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「夢の中で神から授かった旋律」 ブルックナーは、第1楽章の第1主題について、こう周囲に説明した。 その夢の中で神は、 「この旋律はお前に成功と栄誉をもたらすであろう」 とも言ったという。 ことの真偽はともかく、 この第7交響曲の第1主題は「神の旋律」と呼ぶに相応しい 神々しい美しさを放っている。 それは、 若く女性的なたおやかさを持つ同時に、年老いた男性的な落ち着きを兼ね備え、 世俗的な歌謡性と自由さと同時に、宗教的な節度を保っている。 曲は「ブルックナーの原始霧」から立ち登る「神の主題」で始まる。 それが繰り返し繰り返し何度となく展開されながら、曲は厳粛に進んでいく。 あるときは毅然として、またあるときは途方にくれて。 あるときは祝福し、またあるときは愛撫するかのように。 横に流れる弦と、真っすぐに立ち上がる金管によって、かたち造られる巨大な十字架。 コーダを控えたクライマックスでは、 地平線からやってくるかのように息の長いティンパニーのクレッシェンドに支えられて、 この「神の主題」が 高らかに歌い上げれられる。 眼がくらむほどにまばゆく輝かしい金色の音楽である。 第2楽章は「ワグナーのための葬送行進曲」と言われることが多いが、 この叙情的で完全無欠の緩徐楽章にはいかなる標題も無用である。 完璧なまでに美しい対比のA-B-A’-B’-A”形式を持つ。 ワグナーの死がもたらした深い哀しみが込められていることは明らかだが、 それを「ワグナー的なるもの」としてとらえる必要はないだろう。 むしろ、鑑賞の邪魔ですらあると思う。 最後のA”のクライマックスにティンパニー・トライアングル・シンバルの3パーカッション群を入れるかどうかの問題があるが、 僕は「3パーカッション群入り」を採る。 オリジナル主義者(←もはや「死語」かもしれないが)に言いたい。 原典を突き詰めるのも結構だが、聴いて感動できないようなら意味がない。 「スイングがなければ意味がない(村上春樹)」のだ。 第3楽章のスケルツォは農民の祭りだそうだが、 僕は高校生のころ、一時期この旋律が一ヶ月くらいずーっと頭のなかで 憑かれたように鳴り響き続けていたことがある。 いつでもそれを譜面に書き写してピアノで弾けるほどに。 それが弟が持っていたブルックナーの第7交響曲の第3楽章の旋律だと気付くまでは。 そのCDが、この僕が生まれる10年前に、オイゲン・ヨッフムがベルリン・フィルを指揮したもの。 そしてその兄が弟に駄々をこねて譲り受けたCDは、 聴き続けてもう15年になるが、いまだに僕のブルックナー体験の原点として、 他者とは比べようのない別格の「心の友」となっている。 第4楽章について、ダニエル・バレンボイムは「短すぎる」と言ったが、 確かに、大規模の前3楽章を受け切るには、このフィナーレは短すぎる。 しかし、決して弱いわけではなく、 洒脱にあふれ、不安定ながらも非常に充実しており、 こう言っては語弊があるが、 ブルックナーのフィナーレに時折見られる偉大なる退屈さ・・・ に陥ることから免れている。 が、この「短すぎる」フィナーレ楽章でこの交響曲をどのようにまとめ上げきれるか、 というところに指揮者とオーケストラの力量が問われるところでもあるのだが、 僕は、このヨッフム=ベルリン・フィル盤の コーダの金管のリズム感・・・と言うより「呼吸感」と呼ぶべき ネイティヴ特有のイントネーションがとても気に入っていて、 聴くたびに「ああ」とか「おお」とか心の中で叫んだりため息をついたりしている。 よい曲です。 *ちなみに、「神の主題」というのはワタクシ「ブラームスがお好き」の造語というか、勝手な呼び方です。あしからず。
2007年01月19日
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今日は当直明けで何も「やる気なし子さん」になってしまったので、 休みをもらってとっとと帰ってきました。 休んだからといって、これと言ってなにもしなかったのですが。 暑い中外にでて、ちまちまとした用事をすませてました。 夕方ちょっとだけまどろんだところに、 妻が帰って来ました。 近頃の入道雲は見事です。 北海道から転勤してきた課長は感動していました。 さて、 坂本龍一の『美貌の青空』 映画『バベル』で印象的に使われていました。 結局のところ、僕たちはお互いを理解し合うことはできない。 というのが映画のテーマだったと記憶しています。 そんなこと、メントウ向かって言われるとかなりつらいですよね。 たとえそれが真実だとしても。 映画はよかったです。 この音楽が人間としての無力感、徒労感、虚脱感を感じさせるのは、 もともとこの音楽が持っているものなのか、映画のせいなのかわかりません。 そこには多少の希望も残されてはいるのですが。 それにしても、『美貌の青空』って不思議なタイトルです。 標題が意味するところは、わかるようでわからないような… 坂本龍一は、どちらかといえば好きなほうですけど。
2007年08月08日
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サガンの「ブラームスはお好き」を読んだ。 名乗っておいて今ごろ読むとはなにごとかとお叱りを受けそうだが・・・。 ともかく,いつ買ったものかわからないくらい長い間本棚の間で埃かぶっていたこの本を引っ張り出して読んでみた。 シモンが初めてポールを誘ったコンサートで流れていたのは,小説の中でははっきりとは書かれてないが,間違いなくこの「ヴァイオリン協奏曲」である。 25歳のシモンは14歳年上のポールにこう手紙を書く。 「ブラームスはお好きですか?」 それは高嶺の花を誘うときに使う背伸びした若者のセリフだ。 ポールの恋人ロジェは浮気相手を助手席に乗せているとき,たまたまそのコンサートのラジオ中継を聞く。 その後ポールがその音楽会に行ったと知り,冗談めかしくこう訊ねる。 「ブラームスは好きかい?」 やれやれ,まさか君にそんな趣味があったとはね。 それは大人の感覚。 ブラームス?若いころはちょっとは聞いたけどね。 この小説はさまざまなことを語りかけているが,僕は小説を評することに慣れていないので,ここに書くことはやめておく。 ところで,ブラームスのヴァイオリン協奏曲。 サガンの表現を借りれば, 「ちょっと悲壮な,ところどころ,ちょっと悲壮すぎるコンチェルト」 である。 イタリアに近い南ドイツの明るい日差し。 牧歌的ですらある。 でも,時折訪れる若いブラームスの張り裂けんばかりの心情はとどめようがない。 (師であるロベルト・シューマンの妻クララへの許されぬ想いゆえか?) この曲はちょっとくらい大袈裟にやった方がよい。 夭折した女流ヴァイオリ二スト,ジャネット・ヌヴーの演奏はまさに真打的存在。 指揮はハンス・シュミット=イセルシュテット(!),オケは北ドイツ放送交響楽団のゆったりとやさしく重厚なバック。 自由自在に飛び廻るヌヴーのヴァイオリンを温かく包んでいる。 1948年のライヴであるが,スピーカーから流れ出る音は不思議と生まれたてのように活き活きしている。 まるで今ここで音楽が作られているかのよう。 この曲はブラームスの親友で「大」ヴァイオリ二ストのヨアヒムとの協同作業で作曲されたものだが,終楽章のロンドの箇所にヨアヒムのちょっと人間臭いメモが残っている。 「アレグロ(速く)」,「プレスト(急速に)」と速度指示をしたブラームスだったが,ヨアヒムは「マ・ノン・トロッポ・ヴィヴァーチェ(あまり速過ぎないように)」の指示を追加した。 理由は「そうでないと演奏が難しい。」 「こうしては?」「いやいやこっちの方がいい」「やっぱりそっちが」など若い二人の快活で仲の良いやりとりが聞こえてきそうな微笑ましいメモである。 (クレーメルは非情にも無視してしまったが・・・) ちょっとだけ物悲しくなってちょとだけ悲壮な気分になってみたい秋の昼下がりにオススメです。
2005年11月04日
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ロンドン・オリンピックだからというわけではないけれど、 今回は エルガー 交響曲第1番 です。 珍しいことですが、 このジャケット写真は、音楽と演奏の雰囲気をとてもよく表現しています。 ゆったりと幅広く歌われる、哀愁漂う序章は、とってもノーブル(高貴)な音楽です。 (またそれが、「コケイン」序曲の喧噪あとに静かに始まるのがよい。) その点、バルビローリは、心得ています。 挙措動作が美しく、自然で、堂々としていて、しかも温かい。 第2交響曲も有名ですが、個人的には、第1番の寂寥感とスケールの雄大さが好きです。 栄光をたたえて、ゆっくりと落日は沈む。 かつての大英帝国の栄華を偲ぶような、そんな音楽。 まさに、 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」 の世界です。 ロンドン・オリンピック、勝敗はあまり興味はないけれど、 鍛え抜かれたアスリートたちの肉体の躍動は、 純粋に美しいですね。 たぶんそれこそが、 そもそものオリンピックの目的であり、 最大の楽しみのはずではなかったのではないでしょうか。
2012年08月04日
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トゥーランドット第2幕第1場面。 ピン・ポン・パンが婚礼と葬儀の打ち合わせをしている。 と言ってもこのオペラの筋を知らない人にとってはなんのことかわからない。 説明しよう。 最初に言っておくが,ピンポンパンと言っても,例の子供向けテレビ番組のことではない。 ピンは宰相,ポンは料理頭,パンは大膳職,架空の中国王朝の大臣たちである。 その国には,トゥーランドットという氷の心を持つ皇女がいた。 彼女はまさしく絶世の美女であったが,求婚する王子たちに3つの謎を出し,それに答えられなかった場合はその王子たちをことごとく刑場に送り込み殺してしまうという,恐ろしい所業を重ねていた。 今回,またひとり放浪の王子がやってきて,トゥーランドットに求婚するしるしである鐘を三度鳴らした。 やれやれ,とピン・ポン・パンの3大臣は嘆く。 事務方としては,あの愚かな若者のために,また婚礼と葬式の準備を同時にしなければならないではないか!どうせまた葬式だろうが。今回で20人目だ。やれやれ。 この第二幕のピン・ポン・パンの場面は,このオペラの中での劇中劇,いわば間奏曲のような役割を果たす。 コミカルだけどシニカルな,官僚又はサラリーマンの哀愁漂う,ちょっと大人向けの「見せる・聴かせる」場面である。 最初に言っておくけど,この第二幕の第一場面,この「ブラームスがお好き」は結構好き。 さて,ここは宮殿の大臣たちの部屋。 ポンは婚礼の準備,パンは葬式の準備。 しかし三人とも,実はこの仕事にうんざりしている。 私たちはとうとう刑吏の大臣に成り下がってしまったのか! ああ,故郷に帰れば,美しい山や竹林や庭や池があるというのに,こんなくだらない儀式のために,私たちは細かいシキタリが書かれた経典を枕に一生を終えてしまうのか・・・ ああ,あの皇女トゥーランドットが生れてからというもの,これではお世継ぎも望めないし,終わりだ,この王朝はもはや終わりだ・・・ 3人は郷愁に浸りながらもこの国の行く末を憂えている。 彼らは止めようとした,トゥーランドットに挑もうとするあの無謀な若者を。 女など捨てろ!それができないなら百人めとれ! 気高きトゥーランドットも, しょせんは顔はひとつ,腕は二本,足も二本,胸は二つ。 たしかに美しく,高貴な血筋だが,足は足,ただの足には変わらぬさ! 百人の女を持てば,馬鹿め,溺れるほど足が持てるのだぞ, 二百本の腕に,二百のやさしい胸だ,どうだ,胸が二百だぞ! 百のしとねだ!百のしとねだぞ! あっはっはっは!あっはっはっは! 一人の女のために命を捨てようとするやつはキチガイだ,行ってしまえ!若者よ! ここはうちのキチガイだけで墓穴は一杯なんだ,よそ者のキチガイに付き合ってる暇はない! それでもあの若者はきかなかった。 やれやれ,どうせまた首がひとつ落ちるだけさ。 姫の謎を解けた者はいない。 ああ,と3人は嘆く。 さらば,愛よ,さらば,わが民族よ! さらば神聖なる血統よ! この王朝は終わりだ! おお,どうか待ちに待った晴れやかな夜が, 姫の幸福な降伏の夜がやってこないものか!(ピン)わしは姫に新床をのべてやりたい!(ポン)わしはやわらかい羽根ぶとんをふかふかにしてあげよう!(パン)わしは寝室に香水を振り撒こう!(3人で)そしてわしら三人で,庭に出て歌おうではないか!(ピン)明け方まで愛の歌を!(ポン)こんな風に!(パン)こんな風に!(ピン・ポン・パン) この中国には,愛を拒むような女はいない! かつてはひとりいたが, その氷のような女も今は火となり燃えている! 姫よ,あなたの帝國ははるか長江を越え広大無辺! だがあの薄いカーテンの向うには, あなたを支配する花婿がおれらるのだ! あなたはすでに口づけのかぐわしさを知り すでに全身の力が抜けてしまわれた, いまや奇跡が起こる,このひめやかな夜に栄えあれ! 栄えあれ,この絹のふとんに栄えあれ! 甘い吐息の証人よ,庭ではすべてがささやき 金の釣鐘草がリンリンと鳴いている, 二人は睦言をささやきあい,花は露の真珠でちりばめられている 帯を解いて未知のひめごとをいまや知る, 美しい五体に栄光あれ! 再び王朝に平和をもたらす, 愛に,陶酔に,栄光あれ!栄光あれ! かなりあけすけな歌であるが,彼らもトゥーランドットの氷の心が溶けるのを心の中では願っているのだ。(「栄光あれ!」は,「グロリア!」と歌われます。) この3人の三重唱はなかなか聞かせる。 が,いいところで邪魔が入り,3人は「仕事」に戻る。 無謀な若者とトゥーランドットの闘いの儀式が始まるのだ。 はたして「謎が三つで死がひとつ」か。 それとも「謎は三つでひとつの命」か! 希望,血潮,そしてトゥーランドット! もちろんトゥーランドットは,ハッピー・エンドで終わる。 「誰も寝てはならぬ」(ネッスン・ダルマ)は僕が最も好きなアリアのひとつです。(そしてこのオペラは僕のツボ中のツボです) 壮大なフィナーレは,この「誰も寝てはならぬ」の旋律に乗って, アモーレ! 永遠の命なる太陽よ! 世界の光たる愛よ! わたしたちの限りない喜びは 陽光の中で微笑み歌う! アモーレ! 汝に栄光あれ!愛に栄光あれ! と大オーケストラと大合唱で感動的に歌われます。 しかしいま,トゥーランドットと言えば, ビバ! 荒川静香 である。 昨夜の彼女は本当に小指の先までしなやかで美しかった。 「人間の身体とは,女性とは,こんなにも美しいものなのか」 と思ったのは久しぶりだ。 鳥肌が立ち,不覚にも涙が出そうになった。 ため息がでるほど見事に日本女性の美しさを表現してくれました・・・ 荒川静香よ,おめでとう! トゥーランドットとともに,汝に栄光あれ!
2006年02月24日
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