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今日8日(水)は二十四節気の一つ立冬(りっとう)です。
「冬が立つ=冬の兆しが見え始める時期」という意味で、暦の上では冬が始まります。
今年の「立冬」は、11月8日(水)~ 11月21日(火)です。
さて、桧原湖の遊覧船を下りた後お昼を食べようと思いましたが、 お昼時はどこも混ん
でおり、時間がもったいないので、次の目的地の猪苗代町に向かうことにしました。
五色沼入り口から反対車線が渋滞しています。
どこまでも続く大渋滞猪苗代町に入ってもまだ渋滞が続いていました。
先に猪苗代町に行かないで正解でした。 この渋滞に巻き込まれていたと思います。
まもなく目的地ですが、駐車場に入るまで渋滞でした。
交通整理の方の誘導もあって、無事に駐車できました。
福島でも紅葉の名所として有名な土津(はにつ)神社です。
会津松平家九代藩主・松平容保公が、京都守護職を務めた縁で京都から移植されたと
伝えら れる いろはもみじ 16本と落葉後の真っ赤な紅葉絨毯が見所となっています。
土田堰(はにたせき)
男坂
ご祭神は会津藩初代藩主・保科正之公(1611〜1672年)
江戸幕府初代将軍・徳川家康公の孫、
二代将軍・秀忠公のご落胤、
三代将軍・家光公の異母弟。
幼名「幸松」。
母は秀忠公の乳母の侍女・お静。
秀忠公の正室・お江の方は、非常に嫉妬深く、秀忠公に側室を持つことを認めなかったため、
お静の方は密かに男子を産み、武田信玄公の娘の信松院や見性院に匿われて育ちました。
7歳で信州高遠城主保科正光の養子になり、21歳で高遠3万石、26歳で山形最上20万石、
33歳のときに会津23万石の城主になりました。
それから会津藩は、三代藩主正容から松平姓となり幕末まで続きました。
創建時の社殿は戊辰戦争で消失しましたが、明治13(1880)年に再建し、400年近い
歴史があります。
しゃぼん玉の演出に子どもたちははしゃいでいました。
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