★No020025 青き頃の大罪(前篇)

☆☆☆ 白木蓮の如き ひと (始まりは心の弱さから) ☆☆☆

前・後篇に亘る長文の精神的呪縛から解放されたくて綴る「独りごとコラム」です。
自虐的で暗い内容の呟きのため、躊躇される方はこの先には進まずお戻り下さい m(__)m



 (軈て;やがて)
                                  = 高月芙蓉 =




忘れたくても 消したくとも
         切欠なしでは 叶わぬこと
             ひとつ ぐらい 誰しも あるのでは・・・?

身に覚えのない方…
   これまで人生路の歩みは
          とても誠実だったんだと思う。
自分は そうではなかった。




『青き罪 空蝉にさえ 目をそらす』

                               (空蝉;うつせみ)   
                                    = トンボ =


















人生年表 半世紀ほど遡った15の春・・・

 未来に繋がりもしないのに ただ周りに流され、不本意なままで 地元高校に入学して間もない四月半ば、
気まぐれ神の悪戯か…それとも元々、己に科された運命なのか…茶の間で親の話を立ち聞きしたことで、いずれの日にか本家に養子入りを知り、
クラスの誰よりもいち早く、卒業後の進路を憂鬱な気持ちを抱えながら面白くもない授業を受けていた。

北アルプスの山並みに囲まれた生家 家業はご当地では珍しい酪農家の五人兄弟で年の離れた末っ子。
好き勝手ができるのも残り僅か…いずれは独り立ちし己の棲家を持たなければならない。教わらずともこの地で生を受けた次子の未来である。

さして勉強好きでもなく成績は可も不可もなく平凡でもあり、最初から上(大学)を目指す県内進学高校の選択肢はなかった。
志望校は普通科じゃなく 手っ取り早く職に就けそうな隣市県立U工高だったが…中学三年秋の二者面談で担任から地元高、全日制農業科を勧められる。
”今の学力で十分に合格する” の口調に…苛立っとして 馬鹿にしてんの?! それに長子でもないし。  そう思ったが口ごたえはしなかった。
勧められた学科は出ても地場産業に就く気はなく、県外企業に就くつもりでいいた。個性の強い担任が嫌いで憂鬱な面談からも逃げた。
家業の酪農の手伝いすら 満足にしてないのに、農業科には専門科目や農場実習の日々が待ってるとは知る由もなく、まさか大人達の思惑による理不尽な十字架を背負わされていたとも知らず。

 地元氏神様の過去帳によれば…先祖は安永二年に藩主(庄屋)の元に黒部川扇状地に開拓民として入村した中〇家一族六人兄弟。
暴れん坊 黒部川扇状の川砂土壌は稲作に向かない貧地を長年に亘る土壌改良を経て水稲田に変え、米処に成功した御当地開拓民らしい。
総本家から分家した五人兄弟の四男の直系末裔に当たる四代目当主(明治時代)の子供五人(男4、女1)の二男として生まれたのが父親。
高等小学校卒業後、名古屋に就職し本家にこれまでの恩返しとして仕送りしていた。(所帯を持つまで親元に仕送りするのが当然の時代)
そこで母と出会い、当時は稀な恋愛結婚。名古屋で居を構えたかったが…本家に故郷に戻り田畑を手伝えば、家も田畑も分け与えると言われ 従った。
その後、第二次世界大戦に召集され終戦後に抑留先の樺太から戻り、水稲だけでは食べて行けず、酪農家として今に至る。

四男直系末裔の本家を継いだ長男伯父には子は二人(従兄、従姉)。従姉は自分が小学生の頃に隣町に嫁ぎ、伯父亡き後に継承した従兄は四十の若さで急死した。
分家五件中、父親だけが男子五人の子宝に恵まれた。本家有事(継承者なし)の際は末裔血縁者の中から誰かが後を継ぐと言う決まり事があった。
四男直系末裔の分家は皆、それぞれの家長の長子名が付いていたのに、俺だけが分家末っ子の分際で本家長子名の一文字名が付いていた…?
名付け親は本家の大爺だった。そんな大人たちの勝手な決まり事など、15の春まで知らず育った。


 男ばかりのクラスの雰囲気にも馴染めず、ワクワク感もない無意味な学園生活二ヶ月経ったある日…N沢から昼休み時間に屋上まで来る様に言われる。
N沢とは出身中学も異なり、見た目はゴツそうで怖そうな奴で、まだ親しくもなく 俺、なんか気に障ること したかな?  不安げに行ったら… 彼女の紹介!?
思ってもいない展開に ひと安心したが…言われた名に心当たりはなく、少し困惑した。

県立地元高校は農業高校として大正11年に創立。昭和23年 高校再編成で総合制高等学校に変わり、全日制普通科、農業科(男)、生活科(女)と定時制農業科(男女共学)の四学科開設。他では町の地場産業、大手紡績会社工場があり、全国から就いた職工さんが昼間は工場就労、夜間は学業する定時制 夜間 普通科がある。
これとは反対で何か家庭や個人の都合で昼間に週に数回登校し四年間学ぶ定時制 農業科もある。
紹介されたその人は、定時制 昼間農業科に席を置き 俺とは同い歳で、N沢とは隣町中学の同級生だった。

恋患い。記憶にあるのは中学一年に偶々 席を並べた隣りの子に淡い恋心を抱いたぐらいの免疫なし無感染者。
なので興味がないと言えば嘘になる。どんな人なのか気になり、隣町中卒業アルバムを見せてもらう。




『花の色は移りにけり ないたづらに 我が身世に ふるながめせし間に』        
                              小野 小町

 ”色白のうりざね顔、目は切れ長の一重。やや上がり気味の口端は薄っすら微笑んでるよう” 白黒写真は『女能面』にも『モナ・リザ』にも見え 微妙…。
大人しそうで 自ら告白する人には見えず、昔見た親の古いアルバムに貼られていた若い頃の母に似てる…それが第一印象だった。
いち面識もないのにどうして 俺のことを知っているのか不思議だったが、仲立ちしてくれたN沢に聞く勇気などなかった。

男女交際は校則で禁じられてはいないが 何せ小さな町のこと…付き合う者等は放課後、目立たぬ所で会う程度だったのかもしれない。
噂では…定時制夜間普通科の授業は全日制普通科教室を供用使用してて、机の引き出しに手紙とかメモが残されてた等と言うこともあり
昼間~夜間生徒同士の恋話は聞いたこともあるが…俺が席を置く全日制男子農業科は隣の生活科(女子農業科の様なもの)との合同授業はあるものの
その人が席を置く定時制農業科との合同授業もなく、校舎も離れているので知合う切欠はなかった。
もしやと思い、運動部・文化部の所属部員名簿を調べたがその人の名はなかった。
やっぱ何んかの間違いじゃ…? 人違では…? 本当に俺なのか…?

さして気も進まないのに 取り次いだN沢への ”遠慮と照れくささ” と、女生徒の方から声掛けしてくれた ”いらん気使い” で即断せず、
憂鬱な学園生活から逃げ出したくて、これまで生きてきて知る由もなかった ”女友達って…一体どんなもの?”
”最後の学園生活での女友達は…ありや なしや” の身勝手な少し浮ついた気持ちも抑えきれず、何日か考えてからN沢にOK返事をした。
誰でも良かった訳じゃないけど…今の置かれた環境からの逃避には渡りに舟だったのかもしれない。

翌週半ば、下校時にN沢に言われて、その人が待つ生家近くの 下〇新 丘陵に行き、名前・住所・電話番号を書いた紙片を交換した。
その人はあの映画「少年時代」のロケ地でもある「大〇庄小学校」~「〇中学校」を経て俺と同じ地元高校に入ったことを後に知る。

ちらりみた顔は見覚えもなく、見た卒業写真とは違い大柄な体格なのには驚いた。(勝手に色白で小柄な人…って思い込んでた)
当時は学生等の間では交換日記や文通が流行っており、文通ぐらいならと軽い気持ちで始めたのだが・・・

その人が望んていたのは子供染みた文通じゃなく、男女交際であったことを卒業後に知る。如何に俺は精神的に幼かったことか…。
抱えてる本家養子問題の解決が先なのに、器用でもないくせに 後悔先に立たず…最初にハッキリと断るべきだった。
男女交際のもつ意味も解らず、単なる女友達で学園ドラマで見た有りがちな 青春の一頁の様な出来事と軽い気持ちでいた。
まさかこの先、その人の言葉や行動に翻弄され 振り回され、心に罪悪感を抱えたまま長き人生路を辿ろうとは思いもしてなかった。



実は人からの物事を頼まれると、はっきり断れない 外面の良い優柔不断な嫌な性格で、養子縁組の話で悩んでなくとも断らなかったかもしれない。
付き合うと言っても週に一度、手紙のやり取りをするぐらい…、端から校内は勿論のこと校外でも会わないつもりでいた。


友達や悪友等宅で恋話で盛り上がったりしてると話の輪に入り、俺も ”彼女が欲しい~” など話を合わせ誤魔化したり、
部活仲間から女友達を紹介されたり、隣クラスに貸した教科書裏頁に ”付き合って” と冗談まじりの弄られメモ書きされ 返されたりもしたが…
曖昧な返事で誤魔化し、既にその人がいることを口実に断れず、そうしたことにより人から嫌われることを避ける最低な奴だった。
二人の付き合いを知っていたのは四人(当事者二人とその人の幼馴染、取り次いだN沢)ぐらいだったと思う。

在学中の三年間。皆がする「誕生日」や「クリスマス 」等のプレゼントを一度として渡さなかったし、貰うこともしなかった。
(誕生月は確か自分より数ヶ月ほど早かった気がするが思い出せない…そんな程度のものだった)
何かの拍子に噂で親や本家の知る所となり、学校を辞めさせられ大人の監視下に置かれてしまうことを恐れた。
だがもっと嫌だったのは…いづれ来る別れ(卒業)の時に自身が傷つくのが怖くて、はやる気持ちにブレーキを掛けての付き合いを始めた。












= 後方を北アルプスの山並み、正面が日本海に面した故郷全景(黒部扇状台地) =

上部左側;白馬岳  上部右側;立山連峰
中央上部;宇奈月温泉郷と黒部渓谷
中央上部;二人の生家
中央下部;故郷町と学び舎
中央上部~右側;黒部川
下部;日本海 富山湾


 何度か手紙のやり取りして夏休みに入り ダラダラとメリハリもなく過ごしていた七月下旬の頃… ひとりの客人が自転車に乗りやって来た。
最初に応対したのは牛舎作業していた義姉(兄嫁)。慌てた様子で部屋にいる自分を呼びにきた。 何で友達が来たぐらいで慌てるのか?
不思議に思い、外引き戸を開き 顔だけひょいと出し 玄関を見たら… 何と言うこと!? 立ってたのはその人!!

母親も牛舎で作業手を休め、驚いた様子で こっちを見てた。
そりゃそうだよ…臭いのきつい酪農家。女の子には嫌われる家業だし、これまで兄弟等は女友達を誰一人訪ねて来たことなどなかった。
だが、一番驚いたのは俺。付き合うと言っても手紙のやり取りぐらい…、まさか互いの家を行き来するなんて考えてもいなかった。
ましてや初めて会うのが自分ちで、真昼間に何の連絡もなし突然来るなんて…ありえん!
もし、留守してたら ” ◯◯ さんと付き合ってる ◇◇ です” とでも、言ったんだろうか… 危ない 危ない(怖)
そんな大胆な行動する奴、 もしかして危ない女(ヤンキー)か…? と思ったりもした。
とんでもない人と関わった と 後悔したが後の祭り、取り敢えずこの場を何とかしなければとパニック状態。

さて困った…町の連中等とは違い何処に行く? 近所に洒落た喫茶店もなければ、気の利いた静かな公園もない。
田園風景 真っただ中にある家の周りは、牧草牧場と田畑しかない酪農家だ。
これまで女の子と二人っきりで話しとこもなく、どうして良いのか解らず頭の中が真っ白になった。


墓の木公園                             黒部渓谷宇奈月ダム 

自転車で数分行けば人もあまりやって来ない黒部川があり、河川敷内には「墓の木自然公園」もある。
そこから数十分も足を伸ばせば 黒部渓谷があり自然豊かな静かなデートスポットがあるのに行く途中で誰かに見られるのではと考え、
気が動転し とった行動は…玄関からではなく 表引き戸を開け、その人を自分の部屋に入れた。外にはその人の靴が置かれたまんま(呆)。

学習机に簡易ベット、無造作に掛けた学生服。書棚には煩雑に並べた教科書。さっきまで聴いていたビートルズ レコード盤の散らばる男部屋。
兄等が使い総てがおさがりの子供部屋。そんな男臭いの部屋に入るのは、遊び仲間と母親ぐらいなもの。女で入ったのは その人が初めてである。

自己紹介みたいな生い立ちや身の上話をして、幼少~中学までのアルバムを見せその場をどうにか取り繕うとしたのだが…
話など上の空~ ”ここが彼の部屋なんだ” 男部屋を興味深そうに見渡してばかりいる。

人生で初めて単なる女生徒としてではなく、それなりに意識した人と二時間ほど話をした。
見た目は大人しそうだが、喋ってみたら 芯が強くて ぶれない考えを持ってる人…だった。
定時制農業科はひとクラスの生徒数は20人と少なく、普段は4日間登校し、農繁期は全休し、修学期間は四年と俺より一年間 長かった。
凡々と平日全日制課程に通う俺とは違い、何らかの事情で定時制課程に通うその人は大人びいており とても同い歳とは思えなかった。

ガラス箱の中の二人。その人が帰った後、牛舎から様子を見ていた母親からコソコソ会うのはダメと注意される。
彼女の方から訪ねて来たことと、直ぐに母親に紹介しなかったことがその人への心象を悪くしてしまう。
前もって付き合ってる彼女がいることを話しておくべきだった。(総てが俺に落ち度がある)

以降、その人の話題は外では勿論のこと、家でも口にせず、繋がっていた手紙も月に一度か二度しか書かなくなった。

偶にその人と校内の廊下などですれ違がっても、うつむき加減に頭を下げ 挨拶するのが目一杯。
通り過ぎてからも背にその人の視線を感じながらも、振りかえることはしなかった。
放課後の部活中に校舎窓からこちらを見てることもあったが、後ろめたさから気づかぬ振りもした。

今にして思えば…本家や親への遅めの反抗期だったのかもしれない。その人には心も開かず訳も言わず巻き込んでしまった。
何ひとつ落ち度はないのに この先、二年にも亘り辛く寂しい思いをさせることになる。



そしてあっと言う間の二年・・・

 味気ない日々が過ぎてあっと言う間に三年生。返事を途絶えさせてしまい、その人との手紙のやり取りはしなくなっていた。
正直言ってそれどころではなかった。タイムリミットはもう一年を切り焦っていた。
梅雨入りした頃だったかな…日々の行動は就職活動に明け暮れしていて、
今日の様なnet情報などなく、まさか学生の身分で職業安定所にも行けない。唯一頼りにしていたのは…、
情報源の進路担当教務室に入りびたりで、県外在籍会社を最優先で正直、職種は何でも良かった。

夏休み前、担任から東京の国営某通信業界から就職募集案内が来てることを知り 飛びついた。
内心、父親には猛反対されるのを覚悟の上で話したら…自分で決めたお堅い公務員なら と同意してくれたことに驚いた。
後に母親から聞いた話…『兄が分家で弟が本家じゃ 後々の付き合いも苦労する』と本家養子話に乗り気じゃなかった父親。
本家・分家の古いしきたりよりも子等のこの先の絆を大切にし、俺の我儘を黙認してくれた。
そんな無表情で寡黙な父の愛情に、今も感謝の気持ちは忘れてはいない。

今夏休み中に普通課程の同学年生と共に上京し採用試験を受け、一次合格後に関連出先の金沢で身体検査を受け運良く内定を貰った。
残り学園生活の七ヶ月間は息を潜め 目立たず、賞罰なく 無事卒業することだけを考え過ごした。

そして迎えた三月上旬。卒業式の数日後、まだ学友等は名残り惜しむ日々を過ごす中、俺は一人 故郷の駅ホームにいた。
前の日、その人に連絡して駅で待ち合わせ、せめて学ラン第二ボタンだけでも渡そうかとも考えたが、
この二年間、無礼でいて終いだけ格好つけることなど許されず、ポケットに忍ばせただけ。
その人への想いと共に駅舎待合所のごみ箱に捨てて ホームに入って来た上野行き列車に飛び乗った。
”この学園生活三年間の闇歴史は忘れたい。振り返ることはない。もう消す。この町には戻らない”






遠距離恋愛…始めの年(十九歳)

 本家の快諾なく上京したことで本家の水稲仕事まで請け負うことになり、酪農と農業の兼業農家を強いられ、父親と兄には苦労をかけてしまう。

数年後、どうにか本家に立寄ることを許される様になり・・・
帰省する際は上野駅で手土産(雷おこし)を買い、生家より先に本家屋敷に立寄るのが当たり前になっていた。
「親の意に反して故郷を離れてしまって…」 と、俺が勝手に決めたことで父・兄に責任はないといつも大婆に言い訳をする。
その度に大婆は『街の暮らし楽しんどいでぇ~ 気が済んだら戻っておいでぇ~ うちに入いるのはそれからでもいいんだよぉ~』と言うが…
俺は笑って誤魔化し、出してもらったお茶、茶菓子にも触れず 仏壇のご先祖様に挨拶だけして屋敷から逃げた。


 話を少し戻して・・・
物事を冷静に考えられる様になったのは、上京して二ヶ月も過ぎたGW明けの六月。
振りかえれば本家との養子縁組話さえなければ、こうも面倒くさい性格にならなかった。
その人とも学友等との学園生活も楽しめたはず。思い出のある故郷が懐かしく、恋しくて忘れることなどできない。
”二度と故郷には戻らない”  例え一時でもそう思った自分が情けなく 親への恩もその人への想いも忘れるところだった。
やはりこのままではいけない。男として心も傷みその人に手紙を書いた。

何故に心も開かず、俺から進んで会うこともせず、別れも言わずに故郷を離れたのか…
具体的なこと( 母親が二人の付き合いに猛反対。俺も女友達ぐらいにしか思ってなかった )は正直に書けなかったが、
二年余りにも亘る自分の所業 素行の悪さを唯々 心から詫び綴った。そして故郷を離れ素直な今の気持ちも追伸に残した。

あれだけつれなくしたのだから 返事どころか、手紙は読み捨てられてるかもしれない。たとえ返事を貰えたとしても
”二年も放っておき今更 謝られても無理!”  ”もうあなたのことなど何とも思ってない!”  ぐらいは覚悟していた。
半月が過ぎ、やはり返事は貰えないか…と 諦めかけた頃に届いた手紙・・・

『どこの誰とも知れない私から恥ずかしくもなく、あなたに告白してしまった』 こと
『会えない日々に自分を抑えきれず、衝動的にあなたの家を訪ねてしまった』 こと
『軽率な私の行動により家の方に、あなたにふさわしくない私と思われてしまった』 こと
『そのせいで あなたからの返事も頂けなくなり、後悔の日々を過ごした』 こと
『卒業していくあなたを在校生席で ただ泣いて贈ることしかできなかった』 こと
『同い歳なのに…もう一年、あなたがいない学び舎に通うことが 悲しかった』 こと
『たとえ振り向いていただけなくても、同じ環境の中にいれるだけで幸せだった』 こと…等々

四つ折りの便箋に遠慮がちに数行だけ書かれた見覚えある万年筆文字…
その弱々しい筆圧を指でなぞり 三年余りも悲しい思いをさせてきた己の無責任さを痛感した。

卑屈に心に被せ覆っていた殻が、その一言一句に”パキパキ”音をたてて割れて壊れて墜ちた。
何も話さず心を閉じてきた俺に総ての原因があるのに、付き合いよりも本家から離れることばかりを考えてた三年間の学園生活。

普通に付き合ってる間柄なら、相手の家族構成とか趣味や好みぐらいは共有してるものだが・・・
俺は何ひとつとして知らない(覚えていない)。その人も相談したり、話したいことも沢山あっただろうに。
ただただ 自分本位に無駄に歳月を費やしてしまったことは、彼として最低だった。

折り返し手紙に 『これから遠距離になるけど 真剣に 真面目に付き合いたい』 と一行だけ書いて投函した。




七ヶ月後…

 故郷の 北アルプスの山並みが白銀に衣替えした頃。御用納めもそこそこに帰郷し実家に帰るや否や、初めてその人の家に電話した。
翌日(晦日 正午)、生憎の天候でミゾレ降る中、待ち合わせ時間より早めに行ったつもりだったが…既に町立図書館前にその人は傘を差し立っていた。

始まりはその人から声掛けからの付き合いだが…丸々三年もの歳月を経て初めてのデート。
中抜きの中身のない付き合い。正直、俺から会いたいと誘ったのは初めて…胸の内はハラハラものだった。
互いに顔をまともに見るのは…あの高一の夏休み、家に突然やって来た以来の二度目である。

ぎこちなく挨拶してから小さな町に唯一ある娯楽施設 映画館に入った。館内の観客は疎らで、二階中央 後方席に着いた。
どうしていきなりの映画? 正直、その人の顔を真面に見れず、映画館なら薄暗く席も横だから動揺せずに済むと思った。

 放映していたのは「北国の街」と言う青春もの。
 手織り織物の町として有名な越後十日町を舞台とした男女学生の純愛物語
 春、上京し大学に進む女子学生(白血病)と、
 頭が良いのに進学せず地元に残り織物家業を継ぐ男子学生の悲恋もの。

 何 話すこともなくストーリーに引き込まれ、時だけが流れ…
 終焉近く 何ともなしに隣りをチラリ!
 その人はスクリーンを見ず、俯いて涙してる風に見えた。

「大丈夫?」 って声かけたら
 突然、左肩にもたれ 嗚咽をあげ 泣きだした!
映画に感動して?  と思ったが…
 そうではないことに この時は気づけなかった。

少し落ち着くまで館内に留まり、次に向かったのは街で唯一、挽きたてコーヒーが飲める「喫茶店 ブルーマウンテン」。在学中に出入りした懐かしの店。
生徒はこうした場所への出入りは校則違反だが、俺等は悪友等と時間潰しに時々 使ってた たまり場。
その人は喫茶店に入るのは初めてだったらしく、戸惑いながら後に付いて促される様に隅っこの薄暗いボックスシートに座った。
マスターに注文したのは、ここで少しだけ味を知った店の名と同じブルーマウンテン コーヒー。

高い香りと仄かな甘みが特徴のブルーマウンテンコーヒーをひとくち 口に含み 初めて~こんなに深くて美味しいの って呟いたその人。
俺と言えば、これまでの空白歳月を埋め戻そうと、東京暮らし(昼 仕事、夜 夜学)の話をするが その人は頷き相槌をうつだけ、話題が広がらない…。
訳は解っている。 ”付き合う” と言っておきながら、どうして三年間余りも放っておかれてたか知りたいのだろう。
今更、二人には関係のない 封建的な十字架話(本家養子縁組み) を口にしたところで、言い訳にしかならないが、もう隠し事はしない。腹を括った。

言葉を選びながら しどろもどろで話す。そんな俺の口元をじっと見つめてたその人。


入学直後の環境変化と、大人の身勝手な養子話で心が一番揺れてた時期に代志に声掛けられ・・・
「気持ちにゆとりはなかったのに、唯々 現状から逃げたくて付き合いをOKしてしまったこと」
更に輪をかけてやらかしてしまった あの出来事・・・
「家に訪ねて来たことで 二人が付き合ってることが母親に知られ、代志のことを根掘り葉掘り聞かれてしまい…」
何よりもショックだったのは・・・
「どうして定時制の子なの?」 差別的な母親の言葉に心を失くした。 「普通って何に!? 全日制の子なら誰でもいいの! 初めての口喧嘩。
当時、昼間定時制は高校受験で第一志望の滑り止め(第二志望)として受ける人が多かったが、その人が定時制に通う訳は俺は知らなかった。
手紙だけのやり取りだけじゃ、そんな私的な事まで聞けるほどの仲までなってなかった。
なので…どの様な思いで家を訪ねて来たのか、どんな事情で定時制に通うのかも知りもしないのに、頭ごなしに否定されたことに腹が立った。

それなら…と、人間性を疑う有り得ない行動をワザとした・・・
「もっと反対され様と 普通課程の足の悪い女生徒と付き合おうとして、中学時代の女友達が仲立ちしてくれるも…当然、断られて恥を掻いただけだった」
「誰でも良いから付き合って、本家ともども愛想をつかれよう考えたが…」「そんなことしても心のわだかまりは消えず、前より増して後ろめたさが残った」
そんな無茶苦茶な素行に普段は何も言わない兄にまで・・・
「本家の手前、軽率な行動は慎むように」 注意されてしまう。
だが一番 堕ち込んでしまう事件が翌、二年生の夏休みも終わりの頃に起きた・・・
「弟の様に可愛がってくれ、唯一の相談相手でもあった身重の義姉が、兄と共に出掛けた先の用水に転落して逝ったことだ。以降、家でも独りぽっち…本心で話せる人が居なくて 心を閉ざす様になる」

で、出した答えは・・・
「本家への養子入りは勿論、古い封建風習の残るこの町が嫌になり、県外就職先を見つけ ここを離れる」 と決めた
「本家に知られず、波風立てず、賞罰もなく卒業するため、代志のことを後回しにしてしまった」 こと等々を話した。


これまで知り得ることも叶わなかった様々な出来事を聞き、絡んでいた心の中の糸が解きほぐされたが…
未だにこの一部地区に残る封建的で時代遅れな風調と世間体ばかり気にする部分を知り、瞳を伏せて身体を揺らし動揺しだしたその人。

あの三年間、悩み続けてた養子話とか、既に悟ってるであろう二人の付き合いを母親が反対してたことは口にしても良いのだろうが…
定時制がどうとか、学歴がどうとか、古い年寄りのしきたり等は口にすべきじゃなかった!! そんな差別的なことを言って何になる!!
馬鹿正直に言えば良いってもんじゃない。まるで上手く行かなかった原因が大人のせいみたいな言い訳染みた事ばかりしてしまった。

うつむいていた瞳から溢れた涙が頬を伝い、膝に落ちて薄藍色スカートに濃く滲み広がっていくのに
それでも涙を拭おうともせず、ハンカチを握りしめ肩を小刻みに震わせていた その人。
彼の家の人にそんな風に見られていたのが、悔しかったのか…それとも心を開かず 何も話してくれなかったことが悲しかったのかもしれない。

自分で口火を切ったくせに…心が締め付けられ、可哀想で、愛おしくやるせなく辛かった。慌てて・・・
「決して代志のせいじゃなくて、これまで心を開かず、何も打明けてなかった俺が悪いんだ」
「本家には入らないしこの町にも住まない。もう誰の気兼ねもせず ひとりで生きていく。心を入れ返えて代志と東京でやり直したい」
”あの出会った頃の二人に戻って、やり直したい” ”初めに戻って、やり直したい”
 パニクリってしまい、繰り返し言う場違いなピエロ。
先んじて自らの考えを言わなず逃げてばかりの男だが、初めて俺からこの先どうしたいと口にした。

重苦しい時が流れ やがて すくっつと顔を上げ、瞳を真っ赤にさせながら
「私はもうあなたと出会ってます。四年も前に戻らないで これからも あなたと一緒に歩きたい」

その時はその人の言った意味も深読みもせず、ただただその場を早く収めたくて 気だけが急ぎ ”わかった! わかった!” と手を広げてた気がする。

店内の客が二人だけだったこともあり、角に座る意味深な二人が気になるのか店マスターがチラチラ見てる。
神妙な会話を続ける二人には知る由もなく、これまで三年間の空白を補うかの様に二時間あまり過ごし、
ミゾレが雪に変わり街角には誰も居なくなった終バス時刻。来春、東京での再会を誓い駅前ロータリーで別れた。
この時、心の中のその人の存在は 恋人未満、好きな女友達ぐらいに思っていた。






遠距離恋愛…二年目(二十歳)

 1968年 春、桜の蕾が膨らみ始めた頃。定時制課程に四年間通ったその人は、俺より一年後に卒業した。内定していたのは在京の繊維業界関連会社。
再会する日を心待ちにしていると…名古屋営業所に配属変えを知る。運命の悪戯か・・・。

よこした手紙に… 『あの子 あんたのことを待ってるのやろ』『かわいそうに…』 ”あの子?” 『ごめんね、母が言ってたの。あの子って あなたのことなの』
先に上京してた俺の事を気遣って、茶化した母娘の会話に見えるが、本当は行く末の娘のことを気遣っていたのだろう。
もしかしたら娘の恋(遠距離恋愛)は成就しないのでは?と母親は感じていたのかもしれない。
どうしてだか解らないが…何でもない会話文に思えるが、俺はそんな気がしたのを今も覚えている。


そして翌四月。19年間住み慣れた故郷を離れて名古屋で初めての一人生活を始めた。
もし、配属が当初のままならその人も自分も、人生の荒波に遭遇しても乗り越えて 互いに人生年表航路を漕ぎ進めていたと思う。
そして、この陰気臭い「独り言コラム」など書くこともなかったろう。


一足先に社会人になった俺の落ち着き先は、二番目の兄が用意してくれた勤め先まで30分の都心近郊の海浜地区の民間アパート。
四畳半ひと間の極狭部屋には風呂どころかトイレもない。家電もまだ付けておらず掛けるのは公衆電話、掛かるのは大家さん宅の呼び出し。

入社教育期間を終え、墨田地区統括に育成配属勤務となる。終業後、時間を持て余してると先輩等から遊び(酒、麻雀)に誘われる様になり、
断りの口実に某大学二部(九月入学、会社には届けを出し特待扱い)に通い始める。帰宅が22時半…ほぼ付き合いはしなかった。
その後、育成現場実習も修了して江戸川・小岩管内に転勤辞令が出て、スタッフ、上司にも恵まれて自分時間も空けられる様になる。

週末(土・日曜日)ともなれば近所の公衆電話BOXから、その人(会社女子寮のピンク電話)に掛けるのが習慣に…。
しかし、その人からは会社にも、アパートにも電話は掛かって来ることはなかった。
これまであれほど積極的だったのに…。もしかしたら俺の方から付き合いを申し込んだことで 安堵したのか…一度としてなかった。







勤めて二ケ月経った六月…

 その人は突然! 二度目のデートのために遥々、名古屋から上京してきた。
電話で話すたびに ”会いたい、会いたい” と口癖の様に言ってたが…まさか本当にやって来るとは…その行動力には驚かされる。
頂いた給料二ケ月分を節約し電車賃に当てて 会いに来てくれ、嬉しかった。(この時、まさかホテル代まで節約してたとは…知らなかった)

知らされていた東京駅新幹線到着ホーム停車位置で待ってると、ドアが開き明るいブルーのワンピースを纏う女性が降り、近づく…!?  えっつ!!
校服や大人しい色合いの洋服を身に付けてた印象しかなかったが…初めて 動揺し心が震える 自分に気づいた。
これまで何処を見てきた? いや…何も見やしなかった。見かけても視線を反らし気づかないふりした。自分のことしか考えてこなかった。
それが…今更ながらに笑顔が素敵な可愛い女性であることに気づき、恥ずかしくて耳椨が赤くなる。

振りかえり見れば…突然、家に訪ねて来た時を除けば…思いやりのなさで泣かせてばかりきた。言葉足りずの心の冷たいダメな奴だ。

半年振りに会うその人は、前よりも増して ハクモクレン の様に 色白 に思えた。
俺も雪国育ちのせいか色白の方だが その人の隣に並ぶと…色黒に見えるほど、その白さは きわだっていた。
”もしかして、何か病気に掛かってるのでは…?” (当時、雪国出身者に白血病発症確率が高いと言われてた)
この直感をもう少し重要視してたなら、後の己に跳ね返る虚空な悲しみを引きずることもないのだが…この時は考えてもなかった。

 東京が初めてと言うので、丸の内出口のはとバス案内所で
都内観光地巡り 半日コースチケット二枚買い
 浅草浅草寺~銀座~皇居~東京タワー・・・
 見知らぬツアー客と共に都内の名所を巡る。
 皇居二重橋前で撮った 『バスツアー記念写真』
 整理したはずの古いアルバムに一枚だけ残っていた。

 嬉しそうに微笑むその人とは対照的に
 尖って小生意気そうに口を真一文字の青い頃の自分。
 初めて撮ったこの一枚の写真が唯一 二人が写ったもの。
 (本来ならモザイク処理するが せめてもの詫び…生写真)



楽しかった はとバスツアー も終え、東京駅に戻り 「何時の新幹線で帰る?」 って聞いたら 「今日は泊まる」 って言うから 「宿どこ? そこまで送るから」
「とってない」 の返事。まさか…と躊躇しながら少し間をおいて 「狭いけど俺のアパートに泊まる?」 って聞いたら、”コックリ” 首を縦に振った。
なんで~? 俺と会うのはまだ三度目だよ。 俺の一体、何を知ってる? 最初からそのつもり? どこまで無茶苦茶な人なんだ・・・ 

まさかの展開に頭の中はパニック~!! 今からアパートに帰っても、どう時間を過ごせばいいのか解らず、急に落ち着かなくなる。
そして咄嗟に思いついたのが…当時、結婚したばかりの二番目の兄も同じ町内にいたので、その人を紹介がてら訪ねること提案した。
初対面の身内にいきなり会わせるのはどんなもんか…嫌がるかなと思ったが、嬉しそうについて来てくれたのを見て 妙な緊張も薄まった。
この二番目の兄とは九つも歳が離れており、一つ屋根の下で暮らしたのは小学生の時まで。俺がどんな青春時代を過ごした知らない。(本家養子話も…)
学生時代の友達が東京観光に来たので… と言ったら、何も詮索せず歓迎してくれた。ところが帰り際、義姉に ”あの子、彼女でしょ” と 嘘はバレていた。

夕ご飯を御よばれした後にアパートに戻り、少し照れながら近くの銭湯へ出掛けた。「神田川」の唄みたいに手拭いぶら下げて…。
宵闇に紛れて 初めて腕組みして歩く帰り道。すれ違う人等には二人はどう見えたろう?
その際、背中まで伸びた艶黒髪が風に揺れて俺の頬に触れ、仄かに香るシャンプーの匂いに理性がぶっ飛びそうになる。

ひと組しかない布団の中で二人の将来とか夢とか、夜遅くまで語り合った。
そして、 ”ある告白” (詳しくは 後編で…) をされて固まり凍りついた 青い自分・・・

四年間にも亘りこんな自分を慕ってくれる人柄と気持ちに堪えたくて、ほかの誰よりも大切にしたい、
これまでの行動を見てきて解ったこと…心のままに一途に走りがちな性格なその人。このままでは情に流されそうだ。
それを抑えるために いずれ二人が添い遂げる日まで出会いの頃の純な仲でいたい と話した。正直、猪突猛進する女心が怖かった。
もし、一線を越えたりでもしたら親御さんに顔向けできない。青い俺は弱気でヘタレな人間だった。

 俺から切り出した手前、男の意地~背を向けて寝たのだが…
 そんな思いなど知ってか 知らずか、旅の疲れも出て
 その人と言ったら、俺の背中に抱きつく様に腰に両手を回し、
 指を絡めて離れない様にしっかり組み、
 オデコをつけ安堵の表情で眠りに落ちていた。

 心臓バクバクもの~背に胸のふくらみと
 自分とは異なる体温、首筋に寝息を感じながら
 柔らかな白い手を上から握りしめ、
 悶々と眠れずに朝を迎えた。

翌日、その人の幼馴染が勤めてると言う都内軽食「銀座◯スター」に寄り、暫し談話した後に東京駅新幹線ホームまで行き見送った。
閉まるドア越しに身振り手振りで ”また来て いい?” に答えるかの様に首と手を振った自分。

この先は 東京~名古屋と遠距離恋愛が続くのだが・・・まだその頃は耳にした言葉の裏側にある真実の愛に気づけないバカな男であった。
今の自分なら即断で大意のないW生活(夜学)等やめ、周りの目も気にせず、その人の望みを叶えていたろう。




会えない日が続き秋が過ぎ・・・

その年の暮れ クリスマスツリー に明かりが灯る頃、数ヶ月ぶりに故郷で会う約束をした。
ところがその人は輪番変更で帰れなくなり、それを知った俺は我儘を言い 困らせた。
三年も待ち続けたその人に比べ、たった一度だけのすれ違いを愚痴った自分は子供である。







遠距離恋愛…三年目(二十一歳)

 その人が勤めて丸一年過ぎ、長い地下生活を過ごした蝉が地表に出て再び鳴き始めた夏・・・
「あなたの同級生N島さんと名古屋で偶然に会って、お茶を飲みしました」
いつもの週末電話でその週にあった事を互いに話す中で言われた。
N島は高校クラスメート。時々、放課後につるみ遊んだ数少ない友達のひとり。確か就職先は名古屋だった。
これまでの自分なら ”あいつも代志と同じだったな、元気そうだった?” で済むのに・・・

「どんな切欠で…?」  って聞いたら… 「県内在住富山県人会に出席して、新規会員紹介の席で知り合って…」
そんな所に出かけた…予期もしてない返答にこの時、頭の思考回路が乱れた俺。
冷静さを失い取り乱し、様々な事を勝手に想像し どんな事を言ってしまったのかさえ覚えてない。
”どうして会が終わってまで 誘われてお茶まで付き合ったのか”
”何でも素直に話せば良いってもんでもない” ”言わない優しさだってある”
”もし立場が逆だったらどんな気分になるか” ”大事にしてる週いち電話でそんなこと聞きたくない”
とか…
苛立った口調で矢継ぎ早に言ってしまった気がする。

初めての喧嘩…。その人は黙ってしまい、受話器から伝わる息づかいで泣いてることに気づき ”はっと我に返った”
虚空な時間が続き…いつもなら ”じゃまたね~” で終わる電話も、黙って切ってしまった。

その人の真意も解らず、信じられなくなり 身勝手な妄想とジェラシーだけが残った。
言葉で人の気持ちを試したり、傷つけたりが大の苦手…言い換えれば自分はそうなりたくない。人には見せない弱み。

約束した歳より早く迎えに来て欲しくて、慌てさせたかったのか…
それとも口下手な恋人の気持ちを確かめたくて、鎌をかけたのか…
偶然に知り合ったN島が恋人とは高校の同級生。それも仲の良い友達と知り…
一方的な疎遠により知ることの出来なかった恋人の学生談義を聞きたかっただけかもしれない。

しかし、心の狭い当時の俺には浮ついた行動としかとれず、何でもないお茶だったのかも知れないのに、穿った風にしかとれなかった。

その人から声かけされて五年目。
これまで気にもとめもしなかった些細な事が気になる。気づいたら心の中にその人がいつもいた。







遠距離恋愛…四年目(二十二歳)

 夜学も多忙を極めたことも重なり、身も心も日増しに優れず、気だるく憂鬱に過ごしていた。
それでも週末になると自然に公衆電話BOXへと足が向く。ただ これまでと少し違い その人を代志(愛称)呼びはやめ、つまらない冗談も口にしなくなる。
気丈に平然と冷静さ装い、如何にも動揺してない振りする自分がいた。

その週にあった事を話すのは俺。しかし、その人はこれまでの様な出来事や感じた事を何も話さなくなり気づくと聞き役になっていた。
毎週この様な一方通行の会話ばかりに これまでの様な心の温かみは感じられず、俺が電話を掛けるから電話口に出てる…と思い始めた。
これがそもそも間違い 勘違いの始まり。。。

これが遠距離恋愛のデメリット、意思疎通が上手くいかないと言うことなのか?
やっぱ傍に居てやれず 近くに居るN島に心変わり?
それとも… 二股? 無理だ! 冷静になれない。


身勝手な思い込みにより自分自身を傷つけ、負の連鎖エンドレスの堂々巡りに嵌り込み、GW過ぎた頃から公衆電話には近づかなくなった。



故郷じゃお盆過ぎには涼しい北アルプス下ろし風が吹くが、東京は残暑もまだまだ厳しい頃…。
『”ごめんなさい” ”あなたをそれほどまでに苦しめるとは思わなくて軽はずみなことをしてしまい 本当にごめんなさい”』
届いた詫び手紙。馬鹿な俺はそれでも意地を張り、返事も出さず 電話も掛けず何告げるでもなく距離をおき続けた。

だが心では、その人のことは全然 責めてなどいなくて、ただ強がってばかりで素直になれなかった。
悟られず、知られずに もう少し頼られる男になって迎えに行きたい。そのためには少し冷静で己を厳しく見れる時間が欲しかった。

丁度その頃、借りてたアパートが大家の都合(アパート老朽建替え)により、勤め先に近い都内葛飾(高砂)に引っ越しすることに。
転居した部屋はトイレ・風呂付・1LKの間取りは独り身には贅沢だったが…それは後のその人との生活とも考えてのこと。
前の住所には郵便転送手続きだけして、越したことは知らせなかった。来秋に名古屋から越してた時のサプライズのつもりでいた。
気分一新! 環境も変わり 兎に角、雑念を捨て生活基盤を安定させようと仕事だけに打ち込んだ。

そんなことで この年の後半六ケ月はあっと言う間に過ぎていった・・・。







遠距離恋愛…五年目(二十三歳)

 いよいよ節目の二十三歳。
その人に連絡を閉ざし季節は廻り、再び日暮蝉が鳴き出した夏の終わりの頃…
後輩も何人か下にいて それなりの責任が持たされる業務に就いた八月半ば。人生初の長期出張の命を受け青森に発った。

その出張不在中にその人から勤め先に初めて俺宛てに電話がかかってきた。
「名古屋の〇〇さんから電話あり」のメモがデスクに貼られていた。
要件も言わず、掛け直し依頼もなかったが、何か報告したかったみたいだった…と電話を受けた上司の話。
急用? それとも長く連絡して来ないので心配になり掛けてきた?

一ケ月半後。青森から戻り、電話があったことを知ったが 直ぐには電話を掛け返さなかった。
偶々、九月末に大意のない夜学修業になるため、終わったら直ぐに連絡するつもりでいた。

そして翌日(十月に入り)直ぐに名古屋に電話をかけた。
平日昼間の休憩時間だったせいか、寮の電話に出た人は ”その人は今は居ない” の一点張りで取り次いではもらえなかった。
東京から電話があったことを伝えて欲しい と伝言を頼んだが、掛かって来ることはなかった。

運が悪い時は重なるもので、ほどなくして二度目の長期出張命を受け、九州長崎の離島対馬に派遣されることになった。
主業務は委託郵便局の電話交換機メンテナンスと技術支援で、平日は多忙、休日は地元局員から教わった磯釣りの面白さでその人への連絡をしなかった。

年の瀬12月。御用納め前日に漸く東京に戻ると郵便受けに不在通知入っていた。   何だろう?
年が明けて仕事始めも終わり、正月ボケ、出張ボケもどうにか冷めつつある一月半ば・・・
再配達されたものは定形外郵便物  「創立記念発行の同窓会名簿」 だった。 何か胸騒ぎを感じた。
咄嗟に捲った頁はその人の卒業年度で、もどかしくなぞる人差し指がその人が載ってる行で止まった。

”えっつ! 現住所が新潟の糸魚川?” ”苗字にカッコ書き付き?”
”結婚したのか?!”  ”どうして~~いったい何があったんだ!!”
”それも相手は あのN島じゃなく、全く知らない苗字じゃないか・・・”


W生活が終わったら今度は俺が名古屋に出向き約束(一緒に住もう)は守る。だがもう胸の中で飛ばし続けていた恋玉は音をたてて割れ消えた。
うやむやに距離をおいておきながら身勝手な話だが ”夜学終えるまで待つ” って誓ったはず。
その時は必ず連絡して迎えに行くと言ったのに… ”どうして信じ待てなかった? 何故にそうも結婚を急ぐ?”
俺の心を試したあの電話の件は女心の可愛さで許せるが ”これは駄目、許せない! 許さない!”

所詮、遠距離恋愛など長続きも成就もしない! いずれどちらかが身近にある偽りの幸せにすがり 裏切る!
”心変わり者! 裏切り者!” と狂った様に部屋で叫び続け、初めてその人を 羨み、憎み、もう純愛など信じないと心に刻んだ。
『一番好きな人とは添い遂げられない』と言う俗説が現実となり、本来の持つその隠れた真意を間違って記憶した。
まさか、人生で巡り会える唯一無二の人 だったのかも知れないのに、自ら手放したことすらあの頃は気づけなかった。




心閉ざし荒んだ暮らし…六年目(二十四歳)

 後の暮らしはこれまでとは別人になり 私生活は乱れ、飲めない酒にも手を出し、仕事にまで支障がでて、荒んだ心は立ち直る切欠さえ失っていた。
それが災いしたのか…翌春 人事移動で慣例より短期在職年数での発令を受け、隣区拠点事務所への転勤を命じられる。(多分、ペナルティ人事)
前管轄エリアと違いユーザ数も多く、季節によっては土・日・休日返上の上司命令もあり、夜学を終えた自分は断る理由もなく、それに従うことも度々あった。
返って多忙環境のお陰で悶々としていた しだらくな生活もは減り、覇気のない与えられた業務だけは消化する日々が続いた。

着任して半年過ぎた秋口の頃…大手ユーザーにやや派手気味で明るい性格のオペレーターがいた。
これまで俺が出会ったこともない垢抜けした都会人の苦手なタイプだったが…定期巡回業務では仕事の一環と割り切って就いていた。
既婚者のオペレーターは職業柄か とても話し上手で面白 可笑しく、歳も俺に近いせいか 世間話ぐらいする様にになったある日、
業務に関係ないプライベートな相談事(離婚話)をされ、俺分は別次元の痴話に巻き込まれたくなくて、話をはぐらかし逃げていた…が
身内もいなくて相談する人もいなくて困ってる姿に…ついその事情とやらを聞いてしまい、後悔することになる。
結婚生活が破綻していて離婚したいが妊娠中で ”迷惑はかけないから堕胎手術の同意書承認者になって欲しい” と 懇願される。
”当該者でもないのにそんな同意書にハンコをつく馬鹿者はいない!”  相談した田舎兄には散々ののしられたが…気の毒に思いハンコをついてしまう。
困ってるのを見ると放っておけない優柔不断でお人好しな世間知らず…当たり前な常識・非常識も判断できない大馬鹿な男であった。

それが切欠でプライベートでも話しする様になり、新年を迎えて間もない頃、付き合って欲しい と告白されてしまう。
他にもDV経歴があり、謎めいた過去もありそうで、考え方も相性も合わなさそうで断りたかったが…
明日への希望もなく やけを起こしていたこともあり、親や兄の反対を押し切って また同じ過ち(優柔不断な気持ち)で付き合ってしまう。
これで良いんだ、これで良いんだ と自分を誤魔化し、ボタンの掛け違いにも気付きもしないで、
違うパートナーとそれぞれの人生路を歩き出し、もう振り回される恋人ごっこは懲りごりと自身に呪文をかけた。



何の前ぶれなしに 目の前に現れ、人の心を掻き乱し、振り向かせ 心根まで覗いておきながら 突然姿を消した悪い奴!

元々、最初からその人の歩く本当の未来路に俺など影も形もなかったのだろう。
居たのは陽炎の俺。総ては俺に落ち度があり、優柔不断な心がその人の人生を迷わせ歩かせ遠回りさせただけ。
持って生まれた運の悪さ、背負わされた十字架のせいにして、素直な自分の心を封印し 誤魔化した。
裏切られた悔しさから 手元に残る手紙と数枚の写真を燃やし、六年間の人生年表を空白にした。その人の存在すら 記憶から消した。


今の自分が前に一歩 踏み出す切欠は、それが最善策と信じて・・・。







そして・・・数え切れぬほどの歳月が流れた2017年

 既に本家は長子相続はなく、婿養子もしなくて 代は絶えていた。責任の一端、自分にもあるのか…。
血縁外の養子縁組でも良かったんじゃない? 代が絶えてしまうよりは… と帰省の度に参る本家 墓石前で大婆に呟く…。

二十歳後半。四年毎に催される小・中学同級会は出席できても、高校同級会への出席はためらった。仲間等に何も告げず故郷を離れた後ろめたさもあったが、それ以上に拘りは同学年にその人が存在していたことと、嫁ぎ先 新潟 糸魚川の風景を脳裏に浮かび思い出されてしまい仲間等と楽しめないからだ。

だが…時が解決。30年も経てば「苛まれた過去の負い目や重荷」も忘れ、平然を装い高校同級会返信用葉書きに「出席◯」を付けていた。
”あいつは県外組なのにいつも顔をだす皆勤賞もの” 皆が口を揃えて言う…。だが自分が隠してる闇過去など誰も知らない。
以降…車で長野~白馬~大町…塩の道を通り日本海に出るか、電車で帰省しても視界に入る糸魚川の街や山々に愚かな心は揺れもしなくなる。
歳月が「青き頃の罪」を忘れさせてくれ、もう何があってもトラウマにならない。
以降、幾度となく帰省の際に糸魚川を通っても何の感情も湧くこともなく、自分の意識から過去のこと等 総て忘れ消えていた。


そんなフラットな気持ちでの今初夏。
「高校卒業五十年、節目の同級会」に出席するために帰省。会場は同級生が支配人役を務める定宿「バー〇ン明日温泉ホテル」。
一次会は大宴会場、二次会は館内のカラオケ喫茶。三次会は気の合う男等で幹事部屋に集まり飲み会。
中学校同級会の話が出た際、ひょんなことでその人が既に亡くなっていたことを知る。
病気(癌… 白血病?) らしい。愕然とし頭の中が真っ白になった。
酔いを醒ます振りして座をはずし、テラスに出て頭上に光る月を呆然と眺め・・・

”もしかしたら とんでもない勘違いしたまま 今日まで生きてきたのではなかろうか” そう自問自答した。

これまで同級会に顔を出す様になり、N島の姿を幾度か見かけ、名古屋にいた頃にその人と会った経緯を問いたかったが…そんな勇気などなかった。
意を決して 参加したある年の同級会…幹事から彼が病いで逝ったことを知り、やはりこの件には触れてはいけないことだと悟り…心の奥に封印した。

冷静に考えてみれば… ”やはりあの電話は…自分の行動と心を試したんだろうな”
そんな女心も解らずに、青く穿った気持ちで素直になれず、最悪な判断をしてしまい、長き歳月を空けてしまった責任は己にある。





胸の奥深いどこかで 何かが音をたてて 壊れて 崩れた。
罰! 消し去ったはずのあの青い頃がフィードバックする。


 思い出されるその人との出会い…節目節目にはいつも蝉が鳴いていた気がした。
人には清涼感のある蝉の鳴き声も、蝉時雨ともなると蝉達が一斉に過去の自分を責めてる気がして
青き頃にフラッシュバックする切欠となる嫌いなものにしか思えなくなってしまった。

「その人の人生」 「蝉の一生」 をダブらせる。

どうしょうもない自分がまだこの世に居て心優しいその人は短命で この世にもう居ない。
弱幸じゃない 例え短くとも多幸な一生を過ごしたことを心から願い、心から祈った。


暦はもう九月。この事を知った日から既に二ヶ月も過ぎた。
夜釣りをしていて東の空から北斗七星が昇り、北西の海側に傾きかけると自然と手を合わせる。
多分、南房磯からその方角はその人が眠る新潟 糸魚川。
所詮、独りよがりな黙祷供養でしかないのに、今はそうすることしかできない自分が居る。






人生に "もしも" と言う三文字はない。ないが…もしも一度だけ戻れるとしたならば、青い歳の頃の何処に戻ろう・・・

初夏、事の始まりである15の自分に言ってやりたい…、
その人に紙片は渡さずに「今は自分の都合(痴話事)でガタガタしており つき合えない」って傷つけない様に断れ と。

それができなかったら三年後の18の春のあの場所かな…、
せめて故郷を離れる日、駅で第二ボタンを渡し、これまでの経緯と自分の気持ちをしっかり伝えろ と。

それとも二十歳の東京での再会した驚きの告白をされた夜かな…、
世間体など気にせず 自分に素直になれ。そして、腹を括り田舎の両親を説得して一緒に棲めよ と。

もしも、それさえもできずに22の初夏まで行ってしまったなら…、
躊躇なく田舎まで出向いて 心から詫びて迎えに行け と。

でも一番の間違いはあの2017年の秋かも知れないな…、
「同級会案内はがき」の返事は、不参加に◯をつけ投函しろ と言いたい。
そうすれば、その人が逝ったことなど友等から聞かずに済んだ。
総てが己の保身的で身勝手な言い訳ばかり、自分で自分が嫌になる・・・。




自分が青春時代を過ごした古里は、良きも悪しきも 思い出の一杯詰まった生まれ故郷。
時は無情にも既に両親・兄達は他界してしまい、年齢を重ねると共に故郷が遠のくこの頃。
次に開かれる高校同級会で帰省する際、その人が眠る新潟 糸魚川(姫川)に立ち寄ろうか 迷っている。


青臭い子供じみた茶番な昔話に年甲斐もなく落ち込み、
この夏、以前にも増して蝉が嫌いになった。

                      = 2017.09.21 up =



そして四ヶ月後・・・









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