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最近は、『三体』の影響か、日本にも中華SFが流行っているように思う。といっても、『鋼鉄紅女』の著者、シーラン・ジェイ・ジャオは中国生まれではあるけれど5歳のころカナダに移住しているし、中国人作家ではないのだが、『鋼鉄紅女』は中国っぽい世界観なので、とりあえず中華SFということで話をすすめる。ネタバレもガンガンしているくので、その点了承ください。鋼鉄紅女 (ハヤカワ文庫SF) [ シーラン・ジェイ・ジャオ ]さて、『鋼鉄紅女』を一言でいえば、「女性主人公が巨大ロボに乗って巨大異星人と戦う」ということになる。巨大ロボといえば日本アニメでよく見るものであるが、著者は『新世紀エヴァンゲリオン』やら『進撃の巨人』といった日本のアニメを見ているそうなので、日本アニメの影響も入っているのだろう。そして主人公は武則天である。といっても、あの歴史上の女帝・武則天本人ではない。本作の仕掛けとして、登場人物名が中国の歴史上の人物から取られていて、武則天が姉のカタキとして命を狙ってるキャラとして楊広が、巨大ロボ朱雀のパイロットとして李世民が、また軍師として司馬懿や諸葛亮が出てくる。どことなく性格や出自がオリジナルとは似ている部分はあるが、特に関係はないというべきか。新世紀エヴァンゲリオン(5) 墓標 (Kadokawa Comics A) [ 貞本義行 ]総評として、面白いことは面白い。それは、本作が英国SF協会賞等、複数の賞をもらっていることからも分かるだろう。だが、巨大ロボアニメに慣れ切った日本人向けかと言うと、さほどの新奇性はなく、普通かもしれない。確かに、「女性主人公が巨大ロボに乗る」というのは珍しいかもしれない。ただ、女性主人公が巨大ロボのパイロットになるというのは、『クロスアンジュ』なんかがまさにそうだ。そして、本作に遅れる形にいなるが、『機動戦士ガンダム水星の魔女』も同じく女性主人公が巨大ロボに搭乗する。主人公ではないものの、『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイやアスカも女性パイロットである。なので、「女性主人公が巨大ロボに乗る」というのはさほどの新奇性がない。クロスアンジュ 天使と竜の輪舞 Blu-ray BOX(初回生産限定版)【Blu-ray】 [ 水樹奈々 ]次に、「巨大ロボは男女のペアで搭乗しなければならない」という点である。しかも、女性側の霊圧が低い場合、死亡してしまう使い捨てになるので、楊広や李世民といった強い霊圧を持つエースパイロットは女性を使い捨てにしているというのだ。使い捨てにされず、生き残れる女性は作中でも朱元璋のパートナーである馬秀英や、楊堅のパートナーである独孤伽羅などに限定される。男女パートナー設定は少し珍しいかもしれないが、『コードギアス』なんかを見ていると主人公であるルルーシュは、パートナーのCCといっしょに巨大ロボに搭乗しているし、レンジャーものの特撮なんかだと5人で巨大ロボに乗っている。探せばもっとあるかもしれない。よって、「少女パイロット使い捨て」という部分はともかく、「巨大ロボに男女ペアで乗る」というのも、さほどの新奇性はない。世界観も、終盤にどんでん返しの真実が出てくるけれど、これもどこかで見たことはある。異星人だと思っていた怪物は、実はもともと主人公たちの星の原住民というべきものであり、人類こそが植民のため地球からやってきた侵略者だったというのだ。このへんも『猿の惑星』と似通っていて、さほどの新奇性を感じられないのかもしれない。先に新奇性を否定してしまったけれど、やはり外国人作家なので感性は大きく日本人と違っていて、そこに面白さはあったと思う。特に感じたのが主人公である武則天の強烈なフェニミズム思想であろうか。まず、武則天は親に纏足をされ、満足に走り回ったりできない。常時、足の痛みに耐えなければならないし、纏足をしていない異民族や、同じ漢族でも纏足をしていない馬秀英なんかをうらやんでいたりする。そして、先ほど僕が新奇性を否定しきれなかった「エースパイロットが少女パイロットを使い捨てにしている」という設定である。この点について、武則天は激しい怒りを感じている。いや、武則天の怒りは社会そのものである。弟は跡継ぎとして大事にされる一方、姉は死ぬと分かっていながら妾女パイロットとして親に売られてしまい、自身も親に使い捨ての妾女パイロットとして売られてしまう。そして、自分の母や祖母は、父だったり祖父なんかに隷属させられており、暴力を振るわれていても反抗すらできない。ある意味で纏足というのは、2019年ころに日本でもはやったKuToo運動(女性にハイヒールを強制することの是非)を思い出させる。武則天はこういった男性優位の社会に反抗し、普通は使い捨てになるところ、逆に巨大ロボ「九尾狐」のパイロット楊広を死なせて生き残り、「鉄寡婦」の異名を得る。そして、異民族の血を引き、父と兄弟を殺した「鉄魔」の李世民とコンビを組んで巨大ロボ「朱雀」に搭乗するのだ。最終的に、武則天は史上最高の霊圧を持つ伝説のパイロット、秦政と巨大ロボ「黄龍」に乗ってクーデターを起こすことになる。個人的に、秦政というキャラは非常に面白かった。この秦政は最強のキャラであったあのだが、花痘という病気になってしまい、治療法が見つかるまで200年以上も冬眠していたのだ。「いつか復活する英雄」というと、アーサー王を感じさせるよね。ある意味で、武則天が次々とパートナーである男性パイロットを乗り換えているのは、歴史上の武則天にもあった性的な奔放を表しているのかもしれない。実際、歴史上の楊広李世民なんかも、使い捨てにするように女性を扱っていたのかもしれない。それでも彼らは英雄である。それがゆえに、英雄でなくなるわけでもない。武則天も、女が同じことをしても問題はない。それでも彼女は英雄なのだ。…というか、作中で武則天の恋人である高易之が登場するが、キャラが弱いんだよ。なかなか武則天に釣り合う男がいないのだ。鋼鉄紅女 (ハヤカワ文庫SF) [ シーラン・ジェイ・ジャオ ]
2024.03.18
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足利尊氏を主役にした直木賞受賞作品、『極楽征夷大将軍』を読んだ。感想でも書いていこう。極楽征夷大将軍 [ 垣根 涼介 ]さて、戦国時代だの幕末がテーマの漫画だのドラマだのは数多くあるものだが、南北朝時代と言うとどうにも数が少なくなる。学生時代、吉川英治『私本太平記』を読んだけれど、さほど記憶には残っていない。群像劇で登場人物が多く、話の筋がややこしくてあまり頭に入っておらんのだ。また、最近になって山岡荘八の『新太平記』も読んだけれど、楠木正成が超カッコよく描かれているのはともかく、後醍醐天皇をやたらひいきに描写しており、なんかようわからんかった記憶がのこっている。私本太平記(一) (吉川英治歴史時代文庫 吉川英治歴史時代文庫 63) [ 吉川 英治 ]前置きはここまでにして『極楽征夷大将軍』の感想である。本作の主役は足利尊氏・・・のように見せて、実質的な主役は足利尊氏の弟である足利直義である。基本的に、本作は足利尊氏の弟である直義と、執事である高師直を語り手と言うか、視点にして描いている。地の文では直義と高師直がどう思ったのか、どう感じたのかはことこまかに描写がある一方で、尊氏の身上については地の文で直接的な描写はなく、あくまで直義と高師直の目を通して描かれている。この仕掛けは秀逸で、漫画『逃げ上手の若君』では「よう分からん」と言われている足利尊氏という人物について、振り回される周囲の人物の突っ込み、意見を交えながら掘り下げることができる。逃げ上手の若君 1 (ジャンプコミックス) [ 松井 優征 ]そんな本作で描かれる足利尊氏は、一言でいえば「人望はやたらあり、無意識に行う人心掌握にすぐれているけれど、中身のない人。」である。一昔前なら、「神輿は軽くてパーがいい」というやつだろうか。本作では、ときたま「尊氏は世間そのものである」というようにも言われていた。親族や周囲の家臣などから言われたら、ある程度自分の意見があっても、周囲に合わせた選択をするのだ。後醍醐天皇への裏切りなんかもそのように描写されていた。また、尊氏は「世間そのもの」であるからこそ、軍神とまで評される楠木正成や、新田義貞に勝利できたとも分析されている。たった1人の個人としてどれほど優れていたとしても、多数の人間から構成される世間の波には勝てないということだ。僕は読んでいて、足利尊氏を劉邦や劉備玄徳のように感じたものだ。尊氏は知恵のある方ではない。実務力に欠けるのでその方面は弟の直義や高師直に丸投げする。一方で、尊氏はその優れた人心掌握術で仲間を増やして幕府を開くまでいくというのである。中国史では劉備や劉邦のほか、趙匡胤などたまに目にするタイプの英雄であるが、あまり日本史では見ないタイプである。そんな本作のラストは、足利直義の死亡をもって事実上終了する。そこからあとは、ダイジェストで簡単に足利尊氏のその後が語られる。物足らないように思うかもしれないけれど、これでいいのである。あくまで本作は「直義の目から見た足利尊氏」を描く作品であり、直義が鎌倉で尊氏が京都にいるような場面では高師直が視点になったこともあったけれど、尊氏自身の視点から物語が進むことはなかった。だから、直義が死ねば作品は終了し、あとはダイジェストというのが完結の仕方として相応しい。最後に本作の良い点なのだが、メリハリのきいた構成である。直義か高師直を視点として固定しているため、尊氏のライバルたち、たとえば楠木正成や新田義貞の扱いはひどく簡単である。吉川英治の『私本太平記』なんかだと群像劇になっていたが、本作はそうしない。海音寺潮五郎が「史実ではないかもしれないが、桜井の別れは太平記を名作としている最高のシーンである」というようなことを言っていた「桜井の別れ」についてはそもそも描写がない。でも、それでいいのだ。群像劇にすれば、登場人物が増えすぎて話が分からなくなる。一方で、この構成だと、登場人物も数も少ないし、非常にすっきりとして読みやすい。良いシーンであろうが、尊氏と直接関係ないのならばカットする、そうしても面白さは損なわないという著者の自信と構成力を感じさせる。気が早いが、今年1番の作品だね。極楽征夷大将軍 [ 垣根 涼介 ]
2024.01.22
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前回に引き続き3DCGにアニメ『『聖闘士星矢: Knights of the Zodiac』の感想を書いていきたい。便宜上、③一輝編、④白銀聖闘士編、⑤グラード財団編で分けていく。聖闘士星矢 3【電子書籍】[ 車田正美 ]一輝編銀河戦争中、一輝が乱入して黄金聖衣を強奪するところから始まる一輝編であるが、原作とはこれもまたずいぶんと異なる。大きな変更点としては、原作で登場した暗黒聖闘士の立ち位置が違う。暗黒聖闘士はグラード財団が科学の力で作った機械化人間みたいになっていて、原作でいたブラックペガサスなんかは出てこない。せいぜい、暗黒聖衣を装備したカシオスが星矢と闘うくらいだろうか。ある意味で、暗黒聖闘士になったカシオスはブラックペガサスのように、星矢に一矢を報いることができたわけで、原作以上に扱いが良い。残念な所としては、一輝がグレてしまった理由がよくわかないところだ。「聖闘士になるための特訓で地獄を見てきたから」というのは分からないでもないが、それで星矢たちと敵対する理由になるのか…。この辺は原作では、「憎むべき城戸光政が実父であると知ったから」というのが一輝がグレた理由なのだろう。ただ、この城戸光政という人物はなかなか扱いが難しい。原作の所業を描くと極悪すぎるが、そこをカットしてしまうとよう分からんことになってしまうのだな…。なお、アンドロメダ瞬が女になっている影響か、「エスメラルダが瞬に似ている」という設定はなくなったようだ。それだと一輝が「妹そっくりの女の子と恋仲になる」というインモラルな感じになっちゃうから。白銀聖闘士編このあたりから気が付き始めたのだが、本作では星矢を主役としてしっかり立てる演出がされているように思う。なんというか、原作での星矢はあまり目立たない。いい風に言えば、聖闘士星矢というのは群像劇であり、青銅聖闘士5人がだいたい平等に活躍するから星矢にスポットが集中して当たり続けることはない。だが、本作ではけっこう星矢にいい場面を見せている。たとえば、原作の星矢は魔鈴が人質になっていたというのがあるにせよ、猟犬星座のアステリオンにはわりと見どころもなく負けてしまったのだけれど、本作では違う。ノックアウト寸前に放った流星拳は外れたと見せかけて魔鈴を縛る鎖を切っていたのだ、というのは原作にはなかった。本気になった星矢の聖衣に羽がでてくる演出なんかも良かったと思う。ただ、黄金聖衣を装備した星矢が、原作では白銀聖闘士3人を瞬殺するシーンがなかったところかな。黄金聖衣の強さというのを分かりやすく伝えるいいシーンだと思ったが、CGを作るのが大変だったのかもしれない。グラード財団編このあたりはオリジナル展開である。原作でグラード財団といえば、それは城戸光政の創設した財団だったのだが、本作では城戸光政とヴァンダー・グラードという2人が作った財団になっている。そしてグラード財団は科学の力で暗黒聖闘士というのを作り上げ、人類を滅ぼすというアテナ沙織を抹殺しようとするわけだ。そういえば、旧アニメでも白銀聖闘士編で鋼鉄聖闘士というアニメオリジナルが出ていたけれど、それも元ネタになっているのかもしれない。さて、シーズン1のラスボスとなったヴァンダー・グラードであるが、彼は「人類は科学で神を超える力を手に入れた。必要のない神は滅ぼしてしまおう」という過激な考え方を持っている。でも、正直言って、僕はこのヴァンダー・グラードという人物の主張も分らんでもない。ギリシア神話の神々はけっこう自己中心的であるし、あまり人間に対して憐みの心をもっていない。ならば、神を滅ぼしてしまえばいいというのは、一つの思想としてはありえるだろう。それでいて、ヴァンダー・グラードは「城戸沙織はポセイドン、ハーデスと闘って負け、人類を滅ぼす」という予言を信じており、沙織を抹殺しようとする。別に、抹殺しなくてもいいと思うのだが、この辺の心情は良くわかない。このグラード財団編、実のところ僕はかなり好きである。白銀聖闘士編でも書いたが、主人公としての星矢をしっかり描いている。終盤、星矢がなぜ命がけで沙織を助けるのか、について星矢の口から語られる。星矢は幼いころ生き別れた姉の思い出の品として、姉の書いた絵を大事に持ち歩いていた。姉と言っても幼児のころのものだから、12歳という少年に差し掛かった星矢が大事に持っているのも不自然で、星矢はそれをいじめっ子にからかわれたりしていたのだ。だが、沙織はそんな星矢を笑わなかった。だから星矢は、沙織の心根に惹かれ、6年もの厳しい修行に耐えて聖闘士になったのだし、沙織を守るのだ、と。このオリジナルエピソードはけっこう良かったと思う。よく考えてみれば、原作における城戸沙織はあまり心のやさしさだとか母性を見せるシーンはない。もともとが「戦いの女神アテナ」であって、聖母マリアみたいなのとは違うと言えばそれまでだが、原作の沙織は凛々しさや気高さを見せるものの、別段、弱者に対して優しいというシーンはさほどない。だいたい、聖闘士に何の相談もなく1人でボスに挑んで封印されるとか行動不能に陥るというパターンばかりである。やはり、守られる沙織にも魅力がなければならん。そういう意味で、この改変は良かったと思うよ。ところで、作画について、前回感想で「作画コストがかかるせいか、聖衣が破損しない」と書いたが、後半に入ってくると砕けたりはしないものの、聖衣の表面に細かな傷が入るようになってくる。歴戦の戦士めいてきて素晴らしいといえる。聖闘士星矢 7【電子書籍】[ 車田正美 ]
2023.11.04
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RPGというのは、決まりきった約束事がある。モンスターを倒せば経験値とお金が得られるし、どれだけ瀕死の重傷を負っていても宿屋に一泊すれば全回復する、などと言ったルールだ。本作、『なぜ銅の剣しか売らないんですか?』はそういったRPGの約束事に突っ込みながら話をすすめるRPGパロディネタの小説になっている。なぜ銅の剣までしか売らないんですか? (実業之日本社文庫) [ エフ ]ところで、RPGの約束事については幼いころは不思議と思ったことはあれど、いつしか何の疑問も持たなずに受け入れるようになった。そんな小学生時代の僕は『魔法陣ぐグルグル』という作品に出合った。僕の見た限りだと、こういったRPGのルールをパロディ化したのは『魔法陣グルグル』が初めてだったように思う。現代だと、もうRPGをパロディ化したものはありふれたジャンルになってしまい、なろう系なんかそんな作品であふれているので新鮮な感じはしなくなったけれどもね…。魔法陣グルグル1巻【電子書籍】[ 衛藤ヒロユキ ]さて、本作の簡単なあらすじだ。主人公の商人・マルは勤務先の武器屋について疑問を持っていた。「なぜ、自分の村の武器屋は銅の剣までしか売っていないのか? もっと強い鋼の剣だとか、バスターソードを売ればもうかるのに・・・」と。そして、店主にもっといい武器を売ろうと進言しても、いつも拒絶されるのだ。作中世界では、武器もアイテムも、どの町でどれを売っていいのかが指定されており、また売値もどこであっても同じ値段になっている。疑問を持ちながら店主に従っていたマルであるが、ある日、弟が勇者に指名されてしまう。勇者は死亡率が極めて高い。なのに、弟には銅の剣までしか持たせられないのは理不尽である。安全に勇者の旅をさせるため、最初からもっと強い武器を与えられないのはなぜなのか?マルはこういったルールを作っている商人ギルドに疑問を持ち、なぜこんなルールがあるのか、これを撤廃させるため商人ギルドの本部を目指し旅に出るのだ。このあたり、RPGあるあるだ。RPGでは主人公は徐々にレベルアップしていき、武器やアイテムも先に進めば進むほどいいものが手に入るようになる。ゲームバランスというのがあって、初手から強い武器やアイテムが手に入ったりすると、ゲームとして面白くなくなってしまうからな…。最終的に、この世界では魔族と人間側で協定ができており、人間側は魔族という外の世界の敵を作ることで為政者に対する不満が向かないようにし、魔族は人間側の領土である程度踏み込めるようにする。そして、人間側の勇者というのは、人間側の不満のガス抜き的な要素があり、つまるところ人間と魔族の対立自体が八百長なのだと明かされるのだ…。僕の意見としては、この小説は単なるRPGパロディではなく、社会派小説になっているところに見どころがあると思う。商人ギルド本部を目指す主人公は、①花が投機の対象となっている町、②「まじめに働くなんて馬鹿」など労働者を煽る殴られ屋のいる町、③弱い魔族を奴隷にしている町、④快楽物質を含む植物を他の国に輸出している町、などを通過していく。これ、すべて元ネタがある。①は17世紀オランダであったチューリップ・バブルだし、②は炎上系Youtuber、たぶん「ゆたぼん」あたりだろう。そして③は現実の奴隷制度と低賃金労働者、④は阿片戦争である。けっこう、社会派なのだ。個人的には、RPGパロディよりもむしろ、現実世界であった出来事をファンタジー世界に落とし込んだ社会問題の方が面白いと感じた。ある意味で、RPGパロディのオチ、つまり魔族と人間が裏で手を組んでいるというのはありがちなネタだもんね…。それぞれの社会問題は色々と見どころもあるのだが、②の炎上系Youtuberの町が現代的なネタをファンタジー世界にうまく落とし込んでいてよかったと感じた。「まじめに働いているのに俺より稼げないなんで無能」、「まじめに働くなんて馬鹿」などと大衆を煽る子供を「殴られ屋」に設定するあたりの発想は驚かせられた。また、この「殴られ屋」ビジネスは街角でやっていたのだが、劇場を借りて行うほど規模が大きくなると、今度は劇場に広告を出している商人からのクレームが来て、劇場でのビジネスができなくなってしまうのだ。炎上系Youtuberの末路を見ているようである。その次あたりに良かったのが奴隷ネタだろうか。作中では、砂糖を奴隷が作っているが、砂糖精製というのは現実でも重労働で、機械化以前は奴隷なしでは成立しなかったというあたりも考証がしっかりしている。そして、奴隷解放が善意のみではなく、それによって利益を得るものがバックにいたというあたりも面白い。実際、アメリカの奴隷解放も、奴隷制によって大規模農業をしていた南部を弱体化させるため、さほど奴隷に依存していなかった北部が奴隷解放をすすめた、なんて話も聞いたことがあるからね。最終的に、奴隷は低賃金労働者へと姿を変えるのだが、利権は奴隷解放運動を扇動した奴隷保護団体的なところがしっかり持って行ってしまう。恐ろしいものよ…。ただ、炎上系以外のチューリップ・バブルの話、奴隷制度、阿片戦争はどれも世界史の話になってしまい、スケールが大きくなる一方、微妙に話が成立しにくくなってしまうように感じた。特にチューリップ・バブルの話について、主人公は「キメイラの翼」という「一度行ったことのある町に移動できる魔法のアイテム」、ドラクエでいう「キメラの翼」を使い、希少な「チュリップの花」が珍しくもなんともない外国から花を大量に流入させることで値崩れさせ、カラ売りの方法でひと財産作るのだ。この「キメイラの翼」はない方がよかったかもしれない。そんな、外国に行けばわりと簡単に手に入る花が高騰する、というのはないわけではないが、ちょっと想定しがたい。なんというか、「キメラの翼」はRPGをやる上では退屈な移動を省略するために必須なアイテムではあろうが、強力すぎるのだ。作中では「一度に4人くらいしか移動できない」という制限はあったが、それでも強すぎる。この「キメイラの翼」があれば、海の向こうから連れてこられた奴隷だっていつでも自分の国に帰れてしまうし、流通も僕たちの想像以上に大きく変わるだろう。たとえば、都心近くのベットタウンというのがなくなったりするだろうし、鉄道やバスなどという公共交通機関も大きく変わりそうだ。総評として、本作についてはRPGパロディネタよりも社会派な部分の方が面白かった。世界史や炎上系Youtuberなどで見たネタについて、主人公は機知と機転で商機につなげていく。amazonの感想を見てても、RPGパロディネタよりむしろ、世界史ネタを面白がっている人の方が多いようだね。なぜ銅の剣までしか売らないんですか? [ エフ ]
2023.10.25
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僕の中でまたブームが来ているのが『聖闘士星矢』である。この作品、2003年のエピソードG以降、途切れることなく延々とスピンオフが作られ続けている。なので、新作を見ているとふとしたきっかけで再ブームが来やすい。そんな感じで、いま見ているのが『聖闘士星矢: Knights of the Zodiac』 である。シーズン1を見終えたので、ざっと感想を書いていきたい。聖闘士星矢 1【電子書籍】[ 車田正美 ]この『聖闘士星矢: Knights of the Zodiac』 であるが、もともとはネットフリックス作成の3DCGアニメである。外国での展開が先にあるのかもしれない。色々な変更点はあるが、リアルタイムではアンドロメダ瞬が女性になってしまったことで物議をかもしたのを覚えている。簡単なあらすじとしては、シーズン1では原作の銀河戦争編、暗黒聖闘士編、白銀聖闘士編にグラード財団編を加えたものまでを全12話でやることになる。以下、①序盤、②銀河戦争編、③暗黒聖闘士編、④白銀聖闘士編、⑤グラード財団編で区切って感想を書いていき、最後に全体のまとめの感想を書きたい。今回は長くなりすぎるので、②の銀河戦争編、まで書く。なお、この区分けは僕が適宜したものなので、公式でこういう分け方がされているわけではないです。序盤(第1~2話)本作は細かな点で原作との違いはあるけれど、序盤のプロローグが全然違う。もともと星矢は姉といっしょに孤児院で生活をしていたが、いじめっ子との喧嘩の際、小宇宙(コスモ)と呼ばれる超能力に目覚めるのだ。それがきっかけて、星矢たちの孤児院は謎の武装勢力に襲われるのだが、その際に星矢は姉と離れ離れになってしまう。生き別れた姉と再会するには聖闘士になり、サンクチュアリに行く必要があると言われた星矢は、6年の厳しい修行をして聖闘士になるというのが序盤である。カシオスと闘って、ペガサスの聖衣を手に入れるところは同じ。正直言って、惰性で見ていて退屈な所は多かったかな…。まだ、この3DCGにも慣れていないし、もっと言えば星矢の声が古谷徹さんじゃなくて森田成一さんになっていて、多少の違和感もあったから。最終的に、森田さんの熱い演技もしっくりくるようになるんだけどね。銀河戦争編(2~5話)ここも色々と原作と違う。大きな変更点としては、①アテナ沙織の立ち位置と、②銀河戦争の目的である。まず①について、本作ではアテナ沙織は、生まれた時点で「将来的に海王ポセイドンと冥王ハーデスと闘って敗れ、世界を崩壊させる」という物騒な予言がされているというのである。なので、原作だと教皇(サガ)が独自の判断で沙織を抹殺しようとしたのだが、本作だと黄金聖闘士の全員が、沙織はアテナだと認識しつつも、彼女が世界を滅ぼすという予言を信じるがゆえに沙織を抹殺しようとしているのだ。で、②銀河戦争であるが、これの目的が沙織側でサンクチュアリに対抗できる勢力を見つけ出すために行われたことになっている。なので、原作のように銀河戦争は格闘技の大会として見世物になるのではなく、観客は沙織と辰巳くらいしかいないという、寂しいものになっている。そういうわけだから、観客がいない銀河戦争はなんかこう、寂しいよ…。なお、残念ポイントして、CGアニメはあまり融通が利かないのか、聖衣は全く破損しないし、登場人物の衣服が血や汗で汚れたりすることもあまりない。作画コストがかかるのだろう。「ハンター×ハンター」でヒソカがカストロに対し、「ダブルはイメージで作るから、服の汚れは再現できない」と言っていたのをふと思い出したよ。そして、作画コストを下げるためか、ペガサス流星拳を打つたび、バンク、つまり使いまわしの映像が入る。いまどきのアニメでこれほどバンクを見るのは珍しい。なので、星矢vs紫龍で、星矢が最高の硬度を誇る龍の盾と龍の拳をぶつけ、聖衣が破損するという話もない。この星矢vs紫龍編は、僕は聖闘士星矢のベストバウトの1つだと思っている。この試合の見どころは2つあって、1つは紫龍の誇る「最強の盾と最強の拳」の攻略である。「最強の盾と最強の拳」はまさに矛盾そのものであり、最強の拳を最強の盾にぶつることで攻略した星矢の、というか車田正美の知性の輝きを感じる。このシーンで「矛盾」という言葉を知ったチビっ子も多いだろう。さらに、2つ目の見どころは「聖闘士に同じ技は二度通じない」という点である。終盤になると一輝が「もはやこれは常識!」とまで言うのだけれど、詳しい説明はない。だが、序盤は丁寧に作りこまれており、「紫龍が廬山昇竜覇(全力でアッパーカット)を放つ際、1000分の1秒だけ、左拳が下がって心臓ががら空きになる」のだ。1000分の1秒の隙など、普通は隙とすらいえない。気が付くこともできないだろうし、気が付いたところでその隙を突くことなどできはしない。だが、聖闘士ならばそれができるのだ、というのを読者に伝えるという意味で、星矢vs紫龍は最高の試合だったといえる。この2つの見どころのうち、矛盾がバッサリとカットされているのは残念極まりない。さらにいえば、聖衣破損を修復するために紫龍が命をかけるエピソードもない。銀河戦争編までの総評色々と文句ばかりを書き連ねてきたが、正直言ってこのあたりまでの本作は結構不満ばかりである。ただ、まあ、ここから面白くなるよ。僕はシーズン1を完走しているのだから…。そういえば、いちいち書かなかったけれど、本作においては星矢を明確に主人公として描いているように思う。ほかの青銅聖闘士は引き立て役に徹している。原作だと、特にハーデス編以降の星矢の活躍は微妙だからね。星矢ファンなら楽しめるよ。逆に、原作の方もけっこう展開はひどいところもある。ぱっと思いつく限り、初期のアテナ沙織の鬼畜っぷりは擁護ができない。あの、幼いころにユニコーンの邪武を馬にして鞭を入れて遊んでいたシーンとか、「嫌な金持ち女」としか描写されているが、これが清らかな女神になったのは何らかの予定変更があったからなのか…。個人的に、グラード財団のボスであるヴァンダー・グラードというキャラが割と好きである。白銀聖闘士編あたりから面白くなるよ。聖闘士星矢 1【電子書籍】[ 車田正美 ]
2023.10.17
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映画にもなるというので、小説『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の感想でも書いていきたい。プロジェクト・ヘイル・メアリー 上あらすじとしては、だいたいこうだ。どういうわけだが、地球に届く太陽の出力が落ち始めた。最初は数パーセントの誤差程度のものだったが、指数関数的に太陽の出力は小さくなっていき、地球は氷河期に入り始めたのだ。調査の結果、アストロファージ(宇宙を食べる者)という、未知の地球外の微生物が太陽の力を吸収していることがわかった。アストロファージによる恒星の出力低下は宇宙規模で感染が広がっているが、地球人の観測できるところでたった1か所、12光年先のタウ・セチだけがアストロファージに感染していない。そこで、地球人はなぜタウ・セチだけがアストロファージに感染しないのか、調査のために主人公たちを宇宙船、ヘイル・メアリー号に乗せて旅立たせるのだ。なお、「ヘイル・メアリー」というのはアメフトで試合終了間際、一発逆転のラストチャンスで大きなパスをすることを言うそうな。まさに、宇宙船・ヘイル・メアリー号は絶滅まであと数十年というところで、人類が12光年先の星めがけて放出した最後の希望というべきだろう。見どころは数えきれないほどある。まず、恒星に感染し、食いつくしてしまう「アストロファージ」という未知の地球外生命体である。まさにウィルスみたいな大きさなのに、太陽の光を吸収し、爆発的に数を増やす。そして、アストロファージは膨大な力を溜め込むので、燃料として使えば光速に近い速度で飛ぶ宇宙船を作れたりする。本作はSFとして科学的な考証をしっかりしているようであるが、このアストロファージという地球外生命体の設定は見事と言いたい。そして、ミステリ要素である。冒頭、昏睡から覚めた主人公は記憶を失っており、気が付いたら病室っぽいところにいるわけだ。なぜ、主人公は昏睡し、記憶を失っていたのか、これがなぜなのか、序盤はまったく開示されない。主人公は、「やたら体が重く、物が落ちる速度が速い気がする」という事実からメジャーを何度も落としてストップウォッチで時間を計測し、明らかに重力が地球の1.5倍ほどあることに気が付くのだ。さらに、手元の糸で振り子を作り、この辺の計算過程は僕にはよく分からんが、自分のいる場所が巨大な遠心器の中であることなどを突き止め、最終的に自分がいる場所が巨大な宇宙船の中であるという結論にたどり着く。このあと、なぜタウ・セチだけがアストロファージに感染しないのか、についても複数の仮説を立てそれを検証し始めたりする。ある仮説を立てて実験をして適合すれば結論を、ダメなら別の仮説を検討するという作業、科学的ではあるのだけれど、記憶喪失の主人公を使うことでミステリのようにも見えますね。そして、最高の見どころが主人公と惑星エリドに住むエイリアン、ロッキーとの交流である。このロッキーは足がなくて腕が5本、硬い甲羅に覆われている蜘蛛みたいな生物なのだが、彼もまた、故郷の太陽が死に瀕していたので、タウ・セチの秘密を探るためやってきたのだ。主人公も、ロッキーも、過酷な宇宙の旅でタウ・セチに到着した時点で自分以外のクルーが全滅していたということもあり、徐々に絆を深めていく。科学の得意な主人公と、技術者として優秀なロッキーのコンビは見ていて最高のコンビだと思う。協力してタウ・セチの調査をするのだが、危機また危機の連続である。あわや生命の危機となった主人公を助けるため、ヘイル・メアリー号の大気に触れれば重傷を負ってしまうロッキーが命を懸けて主人公を助けてくれたロッキーの友情には泣きそうになったよ…。最終的に、主人公は徐々に記憶を戻していくのだが、もともと主人公は自分の意思でヘイル・メアリー号に載ったのではないことが明かされる。とにかく主人公はリスクを嫌い、恋愛でも学会でもリスクを避け続けたために、結婚もできず、学会でも大成できず、中学校で科学教師なんぞをしていたわけだ。結局、主人公は科学者として十分な能力がありながら、事故でクルーに欠員ができたということでヘイル・メアリー号に無理やり乗せられ、抵抗できなくするため昏睡状態で宇宙に旅立ったのだ。そんな何より自分の命を大切にする主人公がである、最後の最後、主人公は地球には小型ロケットでタウ・セチの秘密を知らせ、自分は二度と地球に帰らない覚悟を決めてロッキーを助けに行くシーンは胸が熱くなった。こうしてしまうと、主人公はもう地球に帰る燃料を使い果たしてしまうことになるし、ロッキーの星で地球人は生きられない。地球人にとってロッキーの星は灼熱地獄というべきものだし、食べ物もない。あれほど自分の命にこだわった主人公が、なんということだと目頭が熱くなった。ラストシーンは、いっきに16年後である。主人公はロッキーを助けに行ったことで、地球に帰る燃料をなくしてしまったものの、ロッキーの住む惑星エリドに主人公用の大気と温度を備えた特別区画を作ってもらい、永住することになる。そんなある日、すでに年老いた主人公のもとにロッキーが現れ、太陽がもとの明るさを取り戻したことを知らされるのだ。なお、エリドと太陽の距離は15光年くらいあるので、エリドで太陽がもとどおりになったのを観測するのに16年かかったわけだ。果たして地球はどうなったのか、それは作中で明らかにはされない。氷河期が近づいていたことで、地球環境は大幅に変わってしまったことだろう。だが、きっと大丈夫だったのだろう、と希望を持たせて終了である。総評として、とてもよかった。僕はこの前、『三体』という中国SFを読んだのだが、これが異星人との対立を描いていた。そして『三体』の作中では「暗黒森林理論」というのが提唱されており、それは「もし異星人を発見した場合、即座に滅ぼしてしまうのがベストである。もし、敵対的な異星人であれば自分の星が侵略されるか、滅ぼされる可能性があるのだから。」という殺伐とした世界観が提示されていた。一方で、この『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の世界観はずいぶんと優しい。主人公とロッキーは、互いの容姿も、食べ物も、呼吸する大気の成分も違う。主人公はロッキーの星では生きられないし、逆にロッキーも地球では生きられない。それでも、主人公とロッキーの間にはかたい友情が芽生えていたし、科学知識に優れた主人公と、技術の専門家であるロッキーは最高の相棒だったといえる。なお、うがった見方をすれば、「ロッキーたち異星人は地球では生きられない」というのは、「ロッキーたち異星人には地球を侵略する価値がない」ということであり、その逆もまた真である。うまく利害の調整がされているといえるかもしれない。また、僕の中で宇宙をすくうヒーローと言えば、ドラゴンボールの悟空のように、暴力で解決するキャラが普通だった。暴力ではなくて科学で宇宙を救うというの、現実的にはともかく、フィクションで娯楽性を持たせて成立しているのはすごいことだと思うよ。プロジェクト・ヘイル・メアリー 下 [ アンディ・ウィアー ]
2023.10.05
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今年の芥川賞は市川沙央の『ハンチバック』となった。100ページくらいの薄めの本なので,気軽に読めるね。なお,内容は全く軽くないです。ネタバレもしながら感想を書いて行きます。ハンチバック [ 市川 沙央 ]作品と作家は分けて論じるべきであるとは思うけれど,本作は私小説的な,作者の自分語りがはいっているのでそうもいかない。著者は筋疾患に罹患しており,人工呼吸器と車いすを使っている障がい者である。症状は結構重たく,普通に「読書をする姿勢」を取ることすら難しいようで,こないだ見たテレビ特集によれば電子書籍なんかを使って読書はやってるみたい。もともとは,ライトノベルの投稿を何年もしていて,文学作品は本作が初めてだという。そして,『ハンチバック』の主人公について箇条書きすると,以下の通り。・年齢は40歳ぐらい(著者と同じ)・筋疾患を患っていて車いすと人工呼吸器を使っている(著者と同じ)・読書する姿勢を取るだけで困難(著者と同じ)・亡くなった両親は資産家で数億円を主人公に残している。(少なくとも著者の両親は生きている)・主人公は両親の残したグループホーム,障がい者施設に特別待遇で生活している(著者は施設暮らしではない)・主人公はネットでエロ記事なんかを書いて金を稼ぎ,寄付をしている。・主人公は健常者のように妊娠し,堕胎したいと夢見ている。主人公と著者に障害があったりして,重なるところは,色々重なる。ただ,主人公が数億円を持っている富豪だというの,たぶん著者は違うんじゃないかな…。そんな本作の最大の特徴は,性描写がかなり多いということである。1ページ目から,男がハプニングバーで性 行為をする描写が延々と,かなり濃密に描かれる。なんだこれは…と思ったところで,これが主人公が執筆していたネット記事だということが明かされるのだ。いわゆるコタツ記事というやつで,取材をすることなく,ネットの情報の切り貼りでページビューを目的に書かれるエロ記事ですね。俺も見たことがあるけど,文体が本当にそれっぽくて,著者がこの手のエロ記事を読み込んでいるのか,文体を模写する才能に恵まれているのか,判断に難しいところだ。そして,作中では延々と主人公の不平不満が語られている。健常者は普通に性 行為ができるのだが,それができない。仮に妊娠して出産したとしても子育てはできない。なので妊娠して堕胎をしたいと,分かったような,分からんようなことを延々と心理描写したり,SNSに投稿したりしている。ヤマ場としては,主人公がエロ記事や性的なことを投稿していることを,施設の男性職員にバレてしまうというところ。この男性職員,自称「弱者男性」というやつらしい。低賃金で,身長も160センチもない。一方,主人公は女性ながら165センチなので,この弱者男性職員よりは背が高いわけだ。なんとも,主人公の心理描写を見る限り,主人公はこの男性職員を見下している感がすごい。で,主人公はこの男性職員に対して,1億円を支払うのと引き換えに,精子を提供してもらう約束を取り付ける。ただ,実際に妊娠する前,口 淫をしてもらって口の中で射 精してもらったところ,主人公は誤嚥性肺炎で入院することになってしまう。退院した主人公であったが,男性職員はすでに退職しており,報酬として用意した1億円の小切手も持ち出されていなかった…というところでひとまずは終了である。はっきり言って,主人公に好感を持てるか,というとこれがかなり難しい。男性職員にも障がい者を見下す言動があるとはいえ,主人公もこの男性職員を「弱者男性」と見下しているわけだ。読書ができるのが当たり前である,とする健常者に対するルサンチマンは,僕も考えたことがなかったものも出し,傾聴に値するとは思う。ただ,共感は難しい。さらに共感を難しくしているのが,主人公の富豪設定である。何億円もの遺産を持っていて,親が主人公にグループホームを1つまるごと残すというあたり,一般読者と境遇が違いすぎる。どうせ主人公の障害について共感しにくいのだから,富豪でも何でもいいといえばいいのだけれど。それと,どうしても語らなければならないのが,最終章である。これは僕もネット上の意見を色々見たが,よく分からない。箇条書きすると,こうである。・突如場面と,語り手が変わり,主人公は一切登場しない。・新しい語り手は風俗店で勤務する女子大生。・女子大生は親が宗教に大金を使い,本人自身もホストに散在していて経済的に困窮している。・女子大生の兄は障害のある女性を殺害し,通帳を盗んで服役している。・女子大生は避妊せずに客と性 行為をしていて,妊娠するかもしれない。さて,女子高生は何なんだよ…となる。第一印象としては,主人公が男性職員に殺されてしまい,男性職員の妹が風俗嬢になっているということなのか,と思った。そして,主人公ができなかった妊娠をしようとしているのかな…?ただ,男性職員は通帳を盗まなくても精子を提供すれば1億もらえるんだから,どうも違うようにも思える。また,別の読み方としては,最後に登場した女子大生が,兄に殺された女性をもとに主人公の物語を執筆していたのではないかとも読める。要するによく分からんのである。総評としては,「よく分からない」ということになる。安易に答えを与えるのではなくて,「障がい者はこのように苦しんでいる。性欲もある」というのを考えさせることはできていると思う。ただ,読んでも爽快感はない。その辺は,直木賞に期待ですね。ハンチバック [ 市川 沙央 ]
2023.08.01
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『大名倒産』というタイトルはなかなかキャッチーだし,名前は知ってたような気がする。最近,実写映画化するというのでキャンペーンも打っていたので,読んでみた。大名倒産 上 (文春文庫) [ 浅田 次郎 ]あらすじとしては,大名の妾の子である四男,松平小四郎が,長男の急逝等の事情から,突如として丹生山(にぶやま)藩を継ぐことになってしまうのだ。そんな丹生山藩なのだが,石高は3万石しかないのに借金は25万両。毎年の利息だけで3両という危機的状況である。主人公はどうにかこうにか,丹生山藩の建て直しに奔走する,といういう物語になる。ここで裏事情としては,実は主人公の父親であり,前藩主の陰謀がある。なんと前藩主はもはや借金を返済できないことを悟ると,財産隠しの上,あえて不祥事を連発して幕府に改易,取り潰しをさせてしまおう,責任は藩主である主人公に取らせて切腹させ,自分と家臣は隠し財産を分配して余生を送ろう,主人公は妾の子だし愛情もさほどない・・・などと考えているのだ。見どころと言えば,実直な主人公の奔走ぶり,主人公に献身的な家臣や友人たち。そして,妾の子だからと事実上捨てられてしまった主人公と,育ての父の交情などであろう。参勤交代に多額の費用が掛かるというのならば,凄まじいまでの強行軍で領地まで駆け抜けて費用を節約したり,兄の結納金がなければ相手の親に誠心誠意頭を下げたりもする。そして,どことなくこの作品は現代を描いているようにも見えるのだ。幕末の藩主と同様に,現代日本も毎年多額の負債を垂れ流しており,毎年のように赤字である。主人公の父親である前藩主なんかは,見事に逃げ切りの世代であるが,若者は前世代の残した膨大な負債を解決しなければならない。なんとも身につまされる話ではある。一方で残念な所もある。登場人物に,神々が登場するところである。これが本作をつまらない小説にまでしてしまうのだ。上巻では貧乏神が登場する程度であるが,下巻になると貧乏神に加えて七福神かかなり前面で登場する。これら神々は人間には見えないが,陰ながら,丹生山藩の建て直しに協力してくれるのである。丹生山の名物である鮭を江戸で売るため,船の手配に協力してくれたりするし,最終的には上杉謙信の隠し金を主人公に与えたりもしている。私見だが,そんなふうに神々が出てきちゃうと,懸命に生きる人間たちというテーマがボヤけてしまうのだ。実際,下巻になると七福神にはそれぞれ細かな設定もされているのだけれど,その反面,下巻も半ばになると主人公たちの描写がかなり薄くなる。特にひどいのが上杉謙信の隠し金だ。たとえば,主人公たちが一発逆転を賭けて懸命に捜索した結果見つかったというのならばまだしも,七福神の力添えで財宝を発見した領民が献上するというのはどうだろう?もちろん,主人公たちが懸命に奔走したからこそ,神々が財宝を与えてくれたと言えばそれまでだが,隠し金の発見に主人公が何の努力もしていない。参勤交代費用を浮かせるために頭を使っていたとか,鮭を特産品として売り出すため運動をするとか,そういうので良かったんだよ…。大名倒産 下 (文春文庫) [ 浅田 次郎 ]なお,巻末のあとがきを見ていると著者もソロバンをはじきながら本作を書いたようである。どうにかして鮭の販売やらでなんとかできないかとやりつつ,どうしようもなかったのかもしれない。だからといって,安易に怪力乱神に頼るというのも興ざめである。余談だが,浅田次郎は『蒼穹の昴』も読んだけれど,こちらでも「龍玉」という,手に入れれば王になれるキーアイテムなんかが出てきてきていた。これも僕はあまり好きじゃなかったなぁ…。
2023.06.22
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僕はウルトラマン世代ではない。谷間世代というやつだろう,特番みたいなのは別として,毎週テレビでやっていたのは1980年のウルトラマン80の次は1996年のウルトラマンティガまでなかったのだ。もっとも,コロコロコミックやコミックボンボンでウルトラマンを扱ったSD漫画はあったし,ウルトラマンキッズなどアニメもあった。リアルタイムはなかったが,再放送はあったので,初代ウルトラマンは楽しみに見ていたものだ。ウルトラマンになった男 [ 円谷プロダクション ]さて,そんなわけで今回読んだ『ウルトラマンになった男』の感想を書いて行きたい。内容としては,初代ウルトラマンの中の人をした古谷敏の自伝になっている。見どころは色々とある。大きく3つくらい上げてみよう。第1に,特撮ヒーローがいなかった時代を描いていることである。著者は1943年生まれだというから,戦前の生まれである。ウルトラマンだって,仮面ライダーだってない。なお,ウルトラマンは1966年放映で仮面ライダーは1971年放映だから当然と言えば当然なのだが。そうすると,今のようにフォーマットが定まっているわけでもなく,ゼロから1を生み出す必要があるわけだ。著者も,「ウルトラマンをやってくれ」と言われても全く意味が分からないところから始まるのだし,「ウルトラマンは宇宙人なんだ。人間とは違うから,そのつもりで演技をしてくれ」など言われてもどうしようもないわけだな。とはいえ,著者も幼いころは鞍馬天狗の映画に夢中になっていたということもあり,要するにヒーローなんだと理解する過程は非常に良いです。第2に,ウルトラマンの裏話である。前傾になって腰を曲げたウルトラマン独特のファイティングポーズは,長身の著者をカメラに入れるために屈んでもらう必要があったこと,さらに西部劇のナイフを持った俳優の決闘シーンの影響だとか語られている。面白かったのは,ウルトラマンのスーツの下である。上半身は裸なのだが,下はパンツにするのか,全裸にするのかと試行錯誤して,最終的にビキニパンツになったりする。ノウハウが全くない時代,知恵を出しながら進んでいたのだな…。第3に,スーツアクターの地位に関する生々しい証言である。いま,僕は何気なく変身ヒーローの中の人のことをスーツアクター,と言っているが,本書ではスーツアクターという単語は一切出てこない。特撮ヒーローは「ぬいぐるみ」,など言われている。しかも,この「ぬいぐるみ」の中の人の地位は極端に低い。俳優の命である顔が出ないことから,地位は低かったようで,ウルトラマンの前身であるウルトラQなどの怪獣特撮でも,怪獣の中の人には控え室もシャワーも用意されておらず,喉が渇いた時の水も用意されていなかったという。普通に考えれば,密閉された「ぬいぐるみ」の中はかなり劣悪な環境だし,全身は汗まみれ。中に入れる時間はせいぜい20~30分だろうに,その配慮もないというのは,現在からすれば恐ろしいことだ。そして,著者もウルトラマンの中の人であることに対し,当時はさほどの愛着をもっていなかったようである。挫けそうになりつつも,たまたま通勤中,楽しそうにウルトラマンの話をする子供たちを見て思いとどまるシーンは感動的ではあるから,全く愛着がなかったとまではいわないので,ウルトラマンというスーパーヒーローに対する愛情はあれど,少なくとも当時は,スーツアクターという職業に対して誇りをもっていたようには感じられない。本書によると,著者はウルトラマンを演じながら,科学特捜隊を演じていた役者の制服が輝いて見えた,だの顔を出している役者への憧れを素直に述べている。さらに,ウルトラマンの放映後,ウルトラセブンのスーツアクターを打診されながらもこれを断り,ウルトラ警備隊のアマギ隊員役になってしまっている。結局,著者が演じた「ぬいぐるみ」はウルトラマンの1作だけである。僕は役者ではないから役者の気持ちはわからない。だが,現代ならば,高岩成二や岡元次郎のような大人気スーツアクターもいるし,顔を出して特撮番組の端役をやるよりも,スーツアクターの方がよほど人気があるのではなかろうか。そういう意味で,先駆者でもあった著者が1作だけしか特撮ヒーローを演じなかったというのは残念でならない。高岩成二をも超える,伝説のスーツアクターとなれた可能性があったというのに…。考えるにつけ,栄枯盛衰というもを感じさせられる。著者によれば,ウルトラマンの作成時期である1960年ころは映画俳優とテレビ俳優の地位には大きな差があったらしい。映画俳優たちは,「テレビなんて予算もないし,あんな小さな画面で演じてどうするの?」という風潮だったそうな。ところが,今や映画俳優とテレビ俳優なんていう区別はほとんどなく,どちらにも出演する俳優が多いだろう。最近の例だとYoutuberなんてそうだろう。ここ10年ほどで急激に台頭したが,見向きもされなかったYoutuberはいまやテレビに出演する芸能人を追い抜くことになるかもしれない。同じく,数十年前の弁護士と今の弁護士では収入も社会的地位も違う。こんなことは,どの業界でもあるのかもしれない。最後に残念だったところを1点だけ。本作は鞍馬天狗に憧れた著者の幼少期や,ウルトラマンを演じた時代,それからウルトラセブンでアマギ隊員を演じた時代についてはじっくりと語ってくれるものの,俳優を引退した経緯や,引退後にビンプロモーションを経営し,そして破産したことについては簡略化している。語るどころか,思い出すのも辛いことなのだろうと察するが,Wikipediaによればビンプロモーションも1971年から1991年まで,20年も経営しており,全盛期は3億円から4億円の年収があったという。このあたりの話も聞きたかったものである。ウルトラマンになった男【電子書籍】[ 円谷プロダクション ]
2023.03.16
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気がつけば法律のブログなのにかなり長い間サボっていた。たまに時報は読んでいたんだけどね。とりあえず復帰第1号なので,簡単な裁判例紹介から。[新品] 保証未開始 Apple Watch Series 3 GPSモデル 38mm MTF02J/A [ブラックスポーツバンド] アップルウォッチ 4549995043402今回紹介する裁判例は,ヤフオクで売買契約の成立する時期が争われた事案である(横浜地裁R4.6.17判例時報2540号43頁)。概要は,おおよそ以下の通り。被告の売手は,ヤフオクに高級時計を出品した。事情はよく分からんが,売手は最高値を入れた者と,2番目の高値を入れた者の落札を取り消した結果,原告となる買手が高級時計を9万2000円で落札した。買手によれば,この時計は転売すれば20万くらいの価値があり,買手ははこれを転売するつもりだったらしい。ところが,被告・売手は「この価格では売れません。常識的な価格があると思います。終了時間を間違えました。当方のミスです(ママ)」と連絡してきたのだ。さらに被告・売手は原告・買手に「非常に悪い落札者です」など評価をつけた。これに怒った原告・買手が,①高級時計の転売利益相当額と,②非常に悪い出品者などとされたことへの慰謝料を請求したという事案である。最大のポイントは,売買契約の成立時期である。もし,買手の落札とともに売買契約が成立していたのならば,売手は買手に時計を引き渡す義務があり,これができないのならば損害賠償をしなければならない。この裁判,簡裁から控訴されて地裁にあがったケースなのだが,面白いことに簡裁では売買契約の成立時期について,地裁と簡裁は異なる判断をしていた。簡裁は,要するに落札されたあと,ヤフオクでは買手と売手の間で送料だとか,引き渡しの方法が協議される場合があるという点を重視し,最高落札者は交渉権を得るだけだ,という判断したのである。言うならば,プロ野球のドラフト会議の方式だろうか。一応,こういう考え方もないではないだろう。一方で,横浜地裁はそうしなかった。まず,そもそも論なのだが,規約を見る限り,ヤフーオークションでは売買契約成立の時期について定められていない,というのである。そうすると個別具体的な判断になるのだけれど,本件ではもともと送料は全国一律520円,発送時期は支払から1~2日後,決済方法が事前に決められていたことから,本件では落札後に交渉の余地がなかったとして,遅くとも,原告・買手が繰上で落札者になり,買手がこれを受け入れた時点で売買契約が成立する,と判断した。割と面白いと言えば面白い事案である。個人的には,「こんなもん,申込みと承諾の合致する時期,今回なら落札時点だろう」と考えていたけれど,プロ野球のドラフト会議の方式のように,最高落札者が単に交渉権を得るだけ,という考え方だってあり得るわけだ。実際,あるネットオークションなんかでは落札した後,値下げ交渉を始める者までいるというもあると聞いたこともある。そういう意味で,民法の原理原則に立ち返って考える面白い事例だと思う。学部生に議論させるには最適だろう。さらにこの事件,代理人の名前がないから本人訴訟っぽい。訴額は20万円以下だもん,仕方ないね。それでいて,錯誤の抗弁,重過失の再抗弁など主張整理がしっかりされている。もちろん,これは裁判所が頑張った可能性もあるんだけどね。なお,「非常に悪い落札者です」は簡裁でも地裁でも不法行為と認定されているので割愛した。悪い出品者だとか落札者になると,オークションもやりにくくなるから,名誉毀損的にもそんなもんだよね。距離計 ガーミン epix Sapphire エピックス サファイア (0100258215) AMOLEDディスプレイ採用 ゴルフ 距離測定器 時計 GPS ナビ GARMIN
2023.02.15
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普通,僕は本を読むとき事前情報をある程度得てから読む。友人からの紹介だったり,どこかで読んだ書評だったりと。今回の『正欲』は一切の事前情報なしで読んだ。同じ著者の作品を読んでいると,クセとか傾向が分かるのだが,全くわからないで読んだからこそ楽しめたところもあるし,先が読めなかったところもあった。以下,重大な部分にもネタバレをしながら感想を書いて行く。なお,これは僕の自由な感想なので,著者の意図しているのとは違う受け止め方をしているものもあるかもしれないし,見当違いの考察をしている可能性もある。その点は理解していただきたい。正欲 [ 朝井 リョウ ]本作の構成としては,大きく3人の人物の視点を通しながら,主に性的嗜好を題材にしつつ「多様性とは何か」とテーマをするような感じである。タイトルの『正欲』は「社会的に正しいとされている性欲」みたいな意味なのかもしれない。視点になる3人の人物は以下のとおりである。①寺井啓喜 検察官。 性的嗜好は普通である。 学校に行かなくていい時代が来る,など言ってYoutuberになった不登校の息子について思い悩む。 Youtuberになった息子は特殊性癖を持つ者のリクエストを聞くものだから,水遊びをする動画などは水に興奮するタイプなど,マイノリティの性的搾取の対象になっていく。 ②桐生夏月 30歳女性。異性に性的関心を抱くことができないが,噴水などほとばしる水に性的興奮を感じる。 特殊な性的嗜好から結婚もできず,社会からの疎外感を感じている。 中盤,同じく異性ではなくて水に性的興奮を感じ,思い悩んでいた男性と結婚をする。③神戸八重子 大学生。男性に強い苦手意識を感じている。 容姿に多少のコンプレックスがあり,多様性をテーマにした学祭の実行委員をしてミスコン廃止などをする。 唯一自分が恐れを感じないイケメン男子学生に強い関心を持つ。 なお,このイケメン男子学生は同性愛者と思われていたが,実際は水に性的興奮を感じる人間であった。物語の根幹にかかわるのが,性的嗜好である。②の桐生夏月なんかは異性に性的関心を抱けないから結婚も恋愛もできない。それでも,人間関係を円滑にするため,特殊な性的嗜好を隠しつづけなければならないというのがかなり強いストレスになっている。③に出てくる男子学生なんかは,②の桐生夏月ほど社会への溶け込みが苦手のようで,異性にそっけなく対応したりするため,彼の場合は異性同性愛者と周囲に誤解されてしまっている。そんな水に興奮するタイプの人たちが集まっているのがYoutubeをはじめとする動画サイトである。僕なんかが何度も思わない噴水やら,水鉄砲や水風船早割り対決で遊ぶ子どもの動画で性的に興奮しているのだ。なお,この性的嗜好の悩みが読者に開示されるのは物語中盤以降であり,それまでは「なんか生きづらさで悩んでいるなぁ…」という描写がなされている。感覚的な話であるが,まず②の桐生夏月が水への倒錯的な性的関心を抱いていて,①の寺井検察官の息子の動画で性的関心を満たしていたという事情が開示されたあたりから,一気に物語が動いていく感じになる。こういった性的嗜好については,特殊すぎて何とも言えない。単なる同性愛くらいならば,色々と考えていることもある。特に今は多様性の時代だもの。同性愛者に理解のある態度をしておくのが,大人の対応だと言える。だが,フェチズムについて色々あるものの,「噴水だとか,水鉄砲から発射される水に興奮します」と言われてもどうとも言えない。そういう態度がマイノリティを傷つけるのかもしれないが,何ともいえない。作中,イケメン男子学生は「理解がありますというように,知った風な顔をして来る人間が一番苦手」と言っていたし,下手に関与をしない方がいいのかもしれない。3人の視点キャラは誰もが悩みをもっているが,このうちかなりうまく行っていたのは②の桐生夏月である。中盤,やはり水に性的興奮を感じる男性と,恋愛感情なしで結婚するところから大きく動くのだ。結婚した桐生夏月は「結婚したことによって,社会から結婚しろという圧力を感じることもなくなったし,すごく楽である」という趣旨の発言をしていたし,相手の男性もそれは同じである。この世には,「結婚して家庭をもって初めて1人前」という風潮はあるし,結婚していないというだけで批判されるというのはよくある。僕も晩婚だったからよくわかる。「早く結婚しろ」と説教してくる人間はどこにでもいるし,けっこう不快なのだ。そして,桐生夏月は①の寺井検事の息子の動画アカウントが凍結されてしまったことをきっかけに,夫と自ら見たい動画を作成しはじめる。1人では撮影できないものも,2人ならできるというわけであるが,この試みはかなりうまくいった。本作を読んでいても,ここが面白さというか,楽しさのピークだろうなぁ…。それと,僕も子を持つ法律家の父という立場だから,子供が不登校になった①の寺井検事には感情移入しちゃうな。恐らく,不登校のインフルエンサーYouTuberは「ゆたぼん」だろう。子どもができちゃうと,安易に笑ってみていられなくなるのだ。そして,ラストはかなり悲しい。自ら性的関心を満たす水の動画を撮影する楽しさ,満足感を知った桐生夏月と夫は,ネット上で仲間を募るのだ。これは自分たちが満足するためもあるが,社会から疎外され,孤独感を抱いているマイノリティとつながるためだ。実際,桐生夏月らは疎外感から自殺まで考えていた時期もあるので,そうしたつながりを作ることは,自分以外のマイノリティを救うことにもなる。その結果,③の神戸八重子が関心を抱いていたイケメン男子学生と,もう1人の人間が集まった。このとき,イケメン男子学生の心情描写はかなり心打たれるもので,ようやく同志というものが見つかったという喜びにあふれている。だが,このもう1人というのがクセ者で,水にも興奮するけれど小児性愛者でもあって,児童買春なんかもしていたのだ。そして,初めてのオフ会である。用事で参加できなかった桐生夏月を除く男3人,公園で水鉄砲や水風船などで動画撮影していたところ,男子小学生が来ちゃう。男3人で水遊びも怪しいものだから小学生とも水鉄砲で遊んだところ,濡れた服を脱ぐ男子小学生の写真など撮影してしまった。これがきっかけにもなり,オフ会参加者は児童ポル ノで逮捕されてしまう。その取り調べを①の寺井検事がするというところで物語は終わるのだ。まぁ,なんというか読後感はすごく悪い。せっかく,水に興奮するタイプのマイノリティは,社会から訴外され,誰も心を許せる者がいなかったのに,ようやく心の内を明かせる場所を手に入れたのだ。彼らは小児性愛者と違って,他人を傷つけたりするようなタイプの者ではない。これからは,細々と自分たちが満足できる水の動画を撮影して,社会に溶け込んで生きていく,それで終わっても良かったように思う。だが,著者はそれをしない。逮捕されたことだけでも悲しいが,児童ポルノ製造,所持で逮捕された彼らは,「どうせ分かってもらえない」とすべてをあきらめて,検察官の作ったストーリー,つまりは「私は小児性愛者なので,性的興奮を得るために水鉄砲で遊び,濡れた服を脱ぐ児童を撮影しました」という供述を強要され,身に覚えのない児童ポルノ製造の罪で有罪になるわけだ。つまり,刑事手続きのなかですら彼らは理解されない。普通ならば動機だとか,背景などは裏付け捜査されるのだろうが,彼らにはそれがない。全く理解されないのだ。なんとも悲しい。何の救いもない話だ。安易にネットで仲間を探し,ネット上のやり取りはあるけれどよく知らない小児性愛者なんかを仲間に入れたのがまずかったということになろうか。やりきれない。登場人物たちが性的マイノリティであることや,破滅的な最後を迎えることについて,伏線はけっこう張ってあったと思う。なので再読すれば新たな発見はあるだろう。でも,読後感がひどく悪いので,再読するかは疑問ですね…。最後に1つだけ,僕が法律家であるからしてしまう突っ込みをしたい。水風船だとか水鉄砲で服が濡れたからと言って,児童が服を脱いだ程度の物が児童ポル ノに該当するのか,相当疑わしいのだ。「児童ポル ノ」については,「児童買 春,児童ポル ノに係る行為等の処罰及び児童の保護に関する法律」の2条において明確に定義がされている。これを見ると,児童ポル ノとは概要で「①児童の性 行為を描写したもの,②他人が児童の性 器を触るか,児童が他人の性 器を触る行為を描写したもの,③衣服の全部または一部を着けない児童の姿」であって,性 欲を興奮させ又は刺激するもの,になる。①と②はありえないから,濡れた服を脱ぐ児童の写真は③でなければならないわけだが,「性 欲を興奮させ又は刺激」するかなぁ…。この「性 欲を興奮させ又は刺激する」は通常の一般人を基準に検討するはずだし,場所が公園であるという状況からすればせいぜい上半身裸くらい・・・,仮に下半身を露出したとしてもただちに児童ポル ノにはならないだろう。逮捕はなかろうし,仮に逮捕されても不起訴だろう。僕が弁護人になれば,恐らく無罪主張をするだろうと思うのだ…。正欲【電子書籍】[ 朝井リョウ ]
2023.02.08
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ヒットメーカー,池井戸潤の新作,『ハヤブサ消防団』を読んだので,感想など書いていきたい。池井戸潤といえば,銀行だのゼネコンだの,経済小説をよく執筆している印象ではあったけれど,もともとは子どもの頃からミステリを愛読していて,江戸川乱歩賞を受賞してデビューだから,もしかするとこういうのが著者の書きたい作品なのかもしれない。ハヤブサ消防団 [ 池井戸 潤 ]おおざっぱな感想だけれど,東京生活に疲れた主人公の独身ミステリ作家,三馬太郎が,亡き父親の故郷であるU県(恐らく信州あたり)のハヤブサ地区に引っ越すのだ。田舎暮らしを満喫する主人公だが,「地域の若い人はみんな入っているから」消防団への加入を求められる。そんな主人公は消防団を通じて気の合う友人もできて,田舎のグルメも楽しむのだが,消防団の活動もする中で連続放火事件にも関与していく…というのが大枠である。主人公の太郎は明智小五郎賞を取っているというのであるが,現実にある江戸川乱歩賞のようなものだろう。そうすると,主人公は若いころの著者の投影なのかもしれない。さて,消防団というと,都会の人には馴染みがないのかもしれないが,僕の住んでいる田舎だと,実際のところは半分青年団みたいなものである。ボランティア活動なんかにも参加させられるし,だいたい消防の訓練が終わったら気の合う仲間で酒など飲みに行く。まさに,主人公の加入している消防団もそのノリで,イベントがあれば駐車場整備のボランティアをしたり,変わったところだとツチノコ探しイベントに駆り出されたりするのだ。見どころは数多いものの,3つほどあげよう。1つは,やはり田舎の密な人間関係である。前述のとおり,主人公は消防団に加入したことによって,定期的に消防団員の勘助君などから「太郎君,飲みに行かへん?」など電話をもらい,馴染みの居酒屋に行ったりしてる。そこに行けば,見知った常連客がたむろしている,という図である。都会の人には,大学のサークル活動みたいなものといえばわかるだろうか。人間関係は緊密で,主人公は「太郎君」で友人は「勘助君」。その他,消防団長も「郁夫さん」という風に,苗字ではなくて名前予備がデフォである。僕も,一時期青年会議所に加入していたからなんとなく分かるが,こんな空気で懐かしさを感じたものだ。2つは,田舎グルメだろうか。物語の舞台であるU県は,おそらく信州だろうと思う。名物は「ケイチャン」(タレで味付けされた鶏)に「あぶらげ」(油揚げの方言)だもん。ケイチャンは岐阜で僕も食べたことがあるが,うまかった。酒のツマミに良い。合間合間で勘助君が「太郎君,イノシシ食べへん?」とか「太郎君,ハチノコ食べへん?」と言って主人公を誘い出してくれる。そして,池井戸潤作品ではさほどグルメ描写に力を入れていなかった印象であるが,本作ではしっかりと食事描写に力が入れられており,読んでてイノシシだのハチノコだのを食べたくなる。池波正太郎なんかもそうだけど,小説内の食事シーンは結構好きである。余談だが,主人公をよく誘ってくれる勘助君は,ちょっと抜けているところもあるけれど,僕は結構好きだよ。で,最後の3つ目が連続放火の犯人捜しである。なんといっても,主人公の住んでいる地区はやたら火災が多い。これが,連続放火事件ではないかということで主人公は調査を始めるのだが,火災にあった家が火災にあった後,太陽光発電の会社に土地を売っていることに気が付く。どうやら,火災にあった家というのは,もともと太陽光発電の会社に土地売却を求められていのを断っており,火災にあって金にこまったから土地を売ったらしいというのである。これを調査していくうち,主人公は謎の新興宗教の陰謀をも暴くことになる,というのである。この部分はミステリにもなっているし,仲間だと思っていた人が信者だった,信者だから敵かと思えば見方で,でもやっぱり敵のようだ…となっているので,ネタバレは避けたいので割愛する。時節柄,カルト宗教といえば統一教会を連想してしまうなぁ。総評として,見どころが多いとはいえ,詰め込みすぎじゃないのか,とは思う。見どころの1と2,つまり田舎の消防団での緊密な人間関係と,田舎グルメ描写を読んでいると,あたかも僕自身も田舎暮らしをしているような追体験ができた。これだけでも十分だったのではなかろうか。季節ごとの祭りだとか,グルメを書き,独身だった主人公も結婚させたり,子育てさせたりすれば,それだけでシリーズものとすることも可能だったろう。ところが,連続放火の犯人探しというサスペンス要素を入れてしまった。シリーズ化したとき,次は殺人事件だ,などとしてしまうのは,東京みたいな大都会ならともかく,人口の少ない田舎では治安が悪くなりすぎてあまりよろしくない。逆に言えば,見どころが多いので田舎スローライフものとも,ミステリとしても楽しめるのが良いだろう。なお,本作は2023年夏に実写化の予定だとか。これも楽しみであるな。ハヤブサ消防団 [ 池井戸 潤 ]
2023.01.31
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僕が初めて見た仮面ライダーは,BLACKであった。大好きだったし,変身ベルトのおもちゃを買ってもらったし,人形なんかも買ってもらった。当時はカタカナを読めなかったので,幼児向けの雑誌についてた付録の怪人図鑑が読めず,母に手書きで振り仮名を書いてもらったもの。大人になってからも倉田てつをのステーキショップに行くなど,本当に僕は仮面ライダーBLACKが好きである。僕のアカウント,「たかしRX」のRXも仮面ライダーBLACK RXだからね。仮面ライダーBLACK SUN オリジナル・サウンドトラック [ 松隈ケンタ ]さて,自分語りはそこまでにして仮面ライダーBLACK SUNである。説明するまでもないが,仮面ライダーBLACKの大人向けリブート作品である。リメイクとは違って,ゼロから作り直しである。このBLACK SUNには色々と語ることがあるけれど大きく元の仮面ライダーBLACKとはずいぶん違う。以下ややこしいので,元の仮面ライダーBLACKを「旧作」,BLACK SUNを「新作」と呼んでいこう。旧作について多く語る必要もないと思うが,新作と比較するために①怪人と,②政治情勢について簡単に触れる。まず旧作における怪人についてであるが,特徴として怪人は5万年という不死ともいえる命を持ち,ゴルゴムに所属する一般人から見て怪人は憧れの対象である。黒松教授なんかが「私も早く怪人になりとうございます!」などいうシーンがあったし(旧作2話),「コウモリ怪人様」というように,怪人は一般メンバーから「様」づけで敬語を使われる対象であった。また,怪人はクジラ怪人という若干の例外がいるものの,基本的に悪そのものであって倒すことに何らの問題もない。そして,②の政治情勢についてであるが,旧作の世界観ではすでにゴルゴムは日本の政治を支配している。大物政治家にもゴルゴムのメンバーはいるし,財界にも大学教授にもゴルゴムメンバーがいる。まあ,このゴルゴムが少なくとも日本を裏で支配しているというところは,気が付けば有耶無耶になっており,物語的には大した意味を持たなかった。さて,新作である。①の怪人について,怪人は差別される対象となっている。なぜ怪人が差別されるのかについて具体的な説明はないが,少数だからなのかな…?描写を見ていると,怪人たちはコリアンタウンみたいなところに住んでいたり,在特会(在日特権を許さない市民の会)みたいなのがヘイトスピーチをしていたりと,怪人は在日韓国・朝鮮人が仮託されているようにも見える。②の政治情勢についてである。新作においてはゴルゴムではないが,悪徳政治家・堂波真一総理が日本を支配している。この堂波総理は怪人を作り出す技術を管理しており,ゴルゴムの上に立っているといっても過言ではない。この堂波総理なのだが,髪型や風貌,国民を馬鹿にしたようなご飯論法など,どう見ても安倍晋三である。差別だの,元総理を悪役として登場させるなど,このあたりは賛否が激しくなるところだろうと思う。ここまでを前提として,いいところを3つほど上げてからダメ出しをしていきたい。良かった点の1つ目は,バッタ怪人の扱いである。僕もほとんど忘れかけていたが,仮面ライダーというのは要するに悪の組織の作り出した改造人間の1人にすぎない。たまたま歴代ライダーだけが異常に強いのは,改造された人間自体がIQ600の天才だった(本郷猛)や,柔道6段・空手5段だった(一文字隼人)だったり,次期創生王候補としてキングストーンを埋め込まれた(南光太郎)という事情があるにせよ,しょせんはバッタ男やバッタ怪人程度のものであって特別なものではない。当初,南光太郎はバッタ怪人に変身して戦っていた。カッコいい変身シーンもない。僕は,「あぁ,大人向けだからリアリティ重視で隙だらけの変身シーンもなく,カッコいい仮面ライダーでもないんだな」と大人向けの味を感じたものだ。2つ目に,伝説の5話。変身シーンである。ヒロインである少女,葵が怪人に誘拐されてしまったので助けるために駆け付ける光太郎であるが,間に合わず葵は怪人にされてしまう。ブチ切れた光太郎は「ゆ”る”ざん”!」と怒り,変身ポーズをとってバッタ怪人ではなく,覚醒した仮面ライダーになるのだ…。さっきまでと矛盾するが,徐々に僕はバッタ怪人にしか返信しない光太郎に不満を覚え始めていた。新鮮味はあるが,要するに,飽きてしまったのである。たとえるならば,馴染みの定食屋に行っていつものカツ丼を注文したら,「今日,カツは売り切れで…」と言われたので,オムライスを注文したら意外においしくて気に入ったものの,やはり次に馴染みの定食屋に行けばいつものカツ丼を食べたくなる心境だろうか。やっぱり,光太郎には「ゆ”る”ざん”!」と叫んだあと,拳をギリギリと音を立てて握りしめて怒りと力強さを示してもらった後,派手に変身ポーズをとって変身してもらいたい。たとえ隙だらけでリアリティがなかろうとも。そして3つめ,最後に最終10話のオープニングである。これまでのオープニングではなく,旧作のオープニングを完全に再現した映像が流れ,旧作で光太郎を演じた倉田てつをの歌う主題歌が流れる。ここは本当に鳥肌が立った。俺が見たかったのはこれなんだよ,と。役者としては登場できなかった倉田てつをも,歌い手として名前が画面にでただけでも良かったよ。ここまでが良かった点。ここからが悪かった点。振り返ってみると,俺が挙げた「良かった点」というのは,3つのうち2つは旧作でやってたものが新作でも再現されただけ,といえる。5話目の変身シーンにあれほど興奮したのは,逆にいえばこれまでバッタ怪人への変身ばかりを不満が一気に解消されたためのものであり,恐らくは1話目で変身ポーズをやられても興奮しなかった可能性がある。なので,総評としては新作は旧作を超えられていないと思う。次に,新作にしかなかった政治シーンについてである。僕は,これまでの安倍政権を全く評価しない。なので,新作に出てきた堂波総理の描写には思い切ったところがあると思うけれど,それでも良い評価はできない。ここまで似せなくてもええやん,と。このブログで過去に『銀河英雄伝説』の感想を書いていたが,この作品に出てくるヨブ・トリューニヒトという政治家がいる。これが,国民の愛国心をあおって自分は安全圏にいたり,憂国騎士団というネット右翼みたいな集団を操っていたりと,安倍総理を思わせる描写が多い。もちろん,『銀河英雄伝説』の執筆時は安倍政権の誕生のはるか前であり,トリューニヒトみたいな政治家はいつの時代,どこの時代にもいて,読者がたまたまそう感じたのではあるけれど。こういうふうに,ほのめかすくらいでいいんじゃないかと思うのだ。直接的過ぎて,繊細さを欠いている。そのため,素直に僕は楽しめなかった。旧作もゴルゴムが日本を支配しているという描写があったものの,前述のとおり,いつのまにか有耶無耶になってしまったし,悪の組織の強大さを見せつける以上の意味はなく,ゴルゴムさえ崩壊させればそれでよかったように描かれていた。最後に差別の問題。もちろん,差別というのは重大な問題である。基本的に,仮面ライダーが問題を解決するときには暴力を用いていた差別と闘うヒーローを用意するのなら,それにふさわしいヒーローが必要である。たとえば,それはマハトマ・ガンジーであったりキング牧師である。そこに仮面ライダーを持ってくる,というのは果たして正解だったのか。逆に,ガンジーやキング牧師をボクシングのリングに上げたところで,彼らはまったく活躍できないだろう。そもそも,彼らに必要なのは戦闘能力ではない。個人的なカリスマや言論こそが彼らの武器であり,政治活動の場で差別と闘ったのである。同じことが,仮面ライダーにもいえて,反差別という目に見えない敵と戦う土俵にライダーを上げたところで手も足も出まい。差別と闘うやり方としては,やはり言論によって法律や政治システムを変えていくのが王道である。世界最強の男であったボクサー,モハメド・アリも差別から戦うときは暴力ではなくて言論を用いた。反差別と闘う英雄を描きたいのなら,仮面ライダーよりもっとふさわしいキャラクターを使うべきではなかったのか。なお,新作ではヘイト扇動家や,安倍総理を思わせる政治家は怪人に殺されてしまった。だが,それでもヘイトスピーチをする団体は党首が代わっただけで相変わらず活動しているし,堂波総理が怪人ビジネスを暴かれて死んだところで政権交代自体は起こっていない。視聴した後に俺の心に残ったのは虚無感である。でも,とりあえずもう1回くらい見ておこうかなぁ…。ムービーモンスターシリーズ 仮面ライダーBLACK SUN
2022.11.05
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朝日新聞といえば,名作,『美味しんぼ』の主人公たちが所属している東西新聞のモデルとして有名である。リベラル中のリベラルということで,僕が学生のころからネット右翼層から激しいバッシングを受けていたものだ。それだけ,社会に与える影響力は大きいし,レベルは高いのだろう。タイトルが『朝日新聞政治部』というから,朝日新聞政治部でどんな取材が行われているものか,気になって手に取ってみた。朝日新聞政治部【電子書籍】[ 鮫島浩 ]さて,そんな内容であるが,『朝日新聞政治部』というタイトルは少し正確性を欠いているように思う。本作は朝日新聞政治部の歴史や活動を読み解くというよりも,著者である元朝日新聞記者・鮫島浩の半生記といった色が強い。京都大学在学中,企業の内定をもらいながらも,漠然と政治を扱いたいと朝日新聞に就職した著者であるが,地方記者から政治部へ移り,特別報道部で活躍し,新聞協会賞を受賞するほどに栄達をするのだ。しかし,誤報を1つやらかし,また著者に言わせれば誤報を出した後の危機管理にも失敗して朝日新聞をやめてしまうが,現在もフリーのジャーナリストとして権力と戦う,というのが大雑把な著者の半生である。著名な記者の半生だから,見どころは多い。若き地方記者時代,刑事ドラマ好きの警察署長の自宅にドラマ『古畑任三郎』のビデオを持って訪問し,いっしょにドラマ鑑賞をしつつも交流して情報提供を受ける様子など,『釣りバカ日誌』か何かを見ている気分になった。それでも大きな見どころを3つ挙げよう。1つ目の見どころは,序盤の政治家取材で見えてくる政治家の顔である。番記者として特定の政治家を1日中追いかけ,時には政治家と会食をし,情報提供をしてもらったり,逆に情報提供を行うのだ。今考えれば癒着っぽいから,現在もそんな取材をしているのかわからんが…。そして,著者が番記者として張り付いた政治家として菅直人だの古賀誠だの,大物政治家が続々登場するのだが,個人的に興味深かったのは竹中平蔵である。竹中平蔵といえば,小泉内閣で規制緩和の旗のもと,非正規労働者を増やしまくった政治家である。もちろん,政治家の評価が定まるには100年以上後のことになるだろうが,現時点では金持ち優遇の政策で一般の日本人を貧しくしたという気がする。ただ,著者によれば,当初の竹中平蔵は重要性が低いと見られており,番記者付きまとうほどの政治家ではなかった。そこを,著者が張り付いて取材をし,時にはファミレスで食事をしながら議論をしたというのだ。著者もこのあたり,竹中平蔵と付き合うことで彼に好意的な記事を書いたりもしたし,世論を竹中平蔵と小泉純一郎総理に有利に,逆に彼らと対抗する自民党内の「抵抗勢力」に不利に動かしていたのではなかろうか,と若干の反省めいたことをも口にしていた。まことに,政治の世界は恐ろしいところであるなぁ。。。そして,本書の2つ目の見どころは「特別報道チーム」,のちに部に昇格した「特別報道部」の発足と活躍である。著者によれば,朝日新聞は2006年,特別報道チームを発足した。ノルマもないし,紙面もないし,何をすべきか決まっていないというチームである。これれまでの,記者クラブに入っておいて受動的に公的機関から発表されるのを記事にするのではなく,自ら隠された事実を探し当てるというのが仕事で,数か月1本の記事を書かない場合もあるという,なんとも面白いチームである。最初の仕事として,「フィギュアスケートに八百長があるのではないか」と探ってみたところ,日本スケート連盟の会計不祥事に行きついてスクープを出したり,非正規労働者をつかった偽装請負問題や手抜き除染問題といった社会の耳目を集めるスクープを連発してくのだ。このあたり,著者の栄達ぶりは読んでいて楽しいものであるし,どのスクープも社会正義にかなうものばかりだ。一方で,僕はこうも考えた。「隠された事実を探し当てる」,これは良いことだとは思うけれど,週刊文春や新潮やらといった週刊誌の仕事ではなかろうかということである。実際に,特別報道チームには文春で仕事をした経験のある者も混じっていたというのである。もっとも,僕には「新聞のやるべきこと」と「週刊誌のやるべきこと」の違いを論理だてて説明はできないのだが。なお,本書を読んでいくと,台湾が修学旅行を誘致するため日本の教員を接待し,歓楽街まで行くところについてはさすがに公人でもない者の生々しい写真を使うのはどうか,と断念して写真は使わなかったというから,どこかにそんな線引きはあるのだろうけれど。そして,3つ目の,最後の見どころは「吉田調書」である。著者ら特別報道部は福島原発の吉田所長の残した「吉田調書」を手に入れるのだ。この「吉田調書」は極秘文書であるし,政府はひた隠しにして公表をしないでいた。この「吉田調書」を入手した特別報道部は,福島第一原発の事故の際,所長の「待機命令を無視して9割の職員が撤退した」と報じてしまう。これは大反響で,著者は新聞協会賞を受賞する。このあたり,著者もかなりうれしかったのか,このとき受け取った同僚たちのメールをいまも保管しているようだし,社屋内のコンビニ行ったときにどんな賞賛を受けたかまで,詳細に書き記している。文字通り,絶頂の時期だったんだろう。しかし,これが誤報,というか吉田調書を解釈すれば「所長が退避命令を出したけれど,それが十分に伝わらなかった結果9割の職員が撤退してしまった」が正確らしい。個人的にはある事実に対する評価の問題だろうから,うまくやれば良かったのにとは思うが,著者は失脚し,懲戒処分を受けて記者から知的財産部への異動を命じられてしまうのだ。。。弁護士的には,知財を扱う弁護士というとエリートっぽい印象なのだが著者によれば,朝日新聞の知的財産部は過去に懲戒処分を受けた者が多く,まさに左遷先だったらしい。だが,ここでネット記事のページビューを10倍に増やしてみたり,著者の有能さというのを感じられる。もっとも,著者はページビュー10倍を評価されないことや,朝日新聞と政治家との距離の置き方に幻滅し,最終的に退社し,フリージャーナリストになってしまうのだけれど。総評であるが,非常に読み物として面白かった。政治というのはニュース等で見るけれど,僕とは縁の遠い世界だし,新聞記者というのは自分の知らない世界だ。そんな世界でも,試行錯誤してどの分野でも時にある程度の成功をし,ときには大程度成功していく著者の姿には仕事をしていく上で参考になるところも多い。もちろん,逆に著者の失敗も,たとえば吉田調書で不適切な報道をしてしまった後にすぐさま訂正記事を出すなど危機管理のミスなども多いに参考になる。しかも,左遷先の知的財産部での経験を活かして,著者は現在TwitterやYoutubeなんかでも活躍中である。人生何があるかわからんもんだ。池井戸潤あたりに小説化してもらったあと,映画化・ドラマ化しても面白いかもしれないね。朝日新聞政治部 [ 鮫島 浩 ]
2022.10.23
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『同志少女よ,敵を撃て』は本屋大賞にノミネートされたり,直木賞の候補になったりと,ずいぶんと評判がいいです。表紙もかわいい女の子が描かれているので,ラノベのようにジャケ買いした人も多いかもしれない。だが,内容はラノベとは全然違って凄惨なもんだわ。感想など書いていこう。同志少女よ、敵を撃て [ 逢坂 冬馬 ]ざっくりしたあらすじだが,舞台は第二次世界大戦中のヨーロッパ。いわゆる独ソ戦という,ソ連とドイツの戦闘を描いている。主人公の少女,セラフィマはドイツ兵に故郷の村を焼かれ,親を殺されてしまったのだ。セラフィマはもともと半猟半農で生計を立てていたため,銃がわりと得意だった。セラフィマは訓練期間中に同じく女狙撃兵たちと絆を深めた後,狙撃兵となってスターリングラードやら要塞都市ケーニスベルクで戦っていく,という内容になっている。見どころはいろいろあるんだけれど,リアルな戦争描写だろか。僕自身は戦争を経験したことがないから,あくまで「リアルっぽいと感じられる描写」というのが正しいのだろうけれど。戦争を扱っているという性質上,情け容赦なく主人公の戦友になった少女狙撃兵は死んでいく。また,主人公になにくれと優しくしてくれた軍人は逃亡したということで処刑されたりする。何の罪もない子どもが撃たれてしまったりもする。人が傷つくのは読んでいてつらいが,恐ろしいのは女性に対する戦時性暴力というの,つまり性 被害もしっかりと書き込んでいるところだ。セラフィマにも貞操の危機は何度もあったし,負けた国の女性というのはとにかく悲惨である。作中,ドイツ占領下のスターリングラードでセラフィマが出会ったサンドラという未亡人がいたんだけど,彼女はドイツ軍人と情を交わし,食料をもらったりしてる。作中言われたが,「売春とも,恋愛ともつかない関係」というのだ。それでいて,スターリングラードがソ連に解放されると,今度は裏切り者として迫害される。こういうことは,歴史上いくらでもあったんだろうし,嫌な話だけれども,今後もあるんだろう。そんなセラフィマは戦う理由として「女性を守る」というのをかかげていた。それはもちろん,故郷の村で射殺された母や,性的 暴行のすえに殺された幼馴染たちのような被害を出さないためである。だが,戦時性暴力というのは別にドイツに限ったわけではなくて,ソ連もやっているのだ。この辺に葛藤があり,単純な善悪二元論で世界ができていないところがある。結局セラフィマは,ドイツ女性に暴行をふるおうとしていたソ連兵士を射殺するなんてこともしていて,なんとも難しい。なお,陰惨なシーンばかりをピックアップしたが,もちろん心の温まる場面というのも多い。訓練学校時代,戦友たちと普通の女の子のように絆を深めていくシーンは青春ものとしても読めるし,ときたま訓練学校時代の女友達と冗談を言い合ったりするシーンは一服の清涼剤のようである。そして,最終的にセラフィマは実在の英雄,309人を射殺したという女軍人,リュドミラ・パブリチェンコから「戦後は趣味を作って,愛する人を持て。」と言われるのだが,紆余曲折の末にその2つともを手に入れた。こう書くと,普通のハッピーエンドのように思えるのだが,セラフィマの愛する人というのは女性だったりする。もともと,訓練学校時代から「ロシア人女性は友達同士でキスする」くらいの感覚でやっていたのだが,最後はこうなりましたか,と…。そういえば,序盤からセラフィマには「将来の結婚相手」みたいな男の子がいたというのに,全然興味なさそうだったもんね…。また,セラフィマの戦友の狙撃兵の女の子も,「お互いの家族はみんな死んでしまったし,戦後は,同期の女性と2人で暮らしたい。女戦友といっしょにパン工場で普通に働きたい」とか言ってた。この辺にも片鱗はある。多様性の時代だもの,僕はこういうのもいいと思うよ。ネタバレだけど,結果的にセラフィマの訓練学校の女狙撃兵は,どうやら誰1人として男とは結婚しておらず,女2人で暮らすというのが2組いるという感じ。この点については,「戦後は男の軍人は英雄とされたが,セラフィマのように100近い敵兵を殺した女狙撃兵は恐れられ,社会になじめなかった」というのようなことが地の分で語られていた。なんというか,この小説というのは色々な楽しみができると思うよ。リアリティあふれる戦争シーンを読みたい,という人も,少女たちの青春ものを楽しみたいという人も,いわゆる百合好きな人も満足させられるようになっている。これらの要素を1冊に詰め込んで,その全てで高いクオリティを維持しているというのは驚愕すべきことだし,著者の構成力には舌を巻く。ただ,時期が良くなかったかなぁ…。本書の発売日は2021年11月なのだが,2022年2月からはロシアのウクライナ侵攻が始まってしまった。前述のように,本書ではナチスドイツばかりを悪玉に描くのではなく,ソ連赤軍が行っている蛮行も描いているので,ただちに本書の価値が下がるわけではないが,ソ連・ロシアを主役サイドにした小説はマーケティング的に今の時期はやりづらかろう。同志少女よ、敵を撃て【電子書籍】[ 逢坂 冬
2022.09.20
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法テラスという機関があって,弁護士費用を出せない人に対して援助してくれる機関がある。弁護士的に,どうしても報酬を支払ってもらえない場合,お客さんに援助申し込みをしてもらうのだが,必要書類がやたら多い。特に面倒なのが,「住民票を持って来て下さい」というの。法テラスの審査に必要なのは,「世帯,続柄,本籍など省略のない世帯全員分」が必要なのだが,普通に窓口で「住民票をください」というと確実に省略されたものが出てくる。弁護士側,というか僕の場合,2021年11月から口座登録用紙が必要になったことを忘れて,取り直しなんてこともある。なので,簡単なリストを作りました。Twitterで写真をアップしたら120いいねくらいがついたあたり,弁護士の皆さんは苦労しているようですね。口頭でお客さんに説明しても資料の取り直しで苦労されたりするので,右クリックして,「名前を付けて画像を保存」し,ダウンロードして使ってください。なお,1ページでまとめて,8割くらいの事案に対応できればいいやということで,住宅ローンの計算だとか生活保護には対応してないです。例外的な事例は普通にあの分厚いマニュアルを読んで対応してください。
2022.09.06
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僕はTwitter世界に入り浸っているのだが,よく広告が流れてくる。どれも漫画の一場面を切り取って,扇情的な見出しを書き入れたもので,見ているとすごく気になるようになっている。これで読んだ漫画もあるし,逆にうざいのでブロックしたものもある。今回読んだ『ようきなやつら』もTwitter経由で見知った漫画だ。ようきなやつら [ 岡田索雲 ]本作は妖怪を主人公とした短編集で,7本の短編が収録されている。こんな感じだ。・「東京鎌鼬」・「忍耐サトリくん」・「川血」・「猫欠」・「峯落」・「追燈」・「ようきなやつら」このすべての短編に感想を書くと冗長になるので,「東京鎌鼬」と「川血」をメインに書きつつ,最後にタイトルにもなっている「ようきなやつら」について語ろう。「東京鎌鼬」であるが,この作品は著者のTwitterで全ページ見ることができる(2022年8月21日時点)。https://twitter.com/sakumo_info/status/1526792042877136896これが投稿されたのが2022年5月18日。この日記を書いている2022年8月21日時点で3.1万リツイートと14.3万いいねがついてる。たぶん,このとき僕は読んでいるはずだ。冒頭,鎌を背負ったオスのイタチが,「疲れてるから寝かせて」という妻のイタチと性 行為をするところからはじまるのだ。もう,冒頭から普通の漫画にはない展開で心をつかまれてしまう。このあと,子供を欲しがっている主人公のオスのイタチに隠れ,こっそり妻がアフターピルを飲んでいるという衝撃の展開から,さらに衝撃的な結末に至ることになるのだ。さて,この漫画のテーマは正直言って僕には全然わからない。性的同意の話,と著者のTwitterでタイトルがついているけれど,内容は相当複雑で,読み手次第で色々なことを読み取れるのではなかろうか。ネタバレをどうしても避けたいのだけれど,子どもを自分の思い通りに育てたいという,古い時代なら星一徹みたいな男親とそれに反発する母親という図式でも読めるし,素直に夫婦のコミュニケーション不足がもたらす悲劇を描いているとも読める。なお,単行本あとがきでは「Twitterには物語の見え方が少し変わる見出しを付けてもらったところ,多くの人に読んでもらえました。うれしい反面,無邪気に差別的な解釈をして愉しまれる方も見受けられまして困惑しました」とある。物語の見え方が少し変わる見出し,というのはもちろん「性的同意の話」というところですね。ようするに,著者も想定外の読み方をする人が相当数いたということで,もはや書き手を超えたところにこの作品あるように思うのだ。次に「川血」。これもけっこう衝撃的で,Twitterの広告ではやはり冒頭1ページ,半魚人っぽい子どもが河童の夫婦に対し,「おれ…河童じゃねぇのか?」と質問するシーンから始まる。河童の両親は「父ちゃんと母ちゃんの子どもなんだ。河童以外の何物でもねぇ」ととりなすが,どう見ても,こんなんギャグ漫画である。(『ようきなやつら』42ページ)主人公の子どもは,頭に皿もないし,クチバシもない。顔の横にはヒレがあって外見上の特徴を言えばどう見ても河童ではない。だが,これは断じてギャグ漫画ではない。河童の両親たちは,「お前はおれたちの子だから河童だよ。甲羅のない河童もいるんだ。皿がないなら弱点がないってことだ」と必死に主人公をとりなしたりして深い愛情を感じる。作中で描かれるが,河童なら当たり前に使える水術(水をつかった魔法みたいなもの)も一切使えないので,「ニセ河童」学校でいじめにあっている。主人公が河童の国から巣立っていくまでを描いているのだが,ある意味で,「みにくいアヒルの子」みたいなところも感じる。ところで,やはり単行本に収録されているあとがきを見ると,「外国人や外国にルーツを持つ人たちが実際に受けている扱いを参考に描きました」とある。そう,この著者はけっこう社会派なのである。5番目の短編「峯落」なんかも,性被害を受けた女妖怪と,それを封殺する男妖怪の話なんだけど,あとがきによると「MeeToo運動」,つまり性的被害を受けた女性が「私も,私も」とSNSに被害を投稿し,性被害の撲滅と啓蒙を図るという運動である。単に作品を読んでいるときには展開の唐突さに困惑したが,背後に「MeeToo運動」があったとなると,これは納得できる。同様に6番目の短編「追燈」は関東大震災の際,在日朝鮮人の虐殺事件が起きたのを主題にしている。この「ようきなやつら」は現代の鳥獣戯画でもないが,妖怪を描くように見えて,実際には人間を描いている。もちろん,書き手にも色々な思惑があるのであろうが,テーマ自体に答えのないものを描いているのが多いため,読み手が著者の意図を超えてしまうケースも多いだろう。僕の感想自体も的外れかもしれないし,感想を書くのも少し恐い作品でもある。最後にタイトルにもなっている「ようきなやつら」。ある意味で,この短編集の総決算ともいえる作品である。これまでに短編で登場した妖怪の何人かが再登場している。短編のころより老いている者もいるので,時間経過はあるようだし,逆に言えば,紆余曲折があったにせよ若くして死んでしまうのではなく,老いるまで生きられたというのは良かったというべきか。ようきなやつら [ 岡田索雲 ]
2022.08.21
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数年ぶりに電撃文庫を買った。2022年時点ではなろう系と呼ばれる,異世界転生ものが隆盛を誇っているが,20年くらい前はライトノベルの全盛期だったものである。そんな直撃世代の僕だけど,たぶん電撃文庫なんぞ10年以上は買っていなかったように思う。竜殺しのブリュンヒルド【電子書籍】[ 東崎 惟子 ]感想に入る前に,ちょっと自分語りをしたい。僕はソーシャルゲームFGOをやっていた。攻略動画もいろいろ見ていたんだけど,その中にひときわ目立つというか,奇妙な動画投稿者がいた。星1の,つまりレアリティとしては最下級のキャラでしかない佐々木小次郎をメインアタッカーに据えて次々と強敵を倒していくというプレイスタイルの動画である。正直言って,攻略動画というのもおかしな話で,普通に攻略したいのなら普通に強いキャラを使えばいい。だが,佐々木小次郎にこだわるところに意味がある。そこには物語があった。仲間たちの思いを引き継いで佐々木小次郎が強敵を撃破するところは感動したものである。特に,第1章ラスボス戦の最終ターン,動画投稿者は令呪と呼ばれるバフを小次郎に3回も入れるんだが,これにゲーム政略上全く意味がない。ただ,小次郎への強い思いが感じられたものである(『LEGEND OF SAMURAI』より)。そんな動画投稿者の方はTwitterをしていたのだが,電撃文庫でデビューすると言っていたので,ここしばらくは期待して待っていた。内容なのだが,『竜殺しのブリュンヒルド』というタイトルなので北欧神話を題材にしているのかといえば,別にそうでもない。主人公のブリュンヒルドのフルネームは,ブリュンヒルド・ジークフリートなのだが,ジークフリートがファミリーネームというのはちょっと妙な感じだし,主人公の兄に至ってはシグルド・ジークフリートという,かなり妙な名前をしていたりする。そこはラノベだから固有名詞が北欧神話から来ている,ということでいいだろう。内容なのが,とにかく暗いですね…。簡単なあらすじとしては,「竜殺し」の家系の主人公がふとしたきっかけで竜に育てられることになるのだ。竜に育てられた少女は,「育ての親」である竜を,「実の父親」に殺されたことにより,復讐を誓うことになる,とこんな感じになる。そんな復讐物語というのはいい素材だが,暗くなりがちだと思う。そんなこの物語も,本当に暗い。「育ての親」の復讐に,「実の親」を殺すというのが主人公の目的だから,どうしたって話が明るくはならないのである。そして,ブリュンヒルドは育ての親である竜に対し,父親代わりとしての気持ちに加え,恋心まで持っているので,話はより複雑になる。だいたい,半分くらい読んでいる時点で,「あぁ,この話ってどうやってもハッピーエンドにならんなぁ」というのが分かってしまい,主人公の復讐が達成できて親殺しとなるか,志半ばで散るのか,どちらにしても破滅へ進んでいくのを見守る感じ。そして冷静に考えると,ブリュンヒルドは竜殺しの家系に生まれているけれど,竜殺しをしまくっているわけではないから,親殺しのブリュンヒルドのが相応しいかもしれない。てっきり,竜殺しの異名を持つ佐々木小次郎あたりがゲスト出演して,明るく楽しい物語にならんかな,と期待して読むと全然そんなことにならん。重たいのを読みたいとき,読む感じだろう。昨今のなろう系みたくブリュンヒルドは竜の力を持っているのでチートじみた身体能力を持っているが,その程度で物語は明るくはならない。なお,ライトノベルと言えば連載漫画のように人気がある限り続きが出て,何十巻もでるというのが基本みたいなところがあるけれど,本作は1冊でやることはやり切ったように見えるから,続編は期待できないかな。竜殺しのブリュンヒルド【電子書籍】[ 東崎 惟子 ]
2022.06.13
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最近は,燃える「fire」というではなくて,経済的自立をしたうえでの早期退職というのがはやりである。一度しかない人生,労働に時間を使うよりも,好きなことをして過ごしたい。そのためには,投資をしようという論法だろうか。個人的には,仕事をして稼ぐ方のが安定だと思うのだが,投資の本を読んでみようと厚切りジェイソンの本を手に取った。ジェイソン流 お金の増やし方 [ 厚切りジェイソン ]内容であるが,おおざっぱに箇条書きするとこんな感じになるだろう。①投資をしないのは損である。②投資する元手を増やすため,節約して生活を切り詰めるべきである。③手元に3か月分の生活費を現金として残し,それ以上は投資に回すべきである。④投資をするのなら投資信託をすべきである。⑤投資信託はアメリカのインデックスファンドを買うべきである。少し,内容に踏み込んでみると,著者によれば投資をしないでいるというのは最大の損である。投資を始めるのに今日が最高の日であり,明日は今日より少し劣る日だ,というのだ。著者のスタンスとして,ディトレーディングではなくて長期保有で投資をするやり方を取るのであるから,投資の時間は1日でも長いほどいい,ということだろう。実際に,厚切りジェイソンはすでに残りの人生をお金に困ることなく生活できるだけの資金を作ったが,それは長期保有の投資によるというのだ。彼の場合は15年ほど,コツコツとお金を作っている。投資というと,怖いイメージがどうしてもあるのだが,どことなく保守的である。で,「残りの人生困ることないほどお金を持っている」と豪語する厚切りジェイソンの私生活を見ると,これがかなり質素である。「投資のために生活を切り詰めろ」というのだが,コンビニでコーヒーを買うことすらせず,業務スーパーでインスタントコーヒーをまとめ買いしたりと,10キロくらいの移動なら電車を使わずに歩いたり,買い物のときコツコツとポイントを貯めたりしている。そこまで,しなきゃいけないものかと思うのである。僕はとてもマネできないよ。結局,fireといっても人によって必要な金額は変わってくるもので,これはなんとも言えない。かなりの節約生活をするのなら,必要資金は小さくなる。もっとも,著者は言葉を変えて何度も,「財産が十分にあることで,精神的な安定が得られる」と言っているので,贅沢よりも精神的に満たされる方が大事なのかもしれない。ここまでが投資の心構えであって,実際の投資術の話である。緊急の生活費のため,3か月分の生活費分の現金を残して投資信託を買え,というのである。投資信託というのは,要するに個別で株を買うのではなくて,投資のプロに運用してもらうというやり方である。そんな投資信託の中で,著者は実際に株価を予想することは難しいから,市場と連動して価格が上がるインデックスファンドを推奨し,特に経済的な成長が見込めるアメリカへの投資を進めている。いま,アメリカは好景気のようであるから,投資信託も成長しているのだろう。一方で,著者は個別株はリスクが高いから手を出さない。FXやコモディティもやらない。ここまで読んでの感想だが,著者は「このやり方をすれば,投資は簡単である」と述べている。しかし,反論もある。まず,著者は長期保有投資をすすめている。いま,アメリカ株が右肩上がりでも,今後10年とか20年とかを考えると,その辺はわからない。短期のディトレーディングならばともかく,長期で勝負をかけるのならば臨機応変とまではいかないけれど,たまにやり方を買えたりする必要はあるのかもしれない。なお,著者はデータ分析が趣味らしく,暇さえあればエクセルを開いて市場の動きを分析したり,株価のシュミレーションをしたりしている。本書はその努力があって著者がたどり着いた極意の,表面的な部分をまとめたのがこの本であるから,素人が素直にマネをして実践するのはかなり厳しいだろう。おそらく,著者ならば市場の変化に対応できたとしても,本書を読んだだけで基礎的なリテラシーのない者は,本書の極意を墨守して失敗しそうである。個人的に,「3か月分の生活費分の現金を残して投資する」ですらかなりハードルが高い。最後に雑感を。fireをするためには,25倍ルールというのがあって,これは投資で年4%の利益を上げられると仮定して,年間支出の25倍の資金があれば残りの人生は安泰であるというものである。仮に年間300万円を使うというのであれば,必要な資金は7500万円である。これは,そこらのサラリーマンが簡単に届く金額ではない。個人的に知りたいのは,月1~2万くらいの小遣いを稼ぐ方法である。ただ,この25倍ルールを適用して小遣い稼ぎに必要な金額を計算すると,月1万円が欲しいなら年間12万円だから,この25倍である300万円を投資に回して年4%を稼げばいい。仮に月2万円欲しいならなら600万円。逆算すると,たかだか30万円くらい投資につぎ込んだとしても,年利4%なら月1000円にしかならん。こう考えると,虎の子の貯金から300万円程度を危険にさらして得られるのがようやく月1万円となると,投資で小遣いを稼ぐのもかなり大変なような気がする。ジェイソン流お金の増やし方【電子書籍】[ 厚切りジェイソン ]
2022.05.10
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東京創元社から出ている乱歩シリーズを,第1巻から読んでみようと,まずは『孤島の鬼』から読んでみた。普通,この手の全集物で第1巻はかなり大切なものである。きっと,期待にたがうものだろうと思ったが,推理小説としてはまずまずというところ。ただ,やっぱり変態文学としては水準以上ですね。特に,乱歩が生きていたころにポリコレという概念はさほどなかったのだろう。おいおい書いているが,いろいろヤバい。ミステリなのだけど,容赦なくネタバレをしていくので,その点についてご注意ください。孤島の鬼【電子書籍】[ 江戸川乱歩 ]大まかななあらすじだけど,婚約者を突然殺害された主人公がその犯人を求め,ついには孤島・岩屋島で婚約者殺害の真相を探りつつ,財宝探しまでするという内容になっている。感覚的に,この物語は前半の殺人事件の推理小説と,後半の岩屋島での冒険パートになるのかな。まず,推理小説部分だけど,正直そんな大したことはないと思う。2つの殺人事件が起こり,1つは密室殺人,2つは衆人看視の中の突然死という,いずれも人間業とは思えない殺人事件が使われるのだが…。正直,そのトリックはさほどの物ではないと思う。いずれも,子どもを使ったトリックであった。密室の壺の中に子どもが隠れていたのと,衆人看視の中,誰もマークしてなかった子どもが刃物でブスリとやったという,その程度の話である。なので,ミステリとしてはさほどのことはない。むしろ,江戸川乱歩の真骨頂は変態文学である。この作品では,ホモセクシャルと奇形児の2つを扱っている。ホモセクシャルについて,主人公を学生時代から何くれと気にかけてくれるイケメン医師がいるのだ。この彼は,ホモセクシャルであって,主人公に対して好意を抱いている。終盤,岩屋島での冒険中,洞窟の中で迷い,出られなくなった時のイケメンのセリフがこうだ。どうだろうか…?正直言って,僕は「このイケメンはこれまでさんざん主人公のことを助けてくれたんだから,愛を受け入れてやっていいじゃない?」とまで思ったものだ。おそらく,その系統の女子にはこのイケメンはどストライクだったようで,『孤島の鬼』はコミカライズもされているようだ。さすがに現代の漫画だと,後述の奇形について「かたわ者」だの差別用語は使えなくなっているようだけど。なお,このイケメンは幼児期,クル病で奇形の養母から性的虐待を受けたがため,女がダメになったという設定だけど,LGBTって,そんな後天的になるものだろうか。そのあたりは専門家にまかせよう。江戸川乱歩傑作集 孤島の鬼【電子書籍】[ 長田ノオト ]次に,奇形である。これはいまなら完全にポリコレでダメだろうと思う。まず,ヒロインはシャムの双子みたいな,結束双子の秀ちゃんである。この結束双子,男女で腰のあたりから癒着しており,男の方は醜く,女の方は美しい。多様性の時代だから,別に結束双子がヒロインでもいい気がするのだが,前述のイケメン医師の前では今一つ魅力が伝わらない。そして,事件黒幕はクル病の患者である。この男は,このイケメン医師の養父である。この養父,健常者をうらみ,「不具者製造」というのを思い立った。子供を首だけ出る箱の中に入れて成長を止めて一寸法師を作り,赤子どうしの皮をはいで癒着させてシャムの双子みたいなのを人為的に作ったりとかする。最終的に,日本中から健常者をなくして,かたわ者(原文まま)の不具者の国にしようとしたのだ。身の毛がよだつほど恐ろしいものではあるが,ちまちま外科手術で不具者を作っているあたり,計画実行までの気が長すぎますね…。当時は,放射能とかダイオキシンみたいな人間の生殖に左右する毒物が見つかっていなかったのが幸いしたというべきか。はっきり言って,平凡な前半の推理小説部は退屈である。しかし,後半はエログロが相まって,おどろおどろしい魅力がある。当時としてはどうか知らんが,現在の高度に発展したミステリ業界を基準にすれば前半は凡庸な推理小説であり,後半の不具者が大量にいる岩屋島の冒険にこそ面白さがあるというべきだ。最後に,余談を。この小説の主人公,あまりの恐怖体験から若くして白髪になっているが,これは復讐をテーマにした黒岩涙香の『白髪鬼』の影響だろう。同じく,岩屋島での財宝探しであるが,これも黒岩涙香の『巌窟王』だろう。作中,巌窟王も岩窟伯爵と書いて(いわやじまはくしゃく)とルビを振らせていたから。主人公の,婚約者を殺された復讐と真相解明をモチベーションにしている姿もまた『白髪鬼』や『巌窟王』に通じるものがある。僕が気が付かなかっただけで,こういう遊びはいろいろ入っているのかもしれないね。孤島の鬼【電子書籍】[ 江戸川乱歩 ]
2022.03.15
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漫画の『モンテ・クリスト伯』,アニメの『巌窟王』に続いて,黒岩涙香の巌窟王を読了したので感想など書いていく。巌窟王 1 引きさかれた愛の鎖【電子書籍】[ 久保田千太郎 ]本来的には,楽天市場から商品を探すべきなのだがないので,amazonのリンクを張っておくから,こっちで商品を探してほしい(商品リンク)。上の商品はあくまで漫画版であって,黒岩涙香のではないです。自分語りからすると,僕が『モンテクリスト伯』を読んだのは,大学1年か2年。たしか,翻案というのにはじめて触れたのが,この数年後じゃなかったか。現代ですらそうなのだが,明治の時代の読者たちは,外国人の名前というのがなかなか頭に入らない。なので,黒岩涙香は登場人物の名前を日本人風に改めている。主人公のエドモン・ダンテスことモンテクリスト伯爵は,団友太郎(だん・ともたろう)こと岩窟伯爵(いわやじまはくしゃく),ファリア神父は梁谷(はりや)神父という具合だ。黒岩涙香の描く翻案小説の世界は,日本でも外国でもない,独特の世界観がそこにある。当世風にいえば,異世界みたいな感じだろうか。こういった名前の変換例でいえば,ユージェニーが「夕蝉」,船乗りシンドバッドが「船乗り新八」になっており,黒岩涙香の言語感覚には舌を巻く。本家と比べて色々語りたいところはあるけれど,2点ほど良かった点をあげたい。まずは冗長な描写のカットがされていて,逆に読み安いところは利点だろうか。本家の『モンテクリスト伯』は岩波文庫で全7巻という大長編なのに対し,黒岩涙香の『巌窟王』はハードカバーで上下2冊。かなり分厚い本だから分冊したとしても,たぶん本家の半分くらいにまとまっているのではなかろうか。次に,主人公である岩窟伯爵の心理描写である。本家の『モンテクリスト伯』において,主人公であるモンテクリスト伯爵の心理描写は,シャトーディフの脱獄を果たしたあたりからほとんどされなくなる。というか,本家の物語構成としては,主人公エドモン・ダンテスが唐突に姿を消し,入れ替わりにモンテクリスト伯爵が登場することになっている。作中ではモンテクリスト伯爵は謎の男として描かれておりつつも,散りばめられたヒントから読者としては,モンテクリスト伯爵の立ち回り方を見ていて,「この男,エドモン・ダンテスでは・・・?」と疑いながら読み進むことになる。なので,モンテクリスト伯爵の心理描写というのは地の文でやることができず,作中ではモンテクリスト伯爵の立ち振る舞いからその感情を推し量るということになっていた。そこは,文豪・アレクサンドル・デュマのすごいところで,具体的な心理描写がなくても,モンテクリスト伯爵が声に詰まったり,沈黙したりするだけで,読者はモンテクリスト伯爵の激情を察することができる。逆に,恩人の破産の危機を救う謎の男(主人公)の行動を見れば,心理描写がなくても主人公の真心というのは十分に分かろうというものだ。しかし,黒岩涙香はそうしなかった。主人公・団友太郎が岩窟伯爵であることは作中では秘密にするが,読者に対しては秘密にしない。なので,懇切丁寧に岩窟伯爵が仇敵の前で激情を押さえつけている心の動きだとか,その苦しみが描かれている。個人的には黒岩涙香の方がよかったかな,と思うところはある。特に,モンテクリスト伯爵は恩人の息子であるモレル大尉に対し,自分の息子にするような愛情を見せるのだが,原作の描写はあっさりしている。これが物足りなかった。一方で,巌窟王では,恩人の息子との交流が十分以上に描写されていて,主人公の恩人の息子に対する深い愛情が伝わってきたのである。総評として,巌窟王が当時の日本でもベストセラーになったのは納得できる。作品テーマとなる復讐だが,江戸時代まで日本には復讐という文化が普通に存在したのだし,受け入れやすかったのだろう。しかも,登場人物の行動原理には,原作にはなかった忠義だとか孝道といった東洋的価値観から説明がされていたりして,いかにも日本人の好みそうな展開も多い。これが絶版だったというのは,本当にもったいないなぁ・・・。
2022.02.17
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この間、『モンテ・クリスト伯爵』を元ネタにした『白髪鬼』を呼んだ影響だか、僕の中で『モンテ・クリスト伯爵』が静かなブームになっている。色々と読み返している中、森山絵凪先生の漫画『モンテ・クリスト伯爵』の評判がわりといいので、買って読んでみた。モンテ・クリスト伯爵【電子書籍】[ 森山絵凪 ]いまさら、『モンテ・クリスト伯』のあらすじを説明する必要はあるまい。無実の罪で投獄された男が14年かけて脱獄し、さらに9年の準備期間で大金持ちになり、次々と復讐をしていくという物語である。ある意味で、チート級の財力・知力・精神力で復讐をしていく姿はいま流行の「なろう系」に近いように思う。数々のリライトが生産されまくっているところを見るについて、『モンテ・クリスト伯』の普遍的で強い人気を感じるところである。さて、この漫画版であるが、原作に忠実に描いている。正直、1ページ目をめくったところで少し意外だった。だって、岩波文庫で全7巻の大長編なのだから、ある程度省略をして、たとえば主人公が脱獄後から物語を始めるのかな、と思っていたからだ。本作では、原作ではあくまで第2にヒロインだったエデという奴隷少女にかなり焦点を当てていると聞いていたから、「主人公の脱獄まででページを使って大丈夫かな?」と思ったものだ。逆に、GONZOの巌窟王は主人公の投獄から脱獄までを大胆に省略し、後々その部分を回想などで語らせる手法をとっていた。巌窟王 第2幕 月に朝日が昇るまで【動画配信】具体的な漫画版の内容であるが、原作に忠実であるがゆえ、そこに意外性や驚きというのはあまりない。しかし、原作を漫画化しただけではなくて、原作では第2のヒロインだったエデについて作者独自の味付けがされている。彼女の初登場は4話目。そこから、主人公の伯爵のことが好きそうなオーラを出し始めるのが6話目くらいで、このあたりからエデのかわいらしさ、愛らしさが出てくる。原作に戻るのだが、僕の中でエデという少女はとにかくよくわからない人物であった。もともと、主人公のモンテ・クリスト伯爵ことエドモン・ダンテスは結婚式の日に逮捕され、脱獄してくればかつての婚約者・メルセデスは仇敵と結婚して子どもまで作っているという、女がらみで激しい悲しみを背負った人物である。原作では、エドモン・ダンテスが脱獄してモンテ・クリスト伯爵と名前を変えたあたりで彼の心理描写がかなり少なくなるということもあって、彼の心情はその言動から察するしかないのだが、彼の中で最愛の人はかつての婚約者じゃなかったのかな、と思うのだ。そういう意味で、人妻になろうが、母親になっていようが、第1のヒロインはメルセデスなのだろう。そういえば、昔見た映画ではメルセデスと主人公は婚前交渉してて、生まれた子どもは托卵してたという衝撃の事実が中盤で明らかになり、復讐を遂げた主人公はメルセデスと結婚する・・・というのを見た記憶がある。逆に、托卵されている仇敵の方がかわいそうな気持ちすら生まれたわ。そういうわけだから、たぶん、エデは第2のヒロインでしかなかったはずだ。もっと言えば、エデは主人公が復讐を遂げるための道具でしかなかったはずだ。そんな彼女が紆余曲折の末、主人公と結ばれて大団円というのが原作であるが、いかにも唐突で、第1のヒロインが途中退場したために繰り上げ当選したような気がしないでもなかった。僕の中でこの展開はかねてから疑問であって、作者はもともとエデを最終的なヒロインとして設計したのか、新聞連載の途中でプロットに変更があったのか。これが分からない。正直言って、エデについては最大の見せ場が1つ用意されているが、それ以外はさほど活躍しないし、主人公と情を交わすシーンはなかった。一方で、本作はちょいちょいと、エデと主人公のとりとめない会話シーンだとか、心情を独白するシーンなんかが描かれている。あと、なによりエデがかわいいね。もともと漫画家の森山絵凪先生の絵柄がすごいセクシー。もしかして森山先生はダンディなオジサマと美少女の取り合わせが好きなのかもしれない。話は変わるけれど、森山絵凪先生の別の作品で、『この愛は、異端』というのがある。この作品も『モンテ・クリスト伯爵』も年の差カップルだったけれど、『この愛は、異端』もかなりの年のカップルだ。この愛は、異端。 1【電子書籍】[ 森山絵凪 ]後書きを読むと、漫画制作に詰まっていた著者が担当に「子どもの頃に一番好きだった本は?」と聞かれて『モンテ・クリスト伯爵』と即答したとのことである。活字は苦手なのに、何度も読み返したとか・・・。そうして連載デビューをしたのが漫画版の『モンテ・クリスト伯爵』だという。そう聞いてから、2作目の連載作『この愛は、異端』を思い出すと、「保護者でダンディな悪魔のオジサマ」というのはモンテ・クリスト伯爵に似通ったところもある。もしや、森山先生も幼き頃に通読した『モンテ・クリスト伯爵』に性癖を歪められたのかもしれない(笑)。モンテ・クリスト伯爵ことエドモン・ダンテスについては、若い頃より中年期以降の方が圧倒的に魅力的だもん。仕方ないね。モンテ・クリスト伯爵【電子書籍】[ 森山絵凪 ]
2022.02.03
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子どもの頃に読んだ作家を、大人になって読むとずいぶん印象が違う、なんてことはよくあることだ。手塚治虫、梶原一騎、藤子不二雄のような大作家は、子ども向けの無害な作品を執筆しているかと思えば、毒の塊みたいな作品を作ったりしている。こういう相反する二面性というのを、最近は江戸川乱歩に感じている。少年探偵団みたいな子ども向けの作品を書く一方で、大人向けの猟奇的、変態的な作品を多数出しているわけだから。今回は、『屋根裏の散歩者』の感想を書いていきたい。ミステリなのだけれど、ネタバレもしていきたい。屋根裏の散歩者/指環【電子書籍】[ 江戸川乱歩 ]あらすじなのだけれど、この作品は明智小五郎シリーズの第5作である。短編なので読みやすい。視点は探偵の明智小五郎ではなくて、学校を出てから定職にも就かず、親の仕送りで生きている無職の郷だ三郎である。彼は飽きっぽくて、酒にも女にも楽しめないのだが、どういうわけか犯罪行為に興味を持ち、ぎりぎりで犯罪にならないような悪戯なんかをしたりしているのだ。そんな彼のお気に入りは、下宿の天井裏から他人のプライバシーをのぞき込むことである。ある日、主人公は天井裏の節穴と、寝ている者の口が一直線になったとき、糸をたらし、糸を伝って毒薬を口に流し込むことで完全犯罪ができるのではないか、と思い立つ。それをそのとおり実行するのだけれど、かすかな手がかりから、明智小五郎に見破られてしまう、という内容になっている。はっきり言って、トリック自体はさほどのものではない。そもそも、このやり方で人を殺すことができるのか疑問である。そんな都合よく、節穴と寝ている者の口が一直線で動かない状況があるか疑問だし、天井裏を歩き回っている者がいたらなにか気配はしないものか。Wikipediaを見ても、「作中の塩酸モルヒネは致死量ではない」などの指摘はあるようだ。それでもこの小説が面白いのは、主人公・郷田三郎について、架空の人物とは思えない、血の通った人間ではないかと錯覚させるほどの描写である。たとえば、彼が熱中していた「犯罪のまねごと」はこうだ。どうだろうか?僕は正直、似たようなことをやった覚えはある。もちろん、いまはこんなことしないけれど、小・中学校のころはいろいろやった。大学生の頃、ドライブ中に悪友が「あのパトカーを尾行して、どこまで行けるかやってみようぜ!」という言葉に乗せられてパトカーを追いかけてみたことがあるが、まるでスパイか何かになったような気分になって楽しかったものだ。現代に生きる我々だと、Youtuberが似たようなことやっているだろう。そのほか、主人公は「押し入れで寝ること」に軽い興奮を覚えているが、これも僕はやったことがある。もっとも、僕が押し入れで寝たのは、こっそり隠れる快感と言うよりも、押し入れを寝床にしている「ドラえもん」に憧れてだけど。たぶん、誰もが似たようなことをしていた時期というのはあるのではなかろうか。この「犯罪に憧れる主人公」というのは、まさに著者の江戸川乱歩の投影なんだろう。実際に、江戸川乱歩自身も屋根裏を歩き回っていて、その経験がこの小説になったと言う。どうりて、描写にも力が入っているはずである。ゆえに、多少トリックが荒くても、それが大きく作品の評価を下げることにはなるまい。犯人役に強い共感を誘われる1作であった。一方で、探偵役の明智小五郎は、正直言ってさほど目立つものではない。名前のあるモブくらいのもの。物語を完全犯罪ではなく、犯人の自供で終わらせるための舞台装置以上のものではなかった。この辺、個性を発揮せずにはいられないシャーロック・ホームズなんかとは違うものだなぁ・・・。屋根裏の散歩者/指環【電子書籍】[ 江戸川乱歩 ]
2022.01.07
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キリスト教というと、「愛の宗教」みたいな宣伝戦略がされているが、実際に世界史を見てみれば案外とそうではない。漫画『ヘルシング』では「異端審問と異教弾圧で屍山血海を築いてきた最強の世界宗教」と言っていたが、まあ実際そうである。本書、『仁義なきキリスト教史』は、キリスト教の布教の歴史をやくざの抗争史にたとえて説明するものだ。仁義なきキリスト教史【電子書籍】[ 架神恭介 ]まず、目次を引用するとこのとおりである。第1章 やくざイエス第2章 やくざイエスの死第3章 初期やくざ教会第4章 パウロー極道の伝道師たち第5章 ローマ帝国に忍び寄るやくざの影第6章 実録・叙任権やくざ闘争第7章 第四回十字軍第8章 極道ルターの宗教改革終章 インタビュー・ウィズ・やくざおまけ 出エジプトー若頭モーセの苦闘このように、本書ではキリスト教は初期はユダヤ組の二次団体でしかなかったのに、徐々に勢力を拡大し、ほかの宗教を弾圧して世界宗教になっていく様子を描いている。僕は弁護士会でやくざ対策なんかもやったこともあり、やくざの歴史を勉強したことがあるのだけれど、やくざの歴史というのはすごく面白い。日本の戦国時代と似たようなところがあるといっても間違いではないと思う。抗争を繰り返す中、山口組の三代目・田岡一雄がわずか33人の組員しかいない零細団体から、1万人を超える超巨大やくざに拡大していくのだ。この勢力の拡大を布教と置き換えれば、まさに共通することもあるだろう。山口組概論 ーー最強組織はなぜ成立したのか【電子書籍】[ 猪野健治 ]また、特徴的なのがその笑いを誘う文体である。ゲラゲラと、腹を抱えながら読んだ。やくざが出てきて殺すところとか、神と対面したキャラが胃液をはきながらのたうち回る描写なんか、ちょっと前に流行した『ニンジャスレイヤー』と文体というか雰囲気が似ている。といっても、人間というものは刺激にたちまち慣れてしまうもので、5ページも読み進めれば飽きてしまってあまり笑えなくなるのだけれど。ニンジャスレイヤー(1) 〜マシン・オブ・ヴェンジェンス〜【電子書籍】[ ブラッドレー・ボンド+フィリップ・N・モーゼズ ]残念なところと言えば、キリスト教史の全体を扱えない関係上、かなり重要なところが割愛されているところ。特に、キリストの復活というのはかなり重要なテーマだと思うのだが、第2章でキリストが十字架にかけられて処刑されると、一気に時間は飛び、ペテロたちの使途伝道の話になる。キリストの復活というのはいったいどうだったのか、是非とも著者の目から説明してほしかった。イエスの復活は、使徒たちが権威付けのためでっち上げたのか、実際にあったのか、勘違いなのか、著者の頭の中では気になるところである。ちなみに、第4章ではパウロを扱っているところ、パウロが天からキリストの声を聞いて回心したところについて、どうにもパウロの妄想みたいに扱われている。そういえば、本書では第1章の時点でキリストは青年になって布教活動をやっているところから始まるのだが、処女懐胎で生まれたのか托卵の結果生まれたのか、キリストの妻だったという説もあるマグダラのマリアとの関係はどうなのかについても説明がないな。ちと残念である。個人的に、キリスト教初期を扱った4章くらいまでは面白いのだが、それ以降は微妙な感じになる。そもそも、本書は小説というやり方でキリスト教史を説明しているところ、物事を説明するのならば小説という体裁をとるよりも、普通に学術書の方がよい。一方で、小説という体裁を取るのであれば、イエスの活動から第二次世界大戦直前までという約2000年もの期間を断片的に説明するには紙幅が足らないし、構成上の問題も生じている。また、キリスト教とやくざに似ているところがあるので説明の便宜にはなれど、すべてをやくざで説明するのは無理があるところもあると感じた。批判的なことを書いたけれど、個人的には文庫本のおまけ、「出エジプトー若頭モーセの苦闘」は最高に面白かった。先ほど、「笑いを誘う文体であるが、慣れてしまう」と書いたのを撤回したい。この最終章だけは刺激に慣れることができず、笑い続けながら読んだ。この出エジプトについては、ほかの章がキリストが誕生した後の新約聖書後の時代を扱っているのに、この章だけは旧約聖書の時代を扱っている。また、ヤハウェ組の組長、ヤハウェが大活躍する。ドスを舐めながらエジプト中の長子を殺害してみたり、お供え物の香料が気にくわないとモーセの甥っ子を殺してみたりする。ヤハウェの機嫌が悪くなるたび、モーセがなだめに回るのだが、まぁ、本当に面白い。このヤハウェ組長はイエス・キリストの時代には大人しくなって半分隠居したみたいなものだったのだが、全盛期の恐ろしさ、理不尽さを嫌というほど痛感できたよ。特に、この文庫本おまけの出エジプトは『ニンジャスレイヤー』っぽさが強いように感じた。バイオレンスで派手な感じは、他の章にはなかったからだ。前述したが、本書はあくまで小説である。物事を順序立てて説明するのならば新書の1冊でも読んだ方が理解はできるだろう。そのため、ある程度以上、キリスト教と世界史についての教養が必要になるというのが読者を選ぶ。仁義なきキリスト教史【電子書籍】[ 架神恭介 ]
2022.01.04
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大デュマの傑作,『モンテクリスト伯』はリライト版がいくつか作られている。SFの『虎よ,虎よ!』なんかもそうだし,黒岩涙香の『巌窟王』なんかは筆頭で,もしかすると日本国内に限定すれば『巌窟王』の方が本家より有名かもしれない。この江戸川乱歩の『白髪鬼』も『モンテ・クリスト伯』のリライトである。正確に言えば,『モンテ・クリスト伯』のリライトであるマリー・コレリの『ヴェンデッタ』を翻案した黒岩涙香の『白髪鬼』をさらに改編したのが江戸川乱歩の『白髪鬼』であるから,本作は『モンテクリスト伯』の曾孫くらいの立ち位置になるだろうか・・・。白髪鬼【電子書籍】[ 江戸川 乱歩 ]内容なのだけれど,『モンテ・クリスト伯』と同様,復讐をテーマにした作品になっている。親友に陥れられて生き埋めにされた主人公は恐怖のため白髪になってしまったが,偶然に地下で海賊の財宝を発見し,大金持ちになるのだ。そして莫大な財力で自分を陥れた親友と,その親友と姦通していた妻に対して復讐をするというのだけれど・・・。僕は,どうしても先に読んだ『モンテ・クリスト伯』と比べてしまうが,大きく以下のような違いがある。まず,白髪鬼が生き埋めにされたのはせいぜい5日程度である。一方でモンテ・クリスト伯は無実の罪で14年を監獄で過ごしてから脱獄し,さらに9年の準備期間を使ったから,23年もの時間を使ったことになる。この生き埋め期間について,主人公は『ダンテス(モンテクリスト伯)と違って,こっちは飢餓の恐怖があるから,俺の方がツライ』と言っていたが,どんなものだろう。また,復讐の相手としても『白髪鬼』が対決したのは無職で財産もない親友と元妻にすぎない。一方で『モンテ・クリスト伯』は,主人公が投獄されていた14年のうち,敵がどいつもこいつも立身出世している。田舎の漁師は陸軍中将に,会計士は大銀行家に,ヒラ検事は検事総長になっている。要するに,どうしても『白髪鬼』は『モンテ・クリスト伯』と比べてかなりスケールが小さい。23年もかけて復讐を行ったモンテ・クリスト伯を熟成しきったワインとするのならば,白髪鬼はせいぜい1年くらいの物語なので熟成具合が足りないボジョレーヌーボーみたいなものか。もっとも,復讐をやり遂げる前に良心の呵責から断念したモンテ・クリスト伯に対し,やりきった白髪鬼を比べると,この点に限って言えば白髪鬼が勝っているだろうか。モンテ・クリスト伯 1【電子書籍】[ アレクサンドル・デュマ ]ただし,分量が大きく違い,『モンテ・クリスト伯』は岩波文庫で7冊という大長編なのに対して『白髪鬼』は文庫本1冊にも満たない。気軽に,簡単に読めるだろう。さらに,江戸川乱歩版の『白髪鬼』の良い点としては,江戸川乱歩の行間からにじみ出る変態性ですかね・・・。たとえば,主人公がまだ幸せだったころ,新妻といっしょに風呂に入ってイチャイチャするシーンだとか,妻が姦通するシーンはなんとも変態チックだ。私生活では女遊びの限りを尽くした大デュマも,江戸川乱歩の変態文学には一歩も二歩も譲ることになるだろう。なお,ついでに言うと,角川文庫版の『白髪鬼』にはさらに『盗難』,『一枚の切符』,『人でなしの恋』,『恐怖王』の4つの短編が収録されている。このうち,僕がもっとも気に入っているのは『人でなしの恋』だろうか。ミステリー要素も含んでいるのでネタバレは避けたいが,これは変態にしか書けない内容になっている。いや,ネタ自体はさほどではないかもしれないが,話の運び方,言葉の選び方,描写の仕方など,小説に必要な全ての要素が変態としか言いようがない。15年くらい前,本田透がラノベでこの『人でなしの恋』を題材にラノベを1本書いており,僕は結構好きだった。暇な人は是非呼んで欲しい。イマジン秘蹟 2.人でなしの恋【電子書籍】[ 本田 透 ]本田透はここ10年くらい作品を出さずに沈黙したままだが,いつか復活して欲しいものだ。ペンネームを変えて活動している説もあるけれど,真実なのかどうなのか・・・。白髪鬼【電子書籍】[ 江戸川 乱歩 ]
2021.12.24
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日本三大奇書,といえば読者を発狂させるという夢野久作の『ドグラ・マグラ』がその筆頭ではあるまいか。正直僕は上巻の半分くらいで挫折して漫画で読んだのだが,他の作品も読んでみるべか,と『犬神博士』に手を出した。表紙もなんかラノベっぽくて手に取りやすいから。犬神博士 アニメカバー版【電子書籍】[ 夢野 久作 ]さて,あらすじなのだが,本作は犬神博士こと大神二瓶(おおかみ・にへい)のインタビューを速記にして新聞記事にするというので,犬神博士が7歳くらいの思い出を語るという体裁になっている。どうも犬神博士は髪や髭も延び放題,夏でも冬でもマント姿でゴミ箱をかき回してる乞食っぽい爺さんのようなのだが,若いころはどうも神童だったっぽい。本人の語るところによれば,日清戦争の直前,7歳くらいのころは旅芸人の夫婦といっしょに,女物の振り袖でわいせつな踊りを踊って生計を立てていた。それが,「踊りのうまい女の子がいる」と福岡で話題になる。やがて,本人としてはそんな気ではなかったのだが,親孝行で,恩義も忠義もわきまえている「見どころのある子ども」として福岡県知事の目にもとまることになる。やがて炭鉱の経営権を巡る福岡県知事と右翼団体・玄洋社との争いにも中心人物として巻き込まれていくことになるのだ。見どころとしては,幼いころの犬神博士の暴れっぷりだろう。彼は,大人を馬鹿にしているところがあって,まるで「クレヨンしんちゃん」みたいな感じだろうか。お礼を言うときも,「尾張が遠うございます」,つまり「九州から行くと名古屋が遠い」という冗談を言っているだけで,「おありがとうございます」と聞こえるかもしれないけれど,大人が勘違いしているだけなのである。また,幼いころの犬神博士はバクチにはめっぽう強い。ツキの流れを感知するとか,博才があるというより,イカサマを見破ったり,仕掛けたりするのは天才的で,花札の裏面の小さなキズや汚れをもとに表面を覚えたり,転がし加減を工夫して自由にサイコロの目を出したりもできる。こういう神通力めいた力があるから,主人公は将来的に「犬神博士」と呼ばれるようになるのだろう。感想として,推理小説では全然ないね。てっきり,『ドグラ・マグラ』の作者だから推理小説だと思ったんだけれども。ただ,幼い主人公が手ぬぐいで襲いかかってくるヤクザの顔をはたいたところ,タイミングと当たり所の良さで一撃で昏倒させるシーンがあるのだが,これが「幻術」とか「ドグラ・マグラ」と呼ばれていた。幼く,無学で,常識もなく,なんらの権力も持っていない主人公が,親はもちろん,ヤクザの親分だとか福岡県知事やらを手玉に取るというのはひどく楽しい。ただ,残念なところは作品が途中で打ち切り終了になっているところだ。物語はいよいよ,右翼団体と福岡県知事との抗争が激化したところ,主人公がいた家が火事になり,主人公が避難したところで唐突に終了。調べたところ,新聞連載だったんだけれども,掲載している新聞自体が廃刊になったからのようだ。なお,右翼団体・玄洋社は実在の団体で,著者の父親も関係者だったようだ。そんな玄洋社の社長・楢山到については実在の人物ではないようだが。気になるところは多々あれど,打ち切りじゃ仕方ないというところ。もっとも,これほど才気煥発な子どもが,大人になると犬神博士またの名をキチガイ博士になってしまうというのはどういうことなのか,気になるところだ。犬神博士 アニメカバー版【電子書籍】[ 夢野 久作 ]
2021.12.13
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鬼平を演じた中村吉右衛門が2021年11月28日に亡くなった。あんまり僕はドラマは見ないし,鬼平も活字で読んでる派なのだが,しんみりは来る。鬼平犯科帳のプロトタイプでも読んでみるかと,15年ぶりくらいに短編集『にっぽん怪盗伝』を読み返したので感想を書いていく。にっぽん怪盗伝 新装版【電子書籍】[ 池波 正太郎 ]まずは,収録短編と簡単なあらすじはこのとおりである。江戸怪盗記・・・・プロト鬼平。本編にもある実在の怪盗・葵小僧の話。白浪看板・・・・・プロト鬼平。夜兎の角右衛門と盗人三か条の話。四度目の女房・・・盗人をしながら大工をしてる男の話。市松小僧始末・・・連作短編。掏摸の夫・市松小僧と剣術使いの女房の話。喧嘩あんま・・・・連作短編。市松小僧と生き別れたあんまの兄の話。ねずみの糞・・・・連作短編。市松小僧の浮気の話。熊五郎の顔・・・・伝説の雲霧仁左衛門の部下,熊五郎と未亡人の話。鬼坊主の女・・・・実在の怪盗・鬼坊主清吉の辞世の句の話。金太郎蕎麦・・・・鬼坊主から20両もらった私娼が蕎麦屋を立ち上げる話。正月四日の客・・・年1回だけ真田蕎麦を食べに来る奇妙な客と,蕎麦屋の話。おしろい猫・・・・浮気すると猫の額に白粉を塗って警告する話。さざ浪伝兵衛・・・盗人・伝兵衛が過去に殺した男の亡霊に会う話。ざっと12もの短編が収録されているところ,1つ1つ話していくとキリがない。このうち,1と2のプロト鬼平の話と,4~6の市松小僧の短編,それから8の鬼坊主清吉の3つの話をしていきたい。まず,目玉は鬼平のプロトタイプといえる『江戸怪盗記』と『白浪看板』である。ぞもそも,鬼平犯科帳の連載開始は1967年。『江戸怪盗記』は1964年に,『白浪看板』は1965年に発表されているから,著者の方で熟成させていた鬼平像をテストケースとして描いたのだろう。なお,本作では「鬼平」という通称は一切出てこないし,鬼平こと長谷川平蔵はあくまで「名前のあるモブ」くらいのもので,あくまで主役は盗賊だちである。別に,盗賊を引っ捕らえた役人は誰でもいいのである。厳しいながらも人情のある鬼平,という人物はまだ描けていないといえる。注目すべきは,鬼平でよく出てくる盗人3か条,つまり「殺さず,犯さず,盗まれて難儀するものに手を出さない」というのは『白浪看板』ですでに出てきているところだろう。この3か条,鬼平でもたびたび出てくるのだが,工夫としては素晴らしいものと思う。「盗人」という犯罪者を主人公としても,読者から嫌悪感を抱かれないようにするには,この3か条は必須であったといえるだろう。実際,『鬼平犯科帳』というシリーズは,事実上は盗賊たちをこそ主人公としていて描くもので,鬼平こと長谷川平蔵はあくまで舞台装置にすぎないと思っている。3か条をまもる「本格」の盗賊たちは,悪人であることは間違いないけれど,魅力があるのである。ところで,僕は前々から,この2つの短編が『鬼平犯科帳』というシリーズに入っていないのは不思議だったのだが,出版社が違うからでしょうな。『鬼平犯科帳』は文藝春秋社,本作は新潮社だもの。鬼平犯科帳(一)【電子書籍】[ 池波正太郎 ]次に,掏摸の市松小僧を主役とした3つの連作短編である。この作品,週刊朝日別冊,推理ストーリー,小説現代とバラバラな雑誌に収録されている。恐らくであるが,池波正太郎の最大の持ち味は,連作短編にあると思う。「鬼平犯科帳」,「剣客商売」,「仕掛人・藤枝梅安」という3大シリーズというものがある。一方で,長編小説はさほど振わない。時期的に市松小僧の連作短編は,著者の初期の方の作品である。色々と模索していたのかもしれない。のちに大ヒットした「鬼平犯科帳」と違って,僕の知る限り,市松小僧の話はこれ以降は書かれていないようだ。掏摸の夫と,剣術使いの女房というのはアイディアとしては良かったのかもしれないが,ヒットしなかったのかもしれない。僕自身も,女房一筋というわけでもなくて3作目で浮気なんかしちゃう市松小僧の好感度はあんまり高くない。最後に,鬼坊主清吉の話である。この鬼坊主清吉は調べたら実在の人物で,小説同様,処刑の前に堂々と辞世の句を詠んだという。池波正太郎は,無教養な鬼坊主が辞世の句を作ったという背後について描いたのだ。僕は,この作品を小説で読んだ後,時期は覚えていないのだが,さいとうたかおの漫画版「鬼平犯科帳」で読んだ記憶がある。それだと,この小説だと辞世の句を作ったのは貧乏浪人になっていたけれど,漫画版だと鬼平になってた。しかも,辞世の句の意味を色々と解説してくれていた。一方で,この小説だと辞世の句の解説がないので,無教養な僕には歌に込められた意味を味わえなかったのが残念であった。この漫画版を見るにつけ,正直言って,物語の完成度は漫画版の方が上かもしれないし,改変としては良い改変だったろう。ドラマ版の鬼平でもこの鬼坊主の話はあるようだが,たぶん改変があるんだろう。そうすると,短編の方はひと味足らないように感じたわ。にっぽん怪盗伝 新装版【電子書籍】[ 池波 正太郎 ]
2021.12.08
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このあいだ20年の積ん読してた短編小説集『賊将』を解消した僕だけど,このたびやっぱり10年くらい積んでた『幽霊塔』を読み切った。この作品についての自分語りなどしながら可能書いていく。なお,『幽霊塔』はミステリなのだけれど,オチもラストも結末も,容赦なくネタバレをしていく。幽霊塔【電子書籍】[ 黒岩涙香 ]『幽霊塔』を知ったのは大学生のころだと思う。たしか,当時の僕はアレクサンドル・デュマの小説にはまっており,黒岩涙香の『巌窟王』に興味を持ち,その流れで同じく黒岩涙香の『白髪鬼』や『幽霊塔』に興味をもった。ただ,文語調の小説はなかなか読めないので,当時は諦めたはずだ。時代が最近になって,kindleで無料版のを手に入れたけれど,たしか3章くらいで力尽きた。その後の話なんだけど,漫画化の乃木坂太郎先生が,本作のリメイク版として2012年から2014年にかけて『幽麗塔』という作品を執筆している。こっちの漫画は読みやすいので読んでいたが,本家の方はしばらく放置していた。聴く読書オーディブルを使ったとはいえ,聴き終わったので『幽麗塔』も含めて感想書いていく。幽麗塔(1)【電子書籍】[ 乃木坂太郎 ]まず,舞台なのだが,イギリスっぽい日本である。本作は翻案というやつで,ただ文章を日本語にするだけではなくて,登場人物を日本人に,その他文化風俗も日本にしている。それがなんとも言えない独特の世界観を作り出していて,僕は結構好きだよ。まず,あらすじなのだけど,けっこう複雑である。大きく,①莫大な財宝が隠されている幽霊塔の秘密,②謎の怪美人・松谷秀子の秘密,③8年前に幽霊塔で行われた殺人事件の秘密,など,様々な秘密がある。さらに,密室から突然消えた主人公の元婚約者だの,その元婚約者の失踪と同時に発見された女の首無し死体の謎だの,細かな謎を数えるとキリがない。前半は,その世界観と古めかしい文体に慣れるのが大変だったが,終盤,怒濤のように謎解きがされるのは爽快感があった。主人公もミステリなのに頭よりも腕力の方が自慢というキャラで,何かあると腕力を誇ったりする。謎解きも,幽霊塔のギミックだけは主人公が暗号を解読したものの,だいたいの謎は主人公が思索の結果として真実に到達すると言うより,ヒントをもとに足で稼ぐことが多かった。また,主人公はヒロインの怪美人・松谷秀子を無実と信じて動き回るのだが,根拠としては「彼女が美人だから」という一点に由来しているのが楽しい。個人的に気に入ったのが,主人公の恋敵となる弁護士・権田時介だ。本作が一人称小説ということから,この男は「どことなく嫌な奴」なのだが,どこか義侠心に厚いところがある。中盤は「かなり嫌な奴」に成り下がったが,ラストでその義侠心を発揮するところは感動した。めっちゃいい奴じゃないか,と。しかし,どうしても明治の作品だから古い。前述の,「密室から消えた主人公の元婚約者」について,これは「密室に隠し通路があった」というやり方で解決している。これは,「ノックスの十戒」の3番目に明確に反している。それが作品を損なうわけではないにせよ,近代のミステリでは許されんだろう。同様に,ヒロインである怪美人・松谷秀子の正体については,終盤で8年前に幽霊塔で行われた殺人事件の犯人として獄死したとされていた人物であることが発覚する。整形手術で顔を変えていたんだね。この整形手術というの,恐らくはこの時代だと科学の最先端だったんだろう。いのミステリで「整形手術で顔を変えて別人になっていた」というのがトリックというか,謎の核心であったというのはなかなか成立しないだろう。なお,この作品の中の整形手術については,髪の色についても単に染めるだけではなく,薬品を頭皮に塗って,永久に変色させるという技術が使われていて,令和の整形手術すら凌ぐ技術になっている。最後に,乃木坂太郎の漫画版『幽麗塔』(以下「乃木坂版」)との比較をしよう。乃木坂版では,やはり幽霊塔に隠された財宝探しが1つのテーマになっているが,LGBTやマイノリティの性愛がかなり大きなテーマになっている。また,本家にあった「整形手術で他人に成り代わる」というアイディアを改変したのか,「男装または女装によって性別を偽る」だとか「脳移植によって他人に成り代わる」という工夫がされていた。幽麗塔(9)【電子書籍】[ 乃木坂太郎 ]これら工夫を良いとみるか,悪いとみるかは微妙なところだ。「幽霊塔の財宝」というギミックは使っているものの,別に「幽霊塔」のリメイクと名乗らなくても,普通に1つの作品として成立しているように思う。本家の主人公は情熱的で活動的だったのに対し,乃木坂版の主人公は暗い性格である。たとえるならば,『西遊記』をアレンジして生まれた『ドラゴンボール』くらい関連性は薄い。それはそれ,これはこれで楽しむべきなのだろうなぁ。黒岩涙香全集 5作品(幽霊塔、無惨 ほか)【電子書籍】[ 黒岩涙香(Kuroiwa Ruikou) ]
2021.11.30
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歴史修正主義という単語を聞いたのはいつのころだったか。たぶん,ここ数年のような気がする。ネット右翼だのサヨクだの,そういう文脈だったと思う。ネット上はともかく新書で読めるのならばと早速買って読んでみた。歴史修正主義 ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで (中公新書 2664) [ 武井 彩佳 ]本書は主にナチスドイツに関する歴史修正主義を,つまり史実のねつ造を扱っている。そうであるのに,どうも日本で見たねつ造,プロパガンダと大きく重なる。ともに敗戦国として,認めたくない歴史があったからだろうか・・・。ユダヤ人への憎悪を朝鮮人への憎悪に,アウシュビッツを南京虐殺に置き換えると,驚くほど重なるところが多い。長くなるので,僕は弁護士という立場から,3つの裁判例について書いていこうと思う。それは,マーメルシュタイン裁判,ツンデル裁判,アーヴィング裁判の3つである。①マーメルシュタイン裁判(1980年カリフォルニア)第1の事件は,歴史修正研究所という,ナチズムを礼賛する機関が「アウシュビッツでユダヤ人がガス室で殺戮されたことを証明できたら5万ドルを支払う」と懸賞をかけたことが始まりである。とはいえ,歴史修正研究所はこんな賞金を支払う意思はない。ネオナチを中心に,「ユダヤ人を600万人も虐殺できない。誇張している」だとか,「ガス室はねつ造だ」というデマが横行していたというのだ。日本に置き換えると,「南京虐殺で30万人も死んでない」とかを否定する層がいるが,まさにそんな感じだろう。実際,家族全員を殺されながらもアウシュビッツから生還したマーメルシュタインが歴史修正研究所に5万ドルを支払うように求めたが,歴史修正研究所は「証明不十分」として認めなかったので,マーメルシュタインが裁判に打って出たというのだ。この裁判は,裁判所がアウシュビッツの虐殺があったことについては,「公知の事実」だから証明の必要なしとしたため,和解の勧告がされ,マーメルシュタインは5万ドルの懸賞に加え,4万ドルの慰謝料までも手に入れたというのだ。胸のすくようなよい判決だが,この裁判の特徴は,「表現の自由」が大きな争点になった様子がないところだ。後々の裁判はどれも表現の自由だの,名誉毀損が問題になっていて,この事件ほど簡単には終わっていない。なお,Wikipediaで調べたら,歴史修正研究所というのは現在も存在するようだ。恐ろしいことだ。②ツンデル裁判(1983年カナダ)第2の事件は,ドイツ出身のツンデルがホロコーストを否定する活動をしたところ,カナダ刑法177条「虚偽ニュースの流布」で起訴されたという案件である。この案件はほかの2つと違って刑事事件なのであるから,多少毛色が違う。また,第1のマーメルシュタイン裁判と違って,ホロコーストの有無については「公知の事実」と裁判所が認めなかったため,検察はかなりの苦労をしてホロコーストの存在を立証しなければならなかった。しかし,この案件,最終的にはカナダ刑法177条は表現の自由に反して違憲無効だということになった。この判決はなかなか示唆に富んでいる。僕がツンデルの弁護人だったとしたらば,恐らく同じ戦術をとるだろう。なお,この点について,ヨーロッパの多くの国ではホロコーストの否定をしたり,ナチの礼賛をすれば犯罪が成立するということになっていて,表現の自由を重視する英米法と,大陸法の違いを感じるところだ。③アーヴィング裁判(200年ロンドン)最後の事件は,ホロコーストの否定をするアーヴィングが,彼を批判する本を出した出版社を名誉毀損で訴えたという事案だ。第2のツンデル裁判と違って,アーヴィングは売れっ子の歴史家であって,ベストセラーも出している。日本で言うならば・・・・・・何人か思い浮かんだが,名誉毀損になりそうだからやめておく。この事件,イギリスの裁判所でやっていたこともあって,また裁判で「ホロコーストがあったのか,なかったのか」が争点になったほか,アーヴィングが故意に資料をねつ造していたのかが争点になった。この案件,見事に出版社側が勝訴して,多額の賠償金の支払いでアーヴィングが破産に追い込まれた。デジャビュだろうか,現代日本でも名誉毀損で訴えた原告が返り討ちになった裁判をついこの間見たような気がする・・・。本書で扱っている3つの裁判例を紹介したけれど,表現の自由をどうすべきか,というのは本当に考えさせられる。真実の情報よりもデマの方が拡散力があることはたびたび指摘されているところである。そもそもデマに表現の自由はない,という考え方もありえるだろう。ホロコーストの否定というのはユダヤ人への憎悪と密接な関係があり,ホロコーストの否定はヘイトスピーチといえるとして,ヨーロッパの多くの国のように,そもそもデマを流す自由を認めず,その危険性から刑罰を持って禁止するというのもありえるだろう。実際,ドイツでは近年も年間150人くらいがホロコースト否定で有罪判決を受けているというから驚きだ。しかし,本書の終盤でも扱っているが,特定表現の禁止には危険性がつきまとう。著者によれば,たとえばトルコでは19世紀末から20世紀にかけて行われたアルメニア人虐殺である。トルコ政府は何人かのアルメニア人か死んだことを認めるものの,これが「虐殺」,「ジェノサイド」であったことを認めておらず,トルコ政府では政府の見解に反する表現を禁じ,刑罰が科しているという。このあたりは悩ましい。目をアジアに向けてみれば,中国政府は天安門事件について情報統制をしているようだ。こういうとき,表現の自由の重要さが感じられるところだ。僕が学んだ日本国憲法は,大陸法ではなくて表現の自由を重視する英米法の影響を強く受けている。なので,僕としてはたとえでデマであろうと表現の自由を保障すべきと言う考え方で生きてきた。少なくとも,受験生時代はこの考え方には一切の疑問を持つことはなかった。ただ,近年のヘイトデマ拡散,ヘイトスピーチを見る限り,考えを改める必要性というのも感じている。日本の法規制もどうなるのだろう。もっとも,太平洋戦争から80年近くも経過したのだから,いまさら日本も太平洋戦争の歴史修正に法規制がされる可能性は低いだろうなぁ・・・。歴史修正主義 ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで (中公新書 2664) [ 武井 彩佳 ]
2021.11.24
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修習生時代のことである。とある弁護士が「相手弁護士が出してきた書面は,最高の教材だよ。すごい勉強になる」と行っていたのだ。実際にそうだろうと思う。読んでいると,こんなやり方があったのか,と瞠目させられることも多く,当然のように僕もそれをパクって来た。そんな中,意外や,委任状というのはあんまり他の弁護士のやり方を見るということがほぼない。なので,共同受任の事件があれば別だが,僕は誰からも委任状の書式をパクるというのはなかったので,専門書を買ってみた。サブタイトルに「若手弁護士・パラリーガル必携」と書いてあるが,経験上,この手の若手弁護士向けの書籍というのはずいぶん役に立つことが多い。早速,買って読んでみた。目次はおおよそ以下のとおり。第1章 委任状総論第2章 裁判関係第3章 ADR関係第4章 労働関係第5章 会社関係第6章 倒産関係第7章 知的財産関係第8章 行政手続き関係第9章 税金関係第10章 登記・登録関係第11章 公証役場関係第12章 開示関係第13章 刑事関係第14章 綱紀・懲戒など第15章 外国語関係2章以下はほぼ書式なので,読むところと言うのは実際に第1章の総論と,各章の冒頭あたり。それ以外はどんな書式があるのか確認しておいて,必要なときに引っ張り出して確認する形になるだろうか。個人的に感心したのが,控訴審の場合の委任状である。僕の使ってる書式も,日弁連の提供している書式もそうなのだが,不動文字で「控訴・上告の申立」が委任事項として書き込んでいる。そうなのに,実務上では委任は審級ごとと,新たに委任状を求められたりする。ここ7年くらい,「委任状に控訴の場合もできるようにしているのになぁ・・・」と思いつつ働いていたが,本書ではこの点について,書式ではやっぱり不動文字で控訴・上告の申立について書き込んでおきつつも,総論部分で「厳密には控訴審で改めて委任状を提出する必要がないとも考えられていますが,実務上は,代理権を明確にするため改めて委任状を提出することが求められるという運用がなされています。」(本書9頁)と記載されている。やっぱり,同じことが考えていた人がいたのだ,と長年の疑問がとけてスッキリしたわ。ところで,僕が使っている委任状の書式なのだけれど,もう事務所を作ったのが10年くらい前なのでどうやって作ったかよく覚えていない。日弁連か所属弁護士会の書式集か,さもなくば何かの書式集を流用し,少しずつ改良を繰り返して今のものになったんじゃないかな。初期はたまに裁判所から不備を指摘されたりして作り直したような気がする。この手間が省けるのであれば,4000円くらいを支払う価値はあるかもしれない。たぶん,このように弁護士は便利を求めて書式を日々改良しているのだろう。たとえば,僕が使っている破産申立用の委任状だと,「破産申立に必要な書類(固定資産税評価証明書,所得課税証明書等)の取得」を不動文字で打ち込んである。これによって,破産申立の委任状を1つ取っておけば,別途に委任状もいらないし,市役所の窓口で何かを言われたことはない。なお,この点は僕の独自の工夫だからか,本書の破産申立の委任状はそうなってなかった。ちょっと自慢げである。
2021.11.22
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弁護士会では一般消費者からの借金の法律相談について,「クレサラ相談」ということがあるのだが,最近はこの「クレサラ」という言葉が死語になりつつあるそうな。クレジット・サラ金の略なのだが,もしやするとサラ金というのは昨今は流行らないのかもしれない。それはさておき,中公新書『サラ金の歴史』を読んだので感想を書いていこう。サラ金の歴史 消費者金融と日本社会 (中公新書 2634) [ 小島 庸平 ]本書の概要だが,とりあえず目次を引用するとこうだ。序章 家計とジェンダーから見た金融史第1章 素人高利貸の時代第2章 質屋・月賦から団地金融へー1950~60年代第3章 サラリーマン金融と前向きの資金需要ー高度経済成長期第4章 低成長と「後ろ向き」の資金需要ー1970~1980年代第5章 サラ金で借りる人・働く人ーサラ金パニックから冬の時代へ第6章 長期不況下での成長と挫折ーバブル期~2010年代終 章 「日本」が生んだサラ金色々と内容が盛りだくさんである。第2~3章のサラ金黎明期のアコム,レイク,プロミスなどが急成長するあたりの創業者列伝というのは他の本でも読んだので割愛しようか。どんな仕事でもそうだろうが,創業者の先駆的な着眼点や成り上がりっぷりは非常に興味深いところである。特に武富士の急成長やブラック企業体質を描いた第5章なんかは色々と語られているところである。また,本書ではサラ金黎明期以前,1950年代について「素人高利貸の時代」として,そこから歴史を書き起こしているのもおもしろい。意外や,このころは知人から「金を借りる」というのが一般的で,貧民窟では「金貸し」をトップに,順に「使い」,「走り」,「債務者」という形ができていたというのだ。「使い」と「走り」は「金貸し」の代理人として動き,「金貸し」から手数料をもらい,債務者の紹介,貸付,回収,保証を行っていたという。ピラミッド形の重層構造を見ると,まるでマルチ商法かネズミ講のようである。当時は年利470%を超えるというから,そりゃ儲かるだろうなぁ・・・。実際,高度経済成長期以前には,副業として素人金貸しを推奨する論調もあったという。現代の自己啓発本なんかが投資をすすめるように,昔は素人金貸しをすすめる時代が,また脱サラしてラーメン屋をやるように脱サラして金貸しを始める時代があったようである。いつの世にも,人間というのは副業での一攫千金を夢見るものだ。残念なところと言えば,本書では過払金返還請求がサラ金に与えた影響についてはさほどの紙幅を使っていないところかな。というか,僕が弁護士登録をしたのが23年。過払は全盛期をすぎたものの,まだ充分残っていたし,サラ金も大手のアイフル,アコム,プロミス,レイクのほかに小規模なところがいくつかあった。そのどれもが消滅したのだがな・・・。また,特徴として本書の執筆家庭では有価証券報告書等の一次資料や関連書式などを収集・分析するやり方を鳥,サラ金関係者や被害者・弁護士のインタビューをあえて行っていない(本書320頁)。適宜グラフや表の引用がされて客観的な資料に裏打ちされているというところなどいいところもあり,悪いところもあろう。最後に金利の話である。グレーゾーン金利の撤廃や金利引き下げの攻防については,なかなか興味深い。金利引き下げについては,いいことではないかと思うのだが,当時は「金利を引き下げると,債務者がヤミ金に頼ることになり,より被害が広がる」という論調があったということ。結局,ヤミ金被害は広がらなかったというのだが,要するにこれはサラ金が自民党に献金したりすることで圧力をかけていたのだろうが。なお,著者は確たる資料はないものの,2003年の「オレオレ詐欺元年」は金利引き下げの影響があったのではないか,と考察しているのも考えさせられる。サラ金は廃れたとは言え,金貸しはなくなるまい。金利の引き下げで儲からなくなっていると思ったが,かつては個人に金など貸さなかったであろう銀行がカードローンに手を出したりしているし,2020年にはLINEの手がける個人向け融資サービス,「LINEポケットマネー」が月刊申込数でアコムを上回ったという。また給料ファクタリングという新たな形での金貸しも登場してきた。そのうち,これら新たな金貸しトラブルが町弁の所に来るかもしれない。サラ金の歴史 消費者金融と日本社会 (中公新書 2634) [ 小島 庸平 ]
2021.11.21
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僕は池波正太郎信者である。中学生のころから池波正太郎を読んでいるので,池波暦は20年を超える。そんな僕が,最も好きな作品は何かと言えば,短編集『賊将』に収録されている『秘図』と,この『秘図』を長編化した『おとこの秘図』である。昼は謹厳実直なサムライみたいな顔をしていながら,セックスレスな妻に悩みつつ,それを発散させるため夜はこっそりエロ絵を描く。描きためたエロ絵を隠すのに苦労している主人公を見ると,昭和生まれの僕としては強い共感に襲われる。このあたり,デジタル世代の令和生まれには分るまい。僕は,この2作が鬼平よりも剣客商売よりも好きである。久しぶりに再読したので感想を書いていこう。おとこの秘図(下)(新潮文庫)【電子書籍】[ 池波正太郎 ]作品背景を調べるために池波正太郎の公式サイトを見ると,『秘図』は1959年,『おとこの秘図』は1976年発表と言うことになっている。主人公は,実在する火付盗賊改,つまり盗賊対策にあたる特殊警察の長官である徳山五兵衛秀栄である。鬼平こと長谷川平蔵の先輩格だ。この五兵衛については,史実なのかどうなのか分らんが,池波正太郎が「夜はこっそりエロ絵を描いている」大胆な人物設計をしている。五兵衛や鬼平は「人間というのはいいことしながら,悪いこともするものだ」という人間観を語っているが,「昼は盗賊の捕縛をやり,家庭内では謹厳実直。でもセックスレスに悩み,旗本という身分があるから風俗にも行けず,孤独にエロ絵を描いている」という光と闇が同居する主人公はまさに著者の人間観の表れと言えよう。長編『おとこの秘図』だと,主人公は必死でエロ絵を描いていることを隠そうとするし,自分が急死したあと,家族が隠し持っていたエロ絵を発見してしまえば,「たちまち自分を尊敬していた家来や妻が自分を軽蔑するかもしれない・・・」という恐怖心から,中盤,徳川吉宗に命令で危険な任務に行く際にエロを全て処分したりしている。それでも,またエロ絵を描き始め,死の直前に絵を焼いてから死亡する。このあたり,昭和生まれの男たちにはよくわかることではあるまいか。こういう共感できる部分があるからこそ,僕は鬼平よりも五兵衛の方に感情移入しながら読みやすかった。どうしても鬼平犯科帳を読むとき,鬼平よりもその部下たちの方に視点が行ってしまうんだよね。賊将【電子書籍】[ 池波 正太郎 ](「秘図」が収録されている短編集)で,短編の『秘図』と長編『おとこの秘図』の違いであるが,文学性というか作品のテーマ性でいえば短編の『秘図』の方が優れていると言える。短編の『秘図』を焼酎なりウイスキーの原液とするならば,長編『おとこの秘図』は水割りとかソーダ割りみたいなものだ。短編は老齢になった五兵衛と盗賊・日本左衛門の対決を表面としつつ,裏面でエロ絵の作成を語る感じである。表と裏がはっきりしていて分りやすいし,僕なら30分,読書に慣れていない人でも1時間もあれば読み終わるだろう。一方で長編は,少年期の五兵衛と忠臣蔵の話,父親との確執,徳川吉宗の秘密任務など,やってることが多いのだ。裏面は主人公の性的な欲求でいいとして,表面が盛りだくさん。僕は1週間で上中下の3冊を読み切ったが,読書に慣れていない人では全3冊を読み切るのに1か月はかかるかもしれない。実際,ネットでレビューを見ていたら,「修業時代の少年期は剣客商売,盗賊と戦い始める中年期は鬼平で,池波正太郎の集大成である」とあった。確かに,そういう読み方もできるだろう。ただ,こういう読み方になってしまうのは,表面の方にばかり気を取られるからであって,裏面の主人公とエロ絵の方をあまり重視してないとも思える。そういう意味で,テーマ性がくっきり出ている短編のがいいかもしれない。もっとも,文学性とかテーマ性はともかく,娯楽性は長編の『おとこの秘図』だろうか。幼い主人公が赤穂浪士の討ち入りに心を震わせたり,中年期の主人公が吉宗の秘密任務に赴くシーンもある。紙幅も十分あるわけだからキャラ付けはしっかりしており,特に短編には登場しなかった家臣,小沼治作はいいキャラであって非常に好きである。なお,著者の執筆時の年齢を見ると,『秘図』の時点で30半ばくらい,『おとこの秘図』の時点で50代となっている。老齢になりながらも,主人公が小沼治作とともに「いまどき若い者はだらしがないのう」とやりとりするシーンは長編執筆時の著者の心ばえが反映されているのかもしれない。また,エロ絵の執筆についても,単に模写していたころから創造の段階に進み,現実世界では女っ気のない自分の部下に女を抱かせてみたりなど,絵の世界では自分の思い通りになる楽しさを知るシーンは心に響く。結論は,長編も短編もどちらも読め,とこういうことになる。表と裏,昼と夜を切り替える主人公というテーマ性は変わらないものの,父親との確執については大きく変更されており,短編では「理解のある主人公の父」だったのに長編では「主人公を廃嫡しようとする陰険な父」になっていたりする。ところで雑談だが,もし五兵衛が現代に生きていたらどうだったろうか。彼は1人きりでエロ絵を描いていたが,ネットのある現代ならばTwitterあたりで神絵師として活躍できていたかもしれない。そういうことを考えると,楽しくなってくるよね。おとこの秘図(上)(新潮文庫)【電子書籍】[ 池波正太郎 ]
2021.11.17
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僕がはじめて『近藤勇白書』を手にしたのは,たしか高校の図書室だったと思う。冒頭を少し読んで,近藤の弱さにちょっと落胆して本棚に戻した。そんな記憶がある。なので,本書を手に取ってから,読了まで20年以上をかけたわけだが,感想を書いていこう。近藤勇白書【電子書籍】[ 池波 正太郎 ]本書はタイトルの通り,近藤勇を主人公にした歴史小説である。Wikipediaで本書の発売時期を見ると1969年である。池波正太郎は先行して1964年に『幕末新選組』を発表しており,同年に司馬遼太郎が『燃えよ剣』を出している。時期的に,『近藤勇白書』が出た時期は,司馬遼太郎が『燃えよ剣』をヒットさせた時期以降になろうか。ある意味で,土方歳三を主人公とした『燃えよ剣』に対し,『近藤勇白書』は近藤勇を主人公にした,まるで兄弟のような作品といえるかもしれない。さて,内容なのだが,冒頭が面白くないのである。近藤勇はすでに試衛館の主になっているのだが,剣術の方があまり強くない。手強い道場破りがやってくると,近隣の協力関係にある道場から強い剣士を呼びよせ,道場破りと戦ってもらうというのをやっている。これが常態化しているわけだから,近藤の妻は冷ややかな対応をするし,高校時代の僕も読む気が失せた。ただ,このあとの展開は非常に良かったのだ。ある日,道場破りにやってきた男は本当に強く,竹刀での試合では永倉新八と沖田総司までが破れてしまう。そこで,近藤は協力先の道場から助っ人を呼んでなんとかするのだが,後日,その道場破りが路上で近藤に因縁を付けてくるのだ。そこで,近藤は真剣で立ち会うのだが,なんと道場破りの男を一蹴してしまうのだ。これは新選組の,というか天然理心流の評価でたまに言われる「実戦派であるがゆえ,竹刀での試合は弱いけれど真剣ならば恐ろしく強い」というやつだ。読んでいた僕は爽快感に包まれた。チャンバラ小説を読むとき,僕は主人公になった気持ちで読むわけだから,僕に成り代わってバッタバッタと活躍して欲しいのだ。弱いとつまらんのである。これ以降,近藤の妻も唐突に近藤への態度を改めるのだが,僕も近藤に対する態度を改めて,読んでいくことになる。余談だが,この「実戦派だから竹刀での試合には弱いけれど真剣ならば恐ろしく強い」って,なんかうだつの上がらない社会人の心をとらえるような気がしませんかね。こう,「俺は別にダメ男じゃないんだ。実力を発揮する場所がないだけなんだ」という感じでね。しかし,本当に僕が本書を楽しんで読んだのは中盤くらいまでだろうか・・・。栄達して行くに従い,近藤は徐々に威張ってくるようになる。作者は,永倉新八と原田左之介の口を使い,「俺たちは同志であって,近藤の部下ではない。それなのに,なんだあの偉そうな態度は・・・」と言わせるのである。もちろん,近藤にも言い分があるだろう。アットホームだったころの試衛館のころとは規模が違うしメンバーが違う。いつまでも昔の気分でいる永倉たちの方にも問題があるようにも思うのだが,どうも著者は永倉たちの方に共感しているように描かれている。思えば,著者は本書以前に永倉新八を主役にした『幕末新選組』を書いているわけで,どうしても近藤に反感を持つ永倉の視点から抜け出せなかったのかもしれない。最終的に,近藤はさらし首になってしまうのだ。このあたり,最後まで戦って死んだ『燃えよ剣』の土方とはずいぶん違う。というか,『燃えよ剣』では土方の内面がこれでもかと描かれているから共感もできたが,どうも池波正太郎の『近藤勇白書』や『幕末新選組』だと土方は陰険な感じがあまり好きになれんのだ。総評として,どうしても先に『燃えよ剣』を読んでしまうと,あまり本書は楽しめないかもしれない。近藤よりむしろ,永倉新八ファンかもしれんな。『幕末新選組』と同様,永倉新八は「亡くなった弟と似ている」という理由で芹沢鴨から目をかけられるなど,いい話が多いから。レジェンド歴史時代小説 近藤勇白書(下)【電子書籍】[ 池波正太郎 ]
2021.11.13
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私事だけど,2021年の10月9日,もともと飛蚊症がひどかった左目が見えなくなった。それで手術を受け自宅療養中にふと思い立ったのが20年ほど読もうと思って放置していた積ん読本の解消である。それが今回読んだ池波正太郎の短編小説集,『賊将』である。賊将【電子書籍】[ 池波 正太郎 ]奥付を見ると,初版は1999年12月の発売となっている。もともと,初出は1964年らしいのだが,僕が買ってもらったのは1999年に出た角川判である。思いおこせばこの本が新刊本として新聞広告に載っていたころ,祖母が中学生の僕にこの文庫本を買ってくれたのである。ただ,この本,なんだかんだで20年も積みっぱなしになっていたわけだ。約20年というのは積ん読解消としては僕の中で最長記録だし,たぶん,僕の残り人生を考えてこれ以上の記録は出せまい。では,なぜ読み切るのに20年かかったのかといえば,冒頭に収録されている中編小説『応仁の乱』がつまらなかったから,これに尽きる。何がどうつまらないか,説明することは困難である。応仁の乱という,あんまり馴染みのない時代が良くなかったのかもしれないし,主人公の足利義政が何を考えているか分らんと言うのもあったのかもしれない。とにもかくにも,つまらなくて読み切れなかったのである。僕は,池波正太郎信者であるが,無批判にすべての作品を受け入れるわけではない。ところで,海音寺潮五郎はアンチ池波正太郎であり,直木賞の選考をしていたころからボロクソに池波正太郎をけなしていたという。ネットの海を見ていると,海音寺潮五郎はこの『応仁の乱』に対して「よく調べているが,やるなら長編でやるか,いくつかの短編に分割すべきだ」と評したというが,僕もそう思う。なんとか読み終えた物の,「つまんなかった」以上の感想はなにもない。このように『応仁の乱』を読めなかったが,それでも中学生の僕は短編集『賊将』を捨てなかった。なぜかといえば,収録されているほかの小説は普通に面白いからだ。その中で2つ,語りたい作品がある。1つは,表題作の短編小説『賊将』である。これは,人斬り半次郎こと中村半次郎(維新後は桐野利秋)を主人公に,幕末から西南戦争までを描く短編小説である。なにがいいといえば,主人公の半次郎のキャラがいい。下級武士という,虐げられた出自から「いまに見ちょれ!」と日々剣術の稽古にいそしみつつ,内職なんかもこなして母や弟たちを養う貧困生活から自慢の剣術で陸軍少将まで登り詰めるのだ。典型的な薩摩隼人のように血の気が多いものの,どことなく可愛げもある。僕はすぐにこの中村半次郎が好きになってしまった。なお,この中村半次郎は史実の人物であるし,さらに池波正太郎は長編小説『人斬り半次郎』を執筆していて,二度おいしい。人斬り半次郎 幕末編【電子書籍】[ 池波 正太郎 ]2つは,『秘図』である。これは,火付盗賊改・徳山五兵衛秀栄を主役とした短編小説である。鬼平犯科帳のような,捕物帖というやつで,主人公の役人が盗賊と戦う話である。この作品の最大の特徴は,やはり主人公の五兵衛である。彼は昼間は謹厳実直な旗本であるものの,夜になるとこっそりエロ画を鑑賞したり,自ら描いたりしているというのだ。たぶん,このは設定は池波正太郎の創作であろうが,先ほどの中村半次郎と同様,愛嬌というものを感じさせる。五兵衛は最終的に,秘図をどうしても処分することができず,死の間際,手文庫ごと家臣に焼かせてしまう。男の悲哀を感じる。いまの電子化の時代は知らんが,昭和・平成の男の子なら,エッチな本なんかを家の中に隠し持っていたものだ。外では真面目そうな顔してながら,どうしても秘図を捨てられない。夜にエロ絵を描くのをやめられないという五兵衛に僕は強い共感を覚えた。ここには池波正太郎の「人間はいいことをしつつ,悪いこともする」みたいな哲学の結晶とも言え,僕は鬼平よりも,剣客商売よりも『秘図』が好きである。なお,「秘図」もやっぱり『おとこの秘図』として長編小説化されている。こちらも面白いことは面白いのだが,短編の『秘図』の方がテーマ性とかは上かもしれない。おとこの秘図(上)(新潮文庫)【電子書籍】[ 池波正太郎 ]最後に総評である。短編小説集『賊将』については,のち長編小説化されている『賊将』と『おとこの秘図』が収録されている時点で2つも傑作が載っているからお買い得と言えよう。直木賞を撮る直前の,若々しい池波正太郎の力も感じる。巻頭の中編『応仁の乱』だけ飛ばして読んでも,値段以上のモトは取れると思うよ。賊将【電子書籍】[ 池波 正太郎 ]
2021.11.09
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色々と仕事が忙しかったり,私事ですが体調不良で入院してたりして1月くらい『蒼穹の昴』の感想を書けないでいた。忘れているところもあるけれど,書評というより感想くらいなら記憶でなんとかできるだろう。蒼穹の昴(1)【電子書籍】[ 浅田次郎 ]あらすじだけれど,清朝の光緒年間を舞台に,士大夫の梁文秀,宦官の李春雲らを主要人物として動乱の清朝を描くということになる。まず1巻は梁文秀の出世物語になる。次男坊の不良息子として親からさほどの期待を掛けられてこなかったのだが,科挙で一発逆転,主席合格を果たして順調に出世していくのだ。科挙の描写にいては,僕も司法試験を受験したことがあるのだが,読んでて胃が痛くなった。司法試験でも受験中に泣き出す奴がいたとかそういうのはいたが,科挙だと発狂するのだとか,死んでしまったりする老受験生までいる。Twitter上の友人と話していて思ったのだが,やはり物語の主人公に感情移入して楽しむというというのは誰しもやっていると思う。喧嘩の強い主人公やら,異性からモテまくる主人公なんかそうだ。こういう,現実世界の自分ができないような立身出世をしていく主人公というのは一定層の人気は出るのだろう。僕も,読んでいて自分が出世して偉くなっていくような感覚になり,1巻は楽しめた。2巻は主人公が交替し,宦官の李春雲になる。この李春雲は貧乏な生まれで,科挙を受験するだけの教育費もない。なので自ら性器を切り取って宦官となるのだ。そして西太后のお気に入りになって,これまた順調に出世していく。僕が一番楽しんだのはこの2巻だろう。たしか,2日ほどで読破した。だが,3巻以降はぐっとつまらなくなる。物語の視点となる人物には前述の2人に加え,西太后や中国在住のジャーナリスト,岡圭之介になる。この岡圭之介は続編にも出てくるのだが,個人的には,延々と世界情勢を語り続ける彼のことはあまり好きではなかった。特に感情移入できる要素もないからね。同様に,西太后や光緒帝についても僕はあまり好きになれない。あまりに美化しすぎている気がする。この小説の不満点というか,納得できないところについては,西太后と龍玉である。なんでも,龍玉という宝石を持っている者が天子となり,龍玉を持っていないのであれば,李自成のように一時的に皇帝になってもダメだというのだ。この小説の世界観では,乾隆帝が龍玉をどこかに隠蔽してしまったため,清朝は徐々に滅びに向かっていると言うことになっている。この龍玉の設定については納得できない。この設定は本当に必要だろうか。たとえば,作中ではいつでも清に成り代わる力を持っていた李鴻章がそうしなかった理由なんかを,彼が龍玉を手に入れられなかったことで説明していた。恐らく,史実の李鴻章にインタビューすれば,「えっ,龍玉なんか知らんし。俺が天下を取らなかった理由は・・・」と,別の理由を説明してくれるのではなかろうか。龍玉を持ち込んだことにより,李鴻章や西太后といった天下に近い位置にいた人物のキャラ付けが史実とはずいぶん変わってしまったのではなかろうか。また,乾隆帝が龍玉をどこかに隠した動機面がよく分らない。終盤で,西洋のような民主的な国造りを是としたという趣旨の説明があったけれど,仮にも清の皇帝がそんなことを考えるだろうか。普通なら,自分の王朝が永遠に続くことを願うのではなかろうか。この点は西太后もそうなのだが,やたら清の王族たちは聖人君子となっている。意外とそんなもんではなかったろうと思うのだが。総評として,個人的にはさほどかなぁ・・・。物語の根幹になる龍玉について納得できないところが結構大きいのかな。蒼穹の昴(4)【電子書籍】[ 浅田次郎 ]
2021.11.04
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いよいよ地上最強の女を決める戦乙女闘宴(ヴァルキリー・オペラ)の決勝戦である。 気がつけば,このトーナメントは6巻から始まって,いま13巻。気がつけば本作の半分をトーナメントに費やしているわけだ。本家ともいえる刃牙もグラップラー時代に半分以上を最大トーナメントに使っていたからそんなもんかもしれない。 はぐれアイドル地獄変 13【電子書籍】 この巻はトーナメントの優勝者に関するネタバレとかあるので,しばらく雑談をしてから本題に入ろうと思う。なので,ネタバレが嫌な人はブラウザバックして欲しい。 12巻の感想でも検討したけれど,恐らくは構想段階で決勝戦は主人公の海空と刃牙を女体化させた主人公補正の化身・マオマオだったんだろうと思う。 それが作者の想定以上に勝ち上がったのがアレフティナ・グゼバなんだろう。 ただ,彼女には問題点があってですね・・・。そう,ルックスである・・・。 (電子版13巻28頁,両者合意の上でのノー道着マッチ) 主人公の海空はもともとグラビアアイドルなので道着を脱いでも見事なプロポーションなのだが,グゼバは微妙ですね・・・。ノー道着マッチなのに,あまり嬉しさを感じない。 やはり格闘技において体格というのはなにより重要なわけで,女子プロレス選手なんか見ても筋骨隆々としているのが珍しくないからね,仕方ないね。 真面目な話をすると,道着はそれ自体,裸締めなんかのとき凶器にもなるだろうし,つかまれて投げ技に入られる可能性もあるから海空がノー道着というのは分るんだけど,グゼバ的には柔道技の多くが使用できなくなるんで,かなり不利な感じですね。 あとは,試合中の回想でグゼバの悲しい過去が語られるのだけど,彼女の母親は幼きころチェルノブイリ原発事故で被爆しており,原爆症でグゼバの母親や友人たちは命を落としているようなのだ。あと,グゼバの双子の姉妹も未熟児で生まれ,長生きできなかったようだし。 最終的に,試合は一進一退の展開が続くものの,海空が足刀を喉にぶち込んでから,マオマオの魔弾をグゼバの顔面にぶち込んでKOした。 一連の流れで,首に足刀をぶち込むところでは鯨岡ミカやルナ・カーンたちが,魔弾のときはマオマオが背景に出てきたけれど,得意技を借りている感じなんですかね。 なお,グゼバは海空を浴びせ倒す形で倒れ込んでいるのだけど,やる気なればグゼバは海空の喉に体重を掛けた肘をぶち込んで,殺せたのか,再起不能ぐらいのダメージを与えられてたけどそれをしなかったっぽい。 大会本部は海空の勝利という判定だけど,海空の自己採点ではグゼバの優勝。ドローという見方もありのようである。 感想なのだが,グゼバの強さは充分異常に描かれていたと思う。 グゼバは体格を見ても187センチ95キロという恵体である。一撃が重い様子が大ダメージとして描かれているし,ちょっとでも海空が気を抜けばKOどころか再起不能,下手をすれば死ぬ可能性があるくらいの描写であった。 ただ,難点も少なくとも2点はあった。 1つめは,展開の遅さである。これまでの試合は,だいたい単行本1冊で2~3試合だったのだが,今回は1冊全てを使って決勝戦なので展開はかなり遅かったように感じた。 観戦者がリアルタイム解説をしてくれるというのに加え,刃牙でよくやる後日のインタビュー形式で試合の回想と解説をしてくれるというのが展開を遅くしている。 2つは,特にグゼバと海空には過去に何の接点もないので,試合中に人間関係を掘り下げ,理解しあうとうのがない点である。 だいたい,この手のトーナメントだと試合前になにかしら,事前に接触があるものである。キャプテン翼なんか振り返ると,松山くんは食堂で「肩がぶつかった」程度の理由で日向くんにぶん殴られて喧嘩になりかけ,遺恨試合になるという演出が特になかったのだ。 もちろん,これは作者が意識してやってた可能性もある。刃牙の最大トーナメントなんかでも,決勝の相手のジャック・ハンマーは刃牙とそれまでは何の接点もないキャラだった。そこを参考にしたのかもしれない。 最後に,せっかく戦乙女闘宴が終わったので,その総評でもしてみよう。 だいたい,この手のトーナメントというのは主人公が1回戦か2回戦で負けることはありえない。優勝か,全試合を体験させてるという意味で準優勝というのはほぼ確定である。あのドラゴンボールでも孫悟空は天下一武道会に3度出場し,優勝1回,準優勝2回という戦績だった。 たぶん,主人公の成長を描く方が話を作りやすいという観点からすれば,優勝よりも準優勝くらいが次の話を作りやすいんだろう。 なので僕は,海空は準優勝くらいかな,と思っていたのだ。 そういう意味で,正直言って僕は海空は優勝しなくても良かったのかな,とも思う。本業がグラドルなんだし,最強の称号まではなくてもいいんだし。 これからは日常回にもどるようだけれど,いったいどうなることやら。 トーナメントやってる間の業界を見てもNizuUが一瞬流行ったり,政治の世界を見ても首相が2回かわったりした。掲載誌の別冊ゴラクも電子版のみになってしまったし。その辺の世情も見たいものよ。 はぐれアイドル地獄変 13【電子書籍】
2021.10.08
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8月末から9月末にかけて,浅田次郎の『中原の虹』を読んだ。期待外れの所もあるし,感想としてはやや辛口だけれど,自分語りも含めて書いていこう。中原の虹(1)【電子書籍】[ 浅田次郎 ]僕が浅田次郎の名前をはじめて見たのはいつのころか,覚えていない。高校の図書館で『シェエラザード』を見て,アラビアンナイトを期待して裏表紙のあらすじを見たら全然関係なくて書架に戻したような気がする。また,ロースクールのころ,民法の教科書を読んでいたらコラムで『鉄道屋』に対して「いい話風にしているけれど,法的にそれでいいのだろうか?」と突っ込みをいれたのをなんとなく覚えている。あとは時期を覚えていないけれど,たぶん学生のころ,『天切り松』を読んで,「あんま面白くないなぁ」と1冊で読むのをやめた。で,今回の『中原の虹』だ。本当は『蒼穹の昴』を読みたかった。ところが,図書館で1巻が借りられてて,とりあえず「どうやら続編らしいけど,読んでも大丈夫だろう」とこちらを手に取ったのだ。さて,おおざっぱなあらすじだけれど,『中原の虹』は張作霖を主要人物として,20世紀初頭の崩壊寸前の清代を描くと,そんな感じだろう。あえて張作霖を「主人公」ではなくて「主要人物」としたけれど,どうにも張作霖は主人公っぽくはないからだ。張作霖の内面の描写がほとんどないこともあって,彼が何を考えているのかいまひとつよく分らない。一方で,西太后やら袁世凱なんかはこれでもか,と内面描写がされていて,「この事件のとき,袁世凱はどんな気持ちだったのか」とか,「どうして西太后はこんな決断をしたのか」という点についてくどいくらい説明がされている。しかも,張作霖についてはどういう生い立ちをしたのか,なぜ馬賊になったのか,趣味はなんのか,どういう恋をしたのか,という部分の描写や説明がほぼない。Wikipediaを見たところ,張作霖の少年時代はよく分ってないらしいけれど,それならば著者の方でうまいこと創作話をいれて欲しかったように思う。人物について色々思うところもあるけれど,とりあえず登場人物から西太后のことを書こうと思う。西太后は全4巻のうち2巻のラストで死んでしまうので,だいたい物語の半分くらいで退場するのだけれど,かなり重要な人物だったと思う。西太后について浅田次郎はかなり同情的なようである。西太后は箇条書きにすると,こう考えているのだ。①このままだと清,というか中原は西洋人の植民地にされてしまう。②誰か,天命を持った人物が立ち上がってこの国をまとめてもらう必要がある。③そんな天命を持った人物が立ち上がるため,あえて自身の悪名を広げよう。④そして,中原を支配するのは満州族である必要はない。なんとも論理がよく分らない。時節柄,間違いなく理解できるのは①のみである。②について,既存の清王朝があるのだから,普通に善政を敷けば良い。③については支離滅裂である。中国人のヘイトを自分に向けたところでそんなうまくことが運ぶとは思えない。特に清は征服王朝だし,内紛で国力が弱ったところに列強が漁夫の利を狙って攻めてくることだって十分ありえるのだ。④について,自分の民族より一地域の平穏を願うのはちと無理があろう。袁世凱についてもそうだが,どうも著者は権力者をかなり美化して描いているように思う。「狂人のマネとて大路を走らば,即ち狂人なり。悪人のマネとて人を殺さば,悪人なり」とはよく言った物で,権力を持った王が暴君のマネをするのならば,動機がどうであれそれは暴君だろう。西太后擁護論としてもちとおかしいように思う。なお,物語を陳腐にしているのが,「龍玉」というものである。天命の象徴であって,この龍玉を手に入れたものが天下を取るそうである。ただし,天命のない者が龍玉を手に入れると,五体がバラバラになって死ぬ。作中では,創成期,太祖ヌルハチやタンタイジ時代の清についてを,ヌルハチの次男・ダイシャンの視点を通じて,清の順治帝が龍玉を得るまでのいきさつを描いている。逆に言えば,ヌルハチ,ホンタイジらは天命がなかったせいか,それとも龍玉を手に入れられなかったのか,満州地方を統治していたけれど山海関を超えなかった,中原に侵入してはこなかったのだという。しかし,清王朝に代々伝えられてきた龍玉は乾隆帝以後,龍玉はどこかに失われてしまい,清は天命を失ってしまい,滅びに向かって進み始めたのだ,という。ここは,本当によく分らない。話を見ていると,順治帝以後は康煕帝,雍正帝,乾隆帝と龍玉は代々伝わってきているようだが,世襲でいいだろうか。また,明の崇禎帝のように,龍玉を持っていようと滅びるときは滅びるようなのだが,そりゃどうなのかと。『十二国記』を思わせるこの設定,いらなかったんじゃないの,と思わせるところがある。勝った者が天命を持っていた者で,負けた者が天命を持っていなかった,これでいいのだろうと思うよ。たぶん,張作霖については,東三省の王となる分にはよかったけれど,天命を持っていないのに中原に侵入したから爆殺され,五体がバラバラになって死んだ,ということなのかもしれない。そんなこんなで,僕の中で『中原の虹』は比較的評価は低めである。結末が,張作霖が爆殺されるところではなくて,1920年くらいに山海関を超えるところで終わってしまう。張作霖は1928年に死去しており,下り坂になるものの張作霖の人生はまだまだ続くと言う意味でも,そこまでやって欲しかったように思う。なお,この物語は『蒼穹の昴』の続編なので,先にそちらを読んだ方がいいだろう。前作から引き続き登場する人物がかなりいるのだけれど,そちらを知らないことには楽しめないかもしれない。中原の虹(4)【電子書籍】[ 浅田次郎 ]
2021.09.27
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現実世界では藤井聡太が19歳で三冠を達成し,まだ今シーズンで四冠の可能性も残しているという意味の分らん状態になっている。一方で創作の『りゅうおうのおしごと』である。今回も八一の対局はお休み。八一は将棋の本を出版したりするし,特に東京の棋士たちにフォーカスがあたる。りゅうおうのおしごと!15【電子書籍】[ 白鳥 士郎 ]本作,あんまり1つのテーマだけで1冊ができていないので出来事を適当に箇条書きすると,以下の通りになる。・八一,棋書の執筆をする。執筆態勢は美人編集者,供御飯万智とカンヅメでお色気描写もあり。・雛鶴あい,東京で修行を開始する。山刀伐八段と,鹿路庭珠代の世話になりつつ,心構えなどを学ぶ。・山刀伐八段,盤王のタイトルを掛けて名人に挑むもののフルセットで敗退する。・山刀伐八段,A級トーナメントを勝ち抜き,再度名人に挑むことになる。・銀子,八一の書いた『九頭竜ノート』を読み,復活の兆しを見せる。・神鍋歩夢,ノンストップでA級入り。だいたいこんな感じかな。表紙にもなっているけれど,メインのテーマとしては,八一の棋書『九頭竜ノート』(元ネタはたぶん『島ノート』かな?)の執筆なのだけど,裏のテーマは山刀伐八段の戦いっぷりなのだろう。山刀伐八段は,この物語の初期から登場している中堅棋士である。Wikipedia見たら年齢が3巻時点で38歳だし,八段というのだから,もう伸びしろはない・・・,とは言わないが成長がさほど見込めなくなっている。そんな彼が,これまで一度も手に入れたことのないタイトルを掛けて名人に挑むのだ。ふと考えてみれば,本作では登場人物の多くがなにが,当たり前のようにタイトルを持っている。八一は現在,竜王と帝位の二冠である。特に女流では銀子は女流二冠であたっし,その他,女流ではメインキャラのほとんどがタイトルを持った経験がある。ただ,タイトルを持つというのは,一度でもいいから日本一になった経験があるということを意味している。スタートの機会は平等に与えられているとしても,結果は無情で現実世界の羽生のように1人で100近くを独占する者がいる一方で,たいていの棋士は1つのタイトルを持つこともなく消えていくわけだ。作中,「一度でもタイトルを獲ったら人生が変わる」だの言われているが,そういうものなのだろう。想像するに,オリンピックの金メダルみたいなもんだろか。引退時点で,A級に10年いたのなら「A級在位10年」という,わかる人にしか分らん表現になるのもそれはそれですごいけれど,一度でもタイトルを取れば元王位とか,そんな感じになるのだし。前々から指摘しているが,恐らく本作の著者は,才能溢れる八一を描くよりも,それ以外の才能がない,負けの多い棋士がそれでも諦めずにあがく姿を描く方が好きなのだろう。山刀伐がタイトル挑戦のため,雛鶴あいの世話を何くれとしてくれたのも,この小学生から何かの刺激を受け,強くなるためであるし,タイトル戦にフルセットで敗れてアパートで慟哭する姿は鬼気迫るものがある。もちろん,著者があがく者の描写に力を入れている,と感じるのは,読み手の僕に問題がある可能性はあるけれど,八一がお色気やっとるよりも心には残るのだ。さて,それで次の話なのだけど,そろそろ終わるのかと思いきや,別にそんなことはなく話は延々と続いていくようだ。次の巻でやるとしたら,名人戦への挑戦権を得た山刀伐八段の挑戦を描くのか,半世紀ぶりにノンストップでA級入りをした神鍋歩夢を主軸にするのか。たぶん,神鍋歩夢のモデルは佐藤天彦だと考えられているのだけど,そうだとすれば名人を破って名人になるのは彼なんだろう。続いていれば,八一竜王対神鍋名人となるのだろう。それがいつになるかは分らんけど。りゅうおうのおしごと!15【電子書籍】[ 白鳥 士郎 ]
2021.09.17
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僕はかれこれ20年近くはアーサー王伝説のファンをやっている。推しメンは時期によって違うものの,ここ10年くらいはガウェイン卿である。そんなガウェインを主役にした海外小説『五月の鷹』がクラウドファンディングで復活させるという話がTwitterでまわってきたのが2020年10月。即座に出資してみたところ,手元に来たのが2021年9月。約1年越しで感慨深い。五月の鷹 [ アン・ローレンス ](どうせまた絶版だろうか,即座にポチって欲しい)内容の前にちょっとだけガウェインについて語りたい。マロリーの『アーサー王の死』なんかを読んでいると,これはアーサー王や円卓の騎士の物語を集めてまとめたものになるところ,冒険をすすめる主人公格の騎士がところどころ入れ替わる。そんななか,ガウェインが主役級の活躍をする物語はほぼないと言っていい。冒険をすれば,たいてい失敗するのだ。ガウェインを主役とした有名な物語,つまり「ガウェイン卿と緑の騎士」だの「ガウェイン卿の結婚」だのは『アーサー王の死』には収録されていないのだ。そんなわけで,僕はてっきり『五月の鷹』を,ガウェインを主役とした,雄々しい冒険の物語だと10年以上は勝手に想像をしていた。さて,肝心の『五月の鷹』の内容であるけれど,これは「ガウェイン卿の結婚」を原典としたリライトになる。濡れ衣を着せられたガウェインが,自分の潔白を証明する神明裁判の課題として,「全ての女性が望んでいるものは何か?」という謎を1年かけて探す,というのである。もとの「ガウェイン卿の結婚」だと冤罪云々という話はないので,この点がアレンジと言えるだろか。また,「ガウェイン卿の結婚」をそのままやるのではなくて,ちょっと魔女っぽいガウェインの妹やら,マロリー版ではさして目立っていなかった女性キャラに焦点が当てられているように思う。見どころとしては,「全ての女性が望むもの」の答えを求めてガウェインが放浪していた1年間,ガウェインは何人もの女性と交流していくところなのかな。ガウェインは名前を隠していても,とにかくモテる。行く先々でそんな雰囲気になるのだが,別にそれは騎士として優れた腕前を持っているというのではなく,礼儀正しさやマナーのよさであったりするあたり,人柄が出てるように思う。結末としても,「ガウェイン卿の結婚」とだいたい同じ流れである。老婆に謎の答えを教えてもらったガウェインは見事に潔白を証明し,それから美女と結婚までするというハッピーエンドである。色々と気になることもあるのだが,まず思い浮かぶのは,「ランスロットはどこにいたのだ?」という話である。アーサー王の円卓において,第1の騎士はランスロットである。そんな彼が全く登場しない。トリスタンも,ラモラックも出てこない。活躍が許されていたのは,ガウェインの弟たち,つまりガヘリス,アグラヴエイン,ギャレスの3人と,従兄弟という設定になっているユーウェイン,パーシヴァルと,その他血縁以外ではケイ,ベティヴィアくらいであろうか。このあたりは,あくまで槍試合だの戦争をテーマに据えていないのだから,あえて円卓の騎士たちを出す必要はなかった,ということなのかもしれない。また,物語冒頭でガウェインは「雪原で血を吐いて死んでいるカラス」を見て,「雪のように白い肌,血のように赤いくちびる,カラスの羽のような黒髪の美女」を想像し,結末でまさにそんな容姿の美女と結婚するのだけれど,はたして「雪原で死んでいるカラス」から美女を想像するというのは,日本人には馴染みのない感覚だ。同様に,「雪原で死んでいるカラス」から美女を連想するというのは童話『白雪姫』でも見られるし,円卓の騎士で見ればパーシヴァルなんかも同じことをしている。それでも,やっぱり妙な感じはするなぁ。あと,どうしてもガウェインの結婚相手については,どうしても唐突感があるのよね。ポッと出てきた美女が登場するのはどうだろう,と思う。総評として,『五月の鷹』はあんまり男の子向けじゃないかもしれない。ガウェインが槍試合だの戦争で腕前を発揮すると言うことはない。バトルシーンがないので,そこは微妙だろう。よく語られている,「午前中は力が3倍になる」という特異体質が語られるわけでもない。ただ,女性向けならずいぶん違うかもしれない。つらつら考えてみるに,ガウェインの冒険で著名な2つ,つまり「緑の騎士」も「ガウェイン卿の結婚」も,どちらもガウェインは主人公としてその武勇で敵を打ち負かしているわけではない。「緑の騎士」では首斬りゲームに参加するという勇気や,相手との約束を守る誠実さ,それでいて命を惜しむ人間的な弱さを見せたりもする。また,「ガウェイン卿の結婚」ではアーサー王のため老婆と結婚するという自己犠牲と忠誠心,そして女性への献身を見せてくれる。どうやら,ガウェインという人物は,その武勇よりもその精神性にこそ卓越性があるようだ。ふと,僕は『五月の鷹』を読んでいて,そう感じた。逆に言えば,平然と主の妻と素知らぬ顔で不貞したり,不貞現場を押さえられたからと逆ギレして円卓を崩壊さているような奴は,どれだけ実力があってもクズなんですよ。どこの誰とは言わんが・・・。五月の鷹 [ アン・ローレンス ]
2021.09.09
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司馬遼太郎ほどの国民作家になると,盗作被害にも遭ったりする。20年ほど前,2002年に『覇王の家』の一部を丸写ししたとして,『遁げろ家康』という小説が絶版・回収の憂き目に遭うという事件が起きた。当時の僕は高校生。このとき,いつか『覇王の家』を読もう,と思ったが,あれから約20年が経過したわけだな。覇王の家(上)(新潮文庫)【電子書籍】[ 司馬遼太郎 ]自分語りはここまでにして,『覇王の家』の話をしよう。司馬遼太郎作品は,実写化したものも多く,Wikipediaなんかを見ると詳細に登場人物やあらすじを解説していたりもするのだが,本作はほとんど何も語られていない。さほど評価が高くないのかもしれない。最近,司馬遼太郎を読んでいて思うのだが,登場人物を生き生きと描く小説がある一方,史実を淡々と描く史伝というものがあるとすれば,司馬遼太郎は異なる2つの作風を持っているように思う。例えば,『燃えよ剣』や『竜馬がゆく』なら小説で,この『覇王の家』なら史伝だろうか。読んでいて,さほど心が躍るシーンはない。淡々と流れていく感じである。本書のamazonのレビューを見ていても,「ガバナンス論や人心掌握論としても読める名著」と,自己啓発書ならともかく,とても小説に対する評価と思えないものがトップに出てくる。やはり,本書は楽しみのために読む小説と言うより史伝であって,著者の歴史観を知るためのものなんだろうな,と思う。いまひとつ,僕が夢中になれなかった理由としては,司馬遼太郎が読者の感情を揺さぶると言うよりも,淡々と描いていくいくというところもあるが,主人公の家康という人物をあまり格好良く描いていないからだとも言える。一言でいえば,司馬遼太郎が描く家康は,ひどくケチで,派手な立ち振る舞いを好まず,地味でとにかく保身に長けているといった感じである。せっかく今川義元が討ち取られ,人質の身から解放されたかと思いきや,この機に攻め入る前に「今川家のために・・・」と行動をするわけで律儀というより,保身に汲々としているようだし,信長に指示されたからと言って長男を切腹させるというのは保身の最たるものだ。タイトルが『覇王の家』となっているところ,本書を読んでいる限り,家康にあまり英雄の気概というものを感じない。例外的なのは武田信玄と戦った三方原の戦いくらいのものだ。この辺は書き方の問題で,たとえば「韓信の股くぐり」のように,大望がある人物があえて屈辱的な状況を受け入れるような描き方もできたと思うのだが,司馬遼太郎はそうしない。なんかこう,保身に汲々としているうちに天下を取ったように感じさせられる。終わり方はいつもの司馬遼太郎ように,唐突である。小牧長久手の戦いが終わった後,突然に大坂夏の陣終了まで時間がぶっ飛ぶ。家康は74歳。そして死亡して終わりである。年数で言うのならば,小牧長久手の戦いが1584年で大坂夏の陣終了が1616年なのでざっと30年くらいをぶっ飛ばすわけだ。ここの30年についても,「韓信の股くぐり」のように,情熱を燃やしながら秀吉が取った天下を虎視眈々と狙い続けるようにだとかいくらでも書けたと思うのだ。そこらは司馬遼太郎の興味の外だったのかもしれない。覇王の家(下)(新潮文庫)【電子書籍】[ 司馬遼太郎 ]
2021.08.17
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かの川本真琴が,「神様は何も禁止なんてしてない」と歌っているものの,現実的の神様は「盗んではいけない」とか「豚肉食べちゃダメ」とか禁止しまくりである。でも,たぶん神様は自由恋愛まで禁止してないんじゃないかと思うけれど,判例タイムズ8月号を読んでいたら,キャバクラにおける恋愛禁止の事案が出てきたので見ていきたい。キャバクラ嬢行政書士の事件簿1【電子書籍】[ 杉原志乃 ]問題となっている事案(大阪地裁R2.10.19判タ1485号185頁)の概略はこうである。原告会社はキャバクラやガールズバーを経営する会社である。この会社では,キャバ嬢に対し,「従業員同士での私的交際を禁止する。これに違反したら違約金200万円を支払う」という内容の同意書を取り付けていた。しかし,被告キャバ嬢は,キャバの副店長と交際してしまったというのだ。そこで,原告会社は被告キャバ嬢に対し,違約金100万円(200万円の一部請求)などを請求したという事案である。僕は,目次を見た瞬間,「こりゃキャバクラ側の敗訴だろ・・・」と思った。パッと見ても,キャバクラ側に弁護士がついておら本人訴訟だもの。こんなものはどう考えても公序良俗違反だろう。もちろん,法的には契約自由の原則というものがあるにせよ,公序良俗違反なものは無効になるはずだ。実際に,裁判所も「人が交際するかどうか,誰と交際するかはその人の自由に決せられるべき事柄であって,その人の意思が最大限尊重されなければならない」としたうえで,「被用者の自由ないし意思に対する介入が著しいといえるから,公序良俗に反し無効というべきである」と判示し,キャバクラ側を敗訴させている。個人的には,交際禁止条項は民法総則の教科書に載せてやりたいくらい典型的な公序良俗違反の案件だと思っていたが,解説を読んでいるとそうでもない,ということに気がついた。解説で触れているのは,芸能プロダクションが女性アイドルに対して交際禁止の契約をし,これに違反した場合に賠償金を請求した,という事案である。アイドルの場合,判例タイムズの解説では2つの事案を掲載している。これを見ると,確かに東京地裁平成28年1月18日判決(判タ1438号231頁)は,芸能プロダクション側の請求を退けているものの,東京地裁平成27年9月18日(判時2310号126頁)では交際禁止の契約が有効とされ,賠償請求が認められている。中身を見ていると,アイドルの特殊性というのがあるのだろう。交際禁止の条項を認めた平成27年判決の方を見ていても,ようするに彼氏がいれば人気がガタ落ちし,商売が成立しなくなるというのだ。しかも,アイドル側がまだ未成年の時点の契約だったりとけっこうエグい。ただし,過失相殺で芸能プロダクション側に4割,アイドル側に6割の過失を認定した上,損害額をかなり小さく認定した上で賠償額を40万円くらいにしているのは裁判所の温情であろうか。このアイドルの交際禁止の条項と,今回のキャバクラの事案は,人気商売であることから似ているといえる。なので,アイドルの平成28年判決と同じやり方でやればともかく,平成27年判決でやらばキャバ嬢側が敗訴していた可能性もある。もっとも,最高裁の判断までが出ていないので,この手の交際禁止の契約の有効性が,公序良俗違反の典型例として民法総則の教科書に掲載される日はまだまだ先のことになりそうだ。さて,話が変わって,ふと思いついたのが不倫の話である。昨今だとオリンピックでメダルを取ったこともある水泳選手が不倫をしたと言うことで,スポンサーから契約を解除されたり,色々と社会的に叩かれていた。冷静に考えると,これも大丈夫なんかなぁ,というところがないでもない。スポンサー側は,アスリートの人気を利用して商売をしようとしたのだろうが,今回のキャバ嬢の案件で東京地裁も,「人が交際するかどうか,誰と交際するかはその人の自由に決せられるべき事柄であって,その人の意思が最大限尊重されなければならない」と言っていたところである。自由意志で交際し,たまたまそれが不倫だったからと言って,契約解除はないのではなかろうか。配偶者間では不法行為としても,直接的にスポンサーを害するわけでもなく,スポンサー側が契約をする前に,万全の身辺調査をしたうえでやるべきではないか,とも思える。もちろん,単純な男女間の交際は適法であるけれど,不倫は配偶者に対しては不法行為である。社会的なイメージは最悪である。この違いは大きくて,スポンサー契約というのは自身を広告塔にするという契約であるから,自身イメージを悪化させないという法的義務があるのだ,と解釈できなくもない。話を戻すがキャバクラというのは労働法を無視しまくったやり方で働かせている店舗は多いようでかなり闇が深い。いや,キャバクラにとどまらず,風俗店全体がそうなのかもしれないけれど。わりと,キャバクラや風俗には養育費をもらえていないママが働いていることも多く,もう少し国やら行政が優しくしてあげてもいいのではないかと思うのだ。キャバクラ嬢行政書士の事件簿2【電子書籍】[ 杉原志乃 ]
2021.08.01
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最近だとテレビゲームはeスポーツというようになり,テレビゲームも市民権を得ているように思う。ちょっと前だとゲーム脳がどうだとか,ひどく言われていたことからすれば隔世の感だ。そんなわけで,今回は『東大卒プロゲーマー』を読んでみた。東大卒プロゲーマー 論理は結局、情熱にかなわない【電子書籍】[ ときど ]ところで,最近の僕が愛読している漫画に『ゲーミングお嬢様』という格闘ゲームを題材にした漫画がある。そのなかには東台印飛紀子(とうだいいん・ときこ)というキャラが登場するのだ。このキャラが出たとき,Twitterで「ときどが女体化してる!」みたいなつぶやきを目にすることがあった。ゲーミングお嬢様 2【電子書籍】[ 大@nani ]僕は知らなかったのだが,「ときど」という芸名,というかゲームネームで活躍しているプロゲーマーがいるという。しかも,そのプロゲーマーは東大卒だという。ネットには断片的な情報があるものの,ウィキペディアなんかは分量が少なく,格闘ゲーム専門家のサイトなんかは専門用語が多くて意味が分らない。なので,本人が書いた新書を読んでみたのだ。さて,内容なのだが著者,ときどの半生を描いたものになる。おおざっぱに,小学生くらいのゲームを始めたころから,中学高校,大学と進学していき,プロゲーマーになって活躍を始めたころまで。本書が出たのは2014年だから,まだeスポーツという言葉もなく,YouTuberなんかもいなかったころのなので,これまた時代の流れを感じさせる。色々と感じさせられるのは,著者のもの考え方というか,ゲーム哲学である。著者はゲームをする際,基礎を固めてしまってからは延々とキャラ対策をしつづけるのである。どのキャラクターはどういう動きをして,どう立ち回るか,というやり方になる。そして,著者はゲームをやる場合,最強のキャラを好んで使う。ストリートファイターなら豪鬼だ。勝つためには,これが最も効率が良い。さらに,対戦相手のクセや行動パターンを徹底的に分析する。ここまでやって勝負をするというのだ。これを著者は勉強にも応用していたようで,著者が言うには東大試験についてはあくまで東大に合格するためだけの勉強をしたそうだ。つまり,東大の過去問をやり,模擬試験があり,合格判定がAだのBだの出るのを見ながら勉強したというのだ。なので,著者が言うには,東大に合格はしたが,他の私大には合格できなかったろうというのだ。なんと合理的なことか。漫画『ドラゴン桜』でもやっていたことそのままである。まさに試験対策のプロフェッショナルといえよう。ドラゴン桜 超合本版(1)【電子書籍】[ 三田紀房 ]特に心に残ったのが,著者がゲームでも研究でもやっていた「効率の良いしらみつぶし」論である。格闘ゲームならある技への対策ができるようになれば,その技と似た技にも似たようなやり方で対策ができるのではないかと仮説を立てて,解決策を見つけていくというのだ。バイオマテリアルの研究ならば先行研究から予測を立てて,結果を左右する要因である温度,濃度,微粒子サイズの1つを変えて延々と実験を繰り返すというのだ。地味であるし,びっくりするくらいつまらない話である。もっと簡単に強くなれたりはしないかと思うものだが,ローマは1日にしてならず,継続は力なりというのを感じるわ。僕は将棋棋士の本も何冊か読んでいるけれど,どうも著者のやり方と似ているような気がするのだ。もちろん,将棋も格闘ゲームもどちらもゲームであるのだから,定跡を研究し,延々と試行錯誤をするというのが似通って当然なのかもしれないけれど。素直に尊敬してしまう。プロゲーマーの未来はどうなっているのか注目してきたいものだ。東大卒プロゲーマー 論理は結局、情熱にかなわない【電子書籍】[ ときど ]
2021.07.20
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ヘロドトスの中巻を読んだ。この辺から,メインのペルシア戦争の話が展開し,その関連で少しずつギリシアの話がなされていくのだな。歴史(中)改版 (岩波文庫) [ ヘロドトス ]この岩波版だと,4~6巻が収録されているのだが,内容的にはおおよそこうだ。4巻 スキタイの話5巻 イオニア反乱6巻 マラトンの戦いあまり重要ではないのだろうけれど,『ヒストリエ』的に気になるのが4巻のスキタイの話である。うさんくさい話も,真実かもしれない話もごちゃぐちゃに語られている。ちょっと気になったのが,女戦士アマゾン族の話である。スキタイ系のサウロマタイ人たち,僕はてっきり蛮族だろうと思っていたのだが,たまたま流れ着いたアマゾンたちを妻にするため,言葉も通じないのに徐々に距離感を詰めていくのだ。ついに「お前たちを妻にしたら,もう他の女とは結婚しない」という,一夫一婦制のプロポーズをしたところ,アマゾンたちが「親と同居はイヤ」というので親から生前に遺産分けをしてもらい,自分たちの国を捨ててアマゾンたちと生活を始めるというのだ。きっと,これは史実じゃないだろう。女戦士アマゾン族なんて神話の中の話だろう。恐らくは,サウロマタイ人の女たちが男同様に馬に乗って,狩猟をしたり戦場に行くということの説明付けにアマゾン族を持ち出したんだろうけれど。このエピソードはヘロドトス的にはさほど重要な話じゃないのだろう。本筋はあくまでペルシア戦争だから。ただ,この点はエウメネウスを主役にした漫画『ヒストリエ』的にはひっかかるとこもあるのだ。エウメネウスはもともとスキタイ人の両親から生まれ,幼いころに親と引き離されてカルディアに来たという設定だった。なのでエウメネウスも序盤はスキタイと何かと縁があり,アレクサンダー大王の東方遠征の際に自身のルーツも辿ることになるのか,と思ったが・・・。連載がそこまでいくのだろうか,疑問である。ヒストリエ(1)【電子書籍】[ 岩明均 ]話は変わるのだが,ちょっと気になったのがヘロドトスにおける古代中国との関連性である。まず,1つめは臥薪嘗胆である。ペルシア王ダレイオス1世はサルディスがアテナイ・イオニア連合に占領された際に報復を誓い,食事のたびに給仕に「王よ,アテナイ人を忘れるな!」と言わせたそうな。これはまさに呉越の王たちが報復を誓うため,あえて苦痛と屈辱に耐えて雪辱をはたした臥薪嘗胆の故事とそっくりである。なお,呉越の王たちと違って,別にダレイオス1世は雪辱を果たすということもなかったというのは差異を感じる。2つめに背水の陣である。ペルシア戦争でカリア王マウソロスが「川を背にしてペルシア軍と戦えば,退却できない兵たちは持って生まれた以上の勇気を発揮するに違いない」と進言するも,これが退けられて大敗してしまうのだ。背水の陣という危険性の高い作戦が忌避されたのは分らんでもないが,この作戦が受け入れられて大勝した韓信との対比を感じさせる。一応,ヘロドトスもこの背水の陣については肯定的で,「この作戦が最も良かったのではなかろうか」と評していた。小説十八史略(一)【電子書籍】[ 陳舜臣 ]この2つの類似性については,別にどっちがどっちのパクりというわけでもないだろう。洋の東西を問わず,大望を果たすためあえて屈辱を受けるとか,勝利のためにあえて危険性の高い作戦を採用するというのはありそうなことだ。しかし,いずれも中国では成功したのにペルシア戦争ではうまくいかなかったというのは考えさせられる。安易に英雄のマネをしてもうまくはいかんだろうなぁ・・・。歴史(中)改版 (岩波文庫) [ ヘロドトス ]
2021.07.06
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僕は漫画に影響されやすいのだが,数年前・・・いやもう15年くらい前か,ふと急にヘロドトスを読みたいと思うことがあった。歴史 上(ヘロドトス) (岩波文庫 青405-1) [ ヘロドトス ]漫画,『ヒストリエ』には,主人公エウメネウスが「何か奴にたつところを見せてみろ」と言われ,「ヘロドトスを教えましょう!」と村人にいうシーンがある。ここでヘロドトスというのは,要するにヘロドトスの著作,『歴史』のことである。以下,僕もエウメネウスにならって,著者も著作もまとめてヘロドトスということにしよう。(『ヒストリエ』3巻,ヘロドトスの講義はかなり好評であった)なんとなく先入観だが,作中では手ぶらのエウメネウスが気軽に「ヘロドトスを教えましょう」と言っていること,紙の発明もない時代だから,東洋で言えば『論語』みたく暗記できる程度の分量を思い描いていた。また,ヘロドトスというのはギリシア人であるわけで,『歴史』というそのものずばりなタイトルなのだから,本書はギリシア人の歴史を書いた書物なんだろうと思っていた。また,これが全然違ったのだ・・・。まず,分量がえげつない。岩波文庫で全3巻ある。後ろ4分の1くらいが注釈だから,ぎっしり3冊ではないがそれでも多い。人間というのは歌ならば長くても覚えられるもので『イリアス』くらいなら暗唱できる人がいても不思議ではないが,ヘロドトスを暗唱できる程まで読み込むというのはかなり大変だろうなぁ。次に内容なのだが,あまりギリシアのことが描かれているわけではない。上巻には1~3巻がまとめられているのだが,おおよそこうだ。1巻 リュディア王国(現トルコ)の興亡。2巻 エジプトの地理と歴史3巻 ペルシア王カンビュセス2世とダレイオス1世の登極合間にちよいちょいスパルタの歴史なんかも語られるものの,基本的にギリシア以外の国の話ばかりである。そういれば,僕たちは普通にペルシア人のことを「ダレイオス」など発音するのが慣例になっているけれど,これはギリシア語であって,ペルシア風にいえば「ダーヤラワウ」なんだよね。たぶん,ペルシア人なんかは碑文なんかで歴史を石に刻んだりはしていたようだけれど,携帯に便利で,石に比べれば分量の制限もあまりない書物という形で自分で歴史を残さなかったのがよくなかったのかもしれない。そんなヘロドトスの大きな欠点としては,神話と歴史の区別がされていなかったり,年号が書かれていないためにある出来事がいつ起きたのかということが全く分らないと言うことである。昔から気になっていたが,ギリシア人は「ダレイオス1世の何年」というように年を計算しなかったようだ。塩野七生を読んでいると,古代ローマだと「誰々が執政官の年」みたくやっていたそうだが,後世の歴史家は出来事が起きた順を並べるのに苦労しただろう。それから,神話と歴史の区別がロクにされていないのも問題だ。リュディア王国の祖先はヘラクレスだという話になっているが,わりと当たり前のように,ヘラクレスが至る所に登場する。また,ギリシアから離れた土地には一つ目の民族が住んでいるとか,食人種がいるとか,翼のある蛇がいるとか・・・。著者が聞いた話をファクトチェックも不十分なままに掲載しているからこういうことになるのだろう。こう思うと,司馬遷の『史記』というやつ,きっちり神話を排除したという点はすごいことだったのだなと感心する。個人的にはもっとも興味深かったのが,ペルシア人の歴史物語である。なんといっても,ヘロドトスはカンビュセス2世をボロクソに誹謗中傷しており,精神障害のある暴君としている。たぶん,カンビュセス2世に侵略されたエジプトあたりの記録から取ってるから,ここまで酷くなっているのかもしれない。藤子不二雄の名作,「カンビュセスくじ」という,カニバリズムを扱ったSF漫画のものになった逸話もあるのだが,肝心の食人ネタの出典がヘロドトスだというと,とたんに嘘くさくなってきたなぁ・・・。藤子・F・不二雄大全集 SF・異色短編(4) (てんとう虫コミックス(少年)) [ 藤子・F・ 不二雄 ]はっきり言って,歴史的な正確性を考えると,そうとうヘロドトスは微妙だと思う。正確な歴史を読みたければ,講談社学術文庫でも読んでいる方がいいだろう。最後に,歴史から少し離れて神話の話を。以前,僕は『アレクサンドロス大王東征記』を読んだとき,やっぱりエジプトだとかインドだとか,いたるところにヘラクレスが伝説を残している話に違和感を覚えたものの,どうやらこの時代のギリシア的解釈というので,現地の神々をギリシアの神々で置き換えるのが普通に行われていたようだ。たとえば,ヘロドトスは外国に天空を司る神がいれば,それは「ゼウス」と記述してしまう。現代人は家の中でもテレビでもネットから情報が得られるが,当時のギリシア人は「ゼウス」は理解できても,「天空神」という概念は理解できなかったかもしれない。日本でも,仏教と神道が混ざり合った世界観を作り出しているけれど,ヘロドトスを読んでいると世界各地の神話が混ざり合っていく過程が分って興味深い。歴史 上(ヘロドトス) (岩波文庫 青405-1) [ ヘロドトス ]しnんw
2021.06.22
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スキージャンプというマイナー競技を扱った『ノノノノ』という漫画が好きである。僕が岡本倫先生の漫画をリアルタイムで読んだのはこれが最初である。当時,スキージャンプのオリンピックに女子の部がなかったので,主人公のノノが性別を男と偽ってオリンピックを目指すというスポーツ漫画である。シュールな独特のボケ,可愛いらしい絵柄からの残酷な描写と,なんか好きである。ノノノノ 1【電子書籍】[ 岡本倫 ]僕は5ちゃんでたまにやってる「強さ議論」が好きなのであるが,『ノノノノ』の各キャラの強さはどの程度のものか,成績を振り返った後,最後にランキングを作ってみたい。なお,強さの基準にすべきは公式戦なのだろうが,本作ではちょいちょい非公式試合もしている。まったく無視するわけにもいかないので,非公式試合(以下「野試合」)を含む以下9つの試合をもとに考察したい。なお,公式戦はやたらと不正行為が多く,実力を発揮できない選手が多かった。後で検討するが,なんと不正行為被害率100%という悲しい選手もいた。そのため試合結果以外の要素も入れて強さを論じることが難しいのだ。1.野試合vs加東(1巻1話)対戦相手は加東雅史。高校3年時にインターハイ優勝,全日本選手権3位という強豪で,ノノが彼に因縁をふっかけて試合に持ち込んだ。彼と戦いつつ,ノノが推定101.5メートルを飛んだところで,「勝てるわけがない」と加東が棄権して終了である。思えば,相手はインターハイ優勝経験者なので,物語冒頭の時点でノノはインターハイ優勝できる実力を持っていたことになる。僕的には,このときの描写が強く頭に残っており,ノノのことをずっと強豪だと思っていたが,のちのちの展開を見ていくとノノはかなりの苦戦を強いられている。こうして考えると,ノノのいた世代は強い奴らばかりだったのだろうなぁ・・・。2.野試合vs天津(1巻~2巻10話)対戦相手は同じ高校1年の天津暁。彼は祖父,父の代からジャンプをやってるジャンプ一家である。飛型点,つまり空中や着地時の姿勢を無視し,遠くに飛んだ方が勝ちという独自のルールだが,このとおり,天津が勝った。2本目,天津は空中で1回転したり転倒したりと,遠くに飛ぶために飛型点を犠牲にしているという言い訳はあるものの負けは負けである。特に2本目開始時,ノノには有利な風が吹いていたのにもかかわらず飛ぶ前に気持ちで負けており,このあたりから精神的に弱いところが出てきている。僕的にはまだノノが負けたことについて一応の言い訳があったので,多少揺らいだものの,ノノ強豪説は維持されていた。3.長野県高校対抗団体戦(3巻25話~35話)札幌で行われる大会の選抜戦である。個人優勝はノノ,2位が天津である。あくまで目的は団体でノノの所属する奥信高校が優勝することであるが,主人公の面目躍如といったところ。ただ,尻屋の板に細工がされるという不正行為があり,それがなければノノは優勝できていなかった可能性もある。4.野試合vsハンス=シュナイダー(4巻40話~5巻45話)特殊ルールとして2本飛ぶことなく1本だけの勝負である。対戦相手のハンスはオーストリアのチャンピオンであるが,このとおりノノの敗北である。しかも,ハンスはゲートを下げているハンデがあり,ノノの完全敗北である。たぶん,ここで登場したハンスは将来的にオリンピック編で強敵として立ちはだかることになったんだろう。そこまで連載が続かなかったのは残念である。なお,これがノノノノにおける最後の野試合になる。野試合だけならノノは1勝2敗。負け越しているわなぁ。5.北海道大会(6巻53話)全日本代表選考も兼ねており,実業団も参加する。ノノは転倒で記録無し。優勝が岸谷,準優勝真岡,3位笹岡,4位天津である。かなり長い回想に入る前のところ。読者としても,このへんでノノの強さには疑問が生まれつつある。6.インターハイ長野県予選(7巻69話~8巻80話)優勝が天津,2位がノノ,3位が尻屋になる(尻屋は転倒があるので単純な距離では尻屋がノノより上)。この時点で天津はインターハイ出場を確定させており,ノノは尻屋に絶対に勝たなければならないということになっていたので,ライバルは尻屋という状況であった。尻屋について深く掘り下げられ,正直僕は天津よりも尻屋の方が好きである。また,不正行為とまではいえないものの,ノノをへのアシストとして天津が尻屋に「ささやき戦術」を使ってメンタル攻撃をし,転倒追い込んでいる。またしても,尻屋は実力を十全に発揮できなかったわけだ・・・。7.全国スキー総合体育大会(8巻86話)インターハイの前ならしとして参加した大会である。ただ,高校生に限定した大会ではなく,大人も普通に出場する。高校の強豪選手はいなかったものの,1番最初の野試合で戦った加東もいるし,全日本代表選手の山田という男まで登場している。この大会でダイジェスト展開が取られ,1本目の後唐突に表彰台の場面になったが,優勝はノノ,2位が天津,3位が加東になる。「ならし」と言う話であったが,それでも僕の中で驚くべきことだ。だって,雑魚みたいな扱いではあるが,加東はインターハイ優勝の経験者,全日本3位である。これより格上の扱いっぽかった山田選手もまとめて1話で蹴散らしたことになる。なお,さらに意外なのは尻屋の扱いである。彼は大会にエントリーできておらず,テストジャンパーという扱いではあり,ノノたちの2本目の成績は分らないものの,モブの「テストジャンパーが優勝か?」という台詞から,ノノたちより飛んでいることがわかる。結局,ノノ,天津,尻屋はこの時点で全日本レベルの実力はゆうにもっている,そういうことになるだろう。(8巻電子版,201頁。テストジャンパーにも負ける日本代表って・・・というが入賞者全員が問題だよ・・・)8.コンチネンタルカップ(101~102話)ノルウェーで行われた試合である。一切不明ながら天津が優勝した。ちょっと前の全国スキー総合体育大会でノノに負けているのに優勝というのは僕的に意外だった。せいぜい入賞程度で世界の壁を感じるのだろうと思っていたのに。9.インターハイ(102話~141話)最後の試合である。レギュレーション違反の選手を除外したのが上の表になる。本来的には飛型点だとかのポイントもあるのだけれど,単純に飛んだ距離と合計を書き記すとこのとおり。距離のみで見て,優勝は赫,2位が尻屋,3位が禰宜田というところか。ノノは2本目,誰よりも飛んでいるが,1本目と合わせると5位くらいでしかない。なお,この大会は審判の買収という大規模な不正が行われており,ノノや尻屋は1本目,ずいぶん不利な状況で飛ばなければならなかった。もし,万全の状態ならノノは1本目は105メートル程度は飛んでいただろうと言われている。そうしたところで合計は228メートル。優勝は難しいのではなかろうか。一方で尻屋は不正被害なし,万全な状態なら赫を超える成績を出せた可能性もある。10.まとめここまでの試合データを見てきて,ノノはさほど公式戦で良い結果を出せていないことに気がつく。7巻時点で作中,「県大会で1回勝ったことがあるだけ」と言われていたが,まあそのとおりである。1つのパターンとして,ノノは1本目でミスして2本目で挽回する,というパターンを何回かやっている。ムラッ気があるのだ。これに対し,天津や赫といった強豪選手を見る限り,ほとんどそんなムラはなく,安定した成績を取っている。漫画の世界では主人公補正というのがあるが,ノノはその逆で,不正の標的にされて力が発揮できないとか,メンタルが弱っていて1本目に失敗するというパターンが多い。ただ,どういうわけか2本目の失敗というのがないので,背水の陣状態だと強いのかもしれないけれど。一方で,特筆すべきは尻屋の不正行為被害率である。今回,読み返していて気がついたが,驚きの100%である。これに加え,序盤での尻屋は親友との思い出のスキー板の使用にこだわり,体格に合わない板を使っていた。なんの制約もなければもっとすごい成績を出せた可能性もある。ノノノノ 7【電子書籍】[ 岡本倫 ](尻屋が表紙の7巻が個人的にお気に入り)以上をもとに高校生たちの強さランクを考えたときに,安定性も加味して考えるのならば,こんなところだろう。同じランクでも左の方が実力がある。もちろん,一切の不正行為はないものとする。S 赫A 天津,尻屋,ノノB 禰宜田,真岡,笹岡,伊東C 岸谷インターハイでの成績や実績をみれば赫が最強でよいだろう。次のグループがコンチネンタルカップの優勝で天津。尻屋は不正行為被害がなければ,天津を超える可能性があるだろう。ノノは精神的な不調が恐いので3番手か4番手くらいといったところだろう。昨年優勝の真岡,と準優勝笹岡について,最後のインターハイは不正でろくに実力が発揮できなかったので評価は低くなってしまった。個人的には,尻屋というキャラがもっとも好きだったから,もう少し活躍を見たかったものだ。ノノノノ 13【電子書籍】[ 岡本倫 ]
2021.05.22
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このあいだ,『結婚アフロ田中』が全10巻で完結した。僕はこのアフロ田中シリーズとともに16年くらいの時間を過ごしてきた。つまり,僕と田中の付き合いも16年くらいということになる。結婚アフロ田中(10)【電子書籍】[ のりつけ雅春 ]16年近くもの付き合いとなると,僕の中で田中という男は古い友人みたいな感覚である。いや,現実の友だちなんて月1回会うかどうかということを考えたら,週1で漫画連載を追いかけている田中の方が現実の友だちよりも,いや別居する親たち以上に関わっている時間は長いとすら言える。僕は田中より数歳年上である。しかし,田中は僕より先に合コンを経験し,就職し,結婚している。そういうわけで,田中は僕の先輩とも言えるのだ。一時期,「Fateは文学,CLANNADは人生」と言われたものだが,田中はまさしく人はどう生きるべきかを描いた哲学書である。僕は田中の成功や失敗から学んだものだ。言うならば,アフロ田中シリーズを読む,というのは田中という人間と付き合うということだから,別にシリーズのどこから読んでもいいし。実際,僕の妻なんかは『結婚アフロ田中』から読み,たまに過去作にさかのぼっているが,まだ1作目に到達していない。たぶん,妻はアフロ田中の続刊を僕と追いかけることがあっても,さかのぼりはしないだろう。さて,自分語りをしながら,アフロ田中の話をしていきたい。もともと,アフロ田中はたぶん,シリーズ化する予定も何もなく,『高校アフロ田中』のタイトルで連載が始まった。高校アフロ田中(1)【電子書籍】[ のりつけ雅春 ]一昔というか,僕が小学生のころ『行け!稲中卓球部』という漫画があった。普通,部活動をしている学生を主役にした漫画ならば,全国大会なんかを目指してまじめにスポーツに取り組むものなんだけど,『行け!稲中卓球部』は,部員たちが下ネタやあるあるネタなど,どうでもいいお喋りをしたりする日常漫画だった。ある意味で,『高校アフロ田中』もそんな感じだろう。ボクシング部に入った田中だけれど,男の悲しき性欲ネタだの,あるあるネタなど延々と繰り広げていた。転機になったのが,シリーズ2作目,『中退アフロ田中』である。タイトルの通り,田中は何の目的もなく高校を中退し,ダラダラとバイトをしたり,友だちと遊んだり,合コンに行ったりする。もはや「高校生を主役にした学園漫画」という最低限の枠もなくなり,ただの男を描く漫画となってしまっている。中退アフロ田中(1)【電子書籍】[ のりつけ雅春 ]普通の漫画の主人公ならば,生まれたことに目的があるはずだ。たとえば,『ドラゴンボール』の孫悟空ならば孫悟空はドラゴンボールを集めるために生み出されたキャラクターだし,刃牙は最強になるために作り出されている。ところが,『中退アフロ田中』には主役の田中を描く以外に何の目的もない。作者ですら,中退アフロの時点で,田中が将来結婚するなんてことは決めていなかっただろう。だけど,人生って言うのはそんなものだと思う。もののたとえとして,「イチローはプロ野球選手になるために生まれてきたような男だ」ということがある。しかし,人間というものは実存が本質に先立つというやつだ。人間はまず意味もなく生まれてきて,生まれてきた意味というのは生まれてから探すものだ。当時の僕は大学生。遊びに行った友だちの家で単行本を読み,これがずいぶんと面白くて,ハマったものである。そういう意味で,僕はこの『中退アフロ田中』にはずいぶんと思い入れも大きい。田中の合コン話や,モテない話に共感し,笑ったり,泣いたりしたものだ。次の3作目が『上京アフロ田中』である。ここで田中は地元を出て,東京に出て行った。上京アフロ田中(1)【電子書籍】[ のりつけ雅春 ]ここで画期的なのが,レギュラーだった地元の友人たちがリストラされてしまったことだ。僕は正直,悲しい気持ちになった。だって,田中の地元の友だちにも親しみがわいていたし,地元のいんらん娘なんか,結構好きだったのだ。ところが,田中は地元を出て東京で新しい人間関係を作ることになった。就職で親や友人のいた地元を離れる,というのは現実ではよくある話であるが,漫画でそんなことをやるのはあんま見ない。これは,結果的には大成功だったといえる。地元の友人たち以上に,田中が東京で知り合った人たちもまた魅力的なのだ。また,これまでモテないでいた田中にも,ついに恋人とができたりもする。特に,僕は田中の上司,遊び人の鈴木さんが好きである。モテない田中のため,合コンをセッティングしてくれたり,口説き方,デートの仕方をアドバイスしてくれたりする。鈴木さんが教えてくれた,「初めてのデートは映画館に行け。上映中は会話をしなくていいから,口下手でもやっていける」だとか,「彼女の家に入りたいのならば,家でDVD見ようよ,と誘え。これで決まりだ」などのテクニックは僕も実践したものも多い。僕は,田中には古い友人みたいな感情を抱いているが,鈴木さんには頼りになる兄貴分みたいな気持ちである。鈴木さんは結婚してしまって,あまり田中と遊んでくれなくなったのが寂しいものだ。4作目が,『さすらいアフロ田中』である。失恋をしたり,仕事が嫌になった田中は地元の友人と2人でバイクで旅に出るのだ。さすらいアフロ田中(1)【電子書籍】[ のりつけ雅春 ]田中が上京することで大きく舞台を変え,それが成功した3作目に対し,4作目の『さすらいアフロ』について,「田中が旅に出る」という展開は結果的に失敗だったのかもしれない。北海道から沖縄までさすらったものの,最終的に田中は上京アフロで就職した東京の建築会社に戻り,日常生活を送ることになる。マンネリ展開にもどった,ともいえる。そういえば,ちょうどの『さすらいアフロ』をやっていたころあの東日本大震災があり,田中たちがボランティアで東北に行く話なんかもあった。一生懸命,瓦礫を除去した田中であったが,それはほんの一部でしかなかった,というシーンは結構好きである。なお,アフロ田中シリーズはこの『さすらいアフロ』をもっていったん完結してしまった。田中との別れは,少し寂しかったものだ。5作目が,『しあわせアフロ田中』である。だいたい,『さすらいアフロ』のあと,2年ほど間隔があいている。この連載再開は,古い友だちとまた連絡を取り合うようになったような感覚で,ずいぶんと嬉しかったのを覚えている。しあわせアフロ田中(1)【電子書籍】[ のりつけ雅春 ]復活した田中シリーズであるが,当初は田中が地元の友人とゲストハウスを作る,という話だったこれはこれで面白かったのだが,当時の僕は「東京の鈴木さんたちをもっと見たいなぁ」と思っていた。結果として,田中のゲストハウスは火事で炎上し,田中はもとどおり,上京アフロで就職した会社に戻るのだ。このゲストハウス炎上の話は,どういうわけかネットでコラージュが作られまくったのをよく覚えている。もしやすると,ゲストハウス経営を田中たちにやらせるとなると,作者の方でもゲストハウスの取材なんかが必要になるだろうし,それがうまく行かなかったのかもしれない。さて,ようやく6作目,『結婚アフロ田中』である。前作ラストでプロポーズした田中は恋人と結婚し,子どもまで授かるのだ。結婚アフロ田中(1)【電子書籍】[ のりつけ雅春 ]田中に遅れること1年くらい,5巻が出たころ,僕も結婚することになったのだが,親への挨拶のやり方なんかは田中を参考にさせてもらったものだ。たぶん,この『結婚アフロ田中』から読者のターゲット層が微妙に変わってきているのを感じる。もともと,前作の『しあわせアフロ』からその傾向はあったが,田中は恋人とそれなりにうまくいっており,モテないネタは田中ではなくて,田中の同僚たちがやるようになった。田中も,妻とのセックスレスで悩んだり,子育てで悩む話はあるにせよ,「恋人がいない」という悩みはもうなくなっている。子育て漫画,というのは古くから女性をターゲットに何作もあったのだろうが,『アフロ田中シリーズ』もついに子育て漫画となったのだ。つまり,女性が読んでも楽しめる漫画になりつつある。最後に,自分語りのまとめである。僕の友人にKという奴がいる。彼は恋人に「読め」と命じアフロ田中を読ませていたそうだ。当時の僕はKのことをさんざ馬鹿にしたものだが,僕も妻にアフロ田中を読ませてしまった。なんというか,男というものは恋人に対し,ありのままの自分をさらけ出すのが嫌なのだ。だが,自分がどんな男なのか,知ってもらいたいのだ。ここで,田中である。田中は僕と同じような感性を持っており,醜いところも,情けないところもあって,血が通った人間そのものだ。そんな田中に触れることで,男性読者はあるあるネタとして楽しめるだろうけれど,女性読者には男の心を理解する教科書になるだろう。そう,女性には田中を通じて,間接的に男の優しさ,けなげさ,悲しさ,美しいところも醜いところも,全てのものを知って欲しいのだ。子育てアフロ田中【電子書籍】[ のりつけ雅春 ]
2021.05.17
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司馬遼太郎も昭和を代表する歴史小説家なので数多くの名作を生み出す一方,駄作や微妙な作品も数多く作っている。たぶん,この『播磨灘物語』は駄作とまでは言えないものの,微妙な作品というべきところかなぁ。新装版 播磨灘物語(1)【電子書籍】[ 司馬遼太郎 ]簡単なあらすじとして,本作は黒田官兵衛を主人公とした長編歴史小説になる。文庫本で全4巻。『竜馬がゆく』や『坂の上の雲』が全8巻,『翔ぶが如く』が全7巻というのに比べたら短いが,だいたい2~3巻くらいで終わらせる司馬遼太郎としては全4巻というのは長いというべきだ。さて,内容なのだが,黒田官兵衛の祖父の世代から始まる。もちろん,祖父の世代や父の世代は比較的にあっさりと,第1巻の中ほどで終わり,主人公としては官兵衛である。そんな官兵衛の人生についても濃淡があり,秀吉の中国大返しから天王山の戦いまではゆっくりと描きつつも,光秀が死んだ後は唐突にダイジェストになって終わる。苦言を2つばかり呈するが,1つは構成上のことだ。もともと,僕は司馬遼太郎の構成力には疑問を持っていて,新聞連載だったからと言われれば仕方ないが,重複する描写や説明が多かったりする。どうしても司馬遼太郎の長編だとそういうところが出てきてしまい,個人的には短編の方が好きなのである。後書きを見てみると,「ふりかえってみると,最初から別に大それた主題を設定して書いたわけではなく,戦国末期の時代の点景としての黒田官兵衛という人物がかねて好きで,好きなままに書いてきただけに,いま町角で,その人物と別れて家にもどった,という実感である」(4巻,講談社文庫新装版,362頁「あとがき」より)こう見ると,あんまり構成を考えて書いていたわけではないようだ。個人的には,関ヶ原の戦いとき,官兵衛が九州でした活躍なんかも書いてくれて良いと思うのだけれど。もう1点の苦言としては,あまり読んでて熱くなる場面なんかがなかったところ。司馬遼太郎の作品にはどこか魔力があって,たとえば『竜馬がゆく』だとか『燃えよ剣』なんかを読んでいると,名もなき若者でしかない主人公が,「俺は天下のために役立つ男になりたい」と怪気炎を揚げたりする。もう,読んでいるこっちまで「俺もなにかできるのではないか?」と思わせられるのだが,『播磨灘物語』にはそれがない。言ってしまえば,黒田官兵衛という男について,司馬遼太郎が無欲で恬淡な人物として捉えているからそういう描写がなかったのかもしれない。唯一あるとすれば,官兵衛が荒木村重により土牢に幽閉されてしまったところくらいか。なお,このとき竹中半兵衛が命をかけて官兵衛の子どもを助けてくれるシーンがあり,熱い友情を感じさせるのだけれど,伏線めいたものが全くないのでなんか燃えない。もっとこう,創作でいいから桃園で酒飲みながら義兄弟の契りを交わしたとか,逆に半兵衛の失策を官兵衛が助けた話を入れておいて欲しかった。新装版 播磨灘物語(1) (講談社文庫) [ 司馬 遼太郎 ]
2021.04.26
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『あしたのジョー』50周年記念作品,『メガロボクス』を見る機会があったので感想を書いていきたい。ちょっと辛口です。1話は無料なので,リンク先から見てもらうといいです。メガロボクス ROUND2 “THE MAN ONLY DIES ONCE”【動画配信】まず,ざっくりと世界観の説明を。メガロボクスというのは,この世界で流行っている格闘技で,ギアと呼ばれるパワードスーツみたいなものを身につけて行うボクシングのことである。主人公のノマド(のちジョーと改名)は市民IDを持たない,要するに戸籍だとか市民権を持っていないはぐれものであるのだけれど,メガロボクスのチャンピオン,メガロニアを目指して戦うという物語である。色々と思うところはあるのだけれど,個人的に思うのが,「ギアとは何だったのか?」というところである。人間の拳というのは鍛え上げれば立派な兇器となる。『空手バカ一代』で大山倍達は素手でヤクザを撲殺してしまっていたし,現実のプロボクサーだってその気になれば人間を撲殺することくらいできるのだろう。普通に殴り合うだけで生命の危険があるのに,ましてギアと呼ばれるパワードスーツを身につければ,古代ローマの剣闘士の試合のように,死者が続出する血なまぐさいものになるだろう。たぶん,一撃入れたところで殴られた方は戦闘不能になって競技として成立しないだろうし,せいぜい1ラウンド以内に決着がつくんじゃないかな?さらに意味がわからんのが,主人公のジョーはギアをつけず,基本的に生身で戦うのだ。ジョーはギアをつけたボクサーたちと互角に渡り合うどころか,連勝を重ねていくのだから,ギアの有用性が分らない。一応,ギアを身につけないジョーの方が素早さはまさるだとか,ギアの音で次来るパンチが右か左か判別できるだとか,「相手のギアの電磁波だとかを読み取って自動的に反撃する機能」がジョーを相手にする場合使えなくなってしまうだとか,ギアなしで戦う意味もあったが,それでも腑に落ちない。機械を使うスポーツでいえば,現実世界でもモータースポーツと呼ばれるカーレースだとかバイクレースがある。これだと,マシンと生身の差は絶対的で,たとえばバイクに自転車だとか徒歩で勝てるはずがない。しかし,『頭文字D』のように性能で劣るとか,旧式マシンで高性能の最新式マシンに勝つ,というのも1つの見せ場であり,ジョーも低スペックのギアで戦っても良かったように思うのだ。頭文字D(1)【電子書籍】[ しげの秀一 ]あと,突っ込みどころとしては,メガロボクスには体重性がないらしく,明らかに体格差のある試合が組まれているところだとか,中盤には着脱可能なギアではなくて一体型とかいう,体に手術で埋め込むタイプのギアが登場したりでレギュレーションがなさそうなところだとか。個人的に,この作品でもっとも残念だったところはギアの設定が練り込まれていなかったところ。ギアというのはメガロボクスの根幹ともいえるものだろう。この部分に引っかったせいで,この作品の世界に没頭することができなかった。そういうわけで,僕の中の評価は低い。ここで,逆に機械と格闘技の融合する世界観をうまく描いていたのはかのGガンダムである。機動武闘伝Gガンダム 第2話 唸れ!夢を掴んだ必殺パンチ【動画配信】ガンダムを,巨大ロボを使って格闘技の試合を行うという無茶苦茶な世界観ではあるが,ロボを使うから成立する必殺技があったり,世界観が練り込まれていて「なんでロボットで格闘技を? 素手でやればいいじゃん」という疑問を感じさせない。なお,文句を言いつつも僕はメガロボクスの2期は見る予定である。いまのところ,2期の2話まで見たけれど,2期の方が好きかもしれない。そのうちこっちも感想書く。メガロボクス ROUND FINAL “BORN TO DIE”【動画配信】
2021.04.17
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判例タイムズの2021年4月号(NO.1481)を読んでいたら,発信者情報開示請求の証明度についての論文と,関連する裁判例が2つ掲載されている。いま流行の,というわけでもないが,ちょっと書いておこう。インターネット関係仮処分の実務 [ 関述之 ]まずは,巻頭に掲載されている論文から。東京高裁の部総括,近藤晶昭裁判官の『民事事実認定の基本構造と証明度について』というものだ。色々書かれているけれど,最も言いたいことははプロバイダ責任制限法4条の,発信者情報開示請求の要件にあげられている「権利侵害が明らか」の解釈論だろう。ここで,「権利侵害が明らか」というのは「権利侵害があること」に加え,「違法性阻却事由のないこと」の立証まで必要になる。近藤裁判官によると,発信者情報開示請求の際,従前の運用は原告が提出する陳述書等により,「権利侵害が明らか」という要件は緩やかに認定されていたという。ところが,近年は被告のプロバイダが発信者への照会の結果,発信者作成の陳述書を提出すると,多くの一審は原告側において違法性阻却事由の不存在の立証ができていない,として請求を棄却されてしまうことが多いというのだ。確かに,字義通り解釈するのならば,「権利侵害が明らか」について,多くの一審のように,発信者側から一応陳述書が出てくれば,違法性阻却事由があることが一応程度にはうかがわれる。なので,基本的に被告側が発信者作成の陳述書を出せば,まず原告側の請求が認容されることは難しかろう。近藤裁判官が問題だ,と指摘している点としては,その発信者作成の陳述書の内容が,具体的な日時場所の特定もなく,およそ原告において反論することが難しいと言う点だ。「権利侵害が明らか」,という文言についても,権利を侵害された者が権利回復を図ることがdけいないような解釈運用がされるべきではない,というのである。そこで,近藤裁判官は発信者作成の陳述書が匿名で,日時場所も明らかでなく,反論が難しい場合,実質的証明力を低いとみてよいのではないかと結んでいる。個人的に,ここからが面白い話なのだが,この判例タイムズ4月号,なんと近藤裁判官が担当した発信者情報開示請求にかかわる東京高裁の判決が2つも掲載されている(東京高裁R2.11.11,東京高裁R2.12.19)。ある意味で前記論文の答え合わせというか,あてはめみたいな感じになっているのが面白い。僕は,普通に判例タイムズを読んでいて,「あぁ,巻頭の論文のやり方で判断している裁判例があるなぁ・・・。有力な見解なのかな?」と思って担当裁判官の名前を見て,思わず声に出して笑ってしまった。そりゃ,そういう判断になるわぁ,と。収録されているいずれの裁判例も,一審では原告の請求は棄却されている。主要な理由としては,被告のプロバイダ側から発信者作成の陳述書が提出されているためだ。それを,いずれも近藤裁判官が高裁でひっくり返した形になる。もっとも,,東京高裁R2.12.19については一部の書き込みについて,発信者作成の陳述書以外の資料,たとえば国民生活センターやらの照会結果により,原告についてある程度の苦情相談事例があったことから,開示は認めていない。なので,近藤裁判官といえども,いつでも発信者情報開示請求を認容するとも限らないのであるのだろう。以下は私見であるが,実務上,「権利侵害が明らか」となるのはどういうケースなのであろうかと。裁判例の分析をするにせよ,論文中で近藤裁判官が概要,「近年は発信者作成の陳述書があれば,一審はたいてい原告の請求を棄却することが多いように思う」と述べている。統計はないようだが,裁判官の肌感覚であるから間違いはないだろう。実際のところ,発信者作成の陳述書が出れば原告は敗訴する可能性が高いのだろう。そうすると,1人の弁護士としては,あくまでこの論文と収録されている高裁判決2つは例外的なものだと考えつつ,安易に「発信者作成の陳述書が出たけど,恐れる必要はないぞ!」と思っちゃいけないのだろうな。最後に,このこの問題については,あまりに原告側に酷だということで法改正の動きも出ている。その場合はこの論点が消滅することになるのだろう。できたら,そうなって欲しいものである。インターネットにおける誹謗中傷法的対策マニュアル 中澤佑一/著
2021.04.06
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『国盗り物語』は前後編に分かれていて,前編は斎藤道三,後編は織田信長である。これは本書読む前から聞いていたことであったし,前編は確かにその通りだった。ところが,後編は本当に信長編だったのだろうか。国盗り物語(三)(新潮文庫)【電子書籍】[ 司馬遼太郎 ]まず,『国盗り物語』の後編を読んでいると,冒頭は信長が登場するので一方で,前編の主人公だった斎藤道三がちょいちょい存在感をアピールしてくる。ただし,もはや斎藤道三は「主人公力」とでも言うべきか,世界の中心に位置し,どんな逆境をもはねのける主人公補正を失ってしまっている。前編では,土岐頼芸の実子である斎藤義竜をうまく利用していたのだが,後編ではめっきりそれが裏目に出てしまい,自らを滅ぼす形になる。毒をもって美濃を取ったマムシが,自らの毒で滅びるようでもの悲しくはあるなあ。ただ,言うならばこの『国盗り物語』は,光秀がお万阿に道三の死を伝えに行くシーンで終わっても良かったかもしれない。で,後編の主人公とされている信長であるが,意外や,これが影が薄い。Wikipediaを見ると,本作は信長と光秀のダブル主人公ということになっているが,光秀が主役と言って差し支えないのではなかろうか。作中,司馬遼太郎はこう書いている。妙なものだ。筆者はこのところ光秀に夢中になりすぎているようである。人情で,ついつい孤剣の光秀に憐憫がかかりすぎたのでであろう。(『国盗り物語』3巻,「半兵衛」の冒頭より)僕は,司馬遼太郎について,魂を揺さぶるとしかいいようのない描写をする魔力を感じるところではあるが,長編小説の構成力には問題があると思っている。恐らくは,本作は普通に信長を主役に書いていたのに,話がわき道にそれて気がつけば光秀編になってしまったというのが本当のところじゃないかなぁ・・・。光秀については,武芸者として野試合をする「六角斬り」だとか,古今集や新古今集に出てくる松が枯れ果てていたので移植したという「唐崎の松」だの,前述した斎藤道三の亡き妻,お万阿との交流だの情緒的なエピソードが多く,著者の愛情を感じるところなのだ。総評として,『国盗り物語』は斎藤道三編は文句なく名作であるが,信長編になると主役が途中で変わってしまうと言う構成上の問題点がある。斎藤道三編と信長編の途中,光秀がお万阿に道三の死を報告するまででが面白いところで,それ以降はちょっと落ちるのかもしれない。最後に蛇足をば。僕は司馬遼太郎はスカト口趣味があるのではないかと思っており,たまにTwitterでもそんな話をしている。それなのに,竹中半兵衛が斎藤義竜に小便をかけられたことで怒り,稲葉山城を奪ったという逸話は入っていないようだ。本作で,というか司馬史観では,半兵衛の舅である安藤守就が義竜に諫言したところ,扇子で頭を叩かれ,謹慎させられたことを動機にしている。ス力トロ好きの司馬先生としては珍しいことである。こうして小便のせいで反逆したとされる半兵衛に対し,司馬史観では小便で出世した人物がいる。秀吉である。『国盗り物語』の信長編の序盤,「猿の話」は若き日の信長と秀吉との交流を描くのだが,ここで信長は門の上から外を見下ろしているうち,秀吉の猿面を目みて「矢も楯もたまらずなにかしてやりたくなり」,小便を引っかけたというのである。秀吉は激怒し,梯子を駆け上がるのだが,そこにいたのは信長だった。「殿様でも許せませぬぞ」と激怒する秀吉に信長は謝罪の気持ちもあって「明日から俺の草履をとれ」と小者から出世させたという話。これは『祖父物語』に出展があるといういうが,どうも僕の中の秀吉像と違う。秀吉なら内心で激怒しつつも,信長にそれをぶつけるかなぁ,と。逆に,それだからこそ信長もびっくりして出世させたのかもしれないけれども。国盗り物語(四)(新潮文庫)【電子書籍】[ 司馬遼太郎 ]
2021.04.01
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