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少しずつですが、変化が出てきましたというのは、旦那の話しですが…先日、いつものように晩酌をしていると、なんだかやけに翔太の話題になる旦那たくママ的には、酔ったときに話なんてしたくないこれで何度ケンカになったことか…「今18でしょ?定時制に4年通ったら22。もうさ~先のことを話し合わないといけないよ。翔太と会わせて、話をさせてよ。」と。確かにたくママは、嫌がる翔太の気持ちがわかるからずっと会わせなかったし、会いたくないのに無理させる必要も無い、かわいそうだし、昔を思い出させるし…と思っていたでも、旦那は先々、家を買う気になっていて翔太との二世帯住宅を希望している。中古でもいいからと、条件の合う物件を目下探している最中。一人で勝手に動いているからたくママは何も言えず、ただ見ているだけだけどいずれローンが払えない年齢になったときには、名義ごと翔太に託すつもりらしいそして、旦那自身は糖尿病、高血圧と自分の将来に不安があるらしく、長く生きる自信もあまり無いよう残るたくみんとたくママの面倒は翔太に任せたい…などと話すだから一度会わせて話をさせてくれ…。翔太は俺がキライかもしれないけど、逃げてばかりじゃ何も変わらない。もう18なんだから、大人の会話が出来るだろう…と。たくママは間髪置かずに聞いた「じゃ、絶対に絶対に!翔太を殴ったり、罵ったり、バカにしたり…昔のようなことはしないでくれる?」あんなことがあって以来、初めてたくママが直接旦那に言う言葉になった。すると旦那は大きく頷いて「もう何をしても翔太は自由だよ」と。そう言われて…家族が一緒になれる希望が少しだけ見えてきた気がした嬉しくなった考えてみたら、翔太を旦那から遠ざけることばかり、逃がすことや会わせないことばかりして、そうやって翔太を「守ってきたつもり」になっていた。でも、逃がしてやった先には、今回たくママを悩ませた孤独だったり、寂しさだったり、家族に飢えさせてしまっただけではないのか…時間がこれだけ流れて…もしかしたら家族が集まる環境が整ってきたのかもしれない。焦ったらダメ。ゆっくり少しずつ流れに逆らわずに…良い方向に進めますように…心から願いますそれから…昨日、夜中にまたまたメールをよこした翔太。「明日、ちょっと行ってもいい?」と何も無かったようにメール。「いいけど、13時から仕事だからね~」と送るとまたまた返事も無しそれでも、わざわざうちに来て約1時間、久しぶりに親子の会話をしました。あの「家族って何?」には触れる事無く、今までと同じ何一つ変わりない様子の翔太を見て安心しました結局、これでいいのかな?と。悩みに悩んだプレゼントは、翔太の手元に届く2日ほど前に友だちに中古で譲ってもらったとのことで…無駄になってしまいました…それでも…「新品?もう一度読み返すからもらっておくよ」とまあ、いいや、持っていてくれるなら…それと、その先日の旦那の話しを翔太に手短に伝え…拒否するか、嫌がるか…と不安だったが、翔太は翔太でここ2週間ほど学校に通っていないことや、先々についての不安があったらしく思っていたよりもかなり素直に「わかった」と言ってくれただからといって、今すぐに何がどう…というわけではないけれど、翔太も旦那に対する気持ちに変化が出てきてくれたのか…やはり願うしかありませんね、今は。少しずつでいいから…、ちょっとの歩み寄りでいいから…うまく無理する事無く、無事にごくごく普通の家族になっていけますように…。願うしかない、たくママです
2008年07月17日
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先週は、たくさんの方々からコメントをいただいて本当にありがとうございましたm(__)mあれから…プレゼントに何がいいのかだけを考え、そういえば確か4月ごろ、遊びに来たときに帰りに地元まで送ってほしい…と言われとめどない世間話を1時間近くして、送り届けたときに「探している本(マンガ本ですが…)があるんだ」と出版社や名前などを言われました覚えられずに「後でメールに細かく書いて送って」と運転しながら気楽に返事をしたっけ…後日、細かな情報が届き、本屋に行くたびに、まして用も無いのに探して歩く日々でした。結局、見つからず翔太からの催促も無くそのままに…それを思い出し、ネットで新品を探すことに決めました本人が買うから古本でいいし、途中の11巻と12巻だけだから…って。楽天ブックスでラクラク見つかって購入出来ました。ポイントを使ったり、ラッピングをしてもらったり…と送料込みで1,000円ちょっとのお買い物でしたが…金額じゃないですよね…忘れないでいたこと、喜んでくれるかな~思い返すと、このゴタゴタのころ、たくママ自身がかなりイライラしていたことに気づきましたあの子は多分、メールでその雰囲気を汲み取ってしまい、迷惑に思われているくらいの気持ちになってしまったのではないかと思います。なので「家族って何?」「俺ってあんたのどんな存在?」みたいな感情が出たのではないかと思いますというのも日当で仕事をしている旦那、先月は一週間も休む羽目になってしまい、それだけでも10万以上のお手当てが減りますそれに加えてやっと始まった現場は、今度は土曜日が休みだという…ということは日当も1ヵ月に4日ほどは消え…10日以上は休んでしまうことになり、支給額を考えるとかなり頭が痛い状況になっていましたそれに加えて今の現場は帰ってくるのが早いので、たくママ5時にたくみんをお迎えに行き、その後お買い物を済ませての帰宅。するともう旦那は帰って来ていることが増え、休む間も無く洗濯物を取り込み、お風呂の支度に晩御飯の用意…と休む間も無く動き回る日々が続き…正直クタクタでしたそれに加えて、今の職場に入り、3ヵ月が経ちいろいろと見えてくるんですよね…たくママとほぼ、一緒に毎日仕事に入っている30代独身のMさん。最初は優しくていい子だと思っていました。ところが…彼女とたくママ2人で二台のレジが稼動しているのが当たり前ですが…たくママのレジにずらっ…とお客さんの列「なんで?どうして?」と後ろを振り返るとMさんが居ない…「あんた一人?困るわねえ~」とお客さんに文句まで言われ、気分は最悪ジュースを飲みに行ってしまったり、レジカゴを片付けながら野菜屋さんのパートさんとおしゃべりをしたり…とまるでジッとしていないさすがにあまりにも酷いので上司に相談し「レジから離れるなっ!」と釘を刺してもらいましたが…相変わらずで…その上、おしゃべりが大好き一人暮らしのおじいちゃん、おばあちゃんが多いので、つい話し込んでしまうのはよくわかりますが、これがまた5分くらい平気で話しているその間、手は動いていない、口だけが動いている…毎日その状況を見ては「たくママより前に入っているのだし、他の人に言ってもらっているのだから…」とガマンしているのですが、鼻につくというか…イライラが止まらないわけですレジが隣なら、たくママにも四六時中話しかけてくるので、レジも離してもらったのに今度は懲りずにお客さんと…いい加減ため息しか出ませんよね…他のパートさんの話によれば「いい子」だと思っていたのはたくママだけで、天然のKYな子らしく本人は全く悪気が無いミスがとにかく多い子でもあるとか…上司の方々はいつ辞めてもらっても結構なくらいの勢いだとか…じゃあ、一緒に仕事をしなくちゃいけないたくママは…最近、仕事に行くのがMさんと一緒だというだけで憂鬱です…そんなこんなを誕生日の前日、翔太に全部メールして謝りましたm(__)mその間、皆さんにもらったコメントを何度も読み、考え…落ち込んだり、ふて寝してみたり…メールにはイライラの事情と一緒に「誰よりも先におめでとうと送らせてね」と。もちろん、返事は無く、それでも当日には旦那からもたくママにメールが入り「今日は翔太の誕生日だね、おめでとうと伝えておいてね」と。それをまた、翔太にメールして…旦那がそんなメールをくれること自体がたくママは嬉しくてね…そして、ネットで注文した本が届くとわかりまた「プレゼント近いうちに送るからね」とメール。返事が来なくても、何かしていないと落ち着かない誕生日の一日でしたその夜中…「ありがとう、多分没収されるだろうけどね…」とだけメールが入りました。そんなことないと思うのですけどね、プレゼントなんだし、マンガ本なんだし…でも、返事をくれただけちょっとは機嫌を直してくれたのでしょうか。救われた気がします。それ以来、メールも無く、何の気配もありませんが、見守るしかありませんよね。18、立派になったようでも大人への途中で、まだまだ子供で、甘えん坊で、かまって欲しくて寂しくて…愛されたい…たくママ、何を言われても受け止めてやります翔太にはたくママしかいない。不安も不満も、愛情もなにもかも、全部ひっくるめてたくママの息子ですものね自分の不満やイライラを知らず知らずのうちに、翔太にぶつけてしまい、傷つけてしまい…ダメな母親でした反省しつつ、マンガ読んだかな…と、次のメールが来るのを待っているたくママです
2008年07月10日
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なんだか…つらいですあれからメールするでもなく時間だけが過ぎておりました。…と、日曜日の夜にメールが…「明日、行っても大丈夫?」と。「仕事で10時から15時まで居ないから時間作れないよ」と返事を送るとそれ以降返事が来ない…するとその夜、真夜中2時過ぎにメールが来た。「家族って何?」何があったのか…何ってどう答えたらいいのか…考え出したら眠れなくなってしまいました結局、いつも思っている…とか、支えあって…とかなんとも歯切れの悪いことばかりが頭をよぎり…答えが出ません久しぶりに晴れた今日も、さえない気持ちでどうしたらいいのか…何があったのでしょうどうしてやったらいいのでしょうわからずただただ…凹んでいます7月4日…今週、翔太は18になります。誕生日…どうしてやったらいいんでしょう
2008年07月01日
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お久しぶりです…というのも、ちょっと落ち込んでしまっています先日、またいつものように翔太のお世話になっている養護施設の担当職員の方と、児童相談所の方と翔太本人を交えて、今後の話し合いが行われました。ここのところずっと調子が良いようで、機嫌も良く、落ち着いた印象があった翔太のこと、たくママだけでなく、職員の方々も口々に「良くなった」と評価してくださいました「鬱」の状態も安定してきているようだし、学校も遅刻したりするものの1ヵ月のうちの三分の二ほどは通えているらしく…「スゴイね、頑張っているね」と褒めていただけた…これからも「頑張って」「翔太くんなら大丈夫よ」のその「言葉」が悪かったらしく翔太がキレた…というか八つ当たりされてしまいました話し合いの間は静かにしていたのですが、帰り際に「お母さんとお話をしてもいいのよ」と言われ「おう…」と個室に入るなりたくママを睨みつけて「重たい…職員の言葉も何もかも重たいんだ…」と。「頑張れ」「あなたなら大丈夫」は…鬱にはキツイ言葉で、みんながあまりにも期待をかけすぎたようで辛かったらしく…学校のことも、バイトのことも(カラオケ屋さんのバイトは、無事に採用されて続いているとのことです)回りがみんな、安堵し過ぎで逆に責任の重さを感じてしまっている様子でしたお小遣いも催促されたけれど、手持ちが少なかったこと、バイトをしているからあまり親に甘え過ぎないように…と話すとまたまた機嫌が悪くなる…「母さんが高校生のころは、親にもらわずにバイトをして欲しい物を買ってたよ」と話すと「施設で強制的に貯金させられているから、自由になるお金がないんだ」「それは翔太の将来を心配してくれているから、無理やりの貯金なんでしょ?わがままだよ…」と言うと「母さんが高校生のときには親元でだろ?俺は状況が違うじゃん…」「俺は好きで施設に入ったんじゃない。入りたくて入ったんじゃない。母さんとは立場が違うんだ」と言われてしまいました冷静に考えれば、たくママのせいで翔太は施設に入ったんですよね…今の旦那と結婚しなければ、翔太はこんなことにならなかった…翔太の喉元まで「お前があんな奴と結婚したから俺は居場所が無くなったんだ。自由も無くなったんだ。」と出かかっているのがわかりました改めて、あの子の人生を狂わせてしまったことに重たい空気を感じ、帰る足取りが重くなってしまいました…メールも無く、たくママからも何をどうメールしていいものか躊躇するまま時間だけが過ぎていきます。無力ですね…息子が苦しんでいても何もしてやれない…何て言葉をかけたらいいのかわからない…今、たくママがツライのはその罪を償えということなのか…と痛感しています。たくみんの笑顔を見て、成長を喜び、その傍らに翔太が居ないことを感じると胸がしめつけられるような苦しさに襲われます。兄妹が一緒に生活していない…現実なんですよね…
2008年06月26日
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昨日、いつものように仕事をしていると…若い女性のお客さんが小声で「あの~…あそこにいるおばあちゃん、ほらベージュの服を着た小柄な…。あの方、自分のバックの中にお漬物入れたのを私見たんですけど…」と教えてくれました急いでレジを閉めて店長のところに行き事情を話すと、すっとんでお店へ…そのあとは、レジを再開しなくてはいけなかったので、何がどうなったのかわからずにいたんですが、しばらくすると後ろで店長の大きな声が…普段ニコニコ穏やかで、優しい店長ですが、今回はすごい形相でおばあちゃんに「本当に困るんですからねっもう辞めてくださいねっ」と念押ししていました…夕方のニュースで、高齢者の万引きの番組を見るけれど口答えをしていたり、ウソをつく様子に呆れていたんですが…実際に本人を見てしまうと、なんとも悲しく切なく、胸が痛みました裏に連れて行かれて、そうとう店長に怒鳴られ他のパートさんもかなりビビッたと言っていました「レジまで聞えなかった?怒鳴り声…」と。どんな事情でそんなことをしたかわかりませんが、空しくなってしまいました。そういう世の中になってしまったんでしょうか…お年寄りと仲良く、楽しく会話をして癒されていたたくママ、なんとも後味の悪い一日になってしまいました…
2008年05月17日
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寒い日が続きましたが、風邪などひいていないですか?久しぶりのお日さまに洗濯、掃除、布団干し…と喜んでいます土曜日、翔太が来ました「たくみんに会いに」と言ってましたが、不要になったゲームソフトを売りたいけれど未成年だから一緒に行ってほしいと。「2,000円になればいいかな」と話していた4本、売ってみれば7,200円にテンションは機嫌がいい翔太、よくしゃべる。翔太お兄ちゃんに会いたがっていたたくみんは、ジッ…と見つめるだけで照れてしまって…黙ったまま。今までと真逆の2人がおかしくておかしくて…また、いろいろな話をしました。「この前、昔父さんと暮らしていたM市に友だちに会いに行ったんだ。ついでに暮らしていたマンションを見てお祓いっていうか…トラウマを脱出できたらな…なんて思ってね。でもさあ…見たら…なんか……悲しくなった」まだまだ、翔太の心の傷は癒えるはずも無く本人なりに苦しんでいるのがよくわかりますとてもとても辛かったあの頃…(詳しくは⇒こちらにいつも何かしらの苦しみとかを伝えてきたけれど、今回はそういう話か…何度どんな形で訴えてきても、母さん何度でも聞くし答えるし慰めるし、支えるよ…だから、いくらでも吐き出してね…って思いますけれど、少しずつですが変わってきているのです。この前、テレビで特番を見ていたとき、確か難病の子供たちが出てくる番組でした同年代の子を持つ親ならきっと見入って泣き出してしまうでしょう、生まれて5年やそこらで命が消えてしまうなんて毎回、見ては涙が止まらなくなってしまうたくママでしたが…そして、それにつきあう旦那は「仕方ないよね、持って生まれた運命だから寿命だよ」とかなりクールに見ていたんです、今までは。それが…泣いているんですよ…旦那…たくみんもたくママもビックリしましたよ…有り得ないことでした…。その後、何かまた別の番組かニュースを見ていたとき…今度はこう言いました。「俺も翔太には悪いことしたと思うよ…」とぼそっと…絶対に有り得ない…たくママとケンカしたって、自分が悪いとわかっていたって、絶対に謝らない人が反省の言葉を述べたんですよ…時間が旦那の心の中を少しずつ変えてくれているようですだから、その話を翔太にもしたら…「うっそ~、マジでぇ~?」とこれまたビックリされ、以外だの有り得ないだの、雪降るんじゃね?くらいの勢いで驚かれました。良い方向に進んでいるみたいですこれからも、ずっと急がず焦らず、ゆっくり少しずつの前進が出来たらいいなぁ…と思っているところです。それから…定時制高校に行き始めた翔太。学校は、頑張って通っているようですが…(鬱の症状も今は落ち着いているらしい)以前夕方から働いていた「お好み焼き屋」さんは、昼間は使ってくれないとのことで辞めることになってしまいました。施設の職員の方にも、とりあえずは高校に行くこと、が一番と働くのをもう少し待ってから…と心配してくださっていたのですが、今週土曜日にカラオケ屋さんで一件面接をしてくれるところが見つかったらしいです昼間のカラオケじゃオバちゃん相手じゃん…と話していましたが、これも今の流れかと思い自分を使ってくれるところがあることに感謝するよう話しました。髪が長くてもいい、昼間だけでいい、それでも雇ってくれるならありがたく働かせてもらわなくちゃ…たくママも最近痛感したところ。しっかりと、翔太に伝授しました面接…受かるといいな…
2008年05月15日
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ご無沙汰してましたm(__)mというのも、毎日家計簿とにらめっこやりくりが…やはり内職のお給料だけでは家計は回復出来ず、少しでも貯蓄を増やしたい思いから久しぶりに求職活動をしてみましたでも…パートで働かせてくれる身近なところなんてスーパーくらいしかないですねしかも日曜日や祝日には必ず出てほしい…というところばかり探せども見つからず…テーブルの上にある広告をふと見るとわが家から歩いて徒歩1分のあまり行ったことがない駅前のスーパー広告商品が書いてある隅っこに「パート募集中」との文字を発見しかも日曜祭日はお休みという…なんて条件の良いところ…さっそく電話をして、面接をし、4月1日から新しく働かせてもらっています人事担当の方がたくママと同年代の男性と女性。なので、保育園に預けているなら平日のみ、急な発熱時には電話をくれればいいとも話してくださり…無事にスーパーのレジ係となりましたレジ稼動数が少ないので、時間に関係無くそれなりに忙しい。以前「ジャスコ」でレジをしたことがあるたくママ、初日から一人でレジに入れられて戸惑いもあるものの、難しいマニュアルも無く、制服も無く、ただ単純にレジで「ピッ…ピッ」とやってます。元が八百屋さんだったというここは、野菜と果物が豊富で、見たことも食べたことも無いような食材が豊富特売の日にはお肉もお魚ももちろん、野菜もとても安いし今まで買い物に来なかったことを後悔する日々です。それでも、家計にも優しいお店なのでうまく利用できたらいいな安いとなると、もちろん年配の方もたくさんいらっしゃいます。お店によって随分客層も違うもので、駐車場が広いスーパーは若いお母さんが多いけれど、ここは本当におじいちゃん、おばあちゃんがたくさん来ます年金から保険が天引きになり負担が大きくなったぶん、このお店はありがたいのでしょうね。一円玉を「ひい…ふう…みい…」とゆっくり数えるおじいちゃん。脳梗塞を患い、半身が不自由なおばあちゃん。両親が無くなったたくママには、とてもとても懐かしい存在で、ついつい優しくなってしまいます混雑しているときには出来ないけれど、出来る限り袋に入れてあげたり「ごめんね、混んでいるのに…」と後ろにずらっと並ぶお客さんをよそにゆっくりとお金を出していたりしても昔ほどイラつくことも無くなり「いいんですよ、ゆっくりで」と言える余裕も出来ました。親孝行 したいときに 親はなし毎日お年寄りと会話をすることが楽しくて、嬉しくて…充実した日を過ごしていました携帯からはみなさんのところに、遊びに行くも読み逃げばかりでごめんなさいパートの時間形態が安定してきたので、これからは更新できるかな…と思いますみなさんにお伝えしたいこと、たくみんの成長も、翔太の成長も…そして、翔太に対する旦那の考え方一つ一つが少しずつですが変化してきています先月も遊びに来た翔太、こんなこと言ってました「友だちと話していて、父さんと母さんに万が一のことがあったときって…俺がたくみんと暮らすようになるよね?…そしたらさ、よくオヤジが言われる「キモい、ムカつく」なんてたくみんに言われるようになるんかなあ…すげー悲しくなりそう…って話になった」と。思わず大笑いしてしまいました。翔太は翔太で一生懸命に先のことを考えてのことなのでしょうが…そこまで考えなくても…と相変わらずの様子で安心しましたちゃっかりと、お小遣いをおねだりされて、毎回帰って行きますが…頼れるお兄ちゃんになっていたことが嬉しい♪駅前でホストにスカウトされたけど、おかまバーで働いてみたい…とか、翔太の頭の中はクルクルクルクル…いろんなことを考え動こうしている様子が凄くわかります。どこはダメ、どこがいい…なんてその辺の親のようなことは言いたくない。翔太の好きにやってごらん…どこに行っても何をしても勉強になるのだから…と何事にも動じることなく好きにさせてやっています一度きりの人生ですものね、後で「母さんのせいで後悔した」なんて言われたくないですものねたかがパート始めたくらいで、気持ちも充実し、時間にメリハリも出来、余計なことを考える時間も無く、家計簿をつけるのが少し楽しみになってきたこの頃…子供に対する気持ちも少しだけ寛大になった気がしますもっといろいろと書きたいのですが、本日はここまでで…後日ゆっくりと遊びに伺いますので、これからもまたよろしくお願いします
2008年05月08日
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相変わらずご無沙汰しておりますm(__)mすっかり春らしい暖かな陽気になり、気持ちも和みますね2月27日、28日で、無事に試験を受けた翔太いよいよ3月6日、合格発表の昨日でした…朝から待つも一向に連絡が無く…不安は増す一方待ちに待ち…くたびれたお昼にようやく連絡が入りました受かったら「思ったことを言う」つもりで…もし落ちたら…何て言えばいいんだろう…と複雑な気持ちでいたので、鳴っている電話にすぐに出れず折り返しかけることにしました。それでも早く結果が知りたいたくママ。鳴り終わると同時にかけなおし…「もしもし…?」「おー、……たよ」「…聞えないよ、どうなった?」どちらにもとれる「…たよ」もうもう…心臓が爆発するようにドキドキ…「受かったよ!」「そっか~、うんうん、よく頑張ったね。おめでとう」話すそばから涙が出て緊張の糸が一気に切れたようでした万が一、失敗したらあの子はこれから先をどうしていくのだろう…とずっと思い、就職活動…施設を出ての「一人暮らし…?」不安に思うことばかりが頭をよぎり、未来に対してとても心配していました。だからといって、今回合格出来たことが終わりではなく、翔太にとってはこれからが「正念場」になります。朝起きられないこと、毎日学校に通うこと、働くこと…など、難関がいくつも待ち受けています。目の前に居ないだけに、余計に心配なのですが、果たしてどうなることか…。いくつになっても、やはり母親というのは子供に対しての心配は尽きませんね。きっと死ぬまでこうした気持ちをひきずっていくのでしょうね。それでも、何よりも大きなプレゼントを翔太にもらえ、ホッとしたたくママでしたそれもこれもみんな、ここで励まし、慰め、応援してくれた皆さんのおかげだと思っていますm(__)m。本当にご心配をおかけして、また、温かく見守ってくださってありがとうございました。これからも、まだまだ山をいくつも越えていく翔太ですが、見守り続けてください。いつか、あの子が「幸せ」をつかむまで…
2008年03月07日
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またまたご無沙汰しておりました今月…5日、児童相談所の方、養護施設の職員の方と…そして翔太本人の計6名で翔太の今後について話し合いの場がありました行く前から随分気を揉みました朝10時からの1時間ちょっとでしたが、何を話すにも翔太に気持ちを聞き、一つずつ解決の道への一歩になれるよう…気を使っていただきました。たくママは、今後の進路も「高校に行くかも…」「施設に居るのがツライ」など、心配事が山のようだったのでとても不安で仕方がありませんでしたけれど…今月中旬に希望校の願書を提出し、本当に本人が受験をしたいと思っているということ。それから…施設では「18歳になったら施設を出る」という約束があり、本人は7月に誕生日が来たら状況はどうあれ、施設から出なくてはならない…と思っていたこと。これは…もちろんどの子供たちも、18を迎えた年齢でキチンと高校を卒業した時点での話しで、翔太の場合は2年遅れての春から高校1年になるということなので、特例に20歳までは施設で保護していれるように児童相談所にお願いをするとのこと。児童相談所側は、翔太が春から高校に合格出来、キチンと定時制高校に通う傍ら、仕事も昼間にしっかりする…という条件が満たされた時点で、改めて申請許可をいただけるよう動いてくれるとのこと。でした…いろいろとブチブチ…いろんなグチを聞かされた割には「施設を追い出される」と思っていたと聞かされたときには「それでも、施設を頼りにしているんだ」とホッとしました競争倍率も低い高校なので、とりあえず「合格」できることを願うばかりですその場で、翔太はたくママから1mくらい離れた場所に座っていたので、言動がちょうど見やすかったのですが、施設の方、相談所の方と話す姿、態度、見ていて今までの言動と違うことに気づきましたほんの少しではありますが、なんだかわが家でたくママと話している翔太と変わらなくなってきたように思いました。それ以上に、敬語を使い、相手の目を見て話している姿は、世間では当たり前の光景かもしれませんが、あの子にとっては素晴らしい成長だったように思います親バカと笑ってやってくださいね…それでも、わが息子を誇らしく思い、また逞しく思い、とても嬉しかった一日でした
2008年02月14日
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強く冷たい北風が吹く中、昨日翔太が今年初めて遊びに来ましたたくママの本音は「会うのが怖い」でした先日くれたに「今の施設に居るのがイヤ」「施設を出て働く」といった内容が頭に残り暗い気持ちになっていたからです何を話すのだろう…期待より大きな不安を抱いて翔太を待ちました。でも、いざ来てみれば…普通のいつもの変わらない翔太の様子なので聞いてみた「この前のメールを読んだら母さん動揺するじゃん。あれからどうなった?何か心の中に変化あった?」と。すると…「あー、あれね、あのときかなりおかしくなってたから、送った内容覚えていない」だって「鬱」の影響なようで、本音ではないらしい…ってか、いろいろ悩んで考え込んだたくママの一人相撲?やれやれ…とホッとしたような…なんか複雑な思いでした11時に来て、夕方4時半まで…「友だちが子供が出来たから、学校辞めて働くんだって」「超早くね?避妊はしなくちゃね」なんて会話がぽつりぽつり…。携帯をいじりながらお気に入りの曲を聴き、相変わらずのふてぶてしさですがそれでもやはり愛おしい気持ちに変わりはありません定時制高校は受験してみるとのことで、なんとか気持ちは気味かな?心の中では精一杯の応援をしていても、クールに話を聞くたくママでした。翔太は、家族と会話がしたいんだ…と気づきましたただ「家族が恋しい」って。そういう意味では、またたくママのこの家の中に居る3人の関係を妬ましく思ってしまう母なのですでも…今回も会えて良かったいつも思う…翔太、ごめんね…って
2008年01月25日
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またまた、お久しぶりでしたあれから…今度は「たくみん」が嘔吐水を飲んでも吐く何も食べられず、病院に連れて行くときには38.7°にまでなってしまいとても怖い思いをしましたなので、先週はずっと看病と育児をし、やっと昨日から保育園に通えるようになりました。皇室の「愛子さま」がウィルス性腸炎になった…とニュースになりましたが、どうやらたくみんも一緒だったようです。何はともあれ、本日の「雪」にも関わらず「わーい」と喜ぶほど元気になってくれて良かったですと…でも、大変だったんです…先週半ば、親類が亡くなったと連絡が入り、なんでも旦那が小さなころ随分と可愛がってくださったおじさまだとのことで…告別式には是非出席したい…と。そうでなくてもわが家は「家計が火の車(違っ!)」状態だからといって「行くな」などとムゴいことももちろん言えるはずもなく…だってだって…そのおじさまは「名古屋」に住んでいらっしゃった…新幹線で行くにしても車で行くにしても「」そして…旦那の親族が集まるので「じいじ」と「ばあば」にも是非「たくみん」を連れて行き会わせたい…と…たくママ的には「病み上がり」のたくみんにはとても負担があることだと思うわけですでも…たくみんを連れて行く…ということは…たくママももちろん同行なわけで…新幹線より車=33 なら金銭的にも安くなるわけで…そしてそしてたくママにとっては「初名古屋」なんですよ…高速代はETCでカード払いなので、とりあえず燃料代は…たくみんの口座からちょこっと借りました…どうしても行きたい…という気持ちはよくわかります。最期のお別れくらいきちんとしたい…で、日曜日にとんぼ返りで行っちゃいました片道5時間…さすがに長かったですね、旦那の実家がある静岡はまだまだ中間地点でしたもの…うん…遠かった午後一時からの告別式にはたくさんの方々がみえていて、なんでも会社の社長さんだったらしくたくさんの従業員の方もいらっしゃっていました。故人のお人柄がよくわかりますね、こういう時って。皆さん、涙を流しながら棺にお花を手向け最期のお別れをしてました…たくママも棺に入っている姿を見ると思わず涙が止まらなくなり…(一度しか会ったことないのに)やっぱり人が亡くなるって…とても悲しいことですね。。。しめやかに…でも、たくみんたち小さな怪獣の元気に笑い走り飛び回る姿も故人には喜んでいただけることだったのでは…と思います。終えたのが午後6時半帰り道では伊勢湾岸自動車道の刈谷ハイウェイオアシスというところの「観覧車」に乗りたいというたくみんの希望で名古屋の夜景を堪能初名古屋といいながら結局はどこも行けず、愛知県も初でしたが「通行」しただけの寂しいものですが、それでもおじさまをお見送りでき、お別れできて良かった、一緒に行って良かった…と思う一日でした。心配していたたくみんも翌日月曜日に一日休養を取り無事回復たまにはこんな無茶苦茶で超ハードなドライブも「刺激」があっていいかしら…たくママもすっかりリフレッシュした感じ今朝から降る雪も、なんだか気持ちをなごませてくれています
2008年01月23日
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ブログを今年初更新した日の夜中突然の吐き気に襲われ、熱を計ると38°旦那が前日から風邪をひいたといっていたのをうつされた…らしいなので、昨日は一日寝込んでおりました心労がたたったのか…ついてない…おととい夕方には翔太からメールが届き「明日行くよ」と12月に来たときにはハンバーグを作ってあげたけれど、今回は何を作ろうか…と張り切っていた矢先のことでした。昨日の朝は、たくみんを保育園まで送るのもやっと…当然、翔太にも風邪をうつすわけにもいかず、まして会話をするなんてとんでもなくそんな元気は無かったので、断りのメールをして…返って来た返事は「マジ?早めに行こうと思って昨日から寝なかったんだが…しょうがないね…おだいじに」と少々冷たい返事落ち込みもここまで来ると究極です…それでも、ここ数日の暖かな日差しを感じ、忘れずに(お小遣いをせびりに来るだけのことですが)来てくれる翔太をやはり愛おしく思い、少しだけ癒された気もしますコメントを入れてくれたように、やはり見守り励まし話し合う、それしかないのでしょうね。落ち込んだ気持ちにまたまた「一喝」していただけて、目が覚めた気がしました。またまた、今年も甘えてばかりで始まってしまったたくママの生活ですが「鬱」という一つの大きな山を親子で何とか頑張って打破できるように頑張らなくては!と思いますたくみんがだいぶ前に「嘔吐下痢症」になったのですが、たくママも同じかしら?下痢にはならないまでも、軽い腹痛と胃がもたれてムカムカ、それに加えての嘔吐皆さんも、体調管理は十分に行ってくださいね(たくママには言われたくないか…)手洗いとうがいは必ずしていたんですけどね…本日は、とても元気になりました
2008年01月10日
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長い間、ブログが更新できず…パソコンすら開けない日々が随分と続きました今日、久しぶりにページを開くと…「おめでとう」「風邪ひいていないですか?」といくつかのBBSのコメントを読みました。こんな私ですが、忘れずにコメントを入れてくれたこと、とても嬉しく本当に嬉しく…いきなり涙が出てしまいました…年末のご挨拶も、年頭のご挨拶も出来ませんでしたが、本当にありがとうございます改めて、昨年は大変お世話になりました。悩みを抱えたたくママに励ましの言葉、慰めの言葉、そして温かい声援をたくさんいただきました。いつも辛くて皆さんに甘えてばかりでした…反省していますそんなこんなを引きずっての今年…、またまたため息の出るようなことばかり続いている日々なのですが、昨年同様に叱咤激励、皆様からいただけることを励みに頑張ろうと思いますので、こんなたくママですが本年もよろしくお願いいたします……と、昨年はたくママは仕事が大変忙しく、寝る間も無いくらい「貧乏暇なし」でした。そんな中、ずっと心配していた旦那の仕事ですが、イヤイヤ通っていた会社はやはり退職しましたというのも、以前勤めていたユンボのオペで使ってくれていたK社、12月初旬からやっと再開し、元に戻った…ということになります。皆さまにもさんざんご心配をおかけしましたが、やっと「落ち着くべきところに落ち着いた」状態です。もちろん、先々、仕事が途絶えるようになった場合には、次の会社(K社の親会社)へ移るという条件と、日当も前回よりも少しだけ多くもらえる様に「きっちりと」条件をつけたらしいですが…とはいえ、1ヵ月半仕事を休んでいた分の収入が無かったわけで、貯えも底をつき…年末年始はとても貧乏くさい日々を過ごしております(現在もお金のにらめっこは続いています…)あとは…翔太のことが昨年末からずっと「負い目」のように気持ちが暗くなっています先月、暮れ近く、メールが届き…「いきなりだけど、高校行き直さないでこのまま施設を出て働くこともありかな?って思った。美容師は一度諦めて…」と「とりあえず早く施設から出たいんだ。最近、施設に居づらいし帰るのもイヤだし…だったら働いた方がいいような気がする」とたくママ、親子3人仲良く暮らしている自分の生活がとても妬ましくなり、思わず「うちに帰って来たら?」とスゴイ勇気がいったけれど送ってみましたでも「帰れないよ…」と親としてこんなに情けなく、寂しく悲しく何もしてやれない不条理な…なんとも言えない複雑な思いが暮れからずっと続いていますポジティブに考えることが出来ずに、どうしても自分を責める日が続いています。父に毎朝、お線香をあげながら「翔太を守ってやってください」とお願いし続けるくらいしか、今のたくママには出来ず、どうにも動けない。悩み尽きず、年明け早々から考え込んでしまっています…明るい話題を提供出来なくて、ごめんなさい
2008年01月08日
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あれからとりあえず、渋々と仕事に通っている旦那ですが…希望職種の大型の運転などちっとも無く、毎日鉄くず相手に奮闘しています今いる会社は、鉄くずや捨てられた電化製品などをリサイクルする「エコ」な会社なのですが、その運搬を希望して入ったにもかかわらず毎日ゴミと格闘する日々になっているようで、両腕は傷だらけ…先日は、冷蔵庫を持ち上げたらしくグキッ…と腰をやっちまった…で、夕食時にはいつもそのグチを聞くのが日課になってしまいました年末調整や、保険加入の手続き、いろいろな書類を会社は持たせ、着々と正社員としての準備をしているわけです…よね昨夜帰宅した旦那。「金曜日にユンボの会社の面接に行って来る」と言い出したたくママの気持ちは…確かに毎朝「会社に行きたくないオーラ」が出てました迷っているのもよくわかる結局、K社も11月から忙しくなると話していたのに、ストップがかかっているようでまたまた保留…なので、K社には戻らずで正解だったものの…。でも…今いる会社だって、もう辞めずに頑張るだろう…と思っているわけで…。なのに、本音も話さずにとっとと辞めるかもしれない…って失礼じゃないでしょうか…ね。で、本音は…もういい加減に落ち着いてくれ~って感じです…でもね、コメントをいただいた皆さんが思うように、決めるのは本人でたくママがあーだこーだと口出し出来ることじゃない。黙ってデ~ン…としているつもりです…が、明日いったいどうなるのか…不安です。。。ってか、精神的に疲れてしまいました…
2007年11月08日
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仕事が忙しく、携帯からは伺っても、なかなかコメントを入れることは出来ず…読み逃げばかりで本当にごめんなさい時間が出来たら、必ず遊びに行きます、待っていてください…実は…昨日、翔太が来ましたいくつか嬉しいお話がありましたまともに学校に通っていれば、現在高校2年生ですが…鬱で夜間に眠ることが出来ず、学校に通えない状況でした。幸い心療内科でいただいたお薬を服用すれば、なんとか夜眠る…ということが出来るようになったらしく…「俺、もう一度高校行きなおそうかと思うんだ…」と今まで何度も、仕事をする上で高卒という看板は必要だから…と話してきましたが、今回美容師になりたい…ということから彼なりにいろいろと調べた様子。専門学校に通うにしても、今はまず、もう一度高校生活をエンジョイするとかで…施設長さんに来週お話をしてみるというのです。もちろん、許可が出るかどうかはわかりませんが、たくママは大賛成しましたそれから…うちに来るなり「腹減った…」と嬉しい言葉何年ぶりに聞いたんだろ…あいにく何も無いので、ラーメンを作ってご飯を出すとあっという間に平らげてしまいました…今まで、ランチに出かけてもサラダだけスパゲティだけケーキとコーラだけなんて、まるでダイエットでもしているかのような食の細さだったのに、がっつり食べる姿を見てなんだかとても安心しましたそれから話をするときに、何故か真っ直ぐにたくママの目をジッ…と見るのですいえ、いいことなんですけどね…今まで髪をいじりながら…とか、携帯をいじりながら話すことが多かったのでこれもまた、少し成長したのかな…なんて美容師かぁ…いつまで目標にし、実現するかわかりませんが、やはり今は信じて心の中でエールを送ろうと思いました帰宅した旦那に話すとこれもまたビックリ「まわりでとやかく言うより、自分の思うようにやってみたらいいんだよ…」と、なんとも理解ある言葉に思わず2度見しちゃいました少しずつ、本当にわずかづつですが、何かが「良い方向」に向けてくれているような気がしましたその旦那ですが…今週に入り、ずっと大型の運転はお休みで、掃除なりゴミ拾いなりをやらされている「かなり嫌気のさした状態」が続いていましたヒヤヒヤしながら、日々見送っていたたくママですが、昨日、社長さんが「どうだ?続きそうか…?」と来たそうで。で、不満をぶつけたそうです「運転手で入ったのに、これじゃやってられない」ともうすぐ忙しくなるからガマンしてみてほしい…とのことで、一応今年はガマンしてみるという結果になりました。入社早々、支給された制服がツナギだったのですが、これも「すぐに辞める人が多い」ので渡さなかった…と真新しいシャツを4枚、上着とズボンを2着ずつ、防寒用のジャンパーに合羽もみんな新品で支給されましたなかなかここまで支給してくれる会社もない…とも思うのですが、とにかく黙って黙々と働いて様子をみることになったようです。仕事をやりやすいように変えてみる…と話していたけれど…どうなることか、まだまだ心配は続きそうですコメントをくださったように、ジッ…と構えていることが一番いいようです。あたふた…おたおた…しないで、デーンとしています…なんとかなるさっ…ってね平和に元気に明るく過ごしているのは、どうやら「たくみん」だけなようですちーとも登場しませんが、4歳になり、かなり生意気になっちまいました…
2007年11月01日
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なんかね…イヤな予感はしていたんですけどね…というのも、旦那が今の会社に勤めだしてから昨日で4日目です。交通の便もよくないので、原付バイクを通勤用に買い(13万くらいかかった)昨日からは10トン車をあてがわれ、一人前の仕事をさせられるようになったとのこと。「早く独り立ちさせてもらって良かったね、気がラクだろうし…」と思っていたんですで、昨日一日仕事を終えて帰ってくると突然…「前の会社(K社)の社長から電話があってさ、11月から3月にかけて大きな仕事があるから戻って来てくれ…って言われたよ」と話し出したんですちょっと待ってよ~~~って思うじゃないですか…そんな話、もういいじゃない…とは思うものの、現場で働いているのは旦那。お金を稼いでくれているのも旦那本人。話している相手をしなければいい…とあまり聞く耳を持たなかったたくママですが、シカトしていてもポロポロと話を続ける旦那今の会社で、あちこちに行き、従業員の方々と会社の話をするたびに「交通費が全額でない」「早出しても残業しても、手当てがない」「車を少しでも傷つけたら、本人が負担させられる」などなど…不満に思うことをいろいろと話してくれたらしく…旦那曰く「辞めるなら早いほうがいいよ、とばかり皆が口を揃えて言ってくる」ですとたくママも独身のころ、車関係の現場に居たのでいろいろな不満がありつつも、比較してみるともっと待遇は良かったと思います。「噂はウワサであって本当のところはわからない」から今日、社長さんに聞いてみると話していた旦那ですが…。車はぶつけたくてぶつける人なんていませんし、万が一人身事故でも起こしたとき、会社が「知りません」と言ってきたら大変なことになります。もちろん、保険に入っているでしょうが、どうも従業員の負担がかなり大きく給料から天引きされ退職した方もいらっしゃる…らしい。そんな話を聞くと、無理してでも続けて…とは言えず…K社の社長さんは、辞めると話したときにも止めなかったし、事情が事情だけに仕方の無かったことで、別にケンカしたりイヤで辞めたわけではないから、今回、「辞めたのに」連絡を入れてくれました保証金と称して少ないけれど…と10万円を働いていないのに振り込んでくれたことや、従業員のその保証金を支払うために、かなりの借り入れをして無理してくれたんだということ…それらを考えると一概にどうの、こうの、と話すのは「現場の人のことを考えてくれることが一番だし、社長さんと直接いつでも話が出来る関係のほうがたくママはいいと思うよ」と話しました(K社の社長さんはいつでも携帯に電話をすれば会話が可能。今の会社は、間に管理職の人がたくさんいるので直接話すことはなかなか出来ないらしい)「かあちゃんのその一言で、少しラクになったよ…」と話してました。ただ13万も支払ったバイクを出来る限り元の金額に近くなるよう、自分で責任を持って処分することと、K社に戻るのならばその11月から3月までの仕事の先も間違いなく「仕事がある」ということを確認すること…を条件に出して「よく、よ~く、考えて決めてくださいねっ」と言ってやりましたさて…またまた「たくみん家」は波乱万丈な道を歩むのでしょうか普通の生活がしたいだけなのに…
2007年10月24日
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長いご無沙汰をしておりましたゴメンナサイ本日、やっとやっとや~っと恋しい皆さんにブログを書き綴ることが出来ましたこれも神様が与えてくれた「日」なのか…今日、たくママ誕生日なのですもう誕生日が来ても嬉しい「年頃」ではありませんが、ブログが復活できたことをとてもとても嬉しくとてもステキなバースデープレゼントになったと自負しておりますさて…旦那は…といえば、9月初日からずっとニート化してしまい…さすがにわが家の蓄えも底を尽きてきて…それでも会社は相変わらずの「自宅待機」状態。9月分のお給料は「保証金」と称して10万円が出ただけ元を正せば、あの「姉歯建築事務所」事件がことの発端なので、文句を言えるはずもなく…。でも、生活できませんからね10月に入り、とうとうたくママ旦那に話しました。「このままじゃ、生活していけなくなるよ…」「うん、仕事探すよ…」そんな話をした週末の求人広告で、一件条件を満たす会社を見つけた旦那。さっさと履歴書を書き、週明けには電話をかけて面接の日にちを決め、さっさと面接に行き、とっとと採用され翌日から(というか、昨日から)仕事に出かけて行きました何度か前の会社には様子を伺い電話をするも、毎回返事は「もう少し待ってくれ」だけで…一向に仕事が始まる気配が無く、旦那もとても不安だったんだと思います。働かずに、まして子供までが毎日保育園に通う姿を見送ることは、旦那には相当辛かったろうと思います。決めたら決めたでやることは早い旦那だったらもっと早くに決断してほしかったのですが…今さら文句も言えませんが大型、ユンボ、その他、球かけ…とかいろいろと資格を持っている旦那を会社は随分重宝に思ってくれたようで、即採用になったそうで、本当にホッとしました。翔太は翔太で、9月の末くらいからメールをよこし「父さん、まだニート?」と。懐具合がかなり寂しかったらしく、来たくても来れないので度々のメールに困ってしまいましたが…10月に入り、とうとう旦那が居るにもかかわらず、近くまで来る始末とはいえ、わが家に来ることはできずに、ランチをしながら久しぶりの水入らずの時間を過ごしました鬱の病院通いは、キチンと続けているようで、でもたまに強い鬱になり「死んでしまいたい」衝動にかられるそう「母さんさあ、今さらだけど何であんなオヤジと再婚したの?」と言い出され…「あのとき、俺『母さんが幸せになるなら、俺、反対しないよ、賛成だよ』なんて何で言っちゃったんだろ…、小学5年のくせにそんな生意気なこと言っちゃって、すげー後悔しているよ…今さらだけどさ…フッ(笑)」重い話題になってしまって、どう対応しようか…とも思いましたが、困ったたくママの顔色を伺い、すかさず話題を変える息子。携帯の画面を取り出し「これって超笑えない?」と見てはケラケラ笑い出したまあ、そんな会話が出来るくらい鬱ながらも元気でたくママから見ると、以前より前向きになったような気がしますなので、お小遣いを渡せば「もっと元気な翔太くん」になったので、あまり心配しなくてもこの子は大丈夫と思えるようになりました気になる恋愛のお相手の方とは、儚くも砕け散った…というか、相手の職業が職業だけに立場を考えると「無理」とわかったらしく冷めてしまったようで…高校も通えないから「辞める」方向で考えている様子。そのかわりに「美容師」になりたいと通信教育なり勉強をしたいと話していました。でもね…高卒じゃなくちゃ今はどこも無理なことを話すと「ゆっくりと考える」と話してくれました。焦らず、自分の人生だもの、将来は嫁さんと子供を食わせていける職業につかなきゃいけないのよ…と一言だけ付け加え、小言を言うのは止めましたこれも母の愛…同居していたなら、きっと言わなくていいことまで言ってしまう。傷つけなくていいことまで、話してしまう。だったら、離れていることも今は必要な時期なのかもしれない…と。寂しいですけどね、会える楽しみはありますから…(毎回こづかい目当てで来るだけですけど)そんなこんな…内職も休む暇無く納品日もつまっていることが多く、なかなか更新できませんでしたが、今はこんな状況です人生、山アリ、谷アリ…たくママ、旦那と再婚してからずっとこんな…です(汗)穏やかな時間…誕生日に誰かプレゼントしてくださいな…
2007年10月20日
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ずっと日記を更新できなくて皆さんに触れ合うことができませんでした。ごめんなさい。…というのも、仕事が休む暇無くガンガン入り…。9月頭から、翔太も家に来る…とメールをくれているのに断り続けていました。…というのも…(しつこいって!)原因は旦那なのです。9月に入り、ずっと自宅に居るのです(ρ_;)『辞めたんじゃ?』…そうではないのですが…(-.-;)姉歯建築事務所の事件を覚えていますか?あれで建築基準法とやらが6月から厳しくなり、検査をしているとかで…都内の建築現場のあちこちが今、作業が中断されているそうです。なので、毎日「自宅待機」ということで休みです。たくママの仕事が忙しいくらいなら、翔太と会うことなど何も支障は無いけれど、旦那が居ては会いには来れません(∋_∈)病院に行ってどんなだったのか、心配だったので早く会いたいのに…まだ当分無理そうですp(´⌒`q)前回のブログでいろいろご心配をいただいているのに、まだ報告出来なくてごめんなさいm(_ _)m今はじっ…と我慢です。今日更新出来たのは、昨年亡くなった父の一周忌があり仕事が一息つけたので、当時、父の様子をブログを通して一緒に心配していただいた方々にご報告を兼ねての更新になりました。滞りなく、無事に終わりました。まだまだ、残暑(…っていうのか?)が続いていますが、皆さんも身体は大切にしてくださいね!仕事が区切りがつき、無事に旦那が仕事に復帰したら必ず伺いますので、もうしばらく見捨てずに待っててやってくださいm(_ _)m携帯から更新しました。
2007年09月17日
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たくさんの方々に、いろんな考えがあることを教えていただき、たくママなりにもう少し考えようと思います。その後も、足跡があるのを見てご心配いただいていることに深く感謝しています。必ず!またご報告しますので、飽きることなく温かく見守ってやってください。本当にありがとうございます。皆さんに出会えて良かった
2007年08月24日
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今朝はいつになく落ち込んでいます以前、翔太のいる施設の職員の方と児童相談所の方とで話し合った「心療内科」治療の話がやっと動き出し、施設の職員の方から先日、電話が入りました「今月末に病院の診察が決まったので、お母さんも来て下さい。時間は…」という連絡があったのです先日、翔太が来たときにもその話をし、絶対に病院に行く…とは言ってくれたものの…「母さんは、来なくても大丈夫だよ。俺だって、あのおぞましい経験話は出来るから…来なくていいよ」と話していたのですが…昨日、日にちもせまっていたので確認がてらメールを送り、翔太に同行してもいいものか…きいてみようと思いました。朝送ったメールは、夜になっても返事が無く、夜10時を過ぎたころにやっと返事が来ました。中身は…「遅くなりました。出来れば来ないでほしい」というものでしたたくママ、過信していたんですよね…きっと「一緒に行ってくれるの?」って返事が来ると思っていたんです「なんで?」と送ると…「なんで?って言われても……………困るよ」と「わかった。じゃ行かないよ。おやすみ」と送ると「うん ありがと」と蚊帳の外に出されたような、突き放されたような寂しい気持ちになりました病院では、旦那と同居していたころの様子を「お母さんなりの視線」で話してほしい…と言われていたので、少しでも治療の役に立つのなら…と思っていたのですが何を思い、何を考えて、たくママの存在はあの子にとって、どんな位置になっているのか…わからなくなりましたかなり凹んでいる、今朝、気分は最悪です…
2007年08月22日
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嬉しい余波が続いているようです先日の「都市伝説」の影響なのか…15日に突然の翔太から「携帯買いました」と…あの日、翔太が帰ってから児童相談所の方と話し、本人が早く携帯をほしい…という旨を伝えて数日…やっと、翔太の願いが叶いました嬉しいだろうなあ…いつでも連絡がとれること、当たり前のことが今まで「おあずけ」になっていたので、たくママも安心したし、もちろん翔太はアドレスを入れたり、お気に入りの曲をダウンロードしたり…と忙しい日々を過ごしていることでしょうねこれもあの携帯待ちうけの効果だろうと勝手に思い込み浮かれているたくママですことの発端になった「レミーのおいしいレストラン」のランチボックスのセットが昨日やっと届きましたお皿とコップ、スプーンにフォーク、それにハンドタオル、これらはみんなたくみんが毎食使うらしく…、ランチボックスは保育園に持っていくには大きすぎるので、おままごとのときにたくみんが使用する予定ですたくみんのために応募したようなものなので、本人が喜んで使う姿を見るだけでたくママは大満足ですまだまだこの効果続いてくれていることに本当に感謝しつつ、期待「大」になっていますお盆は13日に父と母のお墓参りに行って、この「ステキな出来事」を感謝しながらの報告をしてきました。生きていたら、一緒に喜んでくれたろうに…やはり居なくなってしまった両親を想うと寂しい気持ちになりますね…でも…旦那も翔太を受け入れる気持ちが少しずつ膨らみ、翔太からメールが来たことを伝えると「父さんのPSPを翔太にあげるから、父さんが居るときに取りにおいで…とメールしておいて」と頼まれ、送っておきました。素直に「会って久しぶりに話をしよう」と言えばいいのに…もちろん翔太からの返事はありませんけど…でも、何よりも翔太に歩み寄ろうと思う気持ちが芽生えたことが本当に嬉しく、とても幸せな気持ちになっているたくママです「幸せ」効果…ずっとずっと上昇しながら、続いてほしいなあ…
2007年08月17日
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先日、ブログのお友だちおっさんからある有名人を携帯の待ちうけ画面にすると「いいことがある…」という都市伝説のお話を教えてもらったたくママさっそくその場ですぐ行動にうつしました…2週間、ちと恥ずかしいとは思いながらも、ジッ…と待ちうけで過ごしますちょうど仕事も忙しく、毎日ラジオ(たくママ宅は電波状況が悪く、FMラジオは入りません。なのでAMラジオを聴いています。聴けば聴いたで、タメになるお話も多く、社会情勢にも多少は詳しくなりますね…フムフム…)を聴いてのお仕事。最近公開になった映画「レミーのおいしいレストラン」随分テレビCMでも流れていましたが、たくみんが「見たい、見たい」と毎日大騒ぎラジオを聴いていると、公開に先駆けて視聴者にプレゼントを…と話しているすかさず、その日のうちに「欲しいっ!!!」とメールDJイチオシの超カワイイ「ランチボックスのセット」なんです当選発表まで一週間。。。ちょうど、例の携帯の待ちうけ画面の約束の2週間が終わるころ…そして、発表の日…ラジオをずっと聴きながらドキドキ…でも…何故か「絶対に名前が読まれる自信」があったんですよ…不思議ですけど旦那にも「名前読まれるから、聴いていてね」と自信満々そして、いよいよそのときが…「まずは一人目の方です。…3才10ヶ月のお子さまがいらっしゃる…ラジオネーム…たくママさんっ!!!」やたっ大当たり~~~わが家にはたくママ一人きり…やっぱり「当たった!!!」と喜ぶも一緒にキャーキャー騒いでくれる相手もいない…なので、一人でニヤニヤ「やったぁーーーーーっ」とガッツポーズをとり心臓はバクバク…急いで旦那に「聴いてた?やたっ!」と送るも返事は無く…でも「いいこと」があったので大満足しているたくママですとても嬉しい出来事でした早く商品が届かないか…毎日、楽しみに待っています当選発表があったのが金曜日、そして、土曜日には翔太が例によって遊びに来てくれました今回は、たくみんもいるので「ゆっくり」というわけにはいきませんでしたが、それでも4時間ほど一緒に過ごせて、これまたとても×2嬉しい時間を過ごせましたちょっと赤茶に髪を染めて、ピアスがチロチロ…、見るたびに「派手」になっていく息子を見て、それでも叱る気持ちには到底ならず、どちらかといえば「センスいいかも…」と親バカ丸出しのたくママでしたが…一緒にいる幸せを改めて実感しちゃいました。携帯をまだ持てず、施設と児童相談所との方で不手際があり、約束のお金を貯めたのにまだ当分話しが先になってしまっている…とグチっていましたが、それでもバイトは楽しいらしく「バイト先の先輩が早く携帯持てよって言うんだ。参ったよ。俺悪くないのに…さ」と。話によればあと2ヵ月は先になってしまうそうで、ちょっとかわいそうかとも思いましたが、それでも「じいちゃんが最後に買ってくれた携帯を使おうかと思っているんだ」と大切にポケットの中から出してきました。その優しさや、まだ持っていてくれていること、しかも大事にしてくれていることが嬉しくもあり、愛しくも感じました相変わらず「睡眠障害」は続いているそうで「医者にはまだ行っていない」という。なので「医者には必ず行って、眠る薬と起こす薬はもらってくるよ」と約束してくれました。学校は…というと高校3年生まではとりあえず学校に在籍は出来るように、学校と施設とで話し合ってくれているらしい…と。これは、おそらく「18」という年齢になるまで一応「待ってくれている」状況だと判断しました。施設でも、18までは責任を持って様子を見てくれると話していたのでそういうことも関係しているのだろうと思います。施設長さんは「翔太が二十歳になるまで、追いかけてでも見守りますよ」と話してくれていたので、これもまた施設にお任せしていて大丈夫なのかな…とも思い、それでも心配したり…心境は、複雑です「翔太お兄ちゃん」が来たとベタ惚れのたくみんも、翔太にべったりで、久しぶりに仲むつまじい姿を見ることが出来て嬉しかっただから、翔太が「バイトがあるからそろそろ帰る…」と言い出すと「ヤダ…」と怒る。渋々見送り、電車で帰った翔太にいつまでもバイバイ~している姿を見ては、涙が出そうになりました。「ねえねえ かあちゃん しょうたおにいちゃん またくる?」と聞くたくみんに「ねえ、ずっとここに居ればいいのにねえ…」と言いかけてまたゴクッとその言葉を飲み込み…「また、来るよ、約束したもん、大丈夫だよ」と話すと納得したのか笑顔が戻りますいつまで、こんな寂しい思いをしなくてはならないのか…切ないですね…それにしても、ブログ友だちの「おっさん」にはとってもとっても感謝しています。「いいこと」あったじゃんそれも2回おっさん どうもありがとうm(__)m
2007年08月06日
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昔は、ヤキモチ焼きだったたくママ旦那が帰りが遅いといつもイライラ…翔太が手元に居なくなり、たくみんが生まれてからは少し愛情も薄れたか…全然気にならなくなったそれでも、ブログにも書いているけれど、たくみんに対しての思いや、翔太に対する思いを聞いては一喜一憂し、それなりに「立てるところは立てて」お疲れさまと思う気持ちはいつも忘れないようにしています仕事で遅くなるときには「たくみんとお風呂に入っていて」といつも送ってくるメールそれが…昨日は「いつもよりかなり遅くなりそう」とそれでも8時か9時には帰るだろうと思い、たくみんとお風呂に入り、食事をしてひとときの団欒9時を過ぎてもが来ないので、仕方なくたくみんと布団の中へところがたくみんが「歌」を歌ったり、ぶつぶつとお話をしてなかなか寝付けないたくみんが眠りについたのは11時近くだったと思いますたくママも仕方なく「暑いから帰りに飲みにでも行ったのだろう…」と携帯を近くに置いて就寝夜中に何度か目が覚めるものの、一向に帰って来る気配はなく…明け方4時に目が覚めるも布団はカラ6時に入り、やっと旦那からが入りました今の現場は警視庁合同庁舎で、工期が限られていることは知っていましたが、もうかれこれ半月以上、この現場に通っています。「昨日は、午前3時30分まで残業をしたから、日報にそれを書いて残業時間が9時間30分と書いておいてね」と…。残業が9時間30分って…昨夜8時過ぎに写メが届き、ライトを付けて工事を続けている画像を送ってきた旦那。身の潔白を証明するかのように(別に浮気とか、疑っているわけでもないのに)「まだ、終わりそうもないよ」と。たくママ…ビックリというか、感動してしまいましたもちろん、旦那は下請けの会社に居るのですから、親会社のいうことには逆らえません。だからといって、朝8時から夜中の3時半まで仕事ですよそのあと、作業場の人みんなで現場に泊まり、また、今朝8時からこの暑い最中、働いているわけです普通の会社よりも、ハードで責任も重く、肉体的にも疲れる職場なのは知っていたけれど、ここまでしなくてはならない仕事…。ここ数日、旦那の悪口ばかり書いていた自分を反省していますもちろん「それが仕事」と言われてしまえばそこまでの話ですが、男ってやっぱり責任感があるというか…やらなければならないときには「火事場の底力」というか…とにかくスゴイ!の一言でした、昨夜のことはたくみんも帰った形跡が無いことに気づき、起きぬけ早々に「とうちゃんがぁ~~~」と泣くばかりきっと昨夜も帰らない旦那のこと、起きて待って心配だったのでしょうね。そのいじらしさに、胸がしめつけられ朝っぱらから「むぎゅ~~~」っと抱きしめてやりました糖尿病の薬も、インスリンの注射もしていない中での今日一日の仕事、水分補給を充分にして体調が悪くならないように祈りながら無事にわが家に帰って来るまではとても心配ですが…汗臭くて、着替えもしたい、お風呂も入りたいであろう、大変な思いをして帰って来るであろう旦那さまに、冷たいビールと美味しいおつまみを考えて無事わが家に到着するのを待っていようと思いました仕事、とはいえ…毎日、本当にご苦労さまって
2007年08月01日
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最近、続けて幼児の事故死がニュースになりました。ご両親の心中を思うと、本当に心が痛みます。お子さまのご冥福を心よりお祈り申し上げます。保育園での遠足の車に置き去りにされて、熱中症で亡くなったり、母親の車にひかれて亡くなったり…と、たくみんと近い年齢のお子さまの事故、本当に他人事ではありません。「危ないっ!!!」と何度、怒鳴り、叱り、手を引っ張ったことか…。それでも、わが子の命を守るのが親の役目と思い、毎日ハラハラしながら過ごしています。ちょっとの油断で本当に「事故」にすぐ繋がるので目が離せません。そんな痛ましいニュースを見ていた今朝…「母ちゃんも気をつけないと…」と旦那。気の毒に思い、涙でウルウルしていたところに、この言葉たくママは、今まで風邪こそひかせてしまったけれど(あ、ヤケドもさせたっけ…)あんたみたいに「生後一週間」のたくみんを、アスファルトに落とすことなんてしたことなかったよっ!!!生まれて一週間後に検診があり、赤ちゃんを入れるカゴに入れて旦那が病院に向かって歩いていたときに、カゴのバランスを崩してゴロリン…幸い、すぐに先生に診ていただくことが出来て、無事でしたが、それでもおでこに擦り傷を作ってしまいました「俺は大丈夫だけど、母ちゃんは危ないから…」と話すその矢先から「あっ、ごめ~ん、痛かった?ごめんごめん…」とたくみんに謝っているのはいつも旦那その人を見下したような、信用出来ないような、なんとも孤立させられるような一言で、グサッと来るんですせめて「お互いに気をつけよう、今が一番危ないときだもんね」と言われれば、旦那自身も自分なりに今まで以上に気をつけ、たくママも再度心に命じて素直に頷いたことでしょうが…たくママは自分なりに改めて、わが子を守るために頑張らなくちゃ…と心に決めました。旦那はさ、たくみんが初めての子育てだけど、たくママは翔太をいっぱしに(いっぱし…?ちょっと表現に無理がありますね、大きくなるまで…?)育ててきたもの。あんたにだけは、説教されたくないわっ!!!少しはその「言葉」受け取る側の気持ちも考えてほしいものです本日は、グチになってしまいました、ごめんなさいm(__)m
2007年07月31日
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またまた久しぶりの更新になりましたm(__)mやっと梅雨が明けたところもあり、暑い日々を過ごされているでしょうがみなさん、お変わりありませんか?こちら関東地方は、まだまだ梅雨前線が居座っているおかげで、雲が多いジメジメと湿度の高い蒸し暑い毎日を過ごしていますさて…今月に入ったころから、旦那に週末電話がかかってきますたくママと再婚する前からの旦那の友だちで、Sさんとします。Sさんは、以前は「お蕎麦屋」さんをしていましたが、経営が成り立たずお店をたたんでしまいました。で、転職したのが「電気工事」のお仕事で、大型電気店の外注さんのような仕事をしていました。エアコンや、その他電化製品の簡単な取り付けや修理もしていたのかなあ…、転職した当初は夏がとても暑くエアコンがたくさん売れたのでSさんは、かなり収入を得られたようでした翌年になり、たくみんがお腹に宿ったころ…度重なるSさんからの誘惑もあり、旦那はダンプの運転手を辞めてSさんと同じ仕事を始めるようになりました「絶対に儲かるから大丈夫ですよ」…その一言にまんまと乗せられて、挙げ句、Sさんと独立して会社を作ろう!なんて話にまで発展…その夏…、大してエアコンが売れず、前年のようなおいしい仕事にはちっともならず、仕事らしい仕事にも恵まれずじまいで、たくみんを出産1日一件しかない仕事が3日に一件に…そして、週に1日仕事があればいいような状態になってしまいましたんなわけで、たくママ、当時はまだまだ新婚気分だったので「あんな奴の話に乗るから痛い目に合うのよ」とハラワタは煮えくり返っていたのですが、涼しい顔をよそおってガマンとうとうたくみんが生まれた後、3ヵ月は「プ~」同然の旦那になってしまいましたその後も「いい仕事が来ましたよ」とおいしい話ばかりで、実際にはキャンセルになったり何故か突然の中止になるようなことばかり…。いい加減に頭にきている旦那とたくママは、縁を切るも同然に連絡をとることを止めました根は「いい人」なんです。でも、口先だけで、経験不足でいい加減旦那とたくママが夫婦ケンカを始めれば、いつも仲裁してくれて、たくママにメールをくれて「頑張ってくださいね、旦那さんにはたくママさんしか居ないんですから…」と慰めてくれることもしょっちゅうありましただけどSさんの奥さんも、愛想が尽きるほどに超適当な生活ぶり。少しずつ、距離が出来てしまっていましたそんなSさん、気を持ち直してその後は頑張っているらしい…との噂は聞いていたものの、たくママ的には「もう、あまりつきあわないでほしい」のが本音電気工事の仕事をして、どれだけわが家が赤字続きの犠牲になったことか…。「男はロマンを追いかける生き物だ」とまで抜かしやがったSさんにはそれ相当に恨みつらみも重なりまして、関わりあいたくないところでしたそんなSさんが、電話をかけてくる…ロクな話じゃないな…とは思うものの、旦那の対応は少し浮かれているようにも感じ…「マジでぇ?」「そうなのぉ~」と超乗り気電話を切ってから旦那の口から出た言葉、「Sの奥さんが、ネットで競馬やって5万の出資で、40万稼いだらしいよ」とスゴイ鼻息で話してきます翌週末、「今度は、30万になったって」と立て続けに稼いだので興奮も冷めず…「悪くない話だよね…、やってみるかなあ」と言い出す旦那なので、たくママははっきりと言ってやりました。もういい加減にしてよっ、Sさんの口車に乗せられてロクなことなかったでしょっ、たくママは大反対ですっ」ってねあ~、スッキリしたぁ以来、電話も来なくなり、旦那もそのことには触れないようになりましたSさんにすれば、稼がせてあげよう…と思ったのかもしれませんが、わが家にとっては迷惑極まりないものですからね…お願いだから放っておいてです
2007年07月26日
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ご無沙汰しておりますなかなか更新せず、足跡をつけてくださった方、いつもごめんなさいたくママは元気です昨夜「余命1ヵ月の花嫁」というドキュメンタリーをやってまして…24歳の若さで、ガンと闘った女性のお話でしたどうしても昨年亡くなった父のことを思い「ガン」と聞くと見入ってしまうで…涙をポロポロ流しながら頷いて「うんうん、ツライよね。痛いよね。」なんて思いながらまた涙呼吸がつらくて吸入が欠かせない、父は肺ガンだったので胸をさすっては「痛い、痛い…」と言ってた。彼女もまた、背中をさすってもらい「痛い…」と訴えていた。元気で若いと、どうしても実感もわかないしわかってあげられないけれど、最近…というか、父がガンだと知った昨年ぐらいから歳を老いて、身体の自由が失われていくことにとても心を痛めるようにりましたそれは歳を老いたからだけではなく、病に伏している人なら自由がきかないことがどれだけツライものなのか…、それを思うだけでとても気の毒でたまりませんこの花嫁さんは、乳がんから骨に転移し、肺にもガンが転移。若いころにお母さまがガンで無くなっていて、お父さまとの2人暮らし。娘を見守るお父さまのお気持ちを思うと、親として娘を看取らなくてはならない…ということ、本当にお辛かったでしょう。ガンだと知りながら、お付き合いをしていた彼も、優しくいつも彼女を包み、励まし支えていました。若いのでガンの進行は思う以上に早く、余命は1ヵ月と宣告され…本人には言わず、ひたすら励まし続け、お友達には「結婚式」まで準備していただいて…痛みに耐えながらもかわいらしい笑顔で立派な花嫁さんになっていました一生懸命に生きること、支えて励まして見守る。最後には本当に医師の宣告どおり、1ヵ月で旅立っていかれました…。こういう番組を見ると必ず「自分は父にキチンとしてあげられたのか?」といつも自問自答してしまいます。そしてその答えはいつも「もっとできたんじゃないの?」と出ます。毎回同じ。でも、いつもそうやって自問自答することで、父を思い出し「ごめんね」と思いながら、供養してあげているんだ…とたくさんの方々にコメントをいただいて随分と慰めていただけました。なので、これからも自問自答しながら「父を想う」つもりです彼女は「幸せ」な人生だったでしょう…と、思います。でも、彼女の彼も父親もきっと「もっと幸せにしてあげられたんじゃないか」って思うんでしょうね、きっと。それでいいんですよね、何度でも、繰り返し想う。ここ数日で、一冊の本を読んでしまったのですが「心にナイフをしのばせて」奥野修司さんという方の作品です…これは28年前に「酒鬼薔薇」事件と同じような事件が起こっていて、高校1年生の男の子が同級生にメッタ刺しにして首まで切り取られ殺されたという悲惨な事件を追って、亡くなった少年の家族の心の中を長い時間をかけて取材したものでした。長い時間、家族は崩壊寸前になり、精神的にも肉体的にも追い詰められます。いるはずの息子が、居なくなったことで父親も母親も、そして妹までもが今日もまだ殺した相手を憎む気持ちよりも、少年が居なくなったことを思い苦しむ姿が丁寧に書かれていました。病で亡くなることも、殺されて亡くなることも、共に命の尊さは同じです。一人きりではなく、必ず悲しむ人がいるということ、痛感させられます。死んでしまう側はいいけれど、残った側はたまらない…と。難しいことだし、若いときにはそんなこと考えもしないですものね。でも、必ず絶対に、悲しむ人はいるんだということ、そして、本当に傷つくのだということ、この世に無駄に生まれた人はいないということ、望んで生まれて来たのだと…必要なのだと…わかってくれるかな…愛息子
2007年07月19日
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今日は、翔太の誕生日ですそばで祝ってやれることもなく、離れ離れですがそれでも心の中ではHAPPY BIRTHDAY 翔太とつぶやいてみたりして…今日は、あいにくの雨ですが17年前、翔太を生んだ日も朝から雨が降っていましたっけ…先日遊びに来たときに、プレゼントは何がいいか…?と聞きましたが、答えは「お金」……幼い子供なら「おもちゃ」でも買ってあげたら喜ぶのでしょうが、もう、そんな年齢ではなく、勝手に買い与えても迷惑ってこともありますから、リクエストに応じることになりました。それでも、今日届くようにバースデーカードとメッセージをちょっと書いて送っておきましたさて、最近…旦那の言動が変わってきまして…ここ数日は特に「変」…先日、ワンコ2匹と遊んでいると…「翔太が来ても吠える?」と聞き…テレビを見ていて誰かのDVD発売予定日が翔太の誕生日になっていた画面を見てたくママがたくみんに「もうすぐ翔太お兄ちゃんのお誕生日なんだよ」と話していると…「そうかあ…翔太も、もう17か~」と一言「最近、翔太来た?」と聞くので「あ、忘れてた。先週の金曜日に来たよ」と話すと(いちいち報告することも無いかと思って黙ってたんですけどね)「どうなの?最近…何を話したの?」と興味深々に聞いてくる「施設の職員の人に夏休みまでに学校に行くか、辞めるか考えろ!って言われたらしい」と話せば…「だったら帰って来ればいいのに…」と言う何かの番組を見ていて、マンションを買うのにローンを組んでも、自分がいつまで支払えるか健康に自信が無いようなことを言い出し…「残りは、翔太に払ってもらわないと…」とニヤニヤ…なんか…「変」ですたくみんが食事をしていて、毎日のように自分で食べようとしない…で、たくママが食べさせると「甘い」だの難癖をつけてくる旦那…と、ここでたくママは「だって父ちゃんが食べさせてやったっていいじゃないか」ってこの前言っていたから、たくママはそれじゃ良くないって言ったでしょ!…云々とケンカ寸前になったときにも…「あーそーか、父ちゃんがそりゃ悪かった」………何があっても、絶対にぜったーーーーーいに、折れる人じゃなかったんですよささいなケンカでも、続かずたくママのご機嫌とりをするようになったし、以前の旦那からは考えられないことばかりで、困惑しているたくママです人間が丸くなった…それとも、浮気でもしているのか…ある意味とても不気味なんですけどね…浮気…されたらされたで特に問題ないと思っています家庭に不和を持ち込んでこなければ、たくママにバレなければ「できるもんならやってみろ」って感じで、気にしてはいませんただ、あの変わりようはハンパじゃないので、何か魂胆があるのでは…と、そっちが怖い…たくママです
2007年07月04日
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ちょっと早かったけれど、昨日、いつものように翔太が遊びに来ました1ヵ月に一度、必ず、諭吉さんを誘拐しに来ます先日もブログに書きましたが、「鬱」とのことなのでとても心配はしたものの…「また、身長伸びた?」とたくママ「俺、今、176センチになったよ」髪は、たくママよりも長くなり(先日、たくママあまりに暑いのでショートにしてしまいました…)見下ろされながらの会話になりました生前父が買ってくれた、繋がっていない携帯を大事そうに持ち歩き、保存してある曲をずっと流しながら…会話は、3時間にもおよびました。進路のこと、将来の夢、自分の生活、たまっていた何かを吐き出すようにして、たくママよりも翔太の方がしゃべったのではないでしょうかね…音楽関係の夢を捨てられず、どうやら自分の限界まではとことんその世界に浸っていたい様子それはそれでいいとも思うし、納得するまで打ち込む姿勢はたくママも大賛成しましたけれど、先日お会いした、お世話になっている施設の職員の方には「夏休みまでに、学校に行くのか辞めるのか、ハッキリしなさい」と釘を刺されたようで、かなり悩んでいました…たくママは、黙って頷き、内職の手は休まりません。その一つ一つを悩んで考えて…自分で決めていいと思うのです。たくさん悩んで、いろんな選択肢があることを学び、一度しかない人生を思うように生きたらいいと…ちょっと難しいことですが、そして責任ある言葉になりましたが、翔太なら大丈夫だと肩を叩いて「応援しているから!」と励ましました失敗してもやり直しはいくらでも出来る。若いから、失敗はつき物で必ず、自分の進みたい道は見えてくる…と、偉そうに話してしまいましたそれでも、話の流れからすると施設の中で一番仲の良い友だち、彼は学校を休学していると先日翔太に聞いていたのですが、やはり中退してしまったとかで…、その友だちと今後についてはいろいろと話をしている様子でした。で、翔太は、その友だちと自立するためにも、自分でやりたいことをするためにも、2人でどっかに一緒に暮らそうか…という話もしているとのことで。。。翔太の誕生日、7月4日なんです…はい。ステキな日に生まれたから、きっと最高に幸せな出来事が起こるように…と願うたくママです…来月には17歳そろそろ、自分のことを考え行動することを見守ってやってもいい年齢になってきたのかな…と思い、友だちとの共同生活にも「賛成」してやりました話半分の翔太のこと、どこまで本気でどこまで冗談なのかわからないので、もし、共同生活が実現したなら、うんと褒めてやろうと思いましたただ、そのためには「お金」が必要になること、だから、働かなくてはならないこと、本当にいろいろな職業があるからよく考え、食べるに困る生活にならないよう、無駄使いできないこと、そして、本当に大変なのだということ…など、思いつく限りの話をしました。でも、そんなこと、やってみて初めてわかることですよね。すんなりと事が進むはずはなく、何度も壁にぶつかることでしょうそれでも、たくママはそんな経験をさせたいと心底思います。3時間、ほとんどが翔太の話で終わりましたが、いつものたくみんが保育園に通っている最中だったので、本当に久しぶりの親子の会話をした気がします静かに、のんびりごろごろしながら話す翔太を見たのも久しぶりだったなあ…携帯から流れる曲を聴いては「母さん、この曲知ってる?」「俺、これ聴くと鬱が出る」「この曲さ~…」とそんな話がほとんどでしたけれど…たくママは、翔太と母子家庭をしているころ、車の中ではほとんど毎日朝から晩までラルクを聴いておりましたその影響か、今ではそんなにメジャーじゃないのに、翔太も聞いているとのこと。大好きだったラルクを聴いてくれていることに、嬉しさも倍増そのころの思い出話を「あのとき、母さんはこう言って怒ったんだっけ…」とか「そうそう、そんなこともあったよね~」なんて…随分いろいろな思い出があったもんだと関心しながらの時間は本当に「あっ」という間のひとときでした月に一度でも、わざわざ電車に乗って会いに来る翔太を改めて愛おしく思い、たくママが独身時代にカラオケでよく歌った曲をたくママの携帯にダウンロードすると言い出し…「覚えてる?誰のなんていう曲なの?思い出してよ…」「う~ん、えーとえーと…なんだっけかなあ…」パソコンで検索してやっと見つかりましたみなさんはご存知ないと思いますが「石井聖子」という方の「Aniversary」といいますクリスマスのような鈴の音で始まる曲で、歌詞も女心をかわいらしく歌ったラブソングですかなりマイナーな歌なのですが、翔太は覚えてくれていたのですねそれがまた、とても嬉しく、切なく、愛おしさはもうもう……誕生日に着く様に、何を送るかまた、考えながらも、諭吉を2枚渡して「とりあえず、かなり早いけど誕生日おめでとうね」とちょっと恥ずかしかったけど…次は8月になるだろうと…お盆の季節なので一緒におじいちゃんのお墓参りに行こうと約束して、駅まで送ってやりました
2007年06月30日
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先日、NHKで「鬱になった30代の人」会社での対応はどうするのか…という番組を録画すると旦那が言った。で、昨夜、その番組を見た。たくママは、翔太が「鬱」になった話をしていたので、どんな病気なのか…理解しようとしてくれているのか…と正直なところ、とても嬉しかった。番組の内容は、会社で中堅にさしかかる30代、職場では責任の重いポストを任され、大黒柱として家族のためにも懸命に頑張る年齢。その時期に、ある日頭痛や倦怠感、疲労などさまざまな症状に苦しむ何人かの「鬱」に悩む人をドキュメンタリーで追ったもの。たくママは、そんなに苦しいんだ…、やる気があっても動けない、治療をして仕事に復帰したいのに思うように身体が動いてくれない…、翔太にダブり、見ていてとても辛かった。もちろん、会社が全面的に「鬱」を理解し、少しずつ、仕事がしやすい環境にサポートしてくれているところもあることを教えてくれた。しかし、現実に、そこまで「鬱」に対して前向きに取り組んでいてくれる会社はまだまだ少なく、長期休暇を取っている…結果、解雇につながってしまう。「鬱」を隠さなければ、就職も出来ず、かなり冷ややかな周りの対応だった。旦那は…「当たり前だよ。会社にとってはただのお荷物だ。怠け病だな。」と。確かに理解しがたいことで、健康な人にとっては考えられない病。番組に出ていた人も「まさか、自分が鬱になるとは思わなかった」と話していた。「怠け病」数年前ならそんな風に言われてしまっていた病。でも、心の病気ほど難しくデリケートな病は大切に、少しずつ、的確に治療することが必要だと思う。翔太が「鬱」になったから、そう思うのかもしれないけれど、そうさせた要因がある程度わかるだけに、心の病の重さを見せしめられた番組だった。旦那には…理解できなかったし、心の「甘え」でしか映らなかったよう。悲しくなる。そんなもんじゃない…、旦那にもいつそんな病が押し寄せるかもしれないことを、旦那はわかっていない。自分の職場は、大変でそんな甘いことを言う人間は、さっさとクビになる。だからサラリーマンはダメなんだ…だって。そうじゃない、どんな職種でも有り得る現代を一番甘く考えているのは、旦那自身なような気がした。わかっていない…。理解してくれない限り、翔太との同居なんて交流なんて有り得ない…とわかった。
2007年06月27日
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心の不調や、身体の不調があっても、優しく見つめてくれるとそれだけで、癒されます…
2007年06月25日
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こんにちは久しぶりに更新していますコメントを入れてくれてご心配をおかけしたようで…ごめんなさい仕事はいきなりでしたが、順調に進み、一息つけました…というのも…先々週の土曜日、たくみんを保育園にお迎えに行き=33突き当たりのT字路で一時停止をして右折をしようと思い…、左から来る車の切れるのを待てど…ちーとも切れず…、右側の車が切れて信号が赤に変わったので、図々しいと思いながらもゆっくりと右折し、左から来る車に入れてもらおうとしたんですが…ちょうどタイミングが合った車はうちの車を「シカト」してさっさと前進し…その後ろの車に「ごめんなさいね~」と会釈しながら入れていただき…、まだ前方の信号は赤でした迷惑そうな顔をしながらも入れてくれた後ろの車、たくママより少し若いぽっちゃりしたパパさんとお子さまが2人。「感謝感謝♪」と思いハザードをつけて「ありがとね」と合図を送ったそのとき…なんともいえないガリガリガリ…という鈍い音が前方信号を急遽右折しようと思ったらしく停車しているにもかかわらず車線変更をしようとして、無理にハンドルを切り右側に出ようとしたので、たくママの車の後ろ右バンパーと、相手の車の前左バンパーが接触………逃げず隠れず「どうしたらいいですか?」と冷静になりつつ聞いてくるその方、とりあえず警察を呼んでくださいとお願いして、待つこと40分幸いにもケガをしたりすることなく、うちの車は被害を受けた側なので良かったですが…。費やした時間はもったいなかったです内職に必死だったときなので、1分1秒が惜しいところそれでも、停車していて本当にラッキーでしたたくみんにも何事も無くて、良かったぁ~~~事故は怖いですが、こんなもので済んでホッ…保険会社の方にも、後遺症は無いか、下手すると一週間くらいしてから首や頭に痛みを感じる方もいらっしゃるとかで…停車していてもそうなんだそうです、良かったそんなこんな今日は、仕事が一息ついたので修理に出してきましたそして、元気に通っていたはずのたくみんですが、先週の土曜日あたりから鼻水が出たり、微妙に咳が出て…とうとう昨日は熱を出したので、これもまた本日、小児科に受診しに行ってきました保育園に入園する手続きも無事に終わり、7月からはいよいよ正式な保育園児になれますここは「知恵熱」でも出たのかな…と思いゆっくりさせて、元気になったら本来の元気でワンパクなたくみんに戻ってほしいものですちょっとお休みしている間に、梅雨入りし、それでも毎日真夏のような気温に湿度に汗をかきかき頑張っていましたが…みなさんはお元気でしたか?ちっとも伺える時間がなくてごめんなさい仕事もある程度ペースがつかめるまでは、頑張ってやっていこうと思います旦那も転職した会社での仕事は、毎日気分良く行ってくれているのでここでも一安心それから…翔太のこともずっと考えながら仕事をしていましたが、そして、コメントもたくさんいただいて…たくママなりに考えましたが……今、考えても仕方ないですね、たくママ一人ジタバタしたところで、翔太の病気が良くなるわけでもなく…、あの子はあの子なりに温かく見守ってくださっている方々に指導していただけているわけです、今は。そのご好意に甘えてしまう情けない母ですが、少し先日の話し合いに出た診療内科に通った結果を待ってみようと思いますバイトに治療にと頑張っている翔太のためにも、一生懸命に仕事に励んでいる方が、いいんだと思います、たくママ自身のためにも。何もしてやれないけれど、本当は心配で心配ですぐにでも施設に行きたいくらいですが、行って会って話しをして…今は何も変わらないと思います。すねて考えるのではなく、どうしようもないと思うのです。来月は、翔太の誕生日もあり、また定期便で遊びに来てくれると思いますなので…仕事をしながら翔太に何をプレゼントするかをワクワク考えながら楽しく仕事をしようと思っています高校を無事に卒業するだけが人生じゃないし、何も無く普通に育ってくれているほうがおかしいと思い、心配させてくれている翔太に逆に感謝しなくちゃ…かなとも思います毎日、こんなことを考えながら何とか生活しています車は痛い目にあったけど、nonさんがコメントをくれた「こんなもんで済んで良かった」という考え方に大いに感謝♪ですありがとう
2007年06月19日
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昨日も一緒に喜んでくれてありがとうございました翔太の恋は、これからどうなるかわかりませんが、それでも心のより所になってくれたらいいな…と思います施設の職員の方に言われたのですが翔太は翔太で…「自分の生まれたきた意味がわからない…死んでしまいたい…」と話していたと。髪を抜いたり、リストカットしたりと…本当にかわいそうなことをさせてしまいました。そんな思いをさせている不甲斐ない母親として、情けなくてまた涙が出ました。でも、好きな人が出来たことで少しでも生きている励みになったら…大きな夢を持って少しでも生きている意味を考えてくれたら…。せっかく生まれた大切な命なのに、絶ってしまっては何もかもおしまい。そのきっかけを作ってしまったたくママは、本当に親としては失格です。これからは、今まで以上に翔太の話に必ず耳を傾けて、できる限りのことはしてやりたいと思っています。もちろん、甘やかすのではなく、いけないときはダメと話しますが。本当は、一緒に暮らしたいのだろうな…と先日来たとき思いました。そうしてやりたい…でも、出来ない。ツライっす…いつか幸せな穏やかな生活が一緒に出来る日が来るといいな
2007年06月08日
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たくさんコメントを入れてくれて、本当にありがとうございますですが、昨日面接に行った会社で、急に採用が決まり昨日からバタバタと内職を始めて忙しくなり、訪問も出来ず、コメントも入れられず、まして、お返事も書けず…で本当にごめんなさいある程度、ペースがつかめたらまた伺いますので、見捨てずに…ブログは何かあれば書き続けて行くので是非、ご意見、ご感想を教えてください。昨日は、面接が終わってからすぐに電話が入り「これから行くけど、いい?」とまた少し背が伸びたのか、随分変わっている姿に驚きながらも嬉しくて目的は、一昨日の相談所と施設の方との話し合いの内容らしく…包み隠さず、全部話すと「なあんだ、そうだったんだ」とホッとした様子それでも、たくママの父が最後にくれたお金で買った携帯を復活させてくれ~~~と懇願されましたが、ルールはルールなので「翔太が頑張ってバイトをして、施設長さんに許可をもらいなさい」と突き放してやりましたバイトは頑張って続けていて、面白くなってきたところらしく、嬉しそうに話していましたそんなこんなと話をしながら、内職の手は休まらず…それでも、めげずにいろいろと話して滞在時間、4時間嬉しい時間になりましたそれから…好きな子ができたそうですそれが20歳の人らしく…しかも、施設の職員の方らしいのです…そんなことはもちろん、禁止なので交流が持てないと告ろうと待ち伏せして、伝えられずに携帯の番号を聞いたらあっさりと教えてくれたとかで、携帯を持っていないと連絡の取りようが無い…とまた携帯の復活を要求でも、本当にあともう少し頑張れば携帯も持てるような話を施設の方がしていたので、それを信じてたくママは固く断り続けました縁があれば、相手も嫌いじゃないのなら、絶対にうまく付き合っていけると思い、ここはガマンしなさいと伝えました思うより、ずっと元気そうで生き生きして見えたけれど「俺?う~ん、作ってる笑顔もあるからさ…」と。まだまだ心配をかけたくて、母親を思いやるところまではいかないようです旦那が随分前に翔太に対して「おまえ、いっぱしの口をきくなら早く働いて母さんに100万ポーンと持ってきてやれ」と言われたことがあって…それを翔太は覚えていて…「俺、今、バンド作りたいのね。絶対にいつかテレビに出て、父さんが言ってた100万を1千万にして顔に叩きつけてやりたいんだ」と心強い言葉そういう意味での父親への復讐は大歓迎ですちょっと萎えていた気持ちですが、元気なパワーを病中の翔太にもらった気がします保育園に行かせること、翔太のお世話になっている方々にお会いすること、仕事を探すこと、すべてがとりあえずクリアできました一つ、二つ、三つ…山を越えては下り、山を越えて下って…今やっと「茶処」であま~い羊羹とにが~いお茶を飲んでいるところです…旦那のことは、しばらく考えずに内職に専念します
2007年06月07日
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昨日は、たくさんのコメントをいただきご心配していただいて心より御礼申し上げます…てんっ♪さんのところでも、お子さまの自閉症と闘い続けて10年以上。親としてのご苦労が伺え、たくママ一人が悲しい現実に直面しているわけじゃないんだ…と痛感しました。明るいブログなので、そんなことちっとも感じさせない前向きな姿勢を見習いたいとつくづく思わせてくれました。saitaちゃんも、お子さまがまだ小さいのに、睡眠薬を必要とするときがあることも、初めて知りました。普段、やはり明るいかわいらしいブログなので、全然わからなかったこと、頭が下がる思いでいっぱいです。もっちもちおくん、いつもいつもご自分よりも他人のこと、とても心配してくださいます。その優しい言葉の一つ一つに、翔太はどんなに救われることでしょう。明るい元気なお兄ちゃんに、心配してもらって翔太、本当に幸せだと思います。ここわんこさんも、いつも優しく見守ってくださっています。まだ、知り合って間もないのに、必ず励ましてくれます。その明るさ、優しさにいつもどんなに癒されることでしょう、ありがとう♪ayuki。ちゃんも、病と毎日闘っています。それでも、ブログの中に吐き出しながら前向きに頑張り、いつもご家族の協力を得て治療に専念しようとしている姿、いつも逆に元気をもらえます。エンスト新さんも、毎日必ずたくママのブログをのぞいてくれています。たくさんの知識を得ている方で、随分と教えていただきました、いろいろなこと。ずーっと、優しく見守ってくださっています。こんなに優しく励まして、暖かく見守ってくださって本当にありがとうございます。昨夜、帰宅した旦那、翔太のことを聞かれたら何て話そうか、相談所からの帰り道にずっと考えていました。けれど帰宅して旦那が放った第一声は「今日は、たくみん、保育園はどうだったって?」でした。結局、そのまま翔太の会話になることはなく、一応報告はしなくては…と、たくママから話を切り出しました。「翔太ね、今日、話し合いに行ってきたけど、鬱と睡眠障害なんだって…。だから、診療内科に通いながら、まず、キチンと眠れる環境を作って…、その間診断書が出れば、休学届けが出せるからまだ、高校中退にならずに済むかもしれないんだよね…」すると、旦那は「それじゃ悪循環なんだよ…」と一言。「だって、預けている立場だもの、そんなこんなとこっちから言えないよ」と言うと黙ってしまいました。はい、報告終わり。たくママ、そのまま会話を続けたらきっとまた、言わなくていいことを言われ、言わなくていいことを言い、聞かなくていい話になるだろうと、直感しました。なので、口封じをしたのはたくママの一言になったのかもしれませんが。あの人にとって、実子はたくみんで、翔太はやはり他人。夫婦も他人だもの。結局は、他人事なんだなあ…としみじみと思いました。わが家にも迎えてやることが出来ない、このやりきれない思いは、旦那には通じるはずも無く、改めて翔太の見方になってやれるのはたくママ一人なんだと思いました。でも、昨日の皆さんのコメントを読み、たくママ、一人きりじゃないんだ…と思いました。悩んでいたら、話を聞いてくれる人がここには居る。慰めの言葉も、理解してくれる気持ちも、一緒に泣いてくれることも、たくママには旦那よりずっとずっと心のよりどころになっていること、よくわかりました。旦那は、所詮、他人で、今以上、翔太のことを理解してもらうことは止めました。問われたら、答えるけれど、こちらからわざわざ言い争いになるようなことは、もう止めようと。大切な翔太を見守ってくださる、ここに遊びに来てくれる大切なお友だち。それから心優しく暖かく翔太を見守ってくださる、相談所の方と施設の職員の方。それだけ見方についていてくれたら、たくママにはもう敵なしです。とても、心強いたくさんの方々に見守っていていただける…それで大丈夫だとわかりました。重たいかもしれませんが、どうか見守ってやってくださいね。もうもう、旦那なんか「あっかんべーーーーーっだ!!!」昨日、相談所を出て、たくみんをお迎えに行かなきゃいけない時間まで、20分となり、焦りながら車を運転していると、途中で小さな駅脇にある踏み切りで遮断されました。いつまでたっても、開く気配が無く、電車も通る気配もない。踏み切りまで、たくママの前には車が3台。そのどれもがUターンしていくのを見て、時計を見ると、あと10分でタイムリミット。踏み切り奥の駅前をよく見ると、消防車にパトカー…。何かあったんだ…と思いたくママも慌てて、Uターン。今朝の新聞には、駅のホームから女性が飛び降り電車にはねられて即死だったとありました。何で、つい最近、また改めて命の重みを痛感したところなのに、命を絶ったのか…。ご冥福をお祈りするとともに、命ってそんな粗末にしちゃいけない…と、翔太やたくみん含め、大事にしなくちゃ…って思いました。どんなにツライことがあっても、死んじゃったらおしまいだもの。ダメだよ…。
2007年06月06日
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行ってきました。翔太、やはり「鬱」で「睡眠障害」があるらしく、夜早くに眠ろうと思っても寝付くのが明け方の4時、5時。下手をすると、一睡もできない状態なので、もちろん、学校へ行こうと思う意欲が無くなってしまい、結果、学校へ通えず単位が取れないという悪循環になっているとのこと。先日、わが家に来たときに話していた「木刀を持って父親が追いかけてくる…」という夢も今までの生い立ちに原因があり、記憶が蘇ってしまうのだろうと。なので、まず診療内科、精神的な問題を取り除く方向で治療をすること、そして睡眠薬を使ってでもグッスリと眠れる環境を整えること。そして、グッスリ眠ったなあ…と感じたときから学校へ通うようにしていくこと。今は、学校に行きたくても眠れていないから、いけない。診断書が正式におりれば、学校も休学扱いができるとのことで。一つ一つ順番に、翔太を良い状態に戻していくということで、話し合いました。進路については、本人は迷っているらしく通いたくても通えない現状では、つついても良い結果にはならず、ゆっくり待ちましょうとのこと。独り立ちするための選択肢は提供するけれど、決めるのは本人のことだから、と、快く良いお返事をしていただきました。なので、翔太をまずグッスリ眠らせ、精神的な苦痛になっている悪い部分を治療しながら翔太の意見を聞きましょうと話してくださいました。児童相談所では、いろいろなルールもあるため、ただ、サポートするだけではなく、また、子供に甘い環境を作るところではないこと。その子にとっての一番良い選択肢をとれるように促してくれること。それらをうまく誘導させて、翔太を見守ってくださる役目。一番身近にいる養護施設の職員の方が、施設の中では父親役、母親役なので目を光らせてくれています。だからといって、厳しくするのでなく、本当に暖かいお人柄でわが子のように大切に大切に見てくれています。今日、お会いして本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。あまりに暖かいお言葉に、たくママ涙が止まりませんでした。「翔太くんのお母さん、初めてお会いしましたがウソをついたり、偽った報告をなさらない方なんですね。」と言われ逆に何かいけないことを言ってしまったのかとビックリしましたが取り繕って、あることないこと、訴え続ける親御さんもたくさんいらっしゃるそうです。わが子の一番身近な、しかもお世話になっている方々に何をウソついて、取り繕う必要があるのか、たくママには理解できません。全て正直に話し、どんなことがあったのか、何を話したのか、どう思っているのか…わが子が心配だから、全てをまかせている職員の方にお話するのは当然のことだと思うのですが。だって、助け舟を出してくれるのも、今の子供の状態を教えてくれるのも、わが子を自分の子供のように心配して今日のようにわざわざ出向いてくれるのも、仕事だからとはいえ、こんなにありがたいことはありません。眠れないって、辛いことです。怖い夢を見ることも、好きで見ているわけじゃなく、目覚めも最悪だと思います。それらを治療するために、どこの病院がいいの悪いのと、わが子同然に真剣に話してくれている姿を見て、お任せしますと、頭を下げました。だって、それらは本当なら母親であるたくママがするべきことで、それを懸命に考えてくださる姿勢にまた、涙。。。自分の無力さに情けないと思いながらも、一緒に考え導いてくださることに心から感謝せざるを得ませんでした。翔太の話と、たくママの話にズレが無く、コミュニケーションはうまくとれているようで、今日たくママに会えて良かったと、翔太とたくママなら大丈夫だね、と、嬉しい言葉をかけていただき、少し肩の荷がおりた気がします。「こんな私でも、これから先、大丈夫でしょうか?」と伺うと「あらあ、お母さんなら大丈夫よっ!」と太鼓判をいただきました。次回、話し合うときには治療の成果も出始めるだろうから翔太も一緒に…というお話になりました。これからまだまだ、長い翔太の人生を悔いのない生き方が出来ること、心から祈るたくママでした。ご心配していただいている皆さんも、都度ブログで登場させご報告していきますので、暖かく見守ってやってください。
2007年06月05日
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一昨日、昨日と、葬儀も無事終わり長い長い旅に出かけて行った叔父さま原因は肝硬変だったそうで、お酒が大好きだったために…ということでした。でも、大好きなお酒を浴びるほど飲んで、幸せだったのではないでしょうか治療で辛かった身体も、もうラクになったでしょうし、無事旅立たれたことと思います。お疲れさまでした。安らかに本当にゆっくりとお休みくださいね…今の斎場は、すごいですね葬儀と、火葬場が一緒の建物になっているの、たくママは初めて見ました霊柩車が最後のお別れにクラクションを鳴らすのが、たくママはダメで故人が「さようなら」と告げているようで辛かったのですが、そんなことも無く、火葬場まで歩いて一緒に移動します。と言っても、棺の中に眠っている故人のお顔を見せていただいたとき、やはり亡くなった父の眠る姿とあまりに似ていたので、涙がたくさん出てしまいました。「あの年齢のおじいちゃんは、みんな病に伏したときには痩せ細り、顔も小さくなってしまって弱弱しい姿になるのよ…、だから似ているように見えるんじゃない?」と、看護士をしている旦那の姉に冷静に言われ、そんなもんなのかなあ。。。それでも、何事も無く無事に終了しました。で、本日、たくみんは保育園へと出かけて行きました泣かれるのではと気が気じゃなかったのですが、以前の保育園の雰囲気を覚えているのか、直前までは「かあちゃんも一緒がいい…」と話していたたくみん、保育士さんに抱かれてたくママにバイバイと手を振り、冷静に園の中へ入っていきました思って気を揉むより、実際に行ってみれば大したことじゃない話…無事に気に入ってくたれようでホッとしましたお昼にお迎えに行くと、食事が終わって一息ついたところ自宅に帰ると大きな声で「歌」を歌いだし、ニコニコ嬉しそうに笑います「ねえねえ かあちゃん あしたもほいくえん…いくぅ~」もう、心配ないようです…さて…明日がいよいよ翔太のことを話し合いする日ですどうなるのかは、また後日ブログでご報告いたします…。ドキドキ緊張してきました…
2007年06月04日
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毎朝のお弁当作り、今回の旦那の現場は近くになったので朝、4時半に起きます5時半に旦那を起こして…目覚めのコーヒーを…と思いきや…「まだ ねるのぉ~」とたくみんが起きてきました時計はまだ5時45分…昨日、保育園が半決まりになったのでどうも気分がハイなご様子寝かしつけるもお目目はパッチリ6時前から長い一日が始まりましたいつもならたくみんが目覚めるまでに洗濯物を干し、洗い物を片付けて…とスムーズにいく作業が全て…「ねーねー たくみんもおてつだいするぅ」の一言で30分、40分とどんどん時間はずれ込み…それでもそんな自我の芽をつぶしてはいけないと付き合ったところで、やり直しの連続このお年頃の相手は本当に毎日大変です…長かった午前中、朝もお昼も食事はおなか一杯に食べてくれたので只今「お昼寝」真っ最中です昨日の保育園のお話は、制服におけいこ道具、年会費に施設費、もろもろで随分とお金がかかりますが書類上の手続きが完了すれば無事入園できそうです何せ本人たくみんは、園庭にある滑り台がとても気に入り…、先生方も明るく出迎えてくださってたくみん自身が照れながらも行く気はマンマンです今月いっぱい「慣らし保育」で半日ほど預かっていただき、来月7月からは本保育になりそうな流れでいます園での生活に必要なリストをいただいたので、午前中は買い物へ新しいものに名前を入れる作業も久しぶりに嬉しいことでしたこの後、たっぷりお昼寝をさせると旦那の帰りを待ち、先日ブログにもご報告した親類の叔父さまのお通夜に大田区まで行ってきますどうしても父の葬儀のときを思い出し、先ほど礼服を陰干ししながらいろいろな思いが蘇りました今さらですが、涙が出そうになります…今日、明日の葬儀に冷静でいられるかちょっと不安ですが、父のときにもお世話になったこともあり、キチンとしなくちゃいけませんね…気持ちを落ち着かせて、行ってきます…人の命って本当にあっけないものですね…、大切にしなくちゃ…
2007年06月02日
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季節の変わり目は、本当に身体に良くないのですね週末、旦那の父の兄弟、叔父さまが身体の具合が思わしくなく危篤状態だと連絡が入り、月曜日にお亡くなりになりましたたくママは、面識が一度しかなかったのでなんですが…やっぱり人の命が絶えることって悲しいですね今週末は、お通夜とお葬式があり、父が亡くなって初めてのお葬式父のことを思い出して、父よりももっと若い叔父さま…見るに耐えられるでしょうかご冥福をお祈りしつつ…、週末は東京大田区まで出かけてきます=33そんなこんないろいろと予定があるたくママですが、本日は、やっとたくみんの保育園の見学に行ってきます駅前にある小さな保育園なので、園庭も狭くて室内もどんなだか…それでも、お友だちとオモチャで遊んだり、お散歩に出かけたりと楽しく遊んでくれる場であるなら即決しようと思っています保育料を考えると家計への打撃は大きいですが、愛する娘のため、たくママも何か職を見つけようと思っています旦那はたくママが外で働くのが嫌いなので、内職になるでしょうね~大して稼げませんが、年齢的にも使ってくれる会社はもう無いでしょうし、たくママも健康に自信が無くなっているところ、ワンコ2匹を留守番させておいて仕事に行くのもかわいそうだし…家で掃除や洗濯をしながら、ラジオでも聞きながらのんびり出来る仕事を探そうかと思っていますやっと育児から開放される時間が出来ると思うととても嬉しいです多分、たくみんもたくママと2人きりの生活に飽きがきているはずなのでちょっと離れて過ごすことも、大切かと思いますそんな話がまた一つ片付くと、いよいよ翔太の相談が待っています来週の火曜日に児童相談所の方2名、養護施設の方2名とのお話になるということで…なんでそんなにいっぱいで、何を相談するのでしょうか…5人で、どんな話になり、どんな結果が待っているのか不安で不安で、今からドキドキかなり緊張しているたくママです話の流れが良い方向にいくよう、皆さんも祈っていてくださいねちなみに来週の火曜日の10時から1時間の予定です
2007年05月31日
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旦那は転職してそろそろ1ヵ月になろうとしていますなんだかんだと大騒ぎしていましたがやっと落ち着いてくれそうな雰囲気になりました交通費も全額支給だし、残業もつく様子だし、何せ毎日帰ってくると日報を欠かさず書いています建設業は、かなりいい加減などんぶり勘定の会社が多く、キチンとしていなかったのでたくママ的にはかなり迷惑なところが、今回の会社は社長さんが几帳面なのか、オフィスワークも経験したことがあるかのような丁寧な面接と丁寧な対応にたくママもビックリこれが普通なのですが、旦那の会社の対応では今回初めてのことだったのでホッとしています今まで土方をしていたので泥だらけの作業着を何度もシャワーで泥を流しそのあとに洗濯機に入れていた…ということも、もうしなくて良くなったし、本人も土方作業で肉体労働をしていたのに今度は重機の操縦になり、雨風もしのげるエアコン、ラジオ完備の作業場で充実している様子ただ…ここ埼玉に越してきて、旦那とたくママ2人揃ってタバコをすっぱり止めたのに土方をしている間も吸うヒマも無いからと、ずっと禁煙できていたのに…ユンボでは、以前作業していた土方の作業待ちが多いらしく(立場的には、ランクが一つあがったわけです)待っている間、箱の中で超ヒマらしいのですすると携帯のゲームでもしてりゃいいのに…どういうわけか、口寂しくなるとかで…周りの作業者に影響されて…断念元の喫煙者に戻ってしまいました…糖尿病患者には、タバコとお酒が一番良くないのに、せめて好きなお酒は飲んでもいいよ…って、でも、タバコは身体に本当に悪いから…と告げたのですけどね…で、自宅に帰っても吸えないわけで、今度はたくママを誘うわけですたくママが喫煙者になれば、家に帰っても堂々と吸えると…あんな臭くて、煙いもの二度とごめんなさい…だわ文太も桃もタバコは嫌がるし、たくみんともニオイが気になって接触できないもの……と、散々抵抗するものの…わざと家にタバコを置いて行ったり、何とか負け組に引き入れようと毎日一生懸命に悪巧みしております…旦那あれだけワンコアレルギーで咳が止まらなかったのを目の前で見ているのに、何故に誘うのでしょうね…早く死ねってか???父も肺ガンで多分タバコが原因であろうこと、受動喫煙が問題になっていること、そして何より身体に悪いこと喫煙コーナーは、あちらもこちらもどんどん縮小されていて、肩身が狭い立場になりましたタバコを吸う世の中じゃなくなった…ってこと、早く気づいてほしいたくママですもちろん、たくママは負けませんよそんな旦那だけど…「今度はたくみんのおもり役で翔太もディズニーランドへ連れて行くか?」と嬉しい一言翔太の不登校の話にも、耳を傾け「じゃ、こっちに来させればいいのに…」と言ってくれたちょっと気分いい♪いいこと、あるかな
2007年05月29日
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昨日の夜、たくみんに言われた。「かあちゃん ぶんたとももと いっしょに ねんねしちゃダメ?」言われて、自分が情けなくて涙が出た。旦那には「バカだなあ、何も泣かなくてもいいじゃない…」と呆れられ…。ワンコアレルギーで情けなくて、悲しくなっちゃった…。「かあちゃんが、咳が出るでしょ?だから、文太と桃は別にねんねするんだよ」と旦那に言われてまた、泣くたくみん。布団に横になって、流れる涙をたくみんとたくママでぬぐいあいながら眠った。自分の身体のこと、忘れてた…ということよりもっと前に不安はあった。たくママの母親は、平成12年に亡くなっている。ちょうど、翔太がおなかの中にいるとき母の体調が悪くなり、身体がどんどん痩せてしまい、咳が止まらない…という不調が続いた。翔太を出産して、退院した翌日に埼玉医大に紹介状を持って出かけた。検査入院を余儀なくされ、入院待ちの日々。1ヵ月ほどしてからか、ベットに空きが出て即入院した。検査の結果は「膠原病」。膠原病の中でも「サルコイドシス」という難病で、かなり珍しい病気らしい。治療入院となり、3ヵ月ほどで退院した。それでも、1年の中で半分くらいは病院での生活になったのか…。そんなこんな、それでも退院すれば普通の主婦の普通の暮らしは、していたと思う。それから…翔太が小学校2年生のときかな…、突然倒れて救急車で病院へ。吐き気と、ろれつが回らない、軽い痙攣を起こしていた…、庭いじりをしていて物干し竿に頭をぶつけ、脳内出血を起こした。即、手術になり集中治療室へ。手術は成功したものの、痴呆症の老人と同じようになってしまった。笑顔は無くなり、たくママや翔太の顔を見ても不思議そうな表情をするだけ。手術のために短く切られた髪を気にしながら、父にだけ笑顔を見せていた。治療がある程度終わると、病院からは退院してくれとの話が出る。寝たきりで、言葉もろくに話せなくなった母を連れての退院。それからは、介護生活が始まった。父は仕事を辞め、たくママは翔太を抱えて働いていて収入があるため、市からの給付金が出ないからと実家を出るよう父に言われた。それからは、ずっと父は母のために介護を続けた。翔太が4年生のとき、母は亡くなった。膠原病で使われる薬は、骨を弱くする作用があるらしく、頭をぶつけたときにもその影響で直接の脳へのショックがあったものと思われ、お骨を拾ったときには、ほとんどぐずぐずに砕けた骨がわずかに残っていただけだった。こんな亡くなり方をしている母、そしてその娘。家族を持ってから、この母の短い人生が気になっていた。何を贅沢したわけじゃなく、わがままをしたわけでもない。お酒もタバコもしない人。いや、それよりも他の家庭の主婦よりも質素でつつましい生活をしていた母なのに…。母方の祖父や祖母、母の兄弟他の4人だってこんな病気になった人は居ない。何故、母だけがこんな病気にかかったのか…。その血を継いでいるかもしれない…と、旦那と再婚するときには念を押したけれど。身体の不調が出るたびに、その記憶が頭に出ては消え、また不安になり…。でも、たくママに何かあったときには延命治療はしないでね…なんて、話ついでに旦那には話したりして。何かあって、翔太が一人残ったときには旦那にお願いして、いいものなのか…。たくみんは、正真正銘旦那の家系の血が流れているから、遠慮なくお願いできるけれど、翔太はどうしてやったものか…。などと…、ちょっと「遺書」みたいな書き残しをしておきたくて、書いてみました。なんか、ごめんなさい、こんなこと。年齢を重ね、40を過ぎると「しんどいぞ」と話していた父の言うとおり、しんどいです。日に日に、逞しく立派に育っているたくみんについていけない体力の衰え。このまま、何事も無く入院するような病気にならずに過ごせるよう、祈るしかないのかな?健康に対して、自信が無くなった最近のたくママは、ちょっと気持ちが不安定かもしれません
2007年05月28日
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静岡では両手を広げて迎えてくれた保育園もちろん、たくみんは保育園で遊ぶのが大好きなので、埼玉に戻ってもまずは保育園の入園手続き…と思っていただが人口密度の濃いこのあたり、駅前ということもありどこの保育園も空きなどない一応、空きが出たら入れるような手続きは済ませてきたが、係りの人の表情は暗く…「なかなかね、入れないですね。空きが出たら、都度順番に入れるようにはしていますので…」とのことこんな回答をされるとは思っていなかった旦那とたくママお友だちが大好きなたくみんが不憫に思えたそれでも、両親が勝手に「保育園が好き」と解釈しているが、当の本人はやっぱり「母親」と一緒に居れる方が嬉しいのかもしれない…と旦那が言い出して、今日まできた。こちらにいる友達は、みんな幼稚園に入れるつもりで昨年の秋には願書をいただいて、とっとと手続きを済ませていた前の年の秋口に、翌年の春の入園の申し込みをすることなど全然知らなかったたくママ幼稚園でもいいが、朝から夕方まで元気に一日保育園で遊んでくれることを望んでいただけに、当初頭の中に存在自体が無かったし、旦那もたくママも「保育園」しか眼中に無かったし…、なにせ、働くつもりでいたからそんなこんな日々を過ごして今日まで来たけれど、いろいろとネットで調べて、車で5分ほどのところにある民間の保育園に来週見学に行こうということになった保育園で、お友だちと遊ぶたのしさや季節の行事、先生の存在、その他、いろいろと学べる年齢になったたくみんをこのまま、自宅で遊ばせるにも限界を感じた…というわけで、ちょっと施設費とか入園費、市立の保育園に比べるとかなり割高だけれど、5年も10年も通うわけじゃないのだから…という旦那の一言に押されて決心した元気に走り回って、たくさんのお友だちと仲良く遊ぶたくみんを見たい話すことも、一人前になってきてカチンとくることも増えたけど、表情が豊かで親ばかかもしれないが、本当にかわいい静岡の保育園での遠足や運動会のDVDを何度も見て「さくらちゃんは?先生とあそびたい」と話しているたくみんがかわいそうでならなかった赤や黄色の帽子をかぶって、先生方と散歩をする小さな子供たちを目で追っていたたくみんには、必要な場所なのかな…とつくづく思うとりあえず、来週見学してきてから…それと…翔太のことではやはり来週にも児童相談所の職員の方と、養護施設の職員の方、たくママとで話し合いの場を持つことになり、これもまた、来週にはご報告できるかと思います。どこも子供のために、親は頭を抱え考え悩み、助けようと一生懸命になりますね子供にとって最適な環境作り…当分の課題になりそうです
2007年05月25日
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やっと体調が良くなりましたご心配をおかけしてごめんなさい家族の健康は、ピリピリとチェックしてうるさいたくママですが、自分のことなどすっかりと忘れていましたもう一昨年の秋口のお話です亡くなった父が当時同居を初めて3ヵ月、気疲れが出たのか仕事疲れか咳が止まらず、近所の医者に看てもらいました「風邪ですね、咳止めと解熱剤を出しておきますね」と言われ薬を飲むが一向に咳が止まらず、再度同じ病院に行くも…「今年の風邪は相当しつこいから、少しパワーアップした薬を出しました」とのことそれでもその薬を飲んでも何も変わることは無く、旦那が糖尿病でお世話になっている別の病院に行ってみることにしました「犬かネコ、飼ってる?ちょっとアレルギーの検査をしてみようか…ハウスダストに、ダニ…それと、犬…」と項目をチェックして採血したり、もろもろの検査をしましたそして診察の結果…「これじゃいくら風邪薬を飲んでも効くわけないよ。犬のアレルギー反応が出ているね。好きでチュとしたり、口移しに食べ物をあげたり、一緒に眠ったりするのは良くないなあ…」とのことで、愛犬2匹との接触を少し考えなさいと叱られましたそして、処方してもらった薬を飲んですぐに身体はラクになり、先生のおっしゃった犬アレルギーがわかったわけで…とてもショックだったし、そんなヤワな身体じゃないと思っていただけに…堪えました旦那には、父とたくみんの両方の面倒を見て疲れも出ているだろうから…と仕事も辞めるように言われ、ワンコたちとの接触も極力控えるようにし…なんとか無事、体調を取り戻しましたそして、その秋口と、春、ゴールデンウィークが終わったころには、同じ症状が出ていたのでしたそれが、昨年の秋口は、アレルギー反応が出ず、何事もなく普通に過ごせたので「すっかり」忘れてしまっていたわけですちょうど、父が亡くなったり引越しのことがあったりと忙しく過ごしていたので、そんな余裕も無くなっていたのでしょうが…そして今回、どうしてもどうにもならず辛くて、苦しくて…あまりにも咳が止まらない状態が続くので、日曜日に旦那に病院に連れて行ってもらいました静岡ではおなじみになっていた病院も、ここ埼玉に戻ってからは一度も通っていなかったのでとりあえず、先日指の腫瘍でお世話になった総合病院へそして、忘れてしまっていた「犬アレルギー」を指摘されました今回の先生、初対面なのにかなりはっきりと物申す先生で「寝室はフローリング?それにベットだとベストだけど…」と言うので…「いいえ、フローリングに傷がつかないようカーペットを敷いて、娘が小さいのでまだ布団を敷いて寝ています」と話すと…「うわあ医者に言わせりゃ最悪の状態だわね。そりゃ咳も止まらないわよ」はい、たくママが悪うございました…犬との接触も症状が軽くなるとだんだんと元のようにかわいがりすぎてしまい、忘れてしまうのですよね…いけないことです…反省しました…ということで、旦那に先生に言われたことを話し、その日のうちにカーペットをはずしたり、眠るときには部屋に掃除機をかけてから布団を敷き、ワンコたちと一緒に眠るのは止めました健康が一番で、本当に辛かったから骨身に沁みました…と、こんな調子でやっと回復してきましたスルーしてしまったり、遊びに行けなかったりしましたが、また、明日から通常通りになる予定でいますまた、仲良くしてやってください…それから、本当に身体は大切にしましょう、健康が一番です…
2007年05月24日
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昨日、翔太がお世話になっている児童養護施設の方から電話が入りました先日、翔太がうちに来たときにどんな会話をしたのか知りたいと…なので、施設の方に言われて一度自宅に帰ろうかと考えていることや、夢を見て心療内科にまた通うようかな…と話していたこと、施設の中で引越しがあって居心地の悪い状態であることなど…思いつく限りの話を全部しましたたくママ自身が、その話を聞いてどう思ったのか知りたいとのことでした翔太…、学校の単位がまた危ないらしいのです近々、時間を作ってください、と言われてしまいましたなんだか…ブログにも書きましたが、しばらく放っておいて様子を見るのが一番いいと思うのですが…まったく…どうしたもんですかね…旦那が転職騒動で、バタバタしていてやっとホッ…とした矢先、一人気を揉んでも仕方の無いことなのはわかっているけれど…翔太の人生…いったいどうなっちゃうんでしょうか…ここ数日、喉の調子が悪く咳がとまりませんこのまま寝込んでしまいそう…
2007年05月18日
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昨夜、何かの話の流れからたくみんの将来の話になった。「宝塚に行きたい」という話が出たら行かせる?という問いに旦那は…「うん。何でも自分でやりたいならやらせてやりたいよ。」と言った。「好きなことをやらせたい。納得するまでやってみろ…と思う。」と。そこで、たくママは思った。今、ここで翔太のことを話しても同じように言うのだろうか。それとも、今までの自分の翔太に対する態度を反省するのだろうか。お酒も入り、酔った勢いから言ってしまおうか…と思いやめた。答えが多分、怖かった。当然、旦那の頭の中には、この会話をしている間は翔太の存在は全然無かったと思う。テレビで、母親の頭部を切断して殺害した…として息子が自首したニュースをやっていた。旦那が「俺も翔太に殺されるかも…」と言った。こんなときには、すかさず名前が出る翔太の存在って…。なんだか悲しくなった。翔太は絶対にそんなこと、しないもの…
2007年05月16日
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中国ではニセもののディズニーランドがディズニーに訴えられたとか…なんとも「ちょっと違うだろ」って感じのキャラクターが毎日テレビを賑わしていますが…先日わが家が行ってきた「東京ディズニーリゾート」のランドそこで、たくみんの成長と記録ということでいつものようにビデオを撮影したのですが…ミッキーマウスのお家があり、そこはミッキーが監督で映画を撮っているという設定ミッキーマウスに会える場所で、一緒に写真も撮らせてくれるところなわけですで、途中ミッキーのお家なので洗濯機があったりピアノやソファーなど家具を見たり触ったりできる過程を通って、いよいよミッキーとご対面になるわけなんですが…普通に撮影しているんですよ、旦那が普通に撮れているわけです、ミッキーのお家の中をウロウロしているたくみんとたくママが写っていますそしていよいよ憧れのミッキーとご対面しているシーンが写るわけです実際に会っているときには、夢中だしスタッフがいろいろと話しているので気にならなかったし気づかなかったのですが…やけにミッキーの動きがにぶいんです…っていうか、普通に両手をお尻のあたりで組んで、まるで「おじいちゃん」たくみんはいつものようにハグをしに抱きつきに行ってもそのミッキーには見えていないようで、まるで相手にしてくれない…手を握っても握手してくれず…手を振っても、こちらを見ていない歩く姿はただの「おやじ」……多分、中に入っている方がご年配の方だったんでしょうが、あまりに生気のないミッキーにガッカリするやら呆れるやらで…いつもキャピキャピしている元気で落ち着きがないくらい生き生きしているミッキーとは到底比べ物にならず…有料で撮ったミッキーとたくみんのツーショット普通の着ぐるみを着たねずみがたくみんと記念撮影をしただけのような寂しい一枚になっていました…もちろん、たくみんの表情に笑顔は無くなりました(マジで)
2007年05月15日
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昨年暮れまでは「おむつ」をしていたたくみんそれでも、やっとトイレに行けるようになり…日々の成長に関心するこの頃…「かあちゃん スカートがいい」と言い出した思い起こせば、保育園に通っていた間、もちろんオムツをはいていたこともありパンツ一筋だったお下がりをたくさんいただいていたけれど「はかないだろう」と勝手に親類に譲ってしまったたくママそうかそうか、女に目覚めたか…と思い買ってあげる約束をしたそしていよいよ先日、3着のスカートがわが家に現れた喜び勇んではくたくみん…似合っているんじゃない?…かわいいかも…♪と関心するもつかの間パンツが……丸見えなのです股を広げて座るので、パンツが…まずは「お行儀」を良くしないことには、スカートの許可をおろすわけにはいかず…スカートは押入れにしまわれてしまいました…旦那にパンツ姿が復活ですこんな風にお人形(メルちゃん)をリュックに入れて優しく…「だいじょうぶだよ いっしょにいこうね~」などと声をかける女らしさもあるのですが…いつになったらスカートをはいた女の子になるやら…それから言葉使いも…「あっぶっね~から」危ないから「いってぇ~」痛い…と、言葉使いがとても悪い…はいたくママが直します…はい。
2007年05月14日
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本日2回目の日記ですというのも、いつものホラーちゃんご存知の方はご存知の…今日、いつものように前を通ると…(ちょっと絵的にもういいや…って感じなのでお話だけで)なんと…ってそんなに驚くことでもないけど…明日の母の日に備えて、骸骨が赤と白のカーネーションの花束を持っていました…やっぱり何をやらせても、その接骨院の先生の気持ちというか志を感じることが出来て四季を感じながら、少しだけ優しさも知ったような気がしましたちょっとほのぼの…幸せのおすそ分けをしていただいたようで嬉しいです静岡では、いろいろありました…期待していた親族というか一族の争いは、みんな歳を重ねたせいかおとなしくなってきて…静かに穏やかな日々を過ごすことが初めて出来ました旦那の姉の娘で、翔太の一つ上のM美ちゃん、昨年できちゃった婚で10月に赤ちゃんが生まれ…姉は必然的にたくママと同じ年齢なのに「おばあちゃん」という立場になってしまい…嬉しいような、悲しいような…複雑な心境をしつつも孫のかわいさにデレデレまあ、それでも家族が一人増えたこと、そしてかわいらしい笑顔を見せてくれたこと、それらが加わりなんだか羨ましいくらいの明るい家族になっていましたそのM美ちゃん、昔から「霊感」が強く、たくママ一家が静岡に転居するときも、転居先に出向いて霊視してくれて…「出る」と言われたマンションは、いまだ不思議な現象があるとか無いとかで、入居者が居なくて…、20くらいある世帯はほとんどが引っ越してしまったそうで、たくママ一家には全然出ないマンションを見つけてもらったわけですが…今回、旦那の元同じ職場だった「おじさま」が会いに来てくれて…何が話の流れになったか「おじさま」の家にも何かあるようで、良くないことがおこるので見に来てほしい…とM美ちゃんにお願いが。たくママ一家が埼玉に戻ってからその「おじさま」から電話が入り…「やっぱりうじゃうじゃいたらしい。奥の北側の部屋には入れないって言われたよ」とのことでしたM美ちゃんと、その旦那さまも2人ともに霊感が強く、2人が2人とも強い霊気を感じたようで、お祓いをしてもらうことにしたそうです…お祓いも出来たら、M美ちゃん夫婦で商売が出来たのに…と思うのはたくママだけかしら?富士山こどもの国に行き、自然を満喫してきて充電満タン入り口には、このわけのわからない、それでもキチンと名前のついた石造が6体こどもの日が近かったこともあり、たくさんの数え切れないほどの「こいのぼり」に感動これだけあるとさすがに「みごと」でしたたくみんは、乗っちゃいけない重さにもかかわらず、大好きなY気くんといい感じ本当なら最高に大きく見える富士山の絶景ポイントもこの季節になると残念ながら見ることができません…やはりキレイな富士山を見るなら「冬場」ですね…ちなみに「キレイ」に見えればこれくらい立派です
2007年05月12日
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おはようございます本日より、無事、再就職先へと出かけて行きました月曜日、あんな形で家に帰って来たものの…たくママも言ってやりました「また、事後報告じゃないのーーーっ」それでも、叱った手前…寂しそうな背中を見て「ガマンの限界だったんだ」と実感「よくガマンしたよね、お疲れさまでした」とねぎらいの一杯をたくママも一緒になってやけ呑みしちまいました…それでも、火曜日には、川崎の現場に残した荷物を取りにとドライブがてら連れて行ってもらい…初夏を思わせる日差しの中、首都高速、渋滞も無く、気持ち良く走りました…と、開放的な気持ちになったのか…「明日は、ランドかシーに行く?」と言い出す旦那もちろん、ミニーちゃん大好きなたくみんは大喜びそんな流れで、いとも簡単にディズニーランド行きが決定今回は、今まで行った中で、一番空いていたようで、修学旅行生がたくさんいたけれどアトラクションで待たされる時間はだいたい30分だったので一日充実した日になりました翌日の心配もないし、ついでに…ということでリニューアルしたエレクトリカルパレードも見て花火を待ち…風が強いということで、中止の放送が…それでも、10時間の滞在で、本当に気分良く一日を過ごせました嬉しい一日でしたそして、水曜日には、買い物に出かけワンコたちを洗い、家中大掃除木曜日には、次の会社の社長に電話をして面接の約束をし…金曜日、昨日、無事に面接も終了と、無駄のない一週間を過ごした…旦那…頭が下がります来週月曜日からの予定が、忙しく人手が欲しいとのことで急遽本日、土曜日からの出社になりました思ったよりも、早くに仕事復帰してくれたので超嬉しいたくママこれも皆さまの温かいお言葉に支えられてのことで、本当にたくさんのコメントをいただいて「勇気100倍」の大きな気持ちで構えられたおかげ(ちょっと変な表現かしら…汗)かと…やっと…やっと、普通の生活が戻ってまいりました…本当にありがとうございました、そして、これからもヨロシクお願いしまーすそれから…、翔太のこともいろいろと考えました今は…何を話しても、あの子にはあの子なりの考えが芽生えていることを思い、今まで同様に見守って行こうか…と思いました。わが家に戻るなら、それなりに手を広げ、迎える体制を作りつつ、来ることは拒まないけれど大きなリスクを背負っていることも忘れないでと一言付け加えて話そうと思います。そのまま施設で頑張ることが、今の翔太には一番適しているとも思いますが、あの子がどう判断するかは…今のところわかりません。それでも、今までのペースを振り返ると、1ヵ月に一度、ここに遊びに来て、何だかんだとグチり、帰って行く…というパターンを踏んでいるので、しばらく様子を見ているとただのグチで終わることなのかもしれません。なので、あまり深刻に考えずに動いて出て来たら「そのとき」に考えることにしました。でーんと構えて、どう出るか…待ってみますこの一週間…、本当にいろいろとありました…支えてくれた皆様には、本当に心から感謝の気持ちでいっぱいです…みなさんが大~好きどうもありがと
2007年05月12日
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いろいろとコメントを入れていただいて、すぐにでもコメントを入れたいたくママですが…。今日の夕方、帰宅した旦那…とうとう恐れていた言葉が…「辞めてきた」…例のあきらくん、昨日わが家にも、で、会社にもどこに行って来たのかお土産と届けてくれたまでは良かった…しかし…今日、なんと会社を休んだらしく、頭にきた旦那はとうとう会社に「辞める宣言」を通達してしまった…わけです翔太のことで頭がいっぱいだったたくママに、新たな不幸がやってきました次の会社に行くまで、更新は無理っぽいので一応報告だけでも…それまでしばらくの間、お別れです見捨てないで待ってやってくださいねたくママは、これからどうなるのでしょう………(-_-;)
2007年05月07日
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どうしてやったらいいんだろ…。さっき、翔太が帰って行った後姿を見送っての感想。最近の自分のことをずいぶんと話すようになり、バイトも楽しく店長さんも良い方だとか。けれど、働いた分のほとんどが施設に強制的に貯金させられているので手元に来ないとか。学校も、なんとか行っているらしいし、来年には修学旅行もあるという話もしてくれた。けれど翔太の本題は「ここに住めるかな…」だった。施設の中で引越しがあり、また、居心地の良くない環境に悩み、バイトも働いても詐欺まがいで不満がたまるらしい。携帯も持てるまでには、まだまだ時間がかかり…。悪知恵を働かせて、施設にはバイトを辞めたということにして黙って働いて、携帯を買い、自分で働いた分は自分のこづかいとして使おうか…などと話す。職員のことでも、また不満が出てきて、以前の居心地の良さは無くなってしまった様子。1ヵ月ほど、自宅に帰ってみないか…という話が突然職員から出たという。本人は戸惑っているようでもあり、まんざらでもないのか…、表情からは読み取れない。でも「鬱」で以前から通っている心療内科にまた行こうかとも思っているという。それは「夢」を見るから。翔太には忘れたくても忘れられない「過去」がある。それは、たくママも消去できるものならしてやりたいほどの「過去」夢の中では、以前に住んでいたマンションが舞台で、やはり旦那が木刀を持って追いかけてくるという。でも、その他に出てくる登場人物が、赤と青の着物を着た小さな男の子と女の子が、真夜中に風もない中凧揚げをしていたり、マンションの近くにあった土手を犬の散歩をしているおじさんがいたり、真っ暗な夜中の2時、3時に人がぞろぞろ歩いていたという。そして、意味不明の日本語じゃない言葉を話しかけてくるけれど翔太には理解できずに冷や汗をかいて目を覚ますという。不気味な夢を見続けて、かなり寝不足になってしまったらしい。一緒に住むということ、とりあえずやってみようか…と思いかけたところで見だしたらしい夢。翔太の気持ちとのバランスの中で、やはり過去が蘇り、封印しかけたはずの気持ちの「ヤミ」がまた出てきたのだろうか…。旦那(父親)に対して、恨む気持ちがあるのはよくわかっている。たくママが翔太だったら、とっくに包丁でも刺していたかもしれない。翔太は気が優しいから、そこまで憎んだとしてもかわいそうで…と出来ない人間。憎み、恨み、消し去りたい過去と今も闘っている翔太に何と言葉をかけていいのか、会話をしながら考えるも思いつかない。ただ「かわいそう」でその思いを消せる消しゴムがあったなら、どんなにラクになれるだろうか…と思うと涙が止まらない。いつになっても、翔太には恥ずかしくて情けなくて、醜い、過去になってしまっている。誰にも消すことは出来ない。母親として、どうしてやったら気持ちが切り替えられるのか…、わからない。翔太が苦しむ姿を見ていることしか出来ないことが情けない。どうしたらいいんだろ…。それでも、最後に「ってか、でも、こんな俺でももてるんだよ」とはにかんで笑ってくれたのがせめてもの救いになった。「当たり前じゃん、母さんの息子だもん。」と言ったら「おーーっ、母さんでももてたんだーーーっ。」と言われた。なんか複雑だけど、そんな会話で最後を締めくくって帰って行く翔太を見送りながら「ごめん…」と頭を下げた。つらいのは、たくママだけじゃなく、やっぱり翔太本人が本当に一番に辛いんだ。何をしてあげたら、少しでも救われるんだろ…。
2007年05月07日
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