たった一枚の写真から、物語が始まる。遠く山脈を見渡す斜面で、ひとりの兵士が銃弾に倒れる刹那を撮った写真。「崩れ落ちる兵士」と呼ばれるロバート・キャパ(本名、エンドレ・フリードマン)による有名な一枚であり、フォト・ジャーナリズムの最高傑作のひとつ。しかし、実はこの写真はキャパの作品のなかでも「疑惑の一枚」として議論されてきた曰く付きの写真。撃たれた兵士の斜め前から撮ったということはカメラマンの背中側から銃弾が飛んできているはずであり、そのような状況で死の「完璧な瞬間」を撮ることができるものだろうか。そもそも本当の戦場で撮られたものなのか。フェイクではないのか。
ふたりは自らを売り込むために架空の存在を創りだした。アメリカ人写真家「ロバート・キャパ」である。この目論見は大成功。「キャパ」の正体がフリードマンであることが露呈した後もロバート・キャパを名乗り続ける。時を同じくしてゲルタもゲルダ・タローという作家名を使い始めた。「タロー」はパリ時代に出会った、岡本太郎から頂いたらしい。岡本太郎ファンのパパとしては、嬉しいサイドストーリー。1936年、7月。スペイン内戦が始まる。キャパとタローは被写体を求めて戦場へと赴いた。「崩れ落ちる兵士」が撮影されたのは1936年の9月。内戦初期である。キャパはこの写真について公式に語ることはほとんどなかった。また、自身の手で注釈や解説文をつけることもなかった。事実がどうであれ「崩れ落ちる兵士」が彼を「偉大なキャパ」に変えてしまった。「秘密」を分かち合える唯一の人であったタローは、その約一年後、戦車に轢かれて死んでしまう。キャパは「十字架」を背負っていく。
沢木はキャパが定宿とした安ホテルが、自分のいたアパルトマンのすぐ近くにあったことに気付く。沢木と在りし日のキャパが、ここで交錯。このパリ訪問のとき、沢木は40歳前後。キャパはベトナムで地雷を踏んで死んだ。享年40歳。タローは26歳で死んだ。そして、キャパの心の奥底にずっと留まりつづける。「崩れ落ちる兵士」と同等かそれ以上の写真を撮らなければならない。「偉大なキャパ」の呪縛から解き放たれるために、彼は幾度も戦場に身を投じる他なかった。沢木はこう感じているのではないか。キャパもまた、「今」のなかに「完璧な瞬間」を求めていたのだ、と。『キャパの十字架』で「崩れ落ちる兵士」の謎に答えを出した沢木の目的は、キャパの「虚像」を剥ぐことではなかった。沢木は自分自身の姿をキャパに重ねていた。キャパと自分が「同類」であるのは、「視るだけの者」としての哀しみを知っているからだ。沢木はそう述懐する。「視るだけの者」は孤独であり、「伝える者」は物語を生み出す。誰も予期せぬ形で彼らに「十字架」を背負わせる。
パパにとっての戦場カメラマンと言えば、キャパではなく圧倒的に澤田教一だ。沢木の探究心、好奇心も悪くないが、何か土足で穢してはいけないものに踏み込む感じがあり疑問を感じた。ピカソのゲルニカに並ぶ、スペイン人のイコンである「崩れ落ちる兵士」を穢しても良いのか?下記の澤田の名作も疑えば何か埃が出るかもしれないが敢えて放置するのも、「視るだけの者」の見識ではないのか?
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