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![]() ![]() 6,000 円 ![]() |
![]() ![]() 5,229 円 |
古代ローマでは貨幣が流通していたというのに,江戸では給料も税金も米,米,米。大名の身分も,農家の耕作面積も全部「石高」で表す。それだけ米は重要視されていたのでした。石高で示しておいて,それを基準に税金(年貢)の額を決めたり,軍役の多少を決めたりとしたのでした。現代の感覚に直すと実は,金,金,金ですがね。
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】
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![]() 3,980 円(1.0%) |
![]() 4,980 円(1.0%) |
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![]() 1,404 円(1.0%) |
![]() 3,373 円(1.0%) |
ところで一石というのはどのくらいの米の量でしょう。一人が一年間に食べる量ですから100石なら100人が食って行ける量となりますね。じゃ,その一年分ですが,これが米で150kg(二俵半)の量。
小売り専門の米屋は「搗(つき)米屋」,米の問屋から入手した玄米を精米して庶民に売っていたのですよ。なかには訪問販売というか巡回して商売をしていた「大道搗」という米屋までいました。
将軍の家来である旗本や御家人が領地を与えられ,ここから年貢を徴収していいぞよとされている者が「知行取り」です。でも多くの家臣は年に三回の給料を米でもらう「蔵前取り」でした。これら家来は幕府の米蔵である浅草御蔵から米を給料としてもらいましたが,米は食べる分だけあれば良い。それ以外は「札差」と呼ばれる金融業者に頼んで売って貰う。換金にかかる手数料だの運送費だのが引かれて,のこりが現金として手に入る。それが家臣たちの生活費となったのです。知行取りだって同じく米を現金に換えて生活費に充てました。
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![]() ![]() 5,000 円 ![]() |
![]() ![]() 349 円 ![]() |
![]() ![]() 3,255 円 ![]() |
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![]() ![]() 4,500 円 ![]() |
![]() ![]() 3,690 円 ![]() |