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鳴子温泉駅から、陸羽東線に乗車し新庄へ向かいます。こちら、鳴子温泉駅。2階建てで、観光案内所が同居しています。みどりの窓口とキヨスクがあります。陸羽東線の列車はほとんどがこの鳴子温泉駅を始終着として、新庄~鳴子温泉、鳴子温泉~小牛田という運転系統になっています。但し、一部に新庄~小牛田直通列車、古川~小牛田の区間運転列車などがあります。1990年代前半の一時期、深夜に寝台特急「あけぼの」が走ったことがあります(線内無停車)。「キハ100系」というJR東日本ご自慢のディーゼルカーです。初代の「キハ100形、キハ110形」が北上線、釜石線、山田線に導入されてからもうすぐ20年になりますが、未だに「新車」扱いされている不思議な形式です。この陸羽東線には片側にしか運転席がない「キハ111」「キハ112」が2両1組で1998年に導入されました。陸羽東線と、新庄~余目(酒田)の陸羽西線で走る車両は独自のデザインになっています。構内の跨線橋より。新庄の方向です。4両編成で到着しましたが、後ろ2両はここでさようなら。小牛田へ引き返し、前2両だけが新庄へ行きます。車内はこうなっています。さて、発車時刻になりました。ローカル線の旅旅に出たくなったらポチっとよろしく参考:フリー百科事典Wikipedia「陸羽東線」「キハ100系」カトー 6043 JR東日本 キハ110系一般形気動車 キハ110-100(モーター付き)【税込】 KATO604...グリーンマックス 1019T JR東日本 キハ23形 一般形気動車「東北地域本社色」塗装済みトー...「キハ100系」導入まで陸羽東線を運行していた車両
2007年03月14日
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陸羽東線の小駅、「西古川」駅。大崎市古川新堀、東北新幹線の古川駅から陸羽東線下りに乗って2駅目です。駅近くには「西古川駅前郵便局」があります。ホーム1面線路2本の交換可能駅で、無人駅です。駅舎はコンクリート製で、事務所スペースは残されています。当日はご覧の通り、外装工事中でした駅前通りは、ご覧のような広い道路です。駅前広場と駅前通りの幅が同じですしかし車通りは殆ど無く、明らかにオーバースペック。特定時間を除いて駐禁は解除されるので、半ば駐車場代わりになっているようです(もちろん、道交法上、道路を代わりにするのはダメです)。駅前にはミヤコーバスが乗り入れ、加美町(中新田)方面への路線があります。また、タクシーが待機していました。戦前戦中には、ここから仙山線の北仙台まで「仙台鉄道」という軽便鉄道が走っていたそうです。戦後になって災害により北仙台~中新田間を廃止、その後高度成長に入るか否かの頃に中新田~西古川間も廃止され、幕を閉じました。北仙台といえば、仙台の官庁街のちょっと北です。そこから、八乙女、七北田、富谷、吉岡、大衡、加美中新田という、現在はすっかり仙台のベッドタウンとなった地域を抜けるルートだったそうで、現在まで生き残っていたら有力な私鉄になっていたかもしれません。跨線橋より新庄方を望むトコトコローカル線の旅ブログランキング「地域情報(東北)」次回予告 街を歩けば下駄も鳴子全3回予定■加美農業高校ときめきリンゴジュース 185ml[宮城県]高校生が丹精こめて育てたリンゴ100%、水一滴加えていないジュース。プロデュースの全てを、農業を学ぶ高校生が手掛けた貴重な名産品。
2007年03月06日
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天王駅から次は、「二田」(ふただ)駅。旧天王町の行政中心にあって、現在、JTB時刻表では潟上市の代表駅として掲載されています。駅の格から見れば、本線で以前は特急急行の停車駅だった、奥羽本線の大久保駅(潟上市昭和庁舎最寄り駅)が代表駅にふさわしいような気もしますが、潟上市の「本庁舎」機能がここ天王庁舎にあるので、こうなったのでしょう。ごく最近改築されたような風情の駅舎です。(Wikiによれば、1994年)。駅舎内には、事務室があって委託の駅員が詰めています。構内は1面2線。脇本とともに交換可能駅。脇本、二田の交換可能2駅ともに、線路は長めに取られています。これは、ごく近年まで長編成の客車普通列車(1994年まで)や貨物列車(2002年まで)が運行されていたためです。相当イレギュラーな臨時列車や工事用列車を除き全て気動車となった今でも、毎朝7両編成の列車があります。駅前は、ここも他の男鹿線各駅と同じく狭いです。秋田中央トランスポート(中央交通の子会社)のバスが乗り入れています。中央交通のHPには記載はありません。この路線は、旧天王町営バスの路線で、専用塗装の車両が走っているようです。当駅前から真っ直ぐ道路が伸びていて、役場(いまの市天王庁舎)や商店があります。国道101号は、防風林の反対側でちょっと離れています。←旅に出たくなったらポチっとよろしく男鹿線シリーズは、初回に説明した理由により、一応最終回です。上二田、出戸浜の各駅は、改めて紹介します。起点の追分駅(秋田市)は、以前紹介しています→こちら
2007年02月16日
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簡素な作りの無人駅。ここから、潟上市に入ります。前の船越駅からは2キロも離れていませんが、船越水道(八郎潟の流出河川)の長い橋梁があります。男鹿線が脇本まで開業したのは1914年ですが、この天王駅が開業したのは1956年のことです。周囲は砂丘上の住宅地で、特に行政施設等はありません。駅前に入り込むバス路線や、常駐しているタクシーもありません。駅前には商店が1軒と、自動販売機があります。東湖八坂神社は当駅下車。参考:wikipedia「男鹿線」「天王駅」←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2007年02月16日
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今夜は全国的に荒れ模様だそうです。今夜の東日本・北日本の夜行列車は軒並み運休となっております。また、明日の羽越線「いなほ」も運休するそうです。さて、男鹿線各駅シリーズ、お次は、「船越」(ふなこし)駅です。この地域は、昭和の大合併時に男鹿市に編入された地域で、それまでは南秋田郡船越町でした。駅舎は1999年頃に改築され、JR系コンビニ「NEWDAYS」が入りました。それまでは羽立、脇本と同じような旧国鉄型駅舎に簡易委託の駅員(市職員?)がいましたが、今はコンビニの店員を兼ねたJR子会社の社員が詰めています。定期券や回数券は、NEWDAYSのレジで買うようになっているそうです(近距離は券売機)。構内は1面1線。国鉄時代は交換可能でしたが、JRになる前に棒線化されたようです。現在の駅舎は1番線の敷地を潰すように建っているので、交換設備復活はないでしょう。駅前旅館があります(営業しているかは要確認)。また、当駅は秋田工業とともにラグビーが強い「県立男鹿工業高校」の最寄り駅で、登下校時には大勢の生徒が利用します。そのため、1日あたり利用客数は追分を除く男鹿線内で最も多い約800人となっています。(終点&市代表駅の男鹿駅でも約600人)船越地区は、ショッピングセンターが2軒あったり、小中高校が揃っていたりと、男鹿市内で最も発展している地域と言えるでしょう。中央交通のバスも、男鹿から来る「船川線」「潟西線」が経由。特に旧若美町に向かう「潟西線」は朝夕中心に平日8往復あり乗継ターミナルとして、ローカルバスとしては多くの乗客が乗り換えます。(潟西線の一部の便は終点の五明光で能代行きの秋北バスに接続)タクシー常駐。つぎは 天王 です←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2007年02月14日
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次は、脇本~、脇本~。男鹿から2駅目は、「脇本」(わきもと)駅です。もともとは南秋田郡脇本村でしたが、昭和の大合併の1954(昭和29)年、近隣町村と合併し男鹿市になりました。その頃の中心地です。構内はホーム1面2線で交換可能。側線数本あり。現在は普通列車のみですが、かなり以前(1980年頃まで)、上野~秋田間の夜行急行「おが」が季節延長の快速扱いで男鹿線に乗り入れていた頃は、停車駅だったようです。但し、機関車牽引のため気動車の普通列車よりも遅かったとか。また、2001年までは、この脇本駅から終点男鹿駅の先にあったJR貨物船川港駅まで、国内唯一の原油輸送が行われていました。北方に「申川」という油田があり、パイプラインが当駅まで引かれていましたが、今はタンクローリーになったそうです。その頃はJRの社員が詰め、窓口業務も行っていましたが、現在は簡易委託になっています。ホームの向こう側、杉林の脇に原油の積込設備がありました。男鹿線共通の特徴ですが、駅前広場は「ネコの額ほど」しかなく、市道と同化しています。この点は、どちらかといえば地方私鉄の雰囲気に近いです。駅近くには秋田中央交通のバス停「脇本本村」があり、「船川線」(秋田駅西口~男鹿みなと病院)、「五里合線」「潟西線」が経由します。実は、寒風山への最寄り駅はここですが、路線バスはありません。タクシー常駐。つぎは 船越 です汽車旅ブログランキング東北参考資料:Wikipedia「脇本駅」訪問日:2007年2月7日DVD 釣りバカ日誌15 ハマちゃんに明日はない !? 【取り寄せ】新課長就任のドサクサに紛れて男鹿半島に釣り旅行に来た浜崎伝助が、秋田市、男鹿市、西木村、田沢湖町、角館町でドタバタを繰り広げるお馴染みのコメディ。水産試験場(実在)の職員と意気投合し、職員の自宅に招かれるとそこには…。この劇中では、「水族館GAO」(実在)は鈴木建設が手掛けたことになっています(笑)ホンモノのGAOの開館式典では寺田知事がシロクマ着ぐるみを着たそうですが、劇中では浜崎がナマハゲになって登場しています男鹿半島 戸賀温泉 海と入り陽の宿 帝水風光明媚な男鹿西海岸。その中でも水質抜群で綺麗な石浜と磯浜が連なる戸賀湾に面した高台に立つ高級旅館。男鹿半島の思い出作りに、日本海に沈む大きな夕陽を…「男鹿水族館GAO」の近所です。(以前の帝水は古い建物でしたが、全面改装&一部新築されております)
2007年02月13日
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男鹿市の中心地「船川」の外れに位置する「羽立」地区。男鹿線終点男鹿駅より1駅秋田寄りの「羽立」(はだち)駅があります。ローカル線の駅間としては短く、男鹿~羽立間は十分に歩ける距離、市街地を20分少々歩くと到着できます。現在は1面1線の無人駅。かつての島式ホームの駅舎寄り(つまり1番線)の線路が撤去されています。駅前は狭く、ロータリー(というより舗装広場)はすぐ国道101号に面しています。国鉄時代はもちろん職員が配置されていました。写真は窓口跡ですが、右側は小荷物の窓口ですね。宅配便がサービスを開始する前、個人が荷物を送るとすれば、郵便小包(いまの「ゆうパック」)か国鉄小包(もうない)だったそうです。荷送り人は荷物を駅へ持ち込み、荷受人は駅まで取りに来る。専用の車両が多くの列車に連結されていましたし、小荷物専用列車(旅客列車の扱い)も走っていました。左の窓口は出札口(きっぷうりば)。昨年までは委託の駅員がいましたが、今は無人です。なぜそうなったかというと、当駅すぐの高台にあった「県立男鹿高校」が、男鹿駅最寄りの「県立海洋技術高校」(いまの県立男鹿海洋高校)と統合されたため高校生の大量利用がなくなったからです。構内側からの写真。典型的な国鉄の地方小駅です。駅前のバス停ポール。秋田中央交通のものではなく、「男鹿交通」のものです。同社はこの羽立駅前に車庫を構え、貸切バスとタクシーを手掛けている中堅のバス会社です。通称「OK観光」実は、男鹿温泉郷やなまはげ館、入道崎などの主要観光地はこの羽立駅が最寄り駅。同社では、格安で行ける乗り合いタクシーを運行しているそうで、2名以上なら男鹿温泉まで1人1,000円だそうです。もちろん、駅前直ぐを走る国道には、中央交通のバス停があり、男鹿温泉、入道崎、水族館方面行きなどが立ち寄ります。つぎは 脇本 です列車は男鹿線唯一のトンネルを通ります。車でも、バイパス経由なら秋田~男鹿船川間唯一のトンネルを通ります。旧道(でも国道指定は何故かこちら)経由なら、心霊スポットとしても知られる「茶臼峠」を越えます。←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2007年02月13日
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秋田県の男鹿半島を走るJR男鹿線の駅を、1駅づつ巡ってみましょう。終点の男鹿駅から始発駅の方向に向かって紹介します。今回は、ドライブを兼ねているので、車で回りました(予算の都合と言うのもある)。なお、上二田駅、出戸浜駅は未取材なので(実は二田駅から車を走らせているうちに、追分三叉路に到達してしまった…)、後日改めて。さらに、追分駅は以前紹介済みです。第1回は、終点の「男鹿」(おが)駅。観光都市男鹿市の中心駅で、市役所までは歩いて数分。JR社員がおり、みどりの窓口(Kaeruくん稼動)、キヨスク、スタンドそば店、観光案内所併設。構内はホーム1面2線で跨線橋はなし。他に側線数本。駅の南北を結ぶ跨線橋(自由通路)はあります。男鹿半島といったら「なまはげ」バス停あり。男鹿半島各方面への秋田中央交通路線が発着しています。男鹿駅前始終着便はなく全便が経由便。水族館GAO、入道崎灯台、綺麗な砂浜・石浜海岸の戸賀、加茂青砂へは羽立・男鹿温泉経由便「男鹿北線」が毎日運行。※GAO・戸賀・加茂(加茂青砂)は「湯本駐在所」で乗換(接続運行)。西海岸方面は門前まで「男鹿南線」毎日運行。季節・曜日により、「南線」の一部便は西海岸の風光明媚な大桟橋道路経由で水族館まで行きます。ほかに、秋田駅西口、男鹿中、五里合、安全寺、五明光への路線が出ています。始終着地は全便「男鹿みなと病院前」となっています。つぎは 羽立 です←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2007年02月12日
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毎度おなじみ、鉄ヲタと女性漫画家が鉄道に乗って繰り広げる珍道中「鉄子の旅」(IKKIコミックス)どうやら、「6巻セット特別書き下ろしセットケース付き」とやらが発売されるようで、楽天ブックスで絶賛予約受付中特典として、菊池直恵ウマすぎ駅弁MAP付き【予約】 鉄子の旅全6巻セット ウマすぎ駅弁MAP付!!しかもどうやら、アニメ化決定でもね、公式サイトを見ても、IKKIコミックスのサイトを見ても、「セット」「第6巻」の情報が載っていないんです。予約受付している以上、「セット」はでるんでしょうが、「第6巻」は楽天ブックスにも登場せず。かなり秘密のベールに包まれた第6巻か?それとも、楽天ブックスのミスで、実は「5巻セット」か??真相は藪の中。…と思ったら、ありました!楽天ブックスにて「【予約】 鉄子の旅 6」予約受付中!単に検索に引っかからなかっただけのようです。既に第5巻まで所有しているブログ主かずにい。さあ、意を決して「セット」を購入するのか?その場合、既蔵の5冊はどうするのか?お楽しみに…してないか。「鉄子の旅」既刊5巻勢ぞろい ←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2007年02月02日
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久々の「バス終点」シリーズです。秋田市内、泉秋操線の終点です。バス停の名称は忘れました。(NB1さん、何でしたっけ?)秋田市内では新しい路線で、開設から12年ほどです。秋田駅前(西口)から17分で到着する短い路線で、終始市街地を走行します。住宅が立ち並んでいます。JRの線路が通っていますが駅はないので、利用者は比較的多いです。終点と言っても回転地等はなく、このように路上で待機し、道路を使って周回します。ちょうど、スーパーの「ジェイマルエー泉店」とホームセンターの「コメリ泉店」との間の道路です。路線名の由来ですが、「泉」は地名、「秋操」は旧国鉄秋田操車場(現・JR貨物秋田貨物駅)の直ぐ傍まで行くことから。「泉ハイタウン団地前」という停留所がありますが(中央交通の時刻表ではここが終点になっていますが、車両はそこでは待機しません)、この団地は旧国鉄用地を大規模に宅地開発したものです。←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2007年02月01日
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今日は、冬とは思えないほどスカッと晴れたので、ちょうど休みだったし秋田空港へ出かけました。写真はありません。フィルムカメラ使用の為、現像がまだです。さて、秋田空港。先月から駐車場への進入路が変わりました。理由は、空港を通過して大仙市方向へ道路が伸びたため。構内道路の大規模な付け替えが実施され、一部は県道になりました。詳細は行ってみて下さい。たぶん、駐車場への入庫は迷うでしょう。なんせ、第一Pは従前の「入口」が「出口」になっちゃってますから。今日も、目撃しただけで3台、入口のつもりで「出口」に入り立ち往生。それから、空港構内へ入る導入路も、レンタカー各社の事務所を過ぎて直ぐの左折一箇所だけになりました。いままでメインだった、第1Pと第2Pの間に入る左折は封鎖されました。さて、1P、2Pは混んでいると踏み、3Pへ。3Pと隣接する臨時Pは、滑走路の直ぐ脇で、絶好の撮影ポイント。今日は300mmを持ち出し、NHの767とJLのMD90を狙いました。構図はバッチリです。一応1/500を使ったので、多分止まっていると思います。あとは、露出が心配。一応、カメラ内臓露出計ではOKなのですが・・・。もうお一人、カメラを構える御方がおりました。さて、MD90離陸後、ターミナルへ移動。送迎デッキへ上がり唖然。一部を除いて封鎖された上に、フェンスが張られ、とても撮影できません。他空港でもフェンスが設置されているところがありますが、たいていはレンズ用に網目が大きい部分が設けられているものです。しかし、ここのはそれがない。まともに構図取りしようものなら、フェンスが写りこんでしまいます。次回からは、駐車場からか、外周(中央公園)からの撮影に専念するしかないようです。さて、せっかくなので、ターミナル2階の中華レストランで880円のあんかけやきそばを食べました。けっこうお腹一杯になりました。ターミナル1階には去年、ファミリーマートができましたが、空港のファミマでも、「おでん」が売られていました。空港で「おでん」を買う人、いるのかなこのファミマ、空港施設内なので当然24時間営業ではありませんが、ファミポートはじめ他のファミマと同じサービスをしています(酒なし店)。今日は空港で写真を撮るのココロだぁ~(小澤昭一風?)ブログランキング「地域情報(東北)」
2007年01月17日
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秋田空港で大韓航空のB737が滑走路ではなく 誘導路に 降りたそうです夜中、家に帰って、ネットでNHKのニュースをみてひっくり返りました秋田空港の誘導路は幅30m、滑走路幅は60m(長さは同じ2500m)当時は弱い雨で、視程は約10km。見りゃ分かるだろうに…。航空鉄道事故調査委員会の今の所の見解も「判断ミス」、つまり、ヒューマンエラーであろうとのこと。←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2007年01月06日
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秋田県秋田市、奥羽本線の追分駅。秋田市の北端の駅で、北隣の奥羽本線大久保駅、男鹿線出戸浜駅はともに潟上市になります。1902年10月の開業ですから、今年で104年目。秋田市北郊の中心駅として、男鹿線の分岐駅として栄えてきました。今でも駅員(社員)配置駅でみどりの窓口(もしもし券売機)とキヨスクがあります。今は奥羽本線と男鹿線の普通列車と花輪線直通の快速が止まるだけですが、かつては特急や急行が止まっていた時期がありました。構内はホーム2面に通常使用している線路が3線。ほかに、何本かの留置線(車両を駐車させておくところ)と土木、保線関係の事務所があります。当駅下車の行き先としては、野球で有名な金足農業高校、当ブログでもたびたび紹介している秋田県立博物館、秋田県自治研修所と総合教育センターがあります。ベッドタウンと砂丘地農業(果樹・畑作)の地域でしたが、秋田県立大学が1999年に開学し、学生たちが住まう町へとも変化しています。←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2006年12月27日
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秋田中央交通「雄和市民センター前」(旧名称:「雄和役場前」)秋田市内(大川反車庫・秋田駅)から仁井田、四ツ小屋を経由してやってくる「雄和線」の終点。そして、旧雄和町域を1乗車100円で運行している循環バス「ユーグル」各線の起点でもあります。一応「ターミナル」になっており、3番線までありますが、ホームはなく、白線が引かれ、ポールが建っているのみです。乗務員休憩用のプレハブが、役場と公民館の間の、ネコの額ほどの狭い所に建っております。「ユーグル」は、旧雄和町が中央交通に委託して始めた町民バスシステム。それまで、中央交通が通常の路線バスとして運行していた町内各線をまとめ、循環方式・ワンコイン方式に改めたもの。秋田市内から来る「雄和線」を「基幹バス」として、この「市民センター前」で各路線に乗り継げるようになっています。ここは、中央交通の「雄和車庫」も兼ねています(車庫と言っても野ざらしですが)。「ユーグル」に使用されるバスが配置されております。中央交通の一般の路線車のほかに、もともと雄和町が自家用で所有していた車両も、塗装はそのままで緑ナンバーとなり、中央交通に移籍しました。「雄和市民センター前」には、県庁市役所・秋田駅西口~秋田空港を結ぶリムジンバスも停車しますが、リムジンはターミナルには入らず、県道にバス停があります。「ユーグル」時刻表(秋田市)←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2006年11月08日
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先日、かつて北海道で復活運行していた「C62ニセコ号」の写真を掲載しました。それを見ていて、ふと思いました。現在復活運行されている列車用に、旧客に似せた客車を新造できないものか…。姿格好、内装が旧客に「似ていれば」ヨシ。保安装置は最新式でなければならないし、客用ドアも今では流石に手動では危険。ドアは引き戸の自動でもヨシ。難燃性も確保しなければならない。SLが“半”定期運行されている磐越西線、秩父、真岡、大井川、山口線、そして各地出張運転している高崎のD51に梅小路のC56。このうち、旧客で走っているのは大井川だけですね。あと、高崎のD51と真岡のC11が出張する時たまに旧客のことがありますが。残りはほぼ12系。12系も一応SL現役時代の客車なのですが、近代化された姿でSLに牽引されるのはちょっと物足りなさを感じます。旧客に似せた(外板だけでも)客車があればいいな~…と思います。←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2006年10月28日
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リアルタイムネタ欠品による懐かしの北海道シリーズ(?)。今日で一応最終回です。日本最大の蒸気機関車「C62」。その雄姿が民営化時に復活しました。「C62ニセコ号」であります。当時、小樽~倶知安間を特定日に1日1往復。ほぼ現役時代のままの旧型客車を5両牽いて走っていました。小樽~倶知安間には峠があるのですが、C62はこの区間を単独牽引していました。現役時代、長編成の急行「ニセコ」などを牽くときは、機関車2両連結の「重連」だったそうです。SL復活にかける雄姿の手で、保存されていた小樽鉄道記念館(いまの交通記念館)から、休止中だった手宮線を通って、再び本線上に戻ってきたのが国鉄末期。数年間運行されましたが、運転が取りやめとなり、今は苗穂工場で保管されているとのことです。現在時折運行されている「SLニセコ」号は、C11型という、ローカル線用の小さな機関車が、14系という特急用の客車(急行「はまなす」用と同じ)の塗装を変えた車両を牽き、後部にDE11型という入換・除雪用の機関車の塗装を変えた車両に後押しさせて運行されます。こちらは、JR化後に開発された普通電車。何と昨年あたりまで増備が続きました。現在、新千歳空港の連絡列車の主力ですから、乗ったことがある方も多いでしょう。隣の赤い車両は、今はなき50系51型(普通列車用客車50系の北海道Ver.)ですね。←ブログランキング 気に入っていただけたらワンクリック*** PR ***←クリックで、お手軽にお買い物。厳寒の季節はもうすぐそこ!冬の旅行に、撮影行に、軽くてあったか、ダウンジャケット。
2006年10月25日
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今日もリアルタイムネタ欠品中です。過去回顧ネタでのお手軽更新ですが、貴重な画像だと読者の方々からご指摘頂いております。さて、今日の舞台は、「宗谷本線」です。1989年7月31日と8月1日にタイムスリップいたしましょう。稚内駅にて当時、札幌と日本最北の稚内とを結んでいた急行「宗谷」。現在は新型車両による特急「スーパー宗谷」となりました。1980年代前半には、同じく札幌~稚内間を結んでいた夜行の急行「利尻」(現在の臨時特急「はなたび利尻」)の間合いで、昼間の列車ながら寝台車を連結したブルートレイン客車編成で運転されていましたが、この写真を撮影するちょうど1年前位に、一般型気動車を改造した車両に置き換えられていました。それが、この「キハ400・480」でありました。車内はリクライニングシートでしたが、改造車の宿命で、窓とシートの位置は全く合っていないのでした。名寄駅にて…と記憶していたが、電化設備があるのでおそらく旭川駅おや、ミッドナイトに続き(実際には、函館での駅撮りははこの後なんですが…)こちらも、何やら正規の編成ではない車両がくっついておりました。こちらもキハ56であります。急行料金を取る「正しい使い方」をされていました。この車両は増結自由席で確か名寄まで連結されていました。こちらにはエアコンなどはなく、扇風機回転、窓全開。蒸気時代の難所であった塩狩峠では、エンジンフル回転で唸りをあげながら、それでも低速での運転を余儀なくされておりました。稚内に到着であります。関係者が大きく写っているので、加工してあります稚内の名所、ドーム型の防波堤。戦時中まではここまで列車が乗り入れ、樺太(現在のロシア・サハリン州)へ向かう国鉄稚泊航路に連絡していたそうです。このとき保存されていた蒸気機関車は、もう解体されてしまったそうです。←旅に出たくなったらポチっとよろしく多分、明日も「1989北海道」。この頃のJR北海道目玉列車が登場します。
2006年10月24日
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リアルタイムネタは現在欠品中なので、過去撮り貯めた写真を紹介しています。時は1989年夏、北海道であります。画像容量の都合により、縮小画像でお届けします。あと9MBしか余裕がありません。函館朝市を見た後、「北斗星」を見に函館駅へ。そこに、「ミッドナイト」がやってきました。これは、当時札幌と函館の間を定期運行していた夜行の快速列車。車両は道内急行用キハ56系の改造車で、車内は1両はリクライニングシート(ドリームカー)、1両がカーペットカーの2両編成。全席指定でした。おやおや、改造車ではない正調キハ56がついていました。夏の「青春18」期間だけ、2両増結が行われておりました。こちらはボックスシートで自由席。果たして眠れるのか、少なくとも、私が急行津軽の583系で1晩を明かしたときには、さっぱり眠れませんでした。猛者はそれでも眠れるのでしょう。あと、宿が浮くだけでも…。(繁忙期の場合、そもそも座れるのか?という疑問もありますな)このミッドナイトは21世紀になって特急車両が使われるようになりましたが、程なく臨時化、そして廃止となりました。現在、函館~札幌間で有効時間帯の夜行列車は急行「はまなす」だけです。おまけ、多分函館本線の普通列車でしょう(江差線だったかもしれません)。この車両も、もうありません。こちら、寝台特急「北斗星」。当時日本最高の豪華列車として青函トンネル開業と共に登場。今も、個室が増えたくらいの往時とほとんど変わらぬ姿で上野~札幌間を運行中。←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2006年10月23日
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リアルタイムネタは現在欠品中なので、過去撮り貯めた写真を紹介します。時は1989年夏、北海道であります。札幌駅での、キハ183系500番台特急型気動車。当時はまだ登場から2~3年の新鋭車両として、JR北海道の主要幹線に花形特急として君臨。現在は、エンジン換装、塗装変更、アコモ改善を受けて、登場時の姿を残す車両はないそうです。隣は、キハ58系の北海道バージョン、キハ56(26か?)。本州向けのキハ58と違い、二重窓、板張りの床、グリーン車の窓配置に特徴がありました。こちらは、既に全車廃車になっております。←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2006年10月22日
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今更ながら、今年のJR貨物時刻表を図書館から借りてきました買ったのではなくて、借りたと言うのがまた…でも、図書館に貨物時刻表が収蔵されているとは思いませんでした。しかも開架に。ペラペラめくってみると、プレス発表の通り貨物取扱駅から羽後牛島(羽越本線・秋田の次)が消えていました。もっとも、もう何年も取り扱い実績がない駅だったようなので、当然と言えば当然。それこそ、貨物設備はもう何年も前に無くなっていたし、2kmくらい離れたコープケミカルからの引込線は20年以上前には使われなくなっていたらしいし。本文を見ると、あれ?各地の私鉄の時刻も載っていますね。小坂製錬の時刻表もありました。←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2006年10月12日
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さて、再び列車で、石越へ戻ります。流石の混雑で、帰りの列車は2両編成でした。写真は折り返す前、細倉マ駅に到着するところ。先頭車(石越行きでは後部車)は、宮城県で放送されているさとう宗幸さんの生ワイド番組とのコラボ車両「OH!バンデス号」帰りもご覧の混雑。しかし2両でしたから、およそ2/3の人は座れました。帰りの列車には車掌が乗務していました。ドア開閉の連絡(ブザー)と、2両目の乗客の運賃収受を行っていました。沢辺駅付近ではまだまだイベントが続いていましたが、他のイベント会場は終了し、閑散としていました。石越駅へ戻ってまいりました。既に薄暗くなっておりました。列車は、すぐに折り返していきましたが、乗客は少なめでした。駅前には、今の列車で到着した人が大勢、写真を撮ったりしていましたが、接続のJRに乗り換えた人は少数。皆さん、クルマを利用してやってきたようです。「くりでん」シリーズはこれで終わりです。今秋、今冬はぜひ「くりでん」へ。お付き合い頂き、ありがとうございました。 アクセス 列車の方…JR東北本線「石越」駅が接続駅・東北新幹線「仙台」より下り普通列車「一ノ関」ゆきで、約1時間20分 時間帯によっては小牛田乗換の場合あり・東北新幹線「一ノ関」より上り普通列車で、約20分。JR東北新幹線「くりこま高原」より「宮交栗原バス・石越駅前ゆき」で約20分 時刻要確認車の方…東北自動車道「若柳金成」→沢辺の金成総合支所駐車場へ←blogランキング「地域情報(東北)」参加中
2006年10月09日
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くりはら田園鉄道はもともと鉱山鉄道だったわけで、細倉マインパーク駅前広場には、電化路線時代の機関車と貨車が保存されています。貨車は傷み(塗装の剥げ)が激しいですが、機関車は最近お色直ししたらしく、比較的美観を保っています。鉱山最盛期には、この機関車が国鉄の石越まで貨車を引っ張って行っていたわけです。こちらが、駅から歩いて5分くらいの細倉鉱山です。現在、採掘はしていませんが、鉱山の技術を生かした職場として操業中です。(ここのところは、小坂鉱山と同じですね)近くには鉱山資料館があるそうです。こちらが、現駅名の由来になった「細倉マインパーク」駅から坂道を登ること10分。鉱山の廃坑道を観光施設として(料金を取って)開放しています。この日は、くりでんイベントがここでもあって、前回紹介した列車の混雑だったのですが、平日はどうやら淋しい状況のようです。ひとつ、車両を紹介しましょう。往路の列車内から撮影した、緩急車(車掌室つき貨車、貨物室つき車掌車…どっち?)です。廃車体に見えますが、どうやら未だ現役のようです。めったに稼動することはないようですが。よく見ますと、なんと「車票」(荷札)が入っています。この日、若柳駅ではイベントの一環で、この古典貨車をはじめ、電化時代の電車などが展示されていたようです。でも、電車は非電化後約13年使用されていないので、塗装があせて、非常に痛々しい。鉱山電車の繁栄を伝える立派な電車だけに、どこかで保存できないものでしょうか。奥に見えるツートンカラーの車両は、ディーゼル運転開始時に車両製造の経費を抑えるために、愛知県の名古屋鉄道(名鉄)からやってきたディーゼルカーです。然し不運にも、出番はあまりないようです。今回は車両紹介が主でした。次回が最終回。帰路、「マインパーク前」~「石越」へ戻りました。←ブログランキング参加サイトです
2006年10月08日
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引き続き、「くりでん」乗車記です。石越駅の模様は、昨日の日記をどうぞ。(今回は、携帯向け画像は設定いたしません)さて、石越駅に列車が入線してきたところまで、前回ご紹介しました。この列車は、所定14時05分到着予定でしたが、遅れに遅れ、折返し発車時刻の20分になってやっと到着しました。駅の施設の写真を撮っているうちに、いつの間にか、大勢の行列が出来ていました。もちろん、皆「くりでん」に乗る人たちです。実はこの日、「くりでん」沿線では「ふるさとくりはら再発見」という「くりでん」応援イベントが開かれていたのでした。現地に行くまで知らなかった…それで、閑散ローカル線にこれだけの乗客が押しかけて来ていたのでした。列車は、やっと全員を乗せ、満員で石越駅を発車。終点の「細倉マインパーク前」まで各駅に停車していきます。イベントが開かれていた「若柳」「沢辺」「栗駒」ではかなりの乗下車がありましたが、それ以外の駅での乗下車はほぼ皆無。ローカル線の厳しい現実です。写真は多分「栗駒」を過ぎた後だと思います。画像データに撮影時刻が付いていますが、列車自体がかなり遅れて走っていたので時刻表との照らし合わせができません。田園地帯を抜け、この後山間部へ入ります。1ヶ所だけトンネルがあり、それを抜けると急カーブの連続で細倉へ。旧「細倉」駅横を通って終点の「細倉マインパーク前」に着きました。所要時間およそ50分(途中駅で乗降に手間取り)。ここは、かつて鉱山がありましたが(今も関連職場が操業中)、現在は廃坑を利用した観光施設がウリになっております。そこでもイベントがあり、その帰り客で「細倉マインパーク前」駅は石越駅を遥かに凌ぐ大行列。それでも何とか全員を乗せて折り返していきました。ここが終点です。車止めの先、細倉鉱山まで線路が続いていたそうですが、現在は築堤・切り欠きの跡が何とか分かるのみです。次回は、「細倉マインパーク前駅」その2、「マインパーク」と、「くりでん」の古典貨車を紹介します。←お気に召されたらポチっ環境 宮城県栗原市金成天恵水田ひとめぼれエポック カードガチャ カードで駅めぐり 全45種セット栗駒温泉 ハイルザーム栗駒
2006年10月07日
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1日(日)、宮城のローカル私鉄「くりはら田園鉄道」に乗ってきました。この鉄道は、JR東北本線の石越から西の方に向かって延びる25.7kmの路線。かつては「栗原電鉄」と言って、終点にあった細倉鉱山の産出物や鉱山関連の物資、沿線の農産物、鉱山従業員や住民を輸送する産業鉄道でした。鉱産物という重量物を輸送するために全線が電化され、最盛期には大量の貨物が国鉄に継走されて出荷されて行きましたが、鉱山の閉山とともに急速に衰退し、平成5年に自治体が出資し、ディーゼルカーを使用する第三セクター「くりはら田園鉄道」となりました。それでも状況は好転せず、来年(2007年)3月に列車の運行を取りやめ、バスに転換することが決まっています。「くりでん」の始発駅である石越駅は、JR石越駅前にあります。小柄な駅舎ながら、事務室や出札口跡、売店とおぼしき跡があり、入口と出口が分かれているなど、古い地方私鉄ターミナルの面影を存分に残しています。レトロ調…いや、レトロそのまま。ペンキ手書きの掲示物が哀愁。なお、現在は無人駅です(JR駅は日中のみ社員配置)。いかにも「社線」の雰囲気。JRが国鉄だった頃、私鉄線のことを「社線」と呼ぶ慣わしがありました。いまでも、乗換案内で「社線乗場から~」という車掌が時折います。「こまち」の車内放送でも、角館の乗換案内で聴いたことがある…東北でこのような感じの「社線の駅舎」が残っているのは、ここと津軽鉄道、弘南鉄道、福島交通、小坂製錬鉄道(旧同和鉱業・現在は貨物のみ)…くらいしか思いつきません(というより、残っている「社線」)。昔は、山形交通、庄内交通、羽後交通、秋田中央交通、仙北鉄道…等々あったでしょう。旧国鉄の三セク線の駅舎はもうすこし大きい。列車が入線してきました。構内は1本、かつては国鉄につながる授受線や側線があったように聞いていますが、今はありません。ホームは2両編成がやっと止まれる長さのみ。列車はだいぶ遅れてやってきました。1両編成(1両で「編成」と言うのかどうかは別にして)に数人の乗客と空気を載せてトコトコ…というイメージでやってきたワタクシ。イメージというのは、ごく偶に「覆される」こともあるもので。その理由は次回以降。←旅に出たくなったらポチっとよろしく次回は、1両列車の「くりでん」で、細倉鉱山を目指します。
2006年10月06日
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組合病院前(秋田中央交通・秋田市)新しいシリーズです。ひと月に1回UPするかどうかのペースになりますが、お付き合い下さい。さて、栄えある第1回は、秋田市北郊の田んぼの真ん中にある終点「組合病院前」です。その名の通り、病院の前にあります。平成12年頃に病院が移転新築してきたことに伴い、新設されたバス停です。秋田駅から八橋・寺内を経由して来る「将軍野線(組合病院行き)」と保戸野・天徳寺・外旭川を経由してくる「神田旭野線(組合病院行き)」、土崎駅から来る「神田土崎線(組合病院行き)」以上の路線の終点です。更に、秋田駅から保戸野・天徳寺・笹岡を経由して土崎駅へ向かう「神田土崎線(笹岡経由)」と、山王大通り・寺内・土崎港を経由して保多野・愛染・上小又へ向かう「上新城線」が経由するので、平日の本数はかなり多く、日中はほぼ常に1台待機している状態です。※ご注意1:「将軍野線」「神田旭野線」で組合病院に発着する便は一部便のみです。 特に神田旭野線で旭野団地着便乗車した場合、組合病院までは相当の距離があります。※ご注意2:「神田土崎線」のうち、笹岡を経由せず秋田駅前と土崎駅を結ぶ便は組合病院を経由しません(旭野団地の近くを経由します)。おまけですが、「神田土崎線(笹岡経由)」の「笹岡」です。組合病院から南南東の方向、笹岡バス停から病院が見える位置で、土崎駅方面の次のバス停は組合病院前。終点ではなく経由地ですが、バスはここで回転(Uターン)して、元の道を戻っていきます。上下便で一部の経路が重複しているんです。この笹岡経由の「神田土崎線」は、「神田」バス停を経由しない…(すぐ近くを通りますが)。土崎駅~組合病院間の「神田土崎線」に至っては、神田地区まで来ない不思議な路線名称ですが、当初の「神田線」は、秋田駅~神田・外旭川~土崎駅でした。←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2006年09月18日
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先ほど1時45分頃、我が家の前を701系の7両編成が、“そこそこの”乗客を乗せて(“満載”ではない、多少の立客)北上していきました。本日の最終列車となる、臨時普通列車「花火15号」大館行きでございましょう。秋田までは“乗客満載”だったでしょう。花火見物帰りのお客さんが23時過ぎにお店に来ましたが、「電車がスゴかった」と言っていました。何が凄いって、当然、混雑です。はい、秋田の人は、満員電車に慣れていませんから。じゃあ、車で行ったら??・・・いやいや、14時頃に交通情報センター(JARTIC:ラジオの交通情報を担当している財団法人)のホームページを見たら、秋田自動車道各所で渋滞の赤ランプ。例年通り和賀仙人トンネル(岩手県)で10kmくらいつながったみたい。大曲出口もかなり。高速道路(NEXCO東日本)のホームページでは、今日の大曲ICの通行方法について説明が出ていました。(上り本線上では、路側帯も使って2列で順番待ちし追い越し車線には並ばない、料金所手前では誘導員に従いブースへ進行、ETC専用レーンは今日に限り一般混合レーンに変更)1時55分現在、秋田自動車道上り線は土淵トンネル先頭に渋滞中。そうこう打っているうちに、485系3連(秋田車・かもしか編成)と、485系8連(青森車白鳥・つがる編成)が「団体」表示で北上していきました。次は何が来るかな?・・・ん?なにやら駅の方から電車のポイントを渡る音が聞こえます。2時15分…あ、仙台の583系6連ダ。今年の大曲の花火は、過去最高の75万人が来たそうです。←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2006年08月26日
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1993年の頃だったか、高校生の頃、生まれて初めて、空飛ぶ物体=飛行機に乗りました。それも、変り種の飛行機でした機種は、ニッポンの名機「YS-11」(ワイエス-いちいち)ですが、塗装が・・・(写真に写っている親子は、私とは関係ありません)飛行機に詳しい方ならすぐ分かったでしょう。航空自衛隊のYS-11です。秋田県内には航空自衛隊の基地が2ヵ所あります。どちらも戦闘機を配備するような大規模な基地ではありません。ひとつは、男鹿半島の最高峰「男鹿本山」と、その隣の「毛無山」にあるレーダー基地(第三十三警戒隊)。5月9日の日記「男鹿本山・毛無山」5月10日の日記「男鹿本山・毛無山(2)」5月11日の日記「男鹿本山・毛無山(3)」もう一つは、秋田空港に隣接している救難基地(航空救難団 秋田救難隊)です。当時、この救難隊の一般公開が行われ、航空機への体験搭乗が実施されたのです。それに乗ったのが、初めてのヒコーキでした。滑走路から誘導路を経て基地エプロンへタキシングしてくるYS-11。もちろんですが、通常、このようなアングルの写真は撮れません。体験搭乗は無料で、およそ30分。秋田市内土崎上空のあたりまでの、空のお散歩。秋田市向浜の上空です。ゴルフコースは、勝平山の秋田CC。銀色のドームは、県立スケート場です。当然ですが、こまちスタジアムはまだなく、古い県立球場が見えます。県立球場の場所には、今は県立武道館があります。4面球場(軟式・ソフトボール球場)や、市民広場(グラウンド)も見えます。今は、そこにこまちスタジアムがあります。プールが見えますが、それは現在、屋内型の総合プールに変わりました。機内の様子。2列×2列の配置は、民航機と変わりません。前方の方は、一部向かい合わせになっているようですね。コクピットのドアは、なんと開きっぱなしです。現在ではハイジャック防止のため厳重に施錠されていますね。まあ、もっとも、当機の乗務員は全員百戦錬磨の屈強な自衛官。そんな飛行機をハイジャックする大馬鹿者はいないでしょうけれど。先ほどの空撮からちょっと進んで、新屋浜(割山)上空。眼下に見える滑走路は、1981年まで使用されていた、旧秋田空港です。この頃はまだ旧ターミナルビル(いや、ターミナル小屋?)が残っていましたが、今は取り壊されてありません。この滑走路は1000mちょっとしかなく、最も大きな飛来機はYS-11でした。それに、海岸にあるので強風による閉鎖が多く、欠航率が全国ワースト5位に入るほどだったとか。川は、秋田県随一の大河「雄物川」です。手前から2本目の橋と3本目の橋との間から下流は、洪水防止のために作られた人工流路です。本当の本流は、細すぎてこの写真では見えません。基地では、吊り上げ救助の実演も行われていました。9.11テロも、オウム事件も起こる前の、テロとは無縁だった平和な頃の行事の思い出でした。←旅に出たくなったらポチっとよろしく☆☆☆ PR ☆☆☆YSー11(上) 国産旅客機を創った男たち 講談社+α文庫【中古】童友社 1/144 YS-11 全日空(モヒカンルック)YSー11栄光の翼戦後初の国産旅客機として、広く世界の空で活躍した名旅客機YS-11が国内定期路線から引退する。2006年4月30日の日本エアコミューター鹿児島・種子島線のラストフライト・ドキュメントを中心に、巡航中のコクピット映像や飛行シーンなどを迫力の動画像で紹介する。冊子では、航空評論家・中村浩美さんによるルポや航空写真家・青木勝さんの写真を満載した、マニア待望の永久保存版。
2006年08月23日
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12日の日記で、秋田空港に飛来していた大型機の話題を載せました。12日の日記「トライスター」その頃は、頻繁にではないですが、ジャンボ機(B747SR)も定期便で飛来していました。その写真です。おそらく、1994年頃でしょう。当時、「SR」の「S」とは、「スーパー」の「S」、「R」は何?…と不思議でした。それが「ショートレンジ」(近距離用・頻繁に離着陸しても耐えうるギアを装備し、燃料容量を少なくして搭乗定員を増やしたB747)のことだと知ったのは、もう少し後のことでした。←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2006年08月15日
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1992年夏、定期便として秋田空港に飛来したNHのロッキードL-1011「トライスター」です。当時も今も、NH(=ANA、全日本空輸の2レターコード)の東京線はB767が主力。しかし、1990年代には、盆暮れ正月の繁忙期には大型機が就航していました。まだ、秋田新幹線が開業する前のことです。写真のL-1011のほかに、ボーイングのB747SRも飛来していました。現在、秋田空港に飛来する定期便で最大の機体はB777。殆どの便はB767-300。ダブルトラックのJL(JAL、日本航空)便もA300が主力。ナローボディ機・モノクラスのA320やMD81で運行される便もあります。B747“ジャンボ”はもう突然のシップチェンジでしか来なくなりました。←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2006年08月12日
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土砂崩れで不通になっていた、羽越本線のあつみ温泉~鼠ヶ関間が復旧しました今夜から夜行列車が再び走り始めましたよ~早速、既に不通区間を通過したトワイライトが来ました。新潟の地震のよる不通(直接不通になったのは羽越線ではないが)、強風(季節風)に伴ういなほ脱線転覆による不通、今回の土砂崩れによる不通と、日本海縦貫の大幹線がはらむ脆弱性が大きくクローズアップされています。ところで、不通になっていた区間には、内陸部に、実は使われずに放置されているトンネルがあるようです。しかも、いわゆる「廃トンネル」ではなくて、「作ったけれど放置」の未成線。あつみ温泉駅の直ぐ南方から、次の小岩川駅の直ぐ北方まで、ほぼ一直線に2本のトンネルが…。しかも、複線規格。一説には、かつて計画があった「羽越新幹線」用だとの説もあります(半信半疑)。ほぼ完成以降、20年もほったらかし。「山さ行がねが」潜入レポート(実行のお勧めはしません)→温海の未供用隧道地形図にも載っています→国土地理院地図閲覧 温海前後の路盤用地も、国によって買収が済んでいるようです。そこに目をつけたのが、山形県サイド。このトンネルを活用し、羽越線の運行の安定を向上させてほしいと、要望しているようです。再度崩れるかも分からない大正時代の線路を修理して使うよりも、あとちょっとの土工と線路・架線敷設で災害から逃れられて、さらに複線化まで一挙に出来るこのトンネルを活用したほうが賢明だと思いますが、いかがでしょうか。←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2006年08月09日
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のどかですねぇ。今年はどれほど、実るでしょうか?角館~盛岡間は、随所で国道46号と併走。右側の道路、何だか旧道チックですね。さて、「こまち」とクルマ、どちらが勝つでしょうか?…そんなつまんないこと言うなって?雫石(春木場)の手前の併走区間で、ワゴンRに追い越されたよ。(もちろん、秋田~盛岡間の所要時間で言えば、列車の圧倒的勝利)「田沢湖」(駅名。湖自体は車窓からは見えない)を過ぎると、仙岩峠に挑みます。佐竹(秋田)と南部(岩手)を分けた険しい峠。昭和40年代の国道46号線(旧道)と国鉄田沢湖線の開通までは人力か荷車、駄獣交通しか許さなかった難所。そこは、盛岡~東京間で270km/hを出す強力モーターで、苦なく峠越え。清流が、右に左に。帰りの列車は、こんな山奥の鉄橋の上で止まりやがった!※駄獣交通:馬や牛、外国だったらロバやアルパカ、ラクダなどの4つ足哺乳類に、人や荷物を背負わせる交通手段。
2006年08月03日
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展望タワー「ポートタワーセリオン」に登ったら、偶然に貨物列車がやってきました。←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2006年07月27日
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山形県内の鶴岡市小岩川で土砂崩れが発生し、14日正午現在、この区間のJR羽越本線と国道7号線が不通になっています。JR東日本 列車運行情報Yahoo!道路交通情報(山形)国土交通省 酒田河川国道事務所(国道不通に関する詳しい記者発表が掲載されています)この事故により、今夜の寝台特急「日本海」「あけぼの」「トワイライトエクスプレス」は運休が決まっているようです。今日の快速「きらきらうえつ」は運休、特急「いなほ」は新潟~村上、酒田~秋田で折り返し運転を実施中とのことです。昨夜の上り「あけぼの」「日本海4号」の乗客は今朝の新幹線で代行輸送されました。国道も全面通行止めで、小型車は11時30分より付近の県道、市道が迂回路として案内されていますが、大型車の迂回路はなく、山形県内陸部を大きく迂回するルートしかありません。この区間に並行する高速道路はありません。このため、JRのバス代行はありません。7月16日(日)補足・・・JR運行情報等によると、国道が片側交互通行になったので、バス代行を始めたようです。夜行列車のうち、16日(今夜)発の「あけぼの」は、東北本線~北上線~奥羽本線経由の迂回で運行されます。大型車の迂回路は国道113号~13号~112号です。(新潟県荒川町坂町~山形県小国町~山形県南陽市赤湯~山形市中心部~西川町~月山新道~鶴岡市朝日~鶴岡市内)関東地方から庄内、秋田へ大型車で今日こられる方は、関越経由ではなく東北道経由にされたほうが良いです。参考情報:秋田魁新報参考情報:NHK秋田参考情報:山形新聞・・・現場の写真があります
2006年07月14日
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奥羽本線 土崎駅明治時代に開業。駅舎は大正15年(=昭和元年)建築の駅舎。今は1日平均2354人が乗降する秋田県内2位の駅。JR東日本内で乗降人員が把握できる駅の中では479位(JRホームページより数えました)。竜王(中央本線)、羽鳥(常磐線)、鹿沼(日光線)と同じくらいです。駅員は24時間常駐しているようですが、ご覧の通り自動改札機があります。同時に、対話型の指定券発売機「もしもし券売機カエルくん」も導入されました。駅舎内には、他に自動券売機(普通のタイプ)、キヨスク、NREみちのく(そば・うどん立食)があります。blogランキングに参加していますこの記事をお気に召されたら↑ 1クリック下さい ↑
2006年07月09日
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いま、お昼の1時を過ぎたところです。我が家は秋田駅北方の線路沿いにあるのですが、この時間聞きなれない音の列車がやってきました。窓の外をふとみると、ブルートレイン。臨時か何か(天理臨がたまに走る)と思ったら、行き先表示の字幕は黒地、つまり西日本車。後ろから2両目には個室車がついて最後尾は電源車。電源車のテールマークをみると、ん?「日本海」??どうやら日本海1号のようでした。定刻なら早朝5時半頃に通過するはず。遠くで何かあったんでしょうか。
2006年05月28日
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たらお♪さんから、1999年に私がJR指宿枕崎線の西大山駅(当時「日本最南端の駅」)を訪れた時に駅に立っていた最南端の標柱に「JR」の文字が入っていたかどうかというご質問を頂きました。お答えとして、その時の写真をご紹介します。写真のアングルとしては、今まで何度となく旅行雑誌に取り上げられた、国内旅行に興味をお持ちの方なら1度はご覧になったことがあるであろうアングルの写真です。「JR」の2文字挿入以外にもお色直しがされたようですね。一時、「JR最南端の駅」と書かれていた事があったようですが、本当でしょうか。今日は、県南旅行シリーズは休みます。明日、横手焼きそばを紹介します。その後は、六郷湧水群を紹介してシリーズを終わりにします。
2006年05月25日
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今日のお昼の「ニュースD」で、関越道が渋滞で一向に進まない様をヘリコプターを使って放送していました。新幹線も軒並み100%以上の混雑だとか。こういうときは、ぜひ在来線の列車で近場に旅に出てみましょう。例えば、東京から箱根、熱海~伊豆半島、群馬県の北の方、栃木の那須、日光は、快速電車でかなりの距離を移動出来ますし、グリーン車を使えば着席できる可能性も大と思われます。※今は、高崎線、宇都宮線にもグリーン車がついています※
2006年05月03日
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いわゆる「路線バス」の認可を受けた高速バスと違って、旅行会社が「会員」と言う形で乗客を募って運行する「貸切バス」のようなものですね。「路線バス」の高速バスよりお安いので、賢く使いたいですね。
2006年04月30日
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「ゆりかもめ」の振替輸送ニュース等で既報の通り、東京の新橋と豊洲を台場地区経由で結び、お台場観光輸送の大動脈となっている新交通電車「ゆりかもめ」が、事故のため不通になっています。これは、昨日15日、海の科学館駅を出た電車の台車部分が突然破損してタイヤが脱落し、電気設備等を破損したものです。現在ゆりかもめ社では全車両のハブを点検しているようですが、復旧は早くても17日(月曜日)になるとのことです。ゆりかもめが終日全面運休するのは、1995年の開業以来初めてです。ゆりかもめ社では、ホームページで代替ルートを提案していますが、アクセス集中のため非常に重くなっています。都内にお住まいの方なら代替ルートが見当つくでしょうが、上京されるかたは戸惑うかもしれないので、代替ルートを紹介します。現状、都心からお台場へ行くには、JR埼京線~りんかい線(東京臨海高速鉄道)の直通電車を使うのが、最も手っ取り早いと思われます。川越~大宮方面から、お台場を通って京葉線の新木場(ディズニーランド最寄舞浜駅の2駅東京寄り)まで直通している電車です。各駅停車、快速、通勤快速と停車駅は異なりますが、赤羽(北区)以南は停車駅共通です。(川越・大宮方面~)赤羽-十条-板橋-池袋-新宿-渋谷-恵比寿-大崎-大井町-天王洲アイル-東京テレポート-国際展示場-東雲-新木場※このルートの場合、JR~りんかい線の正規の乗車券類、フリー切符、Suicaが必要です。東京テレポート駅で降りると、そこがいわゆる「お台場」(デックス東京ビーチ・フジテレビ等)国際展示場駅で降りると、有明コロシアム、有明ワシントンホテル、ビッグサイトなどです。あとは、目的地まで徒歩で移動となります。このほか、東京駅から直通バスがあります。八重洲口バス乗り場から<東16>系統東京テレポート駅前ゆき東京都交通局振替輸送実施路線(りんかい線の乗車券で他社線に乗車可能)は次の通りゆりかもめのホームページでは、見るまで数分かかるので、挙げてきます(もし変更があっても責任は負いませんので、現地で再度ご確認下さい)・JR東日本 東海道線・京浜東北線・山手線の大井町・大崎~新橋~東京・りんかい線 全線・水上バス 日の出~台場~船の科学館/日の出~パレットタウン~ビッグサイト・東京モノレール 浜松町~天王洲アイル・地下鉄有楽町線 有楽町~新木場・地下鉄浅草線 新橋~大門・地下鉄大江戸線 新橋~汐留~月島・地下鉄日比谷線 銀座~日比谷・都営バス <虹01>浜松町~東京ビッグサイト <東16>東京駅八重洲口~東京テレポート <浜95>品川車庫~東京タワー <海01>門前仲町~東京ビッグサイト <海01>門前仲町~東京テレポート※いずれも、ゆりかもめの有効な乗車券類を所持していることが、振替の条件です都営バスの系統番号は、原データに、交通局ホームページを参考にして付け加えたものです。現地で再度ご確認下さい。
2006年04月15日
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JR新宿駅が絡む列車の大幅な変更があります4月15日土曜日、JR新宿駅南側にかかる跨線橋の架け替え工事に関わる列車の大幅な運休、経路変更があります。この工事は国土交通省が主体に進めていて、国道20号線甲州街道の跨線橋が、架橋80年と老朽化著しいため、架け替えるとともに拡幅し、同時に人工地盤を設置するものです。新宿駅南口地区基盤整備事業(関東地方整備局東京国道事務所)明日は、丸1日列車の本数を大幅に減らして、主に中央線快速電車の線路切替を行うようです。JR新宿駅の線路切り替え、あす未明から最大規模工事(Yahoo!ニュース・読売新聞)都内または近郊にお住まいの方は、すぐ代替ルートを思いつくでしょうけれど、上京される方はちょっと戸惑うかも知れませんね。いろいろ変更がありますが、大きく影響すると思われるのは次の通り1、中央線快速電車(東京から新宿~八王子方面 全面オレンジ色の電車) ・・・快速・特快運転を取りやめ、全列車各駅停車 2、中央線各駅停車(三鷹~新宿~秋葉原~千葉と都心を東西に走る電車 黄色帯の電車) ・・・一部列車運休(代わりに上記の快速電車が各駅停車になる) 三鷹方面と地下鉄東西線との直通運転中止3、湘南新宿ライン(大宮以遠の東北線と高崎線~新宿~横浜以遠の東海道線と横須賀線とを 直通するオレンジ色と緑色の帯の電車) ・・・大崎~大宮間運休 高崎・宇都宮方面の電車は上野発着へ変更か、大宮折り返し 小田原・横須賀方面の電車は品川発着へ変更か、大崎折り返し4、埼京線(川越~大宮~新宿~大崎 深緑色帯の電車) ・・・池袋~大崎間運休・りんかい線直通運転中止5、りんかい線(新木場~東京テレポート(お台場)~大崎 深緑色帯の電車か青色帯の電車) ・・・埼京線直通運転中止・全列車大崎折り返し6、中央線特急「スーパーあずさ」「あずさ」「かいじ」 ・・・全列車中野折り返し・中野~新宿・東京・千葉間運休つまり、15日丸1日、新宿駅に来るJR電車は中央線各駅停車と山手線だけです。代替手段としては、一応各線とも平行路線が運行されます。たとえば、埼京線が運休する大崎~池袋間は山手線(黄緑色帯の電車)は運転されますし、1、2で説明したとおり中央線快速電車は快速運転を取りやめるだけで運転自体はされます。報道では、山手線が増発されるようです。特急「あずさ」系統も、中野駅で中央線各駅停車に乗り換えれば都内へ入れます。このほか、特急「きぬがわ」「踊り子」「成田エクスプレス」「あかぎ」「とちぎ」「さざなみ」「わかしお」と、中央線のライナー列車に区間運休や発着駅変更があります。また、一部の他社線で振替乗車が実施されます。JR東日本のサイトに詳しく載っていますので、よくご確認下さい。新潟~新宿間の「ムーンライトえちご」は池袋発着です工事に伴う運転変更のお知らせ(JR東日本)変更列車の詳しい時刻と振替乗車の案内(JR東日本)
2006年04月14日
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JR東日本御自慢の新型券売機マシーン「もしもし券売機Kaeruくん」同僚が、追分のKaeruくんで定期を買ったと自慢していました(笑)最近、警察が空き交番や空き駐在所に設置したテレビ電話みたい。追伸:上の方にアルバム(ヤフーフォト)へのリンクを付けました。題して「フォトスペース」。鉄道写真が中心ですが、今後ジャンルを広げていきます。どうぞご覧下さい。
2006年04月10日
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3月28日、秋田駅の在来線改札に自動改札機が登場。写真手前の黒いマシーンが、今般新規導入と相成った在来線自動改札機。奥の緑色のマシーンは、4~5年位前から稼動している新幹線自動改札機。撮影時間は午前0時30分。この時間、既に最終列車終了後(正確には、この日は「こまち33号」が遅れ、まだ到着していないのだが・・・)なので、改札付近の人影はまばら。マシーンをゆっくり観察。てっきり他所の中古品、例えば、首都圏の駅でSuica対応機と交換で撤去されたマシーンがお下がりで来るのだと思ったら、キズひとつなく、どうやら新品のようです。ただし、Suicaサービスは当分やらないつもりとみえて、Suicaをタッチする部分は付いていません。Suica対応機が武骨なら、このマシーンはスマート。でもなんかスマートすぎてちょっと物足りないなぁ。今回の導入駅は、秋田、土崎、追分の3駅。県内で発売されているきっぷは、車内補充券(車内で車掌が販売するレシート型のきっぷ)等を除き自動改札対応になっているそうです。
2006年04月08日
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今日は、明日からの上京のチケットを買いに、「びゅうプラザ」に行ってきました。秋田駅のびゅうプラザはいつも待ち時間ができるほどお客さんがいるんですよ。おそらく、秋田市内の旅行代理店で客数が一番多いのではないかと推測。ところが、今日びゅうプラザに足を踏み入れた途端へ?何と言おうか、こんな感じ→・・・・・・・・・いままでに見たことがないくらい、ビックリするほどのお客さんの多さ。しかも、その構成人数の中心年齢はどうみても、オバチャン。あるいは、奥さんに連れられたダンナさま。最近、JR東日本が売り出している「大人の休日倶楽部」というのが、たいそう人気だそうでして、そのせいで、ただでさえ混んでいるびゅうプラザが激パ(?)となっている次第。これまで、JRさんの商売と言えば、コンビニとか、用地を利用したスーパーとかの関連事業が目立っていましたが、ここのところ、「本業で稼ぐ」ということにお目覚めになったようです。これは良い事ですよ。本業で稼ぐ、売上を取ることは大事。そのために宣伝をして、魅力的な商品を開発する。いずれにしても列車は走っているのだから、空気を運ぶよりだったらそうしたほうがいい。何をするにも(それがたとえ「安全対策」でも)、「原資」がないと何も出来ません。会社において事業の「原資」は大部分が事業の成果、つまり「売上」から生まれます(資産運用から捻出することもあるだろうが)。「利益」が取れるかどうかは別問題(←これに固執して大事故を起こした会社もあるが)。積極的に売上を取る、現金を獲得することは大事。新たな顧客サービス、新たな安全への投資も、売上がないことにはできないでしょう。獲得した現金を「安全対策」「設備更新」など余り直接的利潤を生まない事業に投資できるか、会社の方針が大きく現れる一面でしょう。まあ、ただ、最終的に「利潤を生む」ことが株式会社の最大の目標だから、それとどう天秤にかけるか、でしょう。異業種従業員からの雑感。さて、そんなわけで、今日びゅうプラザでは、なんと20分も待たされました。↑blogランキングに参加しています ぜひご投票(バナーをクリック)を
2006年03月22日
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こんばんは、みなさん。(NHKの松平アナウンサーってこんな感じの挨拶をしますね)23日から上京します。24日の大学(通信教育)の卒業式があるからです。やっと卒業できます!ヤッター!学士入学なのに5年もかかりました。通信での勉強は重い腰を上げるのが大変。昼の学生と違って、教員の尻叩きがないですからね。さて、この話題がなぜ「交通の話題」かといえば・・・23日の最終新幹線で上京し宿泊、翌日の卒業式と祝賀会に出ると言う段取りを予定していますが、そこに、なんと23日はANAとJALの運航職場の組合がストライキを設定したというニュースが飛び込んできたではないですか。<スト計画>日航と全日空の労組、23日に(Yahoo!NEWS=毎日新聞)新幹線だから関係ないですね。・・・・・・・・・いや、関係ある!東京~秋田線はANAが主力。しかし、そのANAの組合(5労組)がストを決行すると、全国で53%の便が欠航するというではないですか。秋田線がどれほど対象になっているか、まだ報道はないですが、全国で53%というと、かなりの高倍率。なんといっても「2便に1便が欠航」という事態ですよ。1月、卒論口頭試問の時も、空港まで行って欠航になりました。1月23日の日記それで、新幹線で行く予定の人に何が関係あるかって?そりゃ、満席の心配ですよ。それに「こまち・はやて」は全席指定席。明日早速びゅうプラザに行って予約をしてこよう。スクーリングに行く皆さん。日程には余裕をもって↑blogランキングに参加しています ぜひご投票(バナーをクリック)を
2006年03月21日
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いまから15年くらいも前の事(私が中学1年だったのでそれ位前だ)。「あけぼの」に新規投入される個室寝台車の改造が仕上がったと言うので、秋田駅の今は亡き貨物側線で車両展示会が開かれました。<今のメトロポリタン秋田の裏のあたり>個室寝台車は今も現役の2車種ですが、その展示控え車兼展示スペース兼休憩所として連結されていたのは、なんとカナリア色の103系でした。当時、土崎工場では初めて首都圏の通勤電車の工事(延命工事?)が行われ、新聞記事にもなりました。当時はまだ701系も登場しておらず、旧態依然の機関車牽引かディーゼルのボックスシート車ばかり。非常に新鮮で、なんだか急に秋田の街が都会に見えたものです。営業運転している訳ではないのに・・・。時は流れ、昨年までは山手流れの205系が、各線へ振り向けられる前の改造工事を受けに土崎に来ていました。私は南武線向け(?:色から見れば南武だが)のしか見ませんでしたが、仙石線用なども手掛けていたようです。今日の日記で土崎カーブの写真を載せ、思い出しました。いずれも写真(プリント・ネガ)はあるので、スキャナが手に入ったらお見せしたいと思います。※ひとつ訂正今日1本目の日記で、秋田臨鉄のタンク車の積荷は全て「濃硫酸」であると書きましたが、調べたところ、酒田の東北東ソーの貨物は「カセイソーダ」や「液化塩素」など複数の品目にわたることが分かりました。・・・ということは、酒田港行きは「返空」でしょうか。
2006年03月05日
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※6日未明、一部修正しました1日の記事で、秋田臨海鉄道の写真を紹介しましたが、今日は、その秋田臨海鉄道発のタンカートレインの写真を紹介します。撮影場所は、JR奥羽本線 土崎→秋田貨物間。列車の後方が土崎構内、進行方向左側が秋田総合車両センター(土崎工場)です。撮影時期は臨鉄の写真と同じ昨年の晩夏です。午前中に1本設定されているタンク車のみの編成の専用貨物列車で、始発駅は秋田港、終着駅は秋田貨物。そこから、小坂精錬鉄道の小坂または羽越線の酒田港へ別の列車として運ばれて行きます。ここのオススメはもう一つ。東北地方でDD51型機関車が定期運用されているのは、この「秋田港~秋田貨物」の専貨と高速貨C、それに「秋田貨物~北上」の高速貨A(列車自体は宮城野まで行く)だけです。秋田港~土崎間では大型DLが細い路地裏線路をソロソロ走り、秋田貨物~北上間では重連でコンテナ編成を牽き、深夜爆走しています(上り宮城野行きは秋田駅でバルブ撮影可能とか…時間的には、上野行き「あけぼの」のちょっと前)。この日は前2両が酒田港(東北東ソー)ゆき、残りが小坂(小坂精錬・同和鉱業)ゆきでした。タンク車の所有者は「東北東ソー」、「同和鉱業」、「伊藤忠商事」。積荷は「濃硫酸」と「カセイソーダ」などです。特に濃硫酸は事故に遭遇すると大きな危険を生じるので、長距離道路輸送が出来ないそうです。この撮影場所は有名ポイント「土崎カーブ」です。駅から徒歩5分程度、秋田駅からのバスも頻発していて訪れやすいポイント。本線なので、この貨物列車もそれなりの速度を出して通過します。進行方向左側の線路は車両センターの試運転線なので、試運転中の入場車両を見ることもできます。運がよければ直流機関車、直流電車が走っていることも!宿 泊 案 内ホテルルートイン秋田↑秋田港線秋田港駅のすぐ近く!ビジネス藤和旅館↑土崎カーブに比較的近い秋田県青年会館↑1日に紹介した臨鉄の写真は、ここのすぐ近くから撮影!
2006年03月05日
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名古屋と奈良を関西本線経由で結んでいる急行「かすが」が、今度のダイヤ改正で廃止されることになりました。現在、名古屋と奈良を直通で結ぶ唯一の列車ですが、メインルートの関西本線が峠越えを抱える非電化線なので新幹線(乗り換えあり)利用、近鉄特急(乗り換えあり)利用よりも時間が少々かかること、本数が少ないことがネックで乗客数が落ち込んでいました。※一部にはそんなに減っていないと言う情報もあるが車両を管理するJR東海では、数年前に車両を新型車に置き換えて巻き返しを図ったが叶わず。これで、JR線上を走る数少ない「急行」がまた一つ消えます。ところで、「特急」とは、「特別急行」の略。元々国鉄では「急行」の運行本数が多く、「特急」は限られた路線に1日数本走っているだけでした。その頃の「特急」は、全車指定席、食堂車連結が当たり前、列車によっては1等車(グリーン車)を2両以上連結し、VIPや成功したビジネスマン、新婚旅行者だけが乗る贅沢列車だったそうです。現在では新幹線が、その名残を少し残していますね。ところが、今では本家本元「急行」が全国でも両手で数えられる程の系統数まで減り、「特別急行」が「特別」ではなくなってしまいました。何か変ですね。
2006年03月01日
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3月18日のダイヤ改正から営業を始める、新しいリゾートしらかみ専用車両「くまげら」キハ48の展示会が行われるそうです。首都圏にお住まいの方は、お出かけになってみてはいかがでしょう。リゾートしらかみ「くまげら」車両展示会(JR秋田支社)
2006年02月28日
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全国各地に港(港湾)がありますが、その一部には鉄道の線路が引き込まれています。国鉄時代までは、貿易船が出入りする大規模港湾はもとより、漁業の拠点となるような大きな漁港にまで線路がひかれていました。秋田県内では秋田港と男鹿市の船川港(二つあわせて「重要港湾秋田船川港」という)に臨港線がひかれて、物資の輸送に活躍していました。船川港では、港への線路というより、港にある日本鉱業(日鉱共石→ジャパンエナジー)精油所への引込線と言う性格が強く、JR男鹿線の末端区間として平成13年まで使用されていました。DD51重連のタンカートレイン、しかも、日本で唯一の原油輸送列車が走っていたそうですが、男鹿駅より2駅手前の脇本駅に留置されているタンク車しか見たことがありません。その脇本駅には、若美町(現・男鹿市)申川油田からの原油を積み込む施設がありました。一方、秋田港では岸壁まで線路が引かれ、船積み貨物の中継をしていたようです。今はポートタワーセリオンやフェリーターミナルになっているあたりに、雑多な有蓋・無蓋貨車が列をなしていました。当時国鉄秋田港線(正式には奥羽線の一部)の秋田港駅から岸壁への線路は、交通量が多い県道に踏切を設けられていました。さらに、秋田港駅からは第三セクターの「秋田臨海鉄道」が南北に路線を伸ばしていました。現在、船川港の線路は撤去されました。秋田港の線路はだいぶ縮小されたものの、現役です。ただし、岸壁への線路は全て剥がされてしまいました。秋田臨海鉄道南線 向浜→秋田港(2005年 夏)臨海鉄道の路線は、秋田港駅から北の「秋田北港」駅までの北線と、秋田運河を渡って対岸の「向浜」駅までの南線が営業しています。北線の荷主は秋田精錬飯島精錬所(同和鉱業の関連会社)で小坂からのタンク車2往復、南線の荷主は日本大昭和板紙東北で、コンテナ4往復。沿線には他にも企業がたくさんありますが、現在の荷主はこの2社のみ。いずれも、臨海鉄道のDE10タイプかDD13タイプが牽引しています。DE10タイプは新潟臨海鉄道からの移籍車。ほかに、北線には「中島埠頭」という中間駅がありますが休止中とのこと。
2006年02月26日
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今朝の秋田魁新報県内8駅「みどりの窓口」廃止へみどりの窓口がなくなる予定の駅は八郎潟、追分、土崎、男鹿、鷹ノ巣、能代、湯沢、象潟(JR秋田支社エリアの青森県五所川原も)いずれも、窓口利用客が比較的少ない駅。秋田県内で「比較的少ない」ということは、全国的には「少ない」部類ということなんでしょうな。土崎なんかは秋田県内で2番目に乗降客が多いのに、窓口利用者が少ない。みんな短距離利用者か、長距離きっぷは秋田で買うんでしょうね。先だって夜間無人化された湯沢駅は、早速市役所が噛み付いてきたようです(湯沢はジャスコも閉店してどんどん地盤沈下してる)。まあ、能代と五所川原は「びゅうプラザ」があるし、鷹ノ巣はお隣の内陸線鷹巣駅「内陸線観光」でもJR券を売っているらしい。これら各駅は無人になるわけではないが、湯沢市はそのへんを心配しているようです。そこでこれらの駅に登場するのが新型自動券売機。その名も「もしもし券売機Kaeruくん」というそうで、現在は東京都内の7駅で稼働中とのこと。なんでも、券売機に人が近づくか、ボタン(タッチパネル?)を押すと自動的に盛岡の販売センターのオペレーター(JRのおっさん?お姉さんだったらいいな)と繋がり、客は機械に向かって一人しゃべりと支払いをするだけというなんとも珍妙なマシーンのようです。証明書読み取り用のカメラもついていて、学割やジパング倶楽部の対応も可能。ということは、複雑な内容の場合は紙に書いてカメラに写せば処理してくれるのかな。青梅線での利用例(JRプレスリリース)自治体関係者は「お年寄りが不便に」と言っているようですが、短距離切符はお年寄りも券売機でじゃんじゃん買っている時代。近距離券売機よりも使い方簡単のようなので、心配する必要はないのでは?強いて言えば、さすがに一人しゃべりは恥ずかしいので、電話ボックスのように専用スペースを作る(現在のみどりの窓口スペースを活用すれば可能?)ことと、オペレータの顔を映すモニターを設置してもらえればいいですね。
2006年02月18日
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