源氏物語の第五十二帖「蜻蛉」は、宇治十帖の8番目、薫が27歳のときの話です。
浮舟の姿が消え、宇治では大騒ぎになります。そして見つからないまま、葬儀が行われます。匂宮は病と称して籠ってしまい、薫君は後悔し悲しみます。
時は、夏からさらに秋へと移ろいでいきます。薫君は、都の華やかな暮らしの中にいながら、ときに大君(おおいきみ)や浮舟を思い浮かべては、追想にふけるのでした。
そんな秋の夕暮れ、蜻蛉がはかなげに飛び交う様を見て薫君が詠んだ歌、
「ありと見て手にはとられず見ればまたゆくへもしらず消えしかげろふ」
から「蜻蛉」とよばれるようになりました。
「蜻蛉」の古跡は、京都翔英高等学校の南側に隣接する一画にあります。
「蜻蛉之古蹟」の碑
この古蹟のすぐ右隣には、「線刻阿弥陀三尊仏」と呼ばれている石があります。
「線刻阿弥陀三尊仏」
同上
高さ2メートルほどの自然石に、線で描かれた仏像が3面に刻まれています。平安時代の作品と言われており、宇治市指定文化財になっています。
この石は「かげろう石」と呼ばれているそうですが、宇治十帖との関係はないみたいです。どちらかというと、古蹟にあるのでかげろう石と言われるようになったのではないかと推測できます。
ところで、この一帯は「蜻蛉野」と呼ばれていたという情報がありました。いつごろ呼ばれていたのかが分からないので、地名が古蹟の場所の決め手になったかどうかは不明です。
しかしおそらく、夏から秋にかけて、この辺りをトンボやカゲロウが飛び回っていたのでしょうね。蜻蛉の古蹟に相応しい場所だったのだと想像できます。
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