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2016年01月21日
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カテゴリ: 京阪沿線ぶら歩き

京都市学校歴史博物館

京都市下京区御幸町通仏光寺下る橘町
京阪本線・祇園四条駅より南西へ徒歩10分
阪急京都線・河原町駅より南西へ徒歩6分

幕末の動乱や明治維新を経て、京都の衰退に危機感を抱いた人々は、明治2年(1869年)、民間の資金や借金で小学校を作りました。良い人材を育てて、京都の産業を支えることが必要だと考えたからです。

当時、京都には「町組」という住民自治の組織単位がありました。上京、下京それぞれで通し番号が付いていたため、「番組」とも言われていました。原則として「番組」ごとに設けられた小学校だったので「番組小学校」と呼ばれました。

京都市学校歴史博物館

京都市学校歴史博物館では、「番組小学校」をはじめとした京都独自の教育の歴史や、学校を作った京都の人々の思いを紹介するために、平成10年(1998年)に設立されました。

京都市学校歴史博物館

ここはもともと、「開智小学校」があったところですが、統廃合によって平成4年(1992年)に閉校しました。ちなみに「開智小学校」は「下京第11番組」の小学校でした。

日本初の近代的制度である「学制」が定められたのが明治5年(1872年)ですから、「番組小学校」の設立は、全国に先駆けた教育に関する先進的な取り組みでありました。裏返せば、それほどに京都の人々の危機感が大きかったのだとも言えましょう。

学校の正門と石塀は、登録有形文化財に指定されています。








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最終更新日  2016年01月22日 02時01分30秒
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Re:京都市学校歴史博物館(01/21)  
近代的な教育制度が始まる前に、既に京都ではそのような仕組みがあったんですね。京都の人たちの先見の明はすごいです。

明治の始めのころって、旧憲法も出来ていない時期ですけど、いろんな面で大変だったでしょうね。法律もまだ制定されていないでしょうし。

例えば、爆発物取締罰則って、明治17年に太政官布告という形で制定されています。旧憲法制定時は明治22年ですが、それ以前に成立していたものは効力があるとされています。

明治初期の混乱の時期、爆発物を使った事件が多かったということでいち早くこのような罰則を作って、旧憲法下で効力有りとしたところと似ているかなって、思ったりしました。
(2016年01月24日 22時06分34秒)

Re[1]:京都市学校歴史博物館(01/21)  
あけやん2515さん、こんにちは。
明治17年の太政官布告による「爆発物取締罰則」がいまだに効力があるというのはすごいですね。
日本初の近代的制度である「学制」は明治5年に太政官が発したもので、教育制度も、日本の近代化のために重要視されていたのでしょうね。
(2016年01月25日 00時31分32秒)

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