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現在5月5日 もうGW終了だというのに こんな所に書きこんでる・・・どうやって遅れを取り戻す??この半月以上 家に篭っていたけれど、調子が良ければ どこかに行けたはず。悔しい限り。まあ 実現不可能でしたが。明日から また戦場。そういえば 明日からNHKのBSだかで ギリシアを数日間放送するらしいです。明日は 私が世界で一番のオススメ、サントリーニ島の模様。イアという先端の街の 青い屋根の教会がある場所が好きなのですよ。船着場から タクシーで1時間くらい。滞在が5時間で ゆっくりできなかったのですが もう一度行きたい所のベスト・ワンです。さてさて 税関から 一路 ツーリスト・ポリスへ向かったアネマジロでした。Mr.Nopも 随分待ったという感じでおられました。すぐに彼のオフィスへ。封筒の中を確認。という所で「封は 開けなかったの?」「おかしいな?開けるって言ってたのに・・・」とつぶやきながら OPEN。例のブツは 私が目にした物とは 違う形態で入っていました。つまり 彼らは 封をしてから 開け直したという事。最初は 裸のまま ほうり込まれたのですが、小さい化粧袋に入れられていました。中味は??すりかえられてる??ちょっとデザインが違うような気もするけれど それは 大丈夫なよう。ダイアは 入っていました。高熱でフラフラでしたから 認識が曖昧で。(中味 それは 指輪とピアスです。)彼らが もっとひどければ クリアな物を見せて すり替える事もあるでしょうが、それは無し。もっとも それ以前にひどいですけれど。ここで Mr.Nopから再度説明が。「普通は この店は 60%だけれど 僕が話をして 70%にしようと思う。でも できるかどうかわからないよ。今から 業者を ここに呼ぶけれど 最初は 自分で話さないといけない。僕は 何も話せないよ。その後に 交渉するからね。」「OK??」と再度確認。「Yes.OK」そこで ようやく電話。業者が出ました。すぐこちらに来ると。実は 私 翌日にすぐ その店に電話をかけておりました。案の定 例のマダムは 電話に出ず、その場では 聞かなかった男性の声で マダムの言っていた事は 嘘だったけど、返金してもらえるのか聞いておりました。その時は 物はあるのか?と聞かれ、今は無いと。持って来てくれれば 返すよ という話でした。その人が来るという話でした。折衝担当は やはり専門にいるのですね。来るまで Mr.Nopと世間話。その時に お互いの家族の話とか タイのどこがいいとか 給料等の話とかをしていました。興味があったのは 彼の給料です。彼は その事務所の中でも 二人だけのオフィスに入っていて 担当からなのか それとも ちょっと上だからなのか。いずれにしても 危険な仕事も請け負う人物です。その彼の給料は 時間外等もつけて 10万弱。彼は まだ奥さんも子供もいないと言ってまして、30代前半と言ったところ。ひょっとしたら20代かもしれません。日本の約1/3くらいの給料?警察官で??他の人は もっと低いという事ですね。物価は 安そうですけれど。さすれば 日本人の所持金は・・・どこも そうですけれどね。狙われるわけです。果たして 私は 何人を潤す事になるのだろう??などと 思いながら。
April 30, 2004
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只今 5月3日1:00失敗しましたぁ。ロード・オブ・ザ・リング特別編に集中しすぎて KISSのライブを40分 見損ないました(;;)映画の方は 前作見てからだと なるほど種蒔き的な事が ちりばめられていたのね という感じ。前に見た時に いい加減に見ていたのでどこがカットされてた部分なのか記憶になく不明でした・・・ちなみに王の帰還の感想は3/10の日記に書きました。まだ観てない方は 読まない方がイイデスヨォ。KISSの方は 1977年の私が目にしたものでしたねぇ。これを見て 当時の我が母上は 「ほら、あなたの好きなビートルズが出てるわよ」とおっしゃいました・・・(確認したところ記憶はモンキーズにすりかわっている模様。先日見たばかりですからねぇ)かなりこだわっていた収録だったそうで 確かにレコーディングと同様の音質だなと納得しました。2003.2にオーストラリアでオーケストラと競演したとかでその時の模様も流されました(DVDのまま)あの ギャワンギャワンしたエレキの音色が魅力なんですが それと無理やり音符に直したようなオケの合わせじゃ いま一つでしたねぇ。音量的には迫力もありますし、爆薬もかなり派手に使ってますし。すごいのは すごいんですけど・・・オケとの合わせは ディープ・パープルの方がしっくり来ます。ただ 歩みより方は パープルがオケに曲も合わせた感じではあり、通常の色彩を欠いてますけど。時が経つのは 悲しいかな。最初のVでは エースさんもピーターさんも 綺麗な手なんですよ。それが しっかりおやぢの手に・・・ああ悲しい!!う~~~ とにかく 失敗ですぅ。ビデオ撮っとくんだったぁ(TT)さてさて タイに戻ります。8万円の関税でびっくらこいたアネマジロでした。ですが 警官のMr.Nop氏「4000バーツ払える?」と。結局 その4000バーツ(16000円)で話をつけて 通関OKとなりました。彼が帰り 書類ができるまで ナント!3時間!!なんでよ?? なんでそんなに時間がかかるん??昼前ぎりぎりに行ったもんで 即昼休みとなってしまいました・・・外に出るにも なにせ食べ物が合わないし 外は 柄の悪そうなのばかりだし・・・結局 そこで 持参の水を飲んで 人間観察で過ごす事にしました。1階に降りて 荷物の引き取りの人間をウォッチング。狭い中で 人がひしめき合っています。同じ事をしているようなのに カウンターがいくつも。英語での案内は ありません。わかんない国だ・・・こっちで 荷物を受け取って あっちで開けて見せてる。そりゃそうかも。なんて 思って見ていたら 私の妙な格好に気がついた女性が声をかけてきて。職員さんです。「これ いいわね。傘です。renomaの三つ折のブルーに細かいリボン模様が入ってる物。私は カメラバック(小型のショルダータイプ)の外側に 登山用のボトルホルダーをつけ、そこに 成田で買ったアクエリアスのペットボトルに水を詰めた物とその傘を入れてたいたのでした。「5000円です」「バーツでいくら?」そう言って メモ用紙を出すので すかさず計算して書くと「Oh!」そう言った後、周囲に「見て 見て! Parisの傘よ!!」と Palis! Palis!を傘を指差しながら 連発して。傘の柄に書いてあったのですねぇ。数人の女性が集まってきて大騒ぎ。物価は違うでしょうけれどそんなに言わなくても・・・その時には タイ人の給料がいくらかなんて まだ知りませんでしたから。ただ 博物館で 小銭が無くて1000バーツだったか 出した時に びっくりされてしまった事を思い出しましたが。そんなこんなで 後は水を飲んで時間を潰し、結局書類ができたのは3時頃。その書類を持って どうしろとは教えてくれません。聞くと 指をさされて そのカウンターへ。見ると 皆自分で印をいろいろ押して 渡しています。う~ん どうするんだぁ?聞きながらやろうとすると 私の前に幾つもの手続きをしていた野球帽を後ろ向きかぶったひげのお兄さんが ササッと手伝ってくれました。それで・・・また聞いて1階へ。あっちで聞いてこっちで聞いて。最終的に 作日最後に荷物を手にしていたおじさんの所に行くことに。実は 昨日 送られた包みを開けて、父が作った包みを開けて、最後の送られた状態までになっていたのですが、おじさん、「はい、テーピングしといたよ」と書類にポン!と判をついて 渡してくれました。やった!やっと貰えた。そして その後 お世話になった1階の女性責任者のオフィスへ。来客中の為、それを高く揚げて見せると ニコニコ笑ってくれて。そこで 覚えた 手を合わせて「コクン カー(ありがとう)」と言って。相手も戸口まで出てきて手を合わせ、バイバイは手を振りながら。ルンルンで建物を出ようとすると そこに二人の男性職員が座っています。手を出されて 何かと思ったら 通関の印を確認して回収しているのですね。はい!と渡して外に出て タクシーを拾ってツーリストポリスへ。もう4時を過ぎていました。結局 封は開けられなかった・・・何で?本当は 開けてみせなきゃいけなかったのかも。まぁ いいや!頭の中では 業者との対決用の英語を色々考えていたのでした。
April 29, 2004
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いゃ~ 野口健氏のHPを紹介している方がいました。感動です! 『自己責任と危機管理』野口 健 公式HPよくぞ言ってくれましたという感じ。常に危険と隣り合わせている仕事をしている方だからこその説得力。すっきりしましたぁ。只今 5月1日NHK-BS2で'60'sの番組。'61生のアネマジロが何故こんなに知っているのかと思うほど 懐かしいと思う曲が。小学生の頃にTBSラジオで毎日曜に「伊勢丹ヒット・オン・サンデー」という番組をやってたのですねぇ。律儀なリスナーだったわけです。画像が見られると ほぉ こういう人が歌っていたのかぁ と。父が買っていたEP版でギターの奇妙な音階がある曲があるのですが、'66にヒットしたナンシー・シナトラ(フランク・シナトラの娘)の曲だと判明しました。幼稚園か小1でしょうか?弟と聴いてはおかしな踊りを踊っておりました。個人的に大きな収穫♪エルビスが何故流行ったのか・・・やっぱり当時としてはカッコイイ部類ですよね。田舎の人とは思えないかも。ストーンズも若い時分は ミックの口が大きい以外は 違和感ないですし・・・今のような凄まじいお化け的な顔立ちじゃないですね。いやいや 懐かしかったです。またこういうプログラムお願いしたい。Beatlesの映画でも借りまくろうかという気になってしまいました。さて タイの方はいよいよ決戦です。(ここから5月2日 記)朝 目覚めると 「あれ?」何の臭いだ??いや~ 予想通りの展開。昨日のドリアンです。どんな芳香剤よりも強力!!慌てて窓を開けました・・・息がつまるというほどではありませんでしたが 充満してました。シンガポールで ホテルには持って入れないとか言われた事があります。次の日は 自分も臭うよと・・・今回は そこまでは行きませんでしたが、ドリアン恐るべしデス。Mr. Nopは11時に出勤という事で 窓を開け放したまま出発。ツーリストポリスについて 時間になっても彼は来ません。回りの警官が 「Nopは 何してるんだ!!」と始まって。。。あ~ 悪いことしたなぁ。普段だったら 何処に行ってるかわかんないもんね。30分位遅れて到着の彼。「どうしたの?」と聞かれ 事情を説明。「おかしいなぁ、皆 開けないで持って来るよ?」と言うのですよ。きっと皆さん EMSに金額書かないんでしょうね。時計を見て 「時間が無いから すぐ行こう」と言ってくれました。タクシーを止めて General Post Office で書いてもらったメモを彼に渡しました。タクシーは 見なれない場所で止まり・・・彼が ドライバーに 「行ってよ」と催促しても ここで と言われる。「他に何か無いの?」「うん、それだけ。」「これ、○○駅の近く って書いてあるんだけど・・・」え゛!!またかよ~~~~タイ人てアバウトだ・・・タイ語で 住所じゃない事だけは判りましたが まさかそこまでとは・・・「わかる?」と聞かれ 回りを見まわし 目星をつけました。アネマジロは 比較的 方向感覚が良いので ラッキーでした。タクシー代は彼が払ってくれちゃって。そこから 100mくらいで 税関に到着。即座に二階に上がり、昨日の怖いお方(実はこの人 おかっぱ頭の30代の女性です)とお話をしてもらいました。開ける事は OKになりました。但し 今のままだと8万円かかると・・・え゛ぇぇ~~!?実はこれ 30%です・・・
April 28, 2004
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本日 5月1日デス祝 20000 HIT !!Getter Osmanthusさん でした♪皆さん いろいろありがとうございました♪次の目標は 30000 HIT ! いよいよ 活動開始!フロントにお願いして General Post Office に電話をしてもらう。日本からEMSが届いていないかどうか。時間がかかったが 結局わからないという返事。あるか ないか じゃないの??最初にEMSを確認した時は 早かったのにいい加減な・・・一旦 部屋に戻ってから 自分で確認しに行くことに。タクシーで向かい、その窓口を聞きながら探り当てる。なんだ 来てるじゃないの・・・4バーツだったかを支払って引換証。受け取っている人もいるのに何で??ここへ行けと指示される。ん~~~???ここ どこ? と聞くと タイ語で何やら書いてくれた。外を指差し トゥクトゥクで行けという。前に止まっていたトゥクトゥクと値段交渉。20バーツとか言うから安くしろといったら6バーツだって。んじゃ乗るよと乗ったはいいけど 一つ角を回っただけのところだった。降りる段になって 60バーツだとぬかす。払ってやるか!!中に入ると どうやら荷受所らしい。どこにあるのか 聞きまわる。あっちにやられ こっちにやられ。フロアは 一見できる広さなのに いろいろな担当があるらしい。何箇所も回るうち、その中のガラスで仕切られた部屋に案内された。多分 そのフロアの責任者だろうか?その荷物 どうしたの?経緯を話す。どうもよくわからないらしい。一階に無いと判ると その人は二階に連れて行ってくれた。一階と雰囲気の違うオフィス。どうやら税関だったらしい。待たされたあとに 呼ばれて事情を話す。自分で送った荷物を送り返すという事が理解できないという。店で 送り状を自分で書かされていたからだ。sumpleにしておけば問題なかったのだが 金額を入れてあったために 問題になっているらしい。店が 何で送るのか?と聞く。安全のためにって言われた と答えたのだが、とにかくいぶかしげに人を見るばかりで信用しない。タイ語か中国語を話せる知り合いはいないかと言われ、JCBのお話をした方と Mr.Nopの番号を伝える。あいにくどちらも不在。その場で荷物を開けると言い出す。日本だと業者の目の前で開けないと問題となるだろうし・・・それはできないと言った。それが 彼らの疑問に拍車をかけて より一層頑なになってしまった。業者の目の前で開けないと問題があると言うと ここで開けて何が問題なんだと始まる。これは 警察に確認しないとだめだぁ・・・諦めて翌日に出直すことにした。待っている間、サファイアとダイアだって話が出て、その中味に自信がなかったので 判らないと言った。確実に入れてくれてるかどうか。目だったダイアの記憶がなかったから。質問していた人が席をはずすと となりの女性が笑う。なめられてるなぁ・・・今度は奥のお偉いさんらしいじい様が出てきて自分の指輪を見せる。ルビーなんだよ。でかいだろう?すんごい自慢げなんだが 2cmくらいありそうなその石、川原の石みたいな茶色をしている。日本では絶対にルビーとしてはお目にかかれない代物。ルビーは真っ赤で透明だ。こんなの日本で絶対に売れない!言ってやりたかったが 気を損ねるとまずいのでそのままにしておいた。タイ人の宝石に対する価値の感覚は水準低そう・・・外でタクシーを拾い とりあえず ツーリストポリスに向かう。タクシーのドライバーは 英語がだめ。ツーリストポリスもわからないという。なのに乗れって・・・大丈夫か??スタジアムと言ってもわからないし、ボクシングもわからない。ムエタイに反応しているけれど 反応の仕方が違うので不安。でも 走り続けてる・・・マジ ダイジョウブ??そのうち やっと車を止めて確認した方が良いと思ったらしい。マイクを渡され話せという。タクシーの手配係りの人と話をすることに・・・ようやく目的地が理解できたようだ。ポリスには Mr.Nopは戻っておらず 明日何時に来るかを聞いてホテルに戻る。時刻は もう夕方に。ラッシュの時間帯。カオサンと違って 都心部なだけに時間がかかる。もう少しという所で スコールが!外にいなくて良かった。ワイパーを最強にしても前が見えない。車は端に寄るでもなく 全て止まってしまった。そのまま30分以上。外は暗くなってしまった。ホテルの前は 洪水状態。反対方向から入ったので 対岸に降ろされてしまった。ホテル前は渋滞していたのだ。まだ雨は降っている。仕方なく 前のフルーツ屋さんで雨宿り。フルーツ屋といっても ドリアン専門店だった・・・・他のツアーで一緒になったご婦人に タイのドリアンは食べられるわよ。と言われていた。昔 フリーズン・ドリアンを日本橋の千疋屋で友人と食べて 一口で閉口してしまった経験があり。でも これを逃したらもう食べる機会なんかないかも。新宿で一個8000円だもんね。外れたら大損。そこは 二房(?)で600円くらい。一つのは無い?と聞くと おしゃれなお店のオバさんは ないわぁ ごめんね。と。くさい?と聞くと 臭いはないわよ。たべられるわよと。それじゃ 買うね。端数はおまけしてくれた。目の前は入り口。この水を渡らないと・・・しかもどしゃぶり。どうするかなぁ・・・あきらめて 走ろうとしたら オバさんが 「マダム」と言う。ん?わし??広告を差し出してくれた。頭にかぶっていけばいいと ジェスチャー。サンキュー♪ささやかな親切に気持ち良く水の中へざぶざぶと。安物を着て、サンダル履きで良かった・・・部屋に戻って カメラを持って戻ってくると もう雨は上がっていた。川のようなその光景をカメラに収めていると ドアボーイに 日本みたいだろ~とからかわれる。日本は違う~~ こんなんじゃない~~!!と抵抗するが ケラケラと二人のドアボーイが大笑い。そんな事をしていると 前のバーから白人さんが二人。渡れなくて困っている。お店のオネエサン達も出てきてわいわいと。ホテルの入り口にはお連れの方が。「Hey ○○! Swim! Swim!」一同大笑い。そこへ通り掛かったバイクの青年。オネエサン呼びとめられる。仕方なく店の前へ行く彼。渋滞する車の間を縫って 一人を後ろへ乗せて渡してくる。ヒューヒュー ピーピー お祭り騒ぎで 彼はまるでヒーロー。行こうとすると もう一人お願い~と頼まれてしぶしぶ従っている。また一人帰還。一同 盛大に拍手。街角で見た ささやかなイベントだった。さてさて 部屋に戻って コーヒーなど沸かしながら ドリアンを食して見る。ふむ。味は ウェっとなるような味ではない。南洋の果物独特の臭みはほのかにする。病み付きになるというのは判るかも。しかしアネマジロには合わない。買ってきた半分(パパイアの1/3くらい)がやっとであった。ドリアンには 微妙な時期があるのだそうだ。茶色くなりだしたらだめ。早すぎても美味しくない。その数日を逃すとタイ人でも食べないそうな。う~~~ん。余った・・・臭いもしないし どうしよう。買ってきたパックに密閉して室内のごみ箱にポイ。ま いいか。明日 クリーニングしてくれるし・・・道は水浸し。どこに行くでもないので そのままテレビを見て就寝。
April 27, 2004
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さてさて 2度目のドン・ムアイ空港。今度は宿は JCBにお願いして取ってもらった。事情も知っているから「とりあえず2週間取りましょうか?」って・・・おいおい そんなにいなきゃなんない?まあ 仕方ないか。タクシーでホテルへ向かう。スクンビット ソイ22 メトロポールホテル。スクンビットは バンコクの大通りという所で のきなみ大きなホテルや店が並んでいるらしい。歩かなかったので らしいしかわかないが。タイで仕事をしている友人に聞いたところでは ソイ奇数が高級なんだそうな。それでも まあ 人ごみがあるし いいか。ガラガラとスーツケースを引きずりながら 中へ。ドアボーイが 預かってくれた。フロントへ。女性が二人、男性が一人。満面の笑みをたたえて こう言って 迎えてくれた。お元気ですかぁ~?へっ??その場で凍り付いてしまイマシタ・・・お元気ですかって・・・井上陽水か!!とっさに何と答えていいかわからず 「Hello」と言ってしまい・・・How are you を日本語で言ってるんだよね きっと。帰ってきて 色々な人に聞くと「元気です」て答えると言うのだが、日本語で挨拶される事すら頭になかったので びびってしまったのでした。タイの人の日本語の勉強は ひらがなで行われるらしい。バリやパキスタンはローマ字だったけれど。国によって アプローチも色々なのだねぇ。そこで チェックインしてワンドリンクチケットを貰う。あ~~~ やっとホテルらしいよねぇ~~申し訳程度のバーカウンターがあって そこでカクテルを2杯ほど。今回の旅行で飲んだのは この時だけかな。とりあえず 就寝。翌日は カンチャナブリへ。一グループの予約があったから 私もツアーに入れた。その方々は 浄化槽を作っている会社の方々で 台湾に進出しているのだが 今度タイに工場を作るのだとか。とりあえず 観光ということらしいのだが それが終わったら仕事開始だと言っておられた。戦場に架ける橋のモデルになったというカンチャナブリ。ちょっと行くのをためらったが 時間があるのだからいっておこうと思った。記念館があるというので 先に行く。日本人がどのような事をしたのか。熱帯のジャングルの中で ふんどしだけを着用させ、過酷な労働を捕虜に強いた。わずかなおかゆを食べて。多くの人が死んで行った。ただ 絵と数少ない写真を展示したその場所を早々と出て 外で他の人を待っていた。白人の観光客も沢山いる。日本人であることが 恥ずかしい。そんな思いを感じる場所。外には 警備をやっているのか おじさんがいた。その足元に汚いみすぼらしいグレーのテリアがいた。どうやら足を痛めているらしい。ピョコピョコしている。どう見ても化膿しているのだろうな・・・おどおどした その目は なるべく私に目を合わせないようにしながらも ちらちらと見ていた。興味はあったようだが 近づいては来なかった。次は共同墓地。鉄道を作る時に亡くなった人達の墓で タイの人達が作ったとか。A4くらいの大きさの石が平らに並べられ、それが一人一人の墓だという。名前と称号、海軍とかのマークが刻まれていた。どうして亡くなったかも書いてあったような気がする。その人々に思いを馳せる。そんなに広くないその空間。明るい日差しではあるが、息苦しくて。そして 橋へ。そんなに大きな橋ではない。黒い鉄橋。そこでしばし 写真を撮って時間を過ごシマシタ。「そこで撮ると花も入るよ」前にいた女の子に声をかけたが 反応がなく。日本人だと思ったら中国人だった。一日に何本も無い列車に そこから乗って途中まで。今にも崩れそうな場所もあり。そこは 補修されていない作られた当時のままだとか。列車の幅しかなく、枕木の間から下を流れる川が見えてる~~。コワッ!!となりに現地の家族が座った。2歳くらいの小さい子が私の格好に興味があったらしく触ってきた。笑顔で返すと恥ずかしがっているが どんどん近づいてキマス。こういう時に話せないとつまらないよね。慣れたところで 写真をパチリ。二枚目は笑ったけれど やっぱりおすましの顔。タイではフィルムは高いのだろうね。そんなに撮られることも無いのかも。汗をかくと日本でも粉をはたいたりするけれど タイは派手です。お母さんが クレンザーみたいな入れ物を出したと思うと両手で粉をたっぷり持って 顔に塗りたくる。そのおちびさんと 小学校高学年くらいのお兄ちゃんは 祭りの前の原住民みたいになってしまった。その後 ふき取るのかと思いきや ほったらかしで 自然乾燥するラシイ。目的の駅につくと その子とバイバイをして別れた。彼は 泣き出しちゃって。そんなに気に入ってくれてたのか・・・その後 一路バスで ホテルへ。この時は それぞれのホテルへ送ってくれマシタ。翌日から いよいよ 次の段階へ 捜索開始です。
April 26, 2004
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さて あっという間に チェンマイに到着。そこで待っていてくれたのは レインボーバスのカ・ノーンくんと運転手さん。彼は 色の黒い日本人という感じ。日本語も上手で 日本人だと言われたら信じられるくらい。その日はチェンマイ観光でした。チェンマイは バンコクと違って落ち着いた雰囲気。山の方に向かい、ミヤ族だったかの村を訪ねる。ここにはお婿さんで来ている日本人の方がいた。タイの民族衣装なんぞ買わせていただいたけれど これ いつ着ようか??タンクトップに巻きスカートという感じ。グリーンにしたけれど 光があるし。パーティーくらいかなぁ・・・伝統の爪踊りを見ながら チェンマイの夕食。これはとても食べやすかった。揚げ物が多いので ちょっと残してしまったけれど、調子が良いときなら完食できるかな。チェンマイに住んでいるカ・ノーン君がデートに誘ってくれたので くっついていく。彼の車は TOYOTAのトラック。日本車は人気なのだそうだが 普通に買えるのはトラックだとか。ピッカピカに磨いてあった。それでいざビアガーデン!走って向かった先は 田んぼのなか??3件くらい 海の家みたいな作りの店が建ち並ぶ。電気は 奥に蛍光灯が2灯くらい。あとは というとクリスマスの飾りに使う チカチカパッパ・・・・ほとんど真っ暗です。その中で タイ語の字幕が出るカラオケで 熱唱してたりする。これがタイ風オープンバーか?蛍光灯が何灯もついていて 明るいところは 食事をするところなんだそうです。彼は ビールを取り 飲めない私は コークを。氷は入れないでねって言ったんだけど 口に入れるとすぐ泡になる。冷蔵庫はあるけれど アイスを入れるようなクーラーボックスしかない。コーラなんかは冷やしてないんだろうね。ビールにも氷。聞いてたけれど ほんとなんだぁ。タイのビールも一口もらったけど うすいのね~~。台湾はもっと薄いって話もきいたけど そんなんおいしいのかね?口の中で 泡をコークに戻す作業をしながら タイの話を色々聞いてその夜は潰れていった。その日は おとなしく眠る。TVは初めて NHKが観られた。観てもあまり意味がないなぁ。番組の選択がいまいち。内容ないし・・・翌朝は 一路スコタイの途中まで。見学はほとんどが寺院だけれど 神社仏閣が好きなアネマジロとしては 心安らぐ旅であります。どこに行っても おおきな蓮が置いてある。それでお参りするからね。タイの12支は 豚がある。いのししが豚。そしてお守り本尊は12支でだけではなく 生まれた曜日でも決まっている。タイに行くときには 自分の生まれた曜日を調べてから行ったほうがいいです。その夜は 誘われて ラーメンを食べに。味も辛いも何もわからないから 屋台には行ったことがなかった。これ幸いとついて行きました。テーブルの上には ナンプラーと砂糖、ナッツ、唐辛子の赤と青などが並んでいる。彼らのを一本頂戴して 飛びあがった。これまた辛い!!お店の人まで大喜びのリアクションをシテシマイマシタ。何も足さないで食べたラーメンの味は 薄味。悪くはない。ただ 後で聞いた話だが タイでは出汁を「たがめ」で取るらしい・・・ホテルでインターネットコーナーがあったけれど とても高かったので おとなしく寝ることに。大体テレビを見つづけているのだけれど。翌日はスコタイへ。途中 つい最近まで通れなかったという道を通って。洪水だそうで まだ家が浸かっている状態。道も少し潅水。いつもだというのだから 何とかしないのかぁ?家は 高床に造られている。自然をなんとかするというより 共存するのがタイ式なのかなぁ?水上マーケットなんかでもそうだけれど・・・スコタイにつくと ユネスコのマークが。世界遺産のマーク?初めて見たかも。13(だったと思う)の寺院の跡が密集している。いくつか回るうちに 気に入った所を写真に収める。人がいるのが好きではないので 人が去るのを待つ。後ろからも人が来ていて。きた!チャンス!と思うと影から人が・・・「Ohhhh!」のため息は 気がつかないうちに後ろにいた観光客の人達だ。大声で 「どいて どいて!」と手もつけながら言ってくれて。そこですかさず パチリ。「Thank you ♪」と振り向くと その一団の方々が ニコニコ笑って拍手をしてくれた。こういう ふれあい が楽しいんだよね。暑いからというので バリで歩いたようなサンダルをはいていたアネマジロ。足元の潰れたセミの抜け殻っぽいのに 飛びあがる。サソリ???びびりました。何故びびったかは ごき○り嫌い 1から でたな 2 くらいまでをご参照下さい。そのサソリ ぐっしゃり潰されてて もう干からびてカラカラ。しかし 色が抜け殻みたいだったから 抜け殻かもしれない。記念に持って帰る気にはならなかった。こんな何もない所で子猫2匹と出会う。チョロチョロついてくるのだが 何も食べ物を持っていなかったので あげられない。猫は境界を持っている。どうやら その境界に来たらしく、子猫たちは ぴたりと足を止めてついてこなくなった。その境界ぎりぎりの石に立って、じっとこちらをみつめている。元気に生きるんだよ。。。みつけても 全てのものを助けられるものではない。仕方ないとはいへ、せつないものです。道道で 寺院が沢山ある。寄るわけではないが、カ・ノーン君は 必ずそちらに向かって手を合わせる。日本の人とビジネスの話もあるとか。彼の質問に答えてあげる。この質問は高度でした。財務諸表とか貸借対照表とか損益計算書とか。先日電話したら まだガイドもやっているらしい。今度タイに行くなら チェンマイからスタートだな。ちょっと先には 一番大きい涅槃像があるということだ。運転手さんは 日本語は話せない。それでも 明るい人で いろいろと話かけてくる。ハンドルの脇に メモ書きを見つけた。だれよりも だれよりも きみをあいすこんにちはまた いつか おあいしましょうそれを発見して 大笑いをしてしまった。そして 別れの空港。少し早めについてしまった。運転手さんは 握手しながら 「また いつか おあいしましょう」と言ってくれた。カ・ノーン君と運転手さんは そのあと また 別の方を拾って返るようだった。そこは 小さな空港。名前は忘れてしまった。売店はいくつかあったが、待合室の前で 銀製品を売っていた。そこに 気になるピアスがあった。値札はなさそう。交渉しないといけないみたい。時間はあるけれど どうしよう・・・・ず~っと悩んだけれど 結局 バンコクに戻ればあるだろうと思い 諦めた。そのようなピアスは 結局そこにしかなかった。バンコクだとお土産用の派手なものしかない。プレハブかとも思うような小さな建物。サッシのドアが開いて搭乗となる。目の前に遊園地のように止まっている小さな飛行機。DC-10より小さそう。そこに荷物をもって てくてくと歩いて搭乗。こういうのも おもしろいよね。ホッとするひとときを終え、またバンコクへ戻ったのでした。本日4月29日。タイでもイスラム過激派が活動が激しいようで、銃撃戦がある場所が多いらしい。出かける方は 情報に注意した方が良いようですね。
April 25, 2004
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タイが怖いところというのは 良くワカリマシタ。ついてすぐにセーフティボックスを利用しました。アジアは 問題があるという事は バリでも経験しましたが、ここでも ちょっと ギョッとした事がありました。中味をいじられることがあるというので 中を確認させて入れるというような話も聞いたことがありましたが、アネマジロは 日本から持参の某銀行の緑色の封筒に入れて セロテープで封をしていれておりました。それに ちっちゃい鍵をつけて。アネマジロの泊まったホテルは 高級ではありませんが、1000バーツ前後といったら それなりのホテル。地元の人が泊まるには ちょっと高いのかもしれません。きっとツアー客の外人は スクンビットなどの中央にある大きなホテルに泊まるのでしょうけれど、アネマジロクラスのホテルは タイでも地方から出てきた方が泊まるようでした。国内旅行してる人が ちょっといいとこに泊まる?そんな感じ。セーフティ・ボックスは 毎日開け閉めする訳ですが、翌朝ギョッとしました。貸し金庫と同じで 鍵が二重になってるわけですね。自分に渡されたキーと全部に利用するマスターのキー。それが揃ったら開けられるようになってます。部屋に暗証番号で置くタイプもあるようですが 今回は普通のフロント裏に預けるものでした。しかも 全室分ない・・・まあ 何がギョッとしたかというと外側に鍵穴が見えてるわけですが そこに タイ語でサインした紙が貼りつけてある!!鍵穴すらいじられないように貼ってあるのです。このやり方は初めてみましたが・・・ これって・・・タイ人も タイ人を信用してないってこと???!!!違う意味での緊張が走りました。人を見たら泥棒と思え・・・悲しい社会なのだなぁ・・・やはり Poohさんが言うような貧富の差があるからかな。ホテルもある土地や格で働く人柄も違うのでしょうね。ここのホテルで知り合いになったのは 運転手さんだけでした。そこを引き上げて チェンマイへ立つ事に。朝は早いので 運転手さんにお願いしておきました。チェック・アウトをすると 日本の計算とは違う。その日は泊まらないのに その日の分まで取られました。運転手さんに聞いても同じことを言う。これは エージェントに言って 交渉しよう。ドンムアイ空港には1,2,3とあって 1がドメスティック(国内線)なんですね。とりあえず 1について 荷物を持ちながら 3まで行きました。端から端・・・遠かったなぁ・・・しかも往復。エージェントのおじさんは覚えてました。最初に値段交渉してますしね。結局お金は戻りませんでしたが、ちょっとチェンマイの情報を仕入れたりして2泊3日だと言ったらびっくりしてました。日本人では当たり前の急ぎ旅は どこに行ってもびっくりされるようです。そこから チェンマイに向けて 飛び立ちました。
April 24, 2004
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昨夜は 胃の調子も悪かったし 夕食は うどん!これは パキスタンに持って行ってたもので、早く出ることになったので 1束だけ持ってきたもの。だしも何もないので とりあえず コンビニに行ってみる。セブン・イレブンがあったのだけれど システムが違うのは ジュース。自分で氷とジュースを入れてレジで会計。それ以外は 同じなので買いやすかった。だしなるものは売っていないので醤油を購入。キッコーマンの7cmくらいのペットボトル入りで330円だったような。高い!!そこで パンとか コカコーラ2Lボトルを購入して戻る。うどんは 醤油で素うどんで。あ~ 何よりも安心してられるよね~。さて 朝は 早めに起きて 待ち合わせ場所のホテルに向かう。早かったので おじさんたちがいない。外のタクシーで向かおうとすると、地図をみせても判らない。どうやら ホテル名ですら 英語名じゃわからないらしい。外にいた他の運転手さんが その人にタイ語で教えてくれた。なんとか到着。ロビーで待っていると続々と他の人達も登場。バスが何台か来て、それぞれのコースに乗って出発。午前中は 大人数。午後は私とイラクに行っていたという人と2人だったので 小型のバンに乗り換えて。これで 市内の観光地は ほとんど網羅できる。時間が決められるから落ち着かないけれど、移動が楽。歩けない距離ではないけれど 初っ端からアクシデントに巻き込まれたため、安全策を取ることにしました。翌日は アユタヤへ。同じく朝集合してバスで移動。遺跡付近のお店やの人が ハンディカムを持っておっかけてきて撮影されてた。タイ人好みの顔なんかね?行った広場で象にも乗れたみたいだけれど それはせず ふらふら歩いて見学してました。出店の子が 寄ってきて 500円をお札に変えて欲しいって。その頃 偽物が流行ってて替えちゃダメって言われてたんだけれど お札自体持っていなかったから 替えてあげられなかった。かわいそうだけど。何処にいっても 大きな蓮のつぼみや花があって それと 大ぶりの線香を持ってお参りする。お祈りの仕方は とても丁寧で 床に頭をすりつけるように礼をして一心に祈る。祈り か・・・ちょっとテーマを定めて写真を撮ってみる。神聖な場所なので なかなか思う角度では撮れないし、ストロボなんかとんでもない。難しいものです。ここで5日目。戻ってから JCBのプラザに行く。事情を話してみると どうやら いろいろなタイプがあるらしくて、10%も戻らないときがあるとか。日本で手続きしても戻らないから ここでやった方がいいとのこと。なるほど~~そこで そのまま ツーリスト・ポリスへ。ただ 今度は 趣向を変えて、金を無くしたってことで行ってみた。紛失の証明書があれば 保険で少しもどるからね。ところが 日本語で書くのだけれど ショッピングセンターの名前と状況と結構細かくかかなければならない。そのうち、こないだ来てた奴だってわかったらしく、手続きなどしてくれなかった意地悪そうな奴が このレシートと宝石と金額が同じだろと始まった。英語がわからないふりをしつつ、とぼけていると 判子をボンッと押した紙をよこした。「不正を働いた場合は 6000バーツの罰金です」みたいな。何もしてくれないで なんだよ!!と思いながらも 困ったようなふりをしていたら 警官の間で タイ語でいろいろと話あっている。まあいいや 終われば何かあるだろう なんて思ってたら 一人の警官が帰ってきた。Mr.NOP何かあったの?と声をかけてくれて オフィスに呼んでくれた。ここでやっと事情を説明できるようになった。大きめのデスクがある別室へ。そこで事情を説明。その店は知っていると。取り返せるのは70%だよ。向こうは60%と言うけれど僕が70%にしてあげる。但し、最初は何も言えないから 自分で言ってね。ここに相手を呼ぶから。とのこと。ふむふむ できレースの予感。でもまあ 70%はいけるわけね。そこで物は?となった。もう送られて今日本に行ってるはず。それじゃ 一度戻って 持っておいでと・・・もう一度往復するような金額でもなく・・・それなら 自分宛てに 未開封でここに送ってもらいなさいと。General Post Officeそして 住所を教えてくれた。さてさて 日数がかかることは わかった。その間どうするか・・・まずは 水上マーケット。せっかくだから どこかへ行こう。チェンマイ・スコタイ か カンボジアか・・・結局 その時の状況を考えて チェンマイ・スコタイにした。金額はほぼ同じ。それから やはり 戦場へ架ける橋のモデルになったカンチャナブリに行かないとね。まあ 数日の予定は それで決まったわけですが・・・タイが本当に恐ろしいところだというのは その小さい部屋でひしひしと感じました。他に一人 身体のごつい 迷彩色のズボン(パンツというよりズボンが合いそう)をはいて ランニングを来た男性。警官が二人で事情を聞いているが 彼は 訛りのある英語でそれもちょっとおかしいのだが 必死に状況説明している。顔にかすりきず。どうやら 誰かに騙されて タイに一緒に入ったらしい。何か仕事を手伝って その後 監禁されていた。バンコクに移ってからは また仕事をやれとナイフを突きつけられて脅されていた。その男がいなくなってから 監禁されていた場所から逃げてきたんだと。パスポートは取り上げられていてないんだ。必死に話している。見た感じでは イタリア系かスペイン系かな?背は低いけれど K-1選手みたいな腕をしていた。アネマジロの相手をしてくれていたNOP氏も席をはずし、他の二人の警官も外に出て行ってしまった・・・えっっ まってまって・・・被害者らしいけど やっぱ怖いよ。ところが その彼、必死だから 話さなければいられないらしい。私に向かって状況を説明しはじめた。う~~ん、どう返答していいものやら。そりゃ 危なかったねぇ、助かってよかったねぇ。みたいなことを言ったような気がするが・・・一段落して 次の段階を考えながら 外にある掲示板を見ると 日本語の手書きのポスターが。顔写真が貼ってある。「○月○日 タイから○○に行く予定で 行方不明。心当たりのある方は・・・」そういうのが何枚も。他にも 「頭にきた ちきしょ~」とぶつぶつ言いながら待っている男の子が。路線バスに乗っていて うとうと として 終点で降りたのだけれども 荷物がない。チケットもパスポートも全部入っているのだとのこと。足元においていたらしいのだが 油断したらしい。彼が言うには その運転手しか考えられないというのだが、路線バスの色しかわからないらしい。大変そうだ。タクシーを拾って ホテルに戻り、父に連絡。EMSなどと出したことの無い人である。説明をして フォローをしてもらえるように 義妹にも連絡。あとは 荷物が届いてからだ。さぁ 旅行旅行!!ところが この荷物の受け取りが また大変だった・・・
April 23, 2004
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さて 一夜あけて 本日の状況は・・・う~~ん ふらふらは変わらず。胃も痛い・・・最悪の状態に。昨日の無駄な行動が響いたようです。さて 作業にはいらなきゃ。まずは EMSを止めないと。そう思い POST OFFICE に電話。なかなか調べられないのだけれど、ようやく判明。昨日アネマジロが購入した2時間後に もうタイから出ちゃってる!あらら めんどうだなぁ・・・そして 家に電話して ミキモト本店の電話番号を調べてもらう。んで 電話。担当の方が出てこられて、「よく そういう話が出るのですが、当店では 一切そのような取引はしておりません。こちらも迷惑しているんですがねぇ・・・どうしようもないのですよ」との お話。ふむ なるほど。そして 今度は タイの日本大使館に。「よくあるんだよね~。そこに行く前に電話くれればいいんだけど・・・」っておい!仕方ないじゃん。それ以後の対応を教えてくれよ。おおざっぱな解説だけでしたが とりあえず ツーリスト・ポリスに行きなさいってことみたい。ふぅ~ 忙しいね。まずは 朝ご飯たべよっと。おもむろに ラウンジに向かうのでありました・・・さて ご飯も食べ終わり 行動開始。まずは 10時に迎えに来るって行ってた宝石屋のガイドとドライバーをお断り。大使館の人曰く、他にいろいろ払わされたり、買わされたりすることもあるから行かないでとのことでした。胃が痛いのをいいことに すっごい具合悪いふりをしてお断り。彼ら 食事が一日分浮いたはずなのにねぇ。多分昨日みたいに水増しして お金もらうんでしょうし・・・とまどってましたが まあ仕方ない。バイバイして帰ってもらいました。その後 ツーリスト・ポリスへ。ホテルのタクシーで向かいます。場所は どうやらナショナル・スタジアムの近くらしい。これなら判りやすいか・・・「日本語話せるかた いませんか?」そう言って入りました。もちろん英語で。ここで待ってて。と言われ、次に 入ってすぐのところに座らされて。日本語通訳は女の子。まだ勉強中でした。事情を話して、巡査長を待ちます。1時間くらい待ったでしょうか?彼女が日本語の質問をするので先生をしていました。それでも 巡査長は戻らない。忙しいらしいです。日本にもTHAが有楽町にある。そこで手続きしたらどうかと・・・とりあえず 待っていても会えなさそうなので 一度戻りました。体調も悪いし、調度日本語のわかる先生の診察日。再度病院へ。さっき連れて行ってもらった運転手さんにお願いしました。この方、400バーツで待ってる時間はお金いらないって言ってくれて。それから いる間のタクシーは 彼にお願いすることにしました。診察では また同じ薬に 胃の痛み止め。いつも使うブスコパンが処方されました。これで少しは楽になるかな。タイ3日目。とりあえず 観光もせずに終了です。4日目はどう動こう。まあ観光しないとね。部屋に戻って ガイドを見ながら パンダバスに電話を。タイ市内一日観光と アユタヤをお願いする。とりあえず 明日は一日観光だね。
April 22, 2004
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さてさて昨日から ご指摘の通り これは 宝石詐欺なんですねぇ。普段なら トゥクトゥクに乗る時点で エメラルド寺院に行ってるとこなんですけど なにせ 体温高騰中でして、めんどくさくなっている状態。「ま いっか」で好奇心旺盛なアネマジロの心は不安と逆に膨らんでたりするんですねぇ。まあ 怖くないかというと ちょっと怖いわけです。先に何があるかわかんないから・・・でも まあ そのあたりも麻痺しかかってるわけです。 体温高騰中。恐怖の館にはいりました。あの Thai Tifunny。店内は ちっこい。中央と回りにショーケースがあって 西洋人風の外人夫婦が物色中。しかし そこは案内されず 奥の小さいブースに案内されました。そこには しっかと頭を上に結び上げたマダムがいて 迫力のある話っぷりで話はじめます。ここは 日本のお客にしか教えないスペシャルな情報を提供してるんだけど 今 関税が下がってるの。普段と○○%の差(確か18%くらいだったかな?)それで 東京にティファニーとミキモトがあるから そこへ持って行って売れば その分儲けになるのよ。そう言って 指輪を取り出す。これが ティファニータイプ。これがミキモトタイプ。だいたい これに イアリング、ピアスをつけて みんな買っていくわね。ティファニーだという方が派手で メレダイヤやルビーらしきものをちりばめてある。ミキモトって方は 一つの単純なスクエアのカットの立てヅメで留めたもの。工場を持ってるから とっても安く提供できるのよ。そうはいってるが、サファイアだっていう その指輪。透明度が無くて プラスチックみたい・・・こんなん 日本じゃジュエリーじゃないでしょ・・・石だよ 石・・・現金があれば 現金でね。カードがあるなら 現金おろしてくればいいわよ。これだけの人が買ったんだと言って パスポートのコピーの束を見せられる。今あなたが買えば これから ミキモトにFAXして・・・云々あ~~~ めんどくさいなぁ・・・でちゃえばいいんだけど ちょっと怖いしねぇ・・・そう思いながら 好奇心旺盛なアネマジロ。仕事を辞めたばかりで小銭もあった。あのねぇ・・・カードで買いたいんだけど・・・マダムは顔を曇らせる。やっぱ やばいのかな??ここにカードの機械がないのよ。あなた お金おろせないの??おろせない。おろせたって 出すもかい!!またしばし 沈黙。そうねぇ、私達、工場を持ってるから 金がいるのね。金と交換だったらいいわ。金を買ってきて ここでそれと引き換え。どう?この時のマダムの発音がねぇ すごいの。「グゥオ~ルドゥッ」みたいな。あ GOLDのことね。う~~ん。めんどくさいなぁ・・・でも どうなるのかね??OK~~それじゃ 契約書にサインして。パスポートは?パスポートなんぞ本物持ち歩くかよ!コピーを貸してやりました。もう汗でしめっちゃってて・・・マダム それをばっちそうに つめではさみました。んで コピー。コピーみてからまた 原本はないのかって聞く。ねーよ!まあ アネマジロのパスポートもあのコピーの束に入るのね。その契約書ね、取りかえるのはOK。現物持ってきてね。返金は60%ね。とか書いてある。ふむふむ これで 現物があれば 40%は損するってことなのね。なにせ 頭は高熱沸騰中。どうなるか 見たい方が先になりだしてて。サインが終わったら 南伸介さん似の青いワイシャツにピンクのネクタイしたガタイのいいおにーさんが どうぞ~~って。外で 待ってたトゥクトゥクのオヤジに20バーツ払って その後黒塗りの車で どっかに連れて行かれました。僕ら お互いに理解しあわなきゃいけないよね?コミュニケーションとらないと。日本の結婚式ってどんなん??などと 質問をして来るので 色々とお話する。愛想はいいんだよね。そりゃ かもだからいいよね。高速に乗って 出口二つ目くらいで降りたのかな?タイのややこしい所は 行き先とか通りが 英字併記になってないこと。タイ語ばかりだから よく判らない。連れていかれたのは とあるショッピングセンター。その中の貴金属売り場へ。彼がマダムから書かれたメモを渡す。それには 数字だけ書いてある。ガサガサガサっと それをみて 金製品が詰めこまれる。すげっ。タイって金が安いのかな?当然のことながら そこのおねーさんと今一緒にきた南伸介は顔見知りなようで タイ語で何か話てた。んで カードを通す。サインをする。サイン後に控えを渡される。後で気がついたのだけれど、最初になかったメモ書きがつけたしされてる。タイ語で「取り替えしません」みたいな意味らしい。その金を持って また店へ。金は マダムに渡されて、目の前で さっきの指輪とピアスがEMSの袋に入れられる。裸のまま 包装もせず。EMSの宛名書きは 私にさせる。内容にはSUMPLEの文字。無くなったらどうすんだよ。それが終わると 貼られて奥へと持っていかれた。そしておもむろにマダムが言う。これで今日からあなたは私達のメンバーですよ。ドライバーとガイドをつけるから 食事に行って。ご招待するから。明日は好きなところに連れて行ってあげますから。体調が悪いから断ったのだけれど そのまま つれていかれちゃった。ガイドさんもドライバーさんもいい人そうなんだけどね。どこに行くって聞かれてわかんないから いろいろ言われるままにしてたんだけど じゃ暁の寺に行って、マッサージに行けば?ってことになって。暁の寺は えっと タイ語は忘れたんだけれど 川に面したところで ガイドブックには必ず載ってます。形式がタイには2種類あって スコタイの文明の影響とそうでない後期のもの。暁の寺は スコタイの影響だったかな。とうもろこしみたいな仏塔になってるんだよね。そこの入場料は 彼らは現地の人だから無料。私だけ払う。それから 市内に戻ってマッサージ連れていかれたんだけど ここも彼ら顔なじみらしい。マッサージって言っても どうやら怪しげなスポット。おねーさんが並んでるってどうして??あやしいな と思いながら 招待っていったのに そこは400バーツ払うことに。まあ タイ式マッサージって行きたかったからいいけど。それで なんか すごい狭い通路に個室が並んでて、タイムキーパーというか なんというか またまた黒服の タイだったらイケメンなんだろうねって感じの男の子たちが 通路に何人かいる。背は低いよ~。部屋に案内されて テレビみながら待ってると おばさんが入ってきて。どうも英語もわかんないみたい。ちょっとずつコミュニケーションしながら マッサージしてもらった。 安いマッサージと思ったらこんなもんだろうけれど 日本のマッサージの方が絶対いいよ。筋肉まったくほぐれないもんね、タイ。ダストボックスにティッシュが捨ててあったり、備え付けてあったりだから やっぱり怪しいのもあるんだろうね ここは なんて思いながら さすがにオバちゃんには聞けなかった。出ると 今度は タイすきにつれてってくれるってことに。アネマジロは胃の調子が最悪になってて もう帰りたかったのだけれど、彼ら それで食事ができるらしくって。店ではあるんだろうけれど トタンで囲まれたような所。道路に面しているところは 全てオープンです。タイスキを頼んでくれて それを待つ間にコーラをもらう。彼らビールだったり・・・おいおい ドライバーでしょが??店には 神棚のように作ってあって お坊さんの写真が飾ってある。もういろが茶色になってて お花飾りもしおれかかり。いかにも 庶民相手の店。タイスキは 野菜を下のスープに入れ、肉は飛び出たジンギスカン鍋のようになっている中央で焼いて たれにつけながら食べる。彼らのつけている様子を見ると 唐辛子がすごい。生唐辛子の 赤と青がおいてあるのだが これでもかというくらい入れて 唐辛子を食べているよう。肉までおかわりしちゃって・・・見てると 言われたのは800バーツ。預かったお金は1500バーツくらいだったのかどうか。領収書は 1000バーツにさせていました。明日は アユタヤに行こうという話になって ホテルまで送られる。さて どうするかな・・・翌日から 検証開始、奪回奮闘日記です。
April 21, 2004
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『恐怖!ちょっと怖かった出来事』にまつわるお話は テーマをポチッと押して見てください。今までのが書いてありますです。他の方も参加してくれてます。あっ ちなみに 今書いてる パキスタンからタイシリーズは テロがあった9/11からのお話ですよ~タイは その一週間後からです。今は 日本ですよ~ ご心配なくぅ。タイ 2日目。天気もいいしネェ。ちょっと近所をふらっとしてみようかな・・・まだ熱は下がらず ふらんふらん状態・・・でもネェ もったいないしぃ。カメラを持って 近所に出かける。すぐ裏は 道路にずっと マーケットが出ている。これ何時頃並ぶのかね??そう思いながら 定点撮影。綺麗なかわいいお菓子が並んでて それも いろいろ聞きながら 撮ってみる。買えばいいんだけど とにかく 食べ物怖い。せっかくこれだけお店があるのにネェ。Tシャツも売ってる。ピカチューだのウルトラマンだのプリントされてたりして・・・300円クライデスヨ。日本のアニメは凄い人気だよね。バリでも クレヨンしんちゃん見てるんだよ なんて 言われたし。(これは 後で飛行機待ちしてるときに見ることになるんですが・・・タイ語のウルトラマンって・・・変デスワ)一度戻って 朝食タイム。中華と洋食とフルーツデスネ。悪くはない。おかゆを食べてみたけれど ちょっと油が入ってて 胃がぶっ壊れてるアネマジロには無理でした。とりあえずさっぱり系をあさり、フルーツポンチだの シリアルだのを食べあさり。食べないとバテますからね。そして お昼用のバナナをぽっけに入れさせて頂きます。。。さぁ 出発。実は 昨日も ちょっと試みたのですが 失敗したのです。エメラルド寺院への道。バンコクでも目玉の寺院なんですね。それで そこ旧王宮、博物館なんかがあるみたいで 歩けそうなんで カオサンにしたんでした。昨日はちょこっと歩いて 大通りに出たのですが その渡り方にちょっと考えこんでしまいまして。歩くと どうみても外人ですから トゥクトゥク(バイクに人が乗せられるようになってるもの)の柄の悪そうなおやじ達に声をかけられるので びびりまして。今日は 行くのだ!天気はピーカン!それで エメラルド寺院から JCBプラザのある所まで歩くのだぁ!!(往復10キロ以上かな・・・)ほんとに病人か!という勢いで出たのです。キョロキョロしながら カオサンを横目に 向かいます。大通りは ちょっと迂回すると 橋があるので その下をくぐって渡りました。そこには 観光客向けのインフォメーションがあったので そこで資料をもらって。その前は 大学です。大学の前で 最初の変な人に会いました。「どこいくんだ?」地図を見せると「あ~ ここね ここなら ニャムニャム」勝手に○つけやがる・・・しかもボールペン。違うって言ってるだろがぁ!!まあ いいや・・・また歩くと 公園というか 広場がありました。交差点にオープンカーに乗った二人のお坊さん発見。カメラを構えていたのですよ。すると邪魔するやつがいる。そこで第二の変な人。危ないからカメラしまえって。そりゃそうなんだけどさ。写真撮りに来てんだから。お坊さんは行っちゃうし・・・バカヤロー彼は そこの大学で日本語勉強してるって。その割には 英語で話すんだよね・・・大学見学するかって いらねーよ そんなもん。それで いくなら どこそこの 寺がいいとか 色々というのだよね。今日は行かないっていってるのに・・・まあ ついでだから 写真撮りますよ。半身写真とったら 住所教えてくれた。そこにトゥクトゥク乗り場があるから乗って行けと。白のトゥクトゥクは政府が仕切ってるからどこ行っても20バーツだから それで乗せてもらえって。ご親切にそこまで案内してくれる。おやじにどこそこの寺に行ってくれって言うんだよね。いいって。アネマジロは JCBプラザの地図を見せて ここに行きたいっていったんだけど オーケーとか言って お寺に行っちゃったよ。まあ いいけどね。最初のお寺は街中で なんか綺麗に外側に半円の幕が飾ってある。洋服の青山みたいなやつ。イベント?中は 人が椅子に座ってて 屋根つきのところには 見るからに位の高そうな坊さんや政治家みたいな人が座ってる。「入っていいですか?」警備の人に聞いてみると 「いいよ」って。ずーずーしく入って行くと 綺麗にお供えがしてある。お花も つぼみを山盛りご飯みたいに綺麗に盛ってあってね。大きさや内容を見てるとどうみても特別・・・トゥクトゥクのオヤジは ご飯食べてくるから1時間後にここ とか言っていなくなっちゃうし・・・回りをふらふらしながら 歩いていると その裏は 坊さんたちの住んでいるところになっているらしく、着ている衣とかが洗濯して干してあったり。なんか 干し方というより 掛け方が タイなのネェ・・・って感じで思わずまた 撮ってしまいました。綺麗にさいた蓮を入れて それに特徴ある建物を入れたいと思って しゃがみこんで撮ってると 目の前を通る人が・・・こんなとこ とおらんでも・・・なんて思いながらシャッターを押す。そこの催しは いよいよ始まるらしく、坊さんたちが入り出す。お坊さんに女性が触れちゃいけないってことだから 道のわきに 一生懸命小さくなって 通りすぎるのを待つ。ボブ・サップみたいなごつい人もいて 手に刺青してるし。少林寺じゃないんだから。。。どういうこと??まあ いっか。始まりました。すると どうもしっかり襟の立った洋服を着ている方が・・・「あれ??」ラマ9世ですよ!!王様 王様!!日本なら天皇陛下ですよ!?こんなに警備が手薄なん??この方と奥様の肖像画は 道路やら建物やら そこらじゅうに出てる。道理で あっちいけ しっしっ て 外でやられたわけね。親戚か何かかと思ったら その夜のテレビで間違いなかったことがわかりました。その日は 色々な市内を回っていたらしい。写真は まずいんじゃないかと思って撮りませんでした、たしか。外に出たら 白バイっぽい警官がいました。カメラを向けてたら 止まって待っていてくれた模様。「コクン カー」手を合わせて お礼をいったら 手を振って去っていきました。トゥクトゥクのオヤジが戻ってくる。実はさっきも戻ってきたんだけど も一度行けとかいって。まあ 今度は出かけるってことで。また 寺へ。今度は 普通のお寺らしいんだけど タイの庶民のお寺ってこうなっているのねって感じ。寺の中に 葬儀殿もあるし 火葬するところまである。絶対火力弱いよ。焼けないと思うね。と そこへ さっき撮影中に前を通りすぎた青年が。こやつが変な人3番目。日本に行ったことがある。僕はカメラマンでテレビの仕事で行ったんだ。へぇ~ んで どこいったん?大阪と 東京と・・・今は 家族とヴァケーションでオーストラリアまで行くんだ。タイでは 長期に休みが取れて それで家族で旅行に行く。今は 宝石が安くて TAXがかからない。それを買って海外に行って売るんだよ。だんだん話が怪しくなってくる・・・宝石はね 日本では ミキモトに売るんだ。高く売れたんだ。君も絶対買うべきだ。手にした免許書みたいなのを広げて 彼のお坊さん姿を見せる。タイでは 皆男性は 修行しないといけないらしい。自分は 修行したんだし 嘘はつかないよ。ますます怪しい・・・「んで 家族は どこにいるの???」ちょっとキョロキョロして 別のとこにいるふぅ~ん・・・ま いいや挨拶だけして 別れる。まだ宝石買えって言ってるよ。トゥクトゥクに行って オヤジに またJCBプラザ行ってくれと話す。オーケー 行くから その前に ガソリン入れさせてくれ。このチケットが今日までなんだよ。なんか すごい早口で必死。まあ いいけどね。案の定 ガソリン・スタンドなんて行かないで とある 宝石店の前まで連れていかれた。その店の名前は Thai Tifannyなんだってぇ??前に黒服で色の濃いシャツに 合わないカラーのネクタイしてる男が数人立ってる。どうみても 普通の宝石店じゃないね。降りろって言うんだけど どうしようか。回りに 一人も味方になってくれそうな人もいないし、まあ どんなもんか 降りてみますか。かくして アネマジロは 恐怖の館に突入したのでアリマシタ・・・
April 20, 2004
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昨日の続きを期待しておられると思いますが・・・その前にこんな情報が・・・某S氏の日記です。ここをぽちっまだまだ出ますネェ。。。さて世界共通の教科書を作る会の山本敏晴氏から メッセージを頂きましたので 転記致します。山本敏晴です。こんにちは。「世界共通の教科書を作る会」へのいろいろなコメントありがとうございました。参考にさせて頂き、よりよい活動を行っていきたく思います。なお、5月1日(土)に、講演を行います。新宿の隣り、小田急線・参宮橋から徒歩5分、国立オリンピック記念青少年総合センターのカルチャー棟、大ホールで開催します。地図はこちら入場料がかかるようです。問い合わせ・連絡先は、サンタ倶楽部(村山 03-5355-3187,090-9018-9850, vivre@cg.mbn.or.jp)もしもご興味がありましたらご来場頂ければ幸いです。お時間の都合のつく方は 是非 ご参加くださいませ。さて タイのバンコクで 迷子と化したアネマジロでした。パニック パニック・・・ふと 出掛けに財布に入れたホテルのカードを思い出しマシタ。ダイタイ まだ ホテルの名前も電話番号も覚えてないし、行き当たりばったりで選んだエージェントの連絡先もわかんない。そのカードがなければ 本当にどうしていいのか わからないところでした。このカードを入れる癖で 過去に2回助かってます。・出雲の八重垣神社でお財布紛失。・バリのタナロットで 貴重品を入れたポーチ紛失めったに物を忘れるとかなくす事態が無いアネマジロですが 今までにこのタイも含めて3回だけあります。しかも究極のピンチ状態。前の二つについてもエピソードがあるのですが それはいずれの機会に持ち越しましょう。さっそくカードを持って聞きこみ開始。みんな そこ行って すぐそこ みたいな言い方をするのだけれど・・・まず 間違って捨てられちゃったホテルは 通りに面してない!玄関を出ると 川のふちを歩くようになってて。右方面に道路らしきものが・・・でもその手前に上り口をふさいで食べ物屋がある・・・一旦は戻ったものの 行き先はそこしかなく、意を決して通りすぎる。まだ 挨拶もありがとうも覚えてないし・・・まッ いっかそこで大通りへ出て う~~ん どっちぃ??まあ いいや。日はまだ高い。きっと近くだ。少し歩いて 道端に座って何かを売ってるおばちゃんに聞いてみる。英語はわからないみたい・・・「あっちあっち~」 って指さされたほうに行ってみる。何か にぎやかなとこから 離れてないかぁ??その通りの端の人に聞いてみる。この方 英語がわかりました。「今来たとこを戻って 7-11があるから そこを渡って まがって~~」え~~~っ 戻るノォ??おばちゃん 違うやん・・・そう思いながら さっきのおばちゃんの前を通って 行って見る。それでも探しながら行くと ヴィエンタインの文字発見!「ヤッタ♪」しかし・・・まてよ?ほんとにここ??駐車場から入って 中にレストランがあって・・・ついたばかりだったから まだ ホテルを徘徊していなかったので 確信がありません。フロントまで行っても それらしいんだけど 人は時間で変わってるし・・・正面玄関にでて やっと確信がもてました♪「やった~~♪♪」部屋へ戻ると 喜ぶのも束の間、日本に連絡。そして、JCBのバンコク支店に連絡を入れて、保険の期間が短くできるかどうか確認。45日から21日に変更してもらいました。そして 発熱中の例の病を治すために 日本語の通じる病院を教えてもらいました。そこから連絡をして 診療してもらえるかどうか確認をとって。ホテルに常駐しているタクシーのおじさんにお願いして連れて行ってもらいました。待機時間も合わせて500バーツだって。仕方ないか。バンコクの端と端だもんね。その病院は 大きくて ショッピングセンターと一緒になってる。入り口はどこだ?受付は??ここでまた 英語で聞きまくり。やっとたどりつけました。書類は日本語で書けるし、保険証書を持って行ったら それでお金はいらなかった。熱はどんどん上がっているようで 38℃を超えてる模様。寒いので 待っている間 看護婦さんにお願いして ブランケットを借りました。皆 暑くて 冷房が入ってるのに・・・先生は 中国系の方のようで なまりのある日本語。田村正和がもっと訛った感じの低めの声です。薬は 日本で処方するようなメーカーのもの。楽になると良いのだけれど・・・タクシーのおじさんと一緒に戻ってきて 一段落。それでおとなしくしているか というと じっとしていられないアネマジロ。ホテルを徘徊し始めまして。食事場所も確認して 初日は ホテル内のレストランで済ませました。そしてとなりのネットカフェで 友達とチャットで連絡をとって。まだ弟は チャットなどやってませんでしたから。携帯のメールもまだだったのではなかったかな?彼のパソコンにメールを送り、hikosaka.comをチェック。タイ語の文字の並ぶキーボードなんですが、日本語フォントが使えるらしい。読めるのは読めるのですが 書きこみができなくて。パキスタンでは 書きこみだけしたのですが、読めなかったんですね。そこには 「危険です!一刻も早く戻ってください!!」と 沢山の方々から 書きこみがなされていました。「あらららら・・・」それだけで かなり大変なことかもぉ~ なんて思ってたんですが、ずっと書いているとおり、日本のニュースのような緊迫感がまるっきりないのですよ。1時間くらい ネットにいてから 部屋に戻って あとは ずーっとテレビを見てました。もちろん CNNやABCですね。とにかく 情報を集めたいと思ってまして・・・おもむろに愛用の電気鍋を取り出して お湯を沸かしてコーヒーなんぞ・・・あ~~ やっと落ち着いた。明日から 楽しい タイ生活と思ったアネマジロ。ところが・・・これからが 怖い話 本番です・・・
April 19, 2004
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まずは こちらdolhinistさんの17日の日記当初から言われていたことですけど どういう事実が出てくるのでしょう?タクシー運転手の名前は知りませんでしたネェ。あれも関係ありってこと??結局 日本人が使われたって話にナルンデスカネ?さてさて パキスタンにての 日々は ○○ーの国シリーズをご覧下さいネ。昨日の日記に貼ってあります。海外に出て 一番に感じるのは トイレの違いですね。ヨーロッパ方面は 見る限りは変化ないんですが 座ってみると実感。お尻は落ちそうになるし 足が浮いちゃうし・・・とにかくでかいね。女性用なんですけど これ 男女同じ大きさってこと??こういう大きい便器を使う人達が 同じ飛行機に乗ってるって・・・ねぇ・・・どうしてるんでしょ?トイレ・・・イタリアは そのギャップは感じなかったんですけどね。アジアでは 紙を使わない・・・水です 水。以前 そのあたりは日記に書きましたので ご参照下さいませ。パキスタンの友人宅は 洋式でした。シャワータイプの洗浄機が横にありまして それを使うわけですが、トイレットペーパーも用意してくれてました。最初は それを使ったのですが、それが無くなったらアネマジロも皆さんと同じようにしてまして。パキスタンに行くまで 徹夜なんかしたりして 仕事してたもので あちらについたら グッタリ。もう 昼間は寝っぱなしデス。体力も落ちてました。胃の方は 例の油でやられてて 機能していない。ヘロヘロの状態で アネマジロが良く陥るのは 膀胱炎ナンデスネ。これは予測できたので 飲み薬を持ってきてましたが、パキスタンを出るときには 熱が出始めておりました。病院に行けばと思いますが、システムが日本と違うようで 面倒なので なんとか 我慢しようと思いまして。運のいい事に 熱が出たくらいで 他は我慢できる程度でしたので そのまま友人には言わないで出国することにしました。週に2本くらいだったのでしょうか?タイ・エアーの真夜中の便に乗るために 沢山の人が集まっておりました。友人宅を出たのが 深夜の0:30。飛行機の時間は 確か2:00だった気がします。のんびり気にしないパキスタニの友人は 早めに中に入れなどとはいいません。「まだダイジョブ」を連呼しまして・・・入ったのは30min前。そこで入るために並ぶのですが、渋滞でなかなか入れない。具合も悪いし 早くしてくれ~~ なんて思ってたところに 通りすがりの おっさんが 指でお尻をさわ~ってかすめて行きました。こんなとこでもいるんかい!!まあ 体調も悪いんで睨み付けるだけで そやつはどこか行きましたが。やっと15分前に空港内に。中に入ると 5重のチェック。テロの1週間後ですからね。「にぃはお~~」えっっ あたしゃ 中国人じゃねーヨ。まあ 初めて日本に近い人種に間違えられたネ。今までは シンガポーリアンかマレーシアンダッタカラネ。脱出組も多くて 乗員は パキスタニも多い。飛行機のゲート入り口で 最後のパスポートとチケットチェックを受けて搭乗口についたのは 出発時刻ぎりぎり。いつも早めについて フラフラしているアネマジロは 今回は ドキドキしながらでした。飛行機が離れます・・・アネマジロは 出発の瞬間が一番好きなのですねぇ・・・ジェットコースターは嫌いですが この瞬間が好きで トランジットが多いと喜んでシマイマス。最も 飛行機で一番危ないのは 離陸だそうですが・・・タイのバンコクに向けて 5時間のフライトです。時差もあって バンコクのドンムアイ空港には 朝の7時に着きました。JCBのオフィスも開いてないし。昨日のうちに予約とっておけばよかった・・・と思いながら。パキスタンで公衆電話ってないですしねぇ。友人宅からでは 高くなってしまうので申し訳無かったから・・・どうしようかなぁ・・・などと 思いながらゲートを出ます。出口のところに 色々なエージェントが並んでいまして。仕方が無いので とにかく休める所と思い、タイ・エアーのマークのついているエージェントに目星をつけていたホテルを頼もうと近寄りました。とりあえず荷物もありますし、1000バーツ食事付のとこに。それでもちょっと値段交渉しての値段でした。危険な所は嫌だと思っていたのですが、一番治安の悪いところを選んでしまったようです。カオサンロット地区これが良いのか悪いのか・・・運が良い のと 悪いのが その日の 午後にすぐ訪れました・・・タクシーで 一路ホテルへ。ホテルは ヴィエンタイン。場所は カオサンロットの一本隣の道に面していました。そこは 旅行代理店も入っていて、ネットカフェもある。ホテルからも入れるので毎日利用していました。1min1バーツ。3~4円という感じでしょうか。そこで 日本の友人にメッセンジャーで状況を聞いたり、家族にメールを送ったりしていました。部屋に入ると いつもの癖で すぐホテルのカードを財布や所持品に入れました。無意識に行うこの行動、実は これで何度も助けられているのです。午後2時に 朝のエージェントから迎いが。市内を観光してくれるとか。1時間くらいだっていうし いいか。小銭とカメラのみを持ってでかけました。地図も何もなし。寺院を3つ、定番のジュエリーショップへ。最後の寺院で 日本語のガイドさんが降りて行きました。タイなまりで 聞き取りにくい。判らないところは 英語で質問したりして・・・その後 頼りないドライバーが一人で送ってくれました。ホテルについて ドライバーさんは 挨拶して帰りましたが・・・・何か違う・・・・とりあえず 入った場所が違うのかも と3階まで上がってみる。違うよ ここは・・・ここはどこ?? わたしはだれぇぇぇぇ~~~~!!しばし パニック!書いたのですが 消えました。明日に続く・・・
April 18, 2004
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20億円!!だソウデス。例の救出費。かかるのですねぇ。。。予想を遥かに越えました。びっくりです。これも多分概算でしょうから きちんと積算したらもっとかもしれませんね。ソースはここです → 朝日新聞ニュース さて、日記を読んでくださっている方は ご存知ですが、アネマジロ○○ーの国シリーズでご存知の通り、アネマジロは あの9.11にカラチに出かけてシマイマシタ。(当日のお話は 究極の選択をゴラン下さいませ)パキスタンの友人というのは 数年来のチャット仲間でして、写真を撮りたかったアネマジロは あまり興味のないままパキスタンに行ってしまったのでした。イメージが湧かない場所ではありますが、遺跡好きのアネマジロ。モヘンジョ・ダロだの人生発祥の地に行きたいものだと思い勇んで出かけましたが、モヘンジョ・ダロは危険とのことでパス。その前に 何故 怖いもの嫌いのアネマジロが写真を選んだかを。不思議な力シリーズで 書きましたとおり、アネマジロはちょっとまずいものを感じるノデスネ。そんな理由で 暗闇大嫌い・・・暗闇には虫もでますし・・・(それについてはこちらを参照)父が画家、弟が演奏家、母はオーダーメイドを受ける人なので アネマジロも色々と創作意欲が強くて、デザイン等をやったりスルノデス。しかし 弟と1歳しか違わず 彼が音楽という不安定な道を歩んだもので、アネマジロは自分に合っていない職業についてしまっていました。そんな折、やはり自分の内なる欲求を押さえられず、写真学校に通い出しました。その際に人と同じだと面倒です。絵だと父だし 音楽は弟だし、義理の妹夫婦には陶芸・・・日本画を 例の恩師 東山魁夷氏についた方に相談したのですが 私が女性ということもあって内弟子にはできないという事になったのでんじゃ 写真にしよ と思いまして。モノクロ写真は好きダッタンデスネ。そんなワケデ・・・学校に入って 暗室授業がある時に 「あっっ やべ・・・」となりました。暗闇 嫌いだったのだ・・・その時まで 好きな事が学べるとあって 浮かれててすっかり忘れてました。高校生の3年間と 社会人になってから5年、某外科医院に勤めていた事があります。当然 X-RAY(レントゲン)があるわけですが、その現像はアネマジロの仕事でした。当初 その病院は 先代の時に入院患者さんもいらした病院で 手術室もありました。アネマジロが行った時は もう2階の手術室も病室も使っておらず、そのまま残っておりました。週に一度、その2階の掃除をせねばならないのですが、中央の病室を掃除中に 赤ちゃんの鳴き声を聞いた なんて話があるもので ほんと びびりながらやっておりました。1階に ほとんどの機能があるのですが、怪我をした方が来ると レントゲンの指示が出ます。今のように 明るい場所でできるシステムではありませんので、フィルムを取りに行くのも 現像も 暗室作業です。これが 天井がそれなりにあって 長細い空間なんですが どうも 落ち着かない空間なのですね。電気は 赤色灯一つにして それが専用カバーに入っているので ほとんど見えない。手探り作業になるわけです。それで 現像するフィルムが X-RAYですから。浮かび上がるのは 骨 デスシ・・・頭部の時は やはり ビビリマスデス。その場所は どうも 誰かがいるような気がしてしまって いつもドキドキしていました。窓などないのですが たまに空気の動きがあったりして・・・いや~~ ほんとに 怖かった。自分で現像をするようになって やはり 自分の好きな空間では そういう事は あまり無いノデスネ。色々と浄化するようなグッズもありますので 変なものは 寄らないようです。ただ、学校に行っている当時は 駅から3分くらいの4階にいたのですが、隣が小学校ですぐ脇にプールがあって。東側なんですが、朝は朝日が入って良いのです。夜は 東と南にある窓を開けるのが どうも怖かったノデスネ。いつも暗くなる前にカーテンを引いてました。その時は2部屋しかなかったのですが とにかく奥の部屋は 用事がある時だけの利用が多かったです。完璧な暗室などは作れませんから 真夜中にしっかり暗くして作業をするのですが これはまた 大変といえば大変でした。今はというと そこそこの広さと部屋数があるので1部屋を暗室にするつもりでしたが、今は母に占領されています。ちょっと作業ができない状況デスネ。プロラボに頼んだり、カラーが多くなってしまっています。そんなアネマジロが一番心配になったのは 怪しい写真を撮ってしまうこと。今までで 気になる写真は 20年前にコンパクト・カメラで撮ったパリの凱旋門の写真くらいでしょうか。凱旋門にはレリーフが彫られているのですが、その色と同じなのに どうも大きさが違う顔が映っている。口元が赤いのです。何度見ても 周りのレリーフにつながっているようには見えないノデス。不思議・・・と同時に気味悪いと思いながら どこかにしまってあるはず。あとは 気がつかないだけなのかもしれません。そんなアネマジロですが パキスタンにフィルム90本を持って旅立ちました。続きは 明日・・・
April 17, 2004
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序々に 解放時の様子が明らかになる。ここ一週間 体調不良で家にいたおかげで すっかりチャンネルサーファーになってしまった。判らないのが嫌いなB型アネマジロは 真相が気になって仕方がナイノデス。彼ら ドバイに着いたラシイデスネ。アネマジロがカラチに行った飛行機がドバイ行きデシタ。地名を聞くと、近いとこに行ってタノネという気がシテシマイマス。解放された彼らは 目隠しをされたまま あの部屋に連れてこられて 助け出されたことすら理解できてイナカッタノデスネ。ganesiaさんが 頭が悪いだけと感じたとおっしゃってましたが 実はアネマジロも ??? ダッタノデス。特に高遠さんは 同じ女性として34歳の発言とは思えなかった。残念ながら 若い方々ばかりと接していたりして 社会にうとい職業の方に このような印象を受ける方は多いのですが それと同じだと思いましたネ。人前でしゃべるのに飴玉食べたまま~という指摘もごもっともと思いました。まあ 遭難した方にチョコレートや飴玉は水分とともに最初に与えるから それかな と思いましたが・・・チョコダッタノデスネ あれは。そして 郡山さんが 「撮るのが俺の仕事なんだよ。」という発言は 俺の仕事なんだから 続けるんだという主張にも取れたのですが、その前に 「撮らないでくれよ。」がツイタノデスネ。撮影クルーに言った言葉ダッタノカ・・・やはり一部を報道されると 誤解は生じやすいデスネ。不自然な事は 沢山ありますが、一部納得デキマシタ。ganesiaさんのHPで真相を究明するという話が出てイマシタ。あさってには 帰国するらしいですし 彼らの言葉を待ちたいと思いマス。しかし・・・今回の救出劇で いったいいくらかかったのでしょう?全部税金ですよね。一部 積算しろという声も上がっているそうですが アネマジロも是非 そうお願いシタイデス。チャーター機にしても、それ以前に 自衛隊輸送機をイラク国内で移動させてますし。人件費、その他 億単位なんじゃないですかね?彼ら ボランティアだったりすると 税金を収める額って少ないと思うのですヨ。まあ 額は仕方ないとしても 今回使われたお金で 彼らが命がけでやったボランティア一生分は 使い切ったのではないでしょうか??アネマジロ リンクの中に国境のない医師団がありますが 一日50円の募金を実施シテイルノデスヨ。そして 300円で ワクチンが買えて助かる人間が沢山イルノデスヨ。ソレダケジャナイデス。日本人の中には 難病で苦しむ方や事情で学校に行けない方、まだまだ沢山 助けを必要としている人がイルノデスヨ。今回の散在で どれだけの事ができたでしょう・・・彼らにしっかりと考えてモライタイデスネ。偉そうな事は 言えません。アネマジロは クリック募金でしか動いていないのですから・・・何かできないかなぁ と最近考え中のアネマジロ。待機児童が多いことが気になりました。教育は小さい頃から・・・それも痛切に感じています。そこで・・・保育園経営はできないか?と考えついたノデス。思い立ったらすぐ行動のアネマジロ、早速市役所に電話してみました。まず許認可を受けるには 個人じゃだめらしい・・・そして 園庭が無いといけないらしい・・・許認可を受けても 支給されるのは 人件費や給食費等。ほとんどは補助でまかなえる。けれど 設備費等は対象外。児童から徴収した保育料はすべて市に納付する。だめじゃん・・・・・理想的な場所を借りてとなると それなりにかかる。もっと充実させようとすれば 利益もでないと・・・認可されてない所が増えて当たり前。そして待機児童が減らないわけデス。納得。長期に渡るものであれば 在籍する人に協力、援助も求められますが、皆最初の教育。お金がかかるなら 行かせないって人も多いですしね。アネマジロのアイデアは あえなく挫折してしまったノデシタ。法改正等で チャンスが来たら考えるとしましょう。今週は ランダムで色々なHPを拝見しました。書きこみで知り合いになった方々の所から 足跡をたどって伺った所もありました。自分で勉強させてもらおうと思ったところは リンクさせて頂いてオリマス。自分に無い視点を取りいれられる事は パワーアップの大きなチャンスデスネ。皆さん 文章が上手で、イメージ右脳人間のアネマジロには真似ができない事ばかり・・・大体 アネマジロ的文章は 言葉が3つ位抜けていると思って読んで頂かないといけないのですが 皆さん 的確なんですよネェ。これは 左脳未活用のアネマジロには真似ができないので 知識だけ頂戴することに・・・皆さん リンクさせて頂いてアリガトウゴザイマス。おかげでリンク数が46にナリマシタ。リンクして頂いている数は 24。う~~ん、まだまだ未熟なのだな。wa-ka2004さんの所からお邪魔したalex99さんもそのお一人。好きな人とそうじゃない人に分けているとか・・・リンクしてもらえないって事は それにも入ってないって事デスネ・・・グスン(。。)もっと読みやすく整理しないとなぁ・・・リンクしてもらえるように ガンバリマスゥ♪alex99さんの所で 今は 憲法9条が 戦争放棄と書くと×で平和主義と書くと○だとききました。えぇ~~~~!!!いつからそうなったの??大体変わるもんなんですか?明確に書かれているのに!ボランティアというと人ばかりではありませんね。リンクしているピースハウス 平和の家のお二人。昨日 がんばって介護していたオッスが亡くなりました。本当に穏やかな気性のワンちゃんだった模様。写真がそれを物語ます。そして そのまま眠るように息を引き取ったそうです。きっとオッスも幸せだったでしょう。お二人とも お疲れさまでした。皆さん 是非 彼らの活動を見てあげて下さい。そのまま殺されようとする犬たちを保護して幸せに生きる道を探す活動をしておられます。そちらでは 保護している犬たちの餌が不足しているそうです。ご協力できる方は よろしくお願い致します。人間のみならず すべての生き物が幸せに暮らせるように・・・そう願ってやみません。予告・・・明日から また 怖いシリーズを復活させようかと・・・考え中
April 16, 2004
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日本人は また拘束されたヨウデスネ。情報が入らないのが どうももどかしいばかりですが・・・↑この人たちは まだですけど 前の3人は解放と速報が!!ヨカッタデスネ。暗い話ばかり続いたので ちょっといい話でも。実は リンク仲間のold_morterさんの所で 自動車事故の話がアッタノデスヨ。彼が紳士かつ親切な対応をしてあげたのに 相手は 事後で体をひるがえし・・・まあ この類はよくある話で アネマジロの父も もう何十年も前に バイク徐行運転中に 母親の手を振り解いて飛び出して来た子供がぶつかってきたことがありまして・・・その時「私が悪いんです」と言っていた母親でしたが 後日父親が出現。どこも不調な所など 子供にはなかったのに慰謝料請求してきました。そうかと思うと アネマジロは自分の駐車場に停車中に わざわざ人の駐車場で方向転換をしようとするおばばにまっすぐ突っ込まれてドアをグシャリとやられまして。そのおばば、私はちゃんと見てた、アネマジロが突然出てきた、いつもそこで方向転換してる とおぬかしになる。人の土地だろが!しかも2回もクラクションならしてやったんだぞ!わしゃ まったく動いてないぞ!!保険屋さんにお願いしていたら7:3で修理なんてバカな話を進めるもんだから 自分で動いて100% あちら持ちにさせました。当ったり前でしょ~が!って感じですが そういう訳のわからん人間はいるものです。そんで ちょっといい話なんですが 先々週のお話。アネマジロは 死ぬほど混む電車で通勤するお話を日記に書きましたが、その時の出来事です。ギューギューの電車は 身動きがとれません。ですが、降りるときは 降りないとネェ。当然 入り口付近の人間は 一度降りるわけです。たま~に 何を思ってるんだか ふんばっている方がいますが アネマジロはそこまで意地悪ではありません。その日も ごくごく当たり前のように 降りたのです。するとかわいらしい女性が 「ぺこり」と頭を下げて降りてくるではありませんか!久々に 素敵な女性に出会ったなぁ と思いましたネ。当たり前でも ありがとう という気持ちを伝えられる。そういう人が多ければ つまらないいざこざなどなくなるのに。ずい分電車には乗りましたが こういう経験は初めてでした。最近は 降車するのに 人が前に立ちはだかっている事が多くなりました。大阪方面では当たり前とはききますが、東京は違うんだぞ!「降りる人が先!」幼稚園とかで 習わなかったのか??自分も心せねば・・・そう思ったアネマジロでありました。
April 15, 2004
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やっぱりあったのね・・・そんな気がしました。おかしいよね~ あそこまで研究が進んでるのに 核が無いナンテネ。これから また 世界がどう動くのでしょうか?イラクが終わってからになるのかな?それじゃ 遅い気がするけれど・・・イラクの大量破壊兵器は出てきていないけれど、とりあえず フセイン政権は崩壊したのだし、流血なくしての 復興は無理ナンデショウカネエ?考えの違う国民同士が戦う分には イラク国民は納得するでしょう。ファルージャの掃討作戦は不要だと思うのですが いかがでしょうか?アメリカに対する印象というのは 日本人の考えるような印象では無いようです。パキスタンの友達も 例の9.11のテロは アメリカがやられても仕方がないと言いました。彼は 知識人だから ちょっと意外でしたが、昔からの情勢を考えるとそうなるらしいです。石を投げたら投げ返す。そして追い駆けて徹底的に潰す。そんなことを続けていたら 終わるものも終わらなくなる。追い払う程度にして 復興作業を進めて 早く引き上げてくれれば良いのに・・・イラク国民の数百人の命。多国籍の数十人の命。無駄な犠牲のような気がします。早期解決の道は ないものでしょうか?
April 14, 2004
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皆さん できたら ご自身の意見や感想をカキコして下さいネェ。判断材料にして よく考えましょうヨ。ちなみに アネマジロが自己責任において とった行動は 9日の日記「究極の選択か・・・」に書いてミマシタ。hollyhock11さんの日記 ←これって本当だろうか?? すごい話ダケド。昨日 NPO団体の方だかが テレビに出演していた。周辺各国の団体と連絡をとりつつ、安全確保をしたうえでの行動をしているとのこと。そりゃ当然ダヨネ。今回の事件のように 無防備、アバウトな状態の計画では 責められても仕方がないと思う。山で遭難しても 捜索、救助活動には費用がかかる。それを家族や本人が支払ったりスルンダヨネ。危険地域に出かけるときは 計画やルートを報告して 許可制にして規制すべきなんじゃないか と思うノデスヨ。それが出てなきゃ 国は 関知せず、なんてネ。事が起これば それでも何故国が許可したのか!なんて論争も出てくるかもしれないけれど 少なくとも常識的な人間のみに制限できるから 今回のような事がおこる危険性は少なくなるのではないかなぁ?いずれにしても 勧告を無視しての無責任な行動で起こった問題については かかった費用全部は無理でも 責任を追及すべきではないのかなぁ と思います。これだけ世間を騒がせ、日本のみならず 諸国にも心配をかけている。ただ自分達は被害者だ とふんぞり返って欲しくは無いデスネ。朝の日テレで女性の弟君が出演していた。もう ねむいんです~ たいへんなんです~って様子。頭ボサボサ、ウエットスーツ?姿。演出か効果のつもりなのかもしれないけれど、ふてくされて 質問にもまともに答えられない。まあ そのアナウンサーも悪いけどね、でも出たくないなら断りャいいのに。悪い印象与えまくりデシタ。あの出演は失敗だったネ。羽鳥さんが 早々にうまくまとめて切り上げたから良かったケレド。審議会でも 個人責任について 意見が出始めてる様子。やはり そう思う人はイルノデスネ。佐々氏も 言い始めたし。情勢が膠着し始めたら 皆少し冷静になったのかしら?いずれにしても まだ動きはアリマセンネ。何かしら 連絡があると良いのに・・・皆の関心がさめすぎないうちに 解決して欲しいデスネ。アルカイダ系地下組織の「ジハードの声」って機関紙で自衛隊を打てとクウェート国民に呼びかけている。これは まずいよネェ。
April 13, 2004
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いろいろな情報が流れる中、まだ 解放されませんね・・・経緯はどうあろう、家族の気持ちを振りまわすのは やめてあげて欲しいナァ。実際は 裏があって 家族も知ってたりして なんて思うところもあるのですが・・・今日は一日 気になって ネットを見っぱなしデシタヨ。(いえ 仕事もシテマシタケド)死体映像が出ないってことは まだ無事なんでしょうねぇ きっと。日本人3人より アメリカ人の運転手さんの方が アネマジロ的には心配ダワ。彼は 家族を養うために 危険に飛びこんで行ったのに。一生懸命生きているだけなのに・・・活動家が テロリストと言われた事で臍を曲げたのではないか なんて話も出ているけれど、なんだか ネェ?イラク国民の中から すんごい指導者とか出て来ないかしら??今 名前の挙がっている二人の指導者が一時的にでも手を結ぶとかして 国の再建に立ちあがってくれないかなぁ・・・日本が そういう仲立ちをとれる立場だという話も出ていたみたい。ほんと カッコヨク小泉さんにやってもらいたいヨネ。そのあたり。モスクって 綺麗ですよ。タージマハルは行ってないけれど ほんと あの建築物は イイデスヨ。時間になると 呼び出しの声が流れる・・・コーランみたいな抑揚のある節の声でね・・・女性は普通のモスクには入れない。外か 女性用のモスクにしか行けないんだって。アネマジロは パキスタンの友人の家の中から その呼び出しを 遠くに聞いて過ごしていたのだけれど なんか いいなぁ~ と思ってました。心が落ち着くといいますか ブディッシュ アネマジロは 思わず手を合わせたくなりましたネェ。イラクの人達は 今 ジハード中だから コーラン聞いても そういう気持ちには なれないのだろうなぁ。なおさら 戦闘意識が強くなったりするのカモネ。世界中の人が 心和む音や音楽って 存在しないのだろうか??それを流してしまえば 戦意喪失になるようなもの。あるといいのにネェ・・・
April 12, 2004
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海外に目が向いているアネマジロ。国内はいつでもいける・・・なんて頭があって どうしても足が向いていかない。東京を基点に 東北、信州方面、四国方面は 車でGOデス。諏訪湖あたりは 日帰りできちゃうしネ。それでも どうしても行ってみたいのが 屋久島。メタセコイアやバオバブの木も 実際に見てみたいノデスガ、日本が誇る世界遺産 屋久杉がどうしても見たいノデス。月明かりで 写真を撮っておられる方がイマスネ。あれは 神秘性を強調していて いいなぁ と思いマス。あんな写真は無理なんですが、縄文杉を撮ってみたい。どう撮るかが まだイメージかワカナイノデス。はっきりつかめたら もっと気力が出てくるトオモイマスガ。先日 とある方の日記で 行かれたという話が出ていたので どんな所か聞いてみました。トロッコの線路を延々と歩くとか。なら 行ける。そう思いマシタ。ハイキング好きのアネマジロは どこでも歩くのですが、最近体力がネェ。心臓もヤバイらしくて 無理できない身体となりまして・・・知人に 始終しめっぽくて ヒルがいる所だから ゴアテックス性のトレッキングシューズを買えと言われ・・・登山用のリュックやら ステッキやら買いこんだのは もう10年近く前でしょうか。最近 そのセットが活躍したのは 父が教えている水彩画教室や油絵同好会の画題でデス。「こりゃ~ いい」とか言って もっていかれてしまいました。この季節になると ハイキングやらに出かけたくなるのですよネ。おいしい空気と緑の風 でしょうか?行きかえります。何年後かに 屋久島で皆既日食(部分かもしれませんが)が見られるとか。それに合わせて行きたいな なんて甘い考えでいるのですが。弟のコンサートなんてのも 企画できたらと思っておりましたが、ここんとこ 知っている方は知っているとおり、冷戦中でありますので 私の力での主催開催は無理ですネェ。どなたか 動いてくださると実現するのですが・・・アネマジロは 大田母斑の治療を受けていまして、レーザーで何回か顔に火傷を負わせまして、今は 綺麗に治っています。日光にあたると また 浮き上がってくるので 日焼け厳禁ナンデスネ。そんな訳で 海がきれいなところにいっても 入れない。まあ 外でも焼けるわけですが、カメラ機材を多数持ち歩いていることもあって それをほっといて遊ぶわけにイカナイノデスネ。雨も困りますが、まあ 国内の雨なら なんとか・・・タイで一度だけ スコールに見舞われましたが、たまたまタクシーに乗ってまして。一生懸命に動くワイパー君の働き空しく、前なんか全く見えない。車は 端に寄ることもなく 全て止まってしまいました。じっと動かず1時間デス。そんなこと 良くあるんだろうなぁ。歩いてなくて良かった・・・まあ そんなこんなで 屋久島に行きたいわけですが 今の心の中を思うと 今一歩力が足りないようです。行こうと考えただけで ルンルンになるのが アネマジロの旅行なのです。この分じゃ まだ先にナリソウデスネエ。すぐ 行きたくなるような情報を どなたかお持ちでしたら 教えてくださいませ♪
April 11, 2004
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山本氏の写真展に伺いました。彼の写真には 昨年の夏だったか 東銀座のニコンサロンで行われていた時に行ったノデス。その時は 弟のhikosaka.comでも ご紹介したのですが、国境の無い医師団に参加する中 活動を続けて撮った写真を展示して反戦(平和)のメッセージを伝えてイルノデス。今回は 「彼女の夢みたアフガニスタン」タリバン政権下に 難民キャンプを訪れたときの写真と その時会った少女。そして 政権崩壊後に アフガニスタンに戻った彼女との再会。幸いなことに 山本氏ご本人とお会いすることがデキマシタ。ご自身で 団体を立ち上げたとか。世界共通の教科書を作る会 8/1に 「宇宙船地球号」に改称できることなら参加したい旨をお伝えしました。実際のところ、アネマジロは苦境のどん底におり、何ができるか微妙なのですが お手伝いできるところから と。彼が何故 教科書に着眼したか。アネマジロも 子供の教育が重要だと思っていマシタ。彼は 医療の遅れている国々や十分に医療を受けられない人々がいる国々において 自分達が去ったあとでも活動が続くようにと その国の後継者達の育成に努めマシタ。平均寿命34歳という国やアフガニスタンへ。そして アフガニスタンでは せっかく作った医療施設を破壊されたり、育てたスタッフを殺されかけたりして。以下 彼のページの 創設からの転記です。~「未来に残る、意味のある国際協力」をするためには、「戦争をなくすこと」も非常に重要だと私は気づいたのです。 こうした経緯から、私は次のような概念のもと、「世界共通の教科書を作る会」を 作りました。 世の中には、たくさんの、そして様々な人たちが住んでおり、宗教・民族・性別・文化など、全て違っています。そうした人と接した時に、相手が自分と異なっていることを、「この人は間違っている」と思うところに全ての問題はあるのではないでしょうか? その人が自分と違っているのは、「その人の背景にその国やその地方の素晴らしい 歴史や文化が隠されているからかもしれない」と感じることができたなら、世の中の戦争を少し減らすことができるかもしれません。 子供たちは成長する過程で、どうしても両親や学校の先生から教わること、そして、自分の身近な社会で体験したことに強い影響を受けます。そしてそれが自分の世界の「全て」だと思ってしまうのです。 こうなってしまう前に、私は子供たちの頭の中に、「引き出し(ちょっとした思い出)」を作っておきたいと思っています。どんな国にいる人たちも、それぞれの社会や文化の中で幸せになろうと努力しており、きっと素晴らしい人生を過ごすのだということ。 そして何より、世界中の人々が大切な家族とともに微笑んでいる、その様子を。彼の趣旨に賛同できる方は 是非ご協力を!写真展は 現在 新宿西口 新宿エルタワー28階 ニコンサロン(03-3344-0565)にて12日まで開催中。10:00-19:00 最終日は16:00まで。東京駅八重洲中央近くにある 東京アートウォールにて13日まで 世界で一番いのちの短い国14日~5月21日まで 彼女の夢みたアフガニスタン東京アートウォール東銀座 マガジンハウス1階にて19日~5月14日まで 彼女の夢みたアフガニスタン 今後 各地で行われる予定です。また 彼は写真集、書籍も出版しています。詳細は 山本敏晴氏のHP http://act-org.jp/ にて ご確認下さい。
April 10, 2004
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直接戦争とは関係ないのですが・・・毎週土曜の朝に NHK BS2で プラネテスという宇宙を舞台にしたアニメをヤッテルンデスネ。流れでなんとなく見ているんですが、先週は 暴動(?)に巻き込まれて 月面に逃げた二人。SOSを出したにもかかわらず 救助はまだ来ない。一人は その暴動を起こした側の人。ゆうなれば裏切り者。もう一人は 宇宙をこよなく愛する少女。裏切り者の女性は 怪我をしていて瀕死の状態で その人を担ぎながら少女は歩く。その途中、エアーがEMPTYの警報ほ発する。瀕死で気を失っている裏切り者のエアーは残っている。それがあれば少しは生き残れる可能性が・・・・先週は そこで終わっていた。う~~~~自分ならどうする????その人のエアーを奪ったところで 助かるかどうか 定かではない。どうするんだろ~~~????結局 自分では 結論は出せないまま。人道的には 自分で窒息死を選ぶ道を選びたいが いざ その時になったら 自信なんてない。そんなイレギュラーな状態の時の精神状態なんて わからないもの。んで 今週。彼女は 車椅子で登場。エアーは奪わず、通りかかったエアバスに助けられてた設定。しかし 酸欠で脳性マヒに。アニメだからネェ。でも ちょっと安心。そうであって欲しかった。人間は勝手なものだ。只今 4/11 PM18:45人質はまだ解放されない。どうなるんだろう。解放されるとは思うけれど。人質の人達や 家族の態度について 母と話しながらの一日。2年前、9.11にパキスタンに入ってしまった私。これは 意図したわけではなく、たまたま出発がその日。テロの2時間後が カラチ到着だった。状況が 急激に変化する中、英語などめったに使わない父から 友人宅に電話が入る。「早く帰って来い!!日本では大変な騒ぎなんだぞ!」その大変さは パキスタンでは伝わらない。以前の日記「○○ーの国」シリーズで書いた通り。皆 普通に暮らしていた。う~~~ん、仕事まで辞めて来たのに 帰りたくない・・・これが私の本音だった。しかし 女一人での外出がままならない国。いくら写真を撮りたくて行ったとはいえ、暴動などを撮りたいなんて思ったところで 友人が許してくれるわけもなく・・・心は微妙だった。ある意味 一隅のチャンスかもしれないし・・・しかし 不幸には 見事にヒットするアネマジロ的人生。これまた 大ヒットしてしまう可能性あり。9.11は火曜日。当日 東京は台風が直撃していて、羽田は機能停止していた。朝の7時にタクシーで京成八幡へ。大体において 自分の足で ガラガラと行くことが多いなか、この時ばかりは違っていた。友人宅に持って行く荷物も多かったし、スーツケースは空港に送ってあった。いつもと違うって やっぱり何かあるよね。父が電話をくれたのは 日曜日。前日の夜中に 日本人学校の先生方が緊急帰国したところだった。きっと朝のニュースを見てそれでもその時間まで我慢して 連絡してきたのだろう。カラチでは 早朝の5時だった。翌月曜日、大使館に出向き、退避勧告が出ていることを知った。状況を聞くと 出発当初 危険度1 が 到着した時点で2に。土曜日には4になっていた。「大使館員以外、大使館の家族も帰国するんですよ!」仕方ない。帰らなくちゃ・・・翌火曜日の深夜、乗ってきたタイエアーで戻るような形。在パキスタン1週間であった・・・その後タイで貼りついていたものの。あのとき 残っていたらどうなったか。暴動の先頭に行って 写真を撮っていたら どうなっていたか。事件やテロに巻き込まれていたら・・・仮に何かあったとしても 母は 政府に助けてくれとは言わなかっただろうと言った。私も当然であると思う。もし 9.11当日が出発でなかったら、私はパキスタンに行くことはできなかっただろう。家族が確実に止めようとするはずである。仮に行ってしまったとしても 両親が大騒ぎするようなことはなかっただろう。他に一緒に人質になった人でもいない限り、「勝手に行って 好きなことをやっているのですから テロに屈して 他のものを犠牲にしないでで下さい」ということだろう。あのとき 私は無難な道を選んだ。それが正しい選択だとは思う。心の片隅には 残りたかったという気持ちが捨てきれないのも事実だけれど・・・
April 9, 2004
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ニュースを聞いて やっぱりやられたか と思ってました。しかし、何故18歳なんて子がいるんだぁ??現地で住んでいた人間でもないらしい。リュックしょってたしね。なんか不自然。バックパッカーにしちゃ あまりに無謀、無責任 と思ってました。以前にあった 戦闘地域のイスラエルに入ったバカップルと変わらないね と。ボランティアで行ったのかな??などと 思いながら ご出勤。昼にネットでいろいろ見ているとどうもルートが不自然だ。今までにも そのルート ヨルダン側からイラクに入る陸路は 高速道路でも ガンを持って金品を奪うなんてのは しょっちゅうのことらしく、地元の運転手は その高速に入る前には 必ずガス満タンにして トイレも寄らずに通りすぎようとするところらしい。わざわざ高速を降りて 市街地を通る事もあるとか。人目で犯罪が多少は少ないということで。最近は そのルートも 空路が復活して 邦人はそちらを利用することが多いそうな。今のご時世で この状況。個人でのボランティアなら その方向からは入らないのではないだろうか?ましてや 団体なら・・・・新聞は まだ目を通していないので それぞれの方の情報は良くわからなかったのだが とある書きこみを目にしました。以前 その18歳の今井君が書きこんだのでは とされる情報。こちらをクリックこれが事実だとは思いたくないけれど まあ これなら 納得できる話。しかし だとしたら 大バカ野郎どもだネェ。自衛隊撤退させるため?世界中騒がせて 何考えてるんだって感じ。自衛隊派遣の良し悪しは 別にして 手段が赤軍と変わらんし。これでお金が取れなかったら テロ組織の連中は 彼らの命を密約通りに無事に戻してくれるだろうか?無理なんじゃないかと思うネ。考え甘すぎ。裏で日本以外からお金をもらう事になっていても 事の大きさに 彼ら欲が出るんじゃないだろうか?そんな気がします。ちょっとあげれば もっともっと だもの。あげないのが良いのデスヨ、そういう輩には。しかし 信じている親御さんは 気の毒ダヨ。嘘であって欲しいね、こういう情報。無事に解決すると良いですけれどネェ。アネマジロ的には 自衛隊はそのままで頑張って欲しいデス。国際貢献をしないとネェ。日本だけ手を汚さないと言われても仕方ないモノネ。ただ 供給した水などが 有料にされてるのを聞くと 末端まで責任持ってヨ と思います。日の丸つけた給水車を見れば 日本が金とってると思われても仕方ないモンネ。それよりも イラク国民が 早く立ち直って欲しい!!他力本願の気持ちが強すぎるよ。強い権力者に支配され続けることに慣れてしまったからかナァ。頭が少なくて 手足の国民が多すぎる。貧困のなせる技か・・・内からの力が一番強いのにネ。そんな中で 自衛隊の駐屯地に土地を提供した人間。強欲だよネェ。どう考えたって高すぎ。しかも こっちから後進部隊が出ちゃっても交渉成立してなかったし。足元見られてる。交渉して駄目なら行かないってことに しとけば良かったのに。どういう計画の立て方してるんデショウネ??あれは 国の計画としては 理解に苦しみマシタ。合理的な方法で地代の計算をして 税金を国から取り戻したい気分デスネ。
April 8, 2004
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こだわり派アネマジロは 過ごし方というもので 気分が大きく変化シテシマイマス。昨日 気が利かん奴! とつまらん事で腹を立てたおかげで 夢を見ては怒鳴り散らしていた模様。まったく単純でアリマス。さて 本日4/10には 先日の予約を取った場所に出かけて行き・・・その後 久しぶりに 元勤務先の近くにあった喫茶店へ立ち寄りました。クラシックが流れ、シックな店内は とても落ち着きマス。ロイヤル・コペンハーゲンのイヤー・プレートが並び、こだわりのカップを使って・・・「こんにちは~~」と入って行き マスターとお話する。日テレが移動してしまってからは 人も減ったそうで 店内は他に一人しかいなくて。ついつい いろいろな話に花が咲き、昼過ぎに入ったのに 結局5時ごろまでいてシマイマシタ。マスターの家族の話やら お店の常連さんとは 海外の話など。トイレは文化だよね~~ なんて息投合しちゃったり。その中で 時間の話。時間の長さの感じ方は人によって違う。マスターは 奥さんと待ち合わせしても 奥さんが時間に来たためしがない。何で約束の時間を守れないのか としょっちゅう喧嘩をするのだソウナ。でも その理由は奥さんに伝えない。奥さんも聞かない。冷戦のまま 始まり、いつのまにか終わるのだとか。それも不思議だけれど それでうまくいってるのか と。よくよく聞くと 奥さんは都市部の出ではないラシク。きっと時間にせかせかするような育ち方をしなかったのデショウ。アネマジロは 生まれた時から 今の土地に住んでマス。ここがまた 東京に近い。物心ついて 電車に乗るようになってから 3分もすれば電車が来マス。電車とは そういうものだ となんとなく思ってマシタ。ところが・・・仕事をするようになると その利用する電車は 20分に1本。しかも単線がアッタノデス。すっごい不便!当時はそれを待つのも嫌だなぁと思ったモノ。しかし、その勤務先は県内のあらゆる地域との人とも交流がもてる職場でもアリマシタ。千葉の最南端、安房方面の人の話では 電車1時間に1本、バスは1日に3本。へ~~~~アネマジロは自分の時間のものさしの短さに 驚いてしまったモノデス。海外に出かけるようにナリマシタ。飛行機2時間遅れ・・・よくある話。ギリシアで島に渡ろうと調べてみると船は1週間に1本。しかも決まったところからしか出マセン。国内線飛行機。これもどの島にも全部行きたいと思えば 一度アテネに戻らなきゃ。それも1日に1本くらいあればいい方。何週間も行くわけではないから 決まったコースだけで諦めマシタ。ギリシア人はアバウトデス。国際線も整備が「え~~!!」なんてとこがあるし、運転は荒いし・・・戻ってから聞いた話では 飛行機が無事につくと「ブラボー!」なんて拍手がおこったりすることもあるとか。昔の話とは思うけれど。日本に向けて飛ぶときなんかは コールしても来やしないノデス。何かしてもらいたかったら 自分で頼みにいかなキャナラナイ。合理的なんだか ずるいんだか・・・とある国では オーバーブッキングして 搭乗できない乗客がいたとか。その乗客達に「ノープロブレム。次のに乗ればいいから」次の飛行機は一週間後だった なんて話も聞いたり。ほんと 時間の感覚っていろいろ。自分の物差しで腹を立ててたらきりがないデス。そんな所、そんな相手と付き合わなきゃいけないときは 多少余裕を持ってないと大変なことにナリマスネ。これが仕事となると 必死に自分を死守しなきゃいけないのだろうけれど。何度も何度も確認する作業が必要。駄目なときは ごり押ししてでも入りこむ強さがいるのデショウナ。幸いなことに 今のところ そういう目には会っていないけれど。そんな話をしていたら もう一つ目的にしていた 山本敏晴氏の写真展に行けなくなりそう。重い腰をあげて そちらに向かイマス。マスター 皆さん 楽しいお話をアリガトウ♪目的地についてみると・・・幸いなことに 山本氏とお会いする事ができマシタ。詳しくは 10日の日記で。そんな訳で ご機嫌な一日デシタ。
April 7, 2004
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ちょっと所要で 以前勤めていた事務所に電話をシタノデスヨ。バリバリに働いていた アネマジロとピンク・レディーを踊っていた彼女は とらばーゆしたらしい。残って頑張っている人は・・・正直 だいじょぶかぁ??と思う人が彼女のポジションについたらしい。そして ちょっと知っている子も 新しくいるらしいけれど・・・実は その子に用事があって電話シタノデス。言葉は丁寧なんですけどね。某所に 時間を予約していかなければならなかったのですが 以下はその時の会話デス。アネマジロ 「何時に伺えば よろしいですか?」相手 「11:30から1:00まで のいつでもよろしいですよ」アネマジロ 「では 1:00にお願い致します」相手 「あの 1:00までなんです」アネマジロ 「・・・・ では 何時に伺えば」相手 「ですから 11:30から1:00までが こちらの都合の良い時間なんです」アネマジロ 「・・・・それでは 11:30にお願いします・・・」相手 「11:30で 大丈夫ですか?」アネマジロ 「・・・・大丈夫です」相手 「では 11:30でお待ちしております」と こんなわけなのですが、皆さん どう感じられます?「・・・・」は アネマジロが呆れて絶句してしまった部分デスガ。ポイントは コウデス。○ 何時に伺えばいいかって聞いているんだから 1:00までって行ったら その時間までに来いって意味だろうが!○ 相手が1:00に行きたいって言ってるんだから その次に では何時に と言ったら その時間に近い時間で逆算して答えるのが普通だろが!○ こっちが言った時間に対して 大丈夫ですか?とは何だ???そう思うなら 一番最後の可能な時間を先に言え!まったく気の利かない応対デス。いちいち言葉を細かく言わなければわからないのでしょうか?これが若い子なら(いや 仕事ですから それもいけませんが)まだわかりますが、もう30過ぎナンデスネェ。困ったもんです。しかも アポイント取る部署にいる。本当に大丈夫なんだろうか?心配になってしまいます。まあ 彼女、日本生まれでは あるのですが 在日の中国人の方ナンデスケレドネ。中国系の企業にいたという方とお話をする機会を得たのですが、自分中心で話をする方が多いとか。彼女もそういう傾向があるということなのかなぁ などとも考えてみたのですが、それにしても 若い方でも こういった対応をする方がありますよね。銀行でさえもそうですから 社員教育がなっていないのか 質が悪すぎるのか・・・中国経済が日本に並んだ というニュースが流れましたネ。韓国人の子の話だと 韓国では TOEIC600は無いと就職ができないそうです。今の日本人、どうでしょう?勉強もまともにせず、ふらふら夜遊びをする若者の多いこと。このままだと 確実に中国、韓国に追い越されますね。というより 今の状態を維持できるとは思えない。日本没落の日は近い と思ってシマイマス。気がつけ 若者!自分を磨け 大人達!!良いお手本がなきゃ 良い人間は育たないヨ!アネマジロもガンバリマス・・・
April 6, 2004
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いや~~ 全国的に放映されてましたぁ。本日8日なんですが、殺人事件発覚デスゥ。いつも甥っ子達と遊びに行く 江戸川沿いの菖蒲園からの中継でした。川の真中で スーツケースが発見されて それに女性が入っていたとか。大きさは レンタルなんかでいう 大 らしいのだけれど 身長は私と同じ163cmの人ナンダヨネェ。良く入りますネェ・・・あの隣で はぜ釣りやったのに~~ 気分悪いデスゥ。人を殺害するのも良くないですが 不法投棄もイケマセンヨォ。まったく何考えてるんでしょうか。あちこちで遺体発見のニュースが毎日流れていますけれど 犯罪が多くなりましたネェ。大人もさる事ながら 子供の虐待もひどすぎます。自分の子供にどうしてあんなこと できるんでしょうか???どうしたら減らせるノデショウネェ。遺体の発見は 私が小学生の頃、同級生がやっぱり江戸川で発見しちゃいましたねぇ。暫くご飯は食べられないし 寝られなかったって言ってましたっけ。もう白骨化した遺体だったらしいです。そりゃ ショックですよ。よくよく場所を聞いて 行かないようにしてたんですけれど どうやら その前に 犬を連れて 良く水浴びさせてたとこに近かったみたい。怖いデスネェ。亡くなった方の ご冥福をお祈り致しましょう。以前 住んでいた家の すぐ近くのアパートからは 毎日のように ドッカンドッカン 投げ飛ばして壁にぶつけているのか 音がして、それから「おか~さん ごめんなさい ごめんなさい」っておお泣きして謝る男の子の声が聞こえていました。「うるせーんだよ! ばかやろー!!」って母親らしき怒鳴り声。あまりに毎日だから 聞くのが辛くて 言いに行こうかと思ったのですが 母に止められて。民生員の方も出入りしていて 警察の方も何度も来ていたとか。でも やられてるのは今なのに・・・その頃は まだ今ほど虐待が騒がれておらず、アネマジロも 本気で殺すほどまでの人がいるなんて信じておりませんでしたので 母の言うなりになって行動していませんでした。そのアパートが建て替えられる事になったらしく、親子はいつのまにか引っ越していたのですが、そうなると気になって仕方がない。どこに行ったのだろう、元気で無事にいるのだろうか・・・アネマジロにもっと力があったなら なんとかしてあげられたかもしれないのに。大体は 母がブレーキをカケテシマイマス。無視して 助けに行けばよかったなぁ・・・後悔先に立たずデスネ。彼の無事を ただ 祈るバカリデス。今度 そんな事があったなら 絶対に保護してあげるのだ!!
April 5, 2004
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哲0701さんから質問を頂きました。映画に求める内容と表現とは?アネマジロは 映画好きではありますが 多くの映画を見ているわけではないので かなり偏った答えになってしまいます。哲0701さんのように詳しい方には 不満な答えとなってしまいますか あくまでもアネマジロ的ということで。正直 これで書ききっているとは思えないのですが、思い出したことを書いてみます。まず 映画では テレビなどで表現できない内容のものを期待します。映像、音等 効果の幅は大きく広がりますから。そして内容は ドキュメンタリーなどもその可能性を駆使すれば より事実に近づくはず。ただ リアリティーを追求するということでなく、画面が大きい分 表情も細かに映し出され、心理描写も複雑にできる。もっと奥行き、厚みのある作品にできるかと思うのです。クィールをその視点だけから考えた場合、演技も効果も必要なく再現可能。映画にまでする必要はないのでは?と思いました。また 現実にない世界も作り出せるのも映像を作るうえでは重要ですね。心に残っているというと、昔で言えば ベン・ハー。以前名前を教えて頂いた いつかみた青い空。(これは記憶が曖昧ですが 印象に残るという意味で作りが良かったのではないかと)。モノクロ、無声、トーキーなどは それなりに表現豊かだと思います。最近のCGの効果では ジュラシック・パーク、モンスターズ・インク(スピード感、奥行き、モンスターの毛の様子などが素晴らしい出来)アポロ13、グリーン・マイル、フォレスト・ガンプなど トム・ハンクス出演の映画は 彼の演技というより、周囲の方の素晴らしさ、設定や展開(これは13以外)、音楽・効果音の使い方等 引き付けられるものがありました。話題になる映画しか出ないというハンクスならではかもしれませんが。アマデウスも音楽ありきの映画ですが、構成があきさせない。ビバリー・ヒルズ・コップはロック、ポップス好きの私には いい所で音楽が音響たっぷりに流れる。エディー・マフィーは下品で嫌う方もいますが、彼の映画は早口英語がなかなか面白いのと 使われる台詞のアメリカ的なのがいいかと。大逆転には ダン・エイクロイドが関わってますし、ナッティ・プロフェッサーにはジェリー・ルイスが関わり ただのお笑いではない面白さがありますネ。ロード・オブ・ザ・リングの感想は前に書いた通り。ただ原作に忠実にというだけで スケールの大きさと噂されるものは私には感じられません。原作の面白さだけではなかったかと。ひとりひとりの役者さんは かなり頑張っていたかとは思いますが。
April 4, 2004
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アネマジロの悲しいお話の ベスト10入りすると思われるお話を。平成8年のコトデス。アネマジロは結婚しておりましたが、年齢的にも お子様が欲しいと思っておりました。当時の旦那さんは いろいろと問題を抱えており、ちょっと子供は難しいカナァと思っていたところに それらしい兆候が。最初は 生まれて始めて 母とバス旅行に参加した時です。バスに酔ったと思っておりました。肩が張るし 頭は重いし、気分も悪い。口がさっぱりするように と 立ち寄った所で生姜の砂糖漬けを購入。それを頬張りながら、昼食の時には 母のものも含めて みかんやら はじかみやらをパクついて。母が「あんた おかしいわよ」というのですが 「平気 平気」と言っていたのです。あらら と思ったときに アネマジロが取った行動は とりあえず ジャーをあけて ご飯の匂いを嗅いでみる。なんともありませんでした。食欲もおちない。きっとこれは 低血圧なんだろう なんて思ってタノデス。ところが・・・やはり 考えてみるにおかしいとおもいながらとある日に 右下腹が痛み出しました。盲腸か、それとも・・・アネマジロてきには それとも の方が可能性高しと思っていました。夜間救急診療で診療してもらいましたが 内科の先生。明日 産婦人科を受診して とのこと。翌日 近所の産婦人科へ。ビンゴ!赤ちゃんがいるとの反応が。しかし この痛みはやばい・・・案の定 またまた近所の大学病院に行くことに。痛み自体は しくしくだったので アネマジロは翌日何も考えず自転車でその病院へ出かけました。検査の途端、「すぐ入院して頂きます。もう帰っちゃだめ!」子宮外妊娠は 破裂したり、出血すると多量なため、救急車も間に合わないそうです。え~~。だって 生物片付けてないし・・・先生にお願いしてなんとか 戻してもらいました。その頃 お互いの両親が近くにおり、私の母は 片付けのために駆け付けてくれました。主人にも連絡してありましたが 戻ってくるなりとった彼の行動は、母に挨拶することもなく まっすぐに本棚の前へ。何をしているのかと思ったら 保険証書の確認。彼の頭の中は 受け取る保険金のことしかなかったようです。私の身体も子供のことも なんとも思ってないらしい。母と顔を見合わせましたが そんなことかまってる時間はない。無視して作業を終わらせると 即入院でした。病名 「子宮外妊娠の疑い」気づくのが早かったため、まだ子供の入るはずの袋が見えないとのこと。やはり子宮にはありませんでした。数週間後、まずは 子宮内の手術。これ堕胎手術と同じデスネ。それでも 胎盤も何もなく、ホルモンの値は上がる一方。これはやはり 卵管にいるのだろうという事になり、手術することになりました。アネマジロはお酒が苦手。そんなワケで 麻酔が効きすぎるくらいの体質のようです。咳も出るので 最初の手術も全身麻酔でした。この時もゲーゲー。次の時は あまりひどいようなら翌日は眠らせて下さいとお願いしておきました。手術当日。手術室には エンヤのオリノコ・フロウが流れてましたネェ。細い手術用のベッドにうつされ、腰に注射を。痛いと聞いてましたが これはそんなに痛くない。ところが・・・「もれてる??」ま いいや なんて黙ってましたら その後 冷たい綿をあてられ、「わかりますか?」とやられて。全部に「わかります」としっかと答えてました。その注射した先生 研修中の先生だったのデスネェ。その後 全身麻酔用の笑気ガスを吸わされるのですが 普通2くらい数えたら意識がなくなるらしいですが アネマジロはなかなか眠らない。二回目に先生が数えだして5くらいで 記憶が無くなりました。「この音楽 切るんだろうか?」などと考えながら。手術終了。手術台の上で 名前を呼ばれておこされます。「いてぇ・・・切られてる・・・」最初は 腹腔鏡手術で小さい穴になるかもといわれてましたが これは 練習用に切られたんだ。そう思いましたネェ。しっかり お臍にまで傷つくられて・・・切るならそのまま切れっつーの!お腹を縦に切ると これは 腹筋がつかえませんからネェ。ベッドから置きあがる事もできません。どこが使われてる筋肉か なんて よく判りましたネェ。一週間して その傷を止めていたクリップが取れましたが 傷がどんどんのびていく・・・ケロイドになってしまいました。なんでも それを防ぐテープがあるらしいですが、そういう知識はそのころもっていなかったので。このケロイドは 後に 虎ノ門病院で治すこととなりましたが。結局 我が子とは かけらすらも会うことはできませんでした。主人は取り除かれてしまった肉片と会ったでしょうが、そういう感覚の無い人間でしたから 気持ち悪いとしか思わなかったでしょう。かわいそうな子です。6週目のできごとでした。目も口も手も足もできていたはず。もう少し泳ぎきれば 生まれてくることができたのに。今の医療では 一度着床したものを 子宮に戻すという事はできないとか。ごめんね と 手を合わせ、母と出かけた先で 水子供養をして頂きました。私が退院する間際に 入られた方は 不妊治療ののち 妊娠したお子さんが子宮外妊娠だとか。声がかけられませんでした。ずっと泣いておられました。それはソウデスヨネ。お金ばっかり気にしていたバカ夫は 退院してきて ふらふらしている私に 印鑑証明を取って来てといいました。何に使うのか言いやしない。そして 保険の受領書に実印を押せと。病気入院などの保険金は かけている本人ではなく 入院した人間の口座に入るものらしい。それを自分の口座に入れようと必死ダッタノデスネ。結局 何に使うのかも 書類も私に見せないまま進めていた彼。4月に入ったその保険の執行が6月1日からでした。私が入院したのは 5月31日。彼の隠れた必死の行動も空しく、保険金は貰えませんでした。いってくれりゃーなんとかなったかもしれないのにネェ。そこで 彼の一言。「はぁ~ 掛け損かぁ」最低デスナ。別れて良かったと今では 本当に思います。。。。低血圧か船酔いかというような状況、あれがアネマジロ的つわりだったのですネェ。ほんの二ヶ月弱 母という状態を味わいましたが あれよあれよと過ぎてしまい。帝王切開だったら同じような痛みデスネ。子宮切ってませんから もっと痛いのでしょうけれど。そんなワケで 母らしい過程だけは経験することとなりましたが。子供が大好きなアネマジロですが、もうそろそろ生物的に無理な状態に。残り時間はほとんどアリマセンネェ。生まれてくる子供達。虐待されて 辛い思いをしている子たちも多いようです。最近は 社会が病んでマスヨネ。かわいい宝、大切に育てて欲しい そう願わずにはいられません。
April 3, 2004
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これまた 犬続きでスミマセン。前述のパピーが死んでから 我が家には ペットロス症候群が全員に襲い掛かりました。とにかく 人間のような犬でしたから その穴は大きい。私はというと 交通事故で我が子を亡くした方と同じだと思われるくらいの落ち込みデシタ。悲しみが消えることなど無い。そう思いました。それはそれで受け止めて行こうと。今のままでは 真っ暗デス。パピーの子孫を探しましたが これはもう彼女が生まれて何年も経っていますから お母さんまではたどり着けたのですが、その彼女、パピー達を出産後、皮膚病を患ったとかで 他の方の手に渡り、消息不明になっていました。姉妹の中にでもいませんかとお願いしたのですが やはりわからず。もう少し早い時期だったらわかったと思うのですけれどね。そこで ふらふらと探し回りました。当時雅子様のショコラちゃん人気で ヨークシャーテリアは大人気。こんな言い方は嫌なのですが 品薄の状態。予約して待つと これは どんなワンコが来るかわかりません。パピーの時は 3時間様子を見て決めました。彼女が不思議だったのは 指を目の前で動かしても指は追わない。じっと私の目を見ていた事です。生後二ヶ月20cmも無い時にデス。彼女を連れかえる時は ダッコして車に乗っていましたが、突然待って待ってと前足で教えます。入れられてきた箱に戻すとウン○。なんとすごい犬だったことか。そんな中 ピッピを発見しました。他の犬がはしゃぎまわっている中 堂々とお腹を見せて寝てイマス。この性格はいったい・・・顔もちょっと長くて変わってるし・・・どうしよう などと考えましたが もう飼う気になってまして。勝手に購入すると返して来いと言われると困ります。そこで母に電話を。不思議なことは この時おこりました。まずは外の公衆電話。相手の声がきこえども こちらの声が届かない。2度かけてだめでした。故障か・・・となりの電話からかけても 同じでした。ん~~~ パピーが嫌がってイルノカナァ。。。それでも 我が家の暗い状況を思うとネェ。今度はお店の電話でトライ。ここでも 一度は同じ。2度目でやっと母と会話ができました。母も パピーが嫌がってるんじゃないの?という意見でしたが それは人間の勝手さで パピー、ごめんね と手を合わせ、ピッピとともに家に帰りました。その後については ピッピ殿武勇伝 等でご紹介しおります。その他 不思議シリーズは こちらです。
April 2, 2004
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アネマジロの不思議な力について書いています。最初から読まれる方は ⇒ 不思議シリーズの一覧は ⇒ こちらこれは アネマジロの力というより 不思議な出来事 ということになるでしょうか?今のワンコ ピッピが来る前に アネマジロの家には ヨーキーのパピーがおりました。頭の良い犬で 人の感情を読み取る事ができる。風情を楽しむようなところもある 犬らしくない犬デシタ。そのパピーの大好物は 和三盆という 甘い御菓子。そして、骨にジャーキーがついた犬用のスナック。彼女は このスナックを両手でしっかりはさんで持って食べていたのデス。本当に好きで 買い物に行くと もうルンルンの様子で 車に戻るとすぐ頂戴と始まるくらいでした。ある時 それが安売りとなっていて、早速 車に同乗して出かけました。私が買って戻り 「ほらー」と2袋を見せると・・・いつもとは 違った面持ちで 悲しそうな顔をしてじっと私を見ます。目もショボンとしてどうしたのかという感じ。「こんなに食べられないよ?」とでも言っているようでした。そんなはずないのに・・・思わず心配になって 抱きしめてしまいました。彼女が亡くなる一ヶ月前の出来事デス。彼女の誕生日は私の一日前。その日、私は残業で少し遅くなってしまいました。新聞を読んでいると横から いつもと違うアプローチ。いつもなら チョンチョンとつつく 遠慮がちな誘いですが 横にべったり貼りついて「遊んで~~~」という感じ。ひとしきり遊んだ後、いつもだったら 布団を敷くのを待ってから眠るのですが、勝手に自分がベット゛にしている枕に横になってグーグー眠り出してシマイマシタ。「具合が悪いのかねぇ」母とそう話ましたが 寝かせておこうという事で そのまま寝かせることに。翌朝です。私の目の前に観音様らしき姿が浮かびました。「あれ???なんで???」びっくりして 目をあけると 顔にカーテンがかかり、外の光が当たっていました。でもそんなもの 見えるわけないし・・・不思議に思いながらも その日 会社の方のお嬢さんに洋服をあげようとアイロンをかけていました。下で 母がパピーに話し掛けているのが聞こえています。「お外 一人でいっちゃ駄目よ」と声をかけようかと思って やめてしまいました。しばらくして 母の 「パピーがいない!」朝は 庭に出て遊んでいるのです。そこへ 戻ってきた父が 門を閉めずに入ってしまったらしい。どうやらそこから 外出してしまったようです。いつもは 外で植木をいじっているお隣の方もいなかった。悪い条件は整っていました。あわてて パジャマのまま 飛び出しました。名前を声に出し 呼びながら・・・目の前を 見るからに形相を変えた人の車が猛スピードで通りすぎ、その後ろには あおっている車が。「えっ」あわてて道路に出ました。ボロキレ?その瞬間は 何の音もしなし 静かな一瞬。耳が 背中が・・・あれ あれ???信じられない想いで近づくと 白目になって倒れているパピーがいました。あわてて 胸に手をあてると 心臓が止まっている・・・いろいろな事が頭をよぎりましたが、そのまま逝かせることにしました。そっと頭をなでると 白目は いつものパピーの目に戻りました。抱き上げて暫くすると ほっとしたのか おしっこが・・・最後の瞬間には間に合ったようでした。何処にも怪我はありません。多分ショックか かすったくらいだったのか。名前を呼んでしまったから 道路を渡って また戻ってきてしまったのかも。いつも車を確認してから渡るように教えていたのに・・・子供でも 反対側にいる時は 名前を呼んではいけないといいます。きっと同じ事がおきたのでしょう。もっと 不思議だったのは その家に移ってから 最初に行った散歩で クンクンとずーっと臭いを嗅いでいたちょっとしたアスファルトのくぼみ。その時に何でここだけこんなに気にするのだろうと思っていた場所だったのですが、その真上に倒れていたことです。彼女が亡くなったのは 平成6年の私の誕生日。私が生まれた時間に極めて近い時間でした。飼い主の誕生日に 亡くなる犬は 本当に忠実で 守ってくれる犬だとイイマスネ。その後 お葬式をすませ、今 パピーのお骨は 仏壇の脇で 別の小さい仏壇に入っています。そして ピッピがやって来ることとなります。続きは ⇒ こちら
April 1, 2004
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