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アザミの蜜を吸うヒョウモンチョウ 2025年7月11日撮影国家公務員2025年7月人事異動と幹部名簿 経済産業省、厚生労働省、環境省、農林水産省、国土交通省、文部科学省、消費者庁、子ども家庭庁、財務省、総務省、復興庁├計量計測データバンク ニュースの窓-301-国家公務員2025年7月人事異動と幹部名簿 経済産業省、厚生労働省、環境省、農林水産省、国土交通省、文部科学省、消費者庁、子ども家庭庁、財務省、総務省、復興庁├├国家公務員・中央省庁幹部名簿一覧国家公務員・中央省庁幹部名簿一覧├├経済産業省人事異動(2025年11月20日付)計量計測データバンク編集部経済産業省人事異動(2025年11月20日付)井上博雄 官房政策統括調整官=商務・サービスグループ担当→商務・サービス審議官兼商務・サービスグループ長。小林浩史 官房付→官房審議官=重点政策高度化、経済産業政策局担当。竹田憲 官房調査統計グループ長兼官房政策統括調整官=経済産業政策局担当兼経済産業政策局調査課長兼企業財務室長→官房審議官=経済産業政策局担当兼官房調査統計グループ長 兼 経済産業政策局調査課長兼企業財務室長。南亮 商務・サービス審議官兼商務・サービスグループ長→辞職。経済産業省 幹部名簿2025月11月20日付https://www.meti.go.jp/intro/data/pdf/list_ja.pdf├├├計量計測データバンク ニュースの窓-331-経済産業省 幹部名簿 2025年10月21日現在├├計量計測データバンク ニュースの窓-303-経済産業省 幹部名簿 2025年7月7日現在├├計量計測データバンク ニュースの窓 目次├経済産業省 2025年7月人事異動経済産業省幹部名簿(PDF形式:390KB)PDFファイル 最終更新日:2025年7月7日https://www.meti.go.jp/intro/data/pdf/list_ja.pdf7月5日井上誠一郎 官房審議官=経済産業政策局担当→辞職・経済産業研究所理事へ7月6日池山成俊 経済産業研究所理事→通商政策局通商交渉官 兼 商務情報政策局商務・サービス政策統括調整官阿部康幸 大臣官房付→辞職・新エネルギー・産業技術総合開発機構ワシントン事務所長田中宗介 大臣官房付→辞職・新エネルギー・産業技術総合開発機構シリコンバレー事務所長7月7日杉江一浩(経済安全保障政策課長)→免兼 情報調査室長日原正視 日本貿易振興機構ベルリン事務所次長→貿易経済安全保障局参事官=経済安全保障担当 兼 経済安全保障政策課情報調査室長中西友昭(イノベーション・環境局総務課長)→免兼 産業技術法人室長鈴木章文 復興庁→産業技術法人室長岩男健佑 大臣官房付→資源エネルギー庁電力基盤整備課電力供給室長矢口麻衣 大臣官房付→ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官植田一全 大臣官房付→辞職・日本貿易振興機構ドバイ事務所中富大輔 資源エネルギー庁電力供給室長→辞職・北海道経済部次長 兼 GX推進局長7月1日藤木俊光 経済産業政策局長→事務次官佐々木啓介 内閣府官房審議官=経済安全保障担当→総括審議官 兼 首席地方創生担当政策統括調整官藤本武士 消費者庁政策立案総括審議官→福島原子力事故処理調整総括官畠山陽二郎 資源エネルギー庁次長 兼 首席最終処分政策統括調整官 兼 首席GX推進戦略統括調整官 兼 首席エネルギー・地域政策統括調整官→経済産業政策局長 兼 首席GX推進戦略統括調整官成田達治 総括審議官 兼 経済安全保障政策統括調整官→貿易経済安全保障局長伊藤禎則 資源エネルギー庁省エネルギー・新エネルギー部長→脱炭素成長型経済構造移行推進審議官 兼 GXグループ長龍崎孝嗣 脱炭素成長型経済構造移行推進審議官 兼 GXグループ長→資源エネルギー庁次長 兼 首席最終処分政策統括調整官 兼 首席エネルギー・地域政策統括調整官河西康之 内閣官房内閣審議官=新しい資本主義実現本部事務局長代理→特許庁長官山本和徳 中小企業庁事業環境部長→中小企業庁次長飯田祐二 事務次官→辞職小野洋太 特許庁長官→辞職新居泰人 福島原子力事故処理調整総括官 兼 首席能登復興担当政策統括調整官→出向・復興庁統括官へ福永哲郎 貿易経済安全保障局長 兼 首席経済安全保障政策統括調整官→出向・内閣府科学技術・イノベーション推進事務局統括官へ飯田健太 中小企業庁次長→出向・消費者庁政策立案総括審議官へ西田光宏 脱炭素成長型経済構造移行投資促進課長→大臣官房付呉村益生 航空機武器産業課長→大臣官房付西川和見 貿易経済安全保障局総務課長→大臣官房サイバーセキュリティ・情報化審議官竹田憲 大臣官房参事官→大臣官房調査統計グループ長大貫繁樹 大臣官房会計課長→大臣官房秘書課長安田篤 イノベーション・環境局総務課長→大臣官房参事官=技術・高度人材戦略担当吉村直泰 内閣官房副長官補付内閣参事官→大臣官房総務課長若月一泰 デジタル庁統括官付参事官→大臣官房会計課長村上貴将 資源エネルギー庁省エネルギー・新エネルギー部政策課長→大臣官房業務改革課長細川成己 産業保安・安全グループ保安政策課長→大臣官房審議官=産業保安・安全、電力・ガス取引監視等委員会事務局担当田岡卓晃 特許庁総務課長→産業保安・安全グループ保安政策課長前田博貴 資源エネルギー庁原子力立地政策室長兼原子力広報室長→電力安全課長森本将史 新エネルギー・産業技術総合開発機構シリコンバレー事務所長→製品安全課長宮本岩男 中小企業庁中小企業政策調整官 兼 地域経済産業政策統括調整官→地方創生担当政策統括調整官 兼 イノベーション・環境局イノベーション政策統括調整官中野剛志 大臣官房参事官→地方創生担当政策統括調整官中村智 大臣官房総務課政策企画委員→産業構造課長鮫島大幸 中小企業庁取引課長→産業組織課長松田洋平 政策調整官=経済産業政策局担当→産業創造課長豊田原 商取引監督課長→投資促進課長日野由香里 産業創造課長→地域経済産業政策課長猪又真介 関東経済産業局総務企画部長→地域産業基盤整備課長高山成年 農林水産省官房輸出促進審議官→大臣官房審議官=通商政策局・農林水産品輸出担当田中将吾 資源循環経済課長→通商戦略課長白井俊行 資源エネルギー庁大臣官房国際課長→欧州課長高木重孝 製造産業局生活製品課長→北東アジア課長藤沢秀昭 大臣官房付→国際経済部長西脇修 防衛装備庁官房審議官→大臣官房審議官=貿易経済安全保障局担当田中伸彦 経済安全保障政策調整官=技術担当→経済安全保障政策統括調整官稲邑拓馬 製造産業局総務課長→貿易経済安全保障局総務課長浅井洋介 投資促進課長→貿易管理課長中西友昭 産業組織課長→イノベーション・環境局総務課長石川浩 日本貿易振興機構シンガポール事務所産業調査員→イノベーション創出新事業推進課長中野真吾 内閣官房副長官秘書官→国際標準課長福本拓也 イノベーション政策統括調整官→大臣官房審議官=脱炭素成長型経済構造移行推進担当清水淳太郎 業務改革課長→脱炭素成長型経済構造移行投資促進課長三牧純一郎 内閣府原子力災害対策本部原子力被災者生活支援チーム参事官→資源循環経済課長畑田浩之 大臣官房参事官=技術・高度人材戦略担当→大臣官房審議官=製造産業局担当玉井優子 経済産業政策局地域経済産業政策調整官→製造局総務課長渡辺宏和 日本貿易振興機構ニューヨーク貿易保険事務所長→生活製品課長木村拓也 資源エネルギー庁省エネルギー課長→航空機武器産業課長金指寿 情報産業課長→商務情報政策局総務課長渡辺琢也 情報処理基盤産業室長→情報技術利用促進課長南部友成 日本貿易振興機構ニューヨーク事務所産業調査員→情報産業課長乃田昌幸 資源エネルギー庁原子力損害対応総合調整官→商取引・消費経済政策課長西川奈緒 国際標準課長→サービス政策課長梶直弘 産業構造課長→文化創造産業課長福田光紀 資源エネルギー庁ガス市場整備室長→ヘルスケア産業課長広瀬大也 新エネルギー・産業技術総合開発機構事業統括部グリーンイノベーション基金室長→生物化学産業課長浦田秀行 大臣官房審議官=製造産業局担当→北海道経済産業局長横田純一 貿易管理課長→北海道経済産業局資源エネルギー環境部長上野麻子 中国大使館参事官→資源エネルギー庁国際資源エネルギー戦略統括調整官大江健太郎 大臣官房付→資源エネルギー庁長官官房国際課長小林大和 大臣官房秘書課長→資源エネルギー庁省エネルギー・新エネルギー部長那須良 資源エネルギー庁政策課長→資源エネルギー庁省エネルギー・新エネルギー部政策課長福永佳史 北東アジア課長→資源エネルギー庁省エネルギー課長永井岳彦 資源エネルギー庁燃料供給基盤整備課長→資源エネルギー庁資源・燃料部政策課長東哲也 通商戦略課長→資源エネルギー庁燃料供給基盤整備課長吉瀬周作 資源エネルギー庁原子力政策課長→資源エネルギー庁電力・ガス事業部参事官=エネルギー制度改革担当多田克行 資源エネルギー庁原子力基盤室長 兼 革新炉推進室長 兼 原子力技術室長→資源エネルギー庁電力・ガス事業部原子力政策課長吉沢隆 経済産業研究所総務ディレクター→特許庁総務部長降井寮治 内閣官房内閣情報調査室参事官→特許庁秘書課長亀井明紀 公正取引委員会事務総局企業取引課長→特許庁総務課長北村弘樹 特許庁審査第三部長→特許庁審査第一部長小松竜一 特許庁審判部審判課長→特許庁審査第二部長諸岡健一 特許庁審査第二部長→特許庁審査第三部長仁科雅弘 特許庁審査第四部審査長=首席・電子商取引・経営システム→特許庁審査第四部長野仲松男 特許庁審査第一部長→特許庁審判部長黒田浩司 中小企業庁小規模企業振興課長→中小企業庁官房総務課長坂本里和 内閣官房内閣審議官=新しい資本主義実現本部事務局次長→中小企業庁事業環境部長佐伯徳彦 文化創造産業課長→中小企業庁企画課長橋本泰輔 ヘルスケア産業課長→中小企業庁金融課長小高篤志 資源エネルギー庁戦略企画室長→中小企業庁取引課長山崎琢矢 大臣官房総務課長→中小企業庁経営支援部長前田了 電力安全課長→中小企業庁経営支援課長荒木太郎 内閣官房内閣人事局参事官→中小企業庁小規模企業振興課長神崎忠彦 商務情報政策局総務課長→出向・内閣官房副長官補付内閣参事官へ殿木文明 大臣官房審議官=産業保安・安全、電力ガス取引監視等委員会事務局担当 兼 大臣官房調査統計グループ長→出向・内閣官房内閣審議官=国家安全保障担当 兼 内閣府官房審議官=経済安全保障担当へ下世古光可 地域経済産業政策課長→出向・内閣官房行政改革推進本部事務局参事官へ柏原恭子 国際経済部長→出向・内閣官房内閣審議官へ西森雅樹 特許庁秘書課長→出向・内閣官房観光立国推進室参事官へ田尻貴裕 大臣官房審議官=脱炭素成長型経済構造移行推進担当 →出向・内閣官房内閣審議官=新しい資本主義実現本部事務局次長へ貴田仁郎 中小企業庁官房総務課長→出向・内閣官房新しい資本主義実現本部事務局参事官へ浦上健一朗 大臣官房審議官=国際博覧会担当→出向・内閣府官房審議官=経済財政運営担当へ佐々木雅人 エネルギー・地域政策統括調整官→出向・内閣府官房審議官=原子力防災担当へ太田三音子 サービス政策課長→出向・内閣府知的財産戦略推進事務局参事官へ柴山豊樹 中小企業庁経営支援課長→出向・公正取引委員会事務総局経済取引局企業取引課長へ岡田智裕 中小企業庁経営支援部長→出向・デジタル庁統括官付審議官へ市川紀幸 地域産業基盤整備課長→出向・復興庁統括官付参事官へ宮部勝弘 中小企業庁事業環境部企画課長→出向・福島復興局次長へ藤田健 欧州課長→出向・文化庁文化経済・国際課長へ依田学 大臣官房審議官=通商政策局農林水産輸出担当→出向・農林水産省大臣官房付へ滝沢豪 特許庁総務部長→出向・防衛装備庁官房審議官へ西垣淳子 大臣官房政策統括調整官=経済産業局担当兼中小企業庁官房中小企業政策統括調整官=DX・EBPM担当→出向・政策研究大学院大学特任教授へ野沢泰志 中小企業庁金融課長→出向・東京大学産学協創推進本部特任研究員 兼 スタートアップ推進部長へ佐藤猛行 製品安全課長→辞職・経済産業研究所総務コーディネーター内田了司 情報技術利用促進課長→辞職・情報処理推進機構上席執行役員下田裕和 生物化学産業課長→辞職・日本医療研究開発機構調整役西村秀隆 サイバーセキュリティ・情報化審議官→辞職瓜生和久 基準認証政策統括調整官→辞職油科壮一 特許庁審査第四部長→辞職田村聖子 特許庁審判部長→辞職桑原智隆 イノベーション創出新事業推進課長→退職厚生労働省 2025年7月人事異動幹部名簿|厚生労働省 令和7年7月14日付幹部名簿令和7年7月14日付幹部名簿[PDF形式:349KB] https://www.mhlw.go.jp/content/001457625.pdf7月13日古瀬陽子 大臣官房付 兼 政策統括官付参事官付統計・情報総務室→辞職・愛知県副知事へ7月14日牧野利香 大臣官房付、前愛知県副知事→辞職・勤労者退職金共済機構審議役へ7月8日山田雅彦 職業安定局長→厚生労働審議官宮崎敦文 厚生労働省大臣官房総括審議官→大臣官房長宮本直樹 厚生労働省大臣官房審議官=健康、生活衛生、総合政策担当→医薬局長村山誠 厚生労働省大臣官房長→職業安定局長鹿沼均 保険局長→社会・援護局長間隆一郎 年金局長→保険局長朝川知昭 政策統括官=総合政策担当→年金局長宮本悦子 中央労働委員会事務局審議官=審査担当→人材開発統括官辺見聡 東北厚生局長→政策統括官=総合政策担当原口剛 中央労働委員会事務局審議官=調整、企画広報担当→政策統括官=統計・情報システム管理、労使関係担当青山桂子 厚生労働省大臣官房審議官=職業安定、労働市場政策担当→大臣官房総括審議官日原知己 社会・援護局長→辞職・国立病院機構副理事長へ田中誠二 厚生労働審議官→辞職城克文 医薬局長→辞職森川善樹 政策統括官=統計・情報システム管理、労使関係担当→辞職森光敬子(医政局長)→免兼 医薬産業振興・医療情報審議官事務取扱榊原毅 大臣官房審議官=医療保険担当→大臣官房審議官=医政、口腔健康管理、精神保健医療、訪問看護、災害対策担当林俊宏 こども家庭庁官房総務課長→大臣官房審議官=老健、障害保健福祉担当矢田貝泰之 大臣官房人事課長→大臣官房審議官=医療保険担当江浪武志 内閣府官房審議官=経済財政運営、経済社会システム及び共生・共助担当→官房審議官=医療介護連携、データヘルス改革担当吉田修 大臣官房審議官=老健、障害保健福祉担当→大臣官房審議官=年金担当蒔苗浩司 国土交通省大臣官房審議官→大臣官房審議官=人材開発、外国人雇用、都道府県労働局担当巽慎一 年金管理審議官→大臣官房審議官=健康、生活衛生、総合政策担当森真弘 大臣官房審議官=医政、口腔健康管理、精神保健医療、災害対策担当→医薬産業振興・医療情報審議官安井省侍郎 安全課長→安全衛生部長三好圭 社会保険診療報酬支払基金理事長特任補佐→年金管理審議官赤松俊彦 兵庫労働局長→労働経済特別研究官小宅栄作 宮城労働局長→中央労働委員会事務局審議官=審査担当黒沢朗 職業安定局総務課長→中央労働委員会事務局審議官=調整、企画広報担当伊沢知法 内閣官房内閣審議官 兼 こども家庭庁官房総務課支援金制度等準備室長→大臣官房付 兼 社会・援護局浅沼一成 国立保健医療科学院次長→国立保健医療科学院長神ノ田昌博 大臣官房審議官=医療介護連携、データヘルス改革担当→北海道厚生局長尾崎俊雄 九州厚生局長→東北厚生局長針田哲 大臣官房付、前防衛省衛生監→関東信越厚生局長一瀬篤 北海道厚生局長→東海北陸厚生局長橋本敬史 国民年金基金連合会審議役→四国厚生支局長矢田真司 医薬品医療機器総合機構理事→九州厚生局長松瀬貴裕 大臣官房参事官 兼 人材開発政策担当参事官室長→宮城労働局長高橋秀誠 大臣官房審議官=人材開発、外国人雇用、都道府県労働局担当→大阪労働局長金成真一 熊本労働局長→兵庫労働局長金谷雅也 大臣官房付 兼 復興庁統括官付参事官→熊本労働局長長良健二 大臣官房参事官=人事担当→大臣官房人事課長本後健 障害保健福祉部企画課長→大臣官房参事官=人事担当宇野禎晃 大臣官房参事官=総合政策統括担当→大臣官房総務課長吉田一生 健康・生活衛生局総務課長→大臣官房会計課長伊藤洋平 障害福祉課長→大臣官房会計課会計管理官山口高志 社会・援護局総務課長→大臣官房国際課長吉田暁郎 雇用政策課長→国際課国際企画・戦略官荒木裕人 感染症対策課長→厚生科学課長村野伸介 労働基準局監督課長→官房参事官=統括調整、障害者雇用担当宮崎千晶 大臣官房付 兼 こども家庭庁家庭福祉課企画官→大臣官房参事官=自殺対策担当津曲共和 国土交通省安心居住推進課長→大臣官房参事官=救急・周産期・災害医療等、医療提供体制改革担当水谷忠由 医薬産業振興・医療情報企画課長→医政局総務課長西嶋康浩 医事課長→地域医療計画課長中田勝己 地域医療計画課長→医事課長安中健 高齢者医療課長→医薬産業振興・医療情報企画課長木下栄作 医療課医療技術評価推進室長→医政局参事官=医療情報担当若林健吾 年金課長→健康・生活衛生局総務課長丹藤昌治 岐阜県健康福祉部長→健康課長宮腰奏子 内閣官房内閣参事官→生活衛生課長樋口俊宏 年金局事業企画課長→企画・検疫課長木庭愛 こども家庭庁母子保健課長→感染症対策課長笹子宗一郎 企画・検疫課長→医薬局総務課長紀平哲也 消費者庁食品衛生基準審査課長→医薬品審査管理課長野村由美子 医薬安全対策課長→医療機器審査管理課長安川孝志 医薬品医療機器総合機構執行役員→医薬安全対策課長松下和生 大臣官房参事官=総括調整、障害者雇用担当→労働基準局総務課長川口俊徳 外国人雇用対策課長→労働条件政策課長西海国浩 職業安定局総務課公共職業安定所運営企画室長→労働基準局監督課長先崎誠 国際課国際労働・協力室長→労働関係法課長宮下雅行 大臣官房付 兼 内閣官房内閣参事官→労災管理課長土井智史 化学物質対策課長→安全課長中野響 安全課建設安全対策室長→化学物質対策課長渋谷秀行 労働条件政策課長→職業安定局総務課長菱谷文彦 職業生活両立課長→雇用政策課長堀泰雄 大臣参事官 兼 海外人材育成担当参事官室長→雇用保険課長安藤英樹 労働政策研究・研修機構労働大学校副校長→外国人雇用対策課長立石祐子 大臣官房参事官=雇用環境政策担当→雇用開発企画課長河村のり子 大臣官房会計課会計管理官→障害者雇用対策課長上田真由美 内閣府男女共同参画局推進課長→職業生活両立課長安達佳弘 大臣官房参事官 兼 能力評価担当参事官室長→勤労者生活課長池上直樹 内閣官房内閣参事官→社会・援護局総務課長野崎伸一 大臣官房付→地域福祉課長西平賢哉 資金運用課長→援護企画課長乗越徹哉 国立社会保障・人口問題研究所政策研究調整官→障害保健福祉部企画課長大竹雄二 介護保険計画課長→障害福祉課長海老名英治 環境省環境保健部参事官→精神・障害保健課長西沢栄晃 障害者雇用対策課長→介護保険計画課長日野力 大臣官房付 兼 内閣府健康・医療戦略推進事務局参事官→高齢者医療課長江郷和彦 保険局調査課数理企画官→保険局調査課長山下護 こども家庭庁支援局総務課長→年金局総務課長和田幸典 大臣官房付 兼 内閣官房内閣参事官→年金課長小沢幸生 こども家庭庁成育環境課児童手当管理室長→国際年金課長高島章好 広報室長→資金運用課長鈴木健二 年金局調査課長→数理課長重永将志 事業管理課長→年金局事業企画課長岡讓 日本年金機構企画調整監→年金局事業管理課長五百旗頭千奈美 労働関係法課長→大臣官房参事官 兼 人材開発総務担当参事官室長沢口浩司 障害者雇用対策課障害者雇用促進研究官→大臣官房参事官 兼 人材開発政策担当参事官室長飯田明子 農林水産省大臣官房参事官→大臣官房参事官 兼 能力評価担当参事官室長高松利光 労働政策研究・研修機構統括研究員→大臣官房参事官 兼 海外人材育成担当参事官室長梶野友樹 医政局総務課長→大臣官房参事官=総合政策統括担当岡英範 雇用保険課長→大臣官房参事官=総合政策統括担当諏訪克之 生活衛生課長→大臣官房参事官=調査分析・評価担当高橋俊博 労働者健康安全機構総務部長→大臣官房参事官喜名明子 労働基準局総務課石綿対策室長→中央労働委員会事務局調整第1課長溝口進 大臣官房参事官 兼 人材開発総務担当参事官室長→大臣官房付花咲恵乃 国際年金課長→大臣官房付 兼 人材開発統括官付参事官付2028年技能五輪国際大会準備室古瀬陽子 大臣官房参事官 兼 政策統括官付参事官付統計・情報総務室長→大臣官房付 兼 政策統括官付参事官付統計・情報総務室古川弘剛 大臣官房付→大臣官房付 兼 林国務大臣秘書官事務取扱吉田昌司 福祉基盤課福祉人材確保対策官→大臣官房付 兼 内閣官房参事官前田奈歩子 大臣官房参事官=自殺対策担当→大臣官房付 兼 内閣官房内閣参事官安田正人 がん・疾病対策課肝炎対策推進室長→大臣官房付 兼 内閣官房内閣参事官高宮裕介 大臣官房参事官=救急・周産期・災害医療等、医療提供体制改革担当→大臣官房付 兼 内閣府健康・医療戦略推進事務局参事官日野原友佳子 日本医療研究開発機構データ利活用・ライフコース研究開発事業部長→大臣官房付 兼 内閣府健康・医療戦略推進事務局参事官丸山浩二 大臣官房付 兼 林国務大臣秘書官事務取扱→大臣官房付 兼 こども家庭庁官房参事官飯田剛 高齢・障害・求職者雇用支援機構総務部長→大臣官房付 兼 復興庁統括官付参事官今川正紀(食品監視安全課長)→免 兼 食品監視安全課食品健康被害情報管理室長真鍋馨 厚生科学課長→出向・内閣官房内閣審議官=内閣感染症危機管理統括庁成松英範 官房総務課長→出向・内閣府官房審議官=経済財政運営、経済社会システム及び共生・共助担当平嶋壮州 国際課長→出向・国土交通省大臣官房審議官高城亮 大臣官房付、前防衛省人事教育局衛生官→出向・環境省国立水俣病総合研究センター所長日下英司 大臣官房付(前内閣官房内閣審議官=内閣感染症危機管理統括庁)→出向・防衛省衛生監草野哲也 政策企画官 兼 大臣官房情報化担当参事官室→出向・内閣官房内閣参事官森田博通 大臣官房付、前内閣府参事官=社会システム担当→出向・内閣官房内閣参事官=内閣感染症危機管理統括庁内山晃治 大臣官房付、前全国健康保険協会本部企画部長→出向・内閣府官房参事官小野俊樹 年金局総務課長→出向・内閣府参事官=社会システム担当手倉森一郎 大臣官房付、前労働政策研究・研修機構総務部長→出向・内閣府男女共同参画局推進課長高江慎一 医療機器審査管理課長→出向・消費者庁食品衛生基準審査課長尾崎守正 大臣官房会計課長→出向・こども家庭庁官房総務課長田中彰子 医政局参事官=医療情報担当→出向・こども家庭庁母子保健課長今泉愛 大臣官房付 兼 感染症対策部→出向・こども家庭庁障害児支援課長朝比奈祥子 大臣官房付、前日本年金機構本部刷新システム開発部長→出向・農林水産省大臣官房参事官田中規倫 地域福祉課長→出向・国土交通省安心居住推進課長小林秀幸 精神・障害保健課長→出向・環境省環境保健部参事官松岡輝昌 健康課長→出向・防衛省人事教育局衛生官 志村幸久 大臣官房付、前大阪労働局長→辞職榎本芳人 大臣官房付、前四国厚生支局長→辞職・農業者年金基金業務部長込山愛郎 大臣官房付、前東海北陸厚生局長→辞職・企業年金連合会審議役武藤憲真 大臣官房審議官=年金担当→辞職井内努 安全衛生部長→辞職前田光哉 大臣官房付、環境省環境保健部長→辞職曽根智史 大臣官房付、国立保健医療科学院長→辞職武田康久 大臣官房付、関東信越厚生局長→辞職松永久 労災管理課長→辞職・高齢・障害・求職者雇用支援機構総括審議役佐々木菜々子 労働基準局総務課長→辞職・高齢・障害・求職者雇用支援機構障害者職業総合センター研究主幹境伸栄 中央労働委員会事務局調整第1課長→辞職・高齢・障害・求職者雇用支援機構総務部長佐藤裕亮 数理課長→辞職・福祉医療機構審議役渡辺正道 雇用開発企画課長→辞職・労働政策研究・研修機構総務部長小林淳 勤労者生活課長→辞職・労働者健康安全機構総務部長田中義高 大臣官房付 兼 こども家庭庁官房参事官→辞職・国立病院機構本部企画部長三村国雄 参事官=調査分析・評価担当→辞職・医薬品医療機器総合機構執行役員中井清人 医薬品審査管理課長→辞職・医薬品医療機器総合機構安全管理監重元博道 医薬局総務課長→辞職・年金積立金管理運用独立行政法人審議役原田朋弘 大臣官房付 兼 内閣官房内閣参事官=内閣官房副長官補付→辞職・国立がん研究センターゲノム医療推進官渡辺顕一郎 大臣官房付 兼 内閣府健康・医療戦略推進事務局参事官→辞職・日本医療研究開発機構国際戦略推進部参事役安藤公一 参事官=総合政策統括担当→辞職・社会保険診療報酬支払基金医療情報化推進役石塚哲朗 援護企画課長→辞職・日本年金機構本部経営企画部企画調整監7月1日増田嗣郎 大臣官房付、前高齢・障害・求職者雇用支援機構障害者職業総合センター研究主幹→東京労働局長富田望 東京労働局長→大臣官房付 兼 国際労働機関駐日事務所代表徳永国大 東京高検検事→官房参事官=法務担当岸本哲也 内閣官房内閣参事官→官房参事官=感染症対策、医政、総括調整、行政改革担当浜本健司 国土交通省官房付→高齢者支援課長古川弘剛 官房参事官=感染症対策、医政、総括調整、行政改革担当→大臣官房付 兼 内閣官房内閣総務官室田中誠二(厚生労働審議官)→人材開発統括官事務取扱堀井奈津子 人材開発統括官→出向・消費者庁長官内山博之 官房医薬産業振興・医療情報審議官→出向・内閣府健康・医療戦略推進事務局長三浦明 大臣官房付 兼 内閣官房内閣審議官 兼 デジタル庁統括官付審議官→出向・デジタル庁統括官森光敬子 医政局長→官房医薬産業振興・医療情報審議官事務取扱福島悠子 官房参事官=法務担当→出向・東京高検検事峰村浩司 高齢者支援課長→出向・国土交通省官房付 兼 内閣府政策統括官付参事官竹林経治 大臣官房付 兼 内閣府健康・医療戦略推進事務局次長→辞職・国立がん研究センター理事長特任補佐中山智紀 大臣官房付、前消費者庁食品衛生・技術審議官→辞職環境省 2025年7月人事異動環境省幹部等職員名簿[PDF 121KB] 令和7年7⽉8⽇現在https://www.env.go.jp/content/000326811.pdf6月30日高沢哲也 大臣官房環境保健部化学物質安全課環境リスク情報分析官→辞職関根達郎 大臣官房付、前宮内庁庭園課長→辞職農林水産省 2025年7月人事異動農林水産省幹部職員名簿 令和7年7月14日現在:農林水産省7月14日太田雄也 国連政府代表部1等書記官→新事業・食品産業政策課商品取引室長7月11日野村良太 島根県農林水産部長→農村振興局土地改良企画課長7月10日日坂実 内閣官房内閣総務官室企画調整官→畜産局飼料課流通飼料対策室長山本拓樹 政策課調査官→退職・島根県農林水産部長へ7月8日坂本慶介 国土交通省総合政策局付→研究休職・大臣官房審議官 兼 農村振興局付朝比奈祥子 厚生労働省大臣官房付→大臣官房参事官 兼 新事業・食品産業部付小原啓吾 北海道農政部農業経営局長→政策課上席企画官飯田明子 大臣官房参事官 兼 新事業・食品産業部付→出向・厚生労働省参事官 兼 人材開発統括官付能力評価担当参事官室長山本泰司 大臣官房審議官 兼 農村振興局付→出向・国土交通省大臣官房付7月1日小坂善太郎 林野庁次長→林野庁長官藤田仁司 水産庁次長→水産庁長官宮浦浩司 大臣官房総括審議官→大臣官房長坂勝浩 大臣官房審議官→消費・安全局長杉中淳 経営局長→輸出・国際局長山口靖 大臣官房総括審議官→農産局長長井俊彦 大臣官房長→畜産局長小林大樹 大臣官房新事業・食品産業部長→経営局長松本平 畜産局長→農村振興局長押切光弘 大臣官房審議官 兼 経営局付→総括審議官河南健 水産庁漁政部長→総括審議官=新事業・食品産業へ中沢克典 日本貿易振興機構理事→政策立案総括審議官植野栄治 国土交通省北海道開発局農業水産部長→北陸農政局長志知雄一 政策情報分析官 兼 水産庁防災漁村課付→近畿農政局長郷達也 大臣官房審議官 兼 消費・安全局付 兼 輸出・国際局付→中国四国農政局長谷村栄二 政策立案総括審議官→林野庁次長信夫隆生 農林水産技術会議事務局研究総務官→水産庁次長高橋一郎 予算課長→新事業・食品産業部長河村仁 政策課長→農村政策部長斎藤健一 林野庁計画課長→林野庁森林整備部長長崎屋圭太 林野庁森林整備部長→林野庁国有林野部長高橋広道 水産庁増殖推進部長→水産庁漁政部長福島一 地方課長→水産庁増殖推進部長三野敏克 大臣官房付→輸出促進審議官 兼 輸出・国際局付木下雅由 畜産局総務課長→官房審議官 兼 消費・安全局付 兼 輸出・国際局付平中隆司 大臣官房参事官 兼 消費・安全局付 兼 輸出・国際局付→官房審議官 兼 輸出・国際局付神田宜宏 農村政策部長→大臣官房審議官 兼 経営局付岩間浩 大臣官房付 兼 内閣官房副長官補付内閣審議官→大臣官房審議官尾崎道 消費・安全局総務課長→大臣官房参事官 兼 消費・安全局付 兼 輸出・国際局付佐藤夏人 環境バイオマス政策課長→農林水産技術会議事務局研究総務官箕輪富男 林野庁国有林野部付→東北森林管理局長上口直紀 調整・監察課長→近畿中国森林管理局長田中晋太郎 中国四国農政局次長→四国森林管理局長真城英一 林野庁国有林野部長→九州森林管理局長加藤貴司 国際食料情報分析官 兼 食品製造課付→関東農政局次長石井克欣 防災課長→関東農政局次長猪上誠介 農林水産技術会議事務局国際研究官→中国四国農政局次長中尾学 大臣官房付 兼 内閣官房内閣参事官→予算課長日向彰 経営局総務課長→政策課長上杉和貴 林野庁企画課長→地方課長木村崇之 新事業・食品産業調査官→環境バイオマス政策課長 兼 農産局付久保牧衣子 政策課調査官→外食・食文化課長坂内啓二 大臣官房付 兼 内閣官房副長官補付内閣参事官→統計部管理課長大熊規義 大臣官房付 兼 内閣官房副長官補付内閣参事官→調整・監察課長望月光顕 輸出支援課長→消費・安全局総務課長貞包隆司 輸出・国際局付(前米国大使館参事官)→輸出企画課長長峰徹昭 園芸作物課長→輸出支援課長米田立子 国際交渉官→国際地域課長吉松亨 輸出企画課長→知的財産課長武田裕紀 農産局企画課長→農産局総務課長宮本亮 経営局保険監理官→園芸作物課長国枝玄 国際地域課長→農産局企画課長久染徹 経済産業省大臣官房参事官→貿易業務課長三上卓矢 農産局総務課長→畜産局総務課長峯村英児 農地政策課長→経営局総務課長矢沢祐一 大臣官房付 兼 復興庁統括官付参事官→農地政策課長斉賀大昌 政策課技術政策室長 兼 農林水産技術会議事務局研究調整課付 兼 研究推進課付→就農・女性課長白石知隆 保険課長→金融調整課長中平英典 水産庁加工流通課長→保険課長森幸子 農林水産技術会議事務局研究開発官→保険監理官福島央 土地改良企画課長→農村振興局総務課長能見智人 設計課付→地域振興課長山本恵太 地域振興課長→地域整備課長中藤直孝 農村振興局整備部付→防災課長羽子田知子 農林水産技術会議事務局研究企画課長→農林水産技術会議事務局研究調整課長尾室幸子 就農・女性課長→農林水産技術会議事務局研究企画課長横山博一 大臣官房参事官 兼 消費・安全局付→林野庁企画課長小坂田章志 農林漁業信用基金企画調整室長→林野庁経営課長土居隆行 林野庁整備課長→林野庁計画課長増山寿政 林野庁森林吸収源情報管理官→林野庁森林利用課長諏訪幹夫 林野庁山村振興・緑化推進室長→林野庁整備課長石井洋 林野庁森林利用課長→林野庁経営企画課長清水正雄 消費者庁食品表示課長→水産庁企画課長久納寛子 水産庁漁政部付(前経済協力開発機構代表部参事官)→水産庁加工流通課長桜井政和 水産庁防災漁村課長→水産庁管理調整課長川島哲哉 水産庁資源管理部参事官→水産庁漁場資源課長新村耕太 水産庁漁場資源課長→水産庁防災漁村課長村山直和 大臣官房付 兼 内閣官房内閣参事官→大臣官房参事官 兼 消費・安全局付三輪剛志 水産庁水産物貿易対策室長→水産庁資源管理部参事官麻山晃邦 総務省統計情報システム管理官 兼 情報公開・個人情報保護審査会事務局審査官→統計部統計企画管理官御厩敷寛 政策課上席企画官→水産庁漁業保険管理官野沢聡 農林水産技術会議事務局付(前オーストラリア大使館参事官)→農林水産技術会議事務局国際研究官龍沢直樹 農林水産技術会議事務局付→農林水産技術会議事務局研究開発官勝野美江 大臣官房審議官 兼 経営局付→政策情報分析官 兼 外食・食文化課付相本浩志 近畿農政局長→政策情報分析官 兼 農林水産技術会議事務局研究調整課付吉田誠 地方競馬全国協会副理事長→畜産情報分析官 兼 牛乳乳製品課付大政康史 東北森林管理局長→林野庁林業・木材産業情報分析官 兼 治山課付橘政行 九州森林管理局長→林野庁海外森林資源情報分析官 兼 経営企画課付西尾利哉 大臣官房付 兼 内閣官房副長官補付内閣参事官→関東農政局農村振興部長高橋一成 文化庁参事官→関東農政局統計部長平野賢一 貿易業務課長→大臣官房付依田学 経済産業省官房審議官→大臣官房付玉原雅史 国土交通省不動産・建設経済局次長→大臣官房付片貝敏雄 国土交通省官房審議官 兼 水管理・国土保全局→農産局付小林清史 内閣府沖縄振興局参事官→園芸作物課付石田良行 林野庁経営企画課長→林野庁国有林野部付猪口隼人 内閣官房副長官補付内閣参事官→大臣官房付 兼 内閣官房内閣参事官岡本浩一 大臣官房参事官、前官房文書課調査官→大臣官房付前田剛志 日本政策金融公庫特別参与→大臣官房付 兼 内閣官房副長官補付内閣審議官森井秀之 大臣官房参事官、前農林振興局整備部設計課付→大臣官房付 兼 内閣官房副長官補付内閣参事官河嶋正敏 水産庁企画課長→大臣官房付原口大志 水産庁漁業保険管理官→大臣官房付松本修一 知的財産課長→大臣官房付 兼 内閣府地方創生推進事務局参事官岩本泰明 大臣官房参事官、前水産庁計画・海業政策課付→水産庁増殖推進部付 兼 内閣府総合海洋政策推進事務局参事官石丸浩太郎 政策課調査官 兼 新事業・食品産業政策課付→大臣官房付 兼 復興庁統括官付参事官宮田龍栄 金融調整課長→出向・内閣官房副長官補付内閣参事官へ丹菊直子 大臣官房参事官、前畜産経営安定対策室長→出向・内閣官房内閣参事官へ元木要 大臣官房付 兼 内閣府地方創生推進事務局参事官→出向・内閣府官房 兼 官房参事官へ細川嘉一 大臣官房参事官、前農業者年金基金企画調整室長→出向・内閣府沖縄振興局参事官へ前間聡 大臣官房付 兼 内閣官房内閣参事官→出向・内閣府食品安全委員会事務局次長へ及川仁 大臣官房付、前内閣府食品安全委員会事務局次長→出向・消費者庁食品衛生・技術審議官へ宮長郁夫 新事業・食品産業部商品取引室長→出向・消費者庁食品表示課長へ都築慶剛 関東農政局利根川水系土地改良調査管理事務所長→出向・復興庁統括官付参事官へ藤井将邦 統計部統計企画管理官→出向・総務省情報公開・個人情報保護審査会事務局審査官へ谷口正範 林野庁経営課長→出向・公害等調整委員会事務局審査官へ中島勇人 上席国際交渉官→出向・文化庁参事官へ高山成年 輸出促進審議官 兼 輸出・国際局付→出向・経済産業省大臣官房審議官へ鳥海貴之 大臣官房付、前全国農業共済組合連合会参事 兼 業務部長→出向・国土交通省大臣官房審議官 兼 不動産・建設経済局へ玉置賢 統計部管理課長→出向・国土交通省大臣官房審議官 兼 水管理・国土保全局へ武井一郎 地域整備課長→出向・国土交通省北海道開発局農業水産部長へ青山豊久 林野庁長官→退職森健 水産庁長官→退職安岡澄人 消費・安全局長→退職森重樹 輸出・国際局長→退職松尾浩則 農産局長→退職前島明成 農村振興局長→退職遠藤知庸 北陸農政局長→退職・北陸農政局長高橋和宏 近畿中国森林管理局長→退職・近畿中国森林管理局長竹内純一 四国森林管理局長→退職・四国森林管理局長中野和浩 秘書課付、前ロシア大使館参事官→農林漁業信用基金企画調整室長へ6月30日仙台光仁 中国四国農政局長→退職・地方競馬全国協会副理事長へ五十嵐麻衣子 外食・食文化課長→退職・日本貿易振興機構本部農林水産食品部長へ水川明大 水産庁管理調整課長→退職・日本政策金融公庫特別参与へ山里直志 農村振興局総務課長→退職・全国農業共済組合連合会参事兼業務部長へ横山純 水産庁増殖推進部付 兼 内閣府総合海洋政策推進事務局参事官→退職鹿嶋弘律 農村振興局整備部付、前復興庁統括官付参事官→退職6月25日倉重泰彦 日本政策金融公庫専務→農林水産政策研究所長内田幸雄 農林水産政策研究所長→大臣官房政策課企画官6月24日西浦博之 輸出・国際局参事官→輸出・国際局付 兼 内閣官房副長官補付内閣審議官6月23日常葉光郎 輸出・国際局付兼内閣官房副長官補付内閣審議官→退職・日本政策金融公庫専務へ農林水産省幹部職員名簿 令和7年7月14日現在:農林水産省農林水産省幹部職員名簿 令和7年7月11日現在:農林水産省農林水産省幹部職員名簿 令和7年7月10日現在:農林水産省農林水産省幹部職員名簿 令和7年7月8日現在:農林水産省農林水産省幹部職員名簿 令和7年7月4日現在:農林水産省農林水産省幹部職員名簿 令和7年7月1日現在:農林水産省農林水産省幹部職員名簿 令和7年6月25日現在:農林水産省農林水産省幹部職員名簿 令和7年6月20日現在:農林水産省農林水産省幹部職員名簿 令和7年5月21日現在:農林水産省農林水産省幹部職員名簿 令和7年4月21日現在:農林水産省農林水産省幹部職員名簿 令和7年4月12日現在:農林水産省農林水産省幹部職員名簿 令和7年4月1日現在:農林水産省農林水産省幹部職員名簿 令和7年1月1日現在:農林水産省国土交通省 2025年7月人事異動人事異動 令和7年度 - 国土交通省 令和7年7月16日付(国土交通省第40号)7月14日鎌田秀一 都市再生機構理事→中国地方整備局副局長深井敦夫 大臣官房付、前中国地方整備局副局長→辞職高山泰 土地政策課長→辞職・住宅金融支援機構審議役へ7月11日後藤章文(船員政策課長)→免兼 海事局海技課長西畑知明 警察庁官房付→海事局海技課長7月10日橋本雅道 官房審議官=技術担当→関東地方整備局長小島優 水管理・国土保全局河川環境課長→官房審議官=技術、水管理・国土保全局担当島本和仁 水資源機構経営企画本部経営企画部長→水管理・国土保全局河川環境課長岩崎福久 官房付、前関東地方整備局長→辞職7月9日中野晶子(情報政策課長)→免兼 行政情報化推進課長九鬼令和 愛知県都市・交通局長→行政情報化推進課長山内洋志 大臣官房付→辞職・長崎県土木部長7月7日青山佳樹 不動産・建設経済局総務課土地収用管理室長→水政課法務企画調整官小宮允 大臣官房付→不動産・建設経済局総務課土地収用管理室長7月6日真鍋英樹 大臣官房付、前経済産業省官房審議官=商務・サービス担当→辞職・国際観光振興機構理事長代理折原英人 大臣官房付→辞職・山形県副知事7月4日上手研治 大臣官房付→出向・海上保安庁政務課長7月2日伊藤政美 ケニア大使館参事官→北海道局予算課経理指導官7月1日水嶋智 国土交通審議官→事務次官塩見英之 総合政策局長→国土交通審議官鶴田浩久 物流・自動車局長→総合政策局長石原大 内閣官房副長官補付内閣審議官→物流・自動車局長村田茂樹 官房長→観光庁長官黒田昌義 国土政策局長→大臣官房長佐々木正士郎 大臣官房総括審議官→国土政策局長千葉信義 大臣官房会計課長→大臣官房総括審議官佐藤寿延 中部地方整備局長→国土技術政策総合研究所長森本輝 河川計画課長→中部地方整備局長原田昌直 大臣官房付→国土交通大学校副校長斎藤博之 水資源部長→近畿地方整備局長宮武晃司 国土技術政策総合研究所研究総務官→水資源部長垣下禎裕 大臣官房付→九州地方整備局長吉田昭二 運輸総合研究所主席研究員→東北運輸局長服部真樹 海上保安庁総務部長→近畿運輸局長沓掛敏夫 大臣官房技術審議官→道路局長小林賢太郎 道路局企画課長→官房技術審議官河野順 四国運輸局長→海事局次長田村顕洋 海上・港湾・航空技術研究所総務部長→四国運輸局長長井総和 海上保安庁第2管区海上保安本部長→官房政策立案総括審議官 兼 サイバーセキュリティ・情報化審議官平嶋隆司 観光庁次長→官房危機管理・運輸安全政策審議官木村典央 鉄道建設・運輸施設整備支援機構副理事長→観光庁次長秋田未樹 航空ネットワーク部長→航空局次長田口芳郎 大臣官房人事課長→航空ネットワーク部長石井宏幸 大臣官房参事官=上下水道技術担当→大臣官房上下水道審議官中尾晃史 大臣官房総務課長→大臣官房政策評価審議官松尾徹 官庁営繕部計画課長→大臣官房審議官=官庁営繕部担当笠尾卓朗 内閣府官房審議官=経済社会システム担当→官房審議官=総合政策局担当田中賢二 総合政策局総務課長→大臣官房審議官=国土政策局、観光庁担当権藤宗高 新関西国際空港執行役員→大臣官房技術審議官=鉄道局担当鳥海貴之 農林水産省官房付=全国農業共済組合連合会参事兼業務部長→大臣官房審議官=不動産・建設経済局担当吉田英一郎 財務省関税局総務課長→大臣官房審議官=北海道局、不動産・建設経済局担当堀江信幸 国土交通大学校副校長→大臣官房公文書監理官中田裕人 大臣官房土地政策審議官→都市局長堤洋介 大臣官房審議官=不動産・建設経済局担当→大臣官房土地政策審議官藤田昌邦 大臣官房審議官=国土政策局担当→大臣官房審議官=国土政策局、不動産・建設経済局担当川崎暁 金融庁総合政策局審議官→大臣官房審議官=国土政策局担当林正道 中国地方整備局長→水管理・国土保全局長杉中洋一 阪神国際港湾執行役員副社長→中国地方整備局長国友優 砂防計画課長→砂防部長新垣慶太 大臣官房付→海事局長安部賢 大臣官房技術参事官=港湾局担当→港湾局長森橋真 港湾局計画課長→大臣官房技術参事官=港湾局担当中原正顕 内閣府沖縄総合事務局開発建設部長→中部地方整備局副局長吉田敏晴 国土技術政策総合研究所企画部長→中国地方整備局副局長酒井浩二 国土技術政策総合研究所管理調整部長→九州地方整備局副局長宮沢康一 海上保安庁次長→航空局長岡野まさ子 鉄道局次長→大臣官房総括審議官小林太郎 大臣官房審議官=公共交通政策、物流・自動車局担当→鉄道局次長原田修吾 九州運輸局長→大臣官房審議官=公共交通政策、物流・自動車局担当日向弘基 海上・港湾・航空技術研究所監事→九州運輸局長石井靖男 大阪航空局長→航空局安全部長塩田昌弘 中部国際空港執行役員空港運用本部長施設企画担当→大阪航空局長石川伸 大臣官房審議官=北海道局、水管理・国土保全局担当→北海道局長富山英範 北海道局地政課長→大臣官房審議官=北海道局、道路局担当佐々木俊一 道路局次長→政策統括官石和田二郎 道路局総務課長→道路局次長日笠弥三郎 大臣官房付→国際統括官遠藤達哉 北海道局参事官→北海道開発局長奈良裕信 鉄道建設・運輸施設整備支援機構監査・事業監理統括役→観光庁観光政策特別研究交渉官大辻統 物流・自動車局総務課長→東京航空局長山本英貴 鉄道建設・運輸施設整備支援機構総務部長→国際統括官付国際交通特別交渉官山下雄史 大臣官房サイバーセキュリティ・情報化審議官→交通管制部長豊嶋太朗 建築指導課長→官房審議官=住宅局担当米山茂 関東運輸局次長→国土交通政策研究所長楠田幹人 住宅局長→不動産・建設経済局長宿本尚吾 大臣官房審議官=住宅局担当→住宅局長井崎信也 水管理・国土保全局次長→大臣官房審議官=住宅局担当中井淳一 水管理・国土保全局総務課長→水管理・国土保全局次長渡辺輝 財務省官房政策立案総括審議官→政策統括官玉置賢 農林水産省官房統計部管理課長→大臣官房審議官=水管理・国土保全局担当田中政幸 福島市副市長→市街地建築課長後藤隆昭 大臣官房付→北海道局総務課長折原英人 大臣官房参事官=航空予算担当→官房付吉田誠 内閣官房副長官補付内閣参事官→大臣官房参事官=航空予算担当川端達史 人事課企画官→近畿圏・中部圏空港課長直原史明 道路局参事官→大臣官房付土田宏道 モビリティサービス推進課長→道路局参事官星明彦 内閣府沖縄総合事務局運輸部長→モビリティサービス推進課長紺野博行 物流政策課長→大臣官房付高田龍 住宅金融支援機構業務企画部長→物流政策課長飯沼宏規 内閣府防災担当政策統括官付参事官→広報課長山田哲也 復興庁統括官付参事官→大臣官房付光安達也 大臣官房付→都市局総務課長宮木一寛 不動産・建設経済局総務課長→国土政策局総務課長村上威夫 地価調査課長→不動産・建設経済局総務課長石井秀明 住宅総合整備課住環境整備室長→地域振興課長浪越祐介 消費者庁参事官=公益通報・協働担当→離島振興課長本田康秀 大臣官房付→大臣官房参事官=上下水道技術担当和田卓 技術調査課建設技術政策分析官→大臣官房参事官=道路交通連携二瓶朋史 政策課政策企画官→大臣官房参事官=自動車旅客担当鈴木章一郎 大臣官房参事官=人事担当→人事課長早船文久 鉄道局総務課長→大臣官房参事官=人事担当奈良和美 港湾局総務課長→鉄道局総務課長中山泰宏 情報政策課長→港湾局総務課長中野晶子 不動産・建設経済局参事官→情報政策課長 兼 行政情報化推進課長多田浩人 観光庁総務課長→大臣官房総務課長黒須卓 大臣官房参事官=会計担当→大臣官房会計課長神谷将広 住宅経済・法制課長→大臣官房参事官=会計担当皆川武士 国際市場課長→住宅経済・法制課長羽矢憲史 観光庁観光産業課長→国際市場課長北間美穂 大臣官房付→不動産市場整備課長小沢剛 東北地方整備局営繕部長→官庁営繕部計画課長奥原崇 甲府市副市長→総合政策局総務課長江口大暁 都市環境課長→土地経済課長藤條聡 大臣官房付→都市環境課長峰村浩司 厚生労働省高齢者支援課長→大臣官房付石川亨 大臣官房参事官=グローバル戦略→水管理・国土保全局総務課長八尾光洋 海外プロジェクト推進課長→大臣官房参事官=グローバル戦略武藤祥郎 国際・デジタル政策課長→海外プロジェクト推進課長川合紀子 不動産業課長→国際・デジタル政策課長倉石誠司 総合計画課長→不動産業課長宮沢正知 大臣官房参事官=建設人材・資材担当→総合計画課長伊勢尚史 内航課長→大臣官房参事官=建設人材・資材担当叶雅仁 人事課企画官→内航課長西沢賢太郎 防災課長→河川計画課長矢崎剛吉 大臣官房参事官=災害対応→防災課長沓掛誠 官庁営繕部管理課長→大臣官房参事官=災害対応矢野智義 大臣官房人事課人事調整官→官庁営繕部管理課長岩川勝 国際政策課長→上下水道企画課長坂本弘毅 大臣官房付→国際政策課長中西貴子 大臣官房参事官=土地利用担当→大臣官房付椎葉秀作 保全課長→砂防計画課長綱川浩章 大臣官房付→保全課長高藤喜史 政策課長→道路局総務課長小熊弘明 交通政策課長→政策課長大坪弘敏 交通管制企画課長→交通政策課長金籠史彦 大臣官房付→交通管制企画課長安部勝也 観光庁観光地域振興課長→道路交通管理課長松本健 高速道路課長→道路局企画課長渡辺良一 関東地方整備局企画部長→高速道路課長松野秀生 住宅生産課長→建築指導課長前田亮 住宅局参事官=建築企画担当→住宅生産課長高木直人 住宅経済・法制課住宅金融室長→住宅局参事官=建築企画担当谷口礼史 総合政策局付→物流・自動車局総務課長鈴木健介 情報政策課建設経済統計調査室長→物流・自動車局安全政策課長小沢康彦 海上・港湾・航空技術研究所港湾空港技術研究所研究統括監→近畿運輸局次長川崎俊正 国際臨海開発研究センター研究主幹→大臣官房参事官=交通プロジェクト担当馬場智 中国地方整備局港湾空港部長→海洋・環境課長酒井敦史 港湾荷役システム協会先端物流戦略研究所研究主幹→港湾局技術企画課長末満章悟 内閣府官房→港湾経済課長古土井健 近畿地方整備局港湾空港部長→港湾局計画課長早川哲也 関東地方整備局京浜港湾事務所長→産業港湾課長佐々木規雄 北陸地方整備局港湾空港部長→海岸・防災課長森哲也 大臣官房参事官=税制担当→航空局付清水充 環境政策課長→大臣官房参事官=税制担当竹内大一郎 観光庁観光資源課長→環境政策課長墳崎正俊 地域交通課長→地理空間情報課長福嶌教郷 住宅局総務課企画官→地域交通課長榎本考暁 国土政策局総務課企画官→住宅局総務課企画官平井洋次 海上保安庁環境防災課長→空港技術課長坂憲浩 北海道開発局釧路開発建設部長→地政課長井田泰蔵 北海道局水政課長→北海道局参事官時岡真治 北海道開発局帯広開発建設部長→北海道局水政課長波々伯部信彦 政策統括官付政策評価官→国土交通大学校副校長磯野哲也 文化庁参事官=文化拠点担当→政策統括官付政策評価官麻山健太郎 デジタル庁統括官付参事官→東北運輸局次長佐藤克文 運輸総合研究所主任研究員→関東運輸局次長桜井紀彦 大臣官房総務課企画官→自動車情報課長野口透良 大臣官房付→路政課長大野達 総合政策局次長→出向・大臣官房副長官補付内閣審議官江原一太朗 大臣官房付→出向・大臣官房総務部参事官=海洋情報部担当山本巧 道路局長→出向・大臣官房副長官付内閣審議官鎌原宜文 大臣官房審議官=都市生活環境・国際園芸博覧会担当→出向・大臣官房副長官補付内閣審議官舟本浩 海事局次長→出向・内閣府総合海洋政策推進事務局長鈴木貴典 大臣官房審議官=国土政策局、観光庁担当→出向・大臣官房審議官=経済社会システム担当坂巻健太 大臣官房総括審議官→出向・海上保安庁次長今井和哉 東京航空局長→出向・気象庁総務部長高橋徹 国際統括官付国際交通特別交渉官→出向・海上保安庁総務部参事官=警備救難部担当石崎憲寛 航空局交通管制部長→出向・海上保安庁第1管区海上保安本部長横山征成 大臣官房審議官=住宅局担当→出向・内閣府防災担当政策統括官平田研 不動産・建設経済局長→出向・復興庁統括官松浦克巳 政策統括官→出向・財務省大臣官房付玉原雅史 不動産・建設経済局次長→出向・農林水産省大臣官房付片貝敏雄 大臣官房審議官=水管理・国土保全局担当→出向・農林水産省農政局付太田大吾 近畿圏・中部圏空港課長→出向・大臣官房副長官補付内閣参事官宇佐美智康 大臣官房参事官=鉄道建設・運輸施設整備支援機構監督・地域調整担当→出向・内閣府防災担当政策統括官付参事官駒田義誌 離島振興課長→出向・内閣府防災担当政策統括官付参事官=防災計画担当茶谷晋太郎 広報課広報企画官→出向・消費者庁参事官=公益通報・協働担当二井俊充 不動産市場整備課長→出向・観光庁観光産業課長浜本健司 大臣官房付、前観光庁国際観光部参事官=外客受入担当→出向・厚生労働省高齢者支援課長今井盾介 航空局総務課企画室長→出向・観光庁国際観光部参事官=外客受入担当矢吹周平 地理空間情報課長→出向・観光庁観光資源課長笈田雅樹 北海道局企画調整官→出向・文化庁参事官=文化拠点担当菅原晋也 路政課長→出向・観光庁観光戦略課長白井正興 港湾局付、前海洋・環境課長→派遣・国際港湾協会事務局次長麓裕樹 大臣官房付、前北海道局総務課長→休職・建設経済研究所研究理事渡辺勝大 大臣官房付、前国土政策局総務課長→休職・不動産適正取引推進機構総括研究理事谷山拓也 大臣官房付、前地域振興課長→休職・日本建築センター建築技術研究所研究部長本位田拓 大臣官房付、前海上保安庁航行安全課長→休職・土地総合研究所次長久田成昭 港湾局付、前港湾局技術企画課長→休職・港湾空港総合技術センター研究主幹谷合隆 総合政策局付、前自動車情報課長→休職・運輸総合研究所主任研究員吉岡幹夫 事務次官→辞職秡川直也 観光庁長官→辞職内山正人 大臣官房付、前国土交通政策研究所副所長→辞職福田敬大 大臣官房付、前国土技術政策総合研究所長→辞職堂薗俊多 大臣官房付、前国土交通大学校副校長→辞職長谷川朋弘 大臣官房付、前近畿地方整備局長→辞職森田康夫 大臣官房付、前九州地方整備局長→辞職川崎博 大臣官房付、前東北運輸局長→辞職岩城宏幸 大臣官房付、前近畿運輸局長→辞職吉永隆博 大臣官房付、前気象庁次長→辞職藤原威一郎 大臣官房付、前運輸安全委員会事務局長→辞職増田直樹 海上保安庁総務部参事官=海洋情報部担当→辞職丹羽克彦 大臣官房付、前内閣官房副長官付内閣審議官→辞職倉野泰行 内閣官房副長官補付内閣審議官→辞職石坂聡 大臣官房付、前内閣府地方創生推進事務局長→辞職高杉典弘 大臣官房付、前内閣府総合海洋政策推進事務局長→辞職佐々木政彦 大臣官房付、前復興庁宮城復興局長→辞職松本啓朗 大臣官房付、前環境省水・大気環境局長→辞職高橋武男 大臣官房付、前参議院事務局管理部副部長→辞職山腰俊博 大臣官房付、前軽自動車検査協会理事→辞職岡本裕豪 大臣官房政策立案総括審議官→辞職加藤進 大臣官房危機管理・運輸安全政策審議官→辞職松原誠 大臣官房上下水道審議官→辞職増田昌樹 大臣官房審議官=官庁営繕部担当→辞職後藤慎一 大臣官房審議官=総合政策局担当→辞職岸谷克己 大臣官房技術審議官=鉄道局担当→辞職内田欽也 都市局長→辞職藤巻浩之 水管理・国土保全局長→辞職草野愼一 砂防部長→辞職宮武宜史 海事局長→辞職稲田雅裕 港湾局長→辞職西尾保之 港湾局付、前中部地方整備局副局長→辞職箕作幸治 中国地方整備局副局長→辞職平岡成哲 航空局長→辞職北沢歩 航空局安全部長→辞職柿崎恒美 北海道局長→辞職小善真司 政策統括官→辞職田中由紀 国際統括官→辞職坂場武彦 北海道開発局長→辞職服部司 大臣官房付、前会計検査院官房技術参事官→辞職池田哲郎 港湾局付、前近畿運輸局次長→辞職高橋広治 国際観光振興機構理事長代理→事務局長藤原威一郎 事務局長→辞職6月27日新垣慶太 新関西国際空港取締役副社長 兼 副社長執行役員→大臣官房付中村武史 中国大使館参事官→大臣官房付橋本亮二 新関西国際空港専務取締役 兼 専務執行役員→大臣官房総務課総合管理分析官田村公一 大臣官房審議官=北海道局、不動産・建設経済局担当→出向・財務省大臣官房付へ6月26日乾有貴 アラブ首長国連邦大使館参事官→鉄道局付角野浩之 海事局船員政策課長→海事局総務課長後藤章文(海事局海技課長)→兼 海事局船員政策課長6月25日高田公生 海事局総務課長→辞職・新関西国際空港専務取締役 兼 専務執行役員6月21日垣下禎裕 首都高速道路執行役員→大臣官房付6月20日森下博之 官房参事官=イノベーション担当→総合政策局公共事業企画調整課長信太啓貴 北陸地方整備局企画部長→官房参事官=イノベーション担当大野良徳 水管理・国土保全局治水課事業監理室長→九州地方整備局河川部長里村真吾 水管理・国土保全局河川環境課流水企画室長→治水課事業監理室長村山英俊 熊本県土木部総括審議員兼河川港湾局長→水管理・国土保全局河川環境課流水企画室長6月19日池口正晃 総合政策局公共事業企画調整課長→辞職・首都高速道路執行役員文部科学省 2025年7月人事異動幹部名簿:文部科学省 令和7年7月15日現在7月1日下岡豊 農林水産省農林水産技術会議事務局研究企画課イノベーション戦略室長→大臣官房付細野慶介 総務省放送政策課外資規制審査官→初等中等教育局教育課程課情報教育振興室長高橋理恵 大臣官房付→科学技術・学術政策局政策課科学技術・学術政策調査分析官西山裕子 政策研究大学院大学大学運営局学術国際課長→研究開発局参事官=原子力損害賠償担当付企画官鈴木敏之 量子科学技術研究開発機構監事→大臣官房付三野元靖 内閣情報調査室調査官→大臣官房付三宅隆悟 日本医療研究開発機構先進的研究開発戦略センター先進的研究開発戦略事業部長→海洋地球課長吉屋拓之 個人情報保護委員会事務局参事官→スポーツ庁参事官=民間スポーツ担当藤田健 経済産業省欧州課長→文化庁文化経済・国際課長中島勇人 農林水産省国際経済課上席国際交渉官→文化庁参事官=生活文化連携担当笈田雅樹 国土交通省北海道局企画調整官→文化庁参事官=文化拠点担当尾西晃典 研究開発局参事官=原子力損害賠償担当付企画官→出向・内閣情報調査室調査官へ神谷征彦 初等中等教育局教育課程課情報教育振興室長→出向・総務省電波環境課認証推進室長へ氏原拓 大臣官房付→出向・復興庁統括官付参事官へ高橋一成 文化庁参事官=生活文化連携担当→出向・農林水産省関東農政局統計部長へ桃井謙祐 スポーツ庁参事官=民間スポーツ担当→出向・経済産業省大臣官房付へ寺本恒昌 文化庁文化経済・国際課長→出向・経産省大臣官房参事官=商務・サービスグループ担当へ磯野哲也 文化庁参事官=文化拠点担当→出向・国土交通省政策統括官付政策評価官へ根来恭子 大臣官房付→出向・観光庁参事官=旅行振興担当へ村山綾介 大臣官房付→出向・理化学研究所計算科学研究センター副センター長へ中川尚志 海洋地球課長→出向・日本医療研究開発機構企画部長へ宮本拓人 大臣官房付→出向・日本医療研究開発機構先進的研究開発戦略センター先進的研究開発戦略事業部長へ6月16日平山直子 国連教育科学文化機関日本政府代表部参事官→大臣官房付高橋一郎 大臣官房付→高等教育局国際担当参事官付国際戦略分析官消費者庁 2025年7月人事異動人事異動 消費者庁 2025/07/09 令和7年 官報本紙 第1503号 - 官報検索! 令和7年7月15日現在(厚生労働省人材開発統括官)厚生労働事務官堀井奈津子消費者庁長官に昇任させる(消費者庁長官)消費者庁長官新井ゆたか勤務延長期限到来による退官(内閣府大臣官房)内閣府事務官日下部英紀消費者庁次長に昇任させる(消費者庁次長)同吉岡秀弥内閣府に出向させる(中小企業庁次長)経済産業事務官飯田健太内閣府事務官(消費者庁政策立案総括審議官)に転任させる(消費者庁政策立案総括審議官)内閣府事務官藤本武士経済産業省に出向させる(農林水産省大臣官房付)農林水産技官及川仁内閣府技官(消費者庁食品衛生・技術審議官)に昇任させる(消費者庁食品衛生・技術審議官)内閣府技官中山智紀厚生労働省に出向させる(消費者庁消費者安全課長)内閣府事務官阪口理司消費者庁参事官(人事・会計等担当)に併任する(総務省総合通信基盤局電気通信事業部基盤整備促進課長)総務事務官堀内隆広内閣府事務官(消費者庁総務課長)に転任させる(消費者庁総務課長)内閣府事務官安東高徳総務省に出向させる(公正取引委員会事務総局審査局第4審査長)同岡田博己消費者庁表示対策課長に転任させる(消費者庁表示対策課長)同高居良平公正取引委員会事務総局に出向させる(農林水産省大臣官房新事業・食品産業部新事業・食品産業政策課商品取引室長)農林水産事務官宮長郁夫内閣府事務官(消費者庁食品表示課長)に昇任する(消費者庁食品表示課長)内閣府事務官清水正雄農林水産省に出向させる(国土交通省大臣官房広報課広報企画官)国土交通事務官茶谷晋太郎内閣府事務官(消費者庁参事官(公益通報・協働担当))に昇任する(消費者庁参事官(公益通報・協働担当))内閣府事務官浪越祐介国土交通省に出向させる(以上7月1日)令和7年7月16日付(国土交通省第40号)令和7年7月15日現在幹部名簿 | 消費者庁 令和7年7月8日現在7月1日飯田健太 中小企業庁次長→政策立案総括審議官及川仁 内閣府食品安全委員会事務局次長→食品衛生・技術審議官藤本武士 政策立案総括審議官→出向・経済産業省大臣官房付へ中山智紀 食品衛生・技術審議官→出向・厚生労働省大臣官房付へこども家庭庁 2025年7月人事異動人事異動情報|こども家庭庁令和7年7月7日及び7月8日付発令(PDF/141KB)幹部名簿(令和7年7月8日時点)(PDF/101KB)7月8日藤原朋子 成育局長→官房長中村英正 官房長→成育局長尾崎守正 厚生労働省大臣官房会計課長→官房総務課長田中彰子 厚生労働省医政局参事官=医療情報担当→母子保健課長小野雄大 障害児支援課長→支援局総務課長 兼 自殺対策室長今泉愛 厚生労働省大臣官房付 兼 感染症対策部 兼 医薬局→障害児支援課長林俊宏 官房総務課長→出向・厚生労働省大臣官房審議官=老健、障害保健福祉担当へ木庭愛 母子保健課長→出向・厚生労働省感染症対策課長へ小沢幸生 児童手当管理室長→出向・厚生労働省国際年金課長へ山下護 支援局総務課長 兼 自殺対策室長→出向・厚生労働省年金局総務課長へ7月1日斉藤馨 内閣府沖縄振興局長→支援局長吉住啓作 支援局長→出向・内閣府へ財務省 2025年7月人事異動令和7年(2025年)新着情報:その他 : 財務省財務省幹部名簿(令和7年7月14日現在)(PDF:161KB) https://www.mof.go.jp/about_mof/introduction/personnel/transfers/meiboR070714.pdf7月8日付小平武史 国税庁会計課長→政策金融課長高橋洋明 内閣府政策統括官付参事官=予算編成基本方針担当→信用機構課長 兼 機構業務室長小岩徹郎 主税局総務課主税企画官 兼 税制第2課→官房参事官=主計局・主税局担当三木文平 内閣官房内閣参事官=国家サイバー統括室→大臣官房付 兼 内閣官房内閣参事官=副長官補付伊藤大輔 理財局計画官=厚生労働・文部科学係、国土交通係、地方企画係、地方財務審査係、地方運用係担当→大臣官房付 兼 内閣官房内閣参事官 兼 行政改革推進本部事務局参事官 兼 デジタル行財政改革会議事務局員足利貴聖 官房企画官 兼 内閣官房内閣感染症危機管理統括庁企画官→大臣官房付 兼 内閣官房内閣参事官 兼 全世代型社会保障構築本部事務局参事官佐藤伸樹 国債企画課長→大臣官房付 兼 内閣官房米国の関税措置に関する総合対策本部事務局参事官渋谷弘一 デジタル庁統括官付参事官→主計企画官=調整担当玉川英資 金融庁総合政策局付=金融担当大臣秘書官事務取扱→給与共済課長浅賀崇 主税局調査課長→主計局調査課長 兼 主計企画官=財政分析担当山本庸介 給与共済課長→主計官=内閣係、デジタル係、復興係、外務係、経済協力係担当末光大毅 主計官=厚生労働係担当→主計官=総務係、地方財政係、財務係担当横山好古 主計官=防衛係担当→主計官=厚生労働係担当宮下賢章 税制第3課長→主計官=農林水産係担当山川清徳 主計官=農林水産係担当→主計官=国土交通係、公共事業総括係担当馬場啓明 主計企画官=調整担当→主計官=防衛係担当仲信祐 関税局監視課長→主税局調査課長田中勇人 税制第2課長→税制第1課長片山健太郎 主計局調査課長 兼 主計企画官=財政分析担当→税制第2課長佐藤隆夫 大臣官房付 兼 内閣官房内閣参事官 兼 全世代型社会保障構築本部事務局参事官→税制第3課長形岡拓文 カジノ管理委員会事務局総務課長→関税局管理課長三浦隆 国税庁酒税課長→関税課長高橋慶子 国際局付→官房参事官=関税課担当井田直樹 関税局付→関税局監視課長野田恒平 内閣法制局参事官→関税局調査課長中西佳子 人事院給与第2課長→国庫課長佐野美波 国債業務課長→国債企画課長城田郁子 地域協力課長→国債業務課長西川健士 関税局管理課長→財政投融資総括課長高橋太朗 内閣府政策統括官付参事官=財政運営基本担当→理財局計画官=内閣・財務係、農林水産・環境係、経済産業係、海外投資係担当鳩間正也 官房参事官=開発政策課担当→理財局計画官=厚生労働・文部科学係、国土交通係、地方企画係、地方財務審査係、地方運用係担当小嶋龍亮 官房企画官 兼 内閣官房国家安全保障局企画官→国際局調査課長津田夏樹 国庫課長→地域協力課長松本千城 主計官=内閣係、デジタル係、復興係、外務係、経済協力係担当→開発政策課長小田原卓也 大臣官房付→官房参事官=開発政策課担当菅野裕人(主計局総務課長 兼 法規課長)→免兼 主計官=国土交通係、公共事業総括係担当 兼 主計官=総務係、地方財政係、財務係担当藤山智博(主税局総務課長)→免兼 税制第1課長大関由美子(関税局総務課長)→免兼 関税課長 兼 関税局調査課長尾崎輝宏(理財局総務課長 兼 国有財産企画課長)→免兼 財政投融資総括課長 兼 国有財産企画課政府出資室長西方建一(官房参事官=副財務官、関税局・国際局担当)→免兼 国際局調査課長事務取扱木原大策(国際局総務課長)→免兼 開発政策課長大江賢造 政策金融課長 兼 官房企画調整主幹→出向・内閣官房内閣参事官=国家サイバー統括室=兼 国家安全保障局 兼 内閣府政策統括官付参事官西野健 大臣官房付、前内閣官房内閣参事官=内閣情報調査室→出向・カジノ管理委員会事務局総務企画部長江崎崇 大臣官房付→出向・国税庁酒税課長藤野武広 大臣官房付 兼 内閣官房内閣参事官 兼 行政改革推進本部事務局参事官 兼 デジタル行財政改革会議事務局員→出向・国税庁査察課長小多章裕 主税局参事官付国際租税総合調整官 兼 主税局参事官→出向・内閣官房内閣参事官 兼 経済安全保障法制準備室参事官 兼 国家安全保障局 兼 内閣府政策統括官付参事官 兼 内閣府重要経済安保情報適性評価等担当室参事官木村藍子 大臣官房付、前宮内庁主計課長→出向・内閣官房内閣参事官=内閣情報調査室伊藤拓 大臣官房付 兼 内閣官房内閣参事官→出向・人事院給与第2課長後藤武志 大臣官房付、前内閣官房内閣参事官→出向・内閣府政策統括官付参事官 兼 政府調達苦情処理対策室次長 兼 地域経済活性化支援機構担当室参事官 兼 道州制特区担当室参事官川本敦 官房企画官 兼 財務総合政策研究所総括連絡調整官→出向・内閣府政策統括官付参事官=財政運営基本担当 兼 内閣官房内閣参事官 兼 新しい資本主義実現本部事務局参事官 兼 GX実行推進室参事官石谷良男 官房参事官=関税課担当→出向・宮内庁主計課長 兼 総務課大野由希 大臣官房付、前国税庁査察課長→出向・カジノ管理委員会事務局総務課長 兼 公文書監理官 兼 内閣官房内閣参事官 兼 特定複合観光施設区域整備推進室参事官 兼 特定複合観光施設区域整備推進本部事務局参事官横山玄 理財局計画官=内閣・財務係、農林水産・環境係、経済産業係、海外投資係担当→出向・金融庁参事官 兼 企画市場局信用制度参事官田中耕太郎 信用機構課長 兼 信用機構課機構業務室長→辞職・預金保険機構参与 兼 審議役7月7日西方建一 国際局調査課長→大臣官房参事官=副財務官、関税局・国際局担当 兼 国際局調査課長事務取扱河村直樹 内閣府経済社会総合研究所総括政策研究官→大臣官房付藤井大輔 大臣官房参事官=副財務官、国際局担当→主税局参事官 兼 企画調整主幹=国際租税総括官広光俊昭 大臣官房付→大臣官房審議官=関税局担当今村英章 大臣官房付派遣職員→国際局次長内野洋次郎 大臣官房審議官=関税局担当→横浜税関長細田修一(大臣官房審議官=国際局担当)→免兼 主税局参事官 兼 企画調整主幹=国際租税総括官緒方健太郎(国際局長)→免兼 国際局次長事務取扱江崎崇 派遣職員→大臣官房付高橋慶子 付派遣職員→国際局付山崎翼 横浜税関長→出向・内閣府経済社会総合研究所総括政策研究官 兼 大臣官房審議官=経済財政分析担当7月4日清水雄策 大阪税関長→大臣官房付上野絢子 フランス大使館参事官→大臣官房付二宮悦郎 欧州連合日本政府代表部参事官→大臣官房付中尾崇 関税局付→関税課原産地規則室長香川里子 関税課経済連携室長→関税課税関調査室長平田哲也 関税課原産地規則室長→関税課経済連携室長日向寺裕芽子 開発政策課長補佐 兼 開発政策調整室長→国際局総務課長補佐 兼 国際企画調整室長 兼 開発政策調整室長乾慶一郎 大臣官房企画官 兼 国際局総務課国際企画調整室長→国際局付派遣職員・アジア開発銀行へ鶴野浩之 大臣官房企画官→国際局付派遣職員・米州開発銀行へ近田春実(関税課特殊関税調査室長)→免兼 関税課税関調査室長7月3日日置重人 派遣職員→大臣官房付野元隆章 大臣官房付→開発機関課長木原大策(国際局総務課長 兼 開発政策課長)→免兼 開発機関課長7月1日前田努 主計局次長→総括審議官寺岡光博 総括審議官→関税局長井口裕之 沖縄振興開発金融公庫副理事長→理財局長緒方健太郎 国際局次長→国際局長木村秀美 大阪国税局長→財務総合政策研究所長江島一彦 内閣官房内閣審議官→国税庁長官湯下敦史 名古屋国税局長→政策立案総括審議官 兼 大臣官房審議官=官房担当 兼 地方課長事務取扱 兼 財務総合政策研究所副所長一松旬 大臣官房付 兼 官房企画調整主幹 兼 大臣官房審議官=官房担当→大臣官房審議官=官房担当 兼 公文書監理官 兼 会計課長事務取扱原嶋清次(総務省大臣官房審議官)→兼 大臣官房審議官=官房担当林田雅秀 内閣府経済社会総合研究所総括政策研究官→大臣官房参事官=官房担当 兼 財務総合政策研究所副所長岡本登 中国財務局長 兼 総務部長事務取扱→財政経済特別研究官 兼 財務総合政策研究所特別研究官有利浩一郎 主計局総務課長→文書課長坂本成範 主税局総務課長→総合政策課長兼経済財政政策調整官松岡裕之 財務総合政策研究所副所長→総合政策課経済政策分析官 兼 財務総合政策研究所特別研究官森拡光 国家公務員共済組合連合会総務部長→大臣官房付 兼 内閣官房副長官補付内閣審議官 兼 内閣官房郵政民営化推進室副室長 兼 郵政民営化委員会事務局次長郷敦 広島国税局長→大臣官房付 兼 内閣官房副長官補付内閣審議官 兼 内閣官房行政改革推進本部事務局次長 兼 デジタル行財政改革会議事務局員鈴木恭人 住宅金融支援機構監事→大臣官房付 兼 内閣官房副長官補付内閣審議官 兼 内閣官房新しい資本主義実現本部事務局次長福田誠 公正取引委員会事務総局経済取引局調整課長→大臣官房付 兼 内閣府官房審議官=経済社会システム担当 兼 規制改革推進室次長 兼 地方創生推進事務局審議官 兼 地方創生推進室次長 兼 内閣官房副長官補付内閣審議官 兼 内閣官房デジタル行財政改革会議事務局審議官 兼 デジタル庁統括官付広光俊昭 名古屋税関長→大臣官房付大石一郎 福岡国税局長→大臣官房付長岡隆 金融庁総合政策局審議官→大臣官房付吉沢浩二郎 大臣官房副長官補付内閣審議官→主計局次長菅野裕人 主計局主計官=国土交通、公共事業総括係担当→主計局総務課長 兼 法規課長兼主計局主計官=国土交通、公共事業総括係担当 兼 主計局主計官=総務、地方財政、財務係担当岩佐理 関東信越国税局長→大臣官房審議官=主税局担当藤山智博 税制第1課長→主税局総務課長 兼 税制第1課長大関由美子 関税課長→関税局総務課長 兼 関税課長 兼 調査課長柴田智樹 大臣官房副長官補付内閣審議官→理財局次長(官房付)渡辺公徳 大臣官房付 兼 内閣府官房審議官→大臣官房審議官=理財局担当尾崎輝宏 国有財産企画課長 兼 国債企画課 兼 国有財産調整課 兼 国有財産業務課 兼 国有財産企画課政府出資室長 兼 財政投融資総括課→理財局総務課長 兼 国有財産企画課長 兼 国債企画課 兼 国有財産調整課 兼 国有財産業務課 兼 財政投融資総括課長 兼 国有財産企画課政府出資室長細田修一 主税局参事官兼官房企画調整主幹=国際租税総括官→大臣官房審議官=国際局担当 兼 主税局参事官 兼 官房企画調整主幹=国際租税総括官秋田能行 大臣官房付→北海道財務局長神谷隆 大臣官房内閣審議官→東北財務局長原井英一 理財局管理課長→北陸財務局長坂口和家男 理財局総務課長→近畿財務局長中村広樹 仙台国税局長→中国財務局長中村錠治 文書課国会連絡調整官→四国財務局長三原健 北陸財務局長→九州財務局長杉山真 大臣官房付→福岡財務支局長田中透 東京税関総務部長→函館税関長奈良井功 公文書監理官兼大臣官房企画調整主幹兼会計課長事務取扱→名古屋税関長酒井健太郎 関税局調査課長→長崎税関長神谷洋一 関東地方環境事務所長→沖縄地区税関長阿向泰二郎(総務省大臣官房審議官)→兼 官房審議官=官房担当小林剛也 大臣官房付 兼 内閣官房副長官補付内閣参事官→財務官室長藤田誠司 官房厚生管理官→大臣官房付 兼 内閣官房副長官補付内閣参事官 兼 行政改革推進本部事務局参事官 兼 デジタル行財政改革会議事務局員荒瀬塁 理財局総務課調査室長 兼 国債政策情報室長→大臣官房付 兼 内閣官房副長官補付内閣参事官大沢俊彦 関税局付派遣職員→大臣官房付 兼 内閣官房副長官補付内閣参事官 兼 内閣官房TPP等政府対策本部員原田佳典 官房企画官→大臣官房付 兼 内閣官房副長官補付内閣参事官 兼 デジタル行財政改革会議事務局参事官 兼 新しい地方経済・生活環境創生本部事務局参事官 兼 内閣府地方創生推進事務局参事官 兼 地方創生推進室参事官井田直樹 大臣官房付 兼 内閣官房副長官補付内閣参事官 兼 内閣官房TPP等政府対策本部員→関税局付川路智 国有財産業務課長→国有財産調整課長中村武浩 関東財務局管財第1部長→国有財産業務課長伊藤美月 関東財務局東京財務事務所長→理財局管理課長木原大策(国際局総務課長)→兼 開発機関課長村口和人 財務官室長→国際局付山岸徹(主計局司計課長 兼 会計センター次長)→兼 主計局主計監査官津田夏樹(国庫課長)→兼 理財局国庫課デジタル通貨企画官 高村泰夫 関税局長 兼 税関研修所長→出向・内閣官房内閣審議官=内閣官房副長官補付 兼 内閣官房TPP等政府対策本部国内調整統括官 兼 内閣官房海外ビジネス投資支援室長 兼 内閣官房アジア・ゼロエミッション共同体推進室次長 兼 内閣官房米国の関税措置に関する総合対策本部事務局次長森田稔 大臣官房審議官→出向・デジタル庁統括官付総括審議官渡辺輝 政策立案総括審議官 兼 官房企画調整主幹 兼 地方課長事務取扱 兼 財務総合政策研究所副所長→出向・国土交通省政策統括官田原芳幸 大臣官房審議官→出向・国税庁次長藤崎雄二郎 大臣官房審議官 兼 総合政策課長事務取扱 兼 経済財政政策調整官事務取扱→出向・国税庁官房審議官=酒税等担当河口健児 大臣官房付、前防衛省会計課長→出向・国税庁総務課長谷口真司 大臣官房付→出向・国税不服審判所次長馬場健 大臣官房付 兼 内閣官房副長官補付内閣審議官→出向・仙台国税局長端本秀夫 文書課長→出向・名古屋国税局長彦谷直克 大臣官房付、前内閣官房副長官補付内閣審議官→出向・大阪国税局長辻貴博 理財局次長→出向・広島国税局長小沢研也 主計局法規課長→出向・福岡国税局長原田一寿 大臣官房付、前国税庁総務課長→出向・内閣官房内閣審議官 兼 内閣官房副長官補付 兼 内閣官房デジタル行財政改革会議事務局審議官関禎一郎 大臣官房付→出向・内閣官房副長官補付内閣審議官橋本真吾 大臣官房付→出向・内閣官房副長官補付内閣審議官 兼 内閣官房グローバル・スタートアップ・キャンパス構想推進室長代理 兼 内閣府科学技術・イノベーション推進事務局審議官鈴木孝介 大臣官房参事官 兼 財務総合政策研究所副所長→出向・内閣府経済社会総合研究所総括政策研究官尾崎有 関東財務局金融安定監理官→出向・金融庁政策立案総括審議官木股英子 大臣官房付→出向・証券取引等監視委員会事務局次長福島秀生 大臣官房付→出向・総務省大臣官房審議官=公営企業担当吉田英一郎 関税局総務課長→出向・国土交通省大臣官房審議官=北海道局、不動産・建設経済局担当庄子真憲 沖縄地区税関長→出向・関東地方環境事務所長津田尊弘 開発機関課長→出向・内閣官房内閣参事官 兼 内閣官房副長官補付 兼 経済安全保障法制準備室参事 兼 内閣府政策統括官=経済安全保障担当付参事官奥村徳仁 大臣官房付 兼 内閣官房副長官補付内閣参事官 兼 行政改革推進本部事務局参事官 兼 デジタル行財政改革会議事務局員→出向・内閣府沖縄総合事務局財務部長八木瑞枝 大臣官房参事官=主計局担当→出向・金融庁秘書課長今野治 主計局主計官=総務、地方財政、財務係担当→出向・金融庁総合政策課長山本信幸 主計企画官 兼 司計課予算執行企画室長→出向・デジタル庁統括官付参事官付企画官野崎彰 大臣官房付、前金融庁企業開示課長→出向・英国大使館参事官松浦克巳 大臣官房付、前国土交通省政策統括官→辞職石村幸三 大臣官房付 兼 内閣官房副長官補付内閣審議官→辞職加藤博紀 大臣官房付、前北海道財務局長→辞職大島朗 大臣官房付、前四国財務局長→辞職後藤秀志 大臣官房付、前函館税関長→辞職正海伸幸 大臣官房付、前長崎税関長→辞職高野寿也 大臣官房付、前国税不服審判所次長→辞職星屋和彦 大臣官房付、前東京国税局長→辞職太田原和房 大臣官房付、前東北財務局長→辞職・預金保険機構金融再生部長倉林健二 大臣官房付、前九州財務局長→辞職・預金保険機構財務部長山西雅一郎 総合政策課経済政策分析官 兼 財務総合政策研究所特別研究官→辞職吉住秀夫 財政投融資総括課長→辞職・防衛省会計課長窪田修 理財局長→退職土谷晃浩 国際局長→退職小宮義之 財務総合政策研究所長→退職奥達雄 国税庁長官→退職6月30日和田弘之 大臣官房付→文書課広報室長 兼 広報企画調整官安藤浩和 韓国大使館参事官→大臣官房付石井隆太郎 カナダ大使館参事官→大臣官房付尾崎輝宏(国有財産企画課長)→兼 国有財産企画課政府出資室長 兼 財政投融資総括課坂本智章(文書課長補佐)→免兼 文書課広報室長 兼 広報企画調整官多田靖 主計局付、前内閣府政策統括官→辞職小野寺修司 主計局付、前造幣局さいたま支局長→辞職駒木誠司 国債企画課国債企画官→辞職・鉄道建設・運輸施設整備支援機構経理資金部担当部長渡辺毅 司計課会計監査調整室長→辞職・新潟県新発田市副市長畑崎充典 文書課広報企画専門官→辞職・日本政策投資銀行地域調査部参事役小西慶典 大臣官房付、前関東財務局理財部金融監督官→辞職・原子力損害賠償・廃炉等支援機構執行役員吉田桂 大臣官房付→辞職・軽自動車検査協会本部参事役寺本康司 給与共済課給与調査官→辞職・沖縄振興開発金融公庫経理部長小林淳也 主計局調査課財政調査官→辞職・日本政策金融公庫国民生活事業本部予算管理室予算担当玉木力 関税局業務課認定事業者調整官→辞職・輸出入・港湾関連情報処理センター経営企画部長波多勝 財政投融資総括課財政投融資調査官→辞職・民間資金等活用事業推進機構財務管理部長中島隆行 国有財産企画課政府出資室長→辞職・海外需要開拓支援機構コンプライアンス統括室長6月29日飯田薫(文書課長補佐)→兼 文書課調査室長浜田秀明(文書課長補佐)→大臣官房付派遣職員6月28日井口裕之 沖縄振興開発金融公庫副理事長→大臣官房付6月27日田村公一 大臣官房付、前国土交通省官房審議官→辞職・沖縄振興開発金融公庫副理事長関禎一郎 近畿財務局長→大臣官房付福島秀生 福岡財務支局長→大臣官房付木原大策 国際局開発政策課長→国際局総務課長 兼 開発政策課長陣田直也 国際局総務課長→国際局付派遣職員6月26日徳田郁生 東京地下鉄監査役→大臣官房付6月23日池田賢志 官房付、前金融庁総合政策局総合政策課長→辞職・日本政策金融公庫取締役へ6月19日坂本智章(大臣官房文書課長補佐 兼 企画調整室長 兼 業務企画室長)→兼 文書課広報室長 兼 広報企画調整官木股英子 造幣局監事→官房付岩崎浩太郎 大臣官房文書課長補佐 兼 広報室長 兼 広報企画調整官→出向・フランス大使館参事官6月18日北村明仁(官房専門調査官兼地方課 兼 地方課人事調整企画室長)→兼 地方課総務調整企画室長 兼 文書課下高原徹 大臣官房地方課長補佐 兼 地方課総務調整企画室長 兼 文書課→出向・米国大使館参事官山岸徹(主計局司計課長 兼 会計センター次長)→兼 主計局主計監査官副島茂 主計局主計監査官→辞職・造幣局監事5月23日渡部康人 国際局次長→国際局付派遣職員緒方健太郎(官房審議官)→兼 国際局次長総務省 2025年7月人事異動総務省|人事情報総務省|幹部職員名簿(課長級以上)総務省幹部職員名簿 令和7年7月1日現在 https://www.soumu.go.jp/main_content/000986669.pdf7月8日福西竜也 消防庁防災課地域防災室長→大臣官房付 兼 内閣府地方分権改革推進室参事官鈴木健太郎 情報流通行政局付→出向・内閣官房内閣参事官=国家サイバー統括室7月7日畑山栄介 消防庁消防・救急課長→地域自立応援課長 兼 内閣府地方創生推進事務局参事官=地域再生担当橋本憲次郎(地域政策課長)→免兼 地域自立応援課長田中雄章 地方公共団体金融機構資金部長→消防庁消防・救急課長吉村顕 こども家庭庁官房総務課企画官→大臣官房付 兼 内閣官房副長官補付内閣参事官石川英寛 大臣官房付、前地域活性化センター事務局長→出向・内閣府政策統括官=沖縄政策担当付参事官=企画担当坂本隆哉 大臣官房付兼内閣府地方分権改革推進室参事官→辞職・北海道総務部長7月6日吉添圭介 大臣官房付、前内閣官房内閣審議官=内閣感染症危機管理統括庁→辞職・地域活性化センター事務局長岡田芳和 大臣官房付、前内閣府政策統括官付参事官→辞職・熊本市副市長仁井谷興史 大臣官房付、前内閣官房副長官補付内閣参事官→辞職・地方公共団体金融機構資金部長7月4日村田健太郎 国際戦略局付、前内閣官房内閣参事官=内閣官房国家サイバー統括室→辞職・情報通信研究機構GPAI東京専門家支援センター事務局副事務局長 兼 総務部副部長7月2日吉井俊弥 京都府総務部長→政策評価広報課広報室長村上仰志 政策評価広報課広報室長→市町村課行政経営支援室長 兼 地域DX推進室長君塚明宏 市町村課行政経営支援室長 兼 地域DX推進室長→大臣官房付 兼 内閣官房内閣総務官室庄司周平 中国大使館参事官→大臣官房付 兼 内閣官房内閣参事官=国家サイバー統括室竹内芳明 前事務次官→顧問横田信孝 前総務審議官→顧問池田達雄 前消防庁長官→顧問二宮清治 前デジタル庁デジタル審議官→顧問7月1日功刀岳秀 長崎市副市長→消防庁防災課広域応援室長円増正宏 自治体国際化協会ニューヨーク事務所上席調査役 兼 次長事務取扱 →大臣官房付 兼 デジタル庁統括官付参事官付企画官 兼 参事官事務代理網野尚子 大臣官房付 兼 内閣官房健康・医療戦略室企画官→大臣官房付 兼 内閣官房拉致問題対策本部事務局政策企画室企画官小沢亮二 内閣官房内閣サイバーセキュリティセンター→大臣官房付 兼 内閣官房国家サイバー統括室企画官田中隆浩 技術政策課長補佐→大臣官房付 兼 内閣官房国家サイバー統括室企画官藤原史隆 放送技術課長補佐→大臣官房付 兼 内閣府科学技術・イノベーション推進事務局参事官=統合戦略担当付企画官小林伸司 情報通信研究機構オープンイノベーション推進本部イノベーション推進部門統括 兼 連携研究推進室長→官房付 兼 内閣官房健康・医療戦略室企画官石原誠一 関東総合通信局放送部長→大臣官房付 兼 内閣府政策統括官=沖縄政策担当付参事官=企画担当付企画官伊藤秀夫 自治大学校研究部長 兼 教授→行政管理局企画官白石牧子 行政管理局副管理官→企画調整課企画官 兼 内閣府官房総務課企画官中野芳崇 デジタル庁統括官付参事官付参事官補佐→行政評価局総務課企画官生末明宏 情報公開・個人情報保護審査会事務局審査官→行政評価局総務課調査官松田健司 行政課理事官→行政課行政企画官小牧兼太郎 住民制度課マイナンバー制度支援室長 兼 外国人住民基本台帳室長→住民制度課デジタル基盤推進室長内海隆明 大臣官房付 兼 デジタル庁統括官付参事官→住民制度課マイナンバー制度支援室長 兼 外国人住民基本台帳室長土屋直毅 消防庁防災課広域応援室長→公務員課給与能率推進室長馬場智子 電波環境課認証推進室長→公務員課女性活躍・人材活用推進室長岡本泰輔 大臣官房付 兼 政治資金課→大臣官房付 兼 内閣府地方創生推進事務局参事官=総括担当付企画官神門純一(財政課長)→兼 財政課復興特別交付税室長事務取扱徳大寺祥宏 大臣官房付 兼 内閣官房内閣参事官→公営企業課準公営企業室長市川康雄 大臣官房付 兼 復興庁統括官付参事官→自治税務局企画課企画官 兼 電子化推進室長長屋嘉明 電波政策課国際周波数政策室国際無線通信交渉官→国際戦略課国際機関室長堀川亮 国際戦略局企画官 兼 国際戦略課投資審査室長→国際戦略課国際交渉専門官佐藤司 大臣官房付 兼 内閣官房拉致問題対策本部事務局政策企画室企画官→通信規格課標準化戦略室長 兼 技術政策課スタートアップ支援室長山田隆裕 大臣官房付 兼 内閣官房内閣サイバーセキュリティセンター企画官→情報通信政策課調査官加藤悠介 企画調整課企画官 兼 内閣府官房総務課企画官→情報通信政策課情報通信経済室長金子創 郵政行政部企画課検査監理室長→情報通信政策課総合通信管理室長相川航 秘書課長補佐 兼 人材戦略専門官→情報流通振興課情報流通適正化推進室長坂本光英 東南アジア諸国連合日本政府代表部1等書記官→地域通信振興課デジタル経済推進室長増原知宏 衛星・地域放送課国際放送推進室長→放送政策課国際放送推進室長 兼 新事業領域創造推進室長佐々木将宣 大臣官房付 兼 内閣官房国家安全保障局企画官→放送業務課企画官 兼 内閣官房国家安全保障局企画官渡部祐太 事業政策課市場評価企画官→郵政行政部企画課信書便事業室長岸洋佑 電波政策課企画官 兼 携帯周波数割当改革推進室長→事業政策課調査官八代将成 地域通信振興課デジタル経済推進室長→電気通信技術システム課番号企画室長駒崎弘 内閣官房内閣人事局参事官補佐→基盤整備促進課企画官白壁角崇 大臣官房付 兼 内閣府科学技術・イノベーション推進事務局参事官付企画官→電波政策課電波利用料企画室長宮沢茂樹 宇宙通信政策課宇宙通信調査室長→基幹・衛星移動通信課重要無線室長小原宏朗 国土交通省官房付 兼 内閣府政策統括官付参事官付企画官→基幹・衛星移動通信課基幹通信室長田辺大 国交省道路交通管理課車両通行対策室長→電波環境課監視管理室長神谷征彦 文部科学省教育課程課情報教育振興室長 兼 修学支援・教材課→電波環境課認証推進室長 兼 サイバーセキュリティ統括官付赤谷俊彦 消費統計課物価統計室長→統計局総務課企画官 兼 統計委員会担当室次長=政策統括官付森本聡 消費統計課長補佐→消費統計課物価統計室長橘高徹哉 行政評価局総務課企画官→出向・内閣官房内閣人事局企画官中山諒 行政評価局調査官、前内閣官房内閣人事局→出向・内閣府公益認定等委員会事務局企画官石切山真孝 大臣官房付 兼 市町村課行政経営支援室→出向・デジタル庁統括官付参事官付企画官 兼 参事官事務代理細野慶介 放送政策課外資規制審査官→出向・文部科学省教育課程課情報教育振興室長 兼 修学支援・教材課小倉佳彦 基幹・衛星移動通信課基幹通信室長→出向・国土交通省中部地方整備局建政部長増子喬紀 電波政策課電波利用料企画室長→出向・国土交通省道路交通管理課車両通行対策室長松田和男 大臣官房付 兼 内閣府政策統括官付参事官付企画官→辞職安沢徹 電波環境課監視管理室長→辞職・情報通信研究機構オープンイノベーション推進本部グローバル推進部門統括 兼 国際連携推進室長6月30日保科実 行政課行政企画官→辞職・岐阜県都市建築部次長渡部貴徳 公務員課女性活躍・人材活用推進室長→辞職・長崎市副市長尾崎祐子 自治税務局企画課企画官 兼 電子化推進室長→辞職・岡山県副知事6月30日住友貴広 宇宙航空研究開発機構新事業促進部参事→大臣官房付 兼 内閣府科学技術・イノベーション推進事務局参事官=重要課題担当中村賢 大臣官房付、前地域創造事務局長 兼 芸術環境部長事務取扱→出向・消防庁長官付佐々木克之 大臣官房付、前個人情報保護委員会事務局総務課長→辞職・宮内庁皇嗣職宮務官赤岩弘智 自治財政局公営企業課長 兼 準公営企業室長事務取扱→辞職・栃木県副知事寺田雅一 自治行政局地域自立応援課長 兼 内閣府地方創生推進事務局参事官→辞職・鹿児島県副知事津幡岳弘 国際戦略局技術政策課技術革新研究官→辞職・情報通信研究機構サイバーセキュリティ研究所主管エキスパート寺岡秀礼 国際戦略局付、前情報処理推進機構参事 兼 AIセーフティ・インスティテュート副所長→辞職・情報通信研究機構オープンイノベーション推進本部総合プロデュースオフィス長小柳太郎 大臣官房付、前地方公共団体情報システム機構個人番号センター副センター長→辞職・地方公共団体金融機構経営企画部長斎藤秀生 大臣官房付、前地方職員共済組合理事→辞職・地方公務員災害補償基金理事長大田泰介 自治行政局市町村課長→辞職・地方公務員災害補償基金事務局長 兼 総務課長事務取扱羽生雄一郎 大臣官房付、前消防大学校長→辞職・地方公共団体情報システム機構理事吉浜隆雄 大臣官房付、前デジタル庁統括官付参事官→辞職・地方公共団体情報システム機構個人番号センター副センター長 兼 個人番号センター運用管理本部副センター長 兼 個人番号カード業務運用部長事務取扱酒巻浩 大臣官房付、前地方公務員災害補償基金事務局長 兼 総務課長事務取扱→辞職・地方公共団体情報システム機構総合行政ネットワーク副センター長田中昇治 大臣官房付、前消防庁防災課長→辞職・地方公務員共済組合連合会牛島授公 大臣官房付、前地域総合整備財団事務局長→辞職・地方職員共済組合理事菊池善信 自治大学校長→辞職・危険物保安技術協会理事長川島司 大臣官房付、前地方公共団体情報システム機構総合行政ネットワーク全国センター長→辞職・危険物保安技術協会理事 兼 事務局長植村哲 大臣官房付、前地方公務員共済組合連合会理事→辞職・全国市町村研修財団常務理事 兼 市町村職員中央研修所副学長 兼 研修部長事務取扱足達雅英 大臣官房付、前全国市町村研修財団常務理事 兼 市町村職員中央研修所副学長 兼 研修部長事務取扱→辞職・地域総合整備財団事務局長中越一彰 大臣官房付 兼 内閣府科学技術・イノベーション推進事務局参事官→辞職・放送大学学園放送部長鶴巻郁夫 大臣官房付、前危険物保安技術協会理事兼事務局長→辞職・和歌山市副市長へ6月17日北神裕 大臣官房付 兼 デジタル庁統括官付参事官 兼 内閣府科学技術・イノベーション推進事務局参事官→総合通信基盤局安全・信頼性対策課長大塚康裕 総合通信基盤局安全・信頼性対策課長→辞職・群馬県副知事へ4月30日飯田陽一 国際戦略局情報通信国際戦略特別交渉官→辞職復興庁 2025年7月人事異動復興庁 | 復興庁幹部職員名簿幹部職員名簿 [令和7年7月1日現在] https://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat12/20250701_kanbumeibo.pdf7月1日山野謙 統括官→事務次官平田研 国土交通省不動産・建設経済局長→統括官新居泰人 内閣府福島原子力事故処理調整総括官→統括官宇野善昌 事務次官→退職・復興庁顧問へ7月5日宇野善昌 統括官→事務次官山野謙 総務省自治行政局長→統括官角田隆 事務次官→退職・復興庁顧問へ6月28日石田優 国土交通省国土交通審議官→事務次官角田隆 財務省理財局長→統括官開出英之 事務次官→退任・福島復興再生総局事務局長へ
2025年07月16日
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開戦前夜、総力戦を経済面から分析した秋丸機関と日米国力比較を現地調査した陸軍主計大佐新庄健吉├計量計測データバンク ニュースの窓-204-開戦前夜、総力戦を経済面から分析した秋丸機関と日米国力比較を現地調査した陸軍主計大佐新庄健吉├├計量計測データバンク ニュースの窓-391-軍費調達と決済(小野圭司 防衛省防衛研究所先進領域研究部 防衛基盤研究室 主任研究官)├├軍費調達と決済 太平洋戦争・驚きの戦費返済法国破れてバランスシートあり ドイツからの技術供与、お代はゴールドを潜水艦輸送 金融緩和と国債増発がもたらした“結末”小野圭司├├昭和恐慌 - Wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E6%81%90%E6%85%8C 昭和恐慌(しょうわきょうこう)は、1929年(昭和4年)10月にアメリカ合衆国で起き世界中を巻き込んでいった世界恐慌の影響が日本にもおよび、翌1930年(昭和5年)から1931年(昭和6年)にかけて日本経済を危機的な状況に陥れた、戦前の日本における最も深刻な恐慌。第一次世界大戦による戦時バブル(=日本の大戦景気)の崩壊によって、銀行が抱えた不良債権が金融システムの悪化を招き、一時は収束するものの、その後の金本位制を目的とした緊縮的な金融政策によって、日本経済は深刻なデフレ不況に陥った。農業恐慌 昭和恐慌で、とりわけ大きな打撃を受けたのは農村であった。生糸の対米輸出が激減したことに加え、デフレ政策と1930年(昭和5年)の豊作による米価下落、朝鮮、台湾からの米の流入によって米過剰が増大し、農村は壊滅的な打撃を受けた。なお、1930年(昭和5年)時点での日本の1人あたり国民所得 (GNI) は、アメリカの約9分の1、イギリスの約8分の1、フランスの約5分の1、ベルギーの約2分の1にすぎなかった。 1929年(昭和4年)を100としたときの1930年(昭和5年)・1931年(昭和6年)の経済諸指標は以下の通りである。項目 1929年昭和4年 1930年昭和5年 1931年昭和6年国民所得 100 81 77卸売物価 100 83 70米価 100 63 63綿糸価格 100 66 56生糸価格 100 66 45輸出額 100 68 53輸入額 100 70 60昭和農業恐慌 - Wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E8%BE%B2%E6%A5%AD%E6%81%90%E6%85%8C昭和農業恐慌 昭和恐慌で、とりわけ大きな打撃を受けたのは農村であった。世界恐慌によるアメリカ合衆国国民の窮乏化により生糸の対米輸出が激減したことによる生糸価格の暴落を導火線とし他の農産物も次々と価格が崩落、井上準之助大蔵大臣のデフレ政策と1930年(昭和5年)の豊作による米価下落により、農業恐慌は本格化した。この年は農村では日本史上初といわれる「豊作飢饉」が生じた。米価下落には朝鮮や台湾からの米流入の影響もあったといわれる。農村の経済は壊滅的な打撃を受けた。当時、米と繭の二本柱で成り立っていた日本の農村は、その両方の収入源を絶たれるありさまだったのである。 翌1931年(昭和6年)には一転して東北地方・北海道地方が冷害により大凶作にみまわれた。不況のために兼業の機会も少なくなっていたうえに、都市の失業者が帰農したため、東北地方を中心に農家経済は疲弊し、飢饉水準の窮乏に陥った。 1933年(昭和8年)以降、輸出好調により景気は回復局面に入るが、同年に昭和三陸津波が起こり、東北地方の太平洋沿岸部は甚大な被害をこうむった。また、1934年(昭和9年)は記録的な大凶作となって農村経済の苦境はその後もつづいた。農作物価格が恐慌前年の価格に回復するのは1936年(昭和11年)であった。├満蒙開拓移民 - Wikipedia├├満蒙開拓ミニ知識 - 満蒙開拓平和記念館ページhttps://www.manmoukinenkan.com/history/満蒙開拓のミニ知識 満蒙開拓について、ここではあくまで基本的なことについて述べさせて頂いています。まずは、一般には余り知られていない「満州」や「満蒙開拓」等についての基本的なことを知って頂くことを主眼としていますので、学術的、専門的な視点からはもの足らないと思いますが、前記趣旨からのことですので簡易化、表現省略等はご容赦ください。※「旧満州」、「満州」等の用語を使用していますが、これらを美化・賛美しよう等の意図ではなく、歴史を正しくそのままに伝えようという意図によるものです。「満蒙開拓」とは満州に駐留していた日本の陸軍部隊、関東軍による満州事変を経て1932年に日本の傀儡(かいらい)国家「満州国」が建国されました。当時の日本国内は世界恐慌のあおりを受け深刻な経済不況に陥り、特に農村経済を支えていた養蚕業は大打撃を受け、農家は借金を背負い、村や町といった自治体も負債を抱えていました。1936年に「満州農業移民100万戸移住計画」が国策となります。疲弊した農村の経済の立て直しや食糧増産などを目的に推し進められましたが、背景には「満州国」の支配、防衛といった軍事的な目的もありました。日本の戦況悪化、ソ連軍侵攻。結果として、約27万人の開拓団のうち約8万人がなくなったと言われています。満州へ渡った開拓団の悲しい末路 1945年8月9日、ソ連侵攻で満州は戦場と化し、開拓団の人たちは広野を逃げ惑います。戦力で圧倒的に勝っていたソ連軍に加え、日本の敗戦を知った現地の人たちも各地で暴動をおこし日本人を襲撃しました。逃避行を余儀なくされた人々は、満州の広野でコーリャン畑に身を潜めながら歩きました。力尽きた母親が我が子を山に置いてきたり、川に流してきたり、手りゅう弾で殺してもらったという話もあります。また追い込まれた人々の壮絶な集団自決も多発しました。敗戦国となった祖国日本からは何の援助もなく帰る手段もありません。難民となった開拓団の人々は収容所生活の中、寒さと栄養失調、疫病で大勢亡くなりました。子どもを中国の人に預けたり、売買もされたといいます。「中国残留孤児」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。背景には壮絶な歴史があったのです。 満州国へ渡った農業移民、満蒙開拓団は全国から約27万人。そのうち約8万人が犠牲になりました。中には青少年義勇軍として組織された少年たちもいました。「満蒙開拓」は国策として大々的に宣伝され推進されましたが、戦後はあまり語られてきませんでした。それは、あまりに壮絶な体験なのでご本人たちが語ろうとしなかった、地域の中には満州行きを進めた立場の人もいて責任を問われていた、開拓団が手に入れた土地の中にはもともと現地住民の農地だったものもあった、など様々な背景がありました。主な移民の形態◆試験移民(武装移民) 1932(昭7)年から1935(昭10)年までの初期段階の移民を試験移民といいます。当時、満州には抗日武装集団(日本人は「匪賊(ひぞく)」と呼んだ)が各地に存在していたこともあり、初期の移民は主に農業経験のある在郷軍人(予備役軍人)から選ばれました。実際に襲撃にも遭い犠牲者も出るなどしたことから、第1次試験移民は約500名入植したうち3年間で162名、第2次も約500名のうち2年間で161名の退団者を出しました。◆分村・分郷移民 1937(昭12)年、満州農業移民が国策として着手されてからは大量移民政策が実施され、同じ地方からの集団移民が組織されました。各県ごとに募集された開拓団のほか、町村が単独で送出する分村開拓団や、近隣複数の町村が送出母体となる分(ぶん)郷(ごう)開拓団が推進されました。◆満蒙開拓青少年義勇軍(満州での名称は満州開拓青年義勇隊) 満州移民を推進するため1938(昭13)年から国が募集を開始しました。満14~18歳までの青少年で組織され、3年間の訓練期間を経て開拓団に移行し満州で農業の担い手になることが大義名分でした。◆自由移民 国や県、市町村募集以外の開拓団です。◆勤労奉仕隊 青年層を中心に農繁期の春から秋の数ヶ月間派遣されました。◆帰農開拓団(転業開拓団) 農業以外の職種から満州へ移民し農業に転業した開拓団です。*当館所蔵資料を満蒙開拓の学び、継承、研究等を目的とした対外的公表物において利用、転載を希望される方は、お問い合わせフォームよりメールにてご相談ください。なお、現物の貸出しはおこなっておりません。満蒙開拓団略年表1905年(明治38年)日露戦争終わる。満州での権益を入手。1905年(明治39年)南満州鉄道株式株式会社設立。1910年(明治43年)韓国併合。1912年(大正元年)中華民国政府樹立。清王朝滅びる。1915年(大正4年)日本、中国に二十一か条要求。1922年(大正11年)ソビエト社会主義共和国連邦設立。1925年(大正14年)治安維持法公布。1928年(昭和3年)張作霖爆殺事件。1929年(昭和4年)世界恐慌始まる。1931年(昭和6年)柳条湖事件発生。満州事変始まる。1932年(昭和7年)「満州国」建国宣言。リットン調査団満州へ。第一次試験移民(弥栄村開拓団)。1933年(昭和8年)国際連盟「満州国」不承認決議。日本 国際連盟脱退。1934年(昭和9年)土竜山事件勃発(抗日農民蜂起)。第一試験移民の「大陸の花嫁」満州へ。1936年(昭和11年)二・二六事件、陸軍青年将校ら政府要人を暗殺。広田弘毅内閣「満州農業移民二十ヶ年百万戸送出計画」決定。1937年(昭和12年)盧溝橋事件発生。日中戦争始まる。中国抗日民族統一戦線結成。満州拓殖公社設立。1938年(昭和13年)国家総動員法公布。満蒙開拓青少年義勇軍渡満開始。1941年(昭和15年)第二次世界大戦始まる。1942年(昭和17年)アメリカ、対中支援を決定。日独伊三国同盟。大政翼賛会結成。1941年(昭和16年)日ソ中立条約。太平洋戦争始まる。1942年(昭和17年)ミッドウェー海戦で大敗北。1944年(昭和19年)サイパン島陥落。1945年(昭和20年)開拓団成人男性「根こそぎ動員」。2月ヤルタ会談。3月東京大空襲。5月ドイツ降伏。6月沖縄陥落。7月ポツダム会談。8月6日広島に原子爆弾投下。8月9日長崎に原子爆弾投下。8月9日ソ連対日参戦、満州へ侵攻。8月14日ポツダム宣言受諾決定。8月15日、日本無条件降伏。8月18日 「満州国」崩壊。9月2日降伏文書調印。1946年(昭和21年)5月、満州からの集団引揚げ開始。1949年(昭和24年)中華人民共和国成立(日本不承認)国交断絶。集団引揚げ中断。├├計量計測データバンク ニュースの窓-202-第二次大戦開戦時、日本国力を分析した陸軍秋丸機関の役割├├シリーズ 日米開戦50年 新発見 秋丸機関報告書 有澤廣巳と太平洋戦争|戦争|NHKアーカイブスシリーズ 日米開戦50年 新発見 秋丸機関報告書 有澤廣巳と太平洋戦争日米開戦から半世紀にちなむ2回シリーズの最終回。東大経済学部の未整理資料から発見された「英米合作経済抗戦力調査」という1冊の報告書を取り上げる。この報告書は、1941年(昭和16年)、陸軍省の秋丸次朗中佐の依頼で、有澤廣巳らが英米と日本の戦時経済力を調査、予測したもので、それによると英米は、日本の20倍もの経済力を有していたという。経済からみた太平洋戦争を描く。 その中から、「1941年7月 秋丸機関がまとめた英米の国力調査と報告会」の動画。語り鈴木瑞穂。放送日1991年12月03日。├├秋丸機関 - Wikipedia『石井秋穂回想録』によると、1941年4月17日に大本営海軍部で決定された「対南方施策要綱」は、秋丸機関や陸軍省兵備課で行われた研究を参考にして作成され、秋丸機関は、陸軍省軍務局軍務課高級課員の石井秋穂大佐に対し、研究結果を何度も報告していたとされている。その石井大佐が9月29日に大本営陸海軍部にて決定された「対英米蘭戦争指導要綱」や11月15日に大本営政府連絡会議にて決定された「対英米蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」の策定に参画していたこと、また「対英米蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」と『英米合作經濟抗戰力調査(其一)』は、両資料とも、海上遮断による経済封鎖で経済的に脆弱性のあるイギリスを敗戦に追い込み、その結果アメリカの反戦気運を期待して外交交渉などによる終戦を提案していることなど、内容に共通項が多いことから、「対英米蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」作成に秋丸機関の報告書が影響力を与えたという研究もある[7]。しかし1942年(昭和17年)3月、陸軍省戦備課長の岡田菊三郎大佐が、中山伊知郎らが参加した「大東亜建設座談会」で、英米の国力の大きさを認めながらも植民地を奪ったり船舶を沈めるなどしていくことで国防経済的に英米に屈服を求めることができると発言しており、この内容は朝日新聞1面に掲載されている。これ以外にも太平洋戦争(大東亜戦争)開戦前後には同様の戦略が新聞や雑誌上で数多く論じられており、秋丸機関の報告書も「対英米蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」も、当時の日本における常識的な内容であったという指摘もされている。├├総力戦研究所 - Wikipedia├├秋丸次朗の経歴とエピソード秋丸次朗の経歴とエピソード(1939(昭和14)年陸軍省に経済戦研究班を創設、班長を命じられる) 秋丸次朗の経歴とエピソード秋丸次朗は昭和63年に「朗風自伝」を出版している。誕生から終戦までの47年間の自叙伝である。また、昭和17年に南方戦線に派遣された間、日記をつけている。それらに従って、経歴とエピソードを綴る。なお、朗風は日本詩吟銀学院より授与された雅号である。1898(明治36)年9月10日宮崎県西諸県郡飯野村大字原田3457に於いて、父秀強(27)、母ミネ(25)の次男として生まれる。「次郎」として届け出たが、戸籍係の従兄弟が平凡だとして「次朗」に改めて登記したと言う1905(明治38)年飯野尋常小学校に就学。小学校の6年間は無欠席で、常に首席、級長を続ける優等生であり、将来に向かってエリート意識が強かった。当時は日露戦争に勝利して、子供心に軍人になって出世したいと心に決めていた。1911(明治44)年県立宮崎中学校に入学。成績は100人中50番ぐらいで世間に出ると学力の低いことにやや自信を失う。1912(明治45)年陸軍幼年学校を受験、身体検査で心臓の動悸が高いと不合格になり涙をのむ。県立都城中学に転校。1916(大正5)年中学卒業、4年間無欠席。卒業式で品行方性、学術優等で賞状を受ける。海軍兵学校を受験するが、近視との理由で不合格。再起を図り、鹿児島の軍人養成予備校の三省舎に通う。軍人志望は変わらず、軍医か主計官なら身体検査に支障はないと思い、長崎医学専門学校を受験合格、1学期在学したが、陸軍経理学校も合格したため、熊本歩兵第13連隊に主計候補として入隊。1918(大正7)年東京の陸軍経理学校に入校、会計経理の専門教育と軍事訓練を受ける。1920(大正9)年1年半の生徒科課程を履修し、原隊に復帰曹長に進級、12月に主計少尉に任官、歩兵第45連隊付に補せられ、鹿児島に勤務する。いとこの森アサさん宅をたびたび訪問、人をそらさぬアサ姉の接客振りに魅せられる。1926(大正15)年森アサの一人娘ミキと結婚。前年から陸軍高等経理学校を受験するも失敗、1930(昭和5)年に合格するまでの5年間血のにじむような受験勉強に没頭する。1932(昭和7)年陸軍高等経理学校をトップの成績で卒業、東京帝国大学経済学部に派遣される。1935(昭和10)年東京帝国大学経済学部の選科生として修了、関東軍交通監督部部員兼奉天航空廠員に補され、渡満。満州航空会社の会計監督官として勤務。翌年、関東軍参謀付に補され、新京に赴任、経済参謀として農業を担当、日本人開拓団の導入、定着に力を注いだ。そのご商工部門に変わった。当時の参謀長は東條英機中将、満州国側の商工関係は岸信介、椎名悦次郎など大物揃いだった。主な仕事は、満鉄改組に伴う満州重工業開発会社の設立であった。日産コンツェルンの満州移駐のため鮎川義介、野口窒素社長島津寿一氏など当時の日本財界の大物を相手に手腕を発揮する黄金時代の活躍で「関東軍に秋丸参謀あり」と日本内地の財界に知られていた。 この頃、内地から財界人が来満すると必ず料亭に招待された。程度を越すと公務員のスキャンダルに陥りやすい。そこで料亭では一切公務の話はしないとの条件で招待に応じることとした。必ず、羽織袴を着用し、午後10時には辞去することで3年間の要職を大過なく果たすことが出来た。1939(昭和14)年陸軍主計中佐に昇進、陸軍経理学校研究部員、陸軍省経理局課員、軍務局課員に転任となり東京へ。任務は陸軍省に経済戦研究班を創設、班長を命じられる。1941(昭和16)年陸軍主計大佐に昇進、大本営野戦経理長官高級部員と研究班長をかねる。12月8日、太平洋戦争開戦。1942(昭和17)年6月5日、ミッドウェー海戦の大敗により大本営は南太平洋進攻作戦を中止、米英連合軍は反撃に転じ日本軍の敗色は濃くなった。大本営野戦経理長官部としては、食糧の補給継続にもっとも苦心した。制空権、制海権を失った日本軍としては海軍の護衛による輸送しかなかったが、海軍にもその余力はなく内地からの食糧補給は殆ど不可能になり戦地部隊は現地自活によって継戦するしかなかった。将兵はマラリアに苦しみ、飢餓に耐え、悪戦苦闘を続けた。この様な戦地の将兵の苦労を思うと一身上のことを考える気分になれなかった。1月31日に次女の紀子(3歳)が肺炎で死亡したが、通夜にも出ずに役所にとどまった。4月7日には次男満男(7歳)が脳脊髄炎で死亡したがやはり戦地のことを考えると悲しんでばかりはいられなかった。子供には済まぬことをしたが、戦地で多くの兵士が倒れているのだと思い直して悲しみをこらえた。7月、陸軍大学の経済戦術の教官を兼務、戦局の推移に伴って総力戦研究所は閉鎖、陸軍省の経済戦研究班も解散となる。12月15日、比島派遣第16師団経理部長に補され、同月19日に出征。当日の日記に「いよいよ出発の日となった。早朝起きて、心静かに神に祈る。東京駅には栗橋局長はじめ多くの見送りを受ける。研究班関係の人々が多いのは嬉しい。家族3人が車窓に立つ。信夫の元気な声が姿が今も残る。さらば行ってきます。汽車は静かに南へ走る」1943(昭和18)年12月、北豪派遣第19軍経理部長としてアンポン島に着任。1944(昭和19)年第19軍セラム島移駐のため、先遣隊長となる。1945(昭和20)年3月、第19軍は解散となり、本土決戦のため空路立川に帰着、第6航空軍経理部長となる。8月15日終戦、第1復員省復員官となり残務整理。1946(昭和21)年3月残務整理終了、飯野に帰る。その後6年間、公職追放を受ける。1954(昭和29)年公職追放解除後、助役を経て飯野町長に当選、2期務める。町長時代東京出張した折、東京駅に岸信介が出迎えに来ており、一流料亭で歓迎会を開いてくれて、お付で行った町役場の職員がびっくりしたエピソードが残っている。1986(昭和61)年町長を退いたあと社会福祉協議会の設立に参加、15年間務め、そのうち13年間は会長として社会福祉に尽くした。1992(平成4)年8月23日老衰のため死去、享年94歳├├陸軍「秋丸機関」が戦後に果たした役割|日経BizGate 太平洋戦争直前の1939年、日本陸軍が来たるべき総力戦に備えて各国の国力を調査しようとしたのが「秋丸機関」(陸軍省戦争経済研究班)だ。戦前における一流の経済学者を網羅した一大シンクタンクだったが、同機関が作成した緻密な調査報告書は、結局41年の日米開戦を止めることはできなかった。それでも秋丸機関の経験は構成メンバーにとって戦後の復興に役立てることにつながったという。摂南大学の牧野邦昭准教授に聞いた。(写真は秋丸次朗中佐、秋丸信夫氏提供)■マルクス、ケインズ…駆使したビッグデータ――秋丸機関の設立は39年のノモンハン事件がきっかけだったといいます。「ソ連(当時)の機械化部隊に敗北したことは、戦争の形態が最後は戦車や飛行機を作る生産力や経済力の戦いであることを、陸軍に痛感させました。満州国の経済計画に携わっていた秋丸次朗・主計中佐は『関東軍参謀部に秋丸あり』と日本の財界にも知られた工業政策のエキスパートでした。陸軍省に呼び戻され研究チームの結成を任されたのです」――統計学の権威だった有沢広巳・東京帝大助教授(当時、戦後教授)も秋丸機関に誘われました。「治安維持法違反で検挙され保釈、休職中だった有沢は秋丸らから『軍が世界情勢を判断する基礎資料とするため科学的、客観的な調査研究が必要だ』と力説され、主査を引き受けたと述懐しています。月給は当時で500円だったといいます」――現代の貨幣価値に直すと100万円以上でしょうか。秋丸中佐は経済研究におけるトップレベルの知能を集大成したい狙いでした。国内経済力、生産力の各種統計や指数など、いわば当時のビッグデータを活用しての調査だったようです。重要だったのはドイツ経済の抗戦力分析――秋丸機関は英米、日本、ドイツ、ソ連など各国別に調査しています。英米班では「対米英戦の場合、経済戦力の比は二〇対一程度」と判断していました。開戦後1年から1年半で最大供給力に達するとしていました。牧野邦昭・摂南大学准教授「米国の生産力の大きさを指摘する一方、島国である英国の弱点が海上輸送力であることにも言及しました。船舶が無ければ米国で生産した軍需物資は英国に届きません。英国への輸送船を撃沈し、補給を断って英国経済を崩壊させられるかどうかが焦点だったわけです」「しかし大西洋上の英米船を、日本海軍が攻撃するわけにはいきません。三国軍事同盟を結んでいた独・伊、特にドイツの経済戦力にかかってくるわけです。これまで注目されてきたのは主に英米班の結論でしたが、重要だったのは実は『独逸(ドイツ)経済抗戦力調査』でした」――ドイツ班を率いていたのは武村忠雄・慶大教授でした。現役の陸軍主計少尉でもあるという変わり種でした。報告書は独ソ戦が始まった41年6月直後に完成しており、第2次世界大戦は新しい局面を迎えていました。「極めて正確な調査でした。ドイツの経済力は41年を最高点として42年から次第に低下すると指摘しました。ドイツは既に労働力の限界に達しており、食糧不足にも悩まされていました」「独ソ戦が2カ月程度の短期戦でドイツが勝利し、直ちにソ連の生産力利用が可能になれば対米英長期戦態勢が完成し、英本土攻撃も可能になるかもしれない。しかし長期戦になればドイツはいたずらに経済抗戦力を消耗して、第2次世界大戦の運命も決定されると結論しています」「現実の歴史も長期化したスターリングラードの戦いが分岐点となり、ドイツは敗勢に陥っていきました。ドイツの勝利を前提にしていた日本にも重大な影響を与えました」「秋丸機関は、対米英ソ同時戦争の阻止に役立った可能性があります。ソ連に侵攻しても石油などの戦略物資は期待できません。半年も交戦すれば陸軍の貯蔵していた石油は底を尽いてしまいます」「さらにドイツの側に立ってソ連を攻撃すれば、ドイツと戦う英国およびそれを支援する米国と事実上開戦することになります。陸軍内でも意見が分かれていて、秋丸機関は独ソ戦の見通しの厳しさを指摘することで、陸軍省軍務局の北進反対論に理論的裏付けを提供した形になりました」――肝心の対太平洋戦争の回避にも役立てられなかったのでしょうか。A 開戦しないと2、3年後は国力を失うB 開戦すれば非常に高い確率で敗北。極めて低い確率でドイツ勝利・英国屈服で米国は交戦意欲を失い日本と講和 A・Bの前提で考えると、行動経済学のプロスペクト理論や社会心理学のリスキーシフトでBが選択されやすくなります。日本の経済学者が戦争回避に貢献できたとすれば、Aの予測に日米の巨大な経済格差というネガティブな現実を指摘するだけではなく、ポジティブな将来図も可能性として示すことだったでしょう」「秋丸機関はそれが可能だった機関かもしれないと考えています。ドイツの国力は限界でした。ドイツが敗北すれば、今度は高い可能性で米英とソ連との対立が起きることは当時でも予想できました。来たるべき東西両陣営の対立を利用して、日本が開戦しなくても国際的な立場を失わないでいる構想を、経済学者や政治学者を動員して作り上げることは十分できたでしょう」├├開戦直前にも「消された報告書」秋丸機関とは : 読売新聞太平洋戦争開戦の約半年前、「経済謀略機関」としてひそかに設立された「陸軍秋丸機関」は、英米戦の勝算について「勝ち目なし」とする内容の報告書をまとめたが、陸軍上層部に握りつぶされ、廃棄を命じられたとされている。しかし、この通説は誤りで、報告書の内容は報道、公表され、作成直後には報告書も廃棄されていない。廃棄されたのは国策に反するからではなく、その後に起きた「ゾルゲ事件」への陸軍の関与を疑われないためだったとみられる。2019年の読売・吉野作造賞を受賞した『経済学者たちの日米開戦』で、摂南大学准教授の牧野邦昭さんは謎に包まれた秋丸機関のヴェールをめくり、その経緯を克明に明らかにしている。├├『経済学者たちの日米開戦 秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』(新潮選書) 常翔学園 FLOW No.86日米開戦 痛恨の教訓正確な情報から不合理な選択エリートの失敗に迫る摂南大学 経済学部経済学科牧野 邦昭 准教授ニューウェーブ教育・研究*注:<ことば>秋丸機関=陸軍主計中佐の秋丸次朗をリーダーとして1940年1月に設立。総勢200人近い頭脳集団で、日本、同盟国、仮想敵国の経済力を比較分析。英米班、独伊班、ソ連班、日本班、南方班、国際政治班があった秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く 1941(昭和16)年12月8日未明に日本軍がハワイ真珠湾の米海軍基地を奇襲攻撃し、3年9カ月に及ぶ太平洋戦争が始まりました。間もなくその78回目の開戦記念日が巡ってきます。膨大な犠牲者を出した太平洋戦争には、「不合理な軍が始めた無謀な戦争」というイメージが定着しています。しかし、戦前に他ならぬその陸軍が一流の経済学者を集めて組織した研究班「秋丸機関」*が、日米間の経済力の隔絶を指摘した冷静な報告書を出していました。長らく「都合の悪い極秘の報告書を軍が焼却処分した」と信じられてきましたが、摂南大経済学部の牧野邦昭准教授は、焼かれたはずの「幻の報告書」など新資料を次々に“発見”。更に「正しい情報がありながら、なぜ不合理な開戦を決定したのか」を新たな視点で鮮やかに分析した『経済学者たちの日米開戦 秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』(新潮選書)を世に問い、高い評価を受けました。今年の読売・吉野作造賞も受賞したその著書と研究について牧野准教授に聞きました。├├陸軍秋丸機関による経済研究の結論 牧野邦昭(摂南大学)https://jshet.net/docs/conference/79th/makino.pdf陸軍秋丸機関による経済研究の結論 牧野邦昭(摂南大学)はじめに太平洋戦争前、日本や同盟国・仮想敵国の経済力分析を目的として、陸軍が多くの経済学者を集めて結成した「陸軍秋丸機関」と呼ばれた組織(正式名称は陸軍省戦争経済研究班)が存在したことは比較的よく知られている。その全体像は不明な点が多かったが、報告者は最近相次いで秋丸機関の報告書の存在を確認し1、その実態がかなり明らかになった。本報告ではこれまでに判明した秋丸機関の研究と結論を紹介したい。1.秋丸機関の結成秋丸機関の設置に力を注いだのは、陸軍中野学校の創設に深く関与するなど戦争における謀略・情報の重要性を強く認識していた陸軍省軍務局軍事課長の岩畔豪雄大佐であり、実際の運営にあたったのは秋丸次朗主計中佐ほか東京帝国大学経済学部に聴講生として派遣された経験を持つ陸軍主計官である。秋丸中佐は 1939 年 9 月に陸軍省経理局課員兼軍務局課員着任後に岩畔大佐から、ノモンハン事件での敗戦を機に英米との戦争の可能性を考慮して経済戦の調査研究を進めたいとして、「経済謀略機関」の設立を命じられた。秋丸中佐は高級課員の遠藤武勝中佐など上官の手助けも得て、「仮想敵国の経済戦力を詳細に分析・総合して、最弱点を把握すると共に、わが方の経済戦力の持久度を見極め、攻防の策を講ずる」ため、ブレーンとして経済学者を集めることに力を注いだ2。その中心となったのが統制経済や戦時経済に詳しく、かつ 1938 年の教授グループ事件で大学を休職中で調査に専念できた有沢広巳であった。有沢の他に武村忠雄、中山伊知郎、宮川実など、経済学の学派の違いを超えて多くの経済学者が集められた3。さらに世界政情の調査のために蝋山政道らを起用し、個別調査のため「各省の少壮官僚、満鉄調査部の精鋭分子をはじめ、各界にわたるトップレベルの知能を集大成」4した。機関は対外的名称を陸軍省主計課別班としており5、現在残されている資料は大半がその名義だが、後述のように陸軍内部の報告では陸軍省戦争経済研究班という正式名称を使用していたと考えられる。なお、秋丸中佐自身の経済国力に関する認識は、1939 年 12 月の第 1 回東亜経済懇談会の北九州経済座談会での発言から読み取れる。秋丸中佐は当時の第二次大戦当初の「まやかし戦争」について、イギリスの経済封鎖とドイツの封鎖突破努力、さらに第三国を通じた輸入努力と国内自給という形で経済戦争が行われており、さらに「自分の国又は自分の勢力圏に在る国家群を擁して、其の中で自給生活をやることがどの程度出来るかと云ふことに依つて、其の国力と云ふものが判定される」6と述べている。その一方で現在の世界は大国によりブロックに分割されているため東亜経済ブロックの結成が必要であり、「私は日満支を一丸にして連環の経済関係を打立てるならば十分に自給自足出来る、世界を相手にして戦ふとも敢て恐れない所の確信を有つものでございます」と述べ、満洲開発を進めることを主張している7。つまり秋丸中佐にとって国力とは勢力圏における自給能力を意味し、従って日本の国力を高めるために東亜経済ブロックの建設は当然必要とされていた。秋丸中佐の認識はその当時の他の軍人とあまり変わらないものだったといえる。2.秋丸機関の活動(1)研究活動秋丸機関の目的は「次期戦争ヲ遂行目標トシ主トシテ経済攻勢ノ見地」から「戦時戦費工作ニ関スル事項」「戦時特殊経済ニ関スル事項」「其ノ他戦争指導上必要ナル経済ニ関スル事項」を研究することであり、岩畔大佐が意図していた経済謀略機関としての側面が強かった。また陸軍省の軍事課、軍務課、主計課および参謀本部の協力を受けると同時にその成果を陸軍大臣・参謀総長に知らせるとされていた8。中山や有沢によれば秋丸機関では各国の経済力を分析するためにソ連のゴスプランやレオンチェフによる産業連関表を用いたアメリカ経済の分析を参考にしていたという9が、後述する秋丸機関の報告書を見る限り産業連関表そのものを利用して分析を行ったとは考えられず、当時欧米で行なわれていた国民所得(当時の日本でいう「国家資力」)研究の結果の数値を利用したものと考えられる。しかし有沢は秋丸機関でマルクス経済学の再生産表式を利用したり産業連関表に触れたことで、戦後の日本経済復興に大きな役割を果たした傾斜生産方式を提唱することになったとしている10。中山も秋丸機関に参加して実証研究や日本経済の具体的な問題に関わったことが転機になって戦後につながっていったと認めている11。有沢や中山らにとって秋丸機関での研究は戦後に大きく役に立つものであった。(2)陸軍他部局との関係秋丸機関は同じ陸軍の他部局と共に研究をしていた可能性が高い。1940 年冬、参謀本部は陸軍省整備局戦備課に 1941 年春季の対英米開戦を想定して物的国力の検討を要求した。これに対し戦備課長の岡田菊三郎大佐は 1941 年 1 月 18 日に「短期戦(2 年以内)であって対ソ戦を回避し得れば、対南方武力行使は概ね可能である。但しその後の帝国国力は弾発力を欠き、対米英長期戦遂行に大なる危険を伴うに至るであろう。」と回答し、3 月 25 日には「物的国力は開戦後第一年に 80-75%に低下し、第二年はそれよりさらに低下(70-65%)する、船舶消耗が造船で補われるとしても、南方の経済処理には多大の不安が残る」と判断していた12。中山伊知郎によれば 1940 年末または 1941 年初め13に陸軍主計中将が出席した秋丸機関の各班の報告会が行われ、中山らは日本が兵力や補給力で日中戦争の二倍の規模の戦争を戦うことは不可能という結論を説明した14。他の参加者の証言15からも戦備課と秋丸機関の活動時期が一致しており、二つの組織の研究が連動していたと考えられる。また陸軍省軍務課高級課員だった石井秋穂は「秋丸中佐ハ金融的国力判断ヲ大規模ニヤツテ何回モ報告シテクレタ」と回想しており、秋丸機関や三菱経済研究所の研究を参考にしたのが「対南方施策要綱」(6 月 6 日陸海軍統帥部により決定)であった16。同要綱の基本的な方針はあくまで「綜合国防力ヲ拡充」することにあった。石井は「武力南進ハシタクモ出来ナイノダトイウ共通観念ガ支配シテオツタノデ、コノ共通思想ヲ数字的研究ノ教訓トシテ更メテ文章的ニ確認シタ」のが対南方施策要綱であったとしている。日本の物的国力では対英米長期戦を遂行できないことは秋丸機関などの研究により十分認識されており、英米を刺激しない形での南方進出が意図されていた17。秋丸機関の研究は 1941年前半時点では当局者に日本の国力の限界を認識させ、武力行使を抑制させる働きを持っていた。しかし日本側が戦争に至らない範囲での南進策と考えていた 1941 年 7 月の南部仏印進駐は対日石油輸出停止というアメリカの強力な経済制裁をひき起こした。これにより対米開戦の機運が高まり、陸軍省戦備課は東條英機陸軍大臣から 11 月 1 日開戦を前提として再度物的国力判断を求められた。この結果も「決然開戦を断行するとしても二年以上先の産業経済情勢に対しては確信なき判決を得るのみであつた」と岡田は回想している18。有沢広巳は 9 月末に秋丸機関による対英米開戦の際の国力判断が参謀総長の前で行われたとしているが、これはこの戦備課の国力判断を指している可能性がある。3.秋丸機関の出した結論(1)『英米合作経済抗戦力調査(其一)』『英米合作経済抗戦力調査(其二)』 秋丸機関の一応の結論の陸軍首脳への説明会の開催時期は秋丸によれば 7 月であり、これは『英米合作経済抗戦力調査(其二)』『独逸経済抗戦力調査』表紙の「昭和十六年七月調製」という表記から確かであると思われる。イギリス・アメリカの合同の経済抗戦力を分析した報告書は『英米合作経済抗戦力調査(其一)』と『英米合作経済抗戦力調査(其二)』(以下それぞれ『其一』『其二』)の二冊および『英米合作経済抗戦力戦略点検討表』(未発見)に分けて刊行され、『其一』は「量的抗戦力」を計算するために「社会生産物」という形で総生産をまとめており、現在でいうマクロ経済的な分析が行われている。『其二』では「質的抗戦力」として対外関係、地理的条件、人口、各種資源、交通力や輸入力、経済構造と戦争準備、生活資料自給力、軍事費負担力、消費規正与件などを個別に挙げて分析している。『其一』の「判決」ではまずアメリカの生産能力の大きさが指摘されている。アメリカがイギリス側に参戦すれば 1 年または 1 年半後にはイギリスの供給不足を賄い、さらに第三国向けに軍需資材 80 億ドルの供給余力を有する(「判決」1 頁)。一方「判決」の後半では、イギリスには「完成軍需品ノ海上輸送力」が「致命的戦略点(弱点)ヲ形成スル」ことが指摘されている。今後ドイツ・イタリアの撃沈による船舶の喪失が続き、英米の造船能力に対し喪失トン数が超えるときはイギリスの海上輸送力は最低必要量を割り「英国抗戦力ハ急激ニ低下スヘキコト必定ナリ」(「判決」2 頁)。その上で「判決」では、対英戦略は英本土攻略により一挙に本拠を覆滅することが正攻法だが、イギリスの弱点である人的・物的資源の消耗を急速化する方略を取り、「空襲ニ依ル生産力ノ破壊」「潜水艦戦ニ依ル海上遮断」を強化徹底する一方で「英国抗戦力ノ外郭ヲナス属領・植民地」に戦線を拡大して全面的消耗戦に導き、補給を絶ってイギリス戦争経済の崩壊を目指すことも「極メテ有効ナリ」としている(「判決」2 頁)。さらに、アメリカを速かに対独戦へ追い込み、経済力を消耗させて「軍備強化ノ余裕ヲ与ヘサル」ようにすると共に、自由主義体制の脆弱性に乗じて「内部的攪乱ヲ企図シテ生産力ノ低下及反戦機運ノ醸成」を目指し、合わせてイギリス・ソ連・南米諸国との離間に努めることを提言している(「判決」2 頁)。 『其二』では「例言」において、英米合作の経済抗戦力の「弱点を確認し、その弱点の性格を検出してその全関連的意義を闡明することにより経済抗戦力の戦略点を究明するに在り」と書かれており、英米の「弱点を確認」し、それにより取るべき日本の戦略を提案しようとしていた。マルクス経済学の再生産表式に基づくと思われる生産財部門と消費財部門とに分けた分析(工業力)、英米における国民所得研究の数字を参考にしたと考えられる分析も使われているが、全体として統一のとれた分析手法が使われているとは言い難い。例言とは裏腹に「英米を合作すれば、米国の過剰[石油]は英国の不足を補つて尚ほ余りある状態である」(54-55 頁)など、イギリス単独では弱点と言える場合でも、アメリカとの合同で考える場合には大半で弱点らしい弱点見いだせていない。しかし『其一』と同様に英米を合わせても船舶輸送力が不足がちであり、これが弱点であるとされている。 実際には『英米合作経済抗戦力調査』はアメリカの造船能力を過小に見積もっていたが19、英米のうち経済力の弱いイギリスの崩壊をまず目指し、そのため英米間の輸送を遮断したりイギリス植民地を攻撃することは、枢軸国にそれだけの力があったかどうかを別にすれば合理的な方針であったといえる。(2)『独逸経済抗戦力調査』『独逸経済抗戦力調査』の「判決一」では「独ソ開戦前の国際情勢を前提する限り、独逸の経済抗戦力は本年(一九一四(ママ)年)一杯を最高点とし、四二年より次第に低下せざるを得ず。」(1 頁)とされている。ナチス政権誕生時には多くの失業者と豊富な在庫品が存在し、企業の操業率は低かったが、「ナチス統制経済の高度の組織力」を用いて遊休生産力を活用したことで生産力は急速に拡充した。しかし 1937~38年頃には完全雇用に達し生産力は増強されなくなった。1939年の第二次大戦勃発から報告書執筆直前の独ソ開戦(1941年 6月)までは現在の生産力では消耗を補えないため過去の生産による軍需品ストックに頼っているが、そのストックも来年(1942年)から枯渇してくるため経済抗戦力は低下せざるを得ない(2-4頁)。そして「判決二」は、「独逸は今後対英米長期戦に耐え得る為にはソ連の生産力を利用することが絶対に必要である。従つて独軍部が予定する如く、対ソ戦が二ヶ月間位の短期戦で終了し、直ちにソ連の生産力利用が可能となるか、それとも長期戦となり、その利用が短期間(二、三ヶ月後から)になし得ざるか否かによつて、今次大戦の運命も決定さる。」(4 頁)としている。既に労働力と食料の不足に悩むドイツは、ソ連の労働力と農産物を利用することが絶対に必要であるが、「対ソ戦が、万一長期化し、徒に独逸の経済抗戦力消耗を来たすならば、既に来年度以後低下せんとする傾向あるその抗戦力は一層加速度的に低下し、対英米長期戦遂行が全く不可能となり、世界新秩序建設の希望は失はれる」(7 頁)。「判決三」では「ソ連生産力の利用に成功するも、未だ自給態勢が完成するものに非ず。南阿への進出と東亜貿易の再開、維持を必要とす。」とされている。このように『独逸経済抗戦力調査』はドイツの経済力を冷静に分析していた。ただ、『独逸経済抗戦力調査』の判決はそこから日本のとるべき方向について驚くべき結論を出している。「東亜」はドイツの不足するタングステン、錫、ゴム、植物油を供給することができる。ヨーロッパと「東亜」の貿易を回復するためにはドイツがスエズ運河を確保し、日本がシンガポールを占領してインド洋連絡を再開しなければならない(8 頁)。「一方我国は独ソ開戦の結果、やがてソ連と英米の提携が強化されるにつれ、完全の包囲体制に陥る。この包囲態勢の突破路を吾人は先づ南に求む可きである。」「北に於ける消耗戦争は避け、南に於て生産戦争、資源戦争を遂行す可し」「南に於ける資源戦により短期建設を行ひ、経済抗戦力の実力を涵養し、これによつて高度国防国家建設の経済的基礎を確立す可し」(8-9 頁)。つまり日本は資源を獲得するためにも南進すべきだと提案している。なお、イタリアに関しては資料という形で『伊国経済抗戦力調査』(1941年 12月)が刊行されており、戦力が限界に達しており今後は下降する可能性が高いという内容である。おわりに陸軍は秋丸機関の少なくとも結論については国策に沿ったものと受け取ったとみられる。参謀本部のソ連班の委嘱を受けて 1940 年頃にソ連の経済力測定に参加した20赤松要は、中山・有沢・都留重人と共に参加した 1978 年の座談会で「洩れ聞いたことがあるのだが、その[秋丸機関の]研究は、アメリカと戦争しても大丈夫だという答申を出したと聞いているが……」と中山・有沢に聞いている21。『英米合作経済抗戦力調査』で提示された方針は、対英米開戦にあたり戦争終結構想として策定された「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」(前述の石井秋穂らが原案を作成し、1941 年 11 月 15 日に大本営政府連絡会議で国策として承認)とかなり似たものである。それは他の枢軸国との協力によりイギリスを経済封鎖等により屈伏させ、イギリスにアメリカを誘導させて講和に持ち込むとするものだった22。秋丸機関と協力していた可能性が高い陸軍省戦備課長の岡田大佐は 1942 年 3 月に朝日新聞 1 面で連載された「大東亜建設座談会」(秋丸機関に参加した中山伊知郎、蝋山政道も参加)で、英米の国力の大きさを認めているが、同時に「英米に屈伏を求める手段が国防経済的に見て見当らないのかといふと、さうではない」として、植民地を奪ったりして物資を失わせるとともに「手取り早い方法としては彼等の船舶を失はすことが一番かと思ふ」としている。座談会記事の見出しは「船が沈めば英も沈没」であった23。秋丸中佐の協力者だった遠藤武勝は、秋丸機関の研究は「戦争意志は別のところで決められ、その遂行上如何なる配慮を加えられるべきか、という極めて戦術的な問題として取り扱われたに過ぎ」ず、「研究に当たった諸学者においても、その気配に媚びて、結論としての報告において、強く厚いその経済力でも「突き崩し得ないことはあるまい」という意見が加えられた」と回想している24。秋丸機関はもともと戦争を行う上で客観的に経済的方法を探るために設置されており、実際にその役割を果たしていた。1941 年 2 月 22 日付の秋丸機関の内部資料では「ソ連経済抗戦力判断研究」を行うにあたり、「諸項目ノ関連ヲ考察ノ上抗戦力ノ弱点ガドノ部面ニ現レルカ測定」し「弱点ニツイテ経済戦略ヲ樹テルコト」が目指されており、そのための客観性を担保するため報告書作成に際し「事実ヲ挙ゲ(数量等)判断(強弱点ヲ摘出)シ理由ヲ附スルコト」「資料ノ何頁(出所)ヨリ摘出セルカヲ明記スルコト」といった指示がなされていた25。秋丸機関の研究は目的合理性を徹底的に追求するものであったが、戦争という目的そのものを疑う存在ではなかったといえる。なお、有沢は 1941 年秋に秋丸機関を離れるが、これは 1941 年 10 月にゾルゲ事件が起き治安維持法違反者に対する扱いが厳しくなり、治安維持法違反容疑で起訴保釈中だった有沢を陸軍が利用できなくなったためと推測される26。秋丸中佐は 1941 年 10 月に大佐に昇進するとともに大本営陸軍部野戦経理長官部部員になり、1942 年夏からはガダルカナル島への軍需補給に忙殺され経済戦略に手が回らなくなったことが秋丸機関解散の原因だったとしている。1942 年秋の秋丸機関解散後その調査部門は総力戦研究所に、「支那法幣工作」などの経済謀略は陸軍中野学校に移され、秋丸大佐は 12 月末にフィリピン派遣第 16 師団経理部長に転出した27。1 牧野邦昭「『独逸経済抗戦力調査』(陸軍秋丸機関報告書)―資料解題と「判決」全文」『経済学史研究』第 56 巻第 1 号、2014 年、同「『英米合作経済抗戦力調査(其二)』(陸軍秋丸機関報告書)―資料解題」『摂南経済研究』第 5 巻第 1・2 号、2015 年。2 秋丸次朗「秋丸機関の顛末」『回想』東京大学出版会、1989 年、62-64 頁。3 牧野邦昭『戦時下の経済学者』中央公論新社、2010 年、28 頁。4 秋丸「秋丸機関の顛末」21 頁。5 同右、65-66 頁。6 財団法人東亜経済懇談会編・刊行『東亜経済懇談会第一回報告書』1940 年、504 頁。7 同右、505 頁。8「陸軍秋丸機関(戦争経済研究班)ニ関スル件(十五年六月末現在)」大久保達正ほか編・土井章監修『昭和社会経済史料集成』第 10 巻、大東文化大学東洋文化研究所、1985 年所収。9 座談会「経済政策論の発展過程およびその周辺」『中山伊知郎全集』別巻、1978 年所収、64-65 頁。10有沢広巳『有澤廣巳 戦後経済を語る 昭和史への証言』東京大学出版会、1989 年、13 頁。11中村隆英・伊藤隆・原朗編『現代史を創る人びと(1)』毎日新聞社、1971 年、195 頁。12 塩崎弘明「対米英開戦と物的国力判断」近代日本研究会編『年報近代日本研究九 戦時経済』山川出版社、1987 年所収。13偕行社で秋丸機関の発表会があった時期について中山は座談会「経済政策論の発展過程およびその周辺」62 頁では「昭和十五年の終わりごろだったと思う」と述べる一方、「第十集への序文」『中山伊知郎全集』第 10 巻、1973 年では「たしか昭和十六年の初め」(Ⅰ頁)と書いている。14 中山「第十集への序文」Ⅱ頁。15脇村義太郎「学者と戦争」『日本学士院紀要』第 52 巻第 3 号、1998 年、 148 頁。16 『石井秋穂大佐回顧録』防衛省防衛研究所史料室蔵、96-98 頁。17 相澤淳「太平洋戦争開戦時の日本の戦略」防衛省防衛研究所編・発行『平成 21 年度戦争史研究国際フォーラム報告書』2010 年所収、37 頁。18 岡田菊三郎「開戦前の物的国力と対米英戦争決意」『現代史資料 43 国家総動員1』みすず書房、1970年、144 頁。19 脇村「学者と戦争」152-157 頁。20 赤松要「学問遍路(8)南方調査とマライの独立運動」『世界経済評論』第 11 巻第 11 号、1967 年、40 頁。21座談会「経済政策論の発展過程およびその周辺」62 頁。22 参謀本部編『杉山メモ』上、原書房、1967 年、523-524 頁。23 「大東亜建設座談会 本社主催 2 船が沈めば英も沈没 粘りは米の方が弱い」『朝日新聞』1942 年3 月 20 日 1 面。24 遠藤武勝「一経理官の回想」陸軍経理学校同窓会若松会『若松誌通巻一五〇号記念 若松 総集編』1995年、343 頁。25 「ソ連経済抗戦力判断研究関係書綴」1941 年 2 月 22 日、防衛省防衛研究所史料室所蔵。26 脇村義太郎「回想の戦中・戦後(上)」『中央公論』1995 年 11 月号、168-169 頁。27秋丸「秋丸機関の顛末」67 頁。├├├日本の戦争計画におけるイギリス要因―「対英米蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」の消滅まで―赤木完爾 防衛研究所2023/11/18https://www.nids.mod.go.jp/event/proceedings/forum/pdf/2002/forum_j2002_7.pdfはじめに第二次世界大戦は、その起源において相互関係のなかったアジアの戦争とヨーロッパの戦争が一つのものとなって戦われた戦争であった。それは 1940 年の日独伊三国同盟による国際関係における友敵関係の明確化、1941 年の独ソ戦の開始、英米の対ソ援助の開始、そしてグローバル・パワーとしてのイギリス植民地帝国のアジアにおける危機の切迫、さらに西半球の防波堤としてのイギリス本国の崩壊を座視することはできないとして開始されたアメリカの対英援助、ならびにアメリカの大西洋における実質的な参戦を経て、日本海軍の真珠湾攻撃によって、一挙に第二次世界大戦に発展した。日本の戦争計画が策定される過程においては、二つの仮説が存在した。それは「ドイツの不敗」と「イギリスの屈服」である。この仮説は日本軍部の政策決定者に 1940 年 5月のドイツの西方電撃戦以来一貫して共有されていた。1941 年 9 月から 12 月にかけて日本の戦争決意が形成された。ことに 11 月 5 日の御前会議で、対英米蘭戦争は不可避と判断された。開戦にあたっての基本戦略が、大本営政府連絡会議が 11 月 15 日に決定した「対英米蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」である。 この腹案の決定をめぐって、すでに陸軍と海軍の間で対立があった。開戦前の研究において、政府と統帥部は戦争が長期戦になる公算が大であり、この長期戦を戦い抜く戦略物資が日本には不十分であり、したがって日本にはアメリカを武力で屈服させる手段がないことを認識していた。たとえば 9 月 6 日の御前会議において、永野軍令部総長は、日本は進攻作戦を以て敵を屈服させ、その戦争意思を放棄させる手段はないと発言していた1。こうした認識は陸軍も共有していた。しかしながら想定されていた戦争の態様は、陸軍は「長期持久戦」であり、海軍は「短期決戦」であり、そこに認識の一致はなかった。「長期持久戦」と「短期決戦」の含意はそれぞれ「不敗」と「引き分け」である。敵を直接的に屈服させることのできない日本の戦争計画が構想したのは、先に触れた二つの仮説に基づいた間接的な戦争終結シナリオであった。その中で強調されていたのが、まずイギリスを屈服させ、その影響を利用して戦争を少なくとも引き分けに持ち込むという構想であった。本稿で言うイギリス要因とは、これを指す。そしてそのイギリス要因が戦争計画や作戦の立案や実施においてどのように意識されていたか、あるいは無視されていたかを検証することが、本稿の目的である。日本の第二次世界大戦史研究の中で、戦争の日英戦争の側面ならびに日本の戦争指導計画については少数ではあるものの重要な業績が積み重ねられている。本稿はそうした先行研究に依拠しながら、もっぱら戦争指導計画の変容をイギリス要因の消長を中心として概観を試みるものである2。あわせてこの検討作業を通じて、日本の軍事幕僚組織の計画作成におけるリーダーシップの問題を考える材料を提示することを試みている。「腹案」の論理1941 年 11 月 5 日の御前会議で、対英米蘭戦争は不可避と決定された。開戦にあたっての総合的な戦争計画は、同年 8 月頃から陸・海軍および外務省の事務レベルで「対英米蘭戦争指導要綱」として立案準備されていた。このうち最終部分にあった戦争終末促進の方略が抜き出されて、「腹案」となった 3。11 月 15 日に大本営政府連絡会議で決定された「腹案」は日本の基本戦略であり、そのことは政府・統帥部において一般に諒解されていた。戦争前に成文として出来上がった唯一の戦争計画であったといえる 4。さて、前述のように日本がアメリカを自ら屈服させる手段を持ち得ないことは、自明であったとしても、そのことはそのまま日本が必ず敗北するという見通しが確認されたということではない。1941 年 9 月から 12 月にかけて何度も開催された連絡会議の審議や討議の記録、関係する政策文書をとりまとめて論ずれば、以下のようになろう。すなわち初期作戦の勝利は確実であり、一定の条件さえ満たされれば引き分けに持ち込める。しかし最終的な見通しは不明ということになる。だが長期戦の場合の見通しについては、陸海軍の首脳は概して悲観的であった5。「対英米蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」の基本構想は次のように規定されている 6。1 参謀本部編『杉山メモ』上(原書房、1967 年)35 頁。及び防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 大本營陸軍部<2>』(朝雲新聞社、1968 年)433 頁。├├対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案 昭和16年11月15日 国立公文書館https://www.jacar.archives.go.jp › das › image標題:対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案 昭和16年11月15日 · 防衛省防衛研究所 · 陸軍一般史料 · 文庫 · 宮崎├├ノモンハン事件 - Wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6ノモンハン事件1939年5月から同年9月にかけて、満洲国とモンゴル人民共和国の間の国境線を巡って発生した紛争。第一次(1939年5月 - 6月)と第二次(同年7月 - 9月)の二期に分かれる。場所:満蒙国境、ハルハ川付近。戦力 日本軍総兵力58,000名-76,000名(うち戦闘参加2万数千名)、戦車92輌8月20日時点、歩兵8,000名で総人員は2万数千名)、戦車なし火砲70門。戦力 ソ連軍・モンゴル軍総兵力ソ連軍69,101名、モンゴル軍8,575名8月20日時点、総兵力51,950名、火砲542門、戦車438輌、装甲車385輌、兵力比で日本軍の4倍。損害日本軍 戦死 7,696-8,109、戦傷 8,647-8,664、生死不明1,021(うち捕虜566-567、戦後に捕虜交換で生還したもの160)、戦車 29輌、航空機 171機(含損傷機)、搭乗員死傷 113。損害赤軍 戦死 9,703~10,000人以上、戦傷 15,952、戦車・装甲車 397輌、航空機 251機、搭乗員死傷 287。損害モンゴル軍 戦死 280、戦傷 710、装甲車数十輌。├├経済からみた日米戦争と国力差、ウクライナ戦争の終着点 執筆 夏森龍之介第一次、第二次大戦の戦費、兵器供給と米国 第一次世界大戦の戦費を敵対国がともに米国から借りており、敗戦国ドイツから英国などへの賠償金の支払いは米国からドイツへの貸し付けによってなされていた。第二次世界大戦の日中戦争では米国から武器弾薬が中国に供給され、英国、仏国など連合国の対ドイツ戦線の武器も同じように米国から供給された。 第二次世界大戦における日米戦争が始まると米国では婦女子を動員して兵器製造に全力を挙げた。米国の無条件降伏を目的とした日本焦土作戦 米国の対日戦争の戦略は戦闘において日本軍の戦力を粉砕し、武装を失った政府に無条件降伏させることであった。これは第一次世界大戦における対ドイツ戦線での米軍の行動の延長であり伝統的作戦となっていた。 アメリカ陸軍航空隊の戦略爆撃隊の司令官や一部の海軍将官にとって、この伝統的作戦は目的というよりは手段であった。 日本の軍需産業と都市爆撃は躊躇なく実施された。野坂昭如の火垂るの墓は、神戸市界隈への都市爆撃にによって路頭をさまようなか4歳の妹が栄養失調で死んでいくことを描いている。このとき作者は14歳であった。日本は石油の7割を米国に依存していた。これを止められ、また預金を封鎖された。満州、中国から手を引けという条件であった。B-29エノラ・ゲイとB-29ボックスカーによる原爆投下 米軍の対日作戦のその戦略は日本を焦土として戦闘能力を奪い無条件降伏させることである。そのための作戦行動の中心はB17爆撃機の後継で能力が大きく向上した超大型爆撃機B-29であり、1945年5月以降にボーイング社以外の工場でも生産体制を築いて大増産している。長距離侵攻能力を生かして日本本土への戦略爆撃に使用された。B-29エノラ・ゲイとB-29ボックスカーの2機は広島、長崎へ原子爆弾を投下した。1944年7月9日のサイパン陥落などによって南部マリアナ諸島を出撃基地として日本の主要都市が射程となった。 米国戦略爆撃調査団(USSBS)発表では日本本土を爆撃したB-29の延べ出撃機数 33,401機、作戦中の総損失機数485機、延べ出撃機数に対する損失率1.45%、作戦中の破損機数2,707機、投下爆弾 147,576トン、搭乗員戦死 3,044名。 アメリカ空軍第9爆撃航空団統計によるB-29所属部隊の戦績と損失は次のとおり。 第20空軍1944年6月5日以降。作戦数380。戦闘出撃機数 31,387。その他出撃数1,617。出撃機数合計33,004。投下爆弾・機雷トン171,060。戦闘損失数494。アメリカ本土での訓練損失260。損失合計754。搭乗員戦死576。搭乗員行方不明2,406。搭乗員戦傷 433。搭乗員死傷者合計3,415。1945年8月、日本軍の航空機実戦配備 6,000機(すでに38,000~50,000機を失う) 日本軍のサイパン基地陥落前後における日本軍の航空戦力の状況はどうであったか。 日本軍は1945年8月当時、まだ約 6,000機の航空機を実戦配備していたが、帝国陸海軍の航空部隊はすでに38,000~50,000機と、それらを操縦していた搭乗員の大多数を失っていたと推計される。日本の陸軍兵士は6人に1人の割合で戦死したのに対し、海軍水兵は4人に1人の割合で戦死していた。200万人以上の帝国陸海軍人が戦死したが、生存者も 500万人以上にのぼる。ピーク時の1943年には 873,000トンであった油槽船隊が1945年にはその4分の1の規模にまで縮小していた。 都市爆撃によって、少なくとも50万人の日本の民間人が死亡。本土在住の国民の12分の1に当たる。これらのことは敗戦時の日本の状況を表す指標の一つである。開戦時日米の経済格差は1対20(陸軍主計大佐新庄健吉の現地調査) 第二次世界大戦終結時における世界の富の二分の一を米国が保有していたといわれる。開戦時の日米の国力比較を軍の命令でしたのが陸軍主計大佐新庄健吉である。 新庄健吉は1941年(昭和16年)1月にアメリカ出張を命ぜられた。新庄の任務は日米戦争にかかわり米国の国力と戦力を調査である。4月に米国に到着して以来、すべて公開されている統計情報をつうじて調査は実施されたとされる。政府資料から資材の備蓄状況等を割出し日本との国力差を数字に示した。調査のための場所に選ばれたのはエンパイアステートビル7階の三井物産ニューヨーク支店で、ここに新庄は机を置いた。表向きの身分を三井物産社員。米国が世界一の工業生産力を持つことははっきりしていたがこれを確かな形で確かめた。重工業分野では日本1に対してアメリカ20、化学工業1対3であった。米国国力を調査した陸軍主計大佐新庄健吉 米国国力を調査した陸軍主計大佐となった新庄健吉は異色雄経歴をもつ。 1897年(明治30年)9月30日農業新庄竹蔵の三男として生まれ、京都府立第三中学校(現・京都府立福知山高等学校)を経て1915年(大正4年)12月、主計候補生となる。1916年(大正5年)9月、陸軍経理学校に入校し、1918年(大正7年)5月、主計候補生第12期として卒業。同年12月、陸軍三等主計(少尉相当)に任ぜられ、歩兵第62連隊附。1923年(大正12年)6月、陸軍経理学校高等科に入り、1925年(大正14年)5月卒業。陸軍派遣学生として東京帝国大学経済学部商業科に入る。1927年(昭和2年)3月、一等主計(大尉相当)に進級し、1928年(昭和3年)3月、経済学部を卒業、大学院に進み経営経済学を学び1930年(昭和5年)3月、大学院を修了する。1935年(昭和10年)11月からソビエト連邦・ポーランドに軍事研究員として駐在。1941年(昭和16年)1月、参謀本部附仰付、アメリカに出張を命ぜられ同年4月ニューヨークに赴任。重工業分野は1対20、化学工業1対3、全体は米国が日本の20倍の産業力 第二次世界大戦終了時において米国は世界の富の半分を保有していたことになっている。日米大戦の開戦時の1941年の日米の経済の状態を陸軍主計大佐新庄健吉の調査では重工業分野では日本1に対してアメリカ20、化学工業1対3であったと調べ上げた。全体としても日本の20倍の産業力を保有していたのが米国である。 陸海軍の軍備は軍縮会議で決められた内容に沿うものであるから日本1、米国20ではない。しかし第二次世界大戦欧州戦線の展開とともに米国は兵器の増産体制に移り、1944年には日本本土の都市を爆撃することを目的とした超大型爆撃機B29の大増産を始めた。軍需産業はことごとく爆撃され、都市は焼き尽くされた。1945年3月10日の東京大空襲は単なる絨毯爆撃ではなく円形に焼夷弾を投下することによって下町の住民10万人を死亡させた。2021年の世界GDP比率は米国24.1%、中国18.3%、5.1% 時が下って2021年の各国の国内生産はどのようになっているか。 米国の世界GDPに対する比率は24.1%、中国の比率は18.3%、日本は5.1%、ロシアは1.8%。日米の差(比率)は1941年と変わらないが中国と米国が拮抗するようになった。1.8%のロシアが米国と対抗して東西冷戦と騒がれていたことが不思議である。米国の兵器産業は日本のGDP700億円相当 米国における兵器産業の状態である。 2015年において米国の上位10社の軍事企業の売上高は41兆円。関連する企業などの売上高を総計すると日本のGDP700億円に迫ると想像される。米国における軍事産業は世界平和あるいは地域紛争と密接にかかわる。朝鮮戦争、ベトナム戦争、イランとイラクの戦争、アフガニスタンの内紛、ウクライナ戦争などは、米国が製造する兵器の消費の場であった。軍事産業を宇宙開発に振り向けてきた事情があるが、宇宙開発はGPSを生み出し、ミサイル、無人攻撃機などにつながっている。ウクライナ戦争から2025年2月で三年に ロシアのウクライナ侵攻によるウクライナ戦争は3年を経過する。ウクライナのNATO加盟に連動する西側の動きはロシア領への西側の圧迫である。一連の動きはロシアにはミンスク合意の破棄と受け止められている。ロシア・ウクライナ危機が対立の激しさを増し、2022年2月21日にロシアはドンバス地域の独立を承認し、翌22日ウラジーミル・プーチン大統領は会見で、ミンスク合意は長期間履行されずもはや合意そのものが存在していない、として破棄を宣言した。24日にはウクライナの非軍事化を目的とした特別軍事活動を承認し、ロシア軍によるウクライナへの全面侵攻が開始された。ウクライナのGDPはロシアの10分の1以下、人口は2割 ウクライナのGDPはロシアの10分の1以下。ロシアは米国の155の1。戦争が国力の総合で争われるものだとするとウクライナ軍の戦闘は異例である。NATO加盟国の軍事援助、米国による特別な武器支援がなければ戦えない。ウクライナ戦争に関係する各国のGDPと人口である。戦争に関連した各国のGDP 戦争に関連した各国のGDP世界の名目GDP(USドル)は次のとおり。(単位: 10億USドル) 1位アメリカ27,720.73。2位中国17,758.05。3位ドイツ4,527.01。4位日本4,219.83。11位ロシア2,009.96(人口1億3千万人)。58位ウクライナ178.34(人口3千4百万人)。(以上2024年10月23日付け)├├官僚制度と計量の世界(23) 第二次大戦突入と焦土の敗戦「なぜ戦争をし敗れたのか」 執筆 夏森龍之介第一高等学校から東京帝国大学法学部へと進み外交官になる道を歩んでいた男の自らへの問い 第一高等学校から東京帝国大学法学部へと進み、学徒動員につづく幹部候補生の途中で結核のため招集解除になり外務省の嘱託職員として終戦を迎えた男の問いかけである。何故このようになってしまったのか一、何故こんな馬鹿げた戦争をしかけたのか。二、国民は何故あんなに興奮して戦争を歓迎したのか。三、そこに何を期待していたのか。四、軍隊は何故あんなに戦意が無かったのか。五、国民は戦況不利の仲で、何故てのひらをかえしたように、統制経済にそっぽを向き、闇物資の入手に狂奔して経済を混乱させたのか。六、何故現物があるのに闇価格でなければ流通しなかったのか。侵略思想があった、それが限りなくね、これがすんだら今度はこれという風に侵略思想があったんですよ この年、1941年4月13日に日ソ中立条約が締結されたている。7月25日にアメリカ政府が在米の日本資産を凍結した。資産凍結とは在米邦人や法人企業の資産凍結だけをいみするのではなく、連合国との石油だけではなく資材、食糧などの取引を占めだす内容である。連合国との開戦回避の条件は中国からの日本軍の撤退。このことに関連すれば満州からの撤退も意味していた。また南方方面からの撤退をも米国は要求する。 国策、つまり戦争の作戦計画を決める御前会議は米国の要求は受け入れることはできないとして、12月1日の開戦を決めた。12月8日に日本軍がマレー半島に上陸し、時間的に少し遅れてハワイの真珠湾に浮かぶアメリカ太平洋艦隊を攻撃を攻撃した。 大本営陸軍参謀部にいて戦争計画を立案したのが石井秋穂である。最終階級は陸軍大佐。石井秋穂(いしい あきほ)は1900年(明治33年)11月2日(山口県豊浦郡豊西村)~ 1996年(平成8年)8月25日)。広島陸軍地方幼年学校、中央幼年学校本科を経て、1922年(大正11年)7月、陸軍士官学校(34期)を秩父宮を除き4番の成績で卒業。陸幼と陸士卒業時の2度に亘り恩賜の銀時計組。1932年(昭和7年)11月、陸軍大学校(44期)を卒業。 終戦後は官職などに付かずに1996年(平成8年)8月まで生きた石井秋穂は、MHKテレビがドキュメンタリー番組のなかで次のように語る。御前会議に上奏する戦争計画を書いた大本営陸軍参謀部石井秋穂の証言 国策をね、一番余計書いたのはわしでしょう。やっぱりわしが第一人者でしょう。罪は深いですよ。天皇陛下が、第一項に戦争が書いてある、第二項に外交が書いてあるって、ご機嫌が悪いわけね。ところがそれを、第一項に戦争を書いたのは、わしですよ。大東亜戦争ていえば、すぐさまあの「四方の海」ね、あれを思い出します。だからわしはあの政策に、ずいぶん責任がありますよ。資産凍結を受けてね、それから、約1週間ばかりに考え通したですよ。どうしようかと。夜も昼もうちにおっても役所に出ても、そればっかりを考えた。そして、もう一滴の油も来なくなりました。それを確認した上でね、それで、わしは戦争を決意した。もうこれは戦争よりほかはないと戦争を初めて決意した。和解となればね、あの時には日本は支那から撤退せにゃいけなくなりますね。それでわしは考えたんですがね、支那から撤退するとなると満州も含む、それにもかかわらず賛成する人がおろうか、おったらそれは本当の平和主義者か、そういう人がずうっと上の人からね、下のほうの幹部にいたるまで誰かおるだろうかと考えたら、おらん誰も。 結局理論的に申せばどれもこれもみな問題があったことになりますけどね。それを正直に申せばね侵略思想があったんですね。それが限りなくね、あっちこっち、これが済んだら、今度はこれという風に侵略思想があったんですよね、もとは。そういうことになりましょうね。├ 9月6日「帝国国策遂行要領」 9月6日の第6回御前会議が開かれ,以下のような内容の「帝国国策要領」が決定された) この「帝国国策遂行要領」こそ、「十月上旬頃ニ至ルモ尚要求ヲ貫徹シ得ル目途ナキ場合ニ於テハ直チニ対米(英、蘭)開戦ヲ決意ス」とされているように、事実上、太平洋戦争突入を決定したものである。 天皇は、9月6日の決定の前日 9月5日に「突然陸海軍統帥部長ヲ召サレ近衛総理立会ノ下ニ御下問」を行い、総長に以下のような「奉答」をさせている。御上 方作戦ハ予定通リ出来ルト思フカ参謀総長 右ニ対シ馬来比島等ノ予定作戦ヲ奉答ス御上 予定通リ進マヌ事カアノレタラウ五ヶ月ト云フカソウハイカヌコトモアノレタラウ総長 従来陸海軍テ数回研究シテ居リマスノテ大体予定ノ通リ行クト思ヒマス御上 上陸作戦ハソンナニ楽々出来ノレト恩フカ総長 楽トハ思ヒマセヌカ陸海軍共常時訓練シテ居リマスノテ先ツ出来ノレト思ヒマス御上 九州ノ上陸演習ニハ船カ非常ニ沈ンダカアーナレパドウカ総長 アレハ敵ノ飛行機カ撃滅セラレル前ニ船団ノ;航空ヲ始メタカラテアヅテ,アーハナラヌト思ヒマス御上 天候ノ障碍ハドウスルカ総長 障碍ヲ排除シテヤラネハナリマセヌ予定通リ出来ルト思フカ オ前ノ大臣ノ時ニ蒋介石ハ直ク参ノレト云フタカ未タヤレヌテハナイカ総長 更メテ此ノ機会ニ私ノ考へテ居リマスコトヲ申上ゲマスト前提シ日本ノ国力ノ漸減スルコトヲ述へ弾捺力ノアノレウチニ国運ヲ興隆セシムル必要ノアル、コト又困難ヲ排除シツツ国運ヲ打開スル必要ノアルコトヲ奏上ス御上 絶対ニ勝テルカ(大声ニテ)総長 絶対トハ申シ兼ネマス 而シ勝テル算ノアルコトタケハ申シ上ケラレマス必ス勝ツトハ申上ケ兼ネマス尚日本トシテハ半年ヤ一年ノ平和ヲ得テモ続イテ困難カ来ルノテハイケナイノテプリマス 二十年五十年ノ平和ヲ求ムヘキテアルト考ヘマス御上 アふ分ッタ(大声ニテ) 天皇はかなり突こんだ作戦について質問し、その結果をふまえて、9月6日の「対米(英,蘭)開戦ヲ決定ス」る「帝国国策要領」を裁可したのである。天皇が「私ハ毎日 明治天皇御製ノ 四方の海皆同胞と思ふ代になど波の立騒ぐらむ ヲ拝踊シテ居ル」と述べていることだけで、平和主義者だったとはさらさら言えるものではなく、9月 5日の「御下問」と関連して、木戸内大臣も「対米施策につき作戦上の御疑問等も数々あり」としているように、それが単なる戦争へのためらい(不安)にすぎなかったことは以上の経過から明らかである。 さらに9月6日の対米英蘭開戦決定以降、天皇は、以下に示すような「御下問Jなどを繰返して太平洋戦争開戦への道を促進していったので、ある。まず9月9日「南方作戦構想ニ就キ上奏ノ際御下問Jでは、次のような遣り取りが行われている。御上 作戦構想ニ就テハヨク分ッタ南方ヲヤッテ居ル時北方カラ重圧カアッタラドウスルカ総長 南方ヲ始メタ以上ハ之ヲ達成スル迄右顧左阿スルモノニアラスシテ湛進スル必要カアリマス 又ソウ御願ヒ致シマス 但シ北方ニ事カ起レハ支那ヨリ兵ヲ転用スルコトナトモ致シマシテ中途テ南ヲヤメル様ナコトハイケマセン御上 ソレテ安心シタ支那カラ兵力ヲ抽出スルコトハ大ナル困難ヲ伴フニアラスヤ総長 之ハ支那方面テカカ薄クナリマスカラ戦面ノ縮小其他ノコトモヤラナケレハナラヌト思ヒマス 此ノ事ハ年度作戦計画テモ考へテ居リマス ソレテモ支那ニハ心配ハ入リマセン 以上のように南進政策強行に伴うソ連の脅威などについて、さかんに質問をしており、その結果にもとづいて、9月10日の「対南方動員ニ関スル上奏ノ際御下問」で、御上 又聞クノテアルカ南ヲヤッテ居ル時北ハ出テ来ルコトハナイカ総長 絶対トハ申上ケラレマセンカ季節ノ関係上大キナモノト出テ来ルトハ考ヘラレマセン というような応答のように一抹の不安を示しながらも、結局、「動員ヲヤッテ宜シイ 。近衛『ルーズベルト』ノ話カマトマレハ止メルダラウ」と、裁可しているのである。少くともこれらの諸事実からみても、天皇の戦争責任は明白である。さらには開戦後の戦争遂行過程、降伏決定過程における天皇の言動が追及されなければならない。毎日新聞記者栗原俊雄が確認した戦争と天皇責任 栗原俊雄(毎日新聞記者)の調査・論考「戦争の教訓 為政者は間違え、代償は庶民が払う」によって確認された昭和天皇裕仁の御前会議での発言と戦争責任の所在は次のとおりである。内容の基本陽光は、栗原俊雄『戦争の教訓 為政者は間違え、代償は庶民が払う』(実業之日本社)に書かれている。 なぜ日本は太平洋戦争に踏み切ったのか。毎日新聞の栗原俊雄記者は「昭和天皇は開戦を決めた御前会議で、和歌を詠むだけで、戦争回避を求める発言はしなかった。和歌の意図は戦争回避だったと考えられるが、作家の五味川純平も指摘しているようにそれだけでは不十分だったのではないか」という。「自存自衛のために対米英蘭戦争を辞さない」という近衛文麿の決意 1941年9月5日、近衛首相は天皇に拝謁し、大本営政府連絡会議がまとめた「帝国国策遂行要領」(「要領」)を内奏した。要点は、(1)日本は自存自衛を全うするため、対米英蘭との戦争を辞さない決意のもと、おおむね10月下旬をめどに戦争準備を完整させる(2)(1)に並行して米英との外交で要求貫徹に努める。交渉における最少限度の要求は別紙の通り(3)(2)の外交により10月上旬ごろになっても要求貫徹のめどがつかない場合は、直ちに対米英蘭開戦を決意するというものだ。 日本側が求める「最少限度の要求」のうち、主なものは、(A)米英は日本の「支那事変処理」に容喙ようかいしたり、妨害したりしないこと、(B)米英は極東において、日本の国防を脅かすような行為をしないこと、(C)米英は日本が必要な物資を獲得するのに協力すること、である。 さらに、譲歩できる限度も想定した。①日本は進駐した仏印(フランス領インドシナ、現ベトナム)を基地として、中国以外の近隣地域に武力進出はしない。②公正な極東平和が確立した後、仏印から撤兵をする。③フィリピンの中立を保障する。というものであった。 「要求」は、ハル4原則[(1)他国領土保全と主権尊重(2)内政不干渉(3)通商上の機会均等(4)太平洋の現状維持]と真っ向から対立するものである。その要求をのませる対価として、「中国以外の近隣地域に武力進出はしない」などの前記の「譲歩」①~③は、あまりにも見劣りした。筆者のみるところ、10円で100円を買おうとするようなものだ。 「要領」は自存自衛のために対米英蘭戦争を辞さない決意をし、10月下旬をめどに戦争準備を終える、10月上旬までに対米交渉で上記の要求を貫徹できるめどがつかない場合は、直ちに対米英蘭戦争を決意する、という内容である。このときすでに、日本は石油が入ってこなくなりつつあった。対米交渉妥結が延びれば日本の戦力、国力は削られる。交渉に期限を設ける必要があった。開戦の気配を感じ取った昭和天皇 外交は相手の意思や都合もある。敗戦後の日米関係ならともかく、この段階での日米関係はどちらかが相手の要求をすべてのむ、という関係ではない。互いの譲歩が必要なのだ。交渉期限を設定してしまうと、互いの譲歩の余地が少なくなる。「開戦決意」までたった1カ月しかない。『平和への努力 近衛文麿手記』を見ると、天皇は以下のように述べた。 「これを見ると、一に戦争準備を記し、二に外交交渉を掲げている。戦争が主で外交が従であるかの如き感じを受ける。この点について明日の会議で統帥部(陸軍参謀本部海軍軍司令部)の両総長に質問したい」このあたり、戦争回避を願う天皇の視点は鋭い。危機感が増したのだろう。 近衛は、「一と二の順番は軽重を表すものではなく、政府としてはあくまでも外交交渉を行う。どうしても交渉がまとまらなければ、戦争の準備にとりかかる」、という趣旨の返事をした。その上で、翌日の御前会議の前に杉山元陸軍参謀総長と、永野修身海軍軍令部総長を呼んで聞くことを勧めた。御前会議には文官もいて、軍事の詳細を話し合うのは、はばかられたためだろう。天皇は「すぐに呼べ。首相も陪席せよ」と命じた。 「どのくらいの期間で片付ける確信があるのか」天皇は両総長に、要領の順番について近衛にしたのと同じ質問をし、両総長は近衛と同じように答えた。天皇はさらに杉山に聞いた。 以下、前掲の近衛手記から再現してみよう。天皇 「日米戦争となったら、陸軍はどれくらいの期間で片付ける確信があるのか」杉山 「南洋方面だけは3カ月くらいにて片付けるつもりであります」天皇 「お前は支那事変[日中戦争]が勃発した時の陸相だ。その時、『事変は1カ月くらいにて片付きます』と申したことを覚えている。しかし4年の長きに渡ってまだ片付かないではないか」杉山 「支那[中国]は奥地が開けており、予定通りの作戦が難しいのです」天皇 「支那の奥地が広いというなら、太平洋はさらに広いではないか。いかなる確信があって3カ月と言うのか」 杉山にとって、3カ月で南方作戦を成功裏に終わらせるのは願望であり、それを実現させる確信はなく、確信の裏付けとなる客観的なデータなどなかったのだろう。だから「3カ月」と判断する理由を説明できなかった。永野が言葉を添えた。「絶対に勝てるか」と大声で問いただした昭和天皇 本当に「手術」するしかないのか。外交などの「投薬」を尽くしたのか。戦争だけが「手術」で、他にすべはないのか。疑問は残る。アメリカ相手の戦争を始めるにあたり、説得力のある説明は永野といえどもできなかっただろう。戦力で考えたらアメリカに勝てるはずがないし、永野たちも勝てないことは分かっていた。 「一か八か」のような永野の論法を聞いた天皇は、不安をぬぐえなかった。 強い言葉でさらに問いかけた(『杉山メモ』)。御上[天皇] 「絶対に勝てるか(大声にて)」 天皇が翌日の会議を前にわざわざ2人を呼び出したのは、このことを聞きたかったからではないか。居並ぶ大本営政府連絡会議のメンバーを前に「絶対勝てます」とは、米英との彼我の国力差を考えれば、軍事のプロとしては言えないだろう。かといって「勝てません」とも言えない。そこで本音を言いやすい環境で2人に問うた、ということではないか。 永野「絶対とは申しかねます。しかし勝てる算のあることだけは申し上げられます。必ず勝つとは申上げかねます。なお日本としては半年や1年の平和を得ても続いて国難が来るのではいけないのであります。20年、50年の平和を求むべきであると考えます」御上 「ああ分かった(大声にて)」 必ず勝つとまでは言えない。しかし、勝算はある。半年や1年の平和を得たとしても、国難が続くことがあってはならない。半世紀先までの平和を考えなければならない。永野はそう言う。その平和は、戦争をすることで見えてくる。そうも言いたかったのだろう。御前会議の終盤に起きた異常な事態 天皇の「分かった」は、どういう気持ちからの言葉だったのか。「手術=開戦」に納得したのか。あるいは、いいかげんな説明にうんざりして話を打ち切りたかったのか。開戦過程の研究では、この翌日9月6日の御前会議がよく知られている。 非常に重要な会議ではあるが、筆者は前日に行われた両総長と首相による、天皇への内奏も劣らずに重要であったと考える。 天皇は、両総長が対米戦に前のめりになっていることを改めて知ったはずだ。そして、確たる勝算がないことも。そうであれば、文官も含めた各閣僚がいる御前会議の場ではなく、5日のこの時点で戦争回避の意志を強く示すべきであった。永野は「半年や1年……」と述べたが、もし半年ないし1年日本が熟慮を続けていれば、1945年8月の敗戦とは相当違う未来があっただろう。 6日午前10時、御前会議が始まった。終盤に異常な事態が起きた。同会議では発言しないという慣例があるが天皇はそれを破り、明治天皇の和歌を読み上げた。 「四方よもの海、皆同胞みなはらからと思ふ代に、などあだ波の立ち騒ぐらむ」(『杉山メモ』) 「避戦」のための、異例の発言だった。 「手術=開戦」に納得していなかったことが分かる。しかし、要領は可決された。つまりこの会議から1カ月余り後の10月上旬ごろを期限とし、それまでに日米交渉で日本の言い分が通らなければ、対米英蘭の戦争を決意することが、天皇の前で国家意思として決まったのだ。大日本帝国は戦争へと大きな一歩を踏み出し、ここから破滅への坂を転げ落ちていく。├2024-05-17-news-204materia-content-collection-of-metrology-databank-204-
2025年02月07日
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アカシヤの花が咲くころ 国道20号線 東京から218㎞、塩尻峠で撮影しました計量計測データバンク ニュースの窓 目次 1├計量計測データバンク ニュースの窓-1-NHKサラメシ「社長がシェフ」ネステック月岡周郎社長登場。2023年1月19日├計量計測データバンク ニュースの窓-2-ロレックス(ROLEX)エクスプローラー(EXPLOREA)├計量計測データバンク ニュースの窓-3-「2022年版全国社長の出身大学調査」上場企業社長一位二位は慶応義塾大学、早稲田大学├計量計測データバンク ニュースの窓-4-日本の国家公務員の機構を旧日本軍の将校機構(士官学校、兵学校、陸軍大学、海軍大学)と対比する├計量計測データバンク ニュースの窓-5-失業手当(失業保険)はどんな人がもらえる 金額・期間・手続き方法を解説├計量計測データバンク ニュースの窓-6-【公式】魚津市観光協会 魚津旅情報毛勝山 (uozu-kanko.jp)├計量計測データバンク ニュースの窓-7-国立大学事務職員は何歳で「昇級」するのか 国立大学職員日記├計量計測データバンク ニュースの窓-8-計量行政関係職員の人事異動(2023年04月04日調査)├計量計測データバンク ニュースの窓-9-経済産業省 幹部名簿(2023年04月06日データ取得)、国家公務員I種(総合職)とII種(一般職)のキャリアパス├計量計測データバンク ニュースの窓-10-経済産業省幹部名簿 経済産業省人事(2023年04月06日データ取得)├計量計測データバンク ニュースの窓-11-白と黒 事件簿 村木厚子事件、袴田事件、日本のコロナ対応、蓼科山荘で44回混浴事件├計量計測データバンク ニュースの窓-12-ホンダ アクティトラックなど軽トラ動画・評論・情報├計量計測データバンク ニュースの窓-13-計量法(平成四年法律第五十一号)施行日:令和四年六月十七日(令和四年法律第六十八号による改正)経済産業省├計量計測データバンク ニュースの窓-14-軽自動車規格のケータハム復活 セブン170日本でも発売├計量計測データバンク ニュースの窓-15-ホンダ・アクティトラック情報 型式GBD-HA7 型式はトラックの2WDが「HA6」、トラックの4WDが「HA7」├計量計測データバンク 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2026年05月30日
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ニュースの窓-267-2025年03月28日午前10時現在の経済産業省幹部名簿(経産省最終更新2025/3/1)├├計量計測データバンク ニュースの窓 目次├「日本計量新報」今週の話題と重要ニュース(速報版)2025年3月27日号「日本計量新報週報デジタル版」├├├計量計測データバンク ニュースの窓-267-├├2025年03月28日午前10時現在の経済産業省幹部名簿(経産省最終更新2025/3/1)├幹部紹介 (METI/経済産業省)3025年03月28日午前10時現在(最終更新日:2024年11月28日)├├経済産業省幹部名簿(PDF形式:397KB)( 2025/3/1)経済産業省 幹部名簿/METI Officials List 2025/3/1大臣・副大臣・大臣政務官・次官・経済産業審議官大臣武藤容治むとうようじ副大臣大串正樹おおぐしまさき副大臣古賀友一郎こがゆういちろう大臣政務官竹内真二たけうちしんじ大臣政務官加藤明良かとうあきよし経済産業事務次官飯田祐二いいだゆうじ経済産業審議官松尾剛彦まつおたけひこ経済産業大臣秘書官武藤真奈むとうまな経済産業大臣秘書官(事務取扱)添田隆秀そえだたかひで大臣官房官房長(併)公文書監理官片岡宏一郎かたおかこういちろう総括審議官(併)経済安全保障政策統括調整官成田達治なりたたつじ政策立案総括審議官(併)首席国際博覧会統括調整官茂木正もぎただし技術総括・保安審議官湯本啓市ゆもとけいいち審議官(政策総合調整担当)服部桂治はっとりけいじ政策統括調整官(経済産業局担当)西垣淳子にしがきあつこ政策統括調整官(重点政策高度化担当)(併)香山弘文かやまひろぶみ秘書課長小林大和こばやしひろかず人事企画官宮下誠一みやしたせいいち人事審査官中嶋重光なかじましげみつ企画調査官(労務担当)(併)中嶋重光なかじましげみつ企画官上田圭一郎うえだけいいちろう企画調査官廣瀬浩三ひろせこうぞう参事官(技術・高度人材戦略担当)(併)危機管理・災害対策室長畑田浩之はただひろゆき総務課長山崎琢矢やまざきたくや国会業務室長阿部康幸あべやすゆき国会連絡室長(併)国会事務連絡調整官山本剛やまもとつよし業務管理官天野博之あまのひろゆき文書室長迫田章平さこだしょうへい公文書監理室長田守光洋たもりみつひろ文書管理官高橋徹たかはしとおる広報室長折居直おりいすなお地方調整室長桑原靖雄くわはらやすお政策審議室長片山弘士かたやまひろし会計課長(併)監査室長大貫繁樹おおぬきしげき経理審査官細谷賢二ほそやけんじ企画官(会計担当)島田肇しまだはじめ監査官伊藤 栄二いとう えいじ厚生企画室長厚生審査官北村 敦司加部 寿之きたむら あつしかべ ひさゆき業務改革課長(併)政策立案推進室長(併)組織経営改革統括調整官情報システム室長統括情報セキュリティ対策官デジタル・トランスフォーメーション室長情報公開推進室長個人情報保護室長EBPM推進総括企画調整官清水 淳太郎酒井 崇行中山 和泉(併)酒井 崇行(併)迫田 章平(併)迫田 章平橋本 淳二郎しみず じゅんたろうさかい たかゆきなかやま いずみさかい たかゆきさこだ しょうへいさこだ しょうへいはしもと じゅんじろう大臣官房 調査統計グループ調査統計グループ長参事官(調査統計グループ・総合調整担当)統計利活用推進研究官(併)殿木 文明竹田 憲中村 浩一郎とのき ふみあきたけだ けんなかむら こういちろう統計企画室長統計情報システム室長データマネジメント推進室長業務管理室長経済解析室長統括統計官統括統計官構造・企業統計室長鉱工業動態統計室長サービス動態統計室長渡邉 幹夫飯島 勇杵渕 敦子皆川 幸夫相田 政志鈴木 実菅原 浩志田邉 敬一田村 秀一馬場 勝わたなべ みきおいいじま いさむきねぶち あつこみながわ ゆきおあいだ まさしすずき みのるすがわら ひろしたなべ けいいちたむら ひでかずばば まさる大臣官房 福島復興推進グループ福島原子力事故処理調整総括官(併)廃炉・汚染水・処理水特別対策監新居泰人にいやすひと福島復興推進グループ長(併)廃炉・汚染水・処理水特別対策監(併)処理水損害対応支援室長辻本圭助つじもとけいすけ原子力事故災害対処審議官宮﨑貴哉みやざきたかや廃炉・汚染水・処理水対策室現地事務所長鈴木啓之すずきけいし審議官(原子力防災担当)(併)福島復興推進政策統括調整官川合現かわいげん原子力被災者生活支援チーム審議官(併)福島復興推進グループ付佐野究一郎さのきゅういちろう資源エネルギー庁長官官房国際原子力技術特別研究官(併)資源エネルギー庁長官官房国際資源エネルギー技術戦略調整官(併)廃炉・汚染水・処理水特別対策監八木雅浩やぎまさひろ政策調整官(併)総合調整室長松井拓郎まついたくろう政策調整官(地域振興担当)(併)福島新エネ社会構想推進室長遠藤量太えんどうりょうた企画調査官(福島復興推進担当)小町僚明おまちともあき業務管理室長小倉聡美おぐらさとみ福島広報戦略・風評被害対応室長(併)三牧純一郎みまきじゅんいちろう福島新産業・雇用創出推進室長今泉亮いまいずみりょう企画官平塚智章ひらつかともあき福島事業・なりわい再建支援室長大星光弘おおぼしみつひろ原子力被災者生活支援チーム参事官(併)福島芸術文化推進室長三牧純一郎みまきじゅんいちろう原子力損害対応総合調整官(併)原子力損害対応室長乃田昌幸のたまさゆき原子力発電所事故収束対応室長加賀義弘かがよしひろ東京電力福島第一原子力発電所事故廃炉・汚染水・処理水対策官宮嶋秀一みやじましゅういち参事官筋野晃司すじのこうじ企画官堤理仁つつみまさひと原子力発電所事故収束対応調整官植松健うえまつたけし大臣官房産業保安・安全グループ産業保安・安全グループ長(併)湯本啓市ゆもとけいいち審議官(産業保安・安全、電力・ガス取引監視等委員会事務局担当)殿木文明とのきふみあき業務管理室長大野亜希子おおのあきこ保安政策課長細川成己ほそかわなるみ業務改革推進室長(併)細川成己ほそかわなるみ高圧ガス保安室長牟田徹むたとおるガス安全室長山下宜範やましたたかのり産業保安企画室長(併)制度審議室長岡田直也おかだなおや電力安全課長前田了まえだりょう電気保安室長樫福錠治かしふくじょうじ鉱山・火薬類監理官大川龍郎おおかわたつお火薬専門職小池勝則こいけかつのり石炭保安室長(併)大川龍郎おおかわたつお製品安全課長佐藤猛行さとうたけゆき製品事故対策室長望月知子もちづきともこ化学物質管理課長(併)化学物質リスク評価室長大本治康おおもとはるやす化学物質安全室長内野絵里香うちのえりか化学兵器・麻薬原料等規制対策室長宮地佳子みやちよしこオゾン層保護等推進室長畑下潔はたしもきよし化学物質管理企画官石津さおりいしづさおり化学物質リスク評価企画官(併)内野絵里香うちのえりか経済産業政策局経済産業政策局長藤木俊光ふじきとしみつ審議官(経済産業政策局担当)井上誠一郎いのうえせいいちろう審議官(経済産業政策局担当)河野太志こうのふとし地域経済産業政策統括調整官(併)宮本岩男みやもといわお業務管理官室長平松克啓ひらまつかつひろ総務課長松野大輔まつのだいすけ政策調整官(経済産業政策局担当)松田洋平まつだようへい調査課長(併)企業財務室長田代毅たしろたけし産業構造課長梶直弘かじなおひろ経済社会政策室長相馬知子そうまともこ産業組織課長中西友昭なかにしともあき競争環境整備室長池田陽子いけだようこ知的財産政策室長中山英子なかやまえいこ産業創造課長日野由香里ひのゆかり産業資金課長(併)投資機構室長河原圭かわはらけい産業人材課長今里和之いまざとかずゆき未来人材戦略室長高木悠一たかぎゆういち企業行動課長能村幸輝のうむらこうき企業会計室長(併)日野由香里ひのゆかり投資促進課長(併)対日投資総合相談室長淺井洋介あさいようすけ投資交流調整官天野富士子あまのふじこ地域経済産業政策課長下世古光可しもせこみつよし統括地域活性化企画官岩崎純一いわさきじゅんいち地域産業基盤整備課長(併)沖縄振興室長市川紀幸いちかわのりゆき工業用水道計画官湯村宏祐ゆむらひろすけ通商政策局通商政策局長(併)首席ビジネス・人権政策統括調整官荒井勝喜あらいまさよし審議官(通商政策局担当)小見山康二こみやまやすじ審議官(通商政策局担当)(併)田中一成たなかかずしげ審議官(通商戦略担当)辻阪高子つじさかたかこ審議官(通商政策局・農林水産品輸出担当)依田学よだがく特別通商交渉官(併)田中一成たなかかずしげ特別通商交渉官(併)田村英康たむらひでやす特別通商交渉官(併)寺西規子てらにしのりこ通商交渉官(併)奥山剛おくやまつよし通商政策企画調整官尾坂北斗おさかほくと業務管理官室長井澤俊和いざわとしかず総務課長山口仁やまぐちじんデジタル通商ルール室長(併)寺西規子てらにしのりこビジネス・人権政策調整室長小川幹子おがわもとこ通商渉外調整官花輪晃二はなわこうじ国際知財制度調整官藤田和英ふじたかずひで戦略輸出交渉官奥山剛おくやまつよし通商金融国際交渉官中村正大なかむらせいだい通商戦略課長東哲也あずまてつや企画官桑波田啓之くわはたひろゆき企画調査室長森井一成もりいかずなり貿易振興課長吉川尚文よしかわよしふみ貿易研究官折山光俊おりやまみつとし参事官(海外展開支援担当)久染徹ひさぞめとおる貿易振興企画調整官今泉博史いまいずみひろし技術・人材協力室長下川徹也しもかわてつや通商金融課長(併)国際金融交渉室長加来芳郎かくよしろう資金協力室長山田聡やまださとし貿易保険監理官名倉和子なぐらかずこ米州課長藤井 亮輔ふじい りょうすけ中南米室長欧州課長ロシア・中央アジア・コーカサス室長(併)通商政策企画調整官中山 保宏藤田 健石井 秀彦なかやま やすひろふじた けんいしい ひでひこ中東アフリカ課長アフリカ室長アジア大洋州課長企画官企画官東アジア経済統合推進室長南西アジア室長北東アジア課長韓国室長渡邉 雅士加藤 健治羽田 由美子続橋 亮朝倉 大輔谷 査恵子島野 敏行福永 佳史蓮沼 佳和わたなべ まさしかとう けんじはた ゆみこつづきはし りょうあさくら だいすけたに さえこしまの としゆきふくなが よしふみはすぬま よしかず国際経済部国際経済部長(併)ビジネス・人権政策統括調整官 柏原 恭子参事官(総括)田村 英康かしわばら きょうこたむら ひでやす企画官(併)デジタル通商交渉官国際経済紛争対策室長国際法務室長通商交渉調整官経済連携課長経済連携交渉官経済連携交渉官アジア太平洋地域協力推進室長岡本 祐典寺西 規子西村 祥平(併)谷 査恵子内野 宏人長田 稔秋(併)岡本 祐典宮崎 拓夫おかもと ゆうすけてらにし のりこにしむら しょうへいたに さえこうちの ひろとながた としあきおかもと ゆうすけみやざき たくお貿易経済安全保障局貿易経済安全保障局長福永 哲郎首席経済安全保障政策統括調整官 (併)福永 哲郎経済安全保障政策統括調整官(併)成田 達治ふくなが てつろうふくなが てつろうなりた たつじ経済安全保障政策統括調整官審議官(貿易経済安全保障局・国際技術戦略担当)業務管理官室長総務課長(併)香山 弘文鋤先 幸浩星 幸彦西川 和見経済安全保障政策調整官(技術担当) 田中 伸彦参事官(国際担当)経済安全保障政策課長情報調査室長企画官(経済安全保障戦略情報分析担当)技術調査室長田邊 英介杉江 一浩相川 祐太椛島 伸也笠間 太介かやま ひろぶみすきさき ゆきひろほし ゆきひこにしかわ かずみたなか のぶひこたなべ えいすけすぎえ かずひろあいかわ ゆうたかばしま しんやかさま だいすけ貿易管理部貿易管理部長貿易管理課長(併)電子化・効率化推進室長猪狩 克朗横田 純一いがり かつろうよこた じゅんいち原産地証明室長貿易審査課長(併)野生動植物貿易審査室長白川 遼中尾 圭介農水産室長(併)野生動植物貿易審査企画調整官 相原 史典特殊関税等調査室長安全保障貿易管理課長(併)制度審議室長国際投資管理室長安全保障貿易国際室長安全保障貿易検査官室長安全保障貿易審査課長統括安全保障貿易審査官信田 哲宏末森 洋紀門野 勉荒木 英輔溝田 健志安倍 暢宏臺 則彦しらかわ りょうなかお けいすけあいはら ふみのりのぶた てつひろすえもり ひろきかどの つとむあらき えいすけみぞた たけしあべ のぶひろだい のりひこ経済産業省 幹部名簿/METI Officials List 2025/3/1イノベーション・環境局長(併)首席スタートアップ創出推進政策統括調整官菊川人吾きくかわじんご審議官(イノベーション・環境局担当)今村亘いまむらわたるイノベーション政策統括調整官福本拓也ふくもとたくや業務管理官室長藤山優子ふじやまゆうこ総務課長安田篤やすだあつしイノベーション調査官濱口千絵はまぐちちえイノベーション推進政策企画室長上原健一うえはらけんいち成果普及・連携推進室長(併)上原健一うえはらけんいち産業技術法人室長大出真理子おおでまりこ国際室長上嶋裕樹うえじまひろきイノベーション政策課長武田伸二郎たけだしんじろうフロンティア推進室長吉田修一郎よしだしゅういちろう大学連携推進室長川上悟史かわかみさとしイノベーション創出新事業推進課長桑原智隆くわはらともたかスタートアップ推進室長富原早夏とみはらさやかスタートアップ国際連携企画調整官澤田佳世子さわだかよこ研究開発課長大隅一聡おおすみかずあき研究開発調整官田中真人たなかまさひと重要技術研究統括戦略官磯福朋之いそふくともゆき研究開発企画調査官(併)大出真理子おおでまりこ基準認証政策課長有馬伸明ありまのぶあき国際戦略情報分析官(国際標準化戦略担当)小川祥直おがわよしなお産業分析研究官(併)基準認証専門官竹之内修たけのうちおさむ国際標準化交渉官猿橋淳子さるはしあつこ国際連携担当調整官(併)上嶋裕樹うえじまひろき知的基盤整備推進官(併)大出真理子おおでまりこ基準認証調査広報室長小嶋誠こじままこと計量行政室長仁科孝幸にしなたかゆき国際標準課長西川奈緒にしかわなお国際電気標準課長小太刀慶明こだちよしあきイノベーション・環境局 GXグループ脱炭素成長型経済構造移行推進審議官 龍崎 孝嗣GXグループ長審議官(脱炭素成長型経済構造移行推進担当)(併)龍崎 孝嗣田尻 貴裕りゅうざき たかつぐりゅうざき たかつぐたじり たかひろ業務管理官室長環境政策課長GX推進企画室長地球環境対策室長参事官(併)環境経済室長環境金融室長環境金融企画調整官脱炭素成長型経済構造移行投資促進課長エネルギー・環境イノベーション戦略室長資源循環経済課長資源循環経済課環境企画調整官(国際資源循環担当)環境管理推進室長竹内 祐二中原 廣道荻野 洋平前田 洋志若林 伸佳鬼塚 貴子小沼 健一西田 光宏金井 隆幸田中 将吾高橋 幸二濱坂 隆たけうち ゆうじなかはら ひろみちおぎの ようへいまえだ ひろしわかばやし のぶよしおにつか たかここぬま けんいちにしだ みつひろかない たかゆきたなか しょうごたかはし こうじはまさか たかし経済産業省 幹部名簿/METI Officials List 2025/3/1製造産業局長伊吹英明いぶきひであき審議官(製造産業局担当)浦田秀行うらたひでゆき審議官(製造産業局担当)田中一成たなかかずしげ審議官(製造産業局担当)香山弘文かやまひろぶみ業務管理官室長西沢正剛にしざわまさたけ総務課長稲邑拓馬いなむらたくま企画官(サプライチェーン強靱化担当)(併)サプライチェーン強靭化政策室長眞柳秀人まやなぎひでと製造産業戦略企画室長川村美穂かわむらみほ製造産業GX政策室長(併)鍋島学なべしままなぶ通商室長(併)稲邑拓馬いなむらたくま鉱物課長山口雄三やまぐちゆうぞう採石対策官(併)山口雄三やまぐちゆうぞう金属課長鍋島学なべしままなぶ金属技術室長川村伸弥かわむらしんや金属課企画官(国際担当)久森委芳ひさもりともよし素材産業課長土屋博史つちやひろし革新素材室長山田純市やまだじゅんいちアルコール室長(併)土屋博史つちやひろし企画調査官菊池孝憲きくちたかのり生活製品課長髙木重孝たかぎしげたか企画官(地場産品担当)伊藤裕美いとうゆみ住宅産業室長潮崎雄治しおざきゆうじ産業機械課長(併)製造産業DX政策企画調整官須賀千鶴すがちづるロボット政策室長石曽根智昭いしぞねともあき素形材産業室長星野昌志ほしのまさし国際プラント・インフラシステム・水ビジネス推進室長粂田香くめたかおる2025/3/1自動車課長いとう まさみち伊藤 政道企画官(自動車担当)(併)自動車戦略企画室長田邉 国治企画調査官(自動車通商政策担当) 細沼 慶介たなべ くにはるほそぬま けいすけ企画官(自動車リサイクル担当) 原 充モビリティDX室長車両室長航空機武器産業課長企画官(防衛産業担当)企画官(防衛担当)航空機部品・素材産業室長次世代空モビリティ政策室長宇宙産業課長伊藤 建須藤 義治呉村 益生(併)滝澤 慶典古市 茂西山 正滝澤 慶典髙濵 航はら みつるいとう たけるすどう よしはるくれむら ますおたきざわ やすのりふるいち しげるにしやま ただしたきざわ やすのりたかはま わたる商務情報政策局商務情報政策局長野原諭のはらさとし審議官(商務情報政策局担当)奥家敏和おくやとしかず審議官(IT戦略担当)渋谷闘志彦しぶやとしひこ情報政策統括調整官(併)西村秀隆にしむらひでたかサイバーセキュリティ・情報化審議官(併)サイバー国際経済政策統括調整官西村秀隆にしむらひでたか業務管理官室長吉田悦子よしだえつこ総務課長神﨑忠彦こうざきただひこ国際戦略企画調整官津田麻紀子つだまきこ国際室長立石裕則たていしひろのりデジタル戦略室長(併)立石裕則たていしひろのり情報経済課長守谷学もりやがくデジタル取引環境整備室長岩谷卓いわやすぐる情報政策企画調整官船越亮ふなこしりょうアーキテクチャ戦略企画室長緒方淳おがたじゅんサイバーセキュリティ課長武尾伸隆たけおのぶたか参事官(サイバーセキュリティ制度担当)(併)サイバーセキュリティ制度企画室長見次正樹みつぎまさき国際サイバーセキュリティ企画官金田 祐加子かねだゆかこサイバーセキュリティ戦略専門官山田剛人やまだたけと情報技術利用促進課長内田了司うちだりょうじデジタル高度化推進室長河﨑幸徳かわさきゆきのりデジタル経済安全保障企画調整官(併)内田了司うちだりょうじ地域情報化人材育成推進室長(併)河﨑幸徳かわさきゆきのり情報産業課長金指壽かなざしひさし情報処理基盤産業室長渡辺琢也わたなべたくやデバイス・半導体戦略室長清水英路しみずひでみち高度情報通信技術産業戦略室長(併)金指壽かなざしひさし電池産業課長青木洋紀あおきひろき商務情報政策局 商務・サービスグループ商務・サービス審議官(併)商務・サービスグループ長南亮みなみりょう審議官(商務・サービス担当)真鍋英樹まなべひでき審議官(国際博覧会担当)浦上健一朗うらかみけんいちろう商務・サービス政策統括調整官森田健太郎もりたけんたろう商務・サービス政策統括調整官島上聖司しまがみせいじ商務・サービス政策統括調整官江澤正名えざわまさな大阪・関西万博統括調整官(併)田中一成たなかかずしげ大阪・関西万博統括調整官(併)森田健太郎もりたけんたろう参事官(商務・サービスグループ担当)中野剛志なかのたけし商務・サービス政策調整官池谷巌いけやいわお業務管理官室長中尾直子なかおなおこ消費・流通政策課長平林孝之ひらばやしたかゆき消費者政策研究官境真良さかいまさよし消費者相談室長(併)豊田原とよだけん大規模小売店舗立地法相談室長(併)平林孝之ひらばやしたかゆき消費経済企画室長(併)平林孝之ひらばやしたかゆき物流企画室長(併)平林孝之ひらばやしたかゆきキャッシュレス推進室長(併)平林孝之ひらばやしたかゆき商品市場整備室長(併)商品先物市場整備監視室長(併)商取引監督官笛木知之ふえきともゆき商取引監督課長(併)商取引監督官豊田原とよだけん商取引検査室長福岡浩二ふくおかこうじサービス政策課長太田三音子おおたみねこサービス産業室長関日路美せきひろみ教育産業室長(併)太田三音子おおたみねこスポーツ産業室長(併)太田三音子おおたみねこ文化創造産業課長佐伯徳彦さえきのりひこ海外需要開拓室長(併)佐伯徳彦さえきのりひこアート・ファッション政策室長(併)佐伯徳彦さえきのりひこデザイン政策室長(併)佐伯徳彦さえきのりひこ伝統的工芸品産業室長山口徳彦やまぐちのりひこ参事官(併)博覧会推進室長奥田修司おくだしゅうじ大阪・関西万博国際室長菅野将史すがのまさふみ大阪・関西万博企画室長伊万里全生いまりぜんしょうヘルスケア産業課長(併)国際展開推進室長橋本泰輔はしもとたいすけ企画官(ヘルスケア産業担当)小野聡志おのさとし医療・福祉機器産業室長渡辺信彦わたなべのぶひこ生物化学産業課長下田裕和しもだひろかず生物多様性・生物兵器対策室長小林正寿こばやしまさとし電力・ガス取引監視等委員会事務局事務局長業務管理室長新川 達也福田 純子しんかわ たつやふくだ じゅんこ総務課長電力・ガス取引監視等分析官総合監査室長取引監視課長取引制度企画室長ネットワーク事業監視課長ネットワーク事業制度企画室長(併)総括企画調整官統括ネットワーク事業管理官田上 博道伊藤 春樹高橋 章下津 秀幸石井 孝裕黒田 嘉彰(併)黒田 嘉彰中橋 広至たのうえ ひろみちいとう はるきたかはし あきらしもづ ひでゆきいしい たかひろくろだ よしあきくろだ よしあきなかはし ひろし経済産業局北海道経済産業局長鈴木洋一郎すずきよういちろう東北経済産業局長佐竹佳典さたけよしのり関東経済産業局長佐合達矢さごうたつや中部経済産業局長寺村英信てらむらひでのぶ中部経済産業局電力・ガス事業北陸支局長(併)大臣官房政策調整官(北陸地域担当)向野陽一郎こうのよういちろう近畿経済産業局長信谷和重のぶたにかずしげ中国経済産業局長實國慎一じつくにしんいち四国経済産業局長小山和久おやまかずひさ九州経済産業局長星野光明ほしのみつあき産業保安監督部北海道産業保安監督部長小泉朋幸こいずみともゆき関東東北産業保安監督部東北支部長渡邉守章わたなべもりあき関東東北産業保安監督部長鯉江雅人こいえまさと中部近畿産業保安監督部長正影夏紀まさかげなつき中部近畿産業保安監督部近畿支部長苦瓜作にがうりさく中国四国産業保安監督部長小串昌則おぐしまさのり中国四国産業保安監督部四国支部長立井勇たついいさむ九州産業保安監督部長齊藤薫さいとうかおる那覇産業保安監督事務所長長嶺光男ながみねみつお資源エネルギー庁資源エネルギー庁長官村瀬佳史むらせよしふみ次長畠山陽二郎はたけやまようじろう首席最終処分政策統括調整官(併)畠山陽二郎はたけやまようじろう首席GX推進戦略統括調整官(併)畠山陽二郎はたけやまようじろう首席エネルギー・地域政策統括調整官(併)畠山陽二郎はたけやまようじろう資源エネルギー政策統括調整官山田仁やまだひとし資源エネルギー政策統括調整官(併)木原晋一きはらしんいちエネルギー・地域政策統括調整官佐々木雅人ささきまさとエネルギー・地域政策統括調整官吉村一元よしむらかつもと国際資源エネルギー戦略統括調整官靏田将範つるだまさのり長官官房総務課長曳野潔ひきのきよしエネルギー制度改革推進総合調整官(併)小川要おがわかなめエネルギー制度改革推進総合調整官(併)村上貴将むらかみたかまさエネルギー制度改革推進企画調整官(併)佐久秀弥さきゅうひでや会計室長滝沢正直たきざわまさなお予算管理官濵崎勝はまさきまさる戦略企画室長小髙篤志こだかあつし需給政策室長(併)調査広報室長植田一全うえだかずまさ業務管理官木根昌広きねまさひろ国際資源エネルギー戦略調整官粕谷直樹かすやなおき国際課長白井俊行しらいとしゆき海外エネルギーインフラ室長(併)企画官(国際カーボンニュートラル政策担当)吉野欣臣よしのよしおみ省エネルギー・新エネルギー部省エネルギー ・新エネルギー部長伊藤禎則いとうさだのり政策課長(併)熱電併給推進室長(コジェネ推進室)村上貴将むらかみたかまさ再生可能エネルギー主力電源化戦略調整官(併)筑紫正宏ちくしまさひろ系統整備・利用推進室長(併)古川雄一ふるかわゆういち新エネルギーシステム課長山田努やまだつとむ省エネルギー課長木村拓也きむらたくや新エネルギー課長日暮正毅ひぐらしまさき再生可能エネルギー推進室長菊島淳治きくしまじゅんじ風力政策室長古川雄一ふるかわゆういち風力事業推進室長福岡功慶ふくおかのりよし水素・アンモニア課長廣田大輔ひろただいすけ水素・燃料電池戦略室長宇田川法也うだがわのりや資源・燃料部資源・燃料部長和久田肇わくだはじめ政策課長(併)海洋政策企画室長那須良なすりょう国際資源戦略室長(併)企画官(石油政策担当)矢口麻衣やぐちまい地熱資源開発室長小林貴成こばやしたかしげ国際資源戦略交渉官猪口相いのくちしょう鉱業管理官松田達哉まつだたつや資源開発課長長谷川裕也はせがわゆうや石炭政策室長斎藤秀幸さいとうひでゆき燃料供給基盤整備課長永井岳彦ながいたけひこ燃料流通政策室長日置純子ひおきじゅんこ企画官(石油・液化石油ガス備蓄政策担当)乾隆一いぬいりゅういち燃料環境適合利用推進課長刀禰正樹とねまさきCCS政策室長(併)企画官(CCS政策担当)慶野吉則けいのよしのり電力・ガス事業部電力・ガス事業部長久米孝くめたかし政策課長小川要おがわかなめ制度企画調整官長窪芳史ながくぼよしふみ制度企画調整官(併)佐久秀弥さきゅうひでや制度企画調整官荒川洋あらかわひろし政策企画官(立地総合調整担当)(併)電源地域整備室長森本要もりもとかなめ電力産業・市場室長小栁聡志こやなぎさとしガス市場整備室長福田光紀ふくだみつのり電力基盤整備課長筑紫正宏ちくしまさひろ電力供給室長中富大輔なかとみだいすけ電力流通室長佐久秀弥さきゅうひでや原子力政策課長吉瀬周作きちせしゅうさく原子力国際協力推進室長(併)靏田将範つるだまさのり原子力基盤室長(併)革新炉推進室長(併)原子力技術室長多田克行ただかつゆき廃炉産業室長(併)横手広樹よこてひろき原子力立地・核燃料サイクル産業課長皆川重治みなかわしげはる核燃料サイクル産業立地対策室長勝見哲かつみさとし原子力立地政策室長(併)原子力広報室長前田博貴まえだひろたか原子力政策企画調査官和田啓之わだひろゆき放射性廃棄物対策課長(併)放射性廃棄物対策技術室長(併)放射性廃棄物対策広報室長横手広樹よこてひろき特許庁特許庁長官小野洋太おのようた特許技監安田太やすだふとし総務部総務部長滝澤豪たきざわごう知的財産研究官長谷川和明はせがわかずあき知的財産研究官星野光秀ほしのみつひで知的財産研究官松下達也まつしたたつや秘書課長西森雅樹にしもりまさき弁理士業務監理官加藤智也かとうともや秘書課調査官場﨑恭生ばざきやすお総務課長田岡卓晃たおかたかあき業務管理企画官杉山卓也すぎやまたくや情報技術統括室長上尾敬彦うえおたかひこ会計課長北廣雅之きたひろまさゆき会計調査官瓦吹雅彦かわらぶきまさひこ厚生管理官栗脇康徳くりわきやすのり企画調査課長柳澤智也やなぎさわともや普及支援課長加藤和昭※「藤」のかんむりは「十十」かとうかずあき国際政策課長松下公一まつしたこういち国際制度企画官大山栄成おおやまよしなり国際協力課長吉野幸代よしのさちよ審査業務部審査業務部長師田晃彦もろたあきひこ審査業務課長高橋憲夫たかはしのりお方式審査室長(併)高橋憲夫たかはしのりお登録室長伊藤康雄いとうやすお出願課長駒﨑利徳こまざきとしのり特許行政サービス室長谷口雅之たにぐちまさゆき国際出願室長新田稔にったみのる国際意匠・商標出願室長門奈伸幸もんなのぶゆき商標課長根岸克弘ねぎしかつひろ審査第一部審査第一部長野仲松男のなかまつお調整課長中野宏和なかのひろかず審査推進室長武重竜男たけしげたつお審査基準室長星野昌幸ほしのまさゆき意匠課長久保田大輔くぼただいすけ審査第二部審査第二部長諸岡健一もろおかけんいち審査第三部審査第三部長北村弘樹きたむらひろき審査第四部審査第四部長油科壮一ゆしなそういち審判部審判部長田村聖子たむらきよこ首席審判長森藤淳志もりふじあつし審判課長小松竜一こまつりゅういち特許侵害業務室長西田拓也にしだたくや中小企業庁中小企業庁長官山下 隆一やました りゅういち次長飯田 健太いいだ けんた長官官房首席能登復興担当政策統括調整官 (併)新居 泰人にい やすひと中小企業政策統括調整官(DX・EBPM担当)中小企業政策調整官総務課長企画調整室長企画官(給付金制度管理担当)(併)訟務・債権管理室長(併)西垣 淳子宮本 岩男貴田 仁郎赤松 寛明杉山 春男企画官(給付金不正対応等担当) 太田 成人企画官(中小企業基盤整備機構担当) 芦立 勝博中小企業政策企画調整官中小企業金融検査室長業務管理官広報相談室長デジタル・トランスフォーメーション企画調整官鈴木 望岡田 実成高橋 隆木下 宏一小松 俊吾にしがき あつこみやもと いわおきだ じろうあかまつ よしあきすぎやま はるおおおた しげとあしだて かつひろすずき のぞみおかだ みなりたかはし たかしきのした ひろかずこまつ しゅんご事業環境部事業環境部長山本和徳やまもとかずのり企画課長宮部勝弘みやべかつひろ調査室長岡田陽おかだよう事業環境地域分析室長(併)岡田陽おかだよう金融課長野澤泰志のざわやすし企画官(資金供給・企業法制担当)三谷景一みたにけいいち財務課長笠井康広かさいやすひろ取引課長鮫島大幸さめしまひろゆき統括官公需対策官原健太郎はらけんたろう取引適正化調整官(併)上田圭一郎うえだけいいちろう取引調査室長福田一博ふくだかずひろ統括下請代金検査官安田正一やすだしょういち中小企業取引研究官山下善太郎やましたぜんたろう経営支援部経営支援部長岡田智裕おかだともひろ経営支援課長柴山豊樹しばやまとよき経営力再構築伴走支援推進室長二宮健晴にのみやたけはる海外展開支援室長梅田英幸うめだひでゆき参事官(技術・経営革新担当)(併)技術・経営革新室長森喜彦もりよしひこ生産性向上支援室長山本慎一郎やまもとしんいちろう小規模企業振興課長黒田浩司くろだひろし創業・新事業促進室長掛川昌子かけがわまさこ経営安定対策室長太刀川徹たちかわとおる商業課長伊奈友子いなともこ中心市街地活性化室長(併)伊奈友子いなともこ監査官伊藤 栄二いとう えいじ厚生企画室長厚生審査官北村 敦司加部 寿之きたむら あつしかべ ひさゆき業務改革課長(併)政策立案推進室長(併)組織経営改革統括調整官情報システム室長統括情報セキュリティ対策官デジタル・トランスフォーメーション室長情報公開推進室長個人情報保護室長EBPM推進総括企画調整官清水 淳太郎酒井 崇行中山 和泉(併)酒井 崇行(併)迫田 章平(併)迫田 章平橋本 淳二郎しみず じゅんたろうさかい たかゆきなかやま いずみさかい たかゆきさこだ しょうへいさこだ しょうへいはしもと じゅんじろう├├経済産業省幹部名簿(PDF形式:397KB)( 2025/3/1)
2025年03月28日
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松本駅からビーナスラインの扉峠に抜ける道に「松本市はかり資料館」(松本市中央3丁目4−21)があった。近くの洋食屋で食べたことを思い出した。洒落たとおりだが道を抜けると昔のお店がくすんでいた。├├国家公務員・中央省庁幹部名簿一覧国家公務員・中央省庁幹部名簿一覧├├経済産業省人事異動(2025年11月20日付)計量計測データバンク編集部経済産業省人事異動(2025年11月20日付)井上博雄 官房政策統括調整官=商務・サービスグループ担当→商務・サービス審議官兼商務・サービスグループ長。小林浩史 官房付→官房審議官=重点政策高度化、経済産業政策局担当。竹田憲 官房調査統計グループ長兼官房政策統括調整官=経済産業政策局担当兼経済産業政策局調査課長兼企業財務室長→官房審議官=経済産業政策局担当兼官房調査統計グループ長 兼 経済産業政策局調査課長兼企業財務室長。南亮 商務・サービス審議官兼商務・サービスグループ長→辞職。経済産業省 幹部名簿2025月11月20日付https://www.meti.go.jp/intro/data/pdf/list_ja.pdf├├計量計測データバンク ニュースの窓-331-経済産業省 幹部名簿 2025年10月21日現在├├計量計測データバンク ニュースの窓-303-経済産業省 幹部名簿 2025年7月7日現在├├計量計測データバンク ニュースの窓 目次├├経済産業省 幹部名簿(METI Officials List)2025年7月7日現在 https://www.meti.go.jp/intro/data/pdf/list_ja.pdf大臣・副大臣・大臣政務官・次官・経済産業審議官大臣 武藤容治 むとうようじ副大臣 大串正樹 おおぐしまさき副大臣 古賀友一郎 こがゆういちろう大臣政務官 竹内真二 たけうちしんじ大臣政務官 加藤明良 かとうあきよし経済産業事務次官 藤木俊光 ふじきとしみつ経済産業審議官 松尾剛彦 まつおたけひこ経済産業大臣秘書官 武藤真奈 むとうまな経済産業大臣秘書官(事務取扱)添田隆秀 そえだたかひで大臣官房官房長(併)公文書監理官 片岡宏一郎 かたおかこういちろう総括審議官 佐々木啓介 ささきけいすけ政策立案総括審議官(併)首席国際博覧会統括調整官 茂木正 もぎただし技術総括・保安審議官 湯本啓市 ゆもとけいいち審議官(政策総合調整担当)服部桂治 はっとりけいじ政策統括調整官(重点政策高度化担当)(併)香山弘文 かやまひろぶみ秘書課長 大貫繁樹 おおぬきしげき人事企画官 廣瀬浩三 ひろせこうぞう人事審査官中嶋重光 なかじましげみつ企画調査官(労務担当)(併)中嶋重光 なかじましげみつ企画調査官(併)廣瀬浩三 ひろせこうぞう参事官(技術・高度人材戦略担当)(併)危機管理・災害対策室長 安田篤 やすだあつし総務課長 吉村直泰 よしむらなおやす国会業務室長 谷澤厚志 たにざわあつし国会連絡室長(併)国会事務連絡調整官 山本剛 やまもとつよし業務管理官 天野博之 あまのひろゆき文書室長 田守光洋 たもりみつひろ公文書監理室長 渡邊賢一 わたなべけんいち文書管理官(併)田守光洋 たもりみつひろ広報室長 折居直 おりいすなお地方調整室長 金谷明倫 かなだにあきみち政策審議室長 片山弘士 かたやまひろし会計課長(併)監査室長 若月一泰 わかつきかずひろ経理審査官 細谷賢二 ほそやけんじ企画官(会計担当)島田肇 しまだはじめ監査官 末光英勝 すえみつひでかつ厚生企画室長 北村敦司 きたむらあつし厚生審査官 西沢正剛 にしざわまさたけ業務改革課長(併)政策立案推進室長(併)組織経営改革統括調整 官村上 貴将 むらかみ たかまさ情報システム室長 上田圭一郎 うえだ けいいちろう統括情報セキュリティ対策官 中山和泉 なかやまいずみデジタル・トランスフォーメーション室長(併)上田圭一郎 うえだけいいちろう情報公開推進室長(併)田守光洋 たもりみつひろ個人情報保護室長(併)田守光洋 たもりみつひろEBPM推進総括企画調整官 橋本淳二郎 はしもとじゅんじろう経済産業政策局済産業政策局長(併)首席GX推進戦略統括調整官 畠山陽二郎 はたけやまようじろう首席地方創生担当政策統括調整官(併)佐々木啓介 ささきけいすけ審議官(経済産業政策局担当)河野太志 こうのふとし政策統括調整官(経済産業政策局担当)(併)竹田憲 たけだけん地方創生担当政策統括調整官 宮本岩男 みやもといわお地方創生担当政策統括調整官 中野剛志 なかのたけし業務管理官室長 藤山優子 ふじやまゆうこ総務課長 松野大輔 まつのだいすけ政策企画官 立石裕則 たていしひろのり調査課長(併)企業財務室長 田代毅 たしろたけし産業構造課長 中村智 なかむらさとし経済社会政策室長 相馬知子 そうまともこ産業組織課長 鮫島大幸 さめしまひろゆき競争環境整備室長 池田陽子 いけだようこ知的財産政策室長 中山英子 なかやまえいこ産業創造課長 松田洋平 まつだようへい産業資金課長(併)投資機構室長 河原圭 かわはらけい産業人材課長 今里和之 いまざとかずゆき未来人材戦略室長 高木悠一 たかぎゆういち企業行動課長 能村幸輝 のうむらこうき企業会計室長(併)松田洋平 まつだようへい投資促進課長(併)対日投資総合相談室長 豊田原 とよだけん投資交流調整官 天野富士子 あまのふじこ地域経済産業政策課長 日野由香里 ひのゆかり統括地域活性化企画官 大野理 おおのおさむ地域産業基盤整備課長(併)沖縄振興室長 猪又真介 いのまたしんすけ工業用水道計画官 北澤善幸 きたざわよしゆき通商政策局通商政策局長(併)首席ビジネス・人権政策統括調整官 荒井勝喜 あらいまさよし審議官(通商政策局担当)小見山康二 こみやまやすじ審議官(通商政策局担当)(併)田中一成 たなかかずしげ審議官(通商戦略担当)辻阪高子 つじさかたかこ審議官(通商政策局・農林水産品輸出担当)髙山成年 たかやまなりとし通商交渉官(併)池山成俊 いけやましげとし通商交渉官(併)田村英康たむらひでやす特別通商交渉官(併)田中一成 たなかかずしげ特別通商交渉官(併)寺西規子 てらにしのりこ通商政策企画調整官 尾坂北斗 おさかほくと業務管理官室長 井澤俊和 いざわとしかず総務課長 山口仁 やまぐちじんデジタル通商ルール室長(併)森川純 もりかわじゅんビジネス・人権政策調整室長 宮崎由佳 みやざきゆか通商渉外調整官 花輪晃二 はなわこうじ国際知財制度調整官 田内幸治 たうちこうじ戦略輸出交渉官 田村英康 たむらひでやす通商金融国際交渉官 中村正大 なかむらせいだい通商戦略課長 田中将吾 たなかしょうご企画官 桑波田啓之 くわはたひろゆき企画調査室長 依田圭司 よだけいじ貿易振興課長 吉川尚文 よしかわよしふみ貿易振興企画調整官 田邉浩之 たなべひろゆき技術・人材協力室長 下川徹也 しもかわてつや通商金融課長(併)国際金融交渉室長 加来芳郎 かくよしろう資金協力室長 山田聡 やまださとし貿易保険監理官 名倉和子 なぐらかずこ米州課長 藤井亮輔 ふじいりょうすけ中南米室長 中山保宏 なかやまやすひろ欧州課長 白井俊行 しらいとしゆきロシア・中央アジア・コーカサス室長(併)通商政策企画調整官 石井秀彦 いしいひでひこ中東アフリカ課長 渡邉雅士 わたなべまさしアフリカ室長 加藤健治 かとうけんじアジア大洋州課長 羽田由美子 はたゆみこ企画官 渡辺一行 わたなべいっこう企画官 朝倉大輔 あさくら だいすけ東アジア経済統合推進室長 谷査恵子 たにさえこ南西アジア室長 島野敏行 しまのとしゆき北東アジア課長 髙木重孝 たかぎ しげたか韓国室長 原充 はらみつ国際経済部(選択掲載)国際経済部長(併)ビジネス・人権政策統括調整官 藤澤秀昭 ふじさわひであき参事官(総括)寺西規子 てらにしのりこ企画官(併)デジタル通商交渉官 岡本祐典 おかもとゆうすけ通商交渉調整官(併)谷査恵子 たにさえこ経済連携課長 内野宏人 うちのひろと貿易経済安全保障局(選択掲載)貿易経済安全保障局長 成田達治 なりたたつじ審議官(貿易経済安全保障局担当)西脇修 にしわきおさむ審議官(貿易経済安全保障局・国際技術戦略担当)鋤先幸浩 すきさきゆきひろ総務課長 稲邑拓馬 いなむらたくま貿易管理部(選択掲載)貿易管理部長 猪狩克朗 いがりかつろう貿易管理課長(併)電子化・効率化推進室長 淺井洋介 あさい ようすけ原産地証明室長 中本亮介 なかもとりょうすけイノベーション・環境局イノベーション・環境局長(併)首席スタートアップ創出推進政策統括調整官 菊川人吾 きくかわじんご審議官(イノベーション・環境局担当)今村亘 いまむらわたるイノベーション政策統括調整官(併)宮本岩男 みやもといわおイノベーション政策統括調整官(併)福本拓也 ふくもとたくや業務管理官室長 芦立勝博 あしだてかつひろ総務課長 中西友昭 なかにしともあきイノベーション政策上席企画調整官 岩瀬恵一 いわせけいいちイノベーション推進政策企画室長 井上俊樹 いのうえとしき成果普及・連携推進室長(併)井上俊樹 いのうえとしき産業技術法人室長 鈴木章文 すずきあきふみ国際室長 渡部博樹 わたなべひろきイノベーション政策課長 武田伸二郎 たけだしんじろうイノベーション推進制度企画調整官 中井太二郎 なかいたいじろうフロンティア推進室長 吉田修一郎 よしだしゅういちろう量子産業室長(併)武田伸二郎 たけだしんじろう大学連携推進室長 川上悟史 かわかみさとしイノベーション創出新事業推進課長 石川浩 いしかわひろしスタートアップ推進室長 富原早夏 とみはらさやかスタートアップ国際連携企画調整官 澤田佳世子 さわだかよこ研究開発課長 大隅一聡 おおすみかずあき研究開発調整官 黒田隆之助 くろだりゅうのすけ研究開発企画調査官(併)鈴木章文 すずきあきふみ研究開発投資促進室長(併)大隅一聡 おおすみかずあき基準認証政策課長 有馬伸明 ありまのぶあき国際標準化交渉官 猿橋淳子 さるはしあつこ国際連携担当調整官(併)渡部博樹 わたなべひろき知的基盤整備推進官(併)鈴木章文 すずきあきふみ基準認証調査広報室長 小嶋誠 こじままこと計量行政室長 仁科孝幸 にしなたかゆき国際標準課長 中野真吾 なかのしんご国際標準化調整官 大出真理子 おおでまりこ国際電気標準課長 小太刀慶明 こだちよしあきイノベーション・環境局 GXグループ(選択掲載)脱炭素成長型経済構造移行推進審議官 伊藤禎則 いとうさだのりGXグループ長(併)伊藤 禎則 いとうさだのり審議官(脱炭素成長型経済構造移行推進担当)福本拓也 ふくもとたくや参事官(併)環境経済室長 若林伸佳 わかばやしのぶよし製造産業局長(選択掲載)製造産業局長 伊吹英明 いぶきひであき審議官(製造産業局担当)田中一成 たなかかずしげ審議官(製造産業局担当)香山弘文 かやまひろぶみ審議官(製造産業局担当)畑田浩之 はただひろゆき総務課長 玉井優子 たまいゆうこ産業機械課長(併)製造産業DX政策企画調整官 須賀千鶴 すがちづるロボット政策室長 石曽根智昭 いしぞねともあき自動車課長 伊藤政道 いとうまさみち自動車戦略企画室長(併)田邉国治 たなべくにはる企画調査官(自動車通商政策担当)細沼慶介 ほそぬまけいすけ車両室長 須藤義治 すどうよしはる航空機武器産業課長 木村拓也 きむらたくや宇宙産業課長 髙濵航 たかはまわたる商務情報政策局(選択掲載)商務情報政策局長 野原諭 のはらさとし審議官(商務情報政策局担当)奥家敏和 おくやとしかず審議官(IT戦略担当)渋谷闘志彦 しぶやとしひこサイバーセキュリティ・情報化審議官(併)半導体戦略統括調整官 西川和見 にしかわかずみ業務管理官室長 吉田悦子 よしだえつこ総務課長 金指壽 かなざしひさし商務情報政策局 商務・サービスグープ(選択掲載)商務・サービス審議官(併)商務・サービスグループ長 南亮 みなみりょう審議官(商務・サービス担当)浅井俊隆 あさいとしたか電力・ガス取引監視等委員会事務局(選択掲載)事務局長 新川達也 しんかわたつや審議官(電力・ガス取引監視等委員会事務局担当)(併)細川成己 ほそかわなるみ経済産業局北海道経済産業局長 浦田秀行 うらたひでゆき東北経済産業局長 佐竹佳典 さたけよしのり関東経済産業局長 佐合達矢 さごうたつや中部経済産業局長 寺村英信 てらむらひでのぶ中部経済産業局電力・ガス事業北陸支局長(併)大臣官房政策調整官(北陸地域担当)向野陽一郎 こうのよういちろう近畿経済産業局長 信谷和重 のぶたにかずしげ中国経済産業局長 林揚哲 はやしようてつ四国経済産業局長 吉田健一郎 よしだけんいちろう九州経済産業局長 星野光明 ほしのみつあき産業保安監督部北海道産業保安監督部長 山下宜範 やましたたかのり関東東北産業保安監督部東北支部長 川村伸弥 かわむらしんや関東東北産業保安監督部長 溝田健志 みぞたたけし中部近畿産業保安監督部長 小池勝則 こいけかつのり中部近畿産業保安監督部近畿支部長 苦瓜作 にがうりさく中国四国産業保安監督部長 金子健 かねこけん中国四国産業保安監督部四国支部長 岡田俊也 おかだとしや九州産業保安監督部長 樫福錠治 かしふくじょうじ那覇産業保安監督事務所長 髙須賀邦充 たかすがくにみつ資源エネルギー庁(選択掲載)資源エネルギー庁長 官村瀬佳史 むらせよしふみ次長 龍崎孝嗣 りゅうざきたかつぐ首席最終処分政策統括調整官(併)龍崎孝嗣 りゅうざきたかつぐ長官官房総務課長 曳野潔 ひきのきよし省エネルギー・新エネルギー部(選択掲載)省エネルギー・新エネルギー部長 小林大和 こばやしひろかず政策課長(併)熱電併給推進室長(コジェネ推進室)那須良すりょう資源・燃料部(選択掲載)資源・燃料部長 和久田肇 わくだはじめ政策課長(併)海洋政策企画室長 永井岳彦 ながいたけひこ電力・ガス事業(選択掲載)電力・ガス事業部長 久米孝 くめたかし政策課長 小川要 おがわかなめ参事官(エネルギー制度改革担当)吉瀬周作 きちせしゅうさく特許庁(選択掲載)特許庁長官 河西康之 かさいやすゆき特許技監 安田太 やすだふとし総務部総務部長 吉澤隆 よしざわたかし秘書課長 降井寮治 ふるいりょうじ弁理士業務監理官 加藤智也 かとうともや秘書課調査官 牧野信之 まきののぶゆき総務課長 亀井明紀 かめいあきのり業務管理企画官 原真一郎 はらしんいちろう情報技術統括室長 上尾敬彦 うえおたかひこ会計課長 桑原靖雄 くわはらやすお会計調査官 瓦吹雅彦 かわらぶきまさひこ厚生管理官 三浦有紀 みうらゆき企画調査課長 柳澤智也 やなぎさわともや普及支援課長 吉野幸代 よしのさちよ国際政策課長 武重竜男 たけしげたつお国際制度企画官 新田亮 にったりょう国際協力課長 新田稔 にったみのる審査業務部審査業務部長 師田晃彦 もろたあきひこ審査業務課長 高橋憲夫 たかはしのりお審査第一部審査第一部長 北村弘樹 きたむらひろき調整課長 中野宏和 なかのひろかず審査第二部審査第二部長 小松竜一 こまつりゅういち審査第三部審査第三部長 諸岡健一 もろおかけんいち審査第四審査第四部長 仁科雅弘 にしなまさひろ審判部審判部長 野仲松男 のなかまつお首席審判長 森藤淳志 もりふじあつし審判課長 松下公一 まつしたこういち審判書記官室長 西田拓也 にしだたくや中小企業庁(選択掲載)中小企業庁長官 山下 隆一 やました りゅういち次長 山本和徳 やまもと かずのり総務課長 黒田浩司 くろだ ひろし事業環境部(選択掲載)事業環境部長 坂本里和 さかもとりわ企画課長 佐伯徳彦 さえきのりひこ経営支援部(選択掲載)経営支援部長 山崎琢矢 やまざきたくや経営支援課長 前田了 まえだりょう├├├経済産業省 2025年7月人事異動経済産業省幹部名簿(PDF形式:390KB)PDFファイル 最終更新日:2025年7月7日https://www.meti.go.jp/intro/data/pdf/list_ja.pdf経済産業省 幹部名簿 2025年7月7日現在(計量計測データバンク ニュースの窓-303-)7月5日井上誠一郎 官房審議官=経済産業政策局担当→辞職・経済産業研究所理事へ7月6日池山成俊 経済産業研究所理事→通商政策局通商交渉官 兼 商務情報政策局商務・サービス政策統括調整官阿部康幸 大臣官房付→辞職・新エネルギー・産業技術総合開発機構ワシントン事務所長田中宗介 大臣官房付→辞職・新エネルギー・産業技術総合開発機構シリコンバレー事務所長7月7日杉江一浩(経済安全保障政策課長)→免兼 情報調査室長日原正視 日本貿易振興機構ベルリン事務所次長→貿易経済安全保障局参事官=経済安全保障担当 兼 経済安全保障政策課情報調査室長中西友昭(イノベーション・環境局総務課長)→免兼 産業技術法人室長鈴木章文 復興庁→産業技術法人室長岩男健佑 大臣官房付→資源エネルギー庁電力基盤整備課電力供給室長矢口麻衣 大臣官房付→ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官植田一全 大臣官房付→辞職・日本貿易振興機構ドバイ事務所中富大輔 資源エネルギー庁電力供給室長→辞職・北海道経済部次長 兼 GX推進局長7月1日藤木俊光 経済産業政策局長→事務次官佐々木啓介 内閣府官房審議官=経済安全保障担当→総括審議官 兼 首席地方創生担当政策統括調整官藤本武士 消費者庁政策立案総括審議官→福島原子力事故処理調整総括官畠山陽二郎 資源エネルギー庁次長 兼 首席最終処分政策統括調整官 兼 首席GX推進戦略統括調整官 兼 首席エネルギー・地域政策統括調整官→経済産業政策局長 兼 首席GX推進戦略統括調整官成田達治 総括審議官 兼 経済安全保障政策統括調整官→貿易経済安全保障局長伊藤禎則 資源エネルギー庁省エネルギー・新エネルギー部長→脱炭素成長型経済構造移行推進審議官 兼 GXグループ長龍崎孝嗣 脱炭素成長型経済構造移行推進審議官 兼 GXグループ長→資源エネルギー庁次長 兼 首席最終処分政策統括調整官 兼 首席エネルギー・地域政策統括調整官河西康之 内閣官房内閣審議官=新しい資本主義実現本部事務局長代理→特許庁長官山本和徳 中小企業庁事業環境部長→中小企業庁次長飯田祐二 事務次官→辞職小野洋太 特許庁長官→辞職新居泰人 福島原子力事故処理調整総括官 兼 首席能登復興担当政策統括調整官→出向・復興庁統括官へ福永哲郎 貿易経済安全保障局長 兼 首席経済安全保障政策統括調整官→出向・内閣府科学技術・イノベーション推進事務局統括官へ飯田健太 中小企業庁次長→出向・消費者庁政策立案総括審議官へ西田光宏 脱炭素成長型経済構造移行投資促進課長→大臣官房付呉村益生 航空機武器産業課長→大臣官房付西川和見 貿易経済安全保障局総務課長→大臣官房サイバーセキュリティ・情報化審議官竹田憲 大臣官房参事官→大臣官房調査統計グループ長大貫繁樹 大臣官房会計課長→大臣官房秘書課長安田篤 イノベーション・環境局総務課長→大臣官房参事官=技術・高度人材戦略担当吉村直泰 内閣官房副長官補付内閣参事官→大臣官房総務課長若月一泰 デジタル庁統括官付参事官→大臣官房会計課長村上貴将 資源エネルギー庁省エネルギー・新エネルギー部政策課長→大臣官房業務改革課長細川成己 産業保安・安全グループ保安政策課長→大臣官房審議官=産業保安・安全、電力・ガス取引監視等委員会事務局担当田岡卓晃 特許庁総務課長→産業保安・安全グループ保安政策課長前田博貴 資源エネルギー庁原子力立地政策室長兼原子力広報室長→電力安全課長森本将史 新エネルギー・産業技術総合開発機構シリコンバレー事務所長→製品安全課長宮本岩男 中小企業庁中小企業政策調整官 兼 地域経済産業政策統括調整官→地方創生担当政策統括調整官 兼 イノベーション・環境局イノベーション政策統括調整官中野剛志 大臣官房参事官→地方創生担当政策統括調整官中村智 大臣官房総務課政策企画委員→産業構造課長鮫島大幸 中小企業庁取引課長→産業組織課長松田洋平 政策調整官=経済産業政策局担当→産業創造課長豊田原 商取引監督課長→投資促進課長日野由香里 産業創造課長→地域経済産業政策課長猪又真介 関東経済産業局総務企画部長→地域産業基盤整備課長高山成年 農林水産省官房輸出促進審議官→大臣官房審議官=通商政策局・農林水産品輸出担当田中将吾 資源循環経済課長→通商戦略課長白井俊行 資源エネルギー庁大臣官房国際課長→欧州課長高木重孝 製造産業局生活製品課長→北東アジア課長藤沢秀昭 大臣官房付→国際経済部長西脇修 防衛装備庁官房審議官→大臣官房審議官=貿易経済安全保障局担当田中伸彦 経済安全保障政策調整官=技術担当→経済安全保障政策統括調整官稲邑拓馬 製造産業局総務課長→貿易経済安全保障局総務課長浅井洋介 投資促進課長→貿易管理課長中西友昭 産業組織課長→イノベーション・環境局総務課長石川浩 日本貿易振興機構シンガポール事務所産業調査員→イノベーション創出新事業推進課長中野真吾 内閣官房副長官秘書官→国際標準課長福本拓也 イノベーション政策統括調整官→大臣官房審議官=脱炭素成長型経済構造移行推進担当清水淳太郎 業務改革課長→脱炭素成長型経済構造移行投資促進課長三牧純一郎 内閣府原子力災害対策本部原子力被災者生活支援チーム参事官→資源循環経済課長畑田浩之 大臣官房参事官=技術・高度人材戦略担当→大臣官房審議官=製造産業局担当玉井優子 経済産業政策局地域経済産業政策調整官→製造局総務課長渡辺宏和 日本貿易振興機構ニューヨーク貿易保険事務所長→生活製品課長木村拓也 資源エネルギー庁省エネルギー課長→航空機武器産業課長金指寿 情報産業課長→商務情報政策局総務課長渡辺琢也 情報処理基盤産業室長→情報技術利用促進課長南部友成 日本貿易振興機構ニューヨーク事務所産業調査員→情報産業課長乃田昌幸 資源エネルギー庁原子力損害対応総合調整官→商取引・消費経済政策課長西川奈緒 国際標準課長→サービス政策課長梶直弘 産業構造課長→文化創造産業課長福田光紀 資源エネルギー庁ガス市場整備室長→ヘルスケア産業課長広瀬大也 新エネルギー・産業技術総合開発機構事業統括部グリーンイノベーション基金室長→生物化学産業課長浦田秀行 大臣官房審議官=製造産業局担当→北海道経済産業局長横田純一 貿易管理課長→北海道経済産業局資源エネルギー環境部長上野麻子 中国大使館参事官→資源エネルギー庁国際資源エネルギー戦略統括調整官大江健太郎 大臣官房付→資源エネルギー庁長官官房国際課長小林大和 大臣官房秘書課長→資源エネルギー庁省エネルギー・新エネルギー部長那須良 資源エネルギー庁政策課長→資源エネルギー庁省エネルギー・新エネルギー部政策課長福永佳史 北東アジア課長→資源エネルギー庁省エネルギー課長永井岳彦 資源エネルギー庁燃料供給基盤整備課長→資源エネルギー庁資源・燃料部政策課長東哲也 通商戦略課長→資源エネルギー庁燃料供給基盤整備課長吉瀬周作 資源エネルギー庁原子力政策課長→資源エネルギー庁電力・ガス事業部参事官=エネルギー制度改革担当多田克行 資源エネルギー庁原子力基盤室長 兼 革新炉推進室長 兼 原子力技術室長→資源エネルギー庁電力・ガス事業部原子力政策課長吉沢隆 経済産業研究所総務ディレクター→特許庁総務部長降井寮治 内閣官房内閣情報調査室参事官→特許庁秘書課長亀井明紀 公正取引委員会事務総局企業取引課長→特許庁総務課長北村弘樹 特許庁審査第三部長→特許庁審査第一部長小松竜一 特許庁審判部審判課長→特許庁審査第二部長諸岡健一 特許庁審査第二部長→特許庁審査第三部長仁科雅弘 特許庁審査第四部審査長=首席・電子商取引・経営システム→特許庁審査第四部長野仲松男 特許庁審査第一部長→特許庁審判部長黒田浩司 中小企業庁小規模企業振興課長→中小企業庁官房総務課長坂本里和 内閣官房内閣審議官=新しい資本主義実現本部事務局次長→中小企業庁事業環境部長佐伯徳彦 文化創造産業課長→中小企業庁企画課長橋本泰輔 ヘルスケア産業課長→中小企業庁金融課長小高篤志 資源エネルギー庁戦略企画室長→中小企業庁取引課長山崎琢矢 大臣官房総務課長→中小企業庁経営支援部長前田了 電力安全課長→中小企業庁経営支援課長荒木太郎 内閣官房内閣人事局参事官→中小企業庁小規模企業振興課長神崎忠彦 商務情報政策局総務課長→出向・内閣官房副長官補付内閣参事官へ殿木文明 大臣官房審議官=産業保安・安全、電力ガス取引監視等委員会事務局担当 兼 大臣官房調査統計グループ長→出向・内閣官房内閣審議官=国家安全保障担当 兼 内閣府官房審議官=経済安全保障担当へ下世古光可 地域経済産業政策課長→出向・内閣官房行政改革推進本部事務局参事官へ柏原恭子 国際経済部長→出向・内閣官房内閣審議官へ西森雅樹 特許庁秘書課長→出向・内閣官房観光立国推進室参事官へ田尻貴裕 大臣官房審議官=脱炭素成長型経済構造移行推進担当 →出向・内閣官房内閣審議官=新しい資本主義実現本部事務局次長へ貴田仁郎 中小企業庁官房総務課長→出向・内閣官房新しい資本主義実現本部事務局参事官へ浦上健一朗 大臣官房審議官=国際博覧会担当→出向・内閣府官房審議官=経済財政運営担当へ佐々木雅人 エネルギー・地域政策統括調整官→出向・内閣府官房審議官=原子力防災担当へ太田三音子 サービス政策課長→出向・内閣府知的財産戦略推進事務局参事官へ柴山豊樹 中小企業庁経営支援課長→出向・公正取引委員会事務総局経済取引局企業取引課長へ岡田智裕 中小企業庁経営支援部長→出向・デジタル庁統括官付審議官へ市川紀幸 地域産業基盤整備課長→出向・復興庁統括官付参事官へ宮部勝弘 中小企業庁事業環境部企画課長→出向・福島復興局次長へ藤田健 欧州課長→出向・文化庁文化経済・国際課長へ依田学 大臣官房審議官=通商政策局農林水産輸出担当→出向・農林水産省大臣官房付へ滝沢豪 特許庁総務部長→出向・防衛装備庁官房審議官へ西垣淳子 大臣官房政策統括調整官=経済産業局担当兼中小企業庁官房中小企業政策統括調整官=DX・EBPM担当→出向・政策研究大学院大学特任教授へ野沢泰志 中小企業庁金融課長→出向・東京大学産学協創推進本部特任研究員 兼 スタートアップ推進部長へ佐藤猛行 製品安全課長→辞職・経済産業研究所総務コーディネーター内田了司 情報技術利用促進課長→辞職・情報処理推進機構上席執行役員下田裕和 生物化学産業課長→辞職・日本医療研究開発機構調整役西村秀隆 サイバーセキュリティ・情報化審議官→辞職瓜生和久 基準認証政策統括調整官→辞職油科壮一 特許庁審査第四部長→辞職田村聖子 特許庁審判部長→辞職桑原智隆 イノベーション創出新事業推進課長→退職
2025年07月16日
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将校の子弟が同じ道を進んだ検証とその記録庭に来たカケスとその鋭い眼├計量計測データバンク ニュースの窓-144-将校の子弟が同じ道を進んだ検証とその記録 士族の子が陸士、海兵の士官学校を経て軍人を職業とし、その職業に子弟が就く状態が明治中期以降に定着して社会構造を形成する。軍人になるための中学校ともいうべき陸軍幼年学校は13歳で入校できた。旧制中学校の1年あるいは2年で試験を受けた。高等小学校から受験する者もいた。陸軍幼年学校入校者のうち30%から50%程度が武官の子息であった。武官の子息を主な対象とする月謝の減免措置があった。「戦死した、または公務による負傷・疾病で死亡した、陸海軍の軍人、または文官の遺児」は、一定の成績であれば順位に関わらずに合格とされる優遇措置があった。 陸士、海兵の士官学校を経て将校となった軍人の子弟が同じ道を進む状態を満州国と一体であった関東軍の高級将校の経歴が物語る。 関東軍(かんとうぐん)は、大日本帝国陸軍の総軍の一つ(1942年(昭和17年)10月1日以前は軍の一つ)。関東都督府(関東州と南満洲鉄道附属地の行政府)の守備隊が前身。司令部は当初旅順に置かれた。満洲事変を引き起こして満洲国を建国し、日満議定書(1932年9月15日)後は満洲国の首都である新京(現中華人民共和国吉林省長春市)に移転した。1937年の日中戦争勃発後は、続々と中国本土に兵力を投入し、1941年には14個師団にまで増強された。加えて日本陸軍は同年6月に勃発した独ソ戦にあわせて関東軍特種演習(関特演)と称した準戦時動員を行った結果、同年から一時的に関東軍は最大の総員74万人に達し、「精強百万関東軍」、「無敵関東軍」などと謳われた。なお、同年4月には日本とソ連との間で日ソ中立条約が締結されている。 将校の子弟が同じ道を進んだ記録が物語るのは将校としての軍人が家業となり、国家における軍組織は家業の継続にとって不可欠であった。負けたら終わりの家業の継続であるから国家を巻き込んでの一億層玉砕の発想が生まれた。 国家総力戦としての近代戦争において日米の経済格差、その戦力の格差が明瞭であったのに本土を焦土とされるまで降伏できなかった日本国と日本軍である。 戦争機運を煽り、戦争に勝てそうな気分にさせるために学校教育の場面にも軍国主義が横溢し、ニュース映画が虚構を描き、この世相に子どもは完全に飲み込まれた。狂気に覆われた常識が働かない世界に日本は覆われていた。├├東條英機 - Wikipedia東條英機(とうじょう ひでき、1884年〈明治17年〉12月30日-1948年〈昭和23年〉12月23日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功二級。戦後A級戦犯として死刑となった。陸軍次官、陸軍航空総監(初代)、陸軍大臣(第29代)、参謀総長(第16代)、大政翼賛会総裁(第2代)、内閣総理大臣(第40代)、内務大臣(第57代)、外務大臣(第59代)、文部大臣(第53代)、商工大臣(第24代)、軍需大臣(初代)を歴任した。岩手県(盛岡市)出身。父は東條英教(陸軍中将)、妻は東條かつ子。次男は東條輝雄(三菱自動車工業社長・会長)、三男は東條敏夫(空将補)。├├東條英教 - Wikipedia東條英教(とうじょう ひでのり、安政2年11月8日(1855年12月16日)-大正2年(1913年)12月26日)は、日本の陸軍軍人。陸大1期首席。最終階級は陸軍中将。第40代内閣総理大臣・東條英機は息子。1855年12月16日(安政2年11月8日)に陸奥国盛岡藩士・東條英俊の嫡男として武蔵国豊多摩郡大久保村に誕生する。1873年(明治6年)4月、陸軍教導団歩兵科。1877年(明治10年)、西南戦争に出征し、同年4月に陸軍歩兵少尉試補[1]。1878年(明治11年)9月、陸軍歩兵少尉に任官。1885年(明治18年)12月、陸軍大学校(陸大)を首席で卒業し(1期、卒業生は10人)、恩賜の望遠鏡を拝受。 1891年(明治24年)9月16日、 任 陸軍歩兵少佐、補 陸軍大学校兵学教官。1894年(明治27年)から1897年(明治30年)3月まで、現役の陸軍歩兵少佐のまま、日本体育会体操練習所(現・日本体育大学)長を務めた。佐官時代には、参謀本部第1局局員、陸大教官、参謀本部第4部長(戦史編纂)などを歴任。東條家は、能楽師として盛岡藩(南部氏)に仕えた家系で、禄高は160石であった[1]。 英教は陸大1期を首席卒業したが、中将止まりであった。その理由として盛岡藩が戊辰戦争で明治政府と戦ったためや、当時は薩長派閥が幅を利かせていたためなどが言われている。 陸大1期の同期生で旅団長として出征したのは、英教の他に秋山好古と山口圭蔵がいたが、山口は免職となり英教は左遷となった。1904年6月に蓋平攻撃と連動して起きた分嶺水の戦闘で消極策を取り独断専行気味に兵を引いたという際、師団司令部と対立したといわれている。ついで7月の柝木城の戦闘において歩兵第三旅団長の英教は攻撃の要であったにもかかわらず、師団長川村景明に夜襲を命じられたとき、状況を判断して夜襲を行わなかったが、その原因は偵察不足であった。そのためにロシア軍が無傷で撤収し、別の師団が敵軍を包囲する事態となり川村の面子が潰された。この失敗により英教は兵学書に通じてはいたが実戦向きではなく作戦失敗を招き「実兵指揮能力不足」という評価が下され、歩兵第8旅団長を解任されて留守近衛歩兵第2旅団長に左遷された(名目上は病気)。├├山田乙三 - Wikipedia山田乙三(やまだ おとぞう、1881年(明治14年)11月6日-1965年(昭和40年)7月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。最後の関東軍総司令官として玉音放送による「聖断」を受諾し、ソ連軍に降伏した。息子は登山家の山田二郎。経歴 1939年陸軍経理官・市川確の三男として生まれ、山田貫之の養子となった。成城学校(新宿区原町)から陸軍中央幼年学校を経て、1902年(明治35年)に陸軍士官学校(14期)を卒業。同期に古荘幹郎、西尾寿造、宇佐美興屋らがいる。1912年(大正元年)に陸軍大学校を(24期)卒業、同期に土肥原賢二、飯田貞固、牛島貞雄、香月清司、酒井鎬次、谷寿夫、柳川平助、山岡重厚がいた。 参謀本部総務部長、陸軍士官学校校長、第12師団長を歴任。軍令、教育畑が長く政治色は薄かった。1939年(昭和14年)10月、中支那派遣軍司令官から教育総監に就く。1940年(昭和15年)8月、陸軍大将に進級。1944年(昭和19年)2月に東條英機首相兼陸相が国務と統帥の一元化を図り、参謀総長兼任を企図した際には、杉山元参謀総長が強く抵抗、山田も統帥権独立への抵触を危惧するが、最終的にはこれを容認した。しかし7月のサイパン失陥を契機に東條は退陣、参謀総長となった梅津美治郎の後任として関東軍総司令官に就任する。満洲国の日本大使(正式には、満洲国駐箚特命全権大使。)は関東軍総司令官が兼任することになっているため、駐満洲の日本大使ともなる。 1945年(昭和20年)8月9日、ソ連軍が対日参戦、当日は大使として、満州の国防団体の結成大会出席のため大連に出張中であり急遽新京に帰還する。この大連出張の際に保養地のホテルに泊まっていたため、帰還が遅れたとも言われている。総司令部を通化に撤退させ持久戦を図るが、15日には日本のポツダム宣言受諾により終戦詔書が発布される。19日にはジャリコウヴォのワシレフスキー元帥(極東ソ連軍総司令官)との停戦交渉を開始。 その後は関東軍総参謀長秦彦三郎や総参謀副長松村知勝、作戦主任参謀草地貞吾らとともにソ連に抑留(シベリア抑留)。ハバロフスクの第45特別地区(将校収容所)に収容された。 10年以上経って日本へ帰国した。年譜1901年(明治34年)5月 陸軍中央幼年学校卒業。1902年(明治35年)11月 陸軍士官学校卒業。1903年(明治36年)6月 陸軍少尉。騎兵第3聯隊附。1905年(明治38年)2月 陸軍中尉。陸軍士官学校教官。1912年(大正元年)9月 陸軍大尉。11月 陸軍大学校卒業。騎兵第3聯隊中隊長。1913年(大正2年)8月 参謀本部員。1918年(大正7年)6月 陸軍少佐。陸軍騎兵学校教官。1922年(大正11年)8月 陸軍中佐。騎兵監部員。1924年(大正13年)2月 騎兵第26聯隊隊長。1925年(大正14年)8月 陸軍大佐。1926年(大正15年)3月 朝鮮軍参謀。1927年(昭和2年)7月 参謀本部通信課長。1930年(昭和5年)8月 陸軍少将。陸軍騎兵学校教育部長。1931年(昭和6年)8月 騎兵第4旅団長。1932年(昭和7年)8月 陸軍通信学校校長。1933年(昭和8年)8月 参謀本部第3部長。1934年(昭和9年)8月 陸軍中将。参謀本部総務部長。1935年(昭和10年)8月 兼参謀本部第3部長。12月 陸軍士官学校校長。1937年(昭和12年)3月 第12師団長。1938年(昭和13年)1月 第3軍司令官。12月中支那派遣軍司令官。1939年(昭和14年)10月 教育総監兼軍事参議官。1940年(昭和15年)8月 陸軍大将。10月 免兼。1941年(昭和16年)7月 兼防衛総司令官。1 2月 免兼。1944年(昭和19年)7月 関東軍総司令官、在満州国特命全権大使。1945年(昭和20年)8月15日 終戦。1948年(昭和23年)1月31日 公職追放仮指定を受けた。1956年(昭和31年)6月26日 シベリア抑留より復員。1965年(昭和40年)7月18日 死去。├├秦彦三郎 - Wikipedia秦彦三郎(はた ひこさぶろう、1890年(明治23年)10月1日-1959年(昭和34年)3月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。ロシア通として知られ第二次世界大戦終戦時の関東軍総参謀長。戦後はシベリアに抑留された。略歴 三重県に生まれ、1912年、陸軍士官学校を卒業(24期)して歩兵少尉となる。1915年、歩兵中尉となる。1919年、陸軍大学校を卒業(31期)。1922年、歩兵大尉となり参謀本部員(ロシア班)となり、翌年、関東軍の満州里機関長となる。1926年、ソ連大使館附武官補佐官となり、翌年、歩兵少佐となる。 1930年、ポーランド公使館附武官、ラトビア公使館附武官となる。1931年、歩兵中佐となる。1932年、ルーマニア公使館附武官となる。1933年、参本ロシア班長、翌年、ソ連大使館附武官となる。1936年、歩兵大佐(新聞班長)となる。 1938年、関東軍司附(ハルピン特務機関長)となり、翌年、陸軍少将となる。1940年、 関東軍参謀副長となり、1941年、関東軍参謀副長(兼秦機関長)となり陸軍中将となる。1942年10月に第34師団長、1943年4月に参謀次長・大本営兵站総監となり、戦局不利な状況の中で作戦指導にあたる。1944年3月から8月までは陸軍大学校校長も兼職した。1945年4月7日、敗戦濃厚の中、関東軍総参謀長となる。同年8月9日、ヤルタ協定に基づきソ連軍が満州と朝鮮に侵攻し、同月18日、満州帝国滅亡。同年8月19日、山田乙三関東軍総司令官と秦は瀬島龍三中佐らを伴い、ジャリコウヴォのアレクサンドル・ヴァシレフスキー元帥(極東ソ連軍総司令官)との停戦交渉を行った。 1945年12月2日、A級戦犯として連合国軍最高司令官より出された第3次逮捕命令のリストに後宮淳大将と共に名前があった[1]が、既にソ連軍により捕らえられシベリア抑留の身であった。1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた。1956年12月26日に復員。├├草場辰巳 - Wikipedia草場辰巳(くさば たつみ、1888年(明治21年)1月2日-1946年(昭和21年)9月20日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 滋賀県出身。草場彦輔陸軍少将の二男として生まれる。大阪陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1908年(明治41年)5月、陸軍士官学校(20期)を首席で卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第9連隊付となった。1915年(大正4年)12月、陸軍大学校(27期)を卒業した。 参謀本部付勤務、第1鉄道線区司令部員、参謀本部員、朝鮮軍司令部付、歩兵第4連隊大隊長などを歴任。1924年(大正13年)11月から陸大専攻学生となる。翌年12月、陸大教官に就任し、参謀本部員兼軍令部参謀、第6師団参謀、陸軍省人事局課員、陸軍兵器本廠付、関東軍司令部付(南満洲鉄道)などを歴任し、1931年(昭和6年)3月から8月まで欧州に出張した。 1931年8月、歩兵大佐に昇進し参謀本部課長に就任。歩兵第11連隊長、関東軍司令部付(満洲国交通部顧問)を経て、1936年(昭和11年)8月、陸軍少将に進級。日中戦争に歩兵第19旅団長として出征し、保定会戦、南京攻略戦に参加[2]。第2野戦鉄道司令官を経て、1939年(昭和14年)3月、陸軍中将に昇進し関東軍野戦鉄道司令官に就任。翌年10月、第52師団長に親補され満洲に駐屯。太平洋戦争を関東防衛軍司令官として迎えた。 1942年(昭和17年)12月、第4軍司令官となり、参謀本部付を経て、1944年(昭和19年)12月、予備役に編入された。同月、召集を受け大陸鉄道司令官となり終戦を迎えた。 1945年(昭和20年)9月からシベリア抑留となった。連合国側から極東国際軍事裁判に証人として出廷することを命じられ、1946年(昭和21年)9月17日に松村知勝、瀬島龍三とともにウラジオストクから空路東京へ護送され、ソ連側証人として出廷することになっていた。9月20日未明、草場は隠し持った青酸カリを飲んで自殺した。3通の書き置きのうち公式当局と親族宛の2通は捜査資料に添付された。アメリカ検事団が英訳させた日記には、シベリアの収容所でソ連側から証言を要求されたこと、ソ連側から恫喝、甘言など受けたこと、「将校でありながら捕虜となり、どの面下げて祖国に帰れるのか」とか「私には自殺しか道がなかったと諦めてください」という表現などが書かれていたという。墓所は多磨霊園。その他山崎豊子の小説『不毛地帯』に登場する「秋津中将」は、草場がモデルといわれる。[要出典]『不毛地帯』では、壱岐正、秋津中将、竹村少将が東京裁判へ出廷し、実際には、瀬島龍三中佐、松村知勝少将が出廷した。親族弟 草場季喜(陸軍少将)。父 草場彦輔(陸軍少将)。├├草場季喜 - Wikipedia草場季喜(くさば すえき、1899年(明治32年)12月16日-1963年(昭和38年)5月3日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。経歴滋賀県出身。草場彦輔陸軍少将の息子として生まれる。陸軍中央幼年学校予科、中央幼年学校を経て、1920年(大正9年)5月、陸軍士官学校(32期)を卒業。同年12月、工兵少尉に任官し工兵第15大隊付となった。1923年(大正12年)12月、陸軍砲工学校高等科(29期、員外学生)を優等で卒業した。1924年(大正13年)4月、陸軍派遣学生として東京帝国大学理学部物理学科に入学し、1927年(昭和2年)3月に卒業した。 1928年(昭和3年)4月、陸軍科学研究所員に発令。以後、ドイツ駐在、科学研究所員、陸軍省兵器局課員などを務め、1940年(昭和15年)8月、工兵大佐に昇進し独立工兵第27連隊長(関東軍)に就任し日中戦争に出征した。1942年(昭和17年)10月、第9陸軍技術研究所員(登戸研究所)第1科長となり、1944年(昭和19年)8月、陸軍少将に昇進。 1945年(昭和20年)9月、陸軍兵器行政本部付となり、同年12月、予備役に編入された。1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた。親族親族兄 草場辰巳(陸軍中将)。父 草場彦輔(陸軍少将)。├├松村知勝 - Wikipedia松村知勝(まつむら ともかつ、1899年〈明治32年〉10月13日-1979年〈昭和54年〉5月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。経歴 本籍福井県。松村法吉陸軍中将の長男として生まれる。東京府立四中、陸軍中央幼年学校予科、同校本科を経て、1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校(33期)を卒業。同年10月、歩兵少尉に任官し歩兵第34連隊付となる。陸地測量部員などを経て、1928年(昭和3年)12月、陸軍大学校(40期)を卒業した。 参謀本部付勤務、参謀本部員、陸軍歩兵学校教官などを経て、1933年(昭和8年)2月、ポーランド・ソビエト連邦勤務となり、さらにポーランド兼ルーマニア公使館付武官補佐官を務めた。帰国後、1936年(昭和11年)3月、陸大教官となり、参謀本部員、参謀本部戦史課長・大本営研究班長などを歴任。1941年(昭和16年)3月、歩兵大佐に進級し、同年10月、参謀本部ロシア課長に就任した。 太平洋戦争中の1943年(昭和18年)8月、関東軍参謀に発令された。1945年(昭和20年)3月には陸軍少将に昇進。関東軍総参謀副長となり終戦を迎えた。 戦後はシベリア抑留となった。1946年(昭和21年)9月17日には草場辰巳、瀬島龍三とともにウラジオストクから空路東京へ護送され、ソ連側証人として出廷した。1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた。1949年(昭和24年)8月に重労働25年の判決を受け、1956年(昭和31年)12月に復員。親族妻 松村英子 石坂善次郎(陸軍中将)の娘。弟 松村辰雄(陸軍中佐)義兄 額田坦(陸軍中将)義弟 樋口敬七郎(陸軍中将)├├種村佐孝 - Wikipedia種村佐孝(たねむら さこう/すけたか、1904年12月9日-1966年3月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。三重県出身。参謀本部戦争指導班長を務め、対ソ終戦工作にあたった。主著に『大本営機密日誌』。太平洋戦争中、陸軍参謀本部戦争指導班長をつとめ、大本営の戦争指導にあたった。戦争末期、対米降伏・和平交渉はアメリカの偽装であり、対米戦争の継続のためソ連同盟論を主張、対ソ終戦工作に従事する。戦後にシベリア抑留に遭い、モンゴルのウランバートルにあった「第7006俘虜収容所」にて、共産主義革命のための特殊工作員として朝枝繁春、志位正二、瀬島龍三らとともに訓練を受ける。├├朝枝繁春 - Wikipedia朝枝 繁春(あさえだ しげはる、1912年(明治45年)1月1日-2000年(平成12年)10月14日)は、日本の陸軍軍人。陸士45期、陸大52期恩賜。最終階級は陸軍中佐。第25軍(マレー・シンガポール作戦の部隊)の作戦参謀として知られる。1933年(昭和8年)7月、陸軍士官学校本科を卒業。成績は、皇族(孚彦王)・公族(李鍝公)を除いて25番/335名という好成績であった。陸士予科生徒隊附を経て、陸大在学中の1938年(昭和13年)3月に歩兵大尉に進級。1939年(昭和14年)11月、陸軍大学校を3番/52名で卒業し、恩賜の軍刀を拝受した。1939年(昭和14年)12月、第1軍参謀部付となり日中戦争に出征。1940年(昭和15年)6月、第1軍参謀に移り、1941年(昭和16年)5月、台湾軍研究部員に転じ、同年8月から10月まで南方に出張。同年10月、陸軍少佐に進級、第25軍参謀として太平洋戦争(大東亜戦争)の開戦を迎えた。マレー作戦、シンガポールの戦いに参戦し、辻政信参謀とともにシンガポール華僑粛清事件に関与した。このとき朝枝は軍刀を抜いて、軍の方針に随わねば憲兵でもぶった切ってやると言って、強引に粛清を強要して回ったといわれる。戦後、半藤一利がこの粛清についてインタビューしたとき、朝枝が辻政信にばかり責任を押し付けるようなことを言うため、しまいには両者で怒鳴り合いになった。1942年(昭和17年)7月、関東軍参謀に異動。1943年(昭和18年)12月から1944年(昭和19年)2月までソ連に出張。1944年3月、大本営参謀(作戦課)。その後、第14方面軍参謀を経て再び大本営参謀(作戦課で満州方面を担当)。1945年(昭和20年)6月、同期一選抜のひとりとして中佐に進級。同年8月、大本営参謀として満州へ出張中に敗戦を迎えた。この時、朝枝参謀は関東軍防疫給水部(通称・731部隊)の部隊長石井四郎軍医中将に研究資料の廃棄を指示している。共同通信社社会部編『沈黙のファイル』(P137,138)には、その時の朝枝・石井のやりとりが載っている。 朝枝「朝枝中佐は参謀総長に代わって指示いたします。貴部隊の今後の措置について申し上げます。地球上から永遠に、貴部隊の一切の証拠を根こそぎ隠滅してください。」朝枝「細菌学の博士は何人ですか」」石井「五十三人」朝枝「五十三人は貴部隊の飛行機で日本に逃がし、一般部隊員は列車で引き揚げさせてください」石井「分かった。すぐ取りかかるから安心してくれたまえ」石井は自分の飛行機へ数歩、歩いて立ち止まり、思い直したように引き返してきた。石井「ところで朝枝君、貴重な研究成果の学術資料もすべて隠滅するのかね」朝枝「何をおっしゃいますか、閣下。根こそぎ焼き捨ててください」また、この満州出張中、ソ連軍から樺太で現地の第88師団が日本軍師団が交戦を続けていることを知らされ、その上級にあたる札幌の第5方面軍に停戦するよう、電報を打ち、これによって樺太での停戦が成立している。 旧満州や朝鮮半島の民間日本人やソ連の捕虜となった軍人計180万人について、ソ連の指令下に移し、日本国籍離脱まで想定、病人などを除き現地に「土着」させ事実上"棄民"化する「関東軍方面停戦状況ニ関スル実視報告」を1945年8月26日付で大本営参謀名にて報告した(その3部のうち1部が1993年8月にロシアの軍関係にて発見されたと共同通信が報じている)。 その後、朝枝はソ連軍に捕まり、1949年(昭和24年)8月に復員している。├├瀬島龍三 - Wikipedia 瀬島 龍三(せじま りゅうぞう、1911年〈明治44年〉12月9日 - 2007年〈平成19年〉9月4日)は、陸士44期次席・陸大51期首席。太平洋戦争のほとんどの期間を参謀本部部員(作戦課)として務めた。最終階級は中佐。、1939年(昭和14年)1月15日に関東軍隷下の第4師団参謀として満州へ赴任し、同年5月15日には第5軍(司令官・土肥原賢二陸軍中将)参謀となった。同年11月には参謀本部幕僚附(作戦課)に補され、間もなく参謀に昇格して開戦前は対ソ作戦を担当。翌1940年(昭和15年)には関東軍特種演習(関特演)の作戦立案にあたった。1945年9月5日、関東軍総司令官山田乙三大将(陸士14期)や総参謀長秦彦三郎中将らとともに捕虜となった。ソ連のハバロフスクの第45特別地区(将校収容所)に送られた。この後、11年間抑留される。連合国側から極東国際軍事裁判に証人として出廷することを命じられ、1946年9月17日に草場辰巳中将(20期首席、関東軍鉄道司令官)・松村知勝少将(33期、総参謀副長)とともにウラジオストクから空路東京へ護送され、訴追側証人として出廷した。ソ連側より日本への帰還の取引条件として極東国際軍事裁判で昭和天皇の戦争責任を証言するように求められる。出廷に当たって瀬島は草場辰巳、松村知勝と供述内容について事前に打ち合わせを行っている。その内容の例としては、ソ連側は1943年(昭和18年)以前の関東軍の攻勢作戦計画に日本の侵略意図があると解釈したが、作戦計画は有事の際の用兵作戦計画に過ぎず、天皇が関わる政策決定とは全く異なるという説明があり、その旨実際に証言を行っている。1947年(昭和22年)末から1950年(昭和25年)4月までの間どこの収容所にいたかを語っておらず、モンゴルのウランバートルにあった、第7006俘虜収容所に、種村佐孝(37期、大佐)、朝枝繁春(45期、中佐)、志位正二(52期、少佐)らとともに収容されていたとみられる。 日下公人が瀬島龍三に開戦前夜の大本営について質問した。1941年11月26日にハル・ノートが出た頃、ドイツ軍の進撃がモスクワの前面50kmで停止し、大本営は「冬が明けて来年春になれば、また攻撃再開でモスクワは落ちる。」と考えていた。「本当に大本営はそう思っていたんですか?」と瀬島龍三に尋ねると「思っていた。」と。続けて「もしもドイツがこれでストップだと判断したら、それでも日本は12月8日の開戦をやりましたか?」と尋ねると、「日下さん、絶対そんなことはありません。私はあのとき、大本営の参謀本部の作戦課にいたけれど、ドイツの勝利が前提でみんな浮き足立ったのであって、ドイツ・ストップと聞いたなら全員『やめ』です。それでも日本だけやるという人なんかいません。その空気は、私はよく知っています。」と答えた。 1996年の回顧録にて大東亜戦争を振り返り、政治的、経済的な情報を含む国力の総合的な判断を無視した。こういった情報が不足しており、民族の性格上、合理的かつ客観的な判断をせず、心情的、希望的な判断へと流れていった。と書いている。├├志位正二 - Wikipedia志位正二(しい まさじ、1920年1月1日-1973年3月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。 志位正人陸軍中将の息子として生まれる。東京府立六中、東京陸軍幼年学校、陸軍士官学校予科を経て、1939年9月、陸軍士官学校(52期)を卒業。同年11月、歩兵少尉に任官し歩兵第61連隊付となる。1944年12月、陸軍大学校(59期)を卒業し陸軍少佐に昇進。1945年4月、関東軍隷下の第3方面軍情報参謀に発令され、終戦を迎えた。 終戦後シベリア抑留に遭い、1948年4月にソ連諜報員となる誓約を行い、モンゴルのウランバートルにあった「第7006俘虜収容所」において朝枝繁春、瀬島龍三、種村佐孝らとともに諜報員、共産主義革命のための特殊工作員としての訓練を受けたとされる。抑留中は陸軍将校のため、日本国内では公職追放となった。 1948年11月、シベリアより復員。志位によれば、早期帰国のためにソ連に協力する誓約書に署名したものの、それは戦犯収容所に送られた上官や部下を救うため帰国し残留者の引揚促進活動に取組むためであったという。ところが、舞鶴港で米軍の民間情報部の者が武装兵を連れて船に乗り込み、主だった者を集めて暴行し尋問するのを目撃しショックを受けることになった。志位は1949年2月からGHQ参謀第2部(G2)の地理課に勤め、抑留帰還者の尋問調書からソ連や中華人民共和国の地誌を作成していた。1950年6月、GHQの取調べを受ける。このとき、1週間にわたって軟禁されウソ発見器にもかけられ誓約書について自白を強要されたことで、米国特務機関のやり方に憎悪を抱くようになったという。この後、ソ連のためにスパイ活動をすることになる。1951年10月以降、G2在職のままソ連国家保安委員会(KGB)にエージェントとして雇われる。1953年11月、外務省アジア局調査員となるが、「二重スパイ」の活動は継続した。ユーリー・ラストヴォロフがアメリカに亡命した後の1954年2月5日、警視庁公安部に自首し、自身がソ連の工作員(スパイ)であったことを認めた。しかし罪には問われず、その後、海外石油開発株式会社常務となり、対ソ連交渉において、社長今里広記の右腕ともいわれる活躍をしている。1973年3月31日、シベリア上空を飛行中の日本航空のダグラス DC-8型機の機内、ファーストクラス席上で死去した。過労からの心臓関係の疾患とみられる。├├志位正人 - Wikipedia志位正人(しい まさと、1889年10月22日-1945年5月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。二男が志位正二(陸軍少佐)兵科は砲兵。1909年(明治42年)、陸軍士官学校に入校。1911年(明治44年)5月、同校(23期)を卒業。同年12月、砲兵少尉任官。1938年(昭和13年)3月、砲兵大佐に昇進。同年12月、名古屋兵器支廠長に就任。1940年(昭和15年)3月、大阪兵器補給廠長に異動。1941年(昭和16年)11月、第15軍兵器部長に就任し太平洋戦争を迎え、ビルマの戦いに参戦。1943年(昭和18年)3月、緬甸方面軍兵器部長に就任。同年6月1日、陸軍兵器行政本部監督官に転じ、同年8月、陸軍少将に進む。1945年(昭和20年)5月に殉職し陸軍中将に進級。├├現代日本の自衛隊とその階級と出世事情├├幹部候補生 (日本軍) - Wikipedia日本陸軍における幹部候補生(かんぶこうほせい)とは、中等教育以上の学歴がある志願者の中から選抜され、比較的短期間で兵科または各部の予備役将校、あるいは兵科または各部の予備役下士官になるよう教育を受ける者。場合により幹候と略されることもある。日本陸軍では下士官以上が部隊の幹部という位置づけであった。1927年(昭和2年)12月に一年志願兵制度を改めて幹部候補生制度が定められ、1945年(昭和20年)8月の太平洋戦争(大東亜戦争)終結まで存在した。制定当初は主として予備役将校の養成を目的としたが、1933年(昭和8年)5月の制度改正以後は予備役将校となる教育を受ける甲種幹部候補生と、予備役下士官となる教育を受ける乙種幹部候補生に修業期間の途中で区分された。幹部候補生に対する評価幹部候補生出身の予備役将校は軍歴の長い下士官や兵から見て、士官候補生出身の現役将校と比べ教育期間が短く、また入営時には一般兵と同じ立場であったこともあり、概して軽侮されがちな傾向であったという著述が散見される。士官候補生出身の現役将校を「実弾」「実包」あるいは「本ちゃん」と呼び、一方の幹部候補生出身の将校を「空砲」「擬製弾」と呼ぶ例などがある。連隊にはたくさんの将校がいたが、ほとんどが予備士官学校出の将校であった。予備士官学校出というと、いわば半プロで(後略)。さて“実包”の方はこれとは違う。小学校から幼年学校へと学び、それから士官学校と歩み続けて、軍人としてのプロの道を勉強してきた者である。正真正銘、まじりっ気なし、純金の将校である。バリバリの職業軍人なのである。—春風亭柳昇『陸軍落語兵』69頁兵隊達は、本当の士官学校を出て来たいわゆる職業軍人の将校達には頭が上らなかった。彼らを「本ちゃん」と称しておそれていたのだ。しかし、それまで連隊で特別教育を受けて候補生から昇進して予備役の少尉になった我々の先輩の予備役将校達には、「疑製弾」と称して小馬鹿にしていたのだ。—中村八朗『ある陸軍予備士官の手記』上巻16頁また軍服の襟に着用する特別徽章は制度開始以来、士官候補生とその出身の見習士官が星(五芒星)のみであるのに対し、幹部候補生とその出身の見習士官は差別化され円形の台座に星を配置したデザインから、徽章そのもの、あるいは着用した幹部候補生や見習士官を「座金」と揶揄する場合もあった。しかし、この星には、まるい座金がついていて、厳密に区別された。つまり、一般の大学出身の幹部は「ザガネ」と呼ばれ、また「空砲」と呼ばれた。—村上兵衛『桜と剣』224頁1943年(昭和18年)10月、陸軍服制の改正(勅令第774号)により特別徽章が変更され[96][97]、星(五芒星)を桜の枝葉が囲む共通のデザインになったが、徽章の色は士官候補生と出身の見習士官が金色、甲種幹部候補生と出身の見習士官が銀色に差別化された。 幹部候補生やその出身将校に対する評価の原因となったものは、主として本人の資質とは別の制度上の問題である。1944年(昭和19年)、新たに特別甲種幹部候補生の制度が作られた際には「従来ノ幹部候補生ニ在リテハ統率力特ニ指揮権承行ノ厳粛ニ付テ十分ナラザルモノアリ而シテ其ノ原因ノ最大ナルモノハ(中略)一般兵ヨリ選抜スル点ニ在ル」[90]と、従来の幹部候補生に対する「少し前まではただの兵隊」という認識を改革する点も考慮されていたことがうかがえる。├├陸軍士官学校 (日本) - Wikipedia├├陸軍幼年学校 (日本) - Wikipedia将来の陸軍将校となることが事実上約束されており、若くして軍服に身を包み、規律正しい集団教育を受けるエリート集団たる陸幼生徒は当時の小学生・中学1 - 2年生男子の羨望の的であり志望者が多かった。陸幼入校者を選抜する召募試験の倍率は、時代によって変動したが概ね20倍程度を保ち、中学校のトップクラスでも合格は容易でなかった。太平洋戦争(大東亜戦争)中に旧制鶴岡中学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)に在学していた渡部昇一は、下記のように回想している。鶴岡中学では、陸幼を志望する1年生・2年生に対して、毎日の始業前に1時間の「特別授業」を実施していた。陸幼は難関であり、渡部が鶴岡中学に在学している間に、鶴岡中学から陸幼に入校した者は1名のみであった。陸軍幼年学校生徒採用試験は合格・入校すると同時に軍籍に入るため「召募試験」と呼ばれ(士官学校の採用試験も同じ)、身体検査と学科試験が実施された。まず身体検査が行われ、身体検査に合格した者のみが、学科試験(国語・作文・地理・歴史・数学・理科)を受験できた。陸幼受験資格は、満13歳以上・満15歳未満(願書を提出する翌年=入校する年の、3月31日における年齢)という年齢制限のみであり、2回まで受験できた。召募試験において求められる学力は中学校1年第2学期修了程度であったが、受験に際して学歴は不問であった。陸幼の召募試験は高倍率であったため陸幼生徒の多くは中学校出身者であったが、少数ながら高等小学校出身者も存在する。特待生となる資格を持つ「戦死した、または公務による負傷・疾病で死亡した、陸海軍の軍人、または文官の遺児」は、一定の成績であれば順位に関わらずに合格とされた。陸幼生徒選抜にあたっては理数系の素養が重視されており、数学が満点で、他が一定基準を満たしていれば優先的に合格とされた。さらに、召募試験合格者は入校予定の各陸幼において精密な身体検査を受け、これに改めて合格した者が晴れて陸幼生徒となった。武官の子息を主な対象とする月謝の減免措置も影響し、陸幼入校者のうち30% - 50%程度が武官の子息であった。├├陸軍大学校 - Wikipedia陸大の受験資格者は、陸軍現役兵科将校(憲兵将校を除く)のうち、所属長(連隊長など)の推薦を受けた、陸軍士官学校(陸士)を経て少尉任官後に隊附(部隊勤務)2年以上の中尉・少尉。大尉に進級すると受験資格を失った。4月に初審を受験する段階で、人数が入校予定者の10倍程度に絞られている。初審科目は、戦術甲(戦闘原則)、戦術乙(陣中用務)、戦術丙(図上戦術)、築城、兵器、交通、歴史、数学、語学の9科目。入校予定者の2倍の人数に初審合格が通知されるのが8月である。年末に再審が行われるが、これは人物考査を兼ねている。再審初日に図上戦術の筆記試験が行われ、以降、受験者は一日おきに陸大に出頭し、20日ほどをかけて各科目の口頭試験を受ける。受験者の多くがノイローゼ気味になり、不合格を確信するほどの厳しい試験であったが、50名ほどの陸大専任教官が全力で行う再審は、当時、最も公正な試験であると認められていた。 再審は12月2日から10日間に渡って実施され、受験者は120名であった。1日目から9日目までは、学識を問う通常の口頭試験であり、戦術は5名の陸大教官が、他の課目は2から3名の陸大教官が試験官を務めた。10日目は「人物考査」という課目であり、陸大幹事(校長に次ぐNo2)の少将、先任兵学教官(中佐)の2名が試験官であった。今村に対する試問は、学識を問うものではなく、いわゆる「圧迫面接」のように、答えに窮する問いを意図的にぶつけて反応を試すものであった。12月12日、入校式の直前に、受験者全員120名が陸大の大講堂に集められて、うち60名が合格と告げられ、今村は合格した。├├海軍兵学校 (日本) - Wikipedia受験年齢は16歳から19歳の年齢制限があり、身体条件を満たす者、中学校第四学年修了程度の学力、独身者。身体検査、運動機能検査で学術試験受験者が決定され、学術試験は5日間連続で行われた。学術試験は数学に始まり、英語(和訳)と歴史、物理、化学と国語(漢文も含む)、英語(英作文、文法)と地理の順に行われ、それぞれの学術試験の採点結果は当日に発表され、所定の合格点数に達した者のみが次の学術試験を受験。面接試験を経て最終合格者が決定された。志願者の増加と共に内申書による事前選考が行われるようになった。日本海軍の人事政策では兵学校出身者は特別の事情がない限り、大佐まで昇進させた。├├海軍大学校 - Wikipedia海軍の兵科高級幹部を養成する「甲種学生」の課程は海軍兵学校の卒業生が海軍士官(兵科将校)に任官後、10年程度の実務経験を経た中から選抜された。受験資格は兵学校での教育を受けた中堅将校である大尉・少佐であることが基本であった。入校者は海軍兵学校の卒業席次が高いものが多かったが、席次が低くても本人の努力次第で入校することができた。 募集人員は10〜20名前後で、満州事変が始まると30名にまで増やされた。その後、支那事変が始まると学生を採用しない年度も出てくるようになる。海軍の人事においては海軍兵学校の卒業席次(ハンモックナンバー)が重視されており、大学校を卒業せず、艦隊勤務など実施部隊を多く経験した叩き上げの士官で高位昇官を果たした例も少なくない。├├能登大地震-その6-小さな記録 能登半島 港湾部の隆起現象(1)(計量計測データバンク)陸軍士官学校(りくぐんしかんがっこう、旧字体:陸軍士官學校)は、大日本帝国陸軍において現役兵科将校を養成する教育機関(軍学校)のこと。通称・略称として陸士と呼ばれる事例もある。 陸軍幼年学校(陸幼)は幾度の変容があるが、陸士が予科・本科制度となった1920年代以降は将校候補者すなわち将来は陸士の予科に入校し生徒となる者を、若年時から「純粋培養」する旧制中学校相当の養成機関である。陸幼生徒は陸士の予科生徒と合わせて「将校生徒」と呼称された。陸士の予科の生徒は大別してこの陸幼出身者と一般の中学出身者からなる。 陸軍大学校(陸大)は主に参謀を養成する高等教育機関であり、選抜された陸士卒(己種・丁種学生を含む)の中尉・少尉が入校する。 1938年(昭和13年)以降、甲種幹部候補生出身者を生徒とし、予備役兵科将校を養成する教育機関として陸軍予備士官学校(予備士)が複数校設置されている。「予備役」兵科将校を養成する陸軍予備士官学校は、「現役」兵科将校を養成する陸軍士官学校(および士官候補生を養成する陸軍予科士官学校)とは全く異なる別種の士官学校である。 学校住所は、長らくは本科・予科共に東京の「市ヶ谷台」に所在していたが、1937年に本科(陸士)は神奈川県座間へ(航士は埼玉県入間に設置)、予科(予士)は1941年(昭和16年)に埼玉県朝霞へそれぞれ移転している。陸士自体の通称でもあった「市ヶ谷台」の名に倣い、座間移転後の陸士には「相武台」、入間に新設の航士には「修武台」 朝霞移転後の予士には「振武台」の名が、それぞれ当時の大元帥たる昭和天皇から与えられている。陸士の生徒・学生を指して「台上の人」という呼称はこれに由来する。この慣習は陸士以外の将校および将校候補者の養成学校にも取り入れられ、陸軍経理学校の「若松台」、東京陸軍幼年学校の「健武台」、仙台陸軍幼年学校「三神峯台」、名古屋陸軍幼年学校の「観武台」、大阪陸軍幼年学校の「千代田台」、広島陸軍幼年学校の「鯉城台」、熊本陸軍幼年学校の「清水台」、および満洲帝国陸軍軍官学校の「同徳台」がある。予科 「陸軍士官学校」は文字通り現役兵科将校を養成する軍学校であるが、専門の軍事教育(「軍事学」)は主に本科(陸士)にて行われる。そのため、予科(予士)では旧制高等学校に準ずる「普通学」をメインに受ける。1932年当時の予科の教育課程表は以下となっている。修身、国語および漢文、外国語(英語・ドイツ語・フランス語・ロシア語・中国語から一つを選択)、歴史、数学(三角法・幾何および微積分・代数)、物理、化学、地理、心理および論理、法制および経済、図画。教育時間数では、外国語が計402コマ、数学が計318コマ、国語および漢文が計269コマ、物理が167コマ、化学が100コマなどとなっている。これらは予科の「教授部」の主に文官教官(陸軍教授)によって教育される。軍人としての教育は「訓育部」の主に武官教官によって教練、陣中勤務、射撃、剣術・体操・柔道・馬術、訓話、学科、内務指導および検査の課程があった。これらのほか、各見学や野営演習、遊泳演習も実施された。予科は自衛隊における防衛大学校に相当・類似する。本科 対して、軍事学をメインとする本科の教育課程は以下となっている。戦術学、戦史、軍制学、兵器学、射撃学、航空学、築城学、交通学、測図学、馬学、衛生学、教育学(軍隊教育・一般教育)、外国語、校内教練、校外教練、陣中勤務、射撃、剣術・体操・馬術、典令範・服務提要となっている。重点が置かれている外国語は予科教育(普通文書を読解および日常会話・作文可能な程度)に連繋し、本科では主として軍事に関する読書力増進に力むものとされている。これらのほか、現地戦術、測図演習、野営演習、各見学も実施された。本科は自衛隊における陸上自衛隊幹部候補生学校に相当・類似する。受験 陸士が予科・本科制度となった1920年の『陸軍士官学校令』では、「四 予科生徒ハ、陸軍幼年学校ヲ卒業シタル者、又ハ陸軍将校タルコトヲ志願シ、召募試験ニ合格シタル者ヲ以テ之ニ充ツ」と定められている。「召募試験ニ合格シタル者」とは概ね旧制中学4年修業「程度」の「学力」を「持つ」者を想定しており、修業・卒業といった学歴は必須ではない。陸幼卒業者は無試験で陸士予科へ入校できる。概ね陸士予科(予士)入校時の年齢は最若年者で16歳からとなる。さらに、徴集によって帝国陸軍に在営中の現役下士官および兵であっても、陸軍将校たることを志願し陸士予科(予士)の召募試験に挑み生徒となることは可能である(このいわゆる「部内受験」は少尉候補者(己種学生)とは全く異なる)。著名者としては二等兵として入営ののち、仙台陸軍教導学校を経た軍曹時代に陸士を受験・合格、24歳で予科へ入校(将校生徒)、かつ本科(士官候補生)の歩兵科を首席で卒業した第52期生若林東一大尉が居る。陸士の位置付けは旧制高等学校、大学予科、旧制専門学校などに相当する。 他の教育機関と異なり、卒業後わずか20歳あまりで高等官(予科入校後は本科に進み卒業後は極短期間の見習士官を経て陸軍少尉に任官すると高等官八等)になれる陸士は魅力的で、全国の旧制中学校の秀才を集めた。第一高等学校・第三高等学校・陸軍士官学校・海軍兵学校の難関4校は「一高三高陸士海兵」と並び称された。また、資金難など生活面から旧制高校や大学予科などの上級学校に進学できない、ないし旧制中学を途中退学せねばならない家庭の子にとって、授業料なく無償で高等教育(第二次世界大戦後は旧陸士卒業生の進学等では、短期大学相当の教育程度と認定されている)を受けられる陸士は憧れの的であった。なお、国民生活が比較的豊かになった1930年代末頃においても、旧制中学進学率は全体の8%程度であり(旧制中学校進学率)、大半の国民は高等小学校・青年学校で終了し旧制中学を含む旧制中等学校へは進学出来なかった。大日本帝国においては旧制中学時点で既に一握りの恵まれた存在であり、旧制高校は純然たるエリート、旧制大学に至っては雲上の存在である。陸士(および海兵)は将校たる軍人を養成する教育機関であることから、実質学力のみが重視される旧制高校と異なり、相応の身体能力や精神力が求められ、学力試験と共に厳格な身体検査や身辺調査をもパスする必要があるため相応ないしそれ以上の難度があった。一方で、支那事変(日中戦争)以降は陸士・海兵共に採用人数を増員しているため、相対的に入校難度は低下している。 なお、陸士および海兵を指してその入校難度が短絡的に「現在の東京大学並」とされることがあるが、これは当時と戦後とでは学制が大きく異なるため不適当である。あくまで陸士・海兵は当時の学制では旧制高校相当であり、旧制大学たる東京帝国大学とは明確に位置付けは異なる。陸士・海兵と並び称されていた第一高等学校(一高)が、第二次大戦後の学制改革によって「東京大学の教養学部前期課程(2年間)」の母体となっているだけである。他の旧制高等学校も多くは新制大学の教養部の母体となっている。次の資料によると、明治時代はそれほど難易度は高くなかったようである。「陸軍士官学校へは、如何なる成蹟の卒業生が行くか」と中学校長に聞くと、皆口を揃へて曰ふに、「成蹟の優等のものは大概高等学校へ行くので、四方の入学試験に落第した者か、さなくば、第二流以下のものが、士官学校へ行く、最も中には、殊に軍人を好むものもあれど、それは大概海軍兵学校の方を喜ぶ、陸軍を非常に好む生徒と、海軍兵学校へは入学し得ない者で、学資の少くない者とが、陸軍士官学校に行くと答へる、これが事実とすれば、聊か心細そい次第だ。— 「二二、動物主義と形式主義」、青木龍陵『兵営生活』金港堂、1903年(明治36年)。├├第37話:USA第51州の実態【日本という怪しいシステムに関する一見解】(初稿1999.10.29)平成15年5月16日改定 鳥越恵治郎(H26年4月17日一部改定)昭和43年私が井原高校を卒業する時、既に幻想でしかなかったかもしれないが、日本には形を成した家庭があり学校があった。ヒューマニズムもフェミニズムも適度だった。いじめはあったがかわいいものだった。みんなに機会平等を保障してくれた寛容で優しい社会があり国家があった。世界に誇る工業技術があった。貧しくて不自由ではあったが実在し躍動する生命感も夢も希望もふんだんにあった。 行政官はnoblesse oblige(高い身分に伴う道徳上の義務)を気高くもっており清廉だった。検察は汚職に薄汚れた政治家の圧力に屈することなく容赦なく巨悪に迫った。2003年(平成15年)に井原高校は創立100周年を迎えるという。私はこの拙稿で、ある一面的な見方でしかないだろうが、限られた文字数の中に現在の日本の有様について、できるだけ多くのことを簡潔に詰め込んで記述してみたかった。そのことは同時に私にとっての35年のへだたりを「現実・夢・希望」をキーワードに書くことにもなった。書き終えて私の心は憂うつになってしまった。私はこの心のくもりが晴れ上がる日を身をこがすような想いで心待ちにしている。井原高校の卒業生の皆様に、そしてこれから卒業しようとする若ものたちに、新しい日本の礎となって欲しいと切実に願っている。鳥越医院院長鳥越恵治郎(とりごえけいじろう)先生昭和51年岡山大学医学部卒業、岡山大学附属病院麻酔科研修医、愛媛大学医学部付属病院麻酔科助手、クワヤ病院(高松市)、藤原病院(南国市)、共立病院(西条市)勤務を経て、昭和59年鳥越医院開業、元井原市医師会長。昭和57年よりAI診断、病名思い出しツールを開発 現在に至る。鳥越恵治郎、他:内科領域におけるコンピュータ診断の試み.日本医事新報 No.3131:29-31.1984.├├何故海軍兵学校・陸軍士官学校は東大を凌ぐ程難関だったのですか?... - Yahoo!知恵袋東大に並ぶ頭の良さが必要と言うよりも、結果としてそういう人が集まった。終戦後、卒業前の生徒たちの半数が東大や京大に試験を受けて入り直したことからも秀才ぶりが伺われる。├├【第1章】陸軍将校を育てる陸軍の中学校 陸軍幼年学校 伊室 一義 KAZUYOSHI IMURO | MYWAY昭和17(1942)年4月1日、私は東京陸軍幼年学校に入校した。第46期生として、である。陸軍幼年学校は、仙台、東京、名古屋、大阪、広島、熊本の6校があった。入学試験のとき、そのうちの2校を志望先として書けと指示されたので、私は家から近い順に、第一志望を名古屋、第二志望を大阪にした。ところが、わが家に届いた合格通知には、「東京に入校せよ」とあるではないか。これには驚かされた。理由は皆目わからないが、正式な書類にそう書いてあるのだから、これに従うしかない。伊賀上野という山国に育ち、なにせ小学校3年生まで海を見たことのなかった田舎少年である。東京陸軍幼年学校はいまの新宿区の戸山にあった。昭和19年3月、八王子郊外への幼年学校移転の話を知らされる。いつ空襲に遭うかもしれない戸山台では勉強にも専念できないという理由での、いわば疎開である。生徒たちの精神的な動揺を鎮静させる目的もあったと推測される。全校を挙げて急ピッチで物品搬出作業を進め、大分の積み荷と生徒を乗せた自動車26台を連ねて、八王子新校舎への移転が完了したのが3月20日。同じ日、新校長とし長谷川務少将が着任された。東京幼年学校、最後の校長である。翌年(昭和20年)の8月1日、八王子(正確にはその郊外の横山村)の東京幼年学校(通称は建武台)は、終戦間際に大規模な空襲に見舞われている(私たち46期生は既に卒業し、大半が陸軍予科士官学校に在学していた)。なぜ八王子の幼年学校が狙い撃ちされたのか。「幼年学校には軍人の子弟が多かったから」というのがその答えのようだ。私の同期にも、陸軍大将、東部軍管区司令官、陸軍省報道局長などといった陸軍のエリートや高級将校の子どもが実際にいて、それ以外にも大半が軍人の子弟と言ってもいいほどだった。つまりアメリカ軍は、軍国主義日本の士気を崩壊させるための一つの戦術として、「子どもが死んだからもう戦争は止めようや」と思わせるように軍人の子弟の多い軍学校の攻撃を考えていたわけだ。├├【第1章】昭和20年8月29日、私たち61期生を最後に陸軍予科士官学校は解散となり生徒全員は復員 伊室 一義 KAZUYOSHI IMURO | MYWAY 陸軍幼年学校は、仙台、東京、名古屋、大阪、広島、熊本の6校があった。入学試験のとき、そのうちの2校を志望先として書けと指示されたので、私は家から近い順に、第一志望を名古屋、第二志望を大阪にした。ところが、わが家に届いた合格通知には、「東京に入校せよ」とあるではないか。これには驚かされた。理由は皆目わからないが、正式な書類にそう書いてあるのだから、これに従うしかない。伊賀上野という山国に育ち、なにせ小学校3年生まで海を見たことのなかった田舎少年である。 昭和17(1942)年4月1日、私は東京陸軍幼年学校に入校した。第46期生として、である。 東京陸軍幼年学校はいまの新宿区の戸山にあった。昭和19年3月、八王子郊外への幼年学校移転の話を知らされる。いつ空襲に遭うかもしれない戸山台では勉強にも専念できないという理由での、いわば疎開である。生徒たちの精神的な動揺を鎮静させる目的もあったと推測される。全校を挙げて急ピッチで物品搬出作業を進め、大分の積み荷と生徒を乗せた自動車26台を連ねて、八王子新校舎への移転が完了したのが3月20日。同じ日、新校長とし長谷川務少将が着任された。東京幼年学校、最後の校長である。翌年(昭和20年)の8月1日、八王子(正確にはその郊外の横山村)の東京幼年学校(通称は建武台)は、終戦間際に大規模な空襲に見舞われている(私たち46期生は既に卒業し、大半が陸軍予科士官学校に在学していた)。「親子焼夷弾」が陸幼めがけて3万発落とされ、低空飛行による攻撃といい、まさに幼年学校は狙い撃ちされた。この空襲によって、校舎は全焼し、残念なことに10名の生徒と下士官が死亡した。だが、当時の全校生徒が880名だった。焼けた陸幼を見舞いに行ったときに聞いた話では、この空襲の際に、I少佐という週番士官が中心となって、咄嗟の判断で生徒全員を避難誘導したという。通常なら「火を消せ」と生徒を動員するところを、「消すな、逃げろ!」と生徒たちを逃したのだ。なぜ八王子の幼年学校が狙い撃ちされたのか。「幼年学校には軍人の子弟が多かったから」というのがその答えのようだ。私の同期にも、陸軍大将、東部軍管区司令官、陸軍省報道局長などといった陸軍のエリートや高級将校の子どもが実際にいて、それ以外にも大半が軍人の子弟と言ってもいいほどだった。つまりアメリカ軍は、軍国主義日本の士気を崩壊させるための一つの戦術として、「子どもが死んだからもう戦争は止めようや」と思わせるように軍人の子弟の多い軍学校の攻撃を考えていたわけだ。 昭和12(1937)年以降の幼年学校卒業生は、陸軍予科士官学校に無試験で進学できた。当初は中国戦線が拡大傾向にあり、さらに太平洋戦争が始まって2年ほど経つと戦局はますます厳しくなって、兵隊はもちろん将校の総数も不足してきたからだ(いわゆる学徒出陣は昭和18年10月に始まっている)。通常、陸軍士官学校本科を陸軍士官学校(市ヶ谷から神奈川県座間町に移転。通称は相武台)とだけ呼び、予科を陸軍予科士官学校と呼ぶようになったのは、このときからである。私は61期生としてここに入学することになる。朝霞の予科士官学校には何故かB29は焼夷弾を落とさなかった。一度だけ割りに低空を飛んできたB29がトントントンと爆弾を落としたことがあり、防空壕で生き埋めになった犠牲者が出たが、大方は朝霞の上空でUターンして帰って行った。これは後で知ったことだが、彼らは朝霞の予科士官学校を残し、それを占領後の駐留地として利用するという計画を立てていたようだ。その後、実際に朝霞はアメリカ軍のベースキャンプとして活用され、さらに自衛隊の朝霞駐屯地として生まれ変わっている。 幼年学校は陸軍の幹部将校を早期から純粋培養する学校である。中学のように一般教科も教えるが、さまざまな軍事敎育・教練に重点が置かれる(見方を変えれば、ある種の“洗脳教育”とも言える)。中学卒業者に比べて、3年も早く軍隊の教練や知識を積んできているのだから、予科士官学校の敎育現場で優位に立つことも少なからずある幼年学校卒業組の中には、3年の違いを嵩に来て中学卒業組を見下したりする者が出てくる。教科においては優秀な生徒も多い中学組は、当然のことながら、幼年学校組に対して反発する。実は、士官学校では、予科でも本科でも、そんなことが原因で幼年学校組と中学組が対立することがあった。そういう事態を見越してのことだろうか、東京幼年学校の湯野川校長は東幼在学中に私たちに向けて厳しく言明されていたことがあった。それは次のような教えだ。「お前たちは、予科に上がっても、幼年学校出身であることを決して鼻にかけてはならない。中学出身者に対して絶対に威張ったりせず、何ごとも親切に教えてやれ。いいな!」。 予科士官学校では、入学後の早い段階で自分の志望兵科を決める。その兵科における将来の陸軍将校としての自己イメージをしっかりとつくり、目的意識を持って勉学に励むためである。陸軍でエリートコースを行く者は、東京幼年学校から士官学校へ行き、兵科は砲兵か騎兵(何と言ってもかっこ良かった)を選択することが多かった。そして少尉に任官後陸大に進み、陸大を卒業して参謀となる。しかし緊迫した戦況の下では、こんなエリートコースのことなど考えることすらできなかった。もちろん私は航空兵科を選んだ。その志は、幼年学校を志望した時からのものだ。それどころか、航空志望の思いはいよいよ強くなっていた。戦局の厳しさへの認識が、私の背中を押していたと言っていい。入校後3か月ぐらい経ったところで(7月)、航空適性検査があり、私は「甲種」合格となった。そして希望通り航空兵科(戦闘機乗りだ!)に選ばれた。この時はさすがに誇らしげな気分になったものだ。もちろんそれは、特攻隊への道をひた走りに走るということを意味していた。 相次ぐ編成替えや空襲警報に翻弄され、実際の予科士官学校での生活も5か月ほどしかなかったこともあって、士官学校時代で勉強や訓練に進んで勤しんだという具体的な記憶はあまり残っていない。昭和20年8月14日。その夜、消灯後に東幼出身のY君が私のところに忍び込んできて、興奮気味に話し始めた。「明日、日本は降伏する。われわれ士官学校生徒は、捕まれば銃殺刑になる。どうせ死ぬなら一人でも多くのアメリカ人を殺して死のうじゃないか?」私は直ちに同意。兵器庫に忍び込み、拳銃と弾丸200発を盗み出し、貯金通帳と両親の写真を胸に、深夜学校を脱柵したのだった。夜道を延々と歩き、未明に飯能あたりの農家を訪ねて朝食をご馳走になった。農家は総じて早起きであり、士官学校の生徒となると歓迎された時代だ。敗戦を知らない農家の方々からは、親切なもてなしてと「ご苦労さまです。武運長久を!」という激励の言葉をいただいた。ところが、農家を出発しようとしたそのとき、自分が飯盒を忘れてきたのに気がつき、私一人が学校へ引き返すことにした。「飯盒を忘れたぐらいで」と思うだろうが、本土決戦が持久戦になることも考えのうちだったので、飯盒は武器に次いで大事な装備の一つなのだ。士官学校に到着し、塀をよじ登って校内に飛び降りたときのことだ。背後からの突き刺すような声で、「誰か!」という誰何すいかを受けた。何と、士官学校生徒が50メートル間隔で歩哨に立ち、不法侵入者を見張っていたのである。「われわれは実弾を込めているぞ!」という叫び声を聞き、私は経験したことのない切迫感を覚え、反抗の術もなく逮捕されてしまった。そして、何としたことだろう、重営倉1日の刑を受けてしまったのだ。クーデター計画は未遂に終わったが、当時、陸軍内は血気盛んな本土決戦派が多かった。このことを知っていた阿南惟幾これちか(かつての東京幼年学校校長である)陸軍大臣は、本心では一日も早い和平を望みながらも、混乱を避けるため最後までボツダム宣言受諾に踏み切れなかった(最終的に閣議でポスダム宣言受諾に賛成の後、宮城事件の最中に陸相官邸で自刃)。反乱将校の一部は宮城にも侵入したが、首都の鎮圧に当たった田中静壱東部方面軍管区司令官(大将)に説得され、原隊に復帰した者もいるが、中心的役割を演じた将校たちは宮城前で自決した。昭和20年8月29日、陸軍予科士官学校は解散となり、私たち生徒全員は復員することになった。4月の入学以来ほんの5か月の間だったが、帝国日本が沈んでいくその様を、まがりなりにも陸軍内部の空気から感じることができた。しかしこの敗戦直後、自分たちがめざした陸軍が解体され、士官学校が解散になった瞬間、学友たちの多くは、生きる目標を失って茫然自失した者が多かった。私も、そのうちの一人にすぎなかった。私たち幼年学校46期生は予科士官学校では最後の61期である。もちろん実弾の下を潜ったことはない。しかし、森本秀郎さん(幼年学校の4年先輩の42期生)のレイテ沖海戦での戦死(特攻隊第1号であることは前に述べた)のように、実際に私たちが身近に接した先輩には、戦争末期の過酷な戦闘の中で命を落としていった人が実に多い。ちなみに、航空士官学校に行った森本さんの同期では、ほぼ半数が戦死している。昭和20年3月26日に始まった沖縄戦において、Yさんは特別攻撃隊の戦闘機編隊を先導する新司偵に乗っていた。沖縄の近海、敵艦隊に接近したところで特攻編隊から離れ、上空から戦闘状況を見きわめるということが、このときの偵察機の任務だった。特攻機が敵艦に何機当たったか、当たった特攻機が撃沈した敵艦は何隻か、撃沈しないまでも与えた損害はどれくらいか等々、その実際の戦況をつぶさに記録し、帰還後に報告するのが仕事だ。つまりYさんは、よく見知った部下や仲間が敵の戦艦や空母に体当たりする苛烈な光景の一部始終を、上空を旋回しながらずっと見ていなければならなかった。そこには、敵艦に“見事”体当たりを果たせる特攻機もあれば、敵艦をめがけるその途上であえなく艦上射撃に撃ち抜かれ、爆発して空中大破する機もある。キリモミしながら海面に激突する者、敵艦まであと一歩のところまで接近しながら海中に消えていってしまう者…。「あの機はあいつだ!」、「あいつが体当りしたぞ!」「だめだ、やられる!」…。自分は戦闘に加わるのではなく、多くの、そしてさまざまな死の形をただただ見ていなくてはならなかったのだ。Yさんは、サイパン空襲のときも(サイパンからの空襲を知っている人は多いが、サイパンを空襲したことを知っている人は少ない)沖縄戦とほぼ同様の任務に就いている。本土から飛び立った新司偵は、そのときは爆撃機の編隊を先導していた。給油のために一旦硫黄島に立ち寄り、そこからサイパンに向けて飛行を続ける。爆撃機編隊の任務は、サイパン島に上陸したアメリカ軍への空襲である。そしてYさんは、各爆撃機が敵にどのような損害を与え、その損傷はどの程度かを見きわめるために、上空からすべての戦闘を冷静に観察していなければならないのだ。冷静と言っても限度がある。冷静さをずっと維持したままで、つい昨日まで苦楽をともにしてきた部下や仲間の機が撃ち落とされる様を、ずっと記録し続けることなどできるものではない。任務遂行中も心は大いに揺さぶられ、帰還の最中にも、減ってしまった編隊機の誘導を陰鬱な気持ちで続けなければならなかった。幼年学校の大先輩では、もう一人、東幼6期生(陸士21期生)の飯村穰ゆずる中将のことを思い出す。彼は昭和16年1月に参謀本部総力戦研究所の所長に就任し、その8月、日米が戦った場合の綿密なシミュレーション(いわゆる「総力戦机上演習」)の作成を指揮した人物である。このシミュレーションの最終結論は次のようなものだった。「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に青国(日本)の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」要するに、「日本必敗」の結論が導き出されたのだ。ところが、当時の東条英機陸軍大臣(第3次近衛内閣)は、これを「机上の空論」として一蹴したのである。├├【第1章】旧制三高編入試験をロシア語の単語を間違えて失敗 伊室 一義 KAZUYOSHI IMURO | MYWAY 高等学校の編入試験を受けてみろと第三高等学校の編入試験を受けた。昭和20年の11月。試験と言っても、学科試験は口頭試問だけだった。 17歳の私は、茫然自失として朝霞の陸軍予科士官学校を後にするしかなかった。 故郷に舞い戻ると母は言った「番茶も出花だよ、これから、これから!」父が笑いながら言った。「弾丸は確かに外れたな。良かった、良かった」 幼年学校入学以前に鑑定してもらった名古屋の易者先生の言葉通り、弾丸の“たの字”にかすりもしなかったわが生還に歓喜してくれているのだ。├├【第1章】めでたく東京大学文科Ⅰ類に合格 伊室 一義 KAZUYOSHI IMURO | MYWAY├├【第1章】そうだ、もう一度、学校へ行き直そう 伊室 一義 KAZUYOSHI IMURO | MYWAY├├【第1章】専門学校受験検定を無事通過 晴れて旧制静岡高校に入学 伊室 一義 KAZUYOSHI IMURO | MYWAY専門学校受験検定を無事通過 晴れて旧制静岡高校に入学昭和 22(1947)年の秋、12科目の検定試験を一つも落とすことなく、専門学校受験検定(専検)の試験にめでたく合格した。どこの高校を受けようかという段階になって、はたと考えてしまった。三高と八高は以前すでに落とされているし、二度目の受験となると記録が残されているわけだから、例の「軍学徒の一割制限」のチェックに引っかかる可能性もある。専検の合格資格を全面に出しての受験とは言え、このカモフラージュが見破られないとは限らないのだ。と言って、一高は受験レベルが高くて当時の私にはむずかしい。あまり遠い地方に行くのもいやだし、などと考えた挙句、実家と東京とのちょうど中ほどに静岡高校があることに気づいた。下見に行ってみると、静岡の街は空襲でほとんどで焼け野原だったが、賤機山の麓にある静高の校舎は戦災を逃れて厳然と建っていて、私はすぐに惚れ込んでしまった。受験の難易度や勉学環境の問題からだけでなく、当時の東京帝大への進学率が、官立の旧制高等学校の中では一高と浦和高校に次いで3番目であることも、将来のことを展望すると一つの判断材料となっていたかもしれない。入学試験を受けてみると、これが専検に比べてむずかしいとは感じなかった。試験が終了した瞬間に、「これは受かったな」と確信したほどだ。もちろん結果は合格だった。昭和23年の4月、旧制静岡高等学校(以下、静高)に入学。自分の前途は洋々たるものという気分で、門を潜った。ところが、である。待望の高校生活を満喫しようとした矢先、愕然とするような事実が私を待ち受けていた。教員の中に幼年学校で数学を教わったK先生がいたのだ。例の「軍学徒一割制限」というマッカーサー指令は、当時、絶対的なものだったから、もし軍学徒だった自分の素性がバレたら退学になる。そうなれば、戦後に味わった全ての苦労は水泡に帰してしまうではないか。わたしは強く危惧した。授業中は絶対にK先生の顔を見ないように視線を外し、極度に緊張しながら授業を受けていたが、そのせいで、得意であるはずの数学にはあまり身が入らなかった。そこで2学期の試験のとき、とうとう堪えきれなくなって、答案用紙の末尾に「お懐かしゅうございます」と書いてみた。私としては、本心からの表敬のつもりだった。するとどうだろう。なんと先生は100点をつけて下さったのだ。K先生はとっくに私の存在をわかっていてくれたに違いない。武士の情けと言うべきだろうか、それとも理不尽なマッカーサー指令を快く思っていなかったのだろうか。遂にその真意を聞く機会を逸したが、まさに感謝あるのみだった。以来、数学の授業にはことのほか身が入った。静高時代、私は「不二寮」という自治寮に入り、これまでに経験したことのない自由を味わった。旧制高校の寮は、軍の学校とは格段に違って自主性を重んじ、優秀な友人から実に新鮮な刺激を受けつつお互いに成長していく、きわめて理想的な教育環境だった。そこで生涯にわたる友人を何人も得ることになるのだ。原田君はその最初の一人だった。とりわけ寮生活で親交を温めたのは、佐治俊彦君(のち毎日新聞社常務取締役)、芝康平君(のち東京機械製作所社長)、若林孝雄君(医師)、渡辺文雄君(のち俳優)といった面々だ。これに、若杉和夫君(のち通産省審議官)、田口英爾君(のち青東社社長)が加わって、私の高等学校以後の厚い交友の物語が成り立つ。旧制高等学校の自治寮で寝食をともにする意義はすこぶる大きかった。昭和23年当時、まだ敗戦直後の高等学校の寮の建屋などはおそろしくオンボロ。戸や窓はガタガタで、すきま風が吹き込む実にお粗末なものだった。しかし、そこは何の気取りもない、文字通りの“裸の付き合い”から真の友人関係が培われる世界だ。しかも日本中が食糧難の時代である。家を離れて生活する高校生にとって、寮で与えられる食事は見事なくらいお粗末で、量もきわめて少なかった。まともな白飯は夢のまた夢。丼に直経2センチほどのジャガイモが20個ほどしかないという夕食もあった。しかし、本来は食べ盛りの男子ばかりである。これでは持たないと思い、私は田舎へ帰って米や野菜などを担げるだけ担いで運んだ。それは、誰もが認知する、食料生産地出身者の重要な役割だった。実家から持ち帰る大量の食糧とともに静岡駅に到着すると、飢えた学友たちは歓喜して迎えに来てくれた。もちろん真に歓迎されているのは、私の存在以上に、米であり、野菜であることは明らかだった。空きっ腹が人間関係を大いに近づけたのである。カレーの臭いが漂い始めると必ずどこからともなく渡辺文雄が私たちの部屋に入ってきて、ものも言わずに文字通り黙々と食べ続ける。彼は常に胸のポケットにフォークを忍ばせているので、とにかく素早かった。遠い実家から苦労して運んできた食材である。私が「もう少しゆっくり味わってくれよ」と言うと、「ボリューム、ボリューム」と言い返しては早食いするので、それ以来、彼の渾名は“ボリューム”となった。味は二の次で、腹をいっぱいに満たすだけのボリュームを確保することが、何より先決の時代だったのだ(この渡辺文雄は、その後、「くいしん坊!万才」というTV番組に登場するのだから、人生は面白いものだ)。佐治や原田のような中学4年修了で高等学校に入学してきた優秀な生徒は、中学時代に積み重ねてきた圧倒的な読書量によって、議論を投げかけてくる先輩を見事に論破してしまうこともある。軍学校時代にそんなに本を読んでこなかった私などは、気持ちの上では佐治たちを応援しつつ、その論戦を固唾を飲んで見守るしかなかった。それ以来、「なるほど、要は読書か」と思った私は、理論武装のために哲学研究部というサークルの門を叩き(単純な発想だったが)、カント、ヘーゲル、マルクス、マックス・ウェーバー、三木清等々と読み進めた。とは言え、三木清のような日本の哲学は比較的スムーズに頭に染み込んでくるが、難解な翻訳文の西洋哲学には歯がたたないものも多かった。しかし面白いもので、理解に難渋する数行を何度も何度も読み返したり、先輩や友人と「ああだこうだ」と会話したりしているうちに、ある瞬間にピカッと閃き、その文章の意味がストンと腑に落ちてくることがある。一度この快感を味わうとその先をもっと読みたくなり、理解が進むとほかの誰かと議論がしたくなって、夜の寮生の集いが待ち遠しくなるのだった。夜の寮生の議論大会に、同級生だけでなく、先輩たちがなだれ込んでくることもあった。その大半が共産党のオルグで、パルタイ(党)への勧誘がその主流を占めていた。彼らの説得論理はこうだ。「同じ年頃の青年たちは、みんな工場で油まみれで働いているのに、こんなところでのうのうと勉強なんかしていていいいのか?」「共産党に入れば、そういう貧しい人たちを救えるんだよ。入党しないか?」のうのうと勉強しているのはその先輩たちも同じではないかと思ったが、彼らの言い分にはうなづけるところもあった。戦後の混乱期の中で、貧しさのために働き詰めに働かざるをえない同世代の若者のことを、気にしていないと言えばウソになる。それを考えれば、自分たちはもっとしっかり勉強して、彼らを貧困から救い出す方法を考え出すべきではないか。いま思えば傲慢な考え方ではあるが、まだ稚拙な社会通念しか持ち合わせていないせいもあって、次第に先輩たちの言うことが正しいかもしれないと洗脳されかけた瞬間もあった。しかし先輩たちがあまりにしつこく「入党しろ、入党しろ」とオルグするので、最後には辟易して口を利く気にもならなくなってしまった。彼らの説得工作がもう少しうまかったら、その後の私もどうなっていたかわからない。実際、彼らの考え方に共鳴して入党し、その後、党幹部から政治家になった寮生もいたからだ。親友たちの後押しで無事及第点 新制東大第1期生となる昭和22(1947)年3月に制定された学校教育法によって、新制のいわゆる「6・3・3・4制」の導入は始まっていたが(学制改革)、新たな学制に完全に切り替わる昭和28(1953)年3月までは学年によって旧制と新制が入り混じることになる。その混乱を防ぐため、学年の段階に応じてさまざまな経過措置が取られた。この経過措置の中で、24年3月時点での1学年修了者に限って新制大学の入学試験の受験資格が与えられることになったのだ。ということは、もし私がこの年に単位不足で1学年を落第してしまうと、その時点で大学受験資格も失ってしまうことになる。しかも、次年度には旧制高校が廃止になるので、ここで落第すると新制高校生として1学年からやり直さなければならないのだ。私の単位不足の可能性を聞きつけた親友たちは、実に親身になって心配してくれた。そして、こぞって担任に願い出てくれたのだ。彼らはビッテン(bitten)と称し、噛みつくような勢いで先生に掛け合ってくれた(bitten とはドイツ語で“頼む”、“求める”、“問う”などを表す動詞)。「伊室の2学期の成績の6割を3学期の成績として与えてやって下さい。彼の実力が落第するほど下がっているとは思えません! お願いします!」私は涙がでるほどうれしかった。この親友たちのお蔭で、私はクラスのお尻から2番目の成績をもらうことができた。ぎりぎりの点数で何とか1学年の修了が叶ったのである。人によって多少の差はあるだろうが、旧制高等学校が持っていた特有の「自由・自治」の空気を謳歌してきた者は、在学中の体験を “良き思い出”として持っていることが多いと思う。もちろん、私もその一人だ。少なくとも敗戦後から新制に変わるまでの間、旧制高等学校における独立自治の気風はその後に類を見ない稀有のものだった。GHQもこの旧制高校の長所を学制改革によって新制高校に引き継がせようとしたようだが、一度壊したものは学制改革によっても再生することはなかった。 私は、この旧制高校の奔放な空気の中でこそ、敗戦直後の重苦しかった精神状態から一気に解放され、生涯にわたる多くの親しい友人たちを得ることができた。そして、戦前の陸軍幼年学校や予科士官学校で培われた精神力や体力とは別の意味で、自分の中の人間性を豊かにしていくための感覚を体得したように思える。ほんの1年間にすぎないが、私のその後の生涯にとってかけがえのない珠玉の1年間だと言っていい。その大切な1年間を親友たちの後押しで修了することができた私が、次に踏むべきステップは大学入試である。大学もこの年から旧制と新制が同居することになるのだが、私たちの学年が入ろうとするのは、もちろん文字通りの新制の方だ。ただ、多くの友人が新制東京大学の第1期生の入学試験を受ける流れができていたので、私もそれに乗って受験した。結果は合格だったが(ちなみに文科Ⅰ類、法学部コースだ)、きっと高校時代の内申書はあまり問題にはされなかったのだろうと、私は密かに思っていた。ところが私の友人の一人に珍事が起きた。ここでの主人公は、私が寮で作ったカレーを「ボリューム、ボリューム」と言っては早食いを決め込んでいた渡辺文雄である。合格発表の日、私は渡辺と一緒に連れ立って大学まで見に行った。すると掲示板には、私の名前も渡辺の名前もちゃんと書かれている。「やったな!」と二人は笑みを浮かべて握手をし、合格の書類をもらって校門を出た。そしてそのまま、道玄坂まで足を伸ばし、祝杯を上げたのである。ところが翌日、その渡辺が浮かぬ声で電話をしてきた。「おい、俺、実は落っこってたんだ。間違いだったんだよ」と言うのである。聞けば、同姓同名、漢字表記も同じ、もう一人の渡辺文雄が合格で、ボリュームこと渡辺文雄は残念ながら不合格だったというのだ。誰もが落ちるはずはないと思っていたのだから、渡辺の意気消沈ぶりは尋常ではなかった。このとき、「そうか、せっかく道玄坂でお祝いしたのに…、残念だったな」とは言ってみたが、それ以上の慰めの言葉が出なかった。もう一人の渡辺文雄”(合格した方の渡辺)と入学後の大学構内でばったり遭遇したのだ。同年入学で同級生になったのだから、いつかは出食わすだろうとは思っていたが、対面した瞬間にはその男が“件の渡辺”であることなど知るはずもない。すると向こうから「伊室さん、お久しぶりです」と声をかけてきたのだ。見覚えはあるが、名前が思い出せない。「渡辺ですよ、東京幼年学校で1年後輩だった、渡辺です」「おー、そいつは奇遇だ」と声を発したところで、「まさか」と思い聞いてみた。「で、渡辺君…、君…、下の名前は何て言ったかな?」「いやだなー、お忘れですか、渡辺文雄ですよー」私は驚いて声を上げた。 彼によれば、合格発表で自分の名前を見つけて意気揚々と大学の事務所まで足を運んだはいいが、既に渡辺文雄という人物が合格通知と書類を持って行ったと告げられたという。「あなたが合格した渡辺文雄さんということなら、何か証明するものがなければねぇ」と、合格した本人なのに冷たくあしらわれたのだ。「そのときは身分証明になるのは持っていかなかったし、その後の手続にえらい苦労させられましたよ」 この合格した方の渡辺文雄は、卒業後は農林省に入り、水産庁長官などを歴任してから、農林水産次官を経て、栃木県知事(確か4期務めた)になった男だ。彼にしてみれば、確かに気の毒といえば、気の毒な話だったと言える。 東大第1回生の入試には失敗した方の渡辺文雄は、翌昭和25年、今度は文科Ⅱ類(経済学部コース)を受けで見事合格している。そして、彼とはその後も親しい付き合いが続いた。├├【第1章】安田火災での面接試験 伊室 一義 KAZUYOSHI IMURO | MYWAY安田火災の入社試験は合格私という人間を率直に伝えるということが一番大事だと思い、とっさに語気強く答えた。「私は、暴力で会社をこわすようなことはしません。人の意思に反して無理矢理に大衆動員をかけるような今日の左翼のやり方にも反対です」実はこのとき思い出していたのは、旧制静高で共産党シンパの先輩からかなりしつこく入党を勧められた光景だった。あの夜の学生寮での先輩のしつこさは、私の身体に反発心を覚えさせるほどのものだったので、そのトラウマによる左翼イメージ対する強い反応のようなものが、この社長面接で期せずして吐出されてしまったのだ。私のあまりにはっきりした物言いに、社長は目を丸くしていたが、隣に控えていた人事課長は、何やら不思議な笑みを浮かべていた。結論から言ってしまうと、この安田火災の入社試験は合格となった。決して思想的に問題のないことが証明できたわけでもないのに、である。何が合格の決め手になったのか、入社後も確かめることはしなかった。
2025年01月05日
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計量計測データバンク ニュースの窓-331-経済産業省 幹部名簿 2025年10月21日現在├計量計測データバンク ニュースの窓-331-経済産業省 幹部名簿 2025年10月21日現在├国家公務員・中央省庁幹部名簿一覧国家公務員・中央省庁幹部名簿一覧├計量計測データバンク ニュースの窓-303-経済産業省 幹部名簿 2025年7月7日現在├├経済産業省2025年10月21日付幹部の異動と10月21日付経済産業省幹部名簿(計量計測データバンク)├計量計測データバンク ニュースの窓 目次├経済産業省2025年10月21日付幹部の異動と10月21日付経済産業省幹部名簿(計量計測データバンク)├├経済産業省幹部異動履歴(2025年10月21日付、ほか7月1日付、7月5日付、7月6日付、7月7日付、9月30日付、(10月21日付))(2025/10/22 経済産業省幹部名簿/METI Officials List)(https://www.meti.go.jp/intro/data/pdf/list_ja.pdf)経済産業省幹部名簿は人事異動に伴って「2025/10/22 経済産業省幹部名簿」が更新されます。下欄の名簿は2025/10/22公開の経済産業省幹部名簿です。(計量計測データバンク編集部)10月21日付松山泰浩 2025年日本国際博覧会協会運営基盤調整統括室長兼会場運営局長→官房政策立案総括審議官 兼 首席国際博覧会統括調整官茂木正 官房政策立案総括審議官 兼 席国際博覧会統括調整官→内閣官房内閣審議官 兼 内閣官房長官秘書官事務取扱筑紫正宏 電力基盤整備課長→大臣秘書官事務取扱井上博雄 首相秘書官→官房付荻野洋平 城内国務大臣秘書官事務取扱→官房付曽根哲郎 伊東国務大臣秘書官事務取扱→官房付西川和見(官房サイバー・セキュリティ情報化審議官 兼 経済安全保障政策統括調整官兼半導体戦略統括調整官)→兼 官房政策統括調整官=製造産業局担当添田隆秀 大臣秘書官事務取扱→電力基盤整備課長香山弘文 官房審議官=製造産業局担当兼官房政策統括調整官=重点政策高度化担当兼経済安全保障政策統括調整官→首相秘書官宮井彩 文化創造産業課文化創造産業海外需要開拓室長兼文化創造産業企画調整官→小野田国務大臣秘書官事務取扱尾坂北斗 通商政策企画調整官→内閣官房副長官秘書官猪又真介(地域産業基盤整備課長)→兼 地域産業基盤整備課工業用水道計画官川口征洋 2025年日本国際博覧会協会運営統括室担当部長 兼 広報・プロモーション局担当部長→貿易振興課長佐久秀弥(資源エネルギー庁電力基盤整備課電力流通室長)→兼 資源エネルギー庁電力基盤整備課電力供給室長吉川尚文 貿易振興課長→辞職・国際協力機構理事へ北沢善幸 地域産業基盤整備課工業用水道計画官→辞職岩男健佑 資源エネルギー庁電力基盤整備課電力供給室長→辞職長窪芳史 資源エネルギー庁電力・ガス事業部政策課制度企画調整官→退職7月7日付杉江一浩(経済安全保障政策課長)→免兼 情報調査室長日原正視 日本貿易振興機構ベルリン事務所次長→貿易経済安全保障局参事官=経済安全保障担当 兼 経済安全保障政策課情報調査室長中西友昭(イノベーション・環境局総務課長)→免兼 産業技術法人室長鈴木章文 復興庁→産業技術法人室長岩男健佑 大臣官房付→資源エネルギー庁電力基盤整備課電力供給室長矢口麻衣 大臣官房付→ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官植田一全 大臣官房付→辞職・日本貿易振興機構ドバイ事務所中富大輔 資源エネルギー庁電力供給室長→辞職・北海道経済部次長 兼 GX推進局長7月6日付池山成俊 経済産業研究所理事→通商政策局通商交渉官 兼 商務情報政策局商務・サービス政策統括調整官阿部康幸 大臣官房付→辞職・新エネルギー・産業技術総合開発機構ワシントン事務所長田中宗介 大臣官房付→辞職・新エネルギー・産業技術総合開発機構シリコンバレー事務所長7月5日付井上誠一郎 官房審議官=経済産業政策局担当→辞職・経済産業研究所理事へ7月1日付藤木俊光 経済産業政策局長→事務次官佐々木啓介 内閣府官房審議官=経済安全保障担当→総括審議官 兼 首席地方創生担当政策統括調整官藤本武士 消費者庁政策立案総括審議官→福島原子力事故処理調整総括官畠山陽二郎 資源エネルギー庁次長 兼 首席最終処分政策統括調整官 兼 首席GX推進戦略統括調整官 兼 首席エネルギー・地域政策統括調整官 →経済産業政策局長 兼 首席GX推進戦略統括調整官成田達治 総括審議官 兼 経済安全保障政策統括調整官→貿易経済安全保障局長伊藤禎則 資源エネルギー庁省エネルギー・新エネルギー部長→脱炭素成長型経済構造移行推進審議官 兼 GXグループ長龍崎孝嗣 脱炭素成長型経済構造移行推進審議官 兼 GXグループ長 →資源エネルギー庁次長 兼 首席最終処分政策統括調整官 兼 首席エネルギー・地域政策統括調整官河西康之 内閣官房内閣審議官=新しい資本主義実現本部事務局長代理→特許庁長官山本和徳 中小企業庁事業環境部長→中小企業庁次長飯田祐二 事務次官→辞職小野洋太 特許庁長官→辞職新居泰人 福島原子力事故処理調整総括官 兼 首席能登復興担当政策統括調整官→出向・復興庁統括官へ福永哲郎 貿易経済安全保障局長 兼 首席経済安全保障政策統括調整官→出向・内閣府科学技術・イノベーション推進事務局統括官へ飯田健太 中小企業庁次長→出向・消費者庁政策立案総括審議官へ西田光宏 脱炭素成長型経済構造移行投資促進課長→大臣官房付呉村益生 航空機武器産業課長→大臣官房付西川和見 貿易経済安全保障局総務課長→大臣官房サイバーセキュリティ・情報化審議官竹田憲 大臣官房参事官→大臣官房調査統計グループ長大貫繁樹 大臣官房会計課長→大臣官房秘書課長安田篤 イノベーション・環境局総務課長→大臣官房参事官=技術・高度人材戦略担当吉村直泰 内閣官房副長官補付内閣参事官→大臣官房総務課長若月一泰 デジタル庁統括官付参事官→大臣官房会計課長村上貴将 資源エネルギー庁省エネルギー・新エネルギー部政策課長→大臣官房業務改革課長細川成己 産業保安・安全グループ保安政策課長→大臣官房審議官=産業保安・安全、電力・ガス取引監視等委員会事務局担当田岡卓晃 特許庁総務課長→産業保安・安全グループ保安政策課長前田博貴 資源エネルギー庁原子力立地政策室長兼原子力広報室長→電力安全課長森本将史 新エネルギー・産業技術総合開発機構シリコンバレー事務所長→製品安全課長宮本岩男 中小企業庁中小企業政策調整官 兼 地域経済産業政策統括調整官→地方創生担当政策統括調整官 兼 イノベーション・環境局イノベーション政策統括調整官中野剛志 大臣官房参事官→地方創生担当政策統括調整官中村智 大臣官房総務課政策企画委員→産業構造課長鮫島大幸 中小企業庁取引課長→産業組織課長松田洋平 政策調整官=経済産業政策局担当→産業創造課長豊田原 商取引監督課長→投資促進課長日野由香里 産業創造課長→地域経済産業政策課長猪又真介 関東経済産業局総務企画部長→地域産業基盤整備課長高山成年 農林水産省官房輸出促進審議官→大臣官房審議官=通商政策局・農林水産品輸出担当田中将吾 資源循環経済課長→通商戦略課長白井俊行 資源エネルギー庁大臣官房国際課長→欧州課長高木重孝 製造産業局生活製品課長→北東アジア課長藤沢秀昭 大臣官房付→国際経済部長西脇修 防衛装備庁官房審議官→大臣官房審議官=貿易経済安全保障局担当田中伸彦 経済安全保障政策調整官=技術担当→経済安全保障政策統括調整官稲邑拓馬 製造産業局総務課長→貿易経済安全保障局総務課長浅井洋介 投資促進課長→貿易管理課長中西友昭 産業組織課長→イノベーション・環境局総務課長石川浩 日本貿易振興機構シンガポール事務所産業調査員→イノベーション創出新事業推進課長中野真吾 内閣官房副長官秘書官→国際標準課長福本拓也 イノベーション政策統括調整官→大臣官房審議官=脱炭素成長型経済構造移行推進担当清水淳太郎 業務改革課長→脱炭素成長型経済構造移行投資促進課長三牧純一郎 内閣府原子力災害対策本部原子力被災者生活支援チーム参事官→資源循環経済課長畑田浩之 大臣官房参事官=技術・高度人材戦略担当→大臣官房審議官=製造産業局担当玉井優子 経済産業政策局地域経済産業政策調整官→製造局総務課長渡辺宏和 日本貿易振興機構ニューヨーク貿易保険事務所長→生活製品課長木村拓也 資源エネルギー庁省エネルギー課長→航空機武器産業課長金指寿 情報産業課長→商務情報政策局総務課長渡辺琢也 情報処理基盤産業室長→情報技術利用促進課長南部友成 日本貿易振興機構ニューヨーク事務所産業調査員→情報産業課長乃田昌幸 資源エネルギー庁原子力損害対応総合調整官→商取引・消費経済政策課長西川奈緒 国際標準課長→サービス政策課長梶直弘 産業構造課長→文化創造産業課長福田光紀 資源エネルギー庁ガス市場整備室長→ヘルスケア産業課長広瀬大也 新エネルギー・産業技術総合開発機構事業統括部グリーンイノベーション基金室長→生物化学産業課長 浦田秀行 大臣官房審議官=製造産業局担当→北海道経済産業局長横田純一 貿易管理課長→北海道経済産業局資源エネルギー環境部長上野麻子 中国大使館参事官→資源エネルギー庁国際資源エネルギー戦略統括調整官大江健太郎 大臣官房付→資源エネルギー庁長官官房国際課長小林大和 大臣官房秘書課長→資源エネルギー庁省エネルギー・新エネルギー部長那須良 資源エネルギー庁政策課長→資源エネルギー庁省エネルギー・新エネルギー部政策課長福永佳史 北東アジア課長→資源エネルギー庁省エネルギー課長永井岳彦 資源エネルギー庁燃料供給基盤整備課長→資源エネルギー庁資源・燃料部政策課長東哲也 通商戦略課長→資源エネルギー庁燃料供給基盤整備課長吉瀬周作 資源エネルギー庁原子力政策課長→資源エネルギー庁電力・ガス事業部参事官=エネルギー制度改革担当多田克行 資源エネルギー庁原子力基盤室長 兼 革新炉推進室長 兼 原子力技術室長→資源エネルギー庁電力・ガス事業部原子力政策課長吉沢隆 経済産業研究所総務ディレクター→特許庁総務部長降井寮治 内閣官房内閣情報調査室参事官→特許庁秘書課長亀井明紀 公正取引委員会事務総局企業取引課長→特許庁総務課長北村弘樹 特許庁審査第三部長→特許庁審査第一部長小松竜一 特許庁審判部審判課長→特許庁審査第二部長諸岡健一 特許庁審査第二部長→特許庁審査第三部長仁科雅弘 特許庁審査第四部審査長=首席・電子商取引・経営システム→特許庁審査第四部長野仲松男 特許庁審査第一部長→特許庁審判部長黒田浩司 中小企業庁小規模企業振興課長→中小企業庁官房総務課長坂本里和 内閣官房内閣審議官=新しい資本主義実現本部事務局次長→中小企業庁事業環境部長佐伯徳彦 文化創造産業課長→中小企業庁企画課長橋本泰輔 ヘルスケア産業課長→中小企業庁金融課長小高篤志 資源エネルギー庁戦略企画室長→中小企業庁取引課長山崎琢矢 大臣官房総務課長→中小企業庁経営支援部長前田了 電力安全課長→中小企業庁経営支援課長荒木太郎 内閣官房内閣人事局参事官→中小企業庁小規模企業振興課長神崎忠彦 商務情報政策局総務課長→出向・内閣官房副長官補付内閣参事官へ殿木文明 大臣官房審議官=産業保安・安全、電力ガス取引監視等委員会事務局担当 兼 大臣官房調査統計グループ長 →出向・内閣官房内閣審議官=国家安全保障担当 兼 内閣府官房審議官=経済安全保障担当へ下世古光可 地域経済産業政策課長→出向・内閣官房行政改革推進本部事務局参事官へ柏原恭子 国際経済部長→出向・内閣官房内閣審議官へ西森雅樹 特許庁秘書課長→出向・内閣官房観光立国推進室参事官へ田尻貴裕 大臣官房審議官=脱炭素成長型経済構造移行推進担当 →出向・内閣官房内閣審議官=新しい資本主義実現本部事務局次長へ貴田仁郎 中小企業庁官房総務課長→出向・内閣官房新しい資本主義実現本部事務局参事官へ浦上健一朗 大臣官房審議官=国際博覧会担当→出向・内閣府官房審議官=経済財政運営担当へ佐々木雅人 エネルギー・地域政策統括調整官→出向・内閣府官房審議官=原子力防災担当へ太田三音子 サービス政策課長→出向・内閣府知的財産戦略推進事務局参事官へ柴山豊樹 中小企業庁経営支援課長→出向・公正取引委員会事務総局経済取引局企業取引課長へ岡田智裕 中小企業庁経営支援部長→出向・デジタル庁統括官付審議官へ市川紀幸 地域産業基盤整備課長→出向・復興庁統括官付参事官へ宮部勝弘 中小企業庁事業環境部企画課長→出向・福島復興局次長へ藤田健 欧州課長→出向・文化庁文化経済・国際課長へ依田学 大臣官房審議官=通商政策局農林水産輸出担当→出向・農林水産省大臣官房付へ滝沢豪 特許庁総務部長→出向・防衛装備庁官房審議官へ西垣淳子 大臣官房政策統括調整官=経済産業局担当兼中小企業庁官房中小企業政策統括調整官=DX・EBPM担当 →出向・政策研究大学院大学特任教授へ野沢泰志 中小企業庁金融課長→出向・東京大学産学協創推進本部特任研究員 兼 スタートアップ推進部長へ佐藤猛行 製品安全課長→辞職・経済産業研究所総務コーディネーター内田了司 情報技術利用促進課長→辞職・情報処理推進機構上席執行役員下田裕和 生物化学産業課長→辞職・日本医療研究開発機構調整役西村秀隆 サイバーセキュリティ・情報化審議官→辞職瓜生和久 基準認証政策統括調整官→辞職油科壮一 特許庁審査第四部長→辞職田村聖子 特許庁審判部長→辞職桑原智隆 イノベーション創出新事業推進課長→退職├├├├2025/10/22 経済産業省幹部名簿/METI Officials List大臣・副大臣・大臣政務官・次官・経済産業審議官大臣 赤澤亮正 あかざわりょうせい副大臣 山田賢司 やまだけんじ副大臣 井野俊郎 いのとしろう大臣政務官 小森卓郎 こもりたくお大臣政務官 越智俊之 おちとしゆき経済産業事務次官 藤木俊光 ふじきとしみつ経済産業審議官 松尾剛彦 まつおたけひこ経済産業大臣秘書官(事務取扱) 筑紫正宏 ちくしまさひろ大臣官房官房長(併)公文書監理官 片岡宏一郎 かたおかこういちろう総括審議官 佐々木啓介 ささきけいすけ政策立案総括審議官(併)首席国際博覧会統括調整官 松山泰浩 まつやまやすひろ技術総括・保安審議官 湯本啓市 ゆもとけいいち審議官(政策総合調整担当) 服部桂治 はっとりけいじ秘書課長 大貫繁樹 おおぬきしげき人事企画官 廣瀬浩三 ひろせこうぞう人事審査官 中嶋重光 なかじましげみつ企画調査官(労務担当)(併) 中嶋重光 なかじましげみつ参事官(技術・高度人材戦略担当)(併)危機管理・災害対策室長 安田篤 やすだあつし総務課長 吉村直泰 よしむらなおやす国会業務室長 谷澤厚志 たにざわあつし国会連絡室長(併)国会事務連絡調整官 山本剛 やまもとつよし業務管理官 天野博之 あまのひろゆき文書室長 田守光洋 たもりみつひろ公文書監理室長 渡邊賢一 わたなべけんいち文書管理官(併) 田守光洋 たもりみつひろ広報室長 折居直 おりいすなお地方調整室長 金谷明倫 かなだにあきみち政策審議室長 片山弘士 かたやまひろし会計課長(併)監査室長 若月一泰わかつきかずひろ経理審査官 細谷賢二 ほそやけんじ企画官(会計担当) 島田肇 しまだはじめ監査官 末光英勝 すえみつひでかつ厚生企画室長 北村敦司 きたむらあつし厚生審査官 西沢正剛 にしざわまさたけ業務改革課長(併)政策立案推進室長(併)組織経営改革統括調整官 村上貴将 むらかみたかまさ情報システム室長 上田圭一郎 うえだけいいちろう統括情報セキュリティ対策官 中山和泉 なかやまいずみデジタル・トランスフォーメーション室長(併) 上田圭一郎 うえだけいいちろう情報公開推進室長(併) 田守光洋 たもりみつひろ個人情報保護室長(併) 田守光洋たもりみつひろEBPM推進総括企画調整官 橋本淳二郎 はしもとじゅんじろう大臣官房調査統計グループ調査統計グループ長 竹田憲 たけだけん参事官(調査統計グループ・総合調整担当) 樋本諭 とよもとさとる統計企画室長 渡邉幹夫 わたなべみきお統計情報システム室長 馬場勝 ばばまさるデータマネジメント推進室長 杵渕敦子 きねぶちあつこ業務管理室長 皆川幸夫 みながわゆきお経済解析室長 相田政志 あいだまさし統括統計官 林雅樹 はやしまさき統括統計官 菅原浩志 すがわらひろし構造・企業統計室長 田邉敬一 たなべけいいち鉱工業動態統計室長 田村秀一 たむらひでかずサービス動態統計室長 鈴木実 すずきみのる大臣官房福島復興推進グループ福島原子力事故処理調整総括官(併)廃炉・汚染水・処理水特別対策監 藤本武士 ふじもとたけし福島復興推進グループ長(併)廃炉・汚染水・処理水特別対策監(併)処理水損害対応支援室長 辻本圭助 つじもとけいすけ原子力事故災害対処審議官 宮﨑貴哉 みやざきたかや廃炉・汚染水・処理水対策室現地事務所長 紺野貴史 こんのたかし審議官(原子力防災担当)(併)福島復興推進政策統括調整官 佐々木雅人 ささきまさと原子力被災者生活支援チーム審議官(併)福島復興推進グループ付 佐野究一郎 さのきゅういちろう資源エネルギー庁長官官房国際原子力技術特別研究官(併)資源エネルギー庁長官官房国際資源エネルギー技術戦略調整官(併)廃炉・汚染水・処理水特別対策監 八木雅浩 やぎまさひろ政策調整官(併)総合調整室長 松井拓郎 まついたくろう政策調整官(福島イノベーション・コースト構想担当) 蘆田和也 あしだかずや企画調査官(福島復興推進担当) 岩谷邦明 いわたにくにあき業務管理室長 小倉聡美 おぐらさとみ福島広報戦略・風評被害対応室長(併)福島芸術文化推進室長 大星光弘 おおぼしみつひろ福島新産業・雇用創出推進室長(併)福島事業・なりわい再建支援室長 松山大貴 まつやまだいき企画官 杉山佳弘 すぎやまよしひろ原子力被災者生活支援チーム参事官(併)福島新エネ社会構想推進室長 遠藤量太 えんどうりょうた原子力損害対応総合調整官(併)原子力損害対応室長 廣山奨平 ひろやましょうへい原子力発電所事故収束対応室長 加賀義弘 かがよしひろ東京電力福島第一原子力発電所事故廃炉・汚染水・処理水対策官 宮嶋秀一 みやじましゅういち参事官 須賀正志 すがまさし企画官 駒田拓 こまだたく原子力発電所事故収束対応調整官 植松健 うえまつたけし大臣官房産業保安・安全グループ産業保安・安全グループ長(併) 湯本啓市 ゆもとけいいち審議官(産業保安・安全担当) 細川成己 ほそかわなるみ業務管理室長 大野亜希子 おおのあきこ保安政策課長 田岡卓晃 たおかたかあき業務改革推進室長(併) 田岡卓晃 たおかたかあき高圧ガス保安室長 牟田徹 むたとおるガス安全室長 石津さおり いしづさおり産業保安企画室長(併)制度審議室長(併) 田岡卓晃 たおかたかあき電力安全課長 前田博貴 まえだひろたか電気保安室長 正影夏紀 まさかげなつき鉱山・火薬類監理官 佐藤努 さとうつとむ火薬専門職 橋森武志 はしもりたけし石炭保安室長(併) 佐藤努 さとうつとむ製品安全課長 森本将史 もりもとまさし製品事故対策室長 望月知子 もちづきともこ化学物質管理課長(併)化学物質リスク評価室長 大本治康 おおもとはるやす化学物質安全室長 内野絵里香 うちのえりか化学兵器・麻薬原料等規制対策室長 濱口千絵 はまぐちちえオゾン層保護等推進室長 今村真教 いまむらまさのり化学物質管理企画官 水野紀子 みずののりこ化学物質リスク評価企画官(併) 内野絵里香 うちのえりか経済産業政策局経済産業政策局長(併)首席GX推進戦略統括調整官 畠山陽二郎 はたけやまようじろう首席地方創生担当政策統括調整官(併) 佐々木啓介 ささきけいすけ審議官(経済産業政策局担当) 河野太志 こうのふとし政策統括調整官(経済産業政策局担当)(併) 竹田憲たけだけん地方創生担当政策統括調整官 宮本岩男 みやもといわお地方創生担当政策統括調整官 中野剛志 なかのたけし業務管理官室長 藤山優子 ふじやまゆうこ総務課長 松野大輔 まつのだいすけ政策企画官 立石裕則 たていしひろのり調査課長(併)企業財務室長 田代毅 たしろたけし産業構造課長 中村智 なかむらさとし経済社会政策室長(併) 高木悠一 たかぎゆういち産業組織課長 鮫島大幸 さめしまひろゆき競争環境整備室長 池田陽子 いけだようこ知的財産政策室長 中山英子 なかやまえいこ産業創造課長 松田洋平 まつだようへい産業資金課長(併)投資機構室長 河原圭 かわはらけい産業人材課長 今里和之 いまざとかずゆき未来人材戦略室長 高木悠一 たかぎゆういち企業行動課長 能村幸輝 のうむらこうき企業会計室長(併) 松田洋平 まつだようへい投資促進課長(併)対日投資総合相談室長 豊田原 とよだけん投資交流調整官 天野富士子 あまのふじこ地域経済産業政策課長 日野由香里 ひのゆかり統括地域活性化企画官 大野理 おおのおさむ地域産業基盤整備課長(併)沖縄振興室長 猪又真介 いのまたしんすけ工業用水道計画官(併) 猪又真介 いのまたしんすけ通商政策局通商政策局長(併)首席ビジネス・人権政策統括調整官 荒井勝喜 あらいまさよし審議官(通商政策局担当) 小見山康二 こみやまやすじ審議官(通商政策局担当)(併) 田中一成 たなかかずしげ審議官(通商戦略担当) 辻阪高子 つじさかたかこ審議官(通商政策局・農林水産品輸出担当) 髙山成年 たかやまなりとし通商交渉官(併) 池山成俊 いけやましげとし通商交渉官(併) 田村英康 たむらひでやす特別通商交渉官(併) 田中一成 たなかかずしげ特別通商交渉官(併) 寺西規子 てらにしのりこ業務管理官室長 井澤俊和 いざわとしかず総務課長 山口仁 やまぐちじんデジタル通商ルール室長(併) 森川純 もりかわじゅんビジネス・人権政策調整室長 宮崎由佳 みやざきゆか通商渉外調整官 花輪晃二 はなわこうじ国際知財制度調整官 田内幸治 たうちこうじ戦略輸出交渉官 田村英康 たむらひでやす通商金融国際交渉官 中村正大 なかむらせいだい通商戦略課長 田中将吾 たなかしょうご企画官桑波田啓之くわはたひろゆき企画調査室長 依田圭司 よだけいじ貿易振興課長 川口征洋 かわぐちゆきひろ貿易振興企画調整官 田邉浩之 たなべひろゆき技術・人材協力室長 下川徹也 しもかわてつや通商金融課長(併)国際金融交渉室長 加来芳郎 かくよしろう資金協力室長 山田聡 やまださとし貿易保険監理官 名倉和子 なぐらかずこ米州課長 藤井亮輔 ふじいりょうすけ中南米室長 中山保宏 なかやまやすひろ欧州課長 白井俊行 しらいとしゆきロシア・中央アジア・コーカサス室長(併)通商政策企画調整官 石井秀彦 いしいひでひこ中東アフリカ課長 渡邉雅士 わたなべまさしアフリカ室長 加藤健治 かとうけんじアジア大洋州課長 羽田由美子 はたゆみこ企画官 渡辺一行 わたなべいっこう企画官 朝倉大輔 あさくらだいすけ東アジア経済統合推進室長 谷査恵子 たにさえこ南西アジア室長 島野敏行 しまのとしゆき北東アジア課長 髙木重孝 たかぎしげたか韓国室長 原充 はらみつる国際経済部国際経済部長(併)ビジネス・人権政策統括調整官 藤澤秀昭 ふじさわひであき参事官(総括) 寺西規子 てらにしのりこ国際経済紛争対策室長 森川純 もりかわじゅん国際法務室長 西村祥平 にしむらしょうへい通商交渉調整官(併) 谷査恵子 たにさえこ経済連携課長 内野宏人 うちのひろと経済連携交渉官 長﨑太祐 ながさきだいすけアジア太平洋地域協力推進室長 宮崎拓夫 みやざきたくお貿易経済安全保障局貿易経済安全保障局長 成田達治 なりたたつじ審議官(貿易経済安全保障局担当) 西脇修 にしわきおさむ審議官(貿易経済安全保障局・国際技術戦略担当) 中西礎之 なかにしもとゆき経済安全保障政策統括調整官(併) 西川和見 にしかわかずみ経済安全保障政策統括調整官 田中伸彦 たなかのぶひこ業務管理官室長 星幸彦 ほしゆきひこ総務課長 稲邑拓馬 いなむらたくま参事官(経済安全保障担当)(併)情報調査室長 日原正視 ひはらまさみ参事官(国際担当) 堀江雅司 ほりえまさし経済安全保障国際室長 相部信宏 あいべのぶひろ情報保全室長 岡本亮 おかもとりょう経済安全保障政策課長 杉江一浩 すぎえかずひろ企画官(経済安全保障戦略情報分析担当) 椛島伸也 かばしましんや政策企画官(情報調査担当) 竹原美佳たけはらみか技術調査・流出対策室長 山下浩司 やましたこうじ貿易管理部貿易管理部長 猪狩克朗 いがりかつろう貿易管理課長(併)電子化・効率化推進室長 淺井洋介 あさいようすけ原産地証明室長 中本亮介かもとりょうすけ貿易審査課長(併)野生動植物貿易審査室長 中尾圭介 なかおけいすけ農水産室長(併)野生動植物貿易審査企画調整官 内田剛 うちだつよし特殊関税等調査室長 森井一成 もりいかずなり安全保障貿易管理課長(併)制度審議室長 末森洋紀 すえもりひろき国際投資管理室長 門野勉 かどのつとむ安全保障貿易国際室長(併) 森洋紀 すえもりひろき安全保障貿易検査官室長 臺則彦 だいのりひこ安全保障貿易審査課長 安倍暢宏 あべのぶひろ統括安全保障貿易審査官 小塩平次郎 おしおへいじろうイノベーション・環境局イノベーション・環境局長(併)首席スタートアップ創出推進政策統括調整官 菊川人吾 きくかわじんご審議官(イノベーション・環境局担当) 今村亘 いまむらわたるイノベーション政策統括調整官(併) 宮本岩男 みやもといわおイノベーション政策統括調整官(併) 福本拓也 ふくもとたくや業務管理官室長 芦立勝博 あしだてかつひろ総務課長 中西友昭 なかにしともあきイノベーション政策上席企画調整官 飯村亜紀子 いいむらあきこイノベーション推進政策企画室長 井上俊樹 いのうえとしき成果普及・連携推進室長(併) 井上俊樹 いのうえとしき産業技術法人室長 鈴木章文 すずきあきふみ国際室長 渡部博樹 わたなべひろきイノベーション政策課長 武田伸二郎 たけだしんじろうイノベーション推進制度企画調整官 中井太二郎 なかいたいじろうフロンティア推進室長 吉田修一郎 よしだしゅういちろう量子産業室長(併) 武田伸二郎 たけだしんじろう大学連携推進室長 川上悟史 かわかみさとしイノベーション創出新事業推進課長 石川浩 いしかわひろしスタートアップ推進室長 富原早夏 とみはらさやかスタートアップ国際連携企画調整官 澤田佳世子 さわだかよこ研究開発課長 大隅一聡 おおすみかずあき研究開発調整官 黒田隆之助 くろだりゅうのすけ研究開発企画調査官(併) 鈴木章文 すずきあきふみ研究開発投資促進室長(併) 大隅一聡 おおすみかずあき基準認証政策課長 有馬伸明 ありまのぶあき国際標準化交渉官 猿橋淳子 さるはしあつこ国際連携担当調整官(併) 渡部博樹 わたなべひろき知的基盤整備推進官(併) 鈴木章文 すずきあきふみ基準認証調査広報室長 小嶋誠 こじままこと計量行政室長 仁科孝幸 にしなたかゆき国際標準課長 中野真吾 なかのしんご国際標準化調整官 大出真理子 おおでまりこ国際電気標準課長 小太刀慶明 こだちよしあきイノベーション・環境局GXグループ脱炭素成長型経済構造移行推進審議官 伊藤禎則 いとうさだのりGXグループ長(併) 伊藤禎則 いとうさだのり審議官(脱炭素成長型経済構造移行推進担当) 福本拓也 ふくもとたくや業務管理官室長 竹内祐二 たけうちゆうじ環境政策課長 中原廣道 なかはらひろみちGX推進企画室長 河野孝史 こうのたかし地球環境対策室長 町井弘明 まちいひろあき参事官(併)環境経済室長 若林伸佳 わかばやしのぶよし環境金融室長 鬼塚貴子 おにつかたかこ環境金融企画調整官 本橋貴行 もとはしたかゆき脱炭素成長型経済構造移行投資促進課長 清水淳太郎 しみずじゅんたろうエネルギー・環境イノベーション戦略室長 金井隆幸 かないたかゆき資源循環経済課長 三牧純一郎 みまきじゅんいちろう資源循環経済課環境企画調整官(国際資源循環担当) 高橋幸二 たかはしこうじ環境管理推進室長 濱坂隆 はまさかたかし製造産業局製造産業局長 伊吹英明 いぶきひであき審議官(製造産業局担当) 田中一成 たなかかずしげ審議官(製造産業局担当) 畑田浩之 はただひろゆき政策統括調整官(製造産業局担当)(併) 西川和見 にしかわかずみ業務管理官室長 中尾直子 なかおなおこ総務課長 玉井優子 たまいゆうこ参事官(サプライチェーン強靱化担当)(併)サプライチェーン強靭化政策室長 髙木美香 たかぎみか企画調査官 桂誠一郎 かつらせいいちろう製造産業戦略企画室長 荒川洋 らかわひろし製造産業GX政策室長(併) 玉井優子 たまいゆうこ通商室長(併) 玉井優子 たまいゆうこ鉱物課長 山口雄三 やまぐちゆうぞう採石対策官(併) 松本暢之 まつもとのぶゆき金属課長 鍋島学 なべしままなぶ金属技術室長 松本暢之 まつもとのぶゆき企画官(国際担当) 久森委芳 ひさもりともよし素材産業課長 土屋博史 つちやひろし革新素材室長 山田純市 やまだじゅんいちアルコール室長(併) 土屋博史 つちやひろし企画調査官 菊池孝憲 きくちたかのり生活製品課長 渡邉宏和 わたなべひろかず企画官(地場産品担当)伊藤 裕美いとうゆみ住宅産業室長 潮崎雄治 しおざきゆうじ産業機械課長(併)製造産業DX政策企画調整官 須賀千鶴がちづるロボット政策室長 石曽根智昭 いしぞねともあき素形材産業室長 大今宏史 おおいまひろふみ国際プラント・インフラシステム・水ビジネス推進室長 粂田香 くめたかおる自動車課長 伊藤政道 いとうまさみち参事官(自動車担当)(併)自動車戦略企画室長 前田洋志 まえだひろし企画調査官(自動車通商政策担当) 細沼慶介 ほそぬまけいすけ企画官(自動車リサイクル担当) 宮越朗 みやこしあきらモビリティDX室長 黑籔誠 くろやぶまこと車両室長 須藤義治 すどうよしはる航空機武器産業課長 木村拓也 きむらたくや企画官(防衛担当) 古市茂 ふるいちしげる航空機部品・素材産業室長 西山正 にしやまただし次世代空モビリティ政策室長(併) 古市茂 ふるいちしげる宇宙産業課長 髙濵航 たかはまわたる商務情報政策局商務情報政策局長 野原諭 のはらさとし審議官(商務情報政策局担当) 奥家敏和 おくやとしかず審議官(IT戦略担当) 渋谷闘志彦 しぶやとしひこサイバーセキュリティ・情報化審議官(併)半導体戦略統括調整官 西川和見 にしかわかずみ業務管理官室長 吉田悦子 よしだえつこ総務課長 金指壽 かなざしひさし国際室長 猪飼裕司 いかいゆうじデジタル戦略室長(併) 猪飼裕司 いかいゆうじ情報経済課長 守谷学 もりやがくデジタル取引環境整備室長 岩谷卓 いわやすぐる情報政策企画調整官 永野志保 ながのしほアーキテクチャ戦略企画室長 緒方淳 おがたじゅんサイバーセキュリティ課長 武尾伸隆 たけおのぶたかサイバーセキュリティ制度企画室長(併) 武尾伸隆 たけおのぶたか国際サイバーセキュリティ企画官 橋本勝国 はしもとかつくに情報技術利用促進課長 渡辺琢也 わたなべたくやデジタル高度化推進室長 河﨑幸徳 かわさきゆきのりデジタル経済安全保障企画調整官(併) 渡辺琢也 わたなべたくやデジタル人材政策室長 迫田章平 さこだしょうへい地域情報化人材育成推進室長(併) 河﨑幸徳 かわさきゆきのり情報産業課長 南部友成 なんぶともしげ情報処理基盤産業室長(併) 迫田章平 さこだしょうへいAI産業戦略室長(併) 渡辺琢也 わたなべたくやデバイス・半導体戦略室長 清水英路 しみずひでみち高度情報通信技術産業戦略室長(併) 南部友成 なんぶともしげ電池産業課長 青木洋紀 あおきひろき商務情報政策局商務・サービスグループ商務・サービス審議官(併)商務・サービスグループ長 南亮 みなみりょう審議官(商務・サービス担当) 浅井俊隆 あさいとしたか商務・サービス政策統括調整官 森田健太郎 もりたけんたろう商務・サービス政策統括調整官 池山成俊 いけやましげとし商務・サービス政策統括調整官 島上聖司 しまがみせいじ商務・サービス政策統括調整官 江澤正名 えざわまさな大阪・関西万博統括調整官(併) 田中一成 たなかかずしげ大阪・関西万博統括調整官(併) 森田健太郎 もりたけんたろう参事官(商務・サービスグループ担当) 寺本恒昌 てらもとつねまさ商務・サービス政策調整官 池谷巌 いけやいわお業務管理官室長 福田純子 ふくだじゅんこ流通政策課長 平林孝之 ひらばやしたかゆき大規模小売店舗立地法相談室長物流企画室長(併) 平林孝之 ひらばやしたかゆき商取引・消費経済政策課長(併)商取引監督官 乃田昌幸 のたまさゆき商取引検査室長 福岡浩二 ふくおかこうじ消費者相談室長(併) 乃田昌幸 のたまさゆき消費経済企画室長(併) 乃田昌幸 のたまさゆき商品市場整備室長(併)商品先物市場整備監視室長(併)商取引監督官 鈴木貴詞 すずきたかしサービス政策課長 西川奈緒 にしかわなおサービス産業室長 関日路美 せきひろみ教育産業室長(併) 西川奈緒 にしかわなお企画官(教育産業担当) 柳橋幸裕 やなぎはしゆきひろスポーツ産業室長(併) 西川奈緒 にしかわなお文化創造産業課長 梶直弘 かじなおひろ伝統的工芸品産業室長 山口徳彦 やまぐちのりひこ参事官(併)博覧会推進室長 奥田修司おくだしゅうじ大阪・関西万博国際室長 菅野将史 すがのまさふみ大阪・関西万博企画室長 伊万里全生 いまりぜんしょう国際博覧会上席企画調整官 舟木健太郎 ふなきけんたろうヘルスケア産業課長(併)国際展開推進室長 福田光紀 ふくだみつのり企画官(ヘルスケア産業担当) 小野聡志 おのさとし医療・福祉機器産業室長 大石知広 おおいしともひろ生物化学産業課長 廣瀨大也 ひろせひろや生物多様性・生物兵器対策室長 小林正寿 こばやしまさとし電力・ガス取引監視等委員会事務局事務局長 新川達也 しんかわたつや審議官(電力・ガス取引監視等委員会事務局担当)(併) 細川成己 ほそかわなるみ業務管理室長 安田瑞穂 やすだみずほ総務課長 田上博道 たのうえひろみち総合監査室長 高橋章 たかはしあきら取引監視課長 栗谷康正 くりややすまさ取引制度企画室長 石井孝裕 いしいたかひろネットワーク事業監視課長 黒田嘉彰 くろだよしあきネットワーク事業制度企画室長(併)総括企画調整官(併) 黒田嘉彰 くろだよしあき統括ネットワーク事業管理官 中橋広至 なかはしひろし経済産業局北海道経済産業局長 浦田秀行 うらたひでゆき東北経済産業局長 佐竹佳典 さたけよしのり関東経済産業局長 佐合達矢 さごうたつや中部経済産業局長 寺村英信 てらむらひでのぶ中部経済産業局電力・ガス事業北陸支局長(併)大臣官房政策調整官(北陸地域担当) 向野陽一郎 こうのよういちろう近畿経済産業局長 信谷和重 のぶたにかずしげ中国経済産業局長 林揚哲 はやしようてつ四国経済産業局長 吉田健一郎 よしだけんいちろう九州経済産業局長 星野光明 ほしのみつあき産業保安監督部北海道産業保安監督部長 山下宜範 やましたたかのり関東東北産業保安監督部東北支部長 川村伸弥 かわむらしんや関東東北産業保安監督部長 溝田健志 みぞたたけし中部近畿産業保安監督部長 小池勝則 こいけかつのり中部近畿産業保安監督部近畿支部長 苦瓜作 にがうりさく中国四国産業保安監督部長 金子健 かねこけん中国四国産業保安監督部四国支部長 岡田俊也 おかだとしや九州産業保安監督部長 樫福錠治 かしふくじょうじ那覇産業保安監督事務所長 髙須賀邦充 たかすがくにみつ資源エネルギー庁資源エネルギー庁長官 村瀬佳史 むらせよしふみ次長 龍崎孝嗣 りゅうざきたかつぐ首席最終処分政策統括調整官(併) 龍崎孝嗣 りゅうざきたかつぐ首席エネルギー・地域政策統括調整官(併) 龍崎孝嗣 りゅうざきたかつぐ資源エネルギー政策統括調整官 山田仁 やまだひとし資源エネルギー政策統括調整官(併 ) 木原晋一 きはらしんいちエネルギー・地域政策統括調整官(併) 佐々木雅人 ささきまさとエネルギー・地域政策統括調整官 吉村一元 よしむらかつもと国際資源エネルギー戦略統括調整官 上野麻子 うえのあさこ国際資源エネルギー戦略統括調整官(併) 永井岳彦 ながいたけひこ長官官房(資源エネルギー庁)総務課長 曳野潔 ひきのきよしエネルギー制度改革推進総合調整官(併) 小川要 おがわかなめエネルギー制度改革推進総合調整官(併) 吉瀬周作 きちせしゅうさくエネルギー制度改革推進企画調整官(併) 佐久秀弥 さきゅうひでや会計室長 濵崎勝 はまさきまさる予算管理官 根本政一郎 ねもとせいいちろう戦略企画室長 後藤靖博 ごとうやすひろ脱炭素電源立地企画調整官(併)需給政策室長(併)調査広報室長 森本要 もりもとかなめ業務管理官 木根昌広 きねまさひろ国際資源エネルギー戦略調整官 粕谷直樹 かすやなおき国際課長 大江健太郎 おおえけんたろう海外エネルギーインフラ室長(併)企画官(国際カーボンニュートラル政策担当) 吉野欣臣 よしのよしおみ省エネルギー・新エネルギー部(資源エネルギー庁)省エネルギー・新エネルギー部長 小林大和 こばやしひろかず政策課長(併)熱電併給推進室長(コジェネ推進室) 那須良 なすりょう再生可能エネルギー主力電源化戦略調整官(併) 小栁聡志 こやなぎさとし系統整備・利用推進室長(併) 古川雄一 ふるかわゆういち新エネルギーシステム課長 山田努 やまだつとむ省エネルギー課長 福永佳史 ふくながよしふみ新エネルギー課長 日暮正毅 ひぐらしまさき再生可能エネルギー推進室長 菊島淳治 きくしまじゅんじ風力政策室長 古川雄一 ふるかわゆういち風力事業推進室長 福岡功慶 ふくおかのりよし水素・アンモニア課長 廣田大輔 ひろただいすけ水素・燃料電池戦略室長 宇田川法也 うだがわのりや資源・燃料部 資源・燃料部長 和久田肇 わくだはじめ政策課長(併)海洋政策企画室長 永井岳彦 ながいたけひこ国際資源戦略室長 長谷川洋 はせがわひろし地熱資源開発室長 小林貴成 こばやしたかしげ鉱業管理官 沼舘建 ぬまだてたける資源開発課長 長谷川裕也ゆうや石炭政策室長 畑下潔 はたしもきよし燃料供給基盤整備課長 東哲也 あずまてつや燃料流通政策室長 甲元信宏 こうもとのぶひろ企画官(石油・液化石油ガス備蓄政策担当) 荒井智裕 あらいともひろ燃料環境適合利用推進課長 刀禰正樹 とねまさきCCS政策室長(併)企画官(CCS政策担当) 慶野吉則 けいのよしのり電力・ガス事業部(資源エネルギー庁)電力・ガス事業部長 久米孝 くめたかし政策課長 小川要 おがわかなめ参事官(エネルギー制度改革担当) 吉瀬周作 きちせしゅうさく制度企画調整官 木村純 きむらじゅん制度企画調整官(併) 佐久秀弥 さきゅうひでや電源地域整備室長 小町僚明 おまちともあき電力産業・市場室長 小栁聡志 こやなぎさとしガス市場整備室長 迫田英晴 さこたひではる電力基盤整備課長 添田隆秀 そえだたかひで電力供給室長(併) 佐久秀弥 さきゅうひでや電力流通室長 佐久秀弥 さきゅうひでや原子力政策課長 多田克行 ただかつゆき原子力国際協力推進室長(併) 上野麻子 うえのあさこ原子力基盤室長(併)革新炉推進室長(併)原子力技術室長 宮下誠一 みやしたせいいち廃炉産業室長(併) 横手広樹 よこてひろき原子力立地・核燃料サイクル産業課長 皆川重治 みなかわしげはる核燃料サイクル産業立地対策室長 勝見哲 かつみさとし原子力立地政策室長(併)原子力広報室長 利根川雄大 とねがわゆうた原子力政策企画調査官 山岸航 やまぎしわたる放射性廃棄物対策課長(併)放射性廃棄物対策技術室長(併)放射性廃棄物対策広報室長 横手広樹 よこてひろき(併)放射性廃棄物対策広報室長特許庁特許庁長官 河西康之 かさいやすゆき特許技監 安田太 やすだふとし総務部(特許庁)総務部長 吉澤隆 よしざわたかし秘書課長 降井寮治 ふるいりょうじ弁理士業務監理官 加藤智也 かとうともや秘書課調査官 牧野信之 まきののぶゆき総務課長 亀井明紀 かめいあきのり業務管理企画官 原真一郎 はらしんいちろう情報技術統括室長 上尾敬彦うえおたかひこ会計課長 桑原靖雄 くわはらやすお会計調査官 瓦吹雅彦 かわらぶきまさひこ厚生管理官 三浦有紀 みうらゆき企画調査課長 柳澤智也 やなぎさわともや普及支援課長 吉野幸代 よしのさちよ国際政策課長 武重竜男 たけしげたつお国際制度企画官 新田亮 にったりょう国際協力課長 新田稔 にったみのる審査業務部(特許庁)審査業務部長 師田晃彦 もろたあきひこ審査業務課長 高橋憲夫 たかはしのりお方式審査室長 門奈伸幸 もんなのぶゆき登録室長 伊藤康雄 いとうやすお出願課長 駒﨑利徳まざきとしのり特許行政サービス室長 中山義弘かやまよしひろ国際出願室長 杉山卓也 すぎやまたくや国際意匠・商標出願室長 谷口雅之 たにぐちまさゆき商標課長 根岸克弘 ねぎしかつひろ審査第一部(特許庁)審査第一部長 北村弘樹 きたむらひろき調整課長 中野宏和 なかのひろかず審査推進室長 髙橋克 たかはしまさる審査基準室長 星野昌幸 ほしのまさゆき意匠課長 久保田大輔 くぼただいすけ審査第二部(特許庁)審査第二部長 小松竜一 こまつりゅういち審査第三部(特許庁)審査第三部長 諸岡健一 もろおかけんいち審査第四部(特許庁)審査第四部長 仁科雅弘 にしなまさひろ審判部(特許庁)審判部長 野仲松男 のなかまつお首席審判長 森藤淳志 もりふじあつし審判課長 松下公一 まつしたこういち審判書記官室長 西田拓也 にしだたくや中小企業庁中小企業庁長官 山下隆一 やましたりゅういち次長 山本和徳 やまもとかずのり長官官房(中小企業庁)中小企業政策統括調整官 平泉洋 ひらいずみひろし総務課長 黒田浩司 くろだひろし企画調整室長 赤松寛明 あかまつよしあき企画官(給付金制度管理担当)(併)訟務・債権管理室長 笛木知之 ふえきともゆき企画官(給付金不正対応等担当) 大塚周平 おおつかしゅうへい企画官(中小企業基盤整備機構担当) 市原克典 いちはらかつのり中小企業政策企画調整官 鈴木望 すずきのぞみ中小企業金融検査室長 橋本康司 はしもとこうじ業務管理官 高橋隆 たかはしたかし広報相談室長 木下宏一 きのしたひろかずデジタル・トランスフォーメーション企画調整官 平山毅 ひらやまつよし事業環境部(中小企業庁)事業環境部長 坂本里和 さかもとりわ企画課長 佐伯徳彦 さえきのりひこ調査室長 岡田直也 おかだなおや事業環境地域分析室長(併) 岡田直也 おかだなおや金融課長 橋本泰輔 はしもとたいすけ企画官(資金供給・企業法制担当) 佐藤諒一 さとうりょういち財務課長 笠井康広 かさいやすひろ取引課長 小髙篤志 こだかあつし統括官公需対策官 原健太郎 はらけんたろう取引適正化調整官 小菅敦 こすげあつし取引調査室長 杉山春男 すぎやまはるお統括下請代金検査官 佐藤俊輔 さとうしゅんすけ経営支援部(中小企業庁)経営支援部長 山崎琢矢 やまざきたくや経営支援課長 前田了 まえだりょう経営力再構築伴走支援推進室長 二宮健晴 にのみやたけはる海外展開支援室長 梅田英幸 うめだひでゆき参事官(技術・経営革新担当)(併)技術・経営革新室長 森喜彦りよしひこ生産性向上支援室長 山本慎一郎 やまもとしんいちろう小規模企業振興課長 荒木太郎 あらきたろう創業・新事業促進室長 大竹真貴 おおたけまさよし経営安定対策室長 太刀川徹 たちかわとおる商業課長 伊奈友子 いなともこ中心市街地活性化室長(併) 伊奈友子 いなともこ
2025年10月26日
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2026年1月現在、習近平政権下で中国軍(人民解放軍)の最高幹部が相次いで失脚し、 軍トップ「張又侠」氏の衝撃的な失脚を元中国人で龍谷大学社会学部教授の李相哲氏が事実だけを語る├李相哲 - Wikipedia李相哲(り そうてつ、1959年9月6日 - )は、元中国人、中国朝鮮族。龍谷大学社会学部教授。本名は竹山相哲。├(2026.1.27)[続報]中国は政変おさまらず、習近平事態掌握できるか├(2026.1.25)[速報]中国軍クーデター画策、习近平安泰か、台湾侵攻の可能性├(151) 李相哲TV - YouTube├├(2026.1.30)[続報]習近平の乱は終わらない、密書のショッキングな内容李相哲tvが放送した張又侠が残したとされる密書(書簡)の朗読音声を文字おこししたものです。密書(書簡)は李相哲tvのどこかにアップされているとうことですが見つからなかったのでこのように対処しました。もし私の身に何が起きたらこの手紙を公開してください。私が捕まった場合、間違いなく大勢の人間が捕まるでしょう。我々に起立違反があったからでもなく違法な行為があるからでもない。ただ1つ私と集金兵投資との間に中央君事委員会の主席責任性を巡りこの見解があったからです。もちろん私と近兵の間では台湾を武力で統一することやロシアとの戦略的な協力関係そして高級証拠の高速に関しても大きな一見の総意がありました。このような一見の総意は当内や内では正常なことであり、科学的かつ民衆集中性の方式によって扱われ解決されるべきです。しかし彼主金兵ですね。彼はそれを特別な方法を用いて解決しようとしたようです。私はこの手紙を書こうとした時、え、津やん、昔の中国の総理ですね。え、ザオズやん、津やんの言葉を思い出しました。私たちはみんな年を取っている。当内のことなどどうでも良いじゃないか。 私はくじクーデターを実行できるがありました。しかし、単固としてやって、え、もやるつもりはありません。事態が大きくなり制御不能になれば国は混乱に陥り、まず両沈で無空な兵士たちが災難に見舞われるでしょう。 私に対し集金平が非常手段を取ったとしても私は対抗しないでしょう。事前皮はみんなに任せることにします。歴史が白黒をはっきりさせるでしょう。私の心は穏やかです。このような言葉を残すのは金辺同士が自生してくれることを願うからです。君に負けたよ。ただ何事に関してもあなたは風格を保ち一戦を超えてはならないでしょう。物事を極限状態に追い込むべきではない。頭三尺に神ありですからね。 確信するのはもし君が私を逮捕するのであればこれは空デタ変の方式えしかないでしょう。人で行望してやるでしょう。東中委員会政治局で集団的に議論されることもなく中央委員会の名のもに実施公表するでしょう。誰が法律や起立を違反したでしょうか?89年。これあの天安門実験ですね。法律や起立を破ったのは当省兵です。え、ツずやではありません。ただ1992年に東翔平は改革と開放の道を貫きました。もし私が逮捕されれば近平は新人品ですね。え、近兵は中国を北朝鮮のようにしてしまう可能性がとてもとてつもなく高いでしょう。まだ武力で台湾を統一するためいつでも使って会元霊を敷く可能性もあるでしょう。そこで考えました。私を逮捕した後、どのような名をつけるだろうかと。まず間違いなく私が中央君事委員会の主席、え、責任性に反対したと言うでしょう。皆さん考えてみてください。軍事委員会主席至るものが長年真剣に腐敗に責任を持って望んでいたとすれば私はなぜえ反対するでしょうか? 私が反対するのは中央君事委員会主席の責任性を彼がま金兵が家族生に帰ってしまったからです。彼は些細なことまで口を足しました。1つ1つのこと全てにおいて自分だけが天才的な専門家であり統水であるからあるかのように振るまったからです。盲沢とさえこのような形で統制していなかったのです。人民軍を当の軍隊に変えるのは大したことではありませんが、しかし彼は自分の家族の紙閉にしてしまいました。これはとても怖いことです。彼がロケットに抜擢した人間たちは彼の恩に切るとして原則のない中性を誓い君体は主え主席の良き兵士になると歌いました。完全に文化大学のようなことをやらせています。しかしその地帯は情報が閉ざされていたので宣伝は成功しましたが今は情報がこれほど発展しています。どんなに宣伝しても誰も真面目に君集金兵を遺体な、え、狩料として崇拝することはなく、むしろ多くの人々は原王感を覚えるだけでしょう。インターネットに動画があるから誰もが見たと思いますが金辺えチピ投資が会場に現れるとみんなが起立して拍手しましたね。北朝鮮の近存軍のようにその時現場にいた私はどのようにしていたかを皆さんは見たと思います。みんな熱いつつに集金兵に向かって拍手をしてる時に残に背を向いて鞄の中物色している様子がテレビに移ったことがあるんですね。中央放送でこのような場面が放送されたことがあります。ま、それを彼はここで言ってるんですね。え、皆さんは見たと思います。 私は嫌王感を覚えていました。これもまた私が中央君事委員会の主席責任性に反対したことになるでしょう。海外メディアは私と集金兵が対立していると騒ぎ立てっていました。君情報部門はこれらの投稿を整理して私に見せました。私はただそれらを見て笑い飛ばしました。もし私が逮捕された場合、え、それは我々自身のシステムに問題があるということです。このようなシステム制度を変えなければ誰もが次の被害者になるかもしれません。党の指導というのは全ての細部に至るまで党が制御するというものではないでしょう。民を導いて法律や戦略を策定し、それを党員みんなが守るようにすることです。軍隊は当の指導に、あ、あるという原則も同じことです。軍事委員会主席責任性というのは集団指導のもの軍事委員会主席責任性のことです。え、戦事の場合のみ中央君委員会の主席は3軍の統水権を持ちます。兵事には策略を策定し、地局を分析し、人を投用するなどを中央君委員会の庁の単独で決定してはなりません。集金兵と私との矛盾対立はこのようなところで発生しました。より深刻な問題は私が彼がずっとチャンスを狙い心底から大きな戦争を望んでいることでした。彼は自ら壮大な大戦争を指揮したいと願っていました。南シ海における紛争、特に中国とインド公共での戦争は全く不用不必要なものです。私は戦争経験したものであり、戦争発動式揮し、多くの兵士が命を脅すのを見たものです。え、中両国の指導者たちはその後すぐに親しく握手を交わし、え、どだのお兄弟だのと親しくしました。これは人間がやるべきことではありません。当時ベトナム戦争の時、私と共に戦った兵士や証拠の中には亡くなった後異国の地に埋葬されましたので、彼らの両親や兄弟脱ちはお墓を見ようとしても漁費すらない。平和な地代にこのような悲劇をまだ起こしたのは東翔平の罪です。あまり知られてないでしょう。東翔兵は自分の権力を最高のものにするため1982年に憲法を改正し、今のような中央君事委員会主席責任性を作りました。東省兵はそれを決して宣伝しませんでした。彼はこの週のこの他いの憲法改正は自分の個人的な権力のためにやったことだと知られることを嫌ったからです。当時ヤ産君や中央君事委員会の数人が当省の憲法を書いて、え、主金兵の憲法改正に手を貸しました。実際これらは全て重要な人物によって行われました。だから全国人民代表大会で可決され政治局が決定しました。これに賛成するとみんなが手を上げる中、手を上げないものなどありません。上げなかったら逮捕されますから。後に当初兵が雇用法と調子ざやを排除し、え、天案門案会に戦車を送り、発砲して賃を自圧することができたのは全て中央君委員会責任性によって最高権力が1人の手に握られたからです。変えてみると東翔兵は多くの罪悪を犯しました。罪悪を犯しました。これが統計にとって良いことだったでしょうか?当や国、賃民にとって良いことだったでしょうか?主人近兵にこんな助言をするのは本当に彼と彼の家族のためです。私たちは大きな同じ庭で育った兄弟であるから私だけが彼に少しばかりでも本当のことが言えるからです。台湾を攻撃しアメリカや日本と戦うことは東翔平地帯のペトナム戦争や覚醒を鎮圧するように簡単なことではありません。彼の家族は元より我が国も図り知れない災難に見舞われる可能性があります。何万人、何十万人もの兵士が命を脅すでしょう。その結果は想像がつきません。もしそのような戦争を続けたり制辺が起きたりとや国家が賃によってされたらこのような戦争を始めた指導者たちはちまみれの報復を受けるでしょう。想像するだけで怖いです。 軍隊は国と賃をするためのものです。分隊は戦争するためにあるという考えは、え、 間違いなく重大な誤りです。私は軍事委員会にいるから、私なら彼に助言したり、彼が厳重な謝ちを犯さないように牽制したりできます。しかし私が逮捕されれば、あ、前理前、今回一緒に逮捕された人ですね。庁戦リーや多くの投資たちも逮捕されてしまい、君は集金兵が直接選んだ将軍たちだけが残るでしょう。そうなれば私たちの国は君国主義あるいはあ、いつでも会源ができる国となり朝鮮北朝鮮ですねと同じような国になるでしょう。だから問題は文化大学より深刻と言わざるを得ません。ではここで、え、金兵と私との間の対立について話してみましょう。私たちの間の対立は中央委員会対3回全体会議の前にすにありました。彼が突撃的に多くの人を抜擢し昇進させたのは君の先発規則を完全に無視したものです。それは多くの症候や兵士から不満を買いました。さらに深刻なことに、え、 高速推進あの昇ですね。え、彼らは主中に納めた権力とボス集金兵ですね。ボスの信頼を利用して派閥を結成しを払拭し私を調査処罰しようとしました。 私は中央委員会第3回全体会議で、え、 金兵と対立しました。1つは事投問題。もう1つは軍を通じて全国に戦争準備体制を引こうとした問題と、そしてロジシャがウクライナを攻撃した際に台湾を達しようとした問題です。私、私と流戦理真立は同意しませんでした。え、民、あの、今唯一残った軍事委員会のメンバーですね。民は口をつんでいました。私は中央事委員会は民衆集中性で運営されるべきだと思っていました。しかし彼集近平ですね。彼は私が中央君事委員会主席責任性に反したと言いました。その結果彼が怒り狂って病気になりま倒れたんでしょうね。病院に運ばれたので第3回全体会議が開かれない可能性すらありました。これらの内部事情は数日しか知りません。乗務委員会のメンバーが投用し、その時になって長老達ちが介入して調整したので地帯は収束しました。後に、ま、権力内部の対立がですね、ペイ大富をあの北京から北にあるペ走地ですね。ペイ大富でコンセンサスが取れたと、あのインターネットに情報が流されましたが、その内容は間違っていなかったです。当時そのような噂が立っていましたね。その時、第1に近兵は第21回同大会で、え、再連任しないことに同意し、第2にとうと国の安全と安定のために適切な権力の権力を分散することにも同意しました。え、今あの政治局長委員会の委員の1人ですね。は務を担当しりちゃん今中国の総理ですね。りちゃんは国務員を担当し私は中央君委員会を担当することにしました。いわゆる縄文領土体制です。後に中央意思決定調整期間を設立したのは中央の最高決定に大きな誤ちがないように牽制するためでした。このようなことは誰もがニュースを通じて見て取れたはずです。重委員会対3回全体会議の後老たちはより積極的に活動するようになったのはその背景に力があり部が上層部門の権力が均衡が取れるようにしたからです。しかし後になってどこで問題が発生したのでしょうか?大一りちゃん政治局乗務委員会のメンバーは全て、え、金兵自ら抜擢した人で彼らはみんな彼個人の司令を聞いていた。聞いていました。 近兵に頼らなければ何の権威もない。だから彼らは上の誰かが絶対権力を持つことをむしろ望んでいました。問題が発生したらボスが解決してくれると国家とがいかなる災難に見舞われていても彼らとは関係ない。コロナの時も彼らはこのように振るまったのです。ただ私も東中委員会の話を聞かないわけにはいきません。時にはやんわりと拒否したり、時には病むを得ず協力したりしました。つまり私1人の力ではこのような構造を変えられませんでした。長老ダッチーはさらに無力です。最終的には彼らが私に攻撃を仕掛けてくる可能性が高くなりました。私が近兵を逮捕しを起こすことに同意する情老などないと。もし私が間違っていたとすれば1つは近兵の憲法改正を支持したことです。の指示なしにがとうと政府の力を投してもそれは実現しなかったはずです。近兵が極端に走り中国共産党第20回大会の席を連れしたことに私は衝撃を受けました。 18回全国大会の時が全ての権力を近兵に譲った後10年しか経っていないのに君は全総期をこの世に扱った。人間は最低限の規範があるはずではないか。その理由は誰も分かっていました。本当はコ近ですね。 賃貸と金兵の間に約束がありました。物という、ま、今時期中国共産党指跡になるんじゃないかと噂されてる人ですね。フツンファを政治局乗務委員会に入れ、政治eg、政治業の指席にすることでした。結果はどうなったでしょうか?町人委員会にも承認委員会のメンバーにもなれなかった。 2つ目は私が近兵のロシアへの無制限の支援を受動的に指持したことです。このことは、え、中国が実質的にロシアのウクライナ進仰を指示したことになり、ヨーロッパ全体とウクライナの適を招きました。当時私はロシアの実力を課題評価しました。ロシアが電撃的にウクライナを占領し、その後ロシアは我々の台湾解放を支持すると思った。結果はどうか?ロシアもウクライナも私たちを憎んでいます。前年に私はロシアを訪問した時、拡張高いを受けたものの会談は有効的ではなかった。ウクライナ戦争は全く意味のない戦争でした。同じ民族が殺し合っています。 私たちが台湾を攻撃すれば同じ悲劇が演出されるでしょう。もっと言えば私も台湾を解放し、祖国統一の大業を成し遂げようと思った人間です。しかし後にアジアの調整を噴してみて日汗を書くほど恐怖を感じました。何十万人もの兵士を海に押し込み、台湾党に近づけずに戦争を始めたら日本が巻き込まれて介入し、続いて米国が参戦する。そうなれば南中国宴会の君施設と橋量お箸橋ですね。エネルギー施設は数時間内に衝動化するでしょう。私たちも台湾の建物を破壊することはできるかもしれませんが、最終的には戦争賠償金を支払わなければならず、海外資産も凍結されます。つまり国も党も滅びるのです。近兵の問題は金辺をひいなき偉大な人物と呼ぶ一部の取り巻きにあります。彼らは台湾開放の夢を実現すればラオタクトですね。え、盲沢とよりな栄光なことだと駒をするのです。本当のことを金に語るものは平手打ちされる。アジアでは真実を語る賢者は刑務所にとまるしかない。私も例外ではないかもしれません。 私を逮捕したら彼らは必ず私にさらなる在情、反逆剤、腐敗剤を出ち上げるでしょう。全世界中が私は裏切り者であり腐敗した人間であると宣伝するでしょう。 中央君委員会の副席でもある私が安全に退職すれば国家レベルの良好な対遇を受ける受けられるのになぜ祖国を裏切る必要があるでしょうか?私はロシアや米国と生殖したのは接触したのは全て国益のためであり双方が情報を交換するのは原を受けた範囲内のものです。実際私がアメリカ人と交流する際、米軍カワーは意図的に高いレベルの秘密をもらし見せました。例えば我々の軍事基地の写真や各施設の分布配置図さらには東や国家指導者の邸宅まで全て非常に詳細に示さ示されました。彼らの目的は非常に明白で、自分たちは配テを持っており、毎日空中で見下ろしているので全てを知っていると目的は戦争始めるな。かつ見込みはないぞということですね。お食があったとして家から取るや賃源を没収し、車両に乗せて見せることは可能でしょう。彼らはこのような映像を見せたり、米国の主流メディアを利用して私に各種罪を着せる、着せたりすることは可能ですが、これは全て手だらめです。私と近兵との対立は早くから公表されています。もし本当に莫大な富が私にあるとしたら、それは特に消し去ったでしょう。私にとってこのようなものは意味のないものです。私のような年と地位にある人にとってこれは煙の煙と同じです。もしちんちん。これあの共産党幹部を監禁する刑務省があるところなんですね。あのちんちんで要老をすることとなり金辺によって処刑されることがあるとすればこれらのものはさらに必要ないでしょう。そうだ。昨年金兵は第38軍司令官の就寝支援あのま、手が知見の時に覚圧を拒否した司令官ですね。え、その司令官に対する事裁判の映像があの最近手回っていますけれども、就知線の裁判映像を見ようとしたので集金が私たちもその映像を持ってこさせてみました。それを見てショックを受けました。5時間あまりの映像を見た後、私はこの中世の強いきり高い将軍のために高級し、 一晩中眠ることができませんでした。この映像は君部君の中の中高級商校たちも見ました。その後誰が海外に流したかは分かりません。兵がこの主人線の動画を見てどう感じたのかは分かりません。この国と賃に忠実な将軍こそが本物の軍人です。自分は屈辱を味わっても賃に向かって発砲しない。ここで私たちは反省し考えるべきです。中央君委員会責任性がもたらした罪とアッカーをもしも誰もが原則もなく人狼もなしに中央君委員会主席の司令に従い主金兵の司令に従いですという意味ですね。対抗権力は制約を受けることがなければ、我が国はまたや大変な対災難に見舞われるでしょう。我が等我々の最高料で中央事会主席が重大なちを犯しのに人がその党とに正性を誓いまちを問して中央事会跡にただ正するなら我々は許されない許される罪と謝ちを犯すことになるでしょう。最後に私は金平同士に何点か期待と望みを申し上げたい。第1に21回当大会が開かれる地点で治任してほしい。これは第3回全体会議後に約束したものでもある。第2にいかなる形の戦争も起こさないこと。軍隊は法英国。あの、ま、国を守るためにあるものだ。 第3に米国によって確立された国際秩序を尊重し、決してアメリカを敵に回さないこと。第4に精神誠意に改革解放すること。もしも민民を愛するのであれば沿岸地帯の民主主義と立憲政治の約束を果たすこと。近兵がもし本当に私を逮捕するならメディアがこの手紙を公けにしてくれることを願う。彼もこの手紙を見てくれることを願う。この長期の内容は私が高術通し友人が整理。私が確認した後、彼に10件をして公開することにした。
2026年01月31日
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矢野宏氏 2023年1月27日逝去 九十一歳写真は活発に活動していた時代の矢野宏氏工業技術院計量研究所力学部長を勤めた矢野宏氏は2023年1月27日逝去した。九十一歳。入院加療中であった。葬儀は近親者のみによる家族葬として執り行われた。喪主は子息の矢野耕也氏(日本大学生産工学部教授)。訃報が遅れたのは療養中の家族があったことによる。矢野宏(やのひろし)氏は1931年(昭和6年)5月13日、東京都新宿区生れ。1955年、東京大学工学部卒業。1956年工業技術院計量研究所へ入所。1971年に「ロックウェルかたさ試験機の精度向上に関する研究」で東京大学より工学博士の学位を取得。1991年、宮城教育大学教育学部技術科教授。1994年、電気通信大学電気通信学部機械制御工学科教授。1999年から2007年まで東京電機大学客員教授。日本規格協会参与。品質工学会会長。2008年、応用計測研究所株式会社代表取締役。愛知県の計測科学と品質工学の発展のためにこの区域の計量管理関係者と勉強会をつづけ、愛知県の計量管理の発達に貢献した。また計量管理協会では計測技術者が職場で生き生きと活動できるための理論的素地をつくるために奮闘した。品質工学分野では田口玄一氏の最大の理解者として品質工学の普及に大きな役割を果した。
2023年07月24日
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セコニック L-398M スタジオデラックス 2 を使っています。¥13,100(税込)(横田俊英)(タイトル)セコニック L-398M スタジオデラックス 2 を使っています。(本文) セコニック L-398M スタジオデラックス 2 を使っています。 フィルムカメラの露光の計器に怪しさがある場合には、この「L-398M」は便利です。 3型も出ていますが、この2型を使っています。 このセコニック L-398M スタジオデラックス 2 などの系統は電池を使わないのがとても良いのです。 露光を求めたいのにそのときに電池がなくて、露出計が動かないというのでは困ります。 L-398Mという型番がありますが意味は知りません。398だから3980円ということではないのです。税込み¥13,100(税込)で通販サイトに出ておりました。 そんななのにフジヤカメラの査定価格はAクラスで3,000円、ABクラスで2,500円です。 中古としての価値はほとんどないので使いつぶす、しかない実用の道具です。 露光計は照度計です。ただそれだけのことであり、これと連動する数値を円盤状に巧みに組み合わせて、カメラの露光に役立てるのです。 基本的には受光式の計器であり、撮影対象にどれだけの光が届いていてどれだけ明るいかを測定するのです。 露光を決めるのは撮影者です。計器に表示された光の量を知って、撮影意図に応じて露光を決めるのです。 露光をするための光の量を経験を通してよく知っている人は良いのですが、そうでない人は露光計を頼りにします。 その昔、写真を撮り始めた頃には晴れ、曇りなどの空模様に応じてシャッタースピードと絞りを決めていたのです。 それで十分に用が足りたのですが、便利な機械があるとそれに頼らないと不安になるのだから変であり、これではいけません。 セコニック社製の定番露出計はロングセラー商品です。 現行L-398Aと同じスタイルのスタジオS「L-28A」が発売されたのが1957年です。その変遷は1957-1970 年「L-28A」 スタジオS1964-1971 年「L-28C」 スタジオデラックス1970-1976年「 L-28A2」 スタジオS2 1970-1976 年「L-28C2」 スタジオデラックス1976-1989 年「L-398」 スタジオデラックス1976-1989 年「L-398M」 スタジオデラックス21976-1989 年「L-398A」 スタジオデラックス3 スタジオデラックス2と3の違いは、光に反応する受光素子がセレンのものからアモルファスセンサーに変わったことです。 環境に配慮したということになっております。 このこと以外は殆んど変更はありません。 セレン方式は40年の耐用年数があります。 アモルファスのそれは良く分かりません。 3型は2型の2倍の値段になっています。 SEKONIC 露出計 スタジオデラックス3 L-398Aは、アマゾンでは参考価格 ¥32,400のところ、¥25,752とあり配送無料です。値引きは¥6,648 (21%)です。 ここでアモルファスといっているのは、アモルファスシリコン光センサのことです。 アモルファス光センサはフォトダイオードの一種で光の有無や強さを検知することができます。出力電流は照度に対し比例的に変化するため、精度良い検知が可能です。 また可視光領域で高感度という特性があります。人間の目で感じることのできるのは、約400nmから約700nmまでの波長の光です。アモルファス光センサは、ほぼこの波長の光だけに感度を持っているため、人間の目に近いセンシングが可能です。 パナソニックのアモルファス光センサはアモルトンの商品名で発売されており、太陽光発電に利用されております。 セレンとは何でしょうか。セレン(英: selenium)は原子番号34の元素。元素記号は Se。カルコゲン元素の一つで、セレニウムとも呼ばれます。 セレンは自然界に広く存在し、微量レベルであれば人体にとって必須元素です。抗酸化作用(抗酸化酵素の合成に必要)があるが、必要レベルの倍程度以上で毒性があり摂取し過ぎると危険です。 水質汚濁、土壌汚染に係る環境基準指定項目となっております。これはセレンの性質が硫黄にきわめてよく似るため、高濃度のセレン中では含硫化合物中の硫黄原子が無作為にセレンに置換され、その機能を阻害されます。 克山(クーシャン)病(Keshan disease:中国の風土病)やカシンベック病 (Kashin-Beck disease) の原因としてセレン欠乏が考えられている。 セレンを主成分とする鉱物は、銅或いは銀との化合物のセレン銀鉱やセレン銅銀鉱が知られます。産出量の少ない鉱物で有るため鉱石として利用はされません。硫黄化合物として産出する事が多いため工業的には、硫酸製造の際の沈殿物や銅精錬時の副産物を精錬して取り出されます。 主な産出国は、日本28%、カナダ26%、アメリカ18%などとなっている。産出量は2.15×103トン、予想埋蔵量は70×103トンとされております。 金属セレンは、半導体性、光伝導性があります。これを利用してコピー機の感光ドラムに用いられてきました。またセレンは整流器(セレン整流器)に使われたり、光起電効果によりカメラの露出計に使われてもきました。 初期のカメラの露光量を測定したり、セレンの光起電効果を利用して自動露光装置がカメラに組み込まれました。 セレンはガラスの着色剤や脱色剤に使われてきました。しかし毒性があるため現在は使用が制限され多くの用途において代替物質が使用されるようになりました。
2015年01月27日
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産総研で開発したシリコン単結晶球体の形状を高い精度で測定する レーザー干渉計(左)と、直径測定値の、平均直径からの偏差を表示 した球体形状三次元図(右) (タイトル) キログラムの定義改定を実現したプランク定数測定の方法 (副題)プランク定数測定のためのワット・バランス法とX線結晶密度法 (本文) プランク定数は二つの方法で測定できる。一つはワット・バランス法である。キッブルバランス法と呼ばれ、もう一つはX線結晶密度法である。日本の産業技術総合研究所は、40年ほどまえにX線結晶密度法を用いたプランク定数の精密測定に着手した。 この方法では、シリコン単結晶の密度、モル質量、格子定数を測定し、シリコン単結晶に含まれる原子を数えてアボガドロ定数を測定する。プランク定数とアボガドロ定数の間には厳密な関係式が成り立ち、アボガドロ定数の測定値から、ほぼ同じ精度でプランク定数を算出できる。 自然界のシリコンには3種類の安定同位体(28Si、29Si、30Si)が存在する。モル質量を決めるには同位体存在比を測定する必要がある。これがボトルネックとなりプランク定数の測定精度は3×10-7が限界であった。 産業技術総合研究所は、国際研究協力「アボガドロ国際プロジェクト」に参画し、28Siだけを99.99 %まで濃縮した28Si単結晶を製作した。2011年には、この28Si単結晶を用い、プランク定数を当時の世界最高精度3 × 10-8(1億分の3)で測定している(産総研 主な研究成果 2012年2月27日)。 この測定精度は国際キログラム原器の長期安定性を凌ぐものであったが、米国標準技術研究所(NIST)がワット・バランス法で決定したプランク定数とは一致しなかった。このため、2011年の第24回国際度量衡総会では、プランク定数に基づく新たな定義に将来的に移行する方針が決議されたのみであり、定義改定には至らなかった。 産業技術総合研究所は、その後に次のような研究成果をあげる。それが第26回国際度量衡総会でのキログラム定義を改定につながった。 ここでのプランク定数の測定には、アボガドロ国際プロジェクトで制作した28Si単結晶から研磨された球体を用いられている。 球体の質量と直径はそれぞれ約1 kgと約94 mmであり、その質量と体積を精密に測定し、密度を決定。体積測定には産総研で開発したレーザー干渉計を用いた。約2000方位から球体の直径を測定し、2×10-8の精度で球体体積を決定している。 直径の測定精度は0.6nmであり、ほぼ原子間距離(格子定数)に相当する。この世界最高レベルの精度での直径測定は、産業技術総合研究所が開発したレーザー波長の精密制御技術と、球体温度の精密計測技術(精度6/10000 ℃)によって実現している。シリコン球体の質量は、超高精度な質量比較が可能な真空天びんを用いて、質量の国家計量標準である日本国キログラム原器と比較して測定した。 シリコン球体表面は、酸化膜などからなる厚さ数nmの表面層におおわれている。シリコン原子を数えてプランク定数を決定するには、シリコン原子だけからなる部分(シリコンコア)の質量と体積を決定するために、新たに開発したX線光電子分光法と分光エリプソメトリーによる球体表面分析システムを用いている。いずれの装置もシリコン球体の回転機構を備え、球体の全表面を分析できる。 このシステムにより球体表面層の組成を決定し、さらに球体表面層の厚さを0.1 nmの精度で測定している。シリコン球体の質量と体積の測定値をこの表面層分析結果で補正し、シリコンコアの質量と体積を決定したものである。 測定したシリコンコアの質量と体積を、アボガドロ国際プロジェクトによって過去に測定されている格子定数とモル質量と組み合わせて、2.4×10-8(1億分の2.4)の世界最高レベルの精度でプランク定数を決定した。この精度は、1 kgに換算すると24 µgであり、国際キログラム原器の質量安定性である50 µgを凌ぐ。 2017年7月1日までに世界各国のNMIによって決定されたプランク定数の値は、以前にアボガドロ国際プロジェクトで測定した値(IAC-2011、IAC-2015、IAC-2017)と良く一致した。また、NIST、カナダ国立研究機構(NRC)、フランス国立計量研究所(LNE)がキッブルバランス法によって測定した値(NIST(米)-2015、NIST(米)-2017、NRC(カナダ)-2017、LNE(仏)-2017)とも良く一致した。 科学技術データ委員会(CODATA)は、これら8つの高精度な測定値に基づいてプランク定数の調整値(CODATA-2017 、6.626 070 150(69) ×10-34 J s)を決定した(括弧内の数値は最後の桁の標準不確かさを表す)。CODATA-2017の精度は1.0×10-8(1億分の1)である。この精度は、1 kgに換算すると10 µgであり、国際キログラム原器の質量安定性である50 µgを大きく凌ぐ。 上のような研究成果が「質量の単位キログラムがキログラム原器の質量」から解き放たれて、物理定数によって定義されることにつながった。 2018年11月13日~16日フランス共和国のベルサイユ国際会議場において開かれた第26回国際度量衡総会で、質量の単位キログラムは国際キログラムの質量として定義されていたものが「キログラムの大きさは、プランク定数hの値を正確に6.626 070 15×10-34 J sと定めることによって設定される」と変更された。CODATA-2017の不確かさをゼロとする定義値に基づく新しいキログラムの定義への移行がそれである。新定義は2019日5月20日から適用される。 新定義が決まったことによって旧来のキログラム原器は役割を全うした。新しい方式ではこののち定義を改定しないままで、より精密なキログラムの実現に道を開いた。 2011年に開かれた第24回国際度量衡総会では、将来、国際キログラム原器を廃止し、以下のようにキログラムの定義を改定する方針が決議されていた。 「キログラムの大きさは、プランク定数の値を正確に6.626 07XX×10-34 J sと定めることによって設定される」 プランク定数の測定に関係する技術とその方法など 1、ワット・バランス法(キッブルバランス法) 分銅に作用する重力と釣り合う電磁力の大きさを、電圧と電気抵抗の測定から求める方法。電圧と電気抵抗の測定は、それぞれ、ジョセフソン効果と量子ホール効果によってプランク定数に関連づけられる。 このため、分銅の質量を測定することで、現行のキログラムの定義に基づいてプランク定数を決定できる。1975年にイギリス国立物理学研究所(NPL)のBryan Kibble博士によって提案され、現在ではNIST、NRC、BIPMなどで開発が進んでいる。 以前はワットバランス法と呼ばれていたが、2016年のBryan Kibble博士の死去後、これまでの功績をたたえ、キッブルバランス法への名称変更が進んでいる。 ジョセフソン効果とは、厚さ2 nm程度の絶縁膜を挟んだ2つの超伝導体の間(トンネル接合)を超伝導電子対のトンネル効果によってトンネル電流が流れる現象。トンネル接合された素子(ジョセフソン素子)にマイクロ波を照射すると電流-電圧特性に不連続なステップが誘起される。この効果は電圧の標準を設定するために用いられている。 量子ホール効果とは、強磁場下の二次元電子系において、電気抵抗が(h/e2)/n (n は整数)となる現象。この効果は電気抵抗の標準を設定するために用いられている。 h:プランク定数 e:電荷素量 2、X線結晶密度法 アボガドロ定数をシリコン結晶の密度ρ、格子定数a、モル質量Mの測定から決定する方法。シリコン結晶の単位胞には8個の原子が存在するため、アボガドロ定数NAはNA= 8M/(ρ a3)として求められる。 3、モル質量 物質1モルあたりの質量を表す物理量。自然界に存在するシリコンには3種類の安定同位体28Si、29Si、30Siがあるので、その存在比を測定すればシリコンのモル質量が求められる。 4、格子定数 結晶の最小単位である単位胞の寸法を表す数値のこと。シリコン結晶の格子定数は温度20 ℃、圧力0 Paにおいて約543 pm(ピコメートル、1兆分の1メートルを表す)である。 5、アボガドロ定数 物質1 molに含まれる構成要素(原子や分子)の数。科学技術データ委員会によって2014年に決定された推奨値は6.022 140 857(74)×1023 mol-1である(括弧内の数値は最後の桁の標準不確かさを表す)。 プランク定数hとアボガドロ定数NAとの関係はNA=cMeα2/(2R∞h)で与えられる。CODATAによって2014年に決定された基礎物理定数群(cMeα2/(2R∞))の精度は4.5×10-10であり、hとNAの測定精度と比較して十分小さい。 このため、いずれか一方を測定すれば、ほぼ同じ精度でもう一方を算出できる。 c:真空中の光速度 Me:電子のモル質量 α:微細構造定数 R∞:リュードベリ定数 6、同位体 同じ原子番号をもつ元素(原子核の陽子数が同じ)の原子において、原子核の中性子数(つまりその原子の質量数)が異なる原子を互いに同位体であるという。 7、アボガドロ国際プロジェクト 2004年から開始された、28Siだけを濃縮したシリコン単結晶からアボガドロ定数を高精度に決定するための国際プロジェクト。 産総研のほかに、BIPM、イタリア計量研究所、オーストラリア計量研究所、NPL、NIST、ドイツ物理工学研究所(PTB)、欧州委員会標準物質計測研究所(IRMM)が参加した。 8、真空天びん 真空中での質量差測定が可能な天びん。試料におよぼす空気浮力の影響を受けることなく、質量差を測定できる。 9、日本国キログラム原器 わが国の質量の国家計量標準であり、国際キログラム原器と同じ寸法・同じ材質で作られた分銅。約30年ごとに国際度量衡局に輸送され、国際キログラム原器と比較することでその質量が決定される。 キログラムの定義改定とプランク定数測定の方法 2018-12-12-vol-2-method-of-revising-the-definition-of-kilogram-and-measuring-planck-constant- 【参考】日本計量新報論説ほか 第26回国際度量衡総会でキログラムほかSIの基本4単位の定義を改定 (副題)「キログラムの大きさは、プランク定数hの値を正確に6.626 070 15×10-34 J sと定めることによって設定される」 キログラムの定義改定を実現したプランク定数測定の方法 (副題)プランク定数測定のためのワット・バランス法とX線結晶密度法 国際単位系(SI )と7つの基本単位の正体 副題(質量だけは国際キログラム原器で定義され130年ほど使われてきた) プランク定数で規定された質量標準はシリコン球の質量計測で実現される 副題(地球を10mの凹凸に見立てられる真円度のシリコン球は物質量を体現) 質量と重量の違い及び質量の単位キログラムの定義変更 2018年11月16日開催の国際度量衡総会で質量の単位キログラム(kg)を定義変更 【質量と重さ(重量)の区別】 質量と重さ(重量)を混用してはならない(執筆 岩田重雄 元日本計量士学会会長) 気になる計量の言葉づかい「足せるものと足せないものがある」
2018年12月13日
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計量計測データバンク ニュースの窓-77-News material content collection of metrology databank №77├├計量計測データバンク ニュースの窓-77-├├(みだし)東洋計器(株)取締役など新陣容(ほんぶん) 東洋計器(株)(松本市 土田泰正社長)は、2023年6月23日開催の株主総会並びに取締役会におきまして取締役の改選を行い、新たに小野和男氏(52歳)及び石田明徳氏(43歳)の二名が取締役に就任した。取締役など新陣容は次のとおり。▽印は新任。敬称は省略。〇代表取締役会長土田泰秀〇代表取締役社長土田泰正〇常務取締役営業本部長宇都健次〇常務取締役営業本部関東・東海地区担当中田英穂〇取締役営業本部北陸地区担当兼環境システム事業本部担当役員宮田芳久〇取締役営業管理本部長平川孝幸〇取締役経営企画本部付担当役員赤羽克則〇取締役技術担当兼海外新規担当宮原清貴〇取締役総合開発研究所長福島文隆〇取締役製造本部長小林幸生〇取締役技監(ガス担当)秋山博和〇取締役製造副本部長兼水道本社工場長降旗之雄〇取締役営業副本部長兼北海道地区担当役員二本松敬文〇取締役総務部長横沢正彦〇取締役関東支社長栗田好和▽取締役スマートクラウド事業部長兼営業副本部長小野和男▽取締役経営企画本部長兼DX戦略責任者石田明徳
2023年07月12日
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2回日本数学オリンピック(2002年)好成績者とその後の経歴計量計測データバンク ニュースの窓-9-第12回日本数学オリンピック(2002年)好成績者とその後の経歴├├計量計測データバンク ニュースの窓-9-第12回日本数学オリンピック(2002年)好成績者とその後の経歴├├日本数学オリンピック 概要 (imojp.org)├第12回日本数学オリンピック(2002年)好成績者とその後の経歴├数学オリンピック好成績者とその後の経歴├├横田知之 | 東京大学 (u-tokyo.ac.jp) (2023年04月04日データ取得 計量計測データバンク編集部)学位 博士(工学)(東京大学)。修士(工学)(東京大学)。職名 准教授。所属 大学院工学系研究科附属総合研究機構研究基盤部門ナノ工学研究センター。├├諏訪秀行(弘前病院臨床研修医) (2023年04月06日データ取得 計量計測データバンク編集部)独立行政法人国立病院機構弘前病院 研修医便り 初期研修1年目の諏訪秀行と申します。実家は青森県南部町で、さくらんぼが有名な旧名川町出身です。今年は天気もよく、そこまで大粒ではないものの、甘さのある美味しいさくらんぼができました。旬の季節は短いですが、まだ経験していない方は是非食べてみてください。ところで、自分はお酒が好きでいろんなカクテルを飲んだり作ったりしているのですが、今年はさくらんぼ酒を作ってみました。梅酒は今まで何回か作ったことがあるのですが、さくらんぼ酒を作るのは初めての経験です。飲みたい気持ちを抑えていい塩梅に味が馴染んでくるのを待っている最中です。研修ですが、4月、5月は循環器、5月、6月は呼吸器を勉強させていただき、病棟では7階の皆様方に大変お世話になりました。至らない点が多々あったと思いますが、日々精進していきたいと思っております。これからもよろしくお願いします。 臨床研修医:諏訪秀行。(2018年8月1日現在)├├入江慶(Kei IRIE)東京大学卓越研究員数理科学研究科准教授 (u-tokyo.ac.jp) (2023年04月06日データ取得 計量計測データバンク編集部)入江慶(Kei IRIE)東京大学卓越研究員数理科学研究科准教授 入江慶 古典力学に由来する数学の問題に、トポロジーの手法で挑む 古典力学の数学的な定式化に由来するシンプレクティック幾何学という分野を研究しています。古典力学で物体の運動を記述する方程式は、一般に非常に複雑な解を持ちます。しかし、トポロジー(図形の「定性的」な性質に注目する幾何学)の手法を使えば解の様子の一端を捉えることはできます。この(ポアンカレによると思われる)アイデアは現代の研究でも重要な役割を果たしています。私は特に、ループ空間という無限次元の図形のトポロジー的性質と物体の周期的な運動との関係を調べています。研究テーマ シンプレクティック幾何学におけるFloerホモロジー理論と力学系への応用。学歴(大学)東京大学理学部数学科学歴(博士課程)。京都大学大学院理学研究科数学・数理解析専攻。学位 博士(理学)。経歴 2012.8~ 京都大学数理解析研究所助教。2018.4~現職。受賞歴等2019日本数学会幾何学賞。├├横井 優一 中3 豊正中学校 愛知県 学年は、2002年3月時点のもの Aランク(予選合格)者(中学三年生から七年後に大学四年生を卒業したときのデータは以下のとおり)横井勇一 氏の最新の講演内容|ビズスタ (biz-study.com横井勇一氏日本貿易振興機構 シンガポール シニアディレクター2010年経済産業省入省。CPTPP・RCEP等の経済連携協定、COP等の気候変動交渉に携わった後、米国にてMBA取得。帰国後、コーポレートガバナンス改革等の担当を経て官民ファンドの産業革新投資機構(JIC)に出向し、経営体制の立ち上げ、VC・PEファンド組成、LP投資プログラム創設及び経営企画全般に従事。2021年よりJETROシンガポールにて、東南アジアにおける日本企業のイノベーション・新事業創出に関する調査・発信等を通じて、日本企業のオープンイノベーションを支援。【NTTデータ】世界各国15都市から提案を募集、「第7回 豊洲 ...2018/08/19 — 「規制のサンドボックス」制度のご紹介 Regulatory Sandbox では、横井 勇一氏(経済産業省 経済産業政策局 法案準備室 課長補佐)が登壇。愛知県生まれ。中学・高校は野球部に所属、インターン帰国後の現在は経済産業省に勤務。program_intern_interview3 (hoshinodreams.com)現在、経済産業省に勤務しています。ミッションは新しい産業を起こし、海外との経済連携を強化し、地域社会の活性化のために貢献することです。名古屋市立豊正中学校 - Wikipedia├├数学オリンピック財団 (imojp.org) (2023年04月06日データ取得 計量計測データバンク編集部)公益財団法人 数学オリンピック財団第12回日本数学オリンピック 予選結果ランク別得点表ランク 人数 得点数Aランク(予選合格) 106名 点Bランク(予選準合格) 585名 点〜点Cランク(予選準合格に満たない者) 名 0点〜点欠席 55名 −(合計受験者数) 名Aランク(予選合格)者(掲載は、受験番号順、学年は、2002年 3月時点のものです。)氏名 学年 学校名 都道府県諏訪 秀行 高2 八戸高等学校 青森県上田 北斗 中3 清真学園中学校 茨城県浅田 陽 高3 佐倉高等学校 千葉県渡辺 駿介 高1 清真学園高等学校 茨城県栗林 司 中2 筑波大学附属駒場中学校 東京都大矢 満 高1 筑波大学附属駒場高等学校 東京都横田 知之 高1 開成高等学校 東京都李 凡 高2 麻布高等学校 東京都杉山 雄亮 中3 開成中学校 東京都平井 洋一 高1 筑波大学附属駒場高等学校 東京都杉浦 祥 中2 筑波大学附属駒場中学校 東京都入江 慶 中3 筑波大学附属駒場中学校 東京都河野 仁 高1 桐朋高等学校 東京都杉本 健 高2 海城高等学校 東京都今関 靖一郎 高2 渋谷教育学園幕張高等学校 千葉県田辺 晶夫 高2 筑波大学附属駒場高等学校 東京都星 雄二郎 高1 開成高等学校 千葉県松本 雄也 中3 武蔵中学校 東京都中山 博文 高1 開成高等学校 千葉県北川 弘典 中3 開成中学校 東京都田中 裕彬 高2 長生高等学校 千葉県栗田 知周 高2 開成高等学校 千葉県河西 奈緒 高2 筑波大学附属高等学校 東京都星屋 鮎太郎 高2 慶応義塾志木高等学校 東京都三谷 知広 中2 筑波大学附属駒場中学校 東京都大島 芳樹 高1 筑波大学附属駒場高等学校 東京都藤崎 晴信 高1 開成高等学校 千葉県小橋川 翔太 高2 巣鴨高等学校 東京都小栗 秀悟 高2 開成高等学校 東京都井上 一鷹 高3 武蔵高等学校 東京都中川 裕文 中3 筑波大学附属駒場中学校 東京都大迫 隼 中2 武蔵中学校 東京都岩崎 宏俊 中3 穎明館中学校 東京都佐々木 太一 高2 熊谷高等学校 埼玉県平井 康仁 高2 学習院高等科高等学校 東京都森 真樹 中3 筑波大学附属駒場中学校 東京都小関 友一 高2 麻布高等学校 東京都尾高 悠志 高1 筑波大学附属駒場高等学校 神奈川県近藤 宏樹 高2 開成高等学校 千葉県中村 公 中2 筑波大学附属駒場中学校 東京都関口 昌央 高2 開成高等学校 千葉県平山 元昭 高2 宇都宮高等学校 栃木県中村 雄二 高3 東京学芸大学附属高等学校 東京都中島 正道 高2 筑波大学附属駒場高等学校 東京都林 龍之介 高1 筑波大学附属駒場高等学校 東京都飯田 浩平 高2 筑波大学附属駒場高等学校 神奈川県横田 知大 高2 開成高等学校 神奈川県樋口 卓也 高2 栄光学園高等学校 神奈川県佐井 宏聡 高2 栄光学園高等学校 神奈川県前島 祥 高2 サレジオ高等学校 神奈川県平良 裕大 高2 麻布高等学校 神奈川県佐久間 宇洋 高1 聖光学院高等学校 東京都足立 潤 高1 栄光学園高等学校 神奈川県榊原 良介 中3 栄光学園中学校 神奈川県三木 繁彰 高2 筑波大学附属駒場高等学校 神奈川県増本 菜美 中2 公文国際学園中学校 神奈川県鳥越 貴智 中3 公文国際学園中学校 神奈川県田中 孝明 高2 松本深志高等学校 長野県上杉 直幸 中3 菅野中学校 長野県森岡 まさき 高2 沼津東高等学校 静岡県伊藤 孝之 高2 東海高等学校 愛知県河野 正憲 中3 滝中学校 愛知県杉本 卓也 高2 滝高等学校 愛知県若井 優也 高1 旭丘高等学校 愛知県横井 優一 中3 豊正中学校 愛知県桐生 慎也 高2 高田高等学校 三重県片岡 俊基 小6 松阪市立山室山小学校 三重県村主 啓行 高1 洛南高等学校 京都府大西 宏明 高2 灘高等学校 京都府大浦 一馬 高2 洛星高等学校 京都府高吉 慎太郎 高2 灘高等学校 大阪府吉田 紅 高2 灘高等学校 大阪府今井 直毅 高2 灘高等学校 大阪府竹島 英之 高2 灘高等学校 大阪府竹島 雄介 中3 灘中学校 大阪府伊藤 佑樹 中1 灘中学校 大阪府松岡 大祐 高2 灘高等学校 大阪府河田 学 高2 甲陽学院高等学校 兵庫県長田 尚樹 高2 甲陽学院高等学校 兵庫県矢野 厚 中2 灘中学校 兵庫県岡田 和幸 高1 灘高等学校 兵庫県佐野 尭 高2 徳島文理高等学校 徳島県西本 将樹 中3 灘中学校 兵庫県佐藤 大介 中3 灘中学校 兵庫県南川 淳隆 高1 灘高等学校 大阪府和田 正樹 中3 本山中学校 兵庫県越崎 康英 中3 灘中学校 兵庫県石川 淳 高1 東大寺学園高等学校 兵庫県中井 博之 中2 灘中学校 兵庫県島 佑介 高2 灘高等学校 兵庫県則松 謙吾 中3 灘中学校 兵庫県葉末 亮 高2 灘高等学校 兵庫県吉田 隆彦 高2 奈良学園高等学校 奈良県中川 康 中2 奈良学園中学校 奈良県小林 正人 高1 東大寺学園高等学校 奈良県藤田 健人 中3 灘中学校 兵庫県豊福 悦史 高1 久留米大学附設高等学校 福岡県三浦 真人 高2 久留米大学附設高等学校 福岡県中原 悟 高1 久留米大学附設高等学校 福岡県亀井 哲 高1 久留米大学附設高等学校 福岡県木村 弘志 高2 宇部高等学校 山口県岸川 敏博 高2 久留米大学附設高等学校 福岡県田中 伸明 高3 八女高等学校 福岡県中村 友昭 高2 ラ・サール高等学校 鹿児島県古賀 俊行 高2 ラ・サール高等学校 鹿児島県髙木 翔太 中3 ラ・サール中学校 鹿児島県Bランク者北海道・東北地区、 関東地区、 甲信越地区、 北陸地区、東海地区、 近畿地区、 中国・四国地区、 九州・沖縄地区氏名の公表を辞退された方は、氏名を "** **" と表記しています。(掲載は、受験番号順、学年は、2002年 3月時点のものです。)北海道・東北地区 35名小林 道治 高2 渡部 伸一朗 高2 高橋 秀徳 高1小蔵 正輝 高2 渋谷 崇 高2 吉田 修 高2南川 智都 中2 黒瀧 健二 高2 齋藤 脩悟 高2久田 諒 高1 藤田 航 中2 吉田 拓未 高2久道 知良 高1 宮本 早苗 高2 諸沢 樹 高2岡 健太郎 高2 赤坂 至巧 高2 前田 洋平 高2高橋 克郎 高2 佐々木 千春 高1 佐茂 智恵子 高1倉澤 将司 高1 田口 誠治 高2 清水 隆玄 高2山崎 広貴 高1 高橋 直之 高2 本郷 修平 高1神原 啓輔 高1 鈴木 晋 高1 蒔田 真基 高2五嶋 祥平 高2 山内 道晴 高1 白山 祐輝 高1菅野 雄介 高1 鈴木 宇博 高1関東地区 240名張 森 高1 赤城 弘樹 高1 伊藤 正俊 高1大越 孝洋 高2 鈴木 毅 高1 橋本 雄介 高2大久保 俊 高2 山本 泰輔 中1 脇田 洋平 高2鈴木 一弥 高1 村田 翔吾 高1 菅原 弘太郎 中3湯川 喜子 高2 大野 健太 中3 田部 真弓 高2伏見 光明 高2 小川 俊明 高1 村松 昌 高2田中 翔 高2 大森 規央 中3 谷津 弘仁 高1根本 善太郎 高2 石神 大一郎 中1 北澤 直樹 高1鈴木 ちひろ 高2 松本 祐也 高1 松澤 泰道 高2山田 浩史 高2 田 然 高1 末石 貴大 高1鈴木 圭介 高2 島崎 僚 中3 宗林 祐史 高1川名 啓介 高1 夏井 翔平 中2 柳 彰典 高1西川 祐介 高2 佐々田 槙子 高2 大川 新之介 高1津田 拓也 高2 種村 文孝 高2 佐藤 智矢 高2中村 俊一郎 中3 星野 宏臣 高1 川口 隆久 中3鈴木 翔 高1 小橋 昌明 中1 遠藤 大 高2清水 達郎 高1 大谷 卓也 高2 上田 芳人 高1清水 惇 高1 岩田 将和 高1 山蔦 良知 中3広野 学 中3 奥田 浩司 高1 筒井 一尋 中3永井 暁彦 中3 清水 俊宏 中3 鈴木 まゆみ 高1深野 華 高1 小島 光 高1 長谷 学 高1山内 悠平 中2 金 若凡 高1 杉本 大輔 高2金秋 憧 高2 平野 拓哉 高1 工藤 怜之 高1櫻木 研仁 高2 豊田 真之 中2 山室 達郎 高2渋谷 俊 中2 稲垣 和久 高1 松澤 彰信 中2合田 隆 高2 東條 惇 中3 丸山 優史 高1後藤 潤一郎 高2 類地 孝介 高2 鶴浜 哲一 高2大野 友弘 高2 薛 茜 高1 松石 健太郎 高1松本 佳彦 高1 福岡 宏倫 高2 住谷 享則 高1斉藤 翔 高2 菊田 剛 高1 加藤 亮 高1小松 尚太 中3 落合 雄介 高2 滑 健作 高1豊田 敦 高2 西川 和宏 高2 小石 隆文 高1金子 大二 高2 奥 義起 高1 古屋 欽司 高1西村 達郎 高1 金井 龍一 高2 角田 直文 高1荒木 大輔 高2 野口 智靖 高1 小川 達也 高1白神 裕 中3 川口 陽平 中3 窪田 祥平 高1南部 来美 中3 倉田 佳貴 高2 高野 裕也 中3新井 雅裕 高2 古川 遼 中3 甲田 信一 高1榊原 賢二郎 高2 島添 聡一郎 高2 井上 真吾 中2秋葉 和壽 高2 藤田 直樹 高2 竹内 俊博 高1松本 久志 中3 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高2持立 宏貴 中3 堀江 勇人 高1 林 達郎 高2甲信越地区 20名小池 和裕 高2 久保田 俊彦 高1 池田 曉志 高2宮下 惇 高2 朝比奈 誠太郎 高2 佐々木 裕史 高1武川 純 高2 渡辺 良太 高2 太田 直規 高1小林 陽一 高2 山崎 大 高2 望月 菜津季 高2河野 雄樹 高2 廣瀬 聡 高2 大嶋 恵理子 高2笹本 翔 高2 佐藤 俊 高2 岡田 尭基 高2三浦 政司 高3 飯塚 祐也 高2北陸地区 19名高橋 玄顕 高2 寺本 俊太郎 高2 角尾 衣未留 高1槙 俊明 高2 森島 北斗 高2 武田 龍太郎 高1山田 明憲 高2 坪坂 正志 高2 鈴木 一功 高1福岡 雄大 高2 佐藤 達也 高2 清水 啓史 高2江端 隼 高2 土山 直樹 高2 吉田 匡利 高1中村 健二 高2 野口 晴加 高1大上 真平 高1 名原 淳一 高1東海地区 44名鈴木 美沙子 高2 飯田 祐介 高1 片山 達頼 高2鈴木 佑 高1 谷本 大樹 高2 柴田 桂 高1永田 達哉 高1 吉川 彰一 高2 松浦 徹 高2石川 翔一 高1 小川 翔史 高1 岩井 朋洋 高2内藤 文彦 高1 岡島 正和 高2 安保 智彦 中3土屋 雄司 高2 岡崎 建太 高2 塩谷 拓也 高1沼田 行雄 高3 小野木 智加朗 高2 飯田 佑輔 高2滝浪 将貴 高2 木下 裕介 中2 中村 伸太郎 高2勝谷 龍一 高2 安藤 慎一郎 高3 神田 夏輝 高2野田 開 高2 松井 裕美 高3 安保 幸彦 高2打田 正輝 高2 古田 陽一郎 高2 加藤 大祐 高1長田 茂 高2 長坂 友裕 高1 大倉 久直 高2平井 敬悟 高2 山陸 芳之 高1 岡本 裕介 高2野坂 武史 高2 項 警宇 高1 伊藤 太久磨 高2滝 俊一 高2 笠原 嵩翔 高1近畿地区 116名大野 正人 高1 森田 隆寛 中2 杉村 崇 高1西村 顕倫 高2 福田 泰也 高2 松永 一宏 中1中栄 健二 高1 森本 高裕 高2 土井 浩平 高1岡村 和樹 中2 今城 洋亮 高1 小野 敬太 中3中村 伸哉 高2 藤森 裕輝 高1 宗野 恵樹 高2加藤 由実菜 高1 尾田 将彦 高2 松林 奈萌子 高2齋藤 真広 高1 田中 啓介 高2 中田 悠治 中3江藤 英樹 高2 佐野 宰久 高1 塩出 悠登 高2合田 賢司 中1 久成 晋平 高2 浅見 信之 高2池野 裕介 高1 魚田 真弘 中3 石原 一樹 高1高屋 定裕 高1 宇仁 暢大 中3 大村 一樹 中3朝比奈 諭 高2 徳永 浩晃 中2 藤原 弘道 中3奥田 喬之 高1 石飛 勝也 高2 岡本 喬明 中3杉井 毅 中3 石原 秀恭 高2 藤原 正道 高1松本 芳 高1 飯塚 雄翔 高1 高折 徹 中3太田 英仁 高1 藍 祐史 中3 広川 検士 中3吉田 佑輔 中2 杉之原 真 中1 直井 兵伍 中2石原 薫 中3 黒井 邦巧 高1 島津 浩史 中3森本 桂子 高2 増田 雄介 高1 小泉 賢一 中3山本 拓人 高1 坂元 基紘 高2 植田 毅 中3今村 麻子 中1 増本 直高 高1 小松 陽太郎 高1藤井 秀総 高1 福永 智嗣 高1 三善 悠矢 中3西村 徳真 高1 賀屋 大介 高2 寺川 隆史 高1永持 達也 高1 梅崎 直也 中3 大北 尚永 高1鶴田 雅也 中3 澤木 了 高3 武安 聡 中3髙田 秀明 中3 栗本 昌輝 高1 石田 智彦 高2佐野 太郎 高2 奥田 智彦 高2 大西 康平 高2黒川 瞬 高2 山﨑 啓司 高2 松原 輝 高1住澤 寛史 高1 本谷 高寛 高2 小西 義延 高1糸井 友香 中3 浅水 太一 高2 大西 美幸 高2阿部 哲己 中2 足立 安比古 中2 初山 明日香 高2阿部 紘凡 小5 田中 高太郎 高2 大亦 聡 高2小田 崇弘 高2 石﨑 健太朗 高1 松江 維史 高2細入 万美恵 高2 西川 佳孝 中3 西岡 顕道 高2西川 治 高1 岩永 卓也 高1 堀 玄洋 中3小田 敏弘 中3 岩永 剛一 高2 木原 克直 高2岩橋 徹 高2 田中 庸介 高1 津野 祐司 高3赤穂 吏映 中2 渡辺 謙太郎 中3 中尾 貴祐 中1播磨 輝 高2 神吉 雅崇 中3中国・四国地区 43名有田 友香 高2 天野 靖久 中2 山本 佳代子 高1石丸 雄一朗 高1 中元 博基 高1 大谷 洋平 高2河井 公大朗 高2 末信 郁也 高2 ミホフ・ローセン 高2山道 峻也 高2 菅原 淳 高2 薦田 登志矢 高1奥山 翔 高2 白石 大典 高1 栗田 大史 高1三木 恵里加 高2 石川 陽一郎 高2 真鍋 毅史 高1牧野 圭一 高2 河村 優輔 中3 西崎 康 高2井上 達也 高2 堀 心一 高2 岡田 崇顧 高2西村 洋輝 中3 北村 和博 高2 楢原 直起 高2青木 藍 高2 大福 容子 高2 藤井 秀則 高2兵藤 史武 高2 石井 洋平 高2 飯田 雅史 高2原田 和征 高1 和田 晶子 高2 大西 康之 高2栄 紘嗣 高1 播磨 有希子 高1 川井 賢二 高3今中 政輝 高1 竹中 佑美 高2増田 裕子 高2 山口 卓朗 高2九州・沖縄地区 68名橋本 素直 高2 野間口 洋平 高2 吉村 誠一郎 高1森 興太 高2 森戸 善隆 高1 有馬 智裕 高2中園 信孝 高2 山川 健司 高2 長鶴 嘉彦 高2野口 恭徳 高2 貞松 秀明 高1 杉田 悟 高2宮本 崇 高2 松尾 理志 高2 片山 俊祐 中2伊藤 知之 高2 平石 祐樹 高2 松浦 祐史 高1北山 貴弘 高1 田中 進吾 高2 坂上 慎也 高3東 靖人 高1 松尾 勇気 中3 入江 剛史 高1甲斐 健一 高1 渡部 浩之 高2 白水 寛理 高1豊増 泰 高1 佐々野 弘崇 高2 平 哲郎 中2塩月 亨 高1 森口 草介 高2 有里 裕生 高2松尾 侑紀 高2 井上 賢一 高2 中川 桂一 高2冨永 健太 高1 森山 功之 高2 鯉江 康弘 高2戸髙 広海 高2 松見 昂也 高2 古我知 史 高1西原 潤 高2 成松 雅人 高2 比嘉 憲彦 中3中島 正貴 高1 村端 秀映 高1 田中 浩登 中3古賀 絵梨奈 高1 亀田 佳明 高1 城間 紀之 高1貫 紘一朗 中3 卯野木 邦宏 高2 宮平 誠子 高1入江 超法 高2 古場 一 高2 新田 宗由記 中3城後 祐章 高3 米野 栄晃 高2 外間 梨沙 高2木下 武也 高2 吉松 朋彦 高2 仲地 究 高1瀬藤 和也 高2 岩武 康平 高2 伊波 美智子 高2谷 和樹 高2 田中 雅子 高2├├原将己のプロフィール。 2012年4月東京大学教養学部 理科一類入学。2014年4月東京大学理学部情報科学科進学。2018年3月情報理工学系研究科 コンピュータ科学専攻 修士課程終了。2018年4月機械学習エンジニア。- Wantedly├├東京大学大学院数理科学研究科 GRADUATE SCHOOL OF MATHEMATICAL SCIENCES (u-tokyo.ac.jp)2014/3/10. 保坂和宏氏(理学部数学科4年)、副島真氏(理学部数学科4年)が、平成25年度学生表彰「東京大学総長大賞」を受賞することが決定しました。├├「天才」と呼ばれた人が、本物の「天才」に出会ったとき(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(4/5) (gendai.media)東京大学理学部数学科4年の副島真(21歳)だ。筑波大附属駒場高校在学中、3年連続で数学オリンピックで金メダルに輝いた数学の天才でもある。世界最速の電気自動車「Eliica」を開発した慶応義塾大学名誉教授の清水浩は、天才にはまず「3つのP」が必要だと言う。「まず、書類を書く能力である『ペーパー』、そしてそれをどう表現するかという『パフォーマンス』、最後に人とうまくやれるかという『パーソナリティ』です。この3つは一般社会におけるエリートの条件。天才はこれに加え、思考の飛躍『ジャンプ』ができ、それを具現化できることが条件になる。思考が一見脈絡もないところにジャンプできる人というのは、実に少なく、それに成功できる人というのはさらに少ない」├├野口健太准教授 東京理科大学 創域理工学部 情報計算科学科 東京理科大学 研究者情報データベース (tus.ac.jp)├├2022年度講師紹介 | K会 冬期講習 | 数学・英語・情報科学・物理を深く学べる塾 河合塾 (kawai-juku.ac.jp)西本 将樹(にしもと まさき)西本 将樹東京大学大学院 数理科学専攻国際数学オリンピック・第44回 日本大会(金)・第45回 ギリシャ大会(金)学問は、興味を持って能動的に学ぶことが最も大切だと思います。皆さんが勉強する学問は、多くの先人の知恵や研究が美しくまとめあげられた集大成です。それらを一つひとつ鑑賞し自分のものにしていく「勉強」を、純粋な気持ちで楽しんでください。├├大西 宏明 (Hiroaki Ohnishi) - マイポータル - researchmap├├【崩れの墓場】数学オリンピックで金メダルを獲っているか否か。丸岡も崩れたし。長尾は崩れ決定だな。日本人の数オリ組は、予備校教師にでもなれ。京都大学数学教室/数理解析研究所D14 (yomi.tokyo)├├長尾健太郎 (数学者) - Wikipedia├篠崎正彦 (理工学部建築学科) | 東洋大学 研究者情報データベース (toyo.ac.jp)├高橋悟 | 東京大学大学院経済学研究科・経済学部 (u-tokyo.ac.jp)├【研究者データ】吉田輝義 | 日本の研究.com (research-er.jp)├増田直紀 - Wikipedia├【研究者データ】片岡 俊基 | 日本の研究.com (research-er.jp)├百瀬治彦さん(1990年 日本数学オリンピック成績優秀者)百瀬治彦 組合立甲陵高等学校 高11990年 日本数学オリンピック成績優秀者一覧(国際数学オリンピック日本代表選抜2次試験成績優秀者)百瀬治彦 組合立甲陵高等学校 高1。1990年高校一年生 15歳か16歳、2022/7/11 48歳 32年経過 16年を加算すると48。48歳の百瀬治彦さんの2022年の現在である。├├囲碁:第68回アマ本因戦 県大会 甲府の百瀬さん初優勝 全国大会へ 3回目の決勝で勝利 /山梨 | 毎日新聞 (mainichi.jp)百瀬治彦さん囲碁 第68回アマ本因戦 県大会 甲府の百瀬さん初優勝 全国大会へ 3回目の決勝で勝利/山梨 毎日新聞 2022/7/11 地方版囲碁のアマチュア日本一を決める「第68回全日本アマチュア本因坊決定戦」(毎日新聞社、日本棋院主催、関西棋院後援、スターツグループ協賛)の山梨県大会が10日、甲府市で開かれ、同市在住の地方公務員、百瀬治彦さん(48)が初優勝した。8月27、28日に東京・千代田区の日本棋院会館で開かれる全国大会に出場する。├├須磨洋祐さん(1990年 日本数学オリンピック成績優秀者 金賞)https://twitter.com/i/flow/login?redirect_after_login=%2Fsumayosuke金賞 須磨 洋祐 千葉県立長生高等学校 高2(1990年 日本数学オリンピック)須磨洋祐 長生高校/東京大学理学部情報科学科卒/修士卒。ゲームプログラマ。├├森山知則さん(森山知則 神奈川県立川和高等学校 高2(1990年日本数学オリンピック成績優秀者))├KAKEN — 研究者をさがす | 森山 知則 (80384171) (nii.ac.jp)森山 知則 MORIYAMA TomonoriORCIDORCID連携する *注記研究者番号80384171所属 (現在)2023年度: 大阪大学, 大学院理学研究科, 准教授所属 (過去の研究課題情報に基づく) *注記 2016年度 – 2021年度: 大阪大学, 理学研究科, 准教授2017年度: 大阪大学, 大学院理学研究科, 准教授2012年度 – 2015年度: 大阪大学, 理学(系)研究科(研究院), 准教授2014年度: 大阪大学, 大学院理学研究科, 准教授2013年度: 大阪大学, 理学研究科, 准教授審査区分/研究分野 代数学├├第32回数学オリンピック銀賞 片桐拓(平成3年(1991年)9月)pdf (jst.go.jp)片桐拓 青森県立八戸高等学校高2(1990年日本数学オリンピック成績優秀者 銀賞)├├日本数学オリンピック 概要 (imojp.org)
2024年03月16日
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「日本計量新報」今週の話題と重要ニュース(速報版)2026年5月7日号「日本計量新報週報デジタル版」埼玉県が計量法違反の疑いで刑事訴訟法第239条第2項に基づき埼玉県鴻巣警察署に対して告発状を提出ハカリと検定と修理制度と取引・証明- 金価格0.01グラム270円、検定対象ハカリの下限値が0.01グラム。質量による取引のための精密さの不都合-ハカリと検定と修理制度と取引・証明(計量計測データバンク編集部)機械式から電気式へ 精密測定に使用されている機械式天びん(質量計)は等比型天びんに始まり、等比置換ひょう量型、不等比置換ひょう量型と変化して参りました。この不等比置換ひょう量原理を使用した天びんは通称直示天びん(Direct reading balance)と呼ばれ、現在でも数多く使用されております。不等比置換ひょう量型天びんの原理は図1に示す通りですが、ひょう量値の読み取りは加除分銅と投影目盛で表示します。初期の電気式天びんは、図1の投影目盛の部分に電磁補償コイル・回路と位置検出器を取り付け、被測定質量と平衡する為に必要な電磁力を発生させ、その時コイルに流れる電流量をA/D変換して質量を表示させる方式でした(図2)。この結果、質量の電気的出力が取り出せるようになったため、天びんの利用範囲が広がりましたが、機械的構造は変わっていません。図1 不等比置換ひょう量型直示天びん図2 電磁力補償型電気天びんハカリと検定と修理制度と取引・証明- 金価格0.01グラム270円、検定対象ハカリの下限値が0.01グラム。質量による取引のための精密さの不都合-はじめに 計量法が直接に規制の対象として検定を課している計量器の実数は計るための器具機械・装置のうちの0.1%に満たない。それだけに検定が課され、質量計の場合には定期検査を受けなければならない。この場合でも対象となる質量計は器種が限定され、さらに取引及び証明分野ということで一層範囲が狭められる。質量計における検定と二年に一度の定期検査が課された計量器とその使用分野における使用者が守るべき責任の大きさがこのような事情から察するべきである。ハカリ(質量計)と修理後の検定証印の除去義務 検定証印が付されたハカリ(質量計)は、検定証印等の除去が必要となる修理を行った場合には検定証印等の除去をしなければならない。これを行わない場合には計量法第49条第1項違反となる。修理したハカリを取引および証明分野の計量に用いる場合には修理後の再検定を受けなければならない。これをしないで取引および証明分野の計量にそのハカリを使用することは計量法に違反する行為となる。修理をしたにも関わらず検定証印を除去しないでハカリの所有者に渡した修理事業者は上記のとおり計量法違反となる。修理がなされても検定証印が除去されていなければハカリの所有者は、計量法における修理がなされてなかったと理解することになる。 計量法における検定制度は諸規定があって、公的機関ならびにそれに類する機関が検定する方式と、指定する製造事業者に検定証印と同じ法的効果を有する一定の表示(基準適合証印)を付すことを認める指定製造事業者制度がある。どれもが同じ法的効果を持つのの、検定制度の効率的運用を図ることを目的として制定された。この場合に付される証印が基準適合証印である。計量法が規定する修理について 計量法は、修理の定義について、旧通達6機局290号「計量法、計量法施行令、計量法施行規則等の解釈及び運用について」において、以下のように示している。 「修理」とは、一旦完成された計量器が、その構造の一部を失った場合に、その失われた構造を回復し元どおりにすることをいう。 「軽微修理」及び「簡易修理」とは、施行則10条1項に掲げる軽微修理は計量器の構造に影響を及ぼさない行為であり、施行則11条1項に掲げる簡易修理は構造に影響を及ぼし得る修理であって、器差に影響を与える蓋然性の乏しいものであることを前提にこれらの規定を解釈、運用されたい。特に、プリント回路に係る規定の解釈運用については、慎重な対応が望まれる。<旧通達6機局290号抜粋> 「修理」とは、計量器がその性能、構造の一部を失った場合に、その失われた性能、構造を回復することをいい、計量法では4種類のものがある。(1) 軽微な修理(法46条、施行則10条) これについては、修理事業の届出や検定証印等の除去の必要がなく、誰でも行うことができる。(2) 簡易修理(法49条1項ただし書、施行則11条) これについては、届出製造事業者及び届出修理事業者が行う修理、又は、適正計量管理事業所の指定を受けた者がその指定に係る事業所において使用する特定計量器について行う修理のうち、検定証印等の除去の必要のないものをいう。 簡易修理は、「軽微な修理」よりは修理の程度が大きく、一定の技術能力のある者が行うときには、検則に定める技術上の基準及び検定公差に適合することを前提に、敢えて検定証印等を除去する必要のないものをいう。(3) 修理(法46条1項) 計量法上「修理」というときは、一般的に修理事業の届出規制の対象となるものを指し、「軽微な修理」を除き「簡易修理」及び「改造修理」を含めた概念とされている。(4) 型式承認表示を除去しない修理(法49条2項ただし書、施行則12条) 特定計量器の改造又は修理をした者は、検定証印等のほか、型式承認の表示も除去しなければならない。しかし、届出製造事業者、届出修理事業者が行う修理、適正計量管理事業所の指定を受けた者がその指定に係る事業所において使用する特定計量器について行う修理のうち、型式承認表示の除去の必要がないものがある。(※検定証印等の除去は必要。) この「型式承認表示を除去しない修理等」については、省令(施行則12条)で規定され、具体的には「その承認に係る型式と同一に属するものとして産総研v又は日電検viが示す範囲における修理」とされている。 上に説明している軽微な修理(法46条、施行則10条)と簡易修理簡易修理(法49条1項ただし書、施行則11条)は、例えば棒ハカリの鼻緒を取り替える程度のことであり、あえて修理の言葉を関して説明をすることが憚れる内容となっている。簡易修理も類似であるがこれが実施できるのは特定の資格保有者に限られる。器差に影響を及ぼす行為は修理とみなされハカリ(質量計)を含めて特定計量器においては検定証印などを除去することが求めれる。計量法が規定する「取引」及び「証明」 法律の規制は、一般的には必要最小限の領域に限定されるべきものである。計量関係の諸分野における規制の必要な領域の境界については、「取引」及び「証明」という概念によって画することが適当な場合が多いとされている。 我が国の計量法においても、計量単位の統一、計量器の検定及び使用の制限、定期検査、立入検査などの各種の規制の範囲は、「取引」及び「証明」の概念によって画されている。従って、これらの概念を明確にすることは、計量法における法的規制を受けるか否かを決定する上で重要な意義を有している。 この法律において「取引」とは、有償であると無償であるとを問わず、物又は役務の給付を目的とする業務上の行為をいい、「証明」とは、公に又は業務上他人に一定の事実が真実である旨を表明することをいう。<法2条2項> 「取引」とは、有償無償を問わず、物又は役務の給付を目的とする業務上の行為を言う。「物又は役務の給付」については、「物の給付」とは物品の売買、貸借、贈与等が典型的なものとされ、「役務の給付」とは雇用請負や委託加工等が一例とされている。 「証明」とは、公に又は業務上他人に一定の事実が真実である旨を表明することを言う。「公に又は業務上他人」については、「公に」とは不特定多数に対してという意味のほか公の機関に対してという意味を含むとされ、「業務上他人」とは継続的、反復的に他の法主体に対しての意味とされている。「取引」及び「証明」の解釈について 機械情報産業局長通達 [編集部・註]平成12年(2000年)の地方自治法の改正により、計量法についても、その多くの事務に関する権限が都道府県等自治体に移管された。従って「取引」及び「証明」の解釈解釈と運用が異なる場合があり得る。以上のことから以下に示される内容は、ひとつの目安ということになる。 「取引」及び「証明」の解釈については、旧通達(6機局290号)「計量法、計量法施行令、計量法施行規則等の解釈及び運用について」で以下のように示されていた。一、取引又は証明における計量の定義(法2条2項)イ、取引における計量 取引における計量とは、契約の両当事者が、その面前で、ある計量器を用いて一定の物象の状態の量の計量を行い、その計量の結果が契約の要件となる計量をいう。工程管理における計量等、内部的な行為にとどまり、計量の結果が外部に表明されない計量や契約の要件にならない計量は含まれない。 計量した物に結果を表示する場合については、その物が取引の対象となり、表示した結果が契約の要件となるときは、その表示をするための計量は、取引における計量に該当する。内部の工程管理における計量結果の表明であり、工程管理上その計量結果の表示を用いる場合は、その表示のための計量は取引における計量に該当しない。 ちなみに、法148条(立入検査)においては、通商産業大臣等はその職員に「取引若しくは証明における計量をする者」の工場等に立入り、「特定物象量が表記された特定商品」を検査させることができるとしており、法は「特定物象量が表記された特定商品」を製造する工程における特定物象量の表記のための計量も、取引における計量に該当することを予定している。ロ、証明における計量 法2条2項の「公に」、「業務上」、「一定の事実」、「真実である旨を表明すること」の解釈は次のとおり。 「公に」とは、公的機関が、又は公的機関に対し、であること。 「業務上」とは、継続的、反復的であること。 「一定の事実」とは、一定のものが一定の物象の状態の量を有するという事実。 特定の数値までを必ず含むことを有するを要するものでなく、ある一定の水準に達したか、達していないかという事実も含まれる。一方、「計量上の証明(以下「計量証明」という)(法19条1項1号)」は「取引若しくは証明における計量(法2条2項)」、「非法定計量単位は取引又は証明に用いてはならない(法8条1項)」、「取引又は証明における法定計量単位における計量(法16条、法18条及び、19条1項)」とは異なり、数値を表明することが伴うものである。ただし、おおよその目安を示すものは含まれない。 「真実であることを表明する」とは、真実であることについて一定の法的責任等を伴って表明すること。参考値を示すなど、単なる事実の表明は該当しない。ハ、「取引」と「証明」の相違 商品の内容量について計量結果の表明に関しては、取引当事者間における計量及びその計量結果の表明は取引上の計量のことをいい、取引当事者以外の第三者による計量及びその計量結果の(両者又はいずれか一方の)当事者への表明は証明のことをいう。ニ、具体的事例・検察庁における実地検証のための計量 証明における計量に該当する。・有料体重計 目安程度のものであれば証明における計量に該当しない。・学校等における体重計 学校、幼稚園、保育所又は福祉施設等の体重測定に使用される非自動はかりであって、その計量値が健康診断票等に示され通知、報告等されるものについては、証明における計量に該当する。・小包み郵便物及び一般運送事業者の宅配便の取次業者による取次店における料金特定のための計量は、取引における計量に該当する。・集合住宅における水道メーター等について 水道メーター、温水メーター、ガスメーター、微流量燃料油メーター、積算熱量計、電気計器による取引又は証明における計量には、建物の賃貸借契約に付随して賃貸人と賃借人との間においてなされる取引又は証明における計量も該当する。 したがって、貸ビル、アパート等その集合住宅において一括して水道、温水、灯油、熱、電力等の供給事業者へ支払った料金等を各室の使用量に応じて配分するために用いられるメーターも、取引又は証明上の計量に該当する。<旧通達6機局290号抜粋> 取引又は証明に該当するか否かについては、世の中にある数多くの物事すべてにはっきりした境界が存在するわけではないため、すべてを明確に区別できるというものではない。従って、こうした曖昧さを伴う境目については、これらの定義や実際の事例について、その都度判断を重ねていくことにより帰納的に解釈していくべきものと考えられている。 この旧通達については、地方分権により平成12年に廃止され現在では法的拘束力を伴わないが、現在においても概ねこの判断基準に基づいて解釈されているのが現状である。具体的事例の詳細 これまでに示されてきた判断事例の一部としては、以下のものが挙げられる。取引取引取引に該当する場合の例・農家が庭先で農産物を販売する際の計量・服地販売に際しての長さの計量・倉庫に物品を保管する際の保管料算定のための長さ、体積の計量・委託加工賃を物品の質量等によって決定する際の計量・店舗の賃借料を決定する際の面積の計量取引に該当しない場合の例・製造事業者が生産工程において内部的な各種の計量をする場合・家庭内での計量(日曜大工の際の計量、等)・友人間等での一回的な物品のやりとりの際に行う計量(業務上とは認めがたいもの)証明証明に該当する場合の例・自治体が一般に公表するために行う濃度等の計量・国税庁が行う酒税賦課のためのアルコール濃度の計量・土地の登記に際して行う面積の計量・工場等が自治体に報告するために行う排水量の計量証明に該当しない場合の例・銭湯に設置したはかりを使用しての計量(単なる自己の健康管理用)・研究所等で行う内部的な各種計量表示取引又は証明に該当する場合の例・内容量の表示(缶詰、びん詰め、ジュース等)・契約書上での表示(平方メートル当り○○○万円等)・仕様書(商取引に伴う表示)・計量器への計量目盛、計量単位の付与(東京地裁S39年「計量器に非法定計量単位が示されているときは、その販売または販売のための所持は、~略~同法(旧計量法)10条1項本文に違反するものと解するのが相当である」)取引又は証明に該当しない場合の例・契約書に添付する参考資料・カタログ類・取扱説明書・広告類・新聞、テレビ等におけるニュース報道等・学術書等の書物上での事実の表示・学校教育において、教育の観点から教育段階に応じて用いられる計量・スポーツにおける表示計量法の目的と諸規定1、計量の基準を定める 計量の基準を定めることは、計量の基準となる計量単位を確定することである。計量単位を法定することは、商取引や徴税等の適正な遂行のために必要不可欠のものであり、国家の根源的な機能とも言える。 具体的には、法2章「計量単位(3条~9条)」の単位に関する規定、及び法8章「計量器の校正等」に関する規定がこれに該当する。法2章では、この法律で定める計量単位(法定計量単位)は国際的に合意された「国際単位系(SI)」によることとされている。 法8章「計量器の校正等」については、平成5年改正において導入された計量標準供給制度(トレーサビリティ制度)に関する規定である。この制度は、先端技術分野を中心とした高精度の計量に対応するため、国家計量標準とつながりのある計量標準を民間へ供給することを主な狙いとしている。計量器の校正等は、もともと誰でも自由に行うことができるものであるが、「法定の標章を付した証明書を交付できる校正等」が可能となった。(※因みに、平成5年改正(新計量法)における三本柱は、計量単位のSI化、計量器規制の合理化、計量標準供給制度の発足であった。)2、適正な計量の実施の確保 適正な計量の実施の確保とは、商取引や徴税等の各種計量の目的に応じた正確性をもって保証されなければならないことを指す。計量法は、この保証を主として「取引上の又は証明上の計量」を規制することによって達成しようとしている。 具体的には、法3章「適正な計量の実施」、法4章「正確な特定計量器等の供給」、法5章「検定等」、法6章「計量証明の事業」、法7章「適正な計量管理」が該当する。これらの適正な計量の実施を確保するための諸規定は、最終的に計量結果を適正(それぞれの場合において必要な度合いの正確さ)にするために必要な規定を設け、違反者には罰則をもって臨むという仕組みになっている。即ち、これらは、適正な計量の実施を確保するための公権力の介入について規定しているものであり、計量法の強行法規としての性格を表していると言える。3、明示されていない目的(1)消費者保護 消費者保護については、法1条に明示されていないが、「経済の発展及び文化の向上」の中に消費者利益の擁護及び増進が含まれることは当然であると解釈されている。 消費者基本法(旧保護法)では、同法13条(計量の適正化)で「国は、消費者が事業者との間の取引に際し計量につき不利益をこうむることがないようにするため、商品及び役務について適正な計量の実施の確保を図るために必要な施策を講ずるものとする。」と規定している。 「消費者と事業者の間の取引に係る計量」については、特に適正な計量の実施の確保が要請される。 計量法では、「消費者が一方の当事者となる蓋然性の高い取引」について、商品の販売に係る計量に関する規制、使用する計量器を検定対象とする、などの対応を行っている。これらは、消費者基本法の趣旨を十分踏まえたものと言える。(2)公害計測の適正化 公害計測の適正化については、世の中の環境問題の社会的な関心の高まりから、大気汚染や水質汚濁などに関する法規制の強化・拡充が図られてきている。計量法においても、「公害計測機器の信頼性の確保」や「公害計測証明に関する適正な計量の実施」として、その規制の体系に取り込まれている。 具体的には、「公害計測器の信頼性の確保」については、公害計測機器の製造・修理に関する規制や検定等の制度であり、「公害計測証明に関する適正な計量の実施」としては、公害計測証明の事業を計量法上の計量証明事業として規制している。 以上のことから、公害計測の適正化は、「適正な計量の実施の確保」及び「経済の発展及び文化の向上」に関する重要な事項として、計量法の目的として幅広く取り込まれている。計量器の違法な改造・修理による取引及び証明 2026年4月28日時点の金価格は1グラム26,000円~27,000円前後(買取価格・税込)で推移している。徳力本店では小売価格が1グラム26,678円、田中貴金属では店頭買取価格が1グラム26,200円で連日最高値を更新する超高騰状態。 ハカリ(質量計)に違法な改造・修理がなされて、買取時に質量が小さな値ででるハカリが、販売時に大きな値ででるハカリが使用されていると位すると、取引における社会の信用が大きく失墜する。 1グラム27,000円の金価格における0.1グラムの価格は2,700円、0.01グラムの価格は270円。0.01グラムを正確に測るハカリに求められる精密さは、その一桁下の0.001グラムである。 計量法が規定する特定計量器に関する規定、法2条4項の政令で定める計量器のうち質量計は次のようになっている。イ、非自動はかりⅰ、目量(隣接する目盛標識のそれぞれが表す物象の状態の量の差をいう。)が10mg以上であって、目盛標識の数が100以上のもの(ⅱ又はⅲに掲げるものを除く。)ⅱ、手動天びん及び等比皿手動はかり(表記された感量(質量計が反応することができる質量の最小の変化をいう。)が10mg以上のもの)ⅲ、自重計(貨物自動車に取り付けて積載物の質量の計量に使用する質量計をいう。)ロ、分銅(表す質量が10mg以上のもの) 以上のようなことから 0.001グラムは1ミリグラム。0.01グラムは10ミリグラム。つまり計量法によって検定を受けられる質量計の一番小さな目盛りが10ミリグラムであるからこの限界に達している。0.001グラムは1ミリグラム表示の質量計(ハカリ)は自主管理の対象になる。 金価格が異常な高騰をしている現状は計量法の取引に求める質量による取引のための精密さに不都合な事情が生じている。(文章は計量計測データバンク編集部)[資料]計量制度の概要(METI/経済産業省)計量法における単位規制の概要 非法定計量単位による目盛等を付した計量器の販売の届出について 非法定計量単位による目盛等を付した計量器の販売の承認について計量法における計量器の規制の概要 特定計量器に関する規制の概要 家庭用特定計量器(体重計・調理用はかり)に関する規制の概要計量士(国家試験・資格認定・登録)適正計量管理事業所制度計量法における商品量目制度の概要(特定商品(食品など)の量目公差・内容量表記など)特殊容器(丸正びん)制度計量証明の事業計量標準法定計量における国際整合化の推進(国際法定計量機関)普及啓発(計量記念日)(以上2026年04月28日 編集作業終了時)日本計量新報全紙面 (PDFファイル)今月のIDとパスワードを入力して閲覧することができます。日本計量新報の全紙面閲覧(pdf版)のID&PWをご覧ください。2026年4月と5月のIDとPWID:5170PW:j6w3cizk日本計量新報社 過去の第一面計量計測データバンク index日本計量新報全紙面 (PDFファイル)は「日本計量新報」本紙をご購読いただいている方のみ閲覧できます。閲覧の際は、本紙に記載された「今月のIDとパスワード」を入力して下さい。 日本計量新報 週報デジタル版(週ごとに電子メールでお送りするニュースです。webページで閲覧できます) 日本計量新報社 過去の第一面 計量計測のエッセー( 2018年1月22日から日本計量新報の社説と同じ内容の論説です) 計量計測データバンク ニュースの窓 目次
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2026年05月29日
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八ヶ岳は富士山より高かった 山体崩壊して岩が甲府盆地に流れ出た(タイトル) 富士山より高かった八ヶ岳が崩壊すると泥流は甲府盆地の向こうまで流れた 執筆 甲斐鐵太郞 富士山より高かった八ヶ岳が崩壊すると泥流は甲府盆地の向こうまで流れた執筆 甲斐鐵太郞 中央道韮崎ICからに須玉IC向かう左手にみえる七里岩。八ヶ岳が山体崩壊してできた28kmほど岩屑(がんせつ)なだれの跡だ。2019年12月8日撮影。YouTube。15分。 左手に鳳凰三山がみえる。甲斐駒ヶ岳は右手に。 https://youtu.be/hP7O3XCSUTE 写真をクリックすると動画を再生できます。 富士山より高かった八ヶ岳が崩壊すると泥流は甲府盆地の向こうまで流れた執筆 甲斐鐵太郞 立木の向こうに七里岩がみえる。横に長い黒い林だ。 https://youtu.be/hP7O3XCSUTE 写真をクリックすると動画を再生できます。 富士山より高かった八ヶ岳が崩壊すると泥流は甲府盆地の向こうまで流れた執筆 甲斐鐵太郞 八ヶ岳パーキングからの八ヶ岳の姿。15分長回しの終着だ。 https://youtu.be/hP7O3XCSUTE 写真をクリックすると動画を再生できます。 富士山より高かった八ヶ岳が崩壊すると泥流は甲府盆地の向こうまで流れた執筆 甲斐鐵太郞 走行の背後に見える富士山。夕日に赤く染まる。 https://youtu.be/hP7O3XCSUTE 写真をクリックすると動画を再生できます。 (本文) 富士山より高かった八ヶ岳が崩壊すると泥流は甲府盆地の向こうまで流れた執筆 甲斐鐵太郞 韮崎と須玉に連なる丘の七里岩は八ヶ岳崩壊による岩屑(がんせつ)なだれの跡だ 中央道韮崎ICからに須玉IC向かう左手にみえる七里岩。八ヶ岳が山体崩壊してできた28kmほど岩屑(がんせつ)なだれの跡だ。左手奥に見えるのは鳳凰三山であり、七里岩は手前の塩川と奥の釜無川の間に浮かぶように伸びている。正面には八ヶ岳が見え隠れする。2019年12月8日撮影。 富士山は爆発によって高くなった山だ。八ヶ岳は地下マグマの上昇にともない水蒸気爆発などによって山体崩壊して低くなった。かつては3,000メートル級の山だった八ヶ岳はそれより低かった富士山より高い山だった。20万年前の事実だ。八ヶ岳が山体崩壊した証拠はある。北杜市付近の国道20号沿いの七里岩であり韮崎岩屑(がんせつ)なだれだ。七里岩の由来は七里つまり28kmほどの長さで岩屑が盛り上がっていること。韮崎岩屑なだれは甲府盆地の南の中道町や豊富町付近に達している。八ヶ岳から40kmの距離に達していた。 20万年に発生した八ヶ岳が山体崩壊と韮崎岩屑なだれの跡地に人が住むようになった。3万年前の地層の長坂町橫針・前久保遺跡からはナウマンゾウを解体するのに用いられた石器、槍先やナイフの形をした石の道具が出土している。韮崎には縄文中期の坂井遺跡がある。南に富士山、西に鳳凰三山、北に八ヶ岳がみえる平坦地には水が湧き出す浅い谷もある。縄文人はこの場所を好適地とした。時代が下れば武田家は韮崎に新府城を築いた。坂井遺跡は新府城の南に1㎞にある。七里岩上平坦地は縄文人の暮らしの場所であり、100メートルの崖の上の平坦地は天然の要塞であるために戦国期には新府城や能見城が築かれた。 善光寺平で武田信玄と上杉謙信が相まみえた。川中島の流れは下って信濃川になる。上流は千曲川などだ。千曲川は八ヶ岳などの水を集めて流れる。八ヶ岳は20万年前に山体崩壊して現在の高さになった。赤岳は標高2,899メートルだが南アルプスや北アルプスのような3,000メートル級の山の連なりであったと推定される。八ヶ岳は何度も崩れている。地震によっても崩れる。西暦887年8月22日におきた五畿七道の地震(南海-東海地震)でも崩れた。 地震で強く揺すられたことで北八ヶ岳の火山体は山体崩壊した。天然ダムは302日後の仁和4年5月28日(西暦888年6月20日)に決壊して千曲川の下流100km以上の地域に「仁和の洪水砂」を堆積させた。決壊した岩屑なだれの堆積物は下流の小海町八那池から馬流付近の河谷を埋積し、比高20~50メートルの河成段丘を形成した。段丘面や千曲川の河床には八ヶ岳起源の巨礫が多く残る。千曲川の中・下流は平安時代の条里遺構の上部を「仁和の洪水砂」が覆う。 【資料】 火山、地震と山体崩壊そして土石流と岩屑流など 日本列島の地下( 火山 )マグマの分布(磐梯山の火山による水蒸気爆発による山体崩壊など) YouTube 八ヶ岳の古阿弥陀岳噴火と山体崩壊 韮崎岩屑流(がんせつりゅう)は盆地を越えた(高理科教室 やまかいの四季 2000年9月3日、№104) pdf(http://www.ypec.ed.jp/yamakai/yamakai%20104.html) 八ヶ岳は富士山よりも高い山だった pdf 日本最大の天然ダム(千曲川・八ヶ岳大月川岩屑なだれ)の事例調査-砂防フロンティアの自主研究の紹介-財団法人砂防フロンティア整備推進機構 井上公夫・坂口哲夫・西本晴男 pdf(https://www.sff.or.jp/content/uploads/H22Gakkai01.pdf) 平安時代に起こった八ヶ岳崩壊と千曲川洪水 群馬大学教育学部早川由紀夫 pdf(http://www.histeq.jp/kaishi_26/HE26_19_23_05_Hayakawa.pdf) 信州発考古学最前線vol.39~52「仁和の洪水」その4 信州発考古学最前線vol.39 pdf(http://kamosikamiti.my.coocan.jp/note/saizensen/H15sum.html) 「信州発考古学最前線」2002年9月から2003年9月まで約1年間ホームページ連載記事 pdf(http://kamosikamiti.my.coocan.jp/note/saizensen.html) 山体崩壊 ウッキペディア 鳶山崩れ ウッキペディア鳶山崩れ(とんびやまくずれ)は、1858年4月9日(安政5年2月26日)の飛越地震により発生した、立山連峰・鳶山の山体崩壊である。鳶崩れ(とんびくずれ)、大鳶崩れ(おおとんびくずれ)ともいう。1707年に静岡県で起きた大谷崩れ、1911年に長野県で起きた稗田山崩れとともに、日本三大崩れのひとつとされる。 飛越地震と立山鳶崩れ 伊藤和明防災情報機構会長 pdf 鳶山(標高2,616 m)ウッキペディア鳶山(とんびやま)は、富山県中新川郡立山町にある飛騨山脈(立山連峰)の山。 飛越地震 ウッキペディア飛越地震(ひえつじしん)は、1858年4月9日(安政5年2月26日)午前1時頃、越中・飛騨国境(現在の富山・岐阜県境)の跡津川断層を震源に発生したM7.0 - 7.1と推定される地震。安政飛越地震とも呼ばれる。「飛越」とは飛騨と越中を並びさす言葉である。 稗田山崩れ ウッキペディア稗田山崩れ(ひえだやまくずれ)は、1911年(明治44年)8月8日に発生した、現在の長野県北安曇郡小谷村にある稗田山が崩壊した災害。1707年(宝永4年)に静岡県で起きた大谷崩れ、1858年(安政5年)に富山県で起きた鳶山崩れとともに、日本三大崩れのひとつとされる。 大谷崩 ウッキペディア大谷崩(おおやくずれ)は、静岡市葵区の大谷嶺(おおやれい)の南斜面にある、1707年(宝永4年)の宝永地震によってできた山体崩壊である。 1858年に富山県で起きた鳶山崩れ、1911年に長野県で起きた稗田山崩れとともに、日本三大崩れのひとつとされる。 富士山の噴火史 ウッキペディア富士山の噴火史(ふじさんのふんかし)現在見えている山の外観は約1万年前から噴火活動を開始した新富士火山であり、その下に約70万年前から活動していた小御岳(こみたけ)火山と約10万年前から約1万年前に噴火した古富士火山がある。約70万年前、現在の富士山の位置に小御岳(こみたけ)火山が活動を始めた。約10万年前から新たな活動時期に入った。この時期を古富士火山と呼ぶ。北東麓側で富士相模川泥流(1万7000前から1万4000年前)などの火山泥流が複数回発生した。東京周辺には、関東ローム層と呼ばれる褐色の細かい砂質の土が広がっている。これは古富士火山から飛んできた火山灰が主体の土である。貞観大噴火 864年6月から866年初頭にかけて活動青木ヶ原溶岩を形成した噴火で、山頂から北西斜面約10Kmの(現在の長尾山)から大量の溶岩流出とスコリア噴火とを起こす。 仁和地震 ウッキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/仁和地震仁和地震(にんなじしん)は平安時代前期に起きた南海トラフ沿いの巨大地震と推定される地震である。仁和3年7月30日申刻(ユリウス暦887年8月22日16時ごろ、グレゴリオ暦887年8月26日)、五畿七道諸国を揺るがす大地震が発生した。『日本三代実録』には、京都において諸司の舎屋や民家の多くが潰れ死者も出し、五畿七道諸国に亘り官舎の倒壊、津波による多数の溺死者を出したとする記録がある。余震は8月末ごろまで記録されている。 日本の地質百景 http://chishitsu-100kei.world.coocan.jp/page031.html 地震と津波 地震と津波 地が裂け山が崩れ洪水が人を襲う日本の自然(ハザードマップは人が住んではならない場所を示す地図だ) 北杜市須玉インター付近の七里岩動画映像 中央道須玉ICから韮崎ICに向かう右手にみえる七里岩。八ヶ岳が山体崩壊してできた28kmほど岩屑(がんせつ)なだれの跡だ。2019年11月19日撮影。YouTube。https://www.youtube.com/watch?v=8udT2C1JtQU&feature=youtu.be 中央道須玉ICから韮崎ICに向かう右手にみえる七里岩。八ヶ岳が山体崩壊してできた28kmほど岩屑(がんせつ)なだれの跡だ。2019年11月19日撮影。YouTube。 写真をクリックすると動画を再生できます。 中央道須玉IC付近右手にみえる七里岩。八ヶ岳が山体崩壊による岩屑(がんせつ)なだれの跡だ。執筆 旅行家 甲斐鐵太郞 地が裂け山が崩れ洪水が人を襲う日本の自然(ハザードマップは人が住んではならない場所を示す地図だ) 八ヶ岳山体崩壊による28kmほどの岩屑なだれによる崖 八ヶ岳が山体崩壊してできた28kmほど岩屑だれの跡の崖。 2019-12-10-when-yatsugatake-which-was-higher-than-mt-fuji-collapsed-the-mud-flow-flowed- beyond-the-kofu-basin-
2020年06月15日
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八島湿原近くの遠くに車山と山頂のレーダードームが見える直線道路の両脇は6月になるとズミの白い花で飾り立てられます。ここで一本の木が白い花を満艦飾のように付けておりました。白い花を咲かせるバラ科の「エゾノコリンゴ」でした。5月22日 霧ヶ峰高原にズミに似た白い花のエゾリンゴが咲きだした霧ヶ峰高原に登る途中のバス停「賽の河原(さいのかわら)」には丘に道祖神が祀(まつ)ってあって、道祖神を覆うようにエゾコリンゴの生えております。5月22日エゾコリンゴの花が満開でした。ズミに似た白い花のエゾリンゴ5月22日 霧ヶ峰高原の八島湿原に緑が広がり始めた。カラマツは新緑になってマユミなどの落葉樹ははを広げている。(タイトル)霧ヶ峰高原とズミの花そしてエゾノコリンゴ(5月22日 霧ヶ峰高原にズミに似た白い花のエゾリンゴが咲きだした)(本文) 野や山に咲く花の名前をみんな知っていて、樹木の名も知っていて、自然のそうしたことのすべてを理解していることができればどれほど楽しいでしょう。 「木を見て森を見ない」という哲学を語る言葉があります。いつでも私たちはこのようなことをしていると考えます。 5月22日に霧ヶ峰高原にあがりました。 里は新緑が過ぎてすっかり夏模様ですから、霧ヶ峰高原はどうかな、とあがったのです。 強清水の先に眺められる車山の方面はわずかに緑色がみえるだけで枯れ草色でした。 強清水と八島湿原の往来の道はカラマツがすっかり芽吹いていて他の落葉樹も新緑になっておりました。 緑はある。花はないかと探しての霧ヶ峰のドライブによる散策です。 霧ヶ峰高原で春一番に咲くのはタンポポです。足下には黄色いタンポポの花がずっと前から咲いておりました。日差しのぬくもりがあればタンポポは咲くのです。 日溜まりの樹木に白い花が咲いておりました。 5月22日の霧ヶ峰高原に咲く樹木の白い花です。 八島湿原近くの遠くに車山と山頂のレーダードームが見える直線道路の両脇は6月になるとズミの白い花で飾り立てられます。 ここで一本の木が白い花を満艦飾のように付けておりました。 ズミと同じように白い花を咲かせる同じくバラ科の「エゾノコリンゴ」でした。 エゾノコリンゴの蕾(つぼみ)はズミのように赤くなく開いた花も白色です。成長した木は、ズミよりもやや高めになります。 霧ヶ峰自然保護センターの人の上のような説明がありました。 エゾノコリンゴのわきでは赤い蕾を付けたズミの木がありました。 私は花のことを、赤い花、黄色い花、白い花などと表現します。 妙に分類学が威張っていると白い花をさらに細かく分けてしまってズミとエゾコリンゴ別のものにしてしまいます。 多くの人はこの方面に疎いのですからそれほどに細かく分類されたら見るのは良いとしても考えるのが嫌になってしまいます。 上高地の小梨平という地名はズミの別名のコナシに由来します。 ズミとエゾコリンゴを分類するのに懸命な人が上高地の明神館前にある二本のズミの木がエゾコリンゴの特性も併せ持っているので悩んでいるということがあります。明神館の主人はこの木をズミと決めて説明しているのです。 日本に原生(自生)するリンゴ属の樹木は次の4種に分類されております。 ズミ、オオウラジロノキ(ズミノキ、本州)、エゾノコリンゴ(本州中部~北海道)、ノカイドウです。 ウッキパディアではズミを次のように説明します。ズミ。 漢字 桷(ズミ)、酸実(実が酸っぱいことから)。 樹皮を黄色の染料とするのでソミ(染み)の意からきた名。 標準別名 コナシ、コリンゴ、ミツバカイドウ。 属名Malusはmalonから出た名で、リンゴのギリシャ名である。 分類 バラ科 リンゴ属。 分布 北海道、本州、四国、九州の温帯や亜寒帯の山地。 葉 互生。2つ折りになって開葉する。 ズミにコリンゴの別名はあるもののエゾコリンゴとは言っておりませんから、ズミをエゾコリンゴは違うものであると知っておいたらよいでしょう。エゾコリンゴには赤みがない、ということです。それでもエゾコリンゴだという花の色がズミのようである写真を載せている事例がありますからウカウカできません。 霧ヶ峰高原に登る途中のバス停「賽の河原(さいのかわら)」には丘に道祖神が祀(まつ)ってあって、道祖神を覆うようにエゾコリンゴの生えております。5月22日エゾコリンゴの花が満開でした。 エゾコリンゴの花は賽の河原(さいのかわら)に一本、八島湿原近くの道脇に一本咲いておりました。八島湿原のエゾコリンゴの花の隣にあるズミはまだ硬く小さな蕾(つぼみ)を如何にも赤い色をして付けておりました。 ズミの花は5月7日に松本市安曇の沢渡第二駐車場で満開になっておりました。ここに一本のズミの木がありました。沢渡第二駐車場の前には「ともしび」という簡便宿があって日帰り入浴ができます。「ともしび」の露天風呂のわきにも一本のズミがあって満開でした。ズミの花は蕾が赤いこともあって遠くから見ると赤みを帯びております。 霧ヶ峰高原のエゾコリンゴが咲きだして、これを追ってズミ(小梨)も咲き始めます。八島湿原周辺から美ケ原に向かう道路にはズミの花が咲いて見事な花街道をつくります。 霧ヶ峰高原は遠目には霧の中にぼんやりと白い花を咲かせるズミが咲くとそれに呼応するように赤い花のレンゲツツジが咲きだします。 車山肩の駐車場から少し歩いてころボックルヒュッテのテラスに腰を掛けて紅茶を飲みながら車山湿原に咲く白いズミの花と赤いレンゲツツジの花とシダの鮮やかな緑を見ているとここが別天地であることを知らされます。 夏雲が夏雲らしく大きく広がるころになると黄色い花のニッコウキスゲが牧草地だった丘を絨毯のように覆います。 そのころには夏休みになっていて霧ヶ峰高原をハイキングする人々で賑わいます。ニッコウキスゲを見に出かける車の列が強清水から車山周辺に列をなして霧ヶ峰は夏真っ盛りになるのです。(読み返していないので誤変換と表現に不適切さがあることをご容赦ください)
2016年05月25日
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計量計測データバンク ニュースの窓-13-News material content collection of metrology databank №13計量計測データバンク ニュースの窓-13-経済産業省産業技術環境局計量行政室 仁科孝幸氏の着任の挨拶 (2023年04月14日データ取得 計量計測データバンク編集部)経済産業省産業技術環境局計量行政室長 仁科孝幸(にしな・たかゆき)氏計量行政の着実な実施に向けて 済産業省産業技術環境局計量行政室 仁科孝幸(にしな・たかゆき) 4月1日付けで計量行政室長に就任いたしました仁科孝幸でございます。ご挨拶の機会をいただき、御礼申し上げます。計量制度は、国民生活の安心・安全や経済社会における取引の信頼性を確保するために大変重要な役割を果たしており、社会インフラの根幹を担う重要な基盤として機能しています。 平成5年の計量法全面改正から30年、また、計量法に基づく業務の多くが自治事務化されてから既に20年以上になりますが、これまで全国各地で日々、計量制度実務がしっかりと遂行されておりますことは、関係の皆様のご尽力の賜であり、深い敬意を感じています。計量行政室では、計量器の技術革新や国際的な技術基準の変化に対応しながら、計量制度が引き続き、重要な社会基盤として、その機能を十分に果たしていけるよう実効性のある計量行政に取り組んでいきたいと考えています。 最近の動きでは、令和6年4月から「新たに取引・証明に使用する自動捕捉式はかり」の検定義務化が控えています。自動捕捉式はかり(自動はかり)は原則として民間機関において検定を行うこととしており、民間の活力を計量制度に取り入れる機会になるものと考えています。現在は、検定義務化に向けて指定検定機関の指定を着実に進めており、円滑な検定の実施に向けた体制構築に取り組んでいます。また近年では、急速なデジタル技術の発展に伴い、精度の高い計量データに対するニーズが高まっていることから、正確な計量を確保するための計量制度の重要性は一層増しているところです。政府全体としても、デジタル社会の実現に向けた動きが加速しているところであり、計量行政室としても検定や検査等におけるデジタル技術の導入に向けた取組を検討しております。 計量行政に関する手続のデジタル化は、地方自治体との協力が不可欠であることから、今後とも地方自治体と協力しながら、計量行政のデジタル化に向けた取組を進めていきたいと思います。関係者の皆様とのこれまでの意見交換を通じ、私が感じた計量行政における課題の一つとして、これは長年の課題だと思いますが、計量人材の不足が挙げられます。我が国の少子高齢化による影響は計量業界に限られたものではありませんが、長期的な視点で捉えると特に若手人材の確保が急務です。一朝一夕に解決できる問題ではありませんが、関係者の皆様との意見交換等を通じ、課題解決への道を探っていきたいと思います。ここ3年間はコロナ禍による影響で、計量行政室長はじめ室員も出張に行くのが難しく、計量行政の現場に携わる方々のお声を直接聴くのが容易でない状況がありました。 しかしながら、この5月から新型コロナウイルス感染症がインフルエンザと同等の5類に引き下げられます。今後、感染対策には引き続き万全を期しながら、全国の計量行政関係者の皆様と直接お会いし、現場で直面している課題の解決や将来の計量行政のあるべき姿について意見交換をさせていただく機会を増やしていきたいと考えています。引き続き地方自治体、計量関係団体、関係企業等、関係者の皆様の御指導・御鞭撻、そして一層の御理解・御協力をお願い申し上げます。略歴仁科孝幸(にしな・たかゆき)1968年(昭和43年)生岡山県出身1993年(平成5年)4月通商産業省入省2019年(平成31年)4月中小企業庁消費税転嫁対策室長2021年(令和3年)4月原子力損害賠償・廃炉等支援機構執行役員2023年(令和5年)4月産業技術環境局計量行政室長(現職)
2023年04月14日
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「日本計量新報」今週の話題と重要ニュース(速報版)2025年7月3日号「日本計量新報週報デジタル版」国家公務員・中央省庁幹部名簿一覧写真はレタス畑の畔に咲くカワラナデシコ。色鮮やかで花の向こうにはジャージー牛の牧舎があった。2025年6月19日撮影。├国家公務員・中央省庁幹部名簿一覧├計量計測データバンク ニュースの窓-331-経済産業省 幹部名簿 2025年10月21日現在├├計量計測データバンク ニュースの窓-303-経済産業省 幹部名簿 2025年7月7日現在├経済産業省平成7年7月1日付(幹部級職員の主な異動)藤木俊光 経済産業政策局長→事務次官佐々木啓介 内閣府官房審議官=経済安全保障担当→総括審議官 兼 首席地方創生担当政策統括調整官藤本武士 消費者庁政策立案総括審議官→福島原子力事故処理調整総括官畠山陽二郎 資源エネルギー庁次長 兼 首席最終処分政策統括調整官 兼 首席GX推進戦略統括調整官 兼 首席エネルギー・地域政策統括調整官→経済産業政策局長 兼 首席GX推進戦略統括調整官成田達治 総括審議官 兼 経済安全保障政策統括調整官→貿易経済安全保障局長伊藤禎則 資源エネルギー庁省エネルギー・新エネルギー部長→脱炭素成長型経済構造移行推進審議官 兼 GXグループ長龍崎孝嗣 脱炭素成長型経済構造移行推進審議官 兼 GXグループ長→資源エネルギー庁次長 兼 首席最終処分政策統括調整官 兼 首席エネルギー・地域政策統括調整官河西康之 内閣官房内閣審議官=新しい資本主義実現本部事務局長代理→特許庁長官山本和徳 中小企業庁事業環境部長→中小企業庁次長飯田祐二 事務次官→辞職小野洋太 特許庁長官→辞職新居泰人 福島原子力事故処理調整総括官 兼 首席能登復興担当政策統括調整官→出向・復興庁統括官へ福永哲郎 貿易経済安全保障局長 兼 首席経済安全保障政策統括調整官→出向・内閣府科学技術・イノベーション推進事務局統括官へ飯田健太 中小企業庁次長→出向・消費者庁政策立案総括審議官へ西田光宏 脱炭素成長型経済構造移行投資促進課長→大臣官房付呉村益生 航空機武器産業課長→大臣官房付西川和見 貿易経済安全保障局総務課長→大臣官房サイバーセキュリティ・情報化審議官竹田憲 大臣官房参事官→大臣官房調査統計グループ長大貫繁樹 大臣官房会計課長→大臣官房秘書課長安田篤 イノベーション・環境局総務課長→大臣官房参事官=技術・高度人材戦略担当吉村直泰 内閣官房副長官補付内閣参事官→大臣官房総務課長若月一泰 デジタル庁統括官付参事官→大臣官房会計課長村上貴将 資源エネルギー庁省エネルギー・新エネルギー部政策課長→大臣官房業務改革課長細川成己 産業保安・安全グループ保安政策課長→大臣官房審議官=産業保安・安全、電力・ガス取引監視等委員会事務局担当田岡卓晃 特許庁総務課長→産業保安・安全グループ保安政策課長前田博貴 資源エネルギー庁原子力立地政策室長兼原子力広報室長→電力安全課長森本将史 新エネルギー・産業技術総合開発機構シリコンバレー事務所長→製品安全課長宮本岩男 中小企業庁中小企業政策調整官 兼 地域経済産業政策統括調整官→地方創生担当政策統括調整官 兼 イノベーション・環境局イノベーション政策統括調整官中野剛志 大臣官房参事官→地方創生担当政策統括調整官中村智 大臣官房総務課政策企画委員→産業構造課長鮫島大幸 中小企業庁取引課長→産業組織課長松田洋平 政策調整官=経済産業政策局担当→産業創造課長豊田原 商取引監督課長→投資促進課長日野由香里 産業創造課長→地域経済産業政策課長猪又真介 関東経済産業局総務企画部長→地域産業基盤整備課長高山成年 農林水産省官房輸出促進審議官→大臣官房審議官=通商政策局・農林水産品輸出担当田中将吾 資源循環経済課長→通商戦略課長白井俊行 資源エネルギー庁大臣官房国際課長→欧州課長高木重孝 製造産業局生活製品課長→北東アジア課長藤沢秀昭 大臣官房付→国際経済部長西脇修 防衛装備庁官房審議官→大臣官房審議官=貿易経済安全保障局担当田中伸彦 経済安全保障政策調整官=技術担当→経済安全保障政策統括調整官稲邑拓馬 製造産業局総務課長→貿易経済安全保障局総務課長浅井洋介 投資促進課長→貿易管理課長中西友昭 産業組織課長→イノベーション・環境局総務課長石川浩 日本貿易振興機構シンガポール事務所産業調査員→イノベーション創出新事業推進課長中野真吾 内閣官房副長官秘書官→国際標準課長福本拓也 イノベーション政策統括調整官→大臣官房審議官=脱炭素成長型経済構造移行推進担当清水淳太郎 業務改革課長→脱炭素成長型経済構造移行投資促進課長三牧純一郎 内閣府原子力災害対策本部原子力被災者生活支援チーム参事官→資源循環経済課長畑田浩之 大臣官房参事官=技術・高度人材戦略担当→大臣官房審議官=製造産業局担当玉井優子 経済産業政策局地域経済産業政策調整官→製造局総務課長渡辺宏和 日本貿易振興機構ニューヨーク貿易保険事務所長→生活製品課長木村拓也 資源エネルギー庁省エネルギー課長→航空機武器産業課長金指寿 情報産業課長→商務情報政策局総務課長渡辺琢也 情報処理基盤産業室長→情報技術利用促進課長南部友成 日本貿易振興機構ニューヨーク事務所産業調査員→情報産業課長乃田昌幸 資源エネルギー庁原子力損害対応総合調整官→商取引・消費経済政策課長西川奈緒 国際標準課長→サービス政策課長梶直弘 産業構造課長→文化創造産業課長福田光紀 資源エネルギー庁ガス市場整備室長→ヘルスケア産業課長広瀬大也 新エネルギー・産業技術総合開発機構事業統括部グリーンイノベーション基金室長→生物化学産業課長浦田秀行 大臣官房審議官=製造産業局担当→北海道経済産業局長横田純一 貿易管理課長→北海道経済産業局資源エネルギー環境部長上野麻子 中国大使館参事官→資源エネルギー庁国際資源エネルギー戦略統括調整官大江健太郎 大臣官房付→資源エネルギー庁長官官房国際課長小林大和 大臣官房秘書課長→資源エネルギー庁省エネルギー・新エネルギー部長那須良 資源エネルギー庁政策課長→資源エネルギー庁省エネルギー・新エネルギー部政策課長福永佳史 北東アジア課長→資源エネルギー庁省エネルギー課長永井岳彦 資源エネルギー庁燃料供給基盤整備課長→資源エネルギー庁資源・燃料部政策課長東哲也 通商戦略課長→資源エネルギー庁燃料供給基盤整備課長吉瀬周作 資源エネルギー庁原子力政策課長→資源エネルギー庁電力・ガス事業部参事官=エネルギー制度改革担当多田克行 資源エネルギー庁原子力基盤室長 兼 革新炉推進室長 兼 原子力技術室長→資源エネルギー庁電力・ガス事業部原子力政策課長吉沢隆 経済産業研究所総務ディレクター→特許庁総務部長降井寮治 内閣官房内閣情報調査室参事官→特許庁秘書課長亀井明紀 公正取引委員会事務総局企業取引課長→特許庁総務課長北村弘樹 特許庁審査第三部長→特許庁審査第一部長小松竜一 特許庁審判部審判課長→特許庁審査第二部長諸岡健一 特許庁審査第二部長→特許庁審査第三部長仁科雅弘 特許庁審査第四部審査長=首席・電子商取引・経営システム→特許庁審査第四部長野仲松男 特許庁審査第一部長→特許庁審判部長黒田浩司 中小企業庁小規模企業振興課長→中小企業庁官房総務課長坂本里和 内閣官房内閣審議官=新しい資本主義実現本部事務局次長→中小企業庁事業環境部長佐伯徳彦 文化創造産業課長→中小企業庁企画課長橋本泰輔 ヘルスケア産業課長→中小企業庁金融課長小高篤志 資源エネルギー庁戦略企画室長→中小企業庁取引課長山崎琢矢 大臣官房総務課長→中小企業庁経営支援部長前田了 電力安全課長→中小企業庁経営支援課長荒木太郎 内閣官房内閣人事局参事官→中小企業庁小規模企業振興課長神崎忠彦 商務情報政策局総務課長→出向・内閣官房副長官補付内閣参事官へ殿木文明 大臣官房審議官=産業保安・安全、電力ガス取引監視等委員会事務局担当 兼 大臣官房調査統計グループ長→出向・内閣官房内閣審議官=国家安全保障担当 兼 内閣府官房審議官=経済安全保障担当へ下世古光可 地域経済産業政策課長→出向・内閣官房行政改革推進本部事務局参事官へ柏原恭子 国際経済部長→出向・内閣官房内閣審議官へ西森雅樹 特許庁秘書課長→出向・内閣官房観光立国推進室参事官へ田尻貴裕 大臣官房審議官=脱炭素成長型経済構造移行推進担当 →出向・内閣官房内閣審議官=新しい資本主義実現本部事務局次長へ貴田仁郎 中小企業庁官房総務課長→出向・内閣官房新しい資本主義実現本部事務局参事官へ浦上健一朗 大臣官房審議官=国際博覧会担当→出向・内閣府官房審議官=経済財政運営担当へ佐々木雅人 エネルギー・地域政策統括調整官→出向・内閣府官房審議官=原子力防災担当へ太田三音子 サービス政策課長→出向・内閣府知的財産戦略推進事務局参事官へ柴山豊樹 中小企業庁経営支援課長→出向・公正取引委員会事務総局経済取引局企業取引課長へ岡田智裕 中小企業庁経営支援部長→出向・デジタル庁統括官付審議官へ市川紀幸 地域産業基盤整備課長→出向・復興庁統括官付参事官へ宮部勝弘 中小企業庁事業環境部企画課長→出向・福島復興局次長へ藤田健 欧州課長→出向・文化庁文化経済・国際課長へ依田学 大臣官房審議官=通商政策局農林水産輸出担当→出向・農林水産省大臣官房付へ滝沢豪 特許庁総務部長→出向・防衛装備庁官房審議官へ西垣淳子 大臣官房政策統括調整官=経済産業局担当兼中小企業庁官房中小企業政策統括調整官=DX・EBPM担当→出向・政策研究大学院大学特任教授へ野沢泰志 中小企業庁金融課長→出向・東京大学産学協創推進本部特任研究員 兼 スタートアップ推進部長へ佐藤猛行 製品安全課長→辞職・経済産業研究所総務コーディネーター内田了司 情報技術利用促進課長→辞職・情報処理推進機構上席執行役員下田裕和 生物化学産業課長→辞職・日本医療研究開発機構調整役西村秀隆 サイバーセキュリティ・情報化審議官→辞職瓜生和久 基準認証政策統括調整官→辞職油科壮一 特許庁審査第四部長→辞職田村聖子 特許庁審判部長→辞職桑原智隆 イノベーション創出新事業推進課長→退職経済産業省について 幹部名簿(最終更新日:2025年7月1日)https://www.meti.go.jp/intro/data/pdf/list_ja.pdf経済産業省7月の人事異動に伴う幹部名簿は上記名簿が自動更新されます。計量法関係手数料令の一部を改正する政令が閣議決定されました (METI/経済産業省)計量法関係手数料令の一部を改正する政令が閣議決定されました(2024年12月13日、経済産業)本日、「計量法関係手数料令の一部を改正する政令」が閣議決定され、産業技術総合研究所が行う振動レベル計の構造検定及び型式承認試験に係る手数料の見直しが行われました。1.政令改正の概要産業技術総合研究所が行う振動レベル計の構造検定及び型式承認試験について、日本産業規格(JIS)の改正により、新たな検査項目が追加されたため、手数料の額を改定します。2.今後の予定公布 令和6年12月18日(水曜日)施行 令和7年4月1日(火曜日)関連資料要綱(PDF形式:33KB)案文・理由(PDF形式:32KB)新旧対照条文(PDF形式:44KB)参照条文(PDF形式:91KB)イノベーション・環境局 計量行政室長 仁科担当者:平林、冨澤電話:03-3501-1511(内線 3461)メール:bzl-metrology-policy★meti.go.jp※[★]を[@]に置き換えてください。武藤経済産業大臣の閣議後記者会見の概要 (METI/経済産業省)(2025年7月1日(火曜日)11時19分~11時30分 於:本館10階記者会見室)長野県石油商業組合のカルテル疑惑Q:長野県石油商業組合のガソリン価格のカルテル疑惑をめぐって、その組合が設置した第三者委員会が、昨日、6月30日に、複数の組合の支部で店頭表示価格などの事前調整があったことを確認し、独禁法の3条並びに8条それぞれに違反する行為があったということを明らかにしました。このことに対する大臣の受け止めをお聞かせください。また、この問題に対する経済産業省のこれまでの対応状況と今後の対応についてもお聞かせください。A:長野県の石油商業組合が設置しました第三者委員会が、昨日、今おっしゃっていただいたような、公表した報告書の内容については承知しているところです。この内容が事実であれば、深刻な問題と受け止めているところであります。本事案は、既に公正取引委員会が立入検査に入り調査を進めております。独占禁止法に違反する事実が認められた場合には、公取において、厳正に対処をされるものと認識をしているところであります。経済産業省といたしましては、これまで、全国の石油組合などの関係者に対し、法令遵守の要請、また、調査を実施しておりますけれども、今回の調査結果を踏まえれば、業界に対して一段のコンプライアンス強化を促す必要があると考えておりまして、事務方に検討を指示したところであります。以上です。Q:ありがとうございます。1点だけ。その指示されたのはいつのお話ですか。事務方:昨日報告書出たばかりですので、昨日の話です。A:よろしいですか。2025年6月30日 独立行政法人等の役員の報酬等及び職員の給与(令和6年度分)を公表します2024年10月31日 令和6年度計量記念日式典の受賞者を発表します2024年8月20日 日本産業規格(JIS)を制定・改正しました(2024年8月分)2024年6月20日 日本産業規格(JIS)を制定・改正しました(2024年6月分)2024年5月20日 日本産業規格(JIS)を制定・改正しました(2024年5月分)2024年3月21日 日本産業規格(JIS)を制定・改正しました(2024年3月分)特定計量器の届出製造事業者一覧(METI/経済産業省)事業の区分の略称と事業の区分タクシーメータータクシーメーターを製造する事業質量計第一類非自動はかりのうち、検出部が電気式のものを製造する事業質量計第二類非自動はかりのうち、検出部が電気式以外のものを製造する事業分銅等分銅又はおもりを製造する事業自重計自重計を製造する事業ガラス製温度計ガラス製温度計(ガラス製体温計を除く。)を製造する事業ガラス製体温計(2025年6月22日現在リンクが切れております)ガラス製体温計を製造する事業抵抗体温計抵抗体温計を製造する事業皮革面積計皮革面積計を製造する事業水道メーター第一類水道メーターのうち、定格最大流量が八立方メートル毎時以下のものを製造する事業水道メーター第二類水道メーターのうち、定格最大流量が八立方メートル毎時を超えるものを製造する事業温水メーター温水メーターを製造する事業自動車等給油メーター自動車等給油メーターを製造する事業小型車載燃料油メーター小型車載燃料油メーターを製造する事業大型車載燃料油メーター大型車載燃料油メーターを製造する事業微流量燃料油メーター微流量燃料油メーターを製造する事業定置燃料油メーター等燃料油メーターを製造する事業のうち、自動車等給油メーター、小型車載燃料油メーター、大型車載燃料油メーター及び微流量燃料油メーター以外のものを製造する事業液化石油ガスメーター液化石油ガスメーターを製造する事業ガスメーター第一類ガスメーターのうち、使用最大流量が二・五立方メートル毎時以下のものを製造する事業ガスメーター第二類ガスメーターのうち、使用最大流量が二・五立方メートル毎時を超えるものを製造する事業排ガス積算体積計等排ガス積算体積計、排ガス流速計及び排ガス流量計を製造する事業排水積算体積計等排水積算体積計、排水流速計及び排水流量計を製造する事業量器用尺付タンク量器用尺付タンクを製造する事業密度浮ひょう等密度浮ひょう(耐圧密度浮ひょうを除く。)、酒精度浮ひょう及び浮ひょう型比重計を製造する事業耐圧浮ひょう型密度計耐圧浮ひょう型密度計を製造する事業圧力計第一類アネロイド型圧力計のうち、検出部が電気式のもの(アネロイド型血圧計を除く。)を製造する事業圧力計第二類アネロイド型圧力計のうち、検出部が電気式のもの以外のもの(アネロイド型血圧計を除く。)を製造する事業血圧計第一類アネロイド型血圧計のうち、検出部が電気式のものを製造する事業血圧計第二類アネロイド型血圧計のうち、検出部が電気式のもの以外のものを製造する事業積算熱量計積算熱量計を製造する事業照度計照度計を製造する事業騒音計騒音計を製造する事業振動レベル計振動レベル計を製造する事業濃度計第一類濃度計(酒精度浮ひょう、ガラス電極式水素イオン濃度検出器及びガラス電極式水素イオン濃度指示計を除く。)を製造する事業濃度計第二類ガラス電極式水素イオン濃度検出器を製造する事業濃度計第三類ガラス電極式水素イオン濃度指示計を製造する事業ホッパースケール自動はかりのうち、ホッパースケールを製造する事業充塡用自動はかり自動はかりのうち、充塡用自動はかりを製造する事業コンベヤスケール自動はかりのうち、コンベヤスケールを製造する事業自動捕捉式はかり自動はかりのうち、自動捕捉式はかりを製造する事業その他の自動はかり自動はかりを製造する事業のうち、ホッパースケール、充塡用自動はかり、コンベヤスケール及び自動捕捉式はかり以外のものを製造する事業電気計器の届出製造事業者については、資源エネルギー庁「電気の計量制度について」外部リンクをご覧ください。電話によるお問合せ経済産業省イノベーション・環境局 計量行政室電話:03-3501-1688(直通)、FAX:03-3501-7851受付時間:9時30分~12時00分 13時00分~17時00分(平日のみ)特定計量器の届出製造事業者一覧(METI/経済産業省)経済産業省指定製造事業者次の二社を指定経済産業省指定製造事業者次の二社を指定富士電機株式会社東京工場濃度計第一類と株式会社クボタ京都事業所 質量計第一類令和7年4月22日 391301 富士電機株式会社 東京工場 濃度計第一類計量法(平成四年法律第五十一号)第十六条第一項第二号ロの指定をしたので、同法第百五九条第一項第二号の規定に基づき公示する。令和七年四月二十二日 経済産業大臣武藤容治。指定番号 三九一三〇。指定年月日 令和七年四月二十二日。事業所の区分の略称 濃度計第一類。届出製造事業者の名称 富士電機株式会社。指定する工場又は事業場の名称及び所在地 富士電機株式会社東京工場 東京都日野市富士町一番地。[解説]濃度計第一類とは「濃度計(酒精度浮ひょう、ガラス電極式水素イオン濃度検出器及びガラス電極式水素イオン濃度指示計を除く。)を製造する事業」濃度計第一類令和7年1月15日 022604 株式会社クボタ 精密機器事業ユニット 精密機器製造部 京都事業所 質量計第一類計量法(平成四年法律第五十一号)第十六条第一項第二号ロの指定をしたので、同法第百五十九条第一項第二号の規定に基づき公示する。令和七年一月十五日 経済産業大臣臨時代理国務大臣赤澤亮正。計量法第十六条第一項第二号ロの指定をした届出製造事業者。指定番号 〇二二六〇四。指定年月日 令和七年一月十五日。事業所の区分の略称 質量計第一類。届出製造事業者の名称 株式会社クボタ。指定する工場又は事業場の名称及び所在地 株式会社クボタ精密機器事業ユニット精密機器製造部京都事業所 京都府八幡市戸津南代32番地2。[解説]質量計第一類とは「非自動はかりのうち、検出部が電気式のものを製造する事業」令和3年3月1日 082402 オムロンヘルスケア株式会社 松阪事業所 抵抗体温計(PDF形式:45KB)令和3年10月29日 103802、113802 愛知時計電機株式会社 今治第2工場 水道メーター第一類、水道メーター第二類(指定製造事業者の指定(令和元年12月20日以降分)[解説]指定製造事業者とは「経済産業大臣が指定した製造事業者で、型式承認を受けた特定計量器を製造する際に、検定に代わる自主検査を行うことができる事業者です。この自主検査に合格すると、検定に合格したものと同等とみなされ、その計量器に「基準適合証印」を付すことができます。指定製造事業者になるには、届出製造事業者などが申請し、品質管理の方法に関する検査を受け、経済産業大臣の指定を受ける必要があります。この指定を受けると、検定が免除され、自主検査で合格した計量器に基準適合証印を付すことができるようになります。指定製造事業者は、検定合格条件に適合した特定計量器を製造し、自社の検査記録を作成・保存しなければなりません。また、経済産業大臣や都道府県知事などは、指定製造事業者の品質管理状況について報告を求めることができるなど、指定後の管理体制も設けられています」お問合せ先産業技術環境局 計量行政室電話:03-3501-1688(直通) FAX:03-3501-7851受付時間:9時30分~12時00分 13時00分~17時00分(平日のみ)※担当者が他の業務等で不在の場合には翌日以降のご回答になる場合があります。指定製造事業者とは
2025年07月04日
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車山高原の小梨の大木 花は盛りを少し過ぎている計量計測データバンク ニュースの窓-目次3-├計量計測データバンク ニュースの窓-361-経済学 日本の財政の現状と将来像(慢性的な財政赤字からの脱却の方法)├計量計測データバンク ニュースの窓-362-経済学 マルクス主義経済理論、マルクスの説く恐慌理論、山田盛太郎・日本資本主義分析、生産財部門と消費財部門、生産財部門と消費財部門の矛盾、衣食住・人の生活の基本要素├計量計測データバンク ニュースの窓-363-日本の国力と国民生活の指標となる購買力平価とその国際比較├計量計測データバンク ニュースの窓-364-日本経済分析と経済理論の資料集├計量計測データバンク ニュースの窓-365-「2026年経済展望 激動の世界と日本を読む」(6)林伴子・景気循環学会副会長(前内閣府政策統括官)2026.2.18(日本記者クラブでの講演)├├計量計測データバンク ニュースの窓-366-思索へのあこがれ 山荘暮らしと串田孫一「若き日の山」「山のパンセ」による手引き├計量計測データバンク ニュースの窓-367-標高1,600mにある山荘に二部屋の増築工事を自分でする 標高1,600mの自然林には雑草は生えません├計量計測データバンク ニュースの窓-368-串田孫一への覚書と資料集-その1-├計量計測データバンク ニュースの窓-369-コンサルティング・ファームの調査 ユーチューブ動画集(生成AIとの複合など)├計量計測データバンク ニュースの窓-370-コンサルティングファームと役所業務への改善案への疑問 計量計測データバンク編集部(2026年02月25日記)├├計量計測データバンク ニュースの窓-371-数字記号操作能力を一例とするシンボル操作と学力偏差値、進学先、就職先の決定方式の考察├計量計測データバンク ニュースの窓-372-現代が人間の能力判定にしているシンボリック操作能力への疑問と縄文人の能力判定基準├計量計測データバンク ニュースの窓-373-日本社会が恐れるべきは経済危機か自然災害と原発事故か├計量計測データバンク ニュースの窓-374-ユーチューブ収益化の新規定発動と除外対象となる動画内容├計量計測データバンク ニュースの窓-375-AI進展でウィキペディア危機├├計量計測データバンク ニュースの窓-376-ソローの「森の生活」と八ヶ岳 海の口自然郷├計量計測データバンク ニュースの窓-377-明治初年 日本の山には木が生えていなかった、軽井沢は浅間噴火ではげ山だった├計量計測データバンク ニュースの窓-378-エマーソンの超絶(超越)主義とその実践者のソローの日本文化からの解釈├計量計測データバンク ニュースの窓-379-人工知能(AI)と社会の生産力向上とその行へ├計量計測データバンク ニュースの窓-380-米国のドル発行権益と富の収奪構造 金価格はドルの信用との逆相関├├計量計測データバンク ニュースの窓-381-①二瓶敏教授に聞く ②1970年専修大学自治会組織と学生運動├計量計測データバンク ニュースの窓-382-(2025年度)国家公務員への転職の穴場は林野庁係長職├計量計測データバンク ニュースの窓-383-①名古屋市計量関係手数料改定は決定したようです ②ある計測技術者外伝後日譚(1)(2)(3)戦争の記憶矢野耕也 ③辻まこと ④満蒙開拓-満蒙開拓平和記念館 ⑤目次 官僚制度と計量の世界 執筆 夏森龍之介├計量計測データバンク ニュースの窓-384-日本の石油事情と石油を計る計量器の知識(計量計測データバンク編集部)├計量計測データバンク ニュースの窓-385-①真珠湾攻撃ルーズベルトは知っていた ②川上徹・査問 ③ヨハネ・パウロ二世 広島平和アピール ④回想記北京追憶若者が体験した戦後日中関係秘史国谷哲資 ⑤高橋七五三最終講義├├計量計測データバンク ニュースの窓-386-①日本数学オリンピック本選成績(1990年~)林修一郎 ②書評大島太郎著『官僚国家と地方自治』『自治体革新の展望』寄本勝美 ③計量法の解説- 計量法の構造と機能(目次)├計量計測データバンク ニュースの窓-387-令和8年(2026年度)度計量研修センターの教習・講習・研修のスケジュール├計量計測データバンク ニュースの窓-388-2026年4月1日付経済産業省計量行政室長 仁科孝幸氏(同日付イノベーション・環境局GXグループ幹部名簿)├計量計測データバンク ニュースの窓-389-男と女の嘆(なげ)きを聴かされて滅入ってしまう├計量計測データバンク ニュースの窓-390-私のエアー工具である釘打機、ビス打機、タッカー(ホチキス型ステープル)、ネイル(背付太針)、打撃ドライバとエアコンプレッサー├├計量計測データバンク ニュースの窓-391-軍費調達と決済(小野圭司 防衛省防衛研究所先進領域研究部 防衛基盤研究室 主任研究官)├計量計測データバンク ニュースの窓-392-埼玉県が計量法違反の疑いで刑事訴訟法第239条第2項に基づき埼玉県鴻巣警察署に対して告発状を提出├計量計測データバンク ニュースの窓-393-重要文化財 馬場家住宅-長野県松本市内田357-6-├計量計測データバンク ニュースの窓-394-アクセス数が多いコンテンツと記録に残したいコンテンツです├計量計測データバンク ニュースの窓-395-アクセス数が多いコンテンツと記録に残したいコンテンツです├├計量計測データバンク ニュースの窓-396-福岡慎一 動的平衡論で資本論を分析 動画と文字おこし├計量計測データバンク ニュースの窓-397-PDFロックを解除する方法(無料オンラインツールを使用)├計量計測データバンク ニュースの窓-398-大脇幸志郎 「健康」から生活をまもる」「最新医学と12の迷信」「運動・減塩はいますぐやめるに限る」エッセンス 動画と文字起こし├計量計測データバンク ニュースの窓-399-
2026年05月28日
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麦が茶色になりました。 麦熟るる季節になったのかと驚きます。 つい先だって麦畑のその青さが新鮮だと思ったばかりだからです。 熟れた麦畑の写真は5月25日に撮影しました。ドカンと関東地方に地震がきたその日です。都心は震度4でした。 3枚目の写真は松本市郊外で5月7日に撮影した麦畑です。1枚2枚目の高尾山麓の猫の額とは大違いです。安曇野は雲雀(ヒバリ)舞う春でした。 ほっともっとの弁当屋でタニタ弁当を買った場所です。 田植え時期の松本市には梓川の水を引いた大きな水路があり、山ほどの水が流れておりました。 水田と水です。田植え準備のための水を張った田では夜になると雨蛙が集まってゲコゲコと大合唱していました。 蒸し暑い夜があったらホタルが飛ぶ季節です。
2015年05月26日
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(下をクリックすると詳細をご覧いただけます) ○紀州犬の子犬、胡麻毛、オス、 2018年11月24日生まれ。血統書込12万円。問合先携帯は横田俊英070-7490-9944。 ワクチン2度接種、虫下し、フィラリア予防薬を投与済。 性格よく、健康です。 狂犬病予防接種は法定の義務です。生後4か月を過ぎたら役所に連絡して対応してください。 【回虫駆除】 生後42日までにドロンタールを2度投与。 生後42までにフィラリア予防薬ミルベマイシンを投与。 【食事】 1、ドッグフードはサイエンスダイエットのパピー(小粒)を与えております。 2、おやつ代わりに牛乳を与えております。 3、生後8か月を過ぎるころになったらパピー(小粒)から徐々に別のに切り替えます。ランミールは無難です。 問合せ先携帯は横田俊英070-7490-9944。
2019年01月11日
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2021年度の国家公務員管理職は総合職が72.9%、一般職が21.6% In 2021, 72.9% of national civil servant managers are general employees and 21.6% are general employees. 2021年度の国家公務員管理職は総合職が72.9%、一般職が21.6%2021年度の国家公務員管理職は総合職が72.9%、一般職が21.6%東京都千代田区霞が関3丁目の人事院庁舎2021年度の国家公務員管理職は総合職が72.9%、一般職が21.6%(本文)国家公務員管理職のうち令和3年度はⅠ種試験等採用職員が3,475人(同72.9%)、Ⅱ種試験等及びⅢ種試験等採用職員が1,031人(同21.6%)。(2021年度) 内閣官房内閣人事局は2022年(令和4年)1月28日、令和3年度の管理職への任用状況を公表した。 国家公務員管理職員の総数は4,770人であり、そのうち女性は453人で総数に占める割合は9.5%であり、管理職への任用状況等に関し、公表が義務付けられるようになった平成26年度(2014年度)に調査が始まって以来最高だった。 管理職のうちⅠ種試験等採用職員は3,475人(同72.9%)、Ⅱ種試験等及びⅢ種試験等採用職員は合わせて1,031人(同21.6%)。また令和2年10月2日から令和3年10月1日までの間に、室長級又は課長級の官職に初めて任用された職員は、室長級が742人、課長級が418人でした。Ⅰ種試験は現在の総合職試験、Ⅱ種試験は現在の大卒一般職試験、Ⅲ種試験は高卒一般職試験に相当する。 管理職員の府省間人事交流等の状況については、出向者(採用された府省以外で勤務している管理職員)の総数は839人(管理職員数に占める割合は 17.6%)で、調査が始まって以来最高となり、府省間の人事交流が拡大していることを示していると評価している。そのうち室長級は301人(室長級職員に占める割合は 10.7%)、課長級は 538人(課長級職員に占める割合は 27.6%)であった。 令和2年10月2日から令和3年10月1日までの間に、室長級又は課長級の官職に初めて任用された職員のうち、他府省、地方公共団体、民間企業等への出向経験を有する職員は、室長級で72.9%(昨年度69.1%)、課長級で85.6%(昨年度82.8%)。 採用年次、採用試験の種類等にとらわれない人事運用を行った取組例などを内閣官房内閣人事局は自己評価している。取組例としてこれまで固定的な人事配置がなされていた官職について、採用職種にとらわれない登用や早期登用を行うなど適材適所の人材配置を行った事例や、選考採用や任期付採用、官民交流採用の活用による民間人材を活用した事例が多く見られたとしている。そのうち課長級の職員を局長級の官職へ登用するなどの二段階以上上位の職制上の段階に属する官職への昇任については9件見られたとする。各府省等における管理職への任用状況等については、各府省等において、それぞれ公表することとされている。 国家公務員管理職への任用状況を公表制度は次のような内容である。国家公務員法(昭和 22 年法律第 120 号)第 61 条の5第1項及び幹部職員の任用等に関する政令(平成 26 年政令第 191 号)第9条並びに「採用昇任等基本方針」(平成 26 年6月 24 日閣議決定)7(3)に基づいて、管理職への任用状況等に関し、公表したもの。ここでの「管理職」とは、国家公務員法第 34 条第1項第7号に規定する官職であり、幹部職員の任用等に関する政令第2条第1項に掲げる各機関(いわゆる本府省)に属する一般職の国家公務員に係る官職であって、職制上の段階が「室長級」又は「課長級」の官職のこと。また「管理職員」とは、管理職の官職を占める職員をいう。専門スタッフ職俸給表の適用を受ける職員については対象外。なお管理職への任用状況は、令和3年 10 月1日時点のもの。 (計量計測データバンク ニュース 2022年02月08日付) 【参考資料-1-】 経済産業省2021年職員採用実績と出身大学(計量計測データバンク編集部) 【参考資料-2-】 【現役官僚が解説】総合職・一般職 ココが違う。動画・ユーチューブ。 https://www.youtube.com/watch?v=p1JjuAgMo04 【現役官僚が解説】国家公務員 総合職と一般職の違い。動画・ユーチューブ。 https://www.youtube.com/watch?v=AAm22ik79jc 【現役官僚が解説】○○が仕事の9割。動画・ユーチューブ。 https://www.youtube.com/watch?v=_V5km6w0OWk&t=0s 【現役官僚が解説】就活で絶対やるべき⚫⚫。 動画・ユーチューブ。 https://www.youtube.com/watch?v=pR3mEQAyHqA&t=0s 【現役官僚が解説】国家公務員 過去13年分 給与公開。動画・ユーチューブ。 https://www.youtube.com/watch?v=xVBKqLU9Oec 【現役官僚が解説】これ全部税金?霞が関の残業代 億円。動画・ユーチューブ。 https://www.youtube.com/watch?v=gINW1a7Cams (計量計測データバンク ニュース 2022年02月08日付) 2022-02-08-in-2021-73-of-national-civil-servant-managers-are-general-employees-and-22-are- general-employees-
2022年02月08日
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2023年度国家公務員採用総合職試験(春)の合格者を人事院が発表(令和5年6月8日)Successful applicants of the 2023 National Public Service Employment Career Track Examination of Spring2023年度国家公務員採用総合職試験(春)の合格者を人事院が発表(令和5年6月8日)├2023年度国家公務員採用総合職試験(春)の合格者を人事院が発表(令和5年6月8日) 女性の合格者数・割合ともに過去最高、割合は3年連続で3割超え写真は国家公務員採用試験を実施する人事院(手前の低い建物)奥は厚生労働省と環境省が入居する五号館写真は東京都千代田区霞が関の官庁街 人事院は2023年6月8日、23年度国家公務員総合職の春の採用試験の合格者を発表、合格者総数は2,027人であった。大学別では東大は193人と大学別で最多の合格者であったものの前年度から24人減少し合格者が初めて200人を下回った。合格者の内訳は国立大学出身者が1,292人(63.7%)、公立大学が86人(4.2%)、私立大学が634人(31.3%)、その他外国の大学などが15人(0.7%)であった。2,027人の合格者は人事院による足切り試験を通過した状態 合格者はつづいて各省庁の採用面接を通過することで正式に国家公務員総合職との職務に就くことができる。2,027人の合格者は人事院による足切り試験を通過した状態であり、のちに800名を越える程度の省庁面接を経て正式の採用となる。総合職採用の実績が少ない私立大学や地方国立大学の合格者にとっては省庁面接は関門であり30名の合格者があっても採用されるのは良くて数名、悪ければゼロというのが過去の事例である。採用決定後の内定があっても国家公務員にはならずに民間会社など別の就職に流れる傾向が強まっている。国家公務員総合職(旧I種)試験の出身大学別採用者を人事院は平成23年度(2011年度)以降は公表していない。2021年度の東大学部卒業と大学院修了者のうち外務省が17人、財務省が14人、総務省が12人、経済産業省と農林水産省がともに11人、特許庁が8人 東京大学新聞社が各学部・研究科への問い合わせを基に作成した2021年度の東大学部卒業と大学院修了者の就職先では、学部卒業者は外務省が17人、財務省が14人、総務省が12人。大学院修了者では、経済産業省と農林水産省がともに11人、特許庁が8人。回答者数は学部1,233人、大学院2,906人であった。春試験は従来の総合職試験でこれが採用の主体 秋試験は教養区分が主体 国家公務員総合職は旧制度ではⅠ種試験であり、政策の企画・立案や調査・研究に関する事務を職務とする世にいうキャリアで、今回合格者発表の春試験は院卒者試験及び大卒程度試験(教養区分を除く)でありこれが採用の主体、ほかに秋試験がある。秋試験は19歳からでも受験できる大卒程度試験(教養区分)が主体となる試験であり、実際の採用は次年度以降となる。秋試験として実施される教養区分試験は大学3年次の秋に受験し、4年次に春試験合格者とともに官庁訪問を行うというもので、専門試験が課せられない一方、政策課題討議試験や企画提案試験等、通常の筆記試験にはない科目が課せられている。一部、12月官庁訪問での採用者もいる。専門試験が課せられないことから、負担が軽いかというと、総合職人気が凋落している状況下において申込者数が堅調に推移している。教養区分の制度開始当初の採用者は20名ほど近年は100名を越えるほどに 秋試験の大卒程度試験(教養区分)は19歳からというのは大学二年生でも受験できる。学歴は問わない。短大生でも専門学校生でも高校卒業の学歴の者でも4月1日時点で19歳、また30歳以下であること、日本国籍を持つ者であればよい。教養部門の短答試験と論文試験といった基礎能力試験が一次試験、二次試験はグループ討論と面接などがあり、二次試験は人物試験。合否を決めるときの人物試験の評価割合は8割と人事院の担当者が強調する。教養区分における採用者名簿有効期限は6年6カ月。有効期限の間に学業を積むこと、海外留学すること、地方公務員あるいは民間企業への就職をしていてもよい。合格後の学業や職務経験などが各省庁の採用にあたって不利になることはない。人事院では学業と職務経歴などを採用担当者に強く伝えることで有利に作用する、としている。10年ほど前から始まった秋試験の大卒程度試験(教養区分)は2023年試験から20歳から19歳に引き下げられた。国家公務員総合職採用試験は採用者名簿に登載されても実際の採用は大きく絞り込まれる。教養区分は、合格して名簿登載されてのち、大学院で専門知識の修得に務めたり、弁護士などの資格試験に挑むなど時間的余裕を有効に利用したい人には好都合。教養区分の制度開始当初の採用者は20名ほどであったのが近年は100名を越えるほどになっている。国家公務員採用において経験者採用が総合職、一般職とも増えている。英国などは公務員総合職の職員に対する経験者採用の割合が6割を越えている。幼さと実力不足が目立つ日本の大学新卒者の状態であるから国家公務員採用の多様化はこれを補う。競争率は7.1倍 女性合格者は過去最多の683人 合格者全体比率33.7% 23年度春試験の申込者数は前年春から958人減の14,372人で競争率は7.1倍。合格者の女性合格者は過去最多の683人で、合格者全体に占める割合も過去最高の33.7%で、女性合格者割合は3年連続で3割を超えた。合格者数1位東京大学193人 上位10校は、1位東京大学193人、2位京都大学118人、3位北海道大学97人、4位早稲田大学96人、5位立命館大学78人、6位東北大学70人、7位中央大学68人、8位岡山大学55人、9位九州大学51人、9位慶應義塾大学51人。合格者10名以上の大学 10位以下で合格者数が10名以上の大学は次のとおり。 広島大学50人、明治大学49人、大阪大学48人、千葉大学47人、東京工業大学46人、筑波大学41人、東京理科大学40人、大阪公立大学37人、新潟大学35人、名古屋大学35人、日本大学29人、一橋大学27人、神戸大学27人、専修大学27人、横浜国立大学24 人、東京農工大学23人、東京海洋大学22人、同志社大学22人、信州大学18人、岩手大学17人、東京都立大学16人、名古屋工業大学14人、お茶の水女子大学13人、上智大学13 人、静岡大学13人、立教大学13人、宇都宮大学12 人、関西大学12人、近畿大学12人、金沢大学11人、鹿児島大学10人、長崎大学10人。合格発表を受けて声明を発した私立大学私立各校立命館大学の声明は次のとおり。 6月8日(木)、2023年度春の国家公務員総合職試験の最終合格者が人事院より発表され、立命館大学から過去最多となる78人が合格。合格者数で全国5位、西日本の私立大学で1位。本学では、学生の多様な希望進路や学習の進度などに合わせ、さまざまな公務員養成の支援を展開。特に現役の国家公務員総合職による講演会・ディスカッション、政策立案ワークショップなどを通じて、低回生時から行政リーダーとしての素養やマインドを養成するプログラム「立命館霞塾」を2013年から開講するなど、公務員を目指す学生のキャリア支援に取り組んできた。またエクステンションセンターでは、高い合格実績を誇る公務員講座の運営や、充実した奨励金制度など、国家公務員総合職にチャレンジする学生を積極的にサポートしている。中央大学の声明は次のとおり。 2023年4月9日(日)に実施された令和5年度 国家公務員総合職試験(春)について、6月8日(木)に最終合格発表があった。例年多数の学生が合格している本学理工学部・理工学研究科ですが、今年度は35名受験中、一次試験は31名合格(合格率89%)、最終合格者は27名(昨年比12名増、合格率87%)という快挙を成し遂げた(中央大学調べ:6月9日時点の報告に基づく。合格率87%の数値は、統計を取り始めて以来の過去最高値になる)。大学全体の最終合格者数も、68名(昨年比19名増)であり、大学別合格者数ランキングも昨年よりも大幅にアップ。なお、既に過年度で合格している学生の中から、国土交通省をはじめ、防衛省、経済産業省、特許庁より内々定という、嬉しい報告も多数寄せられている。明治大学の声明。 明治大学は明治大学からは過去最高の49名が合格し対して次のような声明をだしている。全国で12位、私立大学で5位。昨年度合格者数34人から15人増加。公務員を志すなら行政研究所へ。明治大学では、公務員を目指す学生のために「行政研究所」を設置。民間予備校に比べ、格安の費用でプロ講師による充実した授業を提供、行研の活動を通じ、責任感と公共心にすぐれた公務員たるに相応しい人格の形成を支援。同じ目標に向かって励まし合う仲間、OBとOGが熱心な後輩指導。公務員試験の合格・内定まであなたをサポート。日本大学理工学部の声明。 6月8日(金)、人事院より令和5年度国家公務員採用総合職試験の最終合格者が発表されました。理工学部・大学院理工学研究科(以下理工学部)からは,院卒者試験において、デジタル1名、工学11名、大卒程度試験においてデジタル1名、工学8名の合計21名(6月12日現在の在学生合格者からの報告に基づく)が合格。公務員に強い大学として広く知られる日本大学、その中でこれまで数多くの技術系公務員を社会に送り出してきた理工学部においても今回の最終合格者数は統計を取り始めて以降で最多の合格者数となった。理工学部では3年生の5月から試験直前まで公務員試験対策講座を開講するとともに、専門試験については、各学科の先生方の協力のもと、理工学部独自のオリジナル解説集を作成するなど、手厚いサポートをしている。(以上、日本大学理工学部の声明)。[解説](計量計測データバンク) 日本大学のこの試験の合格者数は29名であった。理工学部から学部と大学院で21名の合格者をだしているのだから他学部の合格者は8名となる。獣医学科がある生物資源学部はこの試験に実績がある。となると法学部、経済学部などからの合格者は少ない勘定だ。日本大学は大学本部と何も発表していない。日本大学は国家公務員一般職試験の合格者は130名ほどの実績で、全国大学の合格者順位での10位以内に位置する。専修大学が2023年6月9日発表したの正式な声明は次のとおり。 人事院は、2023年度国家公務員採用総合職試験の合格者を6月8日に発表し、本学からは27名(3年次生1名含め、全員在学生)が合格。昨年度達成した過去最多記録(11名)を大幅に更新した。また合格者数が10名以上の大学名(人事院ホームページ)も同時に公表され、昨年に続き難関国家試験に強い大学として本学もその名を連ねた。なお私立大学では全国で第8位の合格者数となった。採用試験における専門試験は、法文系、理工系、農学系に区分され、区分毎に合格者を決定するが、本学学生は法文系のみで試験に挑み、27名が合格。合格者数10名以上のほとんどの大学は理系学部を擁し、また合格者の5割以上が理工・農学系であること(合格者2,027名中、法文系951名(47%)、理工・農学系1,076名(53%))を踏まえると、本学学生が達成した結果は快挙と言え、専大生の健闘ぶりを学内外に示すと共に、本学の教育力の高さを裏付けることとなった。なお大卒程度試験の最終合格者全員が本学エクステンションセンター主催の公務員試験講座 神田・生田受講生であり、今回の成果は講座のクオリティーの高さを裏付けると共に、担当講師陣の熱心な指導が見事に実を結んだものである。エクステンションセンター及び関係各所管は、これから採用活動が本格化する国家一般職や専門職、さらに各都道県庁などの地方公務員試験の合格を目指す学生サポートに大学一丸となって取り組んでいく。 37人の合格者をだした大阪公立大学は大阪府立大学と大阪市立大学に分かれていたのが統合されている。
2023年06月24日
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2024年9月6日公務員塾発表 国家公務員への転職の穴場は林野庁係長職計量計測データバンク ニュースの窓-80-├├計量計測データバンク ニュースの窓-80-2024年9月6日公務員塾発表 国家公務員への転職の穴場は林野庁係長職山岳部時代の同級生が農水省に就職して林野庁にいた(林野庁職員の便宜で山に入る)(文章は森龍之) 知り合いが山登りをするのにアプローチを手伝ってくれたのが林野庁職員でした。一般車が入れない林道を営林署の車で運んでくれたのです。この人は富士山を撮影するために南アルプスのある山に登りました。九州大学工学部卒業で電機メーカーの社員でした。この人の山岳部時代の同級生が農水省に就職して林野庁にいたころのことでした。一日の徒歩を要するところを登山地点にあっさりと辿り着いたのです。 いまの時代ではできないことでしょうが昔はこのようなことができたのです。小説家が山岳小説を書くときに似たような便宜が計られました。新田次郎の覚書にあります。 この人はアドベンチャーな人で、小さなヨットで三陸の海岸線を北に向かって走る冒険に誘われました。時間が取れなくて一緒することができませんでした。 源流に入るのに立入禁止区域があるのですが、柵の内側に潜り込めば手つかずの沢で岩魚を釣ることができます。営林署の職員は自然の状態を確認するという名目で岩魚を釣ることができそうです。釣り好きが夢見る世界です。 私の林野庁の職員への印象であり、その働く場への連想です。転勤を厭わなければ割合になりやすい国家公務員への転職の対象となっているのが林野庁の職員です。日本の山林の三割が国有林であり、これを管理するのが林野庁の仕事です。日本の国土の七割が森林です。自然の中に身を置いて働くことができる国家公務員の林野庁の職員です。├├【穴場の受験先】どうしても公務員に転職したい受験生へ(社会人経験者採用)Vol.033 (youtube.com)文字起こし 本日はどうしても公務員になりたい何が何でも公務員に転職したいという受験生に向けて合格しやすい受験先について紹介していきたいと思います。やはり長く受験指導していると時々受験生からですね、どこでもいいから倍率が低い試験や合格しやすい受験先を教えて欲しいという相談があります。 もちろん長く我々もですね社会人採用の指導をしておりますので、どこが合格し安いかとかどこが倍率が低いかといったデータは豊富に持っておりますので、今日の動画ではですね様々な受験先の中でも特にに合格しやすい受験先を紹介していきたいと思います。 ということでここについてはですね、私も筒井先生ももう共通の見解でしたので最も合格しやすい受験先について一緒に発表していきたいと思います。 それでは最も合格しやすい受験先一緒に発表しましょう。せーのり長になりますということでまず林屋長って何と皆さんも驚かれたと思いますけども、国家公務員係長級の林野庁の採用試験ですね、はいこちらについてはこれまで指導してきて本当にも受かりやすい試験となっておりましたので、これからですね筒井先生の方にその理由などについてえ説明をしていただきたいと思います。 はいそれではですね林野長についてここでは3つのポイントを強調しておきたいと思います。 で1つ目ですけどけれども倍率ですねで、林野庁については倍率そのものは公表はデータとしてはされてないんですよ。 ただしですね皆さん方これ見てる人999.9%がえ林野庁って経験者採用募集してんのていう感じでしたよね。そうですよねでということはやっぱ周りも知らないんですよね。 募集してるっていうこと自体をなので受けてる人は相当少ないということが予想されます。で実際グラビティから合格している人たちですよね面接の会場とか言っても全然受験生いなかったです。とかていう報告があついでるんですよ。 ということで公表されてないものの倍率はものすごく低いということでやっぱこれは狙い目だよねというのが1つ目ですねで2つ目何かと言いますと先行方法ですね。 つまり試験の内容ですで林野庁はですね一次の先行これ書類提出だけなんですよ。すなわち1発目のところでは経歴書ですよね。履歴書これを提出します。とで合わせて事前に公表された論文について提出するっていうだけなんですよね。だからいわゆるペーパーテストとかないんですよ。 すごい受けやすいですよね。でそれで2次通過しましたってなったら、2次の面接これがもう最終面接なんですよ。でこれ1発で終了っていう感じになってるんですよね。 で同じ例えば国家公務員とかでも、経済産業省の係り中級とかだと、やっぱ面接2発あるんですよね。しかも面接の時間も非常に長かったりする。 その中で面接1発だけの林野庁ってっていうのはやっぱ狙い目だなっていう風に思います。 で3つ目これもねちょっとポイントとして強調しておきたいんですけども、勤務先がね結構幅広いんですよね。エリアがというのはいろんな管区で募集やってるんですけれども。 例えばね関東で働きます、っていう風になった時に関東の中で例えば静岡の伊豆とかで働いたりっていう可能性があるんですよね。なので面接に入ってからも転勤ありますけど大丈夫ですか、っていうのを結構ね入念にこう確認されたりとかそういうのがたくさんあったりします。 なのでちょっと転勤ていう人にとってはね、しんどいかもしれないですけど、いやでもそんなんへっちゃらです、という人にとってはバチバチお勧めできる組織ですね。 これが林野庁だなという風に思います。 はいということで実際のグラビティの実績も紹介しますと、え1昨年ですね女性の受行生でもう民間企業は辛くてどこでもいいから公務員になりたいっという方がですね、林野庁を受けたところ、やはりもう一発で合格いたしました。 そして昨年はですね、市役所とか県庁とかもう10か所以上あちこち不合格になっているえ男性の受行生がですね、林屋長を受験し合格いたしました。 ということで、もうどちらもですね、林野庁の面接試験で特に聞かれたのは、もう転勤大丈夫ですか、と今筒井先生から話があったように、もう静岡のもう伊豆の方でもう森に近いとこで勤務とかしても大丈夫ですか、てとこで大丈夫です、ってねもうバシっと言った方はもう泣いて内定ていう風にもね、なっていきますので。 まちょっと、今日の話で参考にならない方もいたかもしれませんけども、本でももうどこでもいいからもう公務員に転職したいんだっていう方は、林屋長っていうのも1つこう検討してみてもいいのかなという風に思います。 そしてですね、今日林野庁の話をしましたけども、今日特に伝えたかったのは、この林屋長のように、意外と調べてみると倍率が低いとか、競争率が低いこう試験っていうのは市役所県庁とかでも意外とありますので、是非皆さんにおかれては様々な試験調べてみていただきたいなという風にえ思います。 それでは今日の動画を参考にして、え受験対策の方進めてみてください。 ではまた次の動画でお会いしましょう。グラビティでは主役所県庁対策に向けてオンライン上で参加できる様々なイベントを実施しております。今後も全国の受験生との質問相談会面接対策セミナーなど様々なイベントを実施しますので、興味のある方は概要欄にあるグラビティ公式LINEの方にご登録をお願いします。また教養試験の事事問題対策の講義も公式L限定で配信していきますので、ご登録の上効率的な試験問題対策を進めてください。[音楽]├├林野庁森林管理局選考採用試験(事務系)について:林野庁 (maff.go.jp)採用予定数 森林管理局全体で45名程度22歳で大学卒、民間企業歴(事務職・正社員・15年勤務)(年齢37歳)の場合 俸給月額約29万円【必要書類】① 履歴書及び職務経歴書(別紙様式1)② ⼩論⽂(別紙様式2)(3)受付期間9⽉26⽇(⽊)〜10⽉23⽇(⽔)(受信有効)※応募者多数の場合には、受付期間内であっても森林管理局単位で応募を締め切らせていただく場合があります。お問合せ先(1) 北海道森林管理局担当:総務課課⻑補佐 三上、⼈事係⻑ 増森住所:〒064-8537 北海道札幌市中央区宮の森3条7丁⽬70電話:011-622-5232E-mail:h_somu@maff.go.jp(2) 東北森林管理局担当:総務課課⻑補佐 正⽊、⼈事係⻑ 豊村住所:〒010-8550 秋⽥県秋⽥市中通5丁⽬9−16電話:018-836-2014E-mail:t_soumu@maff.go.jp(3) 関東森林管理局担当:総務課課⻑補佐 ⼤内⽥、⼈事係⻑ 中村住所:〒371-8508 群⾺県前橋市岩神町4-16-25電話:027-210-1156E-mail:ks_kanto_soumu@maff.go.jp(4) 中部森林管理局担当:総務課課⻑補佐 櫻井、⼈事係⻑ 吉村住所:〒380-8575 ⻑野県⻑野市⼤字栗⽥715-5電話:026-236-2525E-mail:c_soumu@maff.go.jp(5) 近畿中国森林管理局担当:総務課課⻑補佐 ⼭本、⼈事係⻑ ⽣島住所:〒530-0042 ⼤阪府⼤阪市北区天満橋1丁⽬8−75電話:06-6881-3420E-mail:kc_soumu@maff.go.jp(6) 四国森林管理局担当:総務課課⻑補佐 ⼭﨑、⼈事係⻑ 帆⾜住所:〒780-8528 ⾼知県⾼知市丸ノ内1-3-30電話:088-821-2010E-mail:shikoku_soumu@maff.go.jp(7) 九州森林管理局担当:総務課課⻑補佐 峰、⼈事係⻑ 草野住所:〒860-0081 熊本県熊本市⻄区京町本丁2-7電話:096-328-3521E-mail:ky_soumu@maff.go.jp├├林野庁ホームページ (maff.go.jp)├├森林管理局の概要:中部森林管理局 (maff.go.jp)住所:〒380-8575 長野県長野市大字栗田715-5電話:026-236-2720(代表) 026-236-2721(夜間・休日)法人番号:4000012080002国有林の姿「国有林」はみんなの森林です。中部森林管理局は、富山県、長野県、岐阜県、愛知県の4県にまたがる国有林を管理しています。国有林の管轄面積は65万5千haにおよび、太平洋側の海岸縁から「日本の屋根」と言われる日本アルプスの山岳地帯まで分布し、その多くは地形が急峻な脊梁山脈や河川の源流域に分布しています。そのため多くの「国有林」は水源を守り、土砂崩れなどの災害を防ぐなど、私たちの生命や暮らしに欠かすことの出来ない多くの働きをしています。また、原生的な森林も多く、豊かな野生動植物の生息地として学術的にも重要な森林が含まれています。そして、森林は、四季折々に表情を変え、美しい景観や森林散策を楽しむ私たちの心を和ませてくれます。さらに住居や家具、紙など私たちの生活に不可欠な木材を供給している森林もあります。このように様々な恩恵を与えてくれる森林、そして「国有林」は、私たちの生命や暮らしに欠かすことの出来ない大切な財産となっています。森林の概況世界有数の森林国と言われる日本、その国土面積の約7割は森林です。この森林のうち約3割が、国が管理する「国有林」となっています。中部森林管理局では、65万5千haの国有林を管理しており、これは全国の国有林面積の約1割を占めています。管内の国有林は、ほぼ本州中央部の山岳地帯に位置し、標高差が大きく、地形も複雑なことから自然的条件は変化に富み、垂直的にはカシ・シイなどの常緑広葉樹からなる低山帯、ブナなど落 葉広葉樹を主体とする山地帯、トウヒ・シラベ・ダケカンバなどを主体とする亜高山帯、約2,500m以上のハイマツを主体とする高山帯まで多様な植生の分布も見られます。これらの森林は重点的に発揮される森林の機能ごとに区分し管理経営しています。├├第74回 厚労省人事ウォッチング 厚労省初めての中途採用 その背景は | 集中出版 (medical-confidential.com) 厚生労働省で初めて中途採用した総合職(キャリア)が今年4月から各部署で働き始めている。中途採用に踏み切ったのは、「強制労働省」とも揶揄される程の激務で、若手や中堅職員の離職が相次いでいるからだ。慢性的な人手不足に悩む厚労省は、今後も同様の採用を続ける見通しだ。 厚労省は昨年11月、政策立案等で中心的な役割を担う課長補佐級を5人程度、募集すると発表した。大学や大学院を卒業もしくは修了し、昨年4月時点で7年以上の職務経験を持つ人を対象とした。書類選考と厚労省で解決すべき政策課題とそのアプローチ等を挙げる論文試験、面接を実施した。 選考の結果、数百人の応募者から30〜40代の9人が採用された。募集人員は当初の「5人程度」を大幅に上回り、今年4月から各部局の課長補佐等として業務に就いている。厚労省関係者は「論文を見ても問題意識が高く、とても優秀な方ばかりだった」と明かす。 9人の詳細は明かされていないが、地方自治体や民間医療機関の出身者らで占められているという。課長補佐は入省8〜10年目で就き、8〜10年近くを過ごす。政策立案の要として働く重要なポストだ。 同じ様な取り組みは既に財務省や経済産業省等で実施されていたが、厚労省としては初めて。在職10年未満で退職するキャリア官僚は後を絶たず、2018〜20年度で100人を超える。「一時は年収の良い外資系コンサルタントに転職するのがブーム」(転職した元キャリア官僚)だったという。 国会対応等で深夜業務を余儀なくされる厚労省内でも同様で、退職者数は次第に増えていた。その矢先、20年に新型コロナウイルスのパンデミックが発生して業務が膨大に増え、退職者数も同様の傾向↘を辿った。現在でも一般職を含め相当数の官僚が退職しているという。外資系コンサルに転職する厚労官僚も居るが、医療系等のベンチャーやNPO、医師免許といった国家資格取得を目指す人など多岐に亘る印象だ。 大手紙記者は「厚労省の若手や中堅の職員と飲みに行くと必ずと言って良い程転職の話になる。元々入省時は志高かったものの、幹部職員の根回し文化等の現実を見て嫌気が差して来る人も多い。昨今↖の転職ブームも退職者の増加に拍車を掛けている」と指摘する。 そうした中、退職者の補充や省外で職務経験を積んだ人材の意見を取り入れる趣旨で、厚労省は課長補佐級の中途採用を始めた。特に大島一博・事務次官(1987年、旧厚生省入省)が積極的だったとされる。一般職では数年前から中途採用を実施しており、50代を受け入れた「実績」も有る。こうした事情も影響したと見られる。 只、退職者が相次いでいる理由を解消しなければ、持続的に働ける環境とは言えず、中途採用の実施は弥縫策と言わざるを得ない。或るベンチャー企業に転職した元厚労官僚が「子育て等働く環境という点を考えれば辞めて清々した。厚労省にもう一度戻ろうという気は無い」ときっぱり言う等、問題の根は深い。 今回の様な取り組み等で多様な人材を受け入れ、硬直化した組織からの脱皮が求められる。「強制労働省」は過去の遺物とし、新たな風を取り入れる事で働き易い職場へと変化を遂げて欲しいところだ。2023年12月21日├├厚生労働省課長補佐級・係長級職員(総合職相当・事務)選考採用|厚生労働省 (mhlw.go.jp)採用予定数 (第1期)若干名 (第2期)若干名厚生労働省政策立案の司令塔として人々の生活と国の未来を支える (bizreach.jp)社会・援護局 保護課 課長補佐/布施 祐希──布施さんは地方自治体から転職され、課長補佐として入省されたそうですが、転職の経緯を教えてください。前職の地方自治体では障がい者福祉行政に長く携わっており、当事者やご家族、関係機関の方々とのやりとりを通じて、個別性の高い課題から地域全体の課題まで、解決に向けて日々実践を重ねてきました。少しずつでも課題が解決していく様を目の当たりにできる地方自治体の仕事は大変やりがいがありました。他方で、既存の制度では対応できない課題や限界を感じることもあり、地方自治体の枠を超えた広域的な視点での社会保障制度の仕組みづくりにも携わってみたいと思うようになりました。そうした中で、より幅広く国民の生活課題を捉え、その課題解決のために必要な政策の企画立案に携わりたいと思い、厚生労働省への転職を決めました。├├厚生労働省本省係長級職員(一般職相当)採用選考|厚生労働省 (mhlw.go.jp)採用実績実施年度 応募者数 第1次選考通過者数 第2次選考通過者数(最終合格者数)令和5年度 777人 79人 35人├├日本骨髄バンク 新理事長に岡本真一郎氏就任2024年9月1日発行 第385号都道府県骨髄バンク担当者会議開催 8 月7日(水)日本骨髄バンク主催の都道府県担当者会議がWeb開催され、全国の自治体の骨髄バンク担当者が参加しました。冒頭、8月1日に就任された厚労省移植医療対策推進室島田志帆室長からのご挨拶に続いて同室造血幹細胞移植係横田友子係長から講演があり、移植医療の現状などについての説明、登録会の実施や地域に根ざした活動のための骨髄バンク推進連絡協議会の開催及び若年ドナー確保のためSNSを活用した啓発の要望が各自治体にありました。 日本骨髄バンク小川みどり事務局長から、移植を望む患者さんの2人に1人しか移植が受けられていない現状を解決するため、①若年ドナー登録促進のためスワブによるオンライン登録の推進②応諾率の改善のため、適合時に今後の流れや家族への説明資料の提示③コーディネート期間の短縮のためSMSでの意思確認実施、リモートでのコーディネートやpegG‒CSF注射による末梢血幹細胞採取の導入検討を進めているとの報告があり、続いて担当者から次のとおり詳細説明がありました。 若年層ドナー登録の推進のため教育機関を中心に会場を設置してほしい、毎回2人以下の会場などは2~3年くらい期間を開けると登録者が増える場合もあるなど登録会開催への要望が出されました。 令和8年度の本格導入を目指しているスワブを用いたオンラインドナー登録のトライアルでは、専用サイトへの申込者に250検体を送付し177件が返送され返送率は70.8%、日中ルームに行かれないので助かるとの声が寄せられたとの報告がありました。 提供にあたっての環境整備としてドナー休暇導入や教育機関での公欠制度の導入推進の要請があり、企業側は導入することにより社会貢献をアピールできると説明されました。 移植の体験談の語りべ講演会はオンラインを中心として活動、体験者の生の声を聞いて登録への意識が高まる方も多く、今後は講演会のあと二次元バーコードでスワブキットの申し込みをアナウンスすることにより登録につなげられる、単位として認められている教育機関もあるので活用してほしい、との呼びかけがあり、その後ユースアンバサダーの齋木翔太氏が語りべを実演されました。 また、滋賀県担当者からの発表では、「大学での登録会のメリットは敷地が広くドナー登録が献血受付のすぐ隣ででき、初献血者が多いので説明に時間がかかりその間にドナー説明もできる」「語りべ講演会を県が調整、次年度開催のため3月に開催依頼文を送り、PTAや校長会でも啓発している」などの報告がありました。├├臓器移植対策の現状についてhttps://www.mhlw.go.jp/content/10900000/001280072.pdf├├第60回 厚生科学審議会疾病対策部会造血幹細胞移植委員会 議事禄(令和6年2月29日(木)13:00~15:00)├
2024年10月19日
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計量計測データバンク ニュースの窓-16-├大日本帝国の海軍と陸軍のエリート軍人の階級と年齢山本五十六(海軍大将)と東條英機(陸軍大将)。どちらも明治17年生まれ、同じ歳に海軍大学、陸軍大学卒。階級 山本五十六 東條英機 キャリア官僚の昇進と職階少尉 21歳 21歳 22歳 度係員(入省初年)中尉 23歳 23歳 26歳 係長(4年目)大尉 25歳 31歳 30歳 課長補佐(8年目)少佐 31歳 36歳 40歳 企画官(18年目)中佐 35歳 40歳 40歳 企画官(18年目)大佐 39歳 44歳 45歳 課長(23年目)少将 45歳 49歳 45歳 課長(23年目)中将 50歳 52歳 50歳 審議官(28年目)大将 56歳 57歳 52歳 局長(30年目)次官 52歳 54歳 55歳 事務次官(33年目)大臣 -- 56歳[注]「キャリア官僚の昇進と職階」は元経産省官僚の宇佐美典也氏の説明を採用。宇佐美典也 - Wikipedia山本五十六(海軍大将)と東條英機(陸軍大将)。どちらも明治17年生まれ、同じ歳に海軍大学、陸軍大学卒。階級 山本五十六 東條英機 キャリア官僚の昇進と職階 人事院調査によるⅠ種採用(総合職)職員の昇進(キャリアパス)少尉 21歳 21歳 22歳 度係員(入省初年) 22歳(入省初年 採用時年齢) 本省A局A課係員中尉 23歳 23歳 26歳 係長(4年目) 24歳(入省2年目)本省B局A課係員。25歳(入省3年目)本省B局A課係長。大尉 25歳 31歳 30歳 課長補佐(8年目) 27歳(入省5年目)他省庁勤務(転任)少佐 31歳 36歳 40歳 企画官(18年目) 33歳(入省11年目)本省課長補佐(複数の局をおおむね1年で異動)中佐 35歳 40歳 40歳 企画官(18年目) 39歳(入省17年目)本省A局A課企画官大佐 39歳 44歳 45歳 課長(23年目) 41歳(入省19年目)本省A局B課室長少将 45歳 49歳 45歳 課長(23年目) 42歳(入省20年目)本省課長中将 50歳 52歳 50歳 審議官(28年目) 50歳(入省28年目)本省本省審議官大将 56歳 57歳 52歳 局長(30年目) 51歳(入省29年目)本省局長(A局、C局)次官 52歳 54歳 55歳 事務次官(33年目) 56歳(入省34年目)本省事務次官大臣 -- 56歳[注]「キャリア官僚の昇進と職階」は元経産省官僚の宇佐美典也氏の説明を採用。宇佐美典也 - Wikipedia人事院調査によるⅠ種採用(総合職)職員の昇進(キャリアパス)(計量計測データバンク編集による)22歳(入省初年 採用時年齢) 本省A局A課係員24歳(入省2年目) 本省B局A課係員25歳(入省3年目) 本省B局A課係長27歳(入省5年目) 他省庁勤務(転任)29歳(入省7年目) 本省A局A課係長(転任)30歳(入省8年目) 地方公共団体勤務33歳(入省11年目) 本省課長補佐(複数の局をおおむね1年で異動)37歳(入省15年目) 特殊法人勤務39歳(入省17年目) 本省A局A課企画官41歳(入省19年目) 本省A局B課室長42歳(入省20年目) 本省課長(複数の局にまたがる課をおおむね1年で異動)50歳(入省28年目) 本省本省審議官51歳(入省29年目) 本省局長(A局、C局)56歳(入省34年目) 本省事務次官人事院調査によるⅡ種採用(一般職)職員の昇進(キャリアパス)(計量計測データバンク編集による)24歳(入省初年 採用時年齢) 管区官房(経理)採用係員26歳(入省2年目) (転任)本省大臣官房経理係員34歳(入省10年目) 本省係長(総務、人事)45歳(入省21年目) 管区専門官(人事)47歳(入省23年目) 管区課長補佐(人事)(配置換)48歳(入省24年目) 本省専門官(管理)(配置換)49歳(入省25年目) 外局課長補佐(管理)(転任)52歳(入省28年目) 本省課長補佐(管理、給与)(転任)53歳(入省29年目) 管区部長(総務)55歳(入省31年目) 本省準課長(人事)(配置換)57歳(入省33年目) 本省課長├├├平成13年度 年次報告書 (jinji.go.jp)├国家公務員のキャリアパス。I種(総合職)とII種(一般職)採用職員のキャリアパスの事例。平成13年度 年次報告書 (jinji.go.jp)第1編 ≪人事行政≫第1部 人事行政の動き第1章 期待される公務員像と働きがいのある職場の実現を目指して~国民全体の奉仕者であることの再確認~2 期待される公務員の確保に向けて行政の中核を担うことが期待される公務員には、国民に奉仕するという使命感、責任感を有し、絶えず自己研鑽を続けるとともに、世の中の動向を高感度にキャッチするという公務員像が求められている。前述したように、公務員像と現実の公務員との乖離は公務員像の変化に公務員が付いていけなくなったのではなく、公務員が、時代の流れの中で、あるべき公務員像から離れていったためであると思われる。以下、こうした状況がなぜ生じてきたのかを探るため、これまでの公務員の採用、育成、職場環境等はどうであったか、また、現在どのような問題点を抱えるに至っているのかについてまず検討し、これらの課題解決に向けて取り組むべき事項を整理する。(1) これまでの採用・育成等にみる公務員のキャリアパスと人事管理の特徴各府省の一般の職員は、I種、II種(大学卒業程度)、III種(高校卒業程度)試験等の人事院が実施する試験の合格者の中から、各府省ごとに採用が行われ、人事当局の裁量により2~3年の周期で様々なポストに定期異動を繰り返すことにより、オン・ザ・ジョブ・トレーニング(日常の業務を通じて必要な知識、技術を身に付けさせること。OJT)が図られている。同じ試験で採用された職員の処遇については、早い段階ではあまり差を付けずに、40歳前後から徐々に差を付けていくのが通常である。また、組織の新陳代謝を図るため、I種採用職員については50歳前後から退職勧奨を行い、再就職先を紹介することにより徐々に職員を組織の外に出していくことが広く行われている。図16平成13年度 年次報告書 (jinji.go.jp)は、I種試験に合格して採用され、事務次官になった職員の具体的なキャリアパスである。大学学部卒業後、係員として採用され、3年目に係長に昇進、その後、他省庁勤務を経験し、8年目の課長補佐級昇進時に地方公共団体に出向している。次に、特殊法人勤務などを経験した後、20年目で課長、28年目で審議官、34年目で事務次官に到達しているが、この職員の場合、非常に多様な職歴を経ることにより、幅広い視野を養うことを可能にしている。図16 I種採用職員のキャリアパスの例平成13年度 年次報告書 (jinji.go.jp)一方、図17平成13年度 年次報告書 (jinji.go.jp)は、II種試験に合格して採用された職員の具体的なキャリアパスである。係長への昇進が10年目、課長補佐級である管区専門官への昇進が21年目とI種採用職員と比べて大きな差がある。33年目に課長に到達しているが、これはII種採用職員としては相当高いポストに昇進した例である。図17 II種採用職員のキャリアパスの例平成13年度 年次報告書 (jinji.go.jp)こうしたキャリアパスを形成する背景には、国家公務員に特有な次のような人事管理の特徴がある。(キャリアシステム)国家公務員の人事管理においては、採用段階において中核人材の選抜を行い、採用同期の者は、一定年齢までほとんど差を付けない早い昇進と遅い選抜によるいわゆる「キャリアシステム」が採られている。キャリアシステムは、優秀な人材の誘致と中核人材の早期育成に有効性を発揮するとともに、長期間高い志気を維持し続けさせるという効果もある。一方、現行の「キャリアシステム」は、採用試験及び採用年次に応じた昇進をあまりに固定化させているため、適材適所の人材配置や能力の有無によるメリハリのある昇進など能力に応じた人材活用が不十分であるだけでなく、そのことがII種・III種等採用職員に不公平感を生じさせることにもなっていると言われている。また、このような固定的な人事運用は、一部の職員にとって、身分的なものと受け止められ特権意識を生む原因ともなっている。なお、このような人事システムの下、公務組織外との人事交流は近年まであまり行われてこなかった。人事院調査によるⅠ種採用(総合職)職員の昇進(キャリアパス)(計量計測データバンク編集による)22歳(入省初年 採用時年齢) 本省A局A課係員24歳(入省2年目) 本省B局A課係員25歳(入省3年目) 本省B局A課係長27歳(入省5年目) 他省庁勤務(転任)29歳(入省7年目) 本省A局A課係長(転任)30歳(入省8年目) 地方公共団体勤務33歳(入省11年目) 本省課長補佐(複数の局をおおむね1年で異動)37歳(入省15年目) 特殊法人勤務39歳(入省17年目) 本省A局A課企画官41歳(入省19年目) 本省A局B課室長42歳(入省20年目) 本省課長(複数の局にまたがる課をおおむね1年で異動)50歳(入省28年目) 本省本省審議官51歳(入省29年目) 本省局長(A局、C局)56歳(入省34年目) 本省事務次官人事院調査によるⅡ種採用(一般職)職員の昇進(キャリアパス)(計量計測データバンク編集による)24歳(入省初年 採用時年齢) 管区官房(経理)採用係員26歳(入省2年目) (転任)本省大臣官房経理係員34歳(入省10年目) 本省係長(総務、人事)45歳(入省21年目) 管区専門官(人事)47歳(入省23年目) 管区課長補佐(人事)(配置換)48歳(入省24年目) 本省専門官(管理)(配置換)49歳(入省25年目) 外局課長補佐(管理)(転任)52歳(入省28年目) 本省課長補佐(管理、給与)(転任)53歳(入省29年目) 管区部長(総務)55歳(入省31年目) 本省準課長(人事)(配置換)57歳(入省33年目) 本省課長├├国家公務員採用総合職試験(院卒者試験、大卒程度)の区分試験別・府省等別採用状況(過去3年間)(令和2年、3年、4年 人事院報告pdf)国家公務員採用総合職試験(院卒者試験)の採用状況(過去3年間)R2 280 (98)R3 251 (81)R4 263 (97)国家公務員採用総合職試験(大卒程度試験)の採用状況(過去3年間)R2 467 (167)R3 513 (183)R4 482 (160)(注)1( )内の数字は、女性を内数で示す。2 令和4年度の採用数は、令和4年4月1日現在の数字。├├過去3年分の府省別の採用者数(R2~R4)in (jinji.go.jp)(令和2年、3年、4年 人事院報告pdf)
2024年11月20日
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計量計測データバンク ニュースの窓-15-News material content collection of metrology databank №15計量計測データバンク ニュースの窓-15-├現在の軽トラよりも確実に馬力があり、ロングホイールベースほかの利点を原理的に備えている軽トラック アクティ HA7は定期的に手を入れて長く乗りたい車である (2023年04月30日データ取得 計量計測データバンク編集部)ある車屋さんが言うには軽トラック アクティ HA7などは10万㎞走行になると9割り方オーバーヒート現象をおこす、という。オーバヒートへの対応はタイミングベルト交換時にエンジンのヘッド周りのシーリングの役目をするガスケットやOリングを交換することのようである。エンジンの簡単なオーバーホールということになる。Oリングはゴムがプラスチックのように硬化して役割をなさない。現在の軽トラよりも確実に馬力があり、ロングホイールベースほかの利点を原理的に備えている軽トラック アクティ HA7は定期的に手を入れて長く乗りたい車である。軽トラック市場が縮小している日本では、もはや軽トラック アクティ HA7のような車は登場しない。前輪を足元に配置していることなどによって、フロントガラスが操縦席に近い、あるいは客室が狭い、といったことがあるが、これは割り切るしかない。5速のマニュアルミッションは3速の守備範囲の広さに山道で驚き、5速での高速道路での力強さには満足するであろう。その車屋さんが後輪でアスファルトを引っ剥がすような走りと表現するのがホンダの軽トラック アクティ HA7。2023年04月30日時点で販売されているダイハツとスズキの軽トラックと比較するとこの表現「アスファルトを引っ剥がすような走り」は頷(うなず)ける。ホンダの軽トラック アクティ HA7は、前輪を前に出して衝突安全性への対応のため2.420mmという長いホイールベースになっている。長いホイールベースは高速安定性に寄与するかわりに、回転半径が大きくなる。最終型のホンダ アクティトラックはホイールベースを短くしている。ホイールベース(m)2.420。トレッド(m)前/後1.295/1.310。最低地上高(m)0.190。├├├ホンダの軽トラック アクティ HA7 は後輪でアスファルトを引っ剥がすような走りをする (2023年04月30日データ取得 計量計測データバンク編集部)車屋さんが後輪でアスファルトを引っ剥がすような走りと表現するのがホンダの軽トラック アクティ HA7。2023年04月30日時点で販売されているダイハツとスズキの軽トラックと比較するとこの表現「アスファルトを引っ剥がすような走り」は頷(うなず)ける。ホンダの軽トラック アクティ HA7は、前輪を前に出して衝突安全性への対応のため2.420mmという長いホイールベースになっている。長いホイールベースは高速安定性に寄与するかわりに、回転半径が大きくなる。最終型のホンダ アクティトラックはホイールベースを短くしている。ホイールベース(m)2.420。トレッド(m)前/後1.295/1.310。最低地上高(m)0.190。├├├(241) 農家が選ぶべき軽トラは? 軽トラをたくさん販売されている自動車屋さんに聞いてみた! Japanese Lightweight trucks, Kei-tra - YouTube (2023年04月17日データ取得 計量計測データバンク編集部)├├├ホンダ軽トラ アクティ HA4 E07Aエンジン プラグホールのオイル漏れ修理 カムホルダーOリング交換 (2023年04月30日データ取得 計量計測データバンク編集部) エンジン タペットカバー裏のパッキンの他さらに奥にもOリングが入っていて、これを交換しないとオイル漏れが直らないことが多い。├├├ホンダ・アクティ - Wikipedia (2023年04月29日データ取得 計量計測データバンク編集部)├├├アクティ・トラック(2021年4月終了モデル)Honda (2023年04月29日データ取得 計量計測データバンク編集部)├├├セブン170スズキ製の0.66L 3気筒ターボエンジンを搭載して539万円 (2023年04月29日データ取得 計量計測データバンク編集部)├├├ダイハツ工業の軽トラ ハイゼット トラック主要諸元表 (2023年04月29日データ取得 計量計測データバンク編集部)├├├スズキの軽トラ キャリイ・スーパーキャリイ 主要装備・主要諸元 (2023年04月29日データ取得 計量計測データバンク編集部)├├├ホンダ アクティトラック型式 GBD-HA7 型式「HA7」 写真の車を使っています (2023年04月29日データ取得 計量計測データバンク編集部)├├├(298) 【伝説の車その8】旧車屋さんのレストアに密着したら下地が完成しました?編 - YouTube (2023年04月29日データ取得 計量計測データバンク編集部)├├├(298) 【大切なお知らせ】丸山モリブデンで『13馬力アップ』は都市伝説なのか?ガチ検証を挑んでくるさっきーさんと対談してみるノ巻 - YouTube (2023年04月29日データ取得 計量計測データバンク編集部)├├├(298) 【丸山モリブデン物語 -後編- 】『奇跡のオイル添加剤』製造メーカーの社長さんに、旧車屋さんが本気のインタビューをしてみたノ巻 - YouTube (2023年04月29日データ取得 計量計測データバンク編集部)├├├【特集】新美南吉に魅せられて 愛知・半田|NHK 東海のニュース (2023年04月29日データ取得 計量計測データバンク編集部)├├├TOPICS | 斎藤商会 (te27.jp) (2023年04月29日データ取得 計量計測データバンク編集部)├├├旧京阪商会仕様 | 斎藤商会オンラインショップ (saito-shokai.shop) (2023年04月29日データ取得 計量計測データバンク編集部)├├├(298) 37年間倉庫で眠っていた希少なアメ車を洗車したらビックリするくらい綺麗だった!|1977年型 マーキュリー グランドマーキー - YouTube (2023年04月29日データ取得 計量計測データバンク編集部)├├├(298) 【騙されるな】古い自動車バッテリーは復活するのか?再生電池の充電方法を検証します - YouTube (2023年04月29日データ取得 計量計測データバンク編集部)├├├(241) 農家が選ぶべき軽トラは? 軽トラをたくさん販売されている自動車屋さんに聞いてみた! Japanese Lightweight trucks, Kei-tra - YouTube (2023年04月17日データ取得 計量計測データバンク編集部)├├├車検整備 ホンダ アクティ・バン HH6 (2023年04月30日データ取得 計量計測データバンク編集部)├├├ホンダ・アクティ(2代目)(HA/1/2/3/4/5/HH1/2/3/4型)トラック(後期型)の車検整備 (2023年04月30日データ取得 計量計測データバンク編集部)├├├車検整備 ホンダ アクティ HA7 カムホルダーOリング交換 今回の整備はやることたっぷり (2023年04月30日データ取得 計量計測データバンク編集部) ホンダ アクティ HA7などが走行10万㎞でオーバーヒートすることが多い現象への対応として、タイミングベルト交換時にプラグ周り、ガスケットのOリングの交換をしておくことの有効性が見て取れます。ウオーターポンプの交換をしておくことも有効性の一つです。├├├ホンダアクティ HA9 7/12入庫分車検説明 - Google 検索 (2023年04月29日データ取得 計量計測データバンク編集部) ホンダ アクティ 軽トラック の下回りの様子を見ることができます。├├├(241) 農家が選ぶべき軽トラは? 軽トラをたくさん販売されている自動車屋さんに聞いてみた! Japanese Lightweight trucks, Kei-tra - YouTube (2023年04月17日データ取得 計量計測データバンク編集部)├├
2023年05月01日
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計量計測データバンク ニュースの窓-221-├ジョウビタキが菅平で繁殖 | 筑波大学山岳科学センター (tsukuba.ac.jp)ジョウビタキが菅平で繁殖(筑波大学山岳科学センター 2023.7.18 季節の話題 菅平高原実験所)ジョウビタキの雛(2023.7.14 町田龍一郎撮影) 2023年7月14日、菅平高原実験所のベランダにて、ジョウビタキの雛が観察されました。 菅平高原実験所の町田龍一郎(生命環境系 客員研究員)によると、ジョウビタキはヒタキ科の鳥で、本来は冬鳥として日本に渡来する鳥ですが、近年は北方に戻らずに日本で繁殖する例が知られてきました。今年、春を過ぎてもジョウビタキを見かけるので、菅平でも繁殖するのでは?と町田は楽しみにしていたそうです。 そして先週、屋外から「ジッ、ジッ」と聞きなれない声。もしや彼らの雛の声かもしれない、と町田。そして7月14日、なんと町田の居室前のベランダに雛が! 思わずシャッターを切ったそうです。├├ジョウビタキの巣の構造と材料 山路公紀 1・林正敏 2はじめに ジョウビタキ Phoenicurus auroreus は,日本に冬鳥として渡来し,主な繁殖地はバイカル湖からアムール流域,モンゴル,満州,ウスリー地方,中国北部,朝鮮などとされる(日本鳥学会 2012).日本国内での繁殖例はごく少なく, 1983 年に北海道上士幌町糠平で(川辺 1994), 2010 年 6 月に長野県富士見町富士見高原の山林で繁殖が確認された(林 2010).これまではこういった本種の繁殖は偶発的な事例と考えられていたが,後者の調査地および近隣の地域を対象として 2010–2013 年の 4 年間,調査を実施したところ,八ヶ岳周辺でジョウビタキが定着して繁殖している実態が明らかになった(林・山路 2014). 日本国内における本種の繁殖については情報が少なく,本種がどのような環境下のどんな場所に巣をつくり,どんな巣材を使っているかあまりわかっていない.もし他種と営巣場所や巣材が重複するようであれば,それらの種と間接的に種間競争が生じることも考えられる.また,今後同様のことが他の地域で生じた時のためにも,どのような種の巣と似ているか,見分けられるかなど,本種の巣材や巣の構造の情報は有益なものとなるはずである.そこで,林・山路(2014)の調査の過程で採集したジョウビタキの 13 の巣について巣の特徴を整理し,本来の繁殖地の情報との比較および営巣場所による巣材の違いについても考察を試みたので,ここに報告する.調査方法 調査は 2011 年 5 月から 2013 年 8 月まで,長野県富士見町富士見高原(35°56′N, 138°17′E;標高約1,300m),茅野市霧ヶ峰高原(36°06′N, 138°12′E;標高約 1,600m),塩尻市塩嶺 (36 °05 ′N,138 °01 ′E; 標高約1,000m) および茅野市白樺湖(36°06′N,138°14′E;標高約1,500m)で行った. 本調査地内において,ジョウビタキの巣は林間に開けた別荘,ペンションなどが散在する環境にあり,軒下,換気扇フードなどの構造物に架けられていた(林・山路 2014).巣の大部分は高さ 2–5 mのこれら構造物の奥まったところに造られていた.繁殖期の終了後,家主の了解を得て脚立に登り巣を撮影し,厚紙を下に差し込み,できるだけ原形を崩さないようにしながら巣を取り外した.採取した巣は紙の上に置いて全体と各部を撮影した.定規を使って各部位を計測した. 採集した巣は椀形の巣の本体(以後カップ部とよぶ)のそとに外周部の一部が張り出していた(図 1).巣の各部の名称と寸法の表記方法を図 2 に示す.計測の部位は次の 3 つに分けた。カップ部の外径(長径・短径)と高さ,カップ部の内径(長径・短径)と深さ,および産座の日本での繁殖例1983年 - 北海道大雪山麓で繁殖が確認されている[5]。2010年6月21日 - 日本野鳥の会諏訪の会長が、長野県諏訪郡富士見町の林でジョウビタキの繁殖を確認する[6]。2012年6月3日 - 日本野鳥の会旭川支部長の柳田和美が、北海道上川町町内の空き家の屋根裏で営巣しているジョウビタキの繁殖を確認する。6月8日付の北海道新聞朝刊にヒナにエサを与える親鳥の写真が掲載された[7]。2012年7月25日 - 6月に続き、同じつがいが再び繁殖したのを、柳田和美が、北海道上川町町内で撮影された写真で確認する。8月22日付の北海道新聞朝刊にヒナの写真が掲載された[8]。2013年8月5日 - 大阪府立岸和田高校生物部夏期合宿で兵庫県鉢伏高原のロッジ裏で巣立ちビナを含む家族群を見つけたのが西日本での最初の繁殖例である。 2014年6月23日 - 岡山県在住の獣医師(笹野聡美)が、真庭郡新庄村の民家の排気口痕に営巣しているのを発見し、巣立ち直前の雛を確認した。西日本では初認事例として、日本鳥学会誌に掲載された。その後岐阜県、鳥取県、八ヶ岳周辺(長野県、山梨県)や浅間山南麓でも繁殖が確認されており、今後国内での繁殖拡大傾向が続くのか注目されている。豊橋総合動植物公園での繁殖2002年に豊橋総合動植物公園が日本の動物園で最初にジョウビタキの繁殖に成功し、日本動物園水族館協会の繁殖賞を受賞した[9]。ケージ内で縄張りをもち、ペアを形成し抱卵14日目に雛が孵化し、雛6羽中2羽が成育した。├├【別館】生き物ウォッチングとベガルタが好き 国内でのジョウビタキの繁殖 (fc2.com)├├【ジョウビタキの図鑑】冬鳥・メス・喧嘩好きな・国内で繁殖・雛・食性・生態・何より可愛い - WEB野鳥図鑑 (torizukan.com)├├日本国内で生まれた翌年に出生地に帰還して繁殖したジョウビタキの報告 (jst.go.jp)├├見つけて、夏のジョウビタキ! (wbsuwa.org)日本野鳥の会 諏訪支部 見つけて、夏のジョウビタキ 日本では本来冬にしか見られないジョウビタキですが、ここ数年にわたる調査の結果、渡らすに、長野県と山梨県にまたがる八ヶ岳周辺、および霧ケ峰高原一帯で継続的な繁殖のほか、新たな環境への進出もうかがえるなど、今後繁殖地域の拡大が予想されます。見つかった巣はすべてリゾート地や別荘地の建物などの人工物に造られていました。 この夏も元気なヒナが巣立っています。ヒナの体は斑模様ですが、尾は短くてもオレンジ色で、翼の白い斑も見えます。皆さんの周囲にも「ジッ、ジッ」と鳴いて餌をねだっているヒナの姿が見られるかもしれません。家の周辺で餌をくわえた親鳥を見かけるかもしれません。高い樹の天辺などで囀る雄の声が聞かれるかもしれません。 夏のジョウビタキを見かけたら、下記アドレスへの連絡をお願い致します。 ●日本野鳥の会 諏訪支部 ジョウビタキ情報連絡用(redstart@wbsuwa.org)├├ジョウビタキ - Wikipedia日本での繁殖例1983年 - 北海道大雪山麓で繁殖が確認されている[5]。2010年6月21日 - 日本野鳥の会諏訪の会長が、長野県諏訪郡富士見町の林でジョウビタキの繁殖を確認する[6]。2012年6月3日 - 日本野鳥の会旭川支部長の柳田和美が、北海道上川町町内の空き家の屋根裏で営巣しているジョウビタキの繁殖を確認する。6月8日付の北海道新聞朝刊にヒナにエサを与える親鳥の写真が掲載された[7]。2012年7月25日 - 6月に続き、同じつがいが再び繁殖したのを、柳田和美が、北海道上川町町内で撮影された写真で確認する。8月22日付の北海道新聞朝刊にヒナの写真が掲載された[8]。2013年8月5日 - 大阪府立岸和田高校生物部夏期合宿で兵庫県鉢伏高原のロッジ裏で巣立ちビナを含む家族群を見つけたのが西日本での最初の繁殖例である。2014年6月23日 - 岡山県在住の獣医師(笹野聡美)が、真庭郡新庄村の民家の排気口痕に営巣しているのを発見し、巣立ち直前の雛を確認した。西日本では初認事例として、日本鳥学会誌に掲載された。その後岐阜県、鳥取県、八ヶ岳周辺(長野県、山梨県)や浅間山南麓でも繁殖が確認されており、今後国内での繁殖拡大傾向が続くのか注目されている。豊橋総合動植物公園での繁殖2002年に豊橋総合動植物公園が日本の動物園で最初にジョウビタキの繁殖に成功し、日本動物園水族館協会の繁殖賞を受賞した[9]。ケージ内で縄張りをもち、ペアを形成し抱卵14日目に雛が孵化し、雛6羽中2羽が成育した。├├野鳥フレーム (ec-net.jp)野鳥歳時記 秋 (ec-net.jp)ジョウビタキ野分けきて ジョウビタキの 姿見ゆ 虚心 野鳥にはそれぞれに独特の飛び方や仕草があります。夏鳥と留鳥の飛び方は目に焼き付いていますから、秋が深まるにつれて挙動不審の野鳥を目が自然に探るのです。10月30日、朝の散歩のおりにジョウビタキの姿を確認しました。牛の飼料に植えてあるトウモロコシ畑で見慣れない飛び方をする野鳥が目にはいりました。まだ緑青々としているトウモロコシ畑を、ジョウビタキがその白い斑が印象的な羽を朝陽に輝かせて飛翔していました。 この冬一番に目にした渡り鳥がジョウビタキでした。ジョウビタキは私の家のアルミフェンスと物干竿に留まって頭をぴょこりと下げてあいさつします。頭ぴょこりの後には開くと濃い蜜柑色の尾羽を独特な調子でぱっぱと広げながら上下に振ります。こうした動作を繰り返しながら私の庭と辺りの梢や林を行き来しております。これが春までつづくのですから有り難い冬の友です。 ジョウビタキは雄の羽の色合いが綺麗な野鳥です。大雨覆(おおあまおおい)羽が白く、腹は濃い蜜柑色、喉が黒で、頭は灰色です。雌の喉は黒くなく、頭の灰色もありません。腹部の蜜柑色はずっと淡くなっていますが、大雨覆羽の白は目立ちます。また雄雌とも尾羽は閉じている姿を後ろから見ると黒ですが、調子をとってぱっぱと開くときに濃い蜜柑色が印象的です。 雨覆羽に白い斑をもつヒタキ科のキビタキやノビタキは夏鳥ですから、これらとジョウビタキは入れ違いに日本列島にやってくるのです。
2024年07月31日
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福島新吾―社会科学としての政治研究―1947~54―東京大学社会科学研究所助手時代と共産党本部の徳田球一書記長├計量計測データバンク ニュースの窓-153-福島新吾―社会科学としての政治研究―1947~54―東京大学社会科学研究所助手時代と共産党本部の徳田球一書記長├├福島新吾 社会科学としての政治研究―1947~54(専修大学社会科学研究所月報)福島新吾 社会科学としての政治研究―1947~54(専修大学社会科学研究所月報)https://www.senshu-u.ac.jp/~off1009/PDF/smr486.pdfISSNO286-312X No.478 2003.4.20はじめに『専修大学社会科学研究所月報第 478 号』に「体験戦後史 1945~47」と題して敗戦後の体験などを述べた。引き続き発表の機会を与えられた事を深謝し、私の研究者としての出発期を回顧したい。私はこの国に初めて創立された東大社会科学研究所の助手となった(公募第一期)ので、その研究所は当時如何なるものであったのか、そこでは社会科学をどのように考えていたかをふりかえる。この研究所のお蔭で私の政治学研究には社会科学という frame of reference が加わった。私はそれを十分政治学に生かしたとはいえないが、少なくとも同世代の狭義の政治学者とはかなり違ったテーマ、視角、展望をとったと思う。そのいきさつが社会科学の発展史の参考になればと願う。他方世界政治の変遷とその日常生活への浸透にもまれつつ私の政治意識-国家意識あるいは愛国心-が変わっていった経過もふりかえってみたい。目次はじめに ································································· 1§1 東大社会科学研究所 ················································· 2§2 その組織と活動 ····················································· 5§3 社会科学をめぐる対立 ··············································· 9§4 私が経験した調査・研究活動 ········································· 11① 無産政党の選挙結果 ··············································· 11② 労働組合の調査・研究 ············································· 12③ 選挙の実態調査 ··················································· 13④ 公安委員会調査 ··················································· 14⑤ 農村調査 ························································· 15§5 理論と実践 ························································· 18§6 社会的活動 ························································· 20編集後記 ································································· 24- 1 -§1 東大社会科学研究所 そもそもこの国には明治以来学校制度は整ったが、研究所という機関は未成熟であった。 Institute の起源はフランス革命で既成のアカデミーが破壊されたのち、1795 年につくられたInstitut National des Sciences et des Arts. で、それを受けて英国でも Royal Institute ofBritish Architects.1834. をはじめ多くの研究所がつくられたという(O.E.D.)わが国では1856年の蕃書調所が最初といえるだろうか。『近代日本総合年表』(岩波)によれば1890 年上海で荒尾精が日清貿易研究所を創立しているが、これが研究所に相応しいものだったか?疑問である。同書によれば日本で最初の研究所は 1886 年の帝国大学臨海実験所(三崎)、あるいは1891年に決定、98年に確立、1918年に官制が出来た逓信省電気試験場のようである。その他戦前に設けられた主な研究所は凡そ116だが、その内理工・医学系が 92(しかも1939 年以降設立が実に39、敗戦の年にも3)、文科系はわずか24、その過半数は戦時下に東亞占領地支配の必要に迫られた急造研究所である。京大人文研、東大東洋文文化研も含めて戦時のイデオロギー宣伝の色濃いものが多かった。戦時以前の本格的なものは大原孫三郎が寄与した倉敷労働科学研、大原農業研、大原社会問題研と大阪商大の経済研、山口高商の東亞経済研位に過ぎない。その大原社会問題研究所も敗戦後大内兵衛は東大に、高野岩三郎と権田保之助は日本放送協会へ、森戸辰男は日本社会党へ移動し、久留間鮫造のみ残留の解体状況にあったと聞く。 1946年8月24日に東大社会科学研究所(以下社研という)は官制(勅令)によって東大に付置された。『社会科学研究所の30年』(社研編1977)によれば東大法学部長南原繁(1889~1974)が戦争中軍部が財政経済を独占して無謀な計画を立てそれに同調した少数の学者が参加して、敗戦の結果になったということを反省し、大学が本格的な研究をして、政府、国会に役立ててもらうようにしたいと戦争末期から考え、戦後自らが総長になってそれを具体化した。これには真理に忠実な南原の科学的調査研究への願いとともに、政府説得のための戦術的な「国策」樹立という方向が示され、かなり素朴な実用主義的学問観がうかがえる。それに対して文部省や内閣法制局は学部の講座を増設すればよいと反対した。研究観の浅薄さ、職名と予算さえあれば研究は直ぐ出来るといった研究と教育の両立の安易な考えのあらわれだろう。また学問は(主に外国の)既成の体系を伝授するだけのもので、新現象を研究するなどは空想的として拒否したのだろうか。とくに「社会科学」にイデオロギー的な反発があったかも知れない。だが南原は文相前田多門(1884~1962、若き日の南原の内務省で群長を志願した先輩)の同意を得てそれをおしきった。占領初期で、占領軍は関与していなかったようだが、知れば恐らく社会科学に好意を寄せたであろう。 そこで考えられた研究所はどんなものだったのか?官制では「広く世界各国の法律・政治・経済の制度及び事情に関し正確なる史料を組織的系統的に蒐集し且つこれが厳密に科学的なる- 2 -比較研究を行う」ことを目的としている。予算不足の折から北米・英国・本邦公法・本邦内政・本邦産業経済の五部門だけが実現したが、当初の14部門の案には仏(西欧)、独(北欧・中欧・東南欧)、ソ連(東欧)、中華民国、その他の東亞の諸国と本邦私法、外交、財政金融、資料の蒐集及管理が含まれていた。この当初案は 1973 年までかかって 17 部門に完成したが、日本の研究には社会法・農業・工業・労働を加わえ、比較研究では一国別をやめてヨーロッパ圏、アメリカ圏、社会主義圏の法律、政治、経済などに分類された。当初の構成を見れば、従来ドイツ学重視だった社会分野に米英を始め世界各国の知識を急増する位の意図しか見えず、理論がない。オセアニア、アフリカが全く無いのは後進国無視を示していたのか。 南原は東京帝国大学のなかに戦前には禁止されていた社会科学の研究所をかかえていこうじゃないかということになったのは「一つの変化ですね」と語っている。この発言は学問の自由を謳歌しているが、その内容までは説明していない。『東京大学百年史 部局史四 社会科学研究所』(東京大学百年史編纂委員会編、1987)によれば「いまだ東京帝国大学と言う名称を保持するこの大学に、敗戦からわずか一年後にして社会科学研究所という新研究所が創設されたことは、通常の意味での研究所の新設をこえた、ある種の歴史的意義を有する出来事であった。」「社会科学研究所は、新日本の建設に資する方向への大学と学問の革新の拠点となるべき使命を担っていたといっても過言ではない。」と述べている。設立前に文部省に提出された「社会科学について」と題する説明書では、文化科学ないしは人文科学のもとに「精神科学」と「社会科学」とがあるとし、社会現象を研究する一群の科学の総称としていた。南原自身も社研の開所記念講演(1947.2.1.)で、その特色として比較的、総合的、実態的の三本柱を立てたのみで、なんらかの特定のイデオロギーにたつものでは決してないと強調したが研究の具体的な方法は示さなかった。私は戦後の青年としては学生運動や地域の政治活動に接触せず、家庭に閉じこもってひたすら New York Timesの海外版などから情報を吸収していたが、その中にfact-findingと theory-building の両面を併せ持つ事が肝要だと書かれたのに共鳴していた。 社研の三本柱は前者を重視していたが、後者は弱かったようだ。私の在職中(初期の7年)に知るかぎり矢内原忠雄所長や所員が方法の問題を提起したことは無かった。1947 年 12 月に社研から刊行された「社会科学叢書」のあとがきに、矢内原は「我が国では社会科学といえば、マルクス主義の代名詞といわれていた時代があったが、私どもは社会科学という語を広義に用いているのであって、マルクス主義も社会科学の一つではあるけれども、その全部ではない」と意識的に区別を立てて説明していた。南原は申請する時にその名称を社会科学研究所と決めるについては「少し新しすぎるじゃないか」という慎重論もあったと語っている。1954 年の高島善哉『社会科学入門』(岩波新書)でさえ「社会科学とは何かしら好ましくない学問であるといったような印象が一部の国民の間にまだ残っている」と書いている。南原などは社会諸科学- 3 -の中にマルクス主義を加える事を公認した点に新しい意味を認めたのだろう。1952年には行政管理庁がたった一時間の行政監察を行った後社研廃止の案を出した。また 1958年頃には東大内部から国際問題研究所に改組する案が提起され、存立の危機が問われた。それらはいずれも無事解消したが、当時の政党などの見解が依然として懐疑的だったことを暗示した。1947 年には英語名称を“Institute of Social Science, Tokyo Imperial University.”と決定している。 それは占領軍への届け出に必要だったらしいが、単数で表現したことに意味があったのか否かは説明が無い。1947年秋頃に機関誌『社会科学研究』の名前の英文について再び検討され、宇野弘蔵や山之内一郎は単数、鵜飼信成は英語の常識では複数との説でかなり熱心に論争し結局単数と決めている。 O.E.D.Vol.Ⅱ.1933(The Compact Edition.1971)p.2902.では単数の表現に 1848 年の用例として The conception of a social science is due to M.Comte.(コントの『実証哲学講義』によると思われる)をあげている。またA Supplement to the O.E.D.Vol. Ⅳ, 1986.p.320.でもsocial science を単数であげ「社会の構造と機能の科学的研究。人類社会を総体として、または一部分として組織的方法で研究するすべての学派」と解している。その用例には 1785 のAdams,1821のBenthamから1949のMead,1977のGiddensがあがっている。これらは明らかに単数で総合的な社会科学をとらえた例である。他方同書p.315にはsocialの用例の中に、social sciencesと複数でタイトルを出して「個人と他人とのつきあいから生ずる相互関係に属する、またはそれに基づく、あるいは一グループ、乃至は一つの会の会員になくてはならない機能や構造の」という意味をあげている。この用例にもたしかに J,S,Mill や M.Meadなど諸種の社会科学の用例をあげているから、社会諸科学を全体にまとめた意味で使われたものだろう。この両者の実例では総合的な名辞としてどちらを使うべきかの基準はないといってよいだろう。 ここで問題になるのは「社会科学」は敗戦当時までの日本社会では一般にはマルクス主義のものをさしていたという慣例である。その場合には、すべての社会において下部構造である生産様式が法律、政治、文化など上部構造の基礎となる。従ってあらゆる学問は経済学に規定されるという史的唯物論の前提がおかれていた。社会科学はその全体が有機的な一体をなすものと考えられたのである。ただし、旧体制の日本にはもちろん明治時代から経済学、法学、政治学、歴史学など社会現象を研究する個々の学問が輸入されていたが、それらの総合はおろか同部門の学会の内部討論さえほとんど無かった。前記『総合年表』によれば、明治以後自然科学系43、人文・社会系 30の学会が記載されているが、その内自然2、人文5は東京、京都両帝大内部に限定したものだった。会員の発表内容を統制するための便法だったのではないか。 これはもとより政府の言論、思想的弾圧を避けるものだった。では何故社会科学がマルクス主義を意味するとして忌避されたのか。それについては社研月報 135号(1974.12)に「社会科学- 4 -としての政治学の発足」と題して書いたから省略する。 ドイツでも1918年まで社会民主党はあっても、大学に社会科学部や社会科学研究所は無かったようである。Rolf Wiggershaus の“The Frankfurt School.”(原著は1986、英訳は 1994)によれば、ドイツに現存する、社会科学系の三大研究所のうち、最も古いのは第1次大戦直前の1913年に鉄鋼のクルップ家等の寄付で、キールのクリスティアン・アルプレヒト大学に設立された Royal Institute of World Economy and Marine Transport.(世界経済び海上運輸研究所)のようであるが、それは当然右派的なものであった。それに次いで第1次大戦後 1919 年にケルンに市から 12 万マルクの予算を受けて大学制度(社会学部、社会政策学部)とともに The Research Institute of Social Science.(社会科学調査研究所)が設置された。これには当時ケルン市長で戦後の西独首相になったカトリック中央党の Konrad Adenauer(1876-1967)の要請をうけたカトリックの知的伝統に立つ哲学者 Max Scheler とリベラルの背景に立つ社会学者のLeopold von Wiese とが理事となった。左右の政党のバランスをとったものであった。ドイツでもここに初めて社会科学の名が用いられたようである。三番目に出来たのが有名なFrankfurt Institute of Social Research, (ドイツ 名は Frankfurter Instituts für Sozialforschung. 社会調査研究所)である。これはキールと対象的にユダヤ系の穀物商の富豪ヘルマン及びフェリクス・ヴェイル父子の寄付による、左翼系のイデオロギーに基づく社会科学研究所であった。ヴェイルは純学術的意味でソ連のマルクス・エンゲルス研究所をモデルとしたいとさえ考えたという。ここでも「批判的」と言う言葉がマルクス主義のカムフラージュとして使われたという。§2 その組織と活動 社研の所長には官制公布と同時に、南原と経済学部に復帰した大内の協議で矢内原(東大経済学部を1937年に免官。無教会派のキリスト者だが、新渡戸稲造の植民政策の後継者でマルクス経済学と古典経済学を融合した立場。1893~1961)を迎えた。植民地を旧日本帝国が全部喪失し、彼が批判的に研究していた植民政策は国際経済論と改称されたその時期に彼の自由主義的識見を復活させる場となったのである。コミュニストの疑いは持たれず、マルクス経済学では最長老で、社会科学研究所を統率するには絶妙の人事だった。47 年4月当時の部門とスタッフは以下の通りである。- 5 -部 門 教授 助教授 翻訳官 併任教・助教授 助手第一部(米国)第二部(英国)第三部(公法)第四部(政治)第五部(経済)嘉治鵜飼山之内宇野内田有泉高橋鈴木大内遠藤林楊井克己末延三次・野田良之岡義武大河内一男大塚久雄下山瑛二福島新吾松村憲一塩田庄兵衛 しかし当時大学には学長や所長を事務的に補佐する役職は無かった。総長や学部長は大学評議員を相談相手としたようだが、新設で評議員がない社研では矢内原は早々と8月末に嘱託を発令された山之内(ソ連法)、鵜飼(行政法)と翌年1月になった宇野(マルクス経済学)の三教授を頼るしかなかったようだ。その二人が犬猿の仲だったから、運営は難しかったであろう。 鵜飼は当時稀だった戦前米国留学の知米派学者でマスコミの寵児であり、火中の栗は拾わなかった。翌年3月に前田文相の秘書官から教授に採用された嘉治真三(経済地理学)は業績も乏しく全く消極的であった。有泉亨(民法)、内田力蔵(英法)が主に所長の事務補佐を勤めていたようだ。鈴木鴻一郎(マルクス経済学)、高橋勇治(中国憲法)、林茂(日本政治史)は所内行政にはノータッチのようだった。遠藤湘吉(財政学)、大内力(マルクス経済学)はまだ三十前後だった。その他に非常勤の嘱託で、藤井洋(経済学、後講師、1951死去)、高橋幸八郎(フランス経済史、後教授)、佐藤功(憲法)もいた。一挙に教授クラスを揃えるのに苦心したようである。まず戦前思想的に追放されたり植民地喪失で失職したソ連・中国部門の専門家が考慮された。しかし予算が通らなかったので他部門担当の名目で先行採用した。経済部門は労農派のマルクス経済学者で固めた。戦前の講座派系の大多数が投獄等にあい、採用条件に沿わなかったこともあったのか。大内らの構想に沿わなかったのか。講座派には歴史、社会運動、国家などの専門家もあったが、それらは選考されなかった。全員が東大出身だったが、調査経験者を加えるべきだった。決定したスタッフは在来の学部としては当時の事情ですぐれた選択といえるが、新時代をになうと自負する適格性は乏しかった。在来型の文献的専門研究の学者で弟子がない不安を感じたのか、新制大学院が設置されると争ってその講義を担当し、なぜわざわざ負担を求めるのかと疑問をもたれた。法学でいえば解釈学より法社会学や、歴史研究をより重視すべだっただろう。自然科学系(特に統計学、資源・環境問題)の人も必要だった。 法・経両学部からの併任教授・助教授は単なる目付け役だった(鵜飼所長の後任選挙に彼らが山之内を排して有泉に投票した為に両者同数となる事件があって、以後併任教授を謝絶した)。 大河内だけは労働組合の実態調査に深く係わり、専任以上の役割を果たした。社研の内部では- 6 -当初から社会科学とは何を如何に研究するのか、在来の法学、政治学、経済学とマルクス主義とはどう協調するのかという、組織の根本問題に誰一人あえて疑問を提出せず、その立場を考えようともしていなかったようだ。大塚が病床についたことが惜しまれる。『30 年』で有泉は「社会科学とは何ぞやという議論をしてもまとまるわけはなかったのです。結局それぞれが少しづつ自分の関心にしたがってやっていくより仕方がなかったのです」と当初からの絶望的見解を示している。所内の派閥対立がそれほどに激しく収拾がつかなかったところに、日本の革新運動の病弊、世界的なマルクス・レーニン主義の深刻なセクト主義の欠陥があった。少なくともどんな意見が対立するのかを討論すべきだっただろう。しかも社会諸科学の総合、協力という課題は、立場のいかんを問わず考慮されるべきだった。また制度上課せられ、所員の誰も経験のない調査を行うのに、何を、如何に調査するか、それはどのように新日本の建設に資するのかをまず徹底的に論争すべきだっただろう。それを所員会で十分検討することもせず、研究費を申請して通過した事業に応じて調査が始まったといっても良さそうであった。ところがその研究費の申請は本来の予算で各教官に与えられた研究費では総合的な調査を遂行する事は不可能であったので、戦前には自然科学系に限られていた機関研究費の配分を要請し文部省科学研究費特別委員会として、社研中心の「民主主義研究特別委員会」が認められた。文科系では「現代中国研究」、「日本における外国語及外国文学研究法研究」と並び36万円(最高額)が47年度分として4月上旬に内定されていた(実施は42万円。個人研究では普通2千円であったから破格)。それは第一部「民主主義の思想と制度ー各国の比較研究」、第二部「日本における資本主義の発展と民主主義」、第三部「転換期における行政機構の民主主義化の問題、殊に各種委員会の実態調査」、第四部「労働組合運動と民主主義ー特に最近の労働争議にあらわれた民主主義化の実態調査」となっていた。第一部はほぼ全所員の名目で研究題目が羅列され、ほとんど名義人には配分されず、実質は一括して調査費に使用していた。第二部は経済部門の独占で農地改革の実態調査を書面で行っていた。この両者は報告は出ず、わずかに第三部、第四部が単行本で報告を出した。後には農林省林野局、建設省など他の官省、川崎市など地方自治体、その他民間機関から委託研究費を受けるなど、調査の実施には種々苦心があったようである。 さて私は実際に助手として勤務を始めて研究所の活動が漠然としているのに驚かされた。形式的な研究会、その他の会議が連日のようにあった。記録を再現すれば4月7日所員会。14 日所員会。17 日経済研究会。18 日法律関係例会。21 日民主主義研究委員会総会。24 日経済。28日ロシア語講習会(毎週)。5月1日経済。2日法学。5日所員会。助手研究会。5~7日経済公開講座。9日法研。12~14 日政治公開講座。16 日助手研。17 日労働組合調査。19 日所員会。19~21 日労働法公開講座。22 日農地委員会。26 日所員全体研究会。30 日法学。6月2日所員会。4日労働組合。6日法学。9日所員会。12 日助手研。13 日法研。17 日英米部会研。19 日- 7 -助手研。26 日助手研。27 日民主主義研。30 日英米研。7月4日学術研究会議研。7日所員会といったあんばいである。この他記録がもれたものもあろう。スタッフは自分の領域をかなり限定して休んでいたが、助手はこれらのほとんど全部につきあう建前で容易なことではなかった。当時助手は「御殿女中」と批判もされたが否定しきれない。お茶汲みも使い走りもあった。 後述の諸調査の実働員は大部分助手だった。その外に研究所として当初助手に命じた雑用があった。先ず図書分類。これは通常の図書分類では経済、法律等が大ざっぱにすぎるから、特に社会科学分野を詳細に、かつ地域研究を考慮して、地域分類を加味した、複雑な社研専用の分類表が作成された。ところが図書係の事務職員にはそれを適用する能力が無いとして、助手がそれを担当することになった。さらに「資料整備」として官庁発行の資料を官庁に配付予算が無かったから、助手が交通費自弁で(といっても交通機関はバスは当てにならず地下鉄虎の門からあとは永田町、霞が関一帯を徒歩でかけまわる)官庁を回り受領に回った。時間のロスも大きく資料は重く、実質的にはそれが価値のあるものか不明で「今日は何貫目稼いだ」などと自嘲するクズ屋だった。不満が二年ほど鬱積して組合を結成した頃廃止された。もうひとつは新聞記事の切り抜きの指定を助手にさせた。これも 48 年秋には廃止されたが助手は貴重な時間とエネルギーを奪われた。しかも大学評議会における他学部特に病院からの反対のため助手を漸次昇格定着させて次代の研究者を自前で養成する方針が拒否された。そこで助手を一般調査業務に従事させながら、任期は学部と同じ三年とし(当初は論文無しに転任が受諾されていた)、助手の異議申立によってやっと一年延ばしたが、適宜他大学等に転出することを期待された。しかも他学部から研究に没頭して顕著な業績を収めた同年配の助手をスタッフとして採用した。これは才能を選択したつもりであろうが、研究所向けの能力選択ではなく、学部教授と同様に文献中心で調査に未経験な研究者を加えたに過ぎなかった。 研究会活動を省みると、全研究所合同の研究会は矢内原が所員の統合の為に力を入れたが、内田「ベンサムの立法理論」。遠藤「ホッブス・レヴァイアサンの思想」。林「国家の問題」。宇野「資本論の方法」。佐藤「ロバート・フォン・モールの生涯と学説」など分散した報告の為出席者が次第に減り盛り上がりを欠いていった。所員間に共通の問題意識が無いのが原因だっただろう。矢内原が神経痛の持病をもっていたので、報告者が実は神経痛が起きて報告が準備出来なかったと言い訳をする場面などまであった。 最も活発だったのは毎週宇野が主宰するゼミナールであった。私が入所する前に、野呂栄太郎『日本資本主義発達史』を終え山田盛太郎『日本資本主義分析』が終わりかけていた。宇野が「講座派」の理論の再検討を試みたものだったらしいが、次に平野義太郎の『日本資本主義社会の機構』が候補となると、もう結構だと拒否し、その後は櫛田民蔵「農業問題」、次いで資本論の歴史的論証の部分や、ヘーゲル法哲学批判などを読んだ。これには経済学部から隅谷三- 8 -喜男、武田隆夫、加藤俊彦、氏原正治郎。外部から大島清(教育大と法政大の同名者二人)なども参加し、社研では経済部門と全助手が出た。法律・政治部門のスタッフは殆ど出なかった。 しかし報告者のコメントは内容を要約する程度で、一番力を入れていたのは、当時未だ使われていた改造社版全集や、高畠訳の伏字(戦前の検閲により出版、翻訳などで頻繁に登場した)の推定であった。日記に「意外に出席者が不勉強なのでおどろく。研究者の安住的態度か」としている。しかもその後ほとんど宇野の独演的なコメントで終わった。私にとっては何派の区別もなく、未知のマルクス主義的な日本社会の分析の鮮やかさに驚嘆させられた。山田の分析などテキストから多くを学ぶとともに、宇野の意見もまことに多様で示唆的であった。日に日に視野は広がり、戦時からの天皇制への強い共感は、反発とまではいかなかったが薄れていった。だが何しろ参加者すべてが労農派支持で、『分析』の「インド以下的低賃金」という有名なフレーズなどは政治的だと冷笑する。唯一講座派を自認する塩田助手はほとんど発言せず、やがて出席しなくなり、両派対立の根源は検討されず、一方的な印象を免れなかった。宇野が欠席したりすると低調に終わった。 法律関係の研究会では野田「プラトンのノモス」、有泉「労働争議の法理」、山之内「ソ連法学の概観」、福島「神山茂夫『天皇制の理論的諸問題』(6月発行の新刊書の紹介)」、遠藤の「ブレトンウッヅ協定」などの記録がある。上記の有泉の回顧にあったように、報告者の学問は在来そのままの各個バラバラで、各自の報告が全く統一を欠いていたから、蓄積されるものが無かった。 社研の公開講座、宇野「資本論入門」。高橋勇治「中国における国民党と共産党」。有泉「労働争議の法律問題」。内田「英米の家族法」。大河内「婦人と労働問題」、山之内「ソ連憲法と婦人の地位」。三日連続で一般の聴衆を集めたが助手には関心は薄かった。外務省の清水威久のロシア語講習会は毎週一回で七月に終わり大変有益であったが多忙でついてゆけなかった。これなど継続してほしかった。さらに助手だけの研究会もレーニン「帝国主義」を読んだ。「帝国主義」とは、現代の植民主義を指すのか(たとえば矢内原の『帝国主義下の台湾』)、金融独占資本主義の総体を指すのか曖昧だとの疑問で混乱した。§3 社会科学をめぐる対立 当時統一的な社会科学を強く意識したのは、宇野を筆頭とする労農派の人々であった。彼らはマルクス主義以外に社会科学はありえないと考えており、強い経済学優先思想であった。しかしそれは社会の政治、法律、産業、市民などの分野の諸現象の特殊な研究を自ら総合してゆこうという見解ではなく、社会現象のすべては経済構造によって決定されているから、経済学を知らずして学問は無いとする唯物史観を信奉しているだけであったように思われる。たとえ- 9 -ば宇野の意見では政治思想史などで、基盤の経済構造の変化を乗り越えて各時代間の学者相互の思想や観念に歴史的連続性を認めることなど成立し得ないと丸山の学問を否定した。封建社会の思想と資本主義社会の思想は、全然異質で共通の論理はあり得ないというのであった。だが資本主義以前の経済学について研究する方法論を示すことはなかった。マルクス主義のいわゆる社会発展史観についてもどのように研究するかの方法を持つわけでもなかった。マルクスやその一派がそれをどのように説いているかを知りその方法を模倣しさえすれば総合的な社会科学になると考えているようであった。この立場では解釈法学等は全く技術的な修辞法と考えられたであろう。したがって研究所には法学の専門家は全く無用なのである。宇野がマルクス主義の最高性を主張する時、私は自然科学にも、数学や物理学だけではなく、応用化学のような分野があるではないかと政治学の独自性を擁護した。ただ労農派に対抗する日本共産党、あるいは講座派支持を称する人々の社会科学観はもっと極端だった。 私自身がやがてその見解に追従したのだから批判する資格もないが、ソ連共産党の正統を受け継ぐ日本共産党の理論だけが社会科学だとする建前であった。この立場では山之内が代表的だった。 戦前からソ連を公然と支持して研究を続けた勇気と戦闘性は尊敬のほかなかったが、数十年の収集資料を全部空襲で失い、米占領下でソ連資料は入手出来ず細々とソ連紙を読む程度のようで研究の継続は困難だったのだろう。日常的な行動は温厚篤実で、厳格な遵法主義者と見受けられた。しかし公的な論争となると極端なソ連礼賛一辺倒で、一切の伝統的制度を拒否しようと努め、妥協を認めなかった。学問的には戦時の鬱屈から解放されて与えられた言論の自由の快感にひたっていたようで、ソ連の憲法の解説や法学の内部事情の解説を語ることに精力を傾け、かって自ら翻訳したパシュカーニスのやや公式的なソビエト法理論が、ヴィシンスキーのスターリン主義に追随した権力主義的な法理論によって痛烈に批判され、パシュカーニスは粛清されるにいたった経過を無条件に賛美していた。その意欲はすべてスターリン指導のソ連現政権礼賛、宣伝につきたといえる。Off-timeの私生活の言動は同志の学者や朝鮮総連の人々と酒を楽しみつつ、天皇制や労農派の痛罵をくりかえすことのみであった。その言動には社会主義の優秀性を認めさせ、人民戦線への参加を促す寛容性や魅力を示して保守派を説得するどころか、好意を持つ一般の市民や進歩的な学者にさへ、反感を与えることも少なくなかったと思われる。社研設立当初から頑な原則論で矢内原に敵対し、当初好意的だった矢内原にまで、ついに敵意を懐かせるにいたった。 私はその純粋性を尊敬し、自分の結婚の立会人までお願いしたほどだが、それゆえにもっと学問を、もっと和解をと苦言をくりかえし、ついに激しい不興を買うにいたったのは無念である。その還暦記念論文集が三年もおくれ『今日の法と法学』(下巻)が先生の急死によって追悼論文集となり、そこに捧げた「秘密の保護は『防ちょう...』と同義か?」を生前に見て頂けなかったことも痛恨事であった。一般に進歩派の社研所員としては、占領後の日本はい- 10 -かにあるべきか、日本革命はいかに進めるかの問題を考慮することが最大の急務だったと思う。 それにはまず戦前のコミンテルンテーゼがどんなものだったか、その現在はどう考えたらよいかという点から出発すべきだったと思う。その為には戦前の経験者は進んで当時の状況を後輩に伝達してほしかった。 しかし獄中十八年を栄光とする党主流派のセクト主義はそのような教育を意図しなかった。彼らは戦後直後には国民的な人気の高かった山川均の人民戦線提唱に対応して、救国民主統一戦線を叫んで一見呼応するかの如く見せて人民戦線をぶちこわした。ドイツ共産党ピークの「人民統一戦線」を破壊した自己批判も全く顧みられなかった。 非転向だけを振りかざし、セクト主義の反省を全くせず、戦前の反共派の労農派や社大党の屈伏だけを非難する偏狭さを捨てきれなかった。しかも社研で共産党を支持する人々もそれが革新の主流だからと独善の過ちを看過、許容していたのであった。戦後の共産党は占領下の弾圧とソ連幹部の批判の板挟みになり、テーゼのどの部分が占領民主化によって実現されたか、どの点が不十分なのかという基本問題の討議にふれようとしなかった。 志賀義雄や神山茂夫らは公式主義ながら若干の発言を行っていたが、中央では秘密裡にそれにからんだ派閥対立を起し除名や脱党が続いていた。その中で1950年1月のコミンフォルムによる野坂批判(実質は徳田批判)がおきた。 徳田はそれに一度は反発したが一週間で全面降伏した。その間に私は招かれて代々木の共産党本部二階のM.L研究所の会議に出席、眼と鼻の先で徳田球一書記長がまさに真っ赤になって、日本の事情を知りもしない幹部達が勝手に口を出す、二七年テーゼの時と同じだとコミンフォルムの批判に反撃したのを見た。 当時徳田は日和見主義と批判され、占領軍にはほとんど無抵抗で専ら吉田内閣への議会主義的な非難攻撃のみ(それを串刺し論と称していた)を展開していた。私は二・一スト中止の大打撃以後の米占領軍の公然たる反共主義の下では、日本の革命は出来るはずが無いと半ばあきらめわずかな改良闘争を支持していた。今日から見れば、コミンフォルム批判は朝鮮戦争開始に先立つ第二戦線結成の要求にほかならなかった。 だから徳田の抵抗は全く意味が無かったわけではない。宮本顕治の国際主義の方が誤っていたであろう。その自己批判は無いのだろうか。§4 私が経験した研究・調査活動① 無産政党の選挙結果 未だ勤務に慣れないうちに初仕事を命じられた。1947年4月の戦後第二回の総選挙で日本社会党が第一党になったので『社会科学研究』の編集委員会が普選以来の無産政党の選挙結果の変遷をまとめる論稿を私に依頼した。だが戦中派の私は何も予備知識が無くて当惑した。政党論を展開するにもやや粗雑な協調会編『無産政党史』などしか参照文献も無く、当時の裏面のかけひきに動かされた政治過程の資料も揃っていないし、当時非合法だった日本共産党を含め- 11 -て、どの政党が正統かなどという評価はもてなかった。出来ることはただ最も正確な選挙結果の記録を集約することと判断した。ところが戦前内務省警保局と衆議院事務局で二種類出していた結果報告が東大にも内務省にも完備していない。ようやく両者取り混ぜて揃えると、今度は内務省編「衆議院議員総選挙結果調」と、衆議院事務局編「衆議院議員総選挙一覧」に所属党派など微妙な食い違いがある。それらを苦心して公平に整理し、無産政党の優勢な選挙区を探ってその特性を指摘するなどのささやかな分析を加えて約二ヵ月で試論を提出した。だが編集部では一種の無産政党論、或いは戦前の無産党右傾化の批判などを求めていたのか、レベルが低いと没にされた。② 労働組合の調査・研究 ノートに 47 年5月 24 日9時有楽町(産別)とあるから助手になりたてでいち早く訪問活動がはじまっていたらしい。同年 10月のメモでは連合体、単位産業連合、大企業別連合、地方産業別連合、事業別連合など様々な形態のものを根こそぎ調査しようとの方針がたてられている。 その中で中央郵便局を訪問し、その委員長で後に全逓委員長として有名になった宝樹文彦にあった。すでに顕著に反共的でこちらの質問にも極めて用心深く回答し、野間宏を知っているか等とカマをかけてこちらの立場をさぐろうとした。他に安立電機、東京都土建製材従組、逓信省本省なども多分訪れたはずだ。この調査の過労と深夜の個人研究の疲労の積算で 1948 年3月頃私は軍隊での結核を再発し以後半年病欠せざるを得なくなった。そのために実行できなかった訪問先も多かったはずである。これらの調査の第一回の報告書『戦後労働組合の実態』(1950 年、日本評論社)は、単位労働組合への文書によるアンケート調査に止まらず、一部は訪問による調査を加えており、未知で注目を集める問題だけに、一応の成果になっていた。 48 年後半以降の「労働争議に関するゼミ」としたメモは次の様である。1 争議。大河内、有泉、塩田、福島、川田侃、竹浪祥一郎、遠藤、隅谷三喜男、石川吉右衛門、磯田進、横山不二夫。(大河内、有泉、隅谷は理論研究だけ、石川、磯田、横山は名前だけ)。2 中小工業。大河内、有泉、隅谷、氏原正治郎、松本達郎、藤田若雄、山中篤太郎、岸本英太郎、名和統一。とあり、原則毎週と決めている(山中、岸本、名和も名目)。調査原案は1時期の概観。2産業の一般的状況。3当企業の概観。4当工場の概観。5労組調査。6争議調査。7この争議を契機として起きたる諸成果、となっている。 対象としては第一期、京成電鉄、三菱美唄、第二期、電産、二・一スト、第三期、全逓、小松製作所、第四期、東宝、帝国石油があげられ、それぞれに東芝、国電も加えて担当者も決定していた。この労働運動調査は大分後まで継続し、社研の看板の一つになった。研究費かせぎの負担がとれてからかえって本格化したようで、いかにも社研らしいスタイルが確立された。これは大河内、有泉、- 12 -氏原、藤田、隅谷、遠藤、塩田諸氏の奮闘の成果であった。氏原はその職人的調査力を買われて経済学部助手からいち早く社研研究員、助教授の道を突破したが、当然の人事と認められた。 病気から回復した私は遅れて49年11月10~17日石川県小松製作所の調査に学生安藤昭三を伴って出張した。しかし第二組合が会社と提携して共産党幹部を追放したという生々しいケースで争議も起きていなかった。その経過を共謀した会社と第二組合の側から聞き取るのは大きな限界があった。調査の中でも馘首者と連絡を取らさないように、さまざまの妨害工作を受けた。こうした調査は会社への影響も考慮して発表はずっとおくらされて 1971 年にようやく社研調査報告第 13 集として『戦後初期労働組合調査』が刊行されている。③ 選挙調査 1948 年 12 月に朝日新聞の企画で蝋山政道を中心に鵜飼、辻、川原次吉郎(中大)、中村菊男(慶応)が参加し、翌年1月に行われる総選挙の実態調査を日本で初めて行うことになった。 鵜飼がその企画を持ち込み社研や法学部の助手を調査員に勧誘した。社研の仕事ではないが二人のスタッフが指導するので公然と参加でき、政治研究を目指す私にとっては願ってもない好企画で下山と共に即座に参加した。 法学部では辻の研究生で左派の阿利莫二や川島門下の法社会学の潮見俊隆、唄孝一、卒業間際の学生の石田雄、広中俊雄らが入った。 学生も多数動員された。朝日で何度か方針を協議して、調査地区に都市部は東京都第一区の台東区、農村部は第七区の府中町(現府中市)と西府村(現府中市)を選定した。鵜飼、辻が都市部担当、われわれはその協力者となった。 翌 49年1月23日の投票日まで約1ヵ月上野、浅草地区でなまの選挙の進行を近々と熟視することができた。この調査の方法は委員会で決めた聞き取りの諸項目(一度テスト調査で再考したもの)の印刷を有権者に見せ、面接した大学生の調査員が回答を書き取る方式とした。 何党に投票するか(回答の信頼性を確かめるため、投票の十日程後に同一人物に再調査した)の他に政治意識の方向を知る狙いで、昭電事件、賃金釘付け、役人、会社の首切り、高い税金、ストライキの諸問題について賛否の意見を聞いた。有権者名簿からの被調査者の無作為抽出を考えてみたが、住所の拡散、勤労者の自宅での面接時刻設定の困難等を考え、朝日が作成した事業所調査表から従業員 30 人以上と 30 人以下とに分けて計 362 の事業所を選び、その中で区内の有権者で前回 1947 年総選挙の投票者を選んで質問することとし、計 743人の被調査者を得た。 協力者たちも地域の実情を知らないと回答の分析も出来ないと考え、同じ調査表を持って自由に対象を選んで質問し、あわせて地域の政治事情も調査して総括に備えた。それは数量化された回答の意味を判断する上で大変有効であったと考えた。後に統計数理研究所の林知己夫に事業所の抽出、その中のサンプルの選択は有意標本(purposive sample)を選んだことになる、またそれを他の標本調査の知識で解説したのも非科学的だと批判された。統計学の理論を現実に適用するには大変金がかかるという微妙な難しさを感じた。- 13 - 確かに事業所では回答者が自由ではなく、事業主やおかみさんが助言、代弁した例は多かった。我々も聞き取りの依頼に事業所に立ち入るにもなかなか勇気がいった。阿利は勇敢にも浅草のテキヤの元締めとされた芝山組に乗り込み質問を重ねて来た。私が入った小さなぺン製作所では回答者が工場入り口の帳場のおかみさんの前で、社会党に投票すると答えたが、選挙後に再調査に行ったら「社会党なんか内にはおけないよ」とその工員は既に首切られていた。重大な人権侵害と調査者の責任を痛感したが異議申立も出来なかったのは消極的だったと反省している。別の町工場では選挙調査と言っただけで親方にコップの水をかけられて追い出された。 これらは私にとって調査といえども、戦前の体制を残す支配層と改革をめざす層との闘争になることは否定できないという印象を与え、その後の調査への大きな教訓となった。浅草寺の裏手で飛び込んだ小さな靴屋さんは、対面してみると梅毒で鼻が欠けていた。ぎょっとしながら耐えて質問を終えたが、名刺をもとに三月末に突然東大まで訪ねてきて、企業組合から収入をはるかに越えた所得税の額を割り当てられ、どうにもならないから助けてくれとの依頼を受けた。 私も自信はなかったが、好都合にも当時取引高税という印紙を貼って所得を証明する税があったので、それを調べると明らかに過重課税が立証された。それを持って税務署に同行したら、名刺の東大助手、文部教官という肩書が強力な効果で所長が出て減税を認めてくれたので大変感謝され当人が亡くなるまで付き合いが続いた。 この例でも官尊民卑や中小企業の中のボスによる課税の不当な押しつけを知ることが出来た。この調査報告は我々協力者がまとめ、朝日から『政治意識の解剖』と題して9月に刊行され、好評を得て満足することが出来た。また辻の斡旋で『潮流』のコラムに石田雄と二人が無署名で初めて総選挙のルポの短文を寄稿した。 この選挙は民主自由党が総数466名中264と戦後初めて絶対多数を獲得した。占領軍の施政方針の転換と、翌年の朝鮮戦争というきびしい状況で、日本に一党独裁の弊害を生みこの国の民主主義の定着を大きく歪めることになった。それが今日まで継続する保守政権独走の出発点である。当時それはヒトラーの再現を想起させたし、米国ではすでにその前年から非米活動委員会が国務省の鳩派の赤狩りに猛威をふるい、翌年にはマッカーシズムが台頭したのである。 私はこの時反ファッショに身をささげる決意で共産党に入党した。反天皇制や日本革命の動機は薄く反米、反ファッショの意識だった。④ 公安委員会調査 1949年には社研全体が47年からの民主主義研究特別委員会の総括にあたっていたようだ。 私は半年病欠し事後も過労を避けて出たり休んだりしていたが僅かに武蔵野市で公安委員に面接し公安委員会担当の報告を作成した。1947 年12 月17 日制定の「警察法」は「内閣総理大臣の所轄の下に、国家公安委員会及び一三万人を越えない国家地方警察隊を置く」とともに「都道府県知事の所轄の下に、都道府県公安委員会を置く」「市及び人口五千以上の市街的町村は、- 14 -その区域内において警察を維持し、法律及び秩序の執行の責に任ずる」「市町村長の所轄の下に市町村公安委員会を置き、その市町村の区域内における警察を管理せしめる」等と規定している。戦前には内務省警保局長が道府県警察部長(東京府は警視総監)を全国一括して管理下において警察国家の悪評を得ていた。それを解体させようと考えた占領軍の意向に基づいた1948年3月7日の同法施行で、警察は一挙に約 1605の小単位に分断され、しかも中央政府の左右し得る警察力は定員でおよそ四分の一、地域は非市街的な部分に限られる形に縮小されたのである。さきに特高警察の解体も完了しておりこれは正に特高・警察国家にとって大打撃であった。 しかし国民の大多数はそれを知らず、それに直面した地方政治家たちはむしろ財政負担をきらう消極性しか示さなかった。 他方占領軍に対抗して天皇制国家の柱石に任じていた内務・警察官僚はさまざまの手段を用いてその権限存続につとめた。 従来の警保局長、警察部長などにかわって公安委員が警察を管理することになったが、その人選が一つの要で、予め旧内務省で適切な人物と推奨する職業、社会的地位などのモデルを作りそれを全国に回付して、警察官の意のままになる保守的な公安委員会が形成された。 私が面接した武蔵野市の公安委員は慶応の民法教授で比較的率直に内情の一部を語ってくれたが、警察の事前の立案によって警察長の選択や警察官任用が遂行され、公安委員はそれを追認するだけで、自由な意思の発動は殆どありえないものになっていた。 警察官の採用はすべて旧内務省系の国家地方警察隊が管理する都道府県警察学校卒業者に限られた。しかも警察官の総定員 12 万5千人は従来より約4万人増員されたのでその補充に不足し冗員の割当を待つ状況だったという。ここでも占領民主化の空洞化、旧天皇制の存続陰謀を強く感じた。また治安問題には体制維持の権力の論理が露呈する事を痛感した。⑤ 農村調査 行政、経済、社会の各方面から町村行財政の実態を把握しようという試みであったが、それを如何に実施するかの戦略は討議されなかったと思う。私の在職中の調査地域は一括して示せば、次の通りであった。実施地域 期日1 茨城県鉾田(ほこた)町 1950 年1月、補充調査4月3~5日。2 群馬県島村 1950 年5月6~9日。3 福島県神指(こうざし)村 1950 年8月27~9月4日。4 静岡県下河津(しもかわず)村 1952 年2月23~26 日。5 群馬県強戸(ごうど)村 1952 年8月24~9月2日。6 徳島県木屋平村 1953 年8月。ただし前4回の調査については、『社会科学研究所の三十年』(1977、東大社研編)には記載- 15 -されていない。第1~3回の資金は『立法及び政治教育の政策に寄与する目的のための農村実態の総合調査』として、1950~51 に科研費試験研究特別研究費を受け、50~53 に実施されたとだけ記録されている。 鵜飼、辻、高橋幸、林、潮見俊隆、福島、喜多川篤典、磯田、大内、加藤一郎、羽鳥卓也、小山博也、阪本仁作、下山、照井隆太郎、竹浪、中木康夫、吉野悟、秋田成就の名が列記されているのみだ。 しかし私の記憶では他に内田、遠藤、暉峻衆三らも参加し、その全部に連続参加したのは数人の助手と鵜飼、林くらいであった。その報告は各人の調査結果を一括して審議し評価するシステムをつくらなかったので、個人報告を提出しないスタッフがいて、全体の総合が完成しなかった。そこで正式報告はされず、年表に乗らなかったのかも知れない。また第5回は『日本社会の基礎を為すコンミュニテイーの総合的社会実態調査』として 1952~54 の特別研究費を受け、鵜飼、有泉、内田、林、磯田、加藤俊彦、遠藤、大内、潮見、高柳信一、藤田若雄、福島、小山、長坂聡、江守五夫、岡田与好、大島太郎、藤田勇、戸原四郎、暉峻が名を連ねている。1 鉾田町。 私は先乗りとして一人で初めて宿泊先や村その他機関との打合せなど下ごしらえをした。そして折り返して本隊を誘導したが、乗換列車の時刻を誤り、途中駅で待たせる失敗をした。此処を調査地に選定したのは、当時同県の鹿島地帯に常東農民組合があって、若い山口武秀という強力な指導者が出たことに注目したからである。山口はすでに1947年の総選挙に無所属で当選、49年には労農党所属で連続当選し、後には共産党に入党した。調査は数日だっただろうが、初めてふれる農村地域の真っ只中の小商業都市の生活の実情にふれることは誠に新鮮で魅力的だった。 町はいたって平穏であった。町の人はここは日本の蒙古だと自嘲していた。Y教授の紹介で訪問した医師の娘二人は強烈な東京願望を語り、まさにチェーホフの「三人姉妹」時代だなと痛感させられた。 予想した農民意識の高揚に反して町の雰囲気は「台風の眼」という停滞した印象であった。若い人々だけは山口を高く評価し、有力者は一斉にアカと攻撃した。この初めての農村調査で、農地改革関係をたずねる経済調査や、婚姻圏関係、夜這いなどを聞く民法関係は比較的話がはずむが、所得や町議会議員・町長選挙の問題になると口は固い。国政関係は関心も薄くて容易に成果が上がらない。出るのは腕力で町政が左右されるといった嘆き程度であった。 背広の研究者が戸別訪問すると、まず税務署、次いで警察関係者と誤解された。その警戒を一旦解きどこでも出される枝豆をつまみながらの話となっても政治は差し障りが多いと口が重くなった。 投票に買収ないしそれに近い報酬が出まわっていると察しられたが確証は得られない。こうした一般家庭の戸別訪問をまめに回るのは助手たちだけで、スタッフ連は体裁にこだわるのか、労力を惜しむのか、または細部の問題に無知をさらすのを恐れたのか、町役場とか、農協の事務所などのボス達との格式張った話しか聞かない。そこで全体像を構成する相互討論でも、下からほり出- 16 -した政治、経済の対立関係をボスの力で皆丸くおさまったものと結論したがる矛盾が生じた。 調査の基本姿勢の不統一であった。一つにはまず事実を発見し、その後に理論を考察するという姿勢がなく、適用すべき理論をまず見つけようとする性急さだったのであろう。その結果報告をまとめる段になって、農民側に立つラディカルな見解と、町の有力者層の反乱抑止型の意見が食い違って、世論の批判を恐れるスタッフ達は報告執筆を怠り、総括にいたらぬまま放棄されてしまった。これは単に一調査の成果ばかりでなく、その後の調査全体の空気となり、助手は労力のみ多くして業績は残せない結果になった。2 島村。 これは関東の村の規模として面積、人口がほぼ平均的で、地理的にも関東平野の中心部、商工都市に近在するモデルとして選択された。前者のような革命的政治運動が顕在しないことも考慮されたと思う。ただこの村は 1955 年に境町に合併されたが、中心部が利根川の中州になっており、村の統合にはかなり困難な要因をもっていた。この村には高良とみ参議院議員(1952年に始めて訪ソを果たし、さらに帆足計、宮腰喜助と訪中して初の日中貿易協定を締結した)の生家(蚕糸業の問屋でキリスト教徒だった)があり村人の尊敬を受けていた。 ここでも私は先乗りをしたが本隊出発の日寝過ごして列車に乗り遅れ、特急で別の道から何とか本隊が到着する時迄にかけつけた。こうした失敗で無能助手の評価を受けたのかも知れない。林に最初に起用されるのは実力検討の意味があるよと警告されたが全然気にしなかった。ここでは私がさきに経験した選挙調査にならって、有権者名簿からランダム・サンプリングで抽出して訪問者を特定する、統計学的に厳密な方法を採用した。しかし質問項目が村民の要求と結びつかず、その回答からあまり明確な問題意識を見い出し難かった。村民の意見は全国的な世論の動向に安易に追随する傾向を確認したにとどまった。朝鮮戦争開始直前で吉田首相が南原東大総長を「曲学阿世の徒」と罵ったり、大学の左翼教授追放の声がやかましい時期であった。この調査で副産物となったのは、時ならぬ若い学者多数の来村を迎えて、村の青年たちが大いに学習意欲を高め、助手の一部もそれを歓迎して座談会を二回組織し総員が発言して大いに熱弁を振るい賑やかな交流が行えたことだ。私の宿泊した家の青年にはその後早大を経て町議会議員を何期か勤めるほどの影響を残した。3 神指村。 調査の成果がなかなか纏まらないので、経済部門の主張によったと思うが、幕末時代からの庄屋文書の研究を進めていた福島大学の玉山勇、庄司吉之助教授らの協力を得て、成果をあげようとしたようだ。その反面政治・法律関係ではさっぱり問題がつかめず、外部から参加したT調査員が偏執狂的で、ある部落の冬季の下水溝の溢水をめぐる紛争を過大評価して全般の調査を妨げる言動がありほとんど成果無しに終わった。4 下河津村。これはどうして選定されたか不明だが、伊豆の東南部農村で、温泉もあり、温- 17 -暖な農漁村であった。半島の交通不便のため、幕府時代からの若者組の組織、規約などが残っており、その聞き取りは興味があった。これは磯田の持論の村落構造の研究の視点で潮見が選定したのかも知れない。 私の関心からすると調査がますます現代から離れて、学者の興味本位に走る傾向を感じた。偶然の出会いだったがこの村に大矢好治という米国で花栽培の技術を勉強した指導者がいて、当時としては珍しいカーネーションやバラにビニールハウス栽培を導入し東京への出荷を指導し、大きな成功を収めていた。米作中心の農業学者は重視しなかったが、その後五十年静岡県一帯に定着、発展している。5 強戸村。 これは社研に行政管理庁から廃止報告が出された状況下で「コンミュニティーの研究」に研究所全体で取り組むことになった調査であった。私はすでに社研に残れない状況で最後の助手論文に没頭していたからくわしい事情に通じなかったが、調査方針で助手たちがスタッフと衝突し調査は中絶の形に終わったようだ。 この村は昭和初期に農民組合が強く、土地闘争に勝利して村政まで手中におさめた希有の歴史をもっていた。第一回普選に日本労農党から須永好が立候補したが、当時八百軒の村で五百軒が組合員で村長も農民組合、村議二十五名のうち十九名が組合員という状況であった。その伝統で当時も日本農民組合の勢力が強く、戦後第一回の総選挙でも須永を衆議院(社)に送っていた(46 年死去)。それを太田市出身の大島太郎助手が知っていて推薦したのだったと思う。6 木屋平村。 これは私は参加していない。磯田が自己の村落構造の理論を実証する意図で小グループで行い、まとまった単行本の成果をあげた例である。調査員の統制と検証すべき理論仮説の提示が不可欠なことを示した。この外川崎市の市政調査というものも、通勤で行い疲労が大きかった。報告も書いたはずだ。§5 理論と実践。 その頃私はようやく自分は社研の調査その他の業務を継続的に忠実に果たすことを期待されず、個人で論文を書き他大学の教育職に転出することを求められていると理解した。就任の際は任期3年、後に1年延期を認められたものの調査と雑用に明け暮れた。 1950年1月には「政党の社会的基礎」と題した政党の地域別得票とその都道府県の職業別分布との相関から、その支持層を探ろうとした論文を提出したが、数理的分析を政治学に持ち込んだこと、また経済学部の増山元三郎ゼミで学んだ推計学による相関係数の意味の検定を加えた部分などが特に理解されず昇格を認める空気では無かった。 助手仲間の進退を見ると松村は1年半、塩田は3年8ヵ月で退職したが、特に塩田は社会運動が専攻で左派の学界では早くから著名だったから所内での昇格は有力視されていたが激論の末否決されたと聞いた。続いて下山は3年8ヵ月、渓内謙は3年6ヵ月、川田侃は2年7ヵ月、近江谷左馬之助は4年、喜多川篤典は3年6ヵ月、中木- 18 -は4年3ヵ月それぞれ適職がある時他大学に転出した。私は調査に長く携わって職人的なfact-finding の実力を養いたいという希望を強めていた。 私(7年)のほか中小企業の調査に熱を入れていた松本達郎(6年11ヵ月)、政治史の小山(5年2ヵ月)、ソ連経済の竹波(6年8ヵ月)、ローマ法から法契約の本質を考えた吉野(5年)、宗教改革から人間性と政治を考えた阪本(病気欠勤を含めて9年)が研究専念派だったかもしれない。 だがここには技術指導をする親方がいないから何とか自分自身の理論を確立する事が急務であった。 当時丸山は東洋政治思想史の講義を開始したばかりで、私は「超国家主義…」には感激し、一連の福沢研究に興味を引かれたが、思想に重点がおかれ過ぎている、政治制度や大衆の政治意識が評価されないなどとして東洋政治思想史と政治学は隔絶していると考えていたらしい。 マルクスがどこかで「事物の論理」という概念を使っていたように記憶するが、それを発見することが私の理論研究の目標だと思った。何をテーマとするかについてはマルクス主義では当時必ず理論と実践という問題を迫られた。机上の空論より階級闘争に有効な実践に励むべきだというのである。それは活動への参加を求めていたのだが、私は行動のみが実践ではない、理論活動の中で現実とかかわる理論を取り上げる事が学者としての実践だと考えた。 日本の革命は米占領軍の撤退や世界情勢での左翼勢力の優越が起きなければ不可能だが当面は日本のファッショ化を阻止することが目標でそれに有効な課題を研究することが最も実践的だと考えたが具体化は難しかった。 当時自分自身にも偏りがあった。私は色弱のため幼児から他人との色彩の認識の不一致に悩まされ、自己の認識の客観性に自信をもてなかった。逆に読書能力は小学一年で六年の教科書が初見ですらすら読めておおむね理解でき、その点での同年者との相違も懐疑主義につながったのかもしれない。 中学時代から旧盛岡藩出身で母の実家と古くから交流があった元国際連盟事務局次長新渡戸稲造を尊敬していた。その『内観外望』(1933 年)に「教育とは学校で習ったことをことごとく忘れた、その後に残っているものをいうのだ」、「大学で聞いた講義のノートなどを持ち出してチャプター・エンド・バース〔to give chapter and verse=引用句の出所などを明らかにすること〕をやっている時代はまだ本物でない--すっかり自分自身の物になり切った、パーソナル・コンヴィクションになった、それがほんとうの教育である」と述べている。さらにデカルトの説を聞き自分で検証するまで他人の説をうかうか承認するまいとした。 それは一種の経験主義になろうか。そこで戦後の民主主義全盛期に政治学を研究しようと心掛けていながら、当時全盛のプラトン、アリストテレス、マキアベリ、ホッブス、ロック、ルソー等々の古典やブライスの近代民主政治などをまず学習する方法をかたくなに避けた。そして就職論文執筆以後現実政治に直面してそれを分析することを第一とし、初学者がたどるべき理論研究を後回しにしていた。社会科学の理論でも留保を続けた。講座派、労農派どちらもマルクスの解釈論争で、その依拠した経済・政治史的事実、理論的問題を自ら原資料にあたって著者- 19 -以上に分析しなおす意欲は欠く訓詁学と思った。たとえば天皇制は絶対主義か、近代君主制かと争っていても、マルクスは何を絶対主義、何を近代君主制としていたかを検討する事もなかった。 そこで私は当時マルクス主義に全面的に傾倒する意思は無く、ソ連や共産主義には批判意識を持ちつづけようと努めた。1949年のメーデーに初めて参加して赤旗の波に生理的違和感を覚えた位だった。マルクス・エンゲルスもその現実性に魅力を感じて基礎的に読み進み、その歴史的業績には大いに傾倒したが、その「具体から抽象へ」という段階には足踏みをしていた。 資本論も第一巻までは学んだが、第二巻中途あたりから、経済、金融の知識がなくては自分には空論だと足踏みした。初期マルクスや、ヘーゲル批判などまで研究が及ばずマルクスにはあまり政治理論が無いと感じ、エンゲルスに注目したが、その『家族、私有財産及び国家の起源』の実証性には疑問を抱いた。この段階で適切な指導をしてくれる先達を持てなかったのは不幸であった。宇野などにはそんな関心は無かった。こうして私は七年の長期間さまざまな得難い体験を得たが、社研の方針に従って調査の専門家という展望をあきらめ、十分な学者としての準備も出来ぬまま専修大学へ転出することにしたのである。§6 社会的活動 社研に入って間もなく先輩から慶応大へ行かされた。京浜地区大学高専助手研究生連絡会とかいうものの初会合だった。そこで戦災後の研究の困難を打開するために東大図書館の利用を各大学に開放してほしいと要望が出て、東大から独り出席した私が図書館にその旨依頼することになった。当然の事と考えた私は帰って司書官に面会し、趣旨を伝えたところ数日のうちに所長に呼び出された。図書館からの苦情を受けた「イワン雷帝」矢内原所長は、新任の助手が権限もない図書館に申し入れをするとは何事かと卓をたたいて叱責した。こちらはその剣幕に震えたが何が悪いのか、戦後の困難を互いに助け合って乗り切るのが当然だ、先生の主張通りではないかと一歩も引かずに抗弁したらやがて所長は破顔一笑君の言い分は正しいが世の中には正義も通らないこともあると非難を撤回した。所長とこんな対決をした助手は私一人だっただろう。 党に入ると政治的活動が要求された。社研の職務、自己の研究と重なり忙しさがトリップルで目が回るようだった。まず東大法・経・文などでは教授の圧力で作られていなかった労働組合組織を社研で作ろうと1949年2月に塩田を委員長に結成した。助手以上の加入は無かったが、これは当時の社会では当然の行為であまり困難もなかった。しかし組合を拒否する事務長直結の職員と、図書室、用務員との亀裂を生んだ。又思いがけなく経済学部や法学部の図書室系職員たちがそれぞれ職組をつくる刺激を生んだ。私はここで唯一可能な事は教職員の親睦と差別の廃止だと考え年末忘年会などを全員で楽しくやった。5月には大学管理法案反対闘争の委員- 20 -に押し出された。占領軍の意図で政府・与党がしきりに制定の動きを見せた大学の自治をおかす政策で左派の政党・労組・学生はもとより、各大学当局も反対していた。いち早く全学連は運動を展開していたが、5月 28 日全国 70 大学学生参加で大学法対策全国協議会を結成した。これに教職員が加わる形をつくろうと、社研山之内、農学部近藤康男、古島敏雄、大阪大伏見康治、都立大寺沢恒信など少数の教員が参加し、私も山之内の補佐役として学生との連絡にあたった。気炎はあがるが左翼学生ばかりで各大学内での実勢力は頼り無かったが、大学当局もこの運動には教室利用などを許した。 当時CIEのイールズが新潟大学で左翼教授追放の演説を行ったので、教授連でこれに反撃しようと、総司令部 CIE に7月16日ルーミス、8月4日にはイールズを訪れ米国の有名な Holmes とBrandeis 両判事の a clear and present danger を生み出す状況がないかぎり言論を抑制すべきではないとの判例をあげて、左翼教授の学問の自由を擁護した。民間でどこかの州の countyの教育長だったらしいイールズはそんな憲法の常識すらなく答弁に詰まった。この時案内した学生が高沢寅男(故社会党議員)と戸塚秀夫(元社研教授)だった。この頃から学習運動の助言者も命じられて様々の会合に出掛けた。大学法の解説から破壊活動防止法案など次々とテーマは変わった。スターリンの社会主義経済の諸問題なども大真面目に指導した。塩田退職で社研職組委員長になった 49年12月、恒例の年末一時金闘争が東大職組でも盛り上がった。当時南原総長は対日講和の意見交流で渡米中で瀬藤象二工学部長が代理であった。 大学事務局の警備不足をついて組合側は大衆交渉にもちこみ、馴れぬ瀬藤に一時金支給の調印をさせた。これが懲戒問題となり約二年公聴会での係争の後原田正道委員長(第二工学部助教授)、大山勲副委員長(理学部助手)は休職、身分保障の無い福本書記長(本部事務局事務官)は気の毒にも解雇となり東職はその救援活動も出来ず、行き詰まった当人は数年後自殺する悲劇に至った。 この間朝鮮戦争が始まり共産党議員は追放され、幹部は地下活動を開始しいよいよファシズムの出現と緊張した。アカハタが戦争報道により発行禁止となると、戦前の経験にものをいわせて党は次から次へ禁止をくぐってその代替紙や、「占領目的阻害行為禁止令」違反となるコミンフォルム機関紙「恒久平和のために!人民民主主義のために!」、地区の党紙などの非合法紙を発行した。 その秘密配付が党員の大きな仕事となり、現物を持って警官に自転車の無灯火で意見されたり、大晦日に大量の束を受け取り、新年は縁の下に隠し持ったりヒヤヒヤした。東職本部が懲戒反対闘争に明け暮れているうち連合体の東職の各単位組合は休眠状態におちいった。 委員長交代が出来ず1年半が過ぎた。組合保全のため放置出来ないとついに 51年4月頃組合新参の私が半年と期限をきり工学部助手の高橋昇書記長(現『技術と人間』編集長)と組んで委員長になった。私は3月に結婚したばかりであった。初代の長畑一正(病院)二代原田は助教授で助手は異例であった。就任にあたり社研のスタッフに挨拶したら昇格に響- 21 -くと警告されたがそんなことは無関係とつっぱねた。医学部(付属病院)、農学部、理学部、工学部、第二工学部(千葉)のほか学部には単位組合は無く、地震研、本部事務局、史料編纂所、理工研、新設の社研の連合であった。 しかも朝鮮戦争開始から一年、米占領軍の戒厳体制はますますきびしく、学内には本富士署の私服刑事が多数歩きまわっていた。1952年2月の「ポポロ事件」で学生が取り上げた私服刑事の警察手帳(「吾々は告発する-警察手帳の全貌-」)にも私の大学への出入がメモされていた。当時東職委員会はかろうじて四五人の出席で、活動といっても最低限の情報ビラを委員長、書記長と学生書記の四人位で大学構内各所にちらばる連絡のない単位組合の職場まで配って歩く始末だった。だが病院の看護婦が組合のビラなど何年振りと感謝され、工学部の技術実習担当の高齢の元労働者などは、好意をもって受け取りながら弾圧されるぞ気をつけろと戦前の経験を語って励まされた。 外部では書記長と二人だけで芝公園のデモ禁止のメーデーや労働者決起大会に参加したり(手帳に記載)、無謀にも少数の委員会で差し迫るサンフランシスコ平和会議に向かって 8.15までの数日講演と映画の「平和祭」を計画、人脈を存分に生かして法哲学の尾高朝雄、大河内に紹介された官庁エコノミストの稲葉秀三、渡辺一夫にことわられて一高の恩師フランス文学の市原豊太の三氏を引出した。 それに毎日一本づつ反戦映画、「また逢う日まで」「大いなる幻影」などを上映した。これで少しは組合員も参加するかと期待したが、強権横行の時代、私服刑事が入り込む状況で学生(夏休みで半年後の「ポポロ事件」の時のように刑事を捕らえるほどの数がなかった)や、ひそかに呼びかけた本郷周辺の労働者、在日朝鮮人の方が多かった。 最後の8月 14 日第二食堂で平和祭を開こうとしたが、まず大学の用務員、それを説得すると本部事務員、さらには鉄門前に集結した本富士署から、無届け集会禁止で解散を命じられた。組合員の集会だという弁明は参加者を一目すれば崩れる。日頃大学当局は学生デモに対し学内に警察権力を入れないと、大学の自主規制で処理している状況を考慮すると、ここで警察の立ち入りを招くことは影響が悪いと判断して、残念ながら委員長の独断で解散し、参加した朝鮮人に軟弱だと非難された。 翌日は本富士署に任意出頭で高橋と二人敗戦記念日の暑い西日の中尋問され、前途ある東大の助手が労働者や朝鮮人と共闘するとはと戦線分裂をはかったり、突然机を叩いて怒鳴ったり、硬軟使い分けでさんざん脅かされたが弱音は吹かなかった。 その夜は大田区の工場で非合法の平和決起集会に参加などした。東職は東京都大学高専教職組連合(略称ダコセ)に加入していたので、その線で総評の平和闘争に参加し、8月末には浅草の仁王門の真ん前の歩道で、すぐ後ろに交番をひかえながら、平垣日教組中執とともに生まれて初めての街頭演説をやり、幼少期の上海の状況を述べて講和後も続く日本の主権喪失を訴えた。 9月初旬には総評の平和推進国民会議主催の朝鮮戦争後初めての大規模の平和集会とデモに参加して感激した。場所は意外な靖国神社境内、デモも両国震災記念堂だった。インドのネルー首相から友好の象が贈られ、宗教者平和運- 22 -動協議会の日蓮宗妙法寺僧侶が団扇太鼓で参加したり、1年半に及ぶ占領軍の戒厳令的治安に抗した民衆の平和的感情が爆発した。全面講和、再軍備反対、中立維持、軍事基地反対の平和四原則は参加者の大きな願望であった。このデモで私たちダコセグループが先頭に立って組合旗をかかげて行進する姿が『人民日報』に掲載されたと聞いて快哉を叫ぶような子供じみた気分であった。すべて蟷螂の斧であった。 嵐のような半年はまたたく間に過ぎ、11月には南原後任の総長選挙で、農学部が推した岡田教授を委員会でしりぞけて東職として矢内原を支持し(12月3日当選)最後の統一戦線の仕事を終わった。その後遠山茂樹(史料編纂所助教授格)が後任と決まり、私は破壊活動防止法案反対のための解説執筆や、小集会での報告、講和発効後のメーデー事件など緊張した日常を続けつつ、僅かな余裕を得て二度目の助手論文「戦後日本の警察と治安」を執筆した。尚政治研究そのものについては幸いに専修大学法学研究所紀要 29『政治学の諸問題 Ⅵ』(04年3月)にこの続編として掲載を許されたので併読をお願いしたい。- 23 -〈編集後記〉 12月号をお届けいたします。福島所員の論考は単なる回顧録にとどまらず、今日でもなお多くの問題提起をし得るものでした。 社会科学を志す者にとって、理論と実証のバランスはいつでも難しい問題を孕んでいるように思われます。理論なき実証は単なる事実の羅列を招く恐れがありますし、逆に実証という作業は理論に対して絶えず修正を迫ることにもなるでしょう。こうした理論と実証の間の相互補完的発展性は常に念頭に置かれなければなりません。すなわち、原資料にまで下りて、それを丹念に、かつ批判的に読み込んだり、あるいは、自らの理論の枠からはみ出した調査結果を謙虚に受け止めたりする姿勢が研究者には求められているといえます。また、「理論活動の中で現実とかかわる理論を取り上げる事が学者としての実践だ」という筆者の主張は正鵠を得たものです。一方で自らの専門を極めつつ、他方では、大学教育の場において現代社会の諸問題との接点を常に意識することによって、研究者は自らの研究成果を社会に還元することが可能となるように小生には思われます。 さて、教員としてのわれわれは、「学校で習ったことをことごとく忘れた、その後に残っているもの」を今日の学生にどれだけ与えることができるのでしょうか。(Y.S)
2025年01月22日
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ゆうこ参事官(情報化担当)(情報化担当参事官室長併任)岡部 史哉おかべ ふみや【医政局】医政局長(死因究明等推進本部事務局長併任)森光 敬子もりみつ けいこ総務課長(医政局医療経理室長併任)梶野 友樹かじの ともき医療政策企画官(大臣官房情報化担当参事官室併任)坪口 創太つぼぐち そうた地域医療計画課長中田 勝己なかた かつみ医療安全推進・医務指導室長松本 晴樹まつもと はるき医療経営支援課長和田 昌弘わだ まさひろ国立ハンセン病療養所対策室長北 礼仁きた あやひと医療独立行政法人支援室長長島 清ながしま きよし医事課長西嶋 康浩にしじま やすひろ医療基盤情報分析官山田 英樹やまだ ひでき試験免許室長井 勝之ひろい かつゆき医師臨床研修推進室長野口 宏志のぐち ひろし死因究明等企画調査室長渡邉 一真わたなべ かずま歯科保健課長小嶺 祐子こみね ゆうこ歯科口腔保健推進室長髙田 淳子たかた じゅんこ看護課長習田 由美子しゅうだ ゆみこ看護サービス推進室長初村 恵はつむら けい看護職員確保対策官(医政局医事課、医政局研究開発政策課、労働基準局労働条件政策課併任)総括調整官(命)櫻井 公彦さくらい きみひこ医薬産業振興・医療情報審議官内山 博之うちやま ひろゆき医薬産業振興・医療情報企画課長(医薬産業振興・医療情報企画課セルフケア・セルフメディケーション推進室長併任)水谷 忠由みずたに ただゆき医療機器政策室長南川 一夫みなみかわ かずお首席流通指導官(医政局医薬産業振興・医療情報企画課流通指導室長併任)藤沼 義和ふじぬま よしかず研究開発政策課長長谷川 学はせがわ まなぶ治験推進室長飯村 康夫いいむら やすお参事官(特定医薬品開発支援・医療情報担当)(医政局特定医薬品開発支援・医療情報担当参事官室長併任)田中 彰子たなか あきこ【健康・生活衛生局】健康・生活衛生局長大坪 寛子おおつぼ ひろこ総務課長吉田 一生よしだ かずなり指導調査室長阿部 友喜あべ ともよし健康課長松岡 輝昌まつおか てるまさ地域保健企画官田邉 錬太郎たなべ れんたろう保健指導官(健康・生活衛生局健康課保健指導室長併任)後藤 友美ごとう ともみがん・疾病対策課長鶴田 真也つるた しんや肝炎対策推進室長(健康・生活衛生局総務課原子爆弾被爆者援護対策室長、健康・生活衛生局がん・疾病対策課B型肝炎訴訟対策室長併任)安田 正人やすだ まさと難病対策課長山本 博之やまもと ひろゆき移植医療対策推進室長島田 志帆しまだ しほ生活衛生課長諏訪 克之すわ かつゆき森田 剛史もりた たけし三木 朗みき あきら輸入食品安全対策室長福島 和子ふくしま かずこ<感染症対策部>鷲見 学すみ まなぶ企画・検疫課長笹子 宗一郎ささご そういちろう検疫所業務企画調整官(健康・生活衛生局感染症対策部企画・検疫課検疫所管理室長併任)吉岡 明男よしおか あきお感染症対策課長荒木 裕人あらき ひろと感染症情報管理室長横田 栄一よこた えいいち前田 彰久まえだ あきひさ予防接種対策推進官(命)今泉 愛いまいずみ あい【医薬局】医薬局長城 克文じょう かつふみ総務課長(医薬局総務課医薬品副作用被害対策室長併任)重元 博道しげもと ひろみち薬事企画官大原 拓おおはら たく薬局地域機能推進企画官坂西 義史ばんざい よしふみ薬事対策推進官(命)今泉 愛いまいずみ あい医薬品審査管理課長中井 清人なかい きよひと医療機器審査管理課長高江 慎一たかえ しんいち医薬安全対策課長野村 由美子のむら ゆみこ監視指導・麻薬対策課長小園 英俊おぞの ひでとし薬物取締調整官深田 真功ふかだ まさかつ血液対策課長岩﨑 容子いわさき ようこ【労働基準局】労働基準局長岸本 武史きしもと たけし総務課長佐々木 菜々子ささき ななこ石綿対策室長(労働基準局労災管理課併任)喜名 明子きな あきこ主任労働保険専門調査官(労働基準局総務課労働保険審査会事務室長併任)木村 聡きむら さとし労災保険業務分析官(労働基準局労災管理課建設石綿給付金認定等業務室併任)穴井 元尚あない もとひさ労働条件政策課長澁谷 秀行しぶや ひでゆき労働条件確保改善対策室長田上 喜之たがみ よしゆき医療労働企画官(医政局医事課、医政局看護課、労働基準局労働条件政策課労働時間特別対策室長併任)加藤 正嗣かとう まさし過労死等防止対策企画官野田 直生のだ なおき監督課長村野 伸介むらの しんすけ過重労働特別対策室長加納 圭吾かのう けいご調査官(労働基準局賃金課、労働基準局賃金課賃金支払制度業務室長併任)大野 希望おおの のぞみ主任中央労働基準監察監督官(労働基準局監督課労働基準監察室長併任)黒部 恭志くろべ やすし労働関係法課長五百籏頭 千奈美いおきべ ちなみ賃金課長篠崎 拓也しのざき たくや主任中央賃金指導官伊㔟 久忠いせ ひさただ最低賃金制度研究官松淵 厚樹まつぶち あつき労災管理課長松永 久まつなが ひさし労災保険財政数理室長由井 亨ゆい とおる主任中央労災補償監察官(労働基準局労災管理課労災補償監察室長、労働基準局労働保険徴収課併任)池田 邦彦いけだ くにひこ建設石綿給付金認定等業務室長佐藤 健吾さとう けんご労働保険徴収課長宿里 明弘しゅくり あきひろ労働保険徴収業務室長中村 昭彦なかむら あきひこ補償課長児屋野 文男こやの ふみお労災補償訟務分析官黒田 修くろだ おさむ職業病認定対策室長水島 康雄みずしま やすお労災保険審理室長大屋 勝紀おおや かつのり調査官(労働基準局安全衛生部計画課機構・団体管理室長併任)八藤後 紀明やとうご のりあき労災保険業務課長田中 勝之たなか かつゆき<安全衛生部>安全衛生部長井内 努いうち つとむ計画課長佐藤 俊さとう たかし調査官上村 有輝うえむら ゆうき安全課長安井 省侍郎やすい しょうじろう建設安全対策室長中野 響なかの とよむ主任中央産業安全専門官奥野 正和おくの まさかず安全対策指導業務分析官久野 聡ひさの さとし労働衛生課長佐々木 孝治ささき こうじ産業保健支援室長大村 倫久おおむら のりひさメンタルヘルス対策・治療と仕事の両立支援推進室長富賀見 英城ふかみ ひでき電離放射線労働者健康対策室長宇野 浩一うの こういち主任中央労働衛生専門官船井 雄一郎ふない ゆういちろう主任中央じん肺診査医森川 博司もりかわ ひろし職業性疾病分析官佐々木 邦臣ささき くにおみ化学物質対策課長土井 智史どい さとし化学物質評価室長藤田 佳代ふじた かよ環境改善・ばく露対策室長長山 隆志ながやま たかし【職業安定局】職業安定局長山田 雅彦やまだ まさひこ総務課長黒澤 朗くろさわ あきら訓練受講支援室長岡田 幸大おかだ ゆきひろ公共職業安定所運営企画室長西海 国浩にしうみ くにひろ人材確保支援総合企画室長井上 英明いのうえ ひであき首席職業指導官國分 一行こくぶん かずゆき主任中央職業安定監察官(人材開発統括官付人材開発政策担当参事官室併任)宮本 淳子みやもと じゅんこ職業指導技法研究官渡 浩司わたなべ ひろし職業情報研究官竹内 聡たけうち あきら雇用政策課長吉田 暁郎よしだ あきろう労働移動支援室長秋山 雅紀あきやま まさき民間人材サービス推進室長吉村 賢敏よしむら まさとし労働市場分析官新田 峰雄 にった みねお雇用保険課長岡 英範おか ひでのり主任中央雇用保険監察官(労働基準局労働保険徴収課併任)焼山 正信やきやま まさのぶ調査官鈴木 義和すずき よしかず需給調整事業課長中嶋 章浩なかじま あきひろ労働市場基盤整備室長千原 啓ちはら ひろむ主任中央需給調整事業指導官渡部 幸一郞わたべ こういちろう外国人雇用対策課長川口 俊徳かわぐち としのり海外人材受入就労対策室長南摩 一隆なんま かずしげ国際労働力対策企画官(職業安定局外国人雇用対策課経済連携協定受入対策室長、職業安定局雇用政策課、社会・援護局福祉基盤課併任)前村 充まえむら みつる労働市場センター業務室長伊藤 浩之いとう ひろゆき主任システム計画官木原 憲一きはら けんいち藤川 眞行ふじかわ まさゆき雇用開発企画課長渡辺 正道わたなべ まさみち就労支援室長逸見 志朗へんみ しろう建設・港湾対策室長島田 博和しまだ ひろかず高齢者雇用対策課長武田 康祐たけだ こうすけ障害者雇用対策課長西澤 栄晃にしざわ ひであき地域就労支援室長安蒜 孝至あんびる たかし調査官桃井 竜介ももい りゅうすけ主任障害者雇用専門官藤井 剛ふじい たけし地域雇用対策課長福岡 洋志ふくおか ひろし【雇用環境・均等局】雇用環境・均等局長田中 佐智子たなか さちこ総務課長山田 敏充やまだ としみつ労働紛争処理業務室長(雇用環境・均等局在宅労働課フリーランス就業環境整備室長併任)吉田 貴典よしだ たかのり主任雇用環境・均等監察官(雇用環境・均等局総務課雇用環境・均等監察室長併任)粟山 僚子あわやま りょうこ雇用機会均等課長岡野 智晃おかの ともあきハラスメント防止対策室長木村 剛一郎きむら ごういちろう有期・短時間労働課長竹野 佑喜たけの ゆうき職業生活両立課長菱谷 文彦ひしたに ふみひこ千葉 裕子ちば ゆうこ勤労者生活課長小林 淳こばやし じゅん労働者協同組合業務室長米岡 良晃よねおか よしてる労働金庫業務室長福井 尚ふくい たかし【社会・援護局】社会・援護局長日原 知己ひはら ともみ総務課長山口 高志やまぐち たかし女性支援室長中村 彩子なかむら あやこ保護課長竹内 尚也たけうち なおや自立推進・指導監査室長片桐 昌二かたぎり まさじ保護事業室長小川 善之おがわ よしゆき地域福祉課長金原 辰夫きんぱら たつお成年後見制度利用促進室長火宮 麻衣子ひのみや まいこ消費生活協同組合業務室長小野 博史おの ひろし生活困窮者自立支援室長(社会・援護局地域福祉課地域共生社会推進室長併任)南 孝徳みなみ たかのり福祉基盤課長田中 規倫たなか のりみち福祉人材確保対策官(社会・援護局福祉基盤課福祉人材確保対策室長併任)総括調整官(命)田 昌司よしだ しょうじ援護企画課長石塚 哲朗いしつか てつろう中国残留邦人等支援室長宇口 良子うこう よしこ援護・業務課長阿部 一貴あべ かずたか事業課長浅見 高嗣あさみ たかし事業推進室長星野 正司ほしの まさし戦没者遺骨鑑定推進室長小泉 貴人こいずみ たかと<障害保健福祉部>障害保健福祉部長野村 知司のむら さとし企画課長(社会・援護局障害保健福祉部企画課アルコール健康障害対策推進室長併任)本後 健ほんご けん自立支援振興室長川部 勝一かわべ しょういち施設管理室長川島 英紀かわしま ひでのり障害福祉課長伊藤 洋平いとう ようへい精神・障害保健課長小林 秀幸こばやし ひでゆき害保健福祉部精神・障害保健課公認心理師制度推進室長併任)竹之内 秀吉たけのうち ひでよし依存症対策推進室長(社会・援護局障害保健福祉部企画課障害福祉サービス等データ企画室長、社会・援護局障害保健福祉部障害福祉課地域生活・発達障害者支援室長併任)総括調整官(命)羽野 嘉朗はの よしろう【老健局】老健局長黒田 秀郎くろだ ひでろう総務課長江口 満えぐち みつる介護保険指導室長奥出 吉規おくで よしのり介護保険計画課長大竹 雄二おおたけ ゆうじ高齢者支援課長峰村 浩司みねむら こうじ認知症施策・地域介護推進課長 吉田 慎よしだ まこと認知症総合戦略企画官(認知症施策・地域介護推進課地域づくり推進室長併任)遠坂 佳将とおさか よしまさ老人保健課長堀 裕行ほり ひろゆき【保険局】保険局長鹿沼 均かぬま ひとし総務課長姫野 泰啓ひめの やすひろ保険課長佐藤 康弘さとう やすひろ全国健康保険協会管理室長髙橋 賢治たかはし けんじ国民健康保険課長唐木 啓介からき けいすけ高齢者医療課長安中 健あんなか たけし医療介護連携政策課長(医政局、老健局併任)山田 章平やまだ しょうへい保険データ企画室長河合 篤史かわい あつし医療課長林 修一郎はやし しゅういちろう歯科医療管理官和田 康志わだ こうじ保険医療企画調査室長米田 隆史よねだ たかふみ医療技術評価推進室長木下 栄作きした えいさく医療保険制度改革推進官(命)総括調整官(命)土岐 太郎とき たろう医療指導監査室長町田 宗仁まちだ むねひと薬剤管理官清原 宏眞きよはら こうしん調査課長鈴木 健二すずき けんじ数理企画官江郷 和彦えごう かずひこ【年金局】年金局長間 隆一郎はざま りゅういちろう総務課長小野 俊樹おの としき首席年金数理官楠田 裕子くすだ ひろこ年金数理官(年金局企業年金・個人年金課基金数理室長併任)榎 広之えのき ひろゆき年金課長若林 健吾わかばやし けんご国際年金課長花咲 恵乃はなさき よしの資金運用課長西平 賢哉にしひら けんや企業年金・個人年金課長海老 敬子えび けいこ数理課長佐藤 裕亮さとう ひろあき数理調整管理官(年金局数理課数理調整管理室長併任)木村 剛きむら たけし年金管理審議官巽 慎一たつみ しんいち事業企画課長口 俊宏ひぐち としひろシステム室長保坂 拓夫ほさか たくお調査室長村木 幸広むらき ゆきひろ監査室長設楽 保広したら やすひろ会計室長加藤 英明かとう ひであき事業管理課長重永 将志しげなが まさし【人材開発統括官】人材開発統括官堀井 奈津子ほりい なつこ参事官(人材開発総務担当参事官室長併任)溝口 進みぞぐち すすむ参事官(人材開発政策担当参事官室長併任)松瀨 貴裕まつせ たかひろ訓練企画官(訓練企画室長併任)大塚 陽太郎おおつか ようたろう特別支援企画官(特別支援室長併任)稲田 剛いなだ つよし就労支援訓練企画官(政策企画室長併任)総括調整官(命)横田 和也よこた かずなり主任職業能力開発指導官(人材開発統括官付人材開発政策担当参事官室、人材開発統括官付海外人材育成担当参事官室併任)佐藤 純さとう じゅん今野 憲太郎こんの けんたろうキャリア形成支援企画官(キャリア形成支援室長、人材開発統括官付人材開発政策担当参事官室併任)佐藤 悦子さとう えつこ企業内人材開発支援企画官(企業内人材開発支援室長併任)永島 宏泰ながしま ひろやす参事官(能力評価担当参事官室長併任)安達 佳弘あだち よしひろ主任職業能力検定官(人材開発統括官付能力評価担当参事官室併任)増岡 宗一郎ますおか そういちろう参事官(海外人材育成担当参事官室長併任)堀 泰雄ほり やすお海外協力企画官(海外協力室長併任)高村 亜紀子たかむら あきこ【政策統括官】政策統括官(統計・情報システム管理、労使関係担当)朝川 知昭あさかわ ともあき〔再掲〕審議官(健康、生活衛生、総合政策担当)(政策統括室長代理)宮本 直樹みやもと なおき政策立案総括審議官(統計、総合政策、政策評価担当)(政策統括室長代理併任)河野 恭子かわの きょうこ参事官(総合政策統括担当)(政策統括室副室長併任)安藤 公一あんどう こういち参事官(総合政策統括担当)(政策統括室副室長併任)宇野 禎晃うの よしてる政策企画官(大臣官房会計課、政策統括室併任)尾﨑 美弥子おざき みやこ政策企画官(政策統括室、大臣官房情報化担当参事官室併任)総括調整官(命)草野 哲也くさの てつや社会保障財政企画官(大臣官房会計課、政策統括室併任)総括調整官(命)荻原 和宏おぎはら かずひろ労働経済調査官(政策統括官付参事官(企画調整担当)付統計・情報総務室併任)藤木 雄太ふじき ゆうた社会保障調査官(政策立案・評価担当参事官室併任)増井 英紀ますい ひでき参事官(調査分析・評価担当)(政策立案・評価担当参事官室長併任)三村 国雄みむら くにお政策立案・評価推進官菊池 清隆きくち きよたか政策統括官(統計・情報システム管理、労使関係担当)森川 善樹もりかわ よしき〔再掲〕政策立案総括審議官(統計、総合政策、政策評価担当)(政策統括室長代理併任)河野 恭子かわの きょうこ参事官(企画調整担当)(統計・情報総務室長併任)古瀬 陽子ふるせ ようこ政策企画官(政策統括官付参事官(企画調整担当)付統計・情報総務室併任)白木 紀行しらき のりゆき統計企画調整官(統計企画調整室長併任)飯島 俊哉いいじま としや審査解析官(審査解析室長併任)(併)古瀬 陽子ふるせ ようこ統計管理官(人口動態・保健社会統計室長併任)村田 祐美子むらた ゆみこ保健統計官(保健統計室長併任)清水 貴也しみず たかや社会統計室長大村 達哉おおむら たつや世帯統計官(世帯統計室長併任)藤井 義弘ふじい よしひろ統計管理官(雇用・賃金福祉統計室長併任)角井 伸一かくい しんいち統計技法研究官野口 智明のぐち ともあき賃金福祉統計官(賃金福祉統計室長併任)田中 伸彦たなか のぶひこ調査官(雇用・賃金福祉統計室併任)外山 惠美子とやま えみこ参事官(労使関係担当参事官室長併任)大塚 弘満おおつか ひろみつ調査官(労使関係担当参事官室併任)石崎 琢也いしざき たくやサイバーセキュリティ・情報化審議官林 弘郷はやし ひろさと参事官(サイバーセキュリティ・情報システム管理担当)(サイバーセキュリティ担当参事官室長併任)和田 訓わだ さとし情報システム管理官(情報システム管理室長併任)笹木 義勝ささき よしか【中央労働委員会】中央労働委員会事務局長奈尾 基弘なお もとひろ中央労働委員会事務局審議官(審査担当)宮本 悦子みやもと えつこ 中央労働委員会事務局審議官(調整、企画広報担当)原口 剛はらぐち つよし総務課長田村 雅たむら まさ広報調査室長秋山 惠一あきやま けいいち審査課長田尻 智幸たじり ともゆき審査室長(中央労働委員会事務局総務課管理室長併任)笠松 和広かさまつ かずひろ主任訟務官(中央労働委員会事務局総務課議事調整室長併任)松本 和之まつもと かずゆき審査情報分析官大隈 由加里おおくま ゆかり和解手法分析官藤澤 美穂ふじさわ みほ審査判決分析官丸山 浩典まるやま ひろのり審査総括官(第一部会担当審査総括室長併任)六本 佳代ろくもと かよ審査総括官(第二部会担当審査総括室長併任)奈須川 伸一なすかわ しんいち審査総括官(第三部会担当審査総括室長併任)川又 修司かわまた しゅうじ審査官金沢 淳二かなざわ じゅんじ審査官八木 公代やぎ きみよ審査官松野 明広まつの あきひろ主任特別専門官第一部会担当審査総括室付審査官(命)三田村 朝子みたむら あさこ特別専門官寺崎 千尋てらさき ちひろ特別専門官鈴木 真理子すずき まりこ調整第一課長境 伸栄さかい のぶえ行政執行法人室長荒木 治美あらき はるみ個別労働関係紛争業務支援室長(併)境 伸栄さかい のぶえ調整第二課長渡辺 聡わたなべ さとし以上、厚生労働省幹部名簿(令和7年3月24日)├├幹部名簿 - 国土交通省(令和7年1月1日現在)https://www.mlit.go.jp/page/content/001854658.pdf国土交通省幹部名簿(課長職以上)PDF形式(令和7年1月1日現在)水管理・国土保全局上下水道企画課長岡良介水道事業課長筒井誠二下水道事業課長吉澤正宏http://www.mlit.go.jp/kankocho/about/soshiki.html#meibo観光庁幹部名簿(2024年10月21日現在 )http://www.mlit.go.jp/jtsb/soshiki/syuyou-saishin.pdf運輸安全委員会幹部名簿PDF形式(令和6年7月2日現在)http://www.kaiho.mlit.go.jp/soshiki/kanbu_meibo.pdf海上保安庁幹部名簿PDF形式(令和7年3月15日 現在)https://www.jma.go.jp/jma/kishou/intro/gyomu/kanbu_meibo.pdf気象庁幹部名簿PDF形式(令和7年3月7日現在)
2025年03月28日
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「日本計量新報」今週の話題と重要ニュース(速報版)2025年4月10日号「日本計量新報週報デジタル版」日本計量新報全紙面 (PDFファイル)今月のIDとパスワードを入力して閲覧することができます。日本計量新報の全紙面閲覧(pdf版)のID&PWをご覧ください。2025年04月のIDとPWは次のとおりです。2025年04月ID:5166PW:B4MQKF25計量管理二題 自動はかりと校正システムの計量管理 計量士 阿知波正之世界経済を貿易の視点で眺める 貿易にかかわる一部基礎資料桃と桜と梅と花が満開の4月7日の甲府盆地桃と桜と梅と花が満開の4月7日の甲府盆地 甲斐鐵太郎中央道、釈迦堂パーキング登り車線から下り車線方面を撮影。釈迦堂遺跡博物館は花盛り。桃と桜と梅と花が満開の4月7日の甲府盆地 甲斐鐵太郎中央道、釈迦堂パーキング登り車線から下り車線方面を撮影。釈迦堂遺跡博物館は花盛り。スズキの軽トラが停まっている。一年落ちの中古車が新車価格より高かったのが二年前。桃と桜と梅と花が満開の4月7日の甲府盆地 甲斐鐵太郎中央道、釈迦堂パーキング登り車線から下り車線方面を撮影。釈迦堂遺跡博物館は花盛り。北の方面の桃の花はまだわずか。桃と桜と梅と花が満開の4月7日の甲府盆地 甲斐鐵太郎中央道、釈迦堂パーキング登り車線から下り車線方面を撮影。釈迦堂遺跡博物館は花盛り。サクラの花は白かった。桃と桜と梅と花が満開の4月7日の甲府盆地 甲斐鐵太郎2025年4月7日午後、甲府盆地はサクラとモモとウメの花が一斉に開いて春であった。東京の桜の満開から一週間余のことである。この地は桃色。モモの果樹栽培が盛んであるからだ。車を停めて撮影できるのは釈迦堂パーキングの登り車線だけ。釈迦堂パーキングは甲府盆地の淵にあって標高が少し上がるために花は遅い。途中では桃色畑が心を弾ませたのに残念な撮影地点となった。冬枯れの景色に色が付いて春になる。日本の色とは樹木の葉と草の緑であり、これに花の色が混じる。夏に傾れ込むと海の色と清流の色が加わる。そして空の青さと雲の白さとが。これは冬にもあったことなのだが緑の広がりが覚醒させる。なぜ釈迦堂パーキングに居たか。エアコンの付かない旧車。とはいってもホンダの軽トラックのマニュアルシフトの良く走る奴を都内に置いてあるのと入れ替えのための行き帰り。がんがん良く走り、気の傷まない軽トラ四駆で八ヶ岳山麓に分け入って夏を楽しもうという魂胆。 話が替る。スマホの機器故障と考えて器種交換しても調子が戻らない。通信のためのシムカードの交換で良かったものを無駄をした。新しいスマホの機能を調べているうちに撮影した写真をマイクロSDカードに記録できることを知った。この機能はこれまで使っていた器種にも付いていたのだが、その認識がないために使わなかった。 一眼レフデジカメの代用にしていた小さな筐体のカメラの充電器が行方不明になっていたので、スマホをその代用に使うことを決意した。代用の代用で使うスマホのカメラ機能である。撮影画像は逆光補正が効かないなど不都合がある。パソコンに落してあるフォト機能で修正して使う。ここに載せている写真はそのようにしてある。 中古車の値段が上がっている。10万キロメートル走っても壊れないのが普通になったので何時までも廃車されない。特に軽トラックはそのようであり、エンジンが壊れるか車体が朽ちるまで使われる。20年前のホンダの軽トラックは走行距離4万キロメートル。故障個所と修理代金との兼ね合いが付けばそのまま使う。 エンジンや足回り部品を予備として揃えている旧車乘りがいる。気が乗った時に集めたものでありエンジンは10万キロメートル走行。エンジン組み換えを依頼すれば10万円の工賃が要る。エンジンは幾らだったって。それは言わない。足回り部品やバンパーは安かった。思いの丈が高まった時にネットオークションで集めた。ホンダの軽トラも足回りのちょっとした部品が壊れて修理したら5万円が掛かった。そのような部品が1,000円ほどで用意できている。この車、ハイオク仕様ターボ付きの三菱車。屋根付きで湿気のない駐車場に置いてある。人気のビンテージあるいはクラシックカーの部品の値段が高騰している。計量管理二題 自動はかりと校正システムの計量管理 計量士 阿知波正之Metrological control of automatic scales and calibration systems by masayuki atiwa計量管理二題 自動はかりと校正システムの計量管理 計量士 阿知波正之-その1-自動はかりの検定について適正計量管理事業所の場合は検定の期間が6年とされ、その間は自主検査となる。自主検査について、検査業務の負担から周期を2年程度に長くしたいとする意見を聞くことがある。一般に自動はかりが使用されている適正計量管理事業所は生産量が多く、トラブルなく稼働を確保するためには比較的短期間での点検・整備が不可欠となる。これは計量士として担当している非自動はかりの定期検査でも生産量の多い食品工場の計量器が2年前の計量器と半数近くが入れ替わっている例を経験しており、生産量の多さに対応して自主検査周期を設定することが合理的である。自主検査の合理化として、単純に周期を延長することは損失が増加することが多い。-その2-品質管理の国際規格ISO9001の要求事項から、測定器のトレーサビリティのための校正システムは整備されてきたが、正確さの保証の目的から校正結果が十分活用されていない無駄がある。計量士として経験することだが、校正分銅内臓型の電気式はかりの使用者が校正操作をしていないで使用している例が見受けられる。時間の測定では電波時計により、時刻合わせを意識しなくても実用的な正確さが維持されており、正確さが確保される。このように測定者が意識しなくても自動化された校正システムが望まれる。-その1-自動はかりと計量管理 計量士 阿知波正之はじめに 自動捕捉式はかり(以下自動はかりと称する)の検定がはじまり、自動はかりに関する情報に触れる機会が多くなり、特に計量士として検定業務への参加、適正計量管理事業所での自主検査など直接的な活動への関心が高いが、小生の企業の計量管理の経験から検査に使用される自動はかり(自動選別機)とその計量管理への活用について述べる。自動はかりは高精度より高速化 2024年7月に自動はかりの使用事業所の見学会に参加した。見学コースからの見学であり詳細を確認していないが、70g~80gの製品の全数選別に自動はかりが使用されており、3g程度の変動が認められた。該当の自動はかりは表示目量0.01gが使用されていた。測定物の品質管理として評価するとき変動幅を8~10程度に分類するとされており、実目量は1gではやや不足であるが0.2g~0.1gが妥当と考えられる。 品質は検査で良・否を選別する考え方があるが、工業製品の量産工程では工程能力管理が行われており、工程能力指数Cpk1.33以上を目標として管理されている場合理論上不適合品の比率は0.006%となる。このことから商品の量目管理についても同様で、詰込み工程でのきめ細かい管理(目標値管理)が重要になる。工程能力管理がされていると不具合品はほとんどなく検査不要と考え易いが、予測できない原因で管理状態を逸脱することもあり、異常の早期発見が重要な役割となる。商品量目の先進的な工程管理が実施されている自動はかりは合・否の選別ではなく、不適合品を発見したときは生産ラインを即時に停止し、その原因を調査し処置を行う管理が行われている。 高精度のはかりはそれに対応する環境を要求されるが、自動はかりの使用現場は加工設備の振動、搬送車の振動、冷却風など外乱(ノイズ)が多く、これらの外乱に対する頑強性(ロバストネス)が重要になる。さらに検査は製造工程との同期が求められる。したがって、検査を目的とする自動はかりは、高精度の選別ではなく、使用現場の外乱に対するロバストネスと生産性を向上する高速化が課題になる。自動はかりの自主検査の周期 小生が40年程前に製造工程に組み込まれた長さの自動測定器(機械式)について検査周期を1年に設定したところ6ケ月で故障が頻発した。その原因について測定器メーカと調査したところ、同測定器の設計寿命が該当工程の製品の生産数が6ケ月で超えることが分かり、当然の結果であった。対策として、より長寿命の非接触の光電式に変更した経験がある。 自動はかりの検定について適正計量管理事業所の場合は検定の期間が6年とされ、その間は自主検査となる。自主検査について、検査業務の負担から周期を2年程度に長くしたいとする意見を聞くことがある。一般に自動はかりが使用されている適正計量管理事業所は生産量が多く、トラブルなく稼働を確保するためには比較的短期間での点検・整備が不可欠となる。これは計量士として担当している非自動はかりの定期検査でも生産量の多い食品工場の計量器が2年前の計量器と半数近くが入れ替わっている例を経験しており、生産量の多さに対応して自主検査周期を設定することが合理的である。自主検査の合理化として、単純に周期を延長することは損失が増加することが多い。 さらに事業所内の自主検査は生産計画と調整し、稼働停止中に実施すれば、生産を阻害することなく、検査作業も生産阻害がなく短時間に実施できる。したがって適正計量管理事業所での自主検査は検査間隔を長くすることではなく、短期間の検査間隔を設定することが合理的な管理となる。自動はかりの日常点検 自動はかりが使われる製造工程は1日当たりの生産量が多く、自動はかりの異常を見過ごしていると、その処置に大きな損失を生じるため、経験的に日常点検が行われている。これは自動はかりと同様金属検出、異物の自動検査装置でも同様の点検が実施されている。 自動はかりの日常点検は不適合標本(ダミー)を流動させ、確実に検出。排出できるか点検になる。商品量目の管理から下限値の標本のみの場合もあるが、上限値、下限値の標本を用いて、日々の生産の始業時及び終了時に点検を実施すれば確実に選別の保証ができる。 この日常点検について、筆者の時代ではチェックシートによる管理で誤記入の問題があったが、現状ではリモートでより確かな管理も可能と考えられる。自動はかりでの経験はないが、生産量の多い測定器の管理には校正された現物標準を使用して日常点検により上限値、下限値を点検し使用する自動測定器もあり、自動はかりの点検用の現物標本の質量の安定性が確保できれば、自主検査にも利用可能と考えられる。自動はかりの検定の現状から--高速化と疑似試料 2025年2月28日に開催された第23回全国計量士大会において、山本浩之計量士から検定業務に関わる最新の情報が提供された。その中から筆者は次の2点について関心があった。 検定の実績から最高速度は200個/分とのことで、生産性の要求からさらに高速となることが予測され、それに対応する検査手法の蓄積が予測される。 計量対象が冷凍品の場合は結露の影響から、形状・重心を配慮した疑似試料が必要との報告があった。数年前に地元計量士会の講習会で、日高鉄也計量士から3Dプリンタによる現物標準作成の発表があった、3Dプリンタの技術があれば、質量と形状を狙い通りの現物標準の作成が可能になり、今後の展開が期待される。自動はかりのこれからと計量管理への活用 自動はかりのメーカ試料によると、使用現場での振動への耐性向上が示されており、外乱に対するロバストネスの改善が進んでいる。事業所で使用中の旧型の自動はかりの検定について関心が高いが、検定受検のための整備費用を考えると新しい自動はかりへの更新が経済的には利点が大きいように思われる。 自動はかりには自動測定器としての機能があり、対象商品の全数測定結果が記憶され、このデータから平均値と標準偏差及び測定値の分布(ヒストグラム)をリアルタイムで表示できるものもあり、管理図の理論から平均値と標準偏差の変化を分析することで、詰込み工程の異常または自動はかりの異常を検出できる。 計量士の活動に商品量目の管理があり、量目検査の結果(合格)で終了していては管理活動としては十分ではない。自動はかりの測定結果を改善活動に活用し、成果を上げることができる。第一段階で商品の詰込み作業、商品の加工条件の標準化によりばらつき(標準偏差)を改善し、第2段階で平均値を目標値になるよう、詰込み量を調整することにより、コスト削減効果が得られる。また、ばらつきが十分小さい工程であれば加工速度を上げ、生産性向上効果も得られる。 自動はかりは人手不足、生産性向上の観点から今後質量の計量の主役として急速に増加することが予測され、検定・検査に限らずその機能(働き)を理解し、計量管理へ活用することにより、大きな成果が期待できる。-その2-校正システムと計量管理 計量士 阿知波正之はじめに 企業における計量管理というと品質管理規格の要求事項から測定器の校正に関係者の関心が高く、また筆者の経験からも校正システムに関わる事項が多い、そこで校正システムと計量管理の考え方について述べる。校正システムの自動化 2024年11月14日に開催された第32回日本NCSL技術フォーラムに参加し、最新の校正システムに関する事例発表を聴講し、その中でオシロスコープの校正の自動化の事例が紹介された。 筆者の経験では校正の自動化を最初に導入したのはデジタルマルチメータであった。当時Hp社から8bitのパソコンとHp-IBシステムが公開され、Hp-BASICのプログラムを作成し、標準器の制御とデジタルマルチメータの端子の接続以外は自動校正が可能になった、ただし当時はHp-IBを備えたデジタルマルチメータは少なく、表示の読み取りが必要な4桁のものが大半であり、パソコンで標準器を制御し、測定者がデジタルマルチメータの表示を読み取り、パソコンに入力する半自動のシステムとなった。 その数年後、ドイツのメーカから、測定範囲60㎜、目量0.01μmのデジタル測長器が販売されたので、永年使用していた機械式の指針測微噐に変えられないか検討した。ブロックゲージは103個組の場合25㎜以下が100個あり、25㎜以下を偏移法で測定できれば測定作業が大きく改善できることから、データ採取の自動化を計画した。第一段階で常用標準のブロックゲージの1㎜から25㎜を測定し、その測定値を用いて測長器を一次校正式で校正し、次に校正対象のブロックゲージ1mmから25㎜の100個を測定し、その測定値を取り込み一連の過程をパソコンと組み合わせデータ処理を自動化した。パソコンのソフトはパソコンに詳しい若手の担当者がDOS-BASICでプログラム作成した。校正結果の不確かさに相当するばらつきの大きさは過去の指針測微噐による比較法と差がなく、社内校正に実用化できることを確認し、作業時間は大幅に改善できた。しかしその後、国際規格の適用から、審査時に標準化された校正方法以外の方法を適用する場合、その妥当性を示すことが要求され、ハードルが高く、作業時間が悪化する比較方に後退することとなった。 現状校正の自動化について小生の経験からの進展が感じられない。その背景として、校正業務の同一繰り返し業務がないと自動化による効率化の効果が得られないためで、今後表示の読み取りの自動化により、長さ、質量、力学量、温度などの分野の自動校正の進展を期待したい。校正室の管理 2024年12月に名古屋市計量士会主催のJQA中部センターの県学会に参加し、最新の校正室、校正システムを知ることができた。その中で、長さ校正室は20±0.5℃で、管理されていると聞き、校正室の管理を思い出した。 30年程前に校正室の移転(整備)の機会があり、施設部門に20℃の長さ、質量関係の校正室と23℃の電気量関係の校正室を中心に要望を提出した。特に長さ関係の校正室は20±0.5℃で管理できるよう空調システムが整備された。場所が地下室であったため、無人の環境は20±0.3℃は可能であるが人の入退出の影響があるため20±1℃の前室を経由し入退出し、入室人員を制限することとなった。 校正室の空調設備は昼夜・全日運転であり連続稼働状況の無駄が多く改善の余地がある。また、20℃の標準温度は作業者による誤差要因と健康管理面から校正の無人化、標準温度範囲(スペース)の最適化について改善課題が考えられる。校正業務の所属組織 第32回日本NCSL技術フォーラムにおいて、電子部品製造メーカの校正業務の発表があった。同社は製品(電子部品)の開発とその生産設備(生産技術)も同時に社内開発されていると紹介された。品質工学の研究会に参加しているとき、食品の開発担当者から、生産性を飛躍的向上させる技術開発に成功したが生産工程の新設時に外部業者に生産設備を依存したため、短期間で競争力が失われたと聞いたことがあり、製品開発と合わせて生産技術の開発が企業の競争力維持に重要であることを再認識した。 発表の中で、校正部門の所属が生産技術から品質管理部門に変更になったと聞いた。筆者が企業で校正設備を導入するとき新製品の生産動向に合わせて、新しい校正設備を計画したが、所属部門の理解が得られないとき、生産技術部門の支援を得て最新技術の校正設備を設置できた経験がある。品質管理関係規格の要求事項から、校正業務は品質管理部門の組織に所属することが多いが、新しい校正技術を重視するなら技術開発部門、生産技術部門など技術部門の組織に所属することが望ましい。国際規格の適用 校正業務は国際規格ISO17025の要求事項が適用されている。筆者は20年程前に製品試験へのISO17025の適用についての講義を担当していた。その中で①試験所の組織は試験結果が外部の圧力を受けることがないことがない信頼される組織。②データ(記録)の修正は修正前記録と修正者の記録保存を重点事項として解説していた。ところが近年報道されているデータ不正問題ではこの基本的事項が守られていなかった事例が報告されている。組織が整備されていても、そこに関わる人が誤った“忖度”意識があると難しく、人の意識からの基本事項の徹底が不可欠で、企業内の校正部門においても、定められた標準に従い校正作業を行い、結果を示す校正者としてのプロ意識が必然となる。校正システムと計量管理 校正の目的は測定における正確さの保証で、その目的に対して、校正の間隔(周期)、校正範囲(校正点)、校正式の選択は計量管理の計測設計の役割であり校正システムの問題ではない。 品質管理の国際規格ISO9001の要求事項から、測定器のトレーサビリティのための校正システムは整備されてきたが、正確さの保証の目的から校正結果が十分活用されていない無駄がある。 計量士として経験することだが、校正分銅内臓型の電気式はかりの使用者が校正操作をしていないで使用している例が見受けられる。時間の測定では電波時計により、時刻合わせを意識しなくても実用的な正確さが維持されており、正確さが確保される。このように測定者が意識しなくても自動化された校正システムが望まれる。 自動車の国際規格の審査において、現場の測定結果からそのトレ-サビリティについて求められたと聞いたことがある。これは測定の正確さの確保の目的から至極当然と考えられる。校正範囲、校正間隔の最適化は校正システムの問題ではなく計量管理の重要な役割となる。世界経済を貿易の視点で眺める 貿易にかかわる一部基礎資料世界の貿易輸出額ランキング - 世界経済のネタ帳社会の統計と計量計測の統計(計量計測データバンク)├「日本は貿易立国ではない]輸出依存度は15.2%日本はもう貿易立国ではない。輸出依存型から内需依存型へ | セカイコネクトSTUDIO中国の貿易収支・貿易輸出入額の推移 - 世界経済のネタ帳貿易収支の推移貿易輸出額の推移貿易輸入額の推移2024年の中国の貿易、輸出入ともにプラス成長(中国) | ビジネス短信 ―ジェトロの海外ニュース - ジェトロ八ヶ岳は富士山より高かった 甲斐鐵太郎気象庁幹部名簿気象庁幹部職員名簿 令和7年4月1日現在気象庁長官野村竜一(のむらりょういち)気象庁次長吉永隆博(よしながたかひろ)気象防災監室井ちあし(むろいちあし)総務部長小林豊(こばやしゆたか)参事官佐藤芳昭(さとうよしあき)参事官(気象・地震火山防災)佐藤豊(さとうゆたか)総務課長沼尻誠(ぬまじりまこと)広報室長深畑純一(ふかはたじゅんいち)業務評価室長國松洋(くにまつひろし)調達管理室長田中正信(たなかまさのぶ)施設物品管理室長梅井嘉(うめいよしひさ)人事課長米滿義弘(よねみつよしひろ)人事企画官吉田好作(よしだこうさく)厚生管理室長井上尚仁(いのうえひさと)企画課長酒井喜敏(さかいよしとし)危機管理企画調整官山本治(やまもとおさむ)海外気象プロジェクト推進官小松奈央子(こまつなおこ)防災企画室長下山利浩(しもやまとしひろ)地域防災企画室長橋本徹(はしもととおる)技術開発推進室長佐藤貴洋(さとうたかひろ)国際室長小出直久(こいでなおひさ)航空気象管理室長熊谷幸浩(くまがいゆきひろ)経理管理官中井智洋(なかいともひろ)国際・航空気象管理官新保明彦(しんぽあきひこ)情報基盤部長安田珠幾(やすだたまき)情報政策課長西潟政宣(にしがたまさのぶ)情報セキュリティ対策企画官喜多義和(きたよしかず)情報技術推進室長小川智(おがわさとし)情報利用推進課長山腰裕一(やまこしゆういち)気象ビジネス支援企画室長杉浦伊織(すぎうらいおり)数値予報課長計盛正博(かずもりまさひろ)数値予報モデル基盤技術開発室長田中泰宙(たなかやすみち)数値予報モデル技術開発室長中川雅之(なかがわまさたゆき)地球システムモデル技術開発室長門脇隆志(かどわきたかし)情報通信基盤課長栗原茂久(くりはらしげひさ)システム運用室長横井信太郎(よこいしんたろう)データネットワーク管理室長上出一美(かみでかずみ)気象衛星課長別所康太郎(べっしょこうたろう衛星整備計画官勝山健一(かつやまけんいち)衛星運用事業管理官三井清(みついきよし)大気海洋部長太原芳彦(たはらよしひこ)業務課長濱田修(はまだおさむ)観測船運用管理官山森修(やまもりおさむ)気象技術開発室長永田和彦(ながたかずひこ)気象リスク対策課長細見卓也(ほそみたくや)気候変動対策推進室長経田正幸(きょうだまさゆき)アジア太平洋気象防災センター所長石原幸司(いしはらこうじ)予報課長立原秀一(たちはらしゅういち)主任予報官池田徹(いけだとおる)航空予報室長塚本尚樹(つかもとなおき)気象監視・警報センター所長髙橋賢一(たかはしけんいち)観測整備計画課長入船修一(いりふねしゅういち)気候情報課長竹内綾子(たけうちあやこ)異常気象情報センター所長及川義教(おいかわよしのり)環境・海洋気象課長平石直孝(ひらいしなおたか)全球大気監視調整官坪井一寛(つぼいかずひろ)海洋気象情報室長牛田信吾(うしだしんご)地震火山部長加藤孝志(かとうたかし)管理課長菅野智之(かんのともゆき)地震津波対策企画官清本真司(きよもとまさし)火山対策企画官相澤幸治(あいざわこうじ)地震津波監視課長海老田綾貴(えびたあやたか)国際地震津波情報調整官岡垣晶(おかがきあきら)地震津波防災推進室長横井貴子(よこいたかこ)地震津波監視・警報センター所長尾能耕一(おのこういち)火山監視課長平祐太郎(たいらゆうたろう)火山活動評価解析官碓井勇二(うすいゆうじ)火山防災推進室長今野英慈(いまのえいじ)火山監視・警報センター所長中村政道(なかむらまさみち)地震火山技術・調査課長原田智史(はらださとし)大規模地震調査室長武清史(たけだきよし)気象庁幹部名簿経済産業省計量行政室の2025年4月1日付人事異動と経済産業省幹部名簿(METI Officials List 2025/4/1経産省最終更新2025/4/1)計量計測データバンク ニュースの窓-270-経済産業省計量行政室の2025年4月1日付人事異動と経済産業省幹部名簿(METI Officials List 2025/4/1経産省最終更新2025/4/1)経済産業省計量行政室の2025年4月1日付人事異動 経済産業省 イノベーション・環境局計量行政室の2025年04月01日付の人事異動は次のとおりであった。 計量行政室=▽計量技術専門職大谷怜志(国立研究開発法人産業技術総合研究所計量標準総合センター計量標準普及センター法定計量管理室主幹)【転出】▽薊裕彦(計量技術専門職、国立研究開発法人産業技術総合研究所計量標準総合センター工学計測標準研究部門型式承認技術グループ主任研究員へ)(4月1日付)├イノベーション・環境局(経済産業省 幹部名簿/METI Officials List 2025/4/1)(経済産業省 幹部名簿/METI Officials List 2025/4/1) は https://www.meti.go.jp/intro/data/pdf/list_ja.pdf のpdfファイルを使って更新されているために、旧名簿は自動的に破棄されます。これに対応するために本欄では2025年4月1日付経済産業省幹部名簿をそのままに掲載しております。過去の日付の幹部名簿を資料として末尾に掲載しました。イノベーション・環境局長(併)首席スタートアップ創出推進政策統括調整官菊川人吾(きくかわじんご)審議官(イノベーション・環境局担当)今村亘(いまむらわたる)イノベーション政策統括調整官福本拓也(ふくもとたくや)基準認証政策統括調整官瓜生和久(うりうかずひさ)業務管理官室長芦立勝博(あしだてかつひろ)総務課長安田篤(やすだあつし)イノベーション推進政策企画室長上原健一(うえはらけんいち)成果普及・連携推進室長(併)上原健一(うえはらけんいち)産業技術法人室長大出真理子(おおでまりこ)国際室長上嶋裕樹(うえじまひろき)イノベーション政策課長武田伸二郎(たけだしんじろう)イノベーション推進制度企画調整官中井太二郎(なかいたいじろう)フロンティア推進室長吉田修一郎(よしだしゅういちろう)量子産業室長(併)武田伸二郎(たけだしんじろう)大学連携推進室長川上悟史(かわかみさとし)イノベーション創出新事業推進課長桑原智隆(くわはらともたか)スタートアップ推進室長富原早夏(とみはらさやか)スタートアップ国際連携企画調整官澤田佳世子(さわだかよこ)総括企画調整官(併)甲元信宏(こうもとのぶひろ)研究開発課長大隅一聡(おおすみかずあき)研究開発調整官田中真人(たなかまさひと)研究開発企画調査官(併)大出真理子(おおでまりこ)研究開発投資促進室長甲元信宏(こうもとのぶひろ)基準認証政策課長有馬伸明(ありまのぶあき)国際戦略情報分析官(国際標準化戦略担当)小川 祥直(おがわよしなお)産業分析研究官(併)基準認証専門官竹之内修(たけのうちおさむ)国際標準化交渉官猿橋淳子(さるはしあつこ)国際連携担当調整官(併)上嶋裕樹(うえじまひろき)知的基盤整備推進官(併)大出真理子(おおでまりこ)基準認証調査広報室長小嶋誠(こじままこと)計量行政室長仁科孝幸(にしなたかゆき)国際標準課長西川奈緒(にしかわなお)国際電気標準課長小太刀慶明(こだちよしあき)イノベーション・環境局 GXグループ脱炭素成長型経済構造移行推進審議官龍崎孝嗣(りゅうざきたかつぐ)GXグループ長(併)龍崎孝嗣(りゅうざきたかつぐ)審議官(脱炭素成長型経済構造移行推進担当)田尻貴裕(たじりたかひろ)業務管理官室長竹内祐二(たけうちゆうじ)環境政策課長中原廣道(なかはらひろみち)GX推進企画室長荻野洋平(おぎのようへい)地球環境対策室長前田洋志(まえだひろし)参事官(併)環境経済室長若林伸佳(わかばやしのぶよし)環境金融室長鬼塚貴子(おにつかたかこ)環境金融企画調整官小沼健一(こぬまけんいち)脱炭素成長型経済構造移行投資促進課長西田光宏(にしだみつひろ)エネルギー・環境イノベーション戦略室長金井隆幸(かないたかゆき)資源循環経済課長田中将吾(たなかしょうご)資源循環経済課環境企画調整官(国際資源循環担当)高橋 幸二(たかはしこうじ)環境管理推進室長濱坂隆(はまさかたかし)├経済産業省 幹部名簿/METI Officials List 2025/4/1https://www.meti.go.jp/intro/data/pdf/list_ja.pdf大臣・副大臣・大臣政務官・次官・経済産業審議官大臣武藤容治(むとうようじ)副大臣大串正樹(おおぐしまさき)副大臣古賀友一郎(こがゆういちろう)大臣政務官竹内真二(たけうちしんじ)大臣政務官加藤明良(かとうあきよし)経済産業事務次官飯田祐二(いいだゆうじ)経済産業審議官松尾剛彦(まつおたけひこ)経済産業大臣秘書官武藤真奈(むとうまな)経済産業大臣秘書官(事務取扱)添田隆秀(そえだたかひで)大臣官房官房長(併)公文書監理官片岡宏一郎(かたおかこういちろう)総括審議官(併)経済安全保障政策統括調整官成田達治(なりたたつじ)政策立案総括審議官(併)首席国際博覧会統括調整官茂木正(もぎただし)技術総括・保安審議官湯本啓市(ゆもとけいいち)審議官(政策総合調整担当)服部桂治(はっとりけいじ)政策統括調整官(経済産業局担当)西垣淳子(にしがきあつこ)政策統括調整官(重点政策高度化担当)(併)香山弘文(かやまひろぶみ)秘書課長小林大和(こばやしひろかず)人事企画官宮下誠一(みやしたせいいち)人事審査官中嶋重光(なかじましげみつ)企画調査官(労務担当)(併)中嶋重光(なかじましげみつ)企画官上田圭一郎(うえだけいいちろう)企画調査官廣瀬浩三(ひろせこうぞう)参事官(技術・高度人材戦略担当)(併)危機管理・災害対策室長畑田浩之(はただひろゆき)総務課長山崎琢矢(やまざきたくや)国会業務室長阿部康幸(あべやすゆき)国会連絡室長(併)国会事務連絡調整官山本剛(やまもとつよし)業務管理官天野博之(あまのひろゆき)文書室長迫田章平(さこだしょうへい)公文書監理室長田守光洋(たもりみつひろ)文書管理官高橋徹(たかはしとおる)情報保全室長岡本亮(おかもとりょう)広報室長折居直(おりいすなお)地方調整室長桑原靖雄(くわはらやすお)政策審議室長片山弘士(かたやまひろし)会計課長(併)監査室長大貫繁樹(おおぬきしげき)経理審査官細谷賢二(ほそやけんじ)企画官(会計担当)島田肇(しまだはじめ)監査官伊藤栄二(いとうえいじ)厚生企画室長北村敦司(きたむらあつし)厚生審査官西沢正剛(にしざわまさたけ)業務改革課長(併)政策立案推進室長(併)組織経営改革統括調整官清水淳太郎(しみずじゅんたろう)情報システム室長酒井崇行(さかいたかゆき)統括情報セキュリティ対策官中山和泉(なかやまいずみ)デジタル・トランスフォーメーション室長(併)酒井崇行(さかいたかゆき)情報公開推進室長(併)迫田章平(さこだしょうへい)個人情報保護室長(併)迫田章平(さこだしょうへい)EBPM推進総括企画調整官橋本淳二郎(はしもとじゅんじろう)├(経済産業省 幹部名簿/METI Officials List 2025/4/1) は https://www.meti.go.jp/intro/data/pdf/list_ja.pdf のpdfファイルを使って更新されているために、旧名簿は自動的に破棄されます。これに対応するために本欄では2025年4月1日付経済産業省幹部名簿をそのままに掲載しております。過去の日付の幹部名簿を資料として末尾に掲載しました。計量計測データバンク ニュースの窓-267-2025年03月28日午前10時現在の経済産業省幹部名簿(経産省最終更新2025/3/1)計量計測データバンク ニュースの窓-185-経済産業省幹部名簿2024/4/1(計量行政室2024年4月1日付の転入と3月31日付の退職)経済産業省イノベーション・環境局(2024年7月5日付経済産業省 幹部名簿).計量計測データバンク ニュースの窓-76-経済産業省次官、局長、審議官など幹部職員人事異動と計量器産業と計量行政部署の幹部名簿(2023年7月5日付)産総研:第6期の役員および「実装研究センター」新設のお知らせ産総研:第6期の役員および「実装研究センター」新設のお知らせ第6期の役員をご案内申し上げます。【役員】理事長兼最高執行責任者石村和彦(いしむらかずひこ)副理事長兼研究開発責任者小原春彦(おばらはるひこ)(新任)理事(統括)兼運営統括責任者片岡隆一(かたおかりゅういち)理事恒藤晃(つねとうあきら)理事宮崎歴(みやざきこよみ)理事(非常勤)柳弘之(やなぎひろゆき)理事(非常勤)秋池玲子(あきいけれいこ)理事(非常勤)佐藤康博(さとうやすひろ)また、第6期中長期目標にも記載されている「社会課題解決と産業競争力強化への貢献」という産総研のミッションを達成するために、領域融合で研究開発を行う「実装研究センター」を7つ設置しました。「実装研究センター」では、研究開発責任者の領域横断的な研究マネジメントのもと、「エネルギー・環境・資源制約」「人口減少・高齢化社会」「レジリエントな社会」といった課題解決にむけた研究開発を行います。産総研:実装研究センター社会課題の解決に向けて産総研技術の社会実装を加速私たちの社会には、解決を急がねばならない多くの課題が存在しています。これらの社会課題に正面から取り組み、産総研の総合力を最大限に発揮して解決を目指すため、2025年4月に実装研究センターを新設しました。長年にわたり培ってきた技術を実社会で役立つ形へと発展させ、広く普及させていくことが産総研の大きな使命です。産総研はこれまでも研究領域を横断する数多くのプロジェクトを実施し、成果を上げてきました。しかし、産総研が中核となる我が国のイノベーション・エコシステムを実現するには、社会から求められるものや取り組むべき課題を改めて見直す必要がありました。そこで、様々な社会課題を科学技術的視点から整理し、産総研独自の技術を総合して解決に取り組むプロジェクトとしてまとめあげ、7つの実装研究センターの設立に至りました。実装研究センターの全体像産総研の第6期中長期目標では、「エネルギー・環境・資源制約への対応」「人口減少・高齢化社会への対応」「レジリエントな社会の実現」の3つの社会課題の解決が掲げられています。これらの社会課題に取り組むにあたり、7つの実装研究センターは所内の研究成果を結集し、産総研の総合力を最大限に活かした研究開発を推進します。これらのセンターは研究戦略本部に置かれ、産総研の研究戦略や社会実装戦略が直接反映される体制としています。社会課題の解決を目指し、さまざまな研究分野が連携して分野の垣根を越えながら、研究開発を進めています。産総研:役員および執行体制計量計測データバンク ニュースの窓-271-産総研 第6期の役員および「実装研究センター」新設 2025/04/01国土交通省幹部名簿(令和7年4月1日現在)国土交通省幹部名簿(令和7年4月1日現在)水管理・国土保全局上下水道企画課長岡良介(おかりょうすけ)水道事業課長筒井誠二(つついせいじ)下水道事業課長吉澤正宏(よしざわまさひろ)気象庁幹部名簿PDF形式(令和7年4月1日現在)万里の長城と黄砂と日本の春霞について 甲斐鐵太郎計量計測データバンク ニュースの窓-266-計測自動制御学会「第127回力学量計測部会行事」が2025年3月17日(月)、日産テクニカルセンター見学会縦横無尽、無限の奥行で広がる情報の世界としてのインターネット学生街の喫茶店 サイフォン・コーヒーと神田ミズノ裏の喫茶店ダボスのこと 甲斐鐵太郎「アカシアの雨」とはアカシアの花びらが散るさまのこと このアカシアはニセアカシア計量計測データバンク ニュースの窓-256-トヨタ・ランドクルーザー 新型70 250 300ワカメが採れ始める節分過ぎの鎌倉と湘南海岸 執筆 甲斐鐵太郞貨幣として機能した麻薬のアヘン貨幣の定義 日本銀行券 日銀券発行と管理 貨幣大試験財務省が第153次製造貨幣大試験を実施 令和6年10月28日、大阪市の造幣局でサクラとスイセンと菜の花とイチゴとミカン 執筆 甲斐鐵太郞計量計測データバンクにとってweb運営は存在の確認の行動官僚制度と計量の世界(26) 日本国軍人には眩しすぎたヒトラー・ドイツの快進撃 弱小国の背伸びと第二次世界大戦 業-その2- 執筆 夏森龍之介官僚制度と計量の世界(25) 日本国軍人には眩しすぎたヒトラー・ドイツの快進撃 弱小国の背伸びと第二次世界大戦 秋丸機関」の作業 執筆 夏森龍之介官僚制度と計量の世界(24) 戦争への偽りの瀬踏み 日米の産業力比較 陸軍省戦争経済研究班「秋丸機関」の作業 執筆 夏森龍之介官僚制度と計量の世界(23) 第二次大戦突入と焦土の敗戦「なぜ戦争をし敗れたのか」 執筆 夏森龍之介官僚制度と計量の世界(22) 結核で除隊の幹部候補生 外務省職員 福島新吾の場合 執筆 夏森龍之介官僚制度と計量の世界(21) 戦争と経済と昭和天皇裕仁 執筆 夏森龍之介├官僚制度と計量の世界(20) 執筆 夏森龍之介├官僚制度と計量の世界(19) 執筆 夏森龍之介├官僚制度と計量の世界(18) 執筆 夏森龍之介├官僚制度と計量の世界(17) 執筆 夏森龍之介├官僚制度と計量の世界(16) 執筆 夏森龍之介├官僚制度と計量の世界(15) 執筆 夏森龍之介├官僚制度と計量の世界(14) 執筆 夏森龍之介├官僚制度と計量の世界(13) 執筆 夏森龍之介├官僚制度と計量の世界(12) 執筆 夏森龍之介├官僚制度と計量の世界(11) 執筆 夏森龍之介├官僚制度と計量の世界(10) 執筆 夏森龍之介├官僚制度と計量の世界(9) 執筆 夏森龍之介├官僚制度と計量の世界(8) 執筆 夏森龍之介├官僚制度と計量の世界(7) 執筆 夏森龍之介├官僚制度と計量の世界(6) 執筆 夏森龍之介├官僚制度と計量の世界(5) 執筆 夏森龍之介├官僚制度と計量の世界(4) 執筆 夏森龍之介├官僚制度と計量の世界(3) 執筆 夏森龍之介├官僚制度と計量の世界(2) 執筆 夏森龍之介├官僚制度と計量の世界(1) 執筆 夏森龍之介[資料]経済からみた日米戦争と国力差、ウクライナ戦争の終着点 執筆 夏森龍之介官僚制度と計量の世界(25) 日本国軍人には眩しすぎたヒトラー・ドイツの快進撃 弱小国の背伸びと第二次世界大戦-その1- 執筆 夏森龍之介山梨県北杜市武川町山高2763の実相寺にある「山高神代桜」槍ヶ岳 安曇野の空に浮かぶ 甲斐鐵太郎品質工学座談会 品質工学は計測技術にどう貢献したのか―2014年座談会「品質工学は計測技術である」から10年を振り返って―2024年10月5日開催(日本計量新報座談会)品質工学の考え方 計量士 阿知波正之計量管理の解釈と必要な変革の実行計測でも科学でもない数値の強調と人の健康生成AI企業DeepSeekとは 開発コストの安さDeepSeek-R1の衝撃 解説速報官僚制度と計量の世界(24) 戦争への偽りの瀬踏み 日米の産業力比較 陸軍省戦争経済研究班「秋丸機関」の作業 執筆 夏森龍之介標高1,500メートルにある八ヶ岳高原ヒュッテ官僚制度と計量の世界(22) 結核で除隊の幹部候補生 外務省職員 福島新吾の場合 執筆 夏森龍之介縄文のビーナスと御神体としての西天狗岳 森龍之窓にカケスがやってきた資料・粗鋼生産下位グループの日本製鉄とU.Sスチールの合併の事情(計量計測データバンク ニュースの窓-146-)日産とホンダの経営統合で暗躍する「経済産業省」 “負け組”同士を統合させて時間稼ぎをするだけの愚策 古賀茂明資料・粗鋼生産下位グループの日本製鉄とU.Sスチールの合併の事情(計量計測データバンク ニュースの窓-148-)主要鉄鋼企業−粗鋼生産上位30社(日本製鉄ファクトブック 2022)日本の氷河を眺望する白馬駅近くの白沢峠 夏森龍之介松本駅前にあった酒場「昭和横丁」 森龍之アラジンの青い炎が静かにゆらぐ日曜の午後 森龍之令和6年12月15日(日曜日)第75回計量士国家試験実施1. 試験の場所北海道、東北、関東、中部、近畿、中国、四国、九州及び沖縄2. 試験の期日令和6年12月15日(日曜日)3. 試験の区分試験は、環境計量士(濃度関係)、環境計量士(騒音・振動関係)及び一般計量士について行う。4. 受験願書(試験案内書)の配布期間受験願書(試験案内書)の配布期間は令和6年7月1日(月曜日)から同年8月2日(金曜日)まで、インターネット及び郵送による配布とする。計量士制度に関するお問合せ経済産業省イノベーション・環境局計量行政室メールによるお問合せはこちら電話:03-3501-1688(直通)受付時間:9時30分~12時00分/13時00分~17時00分(平日のみ)雪の日の朝とシジュウカラ 森龍之・自然のことマユミの赤い実飯塚幸三氏令和6年(2024年)10月26日逝去ロシア、ウクライナ、米国、日本と国の事情[予稿]官僚制度と計量の世界 「大島太郎、福島新吾と旧制高等学校」 夏森龍之介晩秋の高原 ひと月の移ろい 甲斐鐵太郎計測でも科学でもない数値の強調と人の健康解説]トヨタ・プリウス池袋交差点事故(過去の計量計測データバンクの記事から)官僚制度と計量の世界(10) 執筆 夏森龍之介霧ヶ峰挽歌 甲斐鐵太郞伊勢崎賢治氏の話のなかにウクライナ紛争解決と戦争の本質理解の糸口が隠されている伊勢崎賢治 - Wikipedia伊勢崎賢治×神保哲生:NATOの「自分探し」とロシアのウクライナ軍事侵攻の関係伊勢﨑賢治 東京外国語大学教授 著者と語る『本当の戦争の話をしよう~世界の「対立」を仕切る』 2015.5.20第一回講演会 伊勢崎賢治氏(東京外国語大学大学院 名誉教授) 「ウクライナ危機から学ぶ日本の安全保障と国際平和」 【前編】第一回講演会 伊勢崎賢治氏(東京外国語大学大学院 名誉教授) 「ウクライナ危機から学ぶ日本の安全保障と国際平和」【中編】第一回講演会 伊勢崎賢治氏(東京外国語大学大学院 名誉教授) 「ウクライナ危機から学ぶ日本の安全保障と国際平和」 【後編】生命とは生命とは動的平衡(福岡伸一) サプリの99%は添加物で頼りない成分の科学的根拠(田村忠司)第5回 京都大学 − 稲盛財団合同京都賞シンポジウム「生命とは何か?それは動的平衡」福岡 伸一 2018年7月22日2大谷大学キャンパスツアー/第5回親鸞フォーラム-親鸞仏教が開く世界-福岡伸一 - Wikipedia(689) 田村忠司×宮台真司×神保哲生:【5金スペシャルPart1】あなたはそのサプリの中身を知っていますか - YouTube田村忠司×宮台真司×神保哲生:【5金スペシャルPart2】あなたはそのサプリの中身を知っていますか串田孫一 とうきょうFM「音楽の絵本」の録音版モーツァルトの手紙から/串田孫一音楽の絵本 「冬の記憶」 串田孫一 詩と朗読気持よく働き一日を満足する日本でありたいソローの森の生活と寒山の森の田渕義雄さん計量計測データバンク ニュースの窓-111-2024年ノーベル経済学賞「制度がどのように形成され、繁栄に影響を与えるかの研究のために」ノーベル賞の公式ウェブサイト - NobelPrize.org計量計測トレーサビリティデータベースとその辞書人工知能(AI)と人の頭脳の働かせ方2024年9月6日公務員塾発表 国家公務員への転職の穴場は林野庁係長職【穴場の受験先】どうしても公務員に転職したい受験生へ(社会人経験者採用)Vol.033 (youtube.com)林野庁森林管理局選考採用試験(事務系)について:林野庁 (maff.go.jp)林野庁ホームページ (maff.go.jp)森林管理局の概要:中部森林管理局 (maff.go.jp)住所:〒380-8575 長野県長野市大字栗田715-5電話:026-236-2720(代表) 026-236-2721(夜間・休日)法人番号:4000012080002上高地 秋の紅葉と梓川の流れ 甲斐鐵太郎目次 官僚制度と計量の世界 執筆 夏森龍之介2024年のノーベル生理学・医学賞は線虫から「マイクロRNA」を発見した米マサチューセッツ大学のビクター・アンブロス教授(70歳)と、米ハーバード大学のゲイリー・ラブカン教授(72歳)に信州とリンゴ 甲斐鐵太郎2024年ノーベル化学賞はAIでタンパク質の立体構造予測と新タンパク質設計の研究者ら(デビッド・ベイカー、デミス・ハサビス、ジョン・ジャンパー)2024年ノーベル物理学賞は人工ニューラルネットワークによる機械学習を可能にする基礎的発見と発明(ジョン・ホップフィールド氏とカナダのトロント大学のジェフリー・ヒントン氏)2024年のノーベル生理学・医学賞は線虫から「マイクロRNA」を発見した米マサチューセッツ大学のビクター・アンブロス教授(70歳)と、米ハーバード大学のゲイリー・ラブカン教授(72歳)にドングリが高原の宿の屋根をコツンコツンとたたく夜 甲斐鐵太郎品質工学の考え方 計量士 阿知波正之計量公務員への就職事情計量計測データバンク トップページ(計量計測データバンク目次)日本計量新報全紙面 (PDFファイル)は「日本計量新報」本紙をご購読いただいている方のみ閲覧できます。閲覧の際は、本紙に記載された「今月のIDとパスワード」を入力して下さい。日本計量新報の全紙面閲覧(pdf版)のID&PWをご覧ください。2025年04月のIDとPWは次のとおりです。2025年04月ID:5166PW:B4MQKF25計量計測データバンク index 目次ページ(サイトマップ)計量計測データバンク index 目次ページ(サイトマップ) 計量計測データバンク トップページ(計量計測データバンク目次) 日本計量新報全紙面 (PDFファイル)は「日本計量新報」本紙をご購読いただいている方のみ閲覧できます。閲覧の際は、本紙に記載された「今月のIDとパスワード」を入力して下さい。 日本計量新報 週報デジタル版(週ごとに電子メールでお送りするニュースです。webページで閲覧できます) 計量計測データバンク ニュース web 版(履歴の一覧) 計量計測データバンク What's the news 新着情報 日本計量新報社 過去の第一面 計量計測のエッセー( 2018年1月22日から日本計量新報の社説と同じ内容の論説です) 計量計測の話題(トピックス)過去の計量計測の話題(トピックス) よりぬき計量計測情報ニュース(過去のよりぬき履歴) 計量計測データバンクのTwitter(@keiryoukeisoku) 計量計測データバンクのfacebook 計量計測機器総合カタログ-質量計版- 計量士になるには 計量士とは 計量士国家試験 最新情報 「計量法の読み方」高原隆(元・地方公共団体職員)全文掲載(PDF・2.4MB) 「計量法の読み方」(PDF・2.4MB) 特定商品分類表ハンドブック 計量計測web情報総合サイト 計量計測データバンク 目次 サイト(一括閲覧サイト) 社会の統計と計量計測の統計 「計量計測データバンク」小論、評論、随筆、論文、エッセー、文芸ほか(一括掲載版) 「計量計測データバンク」小論、評論、随筆、論文、エッセー、文芸ほか(目次版) 計量計測データバンク 目次 サイト 日本計量新報 一面記事一覧 計量計測データバンク ニュース web 版(履歴の一覧) 計量計測データバンクWhat's the news新着情報 計量計測データバンク ニュースの窓 目次 計量法と行政のニュースの窓 目次 計量計測機器団体のニュースの窓 目次 計量計測データバンク ニュース-2- 日本計量新報 電子版の全紙面のID&PW(日本計量新報は紙面をインターネットで閲覧することができます。新聞と同じ形式のPDF ファイルです。webに掲載の全紙面です。どうぞご利用ください)(IDとPWは計量新報購読者に限り電子メールで月ごとにお知らせしております)日本計量新報全紙面 (PDFファイル)今月のIDとパスワードを入力して閲覧することができます。日本計量新報の全紙面閲覧(pdf版)のID&PWをご覧ください。2025年04月のIDとPWは次のとおりです。2025年04月ID:5166PW:B4MQKF25株式会社計量計測データバンク 編集部 edit@keiryou-keisoku.co.jp〒136-0071 東京都江東区亀戸7丁目62-16-803電話番号03-5628-7070 FAX03-5628-7071日本計量新報あて電子メール mail@keiryou-keisoku.co.jp
2025年04月10日
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計量計測データバンク ニュースの窓-311-├大事な写真はフィルムカメラで撮影すると大石芳野女史 甲斐鐵太郎├20251025 UPLAN 前川喜平「現代版富国強兵政策と学問の自由・大学の自治」├70年代の日本で育ったフランス人!フランスに初めて行ったときに受けた衝撃とは?├(32) 中国経済は悪化の一途、誰が責任を負うのか? #精鋭論壇 - YouTube├【SF/アメリカにおける日本車の売れ具合】いやー、調査をしながら、我ながら日本人であることが誇らしかった。アメリカ人が何故好んで日本車を購入するのか?人気車と値段、その他アメリカの車事情を熱く語る。├(23) 【講演・養老孟司】「なるようになる」 - YouTube├先のことを決められるのは全てを知っている自分だけ
2025年10月31日
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日本計量新報1面記事-(2)【2007年11月25日 (2701号)】ネステック 温度・圧力の複合ゲージ「温圧計」を発売ビル空調の現場管理用に最適ギアレスの温度計・圧力計メーカーのネステック(株)(東京都千代田区三崎町2-20-3、電話03-3263-7671、月岡周郎社長)は、空調機廻りの冷水と温水の温度・圧力管理に最適な温度計と圧力計を複合したアナログゲージ「温圧計」を新発売した。温圧計は、温度計・圧力計を一本化する事で、本来それぞれの計器を取り付ける必要がなくなり、トータルコストを削減する。またパイプに取り付ける計器が減る分漏水の可能性が大幅に減らすことができる。その他大きな特長として同タイプの温度計と比較して半分以下の長さですむ特殊保護管を新開発した。特殊保護管は、計器(ゲージ部)取付時に感温部で先端部の特殊バルブ(逆支弁内蔵機構)を押し(開)、流体を測定部に導き、計器取り外し時には特殊バルブが戻り(閉)、流体を外に出さないため水を止めずに計器の着脱が自在にできる。さまざまな取付のための部品一式が不要になり、現場の取付作業の短縮化が図れる。屋外防水型は、誤差要因の直射日光などの外気温を補正し配管内温度を表示する。【特長】▽温度計・圧力計を一本化する事によりトータルコスト削減。▽特殊保護管(バルブ機構付)で水を止めずに脱着自在。▽高感度(温度)、抑脈動(圧力)の新構造で耐久力が高い。▽取付、保温、各工事の削減ができ、安全に寄与する。▽圧力計及び取り付け際の付属品が一式不要(短管ネジ込み部の水漏れ、結露、腐食の心配がなくなる)。▽長い保護管が不要となり省スペース。▽耐震耐久構造で過大圧200%、脈動防止。----横田俊英(代表取締役社長)(株)日本計量新報社東京都千代田区神田錦町3-11-8武蔵野ビル 〒101-0054電話03-3295-7871 FAX03-3295-7874http://www.keiryou-keisoku.co.jp/
2007年11月20日
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(副題)知ってしまえば無知の時代が大いに疎ましく思われるものです3、時期が経過しても価値が減じないコンテンツはウエブサイト本体に掲載します 重複しますがデータベースとして蓄積されると価値を増し、また時期が経過しても価値が減じないコンテンツは、ウエブサイト本体に掲載します。4、ウエブ本体でモノを売る仕組みの方が安定感があり利便性も高い アクセスを獲得することはその情報の有用性の証明でもあり、そのサイトの運営者への社会の評価でもあります。アクセス数は力であり、機能証明でもあり、全体としてはモノを売る場合には売り上げそのものといっていいほどです。ブログでアクセスを獲得してブログでモノを販売する場合にはブログそのものがウエブ本体と変わりないことになります。しかしウエブ本体でモノを売る仕組みの方が安定感があり利便性も高いし、信用性もあります。
2006年06月26日
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2015年10月01日
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(タイトル)オリンパスペンEED(1967年発売)というハーフサイズのフィルムカメラです。(2017年2月13日に文章を追加しました)(本文) 「オリンパスペンEED」(1967年発売)というハーフサイズのフィルムカメラです。 1967年に発売され、価格は16,500円(ケース付)ですから、これでこの時代の大卒の初任給と同じです。だから安くはありませんでした。カメラは値段が高かったのです。 それでこのカメラ「オリンパスペンEED」は、ハーフサイズ判のフィルムカメラです。 露光はプログラムオートです。これは電池を入れていないと動作しません。 電池がないときには絞り目盛りをオートから外して、1.7から22の絞りを選んで撮影します。シャッタースピードは15分1秒に固定されて動作します。 ピント(0.8m~∞)合わせは目測式でレンズの距離環を回して設定します。 0.8と1.2と3にクリックがあるので、近くの場合にはそこに、遠くの場合には3に、もっと遠い場合には無限大に距離あわせする。それぞれ距離はメートルです。 絞り環をAUTOに合わせるとプログラムシャッター(1/15秒・F1.7~1/500秒・F16)が作動します。 絞り環をAUTO以外にすると、シャッタースピードは1/15秒に固定されます。(絞りは 1.7 2.8 4 5.6 8 11 16 22 に設定できます) 電池が切れたときにはシャッタースピードは1/15秒に固定されるので、絞り値を選んで撮影します。ISO400のフィルムでは絞りを22に選んでも晴天下での撮影では露出がオーバーしてしまいます。 私が使っている「オリンパスペンEED」は、ISO(ASA)感度がオーバーに表示されてしまうので、ISO400のフィルムはISO12にセットして使わなくてはなりません。 カメラが古くなってしまうとこのような不具合と上手に付き合わなくてはなりません。 この「オリンパスペンEED」の良いところは、プログラムオートの露光をセレン光電池を使わずにHDタイプの電池を用いていることです。 セレン光電池の起電力は経年変化で不安定になってしまうことが多いからです。 電池アダプターによってHDタイプに対応することができるし、同じような規格の電池も探せば入手できます。 「オリンパスペンEED」を好ましく思うことは次の各項目です。1、ファインダーは二重増合致式ではなく、ただののぞき窓であるために簡潔であり濁りがなくきれいです。1、レンズの明るさはf1.7とこの種(ハーフサイズおよび35mmのあんちょこなカメラ)のカメラとしては最大級です。Fズイコー32mmF1.7 4群6枚構成。1、カメラボディーが強靱であり安っぽさがありません。ただし他のハーフサイズカメラの比べるとボディーが大きい、そして重いのです。1、ハーフサイズカメラが本来持つ諸機能。ハーフサイズカメラの良さは様々にありますが、撮影枚数が2倍になること、全体としてカメラボディーが小さくなることなどが特徴です。 どんなに画質が良いとされるレンズでも35mmフィルムを縦に割って半分だけ使うハーフサイズカメラでは同じ条件ならば35mmフィルムを36mmの幅で使うのに比べて画質はフィルム面積相当比、つまり2倍荒れてしまいます。これがハーフサイズカメラがもっている宿命であり、これを踏まえて使うことになるのです。 オリンパスのハーフサイズカメラのオリンパスペンシリーズのなかで一番に大きくて重いのが「オリンパスペンEED」です。明るいレンズすなわちは大口径レンズを組み込んだことによって大きく重いカメラになったのでした。横幅115mm、高さ68mm、奥行き49.5mm(ボディー背面からレンズの先端)で、質量(重さ)は430g。 この大きさこの重さは質感を醸し出すことになり、撮影するときの信頼感につながっております。丸みを帯びたそれまでのペンシリーズとは違って直線が勝った外形になりました。ハンドストラップ用の吊環は一つであるのが普通ですが「オリンパスペンEED」はネックストラップを使えるようにボディー上部の左右に吊環が付いております。大きくそして重いことへの対応であるのでしょう。撮影のためにはハンドストラップよりネックストラップのほうが良いのです。 プログラム式シャッターは1/15秒(F1.7)~1/500秒(F16)で動作します。機械式プログラムということで、フォットセルのcdsへの入光は露出計の針の動作となり、この針をくわえてシャッターを制御するのです。こうした動きをみていると毎度まいどご苦労な動作をしているものだと思わされます。 電子制御でさっさとやる動作を機械仕掛けでやってプログラムオートを動作させていたのがこの時代でした。 それまでの「オリンパスペンEE3」のシャッター音はシュコンであるのですが、「オリンパスペンEED」は全力でシャッターがらみのすべてを動作させているというようにジャギューンというものです。機械式のレンズシャッター機で大きな音と大仰な動作感なのです。もはやこれはハーフサイズカメラの領域の動作ではありません。その動作は力強さに満ちております。オリンパスペンEEDの主な仕様メーカーオリンパス製造年1967年3月フィルム35ミリ(ハーフサイズ)ピント合わせ目測式直進ヘリコイド 0.8m~∞ファインダー逆ガリレイ式、アルバダ式レンズFズイコー32mmF1.7 4群6枚シャッタープログラム式 1/15秒(F1.7)~1/500秒(F16)シンクロ接点 ドイツ式ソケット、ホットシュー露出計cds式EV5.5~17(ASA100)その他メカ式セルフタイマー大きさ・重さ115x68x49.5mm 430グラム 【オリンパスペンEED (1967年)】 シャッター羽根が絞りも兼用する独自のオリンパスプログラムシャッターが搭載された、大口径レンズ付プログラムEEシャッター機。露出不足時にはファインダーに赤いベロが現れる。 デザインは角型直線の新しいものとなりました。レンズはFズイコー32mmF1.7 4群6枚。価格は16,500円(ケース付)。 (文章を読み返しておりません。誤変換と表現のまずさを補ってお読みください)オリンパスペンEED(1967年発売)というハーフサイズのフィルムカメラです。 (副題)画質はフィルム面積相当比、つまり2倍荒れてしまいます。これがハーフサイズカメラがもっている宿命です。 (副副題)オリンパスペンEEDはプログラムオートの露光をセレン光電池を使わずにHDタイプの電池を用いております。
2015年07月24日
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この白い菊のような花は高原でよく見られます。夏の上高地で撮した写真です。上高地に咲く花は7月と8月では違います。当然ですが9月になると花は変わります。ここの登場する蝶も、その他の6本足の昆虫も違います。野猿こと、猿は上高地の遊歩道で人を威嚇します。クマザサの新芽を食べると猿は濃い緑色の糞をします。木立の葉の茂り具合も一月ごとに変わります。空気が代わり、水の音も変わるような気がします。河童橋とその先にある穂高連峰と岳沢の景色は朝に晩に変わります。都合を付けていそいそと上高地に出かける人は多いのです。
2015年08月18日
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高山市の中心部にある「高山昭和館」です。旅行中の急ぎ足でも足を止めて見物したい「高山昭和館」です。入館料500円ですが昭和30年ころ、40年ころの雰囲気満載です。【高山昭和館】(昭和を偲ぶ博物館です)住所 〒506-0843岐阜県高山市下一之町6番地電話 0577-33-7836入場料 大人500円 小中学生300円 幼児無料駐車場 高山昭和館の前にコインパーキング有り開館時間 午前9時から午後6時休業日 なし(年中無休)
2015年07月23日
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【写真】アサヒペンタックス「ME」(タイトル)アサヒペンタックス「ME」(オリンパスの「OM-1」「OM-2」ペンタックスの「SP」「SL」「KM」そしてAP、S2、S3、SVまたアサヒペンタックス「ME」)(本文) 自動露出の一眼レフフィルムカメラのアサヒペンタックス「ME」が登場したのは1976年12月である。その前の月の11には完全メカニカルでマニュアル露出方式のアサヒペンタックス「MX」が登場した。 アサヒペンタックス「MX」はオリンパス「OM-1」より小さいサイズででてきいた。アサヒペンタックス「ME」も同じである。とにかく小さいボディーのカメラとして登場したのがアサヒペンタックス「MX」と「ME」である。 オリンパス「OM-1」と比較しても実際に小さいと感得できる。それでいてシャッターが切れる動作の感触がよい。音に表現されるシャッターとミラーが往復するときの品質感は十分であり、これはペンタックスAP、S2、S3、SV、SP、SLを上回る。KMなどとも違い独特の品質感のあるシャッター音である。 アサヒペンタックス「MX」と「ME」とオリンパス「OM-1」を比べたらどうか。 大きさは「MX」と「ME」が小さく、如何にも小さいということでその小ささには驚きを覚える。オリンパス「OM-1」はいうとそのボディーサイズはこの大きさこそが良いと思わせる。これ以上では重くて大きくてそして手のサイズに余る。これ以上小さくては保持に少し不都合を感じる、そういう大きさがオリンパス「OM-1」のボディーなのである。 オリンパス「OM-1」のボディーサイズとバルナックライカのボディーサイズが一致する。「OM-1」のシャッター音は小さくて静かで品質感があって良い。この音はバルナックライカのフォーカルプレーンシャッターが動作する音に共通した響きがある。一眼レフカメラについて回るミラーの上限運動が疎ましい。 アサヒペンタックスは小さいサイズの一眼レフフィルムカメラの「MX」と「ME」にあわせてレンズの大きさも小さいサイズに仕立て直してを出してきた。 一眼レフカメラのレンズの大きさはどの程度であるべきか。ニコンがニコマート時代に出していたレンズを使っているとそのサイズはそれはそれで了解できるように思われる。 しかしオリンパスやアサヒペンタックスが出してくるレンズと比較するときにニコンのレンズは大きすぎると思わざるを得ない。構造を含めた頑丈さということがここに関与しているのであってもレンズは小さいのが良い。ライカのレンジファインダー用のレンズを見ればこのサイズの適正さに頷(うなづ)く。 アサヒペンタックスは小さいサイズの一眼レフフィルムカメラの「MX」はシャッター速度決定を右肩のダイヤルを回して行う。これが1979年12月に発売された「スーパーME」では動作が不確実で押しにくい小さなスイッチをポチポチやるというマニュアル操作である。使い物にならないマニュアル操作を盛り込んだのが「スーパーME」である。 アサヒパンタックス「ME」にしてもロックスイッチを押して左に回すことでオート露出が動作するときの、そのスイッチの回しづらさといったらない。ここが壊れることも多い。何とも動作と操作性の悪いロック、オートなどのスイッチなのか。 「ME」「スーパーME」などでもスイッチ位置をオートにしておく。シャッターボタンの半押しで露光計のスイッチがはいる構造になっているからだ。 このことをもって案の定というのだろうその後に出てきた「MV1」(1079年12月に発売)と1982年1月に発売された「MG」にはロック位置が消去されている。従ってスイッチの位置は何時でもオートにしておくことになる。 「MV1」「MG」の外装は工業用のプラスチックになってしまった。一目見ただけでは薄板の外装にみえるけれどポンポンとたたいてみるとそれはプラスチックの外装であると気づく。 「MX」「ME」「スーパーME」の外装は金属である。外装の金属か工業用プラスチックかの甲乙の議論はあっても、この時代のこうしたカメラにあっては金属外装でしっかりとくるんでいて欲しいと思う。 オリンパスでも金属外装に似せたプラスチック外装のものを出してきているので、時代はそのように流れていたのである。 アサヒパンタックス「ME」は小さいカメラである。ペンタックスMタイプのレンズを付けるとレンズとカメラがつくりだすカメラとしての小ささはこの上ない。レンズは50mm f1.7のレンズは小さくて良い。 この組み合わせで旅行に持ち出す。そうしたフィルムカメラの一眼レフがアサヒパンタックス「ME」である。 旅行の折々にアサヒパンタックス「ME」を出して思い出を記録する。 そのようにしておかないと思い出は写真として残らない。 アサヒパンタックス「ME」は良いカメラだ。【写真】アサヒペンタックスの「SP」 アサヒペンタックスの「SP」と「SL」が私が写真撮影した最初の一眼レフカメラである。レンズはスーパータクマーの24mm、50mm、55mmである。 このレンズで撮れるものだけを撮った。ストロボはなくて明るいからと電球を使っていた。フィルムはモノクロを主に使った。 写真とはそんなものであった。 アサヒペンタックスの「SP」と「SL」がカメラのすべてであって、コーワワイドの28mmの目測式が加わる。人を撮影して広い会場のなどの風景を撮影するためにはこれでよかった。望遠レンズなどという洒落たレンズは意識しなかった。 そのような写真機と私の関係の1970年であった。 山などの風景の撮影のために解説の本を読んで、機材への意識をあおられるようになると写真とモノとが逆転してしまった。 気張って撮った写真は撮影者の意味のない主観だけで押されていて嫌みになってしまう。 そのようなことである。 「アサヒペンタックスSP」が私にとってのカメラである。 これより大きいか小さいか。格好が良くて機能が高いか低いか。そうしたことになる。 ペンタックスだけであればそれ以前のAP、S2、S3、SVは過去のカメラであって格好も悪いから比較にならない。【写真】オリンパスの「OM-2」 オリンパスの「OM-1」がでたのは1972年である。「M-1」として発売されその後に「OM-1」に名称変更された。 このカメラがでると小ささ、軽さにコロリとやられてしまった。 「OM-1」に50mm f1.8のレンズ付けて近くのカメラ屋で月賦払いにしてもらった。 その「OM-1」は良いカメラではあるが華奢(きゃしゃ)でもある。それでも軽さと小ささが勝るのでこれを使っていた。3年後の1675年に自動露出の「OM-2」がでるとこれを追加する。レンズは28mmと200mmがいつの間にか加わっていた。 「OM-2」は「OM-1」の筐体を大きくすることなく露出を自動にしてしまったのだからオリンパスのこのシリーズの設計の基本計画は素晴らしかった。 オリンパスの「OM-1」「OM-2」はペンタックス「SP」と「SL」よりも大分小さく、さらにペンタックスのそれ以前の一眼レフ「AP」「S2」「S3」「SV」よりも小さい。カメラの機能が上がり洗練度も大きく向上している。 デジカメ全盛の状況下でもオリンパスの「OM-1」「OM-2」は私にとっての思い出記録カメラであり、このカメラを操作すると気持ちが安らぐ。そうした不思議なカメラである。50mm f1.4のレンズを付けていれば申し分ない。50mm f1.2のレンズは持っているだけで満足だ。2本目を手に入れたら使うのであるが、5万円もの高値が付いていては次のはやってこないだろう。 黒の塗装を施したカメラは金属の冷たさがないので心地よい。オリンパスの「OM-2n」の黒塗りボディーは精悍でありとても良い。 「アサヒペンタックスSP」は42mm径のねじが切ったあるねじ込み式の取り付け方式です。「アサヒペンタックスSP」が後に開放測光方式の「アサヒペンタックスSF」となり、つづいてパチンとはめ込むパイヨネット式のKマウントに移行してつくられたのが「アサヒペンタックスKM」です。 「アサヒペンタックスSP」は大体そのままで「アサヒペンタックスSPF」になり、「アサヒペンタックスSPF」はそのままでKマウントの「アサヒペンタックスKM」になりました。【写真】「アサヒペンタックスKM」 「アサヒペンタックスKM」は「アサヒペンタックスSP」に比べるとシャッター膜走行の剛性感が高くなっていて、シャッター膜走行の確かさも上がっています。これは使えばわかります。【写真】「アサヒペンタックスSV」 1962年に発売されたセルフタイマーレバー(ダイヤル)を左肩に付けた一眼レフカメラです。 フィルムカウンターは自動復元式です。 スーパー タクマー55mm f1.8レンズが標準で付いておりました。セットで定価は34,900円でした。 開放で覗けてシャッターを切るときには絞りが動作します。自動絞り機構です。 露出計は付いておりません。 前のモデル「S2」(1961年発売)のときに開発された専用機でシャッターダイヤルに被せることで連動するCds露出計「ペンタックスメーター」をペンタ部に被せて用います。この「ペンタックスメーター」の内側にボタン電池を入れて動作させます。 本体にCds露出計を内蔵したTTL測光方式の「アサヒペンタックスSP」は「SV」発売の2年後の1964年に発売されます。 「SV」から「SP」へ短期間に開発が進みます。 筐体は大きくなりましたが形が良くなりました。プレス加工が改良されレンズねじ込み部分下部のブリキ然とした曲がりがなくなりました。ペンタ部が手直しされ鋭角になって好印象です。 「SP」は露出とセルフタイマーをボデーに内蔵したことにより「SV」より一回り大きくなりました。「SV」までのモデルの左側の鍵のついた蝶番に似た裏蓋開閉の留め具が巻き戻しレバーノブの引き上げ式になりました。 またレンズ取り付けの前板をなくしております。 「SV」を次のモデルの「SP」と比較しました。 「SV」を持ち出すと小振りさが新鮮に感じます。この小ささは良いです。非常に良い。好ましい。手にすれば判ります。 「SP」は裏蓋の上が大きくなりました。 「SP」の後継機として自動露出になった「ES」は「SP」の裏蓋の下を拡張して作り上げました。 「SV」を上に拡張して「SP」を作り、「SP」を下に拡張して「ES」を作ったのでした。 この時代は電気回路と電気部品はある大きさの枠を超えることができませんでしたから、電気回路の要素が増えると機械が大きくなりました。 カメラにもこの原理が働いたためにアサヒペンタックスの一眼レフカメラは電気回路を増やすとガタイが大きくなりました。 「アサヒペンタックスSV」は上にも下にも大きくなる前の基本寸法の位置に図らずもなってしまいました。 こうしたことは技術発展史が良くもたらす事柄です。 「アサヒペンタックスSV」の可愛さは狙って獲得したものではなく偶然にそのようになったのです。
2016年01月01日
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写真はカタクリの花。道志川の最下流の丘の上で撮影。(タイトル)カタクリの花(本文) 東京から甲府に向かう甲州街道(国道20号線)は高尾山のふもとの大弛峠を越えると少しのあいだ神奈川県の相模原市を走る。大弛峠ふきんは樹木に覆われていて田舎道そのものだ。 東京の桜が開花するのとおなじに峠道の桜が咲いた。木々は新芽を吹き、日溜まりには山吹の黄色い花とスミレの薄い紫色の花がある。 この付近には大きなしだれ桜がいくつもある。風土がこの桜を育てるのだろうか。天然記念物にしても良いような大木は2016年3月23日には二分咲きであった。東京のソメイヨシノの開花宣言より早い開花だ。 山梨県の富士山の近く、山中湖村と背中合わせの道志村の山伏峠を水源として大室山など丹沢山塊の水をあつめて流れくだるのが道志川だ。山中湖から都留、大月をへて流れ落ちる桂川と津久井湖で合流して相模川になる。相模川は平塚で相模湾に注ぐ。ここは湘南海岸だ。川は山に発し海に消える。川の養分はシラスを育てる。シラスは湘南海岸の名産だ。 津久井湖にかかる道志川とその付近ではこの地の人々がカタクリ(の花)を育て保存する。このようなことが全国で行われている。桜が咲くころに林のなかで群生して花を付ける。薄紫のカタクリもまた春の花である。 カタクリは地下茎から花芽がでて10日で開花する。地上に顔をだしているのはひと月だ。陽が射せば花をクルマユリのように後ろにそらして巻く。陽がないと花を閉じる。そういえばカタクリはユリ科の植物でカタクリ属だ。根茎から片栗粉をつくっていた。 カタクリは「片栗」と書く。自生するカタクリが減少したこともあるが、ジャガイモの澱粉(でんぷん)を精製して片栗粉にするようになった。そのようなことでカタクリの根茎は使われなくなった。地下茎を用いる葛粉(くずこ)は吉野の葛(クズ)が絶品である。葛の根茎は長芋状の塊根になる。大きなのは長さ1.5メートル、径が20センチメートルになる。 話が飛ぶ。 葛(くず)は奈良県吉野川上流の国栖(くず)からきており葛の産地であった。葛はマメ科の植物である。夏に繁茂する葛は鬱陶しいほどである。吉野の葛掘人は夏の葉の広がりから良質で大きな葛根を見当てる。 葛の花は夏に咲く。赤い花だ。萩と似た花だ。日本の日当たりの良い里と山には葛が繁茂する。 葛根を掘って葛を食料にする人は少ない。葛粉はお菓子の材料になる。
2016年03月27日
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写真は愛しのオートバイ カワサキW650 (08年モデル)「ファイナルモデル」のエンジン部分とキャブ。エンジンが回るとキャブレターがブルンブルンと震える。これがいいのだ。720,300円(本体価格686,000円、消費税34,300円) (小さな見出し)カワサキW650の諸元(本文)W650 TOP > W650 SPEC SHEET W650 SPECIFICATION 種類: 空冷4ストローク並列2気筒 / SOHC 4バルブ 排気量(cm3): 675 ボアxストローク(mm): 72.0×83.0 圧縮比: 8.6:1 最高出力: 35kW(48PS)/6,500rpm最大トルク: 54N・m(5.5kgf・m)/5,000rpm 点火方式: 電子進角式トランジスタ潤滑方式: ウェットサンプ始動方式: セルフスタータ/キックスタータ燃料供給方式: キャブレター KEIHIN CVK34 ×2(K-TRIC付)トランスミッション型式: 常噛5段リターンクラッチ型式: 湿式多板駆動方式: チェーンギヤ・レシオ: 1速: 2.294 2速: 1.590 3速: 1.240 4速: 1.000 5速: 0.851 一次減速比: 2.095(88/42) 二次減速比: 2.466(37/15) フレーム型式 ダブルクレードルタイヤサイズ: 前: 100/90-19 57H 後: 130/80-18 66H ブレーキ型式: 前: シングルディスク 300mm(外径) 後: ドラム(リーディングトレーリング) 160mm(内径)サスペンションタイプ: 前: テレスコピック(インナーチューブ径 39mm)後: スイングアーム(オイルショック)全長(mm): 2,180 全幅(mm): 905〔780〕 全高(mm): 1,140〔1,075〕シート高(mm): 800 軸間距離(mm): 1,465 最低地上高(mm): 125 車輌重量(整備)(kg): 211 燃料タンク容量(L): 14 エンジンオイル容量(L): 3.0 (執筆 旅行家・甲斐鐵太郎)
2009年03月28日
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日本計量新報 2009年4月5日 (2768号) 1月の計量計測機器生産額 電気計測器226億円、分析機器124億円 半導体・IC測定器は前年比80・7%減 試験機、ユーティリティメーターは増 経済産業省が3月13日に公表した2009年1月分の機械統計確報によると、計量計測機器の生産額はおもなところで前年同月比で増えたのは、ガスメータ6.4%増、試験機17.0%増である。減ったのは、電気計器2.4%減、工業用長さ計13.0%減、電気測定器(半導体・IC測定器を除く)41.7%減、半導体・IC測定器80.7%減、工業用計測制御機器8.4%減、医用測定器10.1%減、工業用計重機19.3%減、精密測定機(光学測定機を含む)30.8%減、分析機器22.1%減。3月30日公表の2009年2月分の速報では、増えたのは医用測定器10.1%増で、減少したのは電気測定器(半導体・IC測定器を除く)33.9%減、半導体・IC測定器79.9%減、工業用計測制御機器21.6%減、分析機器23.2%減、と厳しい結果になっている。 -------------------------------------------------------------------------- 生産指数は、電気計測器45.2、計測機器84.7 電気計測器の09年1月の生産額は機械統計確報では201億7400万円。(社)日本電気計測器工業会のまとめでは、226億1700万円(集計項目が少し異なるため)で、前年同月比37.5%減である。 生産能力指数は、電力量計は原指数97.6、前年同月比0.0、工業用計測制御機器は原指数97.9、前年同月比0.3増、ガスメータは原指数92.1、前年同月比6.1減。 電気計測器は37.5%減 電気計測器の09年1月の生産額は機械統計確報では201億7400万円。(社)日本電気計測器工業会のまとめでは、226億1700万円(集計項目が少し異なるため)で、前年同月比37.5%減である。 電気測定器は61.6%減 以下工業会のまとめによると電気測定器が77億6600万円(前年同月比61.6%減、以下かっこ内は前年同月比)。 電気測定器の内訳を見ると、電圧・電流・電力測定器は6億8700万円(24.8%減)、波形測定器4億6000万円(53.2%減)、無線通信測定器9億2500万円(24.9%減)、回路素子・材料測定器1億900万円(75.6%減)、伝送特性測定器2億4500万円(58.9%減)、光測定器4億3700万円(40.5%減)、測定用記録計・データ処理装置6億2900万円(4.0%減)、その他の電気測定器23億200万円(48.6%減)である。 半導体・IC測定器は80.7%減 生産金額で電気測定器の25.4%を占める半導体・IC測定器は09年1月は、生産金額は19億7200万円(80.7%減)となった。前月比でも53.4%減。10月から大幅に減っている。 工業用計測制御機器は100億円 電気計測器の工業用計測制御機器は94億6500万円(9.0%減)である。前月比では15.4%減。 内訳は、プロセスオートメーション用計測制御機器92億9600万円(9.0%減)、ファクトリーオートメーション用計測制御機器は1億6900万円(8.6%減)となった。 http://www.keiryou-keisoklu.co.jp/
2009年04月26日
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信州は中野市のコシナがつくっているようです。 ガシャッリというシャッター音はコシナが相手先ブランドで提供しているカメラに共通しているようです。 グリップのゴムは保存状況によってはベトベトとべとつくようになります。 このような素材をカメラ機材に使ってはならないのですが、素材メーカーの環境試験データに偽りがあったということになります。 ニコンF3の発売時に問われた標示のための液晶のことと、問題次項が重なります。 液晶にニコンがつくっているのではなく素材メーカーがつくっているのです。 液晶の標示が薄れてしまっているカメラがあるので、嘆かわしくなります。 ニコンFM10は露光の適否はLEDによってなされます。 赤く光ったLEDを見てボタンを押すとミラーの上下動と連動してシャッターが走りガシャッリという音がします。 その動作の後にに不思議な思いが走って、カメラを置きます。
2015年08月29日
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写真はOM-2NとGズイコー・オートS50mmF1.8付きです。(タイトル)OM-2nほか、このシリーズは何台も持っていますから、このボディーに難があっても平気です。(本文) 一眼レフカメラで露光のオートというのは何をさしおいてでも手に入れたいカメラでした。 オートが当たり前になってしまえば何のことはないのですが、露光への手間が省けることはなにものにも代え難いのでした。 私が使っているこのOM-2nは、フィルム感度調整用のISO(ASA)目盛りを動かしてもそれが400から変わりません。困ったことです。この故障はOMシリーズのカメラで何度も私の手元で起きております。この手の故障がOM-2には多いようです。OM-2nも同じです。 もっともネガカラーフィルムはISO400のものしか使わないので差し支えありません。 どういう加減か、露光補正用のダイヤルは機能しておます。 プラスに2段階、マイナスに2段階、それぞれ動作します。その中間に細かな目盛りが刻まれていて、それがすべて機能します。 写真に載っているレンズは機能ばっちりなのですが、カメラのファインダーは少し曇っております。ファインダーが少し曇るとカメラの機能が極度に低下したようなことになっている世の中のようすは間違っております。 山に持っていって雨に濡れたオリンパスOM-1はファインダーが曇ってしまいました。使えばそのようになるのです。神棚に飾ってあるカメラでもファインダーの曇りが生じますし、埃(ほこり)はどこからか侵入します。実際に使うフィルムカメラであればこのようなことは気にしないことです。 昔のカメラの中古の買い取りは大らかでした。いまはどうでしょうか。因縁をつけるように重箱の隅をつついて買いたたくようであります。それにしては少し人気のあるフィルムカメラは値が張ります。ユーザーの側の妙な要求が原因ですし、下取りなどをするカメラ屋も疵(きず)を指摘して二束三文に買いたたくという悪い仕来りができているようです。 このようなことと縁を結ばないで自分の価値判断で無理なく写真機を手に入れて写真を楽しむのがよいように思われます。 どのようなカメラでも写真は撮れます。そうは言っても遠くにいる野鳥は望遠レンズを使って撮ることになります。望遠レンズがなければ野鳥が近くにきたときに撮影します。できないことはできないのですから、人が凄い望遠レンズを持っているからといって羨(うらや)んで、嫉妬(ねたん)でけません。本当のところは凄いレンズで凄いカメラを持っていても大した写真は撮っていないのですから。 話が横道に逸れました。 OM-2nほか、このシリーズは何台も持っていますから、このボディーに難があっても平気です。OMシリーズの一桁の名称のカメラを何台も持っているのですから。 オリンパスのOMシリーズのOM-1とOM-2、OM-1nとOM-2nは触った感触が柔らかいのです。何故なのでしょうか。ボディーが柔らかいからなのでしょうか、角などを上手に処理しているからなのでしょうか。同じように軽くて小さいペンタックスの一眼レフとは違います。レンズとの組み合わせもあるかも知れません。 この柔らかさというのはニコンではF3に通じます。ニコンF3はプラスチックというか樹脂を一部分に用いております。角の処理などによって持った感じの柔らかさが生まれるのでしょう。 オリンパスのOMシリーズは小さくて軽いということで山に持って行くには良いカメラでした。山に持っていくのでなくても小さくて軽いことは良いことです。 そうなのですがニコンFやニコンF2だのがあってプロとか称される人々がこれを使っていると、オリンパスのOMシリーズよりニコンのほうがよいような気持ちにさせられるのです。 そのようなことがあって大きく重いニコンニコンFやニコンF2を山に持ち出すといった愚挙となるのでした。【以下はオリンパスのホームページからのOM-2nの説明の抜粋です。】OM-2に専用ストロボ連動用接点を組み込み、ファインダー内に発光ダイオードで専用ストロボT32・T20の充電完了と、測光確認などの表示機能が追加されています。標準レンズはGズイコー・オートS50mmF1.4。価格は107,500円(クロームボディ、標準レンズF1.4、ケース付)。78,000円(クロームボディのみ)。82,000円(ブラックボディのみ)。
2016年12月28日
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「計量器いいもの通販」文書加工のアルバイト募集 ある程度できあがっている文書を所定の様式に組み直す仕事です 自宅で自分のパソコンを使って仕事ができ月に5万円ほど報酬を手にできます 1. 文書加工の仕事の内容 日本計量新報社が運営するインターネット通販の「計量器いいもの通販」などに用いる文書を所定の方式に整理する仕事です。一部文書打ち込みなどの作業を含みますが一般的な製品のカタログなどの様式のデジタル・コンテンツなどの文書を通販用の文書の様式に変更し整理するのが仕事の内容です。 見本となる文書様式をいくつか用意してありますから、それに従って当社が提供(送付)するある程度できあがった文書を様式にあわせて組み直し整理して送り返していただきます。 提供する文書は基本的にデジタル・コンテンツの形式ですので、これを組み直し整理する仕事がその内容です。比較的簡単な仕事の内容ですが知的で創造的でもあります。 私たちが事務所で行っている仕事を自宅のパソコンを使って行っていただくものです。 2. 自宅のパソコンを使って好きな時間に仕事ができます 私たちが会社で行っている仕事が需要に追いつかないので社外の能力を求めるということで、「計量器いいもの通販」文書加工のアルバイト募集しております。通勤なし、自宅で作業に従事する時間が純粋に労働となり、比較的簡単に所定の様式に文書を加工し作業を積み上げることができます。 とにかく作業の手が足りない、文書加工の需要に追いつかないという状況にあるために「計量器いいもの通販」文書加工の自宅勤務のアルバイトを募集するものであります。会社に設置しているパソコンと作業場所にも規模的制約があるので、自宅勤務でのアルバイトという方式で私たちの仕事に加わって欲しいのです。 3. 比較的簡単で、知的で創造的な文書加工の仕事で月に20万円ほどの報酬を得られます 日本計量新報社の社内で行っている文書加工の仕事を自宅のパソコンを使って行うとく作業内容であり、同じ仕事を自宅で行うということなので思いっきり一生懸命沢山仕事をすると月に20万円ほどの報酬を手にすることができます。 家事の合間に仕事をすることもできます。仕事をした時間の集計は加工した文書の量に連動しますので、空き時間を見つけて作業することでも月に5万円ほどの収入を得ることができます。 商品の元文書を所定の様式に組み直し整理する平均的作業時間は30分ほどであり、遅くても1時間ほどなので、この文書作成単価300円として1時間の作業時間で600円ほど収入を得ることができます。慣れれば1時間に3つほどの文書加工ができますから、1時間に900円の収入になります。 1日に4時間、文書加工の作業を行いますと2400円ほどになり、週に5日、20時間この仕事を行いますと12,000円になり、月に直すと48,000円の収入を得ることができます。作業時間を増やせば月に20万円の報酬を得ることもできます。 4. 「計量器いいもの通販」文書加工の具体的事例 1.次はその変換作業の事例です。 (1)通販サイト「計量器いいもの通販」(楽天1号店、楽天2号店)への商品の掲載(アップ作業) (2)デジタル・コンテンツを所定の様式に変換する事例 (3)カタログ等の印刷物から所定のデジタル・コンテンツに変換する事例 (4)その他 現在、作業を募集しているのは、(1)の通販サイトへの商品の掲載作業です。 2.お支払い 掲載した(アップした)商品数に応じて、指定の口座へ振り込みます。 月末締めの、翌月20日払いになります。 通販商品アップ以外の作業を希望される場合は、ご相談ください。 わからない場合には電話などで打ち合わせて作業をします。また日本計量新報社の「計量器いいもの通販」などをご覧いただくと要領が大筋で理解できます。 5. 応募の方法 「計量器いいもの通販」文書加工のアルバイトへの応募の方法は次の通りです。 (1)応募方法 氏名、住所、電話番号、その他所定の様式の履歴書を送付していただきましたら、審査し、仕事を依頼をいたします。 履歴書は電子履歴書といたしますので以下の文書様式に適宜書き込んで電子メールもしくはファクシミリで送付してください。 履歴書は、上記以外の書式でもけっこうです。 (2)応募資格(必須要件です) ご自宅に a.. パソコン b.. HP作成ソフト(ホームページビルダー、ドリームウィーバーなど) c.. スキャナ(複合機でも可) をお持ちの方 「計量器いいもの通販」(楽天1号店、楽天2号店)商品掲載作業応募の留意点 ◆応募される方 1.履歴書を添付して、電子メールでご応募ください。(様式は自由。こちらの履歴書例をご利用くださると便利です。ダウンロードしてお使いください) 履歴書(プロフィール)テンプレート 履歴書のテンプレートです。ダウンロードしてお使いください。なお、このテンプレートではなく独自の書式の履歴書でもけっこうです。 2.採用の場合は、以降の手続きのしかたを連絡いたします。不採用の場合は連絡いたしませんので、ご了承ください。この連絡後も応募を辞退することはできます。(その場合はその旨ご連絡ください) ◆お問い合せの方 下記の、6.の要領で、お問い合せください。 6. お問い合わせ 作業内容のご質問、応募のお問い合わせ等は下記メールアドレス宛にご連絡ください。 【お問い合わせ用メールアドレス】 アルバイト問い合わせ 担当:高松・小野----横田俊英(代表取締役社長)(株)日本計量新報社東京都千代田区神田錦町3-11-8武蔵野ビル 〒101-0054電話03-3295-7871 FAX03-3295-7874http://www.keiryou-keisoku.co.jp/
2007年12月05日
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Kマウントを採用したデジカメ。たとえば「ペンタックス K100D」は良いカメラです。デジタルカメラは便利です。とくにデジタル一眼レフカメラは便利です。何でも写せます。手軽に写せます。デジタル一眼レフカメラの6メガピクセル程度のものは玩具(おもちゃ)よりも安くなっているので、がっかりしますが、それで写真が写せるのですから、皮肉なことでもあります。フィルムカメラ時代のレンズが使えるのが「ペンタックス K100D」など、Kマウントを採用したペンタックスのデジカメです。撮像素子の大きさの違いによって旧来レンズの焦点距離が一倍半ほどになります。広角側では泣きますが、望遠側では喜ばしいことになります。日本のメーカーのレンズで悪い物などはありません。レンズの味だの何だのというのは普通の人は聞こえないふりをしているのが一番です。味だの何だのとわかるほどにレンズとカメラと写真に詳しい人などあまりいませんし、そのような人が良い写真を撮っているとは思えません。デジカメは写真の世界を限りなく広げました。ペンタックス K100Dは、手ぶれ補正機構をボディに内蔵しているので、従来のペンタックス交換レンズはもちろん、装着できるどんなレンズでも、手ぶれ補正が働きます。ボディーに手ぶれ補正機構を内蔵しているのは非常によい。ペンタックスのマニュアルフォーカス時代のレンズ、オートフーカス時代のレンズを使えるKマントであることがみそです。ペンタックス PENTAX K100D ボディ下のレンズはTAMRON AF 90-300mm F4.5-5.6 TELE-MACRO Kマウント。ペンタックス PENTAX K100Dの特長。1.シャープな画像が得られる独自の手ぶれ補正機構 ” SR ( Shake Reduction ) „ 望遠レンズ使用時や、ストロボOFF撮影、夕暮れ時の風景など、手ぶれを起こしやすい撮影条件でも、ぶれを抑えたシャープな画像が得られる独自の手ぶれ補正機構 ” SR „ を搭載しています。手ぶれ量に応じて本体内で撮像素子部を水平・垂直方向に磁力で高速駆動させることで手ぶれを効果的に軽減することができ、シャッタースピード換算で約2~3.5段分に相当する高い補正効果が得られます。手ぶれ補正専用レンズなどは必要とせず、従来からの各種ペンタックス交換レンズ 注1 を活用できる、汎用性に優れた機構です。2.撮像素子( CCD )表面へのゴミの付着を防ぐ ” DR ( Dust Removal ) „CCD表面( ローパスフィルター )へのゴミの付着を防ぐ独自の機構 ” DR „ を新たに採用しています。特殊なフッ素系物質による独自のSP ( Super Protect ) コーティングをCCD表面に施しており、ゴミや汚れが付きにくくなっています。さらに、手ぶれ補正機構 ” SR „を利用して撮像素子部を振動させることで、CCD表面に付着したゴミをふるい落とすことができます。ふるい落としたゴミは ” SR „ユニット下部の粘着シートに吸着し、再付着を防ぎます。3.超高感度3200に対応したオート感度設定機能被写体の明るさやレンズの焦点距離情報に応じて、カメラ側で自動的に感度を変更するオート感度設定機能を備えています。夜景や室内スポーツなど、暗い場所でも速いシャッタースピードで撮影することができ、手ぶれや被写体ぶれの軽減にも有効です。オート感度設定の範囲は、ISO200からクラス最高となるISO3200の超高感度まで任意に設定可能です。4.カメラ任せで撮影できるオートピクチャーモード人物、風景、接写など、被写体や状況に合わせてカメラが自動的に最適な設定を行うペンタックス独自の ” オートピクチャーモード „ を搭載しています。シャッター速度、絞り値、ホワイトバランス、彩度、コントラスト、シャープネスの強弱などの設定はカメラ任せで、構図の決定とシャッターチャンスに集中して撮影することができます。5.画面中心を外れた被写体にもピントが合う11点ワイドAF撮りたい被写体が画面の中央から外れていても、カメラが自動的に適切なピント合わせをおこなう高精度のワイドAF( SAFOX VIII、中央部9点はクロスタイプ )を採用しています。ピントが合った測距点は、スーパーインポーズ機能によりファインダー上でわかりやすく赤く点灯表示されます。6.撮影画像の確認やメニューの設定がしやすい液晶モニター背面の液晶モニターには、広視野角タイプの2.5型大型液晶モニターを採用しています。上下左右にそれぞれ約140°の広い視野角により、斜めからでも撮影画像などを確認することができます。画素数は約21万画素の高精細で、撮影画像のピント確認などが容易におこなえる最大12倍までの再生画像の拡大が可能です。また、メニュー表示の文字もモニターサイズに合わせた大きなフォントサイズを採用し、大変見やすくなっています。7.明るく見やすいファインダーファインダーは軽量のペンタミラー方式を採用、独自のファインダー光学設計とフォーカシングスクリーン ” ナチュラルブライトマットII „ の組み合わせにより、像倍率0.85倍で視野率96%の大きく明るいファインダー像が得られます。8.有効610万画素の高精細かつ階調豊かな画像撮像素子は23.5mm × 15.7mmという大きな撮像面積の高性能CCDを採用しています。撮影意図に応じて、背景をきれいにぼかした撮影や、画面の隅々までシャープにピントの合った撮影など、一眼レフ独特の写真表現を楽しむことができます。有効画素数は610万画素で、高性能画像処理エンジンによる画質を重視した独自の画像処理技術とあわせ、高精細かつ階調豊かな画像を得ることができます。さらに撮影者の意図にあわせて「鮮やか」と「ナチュラル」の2通りから画像仕上げを選択することが可能です。9.高画質の大量記録が可能なSDHCメモリーカードに対応外部記録メディアは、従来からのSDメモリーカードに加えて新規格のSDHCメモリーカード 注2 にも対応しています。1枚のカードに、ファイル容量の大きなRAW形式の撮影画像データなどを大量に記録することができます。10.静かで滑らかなオートフォーカス機構 ” SDM „ に対応レンズ内に搭載した超音波モーターにより静かで滑らかなオートフォーカスを実現する新機構 ” SDM „ に対応しています。同機構を採用したレンズを装着すると、自動的に ” SDM „ 機構によるオートフォーカス方式に切り替わります。11.持ちやすい小型・軽量ボディ機動性、携帯性に優れた小型・軽量ボディながら、カメラをしっかりと構えることができる、握りやすいデザインのグリップ形状を採用しています。ペンタックス PENTAX K100Dの仕様。有効画素数:610万画素 液晶:2.5型、約21万画素LCD、広視野角タイプ明るさ調整機能付 電源:CR-V3リチウム電池2本、単三型電池4本(リチウム、ニッケル水素、アルカリ)、ACアダプター(別売) 対応メディア:SDメモリーカード(SDHCにも対応) 装着可能レンズ:K、KA、KAF、KAF2マウントレンズ、およびアダプター使用によりスクリューマウントレンズ、645用、67用レンズ※レンズにより一部使用できない機能があります。 PictBridge:対応 重量(本体のみ):570g 大きさ:幅129.5×高92.5×厚70mm PENTAX K100D(6.1メガピクセル)は、ペンタックスのフィルムカメラのレンズを使うのに便利です。マニュアル焦点のペンタックスレンズを使うために備えているデジタル一眼レフカメラです。フィルムカメラで写真を撮ってwebほかで使うのに不便です。プリントしてそれを読む込むなど時間がかかりすぎます。だからデジカメでフィルムカメラ時代のレンズを使うことになります。それに便利なのがPENTAX K100D(6.1ピクセル)です。このカメラは単3乾電池4本で駆動します。以下はリコーの説明です。一眼レフに残された命題は、ぶれとの闘いでした。 手ぶれ補正 手ぶれになりやすいシーンでも安心望遠レンズを使う、室内でストロボを使わずに撮影する、夕景やマクロレンズでの撮影など、手ぶれを起こしやすい条件のもとでも、ペンタックス独自の手ぶれ補正機構「SR(シェイクリダクション)」により、ぶれを抑えたシャープな画像が得られます。微少な手ぶれにも補正が働くため、わずかなぶれのせいでどこにもピントが合っていないように見える写真もなくせます。シャッター速度換算で約2段~3.5段分の補正効果があります。※レンズ種類や撮影条件により補正効果は異なります。カメラを三脚に固定して撮影する場合は、SRをOFFにしてください。従来レンズが使える内蔵方式 K100Dは手ぶれ補正機構をボディに内蔵しているので、従来のペンタックス交換レンズはもちろん、装着できるどんなレンズでも、手ぶれ補正が働きます。手ぶれ補正機構をレンズに内蔵した方式と比べ、レンズに手ブレ補正に必要な光学系や機構が加わらないため、画質劣化のないコンパクトなレンズを使用できることもボディ内蔵方式のメリットです。K100Dの手ぶれ補正機構「SR(Shake Reduction)」K100Dの手ぶれ補正機構「SR」は、新機構の撮像素子シフト方式。2個のジャイロセンサーでカメラのぶれの量と方向を感知。高速演算した補正値に基づき撮像素子を水平垂直に高速移動させることによってぶれを補正します。撮像素子の駆動は磁力による新方式を採用。フロントプレートのマグネットとセンタープレートの平面状コイルによって、磁力をコントロールします。メカニカルなガイド機構が無いため、パワーロスが無く俊敏な応答性とスピードを実現しました。また撮像素子はリアプレートの3点支持ボールにより精密に保持されています。機構全体がシンプルなため、K100Dは手ぶれ補正機構を搭載しながら小型ボディを実現しています。
2015年09月11日
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紀州犬の子犬、白、オス。12万円。2016年8月17日生。問合先携帯は横田俊英090-5580-8226。○紀州犬の子犬、白、オス。12万円。2016年8月17日生。(出産予定です)。お渡しは9月下旬ころ(お打合せの上)。ほかに同じころ生まれる子犬がおります(こちらも12万円です)。問合先携帯は横田俊英090-5580-8226。写真はこの子の母親が前回出産したときのオスの子犬の写真です。出産直後に撮影。へその緒がついております。2016年8月17日出産予定の子犬の飼い主を募集中です。写真はこの子の母親が前回出産したときのメスの子犬の写真です。出産直後何日か経ちました。へその緒がとれました。2016年8月17日出産予定の子犬の飼い主を募集中です。紀州犬のメスで母親です。紀州犬オス犬の1歳8カ月の様子です。紀州犬のメス犬です。上の犬たちと同じ系統の犬です。【お申し込み方法】 遠くの方は自動車便別途1.5万円、航空便別途2万円を要します。 自動車便は1.5万円を別途要します。 大手運送会社営業所留めになりますので営業所に出向いてお引き取りいただくようになります。 航空便は別途2万円を要します。 空港留めですから、空港に出向いて受け取っていただくようになります。 直接子犬を受け取りに来訪される方は輸送費がかかりません。【代金をお振り込みでいただく場合の振込先は次のとおりです。】 (お代金は「ゆうちょ銀行」にお振り込みいただきたい、と存じます。) 1、ゆうちょ銀行口座のあいだのお取引の場合。 横田俊英(よこたしゅんえい) 記号 10190 番号 52610361 2、ゆうちょ銀行以外の金融機関からお振り込みいただく場合。 横田俊英(よこたしゅんえい) 店名 〇一八(ゼロイチハチ) 店番 018 口座番号 5261036 この子をお渡しする高尾山麓莊は法令にしたがい相模原市保健所長から動物取扱業登録証の交付を受けております。生衛 第200-00059。事業所の所在地は神奈川県相模原市緑区若柳641-6、動物取り扱い責任者の氏名は横田俊英。 子犬を希望の方は、電話(携帯090-5580-8226)あるいは電子メール(e-mail: syokota@peach.ocn.ne.jp )でお気軽に問い合わせください。電子メールは次のコピーしてご利用ください。syokota@peach.ocn.ne.jp 【代金をお振り込みでいただく場合の振込先は次のとおりです。】 (お代金は「ゆうちょ銀行」にお振り込みいただきたい、と存じます。) 1、ゆうちょ銀行口座のあいだのお取引の場合 横田俊英(よこたしゅんえい) 記号 10190 番号 52610361 2、ゆうちょ銀行以外の金融機関からお振り込みいただく場合。 横田俊英(よこたしゅんえい) 店名 〇一八(ゼロイチハチ) 店番 018 口座番号 5261036電子メールは次にお願いします e-mail: syokota@peach.ocn.ne.jp電子メールは次のコピーしてご利用ください。syokota@peach.ocn.ne.jp 氏名 横田俊英(よこたしゅんえい) 携帯 090-5580-8226 電話は携帯にお願いします 自宅 090-5580-8226 自宅は勤務と犬の世話で留守がちです 住所 〒252-0175 神奈川県相模原市緑区若柳641-6 e-mail: syokota@peach.ocn.ne.jp 電子メールは次のコピーしてご利用ください。syokota@peach.ocn.ne.jp 【父母犬と子犬の説明】 性質のよい母親と同じく性質のよい父親です。 母親は良い顔をしております。父親も良い顔立ちをしており、紀州犬の世界は名犬とされております。 この母親が生んだ子どもは、みな性格がよくて、格好も良い犬に育っております。健康も十分です よい子に育ちますから、ご期待ください。 紀州犬の事を詳しく述べている 紀州犬物語(左の文字をクリックすると開くことができます) を お読みになれば、子犬育てほかに安心です。 オス犬、メス犬ともご希望の方はお問い合わせください。 飼い主になられる方とお打ち合わせの上、お渡しする日取りを決めます。【紀州犬の簡単な説明】 紀州犬のオスは、メスに比べると体は大きくたくましい犬です。男の相棒として飼うとよいでしょう。もちろん性格の良い紀州犬のオスは女性でも愛犬として飼うことができます。紀州犬は日本人が誇ってよい犬です。 ここで紹介している子犬は性格が良くて優秀な血筋の父母および先祖をもっております。紀州犬をお選びになる場合には1、性格が良い。2、健康である。3、如何にも紀州犬らしい。という3項目に留意するとよいでしょう。子犬を生ませるときにもそのような考えにしたがっております。犬を飼うことの最大の醍醐味は飼い主になついた愛犬と散歩することです。気候の良い休日にはたっぷりと汗をかいて心行くまで散歩しましょう。普段も1日に2度、あるいは1度短時間でもいいですから散歩にでます。散歩の時間は1回に大体は30分以上が目安になります。1時間ほど散歩できれば良いですね。犬の幸せは飼い主と散歩に出ることです。犬の幸せと人の仕合せは一緒に楽しく気持ちよく散歩することです。散歩こそが犬を飼う最大の楽しみであり、醍醐味です。もちろん、家に犬が居て性格の良い健康な紀州犬がいればそれも仕合せなことです。紀州犬への率直な思い そして紀州犬のこと。(横田俊英) (タイトル) 紀州犬への率直な思い そして紀州犬のこと。 (美化できず、さりとて否定もできず、飼えば紀州犬は良い犬です。) (本文) 紀州犬のことを経験をもとに少し語りたいと思います。紀州犬は良い犬です。一緒に歩けば人の歩ようと調子があい、歩いていて気持ちが良い犬です。性格の良い、健康で、素朴な姿と気持ちをもった紀州犬は良い犬です。 紀州犬はいくつかある日本犬のなかの一つです。日本犬に望まれるその重要な要素の一つは素朴さです。素朴とは、自然のままに近く、あまり手の加えられていない、ことや、その状態のことでしょうか。それが姿と心情にそのまま投影されているということでもあるように思います。紀州犬のそのような素朴さを強く感じます。 どのような犬を飼うことになるかということは、ある偶然の出会いやかんれんする出来事があって決まることのようです。どのような犬を選ぶのかはその人の生活感覚と美意識などによることもあります。気持ちがどのようにか働いて紀州犬を飼おうと思うことがあれば、それをそのまま受け入れて良い紀州犬に巡り会いましょう。 ここで一つ申し上げておきたいことは、犬は子供のオモチャではないということです。子供が欲しがっているということは動機のひとつになっても、それと子供が犬を飼うこととは別のことです。小さな犬でも大きな犬でも、そして紀州犬についてもこのことが言えます。紀州犬は一家の主人が中心になって飼う犬です。犬全般にこのことが言えることをどうか心得ていただきたいのです。そうでないと飼っている犬が馬鹿犬になり、手が付けられないヤンチャをして、飼っていられなくなります。どのような犬でもこのようになります。 紀州犬愛好家である私は犬を飼うのに適さないいくつもの事例をみてきております。ひとつは一家の主が奥さんや小さい子供に紀州犬を買い与える、とう事態です。小学生の子供が紀州犬が欲しいといっても、それは縫いぐるみのお人形が欲しい、動くオモチャが欲しいといった程度の欲望であり、紀州犬を飼い始めてから、一月、二月、あるいは半年もすると、飽きてしまって見向きもしない状態になるのがほとんどです。そのようになったときに、というよりもそのようになるのですが、一家の主人やその中心にいる人が犬を世話する気持ちがなければ犬は邪魔になってしまいます。 ですから一家の主人とその中心になるひとが紀州犬を好きであることが望ましいのです。飼っていれば紀州犬は必ずや好きになります。私の知っている人のうちの何人かは一家の主人が飼っているうちに紀州犬が大好きになり、職場に連れて行って何時でも一緒に暮らしています。はじめは子供のために紀州犬を飼う、という気持ちであった人であったのです。良い犬に巡り会い、良い犬に育てるとこのようになります。紀州犬のことです。 横田俊英 執筆【その他の説明事項】直接子犬をお引取りいただく場合には、お代金は上記のとおり総額。(血統書の費用を含んでおります)遠くの方は自動車便別途1.5万円、航空便別途2万円を要します。自動車便は1.5万円を別途要します。大手運送会社営業所留めになりますので営業所に出向いてお引き取りいただくようになります。航空便は別途2万円を要します。空港留めですから、空港に出向いて受け取っていただくようになります。直接子犬を受け取りに来訪される方は輸送費がかかりません。【代金をお振り込みでいただく場合の振込先は次のとおりです。】 (お代金は「ゆうちょ銀行」にお振り込みいただきたい、と存じます。) 1、ゆうちょ銀行口座のあいだのお取引の場合 横田俊英(よこたしゅんえい) 記号 10190 番号 52610361 2、ゆうちょ銀行以外の金融機関からお振り込みいただく場合。 横田俊英(よこたしゅんえい) 店名 〇一八(ゼロイチハチ) 店番 018 口座番号 5261036 この子をお渡しする高尾山麓莊は法令にしたがい相模原市保健所長から動物取扱業登録証の交付を受けております。生衛 第200-00059。事業所の所在地は神奈川県相模原市緑区若柳641-6、動物取り扱い責任者の氏名は横田俊英。 氏名 横田俊英(よこたしゅんえい) 携帯 090-5580-8226 電話は携帯にお願いします 自宅 090-5580-8226 自宅は勤務と犬の世話で留守がちです 住所 〒252-0175 神奈川県相模原市緑区若柳641-6 e-mail: syokota@peach.ocn.ne.jp 電子メールは次のコピーしてご利用ください。syokota@peach.ocn.ne.jp (下の文章をクリックすると内容の詳細をご覧いただけます)○紀州犬の子犬、白、オス。2016年6月1日生。(メスの子犬もおります)。直ぐお渡しできます。血統書込10万円。問合先携帯は横田俊英090-5580-8226。○紀州犬の子犬、白、メス。2016年6月1日生。(オスの子犬もおります)。直ぐお渡しできます。血統書込10万円。問合先携帯は横田俊英090-5580-8226。○紀州犬の子犬、白、オス12万円。2016年8月17日生。(出産予定です)。お渡しは9月下旬ころ(お打合せの上)。ほかに同じころ生まれる子犬がおります(こちらも12万円です)。問合先携帯は横田俊英090-5580-8226。○紀州犬の子犬、白、メス12万円。2016年8月17日生。(出産予定です)。お渡しは9月下旬ころ(お打合せの上)。ほかに同じころ生まれる子犬がおります(こちらも12万円です)。問合先携帯は横田俊英090-5580-8226。○紀州犬の子犬、白、オス12万円。2016年8月12日生。(出産予定です)。お渡しは9月下旬ころ(お打合せの上)。ほかに同じころ生まれる子犬がおります(こちらも12万円です)。問合先携帯は横田俊英090-5580-8226。○紀州犬の子犬、白、メス12万円。2016年8月12日生。(出産予定です)。お渡しは9月下旬ころ(お打合せの上)。ほかに同じころ生まれる子犬がおります(こちらも12万円です)。問合先携帯は横田俊英090-5580-8226。○紀州犬の子犬、白、オスとメス。それぞれ12万円。2016年8月12日生。(出産予定です)。お渡しは9月下旬ころ(お打合せの上)。ほかに同じころ生まれる子犬がおります(こちらの子犬も12万円です)。問合先携帯は横田俊英090-5580-8226。
2016年08月11日
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コブハクチョウは冬至を5日ほど前にした12月17日の午後3時30分ころ、山中湖村の山中のマリモ通りの岸辺で撮影した。コブハクチョウは嘴(くちばし)の付け根が黒く、額の先に黒いこぶができている。大きさはオオハクチョウと同じくらいだが少し大きい。コブハクチョウが羽ばたく。羽ばたくとはいっても羽根の運動をしているだけだ。見ている側には面白い。コブハクチョウの全身がみられるからだ。コブハクチョウが羽ばたく。羽ばたくとはいっても羽根の運動をしているだけだ。見ている側には面白い。コブハクチョウの全身がみられるからだ。大きさはオオハクチョウと同じくらいだが少し大きい。コブハクチョウが羽根を少し上げた。遊覧船の白鳥はこのような形になっている。上げた羽根の部分が座席になっている。コブハクチョウが羽根を少し上げた。遊覧船の白鳥はこのような形になっている。コブハクチョウがさかさまになって泥の中の藻か草を食んでいる。山中湖に浮かぶハクチョウ遊覧船だ。くちばしはオオハクチョウである。コブハクチョウのくちばしと比較するとその違いがわかる。写真(下)はコブハクチョウとともに山中湖にいたオオバン。水鳥がが水面に浮かぶのは、ハクチョウを含む水鳥には尻に油脂腺というものがあり、そこから分泌される油を羽繕いで羽に塗りつけ、撥水性を持たせている。このためにて羽毛の間に空気を溜められ、それが浮き袋の役目を果たしている。水鳥が水に浮く原理である。下は水鳥のオオバンが水を切って泳ぐ姿であり、水を切るというか波を切っている。カモメの水兵さんは並にちゃぷちゃぷ浮かんでいるのだが、水への浮き方と並の切り方の様子がわかる写真である。(タイトル)山中湖のコブハクチョウ(コブハクチョウの姿態のいろいろ。バレーの白鳥の湖の様子を思い浮かべる)(本文) 山中湖には一年中、白鳥がいる。夏にいる山中湖の白鳥は観光する人に人気だ。白鳥と一緒に鯉が投げる餌を求めて桟橋に集まる。山中湖で見る白鳥はオオハクチョウではなくコブハクチョウである。別の白鳥がいることがあるかもしれないがコブハクチョウと考えていい。 コブハクチョウは嘴(くちばし)の付け根が黒く、額の先に黒いこぶができている。大きさはオオハクチョウと同じくらいだが少し大きい。 コブハクチョウは日本では1952年に飼い鳥として、ヨーロッパから移入して公園や動物園などで飼育された。コブハクチョウの飼われているうちに野生の状態になって多くの沼や池や湖に住むようになった。山中湖では20羽ほどのコブハクチョウが通年生息している。山中湖で観光客を喜ばせて白鳥はコブハクチョウである。オオハクチョウやコハクチョウも飛来するかもしれないが見たことがない。 コブハクチョウは日本で自然繁殖するようになり北海道のウトナイ湖にいたものが茨城県霞ヶ浦に渡って越冬していた。白鳥の仲間の寿命は野生で最長20年ほど、飼育状態では20年から30年ほどである。 ハクチョウ(白鳥、swan)には7種類あって、白鳥(ハクチョウ)という言葉はそれらをまとめたものである。オオハクチョウ、コハクチョウ、コブハクチョウ、コクチョウ、クロエリハクチョウ、ナキハクチョウ、カモハクチョウがいる。 ハクチョウが水面に浮かぶのは、ハクチョウを含む水鳥には尻に油脂腺というものがあり、そこから分泌される油を羽繕いで羽に塗りつけ、撥水性を持たせている。このためにて羽毛の間に空気を溜められ、それが浮き袋の役目を果たしている。水鳥が水に浮く原理である。 日本では「白鳥」を「くぐい(鵠)」といった。「日本書紀」にそれがみられる。ヤマトタケルは命尽きた後に白鳥になったと語られる。 コブハクチョウは冬至を5日ほど前にした12月17日の午後3時30分ころ、山中湖村の山中のマリモ通りの岸辺で撮影した。この時刻に太陽は富士山の左肩に沈んだ。その太陽を追い掛けて有料の東富士五湖通りを西に走ると富士山の背後から、太陽はまた顔を出した。 このころに夕日を背に富士山の頂上でダイヤモンドが輝くのは花の都公園付近である。上の撮影場所から忍野村のほうに移動したところに花の都公園がある。 山中湖付近では年を跨いで4カ月ほどの長い間、ダイヤモンド富士を見ることのできる。
2016年12月22日
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JBLを超えようとしたパイオニアのスピーカー意欲作S-X4、CS-616、HPM-100の三製品 執筆 甲斐鐵太郎 小さくて良い音のPioneer S-X4 和製JBL 4312のPioneer CS-616 米国で超人気のPioneer HPM-100 背丈385mmの密閉型スピーカーPioneer S-X4を使うJBLを超えようとしたパイオニアのスピーカー意欲作S-X4、CS-616、HPM-100の三製品 執筆 甲斐鐵太郎JBLを超えようとしたパイオニアのスピーカー意欲作S-X4、CS-616、HPM-100の三製品 小さくて良い音のPioneer S-X4。baby HPMsの愛称。 JBLを超えようとしたパイオニアのスピーカー意欲作S-X4、CS-616、HPM-100の三製品 Pioneer CS-616。和製JBL 4312。 JBLを超えようとしたパイオニアのスピーカー意欲作S-X4、CS-616、HPM-100の三製品 米国で超人気のPioneer HPM-100。米国で売れた。 (タイトル) 私が好きなスピーカー 大中小その三つ JBLを超えようとしたパイオニアのスピーカー意欲作S-X4、CS-616、HPM-100の三製品 執筆 甲斐鐵太郎 (サブタイトル) 小さくて良い音のPioneer S-X4 和製JBL 4312のPioneer CS-616 米国で超人気のPioneer HPM-100 (副副タイトル) 背丈385mmの密閉型スピーカーPioneer S-X4を使う (本文) 背丈385mmの密閉型スピーカーPioneer S-X4を使う 小さくて良い音のPioneer S-X4。baby HPMsの愛称。 パソコンでユーチューブの音楽を聴くために背丈385mm密閉型スピーカーPioneer S-X4をアンプにつないだ。幅230×高さ385×奥行243mmの箱に低域用18cmコーン型、高域用2.5cmドーム型の二つのスピーカーが埋め込まれたやつだ。 同じ容積の横に23cm低音域を受け持つスピーカーを一つ追加して音をだす。サブウーハーというらしい。こちらは家具調の薄型スピーカーで縦にして使う。和室のコーナーに音響セットを置く。パソコンは食堂椅子の座面を基準にして位置を決めている。ソファーテーブルに箱を載せてありそれがパソコンテーブルになる。アンプは弁当箱ほどの大きさのBOSEだ。アンプの性能は高くないからスピーカーから出る音は程度が知れている。テレビの歌謡番組はイヤホーンジャックから電気を引っ張って弁当箱のBOSEに入れてやる。これだけでもテレビの歌謡ショーは良い音になる。 Pioneer S-X4は背丈385mm密閉型スピーカーだ。どこに置いても威圧感はない。落ち着いた雰囲気の珈琲店の壁に吊るすのが流行ったこともあった。何時の間にか金属ネットの黒いシェルのBOSEが取って代わった。Pioneer S-X4には壁に吊るす穴が背面にある。 どのくらいの大きさのスピーカーで音を出すか。つまりどのくらいの容積のスピーカーで音を出すか。ここにはさまざまなことが絡み合う。ここ一発大きな音で聴きたいとなればスピーカーは大きなものがよい。そのようにして使うオーディオを別の部屋に置いてある。Pioneer S-X4はパソコンを使ってユーチューブの音楽ソースをひっぱりだして聴くためのオーディオである。それで弁当箱ほどの大きさのBOSEのアンプと組み合わせている。Pioneer S-X4は背丈385mm密閉型スピーカーだ。この大きさのスピーカーとしては締りのあるある乾いた良い音をだす。テレビのニュース報道もこのスピーカーで聞くのであるか音量と低音のほどはこの程度で良い。ベストマッチだ。 オーディオ装置に何をどれほど求めるかで装置の内容が違ってくる。大きな容積があれば低音が効いて大音量をだして演奏会場のようすを醸すことができる。パソコンでユーチューブの音楽ソースを取り込んで鳴らすことで仕事をする場に潤いをもたらすBGMスのためのピーカーであればPioneer S-X4はとても良い。Pioneer S-X4は幅230×高さ385×奥行243mmである。この大きさが丁度よい。容積を小さくしようとするとスピーカーユニットにお金をかけることになる。かけただけの見返りがあるかというとそうでもない。同じ容積でも内容の異なる薄くてくぐもった音のスピーカーがある。スピーカー選びは難しい。高温がキンキンしていると長時間聴いていると神経にさわる。低音がぼよんぼよんとしているとだらしない。このようなスピーカーがあるのだ。 パソコンが置いてある。目の先1.5mほどのところで鳴らすスピーカーである。Pioneer S-X4のこのサイズとその音は丁度よい。人には好みの違いがあるが、丁度良い音をだすスピーカーは好みを超える。比べたらわかることである。Pioneer S-X4は同じ大きさの他社のスピーカーの音がぼよんぼよんとして高音にも締りがないことが不満で取り換えたのである。サイズも同じで重さもあって格好も良かった他社のものは好みの音ではなかった。好みという言い方をしたが音の品質が劣っていたので取り換えた。 ヤマハにほぼ同じ大きさのやつがある。これは生真面目に高音質を奏でる。私としてはこの音では神経が草臥(くたび)れる。ヤマハの大きいのも小さいのも聞いているのだがやはり草臥れる。 そうかというと同じ箱の容積で前に穴を空けて後の板からの音を反射させるやつはボワーンした音に聞こえる。これが不自然でありまたぼやけているようで面白くない。Pioneer S-X4に取り換える前のスピーカーである。設置した当初はそのスピーカーで良いのではないかと思えたのであった。 上質なスピーカーユニットを組み込んだメーカー渾身の作といえるものがある。ヤマハのそれはよく知っている。ビクターのも知っている。Pioneer S-X4はパイオニアが渾身の力で作り上げた小型のスピーカーだ。世間の評判はヤマハに傾く。私はヤマハの10だの100だの200だの500だの1000だのといったモニタースピーカーを使っている。Pioneer S-X4はYAMAHAの10Mに似ている。どちらを選んでも良い。JBLに似た音と低音を求めるPioneer S-X4になる。Pioneer S-X4とYAMAHAの10Mのどちらを使うかというと余っている、空いている方ということになるかも知れない。どちらの聞いていて不満に思うことが少ない。それでも私はYAMAHAの10Mよりサイズが少しだけ大きいPioneer S-X4を選ぶ。 Pioneer S-X4は1981年に1本24,000円で発売された。2ウェイ・2スピーカー・密閉方式・ブックシェルフ型だ。パイオニアは音作りを模索してJBL副社長であったバート・ロカンシーを迎え入れた。Pioneer CS-616とPioneer HPM-100はバート・ロカンシー監修のもとで作られたスピーカーの代表作だ。Pioneer CS-616はIBLの名機JBL 4312の再来といえるほどの音をだした。Pioneer CS-616は和製JBL 4312だと言ってよい。3ウェイ・3スピーカー・バスレフ方式・ブックシェルフ型だ。 Pioneer HPM-100は4ウェイ・4スピーカー・バスレフ方式・ブックシェルフ型である。バート・ロカンシーを迎えたのは米国市場を意識して商品開発をするためであり、Pioneer HPM-100は米国市場でよく売れた。 Pioneer S-X4はそうした系列のスピーカーである。歯切れのよい乾いた音をだす。そのようなこともあってPioneer S-X4は米国などではPioneer HPM-100を意識してbaby HPMsあるいはmini HPMsの愛称で呼ばれる。 スピーカーの音の評価は同じ程度の大きさと価格のものと比べることがあり、また上級グレードのものと比べることもある。車にたとえれば軽同士、軽とクラウン、セダンと本格四駆という比べ方がある。そういう比較なのだと考えてスピーカーの音のことを考えるとよい。 同じPioneerのなかにあって似た系列のスピーカーがある。サイズが違うPioneer S-X4、Pioneer CS-616、Pioneer HPM-100である。その比較をさらに続ける。その前に三つのスピーカーの仕様を確認しよう。仕様比較で三つのスピーカーの性質がみえる。 以下にPioneer S-X4、Pioneer CS-616、Pioneer HPM-100の仕様を列記する。 Pioneer S-X4の仕様 (1981年発売、1台24,000円、baby HPMsまたはmini HPMsの愛称がある) 方式 2ウェイ・2スピーカー・密閉方式・ブックシェルフ型 使用ユニット 低域用 18cmコーン型 高域用 2.5cmドーム型 インピーダンス 6.3Ω 再生周波数帯域 40Hz~25000Hz 出力音圧レベル 91dB/w/m 瞬間最大出力音圧レベル 110dB/m 最大入力 60w クロスオーバー周波数 2200Hz 外形寸法 幅230×高さ385×奥行243mm 質量 7.0kg Pioneer CS-616の仕様(和製JBL 4312として人気。1台49,800円、1977年発売) 方式 3ウェイ・3スピーカー・バスレフ方式・ブックシェルフ型 使用ユニット 低域用 30cmコーン型 中域用 10cmコーン型 高域用 4.5cmコーン型 インピーダンス 6.3Ω 再生周波数帯域 30Hz~20000Hz 出力音圧レベル 93dB/w/m 最大入力 100w クロスオーバー周波数 1500Hz、4000Hz 外形寸法 幅375×高さ665×奥行318mm 質量 25kg Pioneer HPM-100の仕様(1977年発売、1台62,000円) 方式 4ウェイ・4スピーカー・バスレフ方式・ブックシェルフ型 使用ユニット 低域用 30cmコーン型 中域用 10cmコーン型 高域用 4.5cmコーン型 超高域用 ハイポリマー型 インピーダンス 8Ω 再生周波数帯域 30Hz~25000Hz 出力音圧レベル 92.5dB/w/m 最大入力 100w クロスオーバー周波数 3000Hz、4000Hz、12000Hz 外形寸法 幅390×高さ670×奥行393mm 質量 26.7kg Pioneer S-X4のスピーカーとしての特性 背丈40cm弱(38.5cm)の小型にして密閉型のスピーカーである。小さくてもしっかりした音をだして、低音もそこそこ響かせるス。歯切れのよい鳴りと軽快で明るい音質が特徴だ。高音域は十分に鳴っている。 どのようなスピーカーでも同じであるがパワーがあって上質な音をだすアンプと組み合わせれば、これが同じスピーカーかと驚くほどに音色が向上する。よいアンプを使いパワーをあげれば低音は響く。よくできた密閉型のスピーカーは音に締まりがある。抑制が効いている。2つのスピーカーユニットを2ウエイで動作させ違和感のない音のつながりになっている。曇り、濁り、こごもりといった言葉で表現される事柄とは縁遠い。 音量を上げれば素直に従う。アンプの力がこれには作用する。定位とか音場とか奥行き感という言葉があって専門家やオーディオマニアではやかましく語られる。この方面のことは、パイオニアの同系列の大型スピーカーに、また高品質で高価格なスピーカーになるにしたがって良くなる。そのように考えて間違いがない。スピーカーの大きさ、容積と価格は比例し、スピーカーユニットの数が増えるごとに価格が上がり高品質にして高音質になる。 ウーハーのフレームには分厚いアルミダイキャストが使われている。ウーハーエッジはウレタンではなくダンプ材を塗付したコルゲートタイプである。これなら劣化を気にせずに使うことができる。ツィーターは名機Pioneer S-180Aと同一品か姉妹品である。外観が同じである。ツイーターが受け持つ音域での鳴りはこのサイズのスピーカーとしては申し分ない。 背面には壁に掛けるための穴が空いている。7.0kgの質量のスピーカーを壁に掛けることは感覚として抵抗がある。似たような仕様のYAMAHAの10M(テンモニ)より大きいので壁に掛けるのにはためらいがある。台座を設けて裏の穴は脱落防止用として使うのがよいだろう。 容積がYAMAHAの10M(テンモニ)より大きく18cmのスピーカーユニットのために10M(テンモニ)にはない低音をだす。私は23cmのサブウーハーを組み合わせて使う。1.5m先で鳴らず分には不満はない。これで十分だ。ジャズをBGM にしているがロックで心躍らせることもある。 外部電源で駆動するスーパーウーハーを併用したり、外部電源のないサブウーハーに低音領域を補正させる。別のパソコン置き場ではBOSEの外部電源ウーハーとPioneer S-X4の四分の一ほどの容積のBOSE のプラスチックケージを金網で覆ったスピーカーを弁当箱型のBOSE noアンプで駆動させている。音楽を聴くのでないときにはウーハーの電源は切る。外部電源ウーハーは床全体をきしませて暴れまわる。弁当箱型アンプの力であなくこの外部電源を用いたウーハーのアンプの作用なのであろう。暴力的に動作する。 末尾にGの名が付けられたPioneer S-X4があってこれは外周が灰色のモデルである。私が使っているのは濃い茶色の家具調のものであり経年変化はしない。 Pioneer CS-616(和製JBLの愛称)のスピーカーとしての特性 和製JBL 4312のPioneer CS-616。和製JBL 4312。 1、Pioneer CS-616は和製JBLと愛称がありJBLの乾いた音に似た特性をもつ。 1、1977年発売。1台49,800円。 1、3ウェイ構成のスピーカーシステム。 1、ウーファーには30cm径のカーボンファイバー混入コーンを採用している。 1、コーン形状は浅型で表面には特殊な音響制動剤を塗布することにより、剛性を高めるとともに共振を抑えている。 1、磁気回路には径156mmのフェライトマグネットを使用。ポールには純銅キャップを装着して電流ひずみを低減している。 1、ボイスコイルにはロングタイプを採用して耐入力特性やリニアリティを確保したために、大入力時のひずみを低減し、また大きなダイナミックレンジを実現している。 1、フレームは頑強なアルミダイキャスト製を用いることで共振とIMひずみを抑えている。 1、ミッドレンジには10cm口径のコーン型ユニットを採用。コーン紙は軽量で高剛性。エッジ周辺に特殊な制動材を塗布することで円滑に動く。磁気回路には径90mmのマグネットとエッジワイズ巻きボイスコイルを用いている。これによって能率を高め、耐入力特性と大きな音圧レベルを実現している。フレームにはアルミダイキャストを採用してIMひずみを低減させている。 1、トゥイーターには4.5cm口径のコーン型を採用。コーン紙はストレート形状としたことで振動板の過渡特性や周波数特性がよい。コーンネック部に特殊接着剤を塗布して高域の伸びを良くしている。エッジにはロールエッジを採用してリニアリティを良くした。エッジの内周部の構造を工夫して高域での音質を高めている。磁気回路は径70mmのマグネットを採用。強力な磁気回路と軽い振動形によって、高能率とすぐれた過渡特性が確保している。フレームはアルミダイキャスト製。 1、エンクロージャーは、バッフル板に24mm厚の合板、その他に20mm厚の高密度パーチクルボードを使用している。内部には吸音材を適宜配して大きな容積と併せて定在波を防止するとともに程よい低域制動を実現している。精密調整したバスレフ構造としたことでウーファーが良く動作する。開口部からの不要な中音の輻射をさけるため、ダクトは内部で折り曲げられている。 1、ネットワークには損失の少ない太い銅線のチョークコイルを用いている。メタライズド・フィルム・コンデンサーの使用と併せてスピーカーユニットの特性を最大限に発揮させている。 Pioneer HPM-100 のスピーカーとしての特性 米国で超人気のPioneer HPM-100。米国で売れた。 1、1977年発売、1台62,000円。 1、JBLのような音がするスピーカーとして米国でよく売れた名品。 1、ハイポリマー素子による振動板を採用した4ウェイスピーカーシステム。 1、ウーファーのコーン紙にはカーボンファイバー混入コーンを使用。表面には特殊な音響ダンプ剤を塗布している。振動板とマグネットを保持するフレームは強固なアルミダイキャスト製。磁気回路にはロングボイスコイルや大型マグネットを採用。センターポールに銅キャップを用いることで高調波歪成分を抑えて良い音質を実現している。 1、スコーカーは、指向性を重視し、大口径とせず10cmのコーン型を使用している。振動板は剛性を高めた軽量コーン紙。これは本器に対応して新開発された。大型マグネットとエッジワイズ巻きボイスコイルによる磁気回路によって能率が大幅に向上。センターポールには銅キャップを使用して歪を低減している。 1、トゥイーターのフレームはアルミダイキャスト製。ボイスコイルアッセンブリーとコーン紙の接着にエポキシ系の接着剤を使用。これらによって良い特性が確保されている。 1、スーパートゥイーターにはハイポリマー素子を振動板に使用したユニークな圧電型スピーカーを採用。ハイポリマーは次のような好適な特性をもつ。振動系が軽量。全面駆動型なので指向性が良い。共振による特性のあばれが少ない。大入力に耐える、など。 1、エンクロージャーはバスレフ型。 1、ネットワークにはロスの少ないMP型コンデンサーを使用している。位相特性を重視したシンプルな回路にしている。 2018-09-04-pioneer-desire-to-exceed-jbl-sx4-cs616-hpm100-tetutaro-kai-essay-measurement-
2018年09月06日
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比叡山延暦寺の石碑「一隅を照らすこれ社会の宝なり」は最澄のことばである一隅を照らすこれ社会の宝なり 最澄と延暦寺のこと 人は社会に割り振られた仕事に就くしか方法がない。自分で仕事をつくったとしてもそれは間違いなく社会に割り振られた仕事の一つなのである。ときには今はまだできていない仕事であるかもしれない。ゆくゆくは社会に割り振られる仕事であるに過ぎない。 比叡山延暦寺にでかけると、どのような仕事でも社会の宝であるという意味のことが大書きしてあるではないか。 一隅を照らすのが仕事であり、その仕事は社会の宝なのである、と述べている。「一隅を照らす これ則ち国宝なり」と最澄は説いた。人の役に立つ働きをすれば住みよい社会になり、自分もまた仕合せである、のだ。文章 文筆家 夏森龍之介(2021年6月18日記)
2021年06月20日
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