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ほぼ正月しか書きませんが、今年もよろしくお願いします。
January 4, 2020
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今年もよろしくお願いします。昨年は全く更新してませんでした。今年は、少しは復活したいです。
January 1, 2018
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昨年は大変お世話になりました。本年もよろしくお願いいたします。
January 1, 2017
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リレー・フォー・ライフ・ジャパン にいがた 2日目 (書くの遅くなりました)。がん征圧のイベントリレー・フォー・ライフ ジャパンの新潟会場に昨日に続いて参加。朝、昨日の疲れが残っていたせいか、6:30に会場に行くつもりが、家を出たのが、6:25・・・。家から会場の新潟県スポーツ公園までは10分以上かかる・・・。敬老の日なので、家の玄関前に国旗を掲げ。会場に行くとすでに職場のS先生が来ていた。7時過ぎには沢山の人が会場を歩き。私達もその中を歩く。飛び入りで、トランペットと自分の歌声で「君をのせて(天空の城ラピュタ)」を披露してくれた人がいたので、私は職場の旗を振って応援した。ここを歩くたび、私のガンで亡くなった友人、親戚、そして私の師だったN先生、様々な人の思い出がよみがえる。そしてバトンやダンスのパフォーマンス。そしてファイナルラップ閉会式2日間私の首に巻かれていたバンダナ。来年、もっと多くの人をさそって参加したい。
September 19, 2016
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今日はガンと戦う人のイベント、リレー・フォー・ライフ・ジャパンにいがたに参加。会場を歩いて、この活動に賛同していることを示すというイベントなのでとにかく歩いた。新潟でのリレー・フォー・ライフのイベントは今年で2回目。昨年は、2日目だけ参加だったけれど今年は初日も参加した。12時30分位に新潟市のスポーツ公園に集合。職場の教員職員学生が集まった。災害ボランティア部も参加。13時開会式開会式のあとは、サバイバーズラップ。会場をサバイバー(患者経験者)が会場を1周する。私も一緒にまわった。そして、ケアギバーズラップ、サバイバー以外の参加者の皆さんが1周する。そのあとはリレーウォークで参加者が歩けるだけ歩く。時々、出店している店で美味しいカレーやクレープ、アイスとかを食べながら。途中は歌やマジック、ファイヤーパフォーマンスなどのライブあり。日が暮れてからも歩き続ける。本日のメインのイベント、エンプティテーブル。ガンと戦い、この場に来ることができなかった人への哀悼を込めて。その後サイレントウォーク。来ることができなかった人を想い無言で会場を1周する。そして、明日の朝まで続くリレーウォーク・・・だけれど私たちは一旦帰宅。明朝再度集合・・・できるか?
September 18, 2016
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昨日は学校の拳法部の前期締めの稽古、そして今日は小須戸拳友会の上半期締め稽古。いつもと違い、場所は白根カルチャーセンターの柔道場。この道場は、他の道場よりなぜかすこし涼しいうえに、冷房も(有料だけれど)かかる。空乱その1空乱その2空乱その3空乱その4空乱その5 空乱その6実乱その1実乱その2実乱その3実乱その4実乱その5実乱その6
August 11, 2016
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一年ぶりの除雪活動。昨シーズンは山古志での1回しか活動していなく、今シーズンは雪が少ないから活動はどうなるのかと思っていたけれど、今年も除雪ボランティアの募集が始まった。今回の活動は長岡市小国町法末(ほっせ)、1月23日(講習と実施)、1月24日(実施のみ)で、私は24日のみ参加。長岡市のおぐにコミュニティセンター、8時30分の集合時刻に間に合わせるため、7時前に家を出て、新潟西IC-小千谷IC までの高速走行。暖冬はどこへ?と思うような雪(暴風雪)で、時々視界もなくなりそうになる。磐越道で鍛えられたつもりでいたけれど、この雪はとても怖い。小千谷がとても遠く感じられる(いや実際かなり距離だが)。ところが、小千谷IC で降りると降雪が少なく、割と穏やかになっていて、比較的楽に集合場所にたどり着いた。そこからバスに乗って、法末自然の家”やまびこ”へどうやら2日目のみ参加は私だけなようで、少し肩身が狭い・・・。やまびこで、既に班分けされていた中に入れてもらって現場へ向かう。現地へ向かう道は、新雪の下が氷でとても滑りやすい。私は2回位足を滑らせ、1回ころんだ。そんなふうに歩いているなか、アクシデントが起こった。先頭付近をあるいていたベテランの方が足を滑らせ、腰を強く打って動けなくなった。社会福祉協議会の(?)軽トラを呼ぶも、動かせないため最終的に救急車で搬送されることになった。「なれた人ですら・・・」という言葉が思わず私の口から出た。私達の活動は社協さんや慣れたボランティアの方々がかなり安全に気を使っていて、事故防止をしてくれているけれど、必ずしも安全な活動というわけではないことを思い知らされた気分だった。そこから全員カンジキ着装で現地に向かったが、そこでも足を滑らせることがあった。1件目のお宅にかなり遅れてたどり着くと、事情を知った依頼者様が、「うちは大丈夫なので、次の家に行ってください」と言ってくださってので、2件目のお宅へ行く。ここでは、最初に家の裏の雪を池に落とし、その後雪の面を1階の窓のところまで下げるという作業をした。この地で何度も活動している人の話では、庭の池が見えるなんて初めてだとのことで、いかにここが雪深い地なのかがわかる。ここのお宅も昼前には作業が終了になり、昼休みのため”やまびこ”へ戻る。小国法末の美しい白銀の世界(もっと綺麗な所はたくさんあったけれど、低温のため携帯のバッテリーが切れてしまって撮れなかった)。”やまびこ”に戻ると本日の作業はここで終了と聞かされる。理由は暴風雪で、この地域をでると暴風雪とのこと。来るときの暴風雪がこの地域の外では続いているのだ。少し残念だけれど、荷物をまとめ、昼食をとったらバスでコミュニティーセンターへ戻ることなった。昼食の時にとなりに座った女性の方は、江戸川区の方とのことで、遠路はるばる新潟に来てくださったとのこと。私も都内出身なので、都内の話で幾分話しができ、私が非常勤をしていた専門学校の話なども聞くことができた。昼食後にバスに乗ってコミュニティーセンターに向かう途中、隣の男性から、この土地は春になると住民の方々が花を植えていて、綺麗な花が咲き乱れることなどいろいろな話が聞けた。名残惜しかったけど、コミュニティーセンターで「またどこかで一緒に活動しましょう!」と声をかけて、帰路に。帰り道は暴風雪だった。危険だと思ったので高速を避けて、一般道を選んでいったが、そこも大渋滞。高速はといえば、どうやら通行止めになっていたらしく、法末の周りの穏やかな景色とは全く違う状態だった。昼休み隣だった人は、高速バスで東京に帰ると言っていたけれど、帰れたのだろうか?視界も悪いなか、5時間以上かかって新潟市へ到着。この日は拳法の新年会だったけれど1時間半遅れで到着。そして、車で直行したため酒も飲めず。以前、山元町にバスで復興のお手伝いに行った時にも、雪で高速が通行止めで、長い時間かけて帰ってきたこともあったけれど、もしかして私が雪男???
January 24, 2016
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昨年7月以降、足が遠のいていた南相馬へ向かう。その時は「8月になったらまた来ます」みたいなことを言ったはずだったのに、すでに新年1月。ボランティアセンターでも忘れ去られているかも・・・などと思いながらも参加することに。いつものように、4時起床、5時前に家を出て、いつものように新津IC〜二本松ICへ。磐越道は雪、そして暗い。何度も通った道だけれど、ちょっと怖い。五百川を越えて東北道に入るころには雪雲の下から出て、陽も昇って明るくなるはず・・・が思ったほど明るくならない。雪もちらついている。南相馬の社協ボランティアセンターについて、受付に行くと、センター長を始め見慣れたスタッフの皆様がいた。覚えていてくださったらしく、暖かく迎えて頂けた。ボランティア控室今日の作業は、草刈り(とチェーンソーを使える人は倒した木を小さく切る、玉切り)。I さんという、以前一緒に作業したことのある、福島県内から来たボランティアの人の車に乗せてもらい、現場へ行く。今日の現場は4日連続で作業が続いている、とても広い土地。今日はその仕上げで、刈った草を集めるさぎょうだった。刈った草をブルーシートに乗せ、軽トラ(または人力)で1か所に集積するという内容で、単純だが敷地が広いだけに、時間がかかる。作業が始まる頃には空が晴れてきたこともあって、作業中は温かい(少し暑い)位だけれど、休憩に入ると少し寒い。寒いけれどよく晴れた昼休み、少し現場近所を散策。写真ではわかりにくいけれど、手前から二本目の電柱は傾いたまま。午後は、さらに仕上げの仕上げ、私は敷地内の舗装されているところの掃き掃除をした。1時間位で作業終了、機材の片付け、解散となった。帰り道、飯舘村を通る。住宅地には除染の黒いトン袋がなくなっていたが、住宅地から少し離れた、農地にはトン袋が山のように積み上がっている。少しは移動させているのだろうか?帰りは、朝よりも道路状態はマシになっていたけれど、眠気との戦いだった。そして、そのまま拳法の稽古に突入
January 11, 2016
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更新滞ってばかりですが、今年もよろしく願いします。こなゆき0326
January 1, 2016
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早いもので、今年ももう12月28日、職場は仕事納めで拳法は稽古納め。いつものことながら、少し遅れて稽古に参加。今月から、稽古日を火曜日から月曜日に、稽古場所を新津B&G 海洋センターから新津武道館に変更(第三月曜日は休館のためB&G を使用)。思ったよりすんなりと移行できて、何よりも畳の上で稽古できるという良さがあった。道場旗を掲げ、稽古開始。形稽古のあとに空乱撃 その1 その2 その3 その4 その5実乱撃 その1 その2 その3 その4 その5 その6こんな稽古でした。今年もありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
December 28, 2015
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今回は、火曜日の稽古場所が取れなかったため、急遽月曜日の新潟市新津武道館での稽古になった。基本稽古木母連空乱撃 その1 その2 その3 その4実乱撃 その1 その2 その3 その4 その5以上でした
November 9, 2015
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再度台風18号のため、北関東へ。今回は私の所属する「新潟恩返し隊」の活動として栃木市へ向かう。今回は、私と、私の職場の災害ボランティア部のMくんの2名で申し込み、活動に参加。同じく災害ボランティア部のTさんも参加を希望していたのだけれど、バスが満席で参加できなかった。集合場所に行くと、いつもの新潟恩返し隊のメンバーや同じ県内にある敬和学園大学のボランティサークルのAさんと部員2名、その他さまざまなメンバーでの活動だった。今回はバス会社のバスが手配できず、新潟恩返し隊のメンバーで大型2種の免許を持つメンバーが交代で運転する。 今回は、さらに大学時代の同期で同じアパートに住んでいたこともあるS がボランティアセンターで合流することになっていた。Sとは南相馬で一緒に活動したこともあり、学生時代は学習ボランティアを活発にしていた。今、京都に住んでいるが、出張で東京に来たので現地合流で参加した。栃木市は、先日の鹿沼市とは違い、道路には泥が残り、水害のあった場所であることが明らかな感じだった。このように書くと誤解されるかもしれないので補足すると、鹿沼も泥が少ないというだけで被害は甚大だったが。今回の依頼者様のお宅は、既に、畳や床板が外された状態になっているが、庭も床下もほとんど泥が残ったままの状態だった。後で知ったけれど、乳牛も飼育していたとのことだが、この水害で廃業を余儀なくされたとのことだ。床下の作業になるかと思ったが、今回は庭からとのことなので、庭の泥を除く作業をする。泥は簡単に除けるところもあれば、倒れた草やその根っこのせいでスコップが泥に刺さらないところもあった。それで難儀していると、Sは何事もなかったように、フォークスコップを借りてきて、泥をどけ始めた。この日は一日中泥にまみれて作業したが、庭の泥出しも完了しなかった。近くの川でスコップなどを洗い、サテライトボランティアセンターのバスへ戻りボランティアセンターへ。その後、予定になかったがスーパー銭湯に寄り、Sは東京に向かった。この後、部活の仲間か、学生時代のボランティア仲間とあうとか、昔からおとなしそうな顔して、タフなやつだったよな・・・。お互い老けたけど。
September 20, 2015
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台風18号被害の支援として、9月11日に三条市で行われた、栃木への支援物資の積み込みのお手伝いをした後、ボランティアセンターの立ち上げ状況を調べていると、当初県外のボランティアの受け入れはしない方針だった鹿沼市の社会福祉協議会が、9月12日から県外のボランティアの受入をするとのこと。ただ、これを知った時には12日の活動にはもう間に合わなかったので、12日には準備をして、13日に鹿沼に行くことにした。12日、鹿沼市の社会福祉協議会に電話で問い合わせると、ボランティアは不足している、それから土嚢袋も足りないとのことだったので、ホームセンターで土嚢袋、大型のポリ袋などを購入し、スコップなどの装備品を準備し13日未明鹿沼へ向かう。鹿沼には、南相馬のボランティアセンターでお世話になったSさんがいる。鹿沼が被災したと聞いて以来、SさんとSさんと一緒にいたボランティア団体の皆様のことが気になっていた。マッチング前に鹿沼市に到着、見た感じは水害の影響はそれほど大きくないように見えた・・・、がそれが後で認識の甘さだったと思い知らされる。初めて来た鹿沼の景色。ボランティアセンターに行くと、多くのボランティアがひしめいていた。駐車場では、南相馬のボランティアセンターで一緒に作業した方とばったり合い、すれ違ったひとは南相馬のもう1つのボランティアセンターのTシャツを着ていた。駐車場から少し多めの土嚢袋をもってボランティアセンターに行こうとしてると、見かねたボランティアの方が建物近くまで車に乗せてくれた。ボランティアセンターの駐車場支援物資受付のところに行き土嚢袋をわたすと、「新潟恩返し隊!」って声がして、「え?恩返し隊しっているのですか?」(このとき私は新潟恩返し隊のTシャツを着ていた)、と言って顔を上げると、Sさんだった。Sさんの家は高台にあったので被災せず、昨日は現場で作業して今日はボランティアセンター内の作業をしているとの事だった。ご無事で、お元気そうにボランティアセンターの作業をしている姿がとてもうれしかった。ボランティアセンターでマッチング、今回は、集積所に溜まった家財道具をトラックに積んで焼却場に持っていく作業だった。今回は、3人での作業で、トラックへの積み込みは少し体力が必要だったが、積み込んでしまえば焼却場で降ろすまでトラックに乗っていればいいだけだった。それ以外は、焼却場では多くお車両が並んでいるので、他の車両の荷物を下ろす手伝いをすることもあった。トラックで移動している間、多くの家で床上浸水があったらしく、畳を運び出している姿が見られた。地面に泥がほとんど無いので、被害が小さかったのかと思ったのが甘い考えで、大人の腰近くまで水位が上がっていたとのことだった。鹿沼は川底に石が多く泥が少ないため、それほど泥が上がってこなかっただけのことだったとのこと。昼休み、黒川沿いで昼食をとる。黒川沿い目の前では歩行者用の橋が流された残骸がある。今回は3人での作業だったが、リーダーは地元の人で、もう一人の人は神奈川の人でご両親が鹿沼の出身とのこと、それぞれ思い入れが強く感じられた。午後になると、ついに焼却場の容量を超えたらしく、焼却場の横にある敷地(駐車場?)に廃棄するものを集積する。焼却場がメンテナンスで、3機のうち2機が動いていないときの被災だったとのこと。廃棄物の集積所は、1箇所だけある程度片付けることができたものの、もう1つの集積所は手付かずのまま作業が終了になった。帰りがけにまたSさんと会えたので、「またどこかで」と言って別れた。数日後Sさんが葉書をくれたけれど、普段葉書を用意していないため、返事がかけたのは10月になってからだった。
September 13, 2015
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雨の磐越道をひた走り、辿り着いた南相馬原町区のネットカフェ。朝、エアコンが効いているるはずなのに湿気のなかで目が覚めた。寝ていて気が付かなかったけれど夜に雨が降ったようだ。「今日は作業あるのかな?」と思いながらトイレで顔を洗って、作業着を着て、出発の準備。まあ、作業がなかったらもう1つのボラセンに行けば何かあるだろう。そんな気持ちでいつもの社会福祉協議会のボランティアセンターに向かう。ボランティアセンターに着いて職員の方に聞くと、今日の作業はあるとのことなのでボランティアの控室へ。控室には野馬追祭りのポスターが。もうこんな季節なんだ・・・。しばらく控室で待っているとマッチング(割り振り)に入り、今回は草刈りと納屋の片付けの作業になった。現地に移動するにあたり、ボランティアの人の車に分乗して移動するのだけれど、今回は車できている人が少なかった・・・(バイクできたの失敗か・・・)。それでもなんとか車の割り振りもできて、現地へ移動。今回は午前中だけだけれど5人の高校3年生の男の人達も参加していて、力仕事は心強いかもという感じだった。現地に着くと、納屋の前には様々なものが置かれていて、少し圧倒されそうになるがそこはそれ、草刈り組と納屋組にわかれて、納屋組はトン袋にゴミを分別して入れる作業にとりかかる。ゴミをこわして分別したりしながら作業続く。長年生活しているといろいろなものがある。家や納屋の片付けはその家の歴史の片付けのように感じる事が多い。そういったものをトン袋につめ、依頼主様がフォークリフトを操ってそれを運ぶという作業が繰り返された。14時位になると、木製の廃棄物なども片付けにはいる。この時はチェーンソーを使える人が大活躍になる。チェーンソーで木を小さく切って、トン袋に移す。切られた木を袋に移す作業は、チェーンソーを使っている人をよく見て、安全に、じゃまになならないように行わなければならないので少し緊張する。15時作業終了、草刈りが少し予定よりできなかったものの、依頼者様からは作業完了とのことだった。依頼者様に挨拶をしてボランティアセンターに帰り、解散。帰路についた。再度ネットカフェに行きシャワーと飲み物で休憩、してまた二本松を目指す。I昨夜は気が付かなかったけれど、飯舘村では除染のトン袋がピラミッドのように積み重なっていた。これは、除染が進んでいると思っていいのか、除染の土が中間処理場に行かずに放置され続けていると見ていいのか・・・。
July 20, 2015
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三連休中日、この2日間はいろいろと用事があって動けなかったけれど、最終日はやはり・・・、ということで再度南相馬を目指すことに。夕方に用事が終わり、荷物をまとめて南相馬へ向かう。今回は車がならし中ということもあり、バイクでの移動にした。しばらく乗っていなかったこともあってちょっと楽しみ・・・だったはずなのに・・・。20時過ぎ、自宅から新津ICに向かう途中からなんか曇っている・・・、「まあ大丈夫かな・・・」と自分に言い聞かせて磐越道へ行くと、さらにひどい雨「ま、まあ山を越えれば・・・と思っていたのに、三川から会津若松までの間もひどい雨・・・。雨雲を抜けたのは、郡山が近くなってからで、Tシャツもずぶ濡れ。23時ころ二本松ICで降りて、給油と着替え。なぜか私のエネオスカードを受け付けてくれないので別のカードを使う・・・なぜ・・・?午前0時ころ、飯舘村考えてみたらこの時間に飯舘を通るのは初めて。夜中の石ポロ坂トンネルがなんか恐い・・・。午前1時ころ、南相馬原町区のインターネットカフェ到着。今回は進撃の巨人を読む余裕もなく、シャワーを浴びてシュラフに潜り込み就寝。つづく
July 19, 2015
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久しぶりのブログ更新ですが・・・またどうでも良いはなしです。車に乗っていると今でも教習所の先生を思い出す事があって、今日がそうでした。もう20年以上昔の話になります。私が通っていたのは埼玉の三郷自動車教習所という、バイクで行けば実家から県境を越えてすぐのところにある教習所。そこにいたSさんという先生、この先生とても優しいかんじの先生だったのです・・・、教習車に乗り込むまでは・・・。教習車に乗り込むと鬼教官に豹変しました。そして教習車を降りるとまた元の優しい感じのおじさんに戻っていたのです。そんな先生だったので、当時教習所にあった指導員予約帳というノートではその先生の欄が空いていた覚えがあります。私は指導員の指名は一度もしなかったからか、その先生には何度か当たりましたが、「今日はS先生か・・・、気合いれないと」と思って臨みました。よく、教習車の中で「たいらに走るんだ」たったか「ひらたく走るんだ」だったかそんなことを口癖のように言い聞かせられたこと、「自分の腕を過信するんじゃない!」と大声で言われたこと。いまでも車に乗っているとそんなことを思い出してしまいます。試験場での筆記試験に受かって、教習所に挨拶に行った時にも、免許証を見せたらとても喜んでくれたのもそのひとでした。あれから20年以上のあいだ、何度か事故もあり、違反で捕まったこともあり・・・、たしかに過信してるよな・・・。
July 14, 2015
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書くのが随分遅くなってしまいましたが、7月12日は第3回東京都日本拳法選手権大会でした。この大会は、都内の道場に所属する(私はいまでも東京の道場に所属していて、稽古のため帰ることもあります)道場生が所属団体を問わず参加できる拳法の交流会のような大会であり、全日本総合選手権の出場権を賭けた大会でもある(道場生の部は除外だけれど)。今回は、第3回大会で初めて採用された「道場生の部」に参加。この部は自衛隊、大学拳法部で1年以上の経験がある人は参加できないというルールのトーナメントだった。私は自衛隊にいたことも、大学拳法部に所属したこともなかったのでこのトーナメントを選択。朝、まだ眠いなかで、会場の墨田総合体育館に集合、受付を済ませしばらく待ち時間。今まで出てきた大会では、会場の設営のお手伝いなどがあるけれど、今大会は全てスタッフで準備ができてしまう(本当に助かります)ので、壁にもたれかかって座っていたらいつの間にか少し寝てしまっていた。それから、開会式のあと試合開始だけれど、道場生の部は午後からなのでまたしばらく待ち時間。午後、「道場生の部」、第一試合、いきなり私の出番。体格で他の多くの選手に劣る私は、常にカウンターばかり狙ってきたが、今回の相手は、攻撃すると下がってしまうので、全くカウンターにならない・・・。やっとのことで当てた胴突きも一本にならず、1分間1本勝負の延長戦。これでお互いポイントがなかったら判定。私のほうが手数は出しているけれど、段位は私が上、引き分けたとき上段者は負けじゃなかったよな・・・などということが頭をよぎる。「ダメだ、判定なんて考えてたら」と思い直して胴付きを出したら、それが一本になりなんとか初戦突破。2回戦は同じ団体の別の道場の選手。組討に何度もくるのに対して、なんとか場外になだれ込んで助かるものの、審判から「次やったら(場外離脱)警告をとる」と注意される。「次組まれたらどうする・・・」と思っていたところで、反射的に出した面突きが上手くあたってくれて1本、次にカウンターの胴突きが当たり、2本とって2回戦突破。いままで拳法を続けてきて、実乱撃(当てるルール)で2戦勝てたのは初めて、しかも面突きで一本とったのも初めてだった。しばらく間があいて決勝戦。相手は以前この大会で私が負けた選手と同じS塾の選手。身長が高く蹴りが上手そう。1回戦2回戦の戦い方を見ていると、勝負勘のある選手な感じがした。そっちが蹴りならこっちは胴突だと思って、胴突を連発するも、当たっても旗が上がらず、ポイントがとれない。相手のN選手はどんどんと蹴りをだしてくるなか、N選手の回し蹴りが私の面をとらえた・・・、が、一本にならず「助かった、当たるところが高かったか?ダメージもない」と思いながら試合続行するも、そこまでだった。面揚げ蹴りで一本取られ、そのまま時間切れ試合終了。それでも準優勝、実乱撃で上位に入るのは初めてで、道場の先生や皆さんも喜んでくれてとても嬉しかったです。そして、もう一つ表彰式で、私に賞状とトロフィーを手渡してくれたのが、日本拳法連盟のD先生!これも嬉しい一幕でした。おまけ、後日、その大会の事を調べていたら、対戦相手の人のブログが見つかり、すごく優勝を喜んでいました。ちょっとくやしさがでてきました。その対戦したN選手がアップしていた動画です。3試合目が私です。
July 12, 2015
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連休最終日、昨日、白根カルチャーセンターでの拳法の稽古の後、ばったり知人のW さんに会った。そこで、「明日走りに行かない?」と持ちかけられた。Wさんが「走りに」というときは車や単車(今回はややこしいのでバイクではなく単車と呼びます)ではなく、自転車。だいたい50km くらい走ろうといわれた。前々から一緒に行こうと言われていて実現しなかったので行くことにした。朝、越後石山駅集合、日本海を見に出発する。私は自転車初心者で、あまり遠出もしたことがなく、いままで最長が1日 40km 程度。しかも1人で走っていたので他の人と一緒に走るのは初めてだった。サイクルコンピュータをつけていない私は、自分が何km/時で走っているのかとか、何km で走っているのかが全くわからない。そして、速度感覚が車や単車と違うので予想もつかない・・・。 それでも海をみたり、遠くに霞んで見える佐渡をみるとテンションが上る。でも、坂道でWさんのペースについていくのはかなりキツイ。汗もすごく出て、坂道では時々息が上がる。Wさんの自転車(左奥)と私の自転車(右手前)そんな状態だったので約1時間位で休憩、なぎさのふれあい広場で一休み。水分補給&エネルギーチャージ再出発し、柏崎方面へ(当然だけど柏崎までは無理)。途中、たくさんの自転車がいて、あいさつをしたり手を降ったりしてすれ違っていく。上り坂で息が切れたり、急な坂を降りて(このとき40km/時くらい出ていたらしい)テンションがまた上ったりして上堰潟公園(うわせきがたこうえん)にたどり着く(10:00くらい)。W さんと自転車たち(影になってしまった・・・)ここで、水分補給と水の買い足しをして折り返し。そして、ここまでの距離が35km だったことを告げられる。あれ?往復50km くらいって話はどこへ???などということはできるだけ気にせず帰路へ。帰りは、またなぎさのふれあい公園で小休止、ビッグスワンスタジアム近くの喫茶店で昼食、越後石山で解散となった。Wさんはちょっと遠回りして自宅のある秋葉区へ帰るそうだ。そうでないと100km をクリアできないとのことだった。なんてタフな・・・。
May 6, 2015
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今日はこの連休の小高のボランティア活動最終日。本当は昨日帰る予定だったのだけれど、つい残ってしまった。そして一昨日の夜から読み始めた進撃の巨人も16巻中14巻まで読み進めた。宿泊地のネットカフェを後にして、ボランティアセンターへ。朝のマッチング(作業の割り振り)前、Oさんという若いボランティアの人と話す機会があった。Oさんは都内の大学に通う学生で、救命士の学科に籍をおいているとのこと。今回の参加のきっかけは、大学で出たボランティアに関するレポートの情報収集との事だった。昨日も同じグループにいたけれど、いっしょうけんめい作業していた姿を見かけたので、きっとただレポートのネタ集めに来たというよりレポートは単なるきっかけなのかもなどと思いながら、いくつか質問をうけた。なかなか上手く答えることができなかったけれど・・・。そうしているうちにマッチングが始まり、昨日と同じ現場の作業をすることにして、現地へ向かう。昨日の継続作業なので、まずはきのうのやり残した作業を終わらせる。倒された竹を短く切る作業は、古い竹は節を蹴って折ればいいので、かなり楽だった。竹を切るとこんな虫が次から次へ出てきた(あとで、Facebook 経由で知人からベニカミキリだと教えてもらった)午後は午前の作業した場所から坂を下った場所での作業で、大人数入り乱れての人海戦術での作業になった。午前と違い、倒された竹の多くに枝がついたままだったので、その枝を払い、竹を切り、切ったものを運ぶ、落とした枝を集める、この繰り返しの作業になった。少し最後が粗くなったが、15時30分くらいに作業が終わりボランティアセンターに戻り解散。解散後、知人がいる別のボランティアセンターにちょっと挨拶により、今回は銭湯に行かずネットカフェでシャワーを浴びて、残り時間で進撃の巨人15,16巻を読み帰路についた(ここで衝撃の事実、16巻で終わりだと思っていたのが、まだ連載中だったらしく8月に17巻が出ると書かれていた)。ボランティアセンター前でおまけ小高と原町の間くらいで、とても見事な鯉のぼりが泳いでいました。
May 4, 2015
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小高区での活動2日目、昨夜は初のネットカフェ泊だったけれど、思いのほかよく眠れた。きっと「進撃の巨人」に出会わなければ普段よりかなり長い時間寝ることができたはずだった・・・。原町区のコンビニでいつもどおり朝食と昼食を買い、駐車場で朝食をとって小高のボラセンへ。今日の作業は、既に切り倒された竹や木を細かく切る作業とのこと。量が多いので2日間の案件だった。この作業は除染作業の準備のような作業で、除染のためのトン袋(トンバッグ)に入れやすくするための作業とのこと。トン袋(飯舘村で撮影)、これに入れて中間貯蔵施設に送られる(ことになっているが、かなり数が運びきれず放置されているようだ)。今日はチェーンソーを使える人が少なく、手ノコで切る作業が続く。古くなった竹は節を蹴れば折れるので、途中から大半のものは蹴っておることにしたが、今度は折れた竹が顔や頭めがけて飛んでくることもあった。そんな作業をして、明日へ継続ということで解散となった。原町区に戻り、買い物や夕飯をとってまた「進撃の巨人」6巻以降の待つネットカフェへ向かう。ネットカフェはシャワーが100円で使え、200円で洗濯ができる(ハンガーは近くの100均で購入済み)。作業着は速乾性なので一晩干せば乾くしタオルやTシャツも干し方次第でだいたい乾くことがわかったので乾燥機は使う必要はなかった。昨日は気が付かなかったけれど、ネットカフェのアイスを食べる時のスプーンが、どうみても薬さじだったのが驚きだった。一体どこで仕入れてきたのだろう???【楽天ブックスならいつでも送料無料】進撃の巨人(1) [ 諫山創 ]
May 3, 2015
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ゴールデンウィークの5連休、再び南相馬小高区に向かうことにした。いつもどおり4時起床、5時ちょっと前に出発。南相馬市社協ボランティアセンターに向かう。前回2月に行った時には朝4時は真っ暗だったのに、今回は少し明るかった。いつもどおりに新津インターから磐越道、東北道、二本松インターに向かう。以前は福島松川まで行っていたけれど。思ったほど時間の短縮にならなかったので今は二本松インターで降りることにしている。晴れたなか順調に飯舘を抜け南相馬市へ入ると、なぜか「帰ってきた」そんな錯覚をしてしまう。 以前まで小高老人福祉センターにあったボランティアセンターが、4月から小高区役所就業改善センターに場所を移して活動をしている。今回は移転してから初の参加になるので場所がよくわからないので、ここからはナビを頼りに進みなんとか辿り着く。移転後のボランティアセンターこのTシャツ後で買おうと思って結局買い忘れてしまった・・・。この日の作業は生け垣の剪定作業。生け垣の背が高くなりすぎると防犯上よくないということで来た依頼だそうだ。作業としては、チェーンソーで切れる所は切ってもらい、チェーンソーが届かないところを私たちチェーンソーを使えない人がノコギリや剪定バサミで切るという作業だった。実際やってみると、チェーンソーが届かないところが意外と多くて、枝をよけながら伸びたところに近づいて切っていく作業が続いた。それでも、午後からは他の班で作業を終了した人が応援に来てくれたこともあって14時過ぎに作業終了になった。作業終了後、Kさんという以前よくボランティアセンターで活躍されていたご夫婦が、小高駅前で開いたアンテナショップに寄って少し買い物をして海沿いに向かった。小高の海沿い。崩れた家の土台が残り、遠くでは防波堤が切れたまま。切れた防波堤のところに行ってみると、防波堤の切れたところには大きな水たまりがあった。震災から4年、この時間が長いのか短いのかわからないけれど。海沿いから原町にもどり、宿を探すもゴールデンウィークなので見つからず、この日は初めてのネットカフェ泊となった。寝袋を持ち込んだおかげでかなり快適だったけれど、最大の失敗は「進撃の巨人」を読み始めてしまったことかも。
May 2, 2015
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未だに被災地では状況が変わりやすいのか?いつもお世話になっている南相馬市災害復興復旧ボランティアセンター(通称、社協ボラセン)が移転するとのこと。そして、先々週お世話になったNPO ボランティアネットの南相馬市ボランティア活動センターも移転とのことだったが、こちらも移転がなくなるとかなくならないとか・・・。日曜日に用事が入ってしまい、今回も日帰り参加となったが、南相馬へ向かうことにした。県内での除雪というニーズもあったが、申し込む前に定員になってしまい、今回は南相馬へ行くことにした。南相馬は穏やかな朝、マッチング前の集会室マッチング前に、最近会えなかった常連のボランティアのT さんと久しぶりに会えた。Tさんは初めてこのボランティアセンターに来た日に同じ班になった人で、とても熟練したボランティアの方だ。今回は竹の伐採、チェーンソーが必要な作業だけれど、私はチェーンソーを使ったことがなく、使い方も知らないのでサポート役として行くことにした。今回も依頼者の方に暖かく迎えていただけて、「新潟からきて、泊まる場所ないならうち(原町)に泊まってったら?」とか言ってもらったりした(今回は日帰りなので泊まれなかったが・・・)。 昼休み、同じグループの人と依頼主の方との話で、ボラセンの移転の話が出た。私はてっきり社協ボラセンの近所にあるNPO のボラセンの話だと思っていたが、どうやら社協ボラセンの話とのこと。全く知らない話だったので驚いた。今日は、穏やかな日だけれど、南相馬には珍しく日陰には雪が積もっている。汗をかいた後のTシャツがとても冷たい。Tシャツを着替えて午後の作業。午後は倒された竹の枝を払う作業がほとんどだった。作業は3時位に終了し、ボラセンへ戻る。片付けをして解散。あと何回この場所を利用できるのだろう?ちょっとさみしい気分だった。前日磨いた安全靴も泥だらけ(これでも軽く洗ったのだけれど)。
February 8, 2015
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南相馬市には社会福祉協議会(社協)のボランティアセンターとNPO法人 災害復興支援ボランティアネットのボランティアセンターがある(あと、日本共産党のボランティアセンターもあるけれど、ウエブサイトも見当たらず活動がどうなっているのか全くわからない)。これまでに、社協のボランティアセンターでお世話になってきたけれど、今回はNPO のボランティアセンターにお世話になることになった。この土日は特に大きな予定は入っていなかったが、土曜日に疲労のため半日寝込み(先週の除雪のせいか?)回復したところで、南相馬にまた行きたくなった。いつもの社協のボランティアセンターのサイトを確認すると・・・。社協のイベントのため25日は休みとなっていて、今回は断念かと思ったが、そこでふと、NPO のボラセンの事を思い出した。もともと、NPO のボラセンに行こうと思って南相馬にいったときに、間違えて社協ボラセンに行ってしまったのが一昨年、それからずっと社協でお世話になっていたけれど、一度NPOのボラセンにも行ってみようと決めて準備を整え、朝4時に起きて、慣れた道を通って南相馬へ向かう。違うのは最後の2〜300メートル。いつも、目の前を通っているけれど来るのは初めてのNPO ボランティアセンターネットで見ると受付が8時45分からだということで、ぎりぎりに到着したはずだったのに、すでにマッチング(作業の割り振り)が終わっていた・・・。受付を済ませ、すでに編成された班に入れてもらって、準備に。ここで、松本センター長(有名な人らしい)から、「靴、踏み抜き防止入ってるか?」とか、「(踏み抜き防止)入っていても側面に穴が空くことがあるから気をつけてな」とか、初参加の私に親切な言葉をかけてくれた。準備をしているところに「新潟恩返し隊の方ですか?」と声をかけてきた人がいた。(新潟恩返し隊は私が時々お世話になっている災害ボランティアの団体)今回もこの新潟恩返し隊Tシャツを着ての参加。声をかけてきた人は、Sさんというこのボランティアセンターの常連の人で、なんと新潟恩返し隊のメンバー。 初めてのボラセンでこういう人に出会えたのはとても心強い。新潟恩返し隊の人で社協のボラセンに行ったことがあるという話は聞いたことがなかったが、こちらのNPOボラセンには参加した事がある人は何人か知っていたけれど、今回会えるとは思っていなかった。発電機、チッパー(木や竹を細かく砕く機械)などいままで使ったことがない機械を軽トラに積み込んで、作業の現場へ。今回は伐採した竹を片付ける作業とのこと。現地について、震災で亡くなられた方への黙祷(この作業前の黙祷というのも今回はじめて)、作業を開始・・・したところで松本センター長が現れ、作業内容の変更が告げられた。午前中は家の家財道具の移動と不要なものの廃棄に変更になり、ボラセン近くの民家へ移動。。この作業は昼前に終わったので早めの昼食をとって、また朝行った現場へ戻って作業再開。切り倒された竹を、太いものと細いものに分別、細いものはチッパーにいれて砕き、太いものは一箇所にまとめる。それだけの作業だけどとにかく竹が大量なので、次から次へ運ばなくてはならない。おまけに今回は人数も5人と少ないので時間もかかる。それでも夕方4時近くには大体片付いて、それからが本日のメインイベント(?)の樹木の伐採(といっても私は見ているだけだけど)。今回は家の2階よりもはるかに背が高い木を切り倒す。今までも小さな木を切り倒すところは何度も見てきたけれど、こんな大きな木を倒すのは初めて見る。木にロープを張りチェーンソーを使う人が、切れ目を入れる。それでも、太い幹はなかなか倒れようとしない。切り口にクサビを打っているのか?遠目でよく見えないけれど何か叩いている。すると、作業していた人がホイッスルを吹いたと同時くらいに幹が斜めになって、木が倒れ始める。あんなに大きかった木がメリメリと倒れていく。私は「これ、本当にボランティアの作業なのか?」と思いながらその景色を見ていた。 その後現場を片付け、ボラセンへ戻り、器材の片付け、センター長への報告などを終わらせ、帰ろうとしているところで今朝のSさんがまた声を掛けてくれた。Sさんと少し話してたら午後5時近くになっていた(この時間まで小高にいたのも初めてかも、小高はまだ夜間立ち入り禁止なのでいつもは4時位には隣の原町に向かっている)。2011年から、この南相馬だけでなく、いろいろなところのボランティアセンターやNPOの方にお世話になってきたけれど、今回は初めて見るものが多く、少し衝撃的な活動だった。ボランティアセンターといってもいろいろな考えがあって、それぞれ特色のある活動をしていて、それも行ってみないとわからないことだった。日が沈んでから、いつもどおりの飯舘を通る。飯舘は今でも家に明かり灯っていない。ここを通るたびに、また来なくてはという気持ちが強くなる気がする。こうしていつもと少し違う小高の一日がおわった。おまけ。磐梯山SA での夕飯「柳津ソースカツ丼」
January 25, 2015
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今回、初めて新潟県の除雪ボランティア ”スコップ” に参加して山古志へ。山古志は現在長岡市の一部になっていている地域で、10年前の中越地震で甚大な被害を受けた地域。この地域は豪雪地域でとしても知られているので、ボランティアによる除雪も行われている。今日はこのTシャツを着て活動に参加。朝、6時半に起きて、古くなったスノーボードのウェアや長靴、ヘルメット、着替えなどを車に詰め込み長岡方面へ向かう。中之島見附IC で高速を降りて、コンビニで食べ物を買う・・・予定だったが、コンビニを2軒通りすぎてしまった。「次のコンビニで必ず買おう」と思っていたが、全然コンビニが無い。そうしているうちに山道に入っていき、さらに店がない・・・。いけどもいけども店が見つからないまま、山古志の集合場所の「長岡市山古志地域福祉センターなごみ苑」にたどり着いてしまった。しかたないので、昼は車に積んであった乾パンでも食べるしかないかなと思い、オリエンテーションへ。今日は2班編成で4件の作業をすることになっていた。午前は民家の周辺、午後はアパートと思われる建物の周辺の除雪だった。マイクロバスに乗り込んで現場まで移動する間、地元の社会福祉協議会の方からこの地域の説明がされたが、高齢化と人手不足で除雪ができず、本当に雪に閉ざされている土地のようだ。それから中越地震のこと、山古志にある世界最新の砂防ダムのこと、地震直後に塞がれた道の代わりに急遽できたトンネルのこと、様々なことが語られた。午前の作業の家は、1階部分の大部分が雪に埋もれてしまっている。正直、見た瞬間少し怯んだが、慣れたボランティアの人もいるので、その人達に続いて作業にとりかかる。今日の参加者には東京から来た、家族連れの方もいて、小学生くらいの女のお子さん二人も一緒に来ている。そんな子どもたちが来ていると大人は頑張らざるを得ない、そんな気になる。今回は、テレビや新聞など幾つかのメディアが取材に来ていて、私もインタビューされた(多分採用はされていないと思うけれど)。午前の作業を終えて、昼休み。地元の方から汁物とおにぎり(と漬物)の振る舞いがあったので、ありがたくいただく。そこでも山古志のことをいろいろ語られていた。そこでボランティアどうしでいろいろな話が交わされた。驚いたのが、食事中向かいにいた人が、南相馬で活動しているとのことで、いろいろ話を聞くと、私がお世話になっている南相馬の社協ボランティアセンターのすぐ近所にあるNPO のボランティアセンターによく行っているとのこと。そこで南相馬の話題などになった。午後、今度はアパートとおぼしき建物の除雪だが、雪の山を登って2階に入れるほど雪が積もっている。周囲の雪かきと同時に私ともう一人、慣れた人が2階のベランダに入る(もちろん雪山から2階に入る)。ベランダに入ると一部フェンスがなくなっているところがあった。「これ危なくないですか?」と一緒にベランダに入った人に言うと、「これは雪を下ろすためにわざと切ってある」とのこと。雪を降ろすためとはいえ危険では・・・。午後の作業が終わり、なごみ苑に戻る。そして、集合写真をとって解散。なごみ苑はデイサービスも行っているので浴場もあり、希望者は入浴できるとのことだったので風呂に入り、そこで県庁から来ていたひとと、東京から家族連れできた人といろいろ話をした。帰りがけなごみ苑の人がお茶を入れてくれて、山古志の自然の事をいろいろ話してくれた。この人は本当に山古志が好きなんだろう。土地に対する想いというのは、便利とか不便とか、気候がどうとかそんな理屈とは違うところにあるのかもしれない。なごみ苑と私の足あと。
January 17, 2015
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1/6 に日本拳法の稽古開始!そして、1/8 白根カルチャーセンター(新潟市南区)で特連。早速動画にしました。空乱撃1空乱撃2空乱撃3空乱撃4空乱撃5実乱撃1実乱撃2実乱撃3実乱撃4実乱撃5こんなかんじで、今年もよろしくお願いします。
January 8, 2015
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今年もよろしくお願いします。
January 1, 2015
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今日は日本拳法の稽古納め。小須戸武道館に行くと久しぶりに(見学だけど)Nさんも子どもをつれてきてくれていた。6歳のお子さんも実乱撃を見てよろこんでくれたみたいだ。各自で基本、形の稽古の後今回の動画はピンぼけが多いです・・・なぜだろう?空乱撃空乱撃その1空乱撃その2空乱撃その3空乱撃その4空乱撃その5空乱撃その6実乱撃実乱撃その1実乱撃その2実乱撃その3実乱撃その4実乱撃その5実乱撃その6今年もありがとうございました
December 27, 2014
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今日は天皇誕生日、だけれども出勤日。県内のT高校の生徒さんが来て、実験を体験してもらった。そしてその後に謎の集まりが・・・。昨日、今日とT高校の生徒さんが来て実験をしてもらった。この2日間生徒さんはバスに乗って2時間かけて私たちの学校まで来てくれていた。真剣な表情で実験にとりくむ高校生アシスタントをしてくれた学生からもすごく高い評価だった。そんな一日が終わり、夕方学生のH君が天皇誕生日記念に旭日旗のケーキをつくってくれた。81本のろうそくを立て点火!そして皆で食べた。去年、学生のS 君が買ってきたケーキに80本のロウソクを立てるというイベントをやっていたが、今年はさらにエスカレート・・・。どこまでエスカレートするやら・・・。
December 23, 2014
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昨日未明、以前一緒に拳法をしていたN さんの訃報をきき、告別式へ参列するため多賀城市へ向かう。多賀城市の先には私が初めてボランティアとして活動した、石巻市雄勝がある。もう1年以上雄勝には行っていないので雄勝を訪れてみた。朝3時起き、4時に家をでて、磐越道、東北道を経由して雄勝へ向かう。朝6時国見サービスエリア東北道、三陸自動車道を通り北上川沿いを通って雄勝へ。北上川の河川は今でも工事中。あの頃見た流された車や船は見ることはなくなったが。石巻市雄勝支所(旧、雄勝町役場)のあったところ。いまは仮設の商店と硯の工房が並ぶ。ここがかつて商店街だったことはわからないくらい何もなくなっている。側溝には水が流れている。ここの側溝は学友会災害ボランティア(災害ボランティア部の前身)と新潟恩返し隊で協働しえて掃除した。あの日とかわらない、雄勝の海。この後、以前お世話になった雄勝硯生産販売協同組のT さんと会うことができて少し話ができた。雄勝には今でも訪れる人が多い事、イベントも多く行われていることなどいろいろと聞くことができた。(帰り道雄勝方面に向かうボランティアバスすれ違った)雄勝を後にして、道の駅上品の郷(じょうぼんのさと)で着替え、多賀城へ向かう。上品の郷はこの近くで活動した後によく寄った道の駅で温泉もある(今回、温泉には入れなかったが)。多賀城IC で高速道路をおりると、斎場はすぐ近くだった。途中渋滞などで間に合うか少し不安だったが、15分前に到着できた。斎場に着くとI 先生、先輩指導員のS さんTさんが既に到着していた。告別式の始まる前、故人の動画が上演された。学生時代のこと、拳法のこと、ご家族で出かけたディズニーランドのこと、温泉のことが上演されたあと、僧侶の入場、読経などがあり、焼香、友人の弔辞、拳法の理事長の弔辞が述べられた。どれをとってもN さんのいつも笑顔で、苦しさを顔に出さず穏やかな人柄が述べられていた。そしてご家族からも。誰に対しても、優しくいつも笑顔の人。このN さんを慕う人は多かったのだろう。式場では多くの人が涙を流していた。告別式は1時間で終わり、道場の方々とはそこで別れ、帰路に。私はJR仙山線、北仙台駅近くに伯父の墓があるので、そこに向かった。2011年に伯父が亡くなってから、ずっと訪れることのなかった。3年前に納骨の時以来の墓参になった。その後、昼食を取り、山形経由で新潟に戻った。この日の走行距離約700km この二日間で、ずっと気になっていたことの多くを解決できた。
November 23, 2014
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日付が変わって、22日になった頃、拳法のI 先生から電話が入った。「メールみました?」ちょうど入浴時でメールを見ていなかったので、「いいえ」と答えると、「以前。同じ道場にいたN さんが亡くなった」とのことだった。N さんは東京の道場で一緒に稽古したひとで、ご家族のいる宮城に戻った事、最近ご病気だったので少しずっと会えずにいたけれど、苦しいときに励ましてもらったり、昇段審査のことをはなしをしたりしたのを覚えている。お通夜は22日、告別式は23日とのことでI 先生と先輩の指導員は告別式に参列とのこと、私も告別式に参列することにした。土曜日はまた南相馬に行こうかと思っていたけれど取りやめにして、準備をすることにした。N さんの家は多賀城市、私が参加する前に職場の災害ボランティアが活動した土地。その先には私が初めて参加した雄勝と七ヶ浜があるので全く知らない土地ではないけれど、自力で行ったことはない・・・。google map で調べると。斎場は多賀城インター近くなので検索するとルートは2つ山形経由か、福島経由か・・・。次の朝、1日の時間の余裕ができたので、すこしゆっくり起きて部屋の掃除と洗濯。昼、すこし時間ができたので、久しぶりに鳥屋野の珈琲倶楽部に行って昼食をとる。ここには以前はよく通っていたのだけれど、休日に福島に行くことが増えてなかなか行かなくなっていた。以前行ったときになかった、新谷かおるの[エラン」が置いてあったので3巻全部一気読み。【中古8倍ポイント】【3000円以上送料無料】【透明カバーを掛けてお届け】【中古】エラン (1)【単品】新谷かおる・徳間書店・少年キャプテン (シンタニカオル)【定番E】【少年もの】【11/20ADD】そのあと学校に行き、少し実験の準備をして、置きっぱなしの動かなくなった原付をバイク屋に持っていく。学校に置きっぱなしの原付で、お買い物用に利用していたが、先月の学園祭の日に演し物のために買い物に出かけたときにエンジンがかからなくなっていた。学校から近くのバイク屋まで1kmくらいあり、軽い原付とはいえ押して行くのは結構大変だった。バイクは預かりという形になってたので、いったん学校へ戻る。そんなことをしているともう夕暮れ。飛行機雲が十字に交差している。家に帰って、洗濯物をとりこんで、小須戸へ拳法の稽古に出かけた。
November 22, 2014
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今回のボラセンでの作業は2つ依頼があったけれど、1つはM重工の団体が担当、個人参加の人はもう1つの作業を担当するということになっていて、選択の余地はなく、私たちは広大な土地の草刈りその他の作業になった。同じ車で移動したKさんという私より少し年上の方がいて、昼休みなど少し話をする機会があったが、Kさんは会津から来ていて、普段は宮城を中心に活動しているとのこと。今回は会合で浜通り近くにきて初めて南相馬での活動とのことだった。そこで、いろいろ話をしてみると七ヶ浜のボランティアセンターに行ったことがあるとか、気仙沼や南三陸など災害ボランティア部が活動した場所の名前がでてきて、その土地の話でもりあがった。16時前作業を終了したときのボランティアセンター。日が落ちるのが早くなった・・・。作業を終了して、片付け、解散となりKさんとは、またどこかで一緒に活動しましょう!といって別れ、急いで新潟への帰路についた。今日は急いで帰らなければならなかった。明日から着る仕事着をほぼ全てクリーニングに出してしまったので、閉店前に取りに行かなくてはけなかった(幸い間に合ったが)。
November 16, 2014
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今日は小須戸のUさんのところへ出稽古。稽古に行く前にバイク屋に行って後輪のホイールのベアリング交換をしたバイクを引き取ってきたので、すこし遅れて参加になった。小須戸武道館に着くと、Uさんと中学生のYくんが稽古していた。Yくんは先日学校の体育の授業で怪我をして、しばらく稽古を休んでいたが、ようやく復帰したようだ。まだ怪我した右腕が痛むので、左拳と蹴りだけの稽古をしていたが、利き手が使えないときこそ、苦手な技を克服できるということは、先日肘を痛めてわかった気がする。私はYくんが稽古している間は形稽古をして、それから空乱撃 その1 その2 その3実乱撃 その1 その2 その3 その4こんな稽古だった。
November 15, 2014
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10月は南相馬に行けなかったので一月以上間が開いてしまった。本当は一度バイクで行こうとしたけれど、強風のため途中で引き返したことはあった。昨日まではバイクで行く気だったけれど、昨夜帰宅時の気温が4℃だったので、今回は断念して車で行くことにした(磐越道では気温0℃のところまであった)。ボラセンに行ってみたら、その車がいろいろ役に立ったので良かったけれど。朝、いつもどおりに4時に起きて5時前出発、新津IC で表示を見ると西会津で工事のため通行止めとなっていた。せっかく早起きしたのに、また断念か?と思ったけれど、少し遅れるならボラセンに電話して、途中参加させてもらえば良いと思って高速に乗ってみた。幸い、通行止め解除が6時だったらしく、5時50分頃に西会津に到着したときにはすでに解除になっていた。そこからいつもどおりの福島松川スマートIC、福島市〜飯舘、そして南相馬へ。8時30分頃南相馬市災害復旧復興ボランティアセンター(社協ボラセン)へ到着。今日の作業は午前は家財道具の片付け、午後は草刈りをしているグループの応援だった。今回は車で来ている人が少なく、私の車も現場への移動に使うことになった。昼休みの社協ボラセン。空がすごく青い。15時作業終了、15時30分片付け完了で帰路につく。前回来たときに、浪江から南下する6号線が通行可能になったと聞いたけれど、バイク、自転車、歩行者はダメだそうで、車のみ通行可能という事を聞いていたので、今回ちょうど車で来ていたから6号線を南下していわきから高速に乗ることにした。ついでに信号待ちなどを利用して何枚か撮影した。浪江町高瀬付近(以前はここで引き返さなければならなかった)。飯舘もそうだったけれど、人が住まない建物は傷みがはやいようで、地震の被害を免れたたてものも傷んできているようにみえる。交差点などはバリケードが張られ、6号線から他の道に入れないようになっている。双葉郡に入り、福島第一原子力発電所の近くを通る。近くと言っても建屋がどこにあるのかよくわからないが・大熊町付近。各家の車庫前にもバリケードが。富岡町付近、震災で崩れたのだろうか?富岡町付近で白バイとすれ違った。一般人はバイクでの乗り入れ禁止なのに、警察官はそこまでやらなければならないのだろうか?また、富岡町山形県警パトカーを見かけた。未だに多くの都道府県警察から福島県警に応援が来ているようだ。その後いわきから常磐道、磐越道を通って新津IC へ、小須戸によって拳法の稽古に参加して帰宅した。
November 8, 2014
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バイクに先日つけたETC その動作テストを兼ねて遠出してみた。(すみません今回の記事は写真の向きがおかしいです。投稿する時に勝手に角度が変えられてしまったようです。) 朝4時に起き、昨夜のうちに荷物を詰めておいたバックパックを背負い、5時出発。新津IC から高速に乗り、今日目指すのは南相馬小高区。 走りだすとバックパックが重い・・・。そして、霧も出ていて見通しの悪いところがあったり、思った以上に気温が低くて寒いところもあったが、なんとか我慢して福島松川スマートICへ。ここでようやくバックパックをおろして、ショルダーストラップの調整。そして、松川から臼石、飯舘を通って南相馬に入るころ、バックパックの右のショルダーストラップが外れた・・・。ショルダーストラップを付け直して、南相馬の原町区市街に入ったところにあるコンビニでビニールテープを買って、再脱落防止のためにショルダーストラップの留め具周辺をテープでぐるぐる巻きにする。原町区から小高区に行き、小高の南相馬市災害復旧復興ボランティアセンター(社協ボラセン)に到着すると、マッチングまでぎりぎりの時間だった。急いで着替えて、マッチングに参加。今日の作業は刈った木をまとめる作業だった。ボラセンのすぐ近くだった。そして、前々回の現場とは道を挟んですぐ近くだった。現場近くの川。晴れているけれど、遠くに見えるのは雨雲だろうか? 作業は、山積みになっている木を、適当な大きさに切ってから紐でくくる。そんな作業で、人数が比較的十分だったので早くおわりそうだ。 正午にはほとんど作業が終わった状態で昼休み。前々回の作業した現場を見に行った。途中、缶詰の空き缶が散乱していた。これは一体・・・? 前々回草刈りをした現場はすでにまた草が生え始めていた。人が住まない町の維持というのは本当に難しいようだ。全体の写真は出すわけにいかない(というか撮るわけにいかない)ので、場所が特定できないほんのすこしだけ。 この後雨が降ってきたので、道具を一旦片付けると、依頼主の方から「作業終了で良いです」とのことだったのでそのまま撤収となった。 撤収後、他の現場への応援があると思っていたが、今回は他の現場もすぐ終わりそうなのでおうえは無しとのことだった。 なので、南相馬市内をすこしバイクでまわって。 6月に見た、原町区の民家の壁(ボランティアの方々が描いたとのこと)。もりのゆで風呂に入り、今日は郡山で日本拳法のK 先生と会う約束があったので郡山に向かった。
September 13, 2014
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以前からバイクへのETC 装着を考えていたものの、実現せずにいた。昨日ボランティアセンターに熊本ナンバーのバイクが置いてあり、刺激されたのかもしれない。初めて南相馬のボランティアセンターにいったときもCBR250 が置いてあったが・・・。バイクで料金所を通るのはとても面倒なので、高速を使った遠出にはETC があったほうが望ましい。と、いうことで調べてみると、補助金がある!?ということで、新潟中央部品へ行って聞いてみると、車載器も急に値下げした機種もあるとのこと。これは・・・、と思って購入を決めた。バイクを預けて、近くのイオンで服を見たりして、カレーショップCoco壱番屋で早い夕食を食べている間に、取り付け終了の連絡がきた。イオンからカレーショップへの道。黄色い看板のビルの向こうにカレーショップがある。これで高速移動が楽に?新潟中央部品の人とも話したけれど、4スト250cc だと高速って辛い時あるかも。
September 7, 2014
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2週間前に日帰り強行軍で南相馬に行ってきたが、今回も日帰りで南相馬小高区へ。4時起床、5時出発で南相馬へ。新潟亀田IC から高速にのり磐越道ー東北道のいつものルートを通る。今日の磐越道は霧がひどくとても怖い。そしてライトをつけていない車もいる。それでも霧をぬけると景色がとても綺麗だった。松川SA で、霧を抜けてちょっと一息。そして、南相馬の社協ボランティアセンターへ。ボランティアセンターにつくと大型バスが道を塞いでいた。団体のボランティアさんが来ているようだ。ボランティアセンターでマッチングの前に社協の方からの挨拶で、「69年前、私が中学生の頃日本は戦争に負けました・・・」という話から、この震災からも立ち直って、子々孫々につなげていきたいという事が述べられた。私たちの祖父母の世代は日本を焼け野原から立て直したのだ。そんなことを思い出した。ボランティアセンターの所長からは、平成28年の小高区は避難指示解除目指していること。今日は九州からの参加者がいること、団体の参加者がたくさん来ていることが説明され、マッチング(作業の割り振り)へ。今日の作業は草刈りと木の切り倒し。浪江町に近い場所で、とても広い土地の草刈りになった。何台かの車に分乗して現地へむかう。今回は他の参加者の車に載せていただいた。現地へ向かう途中、崩れた家がいくつか見える。道路もまだ舗装がなおされて無く、ガードレールも流されたままだ。何度か海沿いを通ったが、海沿いはまだまだこんな状態のところが多いようだ。現場に到着すると、参加者から「7月に草を刈ったのに、もうこんなに生えている」という声が聞こえてきた。人が住まない場所の維持が難しいことがここでもわかる。私はチェーンソーが扱えないので、草刈りに加わる。広い土地を手分けしてひたすら草を刈っていく。昼休み、一緒に作業していたT さんという広島からきて、長期滞在しているボランティアの方から、小高が9月13日〜28日の間住民の方が特例宿泊可能になるとの事を知らされた。道のりは長いけれど、少しずつ良い方向に向かっているのかも。そんなニュースだった。午後、またひたすら草刈りの作業。15時の作業終了時まで依頼された草刈りが終了しなかったので、依頼が継続という形になって作業終了。ボランティアセンターにもどり、片付け、解散となった。解散後、新潟に向かう帰路、飯舘村付近がひどく渋滞していた。どうやら除染作業の人が帰るタイミングにぶつかってしまったようだ。今でもたくさんの人が除染作業に従事している。それがよくわかった。新潟にもどり、こんどは小須戸に拳法の稽古へ。だんだんこの強行軍が通常になりつつある気がする。
September 6, 2014
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災害ボランティア部鷹ノ巣キャンプ。これは訓練なのか?それとも単なるレクリエーションなのか?かなり急にキャンプが決まり行くことになった。鷹ノ巣キャンプ場は新潟県の北部、関川村にあるキャンプ場で、かつてよく行っていたわかぶな高原スキー場の近くだ。朝、土曜日だというのに仕事が一件あって、少し遅れて行くことになり、学生のW君と一緒に車で関川村へ。私の車はナビがついていないのでiPhone のgoogle map が頼りだ。そして私は極端な方向音痴・・・。そして、謎の事件が起きた。google map で「鷹ノ巣キャンプ場」と入れて辿り着いたのは、旅館などのある温泉街・・・。そんなわけないと思って、今度は鷹ノ巣キャンプ場のウエブサイトから住所をコピー&ペーストして、再度検索・・・。なぜかたどり着いたのが道の駅・・・。道の駅で地図をもらってなんとか辿り着いた。到着すると、バーベキューの準備&水遊び中。バーベキューの昼食を終えて、また水遊びに。私は水着は持ってきたものの、着替えてなかったので水際で遊んでいたら・・・、水に突き落とされた。事前に、携帯や車の鍵などは外すよう言われていたが、本当に落とされるとは思わなかった。手前が私。この服装のまま川に落とされる。川遊びの後、シャワーを浴びて着替える。そして夕食の定番カレーの準備夕食後、展望台に散歩(肝試しの意図もあったようだが・・・)、二次会の花火&酒。まあ、訓練の形ではなかったけれど、野外での共同作業自体が訓練みたいなもの・・・かな?
August 30, 2014
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小高での作業が早く終わったので、この日は拳法の稽古にも参加した。その動画(今年4月に落成した小須戸武道館での稽古風景)拳法稽古動画その1その2その3その4
August 16, 2014
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小高区での作業を終えて新潟への帰路についた。なんとなくで昼食をとり損ねてしまっていたので、途中どこか適当な食べれるところを探しながらの帰路についた。その途中にいつもはただ通るだけの飯舘村に寄ってみた。飯舘村も震災以来避難指示が出ていて今は人が住んでいない。南相馬をぬけて飯舘村を通る。ここは、往路のときは小高区のボランティアセンターの9時集合に間に合うため足早に通り過ぎるところで、復路では日が暮れてから燈がともらない家々を見ながら帰るところだ。そんな場所だけに今まで車を停めたのは、唯一営業してたガソリンスタンド(除染作業の人向けだろうか?)で給油した時だけだった。今回は飯館村を通るのが15時過ぎと時間が早かったので、車を停めてすこし町中を歩くことにした。この日の飯館村は霧に覆われていた。道の傍には除染で出た廃棄物が入ったトン袋が並んでいた。人が住まなくなったからだろうか?以前より家が傷んできている気がする。郵便局もロープが張られていて、利用できない。タクシー会社も・・・。掲示板は平成23年の掲示物が貼られたまま。民家の間に階段があったから登ってみる。一部が木に覆われていて登りにくい。階段の上はかつて公園だったのだろうか、コンクリ製の遊具が1つ(手前)。その先には大量の除染用のトン袋。飯舘村を通るたびに、小高もだけれど、「いつになったら人が戻れるんだ」そんな気分になる。飯館村から再び福島松川スマートIC へ、そして東北道に。Uターンラッシュが始まっているため、東北道はいつもより混んでいた。そして、安達太良SA でかなり遅い昼食をと思っていたが、安達太良は満車との表示が出ていたのでさらに磐梯山SA まで走った。17時近くになってようやく昼食(あくまでも昼食)新潟に戻ると19時過ぎだったので、小須戸武道館での拳法の稽古にも参加してみた。こんな1日でした。
August 16, 2014
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7月は行けなかった南相馬小高区へ向かう、今回は雨の中の草刈りだった。小高区は震災以来避難指示が出ていて、現在も夜間滞在ができない地域になっている。朝、一瞬バイクで行きたいと思ったけれど、天候を見て(それからETC がついていないので)あきらめて今回も車で行くことにした。長くなりそうなので、2回に分けて書きます。 朝5時に新潟のアパートを出て、新潟亀田IC 、磐越道、東北道、福島松川スマートIC といつものルートを通って飯舘村から南相馬(原町区)へ、そして社協ボランティアセンターのある小高区へ。途中、雨が激しく降るときもあって、今日の作業が大丈夫だろうかと心配になる。私は極度の方向音痴のため、最近までナビ頼みだったけれどようやくナビを使わずに(そして迷わずに)8時30分ころに到着。車の中で作業着に着替え、受付をしてマッチング(作業の割り振り)。マッチングの席で、小高区が平成28年を目処に避難指示が解除されるとの事を聞かされた。けれど、避難指示解除はこの町にとっては復旧への1つの節目、もしかしたらスタートラインなのかもしれない。いつもの社協ボランティアセンター今回の作業は草刈りで、常連のボランティアの方から「去年来たところだ」とか「もうこんなに草が茂っているのか」などと声が聞こえてくる。小雨の降る中で、刈払機を使える人は刈払機を持って作業に当たる。途中雨が激しく降るときもあり、できれば昼過ぎには終わらせたいとリーダーから告げられる。草を刈っているときに、アシナガバチ数匹と出くわすこともあり少し怖くなる(スズメバチでなくてよかったけれど)。この作業は昼休み無しで作業したので1時過ぎには撤収することができた。その後、ボランティアセンターで道具の片付けをして少し早い解散になった。 少し早く終わったので、小高の町中を散策してみた。すると、盆踊りの準備をしているところに出くわした。避難している人が集まって盆踊りをするらしい。出店も準備されていた。この日は生憎の雨だったけれど、この後開催されたのだろうか?小高区を離れて、海岸沿いの国道6号線を走って、雨と汗で作業着がぐしゃぐしゃなので、いつもの「もりのゆ」に行くことにした。この国道6号線から少し海の方に入っていったところで、今年の6月にみつけたものを思い出した。今年6月、この日も作業が早く終わったので車で海沿いを走ってみると、まだ残る打ち上げられた船があった。さらに走って行くと・・・。こんな壁があって、目を奪われた。壁にはたくさんの花と、「Happy Flower Project 〜希望の花を咲かせよう〜」「Arts for Hope Aug. 16. 2013」と書かれていた。そして、「ボランティアのみなさんご支援ご協力ありがとうございます私たち南相馬被災民は希望を持って前進します」のメッセージがあった。こんなことを思い出しながら、「もりのゆ」に行き、そして、ちょっと遅い昼ごはんをとおもって、海鮮の大亀屋に行ってみたら14時30分〜17時は休み時間とのことで残念ながら昼ごはんを食べれず帰ることにした。(その2に続く)8/22追記ここで紹介しました壁がペイントされた時のことが書かれた記事が見つかりました。こちらですあと、こちら。
August 16, 2014
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ずいぶんと更新の間が開いてしまいました。3月に気仙沼と南三陸町に行った時のことを書きかけたまま、公開せずに8月になってしまいました。この間、南相馬や山元町での活動、南三陸福興市を訪れたこと、拳法のこと、バイクや車のことたくさん書きたいことがあったのですが、書かずじまいでした。災害ボランティア部は8月9−10日で山元町で「NPO法人 未来へ向かって助けあい」のコーディネートで、仮設住宅に住む方々対象に流しそうめんのイベントをしてきた。部の活動としては3回目、私にとっては初めてのイベントの活動だった。9日に山元町に入り、N小学校の校舎を見学。この学校は津波により使用できなくなった学校で、幸い児童は全員助かったとのこともあり、保存が決まっている。未来へ向かって助けあいのF さんの話では、残念なことに、心無い人が学校の一部を持って行ってしまっているとのことだった。F さんには山元町のボランティアセンターが閉鎖された後くらいからよくお世話になっていて、F さんの話には世の中で風かしつつある震災の記憶、復興が進んだ地域と手付かずの地域(あるいは産業)の大きな隔たり、未だに帰る家がない人の話があり時々やり場のない怒りを感じる。この日は、未来に向かって助けあいが管理している民家に泊まった。私はすぐに寝てしまったが、学生やもう一人の顧問は遅くまで起きていたようだ。次の朝、山元町の牛橋公民館に行き活動開始。この日は香川のうどん教室の人と一緒(というかこちらがメイン?)の活動だった。昼までに分担して、竹のトイの設置、テントの設営、茹での準備、汁の用意などをする。この日は台風11号の影響もあり、時々激しい雨が降っていた。これで来場者がいるかなと不安になったが、昼前のうどん教室の1回目が終わる頃にはたくさんの人が来てくれた。この日はこんな調子でうどん教室の間は時間が空いていて終わると人がたくさん来るという繰り返しだった。台風による影響がどれだけあったかはわからないけれど思った以上に来場者があり、とても嬉しい形で3時に撤収。新潟への帰路についた。ちなみにうどん教室の風景です(流しそうめんの写真データが手元にないもので・・・)。
August 10, 2014
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昨夜は送別会、そして今日は・・・。 2月には南相馬に行くことができなかったので、3月最初の土曜日にまた南相馬に行くことにした。ただ、月曜日からスキー・スノーボードスクールの引率があるので、日帰り参加にした。 朝、4時おき・・・のはずが、目が覚めると4時30分近い。慌てて起きて、5時過ぎに出発。新津インターから磐越道に入る前に給油。そして、磐越道を通り、東北道へ。いつもは二本松インターで降りていたけれど、前回の帰り道から福島松川スマートIC を利用することにしていた。 福島松川IC からは一般道を通っていくと、今日は車が多い。除染の人だろうか?なぜかバスまでいて、前を塞ぐ。今までならば9時前にボランティアセンターに間に合うタイミングのはずなのに、9時に5分位遅れての到着だった。 今日の作業は、2件、どちらも民家の片付けだった。マッチング(作業の割り振り)の後、リーダーを決めて器材をボランティアセンターの軽トラに積み込み、現地へ向かう。なぜか私がリーダーになってしまったので、こっそり常連のボランティアの方に「すみません、裏リーダーお願いします」とこっそりお願いした。今日の現場はひと駅(もっとも、電車は復旧していないが)先にある立派な家だった。 移動中、軽トラの中で常連のボランティアの人と、南相馬のボランティアセンターの話題になった。この地には、私がお世話になっている社会福祉協議会の南相馬市災害復旧復興ボランティアセンター(社協ボラセン)とNPO の「南相馬市ボランティア活動センター」の二つと、そのほかに日本共産党のボランティアセンターや個人で活動しているボランティアセンターもあるとのことだった。 今日の活動は、事前に捨てるものと残すものがはっきりと仕分けしてくれたこともあって、とても早く進んでいた。そして、もう一箇所の活動も午前中に終わってしまったらしく、そちらのメンバーが応援もきてくれたおかげで午後1時半には作業完了。2時前にはボランティアセンターで解散となった。帰る前に一枚(ボランティアセンター)帰りがけにいつもの「もりのゆ」に寄って。新潟へ。そして、途中車の中で仮眠をとって。新潟市の小須戸中学校へ、拳法の稽古に。徒格実乱撃1実乱撃2実乱撃3実乱撃4実乱撃5強行軍の一日でした。
March 1, 2014
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年が明けてから書きたいこといろいろあったのですが、ついFaceBook の手軽さに負けてブログ更新をしなくなってしまってました。今年に入ってから、東京の道場に稽古始めに参加しに行ったり、日帰りで南相馬にも2回行ったりしていました。今日は、なんか目がおかしくてコンタクトレンズを外して洗ってつけ直すということを繰り返して、そして喉もおかしい。ここ数日コンタクトを外すと、異様にコンタクトが汚れていたこともあって、なにかおかしいと思っていると、PM2.5 の情報が・・・。今日の新潟では環境基準を大きく上回るPM2.5 が飛んでいたとのこと。例年春先から黄砂は舞っていたけれど、この季節にPM2.5 が舞っているとは驚きだったとともに、PM2.5の問題は大きな問題と認識しながら他人ごとのように思っていたことを反省。正月の次の書き込みがPM2.5 の話になるとは思ってませんでした・・・。
February 26, 2014
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今年もよろしくお願い致します
December 31, 2013
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今日はU さんのところで稽古。中学生の(U さんの友達のお子さん)Y くんと徒格の稽古をすると、中学生の身体と技術の成長の早さに驚かされる。そのままU さんとも徒格の稽古をする。徒格実乱撃1実乱撃2実際はもっと回数こなしたけれど、今回はこれだけ。
December 14, 2013
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前日、山元町で作業して、次の日は日本拳法の大会。私は例年通り空乱撃(当てないルール)に参加。朝、会場の東京武道館へ行く。会場の設営をしてトーナメント表を見ると1回戦は同門対決だった。開会式、形競技と続き、空乱撃の試合に。とりあえず決勝戦まで行って、同門のT 指導員(ひと月後には上級指導員になった)だ。とにかく脚をつかって、疲れさせる作戦に出てみるも、T さんの前拳が私をとらえる。途中、蹴りをとってからの胴突にでるもポイントならず。今年も、優勝に手が届かなかった。昨年はメダル圏外だったので、メダル奪還はしたものの、後で「シルバーコレクター」と呼ばれてしまう。メダルを取るまで10年近く試合に出続けたけれど、金に届く日はくるのだろうか・・・?まあ、それでもメダルは嬉しいもの。先生や道場生の皆さん。そして、いつも一緒に稽古しているU さんに感謝です。
November 10, 2013
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1月以上書くのが遅れてしまったけれど、友人S と南相馬に行って、1週間。こんどは災害ボランティア部とともに宮城県の山元町を訪れた。ここはこれまで何度も訪れていた土地で、作業の多くは畑の石や瓦礫の除去作業。今回もいつもの畑の作業だったが、いつもと違うのは2日目が小学生向けの実験教室をするということだった。私はそのの日が用事が入ってしまい畑の作業しかしていないのだが・・・。午前3時新潟交通のバスに乗り込んで、国見サービスエリアで朝食、山元町へ向かう。JR 山下駅で、ずっとこの山元町の復興のために働いている「NPO 法人未来に向かってたすけあい」のF さんと合流。今回は山下駅のすぐ近くでの作業になった。駅舎が撤去された山下駅。JR 常磐線は路線の場所を変えるそうで、ここから少し離れたところを走ることになるらしい。踏み切り跡からみたJR 山下駅。線路の周りを草が生い茂っている。今回の依頼者の方は作業をした畑の隣の家の方だそうで、もう山元町での生活に戻っているそうだ。周囲にはまだ人の住んでいない住宅も多く、NPO のF さんに訊くと、避難中の家に空き巣が入ったりさまざまな問題が生じているとのこと。これは多くの被災地で同じことが起こっているようで、家に帰れたとしてもそこからがまた家の復旧という大変な事が待っているそうだ。今回も多くの1年生が参加してくれた。4年生が多く2年3年生が少ない部だったが、しっかりと後継者が育っているようだ。朝、想定していた面積よりはるかに広い面積の作業ができたもその成果かもしれない。作業が終わり、明日小学生向けの実験教室をひらくT 仮設住宅の会場を下見。震災から2年半が経っても、まだこの仮設住宅にはたくさんの人が生活している。
November 9, 2013
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今日は3度めの南相馬市小高区でのボランティア活動。今回は単独ではなく学生時代の友人で京都在住のS と参加した。しばらく前に、「11月はずっと福島に長期出張なので、一緒に南相馬にいける日あるか?」と聞かれ、今日の活動になった。昨日、福島西IC の高速バス停でS と待ち合わせ、南相馬市を少し見て回ってから一泊、それからの参加になった。朝、南相馬市災害復旧復興ボランティアセンター(社協ボラセン)に行き、受付、マッチング(作業の割り振り)をして作業開始。今日は、庭の雑草取りとゴミの分別の作業だった。南相馬市小高区は夜間立入禁止のため住民の方はいま住むことができない。なので、家や庭は荒れてしまい、個人の力では手に負えない状態だ。この作業は午前中で終わってしまって、ボランティアセンターに戻ると、別の場所に応援に行くはずだった6人が来れなくなったとのことで、急遽私達の班が応援に向かう。行った先は、家のゴミ出しが主な作業だったが、応援なしでは終わりそうもない状態だった。午後の短い時間に集中して作業したけれど、結局、あと少しのところを残して作業終了の時間になってしまい、撤収になった。明日は雨かもしれないけれど、S と話し合ってもう一日南相馬に滞在することにして、明日に備えて夕食。原町区をさまよって行った大亀屋、海鮮丼が美味しかった。
November 3, 2013
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火曜日の日本拳法の稽古で右肩を痛めた・・・。右面横打ち(右フック)を出そうとしたときに、U さんが前に出てきたために打点がズレて(それ以前に打ちのフォームが悪かった)痛めてしまった。そんなことがあって土曜日、肩は日常生活では全く支障がなかったので治ったものと思い、稽古に参加。形稽古で外打ち(空手で言う裏拳)横打ちの動作をしている時、肩に痛みが・・・。治ったと思っていたのが間違いで、日常の動作にない動きではしっかりと痛めたままだった。そんなことで乱稽古は右拳を使わない稽古を心がけてみた。私はサウスポーなので右前(右手が前拳になる)構えなのだけれど、利き手の左手を前にしてみて、前拳でコツコツ相手の出ばなをくじくのと、蹴りで相手を牽制してみた。利き手を前にしてみると、一撃の撃力に不安があるものの、意外なくらい前拳が当たる。あとはカウンターで当たれば前拳で一本取れる撃力も得られるかもしれない(その前に捕まって組打ちに何度も持っていかれたが・・・)。こんなかんじで意外とおもしろい稽古になった。
October 26, 2013
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私がお世話になっている、新潟恩返し隊の慰労会に参加新潟恩返し隊のT 隊長と、私の職場の災害ボランティア部とも密接な関係にあり、私も2回ほど恩返し隊の活動に加えてもらったことがあるという縁で慰労会に参加することができた。東北電力ビッグスワンスタジアムのすぐ近くのスポーツ公園でのバーベキュー。そして、気仙沼のサンマ。これがとにかく美味い。今日は、用事があったので2時間弱しか参加できなかったけれど、次はきっとフルで参加したい。
October 13, 2013
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