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四柱推命でいうところの、身旺や身強や身弱といった考え方が最近妙におもしろくて、これは、簡単に言ってしまうとその人の中心にある「気」の強さみたいなものですが、漢字を見てわかるように「旺や強」は気が強く、「弱」は弱いです。この強さによってものごとに対する身構え方がちがってくるのです。前に、ここに書いたかどうか忘れてしまったのですが、この、「気」の強さと、お金の使い方というのがよく似ていて、お金を沢山持っている、いわゆるお金持ちの人というのがお金の使い方がうまいんです。何でもかんでも欲しいものを買ってしまうとか、新製品が出たらとにかく買ってしまうとか、人にすすめられたら断れないとか、そういった、勢いにまかせてとか、流されて買ってしまった、ということがないです。たとえ決断が早かったとしても、瞬間的に、この商品とこの金額ともたらされるメリットなどを計算することができるので、失敗がまったくないとは言いませんが、少ないです。出す時出すけど、出さない時は一切出さない。ここはおごったほうが見た目がいいかな、と思ったとしても、もしかしたらそんなことすら思わずに、ここは自分の出すところじゃないと判断することができるので、ムダにお金を垂れ流すようなことはしないのです。しかし、お金がいつもない人というのはこの逆で、目に入ってきたものはすぐ飛びついてしまうし、どうしよう、高い、と思っても持っていたほうが得するかもなどと思ってしまって、さらに今ならキャンペーン中で安いとか、今必要なくても必ず将来役に立ちますよ、などという営業文句につられてしまってそれもそうだな、どうせ買うなら今だ!今買わなければ損する、とタイマイをはたいてしまうけど、結局、使いこなせないとか、自分には合わないなどでそこら辺に積み上げているだけで、持っているものは立派だけど積み上げているだけならただのガラクタとなってしまったり、それほど資産を生むような買い物はしていないので、お金もないし資産もない、といったいつまでたってもお金持ちになれない状態を作り出してしまうのです。(※お金持ちがいいといっているわけではありません。貧乏はよしたほうがいいですが、楽しくお金がまわっていれば貯めこむ必要ないというのが私の持論です。でかい仕事がやりたいときは必ず必要なお金や人材は準備される。)ちょっと長くなってしまいましたが、これと、「気」の強い人、弱い人の「気」の使い方がよく似ているのです。「気」の強い人というのは、普段、まったく気を使いません。いや自分は使っていると思っている人がいるかもしれませんが、使っていません。しかし、イザという時、例えばリストラにあったとか天変地異がおきたとか、戦争が始まったなどといういわゆる人生の大事のときに、この普段まったく機能していなかった「気」の装置にスイッチが入り「気」が回りだし、素晴らしい統率力や決断力を発揮するのです。「気」の弱い人というのは、普段の何気ない日常の出来事にこまごまと「気」を使ってしまうのです。だからよく気がつく。占いなどにはまってしまう人は、たいていこのタイプで、いちいち人の一挙手一投足が気になって仕方がない、だから、調べる、研究する、検証する、疑問を持つなどの繰り返して、大事が来る前に備えをしておこうと本能で思うのです。「あいつ、気~つえからな~」とかいう、いわゆる向っ気の強い人というか、ぎゃーぎゃー騒ぎ立てる人というのは、たいてい四柱でみると「気」弱いです。使い方、下手なので、どうでもいいようなところでイキまいて使ってしまうことがあります。私は言うまでもなく、この「気」の弱いタイプで、「気」の使い方、下手です。だから疲れやすいです。寝不足は大敵です。疲れるから気にするのをやめればいい、と強い人は思うのですが、それはとても難しい。気にしなくなるためにはどうしたら一番いいのか、気になってしまう。だから、眠っている時が一番何も気にしないでいられるので、充電できるのです、が、時々、48時間ぐらい寝ないと復活できない時があります。これが現実的に不可能なときは、酒飲んで肝臓酷使して、やがて熱出して動けなくなり、強制的にそして誰にも気を使わずに休めるように身体がなります。何が言いたかったかというと、四柱推命では、こういったエネルギー(気)量の強弱を測ることができて、もう少し詳しく言えば、「木火土金水」という五行の強弱によって、自分のエネルギー(気)状態を知ることができるのです。四柱推命はどうしたって吉凶に流れがちですが、気の強いやつばっかりだと、詳細な研究は進まないし、繊細な商品は生まれない、気の弱いやつばっかりだと、大事の時の決断や解決が滞る、柱がないなどと一長一短です。自分のエネルギー状態は四柱で知って(運気の流れでも変化してきます)細かい目標設定や人生設計は占星術がおもしろい、ということです。
2009.09.04
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「どうしたら、愛されるようになりますか?」こういった問いには、あなたが人を愛するようになったら愛されます、と答えます。「どうしたら、人から恨まれないようになりますか?」こういった問いには、あなたが人を恨まなくなればいいだけですよ、と答えます。どうか、不平不満や疑問があるときは、自分に問いかけてみてください。必ず自分も同じことをしていますから。
2009.09.02
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「私、しあわせになれますか?」「いつゴロ幸せになれますか?」「どうしたら幸せになれますか?」この商売をやっていると、こんな漠然とした質問を受けることがよくあります。こんなときはまず、「あなたにとっての幸せというのはどんなものですか?」と相手の方に聞くといいです。質問をしてくる人は、質問の仕方がわからない人が大半なので、聞かれた質問にそのまま答えようとするのではなく、自分の頭で考えさせるように導いてあげると、次第に、出てくる質問が違ってきます。ここがポイント。質問の内容が具体的になってきたら、例えば、AとBのどちらを選べばいいのだろうか?といったように、内容が絞り込まれてきたら、もうその方は、自力で生きていく回路を得たことになります。ここから占いを使うと、道の選択が本当におもしろくなってくるし、占いを使わなくても、進むべき道が見えてきます。
2009.09.01
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去年の暮れに結婚したご夫婦がケンカばかりしており、ひと月おきぐらいに奥さんのほうから相談を受けるのですが、今回のメールには、「別れ」ることも視野に入れている、といったような雰囲気が電波を通じて伝わってきて、ちょっと二人のことを占ってみました。でてきたのが、山水蒙(さんすいもう)という卦。「蒙」というのは、海のものとも山のものともつかない心の幼さを表しており山の下から水が立ち上がってきて、霧の中、もやのなか、あたりがかすんで、どこに道があるのかも分からない、そんな状況を示しています。まったく動こうとしない相手(旦那)と、水のように冷めているか、冷淡な自分。わかっていないのは相手ではなく自分だったということで、自分の成長につながるような勉強なり情報収集なりをする時期ということです。夫婦喧嘩というものは、たいてい自分の中に問題があるときに勃発するもので、相手に言っている言葉そのままを自分に向けると、それで解決する。精神的な幼さが一番の問題点。幼さをぶつけ合いながら成長していく過程にいるのですから、あわてないで少しずつ進んでいくようにするのがいいです。経験しなければ、タフにはなれないです。
2009.08.11
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さっそく、非通知で変な電話がかかってきた。電話相談を申し込みたいと言うが、まるで受話器に布を当てているかのような声で、思わず昔のテレビドラマの誘拐犯のイメージを持ってしまったが、何を言っているのかよくわからない。何か新しいことを始めたとき、こういった、普段ないことがおきることがよくあるが、それが快か、不快かで、その新しいことに対する警告がわかる。この「沢天夬」という卦は、6つある陰陽のうち、下から5番目までは陽、一番上だけが、陰、という卦で、下はしっかりしているが頂上が欠けている。頂上やてっぺんや、一番上というのは何を意味するのだろうか。しかも、水っけのある沢が上で、天が下。明らかに不自然で、上のほうの穴から洩れる、上が傷つく、上が失われるなど、無理強いすると、自分ではなく上の存在に何かあるとか、さっき書いたように、クビから上が飛ぶ。この『夬』というのは、決断、決定、決心、決行、決闘、決裂など、決のつく漢字が当てはまる。どうするかは、自分の決にかかっているということ。安心で、安泰で、平和な卦がでるよりも、こういったギリギリの卦がでたほうが、私は気合が入ってしまう。易の指導も始まることだし、別人格などとつまらないことを考えていないで、易の紹介でもしていこう。
2009.07.30
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人の性格というのは、「これこれこういうタイプです」と一言で言いきれるはずはなく、付き合う人とか住んでいる環境とか時間とともに入れ替わり立ち代り、何種類かの性格が出てくる。それに気づくか気づかないかは別として、たいてい何種類かの人格をどんな人でも演じている。つまりどんな人でも、統合失調症の毛はあるということ。私も、HP用にブログを書いてはいるが、あれはあくまでも、HP用の私のカラーであって、占いのセンセイというか、自力開運やってます、という人を演じているのだけど、時々別人になってみたいと思うこともあって、今回、ブログサイトの変更にともなって、この楽天さんのサイトは、HPからはずしてみることにした。つまり、別な私が出せるかどうか、ここで実験してみようと思ったということで、さっき、易を立ててみた。でてきた卦は、『沢天夬(たくてんかい)』これは、大吉、吉、普通、凶、大凶の5分類したとすると、凶に分類できる卦で、己の姿をさらけ出すだけの腹は決まっていない、やったらクビをはねられる、といったような内容の卦。易というト占(ぼくせん)は、近未来の吉凶診断、決められないからあなたが決めて、といった優柔不断な人の決断のお手伝いをしてくれるというところがミソだが、依存しなければ、非常に役立つ道具で、かっこいい言い方をしてしまえば、天から見た今の自分の状態を知ることができる、と私は解釈している。つまり、今の私は意志薄弱な状態ということ。卦がどのように作用するか、センセイ的じゃない内容にしたいが、もうすでに、センセイ的になっているか、、、クビはねられるのは、正直恐いので、薄弱ながら徐々に。(センセイ的だと、ここは恐怖心を克服しろとなる・・・)
2009.07.30
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一銭ももらえないのに、こんなことして何になるんだろう・・・、こう思いながらも、ゴミ掃除とか、チラシ配りなんかをやらされたことがある人は、よくわかると思うのですが、実際自分が何かを始めるときに、こういった経験をしていると、自然とヒマな時は、お店をきれいにしたり、駅前に出て、ティッシュを配ったり、要領がわかっているから、何の抵抗もなくやることができるのです。私は、生徒さんにブログを書くようにすすめています。初めはみんな、たった10行書くだけでも、ものすごく時間がかかってしまうのです。そして、アクセス数は、ゼロの時もある。そんなとき、こんなことして何になるのだろう、と思ってしまうのです。だけど、とりあえず信じてやリ続けることができると、気になるアクセス数も増えてくるし、文章を書く力が、確実についてくるのです。だんだん自分の伝えたいことが、臨場感をもって表現することができるようになり、この人に相談してみようと思ってくれる人が現れるのです。「こんなことして何になるのだろう」それは、やってみないことには、何になるのか、誰にもわからないですが、やってみると、必ず答えを見つけることができます。
2009.07.21
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誰かにいやな事を言われたとき、その相手を許せない、ひどい人間だと思ってしまいます。しかし、よく考えれば、本当に許せないのは相手ではないでしょう、相手に何も反論ができなかった自分自身でしょう。その場で何も対処ができなかった情けない自分自身でしょう。「そんなこと言う自分はなんなんだ、あなただって欠点だらけじゃないか!」こんな怒りが身体中充満して硬くなるけど、人は誰でも欠陥人間です。実際、腹の立つことをずばっと言われたとき、相手に言い返せなかったのであれば、それは、自分のほうが相手より劣っているとか、やるだけの事をやっていないとか、かなわないと自分が思い込んでいるときで、相手よりも自分の方が頑張っていると感じる場合は、その場ですぐに言い返せるのです。言い返せないときというのは、必ず自分に引け目があるときだし、こんなときは、無性に腹が立ってしまうのです。もし、こんな悔しい思いをしたのであれば、堂々と言い返せるだけの自分になろうと、頭を切り替えて欲しいのです。自分の欠点をずばっと言ってくれる人は、神様と同じぐらい価値があると、私は思っています。それを素直に聞くことができたら、必ず成長します。
2009.07.21
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親しい人との会話の最中に「もっとこうすればいいのに」とか、「この人自分本位の人だ」、「だからだめなんだよ」などと、相手に対する批判がでて来るときがあります。こういった批判は、またいつものことだとか、よっぽど不満が募ってこない限りは、心の中にしまったままなので、そのままにされることが多いのですが、もしこんな批判精神が芽生えてきたら、それを、まったく同じ言葉で自分自身に向けてみて欲しいのです。「もっとこうすればいいのに」と相手に思ったのなら、もしかしたら自分が「もっとこうすればいいのに」なのかもしれないと。「この人自分本位だな」と思ったのなら、自分も自分本位なところがあるかも、と思って振り返ってみるのです。自分の中からわき出てくる他人批判というのは、そのまま自分自身にぴったり当てはまります。「がんばりが足りないよ、あんた」という場合は、自分がまさしくその通りなのです。人と会話をするとき、自分の中にわき上がってくる評論に目を向けると、今の自分に足りないモノを簡単に発見することができます。逆に、相手に対するほめ言葉も、自分に当てはめることができます。ですから、周囲の人間に対して、イライラが募っているときというのは、自分自身に対するイライラが募っているときだし、逆に、周りの人に不満がわいてこない時というのは、今の自分が充実しているときでもあるのです。見事に自分の姿が相手に映し出されているのだから、相手に、「もっとこうしろ」と望むのは鏡に映る自分自身に文句たれているのと同じことですね。
2009.07.21
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9月~12月に、月1回、手相教室を、埼玉県川口のリリアというところでやります。http://www.lilia.or.jp/info/index.html講師は、「桜 祐実(さくらゆみ)」さんで、この方は、学校の先生をやっていたり、今は学習塾をやっているなど、先生畑をずっと歩いてきた人で、地元でひっそりと手相を教えているのを発見して、今回、手相コースの講師としてお願いすることにしました。興味のある方は、こちらを見てください。http://www.uranaischool.com/school-index/tesou-annai.htm教えるの、上手ですよ。占いに携わる場合、「命占(めいせん)」といって、生年月日のデータを読み解くものと、「ト占(ぼくせん)」といって、カードやサイコロなどを使って事象を読み解くものと、「相占(そうせん)」といって、手相や人相や家相など見た目を読み解くものの三種類を身につける必要があります。おかれている環境によって人の顔つきが変わるように、手相もどんどん変わりますので、最近では、手のひらに自分の欲しい線を水性ペンで毎日書き込むと、本当にその線の作用が人生にあらわれてくる、など、おもしろい事をやっている手相家もいます。昔は、自分の生年月日を変えてしまえば、やっぱり人生が変わるのではないか、といっている人がいましたが、これは、姓名判断と同じように、「命占」も操ろうとしたパターンです。いずれにしても、欲しい線とか、この日生まれがいい、など、自分のなりたい姿などが明確になるのはいいことなので、私は、こういった遊びもあっていいだろうと思います。手相コース、興味のある方は、4回で一通り覚えられますし、比較的安いので、良かったらお申し込みください。年末の余興に間に合うかもです。
2009.07.15
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『どうしたら彼女とのセックスがよくなりますか?お互い、それほど経験がないからよくわからないのです。』これは、本当にそうだと思います。ただ、経験がないからではなく、まだまだ人間的に未熟だからだし、もうひとつ、自分にウソをついているとか、自分をごまかしている人も、楽しいセックスはできません。そんなこと言っても、これも未熟だとなかなか気づくことが出来ません。たいていの人は世の中にでるとまず、誰かの模倣からスタートします。子供のころは親です。だけどだんだんこれは自分じゃないと気づいてきます。このときに、セックスにも疑問を抱きます。つまり、感じなくなるのです。ようやく、自分の感覚がよみがえってきて誰かが作った、書いていた、言っていた行為と自分との『間』に気づくのです。人の成長に、対人が欠かせないとなると、その一番濃い付き合いをするのは家族と、セックスを伴う相手です。パートナーとよりよいセックスをしたいと願うのなら模倣から抜け出さなければです。そうじゃなければ、いつまでたってもセックスはただの肉の摩擦に過ぎません。模倣状態から抜け出すためには、何でもいいから自分のやりたいことをやらないとです。やりたいことがわからない人は、危機状態に陥っていないので、危機状態を自分で導くことです。それが出来なければ、そこら辺で一生さまよっているしかないです。いいセックスをしている人は、必ず回りに勇気を与えてくれます。セックスというのは、その人の内的な成長とともに豊かになっていきますし、人格的な成長が伴わないセックスは肉のエクスタシーしか得られず、それすらもないかもしれなくて、つまらないものです。そして、セックスをつまらないものにしているのは、成長を阻む自分以外の何者でもないのです。
2009.07.11
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人は誰でも自分のことなんて、さっぱり分かっていません、私も例外ではないのですが、だからこそ、『他人のふり見てわがふり直せ』なんて、素晴らしいコトワザができるし、これが占いよりも的中率が高く、手っ取り早く自分を知る方法です。しかし、なかなか他人のふりと、我がふりをリンクさせることができる人は少ないです。私なんぞは、夫によく片付けろと言うセリフを言ってしまうのですが、この実体は、私が片づけが苦手だ下手だ、嫌いだということだし、人の話をもっとちゃんと聞こうよ、などという人は、間違いなく人の話をちゃんと聞けない人だし、人を褒める時、優しいところばかり見ようとする人は、自分も優しいところを見て欲しい、優しい人だと褒めて欲しいということです。口から出る文句や愚痴、口癖を気にしてみると、そっくりそのままそれは自分に当てはまるということです。これに気がつくようにならないと、いつまでたっても子供の脳みそから脱出できないで、人間関係も小中学生並みのまま進歩しません。身体動作の癖に自分で気づくのは、かなり難しいですが、口癖なら気にしていけば少しは「また言ってしまった」と気づくことができるようになります。しかしこれには反射板となってくれる他人が必要です。つまり、一人では何も気づくことができないし、一人で進歩し続けることはできないということです。
2009.07.10
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魚座の10度で生まれた私の太陽は、ひたひたと地道に牡羊座の旅を続け、あと数年で牡牛座領域に到達します。私は、モノとかお金に対してほとんど関心を抱かないようにセットされて生まれてきているのですが、所有欲や物質性をあらわす牡牛座に突入することによって、もう少しモノやお金との対話ができるようになるかもしれない、と期待しているのです。よく、「素敵な洋服ね」とか、「それどこで買ったの?いくらしたの?」とか、「沢山ブランド品持っているんでしょうね」とか、「きれいになりましたね」なんて、気を使って言われても、少しもうれしくなくて、あまり言われると鬱陶しいとかうそ臭いとか感じてしまって、やっぱりTシャツとジャージで過ごそうかなどと思ってしまうことがあるのです。そういったところに関心を抱く人達のことを根本の部分で理解できていない、というのがこういう感情を抱く原因のひとつなので、それが多少なりとも改善されればうれしいと。誤解のないように付け加えておけば、私は人そのものには異常なほど関心があるので、モノとかお金に関心を抱く人のことを否定しているわけではなく、かえって、おもしろいと思っているのですが、例えばとってもおいしいお菓子の写真をとったとしても、それをブログに載せて、お菓子談義を繰り広げるということができない、美味しかったという以外関心がないから、かなり気合を入れても、私の意識は、それを食べた時の会話だとか、それを作った人だとかに向かってしまうのです。食べ物番組などでよくあるコメントシーンは、気持ち悪くて悪くて、「ほのかに口の中に広がる甘味と、凝縮されたイチゴの酸味が奥のほうから・・・」などは、「うわ~、でたっ」と思いながらもこの人はどんな人なのだろうといった好奇心が騒ぎ恐いもの見たさで見てしまうことがあるのですが、こういった、とり肌ものも変わるのだろうか。まあ、あれは誰でも気持ち悪いと思うと思うのですが。どんな人でも長く生きれば後天的に隙間が埋まっていくようになっているという占星術のひとつの理論でした。
2009.07.10
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完璧な人なんていないので、人にも自分にもそんなもの、求めないほうがいいです。完璧じゃないからこそ、目標というものを持てるのだし、頑張っても頑張ってもできないことがあるからこそできる人との関係性が生まれ、人と人をつなぐことができる。アイディアも生まれてくるのです。歪んだりでこぼこしていないと、不自然なんです。生きていないのです。もし完璧が存在するとしたらそれは、ほんの一瞬しかないです。過去にしか存在しないということです。それが継続しているとしたら、きっとその中味は腐ってる。欠陥なんて気にするな!ということです。
2009.07.09
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結果ばかりを気にしている人は、「今、それに」といった目の前のことに一生懸命になることができないので、なかなか先に進めなかったり、思ったほどの成果がでなかったりして、ますます何も成しえることができなくなってしまうのです。「占いを勉強して何年後にプロになれますか?」「それをやるとどうなるのですか?」こういったたぐいの質問をしてくる人は、まだ、自分の力で何も勝ち取ったことがない人です。自分と「それ」との関係を自分で作っていこうとせず、誰かが作ったノウハウやテクニックにばかり頼ってしまうのです。だから、味が出ない。結果という先々の不安を忘れるぐらい、今、それを一生懸命やることが味のある結果を生むのです。やってみないことには誰にも、何もわからない、ということを、やってみるとわかります。
2009.07.08
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39才のときに、公務員だった夫と別れ、小学生3人の娘を引き取り育てながら、会社を設立して、思う存分暴れまくっていた私の古い知人が、昨日、4年ぶりぐらいにウチに遊びに来ました。今、彼女は54才。九州に彼がおり、遠距離恋愛の悩みなどをそのころはよく聞いていたのですが、まだ今もその彼と続いているらしく、月に一度程度の割合で会っているらしい、埼玉県の上尾の駅からすぐ近くの賃貸マンションに真ん中の娘と一緒に6年ぐらい住んでいたのですが、今年の5月に中古で家を買ったらしく、娘たちはみんな独立してしまったので、今はその家にネコと一緒に快適に住んでいるそうで、バイク飛ばして遊びにいらっしゃいよと言ってくれるのです。仕事も埼玉中心で、役所の仕事をもらっているので安定しており、ついこの間は、ヨナクニ島に彼と遊びに行っていたし、去年にひきつづき今年も、インドに行くことになっているらしいし、先日の誕生日は、娘にホテルのレストランでお祝いしてもらったし、トマトケチャップで有名な誰でも知っている企業「K」の社長とこの間会って話をしてトマト談義に花が咲いたと言うし、楽しかった事を沢山話すのだけど、いつ会っても彼女はどこか満たされない思いを抱えているように私には見えて、ああ、あまり変わっていないなと思った。私の夫が、釣ってきた魚を刺身にして出してくれたら「こんなの食べられるなんて幸せじゃないの、あなた」と言われたので、「その通り、私は世界一幸せモノですぜ」などと、また調子こいて言ったら、一瞬、彼女は黙ってしまった。会話の内容を聞いていると、まるで風(思考)と地(物質)のサイン(星座)に天体が集まっているように感じるのですが、彼女の出生図には地のサイン(星座)にはひとつも星がなく、なんと、情感や人とのつながりを求める水のサインに星が多くあるのです。彼女にとって一人暮らしはかなりきついだろうと思う。「彼のご両親がもう90才で、面倒を見なきゃいけないからあまり今は家を空けられないのよね。」と言うセリフを、酔っ払った彼女から3回も聞いた。
2009.07.06
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努力に勝る天才なし、とか、継続は力なり、なんて言ったりしますが、歴史上に残る占星術師の一人に、イギリスのジョン・ディー(魔術師で名が売れている)という人がいます。エリザベス一世の絶大なる信頼を得ていたらしいこの人は、一日4時間の睡眠と、2時間の食事以外、ずっと研究に明け暮れていたらしいです、死ぬまで。このおっちゃん、土星のマークみたいな顔してる。
2009.07.04
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自分のここを直したい、ここが嫌い、と思うところは誰にでもあると思いますが、短所というのは、長所の裏返しだとよく言います。だったらウイークポイントは、裏を返せば、最大のセールスポイントになります。特長を生かすも殺すも自分次第。
2009.07.04
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何かを教える先生の場合、自分が生徒の立場になったとき、ようやく生徒の気持ちが分かる。生徒の場合、自分が教える立場に立ったとき、初めて先生の言っていたことを理解する。一方通行にならないようにしたいモノです。
2009.07.04
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占いにしても、そのほかの精神面や目に見えない霊的なモノを扱う場合、答えや、完成図といったものがないので、やってもやってもきりがないし、だからこそ楽しくもあるのですが、例えば絵を描いたり、音楽を作ったり、ものを書いたりといった、芸術作品とか、形に残るモノ造りに携わる場合、ようやくこれで完成だ、完璧にできた、という感触があるのだろうか?と思うときがあります。これだ!と何かを発見したり、つかんだような気持ちになった次の瞬間、つまり、それを形に落とし込んだ途端に、なんだか、まだ先があるような気がする、となって、また真実の旅に出かけてしまうようなところが、私にはあります。「真理はある。だが、それについて何かを言ったとたんに、それはもはや真理ではなくなってしまう。」こんなフレーズが、私が好む『和尚』の本にあるのですが、これは占星術でいうと、いて座的感覚です。(もう少し詳しく言えば老子の言った言葉です)完成だとか、完璧だとか、成功だとか、終わりだとか、そういったものを求めて何かをすることは、私にはとても難しいことでもあって、感覚が同じ人にしかわからないだろうとも思うのですが、だからナニ???といった抽象論にもなりやすいので、わかりやすく形にして伝える努力はしていきたいです。
2009.07.02
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個性を限定してしまうと、人の観察や自分自身の変化などに、見落としが出てしまう危険があるので、あまり、「私はこれこれこういう人です!」などとひとつに囚われないほうがいいです。人というのは、おかれている環境や関わる人によっていかようにでも変わることができるので、例えば性格のおとなしい人は主導権を相手に譲りがちですが、自分よりももっとおとなしい人と一緒になると、どちらかが必ず主導権を握るようになります。キャラクターがかぶるので、対人面のバランスをとるためには、微妙に自分を変化させなければかみ合わず、無意識に、対する人によって陰陽などの役割分担をお互いがしているのです。よく生年月日を扱う占いに関する質問のなかに「じゃあ、双子も同じ性格だと言うのですか?私の知り合いの双子は、まるで性格違いますけど!」というのがありますが、これも似たもの同士のバランス感覚で、個性がかまないようにしているのです。ためしに別々な場所で双子を育ててみると、かなりに通った人生傾向がみられるらしいのですが、思考のパターンなどはよく似ています。答えは同じだけど、答え方が違う、といった感じです。人や自分をみる時は、その人個人と、おかれている環境や周囲の人間関係も同時にみることによって表面的な問題に左右されることが少なくなります。
2009.07.02
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最近、夫の帰りが早いので、私の時間があるときは、夫の楽しみであるTV観賞に付き合うようにしているのですが、画面を見ていて気づいたことが一つあって、私は、TVをみていると、その番組の内容やCMなどもなんのCMだったか覚えていないことが多いのですが、その画面に出ている人の雰囲気や顔はよく見ているのです。で、「この人は今、あまり幸福ではない」とか、「ようやく何か見つけたね」など、人にしか関心がなく、その人から発する全体的な雰囲気に対して勝手な事を思ったり言ったりしていたのですが、中にはどうしても気に食わなくて、「こいつは根性悪いぜ」などと批判しているい人もいたのです。だけど、久々にTVをみていて、そんな気に食わないヤツだったはずの人が出てきても、「あ~きれいになったね」とか「個性を維持していて頑張ってるね」などと思うようになっている自分がいて、オヨヨと思ったのです。つまり、嫌いな人っていうのが、圧倒的にいなくなってしまっているということなのです。久々にみたTVで、そんな自分に気がついて、なんとなく気分が良い今宵です。私はよく生徒さんに、「占いをやると嫌いな人がいなくなるよ」と言っているのですが、我ながらあらためて実感した次第です。
2009.07.01
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今まで、あるプロバイダのフリーブログサイトを使っていましたが、システムトラブルが一日かかっても直らず、そんな時に限って、ブログにコメントを残してくれる人がいたり、書きたいことがどんどん浮かんでくるなどで、かねてから気になっていた、楽天のほうに切り替えることにしました。7月1日だし、切りもいいしです。
2009.07.01
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