2009/05/17
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カテゴリ: 古代史系の妄想

こんにちは

古代史妄想くんです

前回は日本初(本によってはアジア初)の女性天皇、推古天皇について記述しました

その次は皇極天皇でこちらは史上初の2回皇位についた天皇です

有名な645年大化の改新も皇極天皇のときです

この天皇は、舒明天皇の皇后ということで即位したことになっています

でなければ、皇極天皇は敏達天皇の曾孫ですから、とても皇位からは縁遠いはずです

舒明天皇即位前、先代の推古天皇崩御時、後継を決めておらず(なんかあやしい)

敏達天皇の孫、田村王(後の舒明天皇)と用明天皇の孫(聖徳太子の子)、山背大兄王との間で争われました

当時の大臣、蘇我馬子は娘の法堤郎媛(ほていのいらつめ)を田村王に嫁がせていましたから、協力に推薦しました 

蘇我境部臣摩理勢 に推挙を頼みます

しかし蘇我氏内紛は馬子の勝利で摩理勢は敗死します

そうして田村王は舒明天皇になるのですが、その崩御後、なぜ山背大兄王に皇位のはまわらず、皇極天皇になったのか?

ですから、推古崩御後、女帝をついだのは皇極ではないでしょうか?

(私見はさらに同一人物の可能性をも見出しています)

舒明崩御後、男皇についたのは「孝徳天皇」だと思います

孝徳天皇は皇極天皇の実の弟ということになっていますが、疑問で、

皇極天皇の最初の夫「高向王」は「高(こう)と向(く)」で「こうとく」だと思っています

話が横道にそれっぱなしですみません

私見では、推古天皇と皇極天皇は同一人物ですが、

そうでなくても、皇極天皇が天皇の曾孫という遠縁であるわけがなく、

もしかすると、推古天皇の皇女(小墾田皇女)かもしれません

なぜなら、推古天皇は小墾田宮で崩御し、皇極天皇もたびたび小墾田宮に都をおいているからです






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Last updated  2009/05/22 01:17:01 PMコメント(0) | コメントを書く


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