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うれしい電話が入った。懐かしい20数年ぶりに聞く友人の声だ。
がっはっは!!! めちゃくちゃ懐かしいし、可笑しい会話だった。
いま嬉しくて、嬉しくて。
さて、
以下の文章は私たちの高校時代のものなので、かなり稚拙である。
でも、タツと話をしていて「あとでブログに載せるよ」と言っておいたので、
思い切って載せてしまおう。
と言うことでさっき話題になった高校時代の「タツ」。
昭和55年8月3日 「草津」
8月3日、それは私にとって忘れることのできないラグビー部の
合宿でのことである。
この日、午後に行われたOBとの試合は内容、結果ともに
思わしくなく監督、コーチは激怒した。
その日、雨のためにヘルニアが再発した関口君に代わって、
後半からは私が出ていたのである。
試合が終わる頃あたり一面は、薄暗い闇に包まれていた。
私たちは説教を受けたあと、うさぎ飛びでグラウンドを数往復
させられへばっていた。
「ちゃんとやってるのか!」
コーチの声は山に木霊してグラウンドに響く、皆は元気なく返事を返す。
私は心の中で「だめだ、もうこれ以上何も出来ない」と思っていた。
「ようし、グラウンド3週3分以内だ、切れない者はアゲインだぞ」
私はそこから逃げられるものならば、逃げたかった。
心臓の鼓動は速まり、息も荒くなっていた。
結局2週でダウンしてしまい、いつまでも回らされていた。
暫くしてコーチが突然「タツ!ちょっと来い!」と私を呼んだ。
その時私は、何が起こるのか予知していた。
コーチに近づく「いい加減にしろ!」次の瞬間、私の眼前に
拳が見えたと同時に「ゴキッ」という鈍い音がした。
鮮血が口中に広がる。
腹には蹴りが入る。
「やるのか、やらねぇのか、どっちなんだ!」
「やります」私はつぶやくように答えた。
「何言ってる、聞こえねぇよ!」
「やります!」
私は必死に走った。
半分くらい走った頃だったか、誰かが背中を押してくれて、
やっとのことでタイムを切ったことをおぼえている。
今になって考えてみると、なんとも自分が情けなくて
しようがない様に感じられてならない。
と同時に、背筋が「ゾクッ」とする様な、ある夏合宿での半日であった。
byタツ(昭和56年冬)
こんな会話を先ほど電話でした。
一人だけ書いたのでは卑怯なので、私のも載せておこう。
「3年という歳月」
私の耳に人々の声はなかった。
私の目にも何が映っていたろう。
時間の波が私だけを残し、過ぎ去っていくようだ。
すべてを犠牲にしてやってきたものがここでおわった。
今日のこのくもり空がこのことを暗示していたようだ。
あっけなかった。
すべてを犠牲にしてやってきたものは、こんなものだったのだろうか。
グラウンドの片隅に私はいた。
ここから見るグラウンドはまるで別世界のことのようだ。
グラウンドで崩れ落ちた者の姿が見える。
まわりで立ちすくむ仲間の姿が見える。
まるで絵に描いてあるようだ。
私の頭は澄んでいた。
意思とは逆に目からは熱いものが流れおちていた。
私の脳裏には過ぎていった日々のことがよみがえってきた。
私の胸に重くのしかかっていたものが、去っていくようだ。
すべてが終わったという安堵感なのだろうか。
ラグビーだけに費やした3年間は取り戻すことができない。
何か残るものはあったのだろうか。
やっと終わったという気持ちだけではあまりにもさびしすぎる。
いろいろやってみたいことがある3年間で、ラグビーだけをやってきたんだ。
何かほしい。
何もできなかったが、私にはこれがあるといったものがほしい。
最後に、私たちのあとにも何年も続くであろうラグビー部に
栄光あれ!と叫びたい。
by大元(昭和56年冬。書いた当時はもちろん本名なので、大元ではない)
ははは、高校生の頃の卒業文集からでした。
恥ずかしいけど、懐かしい「タツ」のことなのでみなさんごめん。
最後まで読んでくださった方っていないかもしれませんが、
ありがとうございました。
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