全85件 (85件中 1-50件目)
時間が午前10時頃になってくると、この時間感覚ですが、10時前でも過ぎでもなく、頃と言う漢字がぴったりなんです、さて長いすにざっと50人くらい居た様に思います。何人かの被告人は手錠をはめられて座っています。裁判長の横には検察事務官なのか警察官なのかわかりませんが犯罪被告人の書類を抱えた事務屋さんが陣取っていて、一人一人名前を読み上げます。そうすると裁判官横の被告席があり、そこに行って、立ったままで、罪状を聞かされるのです。裁判長とその他被告達を見渡せる角度で被告人の罪状認否を行います。金のある人はここに弁護士が入ってきます。裁判長は1っ回毎(被告一人ずつ)に、アイ、スインク(私はこう思う)と有罪無罪罰金額を決めて行きます。金の無い私は、必死の面持ちで作文した、ペーパーを読み上げました。内容も大事です。如何に無実であるのか、外国人である私はケニア人の面子を傷つけないように等々と感情も入れながら読み上げました。周りの連中はうんざりしてましたが、構っておれません。裁判官の表情を読みながら、私は良い人を繰り返しました。結果を言えば、ここで保釈金を返して貰える判決を頂きました。無罪です。アフリカは人心が毎年悪化している感じがし、失望しました。蛇足ですが、この裁判時法廷にはデイルワイリーと言うニュージーランド人のパイロットも来てくれて、余り付き合いもないのに、金がなければ貸すといってくれました。この証人の要る限り行方不明にならなくて済むと心強く思ったことを覚えています。治安の悪い地域で生息するには、信頼でき、腕の立つ友人が必要に思います。ではまた。
2007/12/20
コメント(0)
自分プログに入るための暗証番号を忘れて、このページにたどり着くのに何日もかかってしまって、精力を使い果たした感じです。さて、とっ捕まったとき、ナイロビ警察署で、相手を怒らせ無いように、相手に付け困れ無いように単語を選び、元の社長はエゲレス人でしたので、その真似をジェスチャーの中に入れながら、裁判に持って行きました。出頭命令は、某日午前8時とかいてあったように思います。警察を出た後、94年に勤務していたサファリエア改め、プリスティージエアに戻って、相談を持ち掛けました。かんかんガクガクでしたが、さっぱり要領は得ず、自分でやるしかないなと決心したことを覚えています。当日、8時に裁判所に着きました。しかし、しかし、しかし、ドアも開いていないのです。警備の警察官に聞いて見ましたら、いつも10時ごろに開廷すると言うではありませんか。最初からジャブを食らいました。しかし、そうも言っておれないので、裁判官に自分の無実意見を述べるために、裁判所のドアが開くと同時に頼み込んだ一室の片隅で、言うべき文章を書いて、自分を守るため必死の作文の時間を作りました。脳はフル回転です。英単語も出るは出るは。皆さんも英語の上達の為に、一度被告席に座られることをお勧めします。さて、A4の紙で2ページの陳述書を書いて、裁判法廷のドアが開くのを待っていました。10時に近ずくにつれ、法廷にある5メートルはあったでしょうか、夕涼みするときに日本でも使う背もたれのない長いすが5,6列があったと思います。済みません、枠が一杯になりました。次回。
2007/12/12
コメント(0)
先日ジムロジャーズの著作世界バイク紀行を読みました。著者のような英語を母国語とする人でも法律があっても、日本の公務員のような担当者の賄賂欲しさの法律の個人的解釈によって、アフリカのナイジェリアでは出国することだけにさえ、エネルギーと時間を消耗したと書いてあります。法律には国家が行うある種の詐欺行為が、国家権力によって合法化されています。この著者の場合も入国時には身に付けているお金を全て申告すること、この金額を全てナイジェリアの通貨に変えること、しかし出国時にはハードカレンシーに再交換しない等々です。最初から罠が仕組まれているわけです。ましてや、普通の日本人の英語力で、裁判を受けることになったら、まさにパニックです。私もそう言えば、2回目にケニアに行った時、悪徳警察官に捕まりました。警察署に連行されたら暴行を受けると聞いていましたので、賄賂を払うべきか瞬間悩みました。しかし1っ回払うと、暴力団と一緒で、その情報は瞬時に伝わり際限が無いだろうと判断して、賄賂の支払いを拒否しました。どうやってピンチを脱するか、この時ばかりは久しぶりに脳内細胞をフル回転させ、エゲレス人風に気障な動作と言葉を選びながら相手を怒らせ無いように、交渉を重ね、裁判に持って行きました。2回目のアフリカで感じたことは、人心が悪化しているとの印象を強くしました。騙された方が悪い、騙した者は賢いという、かって無かったケニア人の行動は、国を潰す前兆として脳裏に焼き付いています。日本も同じ方向に行くように感じています。移民できる人は日本を離れて行くように思います。さてさて、次回は外国での裁判に付いて書いてみます。
2007/11/03
コメント(0)
30年前も雨季には激しいバケツをひっくり返したような大粒の雨が降っていました。その後、段々雨が降らなくなりました。乾燥したアフリカだったような記憶が有ります。しかし雨季はたしか、10月くらいから翌年の2月までだったように思います。そうするとやはり異常ですね。来年の作物ができるまで住民の方々が持ちこたえられるのか心配です。地球号は、どのように変わって行くのでしょうか?
2007/09/27
コメント(1)
ヘリコプターでの散布が終わりました。多分これで私の人生で散布も終わったことでしょう。感無量です。今、元特捜検事、弁護士田中森一氏の著作”反転”を半分読みました。日本のエスタブリッシュメントと闇社会のつながりも書かれていて、国策捜査も、やっぱりねと感じています。江戸時代からの庶民を”生かさぬように殺さぬように”の基本方針がこの国の運営に貫かれているように思えます。さてさて、自分はどうすべきか。一工夫要りそうです。ではでは。
2007/08/29
コメント(0)
先週島根県に行って仕事してきました。松食い虫の散布は大抵、日の出から始まります。日の出、直後は無風状態が続きますがしばらくすると風が出てきます。風が段々強くなってくると木の葉が裏返しになってまるで木に花が咲いたかのように見えるのです。とてもきれいな白い花が咲くのです。夢を追ってアフリカにいた頃、荒野をさ迷いながら絶望しつつ膝を折ってこれで死ぬのかと思いながらも、今までの努力も水泡に帰すのか、とても残念に思いました。死ぬに死ね無いとでも申しましょうか。今までの涙と汗は無駄になるのかと、そのことのみをいとおしく思っていたこととを思い出します。生死はどうでも良かったのです。私の夢の華は、熱風と砂塵の中を自分なりの大義に沿って、どのように生きるかということだったのですが、それも果たせませんでした。残念でなりません。
2007/06/14
コメント(0)
前回悪天候で飛行するのは馬鹿者だと書きましたが、米国東海岸の夜間郵便ルートを守ったジャックナイト、フランスの南方航空路を開拓した操縦士や航空会社支配人の手記を読んでみますと、それ行けドンドンなんです。その為に何人もの尊い犠牲者が出ました。しかしこの勢いで航空の発達があったわけです。やるしかない時はあります。その時はとことんやりましょう。恐怖を抑えて自分の運命を信じるのみです。分別は人を臆病にするとあります。ではでは。
2007/05/22
コメント(0)
当時は雨季には積乱雲が帯状に立ち塞がり、左右45度逃げようにもユーターン以外逃げ場がありませんでした。しかし当時は怖いもの知らずの馬鹿者でしたので、それ行けドンドンでした。レーダーも積んでいなかったので、気象の本で読んだ、積乱雲のエネルギー消失時には雨が激しく振るのでそこが真っ黒の色をしているという事を信じて、その方向に機内照明を最大にして突っ込んで行きました。雲に入った瞬間に、真っ黒闇です。その合間に雷の閃光が機体の回りを通過します。この閃光で視力を一時失うので予防として、照明を最大にしたわけです。エネルギーを失っているはずでしたが、それでも計器版の計器の数字が激しい振動で読むどころではなく、人口水平儀を睨み付け両手両足を突っ張って、入道雲の擾乱気流に対抗し、機体を水平に保つ15分か20分の長かったことを記憶しています。実はケニア北部は低高度ジェット気流と雹の可能性もあったのですが考えないことにしたように思います。悪気流中、翼が柔らかい機種のほうが、翼は、よく羽ばたき気持ち悪いのですが翼が硬い機体よりも安全のような感じがします。実際、同じ頃、タンザニアでは、国連職員を乗せた機体が空中分解して機体の破片が数キロに渡って地上に散乱したことがあります。では又。次回へ。
2007/04/27
コメント(0)
ウガンダ、タンザニア戦争終了直後、モンバサからエンテベへひよこ1000羽だったのでしょうか1万羽だったのでしょうか機体内にひよこを入れた箱を満腹状態に積み込んでモンバサを出発しました。ナイロビでは手に入るのでしょうがモンバサでは当時航空地図を入手することも大変でした。ミシュランの道路地図を買ってきて計画を立てたような記憶があります。距離も片道1000キロくらいのように思います。エアサファリで頻繁に行っていたマサイマラのガバナーズキャンプから北北西に進出したところにあるヴィクトリア湖岸にある空港です。当時はGPSもありませんでしたが、その代わり人間の第六感は研ぎ澄まされますから、場所探し、危険退避はそれほど問題ではなく、未知の土地に行くことは楽しみでした。どんな所だろうという思いです。電話が鳴っています。次回に続きを。
2007/04/12
コメント(0)
前回の日記を書いていて思い出しました。1979年頃紅茶の輸出入会社のボードがマニアラ湖周辺のホテルで開催されました。マニアラ湖のエアストリップはマニアラ湖の端っこの断崖絶壁の上にちょこんと作ってありました。駐機場のスペースが無いので近隣各国からのビジネス機が所狭しと乱雑に止めてあり、滑走路の中間地点には入りきらなかった古色蒼然たるDC3型機がブロックしていました。用心して着陸しましたのでまったく問題はありませんでした。その2年前くらいにケニアとタンザニアが政治的な仲たがいをしました。当時は、タンザニアのンゴロンゴロクレータ、マニアラ湖を周回するサファリがありましたが、運悪くタンザニア領内に着陸サファリを、していたケニアの機体は、タンザニアに拘束されタンザニアに残され、乗員乗客全員タンザニア航空でケニアに帰着した事件がありました。私は会社の社長さんから拘束された機体の状態を見てきてくれと依頼を受けていました。簡易空港に数年放置されたままで外傷は無いようでしたので、帰着時にそのままを報告しましたら、後日整備士、英国系の免許ではお医者さんのような白衣を着て仕事をしているのですが、彼らが派遣され点検後ピロートが機体をケニアに持ち帰ったことがありました。お茶のボードでの飛行も突然、ビジネス機のケニアからタンザニアへの飛行が許可になった結果で、拘束された機体についてもその日までは、詳しい状況が不明なのでしょうか機体の存在、状況を確認するまでは保険金も支払われていない、と聞いていました。てんやわんやの出発でした。ではでは。次回は今までに、もし書いていなければ、ウガンダへの飛行を書きます。
2007/03/27
コメント(0)
日本のような、安全なところのいますと自分のことですが、風邪がひどくなった時、体が痛くて苦しいので、つい、死んでやろうかなんて考えが浮かんできます。アフリカ在住のときは、仕事中に危険なことが多く、一例はタンザニアの国境を超えて、マニアラ湖の、おんぼろ飛行場(当時)に着陸後タンザニアの兵隊さんが私のところに血相変えて来て銃口を突きつけられたことが有ります。オーバーな言いかたをしますと、死と隣り合わせ、背中に死神が張り付いている状態が多く、そんな時はぶるぶる震えながらも何とかして生きようと脳みそが120%全稼動すぐ、逃げ口上を発見したことを思い出して、自分を笑っています。もう十分生き過ぎてしまいましたので、ガンにでもなったときの安楽死の方法を思考中です。いざその時はどうなりますか。ではでは。
2007/03/18
コメント(0)
新聞のニュースは遅いので困っていました。反面パソコンニュースは早いので助かります。それに記者の主観が少ないのでほっとします。それに無料が良いですね。実際、周りでも購読を止めている方が増えています。テレビもありませんしパソコンが頼りで生活しています。ライフワークとして操縦士の卵を育ててみたいと思いまして、就職活動もパソコンで済ませていますし、今はベトナムで働けたらいいなと考えて、ベトナムの会社情報を集めています。ボランティア活動であれば、もしかしたらあるのではないかと思っています。ベトナムの新聞就職情報がありましたらお教え下さい。ではでは。
2007/03/06
コメント(0)
日本人を観察していますと、アフリカにいる、ヌー(牛カモシカ)によく似ていると思ってしまいます。何故かと言いますと、肉食獣に狙われ、襲われたとき襲われた仲間を見捨ててしまうのです。そして傍観しています。これでは日本女性であっても、日本の男性に魅力を感じるはずもありません。例え自分が刑務所に入る運命が待ち受けていても、自分の名誉を守るという自分なりの哲学が必要に思います。刑務所に入った自分を助けたはずの女性が逃げたとしても諦めて自分の責任とする、潔さを求められています。この点一旦友人となったエゲレス原住民、ヨーロッパ系のエゲレス人ですが、助けてくれます。私も助けてもらいました。アフリカの動物で言いますと、バッファローでしょうか。この結果私は、エゲレス系英語国民は、信用できると自分を信じています。日本人の若い男性諸氏も内に秘めた哲学をお持ちになると、モテモテになるかも。ではでは。
2007/02/20
コメント(0)
2月5日6日と空中防除の作業前訓練に東京へリポートに行ってきました。いつもの事ながら訓練とか査察試験は緊張します。勉強も段々苦手になってきましたし、直ぐ忘れちゃうんですね。今のところ自分に名前だけは覚えています。ヘリコブタは見る見る飛行が主体ですが、その見ながら飛行すること自体も、いろんな空港が出来て年々制約が厳しくなってきています。将来ですが農薬の変わりに”酢”を散布して防除しようかという案もあるようです。お米も食べる為でなく、アルコール燃料として使うために栽培しようとする案もあるようですし時代は着実に変わってきています。願わくば若い人に夢の持てる業界で居てほしいと思いますが、それも難しい現状です。飛行少年を目指す方はこれからは外地へ目を向ける方が早いかもしれませんね。
2007/02/07
コメント(0)
やっと自由人になれる日なのでうれしいはずなのですが、生き続けるには経済が必要なので、物価の安い外国暮らしも考えています。なんとかは、するのが人間ですが、のほほんと生きてみたいものです。先日近所で日本人とブラジル人の口論するところに出くわしたのでじっと見ていましたら日本人が謝っていました。ふーん、変な国ですね。外地では、こんな風景があると現地の人間がすぐ集まってきます。日本で日本人が危ないという風景は将来不安です。ではでは。
2007/01/20
コメント(0)
格差が激しくなってきますと、購買力が落ちてきて結局大企業にも売り上げ低下という形で不況の波が降りかかるように思えます。20代から40代までの収入は派遣社員パート社員であっても正社員と同じにしないと日本国内で内需が下がってきて、やがて日本も東南アジア型輸出産業へと、50年前の日本に戻って、メリケンこけたら皆こけたにならないか心配してます。ではでは。
2007/01/05
コメント(0)
丁度、メリケンでの事故のニュースと重なったのでしょうかその後進展しませんけれど。何かをやりたいといって、行動できることは、歓迎です。わが社の甚六も、フリーターのままですが、何をしたいのかさっぱりわかりません。出るのはため息のみ。じじい(自分のことです)のため息ほど色気の無いものはありません。ではでは。
2006/12/25
コメント(0)
先日友人を通して、20代の操縦士希望者に外国で安く訓練して欲しいという連絡がありました。日本の代理店のことを聞きましたらひどく高い費用のようです。理由はよくわかりませんが、代理店の費用よりはるかに安く済みそうだという話になりました。本人に会って相談してみた上で相手の方の判断になりますが、私としては実費プラス1日3万円の学科教授費用でどうかと言っておきました。実技の飛行訓練は飛行学校の規則で難しいと思いますので必要があれば後席に乗ってみてもよいので状況によっては日本語で何とかなります。ただ、一人では費用対効果がよくないので最低2人は欲しいところです。それにしても、代理店はずいぶん儲かる感じですね。ではでは。IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/53/0000170453/57/img8257dd2azik2zj.jpeg" width="256" height="248" alt="落っこちる">
2006/12/19
コメント(0)
先日友人宅でテレビを見ていましたら、女性ビジネスキャスターが上場企業は業績が大幅にアップしたので今年のボーナス商戦の伸びが楽しみだと言っていました。既得権のある会社の中にいる人は、ボーナスのもらえない人達が見えないんだなと、テレビの中の意見も二極化を感じました。その時その場にいた参加者にはフリーターらしい人はお呼びでなく、国立大学教授、一部上場企業幹部であり、日本人でもその他大多数のボーナスをもらえない人達の意見感想は、聞く予定も無いようでした。これでは経済感覚も庶民感覚とかけ離れてるなという感じです。若い世代のワーキングプアの割合を減らしていかなければ、このままでは、可処分所得の中で年末商戦で買い物をしようとする人の割合が減少するように思うのです。特に30代40代の人達の正社員化を図っていかないと、生活安定できない分、少子化対策といっても、公務員様のような、食べられる人の机上プランで役に立たないままで、終わってしまうでしょう。若い世代も政治に参加し自分達の世代に有利になるように立ち振る舞う必要がありそうです。ではでは。
2006/12/07
コメント(0)
エアラインに勤務する友人から聞いた話です。最近日本のエアラインで働いている外国人パイロットが、香港とかシンガポールとか自分の本国の航空会社にトラバーユ?ですか?しているそうです。他人を気にしなくてはいけない文化は疲れますし、重箱の隅をつつくような些細なことを大事と思う文化には抵抗を感じるようです。明確に言えば、楽しい職場環境かうんざりする職場なのかですね。同じ位の収入であれば楽しい方に行くに決まっています。自分の経験からも日本人であっても、日本はお金を稼ぐところ、長期滞在許可とか障害はいくつかありますが、楽しむ人生は日本以外の国と思っています。日本人でもお金のある人、若くてガッツのある人は日本を離れています。悲しいこことですが事実です。日本丸の沈没がないことを願っています。次回はワーキングプアについて書いてみたいと思います。ではでは。
2006/12/03
コメント(0)
GM、07年の中国販売台数は15%超の増加 北京16日米自動車大手メーカー、ゼネラル・モーターズ(GM)の中国担当責任者は16日、2007年のGMの中国での販売台数が15%以上増加するとの見通しを明らかにした。 GMチャイナのプレジデント兼マネジングディレクター、ケビン・ウェイル氏は、中国の自動車市場全体は来年、10─15%のペースで拡大すると指摘。「当社は市場より速いスピードで成長する」と述べた。(ロイター) - 11月16日14時33分更新30年前,20代後半の生意気盛りのワタクシは、勿論外国かぶれの嫌なやつでありまして、エゲレスのモーリスマリーナ2000ccに乗ってました。ところが、当時のアフリカの道路面状況が悪くガタガタ道であっという間にショックアブソーバが、いかれてしまい、車に関して悟りを開きました。うーん、ガタガタ道は日本車だなと。ではでは。
2006/11/16
コメント(0)
いろんな日があります。楽しい人生の日苦しい人生の日。自由自由と言うことは簡単ですが自由を実行し自由を継続しようとするには、かなり世間体を無視する自分の意志と、更に更にもっと365日食べて行く経済がないと出来ません。私の場合はキャベツをポン酢につけて食べられるコストで何とかなります。日本人の場合、村社会文化の延長戦であり、村八分を人々は恐れ秩序を保っているように私には思えるのです。(これも必要ではあります。)勤め人になっても会社の秩序という名目で村八分にされることがよくあります。後の2分は自分の家族の葬式と自分の家の火事応援は仲間に入れてもらえるそうです。いりませんけどね。翻って外国人、ヨーロッパ人日本人を除いたアジア人とも、他人の迷惑顧みず自分の利益のみを言い立ててきます。これは宴会の席でも同じように他人を気にしませんから心から楽しめるみたいです。私達もあまり生真面目な人は人生を楽しめませんよ。多少日本で言う無責任になりましょう。程度問題ではありますが。ではでは。子供の自殺ニュースを見て。
2006/11/10
コメント(0)
イングリッシュとスコティッシュが論争をしています。そこへアイリッシュが加わりました。そうすると論争をしていたイングリッシュとスコティッシュが協力してアイリッシュを論破しようとしています。そこへフランス人が論争に加わりました。今度はイングリッシュとスコティッシュとアイリッシュがわれわれはブリティッシュだといい始めフランス人を論破しようとします。今度はその場にトルコ人が加わりました。そうするとどうでしょう、ブリティッシュもフランス人も我々はヨーロッパ人だといいはじめました。最後に日本人の私がその場に出くわしました。ヨーロッパ人とトルコ人はまじまじと私の顔をみて、僕ちゃんたち日本人とは目鼻立ちが違うもんねと、のたまいました。かくして私はケニア国ナイロビでの採用試験面接で不首尾に終わったことを思い出しました。日中韓国対北朝鮮とニュースでは見えますけれど実際は中韓北朝鮮 対日本のではないのでしょうか?メリケン人も好きではありませんが、消去法で行くとメリケン人と仲良い振りをすることも必要なのでしょうね。仕方ないところでしょうか?うーん人間というものは、顔も大事ですね。生きるということもつらいですね!!!ではでは。
2006/10/23
コメント(0)
今日の記事です。強盗への発砲で「市に貢献」=高齢女性を表彰-ブラジル・リオ【サンパウロ19日時事】凶悪犯罪が多発するブラジル・リオデジャネイロの市議会は19日までに、強盗に発砲して負傷させた高齢者の女性に対し、「市史に重要な功績を残した」としてメダルを授与することを決めた。地元メディアなどが伝えた。 この女性はマリアドラ・アルベクスさん(67)。7日朝、犬を連れてフラメンゴ海岸を散歩していたところ、近づいてきた男に財布と携帯電話を奪われそうになった。アルベクスさんはとっさに持っていた38口径の拳銃を取り出して発砲。弾は男の腕に当たり、男は間もなく逮捕された。ただ、銃は違法所持だったため、アルベクスさんも公判を待つ身となったという。私見ですがブラジルでの老婦人の裁判は執行猶予が付く等極めて軽度な判決になるでしょう。日本では自分を守るために武器使用しますとかなりの重刑で刑務所行きを覚悟する必要があります。おかしな国です。半身不随になったり死亡した後ではどうにもならないのにです。私ももう少し年を取って、おかしな国に戻ってきた場合は同じ??準備をします。
2006/10/19
コメント(0)
昨日は国家資格に伴う身体検査に神戸に行っていました。1年1回ですがこれがまた厄介なのです。経年変化でパーツが老巧化してまいりますと、不整脈といいまして心臓が時々止まったり死臭が漂ってきまして若い人に嫌われるのです。時にこういう不具合で身体検査にパスしない人が出てきます。私も数年前まではしたことがなかったのですが、最近は検査前に野菜人間となって体調を調整し、野菜中毒の結果ウサギかねずみのような顔になるまで待って検査を受けています。早く外地に住む身分になりたくてうずうずしています。今までマレーシアに長期滞在したことがありましたので将来の貧乏よれよれ生活の場をマレーシアと考えていましたがベトナムへ観光旅行で参りましてベトナムもいいなと考えるようになりました。ではでは。
2006/10/07
コメント(0)
地元の人の話です。土地家屋の値段が日本並みというのは本当でしょうかね?にわかに信じられないようなことを言っていました。私の計算違いかもしれません。もしべらぼうに高いことが事実とすればベトナムに3カ月でも長期滞在するときに竹の家を作ろうかと思っていましたが、計画倒れです。しかし悩んでいれば何かずるっこい知恵が湧いてくるものです。それにしてもベトナムの魚で作った醤油はくせが無くて、食事がおいしく食べられます。反面中国のお醤油は香料がきつく私には無理でしたね。ではでは。
2006/10/05
コメント(0)
こちらは身構えてベトナムへ行きましたが着いてみると日本人女性観光客が多いのでびっくりしました。こちらの旅情報では、警官を含めて危険と出ていましたので、身構えていきましたけれど、日本人女性の多いことを含めて改めて驚いています。ちょうど数十年前内戦状態にあったソマリアの海岸にメリケン海兵隊が暗闇の夜明け前に上陸したところ、いきなりたくさんの外国人取材人が点灯した取材用ライト、カメラフラッシュに照らされて海兵隊員たちが、戸惑っているシーンがテレビ映像に映っていましたが、ちょうど同じ感覚でしょうね。気負ってきたことがアー恥ずかしい。ではでは。
2006/10/03
コメント(0)
ベトナム人と言うよりサイゴン人の特徴は庶民はたくましいという点では中国人とあまり変わりませんが、少し上のクラス?になると日本人の感覚に近いように感じました。遠慮するのです。それに意見は控えめのようですね。勿論我々よりしっかりしているようですがそれにしても中国人のような攻撃性(すみません、感じたまま)は控えめの感じです。市場に行きましても静かなのです。中国人米国人とは避けて通れるものならハイハローと言って避けて通りたいという感覚がありますが、ベトナム人とは、もう少し様子を見てもよいかなという感じがしています。
2006/09/29
コメント(0)
今回職探しと近い将来経済的最低生活を送る国としてベトナムへ行ってきました。危険な国ということでしたが、拍子抜けしました。用心しながらですが夜も歩けるのです。今回はホーチミン市とその近辺であまり期待をしないで行きました。しかし自分の心の中で住んでみたい国へと評価が変わりました。その理由は、請う次回。ではでは。
2006/09/29
コメント(0)
日本で次の職が見つからないので、この18日からベトナム、ホーチミン市へ行って様子を見てくることにしました。生活費が安いようであれば採算が取れるかもしれません。外国で仕事して生活するのは、私の年齢では大変です。しかしホーチミン市で、ごろごろするだけでしたら、私にも出来るかもしれないと思っています。どうすれば、みみっちく出来るのか、それも楽しみです。現地で、ぼこぼこにされないように気をつけて参りますが、どうなりますか。職がありそで、ウッフン。なさそで、ウッフンという状態でして、良くこんな情報もって来たよと、知人の友情に泣いています。ではでは。
2006/09/15
コメント(0)
天皇が朝鮮半島から来たと思っている人は結構多いのですね。このプログに、百済系は九州へ、新羅系は出雲にという説明を頂きました。なるほどこう考えるとありうるなと思いますし自然ですね。卑弥呼はこういう勢力に滅ぼされたのでしょうね。古代史の謎を解いていただきたいものです。興味津々です。そういえば、15年位前ですか当時の宮沢大蔵大臣がトチ狂ったように国家経済の崩壊した韓国に日本一国だけで100億ドル貸し付けたというお金、返してもらったのでしょうか?それとも、今日本で大流行のネコババを誰かがしたのでしょうか?この謎も知りたいところです。ご存知の方ございましたらお教え下さいませませ。日本が反対に韓国からお金を借りたことが、あれば感謝することはあれ、他国を誹ることは無いのですが国民性は100年たっても変わらないということを本で読んだことがありますが事実のようですね。ではでは。
2006/09/04
コメント(0)
出張中に隠された日本史?という題名の本を読みました。要旨はエゲレスの場合、対岸にあるオフランスのノルマンディーに荘園領土のあるノルマン人領主の侵略を受けフランス人にエゲレス南部が占領され現在に至る。英仏戦争の引き金もノルマンディーに荘園領土があるノルマン人領主の土地財産が奪われそうになったことでフランスへ出征、戦争勃発とあります。ニツポンの場合も古代史にありますように天皇が朝鮮に出かけて百済を助けたが、とうとう任那の日本府という領土を失ったとあります。エゲレスのノルマン人と同じく天皇家は元々は百済出身と考えるのが自然なんでしょうね。そういえば宮内庁は、”天皇は古来から日本人”と言い張るばかりで古墳調査をさせません。既得権である宮内庁公務員の職を失う恐れがあるからかなと考えてしまいます。今必死になってNHK民放とも韓国ドラマの真っ盛り、日本の支配層の天皇制を守ろうとする意思表示かなと思っています。何かいいことあるのかな?そうとすれば、百済人?である天皇家を祭る靖国神社。なんだか不思議なめぐり合わせです。ちなみに私は、のほほん人です。
2006/08/30
コメント(2)
例年ですがいつも、今頃に空中散布の仕事が終了します。その間は出張で家に帰れないのです。そのため同業者の中には家にタマタマ帰ってみたら他の男性が居たこともあるようです。わが社も似たようなものです。それはそうとして散布現場では激変が起こっていまして今年限りで来年からラジコンヘリコプターでするといわれています。経費は3倍かかりますがそのほうがよいのでしょうかねえ。いずれにせよ、来年の契約は風前の灯です。 外国で働く手もありますが、給料が安いのでこれも困ります。為替のレートで1メリケンドルが200円を越えたら価値が出てきます。ではでは。
2006/08/26
コメント(1)
おたおたして、飛んでましたが5分飛行すれば慣れてきました。筋肉は偉大です。体が覚えているのですね。過重状態で飛ぶものですから、機体もあえぎながら飛んでいます。機体がプッツンと来ましたら、落っこちてタンコブを作るなと思いながら仕事を始めました。ではでは。
2006/06/15
コメント(0)
昨日はサークルの会合があって吉良観光ホテルへ行ってきました。このあたりは吉良上野介、尾崎四郎、吉良の似吉等々歴史散策の街並みがあり、時間を見つけていろいろ見てきました。吉良の殿様は地元では評判が良いことをご存知でしょうか。風光明媚ですし静かなところです。道順は、名古屋から23号を東方向、豊橋方向へ進み西尾東インターで降りますと後はサインボードに従って所要約1時間です。名鉄電車で行く場合は吉良駅下車との事です。現在、散布の仕事が始まっており、この日記を書くことも中々大変になってきました。
2006/05/22
コメント(0)
未来があると思うと苦しくなるので未来は無いと思うことも必要でしょう。そこから始まると刑務所に行って3食食べることもビジネスになることでしょう。かく言う私も、ボンベイ空港でイミグレの係員にイチャモンをつけられましたが金を払う意思が無かったので直ぐ拘束され、心中、これは何ヶ月かぶち込まれるかなと覚悟しました。アフリカ、タンザニアで無実の旅行者が半年間刑務所暮らしをした例を私は知っています。このときも、ついに自分に来たかと覚悟しましたが金で解決しようとは思いませんでした。この時も空港内の一般人に見えるように準備体操をしながら相手の反応を探っていました。結局こちらの覚悟を見抜いたように翌日開放されましたが、英語ではしごかれていますから、法廷になれば裁判官相手に喋ってやろうとは思っていました。でも裁判が開かれるかどうかも分からないのです。その不安が無いだけ日本では刑務所所暮らしも楽ちんかなと、思っています。自分と家族を守る武器を保持して戦う準備が今の日本人に求められています。いざとなれば家族のため自分のために敵と戦い、刑務所に行きましょう。
2006/05/10
コメント(0)
書こうと思いながら筆が前に出ません。
2006/05/10
コメント(0)
昔あった実話です。戦前派全盛の頃、今は潰れてしまった某日本農林ヘリコプターのあるピロートが南西諸島(沖縄)に農薬散布で行った時散布の合間の日曜日、島の人たちを集めて遊覧飛行をしてお金を稼いだそうです。燃料の管理は大まかな時代ですから、会社の保管しているドラム缶を使って飛行しお金は自分達で山分けしたとかしないとか聞き及びます。昔は豪傑が多かったのです。ついでに拳骨も振り回すものですから若かりし頃の私たち訓練生は拳骨の被害を受け顔が腫れたこともありました。ではでは。
2006/04/20
コメント(1)

尾道へ行きまして大和ロケセットを見学してきました。尾道大橋(古いほうの橋)を渡り5分で目的地の日立造船内にあるロケセットにたどり着きます。これからいかれる方もあると思いますので、映画撮影者の表現する実寸大と言うところはぼかしておきます。大和の建造につきましては壮大な無駄使いとか、いろんな意見もありますが、人間が生活する上でも無駄が無ければギクシャクするところもありますしね。それより怖いのはヨーロッパの哲学者の言った誇りの無い民族は滅ぶというところです。日本民族に誇りがありますように。 C:\Documents and Settings\Owner\My Documents\My Pictures\yamato.jpg
2006/04/11
コメント(0)
取りあえず、一歩前進しました。捜査当局へ提出する書類を作っている時に、昔、カナダ人パイロットに言われたことをふと思い出しました。書類の確認をネイティブスピーカーに見てもらい感想を聞いたところ、よく理解できる文章だしかし我々はこういう表現をしないと言われて、愕然としそれから気を取り直して、使えればいいじゃないと開き直りました。いろいろ勉強させてもらって感謝です。皆様もどうぞ注意してください。世の中変な人が居ますね。ではでは。
2006/03/31
コメント(0)
クックック!!!嬉しくなります。我輩も有名人の仲間に入れてくれたのかと。サンキュウー。さてどうやってこいつらを苛めてやるか?時間差で2通来てます。一通はオーストラリアクインズランドからもう一通はバンクバーから。一つの方法はエゲレス系であればCID(criminal invesigation devision)というセクションがあります。詐欺等重犯罪専門のセクションです。とりあえず、メール連絡します。詐欺犯の方、もしこのページをご覧になっていれば、相談に応じます。無料ではないですよ。ではでは。
2006/03/30
コメント(1)
先日愛知県で71歳の老人が犯罪者に長期間強請られた挙句殺され海に投げ込まれた事件の判決がありました。この老人と犯罪者の接触点は仕組まれた交通事故。この後ずっと恐喝が始まったようです。一過性の恐怖と長期間の恐怖ですね。中国人の友人に聞きました。この場合どうするかと。自分の死は考えないそうです。準備して犯罪相手の死の選択をするとの事。やっぱりです。一般的に外国生活者は同じ思考形態のようです。その結果、3食付別荘も運命と諦めるとの事でした。警察も受け付けてくれない以上、仕方ありませんね。では。では。
2006/03/23
コメント(0)
アミン大統領がトチ狂って、タンザニアに戦争を仕掛けたことがあります。我々の予想通りアミンさんがタンザニアのニエレレ大統領に追い出されました。そのアミン大統領の宮殿の冷蔵庫には政敵の生首が陳列してあったとか。その当時、我々ケニア在住者が困ったことはその戦争時の銃器がマーケットにあふれ出て、治安が非常に悪くなったときがありました。私たちも自衛のためピストルを持つことを考えました。そうしたかどうかは秘密です。例え非合法でも、自分の身は自分で守って、最悪相手の犯罪者を殺しても、ケニアの法律解釈は我々、納税市民の味方です。日本のように法律の金属的解釈をして過剰防衛で刑務所行きにはならないのです。日本ではどうやら外国人のほうが我々納税者よりも優先権があるような感じがします。裁判に於いても筋肉弛緩剤事件の守屋?被告本当に犯人なのって思いです。そういう点で日本では自分の身を守ることさえも命がけです。困りますね。ではでは。
2006/03/22
コメント(0)
昔々、ケニアに来ていたナイジェリア人パイロットがケニアに来た理由は、日常生活を脅(おびや)かされたからでした。ある日彼が仕事から帰り家でくつろいでいた時、一本の電話がかかりました。”明日の夜、お前の家に行くからカギをはずして、家から出てゆけ、という強盗団からの電話でした。警察も頼れ無い状態のその国では犯罪は当たり前、働くものが馬鹿を見る世の中だったとのこと。現在の日本でも架空請求、090-金融、組織犯罪の犯す事件について、法律の運用も、犯罪者にとって採算の合うことなので幾らでも再発しています。警察に届けても庶民では、受け付けても、もらえません。税金払っているのにね。そうすると、我々日本人の出来ることも、かってのケニアに来ていたナイジェリア人パイロットがしていたように、比較的安全な外国に移住するか、安全を高めるために外国に長期滞在することしかなさそうです。どこの国へ頼って行くか私は決めています。皆さんは、ハイテンション国家?日本での暮らしに、身の回りの危険を感じませんか?ではでは。
2006/03/15
コメント(0)
日本には輸出品も少なく、唐行きさんと呼ばれる女性たちが、海を渡ってゆきました。私も東マレーシアにあるコタキナバルというボルネオ島の東端の町を経由して、山崎豊子さんの小説で知られるサンダカンに行って来ました。こちらの海は日本からのダイバーにも人気のスポットだとの事。サンダカンにある唐行きさんの墓から海を見ますと小説を読んだことがある所為か何やら九州の九十九諸島の景色を見ているようでした。嫌々きたのですからこの人たちは、さぞ日本に帰りたかったことでしょう。同じような唐行きさんは実はアフリカ、タンザニア国の北東に位置するザンジバル島にも居たようです。何回かザンジバルに仕事で行った時に聞いた土地の人の話です。海と空の鮮やかな蒼さと悲しい話は中々両立しませんが事実です。
2006/03/08
コメント(0)
ソマリ人ケニア人(たくさんの種族はありますが)どこの家庭へ行っても母親を大事にしています。大人になっても母親が怒ると子供はうろたえています。日本は安全すぎて親も子もお互いに不在であっても生きて行けるのでしょう。動物園で生まれた子供が親から育児放棄されることがあるようにです。ケニアに生活は苦しいことが多いように思います。外国から派遣されてケニアに仕事に来ている人の意見とは違うかも。典型的な例ですが、ソマリ国境の町(少し距離はありますけど)のラムーでは子供は街の子という感じで、悪さをすれば爺様ばばさまから怒鳴られています。反面どこの子供でも大事に可愛がられている感じがして、ほほえましく感じていました。日本の子供はこれからどこへ行くのでしょうか?
2006/02/28
コメント(0)
今年は何とか空中散布再契約を頂き、散布作業前訓練に行ってきました。昨年8月以降飛んでないので、いろんな緊急訓練事項を忘れています。訓練に先駆けてのお勉強がこの年になりますと大変です。見た目は若く見えるとの事ですが実像が追いつかないのです。非常に残念ではありますが現実を見つめないと悲劇になります。とはいっても悲観することはありません。年を取っている分、ずる賢くなっていますので、やりくりできるものです。訓練前は緊張の連続ですが訓練が終りますと矢でも鉄砲でも持って来いですね。ではでは。
2006/02/21
コメント(0)
アフリカはヨーロッパ人にとって避寒地になっています。この為ヨーロッパの旅行会社は先に旅行してください、支払いは後で良いですという事を30年前からしていました。アフリカンサファリクラブというゼブラマークの大型旅客機、ホテル旅行会社のワンセットの会社では飛行機の燃料を中東のドバイで積んで燃料費を節約していました。ブルハン社長率いるあるケニアの貨物飛行機会社が当時ボーイング707型機、当時でも燃費が悪いので機体価格は安いのですが時代遅れになりつつある飛行機を使って貨物を運んでいました。ある時計器飛行のためのルート承認を管制塔から貰っていましたが、普通5000フィート毎分上昇できる性能がありますのに、操縦士は駄目だ毎分200フィート(約70メートル)しか上昇できないと言っていました。賢明なる皆様はピーンとくると思いますが積めるだけ積んでるんですね。象でも積んでるんじゃないでしょうか。なんでこんなんが許可になるかと言いますと、アフリカでパイロットになれる人は日本でいう薩長土肥の部族長の一族が多いのです。王族の一員なのです。島津ブルハン社長とでも言いましょうか。我々がヒーヒー唸っている時でも彼らが一言言えばフリーパスなんです。経済観念もここまで来ますと欲のツッパリになりますね。困っちゃいます。
2006/02/09
コメント(0)
マサイマラ公園にあるガバナーズキャンプのエアストリップから離陸中、右エンジンの出力が上がらずまっすぐ滑走できないんです。エンジン振動も出てきて、右にカーブして、おかしいと思った時には簡易滑走路の右端から草原に草刈作業をする一歩手前でした。速度計をチラッと見て、1発動機故障時の臨界速度(離陸必要速度)に達していましたので本能的にエアボーンしました。その後出力が無いものですから、しばらくはふらふらしながら飛んでました。草原の表面もなだらかに凸凹していますのでぽつんぽつんと立っている草原の木に注意しながら飛行していました。こういう状態の時には速度をぎりぎりにして高度を獲得することという大型機でのデータはあるのですが我々は小型機の経験則から先ず速度が大事と知っていますので進路前面にある一番高い木に向かって突っ込んでゆきました。お陰で少し速度が取れて操縦の反応が出てきましたので気持ちに余裕が持てる状態になりました。それを見計らったようにインド人パイロットのミナーズ、彼はその頃チーフパイロットをしていましたが、彼が右エンジンから煙と手短に無線を通して話しかけてくれましたので、はっと原因に気付きました。多分排気タービンのダクトが外れていると。そっと右エンジンの燃料混合レバーを引いてゆきますと振動も消え左右エンジンのバランスが取れるようになりました。100%の馬力とは行かないのですが何とか客を連れてモンバサに1000キロを飛んで帰れる状態に戻りました。ナイロビが近いのですがバックアップを考えてモンバサにしたのです。皆さんエンジンの調子にはどうぞお気を付けください。ちなみにミナーズは現在UAEでじゃぼんジェットの機長をしています。彼は操縦がうまかったことを覚えています。
2006/02/03
コメント(0)

クライストチャーチに住んでいるデイルワイリーという友人に、呼んでもらって行きました。アウトドアライフが大好きな人で家族共々2輪車ライダー(モトクロスと言うのでしょうか)やウインドサーフィンもありの、人生を存分に楽しんでいました。呼んでくれた御礼にご家族の方を食事に招待しました。彼にどこか良いとこ知ってますかと聞きましたが、行ったことがないという答えでした。エゲレス系の人に良くあります。彼らは極めて質素で正に質実剛健をマイウエイで生きている人が実に多いのです。その為でしょうか彼らを見ていますと戦争に強い民族のように感じました。長期の緊張に耐えられる民族のようです。クライストチャーチの街そのものは観光ルートを除き物価も安くある日本人の若者は月5万円で生活できると言っておりましたが、赤い灯青い灯の刺激も無く、とても私ごときが住める所ではないと実感して帰国しました。
2006/01/24
コメント(0)
全85件 (85件中 1-50件目)


