2002年12月11日
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 一面の海が、どこまでも、どこまでも白く染まっていた。
 平滑な氷の海が広がっているものだと思っていたのだが、現実に目の前でその氷の原野を眺めると、非常に多種多様。変化に富んだ氷の集合体であることが、初めて実感を伴って、目に飛び込んできたのである。

 札幌の宿で、流氷の知らせを受けたのは、2月の半ばだった。
 その時にはまだ流氷は、オホーツクの沿岸から、遙かな沖合に顔を見せただけだった。その氷の大群がいつ接岸するのかは、現地の人にも解らないという。まだ数十キロの沖合にいるものが、一夜にして接岸することも、珍しくはないという。
 兎に角、北極海から遙々と海流に乗って漂う流氷が、オホーツクの沿岸近くまで、押し寄せてきていることは間違いがない。

 急遽、札幌滞在を切り上げて、紋別を目指すことにした。
荷物は、10キロ強のカメラ一式と、やや大型の三脚が1本。それを肩に掛けて、急行列車に乗り込んだ。急行とは名ばかりの列車は、降りしきる雪の中で、立ち往生をしながら、時々思い出したように走り、そしてまた止まった。
 いつ目的地に着けるのか、当てのない旅になってしまった。同行の乗客は皆、列車の遅れに馴れているものか、一様に黙っている。時々押し殺したような話し声が聞こえてくるが、物音が雪に吸い込まれてしまったかのように、その声が、すぅーっと静けさの中に溶け込んで行く。

 待ちくたびれて、いつの間にか眠っていたらしい。慌てても、列車が走ってくれなければ、流氷の海にたどり着くことはできないのである。


 軽い警笛音が機関車のほうから聞こえてきて、“ゴトン・・・”と、列車が動き始めた。車窓から見える景色は、まだ降り止まない雪と、枝に凍り付いた綿帽子ばかりである。その景色を見ていると、向かいに座っていた年輩の女性から、そっとミカンが差し出された。
「ひとつ、どうですか。退屈でしょ?」
「ええ、いつ着くのか解りませんねぇ。」
「こんなものですよ。2時間遅れてっから。あんちゃんは、どっからおいでなさったかね?」
「横浜から来たのですが、流氷が来そうだと聞いて、見たくなったんです。」
「横浜からじゃ、こんだ雪は珍しいでしょ。汽車が遅れんのは、いつものことだから、落ち着いて構えたらいいわ。」
「仕方がないですからね。流氷が見られれば、それでいいんです。」
「流氷かい? 今年はもう来るんだって?」
「ええ、近くまで来ているそうです。接岸しているといいんですが。」
「難しいかも知れねえねぇ。流氷は、接岸したって聞いてから行っても、一晩でまた沖まで離れてっことがあっからねぇ。」
「そんなに、着いたり離れたりするのが、早いんですか・・・。」

「うっかり、上に乗られませんね。」
「それはもう、用心したほうがいいなぁ。氷には隙間があって、そこから落ちたら、助からねえから・・・。」
「解りました、気を付けます。有り難うございます。」

 そんな話をしながら、またうたた寝をしているうちに、どうにか列車は、網走にたどり着いた。
 冬の網走は、人通りも寂しくて、開いている店も、夕暮れ時にしては、活気が感じられない。兎に角、宿を尋ねることにした。札幌出発前に予約をしていたのだが、駅から近いということが解っているだけで、方角も分からない。

 打ち放しのコンクリート壁が、高い天井の裸電球に照らされて、無機質に光っている。その壁を伝って、小さい風呂に入り、取りあえず体を温めてから、布団に潜り込んだ。

 翌朝は、素晴らしくまぶしい晴天だった。
宿で確認したところでは、昨夜のうちに流氷は、接岸しているという。
 絶好の流氷撮影日和である。
落ち着かない気分で朝食を済ませて、また列車に飛び乗った。今度は、普通列車である。
 列車から降りた“小清水原生花園”は、一面の雪原の中に、小さいハマナスの赤い実を、隠していた。陽光に輝く、萎み加減の赤い実が、白一色の中で、可愛らしいアクセントになっている。
 時々吹きすさぶ風が、積もった雪を地吹雪に変えて、巻き上げている。

 そのハマナスが残る雪原の小高い丘を越えると、一気に流氷の海が、眼前に広がった。右手遙かに腕を伸ばした知床半島まで、確かに白い世界が繋がっている。
 その流氷をめがけて、歩道らしい小径を、駆け下りた。

 今、私の足元から、オホーツクを埋め尽くして、流氷の大平原が広がっている。時には巨大な、そして時には小さい流氷が、押し合いながら、岸に乗り上げようと、ひしめいているのである。
 その流氷に、そっと足を踏み出してみた。
足元は、意外にしっかり感のある巨大な氷の固まりが、連続している。
 その氷たちが、波の音さえ消してしまったオホーツクの海で、静かに泣いていた。
 ギィーー! キシキシ・・・ ギシキシ・・・
 耳を澄ますと、微妙な音をさせて泣く・・・。
こんな音で流氷の海が泣いていることを、その時に初めて知った。さらには、平原のように見えながら、大小の氷たちがひしめき合っていることも。またその氷たちの間には、暗い碧の海が透けて見える場所が、いくらでもあることも、初めて知った。
 暗い海が覗ける透き通った氷は、どれほどの厚味があるのだろう。乗っても、割れる畏れはないのだろうか。
 氷たちの泣き声は、無謀にその上を渡ろうとする人間への、警告のようにも思われた。

 この足元の、白い大平原の下に・・・、暗い碧の冷たい海の中に、命が育まれているのである。
 風の音、氷がきしむ音が聞こえるだけの、静寂の世界。その内側には、別の世界が広がっているのだ。私のほかには、見渡す限り・・・誰もいない。だがこの足下には、無数の命が生きているのである。

 流氷の海は、不思議な感慨を、私に与えてくれた。





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最終更新日  2002年12月11日 23時53分02秒


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