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■ドラマの登場人物の他に一番気になっていたのは毎日タイトルバックの中盤あたりに見かけるミニチュアの女の子の姿だった。その動きは色鮮やかな都会のネオンをバックに誰かを探しているようにも、何かを伝えようとしているようにも見え、その彼女の心細さのようなものがこちらの胸をいつもざわざわさせた。主演女優はもちろん、脇役陣も新旧含めて好演が光ったドラマの中で私の一押しはこの名前のない女の子だ。■連続テレビ小説というのがこの枠のドラマの正式名称だが、小説にしろ、ドラマにしろ、自分の心に響く描写が数多く存在していれば嬉しいと感じる私にはこの半年間は十分至福の時間だった。そこにはもちろん、辻褄とか整合性がなくてはならないけれど、必ずしも全ての事象が解決されなくてはならないものではない。■最後に回収されたのがすずふり亭に預けておいた重箱だったというのは暗示的である。あの場にいた人たちは誰もあえてその箱を開けてみて、その隅をつついたり、ほじくったりすることは一切しなかった。■「あまちゃん」同様、音楽の力もこのドラマの推進力に一役買った。ひょうたん島から涙くんまで一貫して家族で歌われたのは脱涙という主張。でもそれを歌うから泣いてしまうという人間賛歌でもある。個人的には夜の裏天広場でヤスハルの歌った三部作「バラが咲いた」「この広い野原いっぱい」「空に星があるように」が胸に残った。■今日この最終回を見終った後、「あまちゃん」「カーネーション」の最終話を見返してみた。三作品共通しているのは、原点に返るという様式(「ひよっこ」ではみね子、時子、三男の頑張っぺポーズ・「あまちゃん」では北三陸線の開通式(そこにも有村架純!)・そして「カーネーション」では第1回の冒頭シーンの復元!)であり、タイトルバックの終盤への移行である。■終盤流れたクレジットではそこに映っている画面の情報量(担任津田寛治も登場!)によって見落としがちだが、再度録画で確認すると、有村架純の役名が前田みね子に、和久井映見のそれが牧野愛子になっていた。そしてあのミニチュアの女の子はいつの間にかこの物語から退場していた。PS●せっかく増田明美に語り手を任せたのなら物語の途中、ペース配分に気をつけてという忠告くらいはして欲しかったところだ。でも無事完走は良しとしよう。そして最後くらい彼女のクレジットに役名イチコと表記しても良かったのでは。最後に有村架純が語りかけていた相手は間違いなくあの人形だった。
2017/09/30
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■ナポリタンはあばずれの食べ物だと言ったのは「あまちゃん」の小泉今日子だったが、あかね荘でそれを食べる面々が皆そう見えるかと言えば、そんなことはない。澄子のそれは普通盛りの二倍の量で、そのあおりを受けて一皿を分け合うことになった二人組もいた。■好きなものは先に食べるか、後に食べるか談義は「カルテット」の高橋一生による唐揚げにレモン講座の様な深遠な人生論には発展せず、富さんがただ単にウインナーを食べたかっただけの話として受け止められる。ただし突然奪われたそれを再びがぶっと横取りした菅野美穂の仕草には何かしらを仄めかした効果もないわけではなかった。■上京するみね子に古谷一行が渡した一万円札には「北の国から」の例の泥がついたそれのイメージが付きまとうが、みね子にはそれを純の様に自分の宝物として大切にしまっておくというこだわりはないようだ。それを渡した爺ちゃんもまた将来それが自分の交通費として使われることになるとは思ってもみなかったはずだ。■澄子の祖母問題は明るすぎる最終週の唯一のシリアス路線への突破口にも見えたが、それに対して深入りする気配は全くなく、あかね荘への彼女と豊子の転居のきっかけ作りの挿話に聞こえたに過ぎない。喋りや姿勢にあまり変化は感じないが、澄子が確実に垢ぬけて見えるのはこの女優の露出が多くなってきた証拠でもある。■人参の皮むきをしながらプロポーズする男性が世界中でどのくらいいるのか知らないが、そこで涙が流れてもその野菜のせいにはできない分、玉ねぎよりも率直である。もちろんその時いつものようにふたりの手は止まっている。そしてそれを立ち聞きしている者も、盗み見している者も今回は(増田明美以外は)いない。■今までに家族そろって歌合戦に出場したいという気持ちになったことはないが、何かを残すためにそれに出てみたいという事情を持った家族がいるからそういう番組が成立するわけだ。どんな家族ですかと訊かれ、自慢の家族ですと答えるカメラ目線の先にはどんな視聴者がいるのか彼にはわかっている。それを見て泣いてしまうのは家族に恵まれない者だけではない。
2017/09/29
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■どうやら本当に全部なかったことにしてしまうらしい。今夜谷田部家にはかなりたくさんの人たちが集まったけれど、誰も出稼ぎに行った父が行方不明になり、大女優の家に囲われていたことを話題にする者はいない。■もしもこの席に藤野涼子がいれば、こんなのは偽善だとひとり立ち上がるかもしれない。場の空気なんか読むことなく、こんなのは本当のハッピーエンドなんかじゃねぇ、何か間違ってますと声をあげていたかもしれない。■かつて沢村一樹はその事を木村佳乃に打ち明けようとした。いつか訊く、でも今は訊かないとあの時、彼女は言った。でもそのいつかは明日か明後日ではないもっともっと遠くの日になることだろう。■そんな打ち明け話を聞かせてもらえない分、私たちには不満が残るのだが、聞いたところで拍子抜けするのかもしれない。毎日花に水をやっていました。毎日仕事の愚痴を聞かされていました。毎日漢字の練習に付き合っていました。そこには何の同情も憤りも生まれない。■みね子も敢えてその質問はしない。ただ私が東京に行かなければ、私がすずふり亭で働いていなければ、川本世津子と出会うことはなかったし、父に行き当たることもなかった。彼を取り戻したのは彼女の手柄だったことは間違いない。家族みんなのありがとうにはそんな意味も込められている。
2017/09/28
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■一日に三歩進めるなら、二歩下がる必要はないじゃないか。そんな子供の指摘に大人になったみね子はこう答えるのだろうか。どんどん前に進んでいくだけでは見えない景色も一旦後ろに下がれば見えてくることだってあるんだよ。いや、本音を言えば半年間156話を毎日三歩ずつ進んでいったら50年くらいすぐ経ってしまうからだ。■車掌さんがいなくなりワンマンになったバス(日野自動車ならぬ、ひよ自動車!)で帰郷する。乗客もまたワンマンでお喋りの相手はマイク越しの運転手小太郎さんだ。そうか、次郎さんは村長に立候補したのか。やがては国政に打って出てシンゴジラと対峙する日が来るんだな。■バスで旅立つ誰かを走りながら見送る誰かというのはドラマではよくある光景だが、戻ってくる誰かを走って迎えに来る誰かという描き方は新鮮に映る。あの子たちにはみね子にどうしても見せたいものがあったのだろう。■超遠景で撮られたバスを降りた3人があの道を走っていくシーンにあふれる郷愁はただものではない。たった数秒で回収される様々なエピソードの性急さの対極にあるこの長閑な風景描写はとても同じ物語には見えない。■ここにきてあかね荘の空き部屋問題はより深刻である。打開策はふたつ。ひとつは狸型ロボットが大当たりした漫画家に影響され、その道を志す若者たちが大挙してそこに乗り込んでくる。その後その中のひとりは裏庭に突然現れた天使、茜ちゃんを主人公にしてちびまる子ちゃんをヒットさせる。■もうひとつの可能性は大女優川本世津子を真似て、大挙して女優たちが隠れ家としてこのアパートに押し寄せてくる。周囲には口の軽い者もいないわけではないが、セキュリティーは万全。入り口には人間セコム富さんがいる。■最終週にしてここを退場していく人たちを中心にハグが大流行である。女性同士だけでなく、男性同士も、恋人たちも、父と娘もそうやって感情を分かち合う。でもひとりだけその輪には加わらないものがいる。ヤスハル、君こそ昭和の男だよ。
2017/09/27
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■抱かれてみたいロックミュージシャンは誰かという視点で見れば、コレクターズの古市さんという人選はそのライブを体験した者であればあり得る話である。彼の場合はドラマーではなくギタリストであるが。(和久井映見のおいらはドラマー?というツッコミには笑った)ステージと裏庭という場のギャップはあるにせよ、その胸に飛び込んでいきたくなるのはファン心理(または一部の女心)でもある。■漫画家をあかね荘の住人にしたのはトキワ荘からの連想だったのだろう。そして都合よく彼らにみね子を主人公とした物語を描かせることによってストーリーの補強を目論んでいたわけだが、結局その成功は「恋のひよっこ」というメインストーリーではなく、未来から来た狸型ロボットというオチで終わった。どうせならこの際もうひとり赤塚不二夫的な人物をこのアパートに住まわせてこの物語の結末を描かせ「これでいいのだ」なんて言葉で絞めて欲しかった。■プロの回収屋というものがいれば、ごくごく短時間でそこらにとり散らかった様々なものを跡形もなく片付けてしまうことができるだろう。彼もしくは彼女が帰った後にはそこにあったものは一切なくなり、そこで誰が何をしていたのかという形跡も記憶もすべて無かったものにしまう。■プロの整理整頓屋というものがもし存在していたら、やはりごくごく短時間でそこらにとり散らかった色んなものを、あれはこのタンス、あれはこのカバン、あれはこの箱の中というように見た目も鮮やかに綺麗に収めてくれるのではないか。そうすれば忘れていたもの(すずふり亭の重箱とか爺さんの一万円札とか)もちゃんと確認できるし、思い出したくないもの(有田焼のネックレスとかふかふかのスリッパとか)は鍵でも掛けて封印することだってできる。■あと数回を残すだけになったが、成功していく者の数が増えれば増えるほど、忘れられてしまうものの数がそれに比例して増えていくような気がする。結局私は「捨てる」より「仕舞う」ドラマが見たいのだと思う。
2017/09/26
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■最終週にして満を持してのメイン・ディレクター黒崎博演出。最序盤の奥茨城編を撮ったこの演出家はあの頃このドラマがこんな結末を迎えることになることを想像していたのだろうか。■これだけあらゆる登場人物に幸せをつかませる物語は滅多にない。まるでやけくそのように彼と彼女をくっつけ、その周辺の者に感激の涙を流させる。これはドラマにおけるある種の挑戦のようにも見える。■佐々木蔵之介のVサイン(二番手上等)の流れからこの三男と米子の恋の成就は必然であると感じていた。それでも毎回この安部米店のシーンは伊藤沙莉の言動行動とそれを受け止める泉澤祐希の芝居に見とれてしまう。■彼女がキス魔だということ(あくまで役の上でね)は去年の松岡茉優との深夜ドラマで承知してはいたが、あのタイミングで彼の唇を奪うとは。その後の彼女が発したごちそうさまは同じような名前の過去の朝ドラからすずふり亭の新メニューをも連想させる。■一瞬だけ亭主関白となった三男の男気が彼女をうんとしおらしく見せ、目をつむって抱き合うタイミングで斉藤暁の父親(安部善三は安倍晋三に似ている)と入れかわる。ふかふかで気持ち良いと言わせた後、目を開けるとそこには父親がいる。■凡百の脚本ならそこで派手なリアクションを描くところだが、彼女と彼にさせるのがちょっと気まずい照れ笑いなのが良い。とどめは全く面白くないパン粉のオチで、それが笑えない分、泣くしかなくなってしまう感情操作がなされるわけだ。■この分でいくと、シシドカフカの彼がなぜか突然現れ、由香とヤスハルもなぜか結ばれ、漫画家の連載はなぜか本決まりになり、元治とラーメン屋の娘さえなぜかうまくいってしまうかもしれない。そして川本世津子だけはなぜか昔の出来事を語ろうとはしない。■そんな「なぜか」の説明に命を懸ける脚本もある。それでもなぜかの大洪水であるこの物語の結末からなぜか目が離せない。それは全ての人に幸せが訪れるドラマというものが一体最後にはそれを普段はあまり感じたことのない私たちにどんな後味を残すのかということを確認してみたいからではないか。PSすずふり亭の新メニュー、私もすこっち食べてみたい。三男に対抗したわけではないが、思いついちゃって誰かに言いたくてしょうがない気持ちは同じだ。ただ私は三男の様に純粋な青年では決してない。(つづく)
2017/09/25
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■2日間にわたる先攻・和久井映見、後攻・佐々木蔵之介による恋愛攻防戦は白熱した展開を経て無事引き分けに終わり、観客5人の号泣を誘った。立ち聞きないし盗み聞きという手法は朝ドラのみならずドラマ内の常套手段でその内容如何によっては視聴する者のもらい泣きをより誘発するという効果もある。■私が知る限り、その効果を最も有効に発揮したのは全盛期の倉本ドラマにおいてであったことが多い。たとえば「前略おふくろ様」で大滝秀治が桃井かおりに若かりし頃の自分と妻の話をするシーンを立ち聞きしていた川谷拓三。たとえば「北の国から・遺言」で地井武男がやがて亡くなる妻に新居を見せるシーンに立ち会ってしまった布施博。そんな彼らのくしゃくしゃの顔を見てこちらもまた同じ顔になったものだ。■2番じゃいけないんですか、と声を張り上げたのは元民進党代表だったが、最高というわけではないがその次であるというポジションは決して不名誉なものなんかではない。ピースサインがその意味だったという所には意表を突かれたが、相手には歴然とした一番がいるのだとわかっているということは気持ちの上では楽なのかもしれない。だから気分はピースなんだ。■佐々木蔵之介の話にうたれたところは亡き妻とは見合い結婚だったゆえ、ロマンスと呼べるものはほとんどなかったが、どんどんどんどん好きになっていったという部分で、昨今このドラマ内のあちらこちらに飛び交う「好き」「大好き」の洪水の中、本物の「好き」の迫力を感じさせるエピソードだった。■幸せは伝染(うつ)るというのはけだし名言だが、その分量や熱量はそれを受け止める側の捉え方感じ方によって様々である。またその幸せという定義を疑う者もあれば、それを妬む者もいる。向田邦子の作品の中にそのものずばり「幸福」というドラマがあった。そこには明朗で温和な雰囲気は一切なくひりひりとした感触だけが支配していた。優れた幸福論はどれだけ不幸が身に沁みるかによって決まる。このドラマの決着が薄々感じとられた今、2番でいいんですという言い訳だけは聞きたくない。
2017/09/23
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■踊り出しましたか。どうやらヒロインの恋愛成就という課題が最大のクライマックスということではないようだ。昨日の大好きから冒頭の動く恋ダンスへ、増田明美からも見放されたように、このふたりの学芸会が拡散する幸せオーラは名作を期待してここまで見ていた視聴者との距離感をまた少し伸ばした。■当時(昭和40年代前半)NHKでは「ジェスチャー」という番組があった。比較的長い文章を言葉を使わず身体の動きだけで相手に伝えあうというゲーム。たとえば「これから内巻きパーマの女性とこの店のシェフが何だか深刻な話をする気配がするから一緒に見に行こう」ということを伝えるために島崎遥香はあのような伝え方をするわけだ。■その誘いにのったのはなぜか急にそこに集まってきた女性ばかり5人。昨日の立聞きは自分の一番聞きたいことを偶然聞いてしまった(そしてその立聞きしてしまったことをみんなに見られてしまった)まるで被害者のようなヒデ君ひとりだったが、今日のそれはその5倍の規模ですずふり亭調理場において行われた。■そのように周りに無言の状況を作ることによって、愛子さんの語る戦争体験は宗男のそれのように切実に聞こえる仕組みになっている。彼女のスターという座から一般人に格下げされた佐々木蔵之介もまた直接その告白を聞くことになる。そして少し離れたところには固唾をのんで耳を澄ましている立聞き5人衆もいる。■カメラ目線で大好きと言われたわけではなかったが、その愛子さんの長い話を受けて、シェフもまたジェスチャーでそれに応える。そのピースサインはたしかに愛子さんには伝わったのだが、立聞きしていた彼女たちにそれが見えたのかどうかはわからない。立聞きと盗み見の違いはそこにある。
2017/09/22
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■まずイチコになり替わって言わせてもらえば、あんなに何度も首をがくがくされたら、いくらなんでもむち打ちになってしまいます。そりゃ、ワンパターンの反応はもって生まれた性だけど、人形にだってたまにはNOと言わせてもらいたい時だってあるんです。■この間、編集者がやってきて漫画家ふたりに要求したのはおそらく今回のようなお話だったのではないでしょうか。いつまでもぐずぐずした主人公を描いていても話が前に進まない。もうこの際、彼女を誰かとくっつけて、とろけるようなラブロマンスにしてしまいなさいと。■その話を受けて彼らは迷うわけですよ。ヒロインは先日真剣な恋にピリオドを打ったばかり。その痛手も冷めぬ間に、新しい恋など描いたものなら、なんとも薄っぺらい物語になってしまうのではないかと。それを描いても傑作にはならない、でも原稿料は欲しい。迷った彼らは身近にいた若者に目をつけます。では彼でいこう。「恋のひよっこ」もやめた。もう「恋のベテラン」でいこう。■ある意味突出した回に見えたのは、そんな彼らの漫画の実写化という態を取ったからだと思います。カット割りもセリフの吹き出しも映像化してみると今回の様になります。しつこいくらいの回想シーンも枚数稼ぎにも見えるし、はなはだオーバーなリアクションもコミックならでは手法です。(終盤のみね子の絶叫型ナレーション「お父さん、盆と正月が・・・」は能年玲奈風味でした)■極めつけは最期のヒロインのカメラ目線です。先日の世津子さん救出作戦のおのおの抜かりなくでも見られた手法ですが、つづくの前の数秒間にあの表情で有村架純に大好きとか言われたら、イノッチみたいな顔になってしまう男心は星の数ほどいたでしょうね。漫画の方はあのカットで終了ですが、本編はまだ数話残っています。ここで一転、まるきり違ったテイストの奥茨城の叙情も描けるこの制作陣の奥の深さに感心しきりですね。と今回は増田明美風味で私も書いてみました。
2017/09/21
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■全快→理解→我流→美人、どんなテーマの漢字練習帳なのか全くわからないが、和久井映見先生が菅野美穂に教授する二文字には彼女の何らかの人生観が含まれていると思われ。にしても美しいという字が読めるけど書けないという女優はほとんどいないと思われ。■ここにきて独身女性の会まで作ってくれ、老若男女(マイナス男)が集まってよもやま話を聞かせてくれる機会をさらに増やしてくれたことに感謝したらいいのかどうか。会話劇の醍醐味には誰が何を語るのかと共に誰が誰に語るのかという側面も含まれる。■たとえば好きな人の母親に好きな人について語ることができるのはこの会員構成あってのことだし、微妙な問題を問い質す際にもズケズケとものを言うタイプの人がその中に含まれていればこその利点もある。でもその根底には常にデリカシーが存在しているわけだけれどね。■和久井映見の3曲目の寝歌(トロイカ・指揮付き)を受けてそれにハーモニーを付けてしまえる菅野美穂の寝合唱には笑ったが、彼女が寝言で口にするセリフ(寝芝居)の可愛さったらない。■一役で牛乳屋の年収分のお金を稼いでしまうという昭和の大女優の話を聞きながら、いよいよこちらも佳境に入った「やすらぎの郷」での大原麗子のエピソードを想う。でもこの川本世津子なら大丈夫だ。彼女の周りにはこんな人たちがいて、彼女がこの先どんな苦境に陥ろうが、ちゃんと暖かいお節介を焼いてくれるに違いない。
2017/09/20
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■せっかく同室になって膝を突き合わせて話をする機会を与えられた有村架純が菅野美穂の決意に対して肯くことも、もちろん微笑むこともできないというがんじがらめの表情をカメラの前でしなければならないという点に同情する。はきはきとした返事や可愛らしい笑顔を取ったらあの娘はあんな顔になる。■川本世津子の口から秘められたあの時間のことが聞けなかったとしたら、永遠に我々にはその事を知ることができないのだろうと思っていたが、雨男・谷田部実の方からそれについて言及する可能性については考えてもみなかった。■全国の女心は固唾をのんで、彼の告白を待ったが、それを直接耳にすることになる谷田部美代子の女心は全力でそれを阻止した。果たしてその秘密は明らかにされることなく、男心も含めた全国の視聴者はため息をつくことになる。■非常に濃厚なラブシーンだった。と言っても身体接触は互いの手のひらでしかないのだが、心の大部分が濃密に愛によって絡み合っていた。巧いのは沢村一樹の一緒に生きてぐれという言葉に対し木村佳乃がよろしくお願いしますと返した後で、実(じつ)はこのやりとりが以前にもあったと告げるシーン。普通はああ言われたらすぐにそのことを指摘してしまうはずだ。■さらに翌朝、奥茨城母の会でその事を3人の女心と共有することでその幸せ感が3倍増する。あそこでその場面が何度再現されたか知らないが、口真似で言う側に回ったり、言われる側に代わったりすることによって、幸せという空気はそこら中にまき散らされ、女心も男心も声をあげて笑い、やがてはなぜか泣き顔になる。それは見ているこっちも同じことだ。
2017/09/19
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■あまちゃんとひよっこが英訳するとほとんど同じ単語になるように、どちらも半人前の主人公が田舎から東京に出て様々な経験をへて成長していく物語であったはずだ。そしてこの時期、前者では主要登場人物たちが北三陸に戻ってきて大円団を迎えようとしていた。■締まらないなと思うのは奥茨城で始まったドラマであれば、やはり奥茨城で終わって欲しいという願望があるからだろう。それだけあの故郷にはもう一度触れてみたい風景があり、もう一度会ってみたい人たちがいる。家族みんなが故郷を捨てて東京に移り住むドラマではないのだから。■主人公が何のために上京したのかはわかった。そこでどんな人たちに巡り合ったのかもわかった。そこでどんなことがあったのかもわかった。そしてその目的のいくつかを果たしたこともわかった。■歴史に残る何かを果たしたヒロインの物語ではない。だから彼女が半年間で成し遂げたことが誰の目にも明らかな何かでなかったとしてもそれはそれでかまわない。つまらない女だと言われようが、若いくせによく頑張ったと言われようが、所詮彼女の日記に付き合っているだけなのだから。■あまちゃんとの決定的な違いはたとえばスナック梨明日とバー月時計のお喋りにある。前者にはたいてい女と男がいて、果てしない妄想や感傷には必ずツッコミを入れる者がいた。エレベーターに5時間閉じ込められた話ならその純情成分は50%絞り出されてしまっていただろう。■一方、月時計での会話のほとんどは女性たちが集まってするそれであり、語る側の気分を一切損ねず、誰もがまるで自分に降りかかった夢の様に自分の身に置き換えてその妄想に追従する。漫画家ふたりでも素面では描けないような5割増しの美形のヒーローを思い浮かべながらね。■たとえば、同じシチュエーションを坂元裕二なら宮藤官九郎ならどう描くか。そんなことを想像しながらシシド・カフカの恋バナとそれを聞いている女たちを見ていた。食い入るようにこのドラマの行く先を案ずるもの以外は画面の隅に映る台風の行方の方に気を取られてしまったとしても無理はない。
2017/09/18
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■工場閉鎖後、町の電気屋さんとして再就職することになるという前提で役名を松下明にしておいたとしか思えない。山田(ヤマダ)明でも小島(コジマ)明でも有効なお遊びだが、昭和42年という時代を考えれば後者ではその意味をなさない。■この舞台役者でもある奥田洋平再登場に感じるのは愛子さんやみね子と同様、あの頃は大変だったけど楽しかったという時間的な懐かしさでもあり、視聴者目線で言えばあの頃の乙女寮におけるドラマの濃密さと愛おしさを思い出させてくれる感傷的な懐かしさでもある。■時子が去ってあかね荘に入居している女性の数がひとり減少したこのタイミングでの部屋割り変更というシシド・カフカの提案。物語の進行に関するドラマ内批評は通常漫画家ふたりの領分であったはずだが、今回はその役目を早苗さんが引き継いだ。■父の失踪という悲しい出来事をなしにするためにはそれに関わった川本世津子さんもまた幸せになっていてくれないと困る。哀しみを乗り越えてそれをなしにすることという大前提で始まったドラマとはいえ、このみね子の大女優に対するスローガンはかなり独善的で多少の違和感をともなうものであることは確かだ。■残り2週となったこのドラマで最後に明かされることになるのはおそらくこの菅野美穂と雨男との関係ということになるのだろう。一体ふたりの間には何があったのか。どうして彼女は彼を元居た場所に戻してあげなかったのか。内容によっては同室になればなったで余計に話しにくくなることだってあるのではないかと思うが。ま、いざとなったらまた無理やり停電にでもすればいいか。●懸案事項一覧(★の数は言及される可能性を表す)・川本世津子と雨男問題(★★★)・みね子とヒデ問題(★★★)・三男と米子問題(★★)・奥茨城での農家存続問題(★★)・シシド・カフカの男性問題(★★★)・愛子さんとシェフ問題(★)・富さんと鈴子さん問題(★)・中華店夫婦の養子問題(★)・漫画家ふたりの「恋のひよっこ」完成成るか(★★)・乙女寮の娘たちの近況(★★)・島谷君の近況( )・綿引君の近況( )あ、由香とヤスハル問題(★)もあった。忘れるところだった。
2017/09/16
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■事務所がつけた和泉真琴という芸名は中性的で明らかに宝塚の男役の匂いがプンプンしている。この先、この女優が日本ドラマ史においてどのような位置を占めるかについては、おそらく詳しく語られることは今後ないと思うが、その本名が助川時子であるというプロフィールが書き替えられることはない。■米屋の店先で繰り広げられる米子から三男に対する圧力はますます迫力を強めている。好きなら好き、嫌いなら嫌いと、はっきりしろと詰め寄られるたび、煮え切らない自分の本心を自問するわけだが、遠くの星を見上げているばかりが自分の生き方であるはずがないとうすうす気づく自分もいる。自分の星は意外に近くに輝いているこの人かもしれない。■かたや休日のすずふり亭のそんなに広くもないテーブルで繰り広げられる他愛もない男女の話は見ようによってはかなり濃密に映る。アドバイスと言われても、ヒデにとっては制服のデザインなどどれも同じように見える。どれが気に入ったかと聞かれれば、みね子と同じポニーテイルの髪型をしたモデルが着ているやつに決まっているじゃないか。■誰が見ても告白と受諾にとれる後半全てを費やしたヒデとみね子の長い長いふたりのシーンをこれはデートのお誘いですねと解説する増田明美のナレーションは完全な蛇足に他ならない。ここはマラソン中継さながら、両者の顔と顔の距離が10センチになりましたねとか、今ちょっと照れましたねとか、そろそろ給水が必要ですねとかの実況中継の方が有効だった。■そんな二組の男女の話を見ながら、思い出したのが山田太一のふぞろいの林檎たち。あのドラマの中で理想的なふたりのように見えた時任三郎と手塚理美のカップルとまるで残りかす(失礼)のように見えた柳沢慎吾と中島唱子のふたり。その後の展開で幸せそうに見えたのは圧倒的に後者の方だった。
2017/09/15
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■時子にとって昨日のリハーサルは何より強い自信になっていた。自分の事をずっと見守ってくれてきた人たちを至近距離にして、堂々と私についてきてと宣言することができたのなら、大勢の見ず知らずの観客に向けて同じ事を繰り返すことの方がどれだけ気楽で安心だっただろう。■比較対照する材料が与えられなかったので、どれだけこの娘が(他と比べて)輝いていたのかは推測するしかないが、リハーサル通りに演じた虚像としての時子は間違いなくカッコよく、スピーチで苦労話なんかしてもしなくてもおじさん(カメラマン)たちのフォーカスを一斉に浴びた。(個人的には8番の彼女もいいセン行っていたと思うが)■かくして時子の夢は果たされ、三男の片思いは終わった。泉澤君の渾身の星のフラメンコの哀しさは格別。かつて米屋の配達の自転車に乗りながらテンポ良く歌った曲が一張羅の背広を着て星になってしまった彼女を見届け、その帰り道歩きながら背中で歌う曲と同じには聞こえない。■昭和のあの頃、私は西郷輝彦のその曲を歌う時、身体の右側で両手を三回叩くタイミングにばかり気を取られて歌詞の意味さえ理解しないままそれを歌った。今日まるでヤスハルがゆっくりアカペラで歌うような泉澤君の歌い出しを聞きながら三男のためにできた曲の様にそれを聞いた。通学バスの中、公園の風船、聖火リレー、途中音程がどこかに行ってしまうのも、声がかすれて歌にならないのも彼がそんなことを思い出しながら心を込めてそれを歌ったからに他ならない。■いつものように星を見上げて、ここにはいない父に向け心の内をつぶやくみね子だが、今夜の星のひとつはスターとなって自分の側からいなくなった時子だ。そこにいた人が突然空高く見上げる存在になってしまった時、ならば私は月になろうくらいの希望と勇気を語る資格がこの主人公にはあってもいいと思う。そう、だから大丈夫にするしかないってことだ。
2017/09/14
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■佐久間由衣にとっては最も緊張した撮影だったと思う。女性たちだけの前でそこにいる女性たち全員から羨望のまなざしで見つめられる存在として自分は見えるのだろうか。ましてや、そこにいる身内の出演者だけでなく全国の女性視聴者からも同様の感想をもたれるだけの被写体として自分は映るのだろうか。■ピンクのミニのワンピースを着てウォーキングの専門家から歩き方を教わり、最も効果的と思われるスピーチ原稿を渡され、ひるまず誇り高くそのフレーズを高らかに宣言する。(非実力派宣言?!)自分でいいのかと思いながら、でもこの自分は自分だけの力でそうなった自分ではなく、周りのみんなの協力と援護があって作られた自分なのだという感謝みたいな気持ちも含めて。■衆議院議員選挙じゃあるまいし、私についてきてと言われても、彼女がどんな世の中にしてくれるかは不明だが、なにやら新しい世界がやってくるような感じもしないではない選挙演説だった。支持者たちは当選確実と浮かれ、本戦の勝利を信じて疑わない。なんせ、応援団はいとしのマックス合唱隊で参謀は天下の大女優だ。■リハーサルを男子禁制で行った理由はいまひとつ理解できないが、おそらく当時の時代背景によるところが大きいのではないか。つまり何らかのイベントが女性だけの力で女性だけのために行われるということに大きな意味があった色んなものが解放される途上の時代だったということではないか。(おそらく、この回の演出も女性ディレクターの手によるものだったのではないか)■外で聞こえるそんな新しい風と音を部屋の中で聞いている富さんの気持ちを想う。地方のお土産と女の人たちの笑い声が大好きな彼女は今、黙ってその声を聴いている。時代が変わる音、女が変わる音。彼女と由香の何やら親密な会話が心に残る。きっとこのふたりには血のつながりがある。■男たちはひとつの場所に閉じ込められる。男同士の会話は女同士のそれのように激しくポンポンとは弾まない。自分がこの物語に占める分量をみんなそれぞれ上乗せしたいと考えてはいるが、誰もが女性たちのそれにはかなわない。■ヤスハルの髪型のモデルはやっぱり荒木一郎だった。いとしのマックスのゴーゴー感がフィットしているのはあの中では光石研と三宅裕司だ。その時それを体験したものとそうではない者との違い。真っ赤なドレスを君に作ってあげたいと男が思っている時、女はもうピンクのミニのワンピースを着たがっていた時代の話だ。
2017/09/13
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■そんなに感動的な自己アピールだったかと言えば、どうなんだろう。私はどちらかと言えばおじさんだが、女子たちの手で回し読みされた時子の描いた文章を読んで(聞いて)も、特に涙腺を刺激されるものはなかった。■みんな身内だから補完している。一緒に奥茨城から出てきた主人公はもちろん、他の女子たちにしても、ここずっと彼女と共に暮らしてきているわけで、拙い文章の背景を見聞きしている分、採点は甘いと思う。■リハーサルには一癖ありそうな由香やズケズケ言ってくれそうな藤野涼子や、最終兵器伊藤沙莉も参加するということでもう少し辛辣な発展的意見が聞ける可能性も無きにしも非ずだが、とんとん拍子にそのまま本戦に駆け上がっていきそうな予感もする。■ここまで有村架純を圧倒的にキラキラと輝くヒロインのように見えなくしているのは常にそのそばにいたこの時子の存在が大きい。並んでいればむしろそっちの方に目が行ってしまう。佐久間由衣は有村架純も霞むような被写体だった。■そのコンテストがどんな審査方法で進行するのかは謎だが、彼女のどこが他より勝り、彼女のどこが女性に受け、彼女のどこに新しさがあるのかを納得できる形で客観的に示して欲しいものだ。ただ、やはり審査員はほとんど男性だと思うがどうか。●富さん、ただの風邪ならいいのだが・・・
2017/09/12
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■プロレスに夢中だった小学生の頃、その競技に裏があるなんてことは全然考えなかった。どんな技も相手にダメージを与え、ロープに飛ばされたらちゃんと相手の所に跳ね返っていき、強いものが勝ち、勝った者が正義になる。■そのフォーマットもセミファイナルは30分1本勝負であり、メインイベントは45分3本勝負。ハラハラドキドキ逆転に次ぐ逆転の結果、それはいつもテレビ中継の時間の中に不思議と収まっていた。■馬場や猪木の前に立ちふさがる外国人レスラーはほとんどが悪い人でタイツの中に凶器を隠し持っていたり(さすがにシェフの写真を隠していた者はいなかったが)、レフリーの言いつけを守らず、傍若無人に悪さの限りを尽くした。しかし彼らは悪人レスラーではなく、悪役レスラーと呼ばれた。■たとえばひとりの女性を主人公にした半年間のドラマを考えた時、その女性に実際のモデルがいない場合は、まず時代と場所を設定し、次に彼女にどんな性格を与え、どんな事件に巻き込まれ、どんな風に成長を遂げさせるのかを話し合う。そして制限時間は毎回必ず15分一本勝負。■その会議の中ではその物語が女性、男性どちらの視聴者を意識するのか、そしてどの世代に向けて共感を得ようとするのか。さらに主人公を魅力的に見せるためにはどんな脇役を周囲に配置すればいいか、主人公の敵役、いわゆる悪役にはどんな俳優を起用するかなどの議論もまた行われることだろう。■この「ひよっこ」が今日の終盤のあかね荘における時子のための作戦会議のように、女性たちの目線だけで発案されたドラマであるわけはないのだが、奥茨城母の会、乙女寮、月時計、そしてあかね荘と、女性たちだけのお喋りが占める割合が尋常ではない。それゆえ登場する男性陣の性格も自然と女性目線に映らないことはない。(唯一そこから逃れているのは漫画家ふたり。あの富山弁の人を寄せ付けない感じは強烈である)■そんな女子会の会話の中から登場人物ひとりひとりの個性とやらが滲み出ることになるわけだが、彼ら彼女たち全員に共通して備えられているのは善意であるというのがこの物語の基本にある。こんなに悪い人が出てこないドラマを見ているとそれこそ窒息しそうになるか、飽き飽きしてきてしまうのが常だが、いまだにそれを感じさせないのはこのドラマが特別なものである証拠でもある。でもそろそろ作者は人の悪意を描きたくて描きたくて堪らなくなってきている頃だと思う。
2017/09/11
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■米がなければ生きていけない。それに多少の塩と味噌と醤油と卵と梅干と鮭と納豆などあれば一日三回三杯ずつでもおかわりできる。白いごはんがあれば人は生きていける。やわな女になりたくなけりゃ、朝からおかわりしてみればいい。■花はなくても生きてはいける。しかし花は生活に潤いを与える。花を飾ればそれに目が行くし、それが匂えば気持ちも変わる。花はその先の象徴である。宗男君はまた良いことを言った。薔薇がなくちゃ生きていけない。そんな歌詞のロックソングが生まれるのはもう少し後の話。■ここでビートルズ講座。1967年にはこのバンドは「Sergeant Pepper’s Lonely Hearts Club Band」という彼らの最高傑作と言われるアルバムを出している。A面からB面までほぼ切れ目なく曲が続くトータルアルバムのはしりでもある。■おそらく宗男兄さんは彼らのレコードを(シングル盤もLPも)全種類所有していると思われるが、「Love Me do」はビートルズのデビューシングルとして有名。よってそれがコレクションからなくなることの心の損害はシクラメン10鉢分どころではない。■山崎静代が交渉をした日立のビートルズ好きの殿方は今後も画面に現れることはないだろうが、私の脳内キャスティングによれば田口トモロヲあたりか。ベランダーだし、変人だし、ロッカーだ。ちなみに峯田和伸の本業の新曲「骨」(銀杏BOYS)のPVがすごく素敵なので紹介しておきます。静ちゃんには悪いけど、やっぱり彼の側には麻生久美子がよく似合う。■さて東京ではまた別の一家が再生に向けての第一歩を踏み出した。注文した氷アズキも氷イチゴもいっこうに出てくる気配はないが、父も祖母もそれが食べたくてそこに来たわけではないのだから構わないのだ。■宿題を出されてあんなに嬉しそうな顔ができるのは彼らや彼女がもう子供ではない証拠かもしれない。自分で考えたものが形になること。そしてそれが他の人の口に入り、目に入ること。そうやって人は責任ってやつを身につけるのかもしれない。●おそらくあの時大活躍したはずなのにその武勇伝は一切取り上げてもらえず三日ぶりに出てきて「あら、ケガしてますね。」なんて増田明美に言われる。今日もまたまるで動物扱いのヤスハルだった。
2017/09/09
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■もしもビートルズの来日前にあの餃子パーティーが行われていたら、あかね荘における歯磨きの需要ももう少し拡大され、コンサートチケット購入の夢も果たされたかもしれない。5人の女性が横並びに流し場に立って歯ブラシを加えながらできる話はフガフガとしか聞こえないところが楽しい。■大家・富さんを含めて女子寮と化した感のあるあかね荘に異性として同居できる特権を持った漫画家ふたり。主人公からもまだ名前を覚えてもらえない彼らはやはり彼女たちから見ても邪魔でも危険でもない空気のような存在なのか。■いくら修行とはいえ、新たな登場人物の造形ばかりが目下の課題となり、深く書き込んでいかなければならない主人公の物語の方は(かすかな恋の兆しはあるにせよ)一向に先に進まない。いや、これだけたくさんの人物の表情を描くことは絶対今後の作品づくりに役立つものだと思われ。■悲しい出来事は無しにする。それこそ漫画家ふたりならば、それが起こった数頁を破り去るか、当該シーンを消しゴムでゴシゴシと消し去りさえすれば果たせることだが、生身の人間に実際に起こった出来事を消去する方法はない。■ただ人はそれを忘れ去ることができる。またはそれに新たな意味を付け加えることもできる。父の失踪があって東京に出て行かなくてはならなくなったからこそ今優しい人たちに囲まれた私がいると考えることのどこに悲しみが伴うというのか。■幸せかと問われて即答できる者は何も考えていない者である。幸福とは幸福を探すことであるという有名な一説があるが、幸せとは常に自分の周辺に漂わせ、届きそうで届かない所に浮遊させておくべきものではないか。にしても今日もまた悲しいのは忘れられたヤスハルであることに変わりはない。
2017/09/08
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■菅野美穂を見ているだけで(そのうち何分の一かは画面が黒くなっていたとしても)、幸せな15分だった。ひとつひとつのセリフの言い回し、ちょっとした仕草の可愛さ、ドキッとさせる喉越しの表情、どれをとっても満点の演技。結婚以来、堺君共々、互いにその仕事ぶりに凄みを増して見えるって私は芸能人カップル評論家でも何でもない。■おかもちを持ったウエイトレスの制服姿の娘とハイヒールを履いた女優と、肩幅だけが広い優男があれだけの数のマスコミ陣の追撃を追い払って川本邸からこのあかね坂商店街まで無事にたどり着けるなんてことはありえない。■きっとこの逃亡劇の成功にはここにはいないあとひとりが何かに変身する(それは普通ヒデ君の仕事だが)とか、追っ手の心を一気につかんでしまう芸を見せる(それはあの芸風ではありえない)とか、ここには書けない想像もできない何かをやってしまったからだろう。でもまあ、それが明かされたにせよ、全く問題にされなかったにせよ、物語が破綻するわけではないのだ。■あの停電シーンを全くの黒い画面で見せる方法も演出プランの中にはあったと思う。視聴者も誰がその場に入って来るのかをその声の表情だけで判断し、その立ち位置と並び方と人数を想像しながらその場面を見る(聞く)。■しかしああやって薄暗い画面で周りが何も見えないという演技を熱演する俳優たちの芝居を見る楽しみの方が真っ暗な画面に比べより喜劇性を生む。中でも最高のセリフは愛子さんの「見えないけど素敵です」という省吾さんに対するものだった。きっと彼女の頭の中には毎日眺めるあのお顔があったと思われ。■自然発生的な現象を作ることで餃子パーティーへの何の脈絡もない展開の唐突さをやわらげる。皆がなぜか(自然に)集まった、では次に何をしようか。そこで光石研によってその提案が絶妙のタイミングで行われる。これが彼の(この人がいなければドラマにならないという)名バイプレイヤーたるところである。■昼の再放送において、この川本世津子(せつこ)歓迎会の裏では「やすらぎの郷」で昭和の名女優九条摂子(せつこ)の告別式がしめやかに行われていた。倉本聰渾身の名場面だったが、このちっぽけな餃子パーティーの感慨とあの大規模な告別式の感動の度合いがほぼ均等であったのはなぜだ。それはたまたまふたりの女優の役名が同じだったからというわけではない。■集まった人がみんな笑っている。集まった人がみんな泣いている。そんな人の中のひとりになってそんなことを繰り返すことが人生だったとしたら、できればその最後は餃子パーティーの中のひとりでありたい。できれば集まった人はみんな優しい気持ちでそこにいて欲しい。自分もまた優しい人のひとりとしてその中にいたい。それにしても結局一番悲しいのは忘れられたヤスハルである。
2017/09/07
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■今から少し前、NHKに「肩さん」という愛称で呼ばれていた女性アナウンサーがいた。あの「あまちゃん」で彼女が唯一出演した回は世に言う神回だった記憶がある。彼女のそれは多分水泳で鍛えたためのものだったが、ヒデ君の肩幅はとある活劇ヒーロー養成施設によるものだったと思われ。■そのヒデ君が有村架純に続き出演者の2番目にクレジットされたという記念の回。まあ、登場人物あわせて主要キャストは4人と言ってもいい少人数回だったからそうなったのだが。そして今回その3番目に名を連ねたのはなんと飛んで火にいる夏のヤスハルだった。■3人ないし4人で会話するだけで15分を充実したものにしてきたこれまでの岡田脚本ゆえ、期待しながら見ていたが、予想通り(増田明美の力を大いに借りながらも)満足できる仕上がりではあった。■菅野美穂の旦那、堺雅人が去年あの大河で映画サウンドオブミュージックさながら九度山から踊りながら脱出に成功したシーンを思い出す。さらにみね子に各々ぬがりなぐと決めさせ、カメラ目線までさせてしまうこの朝ドラの気軽なひょうきんさはどうよ。■わが世代の(おそらくあの時代でも)男の子の定番脱出洋画と言えば、「大脱走」であるが、マンションの地下にトンネルを掘るわけにもいかず、おそらくバイクも持っていない彼女自身にそもそも駆け込む先の当てもない。■そんな彼女を救出したいと思うのはみね子側の勝手な理屈と思い込みでしかないのだが、ここは主人公の特権をかざしてMHYのトリオが用意周到ぬがりない働きをみせる。あのバカみたいな陽気なかき氷ソングは三宅裕司が歌ってこそ効き目がある。ヤスハルだったら、他の人には聞こえない。●「洋画 脱出 アイス 屋台 無料 ぼよよーんとした音楽」で検索をかけるとおそらくこのブログのこのページがヒットする。
2017/09/06
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■あれ以来、佐々木蔵之介が王子様に見えたりする。絶対、気のせいなのだが。いつまでも変わらない(成長しない)人がいて、お蕎麦をお代わりする人もいる。後者である富さんは今朝緑色のワンピースに変わった。■昭和42年はつくづく歌謡曲の黄金時代だと思った。真っ赤に燃えた太陽だからと歌い出すこの歌とピンキーとキラーズが歌った「恋の季節」はついつい混同しがちだが、和久井映見の合図でノリノリのゴーゴーと化すこのロックン歌謡を歌ったのは天下の美空ひばり。ブルーコメッツをバックに従え、彼女もまたこの「真赤な太陽」と共にミニのワンピースに衣装を代えた。■余談だが、ピンキラの「恋の季節」の方は後年、山田太一の傑作「今朝の秋」で終盤、家族が一堂に集まり病床の息子(杉浦直樹)のために合唱された。忘れられないの、あの人が好きよ。女声→男声と何度も繰り返される歌詞は1回通して聴けば子供から年寄りまですぐに覚えることができ、恋は私の恋は空を超えて飛んだの、と心地よく盛り上がって着地した。■また、あの時代よりもずいぶん前のコルゲンコーワのCMにイチコと似たカエル型の置物が登場していたのを覚えている。子役(おそらく、保積ペペ)に「おまえ、ヘソねえじゃねいかよ」といじられるキャラにヘソがあんなところについている由香の姿を重ねてしまった。■前々回流れた「命短し、恋せよ乙女」は「真夏の海は恋の季節なの」と歌い継がれ、結局富さんのリスタートにも繋がった。感化されなければならないみね子たちよりも感度が良かったのは富さんの方だった。■これまた余談だが、偶然この「ゴンドラの唄」が今週「やすらぎの郷」においても登場した。上条恒彦のギター、藤木悠のピアノ伴奏にのせて歌う有馬稲子の姿にかなり涙腺が緩んだ。あのようなシーンを役者たちに本当に演じさせてしまう倉本聰の残酷さを感じないわけにはいかない。同じ時期に始まりやはり同じ時期に終わるあの番組のピークはおそらく今週になるはずだ。さて、「ひよっこ」の方は。
2017/09/05
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■宮本信子に夏ばっぱの面影を見る。あの「あまちゃん」でも彼女は若き日の天野春子に向かってああいう顔をして見せていた。そう、その小泉今日子の少女時代を演じたのがこの有村架純。視線を向ける対象は違えど、このふたりの共演には最初から随分と既視感があったものだ。■このところ出番の少なかった主人公みね子であるが、ここにきて俄然張り切り出した模様。私にできることがあればどんなに出しゃばりと思われてもやってみせようじゃないか。まるで世界やさしさ党の党首にでもなったような主人公感は暴走しすぎると大変危険であるが、黙っていられないならしょうがないじゃないか。■長距離走で周回遅れになった夢と世界であいつとふたりきりになった夢、どちらの夢が恐ろしいかと言われれば、あいつのことをどう思うかによっては後者の方が残酷かもしれない。でもあいつとあいつならそんなに悲しくなんかならないのではないか。彼らがその夢から覚めた瞬間の(おそらくすずふり亭で由香が)トレイを落とす音を見せない省略法がちょっと素敵だと思った。■佐々木蔵之介のあの顔はなんか夢に出てきそうでちょっと怪しくて怖い。でもサービスでカラー化されたその似顔絵はそれが掛かっている場所によっては神々しく輝くものだ。でも間違ってもすずふり亭のホールの壁に掛けられてはならない。■主人公の善行は川本世津子救済へと進みそうだ。あの週刊誌の記事を一時停止で読んだ限りでは散々な言われようだが、付き人もつけずあの邸宅にたったひとりで現在住んでいる女優が幸せであるわけはない。しかし彼女から自分の父親を奪った罪滅ぼしでみね子がそうしようとしたのかはまた別の話である。
2017/09/04
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■若い人たちにわかってたまるかという想いを踏まえつつそれを聞かせてあげる岡田惠和の誠実さと、はなからそれを聞かせない倉本聰の傲慢さ。そんな根本的な違いが「ひよっこ」と「やすらぎの郷」には表れている。■日本三景から始まり、ほぼ全国を網羅する形で語られる亡き人との逢瀬の旅を感情込めて語らせたら白石加代子の右に出る者はいない。まるで円谷幸吉の遺書のような食材(贖罪ではないだろう)の数々を並べただけの言葉が魔法みたいに浮かんでは消える。■志村喬が雪の公園のブランコで唸るような低音で歌った「ゴンドラの唄」の重厚さにはかなわないが、若き日の富さんと御曹司の恋のバックに歌われるこの歌の歌詞がどれだけ現役の乙女たちの身に沁みたのかはわからない。しかし彼女の語りも含めてこの夜の出来事がいつかこの先、彼女たちの胸に沁みいる瞬間はきっと訪れる。■物語の都合上、お通夜も吹っ飛ばされ、いきなり翌日が告別式なのもどうかと思うが、すずふり亭ランチタイムの緊急事態を作るためなのだから目をつむろう。こうして鈴子さんの代役は由香に決まる。今日もイチコはまた良い仕事をした。
2017/09/02
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■私の職場の近くに「月時計」があったとしたら、そこに行ってみたいかと言われれば微妙だ。そこには近頃カウンター席に陣取る若い娘たちがいて、険悪とまではいかなくとも、何やら打ち解けない空気を醸し出しており、全員見た目はとっても好ましいのだが、気軽に声をかけられそうな雰囲気はない。■今夜も4人のうちのひとりに対して、同情だか批判だかよくわからないような話し合いが行われ、かなり長い時間飲んでいるように見えて殊更盛り上がっているようには見えない。ただ前回と違っているように思えるのは同世代のように見える3人がタメ口で話をしているところと、ギターを持った若者が外でか細く歌を歌っていないことくらいだ。■ツィッギー・コンテストは実際にも行われた企画だそうで、どのような方が優勝したのかは知識がないが、本物が醸し出すムードに近いのは時子よりも由香の方かもしれない。さらに年齢などの事情も考慮に入れなければ、むしろシシド・カフカこそ優勝候補になるべきだと思える。時子や由香にはなくて早苗さんにあるもの、それはロックの香りに他ならない。■あのクールな彼女が何も言わずに追いかけていくような人間(おそらく男性)がどんな人物であるか、明かされるのはもう少し後の話になりそうだが、25年プラスアルファ生きていればそれなりに色々あったと思われ。想像だがその相手というのもやはりロックっぽさを感じさせる人物である可能性は高い。(あ、でも宗男さんではないだろうが)■シシド・カフカが人の心を読む達人であるようにあかね荘の富さんにもまた霊感が備わっている。テレビのニュース速報よりも早くその死の知らせを感じた彼女のお相手とは、それはテレビのニュース速報に流れるだけの知名度を持った人物であると思われ。主人公不在(不要?)の展開はまだまだ続く。
2017/09/01
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