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自分の体の半分はすきやの牛皿200g定食で出来ていた時期もあったので、すきやから牛丼がしばらく消える前に食べておこうと思った次第です。どれくらい、好きかといえば、就職活動のとき、すきやの面接を受けて、「好きな食べ物は何ですか?」という質問をされて、「牛皿200セットです!」と言い放って面接に落ちたトラウマがあるくらい好きです。質問にどういう意図があるのか、っていう裏を読めないところは当然のこととして、質問に素直に答えていればまだしも、ヘタに媚びてしまっているあたりが主体性の無さを感じさせて最悪です。そりゃおちるよな。ホント若かった。飲食業に携わるものとしての「食べ物」に対する価値観とか信念みたいな物をPRすることで、意気込みや心のそこから「食べ物を提供すること」を仕事にしたいという意思表示が出来ればよかったんだと思います。でも、そこまでとっさに考えめぐらせられないし。そういう反省すら当時は出来ていなくって、面接にもおちまくったわけです。イタい思い出だぁ。今もそうなんですけど、全然自意識が切り離せていないので、客観的に自分を見て、売れる部分と売れない部分とか、判断して面接臨んだり出来なかった。きっと今もそんな感じなんだろうね。もう少し自分って言う人間について知ることで、生きる道を探って生きたいと思うわけで、日記を書いているんですけど、それも自意識のカベに阻まれて、書くことがどんどん薄まってしまう。出来る限り、あんまりこれまで他人に見せて来なかった、心の深い部分でのことを包み隠さず書いていくことで、客観視できるようになればと思うようになりました。最初はサービス精神で読む人に面白いと思ってもらえるものを書く気でいたんだけどな。
2004.01.31
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久しぶりに友人と酒を。生3、4杯と日本酒1合とレモンサワー一杯だけで、記憶が飛んだよ。ありえへん。レモンサワーがほとんど原液だった説を唱えておくことで、自分は酒に強いはずという思い込みを正当化してみる。そんなことが書きたかったわけではなくて、久しぶりに友人と話して思ったこととしてはですね、「自分これでええんか」っていうところなんですよね。人間の成長ってどうしても環境に依存してしまうところがやっぱり大きいと思うわけで、大学時代はアメリカに留学して、これからは厳しいコンサル(?)の世界で生きていく友人と、受験は小論文一本勝負で大して勉強せずに現役で大学受かって、大学入っても寝てばかり、その後入った会社もぬるま湯な私。うーん。毎日ラクだし、今に環境になんら不満は無いし、これまでもまぁまぁ楽しかったし、自分の人生を否定する部分も特に無くて、なんら悪いことは無いんだけど、あんまし成長はしないんだろうと思うわけです。何になりたい!!何をやりたい!!っていうのが、自分の中で明確にないので、悪くない現状を捨てる、というリスクを取ってまで、どっかに向かって走る、ってことが出来ない。たしかに悪くは無いんだけど、ここが自分が自分らしく生きる場所だとも思えない。なんだかもやもやしたものを持ったまま、毎日をすごしており、就職してもモラトリアム。そんなマジメな悩みを書いてどうするんだって感じですけど、自分の日記だしね。
2004.01.30
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微妙なニュアンス伝わるかな。隣の部署の仲良し同期の田中君と自分の下について仕事を教えている新人がどうやらコソコソとギャルと飲みにいく約束をしている模様だったんですけど、なぜか私は誘ってもらえずなんだかなーと思っていたんですけど、誘われないのは寂しいけど別にまぁいいやと思いつつ、今日もガッツリ残業を申請したわけですよ。仕事が恋人。そしたら、自分の正面に座っていつも一緒に仕事をしている派遣さんが、5時に帰ったあと、すぐ戻ってきて、「今から田中君たちと飲みにいくんだけど、一緒に来る?」って誘うわけですよ。あれ??なんか、一本の糸でつながったんですけど、まず、「田中君、飲む相手ギャルじゃないじゃん。」って言うのはいいんですけど、なんか、すげー自分に近い身の回りの人たちで飲む約束をしているのに、これまで軽く秘密にされ、全然誘われなかった上に、直前になって「やっぱり形だけでも誘っとかないとまずいんじゃないか」的な保険要素で、とりあえず声をかけてみた、という状況にしか受け取れない私の心は歪んでますか。歪んでるんですけど、最初から誘われて無い身としてはいまさら「行く!」とも言えないし、残業も申請してしまったし、で、断ったんですけど。なんすかね。この、自分が必要とされていない感。っていうの?避けられている感?俺って嫌われてるんじゃないかとか、話がつまらないから誘われないのか、とか、絡みにくいからか、とか、最近新人にも冷たく当たってるのを根にもたれているのか、俺なんかいないほうがみんな楽しいんだ、そうだそうに違いない、死のう。っていう感じなネガティブ思想が心の中を渦巻いて残業がはかどらないわけですよ。その上、何にも知らなきゃ知らないでよかったんですけど、派遣さんに中途半端に気を遣われて、事実の全貌を知ってしまった段階で、普段仲良くしている、いや、一方的に仲良しだと思い込んでいた田中君に今日ひとことも突っ込みをいれずに、この状況のまま放置してしまうと一応、とりあえず私も誘ったことは派遣さんから田中君に飲みの最中にフィードバックされるわけですから、こんだけ身内で飲むのに誘ってなかったことを知ってしまって多少なりとも私がブルーになることは予測されるわけで、明日から、またギクシャクするなぁとそれはそれでなんだかイヤだなーと思うわけですよ。だから、まだ田中氏が会社にいて飲みに向けて残務を片付けている段階で一言声をかけて、このことに触れておく必要性があるわけですよ。その時にだ。田中君になんて声をかけたらいいんですか。自尊心の塊で自意識過剰な私は。「身内で飲むのに、何で誘ってくれなかったんだよ(切実涙声)!俺を誘わない理由を正直に教えてください。何でも直しますから。これからは体張って面白いことやりますから。」っていうのが、心の声なんですけれども、そんなこと言えね。かといって、「みんなで飲むんだー楽しそうだね」っていうのはさ、そういうことを言われた方もさ、どうすんだろな。俺もさ、空気読めるっていうかさ、読めすぎて動けないくらいのビビリだしさ、その上、下手にプライド高くて自意識過剰だしさ、こんだけ身内で飲むのに誘われていないと言う事実だけでさ、いまさら「おまえも来る?」なんて言われて、「いく!!」なんて、言いませんよ。いえませんよ。みんなで楽しんできてくださいよ。俺抜きだとさぞ楽しいことでしょうよ。っていうすごいソネた気持ちになるわけですけど、逆の立場で考えると成り行き上なんとなく決まって、なんとなく誘わなかった事なんて学生時代などを考えれば、しょっちゅうあるわけで、あえて呼ばれるほど必要とはされていないけど、嫌われているとか、仲間はずれにされているってところまでエスカレートすると被害妄想であるケースが多い。でもさ、非常にデリケートな話だよねこういうのって。要は、何がいいたいかというと、いつもリアクション悪いけど、とりあえず形だけでも何でも誘ってくださいそれだけでだいぶ救われるさ俺は。
2004.01.29
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ヒモに貢がされている不幸な女性のごとく、呼び出されるままホイホイ行ってしまうんですが、あれは絶対にダマされている気がするんですよね。車のディーラーに、なんですけど。定期点検だなんだと、電話がかかってきて、休日に行って見てもらうと、機械油で黒い手をしたエンジニアに「~を交換したほうがイイですね。」なんていわれるわけですよ。こっちは、素人な上ビビリですから、「じゃあお願いします」なんていって、いろいろ交換してもらうんですけど、最後に結構な額になってんのな。エンジンオイルとか何とかエレメントとかってそんなに交換する必要はあるんでしょうか。そういう話がしたかったんじゃなくて、ここからが本題なんですけども、まぁ、そんなこんなで点検してもらって、家に向かって車を走らせていたら、なんだか、いつもは光ってないはずのメーターの横にあるアラジンの魔法のランプがついてるんですよ。魔人が出てきても困るのでダッシューボードから説明書を出して意味を調べたら、それは「エンジンオイルが足りませんランプ」だと。それ今かえたところだし。まぁ、エンジンオイルを換えてすぐは落ち着きがなくて、オイルがよくなじむまで、しばらくランプがついてしまう事象があるかもしれないので、ディーラーに電話で聞いたんですけど、そんな事象は無く、もう一度クルマを見せて欲しいと。これって、ディーラーのミスでしょう。わざわざ点検に行ってボラれている上に、ミスまでされているわけですから、一応、日頃サービス業の端くれとして飯を食わせていただいておる立場からしても、相手から不手際に対する何らかの見返りをもらって当然だと思うわけですよ。ここは、もう金は払ってしまっているので、タダにしろとは言わないまでも、最低でも次回の点検を割引させるぐらいの結果は引き出そうと覚悟を決めてディーラーへと引き返したわけですよ。戻りました。さっき点検を待っていた席と同じところに座って、出されたお茶をおとなしく飲んでおりました。そしたらさ、車買った時の担当の営業マンが出てくるわけですよ。普通、営業マンは車売ってナンボの人ですから、基本的に点検に来る人の相手はサービス担当のエンジニアがするわけで、さっきの点検のときも一応挨拶はしましたが、あとはひたすら座って待つのみだったんですけど、今回は前に営業マンが座ってさりげなくトークしてくるんですよ。それが秀逸でさ。さりげない日常会話からはじまったのに、最終的には下ネタトークみたいな感じになってて、付き合うなら年上の女性がいいけど、結婚するなら年下がいいとか、でも結局自分は年上と結婚した、とか、どうでもいい話で盛り上げてくるわけですよ。・・・要約したら本当にどうでもいい感じな上、それで盛り上がるおまえもどうなんだ的な雰囲気がしますけど、実際は「大爆笑の連続」だったのよ。そんなこんなですっかり、楽しい気持ちになってしまい、相手の不手際を攻めて割引を勝ち取ろうとか、そういうイヤらしいことは別にいいやくらいの感じになって、さわやかに帰りました。原因はそのランプの線の接触不良みたいな話で、明らかにエンジニアのちいさなミスだったんですけどね。なんていうのかな、営業マンのトーク力って恐るべしだなというか。今回、戻った時にコミュニケーション能力のないエンジニアに応対されていたら、おそらく当初の目標だった次回の点検割引ぐらいは勝ち取っていたと思うんですよ。まぁ割引が3000円くらいだとしたら、営業マンの10分のトークで3000円の割引を無しにしているわけですから、そのトーク力にまるまる10分で3000円の価値があることになるわけですよね。すげー。自分なんかの仕事は電話での応対しかしないので、ひたすら謝るとか、そういうまっすぐその問題を見つめたトークで何とかするしかないんですけど、そのトラブルとは全然関係ないところから出てきて、全然関係ない雑談をして、相手をいい気分にさせて、ミスに対する補填をしないで済んでしまうというのは、ものすごくカッコイイ。自分が知らなかった新しい方向性だなと。まぁ、そのミスの大きさとのケースバイケースですけど、自分なんかは、問題があったら、その解答をまっすぐ解決に行く、という「タスク志向」の傾向が強いんですけど、この営業マンのような、人間的なサービスで周辺を攻める「ヒューマン志向」の問題解決ってこんなにも効果があるんだなとそういうことを気づいた一日でした。
2004.01.18
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床屋に行く。行き着けの床屋は切る人が3人いる。自分で勝手に名前をつけて心の中でよんでいる。どうでもいいけど、一応紹介しておきます。①池チン 高校のクラスメイトの池チンにどこと無く似ている。 腕は一番よく、この人になると当たり。②吉田君 なんとなく、吉田君って感じ。年の割りに見た目子供。 腕は中間ぐらい。普通。③天野君 メガネデブ。 世の中のメガネデブは全員天野君って呼ばれている気がする。 腕はひどい。口もくさい。ハズレ。そして、今日も天野君だった。3回連続天野君。以前天野君だったときは、あまりにひどいので色々口出ししたんだけど、最近はもう短くなればいいや、って感じであきらめてます。そんで、天野君はどうしても俺をかの有名なドン=キング氏と同じ髪型にしようとしているらしく、本当にげんなりして、髪を切り終わったらどこにも寄らず逃げる様に帰ってます。絶対、前にモメたことを根に持ってる。ドン=キング氏を知らない人が多いようなので、写真はっときます。 ドン=キング氏
2004.01.17
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東京で働く大学時代のサークル仲間3人で恵比寿で飲んだんですけど、3人とも合コンをやったこと無いと。24歳サラリーマンが3人集まって、誰も合コンをやったこと無いって。同期とかが、合コンの話題とか当たり前のように振ってきた時も、なんとなく相槌を打ちつつ、心の中は自分だけ合コンに出たことないという敗北感でいっぱいなところも分かり合え。何すか、合コンって。●やっぱり自己紹介に手品とか交えてウケを取るもんだ。至った結論はそこになり、「親指が離れる」という手品(あれです。)を一生懸命練習しました。恵比寿の居酒屋で男3人の親指がくっついたり離れたり。こんな男たちと合コンをしてくれる20代女性を募集しています。ちなみに3人とも人見知りで、初対面の人とあまりうまくしゃべれません。
2004.01.16
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Eメールでクレーム客とやり取りしていて、最終的にハートをがっちりつかみ、お礼のメールを書いてきてくれた客がいたですよ。履歴も形で残っていることですし、サラリーマンとして正当に評価されるためにも、その返信のCCに課長をいれといたですよ。ちょっと自分ヤラしいなと思いつつ。課長はがんばってるなと軽くホメたメールを返してくれれば、自分としてはもうそれは大満足だったんですけど、課長気が効き過ぎてんのか、ホメたうえにグループ全員に転送してくれちゃってさ。ヤラしい社員であることを晒し上げられ。自己PRってダメです。絶対出来ない。自分を自分でホメていくのが、うわーもう俺ヤラしいこと言ってるわ~、っていう無理さでいっぱいになっちゃうんですよ。それとなく自慢話をスゴイするクセに、面と向かって自己PRはできねぇ。この心理って何なんでしょうか。
2004.01.15
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仕事の後、同じ部で隣の課の同期の田中君と飯を食いに行きました。いつも通り、自分の部署の女性のだれがかわいいいかランキングをお互い発表しながら、それはありえない!趣味悪すぎる!などという、本当に心のそこから不毛な話をしたわけですけど、今日は、そのほかに異動の話になりました。私の所属する会社の人事の仕組み的には、大体2年~4年でジョブローテーションと言う名の人事異動があり、いろんな部門を経験して適性をつかんでいくような感じになっております。我々ももうすぐ入社して満2年となるわけで、異動対象となるわけですよ。「仕事つまんない」「この部署出たい」が挨拶代わりの我々ですから、それを心待ちにしているわけで。異動の仕方は、一部の有望なエリートを除いて、組織運営の都合上、誰かが動いたらその後に誰かが入って、その誰かの後にまたほかの誰かが入って、と言う感じの玉突き状態での異動になります。従いまして、2年満期の我々の異動先はまだ異動していない1コ上、2コ上の人のいる部署、もしくは異動しそうな自分たちの同期の部署になるわけです。また、異動は部署単位で行われることなので、その部の人員構成状況や仕事の性質なども絡んできたりするわけです。そういったことを根拠に田中君と二人冷静に理詰めで分析したりして、結果としては田中君は次の4月で社内で一番えげつない部署に異動することが確定するなど、だいぶ盛り上がったのでした。我々にとって、この異動こそが直近の人生最大のイベントなわけです。そう、それが人生最大の。会社の都合であっちからこっちに回されるだけの小さな環境の変化。主体的に介在する余地のない、完全に受身で強制的なの環境変化。主体的に自分たちの手ではどうすることも出来ないことが、人生のイベントになっている。サラリーマン。本当は、自分の手に入れたい環境を心の中に思い描いて、それを自分の力で掴み取りに行くことこそ、生きるってことなんじゃないか。会社の論理でコマのように入れ替えられることに一喜一憂し、それからまた数年、決められたことを、毎日毎日決められたようにこなす。そうやって生きていくことに何の疑いも持たなくなっている俺たちって一体なんなんだろう。生きてる意味なんてあるの?そんなことにふと気づいた時は、僕らは夜空に向かって叫ぶんだ。だけど、その声はどこにも届かないまま、冬の夜空に吸い込まれていく。そして僕らも吸い込まれていく。何もかも忘れて明日も会社にいって同じ仕事をするんだ。サラリーマンだもの。
2004.01.14
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だから何なんだ!!と言われても困るんですけんども、・・・それが言いたかっただけなんじゃないか!と思われるのもしゃくですから、この際DAKARAについて熱く語っていきたいと思います。勢いのみで。昨今、清涼飲料水市場なんて、パクり、パクられの世界じゃないですかぶっちゃけ。生茶が流行れば、それ、まろ茶だ、うま茶だ、福茶だなんだって感じですし、アミノサプリが流行れば、アミノ式、アミノカルピス、アミノダイエットなんてぇのがコンビニの棚に並ぶわけですよ。ビタミンアミノダイエットなんていう、ビタミンCとアミノ酸が摂取できつつカロリーゼロなんていう「最終兵器」も最近でたりしてます。なんでもぶっこんどけ!というワイルドなコンセプトは大好きなんですけど、いかんせん味がひどすぎます。要注意。さておき、そういった清涼飲料水市場の中で、DAKARAという飲み物の位置づけは稀有だと思うわけですよ。一応、パクリ商品としては、「ボコ」だの「チャラ」だのあるんですけども、生茶に対する、うま茶、まろ茶、アミノサプリに対するアミノ式に比べて、今一歩パッとしないというか、明らかな惨敗を喫している感がある。ボコは辛うじてまだ売ってるのを見ますが、チャラに至ってはまったく見かけなくなってます。この違いというのは、何なのかと自分なりに今の勢いのまま考察すると、生茶、アミノサプリは、製法やら成分やらを売りにしている一方、DAKARAはコンセプトという非常に概念的なものを売りにしているということなんだと思うわけですよ。成分、製法は同じものをそのまんまパクるしかないので、買うほうも、アミノ酸が入っていればなんでもいい、お茶ならどれでもよくてあとは味の好みという基準になりますが、コンセプト、という抽象的なものは、パクる方にもアレンジの余地が大きいというか、微妙に変えてパクる際に、大きく変わってしまうんだと思うんですよ。もう、勢いだけで語ってるんで、根拠もクソもなく、自分のイメージだけになっちゃうんですけど、DAKARAは小便小僧のCMが物語るように、悪いものを「排出」するというコンセプトであるのに比べ、後発のボコはその名の通り、余計な部分を凹ませるというコンセプトチャラもその名の通り、食ったもんをチャラにすると言うコンセプトコンセプトは成分ではないので、より買う人のイメージの方に訴えかけるわけですよ。そういう状況において、DAKARAの「排出」っていうコンセプトはほかの二つに比べてものすごく斬新、新しいものである上、後発の2つよりも先に出ているわけですから、その影響力っていうのはすさまじいと思うわけですよ。・・・と、最初の一言が書きたかったが為に、勢いだけでここまで語ってしまいましたが、私がDAKARAにハマっているのは、純粋に「おいしいな」と思うからで、コンセプトとかそういうのはホントどうでもいい。こんな話がしたかったわけじゃないんだよ!引っ込みのつかない性格を何とかしたい今日この頃です。
2004.01.13
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だから何なんだ!!と言われても困るんですけんども、3日も行くと、一日目に食ってうまかった物をもう一度食いたくなったりして、そこの店員が今日も同じイラン人(俺独断)で同じ明るい調子で「イラッサイマセ~」なんて言われると、少し力が抜けるけど、少し安心して、同じメニューを注文して、同じようにおいしくて、そうやってお気に入りの店ができて、そういう店がいくつか出来て、だんだん街が好きになっていくのかも知れないと思いました。人ごみは相変わらずダメだけど。
2004.01.12
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にぼし。終盤はそれしか思わなかった。新宿に行ったはいいけど、特に何もやることがないので、様々なラーメンランキングで常に上位に名を連ねる有名店に行列覚悟で。一時間半も待たされて食べたラーメンはそれほどうまくもなく、やはり食べ物なんて好みの問題だわとおもう。最近流行りらしい、にぼしでだしをとっているラーメンが全然おいしいと思わない。やはり、一時代前なのかもしれないけど、とんこつしょうゆが好き。だから何なんだ、といわれても困るんですけど。一時間半も待つようなラーメンだと、例えまずかろうと、これはおいしいはず、というバイアスがかかってしまうけど、そういうのに流されないで、自分の意見はしっかり持っていたいと、思う一方で、食ったラーメンがまずかったとしても、一時間半も並んだ上に、みんながうまいうまいと言っている状況で、あえて、あまりおいしくなかったとネガティブな自分の意見を主張する意味もないしな。そういう自分の意見に対するサジ加減がわからない。
2004.01.11
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人が多すぎるでしょ。人が多すぎるとわけわかんなくなる。それぞれが、色々な考えを持っている人間で。そんな人間がですよ、ちょっとした交差点の信号待ちに何百人とか、自分の感覚で言うと明らかにおかしい。すごい違和感とイヤな感じがする。だから何なんだ、といわれても困るんですけど。その「違和感」やら「イヤな感じ」をちゃんと解明して、何らかの対策を取って行かないと、やっていけないなーと思うわけですよ。最近。
2004.01.10
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ちょっとしんどい仕事(というか作業)があって、それはいつも先輩社員と二人でやってるんですけど、今日は先輩に別の大事な仕事があって、一人でやることに。いつもは二人で、一日それにかかりっきりで夜8時くらいまでかかるものを、夕方5時前くらいに上げた。さすが俺。そしたら、先輩とか上司とかスゴイスゴイ言って褒めてくれんのね。うれしいな。あれ。だから何なんだ、と言われても困るんですけど、明らかにお世辞でも、褒められるとダメだ俺。建前だ!ってわかっていても骨抜きになるのよ。でも、やみくもに褒められてもダメで、自分が褒めて欲しい!!というポイントにメガヒットさせることが重要。他人のメガヒッツポイントをいかにして見つけるか、人の心をつかむってそういうことなんじゃないかと思う。ホメるには相手に対する的確な理解が必要ってわけです。ただ、私のメガヒッツポイントは以下に書いておくので、どんどん心をつかんでもらってかまいません。掲示板に日記の感想を書くときは、以下の言葉を散りばめるべきです。・スゴイ!・頭いい!・発想が斬新!・そんなアイディア思いつかない!・バカうけ!これで、俺のハートはがっちりキャッチできます。これマジで。
2004.01.09
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社会性ってなんなのか。浮かぶイメージとしては、●社会の中の様々な人とそつなく人間関係をつないでいる感じこれ。概念を明確にする為に逆を考えると引きこもりとか、自閉症とか、人見知り、そういう感じか。そうすると、私に社会性がない、というのはごもっともで。それでも、最近自分に社会性が出てきたというか、大人になったな、と思えるエピソードがあるので、ぜひとも紹介したい。------年末、弟が実家に戻ってきて、兄弟3人で久しぶりにゲームをした。桃鉄とか負けたんだけど、普通に楽しんで最後までできた。--------以上。・・・当たり前の話かと思われますが、昔の私を考えるとこれは、相当な社会性の発達を物語るエピソードなんですよ。昔の俺といえば、ストⅡで昇竜拳を打ち込まれたそばから、カウンターで弟のわき腹にリアルに中パンチを打ち込むような、そういう兄さんだったわけですから・・・・・・・・・「それは引く!」なんか、最近カミングアウトが癖になりつつある気がしますが、とにかく、例えゲームであっても、弟に負けるということが許せず、どんな手を使ってでも勝ちにいっていたこの卑劣兄さんが、桃鉄で負けながらもゲームを楽しめている。これこそが社会性なんだと言いたい。目的はその場を楽しく過ごすと言う事なんだから、勝ちたい!という強烈な自意識をセーブして、例え負けていようとも、負けていることも含めトータルで楽しむ方向に自分を持っていく。これこそが大人の社会性だと。要するに、そういうことなんでしょう。自分の恥ずかしい過去も自意識から切り離し、客観的に相対化して、コミュニケーションのツールとして用いることでその状況を一緒に楽しめるのが社会性なんだろうね。自分が人見知りなのも、結局は自意識過剰であるために、自分を変に誤解されたくないとかいう気持ちが、未知なる相手に対する恐怖感となってくるわけで、しっかり自意識さえ切り離してあれば、例え誤解されて嫌われようと、ゲームに負けるのと同じように、別に自分自身は傷つかないわけですから、初対面だろうがなんだろうがガンガンいけるわけですよ。そういうことが、意識的に出来ることが、社会性のある大人になる条件なんだと思います。それが出来てない。ブサイク同窓会で自分の過去のコクリっぷりにダメだしが入っただけで激しく動揺してしまうのは、自意識が切り離せていない何よりの証拠。でもな、あえて言いたい。そうやって身に着けた社会性って何になる?確かに無難に人間関係がつなげるかもしれない。弟と仲良くできるかもしれない。でも、自意識を切り離してつなげた人間関係にどれほどの価値があるんだろう。勝つことを最初から半分放棄したようなゲームは本当に楽しいのだろうか。ゲームなんて、全員が自意識を露骨に出して、全力で勝ちに行った中でつかんだ勝利こそ至福だし、そうやってこそ、真の意味での心の交流が生まれると思うわけですよ。まぁそうすると多くのケースではグダグダになってしまうんだけど。何ていうかな。社会性っていう言葉の持つ意味の一部を過大に捉えてしまっているだけなのかもしれないけど、社会性を持つ、って言うことは、すなわち自意識を切り離すことで、そのことに慣れてしまうと、自分が自分である意味がなくなる、というか、自分の心と自分のしていることがどんどん離れてしまうことに平気になっていく、というか・・・うーん、うまく言えないけど、きっと、昔ストⅡやりながら弟のわき腹にパンチを入れていたような人間は、絶対に心の奥底の部分ではゲームに勝ちたい人間なわけで、社会性を身につけることで、その気持ちに嘘をついて生きていくことに違和感を感じないようになってしまったら、それはそれで寂しいなと思うわけですよ。だから、自分の恥ずかしい過去を暴露されて、うわー!!ってなる気持ちを大切にしたいし、例え社会性がないと言われようとも、自分を削らずに生きていくって所は譲りたくない。ありのままの自分で社会とかかわっていくことは、とても難しくて遠回りだけど、そういうことを目指したい。…ん?それこそが本当の意味での社会性なのか?よくわからなくなってきたけど、自分の中では自分の考えがまとまってきたのでとりあえず満足して寝ます。
2004.01.08
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昨日の続きなんですけど、「俺の恥ずかしい過去をあちこちで言ってんじゃねぇよこのスカタン!」と切れる気持ちを抑えながら、「二人のスウィーツな思いでは大切にしていこうよ!あんまり人にいうのはどうかしらマイハニー」的にだいぶやわらかく、彼女様に説教を試みたのですが、「他人の話にいちいち動揺しすぎ。社会性がなさ過ぎる」と逆説教をカウンターで喰らいました。「他人の話にいちいち動揺しすぎ」、というのはまぁ非常によくわかるのですが、●社会性がなさすぎというのは何なんでしょう。っていうか、全く関係ないよな。今思うと。しかし、「社会性なさすぎ」という一言にドスンと心を撃たれ、ひどく落ち込む自分がいるというのは、日頃の問題意識に鋭くフックする言葉だったわけで。「社会性のなさ」しばらくはこれについて考えていきたいと思うわけです。
2004.01.07
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ブサイクな友人の日記を読んで動揺しました。動揺したところを引用します。---「高校の友達の同期の彼氏」のこくり方、などを聞いたりし、同窓会ながらにして「それはひく!」とか駄目出しタイムなどを堪能したので、まぁ五分五分か!?ギブアンドテイク!---ご察しの通り「高校の友達の同期の彼氏」が俺なんですけどね。自分の胸に手を当てて、自分の甘く切ない高校時代を思い返しましたよ。必死に。「それはひく!」って、何に引いているのか、さっぱりわかりませんでした。俺なんて、過去は振り返らず今を生きる前向きなロンリーウルフじゃないですか。だから、あんまり自分がどういうコクり方をしたとか、あんまり気にしたりしてこなかったんですよ。過去を振り返ったって何もかわりゃしねぇぜ。変えられるのは未来と自分だけなんだよ。明日を見て、今を生きようぜ!カッコよく決まったところで、やっぱり、何にひいてるのかは、自分の中で明確にしておかないと、いづれあの日記を書いたブサイクな友人と飲んでしゃべった時に、閉ざされた心の闇がフラッシュバックしてしまい大変なことになるリスクがあるので、そこのところははっきりさせておかなければと。昨日の夜、その深く閉ざされた記憶の扉を開くため、深い瞑想状態に入ること5秒。ひらけ!ポンキッキー!…開きました。記憶の扉。ポンキッキの「ひらけ!」は何を開くのかさっぱりわからず昔から気になっていましたが、今はそのことについて触れている場合ではありません。昔話をいたします。---------------------むかしあるところに、純朴な高校生がおりました。その高校生には、クラスに好きな女の子がおりました。高校生は、人見知りで自閉症なので、うまく女の子に話しかけることができませんでした。でも、高校生はどうしても好きだという気持ちを伝えたかったので、手紙を書いて渡しました。気持ちが通じ、付き合うことになりました。しかし、付き合ったはいいものの、高校生は自閉症で人見知りな上に口ベタなので、一緒に帰っても会話になりません。女の子は失望し、高校生に別れを告げました。高校生は振られました。その高校生は振られているのに、往生際がわるいので、もう一度手紙を書いて気持ちを伝えることにしました。たとえ振られることになっても、今までうまく言えなかった気持ちはちゃんと伝えようと、事細かに自分の気持ちを書きました。翌日その手紙を女の子に渡したところ、気持ちが伝わり、再びつきあうことになりました。めでたしめでたし--------------以上です。こう書けば、まぁまぁ内気な青年の恋の話で、ちょっとあかぬけない感じに引いてしまう部分もありますけど、むしろそこが逆に微笑ましい感じじゃないですか。それでは、何が、ブサイク同窓会を「ヒキ」のどん底に落とし込んだのかというと、おそらくなんですけど、●その手紙の長さこれに尽きると思います。ご存知の通り、今もそうなんですけど、一旦ゾーンに入ってしまえば、こんだけ長い文章を苦もなく書いてしまう私ですから、振られた直後に文章書かせたら、電話帳の一冊や二冊かるく書けてしまうでしょう。どれくらい書いたのかは、ちょっと覚えてないですけど、相当長い手紙だったと思います。きっと細かい字でびっしり系。その上、内容の方も、全然覚えちゃいないんですけど、相当キツイものがあったことは十分想像できまくります。私も「思い込みと自分中心の視点」では彼に匹敵するほどの男ですから、「俺が好きならそれでいいじゃないか」ぐらいのことは軽々書いていたでしょう。その上、昨日の日記にあんなことを書くような人間ですから、・俺と付き合わないと大宇宙神さまの天罰が下る・付き合わないなら以下の口座に金を振り込めぐらいのことも書いていてもおかしくありません。当時の俺ならやりかねない。危ない。危なすぎる。あいた~~そういう意味では、内容的には「呪いの手紙」と言われても仕方ないシロモノだと思われます。以上、まとめますと。・振られた相手に・細かい字でびっしり・呪いの手紙・・・・・・「それはひく!」まぁ、結果的には、無事付き合えることとなったので、よかったんですけど、よくよく考えてみると、好きだから付き合ったというよりも、どっちかというと●この人を振ったら殺されかねないという恐怖心の方が大きかったのではないかということは今振り返ると非常に妥当な推測ではないかと思います。まぁ、呪いが効いたといったところでしょうか。いや~昔は若かった。…ということで、自分の中ではまとまったのですが、ブサイクさんどうでしょうか。
2004.01.06
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すっげーあたりまえの話かもしれないですけど、突然ではありますが、そもそもまず、自分の気持ちさえ、的確につかむことは非常に難しいんだなぁと、そう考えると、相手の気持ちわかるなんて、突拍子もなく無謀なことなんじゃないかと思ったりするわけですよ。最近特に。例えば、一浪した受験生だったとして、一緒に大学を受験した親友が落ちて自分だけ受かってしまった事が判明した合格発表会場にて、ものすごくかわいい女の子を発見、一目で恋に落ちて声をかけようか悩んでいる矢先、隣にいた大学に落ちて半自暴自棄の親友が突然その子を口説きだして、なんだかそのまま意気投合して二人で夜の街に消えて言ってしまった時の気持ちとかって、たぶん本人でもなんだかもうわけわからないじゃないですか。今のは極端な例ですけど、別になんでもない日常においても、今の自分がどういう精神状態で、どういう気持ちなのかって、正確に把握できてないと思うんですよね。いちいち自覚していないというか。逆に下手に自覚しようとして、言葉にしたりするとその時点で、その言葉に認識が引っ張られて誤解してしまう可能性がある感じってわかりますかね。例えば、ワサビを思いっきり食った時って、カライ、っていう3文字で片付けてしまいがちですけど、辛いだけじゃなくって、むしろ辛いというよりも苦いとか鼻の奥が痛くて涙が出る感じだったり、細かく言えば、ものすごく複雑な刺激が発生してるわけですけど、カライという言葉で自分の状態を自覚した瞬間から、他の感覚はある程度切り捨てられて、カライっていう感覚が実質感じてる以上にクローズアップされて認識されることってあるんじゃないかと。だから、自分で自覚している自分の感情や感情なんて、実際の自分の感情や感覚のある一側面にしかすぎないわけですよ。まずそれをわかってほしいです。そう、それで、そういう自分の認識だけでもだいぶ歪んでいるのに、例えば、誰かがワサビ食ってカライと言っているのを聞いている第三者っていうのは、それはもう全然違う感覚を想像してしまっていてもいいはずなんですよ。でもこのワサビのケースでは、一般的に言えば、その人もワサビを食ったという経験があるわけですから、その時の記憶と結び付けて想像しているとすれば、まぁまぁそんなに認識している感覚に違いはないんでしょう。でも、これがワサビを一度も食ったことのない人が、まぁ仮にいたとして、その人の横でワサビを食って「カライ」という言葉で自分の感じている感覚を表現したとしても、ワサビを食ってる人が感じている感覚っていうのは、「カライ」という言葉なんかでは、ワサビを食ったことの無い人には全く伝わるわけないんですよ。そのワサビを食ったことがない人が、トウガラシを食っていたとしてカライと言ったとして、ワサビを食っている人がトウガラシを食ったことがなかったとしたら、相手も自分もカライと表現している以上、同じ味とか刺激を感じているんじゃないか、そうに違いないと確信しても、仕方ないよね。食ったことないんだし。・・・なんだか、さっきからすっごくあたりまえのことを非常に回りくどく小難しくして言っているような気がしますが、要は、私が何を言いたかったのかというと、今日の仕事中ちょっとしたことがあり、その時、日頃から嫌いな上司に「今のおまえの気持ちすごくよく分かるなー」なんて安易に言われてすごくムカついてるってことでした。(それだけが言いたいが為に、ワサビだカラシだ豆板醤だと意味のわからない話をしてしまい、辛いものが苦手な人にはつらい思いをさせてしまい、申し訳ございませんでした。) でも、今言った、「ムカつく」なんて、典型的に全然伝わらないしな。なんか、そう考えると日頃成立していると思っているコミュニケーションって当然のごとく全然成立してないんじゃないかと。その上みんなウソもついたりしてるしな。結局のところ、他の人の気持ちなんて、分かったような気になっているだけで全然分かってないんですよ。逆もしかりであなたのことなんて本当は誰も何にも分かっていないんです。あなたのことを唯一わかってくださるのは尊大なる大宇宙神様だけなのです。大宇宙神様はあなたに俗世間のしがらみを解き放ち自由になることを求めていらっしゃいます。さあ、すぐに全財産を現金に換えて下記の口座に振り込みましょう。あなたに大宇宙神様の奇跡が起こります。(お金を振り込むことも出来ない人に奇跡は起きません。)振込先:三井住友銀行 恵比寿支店 普通預金 6714234 エビス タロウ
2004.01.05
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やってしまいました。同じ本を2回買ってしまいました。宮部みゆきの本は昔よく読んでいたので、十分注意して、軽く立ち読みして内容まで確認したんですけど、ダメでした。これ読んだことあるわ、っていう軽いデジャブ感はあったんですけど、でも全然覚えていなくて最後まで楽しめてしまいました。っていうか、なんか少し感動した。この本はすごくいいです。ちなみに、昔買ったのはこっちでhttp://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/NS/CSfLastGenGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=1018327&rbx=X 今日買ったのはこっち。http://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/NS/CSfLastGenGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=1446614 表紙が同じだったら絶対買ってなかったのにな。表紙は覚えてました鮮明に。とにかく、出てくる描写やセリフに対して、絶対にこの本読んだことある!っていう確信はあるのに、オチを含めて全然話の先を覚えていない自分。このものすごく微妙な感覚が新鮮で、よかったです。まぁバカなだけなんですけど。そのうち、この微妙な感覚をもとに新しいムーブメントが起きます。という無責任な予言。でも、普段会話しててもありますよね。ああ、それわかる!でもわかんねぇ!みたいの。そういうものがあったということはなんとなく覚えてるんだけど、それがなんだかはさっぱり覚えてねぇ。みたいなの。それが、会話の中のなんかのはずみで、記憶の扉がぐわーっと開くと、ものすごく興奮するの。あ!そうそうそうそう!そうだよそうだったよ!みたくなって。そこで興奮するのもよくわかんねぇ。一時的に失った記憶を取り戻すことは、記憶こそが自分が自分であることの唯一無二の証明である限り、連続的な自分を取り戻すということと同義であり、…すっごくどうでもいい話になってしまったので、今日はこの辺にしておきますが、とにかく忘れてしまえば何度でも楽しめるので、本も映画も、読んだそばから、見終わったそばから、どんどん忘れていくのがおすすめです。そう考えると老人がボケるのは、長年生きてきて様々な経験を積む中で、様々なパターンの刺激に慣れてしまうことで、生きることを新鮮に楽しめなくなることへの本能的な防衛手段なのかもしれません。
2004.01.04
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こんばんわ神田うのです。うそですからチャンネル変えないでください。神田うのが出るたびにチャンネルを変えていた青春時代。あの頃の俺はアイツの何が許せなかったんだろう。たそがれにグッバイ。さておき、3が日とも言われる本日1月3日。正月そうそう出勤いたしました。手紙に印鑑を捺印する仕事。…印鑑を捺印?上を見上げる。腹痛が痛い。山田サン山登ル。まぁ、細かいことはいいんですけど、とにかく□ハンコを押し続けるいつもはパートのおばちゃんにやってもらってる仕事なんですけど、やる人がいないので若手の私。その後も・封筒に手紙を入れて封をする・数を確認などなどオリジナリティを発揮しづらい、非常に単調な作業を正月からさせていただいたんですけど、なんていうか、うまくいえないんですけど、同じ作業を淡々と繰り返していると、ちょっとしたトランス状態になって来る感じってわかりますかね。押しているハンコの文字が単なる線の集まりと言うか、違う意味を持った記号にしか見えなくなってきて、それは大宇宙神様から私に送られた特別なメッセージだと勝手に解釈をしているのですが、本日のメッセージは個人的解釈によれば、「肉ばかり食べていないで野菜もちゃんと食べ野菜」ダジャレかよ!大宇宙神様ったらお茶目。ダジャレも踏まえつつ、健康に気をつかっていきなさいというメッセージを送ってくるあたりあなどれないです。っていうかそんなメッセージを受信している場合ではありません。いまだに神田うのが許せません。何を書いているのかわからなくなりました。要するに、みんな今年もがんばって行こうよ!ってことでした。おしまい。
2004.01.03
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初詣に行きました。おみくじを引きました。大吉でした。一緒に行った人は加ト吉でした。うそです。いや、パクリなんですけど、加ト吉のCMの。あれひどいな。おみくじで加ト吉って。冷凍さぬきうどんかよ!正月早々力が抜けました。今年NO.1CM間違いなしです。いきなり。さておき、おみくじは本当に引いて、本当に大吉でした。っていうか昔、おみくじがついているカップラーメンがあって、大吉が出ると1000円とか中途半端なお金がもらえたような気がするんですけど、あれは何だったのでしょうか。そもそも、おみくじ、というものの存在自体をそのカップラーメンで初めて知ったような気がします。育ち悪いな自分。ものすごくエースコックだった気がします。うわー。なんかすごい思い出してきた。きっと幼稚園か小学校の低学年の頃だから、ちょうど18~20年くらい前だった気がします。すげー気になってきた。なんでおみくじをつけたんだろ。ラーメンと全然関係ないし。そう考えると、何でもアリでしょう。加ト吉の冷凍さぬきうどんにもおみくじをつけて「加ト吉」が出たら・・・っていうのは、この文章思いつくまま適当に書いていたんですけど、なんだかすごく中途半端に「うまいこと言ってる」感がしてサブすぎるのでやめときます。でも、加ト吉の商品企画の人が読んでいたらぜひ実現してください。特許俺。つかったら100まんえーん。
2004.01.02
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茨城マツダの有賀さんありがとう!別に年賀状の数が人望の数だとは思ってないんですけど(負け惜しみ)実家に住んでいる身としては、家族内で仕分けされているとき非常にきついものがあります。お前は社会で何をしているのか的敗北感をひしひしと。ほっといてくれよ!(人面犬)さておき、2004年になりました。今年は気合を入れてここの日記を書いて行きたいと思っています。そんな宣言別にどうでもいいんですけど、やはり新年ですから、今年の抱負を語っておきたいと。ボケもせず。文章を書く際には自分が「読んでおもしろい」と思うことを書きなさい、というのが基本中の基本ですが、初日から無視です。自分の為です。日記ですから。いつもいつもすみません。そういうわけで、今年のテーマは「コミュニケーション」にしたいと考えています。これまで自分が一番苦手だった部分にあえてスポットライトを浴びせて書物や実戦経験を通じて研究していきたいと思います。ゴールとしては、今年が終わった段階で自意識を完全に切り離し、初対面の相手でもそつなく会話をこなせる状態に持って行きたい、何気ない日常会話を楽しめる余裕を持てる状態にしたいというのがあります。じゃぁ、今の自分は何なんだ、って感じですが、ぶっちゃけウホウホ言ってる原始人とたいしてかわんねぇんだ俺。原始人も知識と技術さえあれば、きっと近代社会に適応して、私たちと同水準の生活を送れるはずです。それと同様にですね、コミュニケーション原始人であるところの私も知識と技術を身に着けて、同水準の・・・…ただお友達が欲しいだけです。お友達になってください!さて、仕事面では、なんか漠然としてしまいますが、オラヨッシャい的な充実感というかエクスタシーをこの一年で一回でも感じられたらと思います。そのためにどうやって仕事をするのかってぇのは非常に難しい問題ではありますが、そういうことを頭において置くだけでだいぶ前向きに過ごせるのではないかと。要は毎日つまんねぇ仕事を自己洗脳でどんだけ楽しく思えるかっちゅう話だコレ。ひでぇ話だ。と、いろいろ書いてみましたが去年は色々なことに「慣れた」年だったので、社会人も3年目を迎え安定感も出てくる今年は、「充実」を目指してがんばりたいと思います。今年もよろしくお願いいたします。
2004.01.01
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