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私の職場は、重症心身障害者の通所施設。
デイケア、と言った方が分かりやすいかも。
養護学校を卒業された方が週2~3回、親元を離れバスで通所されてくる所です。
オープンしてから7年、何人かの「仲間」を見送ってきた。
多くは入院先の病院で、最後の時を過ごしている。
そしてまた今、まもなく命の終わりを迎えるだろうと思われている、1人の男性がいる。
家族は、延命措置は一切拒否しているとのこと。
なおかつ、大好きな通所にはできるだけ通わせて、楽しい経験をさせてあげたい
というのが家族の希望。
つまり・・・
家族のいない状況で、我々職員が彼の最期を見取る可能性がある。
職種にかかわらず、こういう職場で働く以上はこんな可能性もあるということは
覚悟しながら働いているものだと思う。
でもここは病院ではないし、なおかつ送迎バスの中でもしものことがあったら
自分1人でなんとかしなくてはならない。
なんとか、と言っても吸引と酸素投与くらいしかできることはないのだけれど。
もしも何かが起こっても、あなたたち職員を恨んだりはしません、と家族は言ったそうだ。
そのための念書を書いてもいいのですが、という家族に「信頼しているので
書いていただかなくて結構です」と医師は言ったとのこと。
でも・・・
「その時」に絶対に側にはいないはずの医師が、なぜそこまで言い切ってしまうのだろう。
「恨んだりはしません」とは言っても、「もっと他に何かできたのではないか」
と思うのが人間だと思う。
当事者も自分を責めるだろう。
家族が当事者を責めないと言い切ることはできないと思う。
私たち、現場の人間が一番不安なのは。
もしかして家族が彼の死に不審を抱いたとき、ウチの職場の責任者が
現場の人間を守ってくれると信じ切れないところにある。
責任者である園長(医師)は、バスに添乗することはない。
「何かあっても必ず責任は取るから任せろ」と、職員を安心させる言葉一つくれることもない。
情けない話だけど、そんな園長の下で働かざるを得ない私たち。
「死」という、重大な問題に直面していてもなお変えられない体質。
順番で回ってくるバス添乗。
「どうか自分のバス添乗中に何事もおきませんように・・・」と祈りながら仕事をしている。
ロシアンルーレットのマスみたいだ。