ライフキャリア総研★主筆の部屋

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2003年08月13日
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なぜか閉経期間近になってお産のことにガゼン興味が盛り上がる私なのでした。最後のあがきか?

 三砂ちづるさんという女性学者が、ブラジルで取り組んできた「人間的なお産(ヒューマニゼーション)」についてご紹介したいと思います。京都新聞からの引用で、ご本人のコメントをまとめたもの。

あるがままを受け入れ、自分が自然の一部であって、すべてがつながっていると感じるような”原身体経験“の最後の砦がお産だ。 助産婦はその砦の守り手であってほしい。それは、近代以前の「産婆」に戻ることではなく、近代医療を理解した上でその先を行くことだ。

>ブラジルでは、妊産婦死亡率を下げようと出産の施設化、病院化を進めたが、期待したほど死亡率は下がらなかった。その一方で、 医療介入が進みすぎたことへの反省から「人間的なお産(ヒューマニゼーション)」という言葉が出てきた。そこには、お産に関する「安全」は女性が自らの体への気付きを深めることで、自分で作り上げていくものではないか、と言う認識がある。女性の体を尊重し、本来持っている豊かで積極的な力を取り戻す。 私たちの活動では、そのためのきめ細かい助産ケアのできる人材を育てることに力を入れた。

>医療があまりに医者や看護婦中心になり、患者や妊産婦の立場に立つということが忘れられていたブラジルで、人間的なお産を目指すプロジェクトは国全体の医療へと広がる大きな動きにつながった。そこに、日本の助産婦との研修を通じた交流が果たした役割は大きかった。 「相手の立場に立ち、寄り添う」というヒューマニゼーションの考え を、助産婦たちが身をもって表現してくれたのだ。

>リスクを探し、足りないところを補完しようとする医療と、完ぺきな存在の女性と赤ちゃんとケアする側のかかわりに根ざす助産。全く異なった概念だが、対立し、どちらかにシフトすべきものではないと思う。助産所の継続的なケアや社会的サポートの有効性、慣習的に行われている医療的介入の不必要さ、といったことを、助産の側から医学の言葉で、証拠に基づいて説明することができれば、両者にとっての広がりにつながるのではないか。

>最後に、男性への資格開放については、助産の本質を伝えるような教育体系が不十分なままで議論することに、疑問を覚える。不合理な差別をなくすのが男女平等であって、なんでも両性に同じにすればいいというものではない。お産の場で女性の人格権が傷つけられるのではないか、というのを最も危ぐしている。(京都新聞2001.03.05)

 私がとくに惹かれた部分について、色をつけてみました。みなさんは、どのように読まれたでしょうか。

 私は、国家や社会やある種の組織、あるいは技術や何らかの偏った思想が、個人を管理し過ぎることに対して反発を感じ、警鐘を鳴らすと同時に、自由で自立した個人の中に秘められている人間としての豊かな可能性を最大限に生かすように支援することが自分のライフワークだと思っていまして、三砂さんの管理主義批判、技術至上主義批判的な言説にピピピっとアンテナが反応してしまうのです。

 女性が「本来持っている豊かで積極的な力」について、三砂さんが具体的に述べている文章もありますので、ご紹介しましょう。朝日新聞の「ひと」欄に載った人物評的な記事で、三砂さんの経歴にも触れています。

>三砂ちづるさん 女性が忘れた体の知恵に注目する研究者(ひと)

いま90歳以上の女性は、かつて月経の出血を自分で抑えることができた。筋肉をコントロールする方法を教わっていたから――。

>知り合いの産科医から聞いて驚いた。ということは、今のように尿漏れに悩むこともなかっただろう。

>その力を確認しようと、高齢女性から聞き取りをした。京都の70代の芸妓(げいこ)には伝わっていた。若い女性でも いきむのが上手な人は、下半身の力の入れ加減を親から教わり出血を調整している と助産師から聞いた。が、それは少数。 「体の使い方が伝えられていません。大切な知恵なのに」

>月経は一つの例にすぎない。 「自分の体を自分で実感する」大切さを説く。例えば排卵に気づくこと。妊娠と避妊を相手任せにしないとの意味でもある。

>本職は埼玉県にある国立保健医療科学院の応用疫学室長。20年近く海外にいた。薬剤師としてザンビアの青年海外協力隊に参加し、ロンドン大学で発展途上国の地域保健を研究した。

>2度の出産。英国では陣痛促進剤を使い、ブラジルでは帝王切開。悔いがある。 「医療の恩恵は大きいが、体が本来持っている力をもっと生かそう」 と、自然なお産も呼びかけてきた。

>昨年から助産師らと勉強会を続ける。昔の女性ができていたことを話すと、聞く人の目が輝く。 自然の力を引き出すため、力の入れ方、抜き方を身につける体操も教える。「思春期の少女たちが体と向き合うきっかけを用意したい」
   *
>みさご・ちづる 「スキンシップはとても大切。それも体の存在を実感する方法です」 (44歳)
(朝日新聞2003年07月16日朝刊)

 そういえば私、月経血を調整する方法をちゃんと母から教えられていました。中学・高校のころはひどい痛みに悩まされましたが、年を経るとともに軽くなったのは、「いきむ」技術が身についてきたからかな?とすると、仮にお産したら軽いかも?

「自分の体を自分で実感することの大切さ」って、深い言葉ですね。

 最後は三砂さんが翻訳した詩のご紹介。原典は英語でしたが、それをブラジル語に翻訳したものをあるブラジル人女性助産婦が朗読したのを聞いて感動し、三砂さんがその魂のふるえを大切にしながら意訳したといういきさつだそうです。

「わたしにふれてください」

もしわたしがあなたの赤ちゃんなら
どうぞ、わたしにふれてください。
今までわたしが、知らなかったやさしさを
あなたからもらいたい。
あふろにいれてください、おむつをかえてください
おっぱいをください
ぎゅっとだきしめてください、ほほにキスしてください
わたしのからだをあたためてください
あなたのやさしさとあなたのくれる快楽が
わたしに安心と愛をつたえてくれるのです

もしわたしがあなたのこどもなら
どうぞ、わたしにふれてください
いやがるかもしれないし、拒否するかもしれないけど
何度もそうしてください
わたしがどうしていやがるかをわかってほしいから
おやすみなさい、と抱きしめるあなたの腕が
わたしの夜を甘くしてくれる
昼間にみせてくれるあなたのやさしさが
あなたの感じる真実を伝えてくれる

もしわたしがあなたの思春期のこどもなら
どうぞ、わたしにふれてください
もう大きくなったのだからなんていわないでください
あなたがわたしにふれるのをためらうなんて思いたくない
あなたのやさしい腕が必要です
あなたのおだやかな声をききたいのです
人生は困難なのかもしれないとわかったいま
わたしの中の小さな子どもがあなたを必要とするのです

もしわたしがあなたの友達なら
どうぞ、わたしにふれてください
あなたがだきしめてくれると
わたしはあなたにとって大切な人だとわかるから
あなたのやさしさが
おちこんでいるわたしも、かけがいのない存在であることを
思い出させてくれるから
そしてひとりではない、と思い出させてくれるから
わたしにやすらぎをくれるあなたのありよう
それだけがわたしが信じられるもの

もしわたしがあなたのセックスの相手なら
そうぞ、わたしにふれてください
あなたは、情熱さえあれば、十分と思うかもしれない
でも、あなたの腕だけが、わたしの恐れをとかしてくれる
あなたのやさしくおだやかな指先をください
あなたにふれられて
わたしは愛されているということを思い出すことができる
わたしはわたしなのだ、ということを思い出すことができる

もしわたしがあなたの大きくなった息子なら
どうぞ、わたしにふれてください
わたしには、抱きしめるべきわたしの家族はいるけれど
それでも、傷ついたときには
おかあさんとおとうさんにだきしめてほしい
おとうさん、あなたといるとすべてが違ってみえる
わたしが、大切なわたしであると思い出すことができる

もしわたしがあなたの年老いた父親なら
どうぞ、わたしにふれてください
あなたが小さかったときに
わたしがあなたにふれたと同じように
わたしの手をにぎり、わたしのそばにすわって
わたしを力づけてください
わたしの疲れた体によりそい、あたためてください
わたしは随分しわくちゃになってしまったけれど
あなたのやさしさに力づけられる
どうぞ,何も恐れないで
ただ、わたしにふれてください

原作者:Phyllis K.Davis、翻訳者:三砂ちづる

スキンシップの大切さについて、私たちの魂の深いところへ訴えてくるような言葉ですね。じーん。





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最終更新日  2003年08月14日 18時23分30秒


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