たなごってブログ

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2006.11.29
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カテゴリ: 子育てと習い事
これは長男が○年前に生まれてからすぐの時に記したときの日記そのままである。


〔長々の前置き省略・・・〕
11月28日(金)はいつものとおり本社で勤務していた。この日は、欧州販社の面々がきていたので夜は、その会食でお付き合いをし、翌日の早朝にでも新幹線で家へ帰ろうと思っていたのである。
前の晩、お客さんと馬鹿騒ぎをし、朝食も口にできないほど二日酔いが激しく、昼食は珍しく上長と、1Fのラーメン屋へ行って、帰って自分の席に着いた途端に家内から電話である。前の晩から、ちょっとした腹痛があって、日頃からお世話になっているO市民病院のT先生に相談したところ、今日から少し体を休める意味で今からすぐ2~3日入院をしたほうがよい、と言われたとか。家にいると、何やかやと体を動かしてしまうので病院のベッドで安静にしたほうがよい、とのアドバイスであった。そのとき、彼女曰く、「少し入院するだけ。今週は、何もできないから帰って来なくていいよ。」俺も、今まで毎週週末は、家へ帰っていたし、いつもどおり帰るつもりでいただけ。「とりあえず、今日の夜の外国人との会食はキャンセルして定時後帰るわ。」このとき、まさか翌日赤ちゃんが生れてくるなんて知るよしもない。時はまだ11月、出産予定日は12月21日なのである。初産は普通、1~2週間遅れるのが通例であり、3週間以上も早く出てくることはないだろうと思うのが当然だ。頭が、一月分大きく、足も長いらしいので、成長が早いのだなと認識していた位である。

ともかく、定時後すぐ新幹線はとれず、20:00頃の東京発で京都へ向かった。家内の実家経由で家にたどり着くと、もはや翌日にさしかかる位の時刻であった。ひとりで寝るにはとても寂しいが、たまにはこんなこともあろうと床に就いた。(と同時に、今思い出してみると、軽い胸騒ぎがあったことは事実である。俺を急に帰らせた何かがある、と俺は思いたかった。) 
ぐっすり寝入っているところに、11月29日のAM4:40位であろう。入院中の家内から電話である。「お腹が痛くてしんどいから、すぐ来てほしい。」後で聞けば、彼女はこの時どんな会話を交わしたのかを全然覚えていないと言う。俺はその時、まだ生まれるなんて思ってやしない。ちょっと看病を、なんていう軽い気持で、先週買ったばかりの赤いジャンパーに身を包み、手ぶらで車を走らせた。
いつ来ても、病院の雰囲気は好きになれない。あの匂い、あの空気を嗅ぐだけで自分の体までおかしくなってくるような気がするのである。産婦人科は、6病棟、エレベーターを上がって3Fのところである。
家内は、既に陣痛室に居た。周期的に襲ってくる痛みは既に陣痛のようだ。当り前だ、陣痛室にいるのだから。昨日、前の晩に食べたものが悪かったとかまだ悠長なことを言っていたから笑える。本人は、「もう我慢できない。」を連発して、既に俺など眼中にないかのような苦しみようである。普段、彼女は色々な面で大変この俺に気遣ってくれるので、別人の如くである。助産婦さんに言われるまま、俺は彼女の背中からお尻の辺りをさすり続けた。「ひょっとしてこのまま午前中に生れるのですか。」午前中なんて、限定して質問した俺も俺だった。要するに、まだ生れてきてほしくない、父親になる心の準備が出来ていない、立ち会い分娩の際、俺はビデオカメラでその光景を撮ろうと思っていたのに、まだそのもの自体を購入していない。12月に入ってから、秋葉原か、寺町かの電気街の年末商戦で安く買えばいいなんて悠長に考えていたのである。

「ちょっと待って下さい。」と俺は叫びたかった。今朝の睡眠時間は、ほんの2時間位であるが眠気など吹っ飛んでしまっている。自分の子供が生れるときなんてこんなものか、と極力事実を直視しようと努める。と同時に、昨晩、こちらへ帰っておいて本当によかったと胸を撫で下ろす。
家内は、陣痛のうねりが益々パワーアップしている。たまらず、分娩室へ移動することとなった。「ご主人は少し、席を外して。」とのことで窓の外を見ればまだまだ外は真っ暗である。そう言えば、俺も生れたのは、午前2時頃だったとか聞いている。日が暮れている間に生まれるのが普通なのだろうか、などと頭の中を思い巡らせていた。

家内は分娩室へ移っていた。俺も差し出された白衣をはおり、帽子を被って中へ入った。さきほどよりは、痛みがひいている感じ、助産婦さんによれば、「ここに来てほっとして、痛みが和らぎ、寝てしまうひともいる位なのですよ。」とか。家内も陣痛のうねりの合間をぬって、少し眠りに入った模様、でもほんの2~3分のこと。彼女は随分と寝たように感じているらしいが、ほんの一瞬であった。
その寝ている格好は、大胆!過ぎて直視できないほどの体勢である。まづ最初に、「ご主人は、奥さんの肩の横辺りに立っていて下さい」と指導を受けた。俺自身も肩から先へ進むつもりはない。両足を全開にしているのだから。それから、助産婦さんから、「立ち会い分娩をされますか。」といきなりの質問。本来ならば、立会い分娩を希望するときは、旦那が、事前に病院から講習を受けてなくてはいけなかったのだが、俺はあいにく単身赴任の身で、平日は時間の都合がつかず、受講するかどうかを考える時間さえ与えられていなかった。ともかく、前から夫婦間で話し合っていたとおり、「立ち合い分娩をします。」と即答した。正しくぶっつけ本番である。時々、家内の手を握り締めながら、「頑張れ。」「大丈夫か。」と声を掛けるしか旦那のできることはない。改めて男の無力さを感じた。やはり、女性は偉大だ。

6:00頃であろう。実際の先生も呼んでもらって、いよいよ出産の準備開始である。俺もこのことを家内の母には伝えておかなくては、と電話をしてとりあへず来てもらった。立ち合いは一人まで、と限定されており、家内の母も一緒に分娩室に入りたがっていたが、助産婦は、「ご主人ひとりでいいでしょう。ずっとあなたがそばにいて下さい。最後に頼るのは、ご主人です。」との忠告で、家内の母には申し訳ないが、ずっと俺だけ中にいさせてもらうことにした。
結局家内も踏ん張りが効かず、一旦、先生にはその場を退いてもらうことになった。家内は、この状況に及んで自尊心丸出しで、ひたすら「うんこさんが出る-恥ずかしい-。」と連呼している。その都度、助産婦さんが、「そんな風に感じても、出ているのは赤ちゃんの頭よ。」と説明している。しかし、俺は見た、少しはうん○たるものが出てきていることを。

それはさておき、絶叫を続ける家内を尻目に、赤ちゃんは着々と光の指す方へ前進している模様である。助産婦さんが、あそこに指を入れながら、赤ちゃんの頭があと10cm、暫くすると、5cmにまで来ている、と実況中継する。俺は、その壮絶な会話のやりとりを聞きながら、失神しそうになった。因みに、俺は中学・高校時代から、保健・体育の時間に、体のしくみたるものを講義されると、その内臓、またはとある病名ひとつひとつの固有名詞を聞くだけで、自らの体が痛くなってくる小心者である、よって俺は絶対に医者にはなれない、と当時思った。勿論、医学部へ入れる程の学力もなかったことは確かである。

いよいよ、家内ももう堪られなくなってきたようで、助産婦さんが再度先生を呼ぶ。時に、7:20から7:30位であろうか。家内は、もう別世界に行ってしまっている程の苦しみようである。その様を言葉で書き表すことはできない。先生がアソコの何かを切ったのだろうか、(俺にはそう見えた。)家内の雄叫びならぬ雌叫びが最高潮になった。俺のアソコは最高潮に萎縮し、金玉は凍てついた。

そうするうちに、助産婦が、家内のアソコから、赤ちゃんのアタマを抜き始めたのだ!アタマの形が出てきた。家内の叫び声は耳に入っていない。おおお、出てくる、出てくる、頑張れ、踏ん張れ、でも、アタマを締め付けるな、変形する・・・と思いきや、スルッと、赤ちゃんの全身が、羊水と血液と共に一瞬にして出てきたのだ。まさしく“スポッ”という感じである。と、同時に元気な産声がとあがった。おお、生きている。こんなのが、家内のお腹に何ヶ月もいたんだ。しかし、何て神秘的な光景なのだ、と思うと、涙が溢れ出てきた。俺は敢えて拭おうともしなかった。その時、冷静に先生が、「男の子です。」と言った。少々、やっぱりか、と思ったもののそんなことは今はどちらでもよかった。家内に、「お疲れさん、よくやったよ。本当によくやったよ。」と声を掛けるとすぐさま、赤ちゃんの置かれた台のところへ飛んでいった。その途中で、家内が冷静に、「ちゃんと指は5本ある?」と聞いてきた。俺は、赤ちゃんを見ながら、実際、足と手の計20本を最後迄数えずして、「オーケー、ちゃんとあるよ。」と言った。そんなことより、ちゃんと声をあげて、“人間”が生まれてくれたことに感謝したかったのだ。思わず、顔を見てどちらに似ているかなんて考えたが、さっぱりわからなかった。生まれたてなんてしわくちゃなだけだ。目は細めかなと思った位でわかりっこない。(でも後々、この目はグングンと大きくなっていくのである。)分娩室の外で待っている家内の母(今となってはおばあさんである。)に、無事生まれ、男の子であったことを伝えた。とても喜んでいた。生まれた時間は7:45と記された。

暫くすると、家内は、別の部屋で安静タイムに入っていたが、俺は分娩室の横の部屋に残って、助産婦さんの言われるままに、赤ちゃんをお風呂に入れたあと初めて抱いてみたのである。おっかないっていったらありゃしない。照れくさいが、一応、「お父さんやで。」と声も掛けてみた。父親としての実感はまだ湧くはずもない。流石に助産婦さんの目の前で、まだ“パパ”なんて言葉は、照れ臭くて口に出せなかった。同時に、体重も計った。3050gもあり、3週間以上も早く生まれてきてのこの体重は、流石我らビッグ夫婦の子供だと思った。因みに、後から聞けば、早産の扱いであったらしい。あと1日、遅く生まれれば通常出産の扱いになるらしいのだが、おかげで分娩費用も一部免除して頂けるそうな。助産婦さんも、「最初から親孝行なお子さんね。」



その時、後から聞けば、家内は、横で赤ちゃんを見ながら「タナゴ太郎(仮)」と連呼していたらしい。俺たち夫婦が、もし男の子が生まれるのであれば、名前の第一候補のひとつであったのだ。彼女にすれば、俺の“たなごって”から一字取って、俺の部分を受け継いでほしいとの思いがあったようだが、色々考えていくうちに、俺としては、やはり、この赤ちゃんは俺とは違う人生を歩むべきでは、と思うようになっていった。俺の血を受け継いでいるとはいえ、生まれた瞬間からから、俺とは別の人格をもっているのだ。親を引きずってはいけない。





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Last updated  2006.11.30 23:58:34
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