1
【秋田内陸縦貫鉄道】 乗車区間 角館~左通 2008年 8月15日乗車 大雨の影響で、当初予定していた計画は大幅に修正する事になってしまった。悪天候ばかりはどうしようもないことだが、残念な事だった。そのようななかでも、なんとか当初の主目標である秋田内陸縦貫鉄道に乗車する事ができた。前日の大雨の事もあって、当日の天候が気になっていたものの、幸いにも良い天気に恵まれた。これはせめてもの救いであった。 秋田内陸縦貫鉄道は旧国鉄の角館線と阿仁合線を、第三セクター化して生まれた路線だ。転換当初からこの両線を繋ぐ工事線も引受けて、一本の路線として運営する事を目的にしていた為、第3セクター化後に路線免許を取得し、工事がストップしていた区間の工事を再開した。そして会社設立から約4年後には、めでたく全線開通する日を迎えることができた。全線の開通により、全長94キロの長距離のローカル線となった訳だが、元々線路が敷かれている地区が山間地であり、更には鉄道が衰退した後の開通となった事から利用者は伸びず、昨年から廃線を視野に入れた協議が開始されている。現在は一応、2012年までは存続する事が決定されているが、その後については不透明な状況となっている。長距離路線の為に急行列車が運行されているが、無料ではなく急行料金を支払って利用することになる。当日は私にしては珍しく、朝早くの出発となった。この路線は列車の本数こそ、それなりにあるのだが、帰還する列車の都合上、この様な時間となってしまった。秋田内陸縦貫鉄道 角館駅にて AN8800系 角館駅を7:08分発の阿仁合駅行きの列車に乗る為に、ホテルを早々に出て、駅に向かった。ホームには既に単行の列車が停車中だった。駅舎内には切符の自販機もあったものの、硬券入場券が無いものかと窓口を見ると、なつかしい硬券切符の棚が鎮座しているのを見つけた。早速、窓口で終点までの切符も硬券で購入して列車に向かう。改札を抜けて列車に乗り込むと、乗客は高校生と思われる乗客がただ一人のみという状況だった。夏休み中の、しかも早朝という事もあるのだろうが、ほとんど空気を運んでいる様な状況だ。結局、出発までに、更に一人の乗客が増えただけで列車は出発した。角館駅自体はホーム1面に1線の構造で、他に保線用モーターカー用の車庫があるのみだった。発車後は右側に田沢湖線の線路を見ながら並走する事になる。勾配を上りながら右側にカーブすると、それまでの山の風景から平坦線の風景に変わる。勾配もなくなると、やがて線路は左にカーブして田沢湖線から離れていく。周囲の風景は一変して、両側には水田が広がる。元々この区間は国鉄角館線として開通していたが、その時期は昭和46年と新しい為に、路盤の状態は悪くない。踏切も少なく、多くの道路とは立体交差にて交わっている箇所が多くなっていた。直線に敷かれた線路は築堤の上を走り、ローカル線とは思えないほどの速度で快走している。川を渡り右側に緩くカーブしたのちは、また直線の線路を走ることになる。相変わらず水田が続く中を走ると、やがて羽後太田駅に到着する。駅は棒線にホームの構造で、周囲にはわずかの人家があるだけで、あとは水田が広がっていた。 駅を出発しても、風景に変化はそれほどない。相変わらず水田が広がる平地の中を進む事になる。やがて緩く左にカーブすると、また線路は直線に戻り、築堤の上を加速しながら快走する。秋になれば、金色のなびく稲穂の群れの中を走る事になり、それはそれで美しい光景になりそうだなぁ、と風景を見ながら感じていた。羽後太田駅~西明寺駅間 築堤の両側に水田が広がっている。 線路が築堤から地上に降りて、緩く右にカーブすると初めて踏切が現れる。住宅も少し多くなってくると、やがて西明寺駅に到着する。この駅も棒線にホームのみの構造で、待合室が設置されていた。周囲には多くはないが住宅も見られ、急行列車の停車駅となっている事も、なんとなく理解できた。 駅を出発すると、線路は地上に降りたまま進む。相変わらず、線路は直線のままとなっており、線路が見える一番奥まで続いている。やがて線路は低いながらも築堤の上を走ることになるが、地形の関係なのか、道路とは立体交差とならずに踏切となっていた。小さな森が近づいてくると、少し長めの橋を渡るが、鉄橋ではなくバラスト道床付きのPC橋となっていた。周囲には結構集落が点在しており、決して人口が少ない訳ではなさそうだが、駅は現れない。駅間は4キロと、平坦区間のローカル線の割には長めの設定となっている。山が少しずつ近づいてくると、線路は左にカーブする。両側に木々の茂みが迫り、線路の部分のみが空間となっている間を過ぎると、遠方信号機が現れる。この信号機はJR等で使われている4灯式のものではなく2灯式の簡易なものだ。線路は右カーブに変わり、場内信号機が現れるが、この信号機には通過信号機と思われる四角い背板付きの信号機も一緒に設置されていた。八津駅場内信号機 通過信号機も設置されている。急行列車が運行されている関係なのだろうが、この様な設備を見るのは島原鉄道以来だ。線路が直線に変わると程なく八津駅に到着する。この駅は対向式ホームを持った、列車交換可能駅だ。ホーム長さに比べても有効長は長く設定されていたが、これは国鉄時代の名残なのだろうと思われた。周囲は先の西明寺駅に比べても人家の数も少なく、水田の方が目立つ。列車交換可能駅だが、急行列車は基本的に通過するというのも理解できる。この駅で対向列車と交換した後、出発した。 駅を出発すると線路は右側にカーブする。周囲には山が迫りつつあり、いよいよ山間部に分け入る雰囲気となってきた。線路が直線に変わり、平地が少しずつ狭くなっていく風景の中を走る。それでも人家は無くなる事はなく、線路から少し離れた山裾付近に連続して続いていた。左側から山が近づいてきて、それまで続いていた人家も途切れると、線路は左にカーブする。この付近から風景は一気に『山』に変わり、木々が線路の両側に迫ってくる。線路が築堤に変わると、前方にトンネルが見えてくる。トンネルを抜けると直後にPC橋を渡り、左側に桧木内川の流れを見るようになる。八津駅~羽後長戸呂駅間 桧木内川を渡る。 しかしそれも長く続かず、程なく川は線路の下を潜り左に移る。蛇行した川を直線に敷かれたルートをPC橋で乗り越えていくのは、いかにも近代線区といった趣がある。再びPC橋で桧木内川を右にやり過ごすと、直後にトンネルに入り、短い明かり区間の後、再びトンネルに入る。トンネルを出ると平地が広がり、人家や水田も多く見られる様になる。やがて右側にカーブすると線路が直線に変わり、再び桧木内川を渡ると、程なく羽後長戸呂駅に到着する。この駅は棒線にホームのみの構造で、羽後太田駅と同形の待合室が設置されていた。 駅を出発すると、ほどなく左に緩くカーブしながら進む。線路の左側に沿うように人家やビニールハウスが続くが、それが途切れると代わりに水田が続く。平地の面積は先程より広くなり線路の右側には多くの住宅が見られる様になる。線路が高い築堤を走りながら、緩く続いたカーブも直線に変わり列車は快調に走るが、やがて列車は減速して松葉駅に到着する。松葉駅に進入この駅は棒線にホームのみの構造だが、線路の敷かれ方や構造上から、将来は島式ホームとなり、列車交換が出来るように意識して造ってあると感じた。この駅はかつて国鉄角館線だった時代には終着駅として存在していたが、当時の列車本数は一日3往復のみという状況だった為に、交換施設は不要だったと思われる。将来の路線延長時に列車交換駅に改修する予定だったのだろう。 駅を出発すると、列車はいよいよ新線区間に入る事になる。出発してしばらくの間は枕木も木製だが、やがてPC枕木に変化した。枕木が変化するだけで路盤の雰囲気も随分と変わり、まるで本線の様な雰囲気を出していた。直線に敷かれた線路を進むと、やがて左にカーブしてトンネルに入る。周囲は平地が少なくなりはじめ、水田もあまり多く見られなくなる。風景は水田に代わり、畑が主流となっていく。人家はまばらに点在している様な状況で、典型的な中山間地の風景となっている。やがてまばらに存在していた住宅も無くなり、線路の両側に木々が生い茂る中を進むと、またトンネルに入る。トンネルを出ると左側に道路が現れ、並行して走ることになる。右にカーブしながら川を渡ると、山の間に出来た狭い平地が広がり、そこには水田が広がっていた。奥に集落が見え始め、線路が直線に変わると程なく羽後中里駅に到着する。羽後中里駅に到着 駅は奇麗に整備されていた。 この駅も棒線にホームのみの構造で、今後も新線区間の駅に共通して設置されている待合室が設置されていた。周囲には集落が一つある程度で、静かな山間の雰囲気が出ている。 駅を出発すると、程なく左側に大きくカーブしながら川を渡る。周囲は人家も少なく、右側から山裾が迫ってきた。やがて右側に緩くカーブすると直線のトンネルを潜る。トンネルを出ると直後PC橋を渡り、道路の高架下と連続するトンネルに再び入る。このトンネルも直線で構成され、このトンネルを出るとまたもPC橋を渡る。建設にはさぞかしコストが掛ったものと想像できるが、山間のローカル線に、これだけの設備が本当に必要だったのか、設計段階の思想がよく解らない。一旦、藪が刈られた様な整備された場所を進むが、それも短い区間で終わり、再び木々の茂る藪の間を進む事になる。線路が左にカーブして線路が直線に変わると、またもトンネルが現れた。トンネルを抜けると、右側に大きくカーブして進む。周囲にはビニールハウスなども現れ始め、集落も見られる様になる。線路が直線に変わりしばらく進むと、左通駅に到着する。この駅も棒線にホームのみの構造で、周囲には人家もまばらという状況だ。駅の右側には山裾が迫っていた。駅は築堤上に造られており、ホームに到達するには数十段の階段を昇ることが必要となる。駅から集落までは距離もあり、この駅を利用する人はほとんど無いに等しいのではないかと感じた。 その2につづく ↑よろしかったら押してくださいな
2009年05月24日
閲覧総数 555
2
【信楽高原鉄道 信楽線】 乗車区間 貴生川~信楽 2007年2月11日乗車 今回の乗り潰しには同行者がいる。今回で2回目となるが、私と同じく『鉄』を愛する同志である。先にも抜粋して書いたが、近江鉄道の乗車と今回の信楽鉄道の乗車が目的であった。近江鉄道を米原から乗車してきて、貴生川に到着。信楽高原鉄道に乗車する為にホームを移動した。各鉄道会社のホームは跨線橋で接続されており、乗り換えにはさほど不便さは感じられない。信楽高原鉄道の乗り場はJR草津線が使用する3番線の脇にあり、ホームには番号が付けられていない。信楽高原鉄道は貴生川駅と信楽駅を結ぶ、営業距離14.7キロの単線非電化路線だ。かつては国鉄信楽線として、国鉄ローカル線の一部だったが、昭和56年に特定地方交通線として廃止される事が決定した。その後昭和61年には第三セクターでの存続が決定し、僅かに3ヶ月間のみは国鉄分割民営化の流れの中でJR線となったが、昭和62年7月13日に正式に開業に至る事になった。以前はJRから臨時列車の乗り入れがあったが、平成3年に発生した列車衝突事故より後は運行されていない。現在、JRと繋がる渡り線は撤去されている。信楽駅から乗車する列車は2両編成となっていた。列車にはヘッドマークが掲出されており、そこには『盆梅列車』の文字が。その意味はその内の1両について、車内のロングシートの一部に対角上に梅の盆栽が展示されているというものだった。貴生川駅にて SKR300系定刻に貴生川駅を出発した列車は程なくJR草津線と別れ、右に大きくカーブして杣川を渡ると長い直線となった線路が現れる。橋を渡りきると線路は築堤となり勾配が続くが、やがてその高さは2階建ての家を優に超えて、見下ろす感じとなってゆく。直線に延びる線路の両側は主に水田だが、集落を形成した人家も多く見られる。やがて、はっきりと勾配の角度が変化する事がわかる場所に差し掛かるが、その横に設置されている勾配標識が33‰を示していることからも、その勾配の強さが理解できる。貴生川駅~紫香楽宮跡駅間直線の線路上で勾配が変化する 左にある白い勾配標識が33‰を示している。勾配が急となったのちは少しずつ風景が山深くなってくる。沿線に人家も殆ど見えなくなり、冬枯れの木々が両側を覆う中、左右にカーブしながら勾配を登ってゆく。この路線は貴生川の次の駅まで9.6キロの距離があり、この区間だけで全線の半分以上を占めている。やがて線路が直線となり勾配もほぼ無くなると、前方に場内信号機が見えてくる。但し、信号機自体は横を向けてあり、現在は使用していない事を暗に示している。この場所がかつて小野谷信号所と呼ばれた場所で、路線内で唯一の列車交換施設だった。小野谷信号所 信号機が横を向いている現在もなお、施設が残されている事を考えれば、将来の復活の可能性もあるのだろうか?信号所を過ぎると、線路は下りに変わるが風景には特に変化はない。線路が急にカーブする事も少なくなり、坦々と線路を下ってゆくが、やがて眼前に第二名神の立派な高架橋の下を潜る。山の中に突如現れた人工物に違和感を覚えるが、これが今の現実なのだろう。やがて線路が左側に大きくカーブしてしばらく進むと、ほどなく初めての停車駅である紫香楽宮跡駅に到着する。この駅はカーブ上に造られた棒線にホームのみの駅だが、少し下がった所に集落がある。駅自体は第三セクターとして移管された時に新設されている。駅を出発すると、風景はやはり以前のまま、冬枯れの木々の続く中を走る。加速もそこそこに、ブレーキがかかると雲井駅に到着する。駅間は600mと極めて短い。この駅も棒線にホームの駅だが、駅舎も残っている。線路の配線から、かつては列車交換可能だったのかもしれないが、現在ではホーム跡も見あたらない。駅を出発すると、線路は平坦区間を走る。線路の両側には、木々も茂っているが人家も多い。やがて人家も少なくなり始めると田畑が現れる。のどかな風景の中、しばらく走ると程なく勅旨駅に到着する。この区間も駅間1.8キロと長くない。駅は棒線にホームのみの構造だ。雲井駅~勅旨駅間 田畑が広がる、のどかな風景が広がる勅旨駅を出発すると、やはり人家と田畑の混在した中を走る。今までよりもすこしずつ人家が増えている感じがする。集落が現れて、左にカーブすると程なく玉桂寺前駅に到着する。駅間も短く1キロだ。駅は山に入る直前のカーブ上に造られていて、相変わらず棒線にホームのみの構造だ。駅の周囲には当然と言っていい位に人家はない。この駅も第三セクターとして開業した時に新設されたものだ。駅を出発すると、また冬枯れの木々の中を走る事になる。やがて左にカーブすると線路はほぼ直線となり、川を渡る頃には奥に場内信号機が見えてきて、終点信楽駅に到着する。本当に駅間が短い。信楽駅に進入 右の建物が車庫結局路線内で列車交換が出来る駅はなく、全線で1閉塞となっている事が理解できる。信楽駅は対向式ホームを持った駅だが、駅舎の反対側のホームは殆ど使用されていない感じだ。一応、どちらの番線にも発着出来るようになっており、出発信号機も生きている。構内の貴生川方に車庫も併設されていて、数両の車輌が待機している。更にモーターカー用の側線も1線存在する。信楽駅舎駅前はそれほど賑やかな感じではなく、良く見る地方の駅前といった風情だ。さすがに信楽焼の産地だけに、巨大な『たぬきの置物』が設置してある。(公衆電話置き場を兼ねて)そして駅舎内には列車衝突事故で被災した車両の一部が、事故を忘れない様にと展示されている。今後も安全運行を願うばかりである。おわり ↑よろしかったら押してくださいな
2007年10月14日
閲覧総数 381