wikiの藤原鎌足の項の引用なのですが、
元々は中臣氏の一族で初期の頃には中臣 鎌子(なかとみ の かまこ)と名乗っていた (欽明天皇朝で物部尾輿と共に排仏を行なった中臣鎌子とは別人)
。
その後中臣 鎌足(なかとみ の かまたり)に改名。そして臨終に際して大織冠とともに藤原姓を賜った。
つまり、生きていた頃の彼を指す場合は「中臣鎌足」を用い、「藤原氏の祖」として彼を指す場合には「藤原鎌足」を用いる。
しかたありません。時代がちがうのですから。
私はかねがね日本書紀の時価軸はずれている!と叫んできました。
つまり私の妄想は中臣鎌足は物部尾輿&守屋と廃仏運動を繰り返していたのです。
え?物部守屋と組んだのは中臣勝海じゃないの?ですって?
そうです。中臣勝海は鎌子の子という説があり 迹見 赤檮(とみ の いちい、生没年不詳)に殺されたとあります。
勝海(かつ・あま=かま)であり、鎌子・勝海・鎌足は同一人物の別称の可能性があります。
仏教戦争に敗北した鎌足=鎌子=勝海が中大兄=葛城皇子を味方に引き入れ、
蘇我入鹿ではなく、
蘇我馬子=うまこ=厩戸=聖徳太子=善徳を暗殺した事件が
大化の改新=乙巳の変とだと思います。
そんなバカなとお思いでしょう。
では、欽明天皇の皇子に葛城皇子がいることをご存じですか?
そうです、天智天皇の前は中大兄、その前は葛城皇子です。
欽明皇子に葛城、舒明皇子に葛城です。
欽明の時代に鎌子。
舒明の時代に鎌子(鎌足)です。
想像をたくましくすると、藤原鎌足は落馬による事故死になっていますが、
もしかすると迹見 赤檮(とみ の いちい)に相当する人物に暗殺されたかもしれません。
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