江戸東京ぶらり旅

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滝沢馬琴<茗荷谷>

深光寺 ,ここに江戸時代後期の読本作家,滝沢馬琴さんのお墓があります。台座に家型の馬琴の蔵書印が刻まれているの,分かりますね(写真)。ご本人は曲亭馬琴(きょくていばきん)と名乗っていました。武士なのに作家になり,日本で原稿料のみで生計を成り立たせた最初の作家として知られる馬琴さん。

滝沢馬琴の墓.JPG


 ペンネームの「曲亭馬琴」は,「 くるわでまこと 」(廓で誠)とも読め,遊廓で真剣に遊女に入れ込んでしてしまうだめ男。遊女からは軽くあしらわれてしまうのですが,それでも一途に遊女に生涯をかけてしまいそうな,本当の遊郭での遊び方を知らないウブな男。「あんたって,お馬鹿さんね」なんて遊女に一度でいいから言われてみたい,というのも案外男の夢かな。

 1767年,武士の子供として生まれましたが,9歳で父親を亡くし,15歳で家を出て放蕩生活に。戯作者として出発したのは24歳のとき。山東京伝さんに無理に頼んで弟子となり,黄表紙(絵入りの読み物)作家として出発したのです。その後,読本(さし絵より文章を主とした長編小説)に転向。世界最長の小説と言われている『南総里見八犬伝』執筆に着手,江戸時代初期にお取りつぶしにあった安房の大名,里見家をモデルとした作品ですが,書道教授などで生計を補いながら,28年も費やして書き上げました。若いときから甘いものが大好き,57歳で総入れ歯。晩年には両目を失明。医者であった息子を亡くすなど次々と襲ってくる不幸にもめげず,息子のお嫁さんの助けを借りながらの完成した大作。奥さんは二人の関係にジェラシーを感じて,お嫁さんに意地悪したようですがね。

まんが古典文学館 南総里見八犬伝 里見八犬伝




 滝沢馬琴の生誕の地は,地下鉄大江戸線清澄白河駅A-3出口から南に徒歩5分のところ。また,筆塚と硯塚はJR西日暮里駅に近い青雲寺(通称花見寺)にあります(写真下)。

滝沢馬琴筆塚.JPG



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