こんにちは
古代史妄想をごらんいただきありがとうございます。
ご意見・ご感想書き込み歓迎です。
テーマ以外を書き込みをいただいても削除させていただく場合がありますので予めご了承ください。
反対ご意見については、私なりに必ずご回答差し上げます。
前置きがながくなりましたが、昨日の続きです。
「倭」の読み方は「わ・い・やまと・したが(う)」とあります。
大友皇子の母は「倭姫(いき)」から「伊賀(いが)」に分裂したのではないでしょうか?と述べました。
日本書紀上、倭姫王は舒明天皇の息子・古人大兄皇子とされています。
「大兄」は古代史上は「おおえの」ですが、
以前、「大兄」は「たけい(だいけい)」と読み、
高句麗の官職名と言及しました。
事実、高句麗滅亡後日本国から「大兄皇子」は消滅し、「皇太子」「東宮」の表現になりました。
その後、次の天皇候補を(かりに天皇の弟でも)
「皇太子」「東宮」で統一しています。
奈良時代以降、天皇の子を「親王・内親王」をよぶこととも深く関係があるでしょう。
ところで、「倭姫王」の父親が「大兄」というのもグローバルな感じですが、「倭姫王」の母親は歴史上登場しません。
「古人大兄皇子」の子供は記録上「倭姫」だけなのです。
ところで、私はあまり「この人は架空の存在である」
という意見は述べたくないのです。
以前も言いましたが、この時代はまだ「物語創作」という概念が存在しないからです。
ということは「伊賀宅子郎女」は「倭姫王」の分裂であって、さらに「倭姫王」も誰かの分裂に違いないということです。
もちろん、その誰かがわかれば、「古人大兄皇子」は誰の分裂かのあたりがつきます。
古代史妄想 総括 2018/04/17
三田誠広氏の小説「白村江の戦い」を読み… 2017/09/07
2016年1月5日のつづき 天智天皇暗… 2017/03/17 コメント(1)