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今日は、和菓子屋さんで和菓子の御布施をお預かりした。 最近、どんなに托鉢してもノルマに見合った結果が出てくれないので、食費を削っていた。一日60円で暮らしていた。だから、物凄くお腹が減っていたのだ。 托鉢が終わって合掌をしてすぐに頂いた。シワだらけのかわいいおばあさんの顔を思い浮べながら… 本当に美味しかった。有難う。助かりました。
2007年04月05日
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昨夜、里の方から再び電話を頂いた。 私の意見を聞いて下さり、『宗興が納得するならそれでいいんじゃないか』と仰って頂いた。そして、先日と同様に『基本は托鉢』そして『寺建立を忘れない事』を話して頂いた。 この行脚を成し遂げた時、私の想像の及ばない素晴らしい境涯があるのだろう。里の方々はそれを知ってるから、私に言うのだろう。だから私はそれを信じ、今は自分が醜く感じてもそれをやるしかない。
2007年04月04日
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今日の托鉢は義務感の強い托鉢であった。 昨日の事で、何やら心が落ち着かないようである。 だが、大きな町だったので、自分を奮い立たせようと藻掻いた。 気が付けば五時間も歩いていたようだ。 充実感はある。だが、なぜ長時間も托鉢をせねばならないのかという、腑に落ちない所もある。 私は托鉢に結果を求めたくない。 だが、結果で私を判断する人もいる。 それに対して私は長時間の托鉢をしようとしているのだろうか。 人から信頼を貰うには結果を出すこと… いや、托鉢は結果を求めるべきものではない。 理想としては、ただただ飄々とこなしたいのだが… いくら托鉢といえども、現実は結果なのだろうか…
2007年04月03日
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今日で旅に出てから半年となる。 その事を知ってかどうなのか、里の方から電話が入った。 どうやら、最近の私のブログを読んで、私が誤った道を進んでいると気付いたらしい。 『誤った道』といっても私自身はピンとこないのだが、私が尊敬する人生の大先輩がそう仰るのだから、間違い無いのだろう。 誤った点というのは端的に言うと『根本である托鉢をそっちのけで観光し過ぎ』という事だ。 確かに仰る通り、最近の私は以前に比べて托鉢の回数が激減しているのは間違いない。そして、様々な観光地に足を運んでいる。 この旅の基本は托鉢であると仰った。どうやら私はそれを忘れているらしい。 私は旅の基本に『学び』を置いていた。それは、托鉢からも学び、観光地(歴史)からも学び、人との偶然の出会いからも学び、自然からも学び、自分の中から出てくる感情からも学び… 私は旅の中で『托鉢とは?』『托鉢のあるべき形とは?』と、托鉢をしながら模索してきたつもりである。そしてここ最近の形が、先に述べた『学び』の理想形であると、確信と実感を得ていたのだが…その話をする前に始めから否定されたのは、やはり辛い物がある。だが、その確信や実感というのは、たかだか25歳の僧堂にも行かない小僧の未熟な経験から出た愚にもつかない物である。故に、人に語る程の大した物ではないだろう。だから、誰にも話す事なく、更に自分の中だけで磨いていこうと思う。
2007年04月02日
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先日行った、野呂山の弘法寺をよく思い出す。 孤独に苛む私は、その孤独の中から自己を見つめようと醜く藻掻いている訳なのだが… 昔の偉い僧侶は、山の中に一人で入っていき、自分の場所を決めて座していた。 その境涯は如何なるモノか。 私にはとても真似できない。 今の私は、毎日知らぬ町の同じ車内で、横になったりアグラをかいたりしながら孤独に浸るだけで精一杯だ。
2007年03月29日
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托鉢中にパパラギ関係の方とお会いした。 しかし、私は托鉢中に立ち話はしたくはない。 いつもと何ら変わりなく対応させて頂き、その場を後にした。 托鉢中は、私は『私』ではない。 今の私にとって、托鉢は自己を捨てる空間である。 自己を捨てた時の感覚は、大我の中にあり、同時に大我である。 故に、何事にも右往左往しない。
2007年03月28日
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なかなか寝付けない。 様々な考えが行ったり来たり。 師匠の言葉が浮かんでくる。 『若い内はどう生きるかを考えるが、我々の歳になると、どう死ぬかを考えるのだ』 最近、この言葉がよく浮かんでくる。 一瞬一瞬の積み重ねで、我々は確実に死に向かっている。 生きたいと…産まれたいと望んだ訳でも無く… 『どう死ぬか』を考えた時、『今』の重みが増す。
2007年03月27日
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昨日の温泉効果なのだろうか。やっと足が完治した。 実は、ちょうど一ヵ月前に屋久島を歩いてから、足の甲を痛めていた。 そのお陰で、健脚が自慢の托鉢ではいつものように歩けないでいたのだ。 それが一ヵ月間ずっと続いていたのだが、今日はすこぶる爽快に歩を進めれた。自分の自分らしいペースに戻れたのは嬉しい事だ。 ただ、痛みの度に屋久島の思い出に浸っていたので、それが無くなるのも、少し淋しい… 温泉治癒か。 今まで全く相手にしてなかったが、昨日温泉に入ってから痛みが無くなったのだからなぁ… まぁ、信じる信じないは別として、ただ一つの事柄として覚えておこう。 今朝は、中国地方のほぼ真ん中に位置する、帝釈峡で目を覚ました。 昨夜が特別に冷え込んだのか、それともいつも通りの冷え込み具合なのかは知らないが、とにかく夜は寒かった。 山間部なので当たり前なのかもしれないが… そして、産物で面白い発見。 ここ広島でもりんごを作っていたのだ。 無知な私はビックリした。てっきり林檎は北国だけなのだと思っていた… 人間は知らない所で勝手な思い込みをするんだなと、つくづく感じた。 さて帝釈峡だが、肩書きは日本五大名峡の一つであり、中にある雄橋は世界三大天然橋の一つ、という事である。 旅を始めてから何度も『日本云々』『世界云々』というのがある。始めの頃はその都度『日本!!』『世界!!』と喜んでいたが、今となってはよく商売で使う『元祖』『本家』といった感じに聞こえてきた。 ようするに『元祖』であろうが『世界有数』であろうが、自分がどう感じるか、どう受け止め受け入れるかが大切なのだと思う。 本当に良い物(本物)と遭遇した瞬間は、肩書きなんて頭のどこにも無くなっているものだ。 とはいえ、私は全国の良い物を求めて廻っている訳で、これからも肩書きを頼りに色々と廻る予定である。 そうじゃないと、折角の良い物を見過ごしてしまうからな。 それはそれは勿体ないではないか。
2007年03月26日
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今日は半月ぶりとなる、風呂に入ってきた。 昼間の風呂は、なんとも言えない贅沢感がある。 風呂上がりに、いつものコーヒー牛乳を片手に、春の甲子園の記事を見たくて新聞を読んでいると、相席の方が話し掛けてきた。 お酒を飲んで顔を真っ赤にされた、おじさん二人。 『これは長くなるぞぉ』 と、覚悟を決めて旅の話やお寺の話をした。 お寺の話というか、お金の話が多かったが… しかし、何故『お坊さんは儲かる職』というイメージがあるのだろうか。 考えさせられてしまう。 後に、勧められるお酒を断りながら、席を立った。 それから仏通寺へ移動。 ここは臨済宗の修行道場である。 他の修行道場は、意外にも街中にあったりするのだが、ここは違う。本当に森の中だ。 目の前には綺麗な小川も流れている。 環境的には素晴らしい場所にあると言えよう。 少し離れた所のベンチで、考えふけっていたら、たしか雲板(うんぱん)という名の鳴らし物だったと思うが、その音が山々を木霊して響いてきた。 いや、実に良い音だ。 心にじわりと染み込んできた。 その後、尾道の圓鍔記念館へ。 私は初めて彫刻家の記念館に入った。 初めてといっても、興味が無かった訳ではない。 むしろ、絵画よりも興味はあったぐらいだ。 今までたまたま巡り合わなかっただけなのだ。 なかなか面白かった。 私の好みは師匠譲りなのか、形の独創性に引かれるようである。 例えば… 『牛のように見えるけど、なんで牛がこうなるの!?』 という感じだろうか。 人の感性(常識)に『えっ!?』というモノを与える作品。 『これは何を表していて、こういう意味である』という作品もあるが、それよりも直接的、且つ無条件に心に触れる作品が私は好きなようだ。 少し前までの私は、自然は好きだが美術はよく分からないから嫌いだった。 しかし旅に出て、有名な作品や無名な作品を沢山観て廻ってきて、美術に対する感覚が変わってきた気がする。まだ、具体的には言えないが… 自然と美術は同じである、と今は感じている。 うん…命の根源…かな?
2007年03月25日
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里では、僧堂だけでなく全国の修行道場に修行しに行ったりもする。 そういえば、ここ広島にそのお寺があったなぁ~、と思っていたのだが… 午後から、例の毒ガス資料館へ行こうと、忠海のフェリー乗り場へ急いで行った。 着いてみると小さな港。 こういう閑かな港町、私は好きなのだ。 切符売場に行くと、小さな売場にしては人が多く賑やかな感じ。 その中に、剃髪をして真っ黒な衣を着ている方々が紛れていた。 最初は、その中の一人の方に黙って低頭した。 そして、首からさげている看板袋に目をやると… なんと、冒頭に述べたお寺さんではないか!! これは話し掛けるしかないと、取り込み中だったのでタイミングを見計らっていたら、別の方から来た住職さんらしき方が私に話し掛けて下さった。 パパラギの事はよく覚えて下さっていたので、どこか初対面ではないような気がして嬉しい。 それにしても、住職さんの目の鋭さは印象的だった。 いや、ただ鋭いだけでなく、しっかりと落ちた目、とでも言おうか… 毒ガス資料館に行く事を告げた所『あれは良い所だから一日中じっくり感じてきなさい』と仰った。 その後、戦争時に偉業を成した方々のお話を簡単にして下さったのだが、私はどの方も知らなかったので怒られてしまった。 最後に、住職さんがいつも持ち歩いているという本一冊にサイン(?)をして頂き、握手をしてお別れをした。 後にそのサインを見てみると、今日は住職さんの誕生日らしい。 こんな凄い出会いもあるもんなんだなぁと、関心しながら船に揺られる事、15分。 毒ガス資料館のある大久野島に着いた。 歴史の背景を想像しながら島の雰囲気を味わうと、なんとも不気味な静けさだ。 野ウサギが多いのは、現代の観光名所となっている。 無料送迎バスに乗って資料館へ。 このバス。もの凄くゆっくり走るのだ。 急に野ウサギが道に出てくるからだという。 大久野島では一般車両は通行禁止になっている。だからゆっくり走っても、何も問題ないのだ。 この、のんびり加減は最高だ。 あまりにゆっくり過ぎて、どのくらいの距離を走ったか分からないまま、資料館に着いた。 バスの中は混雑していたのだが、降りたのは私だけだったのが、少々残念な所である。 さぁ、いよいよ資料館内へ。 意外と小さな資料館だ。 先の住職さんが『一日中…』というぐらいなのだから、もっと膨大な量の資料があるのだろうと想像していたのだが… こういった何々資料館によく足を運ぶ方ならお分りだろうが、資料の量と入館料は比例している。 ここは百円。 だからかなり小さな資料館だ。 いくら希有な資料館でも、こんな小さな資料館に一日中いるのは、容易な事ではないぞ… だが、住職さんの教えの通り、時間の許す限りじっくりじっくりと目を通してきた。 きっと『じっくり』に何か大切なモノがあるのだ。 毒ガス工場建設の過程 製造した毒ガスの種類 被毒した悲惨な症状 実際に何百万発も使用した事 工場での粗雑な防護による作業員の多大な犠牲者 工場の存在が昭和50年代まで国民に知らされなかった事実 まさに目を覆いたくなるような事ばかりであった。 終戦直後に作業員が洩らした一言があった。 『この工場の毒ガスをもっと沢山使っていれば良かったのに…』 何が人間をこのようにさせてしまうのだろうか。 こんなに残酷な事をしてまで欲する物は何なのか。 二度と繰り返さない為にすべき事は何か。 本当に命の尊さを知る指導者が必要だ。 もちろん戦争に関しては国の指導者がそうだが、それだけではない。 会社の指導者、宗教の指導者、学校の指導者、そして家庭の指導者… 世の中は今すぐ変わる物ではない。 だから、あらゆる指導者による道徳的教育が後世を和に導くのだと、今の私は思う。 道徳的教育か… こればかりは法律ではどうにも出来ない。 実際に、大人一人一人が自覚するしかないだろう。 そう、まずはワタシからだ…
2007年03月24日
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昨夜は、野呂山に泊まった。 昨日も登ったのだが霧がかかっていたので、ちゃんと見る事が出来ず。 一旦は下山したのだが諦め切れずに、朝に見ようと思ってまた登ったのだ。 不思議とこういう日は早く起きれた。 まだ太陽が登っておらず、だが空はぼんやりと青白くなる頃、駐車場から然程離れていない展望台へ歩く。 地図で見ると、この辺りは瀬戸内海の中でも島が多いので、ここからの眺めは絶景だろうと期待していた。 しかし残念。 またもや霧がかかっていて、お世辞にも見渡せるとは言えない。 天気は良いのになぁ。 暫らくしてから、再び車内へ。 3月末といえど、山の朝は冷え込みが激しく、冷えた体を寝袋に突っ込んだ。 すると寝ていたようだ。 起きた時にはすっかり日も昇って車内は熱気が蒸していた。 それから『三度目の正直』と、再び展望台へ。 しかし、またしても霧がかかっていて見渡せない。 残念だが、これはこれとして、霧の間から滲み出る小島や山々をのんびりと堪能していた。 すると、原付で登ってきた方がいらして色々と話をした。 地元のおじさんで、天気の良い日はよくここにいらっしゃるという。 この方、福祉活動をされているようで、その方面に詳しい。 そこでパパラギのしおり等をお渡しして、知的障害の方の事等をずっと話していたら、いつの間にか3時間ぐらい時がたっていたようだ。 宗教や福祉や地元の歴史やら、様々なお話が出来て濃厚な時間を過ごせた。 このおじさんが勧めて下さった、呉の江田島にある旧海軍兵学校(海軍特攻隊の資料館)は、今回は諦めるが、竹原の大久野島の毒ガス資料館には明日行こうと思う。 毒ガス資料館は、以前から地図で見つけていて、大変に興味があったのだが、ペース配分を考えると諦めざるをえなかった。 だが、おじさんの強い勧めと『戦前の日本の地図には存在しなかった島』という言葉で、これはどうしても行かなければと思ったのだ。 その後、近くにあった弘法大師の所縁ある弘法寺に行った。 真言宗のお寺かぁ、と険しい山中の境内を歩いていると、再び声をかけられ本堂へどうぞと勧めて下さった。 ここの本堂が凄い!! 勧められるままに奥へ行ってみると… なんと岩の壁が現われた!! 外から見ていても、崖に密接して建ててるなぁと関心していたのだが… まさか、本堂の最奥に岩壁を祭ってあるとは思わなかった。 話によれば、この岩壁の隙間で弘法大師が修行したので、そこに本堂を建てたのだそうだ。 私にとっては、弘法大師が云々というよりも、この本堂の最奥に岩壁を祭っている事実の方が驚いた。 この強烈なインパクト。 どこそこの本山の本堂よりも、直に心に響いてくるモノがあった。 また、このお寺には住職がいないらしく『由緒あるこんな良いお寺を放っておけない』と、地元の方々で会を作り、毎日交替で二人が上山して管理をしているという。 この事実にも驚いた。 こんなに熱心な方々もいらっしゃるのか。 僧侶である私も、うかうかしてられないな。 旅をしていると、こういう予期せぬ出会いがあるのが嬉しい。 そこからまた意外な学びが生まれるものなんだなぁ。
2007年03月23日
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私の変な体質に気付いた。 禅僧でありながら、私はコンタクトレンズを付けていたのだが、福岡県で視力に合った眼鏡を買ってからは、ずっと眼鏡をしていた。 前から薄々と気付いてはいたのだが、眼鏡ではどうもやる気が出ない。 最近、何事にもやる気が出ないのは眼鏡のせいなのでは… と、意味不明な理屈を付けて、今日はコンタクトにしてみた。 すると、コンタクトを付けたら何か行動したくなる。とまでは言えないが、眼鏡よりかは明らかに行動的にはなるのだ。 その証拠に、今日は久しぶりに予定通りの行動がとれた。 午前中は托鉢をきっちりして、午後から呉に行って市立美術館と入船山記念館へ。その後、瀬戸内海を一望出来るという野呂山へ。 一日、びっしりと動けたから久しぶりの満足感だ。 私は、コンタクトを付けると変心するのか? 私は、そんな変な体質を持っているのか? しかしまぁ、世の中は理屈に合わない事があって当然だから、暫らくは再びコンタクト生活を送って、変な自分を楽しんでみようと思う。
2007年03月22日
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今日から広島県だ。 瀬戸内海を眺めながらの運転は気持ちが良い。 脇見運転にならぬように気を付けなければ、見惚れてしまうぐらい綺麗だ。 だが、工場が多いようなのが気になる。 遠くにも近くにも高い煙突が建っていて、もくもくと煙を吐いている。 休憩で車から降りて空気を吸うと、やはり長崎とかの海辺の空気とは違う。少しだが工場らしい臭いが混ざっている。 夕方は、大学時代の友達に会ってきた。 食物に疎い私は、旅に出て初めて産地物らしい、広島焼きを食べに行った。 地元人ではない私には、お好み焼きというより、焼そばに近い感じがした。 友達は昨年から社会人として働き始めたのだが、やっと仕事に慣れてきたようで、やりがいも感じるし充実しているらしいので安心した。 働き始めた頃は、やはり色々と大変そうだったから心配してたのだ。 正直、もっと色々と話をしたかったので後ろ髪を引かれる思いもあったが、お互い頑張ろうと言って別れた。 僧堂に行った友達は、四月から四年目に入る。 今年から就職してばりばり働く友達もいる。 結婚してすでに子供が二人いる友達もいる。 みんな、着々と前に進んでるんだ。 俺は? 俺は何をしているんだろうか… 一体、何を…
2007年03月21日
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午後から岩国市の錦帯橋に行ってきた。 日本三名橋の一つとなっていて、有名な場所のようだ。 河川敷に車を停めて、下駄では歩きにくい砂利道をひょこひょこ歩く。 綺麗なアーチ型だ。意外と長い木造橋で、三つのアーチがある。 何を作るのでもそうなのだが、曲線を作るのは難しい。 しかも、橋だと強度も必要だろうから尚更だ。 だが、強度だけに重点を置けばこんなに綺麗な橋が出来るはずがない。 もともと橋とは、水に濡れぬように川の対岸へ渡れればいいのだ。 だから、この橋のように技術的に難しいアーチを作る必要は無い。 やはりそこには、日本人の美が隠されているのだろうと思う。 まぁ、このように立派な橋を作る事で、藩主の権力を表わしていたのかもしれないが… そして、意外な発見もあった。 ここ岩国は佐々木小次郎の出生地でもあるらしい。 だが、確かこの旅で福井に行った時、小次郎の生家を見てきたのだが…??? まぁ、歴史には色々な説があるという事なのだろう。 ちなみに、有名な吉川英治さんの『宮本武蔵』では、小次郎は岩国出身になっているらしい。
2007年03月20日
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昨日、このブログと旅を通して広がりが出来た。 それが心底嬉しい。 私は本当に弱い人間である。 旅に出てからずっと孤独。 共に喜ぶ人がいないのが、こんなにも淋しいのか。 共に悲しむ人がいないのが、こんなにも虚しいのか。 喧嘩や争いをする人がいる事にさえ、愛着を感じる。 托鉢での出会いも、確かにあるが… いや、そのお陰で私は今生きる事を許されているのだが… 私には余りにも崇高過ぎる世界なのかもしれない。 この托鉢は、寺建立の誓願の為でもある。 格式や形式に拘るだけでなく、純粋に目に見えぬモノを追い掛け、一個の石から膨大な命を汲み取る空間を誰にでも解放した修行道場。 立派な誓願である。 だがその為には、言い方は悪いがどんどん托鉢をしなければならない。 今の私はそこに疑問が出ている。 私が僧侶になった大きな理由の一つに『お金を追い掛けたくない』というのが強くある。 それが例え、衆生済度の誓願の為とはいえ、違和感を感じてならない。 そもそも、托鉢はそういうモノなのだろうか。 托鉢はもっと下座の世界のモノではないのか。 いや、しかし衆生済度の場を作るには… いや、理屈を考えるよりも、今動く手足を活かす方が大切なのでは… 御覧のように、今の私は混沌としている。 様々な考えが去来して、結果、無気力を生み出している。 すさまじい悪循環だ。 しかしある意味、この様々な湧き出てくる思いを一人で体にぶつけるのが、この旅の一番の趣旨なのかもしれないな…
2007年03月19日
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昨夜はなかなか寝付けず、朝方まで起きていた。まったく、生活のサイクルがおかしくなっているようだ。 今日は、以前に私のブログにコメントを下さったお坊さんに会おうと、朝から剃髪をして、綺麗な作務衣に着替えて出発した。 まずは県立美術館へ。香月泰男さんのシベリアシリーズを楽しみにしていたのだが…展示はされていなかった。話を聞くと、現在は修復中でしばらく展示の予定は無いそうだ。これには少々気を落したが、展示されていた作品の中で気に入ったのがいくつもあった。特に、宮崎進さんという名の方だったと思うが、この方の作品が好きだった。 次はサビエル記念聖堂へ。外装も内装も真っ白である。これはサビエルの清廉な心を映しているという。高くそびえる二つの塔。これはサビエルの強い意志を語るように天に伸びているのだそうだ。資料館のような場所もあり、無知な私はただ黙々と見て廻った。聖堂内も入ったのだが、まさしく名の通り聖堂だ。仏教の本堂や神道の神殿と同じ空気感が漂っていた。この崇高な感じ。どうにも嫌いになれそうもない。 さぁ、高鳴る鼓動に身をゆだねて、先に述べたお寺へ向かった。境内は綺麗に掃除をされていて、また、砂紋を見た途端にビリッと何かを感じた。息を呑みたくなるような、乱れの無い線。これぞ禅寺だ。私も砂紋を引いた事があるのだが、なかなかあのようにはいかない。芸術的というよりも、この線を引いた方の生きる呼吸を感じた。驚きながらも、本堂前で一礼。その後、更に緊張しながら庫裏へ。なぜ緊張するかと言ったら、私の禅僧のイメージは『恐い人』や『怒られる』といった感じだからだろう。深く、そして何度も深呼吸して、『お願いいたします!!』と大きな声を出した。だが、再び静寂へ。何度も声を掛けたが無反応だったので、やむなく鐘を叩いた。その後、ぱたぱたと一人の女性が出てきて下さった。面識もなく、また、連絡せずに訪ねた無礼をお詫びし、福住職さんがいらっしゃるかを尋ねたところ、残念ながら不在という事だ。わざわざ福住職さんの携帯に電話をかけてまで、暖かい気遣いをして下さったのだが、残念だがこれも縁の内だと思い、お礼を言ってお寺を後にした。いつかまた、寄らせて頂きたい。 続いて瑠璃光寺へ行き、どこか繊細さや優美な感覚を持つ五重の塔を見て、次はちょっと車を走らせた所にある常栄寺の雪舟庭園を堪能してきた。ちなみに、瑠璃光寺は曹洞宗、常栄寺は臨済宗東福寺派の僧堂である。 今日は禅寺と縁があったようだ。 福住職さんとお会い出来なかったのが、なんとも心残りだ。『怒られるかもしれない』とか、情けない事を考えながらも踏み込んだのは、そこから何かを学びたいと思ったからだろう。 他人の人生観を真剣になって怒る人は優しい人なのだ。 だからまた、勇気を出して怒られに行きたい。 折角、こんな愚僧に声を掛けて下さったのだし…
2007年03月18日
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最近、寝床に恵まれなかった。 いくら探しても静かな場所が見つからず、しょうがなく線路の傍や交通量の多い道沿いで寝ていた。 だが、今日は車の音なんかまったくしない所を見つけれた。 明日は托鉢はしないから、いつもの下見はしなくて済んだから、探す時間が作れた。 おかげで今夜はうるさい音に邪魔をされずに寝れそうだ。 明日は県立美術館に行こう。 香月泰男さんのシベリアシリーズを観るのが楽しみだ。
2007年03月17日
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衣を着ると、気分が変わる。 身も心も引き締まるといった感じだろう。 今日もダラダラとした一日になりそうだったのだが、とにかく衣を着ようと思って着替えた。 衣のおかげでなんとか自分を取り戻せた。 しかし、こういったのは坊さんの衣だけに限らないと思う。 いわゆる『正装の力』ではないだろうか。 警官は警察の制服を。 医者は白衣を。 サラリーマンはスーツを。 庭師は着慣れた作業服を。 学生は学制服を。 本来ならば、心を強く持てば正装の力なんか無用である。 警察の格好をせずとも、警察の仕事は出来るだろう。 和服を着なくても茶を点てる事も出来るだろう。 真の心の力であれば、格好は関係ない。 だが、人の心には無常にも波がある。 強き心を持てない時は、正装の力に頼ってみるのも、立ち直りの切っ掛けに繋がるかもしれない…
2007年03月16日
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今日も昨日と同じように、一日を無駄にしてしまった。 『全国を見て廻りたい』 なんて言っていた自分が、まるで他人のような気がしてくる。 ちょっと前まで、今日のような雨の中を托鉢していた自分が嘘のようだ。 皆、それぞれが頑張っているんだ。 自分で自分を追い立てないで、どうする。 意味合いや手段よりも、どうやり通すかが大切なんだと思う。 とにかく、このままじゃいけない。
2007年03月15日
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何もやる気が起きない。 車の中でゴロゴロしたり、地図を広げてただ眺めてみたり、ちょっと散歩したり… ただ、それだけで一日を過ごしてしまった。 俺はいったい、何がしたいのだろう。 何を望んでいたのだろう。 今はなぜか、何もかも見失っているような… 自分が情けない…
2007年03月14日
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昨夜から山口に入った。 九州は予定よりも大分長く滞在してしまったようだ。 昼間は大分暖かいが夜は冷える。なかなか寝付けない。 今朝は、車を停めた場所が悪かったようだ。 朝方になって周りがやけに騒がしいなと思っていたら、車をノックされて工事をするから移動してくれと言われた。 これは初めての経験だった。 ちょっとした路駐のような感じだったのが悪かったようだ。 これからは気を付けよう。 さぁ、暫らくはまた知人に会うことのない日々が続きそうだ。 だが、だんだんと一人遊びにも慣れてきた。 また、頑張ろう。
2007年03月13日
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車検等で暫らく祖父母の所にお世話になっていたり、里人と会っていたりで、私を知った人との接触が多かった。 何とも刺激的な数日間だったと思う。 いつも一人なので、人の考え等を聞けるのが嬉しかった。 やはり自分だけの考えに固執したくはない。 様々な人と接して、様々な考えを吸収していきたいと思う。 だが、一番に目を向けるべきなのは動植物や石等であるだろう。 それらは人間の思考を超えた真の和を教えてくれていると思う。 正義を振りかざすのでもなく、相手に何かを求めるのでもなく… ただ、じ~っと風に耐えている姿には涙が出てくる。 願わくばそうありたい…
2007年03月12日
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寒の戻りというやつだろうか。 今日は風も冷たく、久しぶりに手足がかじかむ托鉢だった。 今日から再び福岡県に入った。 九州を一周したわけだ。 当初の予定では二ヵ月間だったが、結局は三ヶ月間も費やしてしまった。 正月を一人で迎えたり、友人のお寺にお世話になったり、一旦岩手に戻ったり、長期間サボってみたり、屋久島に行ったり… 色々あった。 どれも濃厚に覚えている。 まだ九州を終えたわけではないが、福岡に入ったとたんに、色々と思い出してしまった。
2007年03月06日
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また、私の旧友が亡くなった。 自殺だ。 何も出来なかった自分が悔しい。 何もしてあげれなかった自分がもどかしい。 何があったのかは分からないが… 駄目だ。 言葉に言い表せない… 私に出来る事は、合掌する事のみだ…
2007年03月05日
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そろそろ渓谷を味わいたいなと思い、近くにないか地図上で探してみたところ、九酔渓という場所を見つけた。 昨夜の内に近くまで移動した。 今朝から散策しようとしていたんだが、入り口が見つからず、結局『日本一の吊橋』という看板に引かれて行く事に。 山間にあるのに凄い渋滞。 何やら観光名所らしい。 あまりの車の多さにすでに興醒めしていた。 まだ距離はあるが車が進まないので、道沿いの駐車場に車を停めて歩いて行く事に。 昨年の三月に出来たばかりの吊橋。 長さが390メートルもある。 吊橋を渡るのにお金を払う事に違和感を感じたが、それよりもこういう場所で『大人一枚』と言う事に更なる違和感を感じた。 遊園地やカラオケ屋に一人で行くような、それに近い感覚だ。 吊橋を渡る長い行列に紛れ、先日草履が壊れたので歩きにくい下駄で臨む。 実は私は高所恐怖症なのだ。 緊張しながら汗ばんだ右手でしっかりと手摺りを握りしめる。 しかし、見栄っぱりな私は恐がっているのを隠すかのごとく、左手はポケットへ忍ばした。 揺れる揺れる。 立派な滝が三本見渡せる絶景なのだが、味わっている余裕がない。 この吊橋の高さは173メートルもあり、下を見たら…恐ろしい。 おそらく情緒溢れる綺麗な川のせせらぎがあるのだが…見れない。見ようとしても、まるで凶器のごとく感じてしまう。 小さな子供が、手摺りから手を離して楽しそうに走り回る姿に、一種の尊敬の念を持ち、また、『走ったら更に揺れるじゃないか!!』と心の中で叫んでいた。 やっとの思いで往復して、混雑する土産屋には目もくれず、車のある駐車場へ。 道中、あまりの自分の情けなさに落ち込んでいたのは言うまでもないだろう。 さて、次ぎなる目的地は湯平温泉だ。 ここは山頭火の所縁の地らしく、山頭火ミュージアム時雨館に行くのが目的だ。 まさしく山の谷間にある小さな集落。 平地なんて無く、どの建物も斜面に建ち、その真ん中を綺麗な川が流れている。 ミュージアムを探したが見当たらず、お孫さんと散歩していた方に道を尋ねたが、まだ分からない。 公共駐車場に車を停めて、勘で歩き廻ったら、見つけた。 絶対にミュージアムと名前を付けるべきではない寂れた佇まい。 ガタガタと開けにくい引き戸の中は無人で、柱に厚紙で作った箱が架かっていた。 『お一人様100円』 なんと奥床しい空間だろう。 細く急で暗い階段を上がった所に一つの和室がある。 窓からは眩しいぐらいの日が降り注ぎ、その窓の下に和卓が二つ照らしだされている。 壁には山頭火の句が数枚架かっていた。 正座して和卓に向かい、目の前の窓からは勢いよく流れる河と、そこに架かる青い小さな橋が眺められる。 古ぼけた和卓の上には、筆や墨汁等の書き物一式が揃っていた。 ここを訪れた皆が、思い思いの字や絵を書き残して行っているようである。 では愚僧も一筆、とばかりに筆を手にした。 何を書いたかは内緒である。 私だけが知っている旅の遊び心と言えよう。 山頭火の句で、一つ、心に響いた物がある。 『どうしようもない 私が 歩いている』 という句だ。 今の私と照らし合わせてみると、なんとも言えない深い味わいがある。 後に、人気のない石畳の温泉街に下駄を響かせながら歩き、足湯に浸かりながら他の観光客としばしの会話を交え、この情緒溢れる町に別れを告げた。 次の町は由布院。 もちろん温泉で有名であるが、地図を見ると美術館や博物館が沢山有ったので行く事にした。 いやいや、凄い人の数。 一旦は車で探したが、細く入り込んだ道に観光客で溢れているので、あきらめて適当な場所に車を停めて歩いて廻った。 何度も道に迷いながら由布院美術館に着いた。 万華鏡と佐藤溪シリーズが展示されていて、私が驚いたのは万華鏡だ。 万華鏡そのもの形の美と表現の美た。 私は侮っていたようだ。やはり、どんな物にも美を追求する世界が有り、同時に獲得した人物もいるという事を知った。 美術館の方に、お薦めの美術館を聞いてシャガール美術館とドルドーニュ美術館に行く事に。 人込みに揉まれ、またもや道に迷いながら着いたシャガール美術館は一階が喫茶店、二階にシャガール展をしていた。 一階から響く賑やかな音をバックミュージックに観覧。 シャガールの感想は、分からない、だ。 サーカスをテーマにしていたのだが… シャガールはサーカスに哀しみを感じてならないそうなのだが… 私はそれを拾い取れなかったようだ。 ドルドーニュ美術館は古ぼけた民家で、実際、展示されている作品よりも建物の方が私には興味深いものだった。 ただ、ここの館主の方とコーヒーを片手に二時間ほど会話を楽しんだ。 仏教の話し、抽象画の話し、パパラギの話し等をしたのだが有意義な時間を過ごせたと思う。 今日はここまで。色々と廻ったな。 いつの間にか、一人という事も忘れているようだ。 いや、様々な物と一緒になれているのかもしれない。 まぁ、寂しいのは変わらないのだが、木々も寂しいだろう。転がってる石も寂しいだろう。沢山の人に囲まれながらも寂しい人もいるだろう。 自然とそう思えるようになってきているのかもしれない。
2007年03月04日
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今週は托鉢に集中した。 今日は一ヶ所だけだったが、それ以外は全て二ヶ所を廻った。 この旅に出て初めての事だった。 そして回数だけではなく、内容というか、托鉢の容姿や意気込みも、初心に返ったように臨めたと思う。 だから、しんどさは何も無かった。 だが、昨日以外は美や歴史や木々に触れる機会はなかったのが残念でもある。 どうすれば、上手く両立出来るのだろうか。 いろいろ考え、そして試してみようと思う。 今夜は外が明るいようだ。 満月かな。
2007年03月03日
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暖かく晴れ渡った日が続く。 今日は活発な行動がとれた。 朝早くに目覚めて、すぐに仏舎利塔と磨崖仏を見に行き、托鉢をして、美術館に行って、また別の磨崖仏を見て、最後に少ない時間だったのだが托鉢をした。 仏舎利塔は、よく町の裏山に建っていて今まで気になっていたのだが、近くまで行った事はなかった。 たまたま、今日の町の仏舎利塔は遠くから見ても大きかったので、行こうと決めた。 『仏舎利塔の周りは特別何も無くて、ただ塔が建っているだけ』 と、前に聞いた事があったのだが、ここはちゃんとお寺があった。 そして仏舎利塔だが、インド仏教を思わせる形や色に関心しながら、確かめるように周りを歩いた。 何を確かめたかというと、どこで知ったのか分からないのだが『この塔には東西南北の方角に釈迦の何かがあるんじゃないか』というただの勘なのだが… それにインド仏教等は方角を大切にしていたような気がしたのだ。 やはりあった。 それぞれに釈迦の別々の姿があった。 記憶が曖昧で間違っているかもしれないが… 東は、天と地を指差した赤ん坊の姿。 北は、苦行で痩せこけながら座禅する姿。 西は、腕枕をして横になっている涅槃の姿。 南は、ふくよかな感じで成道された姿。 暫らく眺めていたが、これといった沸き上がってくる感情等は何もなかった。 世界平和を願って建てたそうなのだが… 磨崖仏は初めてみたかもしれない。 岩の崖を削って仏を形取る磨崖仏は、行く前日から、いや、地図で見付けた瞬間から心踊った。 多額の費用を使ったわけでもなく、どっかのお偉いさんが作ったわけでもない、ごく一般的な仏が本来の仏ではないだろうか。 岩崖をほんの少しずつ削り、ほんの少しずつ磨いていく作業。 さぞかし願いを込めたであろう。 車から降り、古ぼけて文字が読み取りにくい小さな案内板に従って歩く。 竹林の横の細い道を過ぎると磨崖仏が現れた。 風化が激しく、仏像の頭が無かったり、胴体に亀裂が入っていたりしていたが… すごい。いい感じだ。 この自然と崩れ落ちた仏像。 それが本来の仏に近い姿だと思う。 そして、この仏像を作った人も、自分が崖を削るぐらいなのだからすぐに風化して崩れるのは分かっていたはずである。 でも彫ったのだ。 きっと永久保存など望まずに、彫ること自体に重点を置いたのであろう。 この磨崖仏は文化財である為に近年になって屋根が付いたそうだ。 だから、私からすれば本来の磨崖仏の持味の半分しか味わえなかった。 地図で見ると、ここ豊後は磨崖仏が多くある。 どこかに雨や光を浴びる磨崖仏があったら、是非とも拝みに行きたいものだ。
2007年03月02日
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毎日、数十キロもの移動をいとも簡単にしている。 ほんの数日前の生活では、五キロ進むのに体のアチコチを痛めながら一時間も費やしていたのに… しかも、その五キロの間にちょっとした坂があれば、一時間半や二時間になったりもした。 車で移動する場合、目的地への道中に興味深い場所を見付けて、ほんの数キロだったら簡単に寄る事が出来る。 そこが美術館であれば、美を学べるし、景勝地であれば自然と触れ合えるし、先人記念館であれば偉業を知る。 だが、歩いての移動はそうはいかない。 実際、屋久島一周の道中に興味深い場所がいくつもあったが、道から数キロ離れた場所にあると、行きたくなくなった。 それに足を使う余裕がなかった。 もしその時、様々な場所に寄っていれば、私は新たな体験をし、学び、成長出来たであろう。 だが、それでは五日間では全く足りなかっただろう。 ただでさえ、五日間は長いという批判も頂いたのだし… この旅を車でしている事に、様々な方から批判を頂戴しているのだが、屋久島に行って分かった事がある。 私は日本に有る、様々な良い物を見たいが為に旅に出た。 歩いてでは雀の涙程度しか行く事は出来ないだろう。 私は今、車であるから多くを学べていると実感している。 なんだか書いている内に、歩く旅を批判しているような文章になってしまったが、私が言いたいのはそうではなくて『目的が違う』と言いたいのだ。 歩く旅は、それなりのメリットとデメリットがあり、車の旅は、歩く旅とは全く異なったメリットとデメリットが有る。 まあ、そういう事を屋久島の経験から、最近になって感じただけの事だ。
2007年03月01日
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托鉢をしていた時、いつものように門口に立った。 一見は普通の民家のような出で立ちではあったが、赤錆にまみれた小さな看板が掛かっている。 それには『東洋はり治療院』とあった。 お経をあげていると、中から男性が出てきた。 この方、目が不自由のようだ。 玄関口で正座して私のお経を聞いていらっしゃる。 盲目の方は耳が良いと聞いた。 私は驚かさない程度の声量に落し、深く響く声に集中した。 この方に送る、私の精一杯。 私にはおよそ想像すらできない苦労に対して、僧である私が出来るのは精一杯を伝える事だ。 お経を唱え終わると、和んだ顔つきで腕を前に伸ばして下さった。 私はとっさに鉢を、この方の手に柔らかく当てた。 ズシリと重い御布施。 それでいて純粋で清らかだ。 お話をしたかった。 この方の目である手を撫でたかった。 しかし、それをしてしまうと私の『我』が出てしまう事になる。 情の絡み合いになってしまう。 それでは、この崇高な空間を汚しかねない。 私の心情までは撤する事が出来なかったが、体だけは行雲流水に撤し、その場を後にした。
2007年02月28日
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私はよく自分の書いた日記を読み返しているのだが、お粗末な文章・内容だなとつくづく思う。 表現力の無さ、誤字、偏った見解、矛盾。 その中でも特に矛盾が多い気がする。 矛盾が多いという事は、一貫性が無いからだろう。 一貫性か。 だが、下手に一貫性というのを形作ってしまうと、今度は柔軟性が無くなってしまうような気がする。 木は、全体を支える根と、基本体の幹と、しなやかな枝がある。 それらが上手く機能して初めて生きていけている。 人間も同じなのでは? 日常から様々な経験をして様々な考えが生まれるだろう。 その中には、例え一つの事柄でも考えてしまえば多面制が出てくる。 多面制があるという事は矛盾も生まれるだろう。 だから矛盾というのは、それほど悪くはないと思う。 だが、矛盾だらけでは良くない。 ちゃんと幹や根がしっかりしていての事だ。 なんだか、言いたい事が上手くまとまらない。 考えれば考えるほど、こんがらがってしまう。 半端な文になってしまって申し訳ない。 いつか、ちゃんとまとまった時に改めて書こうと思う。
2007年02月27日
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今日は気持ちをうまく切り替えて臨む事が出来た。 そして、自分の中で一つの法則のような物を見付けた。 それは、朝早く起きると一日やる気が湧くという事だ。 まぁ法則と言えるほど大した物では無いが、うまく使いこなせば最近多い無駄な一日を減らす事は出来るはずだ。 早く起きるには早く寝なければならない。 そうなると、車が少ないという理由でやっている、夜中の下見を止めなければならないな。 まだまだ生活の中で改良すべき点は沢山有る。 色々と工夫してみよう。
2007年02月26日
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一日中、風も強くて雨も強く降った。 今日から宮崎県に入ったのだが、かなりペースを上げなければならない。 かれこれ、九州に入ってすでに三ヶ月以上たっているのだ。 さぁ、今日も色々と行ってきたのだが、久しぶりだったのが県立美術館だ。 企画展が無い期間だったらしく、常設展を無料で解放していた。 美術という物を全く理解出来ていない私だが、美術品を観るのは好きになってきた。 そしてまた、美術館に来ている方々を見るのも、結構楽しい。 まだ小さな子供の手を引いて、絵を優しく話すお母さん。 腕を組んで、絵に近付いたり離れたりしながら鑑賞する青年。 絵を観るよりも、解説やプロフィールをずっと読んでるおじさん。 足早に周り、館内に響く声でお喋りする老夫婦。 一点の絵の前で、ずーっと見つめているおばさん。 同じ作品、同じ空間の中でもはっきりと個性が出ている気がする。 そして、どの人の見方は良くてこの人はダメ。とか、そういった善し悪しも無いだろう。 すべてが『ただそれ』であるしか無いのだと思う。 何事にも、善し悪しを付けると争いの種にも成りかねないしな。
2007年02月25日
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昨日と同じように、何もしない一日だった。 頭に浮かぶのは屋久島での数日間の事ばかり。 自分にとっては、あまりにも強烈な日々だったのを痛感する。 なんか、むなしいなぁ。
2007年02月24日
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起き上がると足のあちこちが痛む。 特に甲がひどい。 ゆっくり動かしてみると、骨がきしむような音と感触がする。 そして、よく見てみるとかなり腫れているようだ。 托鉢で歩く事には慣れていると思っていた。だが、それは勘違いであった。 托鉢と一日中歩くのとでは訳が全く違うようだ。 今日はまともに歩けないし、休養という事にした。 昼間から温泉に入って、足をほぐした。 のちに、車内で衣の修繕だ。 屋久島でずっと着ていたので、ほころびがひどくなっていた。 明日からはまた頑張らなきゃいけないからな。
2007年02月23日
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ベンチのような所の上で寝れば、夜露から逃れられる事が分かった。 さぁ、今日も夜明けと共に目が覚めた。 早起きは気持ちがいい。特に外だから尚更だ。 今日は歴史民族資料館に行って、後は午後一時半のフェリーまで未定だ。 資料館が開くまでまだかなり時間があるので、近くを散歩して、神社巡りをしてきた。 途中、登校する小学生達の元気な挨拶に、微笑ましさを感じて歩いた。 小さな神社の縁側に腰掛けて休憩。 なぜか神社が好きだ。 お寺みたいに拝観料を取る訳でもないし、それでいて崇高な空気が漂っている。 ここでジーっと黙っているだけで気持ちが良いもんだ。 気が付けば九時。 役場の前にある資料館へ行ってきた。 小さな資料館だったが、退屈そうにしていた学芸員さんに事細かに説明してもらった。 昔の宮ノ浦岳は神の住む場所として崇められていた。 故に、伐採など人が手を加えてはならない地であったらしい。 しかし、平地の少ない屋久島では食物に困った。 薩摩藩とは交流があったものの、年貢として納める物もなく、貧しい生活を強いられたようだ。 それを見兼ねた一人の僧が島の人に、屋久杉を伐採してそれを年貢として納めてはどうかと提案し、それから屋久杉伐採が始まったらしい。 太いのに縄文杉のような木が残ったのは、製材するには形が悪かったからだそうだ。 その他にも、島の様々な話を聞いて資料館を後にした。 役場の前を通ると『世界の屋久島展』という催し事をやっていたので、覗いてみることに。 全国から出展された屋久島の絵が飾られていた。 様々な技法で表現されていたのが面白かった。 さて、まだ時間はある。 川辺に腰掛けて、屋久島の数日間を思い起こした。 歩いた。 野宿をした。 沢山の人と出会い、温もりに触れた。 もののけ姫の森、縄文杉。 どれもかけがえのない大切な事なので、読みにくくなってしまったが、事細かに日記に残した。 自分に課せた事を成し遂げ、十分な達成感を感じるが、一つ、気になる所がある。 独り善がりではなかったか。 という事だ。 こちらからお願いしたのにも関わらず、最後に相手さんからお礼を言われたり。 『頑張ってね』とか『よし、私たちも負けずに頑張るか』と言って下さったり、食物などの御布施を頂いた事から考えれば、私も何かしらの何かを皆さんに与える事が出来たのかもしれない。 『托鉢僧はその姿が説法となる』や『托鉢僧は法の施しを与えている』と聞いているし、実感もしている。 この屋久島行脚もそれに近い所まで出来たと思うのだが… まだ腑に落ちない。 もっと人の為に何か出来たのではないか。 更に踏み込んだ人との関わり合いがあったのではないか。 そもそも、本当に人に何かを与える事が出来たのか。 一個、山を越えたと思ったらまた次ぎなる山が現れた。 しかも、最初の山より険しいようだ。 まったくもって留まる所が無い。 だから辛い。だから楽しい。 自分の中に生きがいが有る。 私の周辺がどう変わろうとも、私の生きがいの本質は変わらない。 死ぬまで続けられるのだ。 いや、ひょっとしたら… 本当に死ぬまで真っ向に貫いたら… 死んでからも続くのかもしれない。 さぁ、船が来た。 帰るとしよう。 ここで自分は大きく成長出来た。 ありがとう。
2007年02月22日
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昨夜は寒かった。さすがに山の中は冷え込み方が違う。 そして、夜中に雨が降ってきた。 暫らくは様子を見ていたのだが、だんだん強くなってきたので、眠い目を擦りながら小屋の中へ。 不気味な小屋だが、やはり外より多少は暖かいから助かった。 ウトウトと眠りについていたら、耳元でガサガサと音がする。 私がわざと大きな音を出したら何かがカサカサと逃げていった。 朝になって荷物整理をしていて気が付いた。 貴重なパンがかじられていたのだ。 多分ネズミだと思う。 山の洗礼を受けて、いざ出発。 屋久島のメイン、縄文杉へ向かった。 雨上がりの朝は気持ちがいい。 うっすらと霧がかっている。しかも、もののけ姫の森という、辺りいっぱいが苔むしている場所なので、より幻想的な雰囲気を楽しめた。 ここは最高に良かった。 小さな水辺が沢山あって、立派な屋久杉、倒木、奇妙な形の木、大きな岩等が溢れていた。 足の痛みを忘れて、一人で大興奮。 もちろんレンズも向けていたのだが、既にバッテリーが残り僅かである。縄文杉まで保つか不安だったが、特に気に入った場所を選んでパシャパシャと撮った。 もののけ姫の森を越えて、辻峠を越えると、昔、屋久杉伐採の際に使っていたトロッコ軌道に出た。 これが妙に趣があって、そのトロッコ軌道に沿って歩くのだ。 ここで初めて人と出会った。 皆さん立派な登山の格好をしてらっしゃる中、私は雲水衣にワラジで風呂敷を背負っている。それでも、グングンと追い抜いていく姿に目を丸くしていたようだった。 それはそうだろう。まさか山の中で衣を着た坊さんと会うとは思わなかったはずた。私でも、きっと驚いたと思う。 何人かの方々とは会話を楽しんだ。 皆、口を揃えて『修行なんですか?』と聞かれた。 確かに修行は修行なのだが、やっている事は皆さんと同じ登山なのに、衣で登っているだけで修行と聞かれるのが不思議で面白かった。 トロッコ軌道が終わってから急に険しい上り坂になるのだが、そこでは息も絶え絶えであった。 ウィルソン株、夫婦杉、大王杉を過ぎると、待ちに待った縄文杉に出会えた。 凄い。 威圧感、存在感がもの凄くある。 撫でたくなったのだが、保護の為に触れなくなっていたのが残念だ。 そしてもう一つ残念なのが、縄文杉の直前でカメラのバッテリーが切れてしまったのだ。 だが、あえてそれが良かったようにも思われる。 本当に良い物は、写真よりも心に残していた方がずっと暖かく覚えていそうな気がするからだ。 暫らく見惚れていた。 一本の木を見るなら縄文杉は最高である。 だが、私はもののけ姫の森の方が好きだ。 最初は感覚的な所でそう思っていたのだが、ずっと理由を考えていてやっと分かった。 私が目指す『共存』という物がそこに在ったからである。 土、水、木、苔、石、動物、空気、光、時… それらが仲良く純粋に寄り添っている空間。 そこに深い魅力を感じたのだ。 まさに、人間の枠を越えた理想の地とも言えるのかもしれない。 さぁ、次は下山だ。 下るのは体力的には楽なのだが、痛んだ足には刺激が強かった。 今日中に宮ノ浦に出たかったので、白谷雲水峡からはまたヒッチハイクをしようと思い、一人で下山している方を見つけて頼んでみた。 快く許可を頂いたので有り難かった。 大阪からいらした方で、片足が不自由なようだ。この足で縄文杉まで行ったというのだから驚きだ。 最後に『良い旅の出会いをありがとね』と言って下さったのが、とても印象に残っている。 さて、日が沈むまではまだ時間があるので、昨日お世話になった薬局のおじさんに結果報告と胃のむかつきも治まったので、お礼を言いに行く事にした。 座りながらおじさんと色々話をした。 中学生の娘さんとも少し話す機会があって『島の暮らしはどうだい』と聞いたら『楽しい!!』と元気に答えてくれた。 遊びたい盛りの真っ只中。 だが、この島には都会の子供達が遊ぶような場所は無い。しかし、テレビや雑誌で情報だけは入ってくるのだろう。 素晴らしい場所で育っていながら、心は都会を見ていては勿体ないなぁと思っていたのだが… 彼女の素直な言葉に安心した。 ホテルの経営もしているそのおじさんに『ウチに泊まってもいいよ』と勧めて下さったのだが、意固地な私は折角のご厚意を断わってしまった。 その後、おじさんに屋根付きで寝れる場所と安い食堂を車で案内してもらい、お別れした。 いつかまた屋久島に来たら必ずお会いしたいなと思う。 さっきの娘さんの友達の家でもある食堂でラーメンを食べた。 帰り際に、大将の奥さんと少し話をしてタンカンとクズなんとかと自家製タンカン100%ジュースを頂いた。 食堂に食べに行ったのに、食べた量以上の食物を頂いたのだ。 生きていれば面白い事もあるもんだと思った。 そして同時に、私が背負っているモノの重大さも実感させられた。 屋根付きの寝床に移動した。海の傍の川沿いにあるから風が強く冷たいようだ。 荷物を置いて暫らく川を眺めていた。 すると、一人のおじさんが怒りながら近付いてきた。 この公園を管理している方で、本当はここで寝てはいけないらしい。 だがこのおじさん、ずっと怒った口調で話されていたのだが、内容をよくよく聞いてみると… 『ワシは見なかった事にするからな!』 『ワシが言いたいのはなぁ、ここで寝て良い悪いじゃなくてな!こんな寒いとこで寝るお前さんが風邪ひかんか心配なんじゃ!』 『腹は減ってないんか!?』 実はとても優しいおじさん。 こういう方、私は好きだなぁ。 最後に『お前さんなら1000円で泊めてやるぞ!』とまで言ってくれた。 旅の出会いはつくづく面白い。 夜になると更に風が冷たい。 だが、折角、紹介して下さった場所なのだからここで寝たい。 今夜が屋久島最終夜か…
2007年02月21日
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だいたい一時間ぐらいずつ目が覚めてしまう。 起きて空を見る度に、星の位置が変わっていたのが面白かった。 最後は午前二時半頃に起きて、また寝ようとしても眠れないでいた。結局、三時半までずっと寝返りの繰り返しだ。 どうせ眠れないのならもう歩き始めようと思い、荷物をまとめて真っ暗な中をライト片手に歩き始める事にした。 そういえば、フェリーで港に着いて島のパンフレットを手にした時、島一周のコースを変えようかと思っていた。 それは一周するよりも、港の反対側の尾ノ間という所から、島の真ん中の宮ノ浦岳を越えて縄文杉を通って、また港に出るコースの方が屋久島らしさを味わえそうだったからである。 しかし今朝になってその尾ノ間に着いた時、やはり一周が目的だったのだから…という、半ば意固地な面が出てしまい、結局は当初の予定通りしっかり一周する事にした。 朝六時ぐらいから、うっすらと明るみだしてきた。 今日も天気が良くて幸いだ。 雨が降ってしまったらどうすればいいか全く分からないからな。 今日も良い出会いがあった。 私が托鉢をしているのだと思った方がいて、托鉢ではない事を説明したが、いづれにしても修行をしているのだからと、御布施をお預かりした。 その後、長い直線の道を歩いていたら、軽トラの方がパンとジュースを下さった。『頑張ってますのぉ~』と言って。 屋久島空港を過ぎた辺りで警察に職務質問された。 話によると、歩いて一周する人は珍しく、しかもお坊さんだから更に目についたようだ。 こちらの事ばかり聞かれるのも何だから、ついでに屋久島の事についてや警察の事まで色々聞かせて頂いた。 それから間もなくして、歩いている途中に足元から『ブシューッ』という聞き慣れない音がしたので見てみると、左足から血が出ていた。 その音と血が本当に繋がっているかどうかは信じがたいが、薬指の付け根から少々血が出ているのは間違いない。 といっても、それほど痛みは無い。というか、そこより両足の甲の痛みの方がよっぽどひどいのである。 一歩、足を出すだけで顔が歪んでしまう程の痛さだ。 しかも、午後からは昨日程ではないが、再び吐き気がしていた。 だが、坊さんが足を引き摺りながら歩くのはみっともないので、痛み等は気にしないように努めた。 出来るだけ平静を… もう少しで宮ノ浦に着くぐらいの所で、道沿いに立派な気を見付けた。 凄いなぁと暫らく見入っていたら、車から元気な女性が降りてきた。 この方もこの木が好きなようだ。だが、周りの人達は誰も見向きもしないので淋しかったららしい。そこで私がジッと眺めていたのを見て嬉しかったそうなのだ。 本当に嬉しそうにしながら足早に去っていかれた。 そう言われると何故か私まで嬉しくなってしまうから不思議だ。 でも、本当に立派な木なのだ。大きいし、枝ぶりと言えばいいのか、幹ぶりと言えばいいのか、根ぶりと言えばいいのか分からない、不思議な形。だが、奇妙なエネルギーのような物を感じてならない。 良い出会いが出来た。 それから痛みと吐き気を堪えて、午後一時頃に宮ノ浦に着いた。 この時の感動は何とも言えない。 たった丸二日だけなのだが、濃厚過ぎる程の二日間だった。 暫らくは高台のベンチで感動に浸り、足の傷口を見てもらいに薬局へ行った。 痛くは無いが、これから縄文杉を見に山に行くのに、膿んでしまったら厄介だからだ。 そこの薬局のおじさんがまた独特の雰囲気の方で、多くを語らないが妙に親切なのである。結局、消毒も絆創膏もこのおじさんがやってくれた。そして吐き気がすると言ったら、サンプルの胃薬をいっぱい下さった。 何度も繰り返し言うが、屋久島の人は優しいなとつくづく思う。 おじさんに今日中に白谷小屋まで行きたいと言うと、急いだ方が良いと言われたのでお礼を言って薬局を後にした。 案内板を見ると白谷小屋の下の白谷雲水峡まで10キロとある。 時計を見ると既に三時を過ぎている。 白谷小屋は山の中にあるから、これは着く頃には夜中になるなぁと思っていたが、何とかなるだろうと安易な気持ちで山に向かった。 一応、白谷雲水峡までバスが出ているのだが、ここまできてバスは使いたくなかった。 すると、勾配がきつくなってきたぐらいの所で、よちよち歩く私の横に車が停まってくれた。 乗せて下さるという事だったので、これは天の助けとばかりに甘えさせて頂いた。 急な上り坂をグングン登りながら車内で色々と話をした。 神奈川から単身赴任でいらしたらしく、もう二ヵ月ぐらいたつらしい。そして私を乗せてくれているのも仕事中という事を聞いて恐縮だった。 ちょっと変わった事を聞かれた。それは『縄文杉を見て何になるの?』という質問だ。 この方はそういった物に何も関心が湧かないらしい。 一瞬答えに迷ってしまったが、私はこう答えた。 『確かに縄文杉を見たところで、特に何にもなりません。ですが、それはあくまで損得を中心に考えた場合です。私は、世界が認めた縄文杉が持つ命のエネルギーみたいな物を感じてみたいのです。そして、そこから僅かではあるかもしれませんが、何かしらの何かが得れると期待しています。』 これが正解なのか正論なのかは分からないが、とにかくそう思ったからそう言った。 話している内に工事で道が極端に狭くなった。仕事中に乗せて頂いている事もあって、ここまでで結構ですと言ってお礼を告げて車を降りた。 いやはや、本当に助かった。 案内板には白谷雲水峡まで三キロとある。 日もそろそろ落ちてきそうだったので、痛い足を無理に持ち上げながら急いだ。 急な上り坂の三キロは長い。 息を切らしながらかなり急いだが一時間以上かかった。 白谷雲水峡に着いたのが五時過ぎ。日が落ち始めてきた。 ここから白谷小屋まで小一時間かかるらしいので、休む間もなく急いだ。 白谷雲水峡には弥生杉等の立派な屋久杉が何本もあるらしいのだが、夜の山道を歩くのはいくらなんでも恐い。 そこは後日行くことにして、とにかく今は白谷小屋へ向かう。 ここからは山道だ。見渡せば辺りは立派な杉があったり倒木があったり苔もむしていて、屋久島らしさが伺える。 そんなところを、まるで千日回訪行のように走って行った自分がもったいなく思う。 白谷小屋に着いた頃には大分暗くなっていた。 初めて山小屋に寝る。しかも一人で。 山小屋とは不気味でしょうがない。電気はつかないし暗くて湿っぽい。おまけに臭かった。 こんな所で寝るなら、外で屋久杉に囲まれて寝た方が気持ちが良いと思い、大きなテーブルがあったのでそこに寝袋を敷いた。 ちゃんと部屋があるのに、わざわざ寒い外で寝る自分が可笑しかった。 パンを一個食べて薬局のおじさんから貰った胃薬を飲んで寝袋へ。 日の出と共に目覚め、日が沈むと同時に寝る。その間はひたすら歩くだけ。 最高にシンプルな暮らしだ。 それに何故かあまり腹が減らない。 さぁ、冷えてきたぞ。 明日は縄文杉だ。頑張らなきゃな。
2007年02月20日
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一昨日は徹夜したので昨夜は少々寒かったが、なんとか眠れた。それでも、夜中に何回かは目が覚めた。 初めて地ベタで寝てみて、一番の印象は夜露の多さだ。 これは湿度の高い屋久島だから特別だったのかもしれないが、寝袋の中は濡れたように水っぽいし、下に敷いた合羽には水滴が出来ていた。外に置いていた紙類はシワシワになっていた。 少々、夜露というものを侮っていたようだ。 さて、起きたのは六時半。 外はだいぶ明るくなってきていた。 そこでタンカンを食べて出発だ。 昨日のお陰で既に足が痛い。足の付け根がズキズキするが、歩き始めたらだいぶ和らいでくれる。 今日はすこぶる快晴だ。 歩き始めて数分後にまた車が止まって話し掛けてくれた。顔を見ると昨夜、最後に忠告を下さった方だった。 道端で少し会話をして、ビニール袋いっぱいのタンカンを頂いた。本当にありがたい事だ。 後で知ったのだが、丁度この時期がタンカンの収穫期らしい。本当に甘くて美味しかった。 さて、屋久島灯台を過ぎると西部林道だ。 忠告通りの細くて暗い道。 この地域は、屋久島一周のコースの中で唯一の世界自然遺産登録地内である。 だから、昨日よりももっと森が深く私を楽しませてくれた。 そして、野性の動物に何度も出くわした。 屋久鹿と屋久猿だ。共に体は小さい方だと思う。 私に気付いた瞬間は少し警戒するが、こちらが立ち止まったりゆっくり動いたりすれば、気を許してくれるようだ。 とはいっても、鹿はある程度の距離に入ったら逃げてしまった。 でも猿は私の足元で毛繕いを続けてくれた。 屋久猿は本当にかわいい。体格が小さく毛がふさふさしていて、何より色が良い。白銀に近い茶色だった。 京都の嵐山で会った猿達は目が合うと襲い掛かられそうになったが… 屋久猿に一目惚れだ。 西部林道を抜けて、遠目で大川滝を眺めてたところあたりで、湧き水を飲んだ。 こうやって歩いていると、水の有り難みが増す。 歩き始めて五時間ぐらいでやっと集落に出た。 そこでそば屋の看板を見付けて寄ってみる事にした。 外観は普通の民家のような感じだったのだが、入ってみると木目が綺麗で温もりのある木材をふんだんに使った立派な空間だった。 『注文して30分後に出来ます』という注意書きに島の暮らしを感じつつ、背中の曲がった老婆に天丼とかけそばを注文した。 ちょっとした贅沢を堪能して再び出発。 それから一時間ほど歩いていたら、どうも具合が悪い。胃がもたれたのか。 我慢して歩いていたが、どんどん悪化してきて吐き気に変わってきた。 ただでさえ、もう足のあちこちが痛いのに、吐き気までしてきたらどうしようもなく辛い。 何度も腰を下ろして休憩したが、どんどん悪くなる。 しまいには道端でしゃがみこんで思いっきり吐いてしまった。しかも、唾には血が混じっていた。 一回吐いてしまえば、かなりすっきりして歩きだした。 だが、暫らくすると再び吐き気がして結局はまた吐いてしまった。 そして気を取り直して歩き始めたが、三回目の気配がしてきた。しかも、軽い目まいと手足の先が痺れてきた。 これはもう限界だと思い、日も暮れかかった事だし、空き地も見付けたので、今日はここまでとした。 寝床を見付けて三回目を吐いてすぐに寝た。 が、寝付けない。車道のそばで車がうるさいのもあるが… 今日のこの吐き気は、食当たりなのだろうか。明日に残したくないなぁ、と思う。 さて、いろいろ考えてもしょうがない。綺麗に光る星達を眺めながら寝よう。
2007年02月19日
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朝八時半のフェリーで屋久島へ。 格好は雲水衣に看板袋と脚絆とわらじ。 荷物は寝袋、合羽、下着、冬用肌着、タオル、懐中電灯、里のしおり、眼鏡、コピーの地図、ペットボトル、本、財布。 これらを風呂敷二つに包んで、周りの人々の視線を浴びながら乗船した。 船内ではどうも衣の格好で横にはなれないので、屋久島のビデオと映画を観ていた。が、エンジン音のお陰で全く音声は聞こえず映像だけ楽しんだ。 時折、酔いそうになると甲板へ出て流れる島々を見渡し、これから訪れる自分にとって未開の事を思った。 三時間半程、波に揺られて屋久島に着いた。 上陸してみると意外と普通の町があった。しかし、町と後ろに大きくそびえる山々とが密接している。 観光案内所へ行き、島の詳しい地図が載ったパンフレットを探し、再び歩き始める。まずは島一周だ。 案内所を出てすぐに話し掛けられた。 『雲水さんですよね?』と。 この旅に出てから、托鉢以外で話し掛けられる事のなかった私にとって意外な展開に驚きながら話をした。 私と同世代ぐらいの男性で、同じ船に乗って島に来たようだ。身一つで。荷物なんて持たずに『自分を高めるために来た』と仰った。 仏教にも関心があるようだったが、ある程度の好きな事をしながら高めていきたいそうだ。だから、座禅はしたいが坊さんにはなりたくないらしい。 なかなか難しい道を選ばれる方だなぁと思いながら、もっと話をしたかったが、私には私の目的があり、彼には彼の目的があって島で出会ったわけだから、あまり長いこと付き添ってもしょうがない。別れ道の所まで来て里を紹介して別々の道へ。 いつか、里の禅堂で再会できる事を願いながら歩き始めた。 屋久島には県道が二本あって、島を一周している。それを私は左回り。つまり宮ノ浦港から西へ向かった。 歩き始めてたった数分後、再び声を掛けられる。 今度は車の中から… 『どこに行くの?乗っていく?』 二回も連続で人に話し掛けられた事と、その優しさに心底嬉しく思ったが、あくまでも歩くのが目的である事を告げて丁重にお断わりした。 島に来ていきなりの出会いに嬉しくなってニヤニヤしながら歩いていると、右手に小さな海岸があった。 まださほど歩いていないが、引き付けられるように海岸へ行った。 丁度良い大きさの石を見付けて腰をおろす。 凄く静かだ。 足元の石ころを拾っては撫で、拾っては撫でと繰り返し、気の乗ったところで立ち上がった。 どうやったら歩くのに風呂敷が邪魔にならないか工夫をこらしてみて、人気も民家も無い道を再び歩き始める。 右側に海、左側に深い森、その中を通る一本道。 見たことのない、奇妙な形をした植物達に目を奪われた。ゆえに退屈なんてしなかった。常にキョロキョロとして足を止めては葉をさすり『お前は不思議だなぁ』と話し掛けていた。 四つ目の集落ぐらいで日が傾いてきた。 だが、道はまだ長いしライトも持っているからと歩いていたら、小さな看板に目が止まった。 『マムシ注意』とある。ちょと心配になって偶々近くにいた方に尋ねてみた。 話によるとこの時期は出ないらしい。それよりも、その方はこの道の先を夜中に歩こうとする私を心配して下さった。 ここから先は西部林道という場所で外灯も集落も無く、道も細くなってほとんど森の中を通る道らしいのだ。ライトがあるからといっても危ないらしい。 そしてお礼を言って私が再び歩きだそうとしたら『タンカン食べる?』と言って立派なタンカンを沢山の下さった。 屋久島の人は優しいなぁとつくづく思いながら歩き始めたら、車で横を通り過ぎた方がバックして戻ってきて、さっきの方と同様に『この先は危ないよ』と半ばあきれた感じで仰った。 二回も連続で忠告して下さったので、これはもう従った方がいいだろうと、今日はここまでとした。 偶々近くに空き地があったので今日はここで野宿だ。少し高台にあって、さっきの集落と海が見渡せる。 どこかの会社の石置場のようで、ちょっとした石垣に使うような石が転がっていた。 その石影に隠れるように寝袋を敷いて、海を見渡しながら頂いたタンカンを食べる。 厚い雲がかかっていたので雨が心配だったが、島の方が仰っるには今日は大丈夫らしい。 初めての一人の野宿。 森の中からガサガサと音がする度に緊張してしまう。 衣のまま寝袋に入って、夜って意外と明るいんだなとか思っていたら、いきなり『ピーッ』と動物の鳴き声がして驚いた。 おそらく鹿だろう。 遠くから近くから、何回も鳴き声は響く。 全くもって貴重な経験だなぁと、妙に興奮して寝付けない。
2007年02月18日
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今日も本降りの雨。 だが托鉢が出来ない程度ではなかった。 最近、何もしない日が増えてきた。 言い訳はどれだけでも出来る。 そしてそれによって傷つく人もいない。 いつも一人だからだ。 そこに付け込んでだらけてしまう自分が嫌だ。 明日から屋久島に行く。 複雑な感情が去来する。 だが、考えたところでどうしようもない。 やってみるだけだ。 私が尊敬しているお坊さんが、酔っ払いながらもギラギラした目で、震えた小さな手で私の腕を強く引っ張り、よくこう仰った。 『とにかく、やれ』
2007年02月17日
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午後から知覧に向かった。 ご存じの通り、太平洋戦争の沖縄決戦の特攻隊は、ここ知覧基地を主軸に出撃した。 そこの知覧特攻平和会館に行ってきた。 遺影、遺品、資料等が大量に保存されている。 その中でも私が心惹かれた物は、隊員が出撃前夜に書いた遺書や両親や妻子にあてた手紙だ。 文章のどこにも死への恐怖を感じれない。 それどころか、自分の使命に満足しているような感じも受け取れた。 だが、文章と心は違う。 相手を心配させない為の言葉を選んだのかもしれない。 そして、兵隊ならば戦況というのは把握できたのではないだろうかと思う。 その中で特攻をしても本当に打開出来ると信じていたのだろうか。 無謀な死と分かっている兵隊もいたはずである。 その心境はいかなるものか… それと同時に、光栄なる死を遂げた兵隊もいたのだろう。 光栄なる死。 私の死はどこなのだろう。 その後、隣にある知覧歴史資料館へ行って、興の湧く事柄を見付けた。 ここ薩摩藩は江戸時代頃は一向宗を禁止し弾圧していたようだ。 なぜ禁止していたのか理由は定かではないが、キリスト教と同様の刑罰を行っていたという。 しかし民はそれに満足するはずは無く、隠れて念仏を唱えていた。 厳しい取り締まりの目からのがれるために、山中の竹林の影に洞窟を掘り、そこで阿弥陀仏を拝んでいたのだ。 そしてその洞窟(かくれがま)が、現在も残っているという事で学芸員さんに話を伺い、そこにすぐに向かった。 畑に囲まれた道を山に向かい、資料の通りの竹林の中にそれはあった。 本当に静かな場所である。 最近になって整地されたらしく、歩道もアスファルトだった。ほんの二・三年前までは当時のままの山道であったらしい。 そして洞窟を発見。 入り口は大人が身を小さく屈めて通れるぐらいの大きさ。 当然だが中は真っ暗闇。そして風穴から吹いているのであろ風の音が響く。 まことに不気味である。 だが、恐いもの見たさというか、どんな場所で人々が熱心に拝んでいたのかが知りたくて、恐る恐る洞窟内へ。 中の天井は低く常に中腰で、真っすぐには立てない。 だが入り口と比べて意外と横に広く、二部屋あった。 大きいほうの部屋は大人が四・五人程度入るだろう。 一見すれば、寺院の本堂とは天と地の差がある。 だが、本質は同じであろう。 いや、むしろこの不気味な洞窟内の方が私には崇高さを感じてならない。 現代人は拝む事がなくなったような気がする。 それは文明が十分に発達したからだろう。 息子が病気になったならば、仏に拝むよりも病院へ行く。 昔の人々が難とする事柄が、現代人には難とはならない。 それは良い事なのかもしれない。 だが、はたして本当に良いのだろうか。 作物の有り難さを知る事無くスーパーで手に入ってしまう。 病の恐ろしさを知るから、命の有り難さを知る。 一人では生きれない己の無力さを知るから、助け合いが出来る。 今は何でも容易に出来てしまうから、現代の諸問題が発生しているのではないのだろうか。 殺人、ニート、公共性の無さ等は特にそれに当たると思う。 昔の方々は拝むより他はなくて、一心不乱に拝んだのだろう。 だが、不自由なく暮らせる今の私たちが一番に欠けているのはそれではないのだろうか。 手中の便利さや自由を手放すのは容易な事ではないが、今一度手放してみれば、何か大切なモノが分かるはずである。
2007年02月16日
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托鉢を始める直前。毎回緊張している。 これは、ただの経験不足だけではないと思う。 私は中学生の時から托鉢をしている。大学の四年間は一回もしていないので、その分を省くと九年目になるだろう。 それでも、第一歩目、第一声目は緊張する。 今日はその第一声目をあげようと大きく息を吸い込んだ瞬間、つい飲み込んでしまった。 それは、歩道ですれ違う小学生にいきなり囲まれて質問攻めにあったからだ。 皆、不思議な格好をしている私に興味津々。 目がキラキラと輝いている。 子供は良い。 突発的な所、率直な所、無垢な所。全部が良いと思う。 今日は私自身が作った緊迫した瞬間を、一瞬にして悟してくれた。 だがいつからか、その率直さは失われてしまう。 それは社会で生きる為の術を身につけたからだろう。 その場に人間が二人以上いたら、そこは社会となる。 その社会の中で生きるには最低限の規律が必要になるのは致し方ない。 だが、もっと自由で解放的な暮らしが有るはずだ。 規律は守っても、心は穏やかな喜びを求めていれば、そこには必ず平和が有ると思う。 極論になるのかもしれないが、法律だけで平和は得れないと思う。 倫理があって初めて法律が成り立つのではないか。 少し話はそれるが、高校の授業で倫理がある。 それは三年生だけの授業だったので、私は一・二年生の間、首を長くして待った。 三年生になってワクワクしながら受講したが、教科書も黒板も人の名前や論理ばかりだったのに興醒めた。 そして大学になって、自由科目で哲学をとった。 これも高校生の時と同様に興味津々で臨んだが、またしても期待はずれ。 本当の倫理や哲学は教えていないような気がしてならない。 学校で教えているのは『何世紀の何国で誰が何論を説いた』というのばかりだ。それは学者を目指す人が聴けばいいのではないだろうか。 人間が社会で必要とする倫理や哲学は、もっと身近にあって、自分の中にさえもあるのだと思う。 子供達に生きる事を教えるのはどこだ?誰だ?
2007年02月15日
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今日はすごく風が強い。しかも大雨だ。 海辺に車を停めたから余計に風が強いのか。ちょっとした船に乗っているみたいに揺れる。 さすがにこういう日は托鉢は出来ない。 今日は一日のんびりと過ごした。 地図を見て今まで通った道程を追ったり、これからどうゆう風に通ろうかと考えたり… それだけでも結構楽しいもんだ。 そして、作務衣の修繕もした。 持ってきた作務衣は三着。もう全部ボロボロになってきた。生地が薄いからか、次々と破れていく。 簡単な裁縫をしている時は、ボーッとしているから好きだ。昔、学校でマフラーを編んだのだが、意外と熱中して夜な夜な三時間ぐらいやっても疲れずに楽しめた。 あとは、本屋で写真の雑誌を読んだりしていた。 この旅の写真は全部携帯のカメラで撮っているのだが、やはり機能的に限界がある。一番問題なのがピントだろう。これだけで随分と表現に差が出来てしまう。 ちゃんとしたカメラが欲しいのだが… 良いカメラじゃなくても、カメラってだけで良い値段が付いてしまう。 ここは我慢して、今有る手持ちの携帯カメラで更なる工夫をしよう。 不具合を感じたからといって、すぐに新しい物を探しても良い事はあまりない。 まずは不具合の中から楽しみを探し、面白みを味わい、工夫をする。 特別に急ぐ必要がないのならば、それぐらいゆったりしても良いのでは? きっと、この不便な携帯カメラだからこそ可能なショットがある、はずだ。
2007年02月14日
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久しぶりに早起きできた。といっても七時半だから、早いとは言えないか… いつもより早く起きれた。 まだ夜が寝付けない。昨夜は九時半に床に着いたが、それから三時間ぐらいはゴロゴロと寝返りばかり。 様々な事が頭に浮かんでしまうようだ。 屋久島に行く事にした。 旅の当初もその予定であったが、先日の里帰りとその後の引きこもり期間で、随分と予定が変わってしまったから、屋久島に行くかどうか悩んでいた。 だが、行く。 絶対に行きたい。 そして、本当の行脚をする。 歩いて島を一周だ。 地図で目測してみると、100キロぐらいだと思う。 托鉢はしない。 宿泊施設等は利用しない。 衣で行こうか悩み中。 食物が一番心配している。どうしようか… はっきり言うと、恐い。 今まで、青春18切符やヒッチハイク等の旅はした経験はあるが、今度は歩き。いくら鹿児島でも真冬の野宿の経験は無い。 雨が降ったら?何日で廻れる?水は?必要な物は? 何も分からない。 いや、何も分からないからこそ挑んでみたい。 この屋久島行脚。 パパラギの為になることなんて何一つとしてないだろう。 『托鉢をせよ』 と言われた事から背いていると思う。 『一人は皆の為』 にはならないだろう。 だが… ノルマなんかより、もっと広く深い意味でパパラギの為になると思っている。 まぁ、たった100キロ程度で考えすぎなのかもしれないが… 一つ、淡い夢心がある。 縄文杉の根を枕に眠る事。 出来るかなぁ?
2007年02月13日
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先日行ってきた、星野富弘さんの文で、私が気に入ったのを紹介したい。 見ているだけで 何も描けず 一日が終わった こんな日と 大きな事をやりとげた日と 同じ価値を見出だせる 心になりたい
2007年02月12日
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今日は日曜日なので色々と観てきた。 いつもは先に何があるかを調べてから行動していたのだが、段々とマンネリ化してきたので少し趣向を変えてみる事にした。 今朝、目覚めたここ田浦を出発点にしてゴールは水俣市。その間にはいくつもの観光案内板があるだろうから、それを発見してその場で行くか行かないかを決めてみる事にした。 すると意外にも、車を走らせて30秒もしない内にまず第一の行き先を決めた。 岬の高台にある温泉だ。先月末に里に戻っていた時に入って以来、まだ風呂に入ってなかった。 不知火海を一望し、遠くには天草の山々が連なっていてまさに絶景。鳥達の戯れる姿にも癒された。 新鮮な石けんの香りに気分を良くしながら再び南下。 すると今度は美術館の看板があった。 星野富弘美術館とある。 これも迷わず立ち寄ることにした。もちろん、私はこの方の事は何一つ知らないのだが、とにかく美術に触れたい一心である。 この方は、中学校の教諭になるが事故で手足の自由を失い、入院中から口に筆をくわえて文や絵を書き続けている方だ。 心に響いた作品が数点あり、一気に星野富弘ファンになった。 世界観がもの凄い。五体満足な私では、いくら修行を積んでも獲得出来そうにない境涯をお持ちである。 もの凄い人を発見してしまった。 言葉の余韻に浸りながら次の偶然の看板を目指した。 次に誘われたのは、またしても美術館。 つなぎ美術館である。 駐車場がどこにあるのか分からないぐらい小さな美術館だった。 車を降りてまず目に入るのは、川の向こう岸の小さな山にあるゴツゴツとした荒い岩肌。そしてその上に何故か国旗が掲げられていた。 とても気になるがまずは館内へ。 企画展で秀島由己男の作品展が催されていた。どこか聞いた事のあるような気がしていたが、一向に思い出せない。 しかし、作品を観ていてひらめいた。私が行った高校にあった絵と雰囲気や書き方がそっくりでなのである。 ただの勘違いの可能性も高いが、今度、後輩に聞いてみよう。 その後、気になっていた裏山に登ろうとしたが、道が分からずにウロウロと彷徨った。その道中に、神社を見つけて拝みに行き、私には梅なのか桜なのか分からない綺麗な花を写真におさめて、次ぎなる町へ出発。 車を走らせてすぐに水俣市に入った。一応ゴールしたわけだが、水俣市に来たのなら必ず水俣病の資料館か何かがあるはずだから探し回った。 特に、今日の一番の目的は水俣病を心に焼き付ける事だったから、時間を気にしながら探した。 私の持ってる地図の範囲外の場所にあった。 水俣病資料館。 見るに耐えない悲惨な姿の写真や映像だった。しかし、見なくてはならない。目を背けてはならない。 これが人間の浅ましさが生んだ悲劇なのだ。 特定した人間が目先の欲を取り、その結果、一万人を超える被害者を生んだ事実。 決してこんな事が再び起こってはならないと確信した。 目先の欲に捉われる。 水俣病についてはそれが本当に大きな結果として出てしまった。 しかし大小構わず、そういった事は日常の中に溢れていると思う。 近年、日本人の公共性が失われてきているという、この渦中にあって、どうしたらそれを防げるのか。 真剣に考えさせられる。 今日は様々な分野で恵まれていたと思う。 だが、なかなか宗教団体の門を叩くのに踏み出せない。 様々な思想や実践を学びたいとは思っているのだが… この壁は早く超えなくてはいけない。
2007年02月11日
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お茶を頂いた。 托鉢の最中に。 最近、暖かい日が続いていたので、今日はいつもより薄着で托鉢に出たのだが、意外と寒かった。 そして今日の町は大きな町だったので長めの托鉢となったのだから、最後の方は日暮れと共に芯まで冷えていた。 喉も枯れかかった最後の方のお宅で、玄関先に立ってすぐに、お盆にお茶を乗せてすすめて下さった。 とっても熱いお茶。 冷えた体を温め、枯れた喉を潤してくれた。 そして何より、その気遣いが有り難い。 玄関先に立ってすぐに熱いお茶を出して下さったという事は、何件も先から準備を整え、タイミングを見計らっていないと出来ない事だと思う。 頂いている最中にそれに気付き、そのあまりに心優しい接待ぶりに涙しそうになった。 身も心も温めてくれる、美味しいお茶。 こんなに素晴らしいお茶はなかなか味わえないと思う。
2007年02月10日
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最近、自分が目指しているモノが何なのかを考えている。 『目指している』と言っていいのか『欲している』と言っていいのかも分からないが、とにかくそれが私の奥底に有るのは間違いない。 言葉を色々と探ってみた。 自由 解放 純粋 聖なる物 確固たる物 信頼 強さ 自分らしさ 済度 忍耐 大我 静寂 … 様々ある。 だがどれもピンとこない。 具体的にあげるなら『より多くの苦しみを持つ人々と共に生き、全てを分かち合いたい』だが、その更に奥に何かがありそうなのだ。 もっと生命の根本にある何かを知りたいし目指しているし欲している。 ような気がする。 それを得たならば、または、それを知ったならば、先にあげた全ての物が結果として含まれるような気がするのだ。 まだ自分が何を目指しているのかも分からないのが、現段階の自分である。 『周りを気にせず』 と言うが、気にしてしまう。私の周りの大体の方は、歩むべき方向性を固めているのに… だからといって、良い意味なのか悪い意味なのか分からないが、焦ってはいない。 私は昔から人より成長が遅いようだ。そしてそれに対して特別な感情も持っていない。 だからこれからも、人よりゆっくり成長させていきたい。
2007年02月09日
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大した事ではないが、気になる事がある。 誕生日を祝うという習慣は、いつから、何の為に行われたのだろう。 理容店は『床屋』というが、なぜ『床』という言葉を使っているのだろう。 今はこのぐらいしか思いうかばないが、日常生活の中にこういった疑問点は多々ある。 その答えを知った時は、腫れ物がとれたかのようにスッキリして気持ちがいい。 だが、それだけである。 由来や理由を知っても、ただスッキリするだけなのだ。 よく『自分は何の為に産まれてきたのか』とか『自分に課せられた運命とは何か』を考える人もいる。 もしその答えを知ったならば、まずは間違いなくスッキリするだろう。 だが、その後は? そう。日常はなんら変わり無くやってくる。 これはかなりの極論になるかもしれないが… もしかすると、『知る』という行為はそれ程大切な物では無いのかもしれない。 例えば、富士山をある場所から見たとしよう。そしてこれが富士山かと『知る』訳だが、当然、その場所からは見えない裏側の富士山の姿もあるはずだ。 そう、『知った』つもりでいても、実はそれは偏見である可能性がかなり高いのではないか。 本当に大切な物は体が勝手に『覚えている』ものだ。 例えば、呼吸はすごく大切だろう。だが、呼吸の仕方を知っているから呼吸をしている人はいないのではないか。呼吸の仕方は体が勝手に覚えているのだ。 動物の狩りの仕方もそう。 植物の花の咲かせ方もそう。 『知る』という行為は、一見大切なようだが、実に危ない物なのかもしれない。
2007年02月08日
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肥後の山間部にある小さな町。ここは石橋が多くあるという。 町のポスターに、いつかどこかで見たことのある写真が載っていた。 石橋の両側から勢い良く水が出ている。 後で知った事だが、この石橋は教科書にも載っているらしい。 昨夜は、その石橋の近くまで来て眠りについた。 そして今朝、托鉢を始める前に行こうと予定していたのだが、あまりに面白くて結局は午前中いっぱいは観光していた。 というのも、石橋のほかにもすぐ近くに滝があり、そこがとても良かった。森林に囲まれ、つり橋が架かり、かなりの高さから落ちる滝が迫力満点。 なぜか私は滝が近くにあると知ると近寄りたくなる。そして、出来るかぎり滝壺に近寄りたくなる。 しかし、今日の滝は勢いが凄まじく、10メートルぐらいまで近づくので精一杯だった。それでも風圧と水飛沫を体いっぱいに浴びて大満足。 それにしても、石橋から滝口まで行くのは山道だったので足がくたびれた。 以前はこの程度で疲れる事はなかったのだが… やはり数日前ずっと引きこもり、ほとんど歩きさえもしなかったからだろうか… 体が鈍っているのを実感している。 最近、箒を握りたくてしょうがない。 以前、鳥取のお寺で庭掃除を手伝わせて頂いた時の爽快感をまた味わいたい。 たまに『ここ掃除したいな』という場所があったりするのだが、箒が無い。 まぁ箒がなくてもやる方法はあるのかもしれないが、やはり箒が良い。 寺小僧と箒は良く似合うし。 車に竹箒を積もうかと思案中である。
2007年02月07日
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