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今回は毎日の生活で”ココロを活性化”する為に、栄養補給のお話しを書いてみます。健康 身体的な面での健康よりも”ココロ”の持ち方が大切である。 日々の生活で、必ず”笑顔”を忘れずに過ごすこと。 この心掛けが、健康面に比例して”元気の元”になり、病気を も抑える効果が有ると医学的にも高い評価を得ている。 相撲界でよく耳にする言葉で、”心・技・体”この言葉があります。 これはココロの持ち方が一番大切であり、体で勝負する力士のメンタル 面での重要な位置を占めています。 苦しい時は、明るく物事を考え、意識して”笑顔”を作り出す努力を・。 精神状態が良くなると、体内のアドレナリンが多く放出されて免疫力が 活性化しプラスの気が起こる。物の見方 ”時はいのち・なり”それぞれの人々が、自分の思った通りの人生を イメージして造る事が重要である。 年齢と共に、自分だけが正しいとか、自分を否定的に考える人は発想を 早急に変える必要がある。 全て前向きにプラス思考で考えて、明るく行動を起こす。 それにより大きな幸運が・・運ばれてくる。 子供等の非行や、家庭内でのトラブルは、両親の80%が慣習として、 ”笑いの無い”家庭に多いとデーターに出ている。明るいムードで 家庭内等を作ると・物事がスムーズに進んで平和になる。 人は言葉に対して、早急に反応する。 否定的・ダメ言葉を徹底的に自分の口から追放する。 相手の長所を・利点を・・褒めて・・自分から言葉を 選ぶ・・。相手の立場に立って考える事で・自分の 道が開かれてくる。 即断は絶対下さない。 今の世の中・・オレ・オレ振込み詐欺事件等での犯罪が多発してる。 これらは、相手に考える隙を与えない手段で成功している。 少し時間を・・空間を・・・日数を・・置いて、冷静に全てに 対処する事が今・・一番大切である。 多様化する世の中です・・自分の羅針盤を大切にして、この社会の荒波をお互いに乗り超えて・・楽しい・・日々を送りましょう。
2005年04月12日
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「哲ちゃん」画家岩下哲士さんと知り合い・・もう15年になります。先日お便りが届き”哲ちゃんのお遍路”の案内を見てココロ癒され、素晴らしい、哲ちゃんの事を今回は日記にしてみます。彼は1969年仮死状態で生まれ、8日間酸素を口にあてがわれ集中治療室で治療。1歳3ヶ月で突然の高熱に襲われ、急性小児片マヒと診断される。以後、その後遺症で頭から足まで左半分にマヒが残ることになる。養護学校高等部の時には増田正三郎先生の絵画教室に入門する。増田先生は”哲士君は素朴な心と、感受性をいつまでも失っていません・・”こんな感想を残している。18歳の時には京都嵯峨野・常寂光寺にて第1回の個展を開く。哲ちゃんは仏像が好きで、仏さまの絵をたくさん描いていた。当時進路の問題で、彼は「お寺の仕事をしたい・・」と話していた。そのお寺での個展を陰で支えていた人が、哲ちゃんが幼稚園の時に慢性硬膜下血腫を手術した担当医の前田行雄先生でした。1983年24歳の時にNHKスペシャル人体「脳と心ー脳が世界をつくる~知覚~」に出演。2002年33歳では「山中湖岩下哲士アトリエ館」が開館。同年・・中学校教科書「美術」に作品が採用される。2005年36歳で小学校教科書「図画工作」に作品が採用される。今回のお遍路の旅は2003年早春から描いた作品です。道端にあるお地蔵さま、草花や小さな生き物・・哲ちゃんが感じた・全てを・迷いもなく・力強く一点一点ココロで描き上げた素晴らしい展覧会です。各地の展覧会では、哲ちゃんが描いた作品に感動して手を合わせ・・命のエネルギーを感じる人達の姿がよく見られます。送られたチラシには、”哲ちゃんと行く「いのち」と対話する旅”このようなタイトルが大きく書いてありました。哲ちゃんのご両親と、彼を応援している人達の”ココロ温かい声援”がいつも、小生のココロに響いて来ます。
2005年04月09日
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書家であるAさんと、”人生と書”に関して話してみた。「下手の書こそ、本物であり命が・そこに宿っている・・。例えば書をアート的に考えて・書いてある書を逆さにして、じっと見ていると夢の世界が現れる。字は他人に見せびらかす物であってはならない。」話し合っている中で・お酒のピッチが・・上がり・・同じ目線で話してしまう。書は人・書はココロ・・絵画も同じ共通点が存在すると思う。大きな書の展覧会で入賞をする為に、根回しをして入賞をし、全く無意味で本来の人間の姿でない書家が多々いる。しかし現実的には、名誉とか地位を取得する為に・芸術家でなく・・商売人になっている偽芸術家が非常に多く存在している・。頭だけ大きく・・人間の血が通っていない人間が芸術の世界にも多くいて、素晴らしい”大馬鹿”が少ない・・・。「汗を出し・悩み苦しみ・極限状態を体感しながら、孤独に耐えた作品は真の姿が、作品から滲み出る・。」 これはまさに、人間の裸、自らの命を生き切ってる処から・・出ている書である気がした。小学低学年の子供たちの書は・・子供たちの間で、上手に書こうと思う意識がなく・無意識で書を書く。この子供達は”全て天才的なエネルギー・無心=神の力”こんな言葉を子供達の書を見て・・感じた感想を話していた。人生も書の世界と同じで・上手に・・うまく・・でなくて・命を懸けて一生懸命に人生の”真っ白な空間”に力強く好きな字を書き上げる。時々は・・全てを逆さにして角度を変えて見る・余裕が・・大切である。
2005年04月04日
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東京大学助教授、福島 智 さんのドキュメントがTVで先日放映された。 中途障害で9歳の時に全盲になり、次に18歳で聴覚障害に、音の聞こえない世界から・2重苦に・・。そして”指点字を開発研究”し、都立大学を卒業して現在は東京大学の助教授を勤める。彼が体験した42年間の人生は、極限状態になっても、どんな状況になっても終わりでない・・明るい気持ちを持ち、面白く人生を考えないと生きる意味がない・。この哲学を体得して、現在幅広く積極的に活動をし各方面で国際的に注目されている。生い立ち 62年に3人兄弟の家族で、神戸で生まれ育つ。 9才の時に視力障害となり、全盲の状態になるが、音楽が彼の ココロを慰め助ける。その為ピアノを習ったり・管弦楽を習ったり、 積極的に音楽を一所懸命に勉強をする。その時に彼は、ピアノ は世界を結ぶ言葉・だと確信し・鍵盤をリズム良く指先で弾き、耳 とココロで確かめ演奏して楽しんだ。 ”指点字” 彼が全盲になってから、母親が指で独特の指文字を教える。大人に なってから、子供が自立して生きていけるように・・と必死で独特の 指文字を教えた。この指文字が、将来・大きな指点字開発の原点と なり、彼の世界初になる研究論文を助ける役目を果たす。 18歳の時に聴力障害が起こり、完全に自分の耳から音が消える。 この時点で2重苦になるが、母親が教えたくれた”指文字”が 絶望の闇から・・彼を救う。 ”闇に届く光は無いが・希望はある”・・この時の彼の心境・。 自分の心音の音さえ聞こえない状態で、母親の愛が注ぎ込んだ 情熱は言葉を超えていた。 世の中はいろいろな人間がいる・ 自分の経験とか、自分の体験だけで決め付けるのでなく・・ 机上の勉強でなく、世の中や世界にいろいろな人がいる・・ この事を知って欲しい・・想像して欲しい・・・・・・・こんな言葉を強く残して放映が終了した・・。福島 智 さんに大きな声援と・ご活躍をココロより祈ります。どんな過酷な状況の中でも、夢と希望を持ち続け・・笑顔を忘れずに限られた人生を燃やし尽くしたいですね・・。
2005年03月30日
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画家であるSさんは、小学校3年生の時に変電所で高圧電流に触れ、両腕を失った。彼の生い立ちは、一般の人々と異なり父親が鳶職人で、従業員の殆んどは前科を持った人達であった。特にいろいろな問題を抱えた人達は、生き生きとして助け合って過ごしていた。この助け合わないと、生きてゆけない・・世界が後の彼の人生に役立つのである。画家への道 父親が突然、建前の仕事で家に画家を連れて来た。絵の好きな彼は この時の、画家との出会いで自分が将来絵描きを、職業として 志す気持ちになる。障害を持った事がハンデイでも、いつか 必ず自分に光があたると思い、絵の勉強を必死でする。 特に母親が小学校1年生の時から、描いた絵画を全部残しておいて くれた気持ちが、あとで彼の自信にもつながった。 絵画制作には、鉛筆も画筆も口でしっかりと銜え、絵の具のチューブは 足の指で絞り、絵は口で描く。助け合いに感謝の涙 小さい時に父親に叱られ、家の外に出される度に隣の家の人が 助けに来てくれた。この時に他人の有り難さを身に沁みて感じる。 父親は障害を持ってる自分の子供が、親から自立を早くする為に涙を 堪えて、我が子に厳しく接した。 高校までは友達をたくさん作り友達に、自分の服を着せてもらったり脱がして もらったりし、トイレまでまた全部・男友達にしてもらう。しかし女性を意識し始め てから、自分自身で孤立しようと考える。 好きな女子学生にラブレターを上手に書く為に、真剣に口に鉛筆を銜えて 何度も何度も練習をする。 自立の手段として、一人で知らない街にも旅に出て自信を身につける。 助け合わないと生きてゆけない哲学を、自分自身の頭に刻み込み・・今自分が幸せで・・両腕がなくても画家のプロになれた事の感謝しながら絵画制作を今日も続けている。 彼とお酒を呑んだ時に・・彼が・・盃を・・簡単に唇で結び一気に呑んだ・。 その時に・”美味しいお酒を注いで・もらうばかりで・・ゴメン”・・。 笑いながら話した彼の事を思い出しました。
2005年03月25日
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今週の20日(日)夜FM東京K-MIXにて「あなたの夢叶えます・夢資金100万円プレゼント」に友人のSさんがノミネイト。今回1万人の応募に対してノミネイトされた人が・・何と5名でした。グランプリには成れませんでしたが、見事な副賞をゲットした。友人のSさんは数年前から、仕事をしながらチェロのレッスンを受け弦楽器に魅了した。弦楽器の魅力に惹かれ・・自分で手作りのバイオリン製作にチャレンジを・・と考える。その後自分の空いている時間を、バイオリン製作工房に出向き技術を初歩からマスターして猛勉強を始める。バイオリンの木々の素材から、ニスとかの塗料に関する知識等また、特にイタリーのバイオリン製作技術は世界でもNO1である事も知る。その後バイオリン製作の基本をマスターした彼は、手始めに特製の自分のバイオリンを製作し見事に完成をし手作りの感動を覚える。次にバイオリンの素材である原木をイタリーに直接オーダーして、原木の素材選びを肌で感じ修得する。また弦楽器の音色の勉強も始め、プロの演奏家の弾く弦の音色を体感しながら覚える。今回の応募に関して、自宅工房で児童用のバイオリンを製作している時に、FMからのラジオ番組での応募を耳にして申し込んだ。応募の夢実現のグランプリは逃したが、仕事をしながら、バイオリン製作に励んでいる彼に大きな拍手を送りたい。Sさんの自宅は時々、プライベイト・コンサートを行います。子供たちに夢のある音楽の世界を・・と彼の奥さんが演奏するフルートや、友人達のピアノ演奏で”夢の音世界”に小さな子供たちを招待している。限りある人生・・自分の仕事以外に何か・自分の好きな物を見つけ人生二毛作を・実現すると楽しみも二倍になります。是非・・皆さんも今年は「夢叶えよう・・」でSさんみたく新しい夢を目指して頑張って下さい・・・。
2005年03月22日
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Sさんは死の宣告を担当医から受けて、死する意味を再確認し”生への知恵”を死の淵から体得した。彼は体の具合が良い時は、積極的に仕事をするが”情けない自分”の精神状態の時でも、逆に素晴らしい物作りが出来た。物作りの過程で自分自身が落ち込んだ時は、全てに於いて心に余裕が無いのが分かった。しかし死を肯定した自分を確認した時に、宇宙の偉大さを・・感覚として体感し新しい境地を知る。ある時童心に帰り、子供の頃に好きだったプラモデル等を作った。何と・・死を宣告された自分が、このプラモデル作りで死をも忘れて元気になれた自分に気づく。その後彼は、自身自分のやりたかった事を積極的に行い心身ともに生まれ変わる。何か無心に人は、追いかけるものがあると・・自分を忘れて燃える・・。感動するココロと、精神的な満足度は延命にも大きな効果がもたらす。彼は病室での隣人の死を見て、自分が生かされてる事を強く感じ、生を与えられている感謝の気持ちまで持った。命のある限り積極的に、悔いの無いようにいろいろな体験を重ね、苦労しながら”生きる知恵”をも体得した。人は誰しも死する時は、必ずそれぞれ決まっている気がする。 しかしタイミング良く”天上の神”があの世からこの世にお迎えにくるまで、Aさんみたく生き生きと感謝しながら、楽しい毎日を過ごす”生きる知恵”を身につけましょう。
2005年03月19日
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春は各地で旅行シーズンに合わせて、いろいろなプランがTV・新聞紙面を賑やかす・・。特に団体でない”一人旅”は、トラブルも多いがココロに残る旅の思い出となる。今回は戦国大名が・・熱い思いを寄せた海外への雑学を書いてみます。歴史に残る”大名の面白雑学”を・・ 織田信長 信長は当時・・世界が丸い地球体である事を 異邦人の話の中から知っていた。しかしその 時代の学者は、地球が平面であると殆んどの人が 考えていた。 信長は自分自身が知らない事、興味のある事・・ の中で、特に海外に対しての実情を、細かく分析 をし異国の地に自分の思いを高めていた。 彼は異国の情報を多く知る事で、ロマンチストに なり・・芸術的センスも強く磨かれた。豊臣秀吉 彼は外国への夢が信長以上に興味があり、特に 隣国の韓国への武力進出は、大陸を制覇する第一歩 として熱い思いを持っていた。 秀吉は2年間掛けて、ヨーロッパから何故日本に 多くの文化なり物資が届いたのか、理由を分析し 実践的な情報を手に入れた。 もし彼の海外派兵が成功し実現していたら、歴史は 大きく変わっていたと感じられる。 特に韓国からの陶芸に関する技術の伝来は、この時代 に日本に非常に多く入っている。徳川家康 家康は晩年駿府城(静岡市)に住んで、海外の情報・ 分析を細かく収集した。当時は諸外国の代表は 江戸城でなく、家康の駿府城を表敬訪問した。 日本の首都は実質的に、駿府(静岡市)が 役目を果たしていると外国代表には考えられて いた。駿府の街は、外国製品の珍しい物が溢れ 旅の人々にも人気があった。 現在でも家康が愛用していた、海外等の生活用品が 久能山にある東照宮美術館に展示されている。 フランスのパリーにあるオペラ座には、江戸時代 に訪れた日本人の”サムライ”の写真が展示して あります。ちょんまげを・した武士の姿をパリーで見ると 非常に感激をすると思います。 この春はリフレシュして、のんびり一人旅でも・・楽しんで”ココロの癒し”を満喫して下さい。
2005年03月15日
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最近の社会変化の悪影響で、妊娠してる女性の体内ベビーが悲鳴を上げている。特に体内で自分の意思を持って活動するベビー達には、自分で自殺をするパターンさえも考えられる。流産に関するデーターは、近年非常に急増しており・・原因追及に遅れを取っている。実験例A 子供を宿しているマウスを、小さな檻に入れ電流を 回りに流し、ストレス反応を調べる。すると母子共に 障害の影響が現れ、体内のベビーへの影響力は多大 である。生まれた子供への、障害はかなり高い比率で 数字として現れる。実感例B 妊娠している女性と、体内にいるベビーにストレスを なるべく与えないで、安定した状態で出産を迎えさせると ・母子共に健康的な分娩が出来る。 過度のストレスを受けた母子は、数字的にも病気・死産 身体的障害等も多く現れる可能性が高い。 両方のタイプの母子に、細かな情報分析をして調べると 内的・外的要因での悪影響力が数字として高い数値を 示す。 体内のベビーに音楽療法等を取り入れてる、海外の 婦人科病院は非常に多い。(癒しの波動を流す・・) 総合的に判断をすると、現在の社会動向で激動する情勢の中、特に母子に悪影響が集中して起きている。こんな時こそ、身近で妊娠してる母子を外的・内的に回りの人達が優しくサポートすべきである。将来の日本を救う・・これからの世代のベビーに温かな応援を・!
2005年03月12日
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今回は自分自身の脳細胞を活性化する為に、面白エキス少し送ります。ご自分の好きな飲み物・食べ物を適当に、PC画面の近くに置きながら食してリラックスして楽しんで下さい。内容はバラバラにて・・適当に順不同で書いてみます。鯨 鯨の母親はベビーを生む時に、母親の体温と 同じ海水温でベビーを生みます。オスは エサの場所を、母親と子供に教える役を負う。 海面とか海上が荒れると・・親の鯨は、子供を 自分の体の上に乗せて泳ぐ。 同じ動物の仲間である鯨の、愛情溢れる親子愛を 今の世の中にアピールしたいですね。 児童虐待・自分の子供を殺害・・鯨からみると 人間は・・どの様に感じますか・・。 ジャック・マイヨール溺れる(元・素もぐり世界一) 彼はフランス人で龍村仁監督の地球交響曲にも、作品として 取り上げられ出演した人である。番組を作成する折に彼は非常に 当時の番組スタッフ裏方の人達と意思の疎通が出来ていなかった。 自分の知名度にテングになり、人を見下した処が多く あり・・事件が起きた。海面が荒れている時に、撮影を中止 したにも係らず、彼だけボートに残り居座った。 そしてその後・・10分位したら彼のボートが急に沈みだした。 慌てた彼は驚き・何と海面で溺れたのである・・急いで 仲間が彼を助け出し・・一命を救った。 この件で彼は有頂天になっていた、自分の馬鹿さに気がつき ヨガ・仏教に関する精神の勉強も一所懸命にした。馬を誕生プレゼント イギリスで子供に対して最高のプレゼントは、子供に生きた ポニー(馬)をプレゼントする事である。 それは動物を飼う事で、生きている喜びを感じ楽しむのである。 日本では玩具とか、テレビ・ゲーム等を子供に与える親が多いが 機械類よりは、生きたポニーが良いですね。 以上内容が定まりませんが、少し脳細胞の活性化にお役立ち下さい。
2005年03月09日
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激動する今の社会の中で、大きなチャンスをゲットするアイテムを少し書いてみます。世界・国内の中で自分と同じ顔の人はおらず、同じ様に技能もそれぞれに異なる。そこで自分の良さを知っている人が意外と少ない。 他人の良さを知る人は非常に多い・・。自己をしっかりと把握して、自分の夢実現に邁進すべきだ。自分の良さ・魅力を磨いて大きく飛躍する事が大切である。自己の夢実現には。 1 先人の知識を習得して、新しきを知る。 2 自分自身を造り上げ、終生現役であること。 3 20代・・優れたものを追い求め、感動・感激をする。 30代・・苦悩の時代であるが、徹底して苦労する事に より明るい明日への土台となる。 40代・・自信・信念が非常に重要で、人様からの 信用が一番大切である。 4 耐えるココロを身に付ける。 5 今日を素晴らしく・・明日はもっと素晴らしく・・。 6 動物的な感覚を身に付ける。 7 ピンチの時は、精神力で溝を埋める。 8 必死の力・・金銭で壁に当たったら、親・兄弟・知人 ではなく、自分自身が頑張るしかない。 9 行き詰また時・・・ 自分より上・下・周りの人達から意見を聞く。 細心の注意を払い大きい事をする。 10 失敗は大きな勉強材料。 上記の事を参考に自分流に、考え工夫して行動をして行けば必ずや、自分らしい楽しい人生の道が開ける。
2005年03月07日
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アフリカ中部のPART・1の次にPART・2をコメントします。今回は少し見方を変えて、多面的方面から書いてみます。バスの乗車・下車<乗車 > バスの時間表は、克明に掲示してあります。しかしバスに 乗車する人数が少ないと、発車せずに満員になるまでバスは 停留所を発車しません。例えばある時間にバスが到着します、 順番を待っていた人達がバスに乗ります。そこで人数が少ないと 何時間でも・そこのバス停で停車したままです。バスに乗車する 人数を待ち続けて、翌日発車はよくあります。 このルールを日本で、採用したら意外と経費の削減になりバス の利用法も変わると感じます。<下車 > バス停が決まっていないので、下車する人々が希望する部族の 村の近い場所で適当に降りる。 村の人々は裸眼でも、非常に視力が良いので遠くのバスが来ると、 素早くバスを発見して停車位置で待っている。 聴力も敏感で、かなり距離が有ってもバスの音をキャチする。 まさに動物的感性が、ずば抜けている。トイレ 村にはトイレが無いので、人々は竹やぶ等で用を足す。 村の人々が用を足した後、野豚が人間の排泄物を 全て綺麗に食べてしまいます。一般的に排泄物の臭い匂いは、 殆んど野豚の処理での影響で臭い匂いが残らない。水の飲み方作法 グラス・コップの、上層部分を吹いてごみを取る。次に水 全部をどんなに、喉が渇いていても飲まないで、大地に眠る 先祖の分として、少し大地に水を差し出す。家庭での食べる順番 1・ 男が先に食べる 2・ 女性が次に食べる 3・ 子供が最後に食べる婚姻 <一夫多妻> 経済力のある者が、その力の範囲で自由に婚姻できる。 多妻の中での順位は、その時に一番信頼の於ける女性が リーダーとなってまとめる。しかしそれは、年齢での差は 左右しないで、あくまでも信頼度で決まり、時々は入れ替わる。 若くてもリーダーになったり、年老いてもリーダーになったり 非常に・・ユニークである。 未婚の男女は当然存在している。 特に未婚の女性は、結婚を目的に他の部族の村に、移住する 時も多々ある。男性は女性ほど、他の部族に移る可能性は 少ない。 現在の日本で起きてる犯罪・自殺・事件はこの村では殆んど見られない。 物質的に恵まれた環境でない地域で住んでいるこの部族は、ココロ豊かに大自然と対話しなが生活を楽しんで過ごしている。
2005年03月04日
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Aさんはある、自動車メーカー販売で日本一になった男です。彼は入社した時に大手で名前が売れてるメーカーよりは、逆にまだ知名度の低いメーカーの自社製品に熱い思いを寄せた。そして彼が日本一セールマンとして歩んだ”男の背中”を書いてみます。 入社して・・ 会社の近くにアパートを借りて住み、3年間自分の目標を立てる。営業・・ 毎日会社を出ると、片道切符を買い歩いて営業を 始める。とにかく何も考えないで、ただただお客 さんの所に顔を出してセールスして行く。 お客さまの考えを初めに理解し、次に自分の 気持ちを伝える・・。 歩いての営業なので、靴の消耗が非常に多い。 お客さまの、好きなスポーツ・芸能・趣味等を 必ずチェックし自分も勉強をする。 帰宅はいつも・・深夜1-2時の時間になる。ココロを大切に・・ お客様がプライベイトで、問題が生じた時は必ず 早急に対応し協力をした。 クレーム処理は、その日の起きた日にお客さまの 所に出向くか、TELで必ず処理をする。 契約を出来たお客さまが、自宅火災で全焼し契約を 中止し解除になった。しかし数日間そのお宅の、火災処理 の手伝いを積極的に行う。そして数年してから、そのお客さんより 連絡が入り自動車を納品する。その後は、それがご縁で年間 30台も彼に自動車の注文を出している。 1%を可能にした・・ 絶対自動車購入が難しい家に1%の可能性を求めて 可能にしたお話し。 午後2時に時間を決めて約1ヶ月間先方のお宅に出向いて 行く。毎日・毎日決まった時間に伺いお話をする・・。 そして20日間位したら、3-4日位意識して行かずに して、翌日出向いた。するとそのお客さんは”どうして 来なかった・・”と心配してくれる。この事が縁で契約 が出来1%の・・可能性を実現した。その後は現在でも 彼の大切なお客さまとして、他の人達にも自動車を紹介 してくれる得意先でもある。日本国中が物に溢れてる時代です。このAさんみたくセールス日本一になる原点は、人知れず多くの涙と汗を流し・そして笑顔を大切に夢を大きく持ち、ココロを大切にした結果だと感じました。 彼の笑顔が・・今でも・・こちらの脳裏に焼きついています。
2005年03月01日
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アフリカ中央部にあるG国のA部族は、約500人の人口で物質文明から遠く離れた生活をしている。物が溢れている我が国では、考えられない生活様式である。しかし犯罪も死傷事件もない”愛あふれる”部族の村である。少しこの部族の日常生活を案内します。主な実力者 長老が12名おり、代表権を持つのが酋長である。 この酋長は、長老達が決める。 酋長 酋長に選ばれると、村の全権を彼が握りその部族を 運営して行く。 朝の活動は、酋長が起きたその時間 が一日の始まりとなるのである。緊急時に村での危機 状態等が起こると、村で貯蓄してある金塊数億円を酋 長の一存で即日対応する。しかし選ばれた酋長は、殆 んどその金塊を使っていない。酋長が病気等で采配が 出来ない状態の時は、12名の長老が話し合って決議 をする。自分の私利私欲の為に、犯罪行為まで起こす 先進国とは違い素晴らしいリーダーである。増税・増 税で国民の首を絞めてる国とは、かなりこの辺も違 います。朝の水汲み 酋長が起きると、4歳~6歳ぐらいの子供達が毎朝近 くの水汲み場( 5-7キロ )まで壷を持って水を 汲みに出掛ける。 汲んできた水は、酋長・長老>障がい者>村の人達 こんな順番で子供達が水を配る。 この事は、子供達に生きる大切さを教える。 日本では子供の自殺や児童虐待が、増加しているが ここの村では100%日本の様な事件は無い。 物が溢れて・・ココロが貧しい・今の我が国・。 今の日本社会の異常さを軌道修正しないと国が 破滅してしまう危機感を感じる。ガスも水道も電気もない、この小さな村が”愛あふれる”笑いのある生活を毎日楽しんで過ごしています。次回はこの部族の面白バナシ・・を書いてみます。
2005年02月25日
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毎日・毎日TV・新聞・ラジオ等で暗いニュースが湧き水みたく溢れ出て来ています。 こんな時こそ”笑い飛ばす”エネルギーが必要です。 ココロに笑いの免疫剤を・・・・。アンシュタインの母親 アンシュタインは子供の頃、勉強が出来る方ではなかっ た。母親は何か一つ特別なものを持たせようと、ある時 に街で人気の占い師(細木カズコ風)にお金を握らせて ある事を申し込んだ。それは”この子は将来、天才的な 人間に間違いなくなる・・”とアンシュタインに話して もらう事でした。早速占い師と打ち合わせた様に、占い 師の家に行き話してもらいました。その話しを聞いたア ンシュタインは、翌日から自分自身は才能があると信じ 切って猛勉強を始める。昼夜時間を惜しんで、好きな勉 強を一所懸命にする・・これが物理学の原点になった。 貧しい家庭環境で毎日の生活資金を、工面するのに苦し んでいる状態でも、夜遅く必ず母親は夜食を工夫して持 って行き子供の為に励ました。お金が無いのに、その時 の母親の気持ちを彼は自分のココロの奥底に深く置いて おいた。 そして彼は物理学の研究論文を完成させる時に、苦し み悩んだ折に、母親が必死に生活苦の中で工夫して運ん でくれた夜食を思い出して後にノーベル賞となる論文を 完成させた。是非この広場の愛読者さんは、ノーベル賞の卵をたくさん作り出して下さい!
2005年02月23日
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Aドクターは体に障がいを持ちながら、ユニークな痴呆症患者の回復療法を試みている。 A氏は自分自身がガンの病気になり、医者としての自分の精神力の弱さと、西洋医学の不信さに迷い今までの、医学に対しての考え方にピリオードをうった。 A氏はガン摘出後、自分の体に障がいのハンディーを持ちながら、医師の仕事を再活動する。しかし術後医学の世界に対しの疑問が消えず、試行錯誤しながら考えた末にある閃きが浮かんだ。それは”痴呆症早期回復NO1”の病院を作る・そんなアイディアーである。 いろいろな病院・特養老人ホーム、公・私の医療施設等を調べ、海外の情報をも調査して実験的に、小規模で痴呆症回復の病院を見切り発車した。 高齢者の痴呆老人に対して、ショック療法をまず第一に始める。それは若い僧侶とか、まだ経験の少ない牧師等の、宗教を勉強して働いている人達を集めて、彼らに痴呆症老人が社会勉強とか・人生の歩み方を指導する。いわゆる逆刺激療法である・・。また病院内で死亡した患者さんの遺体を置く”霊安室”を開放して、明るく賑やかな場所に変えるようにイメージ・チェンジをした。 この大きなショック療法で、高齢者の痴呆症がものすごい速さで回復をして行った。 回復原因の一つは、高齢者を痴呆症と決めつかないで、優しく愛情を持って接し・受け入れ、責任感を痴呆症の患者さん本人に持たせた結果が大きく回復する道に結びついた。 現在の日本で一番高齢者の痴呆率が少ない県があります。次回は、このお話も含めてお話しをします。
2005年02月20日
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以前フランスに住んでた時に、ある音楽学校のピアノ発表会があり聴きに行きました。音楽好きな私は時々、そこの学校のピアノ・レスンを散歩しながら、立ち寄っては聴くのが楽しみの一つでもあった。 11月にそこの学校でのピアノ発表会があり、多くの参加者で会場は超満席になり、予備の席が出るほどの人気で驚きました。 演奏は始まり音楽ホールも盛り上がり、会場は熱い熱気に包まれていました。最後に演奏する女子学生が、足を引きずりながら静かにピアノの席に着きました。 その女子学生の演奏が始まると会場にいる人達は、まるでピアノの音色に吸い込まれるように聴き入って、感動のあまり目頭を押さえる人も現れました。確かに他の学生とは、何か異なる音色で”疲れた心を”優しく癒す波動を私は強く感じました。 演奏が終わると感激のあまり、超満員の人達は起立して大きな拍手を送り、声援が鳴り止みませんでした。隣の席にいた女子学生が、今演奏した子は左手は生まれつきの麻痺で右手だけで演奏し、片足も麻痺して・・と話した。そしてその少女の演奏する音色に学生・教授達も、また他の音楽学校からも少女のフアンが聴きに来ると自慢して話していた。この少女は音楽の才能にも恵まれ、勉強も一番出来て、学内でも明るい性格で学生達の間で人気者であった。健常者も障がい者も関係ない芸術の世界で、この少女から”大きな愛を”音楽を通じて教わり、今でもあのピアノの音色が私のココロの奥底で優しく響いています。
2005年02月18日
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雪深き地方に住んでいたAさんは、いつも明るく元気な女性で近隣でも人気のある人柄でした。そんなある日Aさんは、近くにある尼僧の寺に、普段と変わらない表情で立ち寄り話しをした。その時の会話の中で”来週から夫婦で床を別にするから・・ダンナがこの件で相談に来たら自分に協力を・・”こんな話しをして帰った。 実はAさんは、すでに自分の体が癌に侵されてる事を知ていて、死を自分一人で迎えるのが・ダンナさんに対する最愛の方法とだと自分で決めていた。 数日が過ぎてAさんのダンナさんが、尼僧の寺に相談に来た。ダンナさんの口から・・初めてAさんが癌に侵されている事を尼僧に告げられた。 尼僧はAさんが寺に来た事を伏せ、ダンナさんの相談を聞き”Aさんの好きな方法に・”とアドバイスをしてダンナさんを返した。 翌々日Aさんは再び尼僧の寺を訪れ、自分の真意を・・・詳しく話した。Aさんはいつも寺で法話を聞いているが、今その法話を実践する時が来たので”愛別離苦を愛するダンナさんに”心柔らかく自分の死を通じて教えたい・・。目にいっぱい涙を溜めて話し帰宅した・・・。 尼僧はAさんが、自分の死に対して冷静に考え行動を決した姿に”悟り”を感じ取った。寺を去ったAさんの後姿を見送りながら、目頭を押さえていた気持ちが大きく崩れ尼僧は我を忘れて号泣した・・・。人生はいろいろな別れがありますが、誰もがこの世に生まれ落ち・いずれは去る・・自分の人生・・。このお話しを尼僧から聞いたときは、心に迫る熱いココロの痛みを感じました。
2005年02月15日
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最近女性の輝きに対して、いろいろな見方をしている考えがあります。特に宝塚スターの美しさを研究しているデーターは、とても興味のある感じがしました。 宝塚スター美学の原点 1 各人がプライドと自身を持つ 2 芸術に積極的に触れる 3 演技力を自分で見出す 4 勉強で与えられた中から教養を身に付ける 5 踊りのレッスンで動きの勉強・美的自主訓練 6 お化粧のメイクで自分のマイナス面をカバーこのような感じで宝塚スターの美学センスが底辺に流れてると思います。外見ばかり美的に整えても、やはり内面をも磨いて行かないと一流の宝塚スターにはなれない・・こんな感想を持ちました。 このブルターヌ広場にお寄り下さる、素敵な女性の方々も是非・・上記のコメントを参考に自分磨がきをして、バレンタイン・ディーを機にチャレンジして下さいませ。
2005年02月12日
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暗いニュースの多い毎日、昨日はサッカーのワールドカップ予選にて日本が北朝鮮に勝ち明るいムードが漂っています。この明るさを持続する為にメンタル面での雑学を書いてみました。自分のココロの可能性を大きく大きく考えると、大きく考える事によって実現可能となる。悩んだり、苦しんだりしている時は、考え方も小さい方に進んでしまいます。自分のココロの可能性を信じて、必ず素晴らしい事が起こり実現すると信じるて行く事が不可欠である。また落ち込んだ時は、あまり考え過ぎないで、大きな気持ちを持って進んでゆく事も大事な一つとして考えられる。夢を実現したシュリーマン( 考古学者 ) 貧しい家庭に生まれ苦労して育つ。彼が8歳の時に父親から一冊の本をプレゼントされる・・その本を読んで考古学者になろうと心に決める。14歳で社会に出て一生懸命働き、自分の将来の目標を”トロイの遺跡”と決めた。目標を達成する為に3つの課題を立てて実行して行く。その課題は・・・1. 外国語をマスターする。 21ヶ国語を独学で必死で覚える。2. 外国で多くの人脈を作り、貿易会社を多数設立して 42歳の時には世界で大富豪の仲間に入る。3. 稼いだお金でトロイの遺跡等を調査して発見する。連休になります・・どうかこの雑学を読んで・少し自己実現に向かって明るい明日を楽しんで下さい。
2005年02月10日
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この不況下の日本で、女性が輝く職場が急成長している。特に女性に関する情報を、素早く収集して会社に取り入れながら戦術・戦略を行う企業が注目ナンバーワンである。あるアパレル関連のメーカーは、上流層の女性のセンスを企業に取り入れる為に入社の段階で丸秘戦略を行う。 * 学力でなくてセンスで採用。 家柄とか、子供の時に教育された作法の躾が 自然と身に付いている。 * 国・公立大学より有名私立大学の名門校の学生を 優先している。 敏感なアパレル関連情報がOG/友達層等から 貴重なホットニュスを瞬時に入手可能。 * etc. 障がい者雇用を積極的採用。 企業イメージアップと福祉に対する社会参加を 大衆にアピール。一部上場のTOP経営者は、新しい物に対して非常に敏感であり、反応面に対しても素早い行動を起こす企業経営者が業績を上げている。暗いニュースばかり多い現在、明るく前向きに”笑いのある”社会にしたいですね。特に企業家の方々には、障がい者の雇用を積極的に取り入れて、日本経済の活性化を強く願う。
2005年02月08日
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最近の国内犯罪多様化に対して司法の機能が完全不機能・仮死状態です。そればかりか政治家・官僚・行政・マスコミ等も国民が、危機感を抱えながら日々過ごしている現状を真剣に把握をしていない。また罪を犯して社会復帰した人達の、フォローは机上のプランでしかなく再犯推進にまでなっいる可能性がある。これは犯罪を職業化?・・この様な見方になっても不自然感を感じさせない。増税ばかり文句なしで進めている我が国・・国民の防犯・安全に対して形ある方針を早急に行動に移して欲しいと強く願う。国民個々の防犯・安全対策に付いて少し案を考えました。各都道府県で知事名にてNPO法人の認証をしています。この認証されたNPO法人に対して行政とコラボレイトして多額の補助・助成金を受けながら活動をしているNPO法人が急増しています。是非このNPO法人を活用して自分の住んでる地域の防犯・安全対策に対処してみてください。
2005年02月06日
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Tさんは25歳で人気ヒット歌手になり、全国に彼の曲と名前が大きく広まる。彼は”死ぬ時に好きな事を全部やれるだけやって死ぬ事が出来たら最高”こんな気持ちで生活をしていた。職業も数多くの仕事を経験し、一日その仕事をやれきればその道のプロ・・。こんな考えで多種多様の仕事を経験して過ごした。大きな転機が起きたのは、子供が2歳の時でした。子供の様子が変なので担当医に調べてもらうと、診断の結果は”脳性マヒ”による障害でした。その病状を聞いて夫婦でかなり精神的に落ち込み真っ暗な日々を過ごしていました。1ヶ月近く過ぎて、二人で出した結論は”夫婦でこれから、人の3倍笑わないと生きてゆけない・・”これが一番の案でした。不幸が幸福に変化していく愛を”神が二人にくれた大きな愛”と考え障害を持つ我が子に感謝した。障害を持ちながら必死で生きてる子供から・・多くの愛を・・夫婦で受けて・涙しながら感謝しスローライフを実践した。ある時に障害のハンディーを乗り越えてい頑張る子供の姿から、頑張る父親像を見せたいと思った。そこで世界でも過酷なレースで有名な、トライアスロンに挑戦し40歳の時に何と・・優勝をしたのである。この大きな優勝には、障害を持ちながら必死で生きている子供がTさんにプレゼントしてくれた”愛の宝・・”そんな気がしました。
2005年02月04日
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Oさんは警視庁の少年課に8年勤務していた。少年院や少女院の子供達にOさんは非常に人気のある警察官であった。ある時にOさんは自分が職場を辞めたら、この子供達が真剣に相談等を自分にしてくれるのか不安に陥った。非行を重ねる子供達はそれぞれ各家で生れた時は、皆と同じだが孤立して孤独になった場合に犯罪の方向性に走ってしまう。そこでOさんは警視庁に辞表を出し、弱い子供達・犯罪を起こした子供達の再出発・子供達の各夢を実現する為にゼロからスタートを始めた。都内の公園で遊んでいる不登校の子や、夜・深夜遊んでいる子供に接して自分から積極的に話し合って行った。自宅を事務所にして、スポンサーを探し行政とも協働しながら自分の時間を全て捨てて社会活動に打ち込んでいる。社会が混乱し犯罪が低年齢化してる時代に、Oさんみたいな人が一人でも多く活動し応援する場に光を当てて欲しいと感じてならない。
2005年02月02日
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S監督はホームレスの急増に興味を持ち、70歳以上の”生き仏・高僧”をイメージして良寛の生き方を映像と捉えようと考えた。そこで70歳以上の良寛役にUをピッタリの役者と考えていたが、U本人が病気だったので他の役者を探した。そんな折にMが代役募集を聞き付けS監督に会いに来た。彼の熱い役柄への思いを感じてMに主役を決める。しかし役柄の主な話になって・・Mがシナリオを自分で考えたりしてS監督と対立・・それが尾を引きS監督は途中で病気になり中止となった。 S監督は世の中に自分が言いたい事を、正面から大衆に訴えたいから映画作りをしていると声を上げて力強く語った。M監督は人の使い方が上手で、多くの役者から尊敬されていた。ある時に映画作りで資金が不足になり、スポンサーに土下座までして援助をしてもらった。目的を達成する為に自分を捨てて何でもする仕事に対する情熱がすごい! ある爆撃の場面で1週間も掛けて300発の爆撃シーンをフィルムに収めた。しかし最後のフィルム整理の段階で、その300発苦労して1週間映像に収めた場面を簡単にカットしてしまったのだ。S監督・M監督の映像には”涙と汗”の情熱が現場から声として小生の耳に聞こえて来ました。 映画はココロが作る・・ココロが見える・・こんなコメントが、こちらのココロの奥深く残っています。
2005年01月31日
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イチローの野球に関するスタートは、幼稚園の時に父親から野球を教わたのが始まりです。小学校3年生では投球するスピードの玉の速さが90キロ・4年生5年生では110キロにまで早くボールを投げれるように成長した。小学校の6年生の時には、すでに自分の気持ちの中でプロ野球選手になると決めていたようだ。中学に進学すると野球で投げるボールの玉の速さは、130キロのスピードを超え周りの人々を驚かせた。このボールを投げるスピードはプロの投手と同じ速さである。 中学での成績も抜群に良くてオール5で、大学進学を目指す高校に先生からも進められていた。しかしイチローはプロ野球に入る目標を変えずに、名古屋の各名門野球部を数箇所見学に行き愛知名電工の野球部に入学を決める。この高校の野球部の中村監督が、プロ野球選手を育てる才能に優れており当時すでに13人ものプロ野球選手を育て上げていた。中村監督はイチローが親からある程度、親離れするように教育をし全ての面でプラス思考を持たせるように教えた。またイチローは動体視力で抜群の良さがあり、プロ野球界の第一人者の長島・王監督が現役選手の時に計った動体視力が7メートル先のボールを見れたが、イチローは何と4メートル先のボールが見れた。これはしっかりボールを見て、考えないでボールを打てた大きなポイントがある。全米で大記録を樹立たイチローの原点は、父親から野球の手ほどきを受けた幼稚園から、小学6年生で野球人生を自ら決意し、高校ではプロ要請の名監督との出会いが今のイチローの原点とも考えられる。社会が大きく変化してきている現在、これからの若い人達は自分で将来の目標を立案して、涙と汗で納得いく人生の基盤作りをして欲しいと強く思います。
2005年01月29日
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酒に関して民俗学的に日本では相手を酔いつぶすまで呑む文化があった。特に昔は祭りの日には、赤飯・餅で酒と一緒に飲み食いし普通の日には飲まなかった。結婚式は祝い酒で、一つの”瓶”で作った酒を両家で呑みあう。そして一つの杯に入れてそれを全員で回しながら呑む。そこで酒の強い人が両家から相手をもてなす事もしていた。最近では殆んどこのような風習が消えてしまって少ない。少し酒に関しての面白いお話しがある・・某動物園にいるゴリラがストレスで落ち込んでいる時にお酒を飲ませてストレスを解消させたり、猿にウイスキーを飲ませてストレスを解消させている動物園のあるようだ。 昔ゲルマン人は親族で大きな決め事をする時には、先に酒を呑み合い良案を出し合った。そして次の日にもう一度その良案について話し合い結論を出す。 フランスでは今でも、ワインのつかない料理は”片目の美女と同じ”こんな言葉が残っている。 寒い夜は”ほろ酔いの美学”をつまみに・・美酒を呑んでストレス解消をして下さい。
2005年01月28日
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奄美大島に田中一村美術館が数年前にオープンした。 彼は東京芸大を中途退学してプロの画家になり、50歳を過ぎて奄美大島に魅了され清貧の中で画業に打ち込む。特に鳥・木々・海といっつた奄美の自然を描いた作品が高い人気を得ている。今回お話しをするMさんは、貧困の家庭に育ち小さい頃より絵画が好きで仕事をしながら絵筆を握って孤独死をした画家です。Mさんはルオーの画風が好きで、家具職人から画家になったルオーの生き方をも彼自身自分とダブらせて描いていた。彼は仕事をしながら厚塗りの技法で一筆一筆力強く作品を無心に書き続けた。一時期は有名な画家の内弟子となり、全面的にその画家の作品作りに大黒柱となって仕事をした。しかしある時に全てを捨てて、ゼロから再出発し日雇い労働等をしならが我武者羅に自分の命を削りながら絵画制作に打ち込んだ。彼の作品には”時代を超えた命のエネルギー”を画面より感じる・・・。田中一村もそうですが、死後にその人の芸術が評価される事が多い。Mさんの作品はは歴史に残るアーテストとして今後評価されると感じてならない。”芸術は時代を超えた対話”・・こんな言葉に合うアーティストであった。
2005年01月26日
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知人である80代の詩人Aさんは、同じ年の愛妻が突然の脳梗塞での、緊急手術と直面しかなりの動揺を感じた。長時間の手術は無事終わったが、術後の愛妻の変化にAさん自身が対応出来ず精神的に深く落ち込んだ。普段から詩を書き続け、全国でも多くのフアンがあり人気の詩人である。哲学書・仏教書・医学書・全てをマスターしており、どんな境遇に落ちても自分だけは大丈夫と確信していた。しかしAさんは今回自分の一番信頼できる愛妻が病に倒れ、その愛妻に何も手助け出来ず自分自身が深く落ち込み死の淵をさ迷い号泣しながらの毎日を送る。病に倒れた愛妻は、脳の後遺症でAさんすら認識できず、20代の頃に自分がフールドバックした話しをしだす。そんな状況でAさんはある日突然、これは神が宇宙から愛妻に愛の波動を与えてくれたんだと確信したそうです。それからは、看護・介護の苦しさ・悲しさを感じずにAさんは愛妻に感謝しながら接して過ごしました。現在はご夫妻とも病気に感謝しながら、スロー・ライフを心掛けて過ごしています。高齢者の介護・看護はこれからも大きな問題に直面しますね。特に介護・看護をする人達が高齢者の時に・メンタル・ケアーが大きなポイントです。
2005年01月25日
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現在の日本は環境の変化・不況・犯罪多発・医療事故等の暗いニュースがテレビ・新聞等で紙面を大きく占めています。そこで戦国時代での武将達のストレス解消法を調べてみました。戦国乱世の時代は、武将も各地域に住んでいる住民も生死の淵をさ迷いながら過ごしていました。特に混乱期での武将達のストレス度はかなりの数値で”胃癌”に値する病気の多さが考えられます。古い当時の文献を調べると、副作用のないストレス解消法を心掛けて実践していました。特に一番精神的に弱くなる時刻が夜中です・・精神面での高ぶりと心の不安状態を抑える方法を試行錯誤しながら出した結論が”気功の取り入れ”でした。それは1000年以上の古木を抱いて寝る事により、疲れた”精神を癒し”心を安定させる・・方法を取りました。そして寝室の襖は、お抱えの絵師達に毎月変えさせて目に入るイメージにも平常心を保つ工夫をしたようです。どうかこれらの戦国武将のストレス解消法を参考に、ストレスの多い現代の社会を乗り切りましょう!
2005年01月23日
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以前キューバに東京~サンフランシスコ~メキシコを経由して首都ハバナに入り約1ヶ月間仕事にて滞在していました。メキシコからは朝一番の飛行機に乗り、初めてのキューバに足を踏み入れた時は”カリブの風”を空港で体全身に浴びサルサのリズムを耳に感じ取り・・感激しながらタラッフを降りました。空港に迎えに来た仕事関係者の車に乗り、カリブ海を眺めながら一路首都ハバナで一番歴史のあるホテル”イングラ・テーラ”に到着した。このホテルは日本の帝国ホテルと同じクラスで100年程の歴史がある重厚な建築様式です。しばらく仮眠後に1階のフロアーの奥にある広間を覗いた。そこにはベーゼンのグランドピアノが何気なく置いてあり、ミュージシャンがリハーサルでショパンの曲を練習していた。そのピアノから流れるショパンの音色は、側面のステンドグラスを優しく包み込むように流れ・・小生の旅の疲れを心の奥まで癒してくれた。異国の地で音楽はいろいろな形で人々をさり気無く歓迎をしてくれる・・・。
2005年01月22日
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Aさんは開業をしている医師でした。ある日突然に後頭部に痛みが走り・・単なる頭痛の痛みと感じず早急に検査をした。その検査の結果は”脳腫瘍”との判明でした。普段は自分の仕事として、外科処置を多く行い担当の患者さんにも多く接していたが、自分が癌だと判明したら愕然と落ち込んでしまった。彼の奥さんは医大のインターンの時に知り合ったナースで医療現場での知識も充分ある女性でした。脳腫瘍が判明して直ぐに彼は仲間のドクター達と、自分の今後の医療に関するチームを作り対策を立てました。脳腫瘍をオペするのに重要なのは、執刀する医師の技術レベルの高さが微妙に術後の脳に大きな影響を及ぼす結論がでた。いろいろな脳外科医のドクター達の資料を集め数ヶ月に渡り検討をしましたが、資料の中で決めるまでには行きませんでした。そこで彼は医大の時に世話になった老教授に相談に行き、発病から現在までの状況と心境を話しました。老教授は命は医師の力では救えない・しかし延命に関しては医学的な処方で出来る可能性がある。ただ永遠でない一時的な外科処置に、ドクターが病に伏した時こそしっかりした気持ちを持たないと・・。この話しを聞いて彼は無理を押してその、老医師に自分の脳腫瘍の執刀を頼み出た。心良く引き受けてくれた老医師のオペは無事終わりました。Aさんは術後リハビリを兼ねて・・1年半の間・病苦と戦いながら若手医師達に”患者の目線で医療を・・”呼びかけて燃やし尽くす医者としての最後を送った。医療不信の時代こそ・・医師達がメンタル面での教育をしっかり勉強して、安心できる医療を社会に提供すべきである。
2005年01月20日
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20代の女性が偶然のふとした”閃きで”何と開業1年で1億円もの売り上げを達成・・。先週の土曜日に若い女性社長のお話を聞く機会がありました。その女性が偶然に車で停車し信号待ちした時に、ある会社のショウーウインドーに目が止まり・・そこに展示してある商品が気になり、非売品のその商品を何とか手に入れました。この手に入れた非売品の商品がヒントになり、まったくの素人で”INTを活用”して情報を集め1億円もの金額を売り上げる様になったみたいです。素人の発想が黄金の鉱脈を発見した明るい話題です。最近は暗いニュースが非常に多い時勢ですが以外に”発想の転換”と”ひらめきの感性”が大きなビジネスを生み出す・・チャンスの時代だと感じました。感性を磨いていると”ビック・チャンス”をゲット出来る宝物が意外と身近に沢山あるかもりれません。
2005年01月18日
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障害を乗り越えて活躍する人達を応援する団体の現場。その団体にはいろいろな方々が作品を登録しています。ある時に視力障害者の方々の作品に接しました。その中で視力障害者・中途視力失明者・先天的全盲者の人達の作品を見た時に色彩の使い方、構図の配置等に”心を癒す”波動を強く感じました。特に中途失明者の方々の作品は、健常者の時に見た・見えた景色を自分の”心象で噛み砕いて”優しく表現します。 Bさんは病気で中途失明になり、ある時生きる全てを失ったが絵が好きで何とか見えない目から”ココロで絵を描こう”・・そんな思いで絵を描きました。作品を描き上げるのに、友達の手助けが必要です・・試行錯誤しながら完成した時の作品には・・彼の目からは大粒の涙が・・画面に広がり・その涙を一緒に作品として保存しました。才能には障害は無い・・頑張れ^^!!
2005年01月17日
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普段健康に生活をしていたAさんが、ある日突然原因不明の病気で倒れた。意識は回復してきたが、自分の体に対して力が全然入らず寝たきり状態で経過が過ぎた。家族側と病院側とで話し合いの結果、病状を把握する為に隔離して検査・投薬をを開始する方法を決める。隔離した病室はAさんだけで、担当のナースとドクター以外は誰もいません。そんな状態でAさんは言葉を交わす時間も失われ失語する自分を感じていた。不安と苦しさで涙しながら声も出ず自分の枕を濡らす毎日を送る。そこでAさんを毎日優しく心身共に自分を包んでくれたのが、病室の窓から射してくる太陽の光だった。こんな事を話してくれました。健康体で生活して突然Aさんを襲った病魔を、宇宙の太陽の光が失語状態から”無償の大きな愛”でAさんを救ってくれた感じがしてなりません。
2005年01月16日
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障害者アートが”混乱と変動”の現在の世界で大きく注目を浴びている。身体のハンデイーを負いながら、命懸けで一筆一筆”精魂こめて”描いた作品が、多くの世界の人達の心を癒しており・・昨年から国際美術評論家の間でも多大の評価を得ている。その大きなポイントは、限られた生活空間の中で自由に羽ばたいき、見てる人々を哲学的誘惑に誘い、人種・国政・性別を全て超えて愛で大きく包んでしまうマジック技法である。国内では10数年前からアートビリテイーの名称で障害者アートを応援している団体がある。何かの折に一度見て下さい。”才能には障害には無い・・・!”大きな拍手を送りたい・・・・!今こそ立ち上がれ・・障害者アートの哲学者達よ・・・!
2005年01月15日
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宇宙の神秘とも言われる”曼荼羅”を描く絵師達は、天空に光り輝く星達を眺めなら瞑想し、宇宙の波動を体感して午前2時から曼荼羅を描きます。地上に宇宙のエネルギーが一番届く時間が午前2時です。その”宇宙の縮図”をタンカと呼ばれる画布に自分の手作りの筆で描く作品は、曼荼羅絵師達の生命までをも凝縮してしまう力量がある。20代から30代半ばで・・細密画技法で描く特別な曼荼羅絵師は頂点に達し、突然宇宙の星に帰る・・こんなエピソードもあります。
2005年01月13日
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経済的に恵まれない家庭に生まれ、乳児期はすぐに親戚に養子として引き取られ10代後半には中途失明になり最後は高僧になった人のお話です。小学高学年頃から視力が低下し、近隣の眼科医に検診をしてもらったが中途失明は免れないと宣告された。奇跡を信じる為に近くの四国霊場を何度も里親と供に視力回復祈願をしながら旅を繰り返す。数回繰り返した時にある寺の住職が、眼の病気に自分の気持ちを奪われないで”心の目を開け”・・そんな言葉を聞かされた。彼はその住職の言葉が”自分の心の奥底に”焼き付き頭の隅に残りました。20代で養父母を助ける為に結婚をして家業を次ぎましたが、養父母に実子の子供で弟ができていたので20代半ばで家業を弟に譲り、離婚をして仏門の世界に中途失明状態で飛び込みました。仏門に入ってからは一所懸命に仏教の勉強をして、世界平和を目標に命を懸けて精進しました。特に”心の眼”を日々開眼するするように努力した結果・・政財界のトップがこの僧侶に会いに日本国中から相談に来ていました。この高僧が死を迎えた時には当時の首相がこの高僧の寺の上空で号泣したエピソードが残っています。障害を乗り越えた”心の眼”・・今の日本に必要だと思います。
2005年01月09日
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24時間無料で電話相談を受けてる団体があります。この無料電話相談のスタッフに関しては全面的に公表はしていませんが、殆どのスタッフの人達が障害を持つた方々です。生まれながらにして障害を持った方々・・中途障害になった方々です。この団体には相談者からの電話が24時間途切れなく鳴り、他の電話相談よりは非常に人気があり高い評価を受けています。相手の電話の声に対してスタッフは相談者の気持ちを優しく理解し、相談者と共に痛みや苦しみを分け合い運営しています。最近の社会情勢では、想像を超える困難な事件なり問題も日常化しておりマニュアルでは回答出来ないのが大きなポイントかもしれません。全国では3-4万人のも自殺者が急増しています、その方々がもし少しでも優しく接してくれる話し相手がいたら”生の選択”をしたと思います。太陽のような大きな愛が”酸欠した心”を救います。障害者の方々が健常者をサポートしてる時代にすでに突入している時代かもしれません。
2005年01月08日
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南米のペルーでは昔から障害を持って生まれた子供が誕生すると、神さまの”伝道者”としてお祝いをする風習があります。その村で或いは近隣地域社会で、その子供が生まれた家族以上に自分の家族として大切にして、その子供を応援をし積極的に関わりを持って過ごします。その理由は健常者が見過ごしている”神秘のパワー”を生まれながらにし持っており神さまの領域の人として大切に共存して生活するのです。文明化された現代社会の汚点・歪をここのペルー文化の素晴らしい風習を見習って是非・・日本も取り入れて欲しいと感じてなりません。心が”コンクリート砂漠化”に突入した今の日本の社会にこそ、障害者と健常者の共存が一番大切です。皆さんも積極的にペルー方式の生活を取り入れてみて下さい、必ずや2005年は”光り輝く年”になると思います。
2005年01月07日
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今回はボーランドで1927年より途中戦禍で中断はありましたが、ショパンコンクールに関するお話をします。ピアノ部門だけに限られたコンクールは世界でもこのショパンコンクールだけは有名です。5年毎にポーランドで開催されるこのコンクール入賞者は例外なく世界で活躍しています。その中で第10回優勝アジア初のピアニストは無名の新人ダン・タイ・ソン(ベトナム)さんでした。当時ベトナム戦争の混乱次、防空壕の中でも練習を積んでいた彼は特に紙に書いた鍵盤で口ずさみながら回りを感動せた伝説があります。空爆の不安で苦しんでいる人達を彼は紙鍵盤で演奏し感動させた伝説が今でも残っています。是非現在演奏している彼のコンサートを聴きたいと、会場に出向いて彼の生の演奏を聴いた時は感動・感激でした。 今でも私の心の奥深くに染み付いています。目を閉じて当時の戦時下で彼が一心不乱に演奏した紙鍵盤を、イメージしながら”心で感じたショパンの曲は”ピアノの詩人と呼ばれてたショパンを体感できました。
2005年01月06日
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人間の心を癒す学術論文等の中で”海”に関するお話を少しコメントします。今この地球上の海で全て自然界に捨てられた人間達のゴミは太平洋上のある一部の海面に集中してるみたいです。現在太平洋を単独で一人ヨットに乗り横断している堀江氏はその場所の海面上を通過する度に心が痛む・こんなコメントをしていました。海面から大小の波が毎日海岸に打ち寄せられます。これは海自身が・自分のストレスを解消する為に毎回繰り返している動作だとも考えられる学説があります。不思議にこの海岸から打ち寄せる波の音は、人間の脳波を癒す働きが有り心地より波動を伝えます。素晴らしい人間と自然が一体になった最高の瞬間だと思います。2005年度は是非時々近くの海岸に出向いて”癒し効果”のたっぷりある・・天然の波の音を体感して心に・・心地よい波動を吸収して良き年にして下さい。
2005年01月04日
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ある養鶏場にて鳥を24時間照明を当てて全てを管理してる場所がありました。そこで卵を生まなくなった鳥を一匹だけ、遠く離れた屋外に放したところ驚くような反応を示しました。その鳥は24時間の照明下で食事も自由に食べられ水分も自由に取れて、何不自由ない生活をしていた鳥が突然その小屋から放されたので、立ち止まったまましばらくいました。空がだんだん暗くなり、今まで体験したことない状況下で鳥は不安になり・・暗闇になると狂ったように動いたり鳴いたり騒ぎ出しました・・もちろん空腹の影響も出ていました・・。夜明けとともに、ストレスはかなり高くなり・・自分の口ばしで自分の体全体を突き血だらけになりました。でもそんな事をしても、餌も水も出て来ません・・そこで・今度は空腹を満たす為に近くにある、草・種・ミミズ・等を必死で探して食べ空腹を満たしました。これを機に鳥は野生の本能を少しづつ持ち直し、夜は静かにして休み日の出と共に今度は活動するようになりました。何と数日してから日毎に・鳥の体は死んでも不思議でない状態から、たくましい体に変身して生めない体の鳥がりっぱな卵を生み今まで以上の筋肉の付いた鳥に変身しました。今年はこの”鳥”のように人間も管理された状態から野生の本能をもう一度取り直し・どんな状況にも対応出来る感性を身に付けておく必要があると感じてなりません。
2005年01月02日
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2005年の干支は”鳥”ですね。明日は・・興味が持てる”鳥”のお話のコメントを書きますので楽しみにしていて下さい。昨年多くの方々に、この広場を見て頂き感謝・感激をしています。今年も是非多くの方々に喜んで貰えるように日記を書いて行こうと思います。コンクリート砂漠の日本・・心の水分補給をお互いにしながら”笑いのある”毎日を是非過ごして送りましょう! 皆さんのハートに乾杯!!!
2005年01月01日
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来年度は行政が市民に対して積極的にNPO法人との協働を手掛ける年度になりそうです。国は増税に関する税制面だけ法令にて早急に制定し、その反面市民の生活基盤の面での質的低下・失業・倒産・自殺・犯罪・教育問題等を考えても機能不全状態である。その打開策として”新しい風”をNPOと協働して考えている。今後は行政の目線で無い、あくまでも市民目線の実のある活動が全国各地で運営される事を熱望する。特に静岡県は全国に先駆けて”ふじのくにNPOアドバイザー試験”を実施し、試験の合格者に”ふじのくにアドバイザー”の登録を県知事名で交付している。このように全国のNPO法人を認証している各知事は静岡県のようにNPOアドバイザー制度を早急に取り入れ停滞している・日本を活性化する打開策を講じて欲しい。
2004年12月31日
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自分の全てを捨てて重度障害施設に命を懸けた一人の男のお話です。名前をAさんと仮名にしてお話致します。Aさんは小さい時から複雑な家庭に生まれ育ち、家族愛にも恵まれずに育ってゆきました。丁度中学生ぐらいから暇があれば図書館に通い多くの書物を読んで勉強をし、将来は福祉の仕事に自分自身が従事する事を心に硬く決めました。学業を終了してからAさんは迷わずに福祉の仕事に入り、全て自分の時間を費やし睡眠時間さえも短縮し無心に仕事をするのが日課でした。あまりにも自分自身の体をを過酷にする為に、心肺機能が低下して病院に何度も入院を余儀なくする事もありました。そんな時に偶然にある機会にAさんとお会いする事ができました。初対面から話が合い・・昔からの知人みたいだね・・とお互いに意気投合しました。何回かお酒を呑んだ時にAさんは目頭を熱くして・涙を流しながら・自分は重度障害者の人達に何度も何度も助けられて仕事をさせてもらて・自分からは全員が神様に見えると話してました。ある時にAさんが自分の施設から他の施設に移動した子供に会いに行くと、その子供はAさんの健康状態が悪いのを心配してノートに自分の気持ちを書きました。この子供は言語にも障害があるので、話すときはいつも筆談です・・”先生の病気を全部私の体に頂戴・・私は障害がたくさん自分の体の中にあるから平気・・先生が元気になれれば私は幸せなんだ・・・。Aさんはこの筆談で、恥らうことなくその場で自分胸が熱くなり号泣してしまったと話しました。そんな話を私が聞て・・しばらくしてから急にAさんの健康状態が悪化して天国に召されたと知人から聞かされた・。素晴らしい生き方をされたAさん・・今でも多くに人達に天国より愛の波動を送っている・・そんな気がしてなりません。
2004年12月30日
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最近ダライ・ラマ氏の入国申請に関して政府筋で苦慮してるとの報道があった。なかり前にチベットからインドに亡命する折に、ダライ・ラマ氏の側近がかなりの数で僧侶が死亡したと・・ニュースが世界に流れた。亡命の裏側には険しいチベット山脈を超えてインドに入国する折に、無事に生存して亡命出来た僧侶の裏舞台が最近クローズ・アップされている。歴史的に貴重な経典・資料を自分の持てる範囲で持った僧侶。何も持たないで、ただただ生き抜くことを信じて身軽に全てを捨てて厳しいチベットの山々を歩いた僧侶。この差が生死を分ける結果となったのでる。”全てを捨てて”無心に命懸けで目標に向かう・・・・。この気持ちは現在全ての物事に通じる気がしてなりません。2004-2005のバットンタッチ・・来年度は是非この気持ちをお互いに大切にして過ごして行きたいですね!
2004年12月29日
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今回のスマトラ沖地震津波は多大の犠牲者が続出しています。災害時での瞬時の判断が”生・死”を明確に分けています。その中で一番の基本は、常日頃から感性を磨き続けている事が非常に大きな意味を持ちます。科学で解明できない”予感”とか”気が騒ぐ”とか”感じがする”・・このメンタル面の分野です。以前、法隆寺の宮大工で有名な西岡棟梁が話したお話の中で戦争にて何度も”見えない気”とか”予感”を感じて瞬時にその場で判断して命拾いをしたと聞いた事があります。感性が失われてる現在・・意識して感性を磨く必要があります。四季を体感し自然と触れ合い・作られた物でなく自然からの恵を大切にし自分に厳しく他人に優しい心・・。”みえないものをみる心”を大切にすれば瞬時の対応が自然と出来ます。
2004年12月28日
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とても素敵な中途障害者ドクターの病院のお話をします。ある病院のドクターが病気になり、彼自身中途障害者で再出発をするに際し全ての患者の目線で治療をしたいと考えて新しい試みをした。ドクター・ナース・病院関係者全てが私服で患者を迎えるシステムである。特にメンタル面では患者さん達はこの新システムの治療は気持ちが和らぎ・・安心して治療を受けられるとの好評を受けた。しかしドクターの先生達の間ではは白衣を来て患者さん達に診療をしないと精神的に不安を覚える・・との反対意見が内部より起きてドクターに限り白衣にて治療をしました。新システムのこの病院は多くの患者さん達に人気が出て病後の回復にも成果を上げたと聞いております。最近各病院等で医療ミス・医療事故が多発し死亡事件さえ増加をしています。本来の医療は患者さんの目線で患者さんが安心して治療を受けてこそ本来の医療である。ボタンを掛け違えたままの現在の医療は早急に変革期に来ていると感じてならない。
2004年12月27日
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薬師寺の回廊を建築するに際し、当時は手当てをする檜が国内では手配出来ずに台湾で木々を見つけて確保した。契約をして約束のスケジュールで伐採を始めると・・有る日から突然に木々を伐採する職人さんが誰も来なくなり仕事が中断した。調べると・・伐採中に職人さんが怪我をしたり原因不明で死亡したり・多くの不思議な現象が起こり・木々の神さまの祟りと信じ込んで職人さん達が仕事を中断したのが原因であった。そこで薬師寺に至急の電話が入り・今回注文を受けた数の木材は発送出来ないとコメントが届いた。急遽薬師寺の担当の坊さんが台湾に出向き職人さんに話を聞くと・木々を伐採すると木々が悲鳴を上げて泣いている・・。そんなコメントを多くの人達が話した。そこでその坊さんは山や木々にお経を上げて・伐採された木々はこれから1000年もの間日本お寺で大切に毎日多くの人を助ける為に使われるから安心して下さいと説得をした。その後それを聞いた職人さん達は新たな気持ちで伐採を始め無事期限までに薬師寺に木々が納入された。
2004年12月26日
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