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スキージャンプというマイナー競技を扱った『ノノノノ』という漫画が好きである。僕が岡本倫先生の漫画をリアルタイムで読んだのはこれが最初である。当時,スキージャンプのオリンピックに女子の部がなかったので,主人公のノノが性別を男と偽ってオリンピックを目指すというスポーツ漫画である。シュールな独特のボケ,可愛いらしい絵柄からの残酷な描写と,なんか好きである。ノノノノ 1【電子書籍】[ 岡本倫 ]僕は5ちゃんでたまにやってる「強さ議論」が好きなのであるが,『ノノノノ』の各キャラの強さはどの程度のものか,成績を振り返った後,最後にランキングを作ってみたい。なお,強さの基準にすべきは公式戦なのだろうが,本作ではちょいちょい非公式試合もしている。まったく無視するわけにもいかないので,非公式試合(以下「野試合」)を含む以下9つの試合をもとに考察したい。なお,公式戦はやたらと不正行為が多く,実力を発揮できない選手が多かった。後で検討するが,なんと不正行為被害率100%という悲しい選手もいた。そのため試合結果以外の要素も入れて強さを論じることが難しいのだ。1.野試合vs加東(1巻1話)対戦相手は加東雅史。高校3年時にインターハイ優勝,全日本選手権3位という強豪で,ノノが彼に因縁をふっかけて試合に持ち込んだ。彼と戦いつつ,ノノが推定101.5メートルを飛んだところで,「勝てるわけがない」と加東が棄権して終了である。思えば,相手はインターハイ優勝経験者なので,物語冒頭の時点でノノはインターハイ優勝できる実力を持っていたことになる。僕的には,このときの描写が強く頭に残っており,ノノのことをずっと強豪だと思っていたが,のちのちの展開を見ていくとノノはかなりの苦戦を強いられている。こうして考えると,ノノのいた世代は強い奴らばかりだったのだろうなぁ・・・。2.野試合vs天津(1巻~2巻10話)対戦相手は同じ高校1年の天津暁。彼は祖父,父の代からジャンプをやってるジャンプ一家である。飛型点,つまり空中や着地時の姿勢を無視し,遠くに飛んだ方が勝ちという独自のルールだが,このとおり,天津が勝った。2本目,天津は空中で1回転したり転倒したりと,遠くに飛ぶために飛型点を犠牲にしているという言い訳はあるものの負けは負けである。特に2本目開始時,ノノには有利な風が吹いていたのにもかかわらず飛ぶ前に気持ちで負けており,このあたりから精神的に弱いところが出てきている。僕的にはまだノノが負けたことについて一応の言い訳があったので,多少揺らいだものの,ノノ強豪説は維持されていた。3.長野県高校対抗団体戦(3巻25話~35話)札幌で行われる大会の選抜戦である。個人優勝はノノ,2位が天津である。あくまで目的は団体でノノの所属する奥信高校が優勝することであるが,主人公の面目躍如といったところ。ただ,尻屋の板に細工がされるという不正行為があり,それがなければノノは優勝できていなかった可能性もある。4.野試合vsハンス=シュナイダー(4巻40話~5巻45話)特殊ルールとして2本飛ぶことなく1本だけの勝負である。対戦相手のハンスはオーストリアのチャンピオンであるが,このとおりノノの敗北である。しかも,ハンスはゲートを下げているハンデがあり,ノノの完全敗北である。たぶん,ここで登場したハンスは将来的にオリンピック編で強敵として立ちはだかることになったんだろう。そこまで連載が続かなかったのは残念である。なお,これがノノノノにおける最後の野試合になる。野試合だけならノノは1勝2敗。負け越しているわなぁ。5.北海道大会(6巻53話)全日本代表選考も兼ねており,実業団も参加する。ノノは転倒で記録無し。優勝が岸谷,準優勝真岡,3位笹岡,4位天津である。かなり長い回想に入る前のところ。読者としても,このへんでノノの強さには疑問が生まれつつある。6.インターハイ長野県予選(7巻69話~8巻80話)優勝が天津,2位がノノ,3位が尻屋になる(尻屋は転倒があるので単純な距離では尻屋がノノより上)。この時点で天津はインターハイ出場を確定させており,ノノは尻屋に絶対に勝たなければならないということになっていたので,ライバルは尻屋という状況であった。尻屋について深く掘り下げられ,正直僕は天津よりも尻屋の方が好きである。また,不正行為とまではいえないものの,ノノをへのアシストとして天津が尻屋に「ささやき戦術」を使ってメンタル攻撃をし,転倒追い込んでいる。またしても,尻屋は実力を十全に発揮できなかったわけだ・・・。7.全国スキー総合体育大会(8巻86話)インターハイの前ならしとして参加した大会である。ただ,高校生に限定した大会ではなく,大人も普通に出場する。高校の強豪選手はいなかったものの,1番最初の野試合で戦った加東もいるし,全日本代表選手の山田という男まで登場している。この大会でダイジェスト展開が取られ,1本目の後唐突に表彰台の場面になったが,優勝はノノ,2位が天津,3位が加東になる。「ならし」と言う話であったが,それでも僕の中で驚くべきことだ。だって,雑魚みたいな扱いではあるが,加東はインターハイ優勝の経験者,全日本3位である。これより格上の扱いっぽかった山田選手もまとめて1話で蹴散らしたことになる。なお,さらに意外なのは尻屋の扱いである。彼は大会にエントリーできておらず,テストジャンパーという扱いではあり,ノノたちの2本目の成績は分らないものの,モブの「テストジャンパーが優勝か?」という台詞から,ノノたちより飛んでいることがわかる。結局,ノノ,天津,尻屋はこの時点で全日本レベルの実力はゆうにもっている,そういうことになるだろう。(8巻電子版,201頁。テストジャンパーにも負ける日本代表って・・・というが入賞者全員が問題だよ・・・)8.コンチネンタルカップ(101~102話)ノルウェーで行われた試合である。一切不明ながら天津が優勝した。ちょっと前の全国スキー総合体育大会でノノに負けているのに優勝というのは僕的に意外だった。せいぜい入賞程度で世界の壁を感じるのだろうと思っていたのに。9.インターハイ(102話~141話)最後の試合である。レギュレーション違反の選手を除外したのが上の表になる。本来的には飛型点だとかのポイントもあるのだけれど,単純に飛んだ距離と合計を書き記すとこのとおり。距離のみで見て,優勝は赫,2位が尻屋,3位が禰宜田というところか。ノノは2本目,誰よりも飛んでいるが,1本目と合わせると5位くらいでしかない。なお,この大会は審判の買収という大規模な不正が行われており,ノノや尻屋は1本目,ずいぶん不利な状況で飛ばなければならなかった。もし,万全の状態ならノノは1本目は105メートル程度は飛んでいただろうと言われている。そうしたところで合計は228メートル。優勝は難しいのではなかろうか。一方で尻屋は不正被害なし,万全な状態なら赫を超える成績を出せた可能性もある。10.まとめここまでの試合データを見てきて,ノノはさほど公式戦で良い結果を出せていないことに気がつく。7巻時点で作中,「県大会で1回勝ったことがあるだけ」と言われていたが,まあそのとおりである。1つのパターンとして,ノノは1本目でミスして2本目で挽回する,というパターンを何回かやっている。ムラッ気があるのだ。これに対し,天津や赫といった強豪選手を見る限り,ほとんどそんなムラはなく,安定した成績を取っている。漫画の世界では主人公補正というのがあるが,ノノはその逆で,不正の標的にされて力が発揮できないとか,メンタルが弱っていて1本目に失敗するというパターンが多い。ただ,どういうわけか2本目の失敗というのがないので,背水の陣状態だと強いのかもしれないけれど。一方で,特筆すべきは尻屋の不正行為被害率である。今回,読み返していて気がついたが,驚きの100%である。これに加え,序盤での尻屋は親友との思い出のスキー板の使用にこだわり,体格に合わない板を使っていた。なんの制約もなければもっとすごい成績を出せた可能性もある。ノノノノ 7【電子書籍】[ 岡本倫 ](尻屋が表紙の7巻が個人的にお気に入り)以上をもとに高校生たちの強さランクを考えたときに,安定性も加味して考えるのならば,こんなところだろう。同じランクでも左の方が実力がある。もちろん,一切の不正行為はないものとする。S 赫A 天津,尻屋,ノノB 禰宜田,真岡,笹岡,伊東C 岸谷インターハイでの成績や実績をみれば赫が最強でよいだろう。次のグループがコンチネンタルカップの優勝で天津。尻屋は不正行為被害がなければ,天津を超える可能性があるだろう。ノノは精神的な不調が恐いので3番手か4番手くらいといったところだろう。昨年優勝の真岡,と準優勝笹岡について,最後のインターハイは不正でろくに実力が発揮できなかったので評価は低くなってしまった。個人的には,尻屋というキャラがもっとも好きだったから,もう少し活躍を見たかったものだ。ノノノノ 13【電子書籍】[ 岡本倫 ]
2021.05.22
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キン肉ドライバーはパクリだのなんだのいわれ、キン肉バスターに比べるとどうも不遇な印象である。なんといってもあの作中最強説もある悪魔将軍を討ち取った技である。また、キン肉マンの技の中でもカメハメに習ったキン肉バスターや、壁画をヒントに習得したマッスルスパークと違い、明確にキン肉マンが自ら開発した数少ない技である。それなのにキン肉ドライバーがキン肉バスターほどは使われないのが不思議である。今回は,梶原一騎の漫画『タイガーマスク』や『青春山脈』を参考に,キン肉ドライバーには梶原漫画の中の原型があるのではないか,あまり使われないのに暗い影があるのではないか、考察していきたい。キン肉マン 16【電子書籍】[ ゆでたまご ]まずは百聞は一見にしかずというので,2枚の画像を拝見していただきたい。1枚はキン肉マンのはなつキン肉ドライバーであり,もう1枚は『青春山脈』において女子プロレスラー,ブラックローザ・ユキがはなつブラックローザ・スペシャルである。(『キン肉マン』17巻799頁,『青春山脈』11巻34頁)技をかける方が,対戦相手を逆さまにし,対戦相手の両足を両手で抱え込み,対戦相手の両腕を両足で踏みつけつつ,頭部を地面にぶつけている。外見上,同じ技に見えないだろうか。というか,どう見ても同じ技である。なお,『青春山脈』のアナウンサーの解説によると「自分の全体重をプラスし,脳天にショックを集中する殺人芸術」とのことであり,キン肉ドライバーのように相手の腕へのダメージを与える意図はないようである。(『青春山脈』11巻37頁,アナウンサーの解説)恐らくは,この『青春山脈』のブラックローザ・スペシャルがキン肉ドライバーの起源といって良いのではなかろうか。もちろん,「たまたま形がそっくりになったのでは?」という反証はあるだろう。しかし,ゆで先生が梶原一騎漫画を読み込んでいることは,過去の記事からも間違いのないことである。また,僕自身も梶原一騎の作品を全部読んでいるわけではないが,ネットで検索していると,別の梶原作品で似た技を見たという人もいたので,別の梶原作品の可能性は否定できない。青春山脈11【電子書籍】[ かざま 鋭二 ]個人的に,このキン肉ドライバーについて形が梶原漫画の中の技と似ているという以上に問題ではないか,と思うのが,キン肉ドライバーを習得する過程が梶原一騎の名作『タイガーマスク』の,ウルトラタイガードロップの習得過程とそっくりな点である。まず,キン肉マンがキン肉ドライバーを習得する経緯はおおよそ以下の通りである。キン肉マンはアシュラマン戦において空中でもみ合いの際,偶然にもアシュラマンの頭部を地面に打ち付けつつ,両腕をもへし折る形で落下したのだ。キン肉マンはアシュラマン戦で偶然発動した技を完成させるため,切り株を対戦相手に見立てて特訓をし,最終的には体重300キロを超えるだろう巨大イノシシに技を決める形でキン肉ドライバーを完成させた。(キン肉マン16巻84~86頁。イノシシとキン肉ドライバー)一方でタイガーマスクがウルトラタイガードロップを習得する経緯としては,こうだ。タイガーマスクこと伊達直人は,必殺技を身につけるべく雪山で特訓を行っていた。巨大な雪玉を対戦相手に見立てて体で受け止めるうち技を作り上げ,最終的には巨大なヒグマを倒すことでウルトラタイガードロップを完成させたのだ。(タイガーマスク,59,95頁)両者を比較してみると,どちらも場面は山である。どちらも切り株や雪玉など,無機物を人間に見立てて試行錯誤し,猛獣の後ろ足をつかんで崖から落下する勢いを利用して技を完成させた。最終的な形は違うが,キン肉マンがイノシシに技を決める途中経過はウルトラタイガードロップとそっくりだ。このタイガーマスクでやった一連の流れをキン肉マンは借用しているのだが,その結果,展開として不自然なところも出てきている。例えば,タイガーマスクが雪玉を使ったのはわかるが,キン肉マンが都合良く人間の形に見立てた切り株を使うというのは唐突である。そんな都合の良い形をしている木が何本もあるものか。(キン肉マン16巻62頁。なんと都合の良い形の木・・・)また,人間でしかないタイガーマスクこと伊達直人がクマと戦うというのはともかく,超人であるキン肉マンがたかが体重300キロの巨大イノシシごときを恐れるというのも不自然だ。キン肉マンはとっさにイノシシの後ろ足をつかんで回転し,技をかけたが,2足歩行していた熊ならばともかく,四つ足で移動しているイノシシの前足でなくて後足をつかむというのも妙だ。そして,技の破り方であるが,キン肉ドライバーもウルトラタイガードロップも,対戦相手の足をつかんで担ぎ上げるところからはじまるので,相手が足を閉じてしまうと技に入ることができない。なお,この「対戦相手がスタンスを閉じて戦う」という必殺技破りに対し,タイガーマスクは対戦相手の体勢を崩し,スタンスを開かせてウルトラタイガードロップに持ち込んだ。一方,キン肉マンは特にそういう展開にはならなかった。悪魔将軍はすっかりキン肉ドライバー破りのやり方を忘れたのか,うっかりと両足を開いて落下してきたので,キン肉マンに両足を抱えられ,キン肉ドライバーて技を決められてしまったのだ。もしかすると,キン肉ドライバー対策をさらに打ち破るやり方を思いつかなかったのかもしれない。(キン肉マン16巻116頁,タイガーマスク4巻157頁。足を閉じての防御法)このようにキン肉ドライバーについては,技の形だけにとどまらず,技の習得過程,技の破り方といった面で梶原漫画の影響をかなり強く受けているといってもよい。一応,キン肉バスターについては形が似ている「ラ・マテマティカ」という技をアレンジした物ではないか,という説があるものの,ゆで先生が「キン肉マンのオリジナルの技」と言っているところである。実際,ラ・マテマティカは締め上げるだけの関節技であるようで,落下する勢いを使うキン肉バスターとは大きく異なる。なので,キン肉バスターはキン肉マンオリジナルの技,といっても良かろうと思う。一方でキン肉ドライバーはオリジナルの技というのは難しい。ネット上ではパクリとまで言われているが,それもやむをえない。せめて,相手の両足を両手で抱え込むのではなくて,相手の腰を両手でクラッチするとか,ちょっとでも変化を入れれば別の技になったろうに,と思う。それゆえに,キン肉マンも多用しない,いやできないのではないか,とうがった見方もできてしまう。タイガーマスク(4)【電子書籍】[ 梶原一騎 ]
2021.01.20
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アシュラマンといえば,漫画『キン肉マン』に登場する人気超人である。そんなアシュラマンといえば「魔界の王子」なのだが,実は「クモの化身」だということを,ご存じの方はいるだろうか。(『キン肉マン』15巻174頁,あいつはクモの化身)たぶん,知名度は相当低いんじゃないかな・・・。一応,最近のスマホゲーで「クモの化身アシュラマン」なんてキャラもいるようだから,知ってる人は知っているだろう。あと,中年層くらいになるとアシュラマンのキャラソン,『阿修羅地獄』の冒頭で「リングに絡まるクモの糸♪ 争い好みの鬼の神♪」という歌詞を聴いたこともあるだろう。ただ,作中,アシュラマンが「クモの化身」として扱われたのは,上で貼った悪魔将軍の台詞のみである。まず,アシュラマンとキン肉マンがなぜクモの巣リングで戦うことになったのか。状況の説明をしよう。黄金のマスク編の終盤,キン肉マンはアシュラマンと対戦することになったのだ。試合方法としては「天気デスマッチ(ウェザー・デスマッチ)」。雨や雪と変わりやすい天候のもと試合をするという,変則デスマッチだ。このとき,アシュラマンは風で飛んでいったキャンバスの代わりに,雨水を利用して蜘蛛の巣のようなリングを作り上げたのだ。さて,どうしてアシュラマンがクモの化身なのか。両者の特徴を考えたとき,第1に思いつくのは手足の数である。アシュラマンには6本の腕と2本の足で8本の手足,そしてクモも同じく8本の手足を持つ。第2に,アシュラマンが雨水をどうやって固めたのかわからんが,蜘蛛の巣の形に固めてリングを作ったというところ。この2点が考えられるが,逆に言えばこの2点以外に何も共通点はない。また,この後の展開でアシュラマンが「クモの化身」といえるような技を使ったということは一切ない。また,阿修羅とクモに何か関連があるという話は寡聞にして知らない。はっきり言って,アシュラマンが「クモの化身」であるというのは「死に設定」と言っていい。ここで僕が考える理由としては,梶原一騎の名作『タイガーマスク』である。この漫画には,デビル=スパイダーというクモをあしらったマスクマンが登場する。彼とタイガーマスクは「くもの巣の死の試合」(スパイダー=デス・マッチ)という試合形式で戦うことになるのだ。(『タイガーマスク』9巻,99頁,くもの巣の死の試合,スパイダー・デスマッチ)このくもの巣の死の試合,図のようなリングは高所に設置され,キャンバスの代わりにロープが編み目の目状に張り巡らされている。こんな不安定なリングで得意のフットワークを封じられたタイガーに対し,この試合形式に慣れているデビル=スパイダーは普通に走り回り,相当有利に立ち回ることができるのだ。(『タイガーマスク』9巻,105頁。足がからまって動けないタイガー)どうだろうか,このデビル=スパイダーの「くもの巣の死の試合」とアシュラマンの「お天気デスマッチ」,そっくりと言って良いのではなかろうか?考えられるパターンとしては,1つに『キン肉マン』ではくもの巣デスマッチをやるわけにもいかないだろうから,少し改変して天気デスマッチを思いついたという考え方,第2のパターンは天気デスマッチが先にあり,『タイガーマスク』要素を隠し味程度に入れたという考え方。あくまでくもの巣リングで戦い続けた『タイガーマスク』に対し,アシュラマンたちはクモの巣リングだけではなく,気候変動の結果,雪のリングや氷のリングでも戦っており,どちらかといえば第2のパターンが正解に近いかもしれない。そのうえで,蜘蛛の手足の数が一致するという点から2人の試合は「くもの巣の死の試合」から着想から,クモの巣リングを作ってしまい,悪魔将軍がつい「クモの化身」と元ネタを口にしてしまったのではなかろうかと思われる。こういうことだから,アシュラマンが誕生した時点で「クモの化身」という設定はなかったのだろう。設定が固まっていなかったのか,思いつきからゆで先生の筆が滑った,と見るべきだ。なぜ誕生した時点でアシュラマンはクモの化身ではなかったと言えるのかといえば,そのファイトスタイルである。アシュラマンのデビュー戦であるテリーマンとの試合を見ても,アシュラマンは竜巻地獄だとか,6本の腕を活用したアシュラバスターやファイトをしており,クモの話は一切していない。特に,腕が6本から繰り出す技はアシュラバスターに限定しなくても,2本の腕でネックハンギングを決めつつ,もう2本の腕でベアハッグを決めたり,単純に6本の腕で張り手をするだけでテリーマンは追い込まれていた。なお,アシュラマンは「わたしは本来自分の腕を持たない超人」と意味の分らんことを言ったりはした。アシュラバスターという必殺技はあれど,あくまで正攻法のレスリングを中心として戦ったテリー戦と,天気デスマッチというギミックに頼って戦ったキン肉マン戦はファイトスタイルがずいぶん違うのだ。恐らく,テリー戦が名試合としてあげられることがあるのに,キン肉マン戦がほぼ言及されないのは,ギミック頼りの試合がいまいち盛り上がらないからだろう。(『キン肉マン』14巻162頁,7人の悪魔超人から奪う前はどうしてたんですかね・・・)なお,「死に設定」と前述したとおり,アシュラマンが「クモの化身」として戦うのはここだけである。だいたい,アシュラマンがクモの化身である必要は全くない。彼には三面六臂という身体的な特徴があり,また仏教の阿修羅をモデルにしているのだから,そういった個性を発揮していけば良いのである。さらに「クモの化身」などという設定を入れるのはやり過ぎであるし,混ぜればいいというものではない。実際,アシュラマンは「夢の超人タッグ編」で唐突に魔界の王子だったという設定が追加され,以後はこちらが本流となる。逆に言えば,超人タッグ編より前のアシュラマンにはそんな素振りはない。アシュラマンがクモの化身だった,というのは一瞬のゆらぎと見るべきだろう。ただし,今連載中のキン肉マンは古い設定を拾ってくることもあるので,もしかしたらとは思うのだが。なお,アシュラマンと違ってデビル=スパイダーが登場するのは1回こっきり。彼とタイガーの試合が収録されている9巻だけでも,読める人は読んでおいて欲しいのだ。タイガーマスク(9)【電子書籍】[ 梶原一騎 ]
2020.11.19
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日本の劇画王・梶原一騎が漫画界に与えた影響は絶大である。梶原漫画の哲学や台詞を借用した漫画は珍しくない。実はキン肉マンもかなりの部分で梶原漫画から借用しているものがあるところ、これは知られていないようだ。キン肉マンをより深く楽しむためにも、梶原漫画を読んでおいた方が良いだろう。このシリーズだけで何回もできるのだが、今回はモンゴルマンに絞って考察をしていきたい。キン肉マン 12【電子書籍】[ ゆでたまご ]おさらいだが、ラーメンマンという超人は、ウォーズマンとの試合で頭部をベアクローでえぐられ、再起不能になった。しかし、そんなラーメンマンは「霊命木」の発するガスを吸っているときだけ、普通に活動できるので、霊命木で作ったマスクをかぶり、モンゴルマンとして復活するのだ。この流れで、ラーメンマンが霊命木のマスクをかぶる必要があるのは理解できる。だか、なぜモンゴルマンとして姿を変え、正体を隠さなければならないのか?これについての明確な答えは作中で明言されてなかった。この答えは、漫画タイガーマスクで、ザ・グレイトゼブラと名と姿を変えてタイガーのため戦ったジャイアント馬場オマージュであろう。タイガーマスク(3)【電子書籍】[ 梶原一騎 ]ちょっと場面を切り取って見ていこう。(画像の引用は全て『タイガーマスク』3巻)タイガーマスクでは、覆面ワールド・リーグ戦という、覆面レスラーだけの大会が行われた。数々レスラーと戦い、傷つき、疲れ切ったタイガーマスクだが優勝するにはミイラとライオンマンの2人に勝たなくてはならない。そんな場面である。ここライオンマンの怪力に逆らう形で、謎の覆面レスラーが登場する!(タイガーマスク2巻136頁、「何者だっ、ライオンマンの怪力に逆らうやつは!?」)これが初登場の謎のレスラー、ザ・グレイトゼブラである。名を挙げるチャンスと見て、参戦したのだ。(タイガーマスク2巻138頁。有名になりたいシマウマ!)その上で、ゼブラは残った覆面レスラー(タイガーマスク、ライオンマン、ミイラ)の試合をまとめて終わらせるため、タイガー・ゼブラ組とライオンマン・ミイラ組によるタッグマッチを提案するのだ。(タイガーマスク2巻139頁、暴挙とも言えるタッグマッチの提案)よく訓練されたキン肉マンファンは、思い出せるはずだ。これと同じ流れでモンゴルマンは顔を名前をし、バッファローマンの1000万パワーに逆らってハリケーンミキサーを止め、「有名になりたいから」と参戦を表明したうえで、キン肉マン・モンゴルマン組とバッファローマン・スプリングマン組のタッグマッチを提案する。(『キン肉マン』12巻34頁。1000万パワーに逆らう場面。ラーメンマンって、こんなパワーキャラだっけ…?)(『キン肉マン』12巻39頁。突然のタッグマッチ)(『キン肉マン』12巻41頁。有名になりたい)また、試合運びでも、ザ・グレイトゼブラに変装した馬場は得意技の十六文キックを出そうとして、やめてしまう。十六文キックといえばジャイアント馬場の代名詞的な必殺技だから、正体がバレるのを嫌がったからだ。(『タイガーマスク』3巻160頁。得意の十六文キックを封印するゼブラ)同じく、モンゴルマンもラーメンマンの得意技、キャメルクラッチを途中でやめてしまった。これもやはり正体がバレるのを避けるためだ。(『キン肉マン』12巻68頁。得意のキャメルクラッチをやめるモンゴルマン)こういったシーンを見比べるにつけ、キン肉マンにおけるモンゴルマンが、梶原一騎の『タイガーマスク』の影響を全く受けていることを感じる。場面をなぞるあまり無理がでていて、「有名になりたいから」と言って参戦するのは、なんだか違和感がある。これは変装のためと好意的に解釈しても、1000万パワーのバッファローマンの怪力に逆らう形での登場は、テクニックが売りのラーメンマンらしくない。タイガーマスクの影響を受けて作られたと見るのが自然であろう。ただ、全く流れが同じというわけではない。違いは様々な面で現れている。第一の点として、正体を隠す動機である。ここは梶原一騎の方に軍配があがる。タイガーマスクにおいては、馬場は覆面レスラーではないので、覆面ワールド・リーグ戦に出るためには、とうしてもマスクをかぶる必要があった。また、ジャイアント馬場ほどの実力者だから、正体がバレていれば飛び入り出場は出来なかったろう。そういう意味で、必然性のある正体隠しであった。また、試合が終われば別に正体を隠す必要もない。早々にネタばらしが行われた。(タイガーマスク3巻190頁、早々に正体を明かす馬場)一方で、ラーメンマンがモンゴルマンに正体を隠す必要性があったかというと、そこに合理的な理由はなさそうだ。普通に、「キン肉マン、お前ばかりいい格好はさせないぜ!」とでも言って参戦すればいい。恐らく、「正体不明の超人が助っ人に来たら面白いだろうなぁ…」というコンセプトでモンゴルマンは生まれたのだろう。こういう面では見て、第一の動機面ではタイガーマスクの方が完成度が高く、自然なストーリー運びになっているといえる。では、第二の面として、覆面レスラーの魅力はどちらが描けているか。これは間違いなくゆでたまご先生である。タイガーマスクにおけるザ・グレイトゼブラはあくまで覆面レスラーワールド戦のみの限定キャラであった。早々にネタバラシがされると、このあと二度とストーリーには登場しないし、話題に出ることもない。一方でキン肉マンは暴挙に出る。モンゴルマンも試合後、早々に正体をバラしたはずなのに、これはなかったことになる。再びキン肉マンたちはモンゴルマンの正体を知らないていで話が進む。単純に「正体不明のキャラ」というのはそれ自体魅力かあるもので、リアルタイムの読者はモンゴルマンとラーメンマンの関係性について議論を楽しんだことだろう。このように、モンゴルマンは登場の仕方、第一戦の試合運びこそタイガーマスクのオマージュでありながら、モンゴルマンはいったん正体を明かしながら、再びバレバレの正体を隠すという暴挙によって、マスクマンの魅力を活かすことができた。この力技はゆでたまごにしかできない。ライブ感の魅力としか言いよう。キン肉マン 12【電子書籍】[ ゆでたまご ]
2020.05.06
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幽遊白書について語るシリーズ第3回。「桑原と魔界編」についても考察をしたいのだが,その前に主人公である浦飯幽助が妖怪に転生したことについて語っていきたい。桑原を語るのは,次回にしたい。さて,幽遊白書という漫画を一言でまとめると,主人公である不良少年,浦飯幽助が妖怪たちと戦うというバトル漫画である。この中で異色だったのが仙水忍と戦う「魔界の穴編」である。これまで,主人公の幽助は乱童,四聖獣,戸愚呂といった妖怪と戦ってきた。しかし,仙水は妖怪ではない。あくまで人間である。しかも,「魔界の穴編」の終盤,幽助は妖怪へと転生をする。これまで「人間である幽助」が「妖怪」と戦うという図式が完全に壊れてしまい,「妖怪である幽助」が「人間である仙水」と戦うということになってしまった。また,これまで「人間vs妖怪」のバトルが描かれれば,「人間である幽助」が勝利するという図式だったが,ここでも「妖怪である幽助」が勝利することになってしまった。そのため,「魔界の穴編」以前とそれ以降は別の作品であるかのように作品の色が変わってしまい,キャラクターの改変がされているように思う。最も大きな改変は主人公である幽助のパーソナリティだ。単行本3巻において,幽助は人間の魂を食べるという妖怪・剛鬼について「よくわかんねぇけど,許せない」と口にしている。これは人間として当たり前の感覚だし,少年漫画の主人公としては平均的な反応である。(単行本3巻76頁。人間の魂を食う剛鬼に対するコメント。)ところが,「魔界編」の冒頭,幽助は「人間を食料にするかどうか」という雷禅,躯,黄泉の対立について「人間を食料」ととらえる点について非人間的な見解を示し,真田黒子に「魔界に行った方がいい」辛らつなと対応をされてしまう。(単行本17巻158頁。人間を食料とみることに違和感を覚えない幽助。)さらに幽助は餓死寸前の雷禅に対し,「死ぬくらいなら人間を食え。俺がかっさらってきてやる」とまで口にするようになる。もはや人間のメンタリティではない。(単行本18巻98頁。ついに食人をすすめる幽助。)確かに,理屈で考えてみると幽助の考え方もありえる。インド人は牛を食べないし,イスラム教徒は豚を食べない。だからと言って,インド人が日本人に対し,「今後は牛を食べるな」と言ってきたところで日本人的には「好きなだけ食えばいいだろう」と返すことになるだろう。これは文化であり,食料の問題だし,それで戦争までしなくていい。ただ,僕が人間である以上,牛や豚と人間を同列に扱うことはできない。哲学的な問題になるかもしれないから深くは立ち入らないが,正直3巻の幽助と同様,「人間を食べるのはよく分かんないけど,とにかくダメだ」という理由で十分だ。人間ならそれに疑問を感じる必要はない。また,幽助が妖怪になったことについて,別の角度から見てみる。象徴的なのは戸愚呂との闘いだ。人間を捨てて妖怪になった戸愚呂に対し,幽助は戸愚呂を論破して,勝利した。まさに戸愚呂戦は思想と思想のぶつかり合いだ。初見の際は読んでいてカタルシスを覚えたこの展開も,幽助が妖怪に転生した後に読むと,妙な感情に陥る。もちろん,戸愚呂は自らの意思で人間を捨てて妖怪になり,幽助が妖怪になった点について自分の意思はないのだけど。(単行本12巻178頁。しがみついてでも守る)一応,フォローとして戸愚呂が捨てたものは「人間」と「仲間」の2つであり,幽助が「しがみついてでも守る」と言ったものについて目的語が抜けているので,人間性というよりも仲間の方じゃないか,という考え方も充分あるのだけど。正直,小学生の頃の僕は幽助が妖怪に転生したことについて安易に歓迎していた。悟空が超サイヤ人になったように,幽助もパワーアップしたのだろうと。ただ,幽助のメンタリティの変化を見る限り,安易に歓迎すべき事態ではなかった。また「人間を捨てて強さを求め妖怪になった戸愚呂」を否定した幽助が妖怪になる…。戸愚呂戦のテーマ自体が否定されてしまう点も問題だ。では、なにゆえ冨樫先生は幽助を妖怪にする展開にしたのだろうかということ。中学生の頃の僕は,「人気を取るためのテコ入れかな」と思っていたのだ。ところが,最近になってこの考え方を否定する資料が出てきた。冨樫先生の元アシスタントの執筆した漫画,『先生白書』である。『先生白書』では幽遊白書の終了を告げられたアシスタントが「洞窟の中の湖のトーンを削りながら」終了のことを考えていた旨のシーンがある。(『先生白書』131頁。終了を告げられたアシスタントの反応。)この洞窟の中の湖は,もちろん仙水と対決した洞窟のことだ。そうすると,単行本16巻のころだ。つまり,幽助が妖怪に転生する前の時点で連載終了が決まっていたということになる。僕はてっきり,幽助が妖怪に転生し,魔界編が始まったあたりでの連載終了が決定だと思っていただけに,この時系列の微妙なズレには驚いたものだ。結局,昔の僕が考えていた,「妖怪化は人気取りのためのテコ入れだ」という説は完全に崩壊する。そもそも論として幽助が妖怪に転生することで人気が上がったりしたのだろうか。読者は何と思っていたのだろうか。このあたりは気になる。別の仮説を立てると,冨樫先生はどうにかして連載を終わらせるダメ押しに,幽助を妖怪に転生させて作品のテーマを壊しに来たのではないか?仮に編集部が「半年後に終了させて良い」と言ったところで,「やはり後3か月…。」などと再度の延長を言ってこないとも限らない。ある意味で,幽助が仙水との戦いで死亡した時点で幽遊白書は終わったのだ,と考えることもできなくもない。その後の展開としては,仙水が魔界の扉を開き,人間界は妖怪が支配するようになる。ただ,幽遊白書の世界観においては,人間こそが邪悪なものである。邪悪な人間が滅びればそれでいいのだ。なお,魔界編で「実は魔界の穴が開いても妖怪が人間を食べたり,人間界が魔界化することはなかった」となったが,設定の改変っぽいのでそこには立ち入らない。ただ,主人公が負けて終わる,といった作品を自殺させるという展開は無理だ。編集が絶対に雑誌に載せることを承諾しないだろうから。ただ,いっそそんな終わり方をする幽遊白書も読んでみたい,と思うのは僕が大人になったからだろうなぁ…。思うことがあったら,コメントでも残してください。次回は「桑原と魔界編」について書くつもり。先生白書【電子書籍】[ 味野くにお ]
2019.09.12
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幽遊白書の桑原和真について研究するシリーズ2回目。今回は暗黒武術会の決勝戦でのマッチメイクについて考えていきたい。暗黒武術会の決勝戦で俺の桑原和真は戸愚呂チームのNo.2、戸愚呂兄と戦うことになったのだが、この展開、小学生時代の俺にはひどく疑問だった。「なぜ桑原が? 戸愚呂兄と戦うのは飛影じゃないの?」という疑問だ。なぜ冨樫先生がこういうマッチメイクをしたのか、なんだかんだで20年くらい考え込んでいる。答えが出ないから研究なのたが、仮説とか検証の思考過程をまとめてみる。幽★遊★白書 9【電子書籍】[ 冨樫義博 ]まず、なぜ小学生時代の俺が「飛影vs戸愚呂兄」だと予想したのかといえば、いくつかの理由がある。実力から言えば、浦飯チームの実力No.2は飛影、戸愚呂チームのNo.2は戸愚呂兄だろう。だから飛影が戸愚呂兄と戦う方がふさわしい。また、体格を見ても飛影と戸愚呂兄とは小柄だから絵的にも合う。これまでの傾向を見ても、四聖獣編なんかで飛影は敵のNo.2と対戦をしてる実績もある。この点、「戸愚呂兄は武威や鴉より弱く、戸愚呂チームでも下位なのでは?」という説も目にするし、2ちゃん強さ議論スレでもこうなっているが、俺はこの説には反対である。1つの根拠として、戸愚呂兄が自己申告するシーンをあげたい。準決勝の戸愚呂チームvs五連邪チームにおいて、鴉と武威が圧倒的な実力を見せた。このとき、「なぜこんなヤツらが戸愚呂兄弟に従っているんだ?」という問いに、戸愚呂兄は「それは俺たち戸愚呂兄弟がもっと強いからだ」と答えるのだ。その上で戸愚呂兄は五連邪チームの3人をまとめて瞬殺し、その実力を見せつけるのだ(『幽遊白書』ジャンプコミック9巻139~140頁)。漫画の展開を見ても、戸愚呂兄が武威より弱いというのは盛り上がらない。また、武威が戸愚呂兄より強いなら、それに見合う説明なり、戸愚呂兄弟が武威に一目置くシーンがあってもいいと思う。それがない以上、やはり五連邪チームの3人を瞬殺した戸愚呂兄が武威より強いと見るべきだろう。恐らく、2ちゃん評価で戸愚呂兄の評価が低いのは、桑原に負けたという理由が大きいと思われる。そんなわけで、小学生時代の俺は桑原が戸愚呂兄と戦うというなは無理があると考え、てっきり桑原は負けると予想した。実際、桑原の暗黒武術会における戦績はシングルマッチに限定すれば、1勝3敗。この成績で戸愚呂兄に勝つ方がおかしい…。ところが、この試合で桑原は見事に戸愚呂兄を打ち破って見せた。内容的にも、玄海を侮辱する戸愚呂兄の汚さを出しつつ、それに激怒した桑原が男を見せて勝った。カッコよかったし、桑原のベストバウトは戸愚呂兄戦と言ってもいい。そういう意味では成功してると思う。逆にいえば、飛影ではこうならなかっただろう。俺が思うに、飛影というキャラの魅力はクールさ、圧倒的な強さを見せつけるというところにある。なので、対戦相手は強いことが何より重要だが、あまり品性が悪いというのは求められない。そして、これは仮説というか俺の勝手な想像だけど、冨樫先生は桑原のことを結構好きなんじゃないかと思う。扱いを見ると、幽助に次ぐキャラだし、思い入れから言えば飛影や蔵馬よりあるのではないか。以前にも考察したが、桑原は「負ける」ということで暗黒武術会編に多大な貢献をしたキャラである。5対5の団体戦をするなら、3勝2敗で勝ち上がるのが理想的なのだけど、桑原以外は誰も負けてくれない。負けさせて、なお格と人気を落とさないのは難しいだろう。桑原は物語を進行させるのに必要な負け役を演じてくれた。戸愚呂兄と桑原の試合は、冨樫先生による桑原への貢献に対する見返りだったのかもしれない。そうすると「じゃあ、桑原は武威、鴉に勝てるのか?」となるが、俺は「ブチ切れていれば、勝てる」と答えることになる。ブチ切れた桑原は強い。幽遊白書という作品の中において、飛影と蔵馬と違い、幽助と桑原はブチ切れることで強くなるという特権を持っている。後々、桑原は仙水に幽助を殺された怒りで次元刀を出したりするし、結構強さにムラがある。暗黒武術会で負けたとき、桑原には怒りのパワーがなかった。そういうことなのだろう。幽☆遊☆白書完全版(3) (ジャンプコミックス) [ 冨樫義博 ]
2019.06.30
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最近,Gyaoで3日に1度更新される幽遊白書を楽しみに見ている。小学生時代の僕にとって390円の単行本は高級品だったので,何度も何度も本がボロボロになるまで読んだ。たぶん,誇張ではなく20~30回は読んでいるだろう。結構細かなセリフなんかも覚えている。色々と幽遊白書は思い入れが深い。幽★遊★白書 17【電子書籍】[ 冨樫義博 ]前置きはここまでとして,幽遊白書における桑原とは何か,ということを考えていく。幽遊白書の主要キャラといえば,幽助,桑原,飛影,蔵馬の4人だろう。正直,小学生時代の僕は桑原のことを嫌っていた。ルックスがダサいし,弱いからだ。しかし,大人になってから見てみると,桑原は物語の上でかなり重要な役割を果たしていることに気が付く。重要どころか,桑原がいなければ話が成立しないほどだ。まず,桑原の役割といえば「負け役ができる」という点だ。ここで,暗黒武術会編を見る。5対5の団体戦という形式をとる以上,かならず1つの試合で1つ,理想を言えば2人負けて,3勝2敗で浦飯チームが勝つのが展開としては望ましい。しかし,桑原以外のキャラの黒星は極めて少ない。たとえば暗黒武術会で浦飯チームの黒星を見ればこうだ。幽助 無敗。陣と両者リングアウト失格があるだけ。桑原 3敗(鈴駒,死々若丸,怨爺。このほか,イチガキ戦の6人バトルでKOされ退場)飛影 無敗蔵馬 2敗(爆拳,鴉)負けがあるのは桑原と蔵馬だけである。そんな蔵馬も2敗しているが実力で負けたわけではない。爆拳は3連戦でダメージが大きかった点,鴉は「試合に負けたが勝負に勝った」状態である。一方で桑原はしっかり負けている。負け役は誰かが絶対にやらなきゃならないわけだ。これだけ負けたことで桑原が失ったものは大きい。現に小学生時代の僕は,勝てないくせに大口を叩く桑原が好きじゃなかったわけだし。舞台裏を想像すると,こんな感じだろう。幽助「負けるなんて俺は嫌だぜ!」飛影「…お断りだ。それなら俺は試合には出ん」蔵馬「俺は連戦でボロボロだったとか,フォローがあればいいけど,ただ負けるのは嫌だな」まぁ,こんなもん。実際,冨樫義博先生はマッチメイクにかなり苦労していたのか,暗黒武術会を通してみてみても,浦飯チームが普通に5対5で普通に団体戦をしたことが1度もない。せいぜい,1回戦の六遊怪チームがかろうじて5対5だったが,浦飯チームの2勝1敗の時点で酎が乱入し,幽助か酎の勝ったほうが2回戦進出になっちゃった。このほか,3対3の6人バトルだとか,勝ち抜き戦だとか,サイコロで対戦相手を決めるとか,かたくなに5対5の団体戦をしていない。ここで冨樫先生の肩をポンとたたき,「イイって。俺が負け役をやってるよ。その代わり,そのうちいい役をくれよ」と言う桑原が目に浮かぶようだ。この辺が桑原の魅力なんだろうな…。桑原の魅力発信は今後もしたいので,「なぜ決勝戦で桑原が戸愚呂兄と対戦することになったのか」,「魔界編でなぜ桑原が来なかったのか」もそのうちブログ記事にしたい。幽★遊★白書 アニメコミックス 冥界死闘篇 炎の絆 後編【電子書籍】[ 冨樫義博 ]
2019.06.28
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漫画の主人公というのはたいてい必殺技を持っているものだ。だが,必殺技を身に着けたからといって本当に強くなれるのだろうか。現実にそんな必殺技を持ってるスポーツ選手だとか格闘家がいるだろうか。 この辺についていろいろと考えることもあったので考えたことをまとめていく。 必殺技というのは文字通り必殺の威力がなければならない。必殺技があたれば、それで勝負が決まるか、それに近い状況になるものだと定義しよう。なお,ビームを撃つとか,人間に絶対できないようなものは除く。 さて,そんな必殺技といえばいろいろあるが,名作『あしたのジョー』の主人公である矢吹丈の必殺技といえばクロスカウンターだ。これは相手の力を利用して、超強力なパンチを叩き込む技だ。 しかし、相手だって,当然にジョーのクロスカウンターへの対策をしてくる。 あしたのジョー1巻【電子書籍】[ 高森朝雄 ] まず、1つの対策が、「必殺技を破る技」の開発だ。 特にそれが顕著だったのはウルフ金串戦だ。ウルフはダブルクロスという技を使い、ジョーのクロスカウンター を破ってみせる。これに対しジョーはさらにダブルクロスをやぶる,トリプルクロスという新しい必殺技を使い,ウルフを倒すのだ。 (『あしたのジョー』電子版7巻,127/227) こんな風に漫画では,「必殺技A」が登場すると,これを破る技が登場し,結果として「必殺技A」は使えなくなる。 そこで新しい「必殺技B」が生み出されるのだが,この「必殺技B」もいつか破れる。そして次は…と,この流れはキリなく続けられることになる。『巨人の星』なんかがそうだ。 また第2の対策として、地味だが、「必殺技を打たせない」というのがあるだろう。 ジョーのクロスカウンターの場合、相手が左ストレートを打ってこないと成立しないのだから、左ストレートを打たなきゃいい。のちに力石徹はアッパーカット主体に戦うなんて方法を取ってきた。 これほど対策をされると、ジョーとしてもクロスカウンター を決め技にはできない。実際、中盤以降のジョーはクロスカウンターも使うけど,基本的には普通に戦い,普通のパンチで対戦相手をマットに沈めている。 こういう必殺技の最大の問題点は、必殺技を破られれば,使い手は大ピンチに陥る,という点だ。 第2の方法、「必殺技を打たせない」ならば他の技で戦うことはできるが、第1の方法、「必殺技を破る技」が出てくると、場合よっては即敗北につながる。 いろいろ考えた結果,最後にたどり着くのは必殺技の否定というか,必殺技に頼ってはいけないということになる。いや,どの技でも相手を倒せるよう,ひとつひとつの技の完成度を高めると言い換えてもいい。 ここで、梶原一騎は『あしたのジョー』の連載が終了後に『紅の挑戦者』という漫画を始めたが,その漫画の最終決戦を前にこんなシーンがある(『紅の挑戦者』10巻,147ページ) そして,実際に最終決戦は普通に,一切の必殺技なしで戦うことになる。 (同243ページ)。 字面を見ればわかる通り,「オーバヘッド・キック」だとか「人間風車キック」はかなり荒唐無稽な技だ。一撃必殺の威力はあったが、「必殺技を破る技」だとか「必殺技を打たせない」の対策をされるため,主人公は一気にピンチに陥ってしまうことが多かった。 似た展開は同じく梶原一騎の野球漫画『おれとカネやん』にもある。 「2段ホップ」という魔球を投げる主人公はこの魔球を攻略されたが、最終的には本格派の投手として復活して物語は完結する。別に、豪速球を狙ったコースに投げられればそれで三振は取れるのだ。 さらに似た展開は『斬殺者』にもある。梶原一騎は必殺技を使わない方向にシフトしたのかもしれない。 ここでスポーツの世界から将棋の世界に目を移す。 将棋ラノベ,『りゅうおうのおしごと』で,居飛車からの相掛り戦法を最強と信じる弟子を,主人公が諭すシーンがある。 りゅうおうのおしごと!3【電子書籍】[ 白鳥 士郎 ] 男ならだれでも,たった一つの,究極の必殺技を極めたいと思うだろう。 けれどその戦法を手にした瞬間,プロの世界でそれは無用の長物と化す。 そして最強になったはずのその男は,一つしかない武器を取り上げられ最弱の存在に転落するのだ。 (『りゅうおうのおしごと』3巻第2譜,「振り飛車」より)そのうえで,主人公は相掛かり戦法にこだわらず、どの戦法でも勝てるように,弟子を指導する。その名のとおり、「相掛かり」は相手が応じないと成立しないから、「必殺技を打たせない」対策はかなり容易なのだ。 現実の将棋の世界を見ても,羽生善治はオールラウンダーで,どの戦法でも使える。そんな羽生の恐ろしいところは「棋風由来のあだ名がない」というところだ。例えば米長邦雄の「泥沼流」とか谷川浩司の「光速流」がある。これが羽生にはない。なんでもできるからだ。 最後に,金庸の武侠小説『笑傲江湖』における最強の剣法は「独孤九剣」だ。 この「独孤九剣」の極意は「技なしが技ありに勝つ」であって,決まった型がない。肉を切るには肉がなければならない。技がなければ技を破ることはできない。自由自在,融通無碍に繰り出す剣法こそが最強なのだ。 秘曲笑傲江湖 2/金庸/小島瑞紀
2019.06.07
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