2013/03/31
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カテゴリ: 古代史系の妄想
ネタバレしないようなコメントを。

著書の中に「息長真手王の娘が継体大王と敏達天皇に嫁いでいる」とあります。

日本書紀上は26代継体天皇の孫が30代敏達天皇となっていますからこれはおかしい。

息長真手王が自分の娘を祖父と孫にそれぞれ嫁がせるのはおかしい。

通説は複数の「息長真手王」が存在するとします。

はあ?

そういうふうに逃げる人は頭が固いか能力がないとするしかありません。

毒を吐くのはいい加減にして、私見を述べます。

「天皇」呼称は律令制とともに誕生しました。


以前は「大王」とか「倭国王」でした。

タイトル通り「継体天皇」ではなく「継体大王」は説得力のあるネーミングですが、
予想を反して以外な結末がまっていました。

気になる方はぜひ一読をお勧めします。

ところで、私が気になるのは天武持統以前の「天皇」は後世「天皇序列」に加えられたわけですが、なにをもって日本書紀は「神武天皇」を初代天皇にしたのでしょうか?

アマテラスでもなく、スサノオでもなく
ジンムなのです。

これは持統が自身を「アマテラス」にみたてて、孫の文武天皇を「ニニギ」に見立てたのだ。
ということですが、だったら「アマテラス」を初代天皇でいいのでは?

日本書紀は対外的に日本の歴史を古く見せたいがために倭国王(外国の王?)を天皇序列に加えたきらいは充分にあります。

だったらなぜ「ジンム」でとめたのか?



あれ?これでは感想文にならないでしょうか?

う~ん。ネタバレしないように意識しすぎました・・・






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Last updated  2013/03/31 08:47:00 PM
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Re:神谷さんの著書「継体大王の年齢研究」を読み終えました。(03/31)  
直伝古代史 さん
倭継大君(継体)の異母兄弟倭武(タケル。応神)王君は、
扶余王族に呼ばれ合議政治の倭国に来た入り婿の傀儡王である。
武の子が、40で即位した幼武(ワカタケル。欽明)
である。武は百済昆支と言う。
詰まり幼武と百済聖明とは従兄弟である。 (2014/10/12 06:10:14 PM)

Re:神谷さんの著書「継体大王の年齢研究」を読み終えました。(03/31)  
神谷政行 さん
拙著に対するご批判、身に染みました。真正面に向き合いって頂き有難う御座います。ご批判の部分は、最後を締めくくる意味で、残る疑問を5項目ほど羅列したもので、一つ一つをもっと深く説明すべきでした。誤解を生むことになり、申し訳ありません。

日本書紀のこの時代の記述は単に年齢や在位を単純に引き延ばすだけでなく、本来は三国志と同様に,最後の後漢皇帝は、次の王朝魏の曹操の支配下にあったように、継体は武烈を簡単に殺さずに囲い込んだと推論しました。

御礼申し上げます。 (2021/11/12 02:34:50 PM)

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