こんにちは
古代史妄想くんです
前回は日本初(本によってはアジア初)の女性天皇、推古天皇について記述しました
その次は皇極天皇でこちらは史上初の2回皇位についた天皇です
有名な645年大化の改新も皇極天皇のときです
この天皇は、舒明天皇の皇后ということで即位したことになっています
でなければ、皇極天皇は敏達天皇の曾孫ですから、とても皇位からは縁遠いはずです
舒明天皇即位前、先代の推古天皇崩御時、後継を決めておらず(なんかあやしい)
敏達天皇の孫、田村王(後の舒明天皇)と用明天皇の孫(聖徳太子の子)、山背大兄王との間で争われました
当時の大臣、蘇我馬子は娘の法堤郎媛(ほていのいらつめ)を田村王に嫁がせていましたから、協力に推薦しました
蘇我境部臣摩理勢 に推挙を頼みます
しかし蘇我氏内紛は馬子の勝利で摩理勢は敗死します
そうして田村王は舒明天皇になるのですが、その崩御後、なぜ山背大兄王に皇位のはまわらず、皇極天皇になったのか?
ですから、推古崩御後、女帝をついだのは皇極ではないでしょうか?
(私見はさらに同一人物の可能性をも見出しています)
舒明崩御後、男皇についたのは「孝徳天皇」だと思います
孝徳天皇は皇極天皇の実の弟ということになっていますが、疑問で、
皇極天皇の最初の夫「高向王」は「高(こう)と向(く)」で「こうとく」だと思っています
話が横道にそれっぱなしですみません
私見では、推古天皇と皇極天皇は同一人物ですが、
そうでなくても、皇極天皇が天皇の曾孫という遠縁であるわけがなく、
もしかすると、推古天皇の皇女(小墾田皇女)かもしれません
なぜなら、推古天皇は小墾田宮で崩御し、皇極天皇もたびたび小墾田宮に都をおいているからです
古代史妄想 総括 2018/04/17
三田誠広氏の小説「白村江の戦い」を読み… 2017/09/07
2016年1月5日のつづき 天智天皇暗… 2017/03/17 コメント(1)