全7件 (7件中 1-7件目)
1

こんにちは、久しぶりの投稿です。義父の葬儀があり中断していました。初七日も無事終え 投稿しています。 今日は前回の続きで滝川スカイパークでの「M-02J」のテスト飛行の模様をお贈りします。 8月15日、テストフライトを待つ「M-02J」です。 スタッフの小さな女の子は八谷さんの娘さんです。夏休みでお父さんに同行してスタッフ のお手伝いをしていました。ipadで動画の撮影を担当していました。 今回のテストフライトの目的は3m以下のジャンプ飛行を数多く飛び実績を作ることです。 この結果を航空局へ報告し、次の段階へ進む許可を申請する重要なテストフライトです。 このジャンプ飛行を繰り返し、今回のテスト飛行で20数回のフライトをこなしました。 大変安定したフライトでいつでも高空飛行出来る感じでした。 フライトを終えお嬢さんと記念撮影に応じてくれました。この時にブログへの投稿と 動画のYOUTUBE投稿の承諾を頂きました。 その動画がこちらです。 動画はあまり撮り慣れていないのでちょっとブレていますがとても安定した飛行でした。 それでは今日はこの辺で、次回は9月のテストフライトの模様をお贈りします。航空局の 200m以下の飛行許可が下り、いよいよ第2段階の高空飛行へ進みます。 それでは お楽しみに!!! いつもクリックありがとうございます。またよろしくお願いします!!
2014.11.28
コメント(0)

こんにちは、今日はいよいよ舞台を北海道に移してのM-02Jのテストフライトの模様をお贈 りします。2014年7月、北海道滝川市の滝川スカイパークで毎年行われている空のお祭り 「2014滝川スカイフェスタ」に招待され公開飛行を行う為、テスト飛行を行います。 こちらが7月21日のテストフライトの模様です。八谷さんの動画です。 7月27日(日)、いよいよ2014滝川スカイフェスタの当日を迎えます。これは見逃せない と会場へ向かいましたが段々と雨足が強くなり残念ながらスカイフェスタは中止となりました。 「メーヴェ」モデルのM-02Jは格納庫に展示され、八谷さんの説明会やサイン会が行われ、 雨にもかかわらず大勢の方が「メーヴェ」を一目見ようと集まりました。 「メーヴェ」モデルM-02Jの操縦方法を説明する八谷さんです。 会場ではパソコンで数日前のテストフライトの動画が繰り返し流されていました。 こちらがその模様です。 天気が良ければこんな映像が撮れたのにと残念な思いをしましたが、私以上に八谷さん は2年連続でこのようなイベントで飛ぶことが出来ず、悔しい想いをしていたと思います。 この日はM-02Jの写真を撮り、八谷さんの話を聞きパンフレットにサインを頂きました。 この後、北海道の新十津川町の「かぜのび」という所で展示されるとの話を聞き、今後この 滝川でテストフライトの予定はありますかと聞いたところ、「8月にまた飛びますよ」とのこと でした。これは見逃せないということで、後日詳しい日程を聞いて撮影に備えました。 ということで次回は8月のテストフライトの模様をお贈りします。今日はその前に「滝川スカイ パーク」がどういう所かちょっと紹介します。 場所は北海道滝川市の石狩川の河川敷に作られています。ここの滑空場の諸元は次のと 通りです。 総面積・・・50ha メインランウエイ・・・800m×20m・舗装 グラスランウエイ・・・1200m×50m ウインチレーン・・・1150m×2本 またここには博物館と格納庫を合わせたスカイミュージアム(航空動態博物館)があり 30機ほどのグライダーを格納することが出来ます。また前に紹介したビンテージグラ イダーの「ミニモア」がこちらで保管されています。通常は分解されて収納されており、 何かイベントがあった時に組み立てられます。今回のスカイフェスタで公開される予定 でした。この「ミニモア」の模型が次に紹介する「リリエンタール」に飾られています。 どうでしょう、宮崎駿監督が「メーヴェ」のモデルにしたのではと思われる「ガル翼」の「空の 貴婦人」と呼ばれる、1930年代に作られた美しいビンテージグライダーです。 今も飛べるのは世界で3機しかなく、そのうちの1機がここに収納されています。 実際に滝川の空を飛んだときの写真です。 ハブハウス(航空公園管理棟)には職員事務所とこの軽食喫茶の「リリエンタール」があり ます。事務所には図書室や気象観測があり、「リリエンタール」ではコーヒーや軽食がとれ ます。天気にの良い日はグライダーの飛行を見ながらくつろげます。 滑空場のそばは一般の人が遊べる公園となっており、毎日多くの方たちが散歩やグライダー の飛ぶ姿を見学しています。 八谷さんはこのスカイパークは本当に広く飛びやすい滑空場ですと絶賛しています。 なかなかこういう設備の整った滑走場はなく、トイレがないところが多いそうです。 舗装滑走路が長く、芝生も良く管理されてタイヤに大変いいそうです。以前はタイヤのトラ ブルが多く、中断することが多かったそうですが、この滝川に来てからはその様なことは ほとんどなく、その分数多くフライト出来るので順調に本数をこなせているとのことでした。 こちらが滝川スカイパークのホームページです。 TAKIKAWA SKYPARK.JP それでは今日はこの辺で、次回は8月に行われたテストフライトの模様をお贈りします。 この時に直接お話しすることが出来、撮影の許可と動画投稿の承諾を得ることが出来 ました。 それでは お楽しみに !!! いつもクリックありがとうございます。またよろしくお願いします!!
2014.11.10
コメント(0)

こんにちは、今日は新ジェットエンジン「タイタン」を積んだM-02Jのテストフライトの模様 をお贈りします。 まずエンジンを搭載したM-02Jを離陸させるには航空局の「試験飛行許可」が必要です。 この申請にはまず「合計1時間以上の滑走試験をすること」という条件がありました。 2012年10月から11月にかけて千葉県の野田市スポーツ公園でこの滑走試験を行いま す。この滑走試験を終え、いよいよ航空局へ許可を申請します。この飛行許可は2段階とな っていて、第1段階は「3m以下の飛行に限ったジャンプ飛行」でこの実績を積み重ねます。 そして第2段階で初めてに200m以下の場周飛行の許可が下ります。 2013年7月、待ちに待った航空局の飛行許可が下ります。まずは「3m以下のジャンプ飛行」 です。早速、野田スポーツ公園へと向います。こちらの動画は八谷さんのOpenSky3.0です この日のテストの最後の4本目で初めて空を飛びます。高さ2.5m、飛行時間11秒、飛行距離 130メートルというフライトとしては小さなものでしたが、10年前から八谷さん、そして関係者、 そして多くの人が願ってきた夢がかなった瞬間です。 ここまでが八谷さんの著書「ナウシカの飛行具、作ってみた」に書かれています。 こちらは2013年10月、引き続き野田で行われたテスト飛行の模様です。村岡力さんの動画 です。滑走路が芝生の為、最初のスタートがちょっと不安定です。スタートが安定すれば飛び ます。 こちらは2013年11月22日、関宿滑空場で「2013年野田空まつり」のリハーサルの為の テストフライトを行いました。 残念ながらこの時に前輪を破損して肝心のまつりでは飛べなかったそうです。こちらの ホームページに昨年の模様が出ています。今年の空まつりは11月16日(日)に行われま すが予定にはM-02Jは入っていませんでした。空まつり2014 in Noda です. 今年の北海道滝川市の2014滝川スカイフェスタでのデモ飛行も大雨で中止となってしまい どうも八谷さんはまつりに飛ぶことが出来ません。 2年続けて空のまつりに飛ぶことが出来なかった八谷さんは、来年滝川でのスカイフェスタで のリベンジを誓い、参加を決めてくれました。来年は200m以下の飛行許可が間違いなく下り ているはずです。きっと大勢のファンの前でその雄姿を見せてくれるでしょう。 それでは今日はこの辺で、次回はいよいよ北海道に舞台を移します。中止となってしまった スカイフェスタの為に2014年7月にテストフライトを行います。そしてまつり終了後もこの滝川 スカイパークで引き続きテストフライトを続け、順調に3m以下の飛行実績を積み上げます。 次回はそのテストフライトの模様をお贈りしたいと思います。私の動画も登場しますのでよろしく! どうぞ お楽しみに !!! いつもクリックありがとうございます。またよろしくお願いします!!
2014.11.09
コメント(0)

こんにちは、今日は2代目のジェットエンジン「タイタン」を搭載したM-02Jのテストフライト の模様をお贈りします。その前に2011年に起きた災害について触れなければなりません。 2010年4月の福島でのテストフライトでジェットエンジンが故障し交換せざるを得ませんで した。また資金難によるオリンポスの四戸さんとの別れなどによりプロジェクトは中断します。 そして2011年3月11日、東日本大震災が起こります。その時、八谷さんは北海道の大樹町 でロケットの打ち上げを翌日に控え準備をしていました。八谷さんは民間で小型ロケットを開 発している秘密結社「なつのロケット団」の一員だそうです。そして「ホリエモン」こと堀江貴文 さんもその一員でその場にいました。そして堀江さんがiphoneを見ながら「結構大きい地震 だって!」と叫びます。この時は私の地元深川でも震度3くらいの揺れがあり、長い時間の横 揺れを感じました。すぐに津波警報が出され、大樹町も海が近く海抜の低い場所だったので ロケットをそのままに避難したそうです。結局このロケットの打ち上げは中止となり、翌日 東京に戻りますが東京は混乱していました。そして福島では原子力発電所が津波の被害に あり事故を起こして極めて厳しい状況にあることもみんなの恐怖を増副させていました。 「シーベルト」や「ベクレル」などの放射線にまつわる専門用語が飛び交います。そして史上 最悪のチェルノブイリ事故が引き合いに出されたり、デマが横行したりで恐怖心が煽られて いました。八谷さんは原発の専門家ではありませんが、一応理系だったので基礎的なこと を勉強して、みんなが知りたいと思っていることをツイッターで説明しました。 そしてこのツイートをまとめ漫画にしてYOU TUBEに投稿する人が現れたりしました。 こちらの「うんち・おならで例える原発解説~おなかが痛くなった原発くん」です。 当時の政府は最悪の事態については何も言ってませんでしたが八谷さんはこの事故を出来 るだけ中立の立場で、ワーストケースでは福島がどんな状況になるかにも言及しました。 この動画は一ヶ月に150万回も再生され、また他の言語にも翻訳され英語版は日本語版を 超える勢いで再生されました。 また八谷さんは東京藝術大学先端表現科の教員でもありました。この学科は茨城県の取手 市に校舎があり東京より福島原発に近いこともあり学校の放射線量について不安に思って いました。当時はガイガーカウンターは売り切れ状態でなかなか手に入りませんでした。 そして自分の手でこれを作ろうとかと思っていたところオープンスカイでお世話になった吉澤 さんが自分の手作りのガイガーカウンターを身内に販売していました。これは計測値を自動 でツイッターにツイートする機能がついているなど市販のものよりはるかに高性能でした。 早速1台、大学の備品として購入し、大学の助手の部屋に設置して6時間ごとの放射線量を ツイートしました。 震災から三か月ほど経ち、東京は日常生活を取り戻し落ち着いてきました。しかし福島の 被災地ではとんでもないデマによる人災がいまだ続いていて福島の人達は深く傷ついて いました。そしてここで何か出来ることがないかと考えます。そして「ガイガーカウンター ふくしま」が福島市で行われます。 ここでは実際に測定された内部被ばくデータの話や放射線測定と健康の話、そしてガイガー カウンターのワークショップが開かれました。そして地元の人達との座談会「福島の皆さんと ざっくばらんにお話しする会」を持ちます。「東京の僕たちに何か出来ることがありますか?」 と尋ねたところ、「デマをつぶして下さい」「線量が高いといった悪いニュースが広まってしまい 、いいニュースがなかなか報道されなし」と言った声があり、報道やネットを通じて知る福島県 と実際に現地で聞く生の声とはずれがあるのを感じました。大事なのは正しい情報をきちんと 発信したり受け取ったりすることだと感じます。 またこのイベントは皆、手弁当で資金はネット募金で賄いました。これは公的な資金で支援し てもらうよりニュートラルで新しい方法と感じます。そしてこれがモデルケースとして、いろいろ な人達が被災地の支えになるような有意義なイベントを開催出来るとうになればと思うように なりました。 こうして2011年のオープンスカイのプロジェクトは一時中断します。そして翌2012年オープン スカイは再起動します。この間は機体を自分一人で輸送出来るようにしたり、燃料関係の不具 合を整備したりして、まだ飛んではいないものの機体としてはほぼ完成状態にありました。 2012年の9月の「空の日」に福島空港で行われたイベントに招待され、M-02Jの機体を空港 の滑走路に展示します。この時はエンジンの始動だけで飛ぶことはありませんでしたが、実際 に飛べるのになあと思ったそうです。 そして10月から11月にかけて野田市スポーツ公園で滑走テストを再開しました。 こちらがその時のYOUTUBEの八谷さんの動画です。 この時点ではまだ新エンジンの滑走テストでまだ飛んでいません。 それでは今日はこの辺で、話ばかり長くなって申し訳ありません。このことについては正しく 伝えなければと長くなってしまいました。次回はいよいよM-02Jが地上を離れます。 ぜひ お楽しみに !!! いつもクリックありがとうございます。またよろしくお願いします!!
2014.11.08
コメント(0)

こんにちは。今日はM-02のフライトを終え、いよいよジェットエンジン搭載のM-02Jの テストフライトをお贈りします。 こちらの動画はオリンポスのM-02Jのメイキング動画です。この時のジェットエンジンは 2004年にフランスのアビエーション・デザインという民間会社から380万円で購入した T-340(推力30kg重)です。ちょっと推力が不足していると思いましたがこの上のクラスと なると一気に600万円と跳ね上がるため、このエンジンに決定しました。 エンジンテストを終え、いよいよM-02Jに搭載し明星大学の構内を借りて滑走試験を 行います。2010年2月です。 この時の滑走でいきなり前輪が根本から折れるというアクシデントがありました。 後で溶接が不完全だったことが分かりました。まだ低速試験でしたので事無きを得まし たが、これが離発着の時であったら大きな事故に繋がったかも知れません。 こうして問題点を改善して、2010年4月「ふくしまスカイパーク」で2回目の滑走テストを 行います。こちらの八谷さんの動画がその模様です。 このテストではスタートが安定せずふらついてなかなか真っ直ぐに走れませんでした。 ジェットエンジンのパワーが足りない為、初期速度が遅くて不安定となったのです。 またふらふらするたびに翼端が地面に接地しています、このことが前のメイキング動画 の後半に出てきた、両翼にアウトリガーを付ける改善に繋がりました。 そしてこの滑走を繰り返し少しまともに走れるようになったのですが、8回ほど走った後、 急にエンジンが止まってしまいました。後でエンジンのベアリングが傷ついていたことが 分かりました。 何とかこのエンジンのベアリングを交換して修理をしようとフランスの企業に問い合わせ ますが、何と製造メーカーが倒産しカナダの会社に買収されていました。メーカーによる 修理は無理との返答です。ベアリングの製造メーカーは日本のメーカーで型番も分かっ ており何とか修理出来ないか打診しましたが、一旦製品に組み込まれたベアリングの修 理や交換は出来ないとの返答でした。ジェットエンジンではベアリングは心臓部であり、 軍関係にも使われる特注部品は厳密な契約(納入メーカー以外に作ったベアリングは 販売しない)を交わしており、たとえ倒産したメーカーでも出来ないとのことでした。 結局このエンジンは諦め、新しいエンジンを探します。2006年から4年後の2010年には 技術の進歩もあり、円高ユーロ安でもあり120万円ほどでインターネットで購入出来まし た。オランダのAMTという会社の製品で「タイタン」というエンジンで推力も前のエンジン よりも推力が10kg重大きい40kg重に向上しており、八谷さんの望んでいた性能を満たす ものでした。しかもセルモーターで簡単に始動が出来ることは大きな魅力でした。たとえ 空中でエンジンが止まってもその場で始動が可能だからです。T-340は再始動にエンジン コンプレッサーや発電機が必要でした。 結果的にこのジェットエンジンの交換は大正解で大きく前進することになります。 しかしこの時点で大きな問題に直面します。資金面です。これまでに会社(ペットワークス) の開発したポストペットなどで積み上げた利益で研究開発を行ってきましたが、お金が出て 行くだけのプロジェクトを継続するには無理がありました。 この時点で新エンジンを購入することは決めており、もし手に入れなければプロジェクトの 中断し止まったままとなってしまいます。会社にお金がなければ自費で購入するしかない とあえて不安なことは考えず、アマゾンで書籍をネット購入するような軽い気持ちでネットで 購入したそうです。 またこの資金難は設計、製造を依頼して2人3脚でやってきた四戸さんのオリンポスとの 契約にも大きな影を落としました。彼らはプロなので、作業に見合った費用を払う必要が あり、お金がない状態では仕事の発注も出来ません。オリンポス自身も当初想定した 以上の作業量を費やしており、経営的にも厳しい状況でこのまま続けてはお互いの会社 が不幸な結果(倒産)という事態になってしまいます。ここでオリンポスとの契約を打ち切り アウトリガーの制作を最後に別れを告げ、これから一人でオープンスカイを進めていくこと を決意します。 2010年10月22日、オリンポスの工場においてあった私物、機体、材料などすべてを引き 取り、最後に四戸さんと握手し、「完成を一緒に見ることは出来ませんでしたがどうぞお元気 で、本当にありがとうございました」と別れます。そして帰りの車の中で八谷さんは涙します。 (この内容は八谷さんの著書「ナウシカの飛行具、作ってみた」からの抜粋です) それでは今日はこの辺で、次回はこの新エンジンを搭載したM-02Jのテストフライトの模様 をお贈りします。 どうぞ お楽しみに !!! いつもクリックありがとうございます。またよろしくお願いします!!
2014.11.07
コメント(0)

こんにちは、今日はいよいよ「メーヴェ」モデルの初飛行をお贈りします。M-02Jの前の 滑空機タイプのM-02です。M-01の後、ガル翼の角度の変更や内翼と外翼の間に垂直 板を追加したりと設計の大きな変更があり、M-01とは別設計の機体としてM-02と名付 られました。 ちなもにM-01の翼は今のM-02Jの翼にの一部になっています。また胴体ポッドは「M-02 映像シミュレーター」として観客がパイロット視点で体験出来る装置に使われています。 こちらはYOUTUBEの八谷さんのチャンネルで公開されているOPEN SKY2です。こちら の動画にジェット模型のフライトやM-01の制作、愛知万博への出展の模様、そしてM-02 の初フライトの模様が収録されています。前のブログでジェット模型の映像が見つからない と言っていましたがこの中にありました。 こちらは2006年9月24日、富士宮市の「ふもとっぱら」での第5回公開テストフライトの模様 です。この時は一般公募の女性パイロットの夏目裕美さんと橋本喜久恵さんも飛んでいます。 夏目さんはハンググライダーのベテランで橋本さんはグライダーのパイロットです。お二人は 一般公募の女性60名の中から選考された方です。 この公開テストはゴム索発航でゴムを引っ張ったのはお金を払って参加してくれたツアーの 人達でしたが、みんな笑顔で楽しそうに引っ張ってくれたそうです。 こちらはM-02の機体に付けられたカメラのパイロット目線の映像です。 こちらは2008年10月4日、金沢アートプラットホームで行われたOpen Sky M-02による テストフライトの模様です。徐々に高度が上がり飛行時間も長くなっています。 M-02のフライトも順調にこなし、次はいよいよジェットエンジン搭載のM-02Jのテストです。 八谷さんはその前にエンジン付の「トライク」で練習を積みます。 こちらが北海道の上士幌町で行われた「トライク」での単独飛行の模様です。 それでは今日はこの辺で、次回はいよいよジェットエンジン搭載のM-02Jのテスト フライトをお贈りします。 どうぞ お楽しみに !!! いつもクリックありがとうございます。またよろしくお願いします!!
2014.11.04
コメント(0)

こんにちは、今日はいよいよ「メーヴェ」モデルの実機制作の模様をお贈りします。 2004年に有限会社「オリンポス」の代表、四戸哲さんと出会い実機制作を依頼します。 当初、八谷さんは「メーヴェ」のような形では実際に飛ぶことは難しいと考えており、「安全に 飛べるメーヴェ的な飛行機」を作ろうとしていました。 しかし四戸さんはうっかり「メーヴェの形でも飛ばせますよ」といってしまい、八谷さんはその 言葉を聞き逃しませんでした。その後の言葉に「もちろん設計も製造も相当、大変になります けど」と続きますが、八谷さんは「大変な方でやりましょう!」とお願いしました。 制作にあたり参考にした機体が3機ありました。1機は「スイフト」と呼ばれるハンググライダー で「メーヴェ」と同じく無尾翼の形をしています。もう1機は1930年代に作られたビンテージ グライダーの「空の貴婦人」と呼ばれた「ミニモア」です。この機体は無尾翼ではありませんが 翼が「メーヴェ」と同じく「ガル翼」となっていてその姿はそっくりです。 宮崎監督はこの「ミニモア」を「メーヴェ」の参考にしたのではと思われます。このミニモアは現 在、世界に3機だけ今も飛行可能な機体があり、何とその1機が滝川スカイパークに所蔵され ています。実は私も本を読んで初めて知りました。何回もテストフライトで訪れているのに気が 付きませんでした。きっと見ているのかも知れません。今度行った時には見てこなくてはと思っ ています。 こちらのYOUTUBEに朝日新聞社の「ミニモア」の動画があります。 そしてもう1機は1937年に日本で初めて作られた無尾翼グライダーの「HK1」です。 この機体の設計は「風立ちぬ」でゼロ戦の設計をした堀越次郎さんと同期の木村秀政 さんです。そしてこの飛行機を作ろうと出資したのが天才発明家の萱場資朗(カヤバ シロウ)さんです。萱場さんは萱場製作所(現KYB株式会社)の創始者です。 萱場さんは近い将来、プロペラ機からジェット機に変わることを予想してジェットエンジン の研究を始めます。そしてジェットエンジンは後方に熱いガスを噴出するので無尾翼機 が適していると考えました。当時はまだジェットエンジンが実用化されておらず、この機体 は滑空機として飛びました。 この時代の日本では自由に常識にとらわれない設計の飛行機が空を飛んでいました。 皆が飛行機に夢や憧れを抱いていた時代でした。そして宮崎駿監督のアニメはこの頃 と同時代の飛行機がたくさん登場します。 こうしてこの3機を参考に「メーヴェ」モデルの制作を始めます。 まずは1/5スケールの M-01の模型を制作し、実際に飛べるか検証します。この模型の制作には思ったよりも 日数が掛かり、実機のM-01の制作に取り掛かったのはこの年(2004年)の11月でした。 実はこのM-01は完成前に愛知万博への展示が決まっていました。しかし思った以上に 完成に時間が掛かり、万博への展示日が近づいてきます。 後半には四戸さんを始めとするスタッフの皆さんと四戸さんの奥さん、娘さん、息子さん まで手伝いに駆り出し、最後にはボランティアの人も総動員で連日徹夜で作業を進めます が人出不足で終わりません。 そして「愛・地球博」のプレ・オープン、2005年3月24日を迎えます。 通常、美術品の搬送には専門業者に頼みますが、そんな時間もなく自分達の車で運ぶ ことになりました。途中吹雪にあったりと結局予定していた時間の搬入には間に合い ませんでしたが何とかオープニングの終わった会場にたどり着きます。 そしてここから現場で設営作業を徹夜で行います。全員ボロボロになりながら最終的な 機体の組み立てが終わったのはオープン当日の朝の7時でした。 講演でこの愛知万博で全員死にそうな思いをしたと言っていましたがこのことだったんで すね。本を読んで初めて知りました。 こちらがその時の模様だと思います。この写真は八谷さんのOPENSKYの旧ホーム ページからお借りしました。 こちらがそのホームページです。今は新しいホームページに移っていますが2004年 までの制作状況が見られます。Open Sky です。 貴重な動画もQuick Timeで見られます。ぜひご覧下さい。 それでは今日はこの辺で、次回はいよいよ初フライトです。 どうぞ お楽しみに!!! いつもクリックありがとうございます。またよろしくお願いします!!
2014.11.02
コメント(0)
全7件 (7件中 1-7件目)
1

![]()