江戸東京ぶらり旅

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天明の大飢饉

分かる江戸 (7) 混迷の改革


 税収が減ったということで,吉宗は諸大名に一定の率で米を献上させたのですが,米は農民が作っているのであり,大名が汗水たらしてつくっているのではない。だから結局しわ寄せは農民にいくのです。「やってられねえよ」と,百姓一揆の勃発です。それでますます年貢(税金)の納付率が下がることになったのです。米将軍と呼ばれた吉宗でも,うまく改革を進められなかったのですね。


 ここに登場したのが,小姓(地位有る人の雑用係ですね)の身から異例の昇進を果たした老中の 田沼意次 (おきつぐ)。九代将軍家重と次の将軍家治にかわいがられたのですよ。生え抜きではとても考えられない,奇抜なアイデアで勝負をかけた。つまり,商人と手を組もう,海外貿易にも力を入れよう,といった従来にはない発想ですね。だってそれまでは農業オンリー,鎖国重視だったのですから,方針の大転換。これこそ改革ですね。ひょっとしたら,江戸幕府がつぶれ,海外に門戸を開く芽はこのあたりから現実化していたのでしょうかね。



 今までは米に頼っていたのですが,社会が充実してくると他の商品も売れるようになる。だからある特定の商品の取引を幕府が有力企業に認める,そのかわり収益の一部は幕府がいただきますからね,とした。幕府は税収が少なくなっているのですから,これはグッドアイデア。しかしですね,商業にだけ力を入れていては,農業は振るわないまま。農民の間に格差ができてしまい,貧農は脱落して江戸へ流入。これは困ったことになりましたね。江戸だって不満分子がいて,やけくそで無差別の破壊,不運は重なるもので「 天明の大飢饉 (ききん)」。その年の天候までは田沼さんも分からない。困った,困った。



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