昨日は、セミナーやら会合やらで久々1回休みにしました。
私は常日頃、
「日本書紀はウソはついてはいません。ただし、別名を別人と読み間違うように誘導し、年代もおなじ干支(60年周期)の記事を誤解を招きやすいように仕向けている」
と言ってきました。
それは、上からの圧力に対する、歴史家の良心・誇りを維持するためのささやかな抵抗とも考えます。
「上」とは?舎人親王?不比等?
そしてその圧力とは、
1.都合の悪いことは削除せよ。
2.中国(当時は唐)にバカにされないようになるべく建国の歴史を古い時代に持っていけ。
3.倭国の悪口は仕方ないが、日本国の悪口は書くな。
明らかに日本国天皇の天智以降は称賛記事をメインに都合の悪いことは削除かスルーです。
戦前は紀元1300年祭りとか強制されたようですが、現在紀元前660年に神武天皇がいたと信じる人はほとんどいないでしょう。
聖徳太子が法隆寺を建立したのは、607年とされますが、670年再建説も根強く主張されます。
私は上記の観点から、聖徳太子が7世紀後半建立とみたいです。
え?聖徳太子は621年薨去?
でも有間皇子=うまみこ=厩戸皇子=聖徳太子は658年に中大兄皇子に殺されています・・・・・・・
古代史妄想 総括 2018/04/17
三田誠広氏の小説「白村江の戦い」を読み… 2017/09/07
2016年1月5日のつづき 天智天皇暗… 2017/03/17 コメント(1)