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林沖

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S君        .@ Re:ジェット・リー主演「海洋天堂」を見て(06/02) ストーリーは全てウッキーペディアに出て…
林沖 @ Re:すみません。(05/07) S君、情報ありがとう。 ブルースリーの悪…
林沖 @ Re:忘れていました。(05/07) S君、情報ありがとう。 こんな映画があっ…
林沖 @ Re:関係ない話ですが(05/07) S君,情報ありがとう。 じつに見事な二郎…
S君        .@ すみません。 これを入れ忘れていました。 https://www…
2026.05.05
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カテゴリ: エッセイ
基本が何より大切である。


いにしえより武術を教える者は、必ずこの言葉を口にしてきた。
耳にたこができるくらい、辟易するまで言われてきた修行者も多くいただろう。
しかし、あのスーパースターが登場してから、この言葉はとても軽んじられるようになった。

彼の名はブルースリー。
武術、カンフー、格闘技界にも大きな影響を与えたビッグ・ネーム。
古くから伝わる型は形骸化していて、実際の役には立たない。
時代の変化に伴い、技も変化していかなければならない。


また彼は言う。
ジークンドーは、ただの戦闘技術ではなく、思想であり哲学なのだと。
全てのこだわりから逃れて水のように生きること。
彼はジークンドーを学ぶことにより、武術の達人になるだけではなく、人生の達人にもなれると主張した。

そのためには、古い伝統にとらわれず自由な境地に至るべきだと。

思想においても、老子や禅の言葉を引用したり、映画製作においても、日本の剣豪のエピソードなどをとりいれたりしている。
戦闘技術においても、ボクシング、フェンシング、テコンドー、柔道、合気道、カリ、シラットなど、実に多くのジャンルを研究して取り入れている。

そして彼の理想は、「水」。
彼は水のように戦い、水のように生きることを目指していた。

彼にとって「水」はこだわりのない「自由」の象徴であり、悟りの境地を意味する。

この考え方に世界の若者たちが賛同し、熱狂した。


(ちなみに、これが、総合格闘技を創出する原点になっていると、私は考える。)

ここで、この熱狂が、伝統にこだわっていては強くなれないという世界的な概念を産んだ。
伝統にこだわるのではなく、役に立つものはなんだって取り入れようとすることが、新しいマーシャルアーツの考え方だ!革新的なアイディアなんだ!と、若者たちは熱狂して叫んだ。

しかし、月日は流れ、ブルースリーは亡くなり、ジークンドーは受け継がれてきたが、格闘技界では、グレーシー柔術が台頭してきて、格闘技の試合に出るジークンドーの選手はそれほどの実力を示すことはなかった。

グレーシー柔術は、ボクシングもテコンドーも合気道もカンフーも取り入れない。

決まったセオリーがあり、それに基づいて試合内容を構築し、ボクサーであろうがレスラーであろうが、お構いなく倒していく。
ジークンドーとは真逆の考え方だと言っていいだろう。

間違いなく、グレイシー柔術には確固たる基本があるのだ。

もっと言えば、戦い方にこだわりがある。

すべての技が基本にこだわって構築され、成り立っている。

このグレイシー柔術は、もちろん、日本に伝わっている柔術ではない。
日本人から柔道を学んだブラジル人が、独自の実戦経験を基に編み出したブラジルの武術だ。

柔道そのものが、柔術の伝統的な「術」の部分をないがしろにして発展してきたため、ブラジル人に柔道の「術」の核心部分が伝わるはずもなく、グレーシーさんが、なぜ「柔術」という名前を付けたのかは知らない。
しかし、今のグレイシー柔術は、あきらかに現代柔道よりも柔術に近い。
「術」の部分は、グレイシー一族が、研究し工夫していったものなので、日本の柔術とは似て非なるものではあるが、「術」の存在しない柔道と比べれば、「術」が存在しているという点で日本柔術に近いといえる。

グレーシー柔術は、グレイシー一族がはぐくんできたブラジルの立派な伝統武術だ。

ここで、世界の武術、格闘技に関心のある若者たちの概念が変わった。

総合格闘技を最強だと信じてきた若者たちはこぞってグレイシー柔術をやりだした。
ジークンドーの人たちも、若手俳優までもやりだした。

その一方で、日本では古武術に興味を持ち、その動きに注目する人たちもふえてきた。
この人たちは、スポーツの動きとは違う武術の伝統的な動きに興味がある。
さらにそれを介護やスポーツに応用しようという人たちもいる。
一見、これらの人たちは、伝統的な武術の動きにこだわり、ブルースリーの考えとは真逆のところにいるようだが、私にしてみれば、そう変わりはないと思っている。

日本には伝統武術の流派が数多く伝わっている。
SNSやYOUtubeなどでも多くの動画があがっている。
昔と違い、じつに様々な流派の技を、次から次へと手軽に見ることができる。

古来より伝統武術は、秘密主義のなかで継承されてきた。
なぜなら、技を見られて研究されてしまうと、戦になったとき不利になるからだ。
見たことも無い技を使われるほど脅威なことはない。
知らなければ対策を立てられない。
だから、相手に技を知られないということも、技のうちとなる。
まして、武術を習っているということを知られなければ、相手の油断に乗じて簡単に技をきめることができる。

しかし、である。

今まで伝統武術はないがしろにされてきた。
古臭い、役立たずの骨董品のように見られてきた。
修行者は、年々少なくなり、途絶えてしまった流派もある。

現代においては戦もないし、決闘も他流試合もない。
武術を学ぶ必要性がなくなったのだ。
だから、それを受け継ごうとする人たちもいない。
いたとしても、ほんのわずかな人数だ。
しかし、伝統を受け継ぐ者としては、自分の代で途絶えさせるわけにはいかない。
もう、秘密主義なんて言っている場合じゃない。
それよりも、ひとりでも多くの若者に興味を持ってもらい入門してもらいたい!というのが本音だ。

したがって、どんどんネットで技を公開していく。

よりどりみどりの情報を得た若者は、仲間と情報交換しながらいろいろな流派の門を叩く。
お試しし放題だ。
あれもやりこれもやり、こっちが飽きれば、あっちをやり、あっちが飽きればこっちをやる。
いちどにいくつもの流派をかけもちでやっている若者も多く見かける。

彼らの会話を聞いてみると面白い。

「この技は、古流空手の三戦に似てますね。」
「えっ?Aさん、古流空手もやっていたの?」
「ええ、昔、やっていた友達がいて、2ヶ月くらいだったかな。教えてもらったことがあるんですよ。」
「へえ、いろいろやってるんですね。そういえば、前に私、武神館で3か月位ならったことがあって、そこにいた人も三戦はすごいっていってましたよ。」
「ところで、来週、大東流のセミナーがあるんですけど、一緒に行きませんか?」
「ああ、いいですね。でも、今は柳生心眼流のほうが気になっていて・・・・・。」

彼らは、一体どこに向かっているのだろうか?

まあ、それはそういうホビー的な関わり方がしたい、それが楽しみなんだという人たちなら、私は何も言わない。
それは個人の自由だから・・・・。

しかし、伝統武術を極めたいというなら、話は別だ。
なぜなら、彼らはいつまでたっても上達しないし、武術を使えるようにはならないからだ。
その奥義には永遠に触れることも無いだろう。

武術の各流派には、それぞれの基本がある。
たとえば、柳生心眼流には、大東流とは違う基本姿勢、基本動作がある。
同じ空手でも、小林流と松濤館流の基本は違う。
ましてや、古流空手の基本と、八光流の基本が同じわけがない。

基本の違う流派の技をつまみ食いして、彼らはそれぞれの流派の技を使うたびに、それぞれの流派の基本も使い分けられるというのか?

どの流派の武術でも、基本の上に全ての技が成り立っている。
そして、その基本姿勢、基本動作は初心者にとってかなりやりにくい。
日常動作のなかでは使わないものだからだ。
しかし、やりにくい基本が、やりやすくなり、考えてもみなかった効果を発揮するとわかったとき、そこから全ての技が身についていく。

当然、こういった基本はすぐにできない。
師匠の動きをまねして、どうしたらその動きができるのか?試行錯誤を繰り返して、何年も悩んで悩んでやっとできるようになる。

しかし、師匠は懇切丁寧に教えてくれるわけではない。

基本ができるまで、何年もほったらかしにする師匠もいる。

結局、それが辛くてみんなやめていくのである。

しかし、単純に見えてわかりにくく、どうしてこれで強くなれるのかがわからなくても、なぞ解きを楽しむようにひたすら考え、師匠のの動きと同じになるにはどうすればいいのかとひたすら真似をしようとする、そういった人間は、武術の門をくぐることができる。

単純に、スピードとパワーを競う世界から抜け出して、どんな相手からも命を奪われることがない、負けない世界に足を踏み入れるには、日常動作で手足を動かす、その根本的なシステムを別のものに取り換えなければならない。そして、そこから非日常動作の世界に入っていくしかない。

その世界に足を踏み入れることを「入門」というのだ。

各流派には、それぞれの基本がある。
各流派の技は、すべて各流派の基本の上に成り立っている。

いろいろな流派の技をつまみ食いしている人たちの中に、それぞれの基本を使いこなしている人を見たことがない。
かれらは、基本が身についていなくても、その上に乗っている技を収集している。

いろんなお店の映えるスイーツをインスタに載せて、「いいね!」の数を自慢しているJ.Kの心理と同じなのか?

それならまだ可愛げがある。

しかし、いろんな流派のいいとこどりで強くなろうと思っているのなら、そのやりかたは間違っている。
どの流派の基本もできていない。
あるいは教わっていない。
その流派の道場で習わず、友達から教えてもらっている。
その友達も基本ができていない。
習ってすらいない。

基本すらできてないのに、その上に何を積み上げようと「砂上の楼閣」だ。

実戦となれば、身体も頭も硬直して舞い上がり、とても普段道場で稽古している高度な技など使えない。
しかし、基本が体に染みついていて、どんな動きでもそれを維持していくことができれば、緊張でこわばった手足であっても、どんなにめちゃくちゃな動きでも、それは技になる。
基本とは武術の「術」の根幹であり、原動力だ。
どんなときでも、その基本の立ち方、姿勢、歩き方さえできていれば、普段とは違う手足の動きになってしまっても、どんなにお粗末で幼稚な動きでも、「術」として相手に通用する。

何百回も何千回も繰り返すだけでなく、悩んで、悩んで、悩みながら繰り返し稽古してきたその基本は、修羅場でどうしていいかわからなくなった時でも、しっかりと手足に「術」の効果を発揮させる。

そのために単調でやりにくい基本を、ひたすら繰り返し稽古してきたのだ。

各流派がそれぞれに、大切に変形することなく、伝えてきたもの。
それが「基本」というものだ。
そして、さらに色々な技が伝えられていて、どんなに高度な技でも基本が崩れないように稽古する。
これが、武術の稽古と言うものだ。

その基本を無視して、あるいは、できていないのに、そのうえに乗っかっている美しい花を、摘んで集めて喜んでいても、すぐに枯れて、また新しい花を摘みにいくことになる。
球根からは決して育てようとはしない。

彼らの言い分はわかっている。

基本にこだわらず、いろいろな流派の技を取り入れ、自由な戦いの境地を目指す。
かつて、ブルースリーが言ったジークンドーの教えである。
そして、これが新しい時代の考え方だ。
あのスーパースターの教えは、時代を越えて現在まで受け継がれてきている。
ジークンドーを学んだことがなくても、ブルースリーの言葉は知っている。
そして憧れている。

「水のようであれ。」

彼のこの言葉は、武術を学ぶものにとって、とても魅力的な言葉として、彼の人気とともに受け継がれていくだろう。
そして彼こそが真の武術家であると信じて、いろんな流派の技を取り入れ、戦いの自由な境地と、人生の悟りをめざしていくだろう。

しかし、勘違いしてほしくないのは、ブルースは基本にこだわるなとは言ったが、基本は必要ないとは言っていない。
基本を習得したうえで、伝統的な型や風習にこだわらずに、他流派のいいところを吸収しろといっている。
彼の映画のアクションシーンを見ればわかる。
派手なハイキックや、トリッキーな動きはするが、その戦いの中で使われている戦術や動きの原理は、間違いなく詠春拳のものだ。
最短距離を直線で移動する突き蹴り。
受けながら攻撃するのではなく、受けると同時に攻撃している。
一人の敵を数秒で倒す。

かれは、いろいろな格闘技や武術の技を取り入れながらも、全て詠春拳の基本原理に則り動いている。
パンチであろうがキックであろうが、全て詠春拳の基本を使っているのだ。

日本では古来より芸道を極めるのに「守・破・離」ということが言われている。

ブルースは若い時から伝統的な詠春拳の技を稽古してきた。
これが「守」。
そして、そこで出来上がった基本のうえに、伝統的な技だけではなく、自分の実戦経験をもとに考案した技を取り入れていった。
これが「破」
そして、東洋思想や哲学も取り入れ、様々な流派や格闘技の技も取り入れ、独自の技術体系を作っていった。それを「ジークンドー」と名付けた。
これが「離」。

つまり、彼の「ジークンドー」の本質は、詠春拳が「離」の状態まで達したもので、彼が独自に編み出したものではない。
乱暴な言い方をすれば、「ジークンドー」は「詠春拳」の進化形だと言える。

「ジークンドー」を習う機会のない若者たちは、その本質を知ることもなく、伝統にこだわらず、基本にもこだわらず、いろいろなものを取り入れて自由に闘うことが、ブルースリーの武術の神髄だと信じて、いろいろな流派を渡り歩き、足の無い幽霊のように武術界をさまよっている。

このままではどこにも行きつかない。
生涯を終えるころ、かれらに残されたものは武術の奥深さを経験した喜びではなく、あちこちの道場やセミナーで、仲の良い友達と情熱的に語り合った思い出しかない。

それで、君たちは満足なのか?
それなら、私は何も言うことがない。

しかし、もったいないとは思う。
基本には武術の叡智が詰まっている。

基本とは何か?

そこに答えを見出して、その奥深さを体験しないままでいるというのは、なんとも勿体ない気がするのだ。

だから、私が武術を教えるときはいつも言う。

「基本が大事だ。」

たとえ、古臭いことをいう奴だと煙たがられても・・・・。





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Last updated  2026.05.06 16:45:24
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