2012/07/05
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カテゴリ: 古代史系の妄想
舎人親王
舎人親王としつこいなあ・・・
と我ながら思います。

ただ、日本書紀の総責任者(名誉職?肩書きだけ?それでは現代の大臣と共通点があります)

である舎人親王の研究を重ねることによって
古代史の謎に少しでも近づきたいと思いました。

ところで、飛鳥・奈良時代の天皇は皇后や婦人、妃が多くいました。
血統を絶やさないための手段であり、江戸時代の大奥はそれの完成型と思われます。

余談ですが、個人的には一夫一夫制は賛成ですが、このままでは皇室に男子が誕生しなくなるのではと危機感をいだいています。


ところで、古代においても、天皇の皇子親王クラスになるとお妃は多くはありません。
いまも昔も、奥さん以外の女性を養うには相当の財力を必要したはずだからです。

舎人親王も息子は天皇になりましたが、自身は天皇になれなかったので、記録に残るお妃はあまりいません。

しかも当麻氏の子女のみなのです。

当麻氏の先祖は聖徳太子の父親用明天皇とされています。
用明天皇の皇子、麻呂子皇子(別名=当麻皇子)を祖とします。

ここで興味深いのは、麻呂子皇子のお妃は、欽明天皇皇女の舎人皇女です。

ここで、また妄想するのは、舎人皇女の子孫だから舎人親王の妃になったのか、
当麻氏の子女をお妃にもらったから「舎人親王」になったか?
どっちが先?

以前、当ブログにて、欽明天皇と舒明天皇は謚もにてるし、家族の名前がほどんど一致している。こんな偶然はほとんどあり得ない確率でしか成立しえないと書きました。


冷静に考えれば、偶然ではないという結論になります。

しかし、古代史の世界では偶然の一致で片づけられます・・・・・
釈然としません。

私説では、孝徳天皇が用明天皇に分割増殖しているので、舎人皇女を欽明=舒明の皇女とすれば、舎人親王の妃は孝徳天皇の皇女か孫の可能性もあるわけです。

どうも奈良時代は母系の血統重視であったとしか思えません。



淳仁天皇誕生により、舎人親王の出自にハクをつけなければならなくなり、
天武天皇皇子&天智天皇孫をむりやり結びつけたのだと解釈します。

こういう書き方をしましたが、私は舎人親王を尊敬していますし、あくまでも、皇族であったであろうことには、疑問はありません。

ただ、正史に残る系図と実際の血のつながりにはズレがあるとしか思えないのです。





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Last updated  2012/07/07 02:11:47 PM
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