議に違反したものに対す
る、その宗教の内部だけの見解であり、行為にすぎません。」


善=良心に従うこと
善=霊的成長に役立つこと(他人を愛し、人のためになること)
悪=善の反対
ということです。とてもシンプルですね。

次は神の法則の公正さについて語っています。

「神の摂理は、最終的には完全なる公正が行きわたるようになっておりま
す。こればかりは誰一人として例外はありません。あなたにも、そして地上
にかぎらず他のすべての天体上の存在の一つ一つに公平な配慮がなされ
ております。摂理は絶対です。何一つ見落とされることはありません。あなた
の霊的成長と発達に必須のものは、それを受け入れる用意ができ時にはき
ちんと手に入るように配慮されております。」

「いつの日か地上のあらゆる肌色の人種が融合することでしょう。どの人種
にも他の人種にできない役割をもっているからです。霊眼をもって見れば、
全ての人種が調和し、それぞれの特質、特有の文化、特有の学問を提供し
合って生きる時代の到来が見えます。」

「霊的な教訓が地上に広まるということは、人種間の隔絶性に終止符が打
たれることを意味します。国家間の障壁が取り除かれることを意味します。
民族的差別、階級的差別、肌色による差別の撤廃を意味します。さらには
(英国教会系の)教会(チャーチ)、(非国教会系の)教会堂(チャペル)、(キリ
スト教以外の)聖堂(テンプル)、(イスラム教系の)寺院(モスク)、(ユダヤ教系
の)礼拝堂(シナゴーグ)といった各宗教の礼拝・儀式の場の区別も無くなり
ます。なぜなら霊的に見ればいずれの宗教も大霊の真理の一部を包蔵して
おり、自分たちにとってこの上なく貴重に思えるものも他の宗教が大切にし
ている真理と少しも矛盾対立するものでないことを理解するようになるから
です。」


人々が善の行いをし続ければ、このような公正な平和な未来が訪れるとい
うことです。あたりまえといえばあたりまえのことですよね。




2005.1.11


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