
冬の田圃は殺伐としている。
稲の切り株は、バインダーで毟り取られるように刈られるため切り口が荒々しい。
かつては、鋭利な鎌で手際よく刈られていて切り口が綺麗に揃い高さも同じであった。そこから出るひこばえは、田植えをしたように清々しく見えた。
野鳥も来ず、ドジョウの姿も想像することはできず、隣は休耕地であったりして荒れ果てている。
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ただ、田圃道には、仏の座などいろいろな雑草が青々と茂り、その中で、イヌノフグリが一輪咲いていた。返り咲きで無理して咲いているとすれば小振りになるのに、春の花よりも大きめに見える。多分、温暖化で常態的に咲くようになったのではないかなぁ。
地球は花を咲かせドジョウを育むなど優しいが、一旦荒れだすと液状化など手のつけられない仕返しをする。
地神を崇めることが為政の基本であった平安時代、京の移転は水害等の天災地変が原因だったことから、その祈りは怒りのもとを断つ方策を講ずるまでに昇華されず、ただ、その恵みを頂戴するだけの浅ましい気持ちしかなかった。
そして、現代に至るまで、大なり小なりその歴史の繰り返しであったことが反省させられる。