濫読屋雑記

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2006年09月29日
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前回、「 最近一寸嵌まった漫画、其の壱 小だまたけし さんの『 平成イリュージョン 』(宙出版、2004年12月)を取り上げてみたのですが、その記事のコメントに



どうやって。


との当ブログの常連、 KKC さんからの質問があったので、 その質問に答えるついでに、ちょっと私の妄想も交えて 、この『 平成イリュージョン の舞台となっている世界に関する事象などについて語っていきたいと思います

平成イリュージョン




では、 問題の「日満同盟」は果たして上手くいったのか? というか、そのようなことが出来る情勢にあったのか?という問いかけに関して、 私は「可能性があった」と答えます

まず、歴史の教科書でお馴染みのリットン調査団のお話から始めましょう。このリットン調査団とは国際連盟から派遣された英国人のリットン卿を団長として英・米・仏・独・伊の各国の代表5名の調査団の事を指します。調査団は満州事変調査のために、1932年の2月から9月にかけて満州で調査を行い、10月に「リットン報告書」という形で調査内容を国際連盟に報告しました。この報告書内容を不服として大日本帝国は国際連盟を離脱する事になるのですが、では、この「リットン報告書」の内容をみなさんはご存知でしょうか?

実はこの「リットン報告書」では満州事変は「日本の正当な防衛行動ではない」として「満州国も満州人の自発的な独立運動に非ず」と報告しているのです。ここまでは、日本の国際連盟離脱の要因として学校でも習った方もいらっしゃるかもしれませんが 報告書ではこの後に、これまで日本が満州に持っていた特殊権益、東清鉄道とその沿線の領有、炭鉱などの鉱山や製鉄所などの工業施設に関する日本の権益は丸々これを認め、その上で日中間における新しい満州に関する新条約を締結するように提案する、という内容だったのです

ちなみに、満州国は昭和7年(1932)3月に建国を宣言、清朝最後の皇帝溥儀を執政として(翌年、帝政を施行するにあたり皇帝になります)、首都を現在の長春、当時は新京と呼称していました、に置きました。首脳部は満州にゆかりのある人間でしたが、その下の実際に政務を執り行う官僚は日本人が多数を占め、挙句に「 内面指導 」という形で 露骨に軍部が政治に介入する形で満州国を「経営」していました 。その「 内面指導 」を表立って指揮していたのが後の首相、東条英機や 戦後総理大臣となり、現在の首相閣下の祖父にも当たる満州国産業部次長岸信介だった訳なのです

石原莞爾 のような 「満人のための、満人による満人の」国家建設の理念を抱いて「五族協和」を旗印に一応、崇高な理念 を持った方々もいらっしゃったのですが、そのような理想主義者は関東軍と革新官僚(統制経済を推し進める考えを持った官僚のことだと一応ご理解下さい)によって駆逐されてしまい、結局、関東軍が満州国を陰から支配するという構造が出来上がってしまったのです。

ところが、 この関東軍と革新官僚、それから新興財閥などの手によって行われた「内面指導」が満州国では大成功してしまうのです 。農業・工業生産力は劇的に向上し、治安は安定、保健衛生制度は都市部では日本国内並み(日本国内の農村部よりも上!)という状態になってしまい、その噂を聞いて満州国以外の中国本土(万里の長城以南の漢人)や朝鮮半島で苦しめられていた朝鮮人たちが続々と移民してきて(当然、日本からも満蒙開拓団が東北地方などの貧しい地域の次男以下の財産を持っていない人々を対象に編成され、移住していきました。しかし、この開拓団は現地、満州の人々が開拓した耕作地を奪う形で進められたので、当然、反感が発生しました)人口は増大。そして大連や長春などは日本からやってきた新進気鋭の若手技術官僚の手により当時としては「完璧」な都市計画が立案・施行され、その町並みは現在でも見ることが出来る位、素晴らしいものでした。当時の大連などは日本本土の大都市、東京や横浜、大坂や神戸よりも最先端の技術力を駆使して作られた「都会」だったのです。

とまあ、こんな感じで日本人の満州経営は上手くいっていましたし、外交面でも満州国内政の話から時は溯りますがリットン調査団の報告書による昭和7年(1932)10月の国際連盟理事会での日本の撤兵勧告、そして翌年2月の総会での対日勧告案の採択後、3月の日本の国際連合脱退の通告後も、ワシントン条約によって作られた「ワシントン体制」は条約執行後の1936年まで維持されていますし、1935年には第2次ロンドン海軍軍縮会議が開かれるなど、対欧米外交面では満州事変はさほどの影響を与えなかったのです。元々、満州は日本の権益地として欧米列強からも認められていましたし、 中国側でさえ昭和8年(1933)5月の塘沽(タンクー)停戦協定により国民党政府と日本軍が停戦し、この時国民政府は満州国を黙認してしまったのぐらいなのです

そのような状況なので、もし軍部の「内面指導」が上手に革新官僚や新興財閥に代表されるような財界人の手に渡り、また、日本側が満州国の政治体制を上手に「満州人」の手に委譲していけば、満州国が関東軍の傀儡ではないある程度の自治権を有する体制まで持っていければ、対等の形での「日満同盟」は可能ではなかったのではないかと妄想するわけなのです。

実際に、この時満州で活躍した官僚やら財界人・企業は戦後日本へ引き上げて来てから日本の産業を焦土から復興させる吉田内閣下で設置された経済安定本部の要員(公職追放を免れた中堅官僚以下の面々)や、傾斜生産方式での重点工業の担い手として活躍しているのです。そして、サンフランシスコ講和条約で公職追放が解けた面々が高度経済成長を支え、今日の日本があるというわけです。

そのようなお話に興味がある方は、深田祐介氏の『 大東亜会議の真実 』(PHP研究所、2004年)や小林英夫先生の『 満州と自民党 』(新潮社、2005年)を読まれると良いと思います。

大東亜会議の真実 満州と自民党


何だか、書き進めていくうちに脈絡のない話になりましたが、 このお話で重要な点は、満州国建国に関しては、ナチスドイツのヒトラーがドイツの再軍備やラインラント進駐、オーストリア併合を行ったように、外交面では特段の影響を与えなかったことです 。むしろ、 同じ昭和7年(1932)1月に満州事変勃発による排日運動の激化と、それに便乗した日本側の工作とされる日本人僧侶殺害事件に端を発する上海事変の方が欧米列強に与えた衝撃が大きくて (なぜなら上海周辺や長江流域には欧米列強の権益が多数存在していたからです)、 そちらの方が「日本が中国本土に野心がある」との警戒感を欧米列強に植えつけた感があるのです

まぁ、この他にも「謀略」によるアジア地域の植民地の独立についても触れてみようかな、と思ったのですが、満州国ひとつでこの有様ですから、頭の変な熱が冷めるまで 、『 平成イリュージョン の世界観、とくに外交に関する事には触れないようにしておきたいと思います 今度は、憲兵について書いてみる予定ですので、飽きずにお付き合い下さい





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最終更新日  2006年09月30日 00時27分29秒
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