もうここで書くことは無いと思って放置していたんだけど、
あまりの衝撃に、どうしても整理しなくてはいけなくなって、
そうしたら、ここの他に書くところは思いつかなかったので、
本当に本当に久しぶりに、ここで書くことにする。
『これがあなたのターニングポイントになる』
という本を読んでいる。
私が衝撃を受けたのは、『幼児決断』というキーワードだ。
幼少期の強烈な体験の中で、子どもは生き延びるために決断を下す。
それは、アダルトチルドレンから回復するための井戸掘りの中でも
何度も読んで掘り出して知ってきたことだけど、まだ、あった。
私は、まだ幼稚園の年中組くらいの小さいころに、母にペットを殺されている。
大事に大事に水槽の中で育てていた、小さな魚だ。
それを有無を言わさず、日向の乾いた地面にぶちまけられ、
地面に張り付いた小さな魚を拾うことも出来ず、私は大泣きに泣いた。
(母のために追記するけれど、私が魚だと信じていたソレは実はボウフラだった)
AC 回復のための井戸掘りの中で、私の中でずっと泣いていた小さな子どもは癒された。
それまで、この事件を思い出すたびに私の中で泣きじゃくっていた子どもは昇華され、
こうして思い出しても悲しくて泣いている私の中の小さな子どもは出てこない。
だから、私はそこで満足していた。
だけど。
まだ、続きがあった。
私はそこで、後の人生に通じる幼児決断をしている。
「大事なものは(大切なものは、好きなものは)、
身近な他人に(特にお母さんに)
絶対に知られてはいけない。
知られると、殺される(壊される。失う)」
さらに、小学校に入る直前ぐらいで、
この決断を強固にする事件が発生する。
私が大事にしていたハンドバックを捨てられる、という事件だ。
小さな赤いハンドバックで、表に確かキャンディキャンデイだったか、
金髪の女の子がプリントされた小さな子供用のものだ。
しばらくそれを使っていなかったために、不要だと判断した母が、
有無を言わさず、焼却炉に放り込んだ。
この事件も、既に井戸掘りの中で昇華しているから、今更嘆くものではないけれど、
焼却炉に放り込まれたハンドバックを探して、狂ったように家中を探し回った挙句、
「いい加減にしなさい!」と怒鳴りつけられた私は、前述の幼児決断を強くする。
「大事なものは、母に捨てられる」
そこから、私は、大事なものは隠さなくてはならない、
という強固な信念を持つ。
中学時代に、大切なものを守るために、カムフラージュする、ということも覚えた。
面白おかしくどうでも良いことを語ることで、本当に大事なものを隠した。
「大事なものを守るために欺くべきは、身内」
という、幼児決断から一歩進んだ信念をここで、私は培う。
初めての彼氏の存在も、隠した。
小説家になりたい、という夢も隠した。
二次元に嵌りこんで描いた漫画も、隠した。
X-JAPAN を始め、黒っぽいバンドを好きになったことも、隠した。
本当に大事な友人の存在も、隠した。
隠したとは言っても、中学生を持つ親になった今にして思えば、
ダダ漏れてただろうってたことは容易に想像がつくけれど。
それでも。
私は
「大事なものは(大切なものは、好きなものは)、
身近な他人に(特にお母さんに)
絶対に知られてはいけない。
知られると、殺される(壊される。失う)」
という、幼少期に下した決断を
「大事なものは、母(身近な人)に捨てられる」
とさらに強くし
「大事なものを守るために欺くべきは、身内」
と進めていく。
今も、この考え方は、根本的に私の根底にある。
今も、旦那にさえ好きなもののことを言うのに、すごく抵抗がある。
旦那は私の好きなものを、否定しない。
それを知っていても、言えない。
それを私は『今まで散々、母に否定されてきた心の傷のせい』だと思っていたけど、
『大事なものは隠せ!』という幼児決断の結果だと、知った。
すごい、衝撃だった。
そして、読み進む中で、もう一つ知った。
『とにかく隠せ!』という幼児決断の延長と矛盾するけれど、
私が何より欲しいのは「受け入れてくれる」存在。
『何がほしいんですか? あなたは何がほしいんですか。』
という問いに、強烈にこれしか思い浮かばなかった……。
私は何よりも、「受け入れられる」ことを欲している。
もしかしたら、私は前からこのことを知っていたのかもしれないけど。
ていうか、無意識の中でずっと思っていたんだろうけれど。
ていうか、ずっと信念として持ってたから今の私になってるんだろうけど。
いざ、目の前につきつけられると、すごい衝撃で。
なかなか心の整理がつかない。
どうやってこれと向き合えばいいのか。
これを乗り越えた先に、何かあるはずなんだけど。
今はまだ、混乱状態。