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モーツアルトの故郷,それにカラヤンの故郷とでも言った方がいいのかな。ともかくちっぽけな町なのに世界から音楽愛好家がここへやってくる。毎日が縁日といった感じのこぢんまりした街なのである。ザルツブルグ音楽祭もこの一画にある祝祭劇場で行われるのでありますよ。ザルツブルグ。かつてはザルツ(ソールト=塩)で栄えた町であるが,今は塩など誰も見向きもしない。そうです。モーツアルトの故郷,だからモーツアルト抜きでは存在しえない町。偉大な人物がかつていた,ということは地域活性化には実に重要であるということを知らされますね。日本で言えば,西郷隆盛とか伊達政宗とか坂本龍馬とか・・・とにかくこんなちっぽけなローカルな知名度ではなくて,世界を感動させる天才。<あ,ごめん。西郷だって伊達だって坂本だって重要に決まってますよ。ないがしろにしているわけではありませんからね>私は鉄道のザツツブルグ駅,この近くのホテルに宿泊したので旧市街地へはちょっと歩きましたが,これもなかなかの散歩でしたね。シシーの像を左手に見て,では行ってきます。<この近くにシュパールありませんか? =シュパールとはドイツ語でスーパーのこと=>新しい町に行って最初に聞くのはこのこと。スーパーはミネラルウオーターや副食物でも,とにかく庶民が買い物に訪れるところなので安い。観光地だから訪れる人相手の店は2倍も高い。ここで私は水とブドウとサンドイッチを買った。あのサウンド・オブ・ミュージックの撮影にも使われたミラベル宮殿を右手に見てゆっくり歩くと,すぐザルツァッハー川に出る。市内を流れる唯一の川を渡る。でもここにはいくつかの橋,少なくとも3本の橋が架かっているのですが,一番遠いと表現しましょうか,下流の橋である<モーツアルト橋>を渡ります。<名前の割にはたいしたことない橋だな>こんな不謹慎な感想を秘かに持ち,モーツアルト広場へと向かうのです。モーツアルトの家もこの広場を見渡せるアパートの一室にあったのだ。周辺にはゆかりのカフェやらお食事所があります。こんなことはガイドブックを見るときっと書いてありますよ。8月から9月でしたか,ザルツブルグ音楽祭が開かれている期間は特に観光客が多いそうですが,私のオススメは町一番古いレストランで行われるディナーコンサート。当然モーツアルトづくし。モーツアルトのお通しからはじまってモーツアルトのデザートまで。音楽を聴きながらの食事会。これがなかなか感動物なのです。カラヤンの提唱により始まった「ザルツブルグ音楽祭」に高いチケット代を払って居眠りするよりは遙かにいいですよ。このレストラン,高い入場料を払い,美しく着飾って,教養人らしく振る舞って居眠りも我慢して聴いていたあのザルツブルグ音楽祭をようやく解放され,次に訪れるのがここだからです。どうせみんなここへ流れて来るなら,最初からこのレストランで気軽なモーツアルトを聴いて愉しんだ方が良い。ザルツブルグ音楽祭で居眠りした人たちも,<気取っているのも意外と疲れるわね>こんな本音を言いながらようやく美味いものにありつける店。それがこのレストランなのです。だから音楽祭はパスして,最初からここへ行きましょう。デザートは勿論「モーツアルト」ディナーコンサートは7時30分頃から始まり,11時ちょっと前まで続きます。だからホテルには「ちょっとだけ遅くなりますからね」と言っておくことをお勧めします。特にチェックインを済ませないでレストランに来てしまった方は・・・。
Dec 20, 2010
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ヴェネツィアには教会がたくさんある。日本で言えば町内会ごとに,という感じである。その世界では教区という単位なのだが,ともかく「おいらの町の教会」なのである。これとは別に行政的な区分もあって,ヴェネツィアでは確か6地区に分けられていたはずである。これは宗教とは関係なく,渋谷区,品川区,新宿区・・・といった感じの分け方である。おや,どんどん話がずれていきますね。今日はヴェネツィアの音楽家の話です。<えっ? それって誰のことだっけ。ヴェネツィアの著名な音楽家・・・???>サン・ザッカリアという船着き場,ここが一番便利でサン・マルコ広場に近いと思うのですが,この船着き場にヴァポレット(水上のバスといった感じの定期便)で到着すると,向かって右側に歩きましょう。この大運河に面した海岸が「スキアヴォーニの河岸」と言われる長い長い船着き場です。ヴェネツィアの玄関に当たる船着き場ですから,最も重視されてきた港と言っても良いでしょう。スキアヴォーニとはイタリア半島のアドリア海を隔てた東側,今ではクロアチアのある地方と言うべきか,この地方出身の船乗りのことをさしています。この海岸の一番左側(西側)にあるのがピエタ教会。写真はこの内部を写したものです。教会はゴシック様式のものですが,もともとここは女子孤児院だったのです。そうです,この教会で聖歌隊の指導をしていたのが何と作曲家のヴィヴァルディーだったのです。こんなちっぽけな教会内部ですが,小規模のパイプオルガンが備え付けられています。特に彼の遺品や肖像画などはありませんが・・・<そうか,ここでヴィヴァルディーは指導していたのか>と,あの「四季:春・夏・秋・冬」で有名なヴィヴァルディーの若き時代のことを少しは感じとれるのではないかと,訪れた私でした。教会への入場は何かしら行事をしているときでないと入れません。通常はあいていないからです。このときは何もイヴェントは開催されていなかったのですが,たまたまあいていたのです。<ラッキー>しかし,何もない教会に入るだけで入場料を求められました。お客は私だけで,その後一人の男が入ってきて,すぐ出ていきました。<なんだ,何もないじゃないか>というのが正直な感想ですが,彼のファンならばきっと有り難いと思うでしょうね。ヴェネツィア室内合奏団/ヴィヴァルディー:四季価格:1,000円(税込、送料別)送料・代引手数料が無料!千住真理子/ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集「四季」 作品8 1-4...価格:2,800円(税込、送料込)
Dec 13, 2010
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我が家で下の写真にある花が咲いた。ところで,着生植物ってご存じだろうか。この植物がそうである。といっても植物名は実は知らない。一般的にはエアプランツと呼ばれているが,これにはたくさんの種類があるらしい。いつもは明るい窓際に置いてある。そう,「置いておく」といった感じで,水をやるわけでもなし,肥料をやるわけでもない。肉や魚の入っていたトレーの上に,ポイッとただ乗っけておくだけである。勿論植物だから水も肥料も必要だ。だから気が付いたとき,というか気まぐれに,この植物を水の入った食器洗いの器にほんの少しの液体肥料をたらし,ここへ1時間ほどつけておく。この時間だって適当である。こんなことを一年に10回やるかどうか。そうです。根はないのです。水も養分も葉から吸うのです。そのうちに尖った葉の先端が赤味を帯びてくる。するといよいよ開花だ。一年に2,3回は咲くのだろうか。今まで適当にやっていたので,花の咲く時期や回数もいい加減にしか記憶にない。筒状の紫の花弁なのか,この中心部から白いめしべと黄色い花粉をつけたおしべが顔をのぞかせる。この植物は熱帯雨林の樹木に着生,根のようなもので樹木にしがみついて生きている。熱帯雨林では雨がザッと降るので,この水分を葉で吸い取る。仮に雨が降らなくとも,湿度があれば十分。雨にはわずからがら養分も含むから,これでなんとかやりくりする。光は勿論十分にある。こんな生活を自然の中では営んでいる。根元から小さな子供ができる。要するに分裂で増えることもできるのだ。これは徐々に大きくなり,株分けすれば人にもあげられる。そのままにしておけば何株も集合した大きな株になる。きっと自然の中では種から増えるのは難しいのかもしれない。熱帯では兎に角競争相手が多いのだ。と,私としてはめずらしい植物のお話でした。
Dec 12, 2010
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「駅」と聞くと何か哀愁のようなものを感じる。<終着駅・・・確か映画の題名にもなったな>都会の大きな駅もいいが,田舎の無人の小さな駅もいい。とにかく駅にはたくさんのドラマがある。ドラマが生まれる。私はジョサイア・コンドル設計による東京駅が好きだ。外観の見事さと煉瓦づくりの組み合わせが良い。重量感と文明開化の雰囲気がとても良い感じに思える。<ああ,ここが東京駅なんだ>東京に住んでいてもいいな,と感じる。郷土愛などというものとは違う。建築美に引かれるのだ。こうした観点でミラノを訪れると,これまた見事な駅を発見する。そう,ミラノ中央駅だ。まずは正面から見てみよう。<これって,駅なの?>というのが最初の印象だ。誰かの宮殿であったような造りだ。駅は乗客の乗り降りさえできれば事足りる。なのにあちこちに彫刻あり,柱ありと実にギリシャ,ローマ時代の古代建築を見ているような錯覚にとらわれる。日本人なら絶対に考えない,いわば「無駄」が実に見事なのだ。これぞミラノ,といった感じである。駅そのものが歴史に長く残りそうな予感を持たせるのだ。不勉強で知らないが,この駅舎は最初から駅として建てられたものなのか,それともかつては別の用途で使われていた建物を駅として再利用したのか。こんな疑問が私にはわいてきた。さて,中に入ってみると,日本の雑誌にもしばしば登場する光景が目の前に登場する。アーチ状の鉄筋とガラス窓。明るくて開放的な空間が拡がっているのだ。この下には若者からお年寄りまで,そして修道女からビジネスマンまで,目的の列車に身をすべりこませるのだ。流行のファッションを身につけた若い女性にも会える,わくわくした気分も良い。日本の駅と違うのは,ほとんどアナウンスというものがないことだ。「列車が来ます。危ないので白線まで下がって待て」「この列車は名古屋行きだ。静岡には止まらないから注意しろ」・・・・こんなアナウンスは一切ない。皆さん静かに乗って,列車はゆっくりとホームを離れる。こんな感じがなかなかいい。ヨーロッパのどこにでも列車でいけるから,実に便利でもある。キオスクなど売店はないので,駅の中にあるコンビニで必要なものは買い込んでおく。景色を眺めながら,そして一緒のボックスに陣取っている方々とおしゃべりをする。これもまた楽しい。若い男女が目を見つめ合って,ときどき唇を長い時間合わせていることもあるが,これは文化の違い。<おい,いい加減にしろよ。他人のいる前だぜ>と言いたくはなるが,我慢,我慢。
Dec 7, 2010
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込み入った仕事があって,ここ10日ほどパソコンに向かう時間が極端に制限された。さきほどようやく仕事に目途がついて,今ほっとしているところだ。それで,今日は「ウィーンの街角で」がテーマである。ウィーンの,王宮のあるあたりや国立オペラ座の位置する通りでは,下の写真にある光景を目にする。かつての音楽家や宮廷の人たちなどが催し物があるときに身につけていた格好,出で立ちで,夜に行われるコンサートのチケットを販売している人があちこちにいるのです。そうです。オーストリアはモーツアルトで有名。ザルツブルグが彼の故郷ですが,ウィーンにもモーツアルトが住んでいた住宅(アパートメント)が有料ですが,一般公開さてれいます。ほとんど見るべきものはないのですが,その雰囲気だけは味わえるようになっています。それで,ウィーンでは王宮や教会などを会場に,モーツアルトの曲を中心にした演奏会が頻繁に催されているのです。たかだか2500円から3000円といった程度ですから,実に安いというべきであろう。これで彼の有名な曲を十分に堪能できるわけである。そして曲目だが,アイネ・クライネ・ナハト・ムジークなど,殆どが誰にも馴染みのある曲ばかり。だから,「あっ,これ聞いたことある」と,音楽には疎い人であっても楽しめるようになっている。つい <知らない曲だな。退屈だな>と秘かに感じ,居眠り・・・などということもない。8時に始まり,10時までの2時間,たっぷりと楽しめるのである。それに演奏している人たち,指揮者・・・日本だったら <気取ってるな。すこしは愛想を良くしたらどうなのだろう>と文句も言いたくなるのだが,ここはさすが本場。皆さん楽しそうに,そして観客をどうしたら楽しませることができるかをしっかり考えている。だからついつい演奏に引き込まれてしまう。一見気取っているように見せかけて,途中でおどけて見せ, <お,なかなか面白い指揮者じゃないか。さすが芸人>と思わせる。このタイミングが実に上手い。身構えて聞いている観客に <もうちょっとリラックスしていいのよ>とでも言うように,渋い顔をしながら,おどけて見せる。これがなかなか受けるのである。私は, <こんな道ばたでチケットを売るくらいだから,お客も少ないのでは>と秘かに思い,しかし「モールアルトのCDもおつけしますから」と言われて,ついついチケットを買って,腹ごしらえをしたあと王宮に向かったのだが,会場につくとこれが広い,広い。そしてなんと予想に反して大勢のお客が開演を待っているではないか。 <これはあなどれないな>と思いましたね。1000人近くお客はいたでしょうか。日本人もちらほらいたのですが,多くはそれ以外の外国人。チケットが安いからといって手を抜くわけではない。実に演奏は素晴らしい。そして楽しい。ひょっとしたら寝てしまうかも,などという心配もすっかり吹っ飛んで,演奏に聴き入ったのでした。演奏会が終わって,ウィーンを暗闇が覆う中を,モーツアルトを口ずさみながら,ホテルに戻ったのでした。満足の2時間でした。
Dec 1, 2010
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外国に自分がいるのだと思う瞬間がある。勿論,自然の風景が違う。鋭利な山の形も,なだらかな平野部も,植物の種類だって異なる。「あれ,こんな鳥日本では見かけないな」と気付くときもある。人間だって違う。顔かたち,髪の毛の色。皮膚の色や背丈だって異なる。湾曲せず,真っ直ぐな脚。どこが臀部なのか分からない間に脚から腰へ続くあの見事なスタイル。当然言葉は異なる。建物も違う。風格のある建物。どこを見ても絵になる美しさ。ロマネスク調あり,ゴシックあり。兎に角古くなれば壊して新しい箱を作ればいいのだ,といった日本的な感覚とは異なる,歴史を背負った建物の群れ。夜遅くパリに到着した。シャルル・ドゴール空港だ。ここからパリの中心部に行くには電車で行くのが手っ取り早くて良い。ところが,券売機は壊れているのか,それとも説明の通りにやってもうまく機能しないのか,ともかく実に分かりにくい説明で,欧米人も一枚の切符を買うのに長~い時間かかっている。だから券売機の前は長蛇の列。日本ではこんなことはあり得ない。日本なら係員が「どうしました,お手伝いしましょうか」と声をかけるだろう。それで,私は発券業務を行っている窓口に並んだのだ。窓口も発券機が機能しないことが原因で長蛇の列。しかしこの業務を行っている係員はノラリクラリ。さっぱり前に進まない。一枚の切符を売るのにどうしてこんなに時間がかかるのか? そうこうしている内に,窓口業務終了時刻になった。このこの時点でもたくさんの人が部屋から通路にはみ出すほど並んで待っていたのだ。ところが,別の女性職員が「今日はこれで終わり」というようなジェスチャーで発券終了を告げたのだ。夜の11時頃だっただろうか。こんなこと日本では絶対にない。まずは予告するだろう。あと少しで終了になるとか,あるいはこれほどの人が待っているなら別の職員を動員して手際よく発券するとか,とにかく目の前で起こっていることをなんとか処理しようと努めるに決まっている。万が一シャッターをしめなければならないことになっても,「大変申し訳ありません」,券売機でお願いしますとか,一言あるのが日本だ。私が「券売機は故障しているからここに並んでいるのだ」と伝えても,まともに取り合わない。パリでは「はい,終わり」で,あとは何の手当もない。これで暴動が起きないのも不思議なものだが,改札には当然人は配置されていない。「あ,そうか」と私は思った。窓口が不親切でいい加減な対応なら,こちらもそれなりに,対応すればいいのだ。案の定,改札機に切符など通さなくてもフリーパス。こうして自由に改札を通り抜ける人も実に多いのに気付いたのでした。やはり個人の権利を最大限重視する国なのかな,とがっかりするやら,呆れるやら。自由,自由,自由・・・契約したことだけ果たせば,それ以外は自分と無関係。どんなに困っている人がいても私は知らない。これがパリなのだ,と私は解釈したのです。そう言えば,以前同じシャルル・ドゴール空港で搭乗手続きをしているときにも,似たようなことがあったことを思い出した。自分の勤務時間が終わったのか,行列を横目に,さっさと仕事を終えて帰ってしまった職員がいる。「ねえ,手続きしてくれないの」と言う間もなく,さっさと帰ってしまうのだ。だいぶ時間が経過してから,交替の職員が席についた。「お待たせしました」などという言葉はない。まことに乾ききった国だ。これに類した経験はまだまだある。しかし,これ以上書くと全部愚痴のような感じになってしまいそうだ。今日はもうやめた。
Nov 22, 2010
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ウィーンはここぢんまりとした,そして美しい街だ。旧市街を囲むようにリンクと呼ばれる路面電車が,ちょうど山手線のように走っている。この一周が4kmなのだから,いかに可愛らしい街なのかわかるだろう。このリンクに囲まれた中には王宮あり,街のシンボルであるシュテファン教会あり,オペラ座ありで,いづれもお散歩気分で,美しい広場や町並みを眺めながら歩いて行ける距離にある。王宮の南側,リンクを南にまたいでという感じなのだが,似たような建物が対になって建っている広場がある。西側にある建物は自然史博物館だが,今日は東側の建物,美術史美術館に入ってみよう。これが美術館の内部である。さすがハプスブルグ家と息をのむほどの豪華さだ。パリのルーブル美術館,マドリッドのプラド美術館,そしてこの美術史美術館,これがヨーロッパの三本の指に入る美術館なのだ。ハプスブルグ家は政略結婚を繰り返し,フランドル,ネーデルランド,スペイン,イタリアと領土を拡張したのだが,それゆえ美術作品の中でもルーベンス,レンブラント,ラファエロ,フェルメールなど,喉から手が出そうな有名な絵をどっさりと確保することになったのだ。ここにブルーゲルの作品だけを集めた部屋がある。私は,かつては絵画にはそれほど関心がなく,ブリューゲルなどと聞いても,それって誰?といった程度だった。曾野綾子の書いた「ブリューゲルの家族」を読んだことがあるが,そのときもさほど記憶には残らなかった。しかしウィーンに来て,この美術館でブリューゲルの作品を観ると,これがなかなかいいのですね。下の写真は有名な「バベルの塔」である。勿論この塔は想像上のものであるが,古代バビロニア(バビロン)にあったとされ,ノアの洪水の後,人間が天国に届くような塔を作ろうとする。これに怒った神が「人間が神に近づくなど,とんでもないことだ」と,塔の建設を中止させる。こんな逸話なのでありますね。ローマのコロッセオがこの作品(塔)のアイデアのもとになっているとも言われているようですが。作品は,フラッシュさえ灯さなければ写真は思う存分採り放題。太っ腹ですね。日本じゃ絶対にあり得ないことです。それに模写している人たちもいるのです。本物を模写できるのですから,これはもう最高の勉強になりますよ。業者が型に入れていくつも作ったであろう石膏像をスケッチする,などという気分も滅入りそうな日本の美術教育とは雲泥の差。羨ましい限りですね。3000ピース バベルの塔(ブリューゲル)価格:4,625円(税込、送料別)【送料無料】絵画:ピーテル・ブリューゲル「雪中の狩人」●サイズF15(65.2×53.0cm)●プレゼン...価格:49,800円(税込、送料込)ブリューゲルへの旅価格:620円(税込、送料別)
Nov 21, 2010
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もうすぐ12月だ。西洋音楽芸術を愛好する者にとっては,この12月というのは特別な意味を持つ。そう,12月7日はミラノのスカラ座の幕開けなのだ。ドゥオーモ駅からヴィットリオ・エマニュエレ二世のガレッリアを抜け,右手にレオナルド・ダ・ヴィンチ像を見ながらスカラ広場をまっすぐ進むと,道路のあちら側に見えてくるのがスカラ座だ。オペラなどやっているときでないと入場できないが,隣のスカラ座博物館はいつも開いているので,ヴィヴァルディーなどの音楽家の胸像など見たいのならオススメである。さて,どうして12月7日なのか。それはこの日がミラノの守護聖人,アンブロージョの祝祭日だからである。ミラノではこれほどまでに重視されているアンブロージョ。彼を祀る教会,つまりサンタンブロージョ聖堂を訪れないのでは,何のためにミラノを訪れたのか,と言われても仕方あるまい。聖堂の半地下には彼の遺骸も安置されているのだ。では,アンブロージョとは何ものなのか? そして一神教を標榜するキリスト教にあまたの守護聖人がいるのはどうしてなのか?彼は今で言う警視庁長官である父の長男として生まれた。ローマでは最高の権威と権力のある地位である。当然彼にはエリート教育がなされ,やがてミラノを含む州知事の立場に。要するに彼は高級官僚だったのである。こんなとき,キリスト教内では宗派争いが起こる。つまり,最大派閥であるアリウス派と三位一体派の争いなのだ。一神教とは難しいですね。多神教なら何を信じようが構わない。結婚の神や平和の神がいると思いきや,離婚の神あり,戦争の神あり。しかし一神教は,だからこそ教義の解釈でいくつもの派閥ができてしまう。宗派間の争いはとても激しい。支配はつまり金と直接結びつくから,是が非でも争いに勝つ必要があるのです。私のような素人には理解しがたいのだが,三位一体派とは,神とその子であるイエスが同格。しかもこれに聖霊が加わる。これも同格。神でありイエスであり聖霊であり・・・これが「ニケーヤの公会議」という宗教のお偉いさんたちが集まって,力づくで決めた結論。325年のことだった。しかし,分かりずらいですね。神とイエスと聖霊が一体って,どんなこと? 今はカトリックと呼ばれている派閥の考え方である。これに対して,アリウス派の考えは,イエスは神に限りなく近いけど,神ではありませんね。同格と見るにはちょっと無理がありますよ,という考えである。素人にはとても分かりやすい。だから当時の皇帝たちの中にもこれを信じる者がけっこういたのです。ところがですね,この両派閥の争いの中で,三位一体派のほうが,州知事であるアンブロージョを仲間に取り込もうと,司教になってくれと頼み込み,結局洗礼も受けていなかった彼を司教にしてしまった,というわけです。えっ,それっていいの? 誰でも利用できる者ならいいのです。闘争に勝つためには綺麗事など言っていられない。兎に角彼は頭脳明晰,エリートなのだ。それで彼は三位一体の方が理論的に正しいという根拠からではなく,無理矢理頼まれて,いやいや受け入れたのです。さあ,普通なら司祭になるにはいろいろな,長い段階を経てでないとなれない。これが教会の決まりである。でも今はそんなこと言っている場合じゃない。そこで洗礼,助祭・・・などなどの各段階を何と一週間でこなし,そして即席で司教就任。おやおやですね。この司教就任式が12月7日だったのです。さて,話が長くなりましたね。ここからが本番なのですが,官僚出身である彼は,あほな皇帝など怖くない。やがて皇帝は神のお告げでなるものとしてしまう。といっても神の声が聞こえるわけではないので,司祭である彼がこれを仲介する。ということは,彼は神として振る舞うこともできるというわでけあるのだ。こうしてキリスト教,いやカトリックは皇帝よりも上位にあるものとしてローマ帝国を支配することになるのです。もう皇帝が一番ではなくなったのです。しかし彼は実に頭が良い。誰もが一神教の神にばかり祈っていられない。むしろ多神教のような身近な神が身近にいる方が現実的であり,便利である。金に困ったなどと俗なことを,まさか神の子イエスに頼むわけにはいかない。それで守護聖人という都合の良いものを思いついた。これになら取るに足らない雑事をお願いできますね。ますますキリスト教の人気が高まる。この辺りは,もっと詳しく説明すべきなのですが,今日はこの辺でやめにしておきましょう。アンブロージョがいなかったら,キリスト教がローマを支配するようにはならなかったかも知れない,ということ,ほんの少しの理由がわかっていただけたでしょうか。
Nov 17, 2010
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ブログの更新を毎日している人たちを見ると,・・・「偉いな,立派だな」・・・と思う反面・・・<疲れるだろうな,頑張りすぎじゃないの>・・・と思ったりする。私は仕事をしているので,疲れているときや,一枚の写真にコメントするのに,・・・「新しい知識や知見がないと,公開する価値がないな」・・・と思って,躊躇(ちゅうちょ)してしまうのです。今,イタリアのミラノを訪れたときに行った,サンタンブロージョ教会を掲載しようと思っているのですが,・・・「何を書いたらいいのかな。歴史上重要な人物について書くのだから」・・・と思って,中断しているのです。聖アンブロージョ,イタリア語ならアンプロシウスなのですが,これがまたすごい人物。この人物がいなければ,今のキリスト教の中のカトリックなどなかったかも知れない。彼のゆかりの教会は今さびれた感じなのだが,そして歴史を知らない人々は興味がないのだから,それほど多く訪れる教会ではないようだ。・・・<本当は,バチカンなどより重要なのにな>・・・と思いつつ,さて何を書けばいいのかな,と思っているうちに一週間が過ぎたのです。別に歴史小説を書くわけでもないので,気楽に書けばいいのだが,そうはいかないのだ。それで,今はちょいとお休,となっているのです。仕事をしていて,おまけに本を三日に一冊は読む,と決めたので,これまた手かせ,足かせになっているのです。アンブロージョのこと,ちょっとお待ち下さいね。ルネサンス画人伝(続)新装版価格:8,400円(税込、送料別)【25%OFF】[DVD] ヴェルディ作曲 歌劇 ファルスタッフ ミラノ・スカラ座2001価格:2,993円(税込、送料別)
Nov 16, 2010
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ミラノには見るべき所はあまりない,という人は多い。スカラ座か? それとも・・・確かにそうだ。ミラノのドゥーモの他に,誰にもオススメでき見どころに何を挙げたらいいのだろう。宗教画のブレラ絵画館あり,スフォルツァ城あり,あれこれあるのだがどれもイマイチ,インパクトがないのである。どれだって本当は歴史があって奥深いのだろうが,素人にはその良さが見えてこない。へえ,そんなものか,という程度で終わってしまう。そうした中で,特に際だって有名なのは,下の写真,サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会である。ミラノのルネサンス時代の最大の建築物である。キリスト教とは無縁の人であっても,建築物として見ればやはり素晴らしいと感じるのではないか。だだし,内部に入るとがらんどうで,ちょっと物足りない気もしてくる。この教会の出入口付近にある土産物屋に入り,売っているものを見ると,あ,そうだったのか,と誰もが思うだろう。勿論ある程度の知識のある人は,という前提だが。そうです。ここはレオナルド・ダ・ヴィンチ,つまり「ヴィンチ村のレオナルド君」といった意味なので,本来は彼のことをダ・ヴィンチというのは間違いで,レオナルドを言うべきなのだが,彼が描いた「最後の晩餐」のある教会なのだ。これなら納得していただけるだろう。 【30%OFF】ジグソーパズル:1000ピース 絵画/ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」【楽ギフ_包装】【...価格:1,455円(税込、送料別)と言っても,この絵があるのは隣の,もとはドメニコ派だかの修道院であった食堂にあるのだ。だから入口は教会とはほんの少々離れているところにあって,ここから「予約確認書」を提示して中に入るというわけである。空いているときならば予約なしでも入れるかも知れない。確認が必要だ。ここはナポレオンによって占領されたときは馬屋として使われ,その後の戦争による爆撃を受けたこともあったのだが,レオナルドの絵がそんな程度にしか扱われなかったおかげで絵は生き残り,近年の修復作業により蘇ったというわけなのであります。とにかく何が幸いするかわからない。 では,「最後の晩餐」の本当の場所はどこでしょう。イスラエルのエルサレムにその場所があります。ダヴィデの墓のある建物が公開されていて,この二階部分が最後の晩餐の部屋だとされています。勿論,今となってはこれが事実はどうかわかりませんが。でも事実がどうかは,信じる人々にとってはどうでも良いことなのではないでしょうか。送料無料!!レオナルド ダ ヴィンチ 「最後の晩餐」価格:16,980円(税込、送料込)イタリア製・ダ・ヴィンチの絵から!ミニチュアサイズ【木彫】【最後の晩餐】価格:5,500円(税込、送料別)クリスマスの癒しに♪送料無料のお買い得【送料無料】クリスマス10点セット3Dホログラムアート5...価格:2,200円(税込、送料込)
Nov 8, 2010
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少し前のこと,ヴェネツィアの大運河から見た有名なあのリアルト橋の写真を掲載した。そとのきは橋の上の様子ではなく,ヴォパレットに乗って運河からとった橋の全景を紹介したのだった。それで,今回は橋の上の様子をご紹介しようと思う。フィレンツエのアルノ川に架かるポンテ・ヴェッキオ(ヴェッキオ橋)もそうであるが,ここヴェネツィアの大運河にかかる,昔は大型船も通行可能なように跳ね橋であったリアルト橋。今では大型船が運河を通るということはないが,それでも小型の船やヴォパレット(乗り合いの,市民が通勤に使う,あるいは観光客が移動に使う船),それにあの黒塗りのゴンドラが通るので,コンクリート造りで跳ね橋ではないが,中央が高くなった太鼓橋になっている。この橋の上も,橋の袂も実に多くの人でごったがえしている。かつてのヴェネツィアでは,このあたりが商業の中心地。海外から商人がここへやってきて取引をしたのだから,ヨーロッパの一大商業の地とでも言おうか。写真にある階段のあちらの右手には今でも小さな古びた教会があるが,ここではじめて近代的な銀行が始まったのだ(これも以前写真つきで紹介した)。さて,サン・マルコ広場から時計塔の下をくぐり,目抜き通りを通って,四つ筋にある建物の角のちょっと上に小さく表示されている「RIALTO →」に従って歩いていくと,小広場の手前,左手に折れる道があり,目の前にどーんと階段が現れる。これがリアルト橋の階段である。ここまでずうっと,広くはない道路の両側に土産物を扱う商店が軒を連ね,見飽きないのだが,リアルト橋の上まで続く土産物店の商品に目を奪われていると,つい自分のいるところが橋の上り口であることに気付かずに,階段を上ることになる。橋の上も両側にはほとんど隙間なく店が並んでいるために,両側にある店のさらにその外側にある橋の欄干とテラスには全く気付かず,登り切った階段をまた下りることになるのだ。欄干にもたれかかって休んでいる人たちや,運河に向けて美しい風景をカメラにおさめている人も実に多いのだが,これには気付かないわけだ。ピノキオの木彫りなどを売っている店も橋の袂にはあるが,橋の上にはカーニヴァルグッズを売っている店も目を楽しませてくれる。カーニヴァルって? カルネとは肉のことでカルネヴァーレ(肉を絶つ)ということなのだが,この期間は肉を口にしないのか? このお面をつけて(他にもタブッロと呼ばれる黒い合羽やバウタと呼ばれる黒絹のヴェールなど,身につけるべきものはあるのだが)いれば,このカーニヴァルの期間中は無礼講。普段は階級差や貧富の差があって,特に男女間のお付き合いできる範囲は属する階級内だけだったから,誰とでも自由にというわけにはいかない。若い女が自由で出歩けるということもなかった。ところが仮装をしている限り,貴族階級であっても,どんな階級の女性とでもその限られた時間の中でだが,仲良くなれる。いくところまで行けるというのだ。えっ,そんなこともできるの? そうです,良家の女が娼婦に混じって客を引くということだってできたというのです。堅物の元老院議員が自分の娘ほどの若い女性の胸の中に,心臓をドキドキさせながら手を滑り込ませることだってOK。ゴンドラを借り切って貴婦人とねんごろに・・・何でも許されたのです。とにかく顔を隠している状態なのだから,身分がばれるとということはないのだ。貧富の差もなく身分の差もなく,男も女もこの期間はワクワクしたことだろう。これがいいのか悪いのか私には分からないが,気分転換にはどの階級にとってもきっと良かったに違いない。お断りしておきますが,これは18世紀末までのヴェネツィア共和国時代のことです。今はこんなことはありません。残念でした。「ヴェネツィアのカーニヴァル」カルメン幻想曲/リゴレット幻想曲/ハンガリア幻想曲 バリン...価格:1,407円(税込、送料別)イタリア・フェスタ紀行価格:1,600円(税込、送料別)
Nov 6, 2010
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イタリアはヴェネツィア。サン・マルコ大聖堂の右隣はドゥカーレ宮殿である。ここはヴェネツィアの行政と司法,つまり官庁であり国会でもあったのだが,この中で裁判も行われた。この裁判で被告人となり,重罪刑に処せられた者は,隣の牢獄に入れられることになる。犯罪者は宮殿内から狭い通路を通り,やがて狭い運河の上に架かっている通路にさしかかる。その通路は外から見ると,下の写真のように見える。ここを犯罪人が通るとき,「あ~あ,これで娑婆も見納めか」と溜息をついたとかで「溜息の橋」と呼ばれている。これを犯罪者になったつもりで,内部から外を眺めるとどう見えるのか。そうです。宮殿に入り,国会議事堂に相当する部屋や委員会室などを見学したあと,溜息の橋を内部から見学することができるようになっている。それが下の写真である。溜息の橋から外をみると,たいしたものは見えないのだが,それでも犯罪人にとってはもう見ることのできない下界。溜息がでるのも当然なのかも知れない。光の入らない狭い牢獄で一生を終えなければならないのだがら,やはり見納めなのだ。そとから眺める場合は,ヴァポレットの発着所,サン・ザッカリアが近い。たくさんの人が運河にかかる小さな橋の上で写真をとっているので,彼らの見ている方角に目をやれば,溜息の橋はみつかる。また内部を見るなら宮殿入口でチケットを購入して,みんなが進む方向へ歩いていけば自然と溜息橋に行き着く。しかし「溜息の橋」と表示されているわけではないので,知らなければ見過ごすことになりますよ。イタリアのお土産が送料無料!【イタリア お土産】 ベネチアレモンクッキー6箱セット (海外の...価格:7,560円(税込、送料込)【PRADA】プラダ ベネチアプリント がま口セミショルダーバッグ ブラウン BR2530 コットンキャ...価格:38,500円~(税込、送料込)ベネチア人にしっぽがはえた日価格:1,575円(税込、送料別)
Nov 3, 2010
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「美しい泉」があったとかでシェーンブルンと名付けられた,ハプスブルグ家の離宮である宮殿に行ってきた。そう,この黄色っぽい建物がそうである。本当は黄金で仕上げたかったそうだが,財政難なのか,それともけちったのか,こんな色を塗ったのだ。この黄色にも何とかイエローという呼び方があるから恐れ入る。ヴェルサイユ宮殿はパリの中心地からちょっぴり遠くにあって,しかもひどく混み合っていた。おまけに掃除も行き届いていなくて,「汚いな」という感想をもったのだが,シェーンブルン宮殿の方はウィーンの中心部から5kmほどのところに位置し,地下鉄ですぐに行けるので「わあ,もうシェーンブルン駅だ」と,散歩がてらといった気楽な感じで行ける。それに時期にもよるのだろうが,それほど混んでいるわけではなく内部はほどほどに綺麗である。とまあ,こんな解説はいいのだが・・・ここで結婚式,披露宴があったのか,私が行ったときこれと思しきにぎやかな集団が出てきたのだ。ここで集合写真をとるや,つぎの行動に移ったのである。なにやら式を挙げたばかりの二人がそろって,手を繋いで,なんと2m四方の布めがけて突進したのだ。そして布を破り,めでたしめでたし。後ろの集団はわいわい,騒ぐ騒ぐ。そして大笑い。いいぞ! しっかりやれ! とかやじが飛んでいたのかも知れないが,私には聞き取れなかった。日本で言うなら何に相当するのだろうか。そしてこれは何を意味しているのだろうか。さっぱり分からなかったが,みなさん本当に楽しそうでしたね。さてシェーンブルン宮殿が観光客に公開されているのは2階部分。その他の居室は文化財管理公社によって賃貸住宅として公務員に貸し出されているのだ。だからここは公務員住宅なのであるが,とにかく宮殿に住民が住んで,普通の生活をしているのだ。といっても通常の生活にはイマイチ不便。だから人気もそれほどあるわけではないらしい。2LDK,100平米の広さで5万円ほどの家賃。東京都内に住むことを考えると,なかなかいいな,と思うのだが,とにかく公務員でないと申し込む資格はありません。念のため。
Nov 1, 2010
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ウィーンでグラーシュというスープをはじめて食べた。赤い色をしたスープ,簡単に言えば牛肉のパプリカ煮込みであるが,「こんなものか」といった程度の感想しか持たなかった。 数日後にハンガリーの首都ブダペストを訪れた。昼食をとろうと,ケレティイ中央駅近辺でレストランを探したが,適当なところが見つからず,仕方なく駅中にあるレストランに入った。メニューを見ても何がなんだかさっぱり分からなかったので,ガイドブックに載っている写真を示して,「これはあるの?」と聞いた。注文した一品がグラーシュ。確かブダペストではグリアーシュと言ったのではなかろうか。隣り合った国同士だから同じような食べ物があるのは当然。 しかし食べてみると,これが旨い。ウィーンで食べた同じものには感動しなかったが,こちらのグラーシュは遙かに旨い。とにかくパプリカは舌を刺すような感じではなく,甘みがあって優しい味がする。いったいどんなパプリカを使ってあるのだろう。 ブダペストには巨大な市場がある。中央市場がそれだが,市民はもちろんのこと観光客もたくさんここを訪れる。果物や野菜,魚肉やサラミ,それにトカイワインや果物の蒸留酒など所狭しと並んでいる。二階にはハンガリーの特産品,刺繍やら衣服,ガラス製品などがあり,簡単な食事もできるようになっている。ここにはあちらこちらに写真にあるような,日本で言うなら南蛮が置かれてある。ああ,そうか。これがグラーシュに旨味を添えているパプリカなのか。そう直感したのだ。とにかくハンガリー語など分からない私のこと。そう思うしかなかったのだ。 日本に帰ってから何度かグラーシュ作りに挑戦。そして旨いグラーシュができた。それで私流の作り方を伝授申し上げよう。旨いこと請け合い。間違いなしであります。グラーシュはハンガリーが本場ですが,負けず劣らずの味。是非作ってみてください。<材料> 1.牛肉(すね) 500~800g 2.ニンジン(小) 1本 3.セロリ 半分 <軸の部分を5mm角に切る> (葉の部分も香り付けに利用する:切り取って糸で束ねる) 4.キャベツ(中) 半分 5.ニンニク 1片 <すり下ろす> 6.タマネギ(小) 1個 <みじん切りにする> 7.瓶入りの粉末パプリカ 大さじ1 8.クミンシード 小さじ1 <粉末でも良い> 9.塩 小さじ1~2 10.ラード 25g程度:スーパーの肉売り場でただで入手できる 11.胡椒 少々 12.缶詰のカットトマト1缶 13.顆粒状コンソメスープのもと 1.熱した大きな鍋に,ラードを25g程度(適当で良い,少ないより多めに。これがコクを与えるからだ)を溶かし,タマネギ(小)1個分をみじん切り(細かくなくても良い)にしたものと,クミンシード小さじ1を加え,タマネギがやや褐色に色づくまで炒める。2.一度火を消して,市販のパプリカ粉末(瓶に入ってスーパーなどで売っている。甘口のもの)を大さじ1を加えていためたタマネギと混ぜ合わせる。さらにここへ2cm角に切った牛肉(すね)を500~800g加えて混ぜ合わせる。3.2に水を鍋の深さの半分ほど加えて,カットトマト缶詰1,ニンニク1片をすり下ろしたもの,5mm角に切った中程度の大きさのニンジン1本分,1cm角に切った中程度のキャベツ半分,5mm角に切ったセロリ,糸で束ねたセロリの葉,塩小さじ1~2,顆粒状のコンソメ適量,胡椒適量を加えて,コトコト中火で2時間煮る。 適量としたものは,自分の好みに合わせてという意味です。途中味見をして,塩などが足りなければ加減をしてください。とにかく簡単にできて,これで旨いのです。この分量で4人分はできますし,分量を多少増やしたいときは水と調味料を加えて加減するといいのです。当日よりは翌日の方が味が良くなります。パンとコーヒー,それにこのグラーシュと果物で朝食。贅沢ですね。有機パプリカ パウダー 20g スパイス類はメール便のご利用はできません価格:441円(税込、送料別)nK-Organicオーガニック・クミンシード 40g価格:420円(税込、送料別)【カゴメ 完熟カットトマト缶】★税込2480円以上で送料無料★カゴメ 完熟カットトマト缶(400g)価格:148円(税込、送料別)ビーフ・チキン・野菜のう甘みがつまった本格派無添加 コンソメスープ 顆粒調味料価格:380円(税込、送料別)
Oct 30, 2010
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ヨーロッパ旅行のことを書きたいが,ちょっと気になることがある。明治維新直前のこと,ペリーは開国を求めて軍艦4隻で浦賀を訪れた。頑なに海外との接触を拒絶する江戸幕府を相手にしたアメリカの開国要求。軍事力を使うのは外交の常套手段。そう常識なのです。話し合えば・・・なんて甘い考え。えっ? アメリカ,ペリーは何のために日本に開国要求したの? 通商だって?それで娘が使っていた高校教科書を開いてみた。ところがまるで分からない。これでは何を高校生に教えようというのか。当時アメリカでは捕鯨が非常に重要視されていた。鯨から脂をとり,これでロウソク(蝋燭)をつくる。繊維産業には欠かせない機械の潤滑油として利用する。これを海外に輸出することが当時のアメリカの外貨獲得の重要な課題だったのだ。だから大西洋に鯨をとりに出かける船は多くあった。そうした中で,上海から米国へ戻るアメリカの船が日本近海で鯨の群れに遭遇した。これをアメリカ本土へ報告したのだ。アメリカは日本近海へ行けば鯨が大量に捕獲できると考えた。それにしてもハワイから出て,食糧も水も補給しで鯨をとることはできない。それに鯨の脂から油脂にするには燃料が必要となる。つまり木材だ。これを燃やして油脂をとるというわけだ。そのためにはそれらの補給基地が当然必要となる。そうだ,日本がある。日本に補給基地があれば・・・。鯨の赤身は旨いのだが,これは捨てていたというのだから勿体ない話であるのだが。アメリカは日本には鉱物資源がないことを理解していた。だから日本を占領しアメリカの領土とすることには何の興味も持たなかった。欲しいのは港。自由に使えて水や食料や石炭などの燃料などの必要物資を補給できる港なのであった。アメリカでは綿布を中国に輸出することも重要な課題だった。綿布はアメリカからアフリカの喜望峰を経由して遠回りで輸出していた。しかし,日本を経由した新航路が開拓できれば必要な距離は相当短縮できる。それで太平洋航路を模索していたのだが,日本が港を開放してくれるのなら幸い。こんな事情があって,アメリカでは日本に圧力をかけると議会で決まった。それを任されたのがペリーである。すなわち,ペリーの来航は「捕鯨基地と綿布運送のための中継基地の開港」が目的であったのだ。ペリー来航の翌年にも7隻の軍艦を引き連れて日本にやってきた。そして幕府は函館と下田を開港することに決定。函館は捕鯨基地に,下田は綿布を中国へ輸出するための中継基地に。これが下田条約である。通商もアメリカの要求にはあったが,2つの港を開放するだけでアメリカは大いに満足したのだ。通商をおこなうかどうかで幕府内は賛成派と反対派でけんけんがくがくやったのだが,そんなことはアメリカには本当はどうでも良いことであった。長崎を幕府はすすめたのだが,アメリカは興味すら示さなかった。当然ではないか。こうしたことが歴史の教科書には書いていない。だからアメリカはどうして日本に来航し,これに過敏に幕府が反応してしまったのか。台場まで建設しようと試み,資金不足で頓挫。教科書の記述からはさっぱり分からない。英語を操る日本人もほとんどいなくて,辛うじて利尻島に漂着し長崎に送られたマクドナルドから英語を教わったある人物が関わった以外,外交というものを知らなかった日本。かろうじて現在の「お台場」が栄えているので良しとしましょうかね。ここを訪れる若いミーハーにはお台場の意味すら分からないでしょうがね。今の政治を仕事にしているおじさんやおばさん,こんな本当の歴史,ご存じでしょうかね。ペリーとヘボンと横浜開港価格:2,100円(税込、送料別)誰も教えてくれなかった日本史大事件の前夜価格:700円(税込、送料別)目からウロコの幕末事件簿価格:1,365円(税込、送料別)
Oct 23, 2010
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ローマ経由でミラノを訪れた。最初に行ったのはここ。下の写真はミラノのドゥオーモです。地下鉄の「ドゥオーモ駅」を出ると,真正面に現れる純白の繊細なカトリックの教会です。夜はライトアップされるので,これまた素晴らしい光景を見ることができます。高さは108mと少し。マドンニーナの愛称のある教会。135本の尖塔,尖塔にも柱にも壁にも,総計2245体の彫刻があるというのだから,まさにキチガイじみた建築物なのである。レース編みのような繊細な感じ,それでいてずっしりとした重量感。まことにすばらしい建築物であります。かつてイタリアのヴァチカン,サンピエトロ大聖堂に行ったことがある。大聖堂の一番奥には半円形の出窓があり,ここに豪華な椅子がある。えっ,誰が座るの?ここがローマ法王の地位を象徴している座席,つまり司教座なのであります。カトリックではローマ法王のことを教皇と呼んでいるが,なんのことはない,正式にはローマ法王はローマ司教なのである。この世界では地理的な区分として教区というのがある。そこには必ず教会がある。その教会の運営を任されたのが司祭であり,その教区の責任者となる。東京都なら区長といったところであろう。この教区がいくつかまとまると,これら全体を統括する全体の責任者が必要になる。そうです,東京都なら渋谷区や品川区や新宿区などの区長の上に都知事がいるように。この上位の司祭が,司教と呼ばれるのです。だからローマにも司教がいて,それがローマ司教なのです。たまたま成り行きでローマ司教はカトリックの最高責任者でもあるのでローマ法王と呼ばれるのです。最初のローマ司教はペトロです。だからサンピエトロ(聖ペトロ)寺院と呼ばれるのです。司教座の原語はカテドラ。もともとは「座席」という意味です。でもキリスト教の世界では「司教の座席」を意味します。キリスト教の特別の行事があるとき,司教が座る特別の椅子が司教座なのです。いや,座る座らないにかかわらず,司教の権威を示す象徴としての座席,つまり司教座として重要な意味のあるものなのです。大聖堂とか大寺院という表現は適当ではありません。大きい教会であるかどうかは問題ではありません。司教座の置かれる教会は小さくても問題ありません。大小ではなく,その教会に司教がいるかいないかが問題なのです。イタリアでは司教座のある教会をドゥオーモと言います。しかしカテドアラルと呼ぶ町もあります。町ごとに違うのです。ミラノではドゥオーモです。オーストリアの北,ドイツではドームですが,ミュンスターと呼んでいる町もあります。その町ごとに歴史,伝統が違うので仕方が有りません。上の写真の左側,教会の建物を少しあちらへ向かうと,チケット売り場がある。ここはドゥオーモの上へ階段で上る人のためのチケット売り場なのだ。別にエレベーターで楽に上りたい人のためのチケット売り場もある。私は勿論よりやすい「歩く派」。こちらの方が途中の様子が階段から見られて良い。そしてこんな高さ,歩いたってたいしたことはない。たかだか109mなのだ。ローマのサンピエトロに次ぐ大聖堂を作るのだと意気込んで作られた教会。1386年のことだった。スカイツリーのように,世界一を目指すのは勿論御法度。サンピエトロを凌ぐようでは大本山から何をされるのか分からない。尖塔が完成したのが1887年というのだから,ここまでで500年もかかっている。何と気の長い試みだろう。正面の五枚のドアの一つはミラノの守護聖人アンブロージョの生涯を物語るものである。階段を息を弾ませて上ると,屋根の上に出る。ここからの眺めはやはり絶景というしかない。ミラノ市内を見渡すことができる。写真はドゥオーモ広場である。右側にはヴィットリオ・エマニィウエレ二世のガレッリア,つまりアーケード街がある。広場の正面のあちら側にはメルカンティー広場が,広場の左側は王宮,ミラノスカラ座は正面を右側へ少し歩いたところにある。この界隈は東京で言えば丸の内,何を買うにも高い。それで私は少し離れた庶民の暮らす地域でスーパーマーケットをさがし,ここでミネラルウオーターやらサンドイッチやらを買って,安上がりに過ごしたのであります。
Oct 16, 2010
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ヴェネティアの表玄関に当たるサン・マルコ広場。サン・マルコ寺院の向かい側にランドマークとも言える鐘楼がそびえ立っている。一度は突然前触れもなく崩壊。奇跡的に死亡者もけが人も出なかった。さすがサン・マルコに守られた鐘楼である。その後新しく建設され,それが現在の鐘楼である。サン・マルコ寺院でミサが始まるときなど,定時には鐘が鳴り響き,なかなかの雰囲気を醸し出す。この鐘楼の上に上るにはいくらかのお金が必要だが,エレベーターであっという間に上についてしまう。しかしここからの眺めは絶景というしかない。近くの建物や広場,大小の運河はもちろん,天気さえよければ遠くに位置する島々まで見ることができるのだ。どの方角を向いてもそれぞれが絵になるのであるが,この写真では遠くリドの島が水平線上に見える。リドって何? そうですアドリア海に面した細長い島で,この島のあちらは外洋なのであります。島のこちら側は潟(内湾)であるから,そのリド島が防波堤になってヴェネツィアを守る形になっている。だから他の城塞都市のようにヴェネツィアには城壁がないのだ。万が一敵が船で潟に入ってきても,船が通ることのできる目印である木の杭を抜いてしまえば,どこを進んだら安全なのか全くわからなくなる。海の水が引いて,やばい,と思ったときはもう遅い。船の底は海底の泥に突っ込んで身動きがとれなくなる。そのときを見計らってヴェネティ側では火矢を放ちたちまちにして敵は泥の中を逃げまどうということになる。リドと言えば,ヴェネティア国際映画祭の会場になるところ。ビートたけしもここには何度も足を運んだことだろう。写真のこの字型の建物は共和国時代の国会,ドッカーレ宮殿,その向こうの海岸はスキャヴォーニの海岸である。かつては自国の船も,外国の船もここに到着し,ここから船出した,正真正銘の表玄関である。今は多くの人が列車やバスで裏玄関に到着し,ここまで歩くか,あるいはヴォパレットという乗り合いの船で来るわけだ。世界一周の船に乗るか,あるいはエーゲ海クルーズなどの船に乗らない限り表玄関からヴェネツィアに入ることはないだろう。しかし,本当は表玄関側からヴェネツィアに近づくのが一番感動する。ああ,とうとうヴェネティアに来たんだな,と。
Oct 5, 2010
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海外貿易が生きる唯一の道。ヴェネツィアの運河沿いには数多くの商館があった。今でもその建物は博物館として,あるいはホテルとして,あるいは政府の機関として使われ,保存されている。写真はカ・ドーロ,黄金の館とでも訳したらいいのだろうか。外観はレース編みのように繊細で,まことに美しく,運河を行き来する船の乗客の眼を釘付けにする。内部は美術館として公開されていて,対岸の市場からは渡し船で,サン・マルコ広場側からなら歩いて行ける。商館は運河に面しているのだから,当然写真に写っている側が表玄関。現在,歩いて訪れる観光客が出入りする玄関は正式の玄関ではない。あくまでもここは水の都なのである。ここから船で荷物を運び込み,荷ほどきがされる。一階は作業場,そして倉庫でもあるのだ。二階には事務所があり,ここで商談がなされる。また海外からやってくる商人が,建物の所有者である商人の計らいで宿泊できるように,客間や客のための寝室もある。三階から上は家族の寝室や居間だったりする。これが商館の基本的なつくりである。海外からの商人をテラスに導き,ヴェネティアの美しさをここから自慢げに,誇らしげに語るかつてのヴェニスの商人。こんな光景が目に浮かぶようです。現在郵便局として使われているかつての商館も同じつくりである。だから郵便局に手紙を出しにいくと,商館の基本構造が見て取れる。また有名なホテル,ダニエリは商館をそのままホテルにしたような作りになっているので,まるでかつての商人が滞在するような感覚でこのホテルに宿泊できるというわけだ。宿泊料はお高いので,その覚悟で。オススメ:商館の構造を観るには,やはり上にも紹介したように,ホテル・ダニエリが良いと思う。ヴォパレットの船着き場,サン・ザッカリアで下りると,すぐ目の前がホテルである。内部に入ると吹き抜けのホールとなっていて正面には階段があり,1階から4階だったか,かつては事務所だったり,商人の宿泊に使われた部屋だったり,家族の部屋だったりしたことのある部屋のドアが吹き抜けのホールに面してあるのが見える。ヴェニスの商人価格:580円(税込、送料別)【ポイント8倍】送料無料!!ヴェニスの商人 オリジナル・サウンドトラックサントラ【smtb-u】価格:2,500円(税込、送料込)
Oct 2, 2010
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かつては輝かしい海運国であったヴェネツィア。先週は造船所(アルセナーレ)を紹介したが,ここは楽しめるという場所がある。ここは海洋史博物館。サン・マルコから海岸に沿って有名なホテル・ダニエリの前を通り,この海岸はスキアヴォーニの海岸(アドリア海の東のダルマツィア地方からやってきた船乗りの名前だったか)と呼ばれるのだが,そしてヴィヴァルディーが聖歌隊の指導をしていたというピエタ教会の前を過ぎ,すると左手に見えてくるのがこの博物館。建物はもちろん潟に面しているのですが・・・そしてこの建物の左脇を進んでいくと造船所がある,という位置関係ですが。もともとはヴェネツィア共和国時代に穀物庫があったところ。ここでは15世紀から18世紀にかけての海運国としての歴史を学ぶことができる。石でできた大砲の弾丸など,武器あり,船の模型有りで,書物で見るよりもはるかに理解が深まる。写真はガレー船の模型。こうして外国から買ったスパイスなどを運ぶ。船乗りは場合によっては武器をとるのだから,兵隊でもある。アラブの奴隷とは全くちがう。彼らは自分の荷物も積み込むことができ,これを海外で売って稼ぐということも可能なのだ。帆船とは違い,ガレー船は船乗りが多いから人件費がかかる。だから安いものを運ぶのは帆船で,海賊に出会って仮に奪われても損失の少ない綿とか小麦とかを積み込むわけだ。この博物館の最上階にはなんと高瀬舟や亀甲船の模型などもあって実に面白い。ヴェネツィアが海上につくった高速道路のいわば中継地である城壁で守られた町の様子やレパントの会戦の模様など地中海で起こったあれこれを知っている人にとっては,「あっ,これだ」と感動する展示物があるのだ。ヴェネツィアに行ったら海洋史博物館,オススメです。カットコインネックレス◆イギリス商船◆数量限定レア品価格:10,400円(税込、送料別)カットコインネックレス◆スペイン商船の錨◆数量限定レア価格:9,800円(税込、送料別)迷宮都市ヴェネツィアを歩く価格:1,000円(税込、送料別)
Sep 25, 2010
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ヴェネツィアに行ったら,ここに行くべきである,と私は思うのですよ。えっ,ここはどこかって? ここは国営造船所(アルセナーレ)であります。入口にあるのは17世紀,ギリシャのピレウスから戦利品として持ち帰ったライオンの像。現在はイタリア海軍の施設なので内部は見学できません。ヴェネツィアはピサ,アマルフィー,ジェノバの海運国を追い越し,世界一の海運国にのし上がった。非常時に備えて,常にここではガレー船が建造されキープされていたのだ。兎に角トルコという強敵がいて,いつ宣戦布告されるかわからない。規格化された部品,流れ作業によって船は組み立てられたのだ。ここで働く職工は平民であるが,2000人が働き,非常時には3000人にもなった。彼らの社会的立場はとても高く,軍隊のなかったヴェネツィアで政治の中心が危機にさらされたときは,造船所の職工たちがかけつけ,元首官邸を守ったのだ。こうした役目と責任有る立場にあったので,当然給料は高く中流以上で,彼らの娘たちは貴族と結婚することもできたというのだ。造船所で働くのは平民のあこがれだったのかもしれない。そのような国営造船所,やはりヴェネツィアを訪れたら行ってみるべき場所であると私は思うのですね。ヴェネツィア価格:1,680円(税込、送料別)1930年3月に神戸の川崎造船所で建造されました。【敬老の日おすすめギフト】 AOSHIMA アオシマ ...価格:10,550円(税込、送料別)連合艦隊【Blu-rayDisc Video】価格:5,387円(税込、送料別)
Sep 22, 2010
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ヴェネツィアには絵になる風景があちこちにある。いや,すべてが絵になると言ってもいいだろう。この中でも特にここはいいぞ,というのがこの写真。大運河(カナル・グランデ)の最も下流に架かっている橋はアカデミア橋と呼ばれる。木製の木組みの橋,柱が丸出しで黒褐色の塗料を塗りつけたような橋だが,しっかり金属の支柱で支えられているのでがっちりしている。この橋を東から西へ渡ったすぐのところにあるのがアカデミア美術館である。宗教画が中心の美術館なので,聖書のあれこれの知識の皆無の人は,何がなんだか判らない。だからたちまち飽きてしまうかもしれないのだ。いや,こんなことは余計なお節介。イタリアに渡った須賀敦子という日本の女性作家もここで佇んだというアカデミア橋。ここから海側を眺める景色はヴェネツィアの中でも絶景中の絶景である。右奥に見える丸屋根(クーボラ)のある建物はサルーテ教会。かつてヴェネツィアでペストが流行し,その終焉を聖母マリアに感謝してつくられた教会。17世紀のこと。サン・マルコ広場からもよく見え,こちら側から運河に浮き橋を渡してサルーテ教会側へ渡る宗教行事もあったとか。この様子はコッレール美術館(サン・マルコ寺院の対面が入口)の中のある一室にある絵画に描かれている。これを私は発見したのでした。須賀敦子のヴェネツィア価格:1,890円(税込、送料別)須賀敦子が歩いた道価格:1,470円(税込、送料別)コルシア書店の仲間たち価格:924円(税込、送料別)
Sep 18, 2010
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多くの町は川の流れているところにつくられている。物を運ぶのにも,移動するにも,農耕にも,飲料としての水を得るにも,あれこれ役立つから自然とこうなりますね。川があれば橋ができるのも当然。だからどの町にも橋がある。そしてその町のシンボルとも言える橋が必ずある。東京なら永代橋や両国橋,いや吾妻橋かな? そうそう大切な日本橋を忘れていましたね。パリならセーヌ川の,ロンドンならテムズ川のあの橋。えっ,ブダ・ペスト? ここならドナウ川に架かる「鎖橋」ですね。ヴェネツィアのシンボルなら,断然カナル・グランデ(大運河)に架かる橋,リアルト橋ですね。1264年に架けられ,最初は木造だったが1444年には殺到した群衆の重みで落ちてしまったとか。16世紀になってから大理石の橋に架け替えられたのです。もともとはこのあたりは一大商業地,海外から来る大型の船がここに到着。そのため跳ね橋だったのですが,今は小さな船しか走っていないのでその必要はなくなった。フィレンツエならアルノ川に架かるヴェッキオ橋と同じように,リアルト橋の上には,写真からはわからないが,土産物屋が通りの(橋の段々の)両サイドに並んでいて,太鼓橋になっているから階段を上り下りすることで,ここが橋だと分かるものの,土産物に気を取られて歩いていると,橋を渡ったという感覚はまったくない,という橋なのです。【情報】カナル・グランデに架かる橋や運河の両側にある建物の写真をとるなら,早朝のヴォパレットに乗ることをおすすめします。仕事で職場へ向かう通勤客が乗り降りするだけで,観光客はまだ行動を開始していないので,じつに良い写真をとることができます。空気も澄んでいるし,さわやかな風を肌に感じながら,ヴォパレットの最前列の席に座って,ヴェネツィアの景色を独り占め,堪能するなんていう過ごし方もなかなかいいものですよ。この写真は真っ昼間の写真です。大勢の人たちが橋の欄干に寄りかかってこちらを眺めていますね。ヴェニス リアルト橋 (33cm×95cm)価格:4,200円(税込、送料別)virtual trip VENEZIA トールパッケージ化&低価格化(DVD) ◆20%OFF!価格:2,352円(税込、送料別)
Sep 15, 2010
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近代的な銀行を世界で最初につくったのはヴェネティアの人たちである。ヴェネツィアには大きな運河がS字状に流れている。これはカナル・グランデと呼ばれている。ここには終着駅のサンタルチア駅の目の前にあり歩いてすぐのスカッツィ橋,一番下流側の近く同名の美術館がそばにある木製のアカデミア橋,そしてこの二つの橋の中間に有名なリアルト橋が架かっている。リアルト橋を東から西に渡ってすぐ右手にある教会,大きな時計がファザードに備えてあるサン・ジャコモ・リアルト教会がある。この裏手には果物や野菜,魚介類を扱う市場が朝から賑わっているので,気付かずに前を通った観光客もいるだろう。写真の通り,この教会の入り口前は屋根のある外廊になっている。ここはかつての銀行街と言っていいだろう。もともとリアルト橋界隈は商取引の中心地であったのだから,ここに銀行街ができたのも当然と言えば当然なのである。常時四,五人の銀行家が帳簿を載せた机を前に座っていたのである。そうです,ちゃっかりと教会の前にですね。さて,それまでは銀行といっても「両替」によって手数料を稼ぐ商売だったのだ。あるいは金貸し業であった。だから銀行は金貨,銀貨を山積みにした店構えだったそうだ。ところがここで始めたのは近代的銀行業である。机の上にあるのは帳簿だけ。ここで扱う地理的な範囲はイギリスのロンドンからエジプトのカイロまで。商取引を終えた商人たちは誰もが複数の銀行に口座を持っていて,誰それの口座にこれだけの金を移して欲しいと伝えるのである。手続きはそれだけ。それで安全確実に金が動いたのだ。為替手形によって遠方の地での支払も可能にしたので,商人はそれまでのように金貨や銀貨を持ち歩く必要から解放された。どこかで奪われるなどといった危険もなくなったのである。さて,私は空港で円をユーロに交換するなどしたが,クレジット・カードが使える場合は現金の代わりに利用することが多い。このようなカードの利用がいつからできるようになったのか,これは歴史的には「つい最近になってから」と言うのが私の実感だが,やはり便利な世の中になったものだと思う。この「便利」という気分を,かつてのヴェネツィアを舞台に商業を営んだ各国の商人たちは,この近代的な銀行業のスタートで味わったはずである。中世イタリア複式簿記生成史価格:3,990円(税込、送料別)銀行ATMの歴史価格:3,360円(税込、送料別)国債の歴史価格:6,300円(税込、送料別)
Sep 12, 2010
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ヴェネツィアは水の都と言われる。運河が縦横に走り・・・と思いきや,東京の下町にある江戸時代に掘られた運河(現在では日本橋川などと呼ばれているが)とは趣がひどくちがう。それはなぜなのか。まずヴェネツィアで一番大きいのがカナル・グランデ。ここにはリアルト橋やアカデミア橋など3つの大きな太鼓橋がかかっている。かつては大きな船が海外から荷物を積んでこの大きな運河に入ってきたのだ。だから橋は跳ね橋となっていたのだ。要するにこの運河はヴェネツィアのメインストリートである。ここから脇道にそれると中小の運河がそれこそ網の目のように走っている。カナル・グランデを含め,東京のかつての運河と違うのは,曲がりくねっていること。それに,こんなに狭い共和国だったら埋め立てて土地の有効利用をしたほうがいいのに,と素人は思うのだが,それが違う。かつてのヴェネツィア人が手を抜いたり,面倒だと思ったわけではない。むしろよく考えたすえの結果だったのである。陸から潟に入り込む川の水は曲がりくねって,あっちで別れ,こっちで合流しながら,やがて外洋に出る。この川の流れの浅瀬の部分部分にヴェネツィア人は家を建てたのだ。つまり水の流れをすべて自然に残すようにしたのである。そうしないと陸側から流れ込む水が人間による人工的で不自然につくった運河により停滞したり,満潮の時や高潮などのときに逆流するなどして洪水になる危険性が大きいのだ。水は停滞すれば腐り悪臭を放つ。ヴェネツィアに着いてすぐ気付くことは,塩くさい臭い,生臭い臭いなど,どんな臭いもしないということだ。これには正直驚いた。水は濁っていて底は見えないのだが,決して腐っているわけではない。腐敗臭はない。海臭さもない。とても快適なのだ。いまだに陸からの水は外洋に自然にうまく流れているということなのだろう。当然ヴェネツィアができた頃から水を管理する公務員がいた。水の管理はヴェネツィアではとても大切な仕事だったのである。下水は直接大小の運河に流す。水が下水口から逆流しないよう今でも気を遣っている。下水を運河に流しても臭くないのは,やはり水の流れがうまくいっている証拠だろう。【ゴンドラ】どれも黒塗りである。かつての贅沢禁止令により黒一色に統一されたのだ。運河を左折あるいは右折するときは「ホイっ」というようなあまり大きくない声をゴンドリエーレは出す。「これから曲がるよ」と別のゴンドラに注意を促すのだろう。ところで女性のコンドリエーレ(ゴンドリエーラと言うべきか?)はいないのはどうしてなのだろう。男性の仕事と決まっているのだろうか。ゴンドラの文化史価格:2,940円(税込、送料別)大人の塗り絵(イタリアの街の風景編)価格:998円(税込、送料別)virtual trip VENEZIA 【DVD】価格:2,646円(税込、送料別)
Sep 6, 2010
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ローマのスペイン階段の近くにあるなんとかというカフェのように,有名なカフェというものがヨーロッパにはある。ヴェネツィアではサン・マルコ寺院の前のサン・マルコ広場に面して有名なカフェが向かい合うように2つある。一つは寺院に向かって左側にあるカフェ・クアードリ,もう一つは右側にある新行政館の回廊にあるカフェ・フローリアンである。他にもあるにはあるがこの2つは特に有名であると言えよう。カフェ・フローリアンは1720年創業というが,ここが有名なのはヨーロッパで最古のカフェであることと,例えばスタンダールやゲーテやカサノバやワーグナーなど,数々の著名人が訪れ,愛した店だからだ。きっと三島由紀夫をはじめ日本の著名人も訪れたことだろう。コーヒーの歴史は専門家にまかせるとして,ヴェネツィアでも最初は薬としての扱いだった。そこでこれを一般にも普及させようと,大量に輸入,煮出して砂糖を加え提供した。これが大ブレーク。次々と真似をしてカフェが林立。あまりにも多くのカフェができたのでヴェネツィア政府も店の数を制限したほどなのだ。ここで私はエスプレッソを注文した。ちょうど楽団が演奏をしている時間帯だったのでテーブルチャージ料が別に必要だったが,このエスプレッソがやはり美味かった。濃厚な味,とろけるような黒い液体が喉を下っていく。目の前はサン・マルコ寺院のファザードが見え,右手前には鐘楼がそびえ立つ。広場には多くの観光客が行き交い,上からは眩しい光が降り注ぐ。まるで土曜日曜の竹下通りのような混み具合であるが,やはり「今ヴェネツィアにいるんだ」という気分が盛り上がる。楽団に合わせて歌を歌い始める観光客も登場。やがて鐘楼の鐘が鳴り始める。ヴァチカンとは距離を置いた国だったが,やはりヴィザンチンの影響を大きく受けたキリスト教の国である。さて,サン・マルコ寺院に入るための長蛇の列を避けて,隣のドゥカーレ宮殿に入るとしようか。「追記」:日差しは時間帯によって違うので,どちらのカフェに入ったらよいか,両方のカフェの日当たり具合を眺めてみるとよい。たくさんお客が入っている方が快適な状況にあるのは言うまでもない。 ヴェネツィア価格:1,680円(税込、送料別) リチャードジノリ(Richard Ginori) マルコポーロ ティーカップ&ソーサー(ブルー&レッド) ペア...価格:14,700円(税込、送料別)
Sep 5, 2010
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ヴェネツィアを散策していると,このような井戸があちこちにあるのに気付くはずである。あちこちといっても,それはある限られた場所である。カンポといわれる広場,それに広場とは言えないほどの小さな空き地,小広場(カンピエッロ),そして空き地(コルテ)である。写真はヴェネツィアの玄関であるサン・ザッカリアの船着き場にほど近い,海に面したドゥカーレ宮殿内の中庭の様子である。ここはヴェネツィアの中枢,日本で言えば霞ヶ関の官庁街,そして国会や裁判所である行政,立法,司法の場であった。潟の中にある島に逃げ込んだ古代ローマ人にとって水の確保は緊急の課題だった。島の周辺には北の大陸から流れ込む川の水。それにヴェネツィア国際映画祭のあるリド島方面から流れ込む海水。それらは混じり合ってとても飲み水としては<腐りやすく,また塩っ辛いから>相応しいとは言えない。それで雨水の利用を考えた。日本にあるような井戸を掘り,そこからしみ出してくる水をくみ出したのではやはり塩からい。とても飲めたものではない。日本人が考える井戸という概念とは全く違う。雨水をためる貯水という概念と言うのが本当の姿である。もちろん日本人が考える井戸がなかったわけではない。しかし地下から水をくみ上げると地盤沈下という大きな問題が発生する。それで考え解決したのがヴェネツィア式の井戸である。雨が降る。この水の有効利用である。「正方形に」穴を掘る。穴の周辺を粘土で固め,海水が混ざらないようにする。そしてこの穴を砂で埋め尽くす。この砂の地表面の四隅に雨水を取り入れる小さな取り入れ口を設置する。つまり最初に大きな正方形の穴を掘り海水が侵入しないように粘土で固め,この上に瀬戸物の茶碗を置く。次に茶碗の内側を砂で満たす。茶碗の上に「正方形になるように」四隅に雨水の取り入れ口を儲ける。四隅のちょうど中央に茶碗の底近くに達する井戸を設置する,というわけです。どうでしょう? 想像つきますか? 四隅から入った雨水は砂の中を沈んで茶碗の最下部まで沈む。その間にゴミなどがろ過されて綺麗な水になる。茶碗の一番深い中央に集まった水は,中央に掘られた井戸の中に入り込み,ひたひたと満たす。この水をくみ出す。これを飲み水に使う,というわけなのです。現代においても,井戸のふたは閉じられて使われてはいないものが多いようだが,四隅の水の取り入れ口の方に向かってほんの少し広場の敷石が傾いているのがわかる。そして,今では上水道が完備したヴェネツィアであるが,風呂の水や洗濯の水は屋根に降る雨水を各家庭の台所まで引いて,使っていたのである。では下水の方はどうしていたのだろうか? 迷宮都市ヴェネツィアを歩く価格:1,000円(税込、送料別) ヴェネツィアの宿価格:560円(税込、送料別) 風景 1000ピースジグソーパズル。ビバリー 月夜のヴェネツィア~リアルト橋~ 61-314価格:3,150円(税込、送料別)
Sep 4, 2010
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私はミラノからヴェネツィアに入った。ミラノ中央駅から列車でヴェローナ,パドヴァという小さな,でもそれぞれ知られている町を過ぎると,やがて右手に海が見えてくる。といってもこれは大きな潟である。そして列車は潟の中につくられた陸橋を南東に直進する。列車の進行方向右手は車のための道路で,観光バスや荷物を運ぶトラックが行き交っている。列車は終着駅,サンタ・ルチア駅に到着。航空機で直接行くという人もいる。この場合はマルコ・ポーロ空港に到着する。ここからヴェネツィアに向かうバスが30分に1本は出ている。このバスに乗るとほどほどの時間,おうよそ道路の混みようにもよるが30分程度でサンタ・ルチア駅のすぐ隣のローマ広場に到着するのだ。この場合も陸橋を列車と平行して走る。要するに,列車でも飛行機でも車でも,いずれもヴェネツィアの西の端に到着するのだ。ここが現代のヴェネツィアの実質的な入口と言えよう。しかし,かつてはこんな陸橋はなかった。だから人々はイタリア本土側か,あるいは潟の外側に拡がるアドリア海から船で潟に入り,そして写真にある場所,今ではヴェネツィアではヴァポレットと呼ばれる,陸であれば市バスに相当する小型の船のバス停,サン・ザッカリアで船を降りるのが常であった。だからこの写真が本来のヴェネツィアの玄関口なのである。車も自転車もバイクも一台もないヴェネツィア。太い運河,細い運河が縦横に,複雑に走り,どの運河にも大小の橋がかかり。これがヴェネツィアなのである。だから移動するには船に乗るか,歩くかの二通りしかないのである。橋はすべて船が通れるように太鼓橋になっている。上って降りて・・・やれやれなのだが,これがなんとも楽しい。私が泊まったホテルはこのまさにヴェネツィアの入口に近いところにあったので,サンタ・ルチア駅からヴァポレット(船)で大運河(カナル・グランデ)を下り,この本来のヴェネツィアの入口近くにあるバス停ならぬ船乗り場サン・ザッカリアでまだ軽いトランクを引っ張って足を地につけたのであった。かつての海洋国ヴェネツィアの指導者も共和国の国民も,商売で海外から戻るとき,戦争を終えて祖国に戻るとき,この姿を眼にしたのである。そのかつての時代から殆ど変わっていないのがこの写真の様子。鐘楼が見える。その右側にはドッカーレ宮殿が。そしてその奥にはサン・マルコ寺院が。手前には二本の円柱が見え,その上には・・・誰もがここから船で出発し,そして戻ってきたのである。私はヴェネツィアに敬意を表して本来の玄関からヴェネツィアに上陸したのである。(続く)追記:ヴェネツィアに行くなら是非船で対岸の島,あるいは外洋に面するリド(ヴェネツィア映画祭のある島)に行って,ここからまたヴァポレットで戻ってくることをお勧めしますね。そうすると遠くから海の上に浮かぶヴェネツィアが見え,しだいにこの玄関口が大きく見えてくる。陸橋がない時代誰もが眼にしたヴェネツィア。これが本当のヴェネツィアの玄関の姿だからです。
Aug 31, 2010
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これから食事作りなので,説明は後ほど。写真のみご覧あれ。
Aug 25, 2010
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やっと日本に帰国した。帰国して最初に思ったことは,蒸し暑い。湿度が高すぎる。なんでだ? である。海に囲まれたちっぽけな町,ヴェネツィアでさえも蒸し暑いという感じはない。さすがに直射日光に当たれば暑いなとは思うが,木陰に入るとすっと涼しくなるのだ。ところが成田に帰ってくるや,これにはマイッタ。暑いだけならなんとかなるが,蒸し暑いのは困る。汗が肌から飛んでいかないのでいつもベタベタ感がある。今日はまたまた3年ぶりに37℃を越えたともいう。そして蒸し暑いので今夜は寝られないかもしれない。時差のためのボケもまだまだ解消しそうもない。なにしろ時差は7時間(夏時間)あるので,今は午後7時だが,あちらではちょうど正午というところだ。さて昼飯はどこで,何をたべようかななどと考え始めるころだ。ワインがいいかな,それともビールにするかな。こんなことを考えるのも海外でも楽しみの一つになる。日本でならこんなわけにはいくまい。居酒屋かビアホールに足を運ぶという手もあるが,こんな暑さでは行き帰りがやはりつらい。もちろん香港など湿度100%というのも経験したことはある。夜の夜中でも息ができないほど湿度が高い。だからエアコンの効いている部屋の窓はいつでも水滴がたらたらと垂れている。ここではエアコンがなければ生活できないだろう。インドでは40℃を越えていた。ベッドもホッカイロのようにほかほかで熱く,とても寝られない。それに比べれば東京など,とも思うが,ヨーロッパの気候に多少慣れてしまうと,それがなかなか快適であることがよくわかる。あちらでは,暑い,暑いとハンカチを手にしている人をほとんど見かけない。当然暑いのは暑い。だから大きな噴水のあるミュンヘンのマリエン広場では,裸になって水の吹き上げる噴水の中に入って水を浴びている大人もいるにはいる。しかし熱中症などにはならないだろうとも思う。部屋の中はそんなに暑くはないのだ。でも東京都では今日で100人が亡くなったのだそうだ。さて,今日から暇をみつけ今回のヨーロッパ旅行について書いてみることにする。今日はこのへんでやめておこう。図説大聖堂物語価格:1,890円(税込、送料別)
Aug 17, 2010
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旅行に出かける日が近づいている。それで荷物をトランクに詰め込んだり,食費やお土産,それに美術館などの入場料に必要なお金をおろしたり,冷蔵庫を徐々に空にしたり,スタンバイ状態に近づけている。犬や猫などのペットは飼っていないので心配はないが,一番の気がかりなのは鉢植えの植物である。水を吸わせるように細工をするのも面倒。かといってこの暑さではすぐに乾燥してしまいそう。ああ,どうすればいいのだ。庭に穴でも掘って,ここに鉢ごと埋めておこうか,などと考えている。こんなとき,時々なら激しい雷雨もいいのかな,などと自分勝手なことを考える。冬に比べると持ち物は少なくていい。下着だって乾きやすいものがわずかにあれば,ホテルで毎日軽く洗濯。すると翌日までには乾いている。但し毎日ミネラルウオーターを持ち歩かなければなるまい。そのために私は小さなリュックかナップザックを持参する。傘やらガイドブックやらを入れて両手は自由にしておく。いざというとき両手があいていると便利だ。旅行の必需品の一つがコンパス(方位磁石)である。複雑な迷路のようなバザール(アラブではスークという)に入ったときや,脇道にそれて歩いているようなとき,おや,どっちに行けばいいのかな,と思ったときはすぐにこれを取り出して調べる。ほとんどこれで解決がつく。自信がなければ,あるいは自信があっても地元に住んでいるような身なりをしている人に一応聞くことにする。知らないくせに,でたらめを言う人もいるから要注意だが,たいがいは親切にしてくれる。この親切も場合によってはくせ者であるのだが。親切=金であることもあるのだ。さて,今めざすはヴェネツィアである。今日の最高気温を調べたら25℃。おお,涼しいぞと思いきや,この一週間で30℃を超している日もあった。油断はできない。喉が渇いたらジェラートを食べるしかないのかな? 主要な都市に大使館を置いた最初の国。本格的な銀行業を始めた最初の国。カトリックの総本山と距離を置き,政経分離政策で1000年栄えた国。民主制や君主制を信用しなかった大人の国。政治家が賄賂をもらっただけで死刑になった国。みならう点は大いにある。こんな国を一度訪れてみたかった。今は海運国として見る影もない観光の国になってしまったようだが,いにしえのヴェネツィアに,現代のヴェネツィアで思いを馳せたいのだ。迷宮都市ヴェネツィアを歩く価格:1,000円(税込、送料別) ヴェネツィア的生活価格:1,890円(税込、送料別) ≪ヴェネツィア協奏曲集≫価格:3,059円(税込、送料別)
Jul 26, 2010
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これは企業秘密並の技術,だと自画自賛なのですが・・・そんなこと知っていますよ,と仰る方もおいでだとは思いますが・・・我が家の庭には,所狭しと色々な果樹が植えてある。それも都内の不動産税のすっごく高いところだから,皆さん「羨ましい」などと仰るのですが,これが本当はひどく大変なのです。いや,こんなことはどうでもいいのですが・・・今までどんどん増えて,それで「ああ,邪魔だな」と思って切って捨てていたスグリ。房状に赤い実をたくさんつけ,そのまま食べると甘酸っぱく美味しいのですが,たくさん食べたいと思うものではない。だからそのまま放置,あるいは切って捨てていたのですが・・・これを摘んで,実を一個一個とり,水洗いして,耐熱ボールに入れ,ここにグラニュー糖を分量の半分ほど加えて,電子レンジで加熱する。この加熱時間は分量にもよるので様子を見ながらとしか表現できないのですが,とにかくしっとりとするまで加熱します。加熱しても皮の部分はあくまでも皮。だから熱いうちに裏漉し器で裏漉しします。皮と種を取り除くのです。こうしてできたエキスはすぐに,小瓶に分けて冷蔵庫か,当面は使わないなら冷凍庫で保存します。さてさて・・・バニラアイスクリームを買ってきて,これを小皿に盛りつけます。ここへ,上でつくったスグリのソースを小匙で絵を描くように上から垂らします。そうです。フランス料理屋でよく見る,デザートの出来上がりです。これがなんとも美味いのです。この夏の,我が家の大発見でした。赤房スグリ レッドカーラント《果樹苗》価格:1,890円(税込、送料別)
Jul 23, 2010
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庭のブルーベリーが少しずつ熟している。ブルーベリーの実は熟しても特に甘いわけでもなく,これは美味いとたくさん食べるには適さない。だから例年,そのままに放っておく。いつの間にか無くなっているのは,小鳥がきて食べていったからなのだろうか。でも今年は違う。試しにやってみようかと,摘んできたブルーベリー150g程度を軽く水洗いし,水を切って耐熱のボールに移し,ここへブルーベリーの重さの半分以下(40%程度)のグラニュー糖を加える。電子レンジで様子をみながら数分加熱するだけで,ブルーベリージャムができあがる。ここにレモン汁か市販のポッカレモンなどを加えると完成。小瓶に移して一週間で食べきる。長期保存ならカビが生えないように,小瓶を熱湯で滅菌しなければならないだろうが,100g~200g程度の生のブルーベリーならば,短期間で食べきることができるので,面倒がない。幸いブルーベリーの実は,どれも一斉に熟すのではなく,少量ずつ熟すので,この熟したのだけを摘み,ジャムにする。ジャムを食べきったころには,また別の実が熟してくる,という具合なのだ。実のつみ取りはこれで2回目に入る。まだまだ未熟の実がなっているので,今後,何度も楽しめそうだ。できたジャムはヨーグルトにかけたり,アイスクリームにかけたりして楽しめる。妻はパンにたっぷり塗って食べている。自分のうちの庭でとれるのだから,勿体ないという気分も和らぐ。~産地直送!!埼玉県美里町特産~贈り物にも◎町の皆さんが丹精込めて育てたブルーベリーです...価格:3,500円(税込、送料別) 吉備高原の安全、安心、美味しい国産ブルーベリーアントシアニン・瞳吉備高原ブルーベリー100g...価格:2,400円(税込、送料別)
Jul 17, 2010
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今年も梅がなって,梅酒を一瓶つくった。毎年2瓶つくっていたのだが,普段はあまり飲まないので次第に食料庫も梅酒でいっぱいになりつつある。炭酸で割って飲むとか,氷をたっぷりと入れたオンザロックとか,どれも美味いのだが,消費量が少ない。それでたまりつつあるというのが現状である。しかし,これにもメリットがあり,梅酒は保存年数が長いほど香りが出て旨くなる。「これはいける」と心から思える。さて,梅ジャムだが,これは昨年始めてつくってみて大成功。なかば捨てようかなと思っていた表面が美しくない実を,捨てるのもちょいと勿体ないと思い,試しにと考えてつくったものだ。これが美味かったのだ。それで今年も見栄えの悪いものはすべて梅ジャム用にした。煮てあくをとり,裏ごしして,ここへ蜂蜜と白砂糖を加え,加熱しながら水分を飛ばす。ほどほどの固さになったら火を止めて,小瓶に小分けにして冷凍保存。必要な分量だけ冷蔵庫にしまっておき,パンに塗って食べたりする。ジャムは梅独特の酸っぱさと苦みがあるのだが,パンにつけるとなぜかこの苦みは気にならなくなる。そして梅エキスである。冷凍庫で梅を氷らせ,あらかじめ細胞を破壊する。この梅を梅酒用の瓶に入れ,上からどっさり白砂糖をかける。いや,まぶすといった方がいいだろう。3日もすれば梅がかくれるほどの果汁が出て,梅は逆にしぼんでしまう。そうですね,ほぼ一週間ほどで梅からはエキスたっぷりの水分が出るので,あとは梅を取り除き,小さなボトルに小分けにして冷蔵保存する。好きなときに水か炭酸水で割って飲む。これがクエン酸のおかげでさっぱりとして美味いのだ。とくに喉が渇いているような風呂上がりとか,暑い中を歩いたあととか,最高に美味い。こうして夏を乗り切るというわけだ。梅ジャム価格:945円(税込、送料別) 紀州南高梅を煮詰めた梅肉エキス(純国産無添加品)※NHKあさイチで梅肉エキスが紹介されました...価格:3,000円(税込、送料別)
Jul 15, 2010
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ごっそりとタマネギをもらった。網にでも入れて,日陰につるしておくという手もあるのだろうが,私はすぐにカレー粉を使った料理に利用できるように,せっせと炒めたのだ。大きな鍋に油を入れて熱し,ここに切り刻んだタマネギを放り込む。焦げ付かないようにときどきかき混ぜる。すると次第にしんなりとしてくるのだ。水分が出て,ぐつぐつと鍋の底から沸き立ってくる。そして水分が蒸発するや,こんどは注意深く鍋の底を引っ掻くようにして何度も何度もかき回す。そうしないとすぐに焦げ付くからだ。こうして優に1時間以上,タマネギはそれこそしんなりして小麦色に色が付き,なめると甘みを感じる。こうなると完成である。これを3回もくりかえした。タマネギとの格闘,今日は3時間半。疲れましたね。これは冷ましてから,ジッパーつきのビニール袋に小分けにして,冷凍庫で保存する。するといつだってカレーライスは勿論,タマネギを使う料理にすぐ入れられるというわけだ。そして当分はタマネギを買わなくてすみそうだ。美味いものを食うには,金か労力が必要なのだ。ああ,疲れた。臭み辛みが少なく甘い生食用・新たまねぎ日本一早い新タマネギ宮崎延岡特産「空飛ぶ新玉ネギ」 ...価格:3,129円(税込、送料別)
Jul 14, 2010
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暑い日はどうしても口当たりがよい,冷たい,そして甘いものが欲しくなる。ゼリーとか水羊羹とかである。こんなときに,いかに好きだといっても,豆大福という気分にはちょっとなれない。そこで,ここ数日安いゼリーと果物の缶詰(みかんや桃など)を買ってきて,これを冷凍庫で氷らない程度に冷やして,食後のデザートとしていただいている。勿論ゼリーと果物をミックスして,ここにアンコを入れれば餡蜜になるのであるが,ここは少し糖分控え目にしてである。そうするとどうだ。これが美味いのなんの。冷えていて,つるりと舌の上ですべる。そしてのど元を冷やし,食道を一気に流れ落ち,胃袋に落ちる。胃袋も程よく冷える。そうだ,ここに白玉団子を入れるともっと美味いかも知れない。当然できたて,冷やし立ての白玉団子である。これもつるんとしているから,きっと舌触りは抜群であろう。こんなことをして,暑い夜を楽しんでいるのだ。もう少しでイタリア,オーストリア,ドイツ,ハンガリーに旅をする。体調をととのえなければならない。暑さでばててなどいられない。さあ今晩はどんなデザートにしようかな。【高糖度の岡山白桃と清水白桃ゼリーのセット!】岡山白桃・清水白桃ゼリー詰合せ(8月上旬~下...価格:5,250円(税込、送料別) 【送料無料・お中元】贈り物に山形旬果涼撰ゼリー[10P13jul10]価格:3,360円(税込、送料込)
Jul 13, 2010
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もうすぐ海外旅行に出かける。ツアーは比較的安くて,あちこち能率良くまわり,それに一緒になった旅行者と友達にもなれ・・・などというメリットもあるようだが・・・ちょっと待てよ。新聞広告を見ての第一の感想は,「えっ,一日でこんなに見るの」である。夕方にはもう別の町に行ってお食事。ということは,スタンプラリーのように,目的地に着いたら,とにかく早足でハイライトだけを見学し,「それでは,はい,次」となる。しんみりと雰囲気に浸ったり,現地の人々と楽しい会話をしたり,裏道に入ってその地で生活している生の姿を見学し・・・こんなことはほとんどできない。旅の楽しみというのは,ガイドブックに載っているところを訪れ,「あっ,写真と同じ」ということを確認することではない。予期しない,だからハップニングと言うのだが,出会い,発見,こんなことが実は楽しい。日本人どうしで行動し,日本語でおしゃべりし,日本のしきたりで動き回り・・・これでは外国に行ったことにはならない。下手でも現地で使っている言葉を使い,身振り手振りで会話し,ほんの少しだけでも互いに理解できたような気分になり,よかった,よかった,と思う。腹が立つときだってある。でもよく考えてみると,150円のところ170円程度ふんだくられたというほんのちょっとのぼったくり,ああ,ここは貧しい国なんだ,と思い直す。これで彼らは生活の足しにしているのだ,と想像する。功も罪も楽しめるというのが個人で計画した旅行である。すべてお任せは楽でいいのだが,それだけに喜びも少ない,と思う。さあ,これから,毎日どこをどう歩くか,自分で計画をたてなければならない。腹が減ったら食堂に入り,面白そうなものがあったら時間をかけて見学する。一日を目一杯こなすという発想は捨てて,とにかく臨機応変,自由に歩いてみたい。自由でも一応はしっかりした計画は必要なのだが。【全品送料無料激安スーツケース・キャリーケース・旅行かばん】スーツケース国内線、国際線機...価格:5,500円(税込、送料込) 海外旅行用変圧器(ダウントランス)全世界対応 TI-100価格:6,090円(税込、送料別) これ1つで全世界で対応するアダプタープラグ。簡単な組み合わせで世界中のコンセントに対応!(S...価格:2,600円(税込、送料別)
Jul 5, 2010
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暑いからといって窓を開放しておくと,今度は家中湿っぽくなる季節ですね。冷房がきらいなので,窓を開け放って新鮮な空気を部屋に入れ,そうこうしている内に畳もフローリングの床も,なにもかも湿気ってしまうのです。これを放置すると,今度はカビの臭いがしてきて,不愉快。そこで今度は除湿器をかける。この仕組みはエアコンと同じなので,結局エアコンを効かせればいいのですが,私はエアコンのあのひんやり感が大嫌い。骨まで冷えてしまいそうで,骨の髄から今度はいやな痛みに近いものを感じるようになる。除湿器はエネルギー保存の法則通り,冷やして除湿した分だけ暖かい空気を排気する。だから部屋は暖かくなってしまう。たっぷりと水がとれ,畳も木の床もさっぱりするのですが,やはり今度は空気が暖かくなるのが少々気になる。どうにもこうにもうまく行かないものですね。早く梅雨が明けて,暑くてもいいから,からっと晴れた夏の空を見たい気分の今日この頃です。おうちで楽しくかき氷♪氷屋さん アンティークかき氷器価格:3,450円(税込、送料別) レトロなデザインが懐かしい、家庭用手動かき氷機手動かき氷機(カキ氷機)製氷カップ2個付クラ...価格:3,990円(税込、送料別)
Jul 3, 2010
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自由民主党と民主党の違いは,後者には「自由」がないこと???? これって,冗談ですよ。でも不幸だったことは,民主党は(勿論他の政党にも言えるが)数を集めないと力にはならないと,考えの違う人たちを集めに集めた集団だったということである。だからどのような課題についても,人それぞれに違いがあって,まとまらない。首相が何かを言うと,いやそれは違う,と反対論が出る。ならば何を国民は信じ,支持したらよいのか? これが分からない。単に民主党に所属しているから,というのは論理にならない。一枚岩でないので,国民はああでもある,こうでもあると言われると,えっ? と思ってしまう。民主党って何? という根本的な疑問がわいてくる。そのときどきの気分で物事を処理し,発言されたのでは,困るのである。こうバラバラだと,せっかく数が揃っても力にはならない。消費税だって4年間は上げません,と言っていたのに,もう消費税議論。議論することを悪いというのではない。4年後のことを考えてのことなのか,公約は取り下げたのか,そもそもそれでどの程度の税収を見込むのか,そしてそれを何に使うのか,総理や首相としての個人的な考えではなく,党としての考えはどうなのか。それを知りたい人は多いのではないか。民主党は何を考えているのか? あの人はこう,この人はこう,では政党としてだめなのですよ。単に烏合の衆なのです。だから,一度発言したことに反論があると,あれは一つの例ですよ,などと言い訳めいたことを言うようになる。党としての考えではないので,自分でも自信がなく,発言がぶれるのです。これではどの党に投票したら良いのか,これまた分からなくなるのである。あの人の言うことは信頼できるから,といっても一人では何もできない。だから政党を作って政策実現を目指したのではなかったのか? ひどい矛盾ですね。他の党にも問題はある。民主党にただ反対では困る。問題点の指摘だけでなく,我が党(私はではなく)はこう考え,こう問題を解決するといった具体策を示さなくてはならない。国民の幸せとか平和などといった言葉ではだめ。基地は国内にはいらない,と主張するなら,有事の際は日本を誰がどう守るのか,自衛隊を軍隊にするのか,しないのか。憲法を変えるのか,変えないのか。基地があるためにそれで生活が成り立っている人への対策はどうするのか。対策はしないのか。仕事を失う人への対策はするのか,しないのか。話し合いなどと言うが,平和を話し合いで手に入れるなど,理想としてはいいが,現実的ではない。話し合いで解決するには,キチガイじみた敵国も話し合いが解決の最高の手段だと,同じように考えなければ成り立たない話なのである。敵国が,話し合いなど平和を獲得するのに有効ではない,と考えるなら,この時点で話し合いは成立しない。各政党は課題解決の方法を具体的に示さなければならない。基地問題一つとってもこうだ。こうあるべきだという理想と,現実はこうである,だからこう対処する,というのとはひどく違う。私たちは理想にではなく現実の中で生きている。相手を尊重し,理解し,愛し・・・それは結構であるが,しかし現実には喧嘩し,憎しみ会い,別れる。だから適当なところで折り合いをつけ我慢し,そうでないときには犠牲を払ってでも徹底攻撃し相手を黙らせる。一歩も譲らない理想ばかりを追求し,理想にだけ生きていたら,みんなが原理主義になり,テロだらけの世界になってしまう。
Jul 2, 2010
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門の側にある甘く熟したジューンベリーの実は全部小鳥の餌になってしまった。地面には小鳥の食べかすが散乱している。そのすぐ近くにある赤く実ったユスラウメはどうしてなのか,小鳥は見向きもしない。まだ餌には不足していないためなのか,その味をまだ知らないのか,とにかく誰も食べないのだ。バラの花も終わってしまった。しかしとっくに咲き終わった山吹がほんのちょっとだが咲き続けている。アジサイは日当たりの良いところに移動したら花芽がつかず,今年は綺麗な花を眺めることができない。来年に期待するしかない。水仙の葉が枯れて,自然に増えたホタルブクロが白と紫の花を咲かせている。ノウゼンカズラが蕾をふくらませ,これからたくさん咲こうとしている。夏の花だ。我が家には百日紅(サルスベリ)はないので,夏らしい花はこれのみである。花より団子で,我が家にはリンゴとかプラム,梅,イチジク,栗,柿といった果樹を中心に,所狭しと植えてある。さながらオーチャード,果樹園である。放任でも柿はなるのだが,リンゴは手がかかる。10日に一度は消毒をしなければならない。極力薬剤散布を減らそうと,実には袋をかぶせてある。少しの苦労で秋からははふんだんに果物を楽しむことができる。我が家においでの客人は,家のどの方角の窓からも豊かな緑が見えるので,「ヨーロッパの家みたいですね」と言ってくれる。しかし実際は風も十分に通らなくなり,湿度が高くなるような気もする。特に今時は緑がありすぎて鬱陶しいという,実に贅沢な悩みで気分が沈む。家人は「切ってしまったら」と平気で言うが,ここまで来るのに何年苦労したことか。これを思うと切るに切れないのである。グランドカバー・日陰『ホタルブクロ』12cmポット苗価格:472円(税込、送料別) ベランダでの管理が可能★さっぱりとした甘さと酸味で手作りジャムなどにぴったり【庭木】【果...価格:3,969円(税込、送料別) ユスラウメ季節の果実苗■良品果樹苗■赤実ユスラウメ7号鉢価格:1,980円(税込、送料別)
Jun 30, 2010
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私が学生だった頃でもコーヒーはやや気取った感じの飲み物だった。それほど高いものではなかったが,喫茶店なるものがあちこちに出来て,ここに入るのがちょっぴりワクワクする気分だったのだ。トルココーヒーを随分昔にイスタンブールで飲んだことがある。豆を挽いて,これをポットに入れて煮出すのである。そのまま小さめのカップに注ぐのだから,すぐに飲んでは粉っぽくて,おまけに胃もいかれてしまうのでいけない。だから粉がカップの底に沈むのを待つわけである。最初から砂糖が入っているので,新たに砂糖を入れてかき混ぜる必要はない。このコーヒーが,コーヒーの中で一番美味いという人もいる。私は「そうかな?」と思うが,好きずきだろう。コーヒーはトルコからヴェネツィアにほんの少量入る。最初は薬屋で売るくらいだから高価だった。それでヴェネツィア政府は大量に輸入することに決定。そして大ブレーク。あのサン・マルコ大聖堂前にある大きな広場に面する一画に何と24軒だかのカフェができたとか。狭いヴェネツィア全土で200軒を超す店が開店。ヴェネツィア政府もこれではな,と困ってしまい,店の数を制限するほどだったのですね。今でも残っているのは,大聖堂に向かってサン・マルコ広場の右側にあるカフェ・フォローリアン,1720年の創業なのだそうです。こんなことを思い出しながら,仕事を終えた帰宅すると,すぐにコーヒーを入れて一休み。このときが私にとって一番気分が落ち着く時間である。世界で一番おいしいコーヒー価格:500円(税込、送料別) 【送料無料】無農薬「森のコーヒー」豆 1ケース(200g×12袋セット)【sm-0702】【smtb-T】価格:10,773円(税込、送料込)
Jun 29, 2010
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ずいぶん甘い判断だと思いませんか?今までのしきたりとして女性は土俵には登らせないとか,立ち合いはちゃんと両方の手をついてだの,勝ってもニタニタしてバンザイなど御法度,あれこれあれこれ・・・うるさい方々で運営してきたはずなのに・・・国技としてのしきたりにはずいぶん融通のない厳しい相撲の世界でしたがね。そう言うわりには,賭け事も個人ごとにするならOK。金額が多ければだめ。あの世界とのつながりがあれば,う~んどうしよう???? とこんな具合に,内部の汚い反則にはちょっとどころか甘すぎるようですね。とにかく自分たちから,これはいけないと大いに反省ではなく,外野席がああやれ,こうしては,という意見をすべて受け入れ,だから名古屋場所はOK,と判断してしまった。これからこうした問題をどう防いでいくのか,どう常識の知らない若者たちを指導していくのか,そうしたことも議論せず,問題が起こってから泥縄式の解決方法をとる。いつまでたっても問題再発の相撲界ですね。えっ? 国技とは肉体も精神も鍛えるというのが原則なのではなかったのでしょうかね。ちょっとならOK。ばれなければOK。こう言うのなら肉体に宿る精神はもはや国技をするだけのものからは遠く離れているのではないでしょうか。一番国技に忠実なのは海外からきている,どうしても日本でなんとか生活を成り立たせ,自分の運を拓こうとしている外国人力士じゃないでしょうか。どこが国技なのでしょう? ああ,情けない。ちゃんちゃら笑ってしまいますね。一年くらいじっくりと休んで,いやなほど謹慎をして,上から下までの思い上がった精神を鍛え直したほうがよろしいのでは,と思っている国民も多いのではないでしょうか。 大相撲力士名鑑(平成22年版)価格:2,625円(税込、送料別) 大相撲人間おもしろ画鑑価格:560円(税込、送料別)
Jun 28, 2010
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吉村昭の「破獄」を読み終えて,さて次は「戦艦武蔵」をと思っているところです。こんな晴耕雨読のような状態でありますが,さてこの夏はヨーロッパで散策をと,ウイーンやらザルツブルグの地図を広げて,もう行った気分になってみたり,なのですが,さて別の調べ物をしていたら「水素結合」とやらが出てきて,はたと困ってしまった。 調べても調べても理科頭ではない私には理解できない。例えば二酸化炭素分子ならば,分子と分子との間に引力らしき力,つまり「分子間力」が働いて,分子の動きがにぶくなると分子どうしが引き合って結晶をつくる。これがドライアイスである。 では水が冷えて氷になる現象はどうなのだろうか。ここで「水素結合」とやらが登場する。水は酸素と水素原子からなるが,水素は酸素と共有結合すると,どうやら一つしかない電子が酸素に余計に引っ張られて,水素は丸裸状態になるのだそうだ。つまり電子の一つもない原子核だけの状態である。それで酸素原子と水素原子の間に電気的な偏りができてしまい,磁石のような状態になって水素原子は別の水分子の酸素原子と引っ張り合うということが起きてくる。これが水素結合なのだ,という。それはそれでいいだろう。どうも理解できないのは水素結合も分子間力だというのである。あれ? 水分子どうしには分子間力と水素結合の力が働いて,ドライアイスなどよりもっと強く分子は引き合うのではないかと私は考えたのだが,間違いなのだろうか。つまり,水分子どうしには,ドライアイスのような分子間力は存在しなくて,水素結合だけで引き合っているのか? どうもわからないことだらけだ。どうして理科関係の書物は私にわからなく書いてあるのだろう。どなたか助けてくださいよ。
Jun 17, 2010
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サッカーボール4号球テラパスグライダー紺×黄[AS405NY]価格:3,612円(税込、送料別)何と言っても日本チームのチームワークはたいしたものですね。しかし問題は個々人の力量であります。統制のとれたチームであっても,最後はやはりシュート力。これがなければ点はとれない。そして勝てないのであります。どうしてなのか? あまりにもチームワーク重視にかたよっているからなのではないか。とにかく自分に来たボールは,最後の責任はとりたくないから,すぐに近くにいるチームメートにパスしてしまう。シュートをしようとはしない。やたらパスだけをやっているから,そのうちに相手にボールをとられてしまう。これでは勝ち目はありませんね。兎に角鋭いシュート,ゴロゴロと勢いのないシュートではなく,すぱっと気持ちの良い,目にも留まらぬ速さのシュートができないのではだめ。ここが決めてなのであるが,日本チームはこれができない。なぜなのか? 根性などという精神論を持ち出す必要もないだろうが,しかし,どうしても勝つぞという気迫が見られないのも気になる。小さい頃から親がかりで車でサッカー場へ送り迎えされ,高価なシューズだの,ユニホームだのと買ってもらい,何一つ苦労のない,勝つという必然性のない,ただただサッカーが好きでございます,というお兄ちゃんたちと,家族が10人以上もいて,生活が苦しい,俺がなんとか稼いでやらないと皆が困る,だから金のかからないサッカーでもやって家族をなんとかしたい,と思う貧しい国の男と,違うのは当然なのではなかろうか。いや違う,というのなら,その根拠なり証拠を示してもらいたいものだ。かつてイランに行ったときに,空き地でサッカーをしている子どもたちを見た。ボールなどとは言えない,ボロ切れをボール状に丸めた物を蹴っている。皆素足である。それに電気の点っていない薄暗闇の中でワイワイやっているのだ。こんな情景を日本では決して見ることはできない。この子どもたちが成長して日本と同等に,いやそれ以上の力を見せつけるのだ。趣味でやっているのと,生活がかかっているのとは,どこか違うというのが私の見方だ。
Jun 10, 2010
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東京は天気がイマイチ。今日の晩ご飯は,サンラータンスープとピカタ風モヤシのあんかけです。材料は両方で,木綿豆腐1丁,豚こま100g,モヤシ1袋,卵2個,調味料です。サンラータンは,チキンスープをつくり,ここへ豆腐4分の1丁を手で1cm角にちぎって入れ,モヤシ3分の1袋を加えて,塩と胡椒で味をととのえ,片栗粉でとろみをつける。ここへ卵1個をといて入れるだけ。最後に酢とラー油を少々。これで出来上がりです。次に後者。残った豆腐を1cmの厚さに切る。小麦粉をまぶし,卵をとおして,フライパンに油をしいて両面を焼く。最後に醤油を少々まわす。次に細く切った豚肉をごま油で炒め,モヤシを加えて炒め,ここへチキンスープを加えて,醤油と砂糖少々。片栗粉でとろみをつけて,豆腐のピカタにかける。はい,これだけです。安くて旨い。これが毎日の飽きの来ない料理の基本ですね。どちらもアツアツをご飯と一緒にいただきます。ああ,旨い。
Jun 9, 2010
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最近ブログを書く頻度が著しく減ってしまった。そのためにアクセス数も「なるほど」と思うような結果である。書き込んだ日はこの数がグンと増え,次の日から鳩山政権のようにどんどん日を追うごとに減り続けるのであります。そしてまたブログを書くと急激にアクセス数が増加。ずっと記録をとったとしたなら,まるで心臓の鼓動を記録した心電図のようになるはずだ。ときどきこれが正規分布のようになることもある。実に面白い。このブログを書いている時間は微々たるものだが,あれこれ眺めているとあっという間に時間が経過する。最近は月に10冊はまともな本を読もうと心がけているので,やはり読書にさく時間を確保したい。そうするとブログにかける時間がもったいなく感じる。しかし自分の考えていることを文字で表すということも,読書とは違ってまた貴重だと思うこともある。なかなかこの兼ね合いというものが今ひとつしっくり行っていない。マンガでわかる統計学価格:2,100円(税込、送料別)
Jun 5, 2010
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天気がまあまあだったので伸び放題になっていた庭の草取りをした。最近は「草むしり」という人もいるが,むしっただけでは,すぐにまた生えてくる。根っこからとらないと,本当の草取りにはならない。草も互いに競い合って領土拡張競争をしているようだ。その中でもやはり豆科の植物は競争力が強い。窒素同化ができるので,空気中の窒素を自分に都合の良いようにアミノ酸に変え,そしてタンパク質までつくってしまう。他の植物ではできない裏技。それから茎が極端に短い植物は踏みつけに強く,ちょっとやそっとでは死なない。葉をもいでしまっても,茎が地表すれすれに残るので,すぐに葉を再生。図太く生き続けるのだ。タンポポにオオバコ。それに栄養分のすくないところでも生きられるスギナ。これは別名「地獄草」とよばれ,ベトコンのように地下茎を伸ばし勢力を拡張する。ツクシをつくって胞子をばらまくということもせず,我が家のスギナはひたすら地下茎でどんどん増える。ツクシなら佃煮にでもして食べられるのだが,スギナではとても食べられたシロモノではない。というわけで,今日は殆ど一日庭で腰をかがめていたのだ。ちょうど草刈り機が故障して使えない。そんなこともあって植物の生きざまをとくと観察できたのであります。
May 30, 2010
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どうも天気が思わしくありませんね。寒かったり,からっと晴れなかったり。それで,今日はじめて知ったことですが・・・明治維新後,品川と横浜間に鉄道開通,そしてその7月には新橋と横浜間が開通。明治天皇も三両目に乗って新橋横浜間を往復。そして東京から名古屋,大阪へ鉄道を敷設する際,陸軍は中山道にすべきだ主張。東海道に沿った鉄道では海上から艦砲射撃で攻撃を受けやすいというのがその主張の根拠だった。そして陸軍の主張が受け入れられ測量が開始。ところが碓氷峠を越えて鉄道を敷設するのはとても困難だとわかった。それで陸軍も「あっ,そうか」と納得。このような経緯があって現在の東海道に沿った鉄道が敷設されたというわけであります。ご存じでしたか?
May 29, 2010
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いやあ,知りませんでしたね。平賀源内といえばエレキテル,いや土用のウナギかな?長崎の大通詞(オオツウジ,まあ今で言う通訳ですね。通訳の中の通訳),西善三郎という人から譲り受けたエレキテル。これは故障していて使い物にならない。源内はこれを自分で直せないので細工職人の弥七に依頼。ようやく使い物になり,源内はこれを見せ物にして金を儲けるのですが,なおした弥七は面白くない。あいつだけ儲けやがって・・・俺が直したんだぞ。そこで弥七は自作のエレキテル開発に取り組むのだが金がない。それで「源内」の名を利用してお偉いさんから金を調達する。ところがこれが源内にばれてしまった。そして源内は弥七を訴え,弥七は捕らえられて牢屋に。そして獄中で死んでしまうのですね。ところがこれが庶民の反感を買った。弥七がああなったのは源内のせいだ。この噂が広まり,さらに見せ物としてのエレキテルにも皆さん飽きてきて,源内は収入も減る一方。銅山の開発にも失敗。不運続き。ああ,どうしよう。こうして源内はどんどん落ち目になっていったのです。あれこれあって,焦って,結局は自宅に泊めた二人の男に斬りつけて一人を死なせ,小伝馬町の牢屋に送られて,ここで病死。やれやれでしたね。学問追求ではなくただの新しい物に目がいって,注目を集め,それで金儲けでもしてやれといった山師的な根性。これが平賀源内の本当の姿じゃないのでしょうか。
May 24, 2010
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東京都でも○○市と名の付くちょいと田舎では道ばたに柿の木がありますね。秋になるとたわわに実をつけているのを見たことがあります。ところで,家の柿の木ですが,庭に東側にある平種無という品種,大きな木になったのですが,かつて一度だけたくさん実をつけたことがあるのですが,それ以外はほとんど花芽をつけず,従って実がならない。どうしてなのかな? 果実には隔年結果というのがあるのですが,それとは異なる。肥料が不足しているのか,それとも日当たりが悪いのか。ともかく原因がわからないので困っているのです。庭の西側にある大蜂屋は結構実をつけて,干し柿ができるのですが,これは干すのに時間がかかる。前者は小さいが干し柿にすると一口大でとてもお茶うけにはいい。それで今年はもう手遅れかも知れないのだが,肥料を追加,秋には徹底して枝を切ってみようと思っている次第です。どなたか,花芽をつける方法を詳しく教えていただけないでしょうか? 大きな柿の木,枝は放任状態だが決して過度に茂っているわけではない,肥料が不足しているかも知れない,家の東側にあって日照は午前はOK,午後は午後3時以降なら光が当たる。こんな状態です。ネットで調べても分かりませんでした。ヘルプ,ヘルプ。
May 23, 2010
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今日は読書をした。先日目黒不動をちょっくら覗いて,ついでにその裏手にある青木昆陽の墓にでも行きましょうかと思ったのですが,やめにして,目黒羅漢寺の入り口にある「羅漢茶屋」に入ったのです。そこであんみつをいただき,満足して帰ってきたというわけです。そして今日読み始めたのが吉村昭の「冬の鷹」前野良沢が50歳を超えて,そうだ今からでも遅くはないと気付き,オランダ語の研究を始めようと考えるのですが,最初に師と仰いだのが青木昆陽だったのです。青木昆陽もサツマイモの研究だけでなくオランダ語の研究もおこない,「和蘭文字略考」なるものを著していたのです。単にオランダ語の単語を羅列したものでABC順にはなっていないが,発音やつづりが書いてある。とにかく江戸にいて一年に一度長崎からやってくるオランダ人の商館員一行から根掘り葉掘り聞いて知識を得るのだから,たいした内容ではない。そこで前野良沢は主君が参勤交代で九州豊前中津に帰るときにお供をし,ついでに長崎遊学を申し出る。藩主は理解ある人物で良沢に長崎行きを認め,藩の財政が厳しいおり,お金をたんまり持たせて勉強に出させる。きっとオランダ語は将来役に立つはずだと藩主は確信していたのです。最初はこんな内容です。さてさて,たった100日程度の勉強で何が身に付くのか? まだ蘭和辞典のない時代。どうしたらいいのだろう? どうやって研究したら良いのだろう。と,今度は目黒にでかけたときは是非青木昆陽の墓に行ってみようかと思った次第です。
May 19, 2010
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