サリエリの独り言日記

サリエリの独り言日記

2020.07.27
XML
カテゴリ: エレクトーンの日
思想あるいは思考が立ち昇る


 「産安」という表題は、創造の困難と孤独を、妊婦さんの生みの苦しみに仮託したものとも言われますが、何しろ古典本曲というのは江戸時代以来の伝承音楽なので、いろいろいわくありげな物語が、あとからくっついたようなのが多い。先に取り上げた「鶴の巣籠」も、いかにも鶴の鳴き声を連想させる響きがあるし、有名な「鹿の遠音」という本曲も、琴古流などだと鹿の求愛を模したような奏法が現れる。
 しかし、かといってそれらの音楽が、ズバリ「鶴」とか「鹿」を表現しているのかと言えば、もちろんそんなことはない。それらは表現の起点ではあっても、それらが伝えようとするところは、もっとはるか彼方、司馬さん流に言えば、坂の上の雲のように仰ぎ見て、それをつかもうとして追っかけても、ついに届かない(届きようのない)彼岸のようなものを指し示そうとするのです。

 蛇足かもしれませんが、起点が「鶴」だの「鹿」だのというのは、それら生き物が人の歌心を刺激するから取り上げられるわけで、早い話「猿の遠音」とか「熊の巣籠」ではやはり具合が悪いでしょう。マーラーが「大地の歌」で猿の鳴き声を取り入れましたが、それは猿の叫喚が十九世紀末ウィーンのデカダンな雰囲気を表すのにピッタリだったからで、たんなるエキゾチシズムで取り入れたわけではありません。
 現代芸術は音楽にかぎらず、多かれ少なかれ前時代の素材では、新鮮な美の起点が見出せず、いろいろ変わったものが登場する時代なので、例えば便器を逆さまに置いたオブジェが出て来たりもする。こうなると歴史的経緯は分かっていても、こちらの賞味力が相当タフでないと、到底ついていけないという仕儀となります。
 一時風靡した「前衛音楽」が、今どき全く顧みられなくなったのは、受け手側の賞玩力がついていけなくなったというのもあるかもしれないけれど、何よりも作り手側の「絵心」「歌心」の減衰が、今の景況を招いているのではないか?武満が晩年、前衛から調性音楽へ移行したのは、何やら示唆的ですね。

 ところでこの横山勝也という人、その自己に厳しくストイックな求道性は、学生時代の私にとってほとんど偶像でしたが、同時に「これは、とてもかなわんわい」という存在でもありました。この場合の「かなわん」とは、こうした求道性に深入りした場合の危険と覚悟は、とても自分には持てないという意味です。私の友人知人にも、何人か高い志を目指した人がいましたが、なかなか苦労されてるようですね。
 私は幸か不幸か、前にも言いましたが、ごく初めに自身の分というものを、痛いほどを知らされてしまったので、ただただこういう人たちを遠くから、ひそかに眺めることになってしまいました。

 これは個人的な好みですが、私はどちらかというと、華やかで明朗な音色の都山流よりも、いささか枯淡な感触のする琴古流が好きで、なかでも青木静夫の枯れた中にも、洗練されたキレを交えた演奏のファンでした。それが横山勝也の普化宗系尺八とはまた違った形で、西欧楽器のどれともなじまない、独自の音色と奏法を持っていると思ったからです。この人の動画で 奥州薩慈(おうしゅうさし)
 民謡らしいモティーフを基にしながら、虚無僧的な求心性よりも、どことなく乾いた都会的な洒脱を私など感じてしまう。

 最近は洋楽器のようにスタイリッシュな演奏を聴かせる、注目すべき若い尺八ミュージシャンたちも現れているようですが、その多様な試みと一般への普及の努力は認めつつ、果たしてそれでいいのかという不安もよぎります。これらの人たちのテクニックと音色は特筆もので、なんだか和洋の音色にずうっと囚われている、こっちがバカみたいに思えてくる。とはいえ、そうした若い一群から寄田さんのような才能が生まれてきたのですから、すそ野が広がっていくのは、やはり良いことなのでしょう。
 その寄田さんの演奏で、古典本曲「 鹿の遠音 」を聴いてみてください。

 先にインテルメッツォ101.で取り上げた「鶴の巣籠」と並ぶ古典本曲の代表で、意のある尺八吹きなら一度は挑戦したいと思う曲でしょう。寄田さんの演奏は例によって、古伝その他のあらゆる技法を駆使しつつも、過度に求心的にならない。サラリとは言わないけれど、破裂やムラ息の後に残る弱音を際立たせるために、これらは駆使されているのではないか、という気さえしてしまいました。
 したがって、本曲尺八を聴いたあとの「疲れた感」が全然しないというか、むしろ何度でも聴き返したいという清々しい気分にさせられるのです。これって、なかなか大事なことなのではないかしらん。「それが、それぞれの持ち味というもんだろう」という声が聞こえてきそうですが、私は多分そういうカテゴリーを踏み越えた「何物か」なんだろうという気が、これはする。
 昔、T.S.エリオットというアメリカ生まれの英国詩人が、詩を読むことを「思想をバラのように嗅ぐ」という言い方をしましたが、横山、青木、寄田とこの三人の演奏からは、言葉からではない、しかし確固と自立した「思想あるいは思考が立ち昇っている」のです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2020.07.27 20:04:55
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

Calendar

Archives

2026.06
2026.05
2026.04
2026.03
2026.02

Profile

TNサリエリ

TNサリエリ

Comments

TNサリエリ @ Re[1]:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) ナガノさんへ  コメントいただき、ありが…
ナガノ@ Re:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) 2年遅れで、この文章を読んで泣けてしまっ…
TNサリエリ@ ふたたび、コメントありがとうございます。 cocolateさんへ 私自身、彼女の演奏に刺激…
cocolate@ Re:エレクトーンというガラパゴス 1.(06/17) 再びおじゃまします。 826askaさんのYouT…
cocolateさんへ@ コメントありがとうございます。 三年ほど前に826asukaさんのことを知り、…

Favorite Blog

まだ登録されていません

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: