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2013年10月06日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
土曜日は長丁場。先週から続いていた問題も徐々に片付き、最後の方のレッスンでは

「まぁ、綺麗な音!私はもうこんな音は出せないわー」なんていう音が生徒の指から出たり、

「うちの生徒さんの中で一番美しい低音を今初めて聞きました」という言葉を発したり、そんな感じの1日になりました。

でもその全ても数々に重なった偶然をたどって、私がたまたま見せられた光景に過ぎず、それを私の指導と呼ぶつもりもありません。

音楽が生徒と密接につながることを願って辿った糸なので、その結果は、「私」という存在を通り抜けていきます。

それでよかった、と、美しく微笑めるほど人間もできていない私は、せいぜい、「仕方ないよね」なんていうあたりでうようよしています。(笑)

それでも、少し前の私に比べたら、はたから見たらマシなのかもしれないけれど、私自身の中にある何かは、以前より、後味悪いようなものかもしれないです。それもまた「仕方ないよね」で片付けられるのなら、やっぱりそれはマシとも言えますが、もはやそれもどうでもいい、と言う感じが一番しっくりしています。

ただ、批判は受けるかもしれないけれど、私の中にこだわりが出てきていたりもします。

とても小さなこだわりなんですが、「おうちの練習」というものが私の気持ちを納得させるものであった場合、それがうまかろうが下手だろうが、私はその過程を見せてもらって、そこに指導みたいなものを乗せたというのはレッスン、と呼びたい。



たった1分の練習すらままならなかった生徒が1分を積んできていたら、それがあまりうまくなっていなかったとしても、それは「私にとっての学び」にもなります。だから、練習してくれてありがとう!次が見えてきたね、とは思えます。

でも、そうじゃなかったら、そこまでは思わないようにしようと言う感覚です。

教える作業はキリがなく、そこにその人がいてくれれば、今週の練習がなくとも「ありがとう」が始まるのも確かな事実です。でも、そこまで掘り下げると、私がゼロに近づいていってしまうんですよ。それでは、私がもたないというただそれだけの理由です。

ピアノ教室にとにかく来ることも大切。でも、教室に行くんだから少しは弾いておこう、という気持ちがなかったところをどこまでもわたし「だけ」の責任にしたくない、という気持ちです。

40年近くピアノに触れてようやく気づいた小さなことですが。

ピアノを教える仕事をするベースにある私の経験まで、全部否定しながら教えるなんて、私には無理。でも、どこまでも「ありがとう」と言い続けることは、いつしかそんなことになっていく、と知った分だけ、私も少し意地悪になったのかもしれません。

あるいは、私がピアノを弾きながらいろんな場所で見てきた景色が、そんなに簡単に「良い経験をさせていただいた。ありがたい」と言えないものだったと気づいたのかもしれません。

人に聞いてもらったとき、その人が感動して立ち止まる音って何?を知るために、私は、立ち止まるどころか、蹴られるような思い、唾を吐きかけられるような思いもたくさんしました。

むしろ、そちらのほうが多かったのかもしれない。

それを、あちこち切り貼りして、「生徒の音が美しくなる」にするには、私の葛藤が確かにありました。その葛藤に価値はない、と思う人にまで、上手に頭を下げられなかったとしても、それは、いつかできるようになるかもしれないけど、今は無理、ということもあります。

それでも、そんな心理の中で、「あなたは子どもだけど、十分に立派だから、おうちの練習お願いね」と言える自分にもなっていました。



そしてそうあることは、とてつもない寂しさがつきまといます。きっと誰もがもつ寂しさと同じでしょうけれど。人と比べている余裕のない寂しさなので、そこは、ふざけてやりすごしていますが。

「私にはもうその音が出せない」という感覚は、実に不思議なものでした。

若くて澄んだ美しい音でした。年齢に例えるなら、若さを見せ付けられた、と言う感じです。

でも不思議なもので、そんな音を出している少女への嫉妬はありませんでした。

「こんな綺麗な音が聞けるなら、ずっと弾いていてって思うね。」と言いながら、脳内には白雪姫の童話が展開されていました。(笑)おきさきさまは、なぜ白雪姫を殺そうとしたのかしら、と例えていく私にぴったり呼吸を合わせて生徒が言います。



「えー。私ならずっと聞いていたい」と答えながら、おきさきさまってもったいないことしたのね、と、脳内に浮かぶ人を思い出していました。

そのおきさきさまも、無意識ながら私の破滅を望んでいたことを思い出しながら。

美しい音は、ずっと鳴っていてほしいじゃない?と、今の私は思う。それを確かめながら、でも、いつかこの子もこの音を失うときがくる、と思いました。

そしてこの音は、この子が出しているようで、この子だけの努力で出たものじゃない。

そこがまだ少しわかっていないことに対して、私は、今はまだ「ありがとう」と言いたくない。

もしかしたら、それも「小さな嫉妬」と呼ぶものかもしれないけど。(笑)

私は、その音を潰そうとも微塵も思わない。無意識の私はしりませんけど。(笑)

ちょっと今、気が乗っていないから、やる気を出してもらいにきたの、というスタンスに見えた彼女を「じゃ、楽しんで弾いてみてね」と手は振って送り出すけど。

「ひどい先生」って言われそうな気になってた自分もいたけど。

そこまで、ひどいって言う人って、意地悪ー!!ってくらいですかね。(笑)

その後に聞いた、「今まで聴いたことの無いほど美しいベース音」には、最大級の賛辞を送りました。練習の仕方まで忠実に守り、その音に至ってくれたその人は、別の生徒さんに懇々と言ってました。

「この先生には従ったほうがいい。絶対に弾けるようになる!!」

その人と私は違うジャンルの音楽の道を辿ってきました。だから、私の知らないこともたくさん知っています。その事実においていうならば、私はあなたを師匠と思います、と言った所で、レッスンの形態が揺らがない。

そういう人には迷わずそう言えるようにだけはなりました。そうじゃない人にそういうニュアンスのことを言うと、大変なことになります!!(笑)

師匠と仰いだのは間違いだった、という人に、危うく絶滅させられかけたように思った後の出来事にしては、悪くないんじゃないかなと思ったりしています。





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Last updated  2013年10月06日 08時32分26秒
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