2009/05/10
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カテゴリ: 古代史系の妄想

こんにちは

古代史妄想くんです

お越しいただきありがとうございます

タイトルは古代史ファンならご存知ですね

隋の2代目皇帝の煬帝(ヨウダイ)に倭国(わこく?ダイコク?)のアメノタリシヒコがあてた、結構失礼な手紙です

何回か前に(小野妹子のときかな?)アメノタリシヒコに該当する天皇がおらへんという話をしました。(なんで急に関西弁?)

日本書紀上、このとき601年?に在位中の天皇は日本初の女帝である推古天皇だったので、隋書とのつじつまが合わないのです。

まして、隋側は「小野妹子」の読みを「蘇因高(そいんこう)」と記述していますから、こちらのほうが「推古」に近いと。

アメノタリシヒコは「キミ」という名の妻がいると明記してありますから、どう考えても男です

(おなべ?いうよね~)

冗談はさておき、苦し紛れに

1.アメノタリシヒコとは聖徳太子のことである

とか

2.聖徳太子は実は天皇になっていた

とか

その割りに、

3.聖徳太子は蘇我氏の業績を代表した架空の人物である

とか(大幅にくるってはいないと思うんですけど・・・・)

ある本に、隋の使者は四国までしかきていない。

当時の倭国の首都は「宇和島」だったという説が載っています。

これは実に的を得た意見で、どう読んでも、近畿地方に上陸するのは旅程的に無理があり、瀬戸内海の西方であるほうが、蓋然性が高いのです。

実は聖徳太子はちょうどこのころ体調を崩し、道後温泉で療養しているのです

なあんだ、やっぱり聖徳太子じゃないか!!といわれそうですが、ちょっと待ってください

体調崩して温泉療養にきている人が「中国の皇帝」に外交の手紙書けますか?

ということは、聖徳太子は少なくとも、当時は「倭国王」ではなかったと思われます。

じゃあ誰?

女性の推古天皇では外交上不利だから、性別を偽った?

ここは自然に、推古天皇の配偶者格くらいがふさわしいのではありませんか?

となると、推古天皇は30代敏達天皇の皇后ですから、アメノタリシヒコは敏達天皇?

残念ながら敏達天皇の名前は「沼名倉太珠敷(ぬなくらふとたましき)」です。

号は 息長足日広額天皇 (おきながたらしひひろぬかのすめらみこと)。」

です。

たぶん「足」がタラシですが、「足日広」で「タラシ・ヒ・コウ」になるんですけど。

じゃあ「アメ」は?「天」=アマです。

順番が違うとおっしゃりたいのでしょうが、

天皇舒明、舒明天皇 どう違います?

(カレーライスとライスカレー?古。)

かたや、天皇足日広(アメノタリシヒコ)、一方、息長足日広額天皇(オキナガ・タラシ・ヒ・コウ・ヌカ・テンノウ)で、これは私の想像ですが、古代息長氏と関係があり、推古天皇(額田皇女)の血縁であったとすれが埋まります

ただ問題なのは、このとき舒明天皇(幼少期は田村皇子)は8歳。

平安中期の藤原氏全盛期の傀儡天皇ではあるまいし、計算があいません

つまり、日本書紀の年代は隋書と食い違っているのです。

舒明天皇は601年ごろの天皇であり、推古天皇は同時存在か、違う年代の存在ということになります。






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Last updated  2009/05/13 07:53:01 PMコメント(0) | コメントを書く


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