「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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つんつん~のらりくらり記~
私の阪神大震災備忘録
そのとき、私は名古屋に住んでいました。
そこでも震度3位の揺れがあり、
目が覚めました。
前年の暮れあたりから、北海道・東北地方で
頻繁に地震があったので、
今回もまた?…くらいに思って、
また寝てしまったのです。
いつも通りに起きて、テレビのスイッチをつけると、
地震が起きたのは〝神戸〟!
それもかなり大きい…
夫が即、大阪府内の実家に電話を入れると、
義母からは「大丈夫。家はなんともない」の返事。
ところが、兵庫県西宮市の私の実家には
電話は通じませんでした。
時間がたつにつれて、
テレビ画面には信じられない光景が
次々と映し出されてきます。
高速道路が途中で切れている!!?
見覚えのある場所です。
実家の近くです。
どうなってるの?
家の電話からは、何度かけてもつながりません。
こういう非常事態のとき、
公衆電話からのほうがつながりやすい…
そう聞いたことがありました。
公衆電話からかけよう!
はやる気持ちを抑えながら、
当時幼稚園年中組のミッキーを
園のバスに乗せ、送り出した後、
3歳のクッキー、1歳のズッキーを自転車に乗せて、
電話ボックスに向かいました。
住んでいたマンションのすぐ近くには
公衆電話はあったものの、幹線道路の側で、
車の往来が激しく、
チョロチョロ動き回る幼子2人を連れての電話は
かなり怖いものがあるので、
少し遠くの電話ボックスに足を伸ばして、
ボックスの中に子どもたちと入り、
しっかりドアを閉めて、実家に電話をかけました。
「もしもし!」
父の声がしました。
「大丈夫なの!?」
「ああ…そやけど、えらいこっちゃ!
ものすごいことになってる…ようけ(たくさん)の人が
亡くなってはるんや!」
父はいつも真面目な口調で冗談を言い、
私や弟から「アホとちゃう?」と非難されています。
このときも「もう!また冗談言って!」と
私は思ったのですが…
「とにかく、みんな無事や。
電話はつながりにくいかもしれんから、
もし誰か親戚から聞かれたら、
うちは全員無事やと伝えてくれ!」
無事を確認して、
帰宅してテレビをつけると、
また悲惨な状況が目に飛び込みます。
どこもかしこも見覚えのある風景…
それが全部ゆがんでいるのです。
「ウソ…」
父は冗談を言っているのではなかった…
そんなときに電話のベルが鳴りました。
実家から?
誰か友達?
「はい!もしもし!」
あわてて受話器をとると、
「奥様でいらっしゃいますか?
私ども●●と言いまして…」
こんなときに勧誘の電話です!(怒)
神戸から離れたここ名古屋では
いつもと変わらない平常の朝なのです。
でも今、私が生まれてからのほとんどを過ごした土地が
信じられないことになっているのが
画面を通して、目の前にあるのです。
「今、神戸が大変なことになってるのに、
なんでそんな電話をしてくるんですか!!?」
叫びながら受話器をたたき切りました。
お向かいのマンションには、
神戸出身で、私が高校時代に住んでいた
東灘区の家から目と鼻の先に
住んでいたという奥さんがいました。
私はひとりでテレビを見ていることに耐えらず、
その奥さんに電話をかけ、
同時にテレビ画面を見ながら、
「ああ!あそこ!あんなに壊れて…
なんでこんなことになったの?」
夫の転勤で故郷を離れて
他の土地で知り合った同郷の仲間と
お互い泣きながら話すことが
そのとき私たちに出来る唯一の慰めでした。
家事もほとんど手につかず、
ただ呆然として
1日中テレビ画面を正座して見つめていました。
子どもたちが昼寝をしている間に
家を抜け出しては公衆電話に向かい、
実家や神戸の知人に電話をかけ、
無事を確かめてはホッと胸をなでおろしました。
ただ、高校時代から仲良しの
くるみmama
には全く連絡が取れませんでした。
彼女が被害の大きい灘区に住んでいたことから、
どこかに避難しているんだろうか?と、
テレビで避難場所が写るたびに目をこらして見ていました。
後日、家からキャンプ用のテントを持ち出して
近所の公園で避難生活をしていたことを知りましたが、
本当に心配でたまりませんでした。
親戚の人たちからは
西宮の実家に電話をかけるが通じない…と
名古屋の我が家に次々と消息をたずねる電話がありました。
特に弟嫁のMiさんは奄美大島出身で、
Miさんの姉一家も伊丹市に住んでいるということから、
遠く離れた土地で
ご両親はかなり心配されたようですが、
私が「みんな無事です」の言葉に安堵されたようです。
数日後には京都府に住む父の兄や
母方の親戚たちが水や食料を持って
実家を訪ねてくれたそうです。
私もすぐにでも駆けつけたかった…
しかし、幼子3人を連れて行っても足手まといになるだけです。
私に出来ることは、
ミネラルウォーターや日持ちする食料を
宅配便で送ることぐらいでした。
「確実に届くかはわかりませんが…」という条件付でしたが。
私が自分の足でその土地を踏むことが出来たのは、
3ヶ月後の、電気・水道・ガスがやっと復旧してからでした。
アスファルトの道が、あちらこちらで隆起したり陥没したり、
まっすぐ歩くのが困難です。
トラックが走るたびに家が揺れます。
地盤がかなりゆがんでいるのが感じられ、
近所の家もゆがんで建っているのが
はっきり目で見てわかります。
実家は、祖母が住んでいた古家を
祖母亡き後、
それまで別々に近所に住んでいた父と弟一家が
一緒に住むべく、新しく鉄骨の3階建て住宅に建て替え、
前年の11月末に引越しを済ませたばかりでした。
新しい家で新年を迎え、
私たちもお祝いの挨拶に訪れた2週間後、
この地震が起きたのでした。
もし、祖母がまだ健在だったら、
古い家のままで、
一人暮らしの祖母は怖い思いをしたかもしれませんし、
もしかしたら天井が崩れて、下敷きになったかも…
父も弟一家も古いアパート住まいだったから、
そのままだとどうなっていたか…
実際、弟たちが住んでいたアパートは
半壊状態になっていました。
新しい鉄骨の頑丈な作りの家は、
崩れることは免れました。
寝室にあったタンスは、あの揺れで倒れたのですが、
幸い部屋幅が狭くて、反対側の壁につっかえ棒のように止まり、
その下で寝ていた弟たちは下敷きになることなく助かりました。
どんな揺れだったのか…?
当時の写真を見せてもらいましたが、
和ダンスの観音開きの扉部分が
180度回転して、真後ろの壁側を向いていました。
私は実際にその揺れを体験していません。
たまたま当時は離れた名古屋に住んでいて、
被災することもなくラッキーだったと言えるでしょう。
でも、
長年の友人たちがあの悲惨さを体験しているのに
なぜ自分は普通に生活しているんだろう…
こんなことしていていいんだろうか…
数ヶ月・1年・2年たってから
無事を確認できた友人たちから
家が崩れて親御さんを失ったことや、
避難所生活で小さいお子さんを抱えて大変だったことなど、
それらを聞くたびに
また自分が実際に体験していないことに
腹立たしさ、もどかしさを感じるのでした。
その大変さを実際にわかってあげられなくて
申し訳ない…
私にとっての1月17日は
そんなもどかしい日でもあるのです。
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