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今日は amazonとJunkudoで英語学習の本を購入。高かったけれど、思いきって買ってしまった。新しい生活の中で、勉強の方法も試行錯誤だ。ちょっと頭を悩ましたら、夕方にはまた疲れてしまった。まだ一度に長時間は頑張れなさそう。:最近の日記はショート&シンプル。でもこのくらいでちょうどいいかにゃ?
2009.07.03
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今日、やっと、小さなことに1つチャレンジできた。気になっていた友達への連絡。中学時代の友人、およそ2年ぶり。高校時代の友人、およそ2ヶ月ぶり。ここ数年、主な活動場所が国外だったため、また、目標が決まると一直線に進もうとする性格ゆえ、会っていない友人、知人がかなり多い。これまで縁してきた友達、1人1人を、もっと大事にできる自分になりたいと祈る今宵のターシャでした。
2009.07.02
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髪も切ったし文房具店で注文したブックスタンダーもゲットしたし(なかなか良い品だったので嬉しい)chanting もようやくあがるようになってきたし昨晩の「プロフェッショナル」もすごく感動したし:プヒュー!やっと再出発なり!長らく不在でご心配をおかけしてしまったら申し訳ありません。上がったり下がったりのウェーブをくり返し、2ヶ月経って、ようやく元気になりました。これからまた、ターシャの新しい日常を綴っていきたいと思います。最近読んだ本の中に引用されていたリルケの詩。とても印象に残ったのでここに記したい。ああ 切り離されていてはいけないこんなに薄い壁のため星たちの尺度から 締め出されていてはいけない内部の空間、これは何だろう?もし高められた空に鳥達が投げ入れられることなく、そして低くに帰郷の風がなければRainer Maria Rilke "Ah, Not to Be Cut Off" in Ahead of All Parting最近お気に入りのBGM:ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番ハ短調
2009.07.01
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ご無沙汰しております。ターシャです。4月30日、およそ1週間前、フィリピンより無事に帰国しました。本当に、本当に、拙い私を支え続けて下さり、有難うございました。自分が受けた御恩の深さを表すには、言葉ではとてもとても足りません。この1週間は食べて、食べて、寝まくり、トド的ライフを送ったせいで、一気に3キロも太ってしまいました。ギャースギャース!!追々、過去の模様もアップしていきたいと思っております。フィリピンで学んだことを一言で表すなら・・・:ケセラセラの精神。すべてをコントロールすることなど出来ないのだから、ベストを尽くしたらケセラセラ。いわゆる「人事を尽くして天命を待つ」。現実に出た結果がたとえ自分の望んでいたものでなかったとしても、「発想転換」し、その結果への自身の執着=束縛から自分を解放する。「今から未来」を幸せの方向=ベターの方向に解釈する。フィリピンで好きになった言葉・・・:相対性。フィリピンで学んだ生活態度・・・細かいことに囚われない。「ずぼら or ルーズ or 適当」且つ締めるところはしっかり締める。フィリピンで学んだ知的・対人的態度・・・:オープン・マインド。ひとつの考え方・見方に絶対に囚われない。決め付けない。切り捨てない。ついさっき学んだこと・・・何をするにおいても、何が出来なくても、「楽しい」ことが大事。無理をし、無理をさせ、結果、自他を苦しめたら本末転倒、あまりにかわいそうすぎ。1人1人みんな違うのだから、「こうあるべき」という1つの形式を全員に押し付けるのはおかしい。おかしいと思うことは声をあげること。人をリードする立場にある人たちが、人間のもつあらゆる側面をもっともっと知り、理解することが必要。オープン・マインドを持つことが必須。:これから新たな転換が必要だと思う。自分は少しずつ、それに取り組もうと思う。
2009.05.08
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やったピョン!また寮でインターネットが使えるようになりました(ただし部屋では使用不可。寮のロビーのみ可。また、ワーキングアワーの午前8時から午後5時までは使用不可)。これで卒業式の模様もアップデートできるかな(体力、気力があれば。。。)
2009.04.23
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Minasama Tarsha de gozaimas.Nihongo ga utezu, minikukute sumimasen. m(_ _)mIma, internet shop de kore wo utte imas.Kino kara, toutou my dorm de Internet ga tsukaenaku natte simaimasita. (T_T) this weekend ni okonawareru Graduation no moyou mo, picture iri de goshokai shitakatta nodesuga, nihon ni kikoku sitekara ni nariso des. koko shibaraku wa, diary no up mo sukunaku narisou des. Very very sorry po. Tarsha wa genki de orimasu. Douka goshinpai naku.Rain no manira yori.
2009.04.21
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あぁ。寂しいな。エレベーターのドアが閉まるまで手をふられていた Mr.and Mrs Fall.手をふりながら遠くへ歩いていかれた Mr.Butman.なごり惜しかった。ターシャのフィリピン滞在中、最もお世話になった方々。論文の謝辞に、お名前を入れさせていただいた。今の自分ができる報恩感謝の「形」として、今日、お見せした。「最高の名誉です」「ありがとう」と、驚かれ、とても喜んで下さった。その笑顔を拝見できるのが、一番嬉しかった。自分が言ったことは忘れない。必ず実現する。何年かかっても、一流の研究者、教育者に成長すること。それをもって、私を育てて下さった多くの方々、Mr.& Mrs Fall、Mr.Butman、フィリピンの大恩に報いること。うんと力をつけて、またここに戻ってくること。さあ、始めよう。これから、今から、何が出来るか、考えよう。未来にむけたカウントダウンは、もう始まっているのだから。
2009.04.19
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昨日は、韓国人の院生の友人セオンと一緒にランチをした。同じ比較文学専攻で、共に励ましあってきた大切な友達。彼女も論文執筆中だ。ターシャの卒業祝いに、素敵なプレゼントを沢山用意してくれていた。私もセオンのために、メッセージカードと私の持っていたアクセサリーを贈った。色々なことを語り合った。論文のこと、将来のこと、フィリピンのこと、文学のこと、結婚のこと、勉強のこと。持つべきものは、友達。私も、女性が一般的にそうであるように、かわいいもの、きれいなものが好きで、それなりにキョロキョロしたり、ウットリしたり、昔はほしいものもそれなりにあったけれど、論文を書き終えた今は、そういったものにほとんど執着を感じなくなった。人生を本当に豊かにしてくれるものは、良き友達だと思う。良き友達は、お金では絶対に買えない。そして、お金では絶対に買えないものを、友達は真心からくれる。「経済力」は当然、しっかりつけるべきで、みんなのために色々な意味で「お金」持ちになりたいけれど、私自身は「良き友達」持ちになりたい。セオンは34歳。でも、とっても若くて、20代後半にしか見えない。というか、30代って、思っている以上に若いのだろう。でも、それは、セオンが結婚しても子どもがいないのも手伝っているかな。セオンは、私が26歳であるのを聞いて、I envy you! と何度も言っていた。あなたの若さなら、何だって出来るわ!と言っていた。そして、結婚は焦るなと何度もアドバイスされた。結婚しても1~2年は子どもを持つなとも言っていた。彼女は今、結婚生活に問題を抱えている。私の周りの人たちは、それは夫の間違いに過ぎないっていうの。だから許しなさいって。彼女達はそうしたって。今、別れたらきっと後悔するって。彼女達はあのとき許して、そうして今は夫も子どももいて、幸せだって。でも、私、それで本当に幸せかと思うの。彼女達は現状を「正当化」して、無理にそうして良かったと思い込もうとしているのよ。私は今許しても、後できっと後悔すると思う。何より、夫の行為が単なる「間違い」かどうかが一番の問題なんじゃない。一番の問題は、そうしておいて私を騙す、夫の不誠実な人格なのよ。子どもがいて、夫がいることが、あの人たちにとっての幸せなのかもしれない。でもそれは、私の幸せじゃないの。彼女達はそれで幸せというけれど、子どもの世話と将来の教育設計で頭の中が占められていて、ほかのことを随分犠牲にしていると思う。妹はね、子どもがまだ4歳なのに、もう教育しようとしているのよ。それに、インターネットで良い学校の情報を探してばっかりいるわ。私は子どもも欲しくないし、「男は浮気するものだ」と受け入れなさいと言うなら、再婚なんてしたくもない。私は一人でも十分、幸せに生きていけるわ。そうだ。「男は浮気するものだ」と受け入れろなんて、女性にとって、なんてアンフェアなんだろうと思う。 :セオンにとっての、幸せの定義って何?と聞くと、それは、「愛って何?」という質問と同じくらい難しい問いだわと言っていた。セオンは、10歳も年上の夫より、ずっとずっと賢くて、自立した大人だ。その後、お世話になったご夫妻のご自宅で、先輩、後輩ともに、卒業のお祝いをして下さった。本当に有難い。こんなふうにお会いする人たちみんなに、ターシャからも、ささやかなお礼のカードとギフトを準備する。人数が結構いるので、正直なところ、少々疲れる。でも、大事なのは心ですから。これからまた、別のお祝いパーティー? お食事会がある。実は結構、疲れていた今朝でしたが、自分の言葉を綴ってみて、ちょっと調子を取り戻した感じ。昨日も帰りが遅かったのだった。
2009.04.19
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色々とやりたいこと、考えるべきことは沢山あるのだけど、毎日、なんやかんやあり、どんどん日が経っていく。この4月は勉強しようとか、あまり窮屈に考えないほうがいいかもしれない。当初はする予定満々だったんだけど。今日、用事があってウェン先生のオフィスに行ったら、出張か何かで大学には月曜日に戻ってくる学部長のサインを待っている論文の製本が山積みになっていた。その中に、私の論文もあった。紅の表紙に金文字。透明のカバーが光を反射して、一番上に、静かに横たわっていた。恥ずかしかった。私のなんかがあっていいのだろうかと思った。未熟なくせに、たいそうなタイトルをつけたものだと思った。今週末、お世話になった先輩方と夕食会を持つのだが、出来上がった論文をお見せする約束なので、月曜日の朝、学部長が帰ってくる前に戻すとスタッフに伝え、1部だけ持って帰ってきた。自分の机の前=the object of worship の前に置いてみたら、それでも、ここまでたどり着くことができたのだと、しみじみ思い、心から感謝の思いで手と手を合わせた。それでも、なんとなく怖く、論文は開くことなく、汚れないようにビニール袋に包んで脇に置いた。今はなんやかんやと、卒業のための雑用やら準備やらで、一種の緊張状態は続いている。(ん? そうでもないかな? でも今日も手続き上、卒業にかかわる大変な問題が起こったのだった。本当に最後まで安心できないよ、ここ。)これが本当に終わったとき、つまり、数ヵ月後に発行されるディプロマと成績証明書を後輩に無事に送ってもらい、それを受け取ってやっと安心することができて、そして自分は、粘土みたいにグニャリとつぶれないだろうか。なんて、少し、思ってみたりした。でも、ハリムがこの間、コメントで言ってくれたことを実践すれば大丈夫かな。ライオンに追われるカモシカが必死で逃げ道を探すように、自分に与えられた環境でベストを尽くせば、それで良い。相手を深追いするだけ無駄。まだ19歳なのに、そんな達観したことを言えるハリちゃんよ、本当にあなたは大変なところに生きているんだね。(泣)深追いは、相手に支配されること。緊張を支えるものがなくなったとき、本当に粘土みたいになってしまわないように、ターシャはターシャの道を決めて、進んでいこう。:と思ってみたりしたターシャでした。
2009.04.16
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空飛ぶ?フライデイ:今日もバイト。ターシャの後を引き継ぐ後輩を連れて行く。上司に挨拶。新聞の切り抜き、整理について伝授。その後、オフィスを出て、この間アルテミス先生とそのお友達ご夫婦と一緒に入った同じお店を見つけ、そこで昼食。今度はターシャがおごってあげる。後輩は巨大ハンバーガー。私はオムレツ。:うみゃい!周りには、フィリピン人女性と外国人男性のカップルがちらほら座っている。この地域、多いんだよね。食事の後、後輩に、アクティビティーの引継ぎも行う。ターシャがずっと担当してきた役割、新聞サイトの登録、ローカルの日本人メンバーとの関わりにおける注意事項、先輩との接し方、後輩のまとめ役=リーダーとしての心構え。その後、ターシャはオフィスに戻り、また4時間、「無の境地」でひたすら新聞の切り抜きをする。5月分の束の切り抜き、やっと終えた。オフィスを出たのは午後6時過ぎ。やっぱり同じファーストフード店で、同じメニューをオーダーして夕食を済ます。夜、日本にいる先輩よりメールのお返事をいただく。日本のハカセ過程について色々な情報=厳しい現状を教えていただく。有難い。要チェックなり。空はまだ青いサタディ午前、先輩からの情報をもとにハカセについて調べ始める。先輩がメールで触れていた本についても、アマゾンでレビューを見てみる。『高学歴ワーキングプア:「フリーター生産工場」としての大学院』。日本に帰ったら手にとってみよ。午後5時。後輩と待ち合わせて、お世話になったご婦人のご自宅へ向かう。有難いことに、ターシャの卒業お祝いに日本食をご馳走して下さるのだ。予定より早く着いたので、近くのモールに寄り、ご婦人へのお礼としてブルーベリーチーズケーキを買う。素晴らしいメニューの数々::手作りコロッケ、しょうが焼き、サラダ、煮物、野菜とサーモンのお鍋、ほうれん草の湯でもの、おひたし、漬物、スイカ、マンゴーのフローズンケーキ、エトセトラ。本当に、本当に美味しかった。「美味しい」を連発し連発するターシャ。2人ともご飯をおかわりし、出された食事はすべて平らげた。これがフィリピン流なのです。本当に色々なことをお話した。ターシャがまだフィリピンしか見ていないことを言うと、是非ともほかの国も見るべきだと強く薦められる。学問の世界だけでなくて、もっと色々なこともやってみるといいとも。ターシャに、ボーイフレンドともデートするようにと仰った!・・・ご婦人からそんなことを言われたのは初めてである。ところ変われば品変わる。なんともオープンマインドな有難いお方であられる。1人より2人のほうがいい。2人より3人のほうがいい。3人より4人のほうがいい。人間としての幅もできるしねぇ。心に残ったのは―何であれ、挑戦してそれで駄目だったら、それが自分の「使命」だと分かる。少しでも可能性があるなら、それに賭けてやってみよう。ということ。このときは結婚や出産のことを話されていたけれど、ほかの事にも当てはまるよなあ。夜、空にはいつもよりたくさんの星が光っていた。だって午前2時半。ご婦人の楽しく有意義なおしゃべりは「ノンストップ」で続いたのであった。後輩はガールフレンドから帰りが遅いことへの叱責のメールを受け取っていた。(笑)呼んでいただいたタクシーで帰宅。これも楽しい思い出だね。その道の先輩は、寄り道をしないでまっすぐ進めという。そうでない先輩は、違うことを仰る。どちらがいいのかしらん。
2009.04.12
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論文から解放されたターシャの1週間ネズミのチュ、チュ、チューズデイ:論文のファイナルコピー提出。朝から何も食べていなかったので、ラウンジで遅い昼食をとる。そこで指導教官のセリーン先生と遭遇、しばし懇談。昼食代を払い忘れたままラウンジを後にする(明日払います)卒業式でドレスの上から着る大学の紋章入りサッシュ(肩からかける帯)を買いに行く。キャンパス内の旅行会社の支店へ。PALとJALのチケットの値段をチェック。寮に戻る帰り道。抜けるような青い空、流れる白い雲。熱い光をふんだんに含んだ空気。:自由だ、自由だ。声を絞り出す。あーゆーはっぴぃ?ウェ、ウェ、ウェンズデー:朝10時起床(汗)午後、大金を下ろしに行く。昨日行った旅行会社店へ。しかし、パスポートを忘れたことに気づき、炎天下をてくてく歩いて寮に取りに戻る。またお店へ。やっとチケット購入。:PALなり。午後4時、後輩とそのガールフレンドと寮で会う。ジープに乗って30分ほど。アンティポロという小高い山にあるレストランへ。マニラを一望できる場所。ターシャの卒業お祝いで、おいしい夕食をご馳走、"bananapple"というカフェで買ったバナナのチョコレートケーキをプレゼントしてくれた。真っ赤な夕日が、マニラ湾の水面を朱色に照らしているのを見た。この場所から、海まで見えるなんて驚きだった。広い大地の上に、赤く燃える円球がゆっくり降りていく。最後は雲に隠れてしまったけれど。世界一美しいといわれるこの国の夕日はシャイで、水平線に沈んでいく最後までは、なかなかその姿を見せてはくれない。でも、mentor がこの国に来られたときは、雲1つない、本当に素晴らしい夕日だったそうだ。その夕日を一緒にご覧になった大先輩は、「まるで空の勲章だった」と言われていた。光線が空いっぱいにぱーっと広がったそうだ。ああ、見たいなあ。もうお月様が見える時間。後輩たちのチャプターのチャンティング会に参加。交通渋滞の中、バスに乗って帰る。寮に着いたのは11時ごろだったかな。サナギのサ、サ、サーズデイ:午前9時起床。先月中旬から行っていなかった新聞切り抜きのバイトへ。今日から国はイースターホリデー。どこのお店も閉まっている。電車で行こうとしたら、駅にシャッターが降りていた。:でえええ?仕方なく、またジープで大学まで戻り、別ルートでバスに乗る。英字新聞がだいぶたまっている。昨年の5月分の束を切る。このときは、お米不足で物価も上がって大変だったんだな。そんな記事ばかり。ターシャが社会学を教わった先生のコラムを見つける。この先生の授業、本当に面白く、素晴らしかった。先生の写真、今より若いけれど、ダンディーさは変わらない う~む、ニャンでこんなに格好いいの? オバマ大統領の言葉 "change" について書いてあった。ちゃっかり切り取ってターシャのバッグへ。:ぷぷ、やったね!オフィスを出た頃にはもう6時過ぎ。駅前のファーストフード店で夕食をとる。2人連れ、家族連れが多い中、1人で食べることにすっかり慣れてしまった。昔は寂しかったんだけど。:これって「お1人様」でござるか。
2009.04.12
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を無事に提出した夜。透明な、紺青の夜空に、お月様がなんてきれいなんだろう。ナウシカの木の葉っぱが、月光に白く照らされている。本当に本当に、ありがとう。
2009.04.07
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今夜送ると言われていた直しの原稿がまだ届かない。返信もない。明日、というか、もう今日が提出の締切。午前1番にオフィスに届けるつもりだったんだけど、最後のギリギリまでどうなるか分からない。くそったれ。もう誰にも英語の直しを頼まないですむ英語力をつけてやる。悔し涙が出る。直していただけるのは本当に有難い。でも、最後まで相手の行動に振り回される。疲れた。手元にある原稿、最後の見直しをしよう。午前3時半。
2009.04.06
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4ヶ月ぶりだろうか。ずっと参加できていなかった、月1の大きなミーティングに参加した。久しぶりに、動くmentor にお会いすることができた。1月のビデオだった。観れて本当に良かった。感動した。お話も、歌も。素晴らしかった。20歳の初々しい若者達にこう仰っていた。離れていても、近くにいても、関係ない。ココロコソ大切ナレ。そうだ、そうだ。本当にそうだ。どんなときも、忘れてはいけない。自分の中心から外してはいけない。mentor のこと。あらゆるエンに振り回されやすい己だからこそ。昨夜から、本当は落ち込んで、顔は少しはれ、頭も痛く、少し疲れていたけれど、心に決めた大目的のことを思い出した。こんなことでくよくよしていたらいけない。mentor に喜んでいただきたい。こんなにこんなに、一人ひとりに、世界の果てまで気を配り、信じられないほど、みんなのために尽くし働いていらっしゃる mentor に。喜んでいただくために、自分は、the first line で struggle し続けよう! ショウリを持ってホウオンしよう。決めた。
2009.04.05
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明日は日曜日。あさっては月曜日。しあさっては火曜日―論文のファイナルコピー提出のギリギリの締切日。待ち続けるのも、少々、苦しい。。。返信も何も返ってこない。先生、ご多忙なのは知っているけれど、どうしたんだろうか。本当に、まだ送ってもらっていない見直し原稿およそ100枚、送ってもらえるんだろうか、月曜日の夜までに? しかも、今、寮のインターネット状況がものすごく不安定で、いつ使えなくなるか分からない。インターネット使用の規則が変わって、部屋ではもうインターネットも使えない。寮のロビーにパソコンを運んでメールチェックしている。今週末から来週1週間は、ホーリーウィーク(キリスト教の祝日)のために図書館も閉まるから、そこで使えるワイアレス・インターネットもできない。キャンパス内にネットショップはあるけれど、そのうちの1軒にこの前行ったとき、ファイルをダウンロードできなかった。不安要素は色々ある。先生に、あまり何度もメールを送るのもしつこくて失礼だと思うから、できない。頼む立場はこんなとき、とても弱い。たった一言、返信があるだけでこちらは安心できるんだけど。出来るでも、出来ないでも、一言あれば。それに、「いつまでに」という期限が明言されていれば、もう涙が出るほど感謝だ。こんな思いは、ここで、今まで、何度もしてきた。でも、教授のスケジュールはコントロールできない。もしも、もしも、私が誰かをケアする立場になったら、返信に関しては、出来るだけ早くしてあげようと思う。自分にできることを進め、かつ最悪のシナリオも考えて手を打つべし。英語がちゃんとしていれば、誰に最終チェックを頼むこともなく、こんな歯痒い思いをしなくても済むのに。異なる文化圏で、母語とは異なる言語で、修士号・博士号をとるのは、こういう面でも、苦しい思いをする。最後まで、絶対に油断できない。
2009.04.04
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ついさっき、指導教官の Dr. Serene に、本論を構成する6章をすべてメールで送信し終わった。先生に製本前の、最後の英語チェックをしていただくため。本当に有難い・・・一応、タイプミスを見直し、フォーマットを整え、すべて見直してから、送る。第1章の直しが入ったものは、今日の午後、先生とお会いしたときにいただいた。ラウンジで食べたサンドイッチに入っていたツナ、もしかして悪かったのかしらん。おなかがずっと痛かった。ラウンジを出たとき、ちょうど、書類を抱えて忙しげに歩いてくるウェン先生にお会いした。ターシャを見るなり、日本語が飛び出す先生。:は~い キュリーさん。大丈夫?:Hi sir! ディフェンスでは本当に有難うございました!ディフェンスの後、先生方におにぎりを2個ずつ渡すためにセカセカしていたので、ディフェンス前も、ディフェンスの最中もたくさん助けていただいたウェン先生に、きちんとお礼が言えていなかったのが心残りだった。:It's ok, it's ok.心持ち左右にゆらゆら揺れながら、少し早歩きで歩いていかれるウェン先生の後姿を見ながら、笑っているけれど、本当に多忙で、疲れていらしゃるのだと思った。帰国前に、もう一度ご挨拶とお礼に行こうと思う。日本のお土産の「扇子」を持って最後まで、最後まで邪魔が入らないように。無事に進むように。間に合うように。ちゃんと卒業できるように。祈る。はぁ、よし。明日は、結論を書き直すぞ。BGM Whisper of the heart―丘の町。ジブリ「耳をすませば」より
2009.03.31
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今日、Ma'am Artemis とお会いした。先生の日本人のご友人夫妻がフィリピンにバケーションで来られていて、一緒にお食事に誘って下さった。とても気さくでフレンドリーなご夫妻だった。実はキャンパス内には、Bonsai Garden という、巨大化した盆栽(笑)が並べられている広い庭園があるのだが、まずそこを見学し、その後、キャンパスのすぐ外にあるレストランでお食事をした。もともとはアメリカ生まれのレストランらしく、食事は巨大サイズだった!値段も高い。ご夫妻はパンケーキ、ターシャはサンドイッチをオーダーしたが、どれもボリューム満点。その中でアルテミス先生は、相変わらず、カップチーノ1杯・・・ しかも、先生が、ご夫妻の申し出を断ってすべての支払いを済まされた・・・ あぁ。申し訳ないぃぃ。先生、コーヒー1杯しか飲んでないのに。しかも私達を乗せて運転してくれているのに。食事後、先生が、ご夫妻にフィリピンの素敵なお土産を渡された。その後、:ターシャにもあるのよ。:ええぇ!?まったく予想していなかったことだった。少し重さのあるお手紙を渡された。中で、何かカシャカシャ鳴った。:これ何ですか?:あなたが身につけられるものよ。封筒をそっと開けてみる。目に飛び込んだのは、キラキラ光る指輪とシルバーのブレスレットだった。:・・・・・・!!!!!驚きのあまり、一瞬、言葉を失った。(これは、ご夫妻には見せられん・・・)ターシャの寮の前で、アルテミス先生とご夫妻とお別れした後、もう一度、封筒を開いてみた。これ、先生が以前、つけられていたアクセサリーだろうか? なんかそんな感じがする。 先生、アクセサリーをよくつけられているから。とってもきれいだった。こんなの初めて。しかもアルテミス先生から。ものすごく、ものすごく嬉しかった。:もう、これ、日本で毎日つけちゃうよ。中にはカードが入っていた。Dearest TarshaAll the best! ArtemisP.S. CONGRATssssssss!!! :)先生の携帯に、すぐ、お礼と感謝のメールを送った。:お友達との楽しいお時間、そしてとっても素敵なギフトを本当にありがとうございました! 一生、大切にします。こんなに、こんなに良くしていただいて、うじ虫のように、暗闇の中でいつまでもウジウジしていたらいけない。動くんだ。何年かかっても、立派に成長するんだ。「一流」を、「本物」を目指して。本当に、そう思った。できる、できないじゃなくて。私がこれまで数え切れないほどの方々からいただいてきた恩に報いるには、本当に、それしかないんだ。ターシャは今日から動くぞー!
2009.03.29
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あぁ、疲れたなあ。知らず知らず遠くまで来てしまったよ 旅立った日から巡り合えた数知れぬ人々の顔 消えない景色 何一つ欠けても駄目なんだよ旅立ったのは・・・4年前!!? 論文に取り組んだのは1年前・・・第1章の執筆を含めれば・・・2年前?うん、失敗も。思うようにいかなかったことも。きっと、将来の、欠けてはいけない大切なピース。10年後の自分を見ていろと。うまくいかなくても やめない解放感より、涙と鼻水にくれた水曜日の夜であった。ディフェンスのことは、今思い出しても、まだ少し辛い。超優秀な先生にとって、私の英語はあまりに情けなかった。それを知っていた私は、申し訳なさと恥ずかしさで、ディフェンスの前も後も、死にたいと思った。懸命に書いたものを、アブストラクトさえ理解できないと言われたことは、厳しく言ってしまえば、書いてあることの否定だった。それが一番辛かった。でも、そういう意見も、十分理解できた。自分の中でさえ、整理のついていない部分が残っていたのだから。一貫していない部分、甘い部分があったのだ。本当はもっと徹底して追及したかったけれど、間に合わなかった。このことがこんなに辛いのは、私がもっとも尊敬していた先生に、そう言われたからだった。10年先には、この先生にも認められるような、立派な英語力、論理力を堂々とつけていたい。。。情熱をなくさずに 歩き続けて傷ついて 疲れ果て 愛を知らされて 論文に携わったこの長い期間、1人では、とてもとても、歩み通せなかった。途中で倒れていたか、逃げ出していたに違いない。人間は、強さと、弱さと、両方、持っているんだな。そして、どちらも否定したらいけないのだと思った。沢山の素晴らしい人たちに支えられてここまで来れたように、私も、弱った人の、魂の沈むような惨めさと悲しさを理解し、かつその人の強さを信じ、安心と、希望と、勇気をその心に湧かせられる励ましの人になりたい。未来を、決して、否定しないこと。それは、今の自分を「全否定」しないことでもある。出発点を否定したら、どうやって先に進めるんだろう。この今から未来を見つめて、歩き続けること。今と未来はつながっている。あぁ、それしかないんだな。進むには。知性と、人格と、慈悲と。この3つを兼ね添えたい。私の素晴らしい先生方のように、そしてターシャの父母のように。勝ったのだといってくださったすべての皆様へ、本当に本当に、心の底から有難うございます。学問の道は本当に長く、果てがないようだ。私のミジンコのような微力で、どこまでできるのだろうか。10年先、20年先、と。それでも、これからの歩みで、「より素晴らしい」勝利をご報告できるよう、自分を鍛え磨き、精進して参ります。後輩を励ましながら。そう、知性と人格と慈悲を兼ね添えた、心優しき先生方が私にして下さったように、経験のない後輩に必要なのは、「甘やかし」とは違う、対等の「励まし」だと分かったから。
2009.03.28
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本日、ターシャのディフェンス、なんとか無事に終わりました。寛大な先生方のおかげで、合格をいただきました。よって、4月の卒業は確定です。書きたいことはいっぱいありますが、また後ほど書きますので、少々お待ちくださいませ。頂いたメールにも、追ってきちんとご報告の返信をさせていただきます。本当に本当に、有難うございました。取り急ぎご報告まで。m(_ _)m
2009.03.25
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した。あさって水曜日に本当にディフェンスを行えるか、不確定になってしまった。ちっちゃな油断と不備が重なって、こんなことになる。the dean representative という役目を引き受ける6人目の教授が、まだ決まっていなかった。しかもその教授にも、2週間前には論文を渡していなければいけないなんて知らなかった。マメに連絡を取るんだった。人に頼らないで、自分から。ここでは自分しか頼りにならない。知っていたはずなのに。こちらが動かないと、動かない。でも、大事な点なのに、どうして連絡するのを忘れるんだろう? 人間は忘れることもあるから―そうだけど。誰だって、すべてを十分には把握できないから分担するんじゃないのか。一体どこまで、学生が責任を取らなければいけないんだ? 線はどこで引かれているんだ?それを最初に教えてほしい。いちいち聞かなければ、教えないなんて。それに、ディフェンスに参加する教授方の食事まで用意すること。6人分。いくらフィリピン文化といっても、学生にとっては負担だ。特に家族のいない留学生にとっては。でも外人だから知りません、関係ありませんでは、なんか嫌だ。色々、あれこれ考えると、やっぱり悲しくなる。人のせいにしたくなる。だから、もう祈ろう。
2009.03.23
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ターシャの2番目の妹が、今日、卒業した。本当におめでとう!! 感動のシキテンだったそうだ。早く明日の新聞が読みたいな。。私は論文を提出してから、興奮した頭でその後の計画だけは綿密に立てたものの、3日後に緊張がほどけたのと同時に、その後1週間、疲れで、勉強しようとしてもできなかった。何もできなかった。その後も、寝まくった。ここ数日は、論文を読み返しながら、その稚拙さを改めて認識し、教授方に心の中で何百回も謝罪し、床に倒れてのたうちまわるような恥ずかしさと情けなさをおぼえつつ、ようやく開き直り(?)論文の内容でまだよく分かっていなかった部分(汗)を明らかにしつつ、まとめています。思うように進みませんが・・・先日、寮内の年下の友達に会ったとき、「ターシャさん、論文書いているときはちょっとこわかった。今はすごくリフレッシュした感じがして、ずっといい」といわれた。:え、我輩、こわかったの?追い詰められたネズミのようだったからかな。まあ、色々な意味で追い詰められたというのはあった。ターシャは2月に、ルームメイトと大喧嘩し、部屋をお引越ししたのだ。:隣の部屋に。(笑)よりによって、ラストスパートの時期に。私がずっと部屋で論文執筆しているのを、「私が部屋を支配している」というのだ。以下は少し長い、2人の喧嘩の様子。スルーして下さって構いません。私が授業でいない間、あなたは部屋で1人、好きなことできるでしょ?(机にじっと座ってうんうん言っているだけですが・・・それに、授業があって部屋にいないのはあなたの都合でしょ?)私のために、部屋では静かにするのが普通なのが、彼女には耐えられないらしかった。ターシャ、ここは図書館じゃないのよ、生活する場なのよ!あなた、家族との家があるじゃない?(っていうか、親に秘密にしているから、家でも思うようにスカイプできないんでしょ・・・)違う違う!!こんな調子で続いたが・・・彼女の不満のウラには、「毎晩、イラクに帰った彼氏と1~2時間はスカイプしたい」という欲求があった。時々なら別にいい。でも、「毎晩」ですよ、毎晩。2時間以上。 そしてその間、私が日中はずっと部屋にいて好きなことできるのだから、図書館でも外のベンチでもいって、論文書けばいいだろう?という主張なのだ。パソコン持って、本を持ち運んで? 夜にか? あの暗い夜道を1人で歩くのか? しかもお2人の恋愛のためにか?はあああ???!!!ふざけるにゃー! 毎晩話すっていうなら、ロビーに無線ランが通っているんだから、2人で会う時間を設定して、そこでやればいいじゃない?なんであなたにそう指示されなきゃいけないの? それがおかしいのよ! 私だって部屋で心地よくやりたいのよ。私はこの1週間が特に大事なの。何を話しているか分かるから、よけいに集中できないの。それに、ここを乗り切らないと卒業できないんだよ。この時期を過ぎたら、あなた、何時でも好きなときに話せるのよ。ノー、ノー、私はもうずっと我慢してきたのよ!ターシャは論文、むこうは恋愛。どっちも、本人にとって断固譲れない欲求。(笑)妥協は成り立たなかった。むしろ喧嘩で終わった。3年間の付き合いに、ザ・ピリオド。ああ、恋愛ほど人をわがままにするものはない。くそったれが。歎きのターシャ。(でも、たぶん、勉強もかな?)その日は、rage in the world of Hellのあまり、論文執筆が進まなかった。しかし、ターシャにそんなことを言ってきたその日、彼女のパソコンがおかしくなり、それから翌日まる1日、彼女だけインターネットが使えなかった。原因は不明。だから、スカイプどころじゃなかった。:なんとテキメンな・・・(笑)部屋に引っ越した当初は、1人になった彼女の部屋に、幽霊でも出てキャツを脅かしてほしいと、本気で思った。というか、寮内をうろついて時々出没するという幽霊に「行っていいよ」って、心の中で語りかけていた。:我輩、誰?憎しみは怖いですね。相手の不幸を願い、自分の心の中を食い破るから。まあ、ラストスパートのさなか、そんな嵐もあったのでした。2月の第1週から2週にかけて頃だったかな。今は、引っ越して本当に良かったと思っている。そこには母校の後輩と、カンボジア人の院生がいた。2人とも、とてもおおらかで、癒された・・・ おおらかなために、部屋は前とは比べ物にならないほど、汚かったけれど・・・あと、ちょっと靴箱のあたりが臭ったけど(笑)人間は、おおらかなのが一番なのだと、心の底から思った。あまりキチキチせず、ゆるいところはゆるく、でも、締めるところはきちんと締める。これが最高なのだと! だから、ターシャもこれでいこうと思う。特に他人と一緒に住むなら、そのくらいがいいのかもしれない。あと、2人はやっぱりきつくなる。どんなに仲が良かったとしても。3人ってちょうど良い。それに、部屋は区切りすぎないで、多少、相手の存在が見えるようなくらいがいいのかもと思った。今の部屋は、部屋の仕切りがあまりない。でも、そのかわり、広々している。話は変わって、今夜、決意したことがある。ここにいるターシャの2人の友に、ミスティック・ローの種をまくことを決意しました。1人は不誠実なアドバイザーのせいで、1月には論文を提出していたのに、卒業が来学期に延びてしまった友人。ちゃんと読んでくれていなかったのだ。そして今更、誰かに英語の直しを頼みなさいと言ってきたそうだ。本当に、本当に酷すぎる・・・もう1人は家庭的に問題を抱えている友人。そして2人とも、マリッジやこれからの進路のこともある。幸せになってほしい。たとえば、ある病気に効果のある薬を知っていたら、その病気を持つ人に勧めたいと思うのが、普通の心情のように。もうすぐここを去るから、最後のチャンスです。ディフェンスの勝利と、友人のハピネスを、しっかり祈っていきます。:長文お許しください。以上ぽ!
2009.03.21
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今日、論文を完成した。完成というにはまだまだ甘いところ、足りないところも沢山あり、時間の許す限り、自分の中で完璧を期するまでやりたかったけれど、もう時間がないため、とりあえず出せる状態を見切り、第二段階であるcriticのウェン先生に提出した。夕方、ウェン先生に論文を届けにオフィスを訪れた。約1年ぶりの再会。本来であれば、もっと早く、2週間前には渡すべきだった論文。設定された期限はとっくに過ぎている。謝りながらお渡しすると、大丈夫ですよと快く受け取って下さった。目次などに目を通されるウェン先生の眼差しは、落ち着きに満ちた、知的な眼差しだった。それになんだか少し、嬉しそうな感じだった。一応、ターシャがここでは外国人で、ウェン先生自身、日本のT大学に留学して日本語で論文を執筆した経験があるから、そういう部分でのシンパシー?を感じてくださっているのだろうか。:・・・(論文執筆)本当に難しかったです。最後に私がこう言うと、:「気持ち」が大事。日本語で、朗らかに、こう言われた。「心」「誠実さ」ということだろう。有難かった。ウルトラスーパーレヴェルの先生方から見たら稚拙極まりない私の論文でも、そういう部分を見てくださるということが。そう言って、私の心を軽くしようとしてくださることが。この世界に生きる同じ人間として、学問を通して自分はどう貢献できるのか。その追求を、ウェン先生は常に心の中に持っているように感じた。Dr. Geniusも、 Dr. Artemis も。ここの先生は、優秀な方々はみんな。ここを通れば、約2週間後に最後のディフェンスだ。新たに加わるパネリストは、Dr. Genius と Dr. Artemis。 :ぎゃーーーーーーーーー!!!!!!!この叫びの中身には、あらゆる矛盾した気持ちの数々が混淆しております。あぁあ。。。このウルトラスーパーレヴェルの光り輝くドクター達の前に、私はまるでちっちゃな醜い蛙のようだろう。でも、蛙がこんな素晴らしい人たちにお会いでき、見ていただけることは、それはすごいこと、幸福なことなんだ。まだまだ戦いは続きますが、ここにたどりつくまでの長い間、弱い私を幾度となく励まし、支え続けてきて下さった皆様に、心の底から感謝申し上げます。本当に、本当に、有難うございました。これからまた精進していきます。祈って祈って祈って、また勉強していきます。:これでとりあえずラスト実感をもって思ったことがある。勉強するとはどういうことか、初めて分かった。それは、誰かに頼ってやることではない。自分で問題を見つけて、自分で探求し、(その過程にある苦労もすべて引き受けながら)新しい視野を現実に広げていくことだ。そこに一貫してあるのは、徹底して自分で考えるということ―つまり態度における「主体性」だ。学びとそれに伴う苦闘の過程は実に、「自分自身」の獲得でもある。だから、「研究」は、「学び」は、一生続くものなんだ。それは、真の意味で、自分らしく生きるためのプロセスそのものだから。その自己実現に、真の充実と幸せがあるから。自分はこれまでどんなに浅はかなものに耽溺していたかと思う。これまで、学校の勉強は大抵、面白くなかった。勉強とは何か分からなかった。これからは、もっと果敢に、積極的に、たとえ特定の機関に属していなくても、学びの探求を続けていける気がする。
2009.03.09
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夕飯にご飯を2杯も食べた。パワーをつけなければいけないので。。先日の日記ではあんなにパワフルなことを言っていたけれど、ここ数日は本当に・・・きつい。これまでとは、なんだか異質のきつさだ。夕飯をテイクアウトした帰り道、夜空を見たら、星がキラキラ降っていた。その瞬間、なぜだか、ちょっとでも進めば、進むんだよねと思った。BGM ジブリ「紅の豚」より真紅の翼。今の私は真紅より辛苦。。。(笑) ナウシカのテーマもよく聴きます。ナウシカのように強く、勇敢に飛べる人になりたいなあ。彼女はなんであんなに強くて優しいのか? 人間出来すぎだ。。あぁ、でも彼女はあの双肩に一国の運命を背負っているんだ。あんな姫様に憧れるなあ。憧れるだけなら本当に簡単だ。自分は何もしないのだもの。そういえば、ジブリの主人公達は、みんな何か背負っていたなあ。アシタカも、物の怪姫も、ポルコも、千尋も、、、考えてみれば、戦う主人公は魅力的で美しい。辛いけれど、辛くない戦いなどこれまであったろうか? 一歩一歩、前に足を運ぶんだ。そしてまた一歩。
2009.02.28
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大変にご無沙汰しております。最後の日記から1ヶ月が過ぎてしまいました。今日、指導教官のセリーン先生に、論文のボディを構成する全6章最後の2章を提出しました。まだファーストドラフトの段階で、今週から来週にかけて超特急で書き直しがありますが、これから書く結論をのぞき、とりあえず、とりあえず、書ききりました。やっぱり、へとへとです。完璧には、ほど遠い。実は、ターシャの最終ディフェンスのパネリストの候補に、あの Dr. Geniusや昨年博士号を見事取得されたma'am Artemis のお名前があがっている。いずれも私が心から尊敬してやまない先生方・・・しかし、自分のつたない論文をこんなウルトラスーパーな先生方に見られるのかと思うと、己の力の足りなさに、身がすくむ思いがする。英語も、論展開も、、、セリーン先生とのミーティングから帰ってベッドに横たわりながら、「うぐぐ・・・」と苦悩した。でも、まだギリギリだが時間はある。少しでも良くするために。自分を基準にしてもはかない。周囲の評価を基準にしたらもっとはかない。弱ければ、強くまっすぐ、正しい道を歩み通すことはできない。表面のはかなさを乗り越えて、正しい道を歩むには、mentor への誓いと gohonzon への信を自分の中心に置くことだ。なぜ、この道を歩むのか? 困難を伴う苦しい道を? 困難を伴っても自分が正しいと信じる道を?それが、本当の幸福だからだ。本当の幸福とは、自分の中の強い強い命を開いて生きることだ。人生、境涯を開いた者勝ちだ。そして自分の境涯は、出来る戦いをしていたら、開くことはできない。大いなる目的のために、良いことのために「道を開く」とは、口でいうのは容易いが、それを現実に一つの形として示すには、「全身全霊」の戦いを必要とする。だから、これまで道を開いてきて下さった方々が、どれだけ尊く、有難いことか。思いをはせられる・・・到底その方々の戦いには及ばないけれども。一番の壁は、自分の中にある「不可能」という思いだった。私はこの厚い灰色の雲を払拭するのに、たぶん、1年以上かかった。そして、この雲を突き破る光は、gohonzon への絶対の信だった。この厚い雲を追い払って初めて、ぴかぴかの太陽が顕れるのだ。想像もしなかった強さと光を持って。その時初めて、それまで自分がどれだけこの雲に覆われていたかが分かる。絶対に勝つと決めれば、絶対にできるとは、このことだったんだ。ブッポウはショウブとは、内なる悪に勝つこと。奥底の一念の変革にあった。ここを勝ったとき、己の意識も気持ちも、行動も、時間の感覚も、ここを逃してはいけないという一瞬も、すべてを勝利の方向へと動かしていくことができる。動いていける。つらくても、あきらめず、あえて耐えて、一歩、半歩を進めていける。ナイチンゲールの言葉「正義は常に幸福であり、幸福に至る道なのです」まだ陣中におりまする。戦いはいよいよこれからです。これまで陰に陽に、弱い私を支え応援し続けて下さった皆様に、そしてmentor に、最後の勝利をお届けできるよう、また頑張ります。まらみん・さらまっぽ!
2009.02.24
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今日の夕べ、Soseki 先生の章が終わった。あと3人。頭が飽和状態で何も考えられないので、ちょっと休憩。明日は Halim の取組があるので、応援の祈りをもっと送らなければならない。「勝利」という言葉にすべてが含まれていることが分かった。感謝も、報恩も、貢献も、すべてが。「勝利」とは「やり遂げること」。そして、この一点に腹をくくること。これに、自分はどれだけ時間がかかったことだろう。これは覚悟だ。恐れて、ウジウジして、自分は馬鹿だった。mentor がいなければ、ドウシがいなければ、大きなことに挑むことも決してなかったし、生きることに深浅があるということを知ることもできなかった。だから、感謝したい。今の自分のこの道にも。衣食住が満たされて、呼吸をして、生きているということが当たり前すぎて、この「生きる」とはどういうことかを、自分の頭で意識したことはなかった。生きることの姿のひとつは、「あえて」困難に挑んで、戦うことだと思った。「戦う」とは、自分の限界で戦うこと。一見、勝てるはずのない戦いを戦うこと。自分の中から、傲慢さも、嘆きも、嫉妬も、怨みも、恥も、涙も、呻き声も、勇気も、祈りも、全部出して戦うこと。そうやって初めて、自分自身を開き、世界を見る目を開き、そして、自分のいる世界に新しい希望を開くことができる。A man wills his own defeat when he pursues the unattainable. But his struggle is his success! He is an example of the spiritual significance which life attains when it aims high enough, when the individual fights all the hostile forces within and without himself to achieve a future of nobler values. Such a figure is necessarily tragic. But to me he is not depressing; he is exhilarating! 『英文和訳の征服』より:さて、飽和も解けたし、また始めましょう。
2009.01.21
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2009.01.18
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タイトルの意味は、ルームメイトのケイがすでに寝ているので、部屋は、私の机のライトをのぞいて真っ暗。外も真っ暗。私の机のある部屋の片隅だけ、パソコンとライトで白く明るくて、そこにいる私の頭は、宇宙をさまようUFOみたいなので。:ユッフォー!あ、でも、彼らには軌道があるか。私はジャングルの中をさまよい歩いているようです。時々は素敵な発見もあるのですが、迷うことのほうが多い。でも、作品に描かれている人間の心の「真実」を、わずかでも本当に明らかにしてみせよう。そう思って、めげそうになる心をまっすぐに伸ばす。人は本来、孤独で1人なのだとは、よく耳にする言葉だ。自分の心が本当には他人に理解されていないと感じるとき、また他人の心を十分に分かってあげられないとき、そんなとき人はやはり孤独な存在なのかと思うときもある。でも、「つながり」なくして人は生きられないのなら、その意味では、人間は決して孤独ではない。南国なのに・・・毛糸のカーディガンを着て過ごしている。変に寒い。昨年も、その前も、これほどではなかった。やっぱり異常気象のせいなのだろうか。水シャワーはとてもとても浴びれない。ほとんど汗もかかないけれど、シャワーを浴びるときは、ケイから借りたヒーターをバケツに溜めた水に入れ、お湯にしている。夜は足が冷たくてすぐには寝付けない。ケイは、かわいそうに、風邪を引いて咳が止まらない。咳のために、眠れないほどだという。「うるさくてごめんね。耳栓したほうがいいかもよ」と言っている。大丈夫だよ。でも、万が一にもうつらないように気をつけよう。マッハで仕上げなければいけない、残り3週間だから。我輩は・・・今日も遅くまで起きて、うんしょうんしょと考える。樋口一葉さんの日記が、今の心の友です。カレンダーを見て思わず気管が苦しいほど縮みあがるとき、弱音を吐きそうになるとき、24歳で貧窮と病のために死んだ彼女の壮絶な生涯を思い起こす。自分がこれぐらいでばてていたら、彼女に失礼だ!と思って、また立ち向かう。彼女の日記を読んでいると、涙ぐみそうになることも度々だ。もしも私が彼女の時代に生きていたら、彼女はどんなに素晴らしい友人となり得ただろう。本当にそう思う。あの境遇で、彼女は千年の先にも残る作品を書きたいと願っていた。心の栄養補給です。この本を荷物の中に入れてくれたpapa、本当にさらまっぽ。もっともっと、chant しよう。
2009.01.12
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年末も新年も the World of Hell について考え続けていた。直哉氏の A Dark Night's Passing.進んでは煮詰まりの繰り返し。思考をまとめようとするが、途中で、自分の書く字が雑になってくる。そうなった頃には、対象に対する興味が失せてきている・・・そうなると思考も進まないし、面白い発見も途絶える。共感しきれていない。この1月ですべてを何とか仕上げなければいけないことを思うと、そして走り書きとアイディアの散乱したノートを見ると、こみ上げてくるものがある。でも、私のために祈ってくれている人たちがいるから、その人たちを思って、怠惰に流れそうな自分を一歩でも前に進ませよう。もうちょっと愉快で楽しいテーマだったら。でも、苦しさを知って初めて楽しさも分かるだろう。みんなが持つ心の、その一部分でも、本当のところを明らかにできればいい。それが私の貢献だ。こうやって自分の胸中を吐露すると涙が出てくるのはやっぱり辛いからだ。悲しいという思いにまかせて、涙は思った以上に出てくる。泣いたって前に進まない。机に何時間も座って考え続けているときは、決してそんなものが出てくることはないので、自分で少し驚くのだけど。でも、どうかご心配なく。ちゃんとご飯も食べて、眠って、祈って、健康で生きています。あともうちょっと、きっと今が踏ん張りどころです。人生に必要なのは、勇気と、想像力と、少しのお金。チャップリンがこんなことを言っていた。私のお気に入りの言葉だ。『ライムライト』だったかな、あらゆる物を育て動かす宇宙と同じ力が、君の中にもあるんだ。君に必要なのは、その力を使う意志、そしてそれを取り出す勇気だ。確か、こんな内容のことを言っていた。こんなことを思うと、ちょっと希望がわいてくる。できるぞ、という・・・「信じられない」ということ-たぶん、これが人間にとってネックなのかもしれない。色々な場面において。今日、年末に両親が送ってくれた荷物が無事に届いた。何度も遠慮したのですが、私の12月の誕生日祝いをかねて、仕事の休みを縫って送ってくれました。本当にありがとうございます。今日は「揖保の糸」に、キャベツとキュウリとトマトと玉ねぎを入れて「野菜たっぷり麺」をつくり、そこに送ってくれた納豆と味付けのりを加えていただきました。美味しかったあ。(喜)まとまっていないけれど、今夜はここでストップしよう。樋口なっちゃんの日記について書こうと思ったこともあるけれど、いつかまたの機会に。おやすみなさい。いつもありがとうぽ。
2009.01.05
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久々の日記をつける。今日が今年最後だ。でも、ちっともそんな感慨がわかない。フィリピンにマスター生としてやって来て、今年で4年。その中で、もっとも年末らしくない年の暮れ。(笑)珍しく雨が降っている。空は曇っている。猫たちは相変わらず、おなかをすかしてニャーニャー鳴くし。あちこちで爆竹が鳴り出した。年が変わる午前0時前は、すごいことになっているだろう。尊敬する漱石先生と一緒に年越ししたかったのだけど、ターシャの今宵の仲間は直哉さんになりそうだ。うぅん。計算外。まあ、昔から算数は苦手だったさ。chanting も思うように進まなかった。最後の1文字はまだ半分以上残っている。ただ一つ前方ばかり見ているので、年末であっても感慨にふけるような気分はなくて、でも、この1年に「感謝」です。ほんとうに。結局のところ、人があってこその自分で、人がいればこそ自分が生きられること(肉体的にも精神的にも)、それゆえに、自分のもの(と思っているもの)を人に与えることを惜しんだら、閉じてしまったら、それは自分が、小さな殻の中で窒息死するに等しいこと。何においても根本には、人間への愛情がなければいけないこと。愛情なしに切るのは傲慢な所業であること。何事も、無慈悲な自分、無慈悲ゆえに傲慢な自分との戦いであること。人を理解しようとするときは、その人のコンテクストを理解しなければいけないこと。人のペインを自分のペインと感じられなければ、人間への共感を置き去りにしては、文学を論じられないこと。人間はもっともっと複雑で、複合的で、扱いがたくて、理論ですっきり切れるようなものではないこと。心をもっと大事にしなければいけないこと。心をもっと知らなくてはならないこと。さて! また始めよう!皆様へ・・・今年1年も、本当に本当に、有難うございました。良いお年をお迎えください。まらみん・まらみん・さらまっぽ!
2008.12.31
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今朝の9時過ぎ、キャンパスの外にあるファーストフード店で、指導教官の ma'am Serene にお会いして、藤村先生の章をお見せした。大学は休暇に入って、オフィスが開いていないのだ。やっぱり、ほぼ徹夜だった。計画通りにいかない女、ターシャ。:吐きそう・・・40分の仮眠。眠さを覚ますため、ユーチューブでB'zの曲を聴く。:はぁ。にゃんて格好良いんだ。(涙)エネルギー補給。先生が朝食をおごって下さった。おいしかった。先生と、4月卒業までの具体的なプランを決めて、寮に戻ったのは11時半。空はグルーミー。私の頭もグルーミー。鏡で顔を見たら、睡眠が足りないせいか、ma'am Serene の白い小顔に輝く、とても大きな目を見つめていたせいか、自分の人相が変わっていた。:うぅう!! 目、ちっちゃくなってる! 顔、黒! それに、こんなに膨張してたっけ?いや、もともと、こういうフェイス。仮眠をとるため、ベッドに横になったが、なかなか眠れない。Tarsha's mama がよく夜勤のあと、眠れないと言っていたのを思い出した。mama のほうがずっとずっときついけれど、眠れないというのはこんなに辛いのかと思った。それでも、眠れる幸せを感じて、思わず、:クックックッ・・・・笑っております。傍目から見たらこわいね。気づいたら午後3時過ぎ。ルームメイトのケイが部屋に戻ってきた音で目が覚めた。彼女のボーイフレンドが、とうとう今日、イラクへ帰るのだそうだ。彼の持ち帰りきれない大量の本を部屋に置いていた。今日、帰るのよ。数ヵ月後にまた戻ってくるって言っているけど。I'm so sad... かわいそうに。もしも、彼女が部屋で涙を流しているのを見かけたら、あるいは会ったときに目が赤かったら、どうやって声をかけたらいいんだろうなんて言ったらいいか分からないから、声をかける勇気も出ないかもしれない。「見守る」という言葉。難しい。現在のBGM:野性のENERGY by B'z体中 満ちあふれる 野性のENERGY 滾らせて今 解き放てちっぽけな世界で苦しむことはない がらくたに埋まるドアを開け奇跡が起こる もうひとりじゃない迷わずに そのままでゆけばいいんだと 君が僕に教えてくれたさあ出てゆこう もうひとりじゃない部屋で絶叫中。ターシャ。また明日から頑張るわ!
2008.12.20
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もう1度、chanting しながら頑張ろう。あげきって、この1年を越そう。another 100万に届くには、:う~む・・・厳しいかもしれないけれど! ここ最近は、chanting の時間を減らした分を執筆のほうにまわしていたけれども、決めた時間をあげられなくなる日がずっと続くと、知らない間に自我が小さくなってくる。自分では自分のすべきことに全力を傾けている「つもり」でも。「大志」に対して本当に「思う」ことができなくて、その熱が地平線の向こうに薄らいで、半分、蒸発しているような感じ・・・人間はこんなに自分で自分を保持するのが難しいものなのか。やっぱり決めた時間をあげられると、心持が違うことに昨夜気づいた。mentor's guidance を受け取る心持も。chanting も、ちょこちょこ主義で挑戦だ。これが本当の HOME.
2008.12.12
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Oscar Wilde's witticism: "Life is too important to be taken seriously."逃げるんじゃなくて。 生き抜くために。楽しく。 楽しいって、本当に大事。最近、思う。無理して難しい顔することない。いや、大変な時はそうなっちゃうんだけどね。でも、しかめ面して人生進むより、笑って心に余裕を持って進みたい。あちこちに楽しみを見つけながら。不安要素はいつもあるにも関わらず。いや、だからこそ。すべては見えないからこそ。人生に必要なものの1つは・・・ って、数日前もこんな台詞をはいたかも(汗)ユーモアかもしれない。...when "the world is too much with us."...an endeavor to recover freedom, expand possibilities, and, ultimately, dissolve the solidity of the world.Jerry Griswold: Feeling Like a Kidまだ目の前の山を登りきっていないのに、あれこれその先のことを思い悩むのは、あんまり実がないんだけれども、やっぱり、考えてしまう。見えた気がしたんだけど、やっぱり分からないなぁ。使命だと思ったものは、あまりにでかすぎて、どう進んだらいいか、ちょっと分からない。あぁ、でも自分が信じるなら、どうあっても、どんな形でも、続ければ、それでいいのか。でも、どうやって生計立てるの?どうなるんだろう。今年のクリスマスもお正月も、たぶん1人で thesis を書いているだろう。日本にいるターシャの大切な友達が「寂しい」と思う気持ちを、ターシャも時々思う。そんな時は、ジブリの映画を観たくなる。百ちゃんが描いた唯円と同じ気持ち。あぁ、唯円も我輩と同じ歳だったよ。執筆で夢中のときは、そんなこと思わないのだけれど。 一応、25歳だけど、なんだか自分がとてもこの年齢には思えない、最近。私の周りにいる院の友達が、日本人もフィリピン人も韓国人も、30代間近から30代後半だからだろうか? あの美しいアルテミス先生が「38歳」と聞いたときは驚いたけれど・・・・・・もうすぐ20代の半ばを越えるからだろうか。老けた気がする。どこがどうというわけではない。まあ、強いて言えば、お肌?(泣)どうしたんだろう、わたし???どうもこうもにゃい。でも、もうちょっと、柔軟な視野をもって生きてもいいのかな、色々なことを見てみてもいいのかなと、思うようになった。真剣さと柔軟さと。うまく併せ持ちたいなあ。 「硬く」ならないようにしましょ。
2008.12.08
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1週間が早い。:ふぎゃぁ、さっき寝てしまったぁ 皆様、お元気でしょうか。ターシャはいつも通りです。そろそろデパートへ野菜とチョコレートを買いに行きたいこの頃です。今日行けるかしら??一昨日の木曜日、寮に住む韓国人学生が、Korean Night を開催した。韓国の文化を紹介するお祭りだ。150人の寮生のうち、その3分の1をこの韓国人が占めるという多さだ。彼ら、本当に熱心で、毎晩毎晩、楽器演奏やダンスの練習をしていた。thesis で頭いっぱいの私は、当日の夜、ルームメイトのケイ(彼女も韓国人)が誘ってくれたけれど、ロビーまで降りて観るつもりはなかった。しかし・・・日本人の院生の友人から携帯にメール。ちょうど、韓国料理をふるまっている最中だという。一緒に降りていただくことにした。(←にゃんとゲンキンな)ロビーはすごい人数だった。この Korean Night、最近、すごく凝っていて面白いので、みんなの期待値も高いのだ。わ~い。久々にキムチが食べられたさてさて、食事の後に、実はターシャがひそかに観たいと思っていたものがちょうど観られた!毎晩、毎晩、あの「チャングム」の主題歌が聞こえて、彼女達がテレビルームで練習する姿が、2階の廊下から見えていたのだった。女の子たちが、美しい民族衣装を着て(わざわざ韓国から取り寄せたらしい!)、大きなピンクの扇子を両手に持って現れた。なんてかわいい! なんて美しいの!いっせいに、カメラをかまえる聴衆たち。(笑) やっぱり、女の子だねえ。華やかだねえ。はぁ。私にビデオがあったらここに動画を載せられるのに。本当に美しかった。見事だった。日本の繊細さとも、中国のあでやかさとも違う。文化って、「美しさ」で人の心を解放するんだなあ。しみじみ、そう思った。ターシャの、論文執筆のために眠さと痛さで固まった脳みそも、まるごとほぐされた。大歓声だった。みんな本当に喜んで、感動の大拍手だった。韓国の文化、素晴らしいなぁ。彼女達のダンスを観て、その文化が好きになった。観れて良かった。下に下りてきて良かった。ターシャ、この主題歌が大好きなのですが、歌詞も意味も知らなかった。調べてみたら、これは切ない恋心を歌ったものだそうだ。オナラ オナラ アジュオナカナラ カナラ アジュガナナナニ タリョド モンノナニアニリ アニリ アニノネヘイヤ ディイヤ ヘイヤナラニノオジド モタナ タリョガナ来てください 来てくださいと言えば 本当に来てくださるのでしょうか行ってください 行ってくださいと言えば 本当に行ってしまわれるのでしょうか果てしなく待てど ふれることもできず(まるで羽があっても飛べない穴蜂のよう 愛しい気持ちを分かち合うこともできない)いいえ いいえ だめなのですね(愛しい人の愛は 私の気持ちだけではどうすることもできない)ヘイヤ ディイヤ ヘイヤナラニノ愛しい人よ 来ることができぬのならば 私を連れて行ってください人生に必要なものは一杯あるけれど、その中の一つは・・・「潤い」かな。自分という人間をまるごと揺さぶるような感動に出会うことかな。だからやっぱり、芸術が不可欠だ。これがなければ、干からびてしまう。私の thesis も、読む人に潤いを与えるものがいい。それに、200ページもあるのだもの。つまらなかったら、読む側は苦しくてならないだろう。面白いのがいい。ある意味で、エンターテイナーだ。じゃ、また thesis writing に戻ります。
2008.12.06
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つかれた・・・ようやく1歩、前へ進んだ、かな?指導教官の ma'am Serene にお会いして百ちゃんの章をお渡しした、今日の午前10時。もっと余裕を持って終わらすはずが、久々の徹夜。・・・ほわ~・・・ ボキボキ・・・(骨のなる音)あぁ、こうやって1日って始まるのね。午前7時。淡い光のなか、窓から車や人々の往来が見える。朝、鏡で自分の顔を見てギョッとした。目は血走り、肌はくすんで荒れている。:お、鬼婆じゃ。(涙) もう歳じゃ。なんで、どうして、私のライフはこういつもギリギリになるの?プリンターで無事、原稿をプリントアウト。一晩中一緒に起きてくれた私のノートパソコン・ホワイティーに労わりの声をかける。:少し休んでね。(壊れないでね)バスルームに駆け込みながら、もしかして最終ディフェンスのときもこんな感じなのだろうかと思わず予想する・・・約束の時間の15分前。もう出ない歯磨き粉のチューブを絞りまくって、歯ブラシ、シャカシャカ!!ルームメイトの歯磨き粉を拝借したい欲求に駆られたけど我慢。ギリギリライフ!! ギリギリなときは全部、ギリギリ?ギリギリ! じゃないと僕だめなんだよ お願い 寒い目で見つめないで 自分のペースでやらせてよ じゃないと すぐにつぶれるぅううう!(B'z ギリギリチョップ):なんとか生き抜くぅううう!12時前。うぅ。クラクラする。帰ってきた。セリーン先生は相変わらずお優しくて、本当に感謝である。明日から、アセアン加盟国による文学会議のため、シンガポールに行くそうだ。:でえええ!!??:フィリピンの戦争文学についてスピーチするのよ。毎年、出席しているの。2010年はフィリピンで行われるのよ。すごいなあ・・・私も聴きたいな。先生はもう31年、この大学で教鞭をとられているそうだ。大ベテランだ・・・来週末、また新たな章を先生にお見せする約束をする。文学研究について先生に質問したいことがあったのに、お会いしたら内容を忘れてしまった。来週は聞けるようにメモしておこう。あぁ、外はうぃんでぃー。:本当に長らくお待たせしてしまってすみません。:ノゥ、ノゥ、It's OK.美しい表現は後から出てくるから、言いたい考えがまとまったら、どんどん原稿を書くことよ。1月までに、もう1人書ける? 私へのクリスマスプレゼントね。笑顔で仰った。海の底にいつも愛情が湛えられているような、そんな笑顔。どうしてセリーン先生はこんなにお優しいのだろう。いつも変わらなくて。本当は残りの作家、全部プレゼントしたいです。でもこんなに時間がかかっているから、そんな風には言いたくても言えない。:はい。できれば2人・・・・現実に、ちょこちょこ、「形あるもの」を出し続けるのみ。出さなければ、進まないんですね。どんなに内面では、すごい世界を描いていてもね。人生って、そうやって進んでくのね。「ちょこちょこ主義」で行くか。どうも自分には、いきなり完璧など無理なのに、完璧を目指して、全部呑み込もうとしてアップアップしてしまう傾向があるらしい。この主義はぴったりかもしれぬ。:The Choko-Choko. チョコチョコオ! 楽しみながら、チョコチョコオ! 小さくても、素敵だったらいいんじゃない?お前は誰だ? って感じですね。ちょっとテンションが変ですみません。頑張ります。いつも本当に・・・:マラミン・マラミン・サラマッポ!!
2008.12.02
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今日の午後、一生懸命、わくわくしながら書いたものが、夜見てみたら、無駄だということが分かった。何やってるんだ、自分。なんでもっと冷静に見れなかったんだ。無駄が多い。わくわく感はすごく大事だ。これがないと、私は書けない気がする。でも、一方で自分を冷静にコントロールしなきゃ。先を見て。明日からまたやり直しだ。今日の夜、Tarsha's papa が、作家・樋口一葉の日記の一部をメールで送ってくれた。超、長文である。papa、携帯で打つの、本当にしんどかったろうに・・・ 本当にありがとう。(本当は全部載せたかったのだけど、すごく長いので、「美」について呻吟している箇所は略しました。)小説の執筆が思うように進まない。頭はただ痛みに痛んで、何の考えも消えてしまった。(中略)強いて探し求めて描けば、紫が朱を消してしまい、白が黒になり、表には裏が表れ、善には悪がまじり、私の筆力では十分に表現することも出来ず、時には悲しみ恨み、あちこちと削ったり付けたりして何とか満足できそうなものになったと思うと、今度は黒が消えると同時に白も消え、悪を退けたときには善も見えなくなってしまった。(中略)さまさまに思いを巡らし、心は天地の間を駆けめぐり、体は苦しさで汗びっしょりに濡れてしまった。考えにつかれはてて昼夜の区別も判らぬほどで、夢のようで、覚めているとも眠っているとも判らない。私はお金のために筆を執っているのか。それなら何故にこんなにまで思い悩むのか。入るお金は四百字一枚が僅か三十銭になるにすぎない。家はますます貧乏に追われ、食べ物も魚肉は取られず、着る物も新しいものは買われず、年おいた母もあれば妹もいる。一日一夜とて安らかな気持ちの時は無く、作家職業とはこんなにつらいものなのか。原稿用紙を前にただ空しく筆を噛むばかり、思えば哀れな筆よ。つらく悲しい世の中よ。天才でも、こんなに辛い思いをするのか、と思った。「一日一夜とて安らかな気持ちの時は無く」なんて箇所を読んだとき、一葉さんにとても親近感がわいた。自分の全生命をかけて、書いているんだと思った。papa がメールで言っていた。:樋口一葉日記から 一人の作家が一つの作品を創造するために これほどの苦悩を経ているんだね。批評家が一つの理論や視点から作品をぶった切ることは、なんと傲慢な所業かということがわかるよね。 本当にそうだね・・・そんな風にはなりたくないね。 人間として最低だよね。 というか、そもそも、批評家って何なのか。そんなことするなら不要、否、かえって邪魔じゃないか。私はちっぽけの「ち」にも満たないほどで、周囲のすごさに己の無知さを思い知るばかりのここ数年だったし、今もそう。自分の脳みその回転ののろさを恨めしく思うこともいっぱいある・・・・なにはともあれ、結局、自分が苦しんだ分しか、書けない。自分を深めた分しか、作品の良さを語れない。自分なりに誠実に悩んで作品に向かおう―たとえその過程で、ディレッタントと呼ばれても。苦しいし時間がかかるけれど、理解し、新たな世界が広がった瞬間の歓びと感動を知ったら、それをぜひとも多くの人にも知ってほしいと願うようになる。芸術への尊敬と愛情を失ったら、芸術は死ぬだろう。そして人間性も。理論でぶった切る批評家は、芸術のためじゃなくて、自分のために芸術を利用しているところが多分にあるんじゃなかろうか。新しい理論の応用に追随する「研究者」も。己の小ささにぶつかっては立ち止まりの連続だけれど、牛のごとく、うんしょうんしょと、押していこう。押し続けていこう。自分という人間を。
2008.11.22
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机の上に本が積み重なって、まるで城壁のようになってしまったので、今夜、思い切って机の上と本棚を整理した。:・・・意外に疲れた・・・ついでに、最近どこからかやってきて、天井にブラックな牙城を築きつつあった、巨大グモ2匹も箒で退治。:ニャム!これで、身の回りが清々しくなった。ある作品について何か書く場合、やはり、はじめに「尊敬ありき」でないと、良いのが書けないことが分かった。しかもその尊敬は、読んですぐには沸いてこない。その作品を理解していないから。作品と自分との間に距離があると、本当にはその良さが分からない。その作品に入って、ある意味、「同一化」しないと。まるで、人間を理解するときのようですね。それに、どこかに我見があると、必ず行き詰る。自分の狭い狭い視野でしか見ていないから、作品の良さをほんの少ししか明らかにすることができない。やっと、百ちゃんのこの作品は名作だと分かった。センチメンタル、確かにそうだ。でも、センチメンタルと言って批難に終わっているうちは、この作品の豊かさがまだ見えていないんだ。あぁ、人間は自分が思っている以上にちっちゃい。ほんとにちっちゃい自分。どうしてすぐに分からなかったんだろう。
2008.11.20
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ついさっき、Pagasa とスカイプで少し話した。お互い、疲れていたね。笑。:はあ。。。:ひぃ。。。ふっへ・・・ほーーー!ため息リレー。言語化は難しい。他人に分かるような文章を構築するって、至難の業だ。ただ書けばいいってものじゃない。っていうか、「書く」って難しいよ???!! :くっ・・・・言葉よ。言葉。世界で一番扱いにくいものよ。いい子になっておくれーーー!どんぶらこ。どんぶらこ。泳いで流れてどこへ行く。ちょっと背伸びして、鈴虫の音に耳を澄ましましょ。あるいはもうベッドで寝るか。いや、もうちょっと進めなきゃ。本当はね、少しは楽しさもある。進めないと苦しいけれど。岩の扉を開いたのは、:オープンセサミー!!本の世界を開くのは、:アイラヴユー!愛さなければ、この扉は開かない。でも、努力なくしては、愛も育たないのですねぇ。たった一度の出会いでは、その人がどんなものか分からぬように。あなたに惚れた。なんて素晴らしい!―そう思えたら、本の世界はどんどん開けていく。百ちゃんの世界も開けてきた。地平線は思っていた以上に、ずっと広がっていた。みんなすごいな。
2008.11.17
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落ち込んでいる暇はない。待っている人がいるから。未来に。強くなれ。強くなれ。学べ。学べ。自分。
2008.11.13
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アルテミス先生より慈雨のごとき大激励をいただいてから、自分の中にあった、中途半端なストッパー(stopper)を断ち切ることにした。ストッパーは、結局のところ、弱い自分との妥協だった。お昼休憩はカットした。先生のように超人的な努力は今すぐに出来なくても・・・これが自分の mission なら。もっと、もっと、努力できるし、自分を追い詰められる。:いい意味でね。素晴らしい手本が近くにいるというのは、本当に有難いことだと思った。自分の「限界」を破るにはどうしたらいいかを、その姿を持って示してくれるから。Pagasa がついに先日、卒業後の道を決定した。本当に本当に嬉しい。:おめでとう~~~!!!Halim も一生懸命、戦っている。:勝っても負けても、戦う姿それ自体が私達みんなの励み・・・Talino も頑張っている。最近、声は聞かないけどね(笑):Haaaai Talino-chan! 元気? 体に気をつけるんだよ。職場はどう? 最近、寮の猫が食いしん坊なんだけど、ストレス解消にフィリピンから子猫を1匹送りましょうか?Going back to....:MY DESK.
2008.11.12
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今日の午前中、ma'am Artemis―ある意味、フィリピンにおける私の命の恩人―と、キャンパス内の喫茶店でデートをした。こんなに楽しかったことはここ最近まったくなかった、というくらい、楽しかった。詳しいことを書きたいのだけど、なんだか頭がくらくらするので、あまり書けない。たった一つだけ。ma'am Artemis は今年の7月、博士論文の最後のディフェンスを終えられ、無事に卒業された。なんとおめでたい!! もう本当にコングラチュレーションズ!!350ページもの分量。しかも、先生の博士論文は、修士論文のときもそうだったように、また大学の出版会から1冊の本として出版されることになったため、新たに編集の最中だという。さて、ターシャが言いたいのは・・・この博士論文を書いていた最中、アルテミス先生は毎朝6時に起き、ノンストップで夜9時まで書き続けたそうだ。時計の針が一周りして・・・一瞬、何時間か計算できなかった。:・・・・・・・・ふ、ふえっ?・・・・・・・・・:誰も信じないんだけどね。私はなんて、自分で自分を甘やかしていたんだろう。天才は無類の努力家だ。いつも、アルテミス先生の美貌と、ボサツのような優しさと、そのずば抜けた頭の良さに憧れ、尊敬し、私も先生の脳みそのたったひとかけらでもあれば・・・と思っていたけれど、やっぱり、努力が半端じゃない。それが出来るから、貫けるから、あのようになるのだ。自分を恥じた。先生にこんなに良くしてもらっているのに、こんなんで本当にすみません。先生から見たら、私なんかまるで遊んでるみたいだ。:I must discipline myself!!私とのデートのあと、3つもの学部会議や打ち合わせが立て続けに入っていたma'am Artemis. コーヒーとクッキーをご馳走して下さった後、最後に、カフェのおいしいケーキ(ターシャの好きなブルーベリーチーズケーキ)を、おやつに食べてねとテイクアウトして下さった。遠慮したのだけど、私の目は食べたいと言っていたのだろうか・・・汗 うぅ。有難い。:I'm your second family, second sister. 私はあなたの第二の家族、シスターなんだから、何かあったらすぐ連絡してね。心の中で泣いた。嬉しくて。有難くて。もったいないほどの優しさをこんなにくれて。お日様の光のようだ。景色が白く明るく照らされた。アルテミス先生に、ターシャの論文のテーマとアプローチをお話したら、とても喜んで下さった。:Oh, Tarsha, that's really wonderful! 嬉しかった。お見せする約束もした。一生懸命、頑張るしかない。この恩に応えるために。
2008.11.06
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"It's your victory....It belongs to you."オバマ氏の勝利演説をニュースで読んだ。ちょっと鳥肌が立った。道は長く険しい。坂は急だ。だが、私は今夜ほど希望に満ちたことはない。私は約束する。我々は一つの国民として目標に到達するのだ。挫折やつまずきもあろう。だが、私は皆さんに、常に正直であるつもりだ。この勝利は、変革のためのきっかけでしかない。後戻りはできない。ニュースで読んだ記事は演説の要旨だったけれど、とても心打たれた。まず、「この勝利はあなた方のものだ」という台詞。そして、「常に正直であるつもりだ」という言葉。「意見が異なるときには特に、あなたに耳を傾ける」とも言っていた。翻訳だったので、これ、原文はどこだろうと思って探してみた。原文の代わりに、丸ごと演説のビデオを見つけた。やっぱり、honest と言っていた。当たり前のことなんだけれど、どうしてこの言葉に心打たれるんでしょ?演説を聴く人たちの顔には、深い深い感動と涙と笑顔が表れていた。どの瞳も「真摯」だった。人に希望を与える言葉、団結させる言葉はすごいな。感動した。あらゆる違いを持つ人々が一つとなって、新しい時代を共に創ろうという目標があった。変革への希望と献身を訴えていた。ターシャはこれまで、アメリカは好きではなかった。でも、オバマ氏のことは応援したい、彼の活躍を祈りたいと思った。さて・・・私は人類のために何ができるのか? なんて、壁に貼ってある夏目漱石の顔を見ながら考えてしまった。今は、百ちゃんが描いた、人間の「愛」の様々な側面を分析中です。自分のしていることが、なんらかの形で世界とつながっている、わずかでも本当の貢献になるはずだと信じることができなければ、とてもやれない。また、そうなれるように、祈っている。:さぁ、寝ましょ。
2008.11.05
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ちょっと最近、忙しい。いや、忙しいのは昨日から。ターシャが心から尊敬するここの偉いお方―Mr. Falls としましょう―が、現在ここにいる学生と懇談を持って下さることになった。思ってもみないことだった。昨年より体調を崩され、それ以後、表舞台にはほとんど立たず静養されていらっしゃったから。それ以来ほとんど見かけることができず、正直なところ、Mr. Falls のいない meeting に参加しても寂しかった。学生みんなの都合良い日程を幾つか挙げ、Mr. Falls にご連絡する。私がその仲介役。ふむ・・・・連絡って時間がとられるな・・・13人の学生だもの。でも、またとない機会。来年やってくる学生が果たしてこういう機会を持てるかどうかも、私には正直なところ分からない。彼らの「健康」―絶対に病気・ケガをしないこと、「無事故」―絶対に事故・事件に遭わない、巻き込まれないこと、そして、彼らが capable leaders に成長することをずっと祈ってきた。だから、こんな機会が持てることが本当に嬉しい。願いが叶った―とはまた違うのかもしれないけれど、その願いを実現するための、ひとつ貴重な体験になることは間違いない。Mr. Falls との接点がないのは、今年の学生からだった。ちなみに、やってくる学生の雰囲気がガラリと変わったのも、今年からだった。Mr. Falls との出会いが、1人1人の成長のための、大きな布石となることを、心から祈る。それから学生への連絡で、すごく迷ったことがあった。それは、メンバーではあっても、ターシャの母校以外の学校から来ている学生たちのこと、それから仕事の関係でここに来ている卒業生だった。13名のうちの3名が、彼らだった。しかしターシャより全員、若い。そして、いずれも Mr. Falls とはお会いしていない。正直、人数があまりに多いと、Mr. Falls の体力を消耗してしまうのではと心配だった。また、Mr. Falls は「母校からきている学生」との懇談を言われていた。そんなことを思うと、母校出身ではない2名と、もう学生ではない1名への連絡は控えるべきか悩んだ。これまで、何かあればいつも母校の名前のもと、留学中の学生はひと括りに扱われてきたし、それが普通だった。区切りなどいらなかった。けれど最近、事情が少し変わってきた。欧米よりもずっと安く英語を学べ、日本からも近いフィリピンへ来る学生が増えているのだ。その中には時々、メンバーも混じっている。また当然、仕事の派遣でくる人たちの中にもいる。2名のうち1名は、母校を受験したが不合格だったことを聞いていた。彼は悩んだ末に、中国の大学に正規の学生として入学した。その大学は、ターシャの母校からの留学生を毎年受け入れているところだった。彼は現地の学生かつメンバーとして、毎年やってくる彼らをお世話していた。もしも名前で区切ったら、このようにして陰で支えてくれた人を排除してしまうことになる。これに関連して、昔、papa が次のように言ったことを思い出した。:なんだか、新聞を読んでも体験を聞いても、○○にいくことがクドクのようにして語られることがあるけれど、それでは、落ちた子たちが本当にかわいそうなんだよね。身の置き所がないんだ。人材に成長するための機会を、名前で区切っていいんだろうか。自分がそんな立場だったら、どんなに不公平に思うだろう。悲しさと憤りを覚えるだろう。まして、また持てるかどうか分からない、貴重な機会なのに。Mr. Falls は今年の学生と関わっていない故、こういった事情はご存知ない。けれどきっと、分かって下さるのではないだろうか。目的が、青年を育てることならば。それに何より、私より全員、若いんだ。若いというのは、これから無限に成長する可能性があるということだ。だから、Mr. Falls には全員がお会いしてほしい。悩みながら chant・・・行ったり来たりして考えた結果、その3名にも連絡をすることにした。もちろん、Mr. Falls を疲れさせないよう、礼儀正しく振舞うよう、全員にしっかり伝える。:仲介者役は気を遣うなり。
2008.11.03
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さあ、今日も頑張ろう。みんな、それぞれの地で戦っている。前に進むのに必要なのは、「勇気」だ。自分に勝つ勇気。皆様の姿から戴いています。本当に感謝・・・外はとても静か・・・でも、あさってから後期が始まり、また賑やかになるだろう。ターシャが数年来行きつけのチャイニーズ系のちっちゃな食堂もまたオープンするだろう。(この食堂でよくご飯をテイクアウトするのです)今年もあと2ヶ月。そして私のタイム・リミット。chant 表はあと2文字と半分。塗りきるぞ。そしてこれが塗り終わったとき、私の論文も完成しているんだ、絶対。:さあ、朝の祈りよ!(まだ始めてなかった・・・)
2008.11.01
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百ちゃんを読了したが・・・うぅん。大丈夫かな・・・(汗) 分かり易すぎると、ハッピーすぎると、時々、有難くなくなるのはなんでだろう?"Tell all the truth but tell it slant."Emily Dickinson の言葉。真実は、そのままでは「当たり前」過ぎて、空気のようだから。言葉ではみんな知っているから。だから、ちょっとひねらないと、「意識」されない・・・:んじゃないかな~でも、また新たに、この作品の良さを引き出しましょう。うんしょ、うんしょと考えて。ZARDの坂井泉水さん、美しいな・・・今宵のミュージックは突然。私も自分らしく精一杯生きよう。:あの青い空のように いつまでもそばにいる
2008.10.30
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ちっちゃなことなのに、いつまでも心の中でこねくり回して、その周りをぐるぐる回っていたな。THE SECRET SITSWe dance round in a ring and suppose,But the Secret sits in the middle and knows. Robert Frost の詩だそうだ。ターシャがやっていたのも、これと似ている。たぶん、あれだ―どんなに通信技術が発達したとしても、それは手段に過ぎない。それは決して、人と人が「つながる」ことそれ自体を保証はしない。どんなに待っても何も返ってこないこともあるし、それでつながりが切れてしまうことだってある。案外、人間は面倒くさがりだ。その上、時々、疑い深い。ターシャもそうだ。最後は、人を信じることができなければ、つながらない。こっちが見限ったら、それで切れてしまう。こっちの心次第。昔、mentor's guidance の中でよく分からないことがあった。それは、こちらが相手を思っていれば、それが友情なのだ、という内容だった。それはあまりに辛いと思った。お互いに認め合い、思い合っていなければ、友情じゃないだろうと。でも今は、mentor の仰ることがどういうことか、少し分かった気がする。うまくいえないけれど、相手をまるごと包んであげられるような自分になればいい。たとえ現在の反応が、自分の期待にそぐわなかったとしても。自分の知っている相手が、本当は温かさと優しさを持っていることも知っているのだから。信じるのは、相手の人間性。本当に、人間には、美しさも醜さも、強さも弱さも、色々な面があるけれども、最後は、「誠実性」には勝てないのだと思った。そのことを、mentor ご夫妻が見せて下さるし、私の両親や、懸命に奮闘している友達が見せてくれる。色々な生き方があるならば、私もこの道を歩みたい。
2008.10.28
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あと1ヶ月と半月で、26歳になる。mama がpapa と結婚した年齢だ。:ゲロゲロドドンパーーーーッい、いけない。奇声を発してしまった。時の流れの早さに驚く。25歳の誕生日のとき妹と弟からもらったお祝いメールを、前のブログに書いた記憶はまだあるのに。あせらない。この時期になると、周囲の同年代が結婚や出産やエトセトラで変化を迎えているけれど・・・そして、まだ迎えていない、やはり周囲の同年代が機会のないことを危惧しているけれど・・・あせって策に走らない。キョロちゃんみたいにキョロキョロしない。自分を律して努力して、薄紙を剥ぐようにして、自立した強い自分を作った分しか、幸福もない。mama は、当時何も持っていなかった papa の「勇気」をかって選んだそうな。あと、daimoku をよくあげること。:mama、すっげーー!!!!私は、その人自身を見るんじゃなくて、「タイトル」に付された価値で人を選ぶのが大嫌いだ。mama は、いわゆる「安全」を選ばなかった。でも、本当の「軌道」が何かよく知っていたんだね。だから、my family は木が少しずつ、でも確実に大きく成長するように、幸せだ。みんな、それぞれの道で自分らしく頑張っている。私は今はまだ、みんなの羽にぶら下がっているけれど・・・すみません。はやく、ナウシカのように自分で飛ぶ羽を持ちたい・・・ 今日から倉田百三を始めました。今、ピアニスト Yundi Li のショパンを聴いている。クラシック大好きな Pagasa が教えてくれた名前だ。美しい・・・ 今宵もぐっすり眠れるように・・・
2008.10.27
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今夜、日本の友達とスカイプで話した。ターシャの数少ない、大切な親友の1人。実は彼女の様子を、去年からずっと心配していた。悩んでいた。ずっと暗いトンネルを歩いている感じだと言っていた。私は、彼女が元気であれば、本当はもうそれで十分なんだ。幸せで笑顔でいられるなら、どこで何をしていたっていい。本当に心が落ち込んでいると、「座る」こともできない。本当はそばで一緒に座ってあげたいけれど、それが出来ないから、彼女がそちらの方向に向かえるように祈りをおくる。「人の心が分かる」ということ。本当に、ただその能力がほしい。一番ほしい。「苦労した分しか、人の心は分からない。頑張ろうね」新聞で読んだ言葉が思い浮かぶ。「苦に徹すれば珠と成る」―か。
2008.10.26
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80%の状態をひとまず完成と呼ぶのなら・・・昨夜、Toson先生の章の下書き原稿、完成・・・:したポ~~~!書きながら、ゴールに近づいていると分かった瞬間のほうが、解放感があったな(笑)ゴールについてみたら、まだそれが最終じゃないと分かるからかな。:さあ、次よ、次。次は、百さんです。お世話になりますポ。1日のうち、午前と午後は新しい作家に。夜は、仕上げた下書き原稿のタイピングと英訳に費やそうと思う。今日は、またいつ行けるか不明な、新聞切り抜きのバイトに行こうかと思ったのだけど、なんと、目覚めたのが10時半だった・・・なんだか、思ったより体がだるかった。迷った末、延期。:明日にしましょ。天気も曇りで、いつ雨が降るか分からないし。夏の真っ青な大空のように、晴れやかですがすがしくないと、外まで出る気分にならないなり。今日はちょっとゆっくり、chanting day にします。それから久々にキャンパス内をウォーキングしよっかな。昨日の日記で、書こうと思って忘れていたポイントがあった・・・:あ、別にいいって?えっとですね。結局、何になるかより、何をするか、なんだな。「はじめにタイトルありき」でなくて、「行動ありき」なんだな。行動がその人なんだな、と。あるいは、その人の振る舞い、言動、していることが、その人が何であるかを本当に物語るんだな、と。タイトル(肩書き)と内実がずれている人間はたくさんいるし。もちろん、タイトルがなければ、自分の思い描くような仕事ができないということは当然ある。その意味で、タイトルの取得にまずは専念することも必要だ。そうでなければいけない時もあると思う。でも、その人が本当に何であるかは、何をしているか、何をするかで決まるのだと思う。タイトルを取得したら、その「何か」にゴールするのではない。続けなければ、そして向上しなければ、何かじゃない。たとえば、先の日記にあった絵描きさんのお話:美大に合格してそこを卒業したら画家になれるのではなく、描き続けることこそに、画家の内実があるように・・・そして、人は何にでもなれるけれど、幾つものタイトルをもてるかもしれないけれど、「何をするか」は、根本のところ、何になっても変わらない。その人の一念が、すべての言動・振る舞い・生活に浸透するから。そして結局は、何をしたかが人生の総決算なら・・・本当の充実感と幸福感はタイトルそれ自体で絶対に決まらないのなら・・・ボサツ行を行じながら、何かになるための努力をしていくこと。あるいは、今「何か」になっている自分で、ボサツ行を行じていくこと。papa が言っていた。:ニジョウはね、自分たちだけが救われようとは思っていないんだよ。彼らは、まず自分自身の修行を完成してから、人々を救おうと思ったんだ。でもね、そうすると、それだけで人生終わっちゃうんだよ。ターシャだったら、今この論文を通してボサツ行を行じ、そして、自分の周りの人々、友達、後輩のために祈り、見守り、必要なときは手を差し伸べられるように。ん? とすると、はじめに「一念ありき」なのかな。心こそ大切、というのは、そういうことなのかな。
2008.10.26
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日本のどこか。場所も知らない。名前も分からない。ただ、絵が大好きで、画家になる夢をもって、美大受験に挑戦しては何年も浪人している女性のお話。消え入りたいほど悩み続けている。悩み過ぎて、精神的に弱ってしまったほどに。「こんな自分でも、画家になっていいのでしょうか」という彼女の悩みに、その道に生きる多くの人たちがコメントやアドバイスを寄せていた。現実的な、具体的なアドバイスや、少し厳しい意見、いろいろあった。その中で、およそ10年、画廊で働いていたという、とある方が以下のようなコメントを寄せていた。・・・画家志望の美大生や、売り出し中の若手人気画家、そして全盛期を過ぎたベテランの方、絵が売れずに苦労しながら奮闘する人まで、様々な絵描きさんと交際しました。今も続いています。私がお付き合いした画家の中で本当に素晴らしい絵を描いていたのは自分の絵に常に疑問を持ち、自己の内面に問いかけつつ描いている人です。一定の才能に恵まれ、天命のように、つまり成るべくしてなったような画家の作品はなるほど技術的にも内容的にも優れていましたが、どこかに一本、軸が通っていないような物足りなさを感じました。貴方は今のその貴重な、迷いと疑問を、これからも維持するべきです。完成してはいけません。解決してはいけません。老成はもっといけません。悩みつつ、苦しんで制作してほしいのです。問題は大学教育の有無ではありません。勉強すべき場所はどこにでもあります。 出典は、発言小町ほとんどのコメントは、そんなに浪人していたら私大であっても、もう合格の見込みは少ない(彼女は私大はけって国立を目指していた)、自分で個展を開いて直接、世に作品を問え、というもの、あるいは、絵を描かずにいられるか? 描かずに生活できるなら画家になる見込みはない、大学を出たかどうかではなくて、絵を描き続ける人が画家だ・・・というものだった。いずれも正当な意見だと思った。でも、悩んでいる貴方でいいのだ、その悩みを大切にしなさいと言っている人は、この人しかいなかった。根本に、絵描きと絵に対する愛情があった。完成してはいけない、解決してはいけない、老成はもっといけない―なんだか、ぐっときた。自分に言われたような気持ちがした・・・今、「え?」って思いましたね? えへへ。学問においても、ソシキにおいても、自分より経験を積んだ先輩の話を聞くと、信頼している分、その方たちの物の見方が、自分自身の受けた率直な見方を圧倒することがある。彼らの意見は正しいのだが、でも、どうしても、切り捨てている部分もあるのだ。でも、先輩方は正しいと信じているから、その見方を疑いもしない。分かったふりをする。こんなものだと。これはこうだと。自分の中の「本当にそうなのかな?それでいいのかな?」という疑問の芽を、そのとき摘んでしまっている・・・いつか小さな個展をまわってみたいな。そして、無名の絵描きであっても、自分の感性に響く素敵な絵であったら、1枚でも購入できるようになりたいな。
2008.10.24
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70%、80%できれば、上出来!!:そう、じょうできなのよぉ。そう考えて、シャッシャカ、シャッシャカ、すぅすめぇるぞおぉぉおおおおおおお!!そして温泉にいくぞお~ぉお!!:にゃーーーーーー温泉、大好きなのです。フィリピンではずっと水シャワーだからね(暑いからいいんだけど)papa, mama とスカイプしたトゥナイト。papa にはグチりまくってしまった。ごめんね、パピー・・・ :なんかね、気持ち的に疲れていると、とことん寝れるんだね。私、ここ最近、先週末から今週のはじめ、本当に寝てしまったんだよ・・・:いや、寝れるのはまだ軽いほうなんだよ。生命力がないと眠れないんだから。眠れなくなったらやばいんだよ。:あ、そうなのかぁ。私は、本当は、いや、本当に、かる~い人間なり。空に浮かぶ雲のように。hehe.その後、ゼッタイタヌキ、じゃない、ゼッタイタリキを説くシンランの教えは果たしてブッキョウなのかという話題に。この教えはインガオウホウの否定であるから。papa、いつもターシャのために勉強してくれる。なんて有難いお父様なんでしょうか。(涙)なんでこんな話題かというと、論文で扱う作品に、倉田百三の「出家とその弟子」があるので。今、論文で扱う作家を1人、減らそうか考え中。でも、先生方が許して下さるかしら・・・汗誰? 志賀さんの暗夜行路を・・・誰もこれも大作家で、大変だぞよぉおおお。今年もあと2ヶ月。まだあわてる時間じゃない。(SLAM DUNK 仙道さんの言葉)いや。そろそろ。:そろそろぉおおおぁあああーーともかく、彼は一番最後に回して、今の藤村先生が終わったら、漱石先生ではなく、短編に入ろう。ももちゃんと龍ちゃんと賢ちゃん。はぁ・・・じゃない、はっひふっへほぉーーーー!:やばい。ちょっとおかしい。ばい菌マンに感染したようである。すみません。今宵はおバカ日記でござる。:研究は、ちょっとずつ拡げていくもの。だからmama も10回も論文出せちゃったのよ。(mama は看護師で、看護の分野の研究をしている。) いきなり100%やろうとしても、いいのはできないの。70%、80%出来れば上出来、そう考えて先に進んだほうが、人生も上手くいくのよ。教育論の本にそう書いてあったわ。論文も、ちょっとずつまとめていったもののほうが、論旨が明快で良いのができるのよ。:おぉ、そっかあ。70%、80%出来れば上出来・・・見つけたこと全部書かなくていいんだね。:そうそう。いきなり100%のものを出そうとしたら、ハカセで何も言うことがなくなちゃって、それこそ「苦悩」よ!:気ぃ狂っちゃうね。:そうよぉ。:・・・マイペースでごめんね。:マイペースだから、気違いにならないのよ。:あ、そっかあ! そうだね!・・・ありがとう。 なんとも天然な自分。そう、我輩は天然。だからここでやってこれた?うぅん。違う。本当に、本当に、本当に、皆様のおかげです。ただただ。心機一転。ドンドンガバチョ!ドンガバチョ! ひょっこりひょうたんじ~ま! すっすめえ~! ひょうひょう!
2008.10.22
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