新居浜太鼓祭り

「新居浜西条、太鼓祭り」

タイトル
2007年太鼓祭
終了です!このページで太鼓祭りの素晴らしさを見ていってください!


 勇壮華麗な太鼓祭りをみなさん知ってますか!?
江戸時代から始まったといわれ、原型は西条の「こどもの国」に再現されてます。とにもかくにも、正月、お盆に帰らなくても祭りには帰ってくるという土地柄です。動きによって表情の変わる太鼓台は地元のシンボルです。「太鼓祭り」を感じていってください。




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 日程 10月15夜~18日まで
 場所 新居浜全域、西条東部(新居浜型です)
 観衆 30万人、それ以上かと思います

新居浜市の紹介



             2003年最終日最後の八幡神社午後7時(川東地区)
             澤津、浮嶋が出たんですが、田之上と町が16日の喧嘩でいないのが残念です。
「町vs田之上」の喧嘩写真(下の方です)



昔の太鼓台 の紹介です(^。^)

新居浜の太鼓台は、もともと豊年の秋を感謝して氏神に奉納していたものでした。地域の伝承によると祭礼時に神輿に供奉する山車の一種で、信仰を対象にした神輿渡御の際、その列に参加して供奉していたものといわれ、期限は平安時代、あるいは鎌倉時代まで遡るといわれています。
 太鼓台が記録の上で出てくるのは、江戸時代後期の文政年間(1818~1830年)のことで、その頃は「神輿太鼓」と書かれることが多かったのですが、時代を経るにつれて「太鼓台」あるいは「太鼓」とされることが多くなってきました。
 幕末から明治時代初期の太鼓台は、現在の子供太鼓台の大きさしかなく、天幕は現在のような膨らみを持ちませんでした。別子銅山の開坑による産業の発展に伴い、地域経済が発達するにつれて太鼓台は明治中期以降から急速に巨大化し、昭和時代初期の太鼓台は現在の太鼓台と同じくらいの大きさになり、天幕も膨らみを持ったものを付けていました。飾り幕も少し薄めでしたが、現在のものにかなり近いものになっていました。
 現在では、瀬戸内沿岸にある数多い太鼓台の中でも、新居浜太鼓台は、その豪華爛漫、勇壮華麗な「男祭り」の主役として全国的に知られるようになり、毎年10月16日から18日までの祭りの期間中、延べ約35万人もの観客を集めています。伝統とその集客力から徳島の阿波踊り、高知のよさこいまつりと共に四国三大祭りのひとつに数えられています。
 新居浜太鼓まつりは、市内4地区(川西,川東,川東西部,上部)でそれぞれ地区の特色を活かしたかきくらべを行っています。「正月は帰らずとも、祭りには帰る」と全国から帰郷する人たちも多く、老若男女、勇壮な太鼓まつりを毎年楽しみにしています。


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