2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全7件 (7件中 1-7件目)
1

土日たっぷり休んだ私は、月曜日はまだ疲れ知らずで、夜の散歩に走った走った。内心ダイエットに燃えぽっこりお腹の引き締めが目標時々休憩して雪を食べるグレートを引っ張って二の腕の引き締め土曜日は午前中ママさんバレーに行って来た。しかもグレートも連れ。仲間の子ども達にグレートと遊ばせて散歩やふれあいの仕方をついでに教えてあげた。グレートをウマみたいだと言ってました午後は父が入院する病院へというのもたまたまバレーの体育館の下に病院があった病院側の駐車場に行くと森を挟んで体育館。急いでお見舞いに移動したので、さっきの森をちょっと歩いてみました入院中の父は犬好きなので、グレート連れの方がアニマルセラピー的意味合いで、もっと元気になってくれたらと思い連れて来てみたものの話だけで、病院の中には入れませんでした。下に見えるのが父のいる病院。東北の腎臓や泌尿器系の疾患は、ここに患者が紹介されて集まります。 父の見舞いに付き合ってくれたご褒美に 今日も走ったしブラッシングも。グレートがいるから人もボケ防止と優しさで心もケア
2008.01.28
コメント(8)

グレートの散歩をしながら鳥を撮影もしかしてこれってオナガ以前は簡単にみかけた鳥も そういえば見かけなくなった。季節も関係あるのかもしれないし 鳥に興味が出てきたことも関係あるかもデジカメで取り合えず撮ったのをパソコンで大きくしてみて う~ん コサギ?昨日獣医さんにピレは10歳を過ぎると耳や目が悪くなり 凶暴化する子もいると。凶暴化はボケも原因だったりと。初期には脳の活性化に良く効くお薬があるからと。でもピレの高齢はこの重さもあって大変よ・・・という話をされ、うちのグレちゃんに限ってそんな凶暴になんて・・・・と言わなかったが、心配でボケ予防には犬はどうしますか?と尋ねると、刺激を与えたり、散歩をしたりなどと教わりそれで鳥見 ちょっと遠いけどそんな親心は 全く気がついてないグレートは のん気にまずは オシッコ?白鳥がいっぱい 結構人懐っこい感じで グレートがいても逃げるどころか、近寄ってきましたここはユアスタの近くの公園 身近に飛んで来てたことにちっとも気がつかないでいました
2008.01.27
コメント(6)

昨日の夜から東北地方は大荒れ今朝は覚悟で早起きしてグレート散歩も暗いうちから行きました 時期に明るくなってきたので カメラの設定を変えISOを高くすると朝陽の色も入ってきますグレートはこの雪を食べるのが好き。きれいきたない関係なくなめて 食べます この新鮮な雪も 夜になると道路からは消えていました。でも会社帰りに暖かい長靴と毛糸の帽子と雪かき用のスコップで 雪かきセットグッツ一式買ってきました大雪の猛吹雪の時はやっぱブーツじゃダメ。スノーシューズも雪が積りすぎてるとこは雪が入ってダメ。やっぱり 長靴が1番。靴底と周囲にスポンジが入って完全防備明日は雪かきじゃ
2008.01.25
コメント(10)

グレートが血尿・・・・たしか1昨年前もあった。その時は、もう膀胱がんかと思って動物病院で涙ぐんだが、獣医の先生から膀胱炎の方が多いからと励まされた。今回もそうかなと抗生物質を頂き落着いて、ホッとしたのもつかの間 私の父が入院をした。父は定年後心筋梗塞、脳塞栓、癌と3大成人病で内視鏡での手術を数回受けている私も若い時は毎日仕事帰りに付き添いに通い 介護の講習の実技にもなったけど今は 私自身に以前ほどの体力がないそれどころか私は 睡眠時またてんかんの発作を起こしてた何か心配なことや 疲労が重なると発作になるわずかながら舌をかんでいる この1週間は どこか疲労してて なんとなく不安であったまるで発作後の自信のない気分をどこか感じ取っていた。そこで家族に 休ませてくれるようお願いしたものの、み~んな知らん振りの我家。発作後にグレートの散歩の交渉をしてみても、これもダメでした。単身赴任の夫から子ども達へ お母さんのお手伝いをするようメールしてもらってもダメ。我家は相変わらず 私の病気は病気と思ってないとこが 素晴らしいあまり言い過ぎても子どもを不安がらせてしまうので 1度いってもダメな時は諦めるすると案の定下の息子は 本日発熱のため学校を休む 私が仕事から帰ってきて 3歳の子どもに接するように家での様子を聞いて熱を確かめる。どうやら1日で大丈夫のようで明日からまた 朝連の部活出られるようである結局 働き盛りの私が頑張るしかないのかぁ。おちおち病気してられないようになってるのだろうか。そんなこと病院で報告したらまた叱られて仕舞いかねない。今日は寒かったです。大寒、霜柱が立ってました グレートの散歩は私でした 山茶花が咲いていました
2008.01.21
コメント(12)

てんかんは一生自己管理しながらお付き合いしなければならない疾患なので、私自身がどんな風に付き合いたいか、私が決めてもいいのではないか・・・・と勝手に思っております。 てんかんの発作そのもでは睡眠時に発作があったりと、万全な健康ではありませんが私が気にしてるのは 発作ではなく脳全体の状態とか体全身の状態でそのことに関してはしっかりチェックして行きたいです。本日病院であの精神障害者手帳用の診断書をもらいに、後任のお医者様にお会いし書いて頂ました。行った時には既に出来上がっていて貰うだけの状態で おそらく前回と同じように書かれたのだと思います。初めての先生にも私の希望は できればお薬の治療による副作用で生活の質が下がるのを避けたいことや手術治療後の今後の漠然とした不安でできれば同じ前任者のお医者さんに継続して看ていただきたいことなどを話しました。「伝えてみます」とおっしゃってくれたものの 笑っておられました私も初対面のお医者さまに 前のお医者さんの方に・・・・・といきなり希望をいうのもぉぉ~いかがなものか・・・・・と思いながらお願いしてみました。私のことだからと、いうのも てんかん協会から届いた冊子『波1月号』に他の方も書いてあったのですが手術痕・・・傷痕などほとんど無いに等しいのですが(不思議でしょハゲてないのよ) こう寒い日は傷が疼くとまではいかないのですが 切った部位が漠然と解かる感じ。 当然神経が通っているので 感じて当り前なのですが 何も感じてない左側に比べると奥歯をかみ締めてるような イズサ(東北の方言) 瘢痕に違和感それを痛く感じてる他の患者さんもいることが、てんかん協会の今月号に掲載されており複数いることを知りました。その他に 発作の形で私と同じで その時だけ周囲の雰囲気がなんとなく違う感じがする感覚発作と呼ばれる 本人の感覚性の症状のものも紹介されており 私だけでないんだなぁ~と一人で同じだ~と納得しながら読んでおりましたというのも、ばったり倒れることだけがてんかんと 思ってるのは実は一般人だけでなく お医者さまたちも同じで てんかんに係わる専門職とよばるかたたちも 理解されてないかたたちはたくさんおります。なのでてんかんだから、全て危険で 仕事は無理 とか思われてる企業や学校 けしてそうではないのです。私のことだけいえば、手術前はこの感覚発作がほとんどで、睡眠時の発作が5~10年に1度あったかどうかというものでした。それが手術で感覚発作は消失したみたいですただ気にしてるのが その素となった海綿状血管腫 今後できたりしないかとか 他の疾患に罹患しないか 長い経過観察が必要かと思うので 通院もできれば 気負わず 地道に。 だって いつも 注意されたり 怒られるの もうこりごり結構病気以外の 素行で主治医には注意というより 教わった気がしてますその例に もっと静かに歩いたら~、みたいな注意あったし 女性は存在感が無いくらいの方がいい 普段は静かにして本当にいいたい時 強く出た方がより効果的な話ができるから 威張るんじゃない・・・・みたいな、結構きっつ=いアドバイス受けたこともあったそのプラスアルファ~の対応が魅力だったかな 普通の仕事を持つ人として 見てくれてたとこが良かったのだが 再びそういう関係を初めから築いていく気力がもうないのです元気・勇気・やる気、ものごと何か達成させるには 3つの気がありさえすればと偶然病院の待合室のテレビでやっていた。この3つがあっても成し得ない時 4つめの気 時期 が必要。この4つの気が夢を現実にするもの と。てんかんとの向き合い方、それが一生続く・・・・となるのなら元気・勇気・やる気を持って 私らしく 通院の日が 楽しみになれたいいかぁって、どうでしょ。グレート寝てた グレートったらすっごい寝相
2008.01.16
コメント(18)

障害者には、行政から各種サービスが受けられる福祉手帳がある。各いう私も障害者手帳を申請し取り寄せた。2年間有効なのでその間、税金等が割り引かれていたと思う。その更新の手続きに病院に電話をすると、私の主治医は病院を辞められていた・・・・主治医は最後までどこに行くとか、いつからという話は一切しなかった。私はてっきり東京あたりかと思っていたらDr.Sの行ったとこは、沖縄の離島・・・しかも移住・・・・いま石垣島はバブルころ同様の急激な発展がみられ、移住ブームにわく。田舎暮らしに憧れ移り住む人でいっぱいだという。土地が高騰し、マンションが次々に建ち地元の人も道に迷いそうだという、くらい日々変化 私びっくりしたとしか、いいようのない主治医の移住。どこまでも続く青い空と海、のんびりとした風景、本土と時差もある。私の従兄も、ヒッチハイクのすえ沖縄にたどり着き石垣に永住してるその従兄が、新聞に脳外科医が東北から来たと載ってると、教えてくれた。 私もそんな夢みたいなとこ、移り住んでみたい、せめて観光に行ってみたいこれじゃほんとにDr.Sのストーカーになってしまう。私にできることは、携帯とパソコンの待ちうけ画面をDr.Sの写真に変え、お元気で頑張って下さいと、ここからそっと祈るくらい・・・・Dr.Sって、沖縄県人みたいな情熱的な濃い顔つきで、目鼻立ちがクッキリハッキリ系。従兄が変わりに診断書取りに行ってあげようかというが、もちろん断った。困った、誰に診断書書いてもらおうか、医者によっては書いてくれないし、書いてもらっても審査が通らない内容だったり、診断書は一度市役所で受付られ県で審査される。もしダメとなると、障害者雇用枠を使って就職したので、会社側の対応が不安。聞いてみないといけない。精神疾患での障害者手帳は、知的障害者や身体障害者と違ってずっと適用になるものではなく、2年ごとに更新の手続きを取らなくてはならない いいなぁ~、主治医は今頃温暖な気候で、25度近くもある部屋でゆったりしてるのかもしれない。夏だって33度以上にはならないって京都や山形の方が石垣より暑いらしい。主治医は沖縄県民か。すごいなぁ 先生の生き方に敬服離島や僻地で 自分の腕一つで脳疾患に苦しむ人を救おうとする 先生。先生にしかできないことだと思う仙台青葉山神社
2008.01.09
コメント(12)

年末年始ちょっと風邪気味・・・・お腹の調子がすこぶる悪く休みに入ると夫が戻って来ていたので、お掃除は主人が。私は静かに寝ていたかったのですが仕方な~くお正月の用意。だって久々に家族5人が揃うので 郷土のお正月料理を娘に伝授せねば・・・母親がぐ~たらしてると、娘も息子もみ~んな昼まで寝てるお正月でした。グレートの散歩は朝も夜もお父さん。よく働きましたお腹の調子が回復したのは年明け、仕事が始まってから。でもこの辺になるとストレスが溜まってたのか、不規則な生活が悪かったのか新年早々睡眠時に発作を起こしました。その日はパソコンで夜中写真の編集など朝方までして、寝入りばな1時間半くらい。隣で寝ていた主人が気が着き「発作だ」と起こされました前日主人と、てんかんの発作について今まで言えなかった患者の気持ちについて語っていました。発作そのものより、発作を起こしたという喪失感や挫折感、そして孤独感の方がもっと惨めで悲しい・・・・と私は教えました。その恐怖はまるで子どもの時、たった一人でお留守番をさせられた時、夕方になり薄暗くなって来る心細さ。一人で寝る時天井の節目がお化けに見える恐さ、幽霊っていないと解かっていてもお化けの話は、子どもの心に得体の知れない恐怖としていつまでも脳裏に過ぎる、あの恐さに似ている・・・・と。そこまで話していたせいか、隣の主人は、発作直後の私をとても心配そうに気使いました「今、発作だったぞ。久々に見た、どこか痛い所ないか?頭は痛くないか?どうだ?」と。私「え、発作起こしたの?どうだった、どうなったの?そういえば、右の背中と右の腿の付け根が痛い。手術した頭もどこを切除したか解かる感じがする・・・・」夫「発作はいつもと同じ。5分くらいあったように感じたけど、実際はそんなに無かったのかもしれない。応急措置として横を向かせようとしたけど、突っ張ってて横に出来なかった・・・脳って痛さを感じないとテレビでいってたけど手術したとこ痛いのか?」と。いつもだと、私一人で目を覚ますことが多い中今回は主人にあれこれ尋ねられ、慰められていつもほどの、孤独感を抱かないで済みました・・・・そして割と冷静に自分を客観視し余計な恐怖心をあまり持つことなく済みました。でも、おそらくお正月や長期の連休となると、精神的にも肉体的にも追い詰められると発作として体が悲鳴をあげるのではと、おおよそ予測はしてました・・・・でも実際に起こると、やっぱり私は病人なんだなと 思い知らされます。新年早々なんともいえないスタートです。確か昨年も同じことがありましたでももう主人は単身赴任先に帰りましたので、朝夕のグレートの散歩は私が始動休みの間楽させてもらったので今日からグレートと二人でまた走り出しましたみなさんどうぞ引かないで下さい。結構デリケートなんで直ぐ胃腸にくるし、そんな時病気を振り返すことがありますがそんな自分とうまく向き合いながら折り合いを付けて行くしかないのかなと思います。
2008.01.07
コメント(8)
全7件 (7件中 1-7件目)
1

