「炎の同居人」と「ゆかいな仲間たち」
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先日、酔っ払いながら「このブログをわしの自伝にしたい!」って宣言したわし。あれからというもの、行き当たりばったりな話題ばかりを書いてきたわし。せっかく「ふるきよき時代」なんてカテゴリを作ったのだし、中には楽しみだと言って下さったやさしい方もいらっしゃる!そこで今日は、わしの出生の秘密についてお話しよう。さすがに、わしも産まれた時の記憶はないので、この話は親戚縁者や父母から聞かされた話だ。来月40歳の誕生日を迎えるわし。でもね、本来の出産予定日は3月3日おひなさまの日だ!本当にその日に生まれていれば、かなり女の子らしいかわいい子になっていたに違いないのに… (ーー;)たぶん…予定日よりも1ヶ月も早い2月のある日…身重の母が階段から落ち、急に産気づいたというのだ!っていうより産ませないと軽くヤバい?って感じだったようで…。(当時のうちは木造2階建の5軒長屋に住み、2階へ続く階段はハシゴに少し毛が生えたくらいの足場しかなく、傾斜80度くらいの直角に近い状態だった←これは、わしも覚えてる!小3まで住んでたしね)苦しむ母…しかし当時は病院で産むのは上流家庭くらいで、ほとんどが産婆さんだより!産婆さんは、書いて字のごとく、子供を産む手伝いをするばあさんだ。産婦人科の先生というより。おばあさん…。(わしものちにこのおばあさんに会った事があるが…しわくちゃな印象しか残っていない)産むにもひどく苦労したようで、とにかく大変だったらしい。(だって準備もないのに急に出ろって言われてるようなもんだもね!そりゃ逆らうよ!)結局、わしが出た時は、精魂尽き果てたらしい。しかしね!やっと出てきたわし、叩いてもゆすっても泣きもしないし、とにかく赤黒い…。産婆さんが母に継げた言葉は「これ早すぎたなぁ」だった。軽くわしを見せてもらった母も、あまりにも人間離れした姿に絶句…「そうですか」としか言えなかったという…。その姿とは…母があまりの長時間の出産に疲れ、わしの頭が出たまま休憩したため頭部は「ひょうたん」のような形…。身体は小さくてしわしわ、色は黒く、顔はサルの方がまだかわいいと思えたらしい…(-"-)(実際、わしの生後の写真は人様に見せられる生物になった頃からのものしかない。)わしの人生を早々に諦めた産婆。新聞紙にわしを包んで放置…。母を慰めながら産後の処理をしていた…。しかーし!!わしは生きていた!!( ̄ー ̄)ニヤリッ新聞が突然ガサゴソガサゴソ…\(◎o◎)/!産婆は、これでもか!というくらい跳ね上がり驚いたらしい(*_ _)人とにかく!わしは人生のスタートを華々しくスタートさせることが出来なかった…。(ヘ;_ _)ヘ ガクッしかしね!ものは考えようだ!わしは…自分で生き残る力を産まれた瞬間から産婆の手によって試されていたのかもしれない…。彡(-_-;)彡ヒューヒュー
Jan 22, 2006
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